2015年11月11日、遂に国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行した。写真は日本航空仕様のイメージカット

 本格的な開発が始まって7年、2015年11月11日、遂に国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行した。試験飛行時間は約1時間半だった。国産の旅客機として1960年代半ばに誕生した名機「YS-11」以来となる。そのYS-11も1973年に生産を終えた。その後、国産旅客機の開発は途絶える。

 戦後、日本は驚異的な復興を遂げ、自動車や家電、半導体などの優れた工業製品を生産して世界に冠たる工業国家となった。「Japan as Number-One」とまで国際的に評価されたニッポンブランドの工業製品だが、航空機産業だけは育たなかった。

 それには理由がある。第二次大戦中に活躍したと言われる国産戦闘機「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」を作り上げた日本の航空機開発技術は、戦前戦中を含めて世界のトップレベルにあった。そのため戦後、GHQによって航空機開発のみならず搭乗員の教育などを含め、航空産業全般が厳しく制限された。この制約は、サンフランシスコ講和条約が成立する7年後まで続く。米国を中心にした勝戦国が日本の航空機開発技術力を恐れたのである。

 しかし、日本の航空機関連メーカーである三菱重工業や富士重工業、川崎重工業などは、ボーイングやエアバス社など欧米メーカーに機体の一部やパーツを供給し続けてきた。航空機生産のための部品や素材の開発や供給を続けた日本のメーカーは、技術力を大いに磨く。

 その間に世界経済はグローバル化が進む。同時の新興国の発展が急速に進み、旅客機の需要が拡大する。そこで、2003年に官民共同開発に向け国が補助金を出し、2008年に三菱重工100%子会社の三菱航空機による「MRJ事業化」が決まった。