福建省福州海防官が上海の日本総領事館に送った公文書。3人が尖閣諸島を目指して出航したという明治政府の説明を問題視せずに引用している(写真:産経新聞)

 日清戦争直前の明治26(1893)年、清国が日本側に出した公文書で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を清国領と認識していなかったことが、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)の研究で分かった。中国側は現在、尖閣諸島について清国の領土であり、日清戦争に乗じて「日本が強奪した」(中国共産党機関紙「人民日報」)と主張するが、新たに確認された公文書は、この主張を覆すものといえる。(奥原慎平)

 公文書は、尖閣諸島に向けて出航し、難破した熊本県民ら3人に関する両国間の往復書簡「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。日清間で交わされた書簡など計9通からなる。

 日本内外の漂流事例を記録した「困難船及漂民救助雑件」(外務省外交史料館所蔵)に収録されている。尖閣諸島をめぐる日清間の動向を記録した公文書が確認されたのは、初めてだという。