人物・伝記

2017年7月25日 (火)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去・3

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

最初の記事
2番目の記事

リンク:平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手に感謝「看病してくださった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん追悼番組、BSプレミアムで放送『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん次男、“チャラ男”キャラ封印約束「アーティストとして頑張る」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手は「お母さんです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:山本譲二「飲まなくてよかった」平尾昌晃さん思い出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん次男の歌手勇気「父の魂受け継ぐ」決意 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さんが長男・勇気に授けた曲作りのアドバイスとは… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん家族葬、長男が喪主に…通夜29日、告別式30日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK紅白「蛍の光」のタクトは誰が振る? 平尾さん死去で関係者「人選は難航しそう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:意外なことをヒントにヒット曲を生み出した平尾昌晃氏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん再々婚、4年前だった!生前に理由語る「照れくさい」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん家族葬の日程変更 通夜29日、葬儀30日に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾さん遺産めぐり不協和音、“育ての母”権利なく息子ら不満  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:急逝した平尾昌晃さん、肺結核の挫折が人生の転機に 評論家「歌手としても、作曲家としてもスター」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手に感謝「看病してくださった」
7/28(金) 7:00配信 サンケイスポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の息子で歌手、平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)に生出演した。平尾さんが死去後、テレビ出演するのは初で、サンケイスポーツ報道で明らかになった父の再々婚について初めて言及。長年、故人を支えた個人事務所のスタッフで、献身的に看病していたお相手の50代女性を「お母さん」と呼び、感謝した。

 日本を代表する作曲家が他界してから6日。息子が亡き父、そして“母”への思いを語った。

 「優しくて、かっこよくて、ときには厳しい人でした。憧れの人です」

 この日、黒スーツ姿で「バイキング」に生出演した勇気。普段、バラエティーで見せる陽気な笑顔はなく、父の人柄を問われると沈痛な面持ちで言葉を絞り出した。

 番組内では、平尾さんの輝かしい人生を振り返るとともに、訃報から一夜明けた23日付でサンケイスポーツが報じた再々婚の記事も紹介。お相手が数十年前から故人を支えてきた個人事務所の50代女性のチーフマネジャーで、2013年に婚姻届を提出していたことと、平尾さんには2度の離婚歴があり、2人目の妻との間に生まれた2男のうち次男が勇気であることが伝えられた。

 司会の坂上忍(50)から「再々婚したお相手の方っていうのは…」と水を向けられると、勇気は「お母さんですね」とキッパリ。再々婚に言及するのは初で、「父が体調悪いときもずっと看病してくださった」と献身的にサポートしていたと説明。自身は仕事先の名古屋で訃報に接したことを振り返り、「奥さんは(最期に)会えました。最後までちゃんとやってくれました」と感謝の言葉を述べた。

 入院中の父の様子については「病室で『この曲をかけてくれ』って言って、音楽が好きで好きで仕方がないという人だった」と説明。自身の今後の音楽活動には「父の魂を受け継いで、音楽で人のために頑張りたい。『アーティスト平尾勇気』としてやっていきたい」と涙ながらに父に誓っていた。

 平尾さんは、72年に短大生と結婚して1男をもうけるも、76年に離婚。78年に元歌手、小沢深雪さん(58)と結婚し、勇気ら2男をもうけたが、85年に離婚している。通夜は29日、葬儀・告別式は30日に家族葬で営まれる。


平尾昌晃さん追悼番組、BSプレミアムで放送『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』
7/27(木) 21:21配信 オリコン

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平尾昌晃さんの追悼番組の放送が決定

 今月21日に肺炎のため都内の病院で亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の追悼番組『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』が、NHK・BSプレミアムで29日午後1時半より放送されることが決定した。

■数々の名曲を作曲…平尾昌晃さんのプロフィール

 同番組は、平成22年11月3日に衛星第2(当時)で放送されたもの。ウェスタン歌手からロカビリーの人気ものになり、その後は作曲家として「カナダからの手紙」「瀬戸の花嫁」など多くのヒット曲を生み出し、新人歌手の発掘と育成にも尽力した平尾さん。

 番組では、アメリカンポップスの影響を受けながらも独自の日本的なメロディーの歌謡曲を作り上げた人生をたどり、その作品の数々を放送する。


マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず
7/27(木) 16:00配信 NEWS ポストセブン

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平尾さんを看取った妻の存在に波紋が

「8月以降も仕事を入れていて、『どんどん仕事をやっていきたい』と言っていた矢先だっただけに、本人はさぞ無念だったのではないかと思います」(芸能関係者)

 作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さんが、7月21日に亡くなった。79才だった。

 平尾さんは2年前に肺がんを患って闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも「息苦しい」と訴えて約1か月にわたって入院していた。一時は回復したものの、7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と、病院で検査。肺炎の疑いがあったため入院したが、亡くなる前日まで食欲も旺盛で、大好きなゴルフの全英オープンと、松居一代(60才)の騒動をテレビで見るのを楽しみにしており、「(松居には)穏便に解決してほしい」などと話していたという。

 だが、21日に容体が急変し、帰らぬ人となった。その傍らには身内やスタッフとともに、最期を看取った“妻”の姿。音楽業界関係者や親しい友人らも知らなかった、その“妻”の存在が波紋を広げている。

《遺産騒動 心配の声》──7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったという。

《数々の名曲の著作権を持つだけでなく、不動産はもちろん、さまざまに展開した事業を含めると、相当な財産を残していたはず》

 その財産は、今後、A子さんと、平尾さんの3人の子供たちの間で分け合うことになる。そんな中で、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。

「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」

 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”が聞こえてきた。その話をする前に、まずは平尾さんの功績について振り返る。

◆2度の離婚と3人の子供

 平尾さんは1937年、東京生まれ。小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えてしまうほど洋楽に熱中。慶應高校時代は創立間もない日本ジャズ学校に通い、ウエスタンバンドを組んで進駐軍のキャンプやジャズ喫茶で演奏した。高校を中退し、1958年に歌手デビュー。『第一回日劇ウエスタンカーニバル』に参加し、ミッキー・カーチス(79才)、山下敬二郎(享年71)とともに「ロカビリー三人男」として一大ブームを巻き起こした。

 その甘いマスクと歌声から「和製プレスリー」と称され、アイドル顔負けの人気ぶりだった平尾さん。しかし、もともと肺に疾患を抱えていたことから、医師に「3年間は肺を使わないように」と告げられ、60年代半ばに作曲家に転身。すると一気にその才能が開花する。

 1966年に布施明(69才)の『霧の摩周湖』と梓みちよ(74才)の『渚のセニョリーナ』の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞。五木ひろし(69才)の『よこはまたそがれ』や小柳ルミ子(65才)の『瀬戸の花嫁』、アグネス・チャン(61才)の『草原の輝き』、山口百恵(58才)の『赤い絆』、中条きよし(71才)の『うそ』など、ポップスから演歌まで幅広いジャンルで数々の大ヒット曲を生み出した。

 1974年に平尾昌晃音楽学校(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。松田聖子(55才)、中村あゆみ(51才)、森口博子(49才)らを育てた。1978年にはスクール出身の畑中葉子(58才)とデュエットし、『カナダからの手紙』をヒットさせている。

「一発当てると散財してしまう音楽関係者が多いなか、平尾さんはとても堅実な人。音楽学校の経営も順調で、業界では数少ない、音楽的才能とビジネスセンスを兼ね備えた人でした」(音楽業界関係者)

 その一方で、平尾さんはとても子煩悩な父親としても知られた。1972年7月、当時現役女子大生だった女性と最初の結婚。男子をもうけたが、平尾さんは音楽学校の秘蔵っ子だった小沢深雪(58才)との「不貞」を疑われ、妻に離婚と1億5000万円の慰謝料を要求される。当時、小沢はまだ16才。平尾さんが「不貞などない」と要求を突っぱねると、離婚問題は家庭裁判所に持ち込まれ、慰謝料1600万円、長男の養育費毎月15万円を支払うことで決着した。

 平尾さんが小沢との再婚を発表したのはそれから2年半後、1978年7月のことだった。1978年10月に男子、1981年3月にも男の子(2004年に歌手デビューした平尾勇気・36才)が誕生した。だが、1980年代半ば、平尾さんが仕事で多忙なため“すれ違い生活”が続き、離婚した。

 その後、30年以上長い独身生活を続けていた平尾さんが密かに再々婚していたというから周囲は驚いた。

「A子さんは50代で、身長は160cmくらいのグラマラスな体形です。気さくで明るいパワフルな女性で、事務所の取締役も務めているビジネスパートナーでした。彼女も平尾昌晃ミュージックスクール出身で、卒業後、20年以上も平尾さんのマネジャー的役割をしていたようです」(平尾さんの知人)

 だが、その知人は首を傾げながらこう続ける。

「平尾さんからは、『A子はパートナー』と紹介されていたものの、結婚していたということは聞いていませんでした。報道を見て知ったんです。どうも、作曲家仲間や音楽関係者にも結婚したことを隠していたようで…。私だけじゃなく仲間もみんな、入籍していたことは知らなかったと思います」

※女性セブン2017年8月10日号


平尾昌晃さん次男、“チャラ男”キャラ封印約束「アーティストとして頑張る」
7/27(木) 14:26配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家・平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演。これまで金髪の“チャラ男”キャラを貫いていたが、「これからはアーティスト平尾勇気として頑張っていく」と“チャラ男”封印を約束した。

 番組では、勇気を迎え、平尾さんの足跡などを振り返った。その最後にMCの坂上忍が今後について勇気にたずねた。

 「父の魂を受け継いで、父の背中を見てきたので、音楽で、人のために何か頑張りたい」と、神妙に語ると、坂上は「ってことは、これからは音楽で行くってこと?チャラ男はどうするの?」と質問。金髪キャラの勇気は、これまでも恵まれた二世タレントとして、派手な印象を振りまいていた。坂上も「俺が出させて頂いた番組でVTRで勇気君が出てくれ、誰だこいつ?って思った。それぐらい頑張ってた。堂に入ったチャラ男ぶりだった」と説明。

 それを聞いた勇気は改めて「アーティスト平尾勇気としてやっぱり(頑張っていく)」と、音楽家として活動していく意気込みを吐露。「数年前からチャラ男キャラをやりながら曲を書いていた。それを父に聞かせることが出来なかったんで、悲しい」「父に生では聞いてもらえなかったけど、これから平尾家として、本当に頑張っていきたい」と、チャラ男キャラは封印し、音楽の道を邁進することを涙を浮かべ約束した。

 これを聞いた坂上は「だったら本当に、歌い手、アーティストとして頑張っていくのを応援したい」と、エールを送っていた。


平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手は「お母さんです」
7/27(木) 13:49配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演。平尾さんが再々婚していた女性に対し「お母さんです」とキッパリと語った。勇気は平尾さんの2人目の妻の子供。再々婚のお相手は、勇気にとって継母となる。

 番組によると、平尾さんと再々婚のお相手は、4年前に婚姻届を出していたといい、坂上忍から「再々婚したお相手の方っていうのは…」と切り出されると「お母さんです」とキッパリ。「父が体調悪いときもずっと看病して側に(いてくれた)」と、献身的に看病していたと説明。

 「父が亡くなるとき、地方の仕事があったんですけど、車で東京に向かっている時にマネジャーから今息を引き取ったと。でも奥さんはちゃんと(最期に)会えましたんで。ちゃんと最後までやってくれました」と母に感謝していた。

 平尾さんは72年に最初の結婚をするものの、一男をもうけた後76年に離婚。その後、勇気の母となる女性と78年に結婚するも85年に離婚していた。


山本譲二「飲まなくてよかった」平尾昌晃さん思い出
7/27(木) 13:46配信 日刊スポーツ

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山本譲二(15年7月7日撮影)

 歌手の山本譲二(67)が、21日になくなった平尾昌晃さん(享年79)の思い出を語った。

【写真】平尾昌晃さん、山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男

 山本は27日放送のフジテレビ系「バイキング」に出演。88年に平尾さんに「夕陽」を作曲してもらい、レッスンのため初めて自宅マンションを訪れた時のエピソードを語った。

 その時、平尾さんからお酒に誘われたという山本。これからレッスンのため断ったが、「いいから少し飲め」と勧められ、一口だけ口をつけたという。そしてゴルフの話題で盛り上がったと振り返った。

 それからレッスンを終え、帰る時になって平尾さんから「酒飲まなかったんだね、ありがとう」と感謝されたという。山本は「ひょっとしたら、バカバカ飲んじゃったら『俺の書く音楽を大事にしてくれないんだな』っていうふうに思われちゃってたのかな」と、その時の平尾さんの胸中を推し量り、「飲まなくてよかったなって、帰る時に思いました」と語った。


平尾昌晃さん次男の歌手勇気「父の魂受け継ぐ」決意
7/27(木) 13:27配信 日刊スポーツ

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平尾勇気(04年5月28日撮影)

 21日に死去した平尾昌晃さん(享年79)の次男の歌手平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演し、亡き父への思いを語った。

【写真】 平尾さん「詞を持ってこい」親子での曲作り叶わず

 「優しくて、格好良くて、時には厳しい人」と人柄について語った。その後に「父の魂を受け継いで音楽で人のために頑張りたい。『アーティスト平尾勇気』としてやっていく」と決意を新たにした。

 ここ数年で書きためた曲が複数あるという。それは、聞いてもらう機会がないまま、平尾さんは旅立ってしまった。「父にナマで聞いてもらえなかったが、(歌手として)頑張っていきます」と誓った。

 平尾さんは13年春に、約20年にわたってマネジャーをしていた50代女性と3度目の結婚をした。この再々婚相手については「奥さん」と呼んで、「最後までみとってくれました」と感謝した。

 平尾さんの通夜は29日、葬儀・告別式は30日に、いずれも都内で家族葬として営まれる。喪主は長男(38)が務める予定。


平尾昌晃さんが長男・勇気に授けた曲作りのアドバイスとは…
7/27(木) 13:15配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 肺炎のため、21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)の長男で歌手の平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」(月~金曜・前11時55分)に出演し「優しくてかっこよくて時には厳しい人でした。あこがれの人」と振り返った。

 勇気によると平尾さんは「2014年ごろから体調を壊しまして、そっから入退院を繰り返し苦しかった」と闘病生活を明かした。入院中も「病室でこの曲をかけてくれって言って、音楽が好きで好きで仕方がないという人だった」と明かした。

 音楽活動をしている勇気は「曲ができたら、父に渡していた」という。この時、平尾さんは「曲はシンプルじゃないとダメないんだよ。勇気はあれもこれも詰め込みすぎだ」と曲作りの極意をアドバイスしていたという。数々の名曲を残した平尾さん。当時の助言を勇気は「耳に残る曲が多いので本当に尊敬です」と感謝していた。


平尾昌晃さん家族葬、長男が喪主に…通夜29日、告別式30日 
7/27(木) 5:04配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の葬儀・告別式の喪主を、長男が務めることが26日、分かった。

 関係者によると、平尾さんは13年春、数十年前から公私共に支えてきた50代の女性スタッフと結婚。この女性スタッフと親族と話し合いの結果、長男が喪主を務めることでまとまった。

 平尾さんの通夜が29日、葬儀・告別式が30日に都内で営まれることも明らかになった。当初は28、29日の予定だったが、会場の都合で日にちを変更した。いずれも家族葬で執り行われ、9月をめどにお別れの会を開く意向だという。


NHK紅白「蛍の光」のタクトは誰が振る? 平尾さん死去で関係者「人選は難航しそう」
7/26(水) 16:56配信 夕刊フジ

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平尾昌晃さん(写真:夕刊フジ)

 21日肺炎で死去した歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)。数多くのヒット曲から国民的な作曲家としても親しまれ、大みそかのNHK紅白歌合戦のラストを飾る「蛍の光」で指揮棒を振る姿もおなじみだった。果たして、この大役は誰に?

 平尾さんが「蛍の光」のタクトをとったのは2006年。担当プロデューサーは「平尾さんは音楽への造詣が深く、華やかさがある」と起用理由を説明したという。

 「蛍の光」は、「長崎の鐘」などで知られる初代の藤山一郎さん(1958~92年)、「宇宙戦艦ヤマト」で知られる2代目の宮川泰さん(93~05年)、そして平尾さんと“国民的”な作曲者が務めてきた。

 平尾さんの就任発表も12月25日とギリギリのタイミングだったことから、今年も直前まで明かされないとみられるが、「1年を締めくくる顔ですから、人選は難航しそうです」と関係者。

 その人選について、こう語る音楽関係者も。

 「ほかの出場者同様、NHKへの貢献度もある程度、考慮されることになるだろう。宮川さんの息子で『ひよっこ』の音楽も担当している宮川彬良さん、服部良一さんの孫で『真田丸』を担当した服部隆之さん、『あまちゃん』などNHKでの仕事も多い大友良英さんらが有力でしょう」

 今年の紅白では、平尾さんの特集が組まれることは早くも確実視されており、“出場内定”がささやかれる歌手も出始めている。偉大な足跡を継ぐのはいったい誰だ。


故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝
7/26(水) 16:00配信 NEWS ポストセブン

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巨額の遺産を残して亡くなった平尾昌晃さん

 7月21日に亡くなった作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さん(享年79)の“妻”の存在が波紋を広げている。

《遺産騒動 心配の声》。7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったというのだ。さらに、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。平尾さんには最初の妻との間に1人、2人目の妻との間に2人、合計3人の息子がいる。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。

「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」

 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”がいくつも聞こえてきた。 前出のスポニチの記事では平尾さんの「遺産」について触れている。平尾さんが代表を務める事務所では、東京都心部に事務所兼スタジオの物件を所有している。その資産価値はおよそ2億円とされる。それ以外にも、数年前に購入したというタワーマンションもある。

「平尾さんはミュージックスクールを経営する会社の代表でもありました。スクールの経営も順調。それに、かつては競馬の競走馬も所有するほど羽振りもよかった」(芸能関係者)

 なにより平尾さんは自身が作曲した膨大な数のヒット曲があり、音楽業界内では、「印税収入は年間2億円弱ある」といわれている。

 ただ、「平尾さんの遺産は多くても10億円程度ではないか」というのは、平尾さんの知人だ。

「平尾さんの2人目の妻の息子たち2人は名古屋で暮らしていますが、長男は事業をやっていて、次男は歌手やタレント活動をしています。口の悪い音楽仲間は“平尾は親バカ”というほど子煩悩なかただったので、彼らの事業費や活動費をかなり手助けしていたと聞いています。また、面倒見のいい平尾さんは親族への援助も多く、それほど蓄えているという印象はありません」

 とはいえ、10億円ともいわれる遺産が今後どうなるのかを、平尾さんの友人たちは心配しているわけだ。

 故人の財産が血縁関係者に移転することを「相続」という。誰に、どれくらいの割合で受け継がれるかなどは民法によって定められている。

 たとえば、法廷相続人が配偶者と子供1人の場合、配偶者に半分、子供に半分が相続される。子供が2人になっても、配偶者は半分のままで、子供2人が4分の1ずつを受け取ることができる。子供が3人いる平尾さんの場合、A子さんが半分を受け取って、残りを子供3人で均等にわけるルールになっている。

◆複雑化する遺産の行方

「著作権の相続の場合も、著作者(作曲者)の個人管理だとしたら、不動産や株券などの財産と変わらず、相続方法も同じで、遺族に相続されます。著作権は著作者の死後、50年間にわたって保護されます。ただし、複雑なのが、個人事務所や会社で著作権を所有している場合です。その際は著作者が亡くなっても、著作権は事務所に残り、配偶者や子供たちには相続されないんです」(音楽関係者)

 2014年1月に亡くなったやしきたかじんさん(享年64)のケースでも、個人事務所が資産を所有していて、それが遺産相続問題の争点になった。

 たかじんさんは平尾さん同様、3度の結婚をし、最初の妻との間に娘が1人いた。その一方で、亡くなる3か月前、一般人女性のSさんと再々婚していたのだ。たかじんさんがこの世を去ると、最期を看取った3人目の妻と1人娘の間で、10億円ともいわれる遺産をめぐる激しいバトルが勃発したことはよく知られている。平尾さんの周辺でもこんな心配の声が聞こえてくる。

「A子さんは平尾さんの音楽事務所の役員でもあります。事務所が著作権の印税を管理しているので、今後もそのまま会社に印税が入ることになりそうです。ただし、それでは息子たちは蚊帳の外。平尾さんの親族からは『財団を作って印税はみんなで管理してはどうか』という声も聞かれますが、A子さんら事務所関係者にすればそれは受け入れ難いことでしょうね」(前出・音楽関係者)

 一部には「平尾さんは10年以上前から遺言状を作っていた」という話もある。今後、親族の間の話し合いも、その遺言状の中身次第となるのかもしれない。

 平尾さんが旅立って間もないが、以前からすでにA子さんと息子たちの間には深い溝ができているという証言は多い。

「次男の勇気さんがスポーツ紙のインタビューで、“家族葬は7月28日に通夜、29日に告別式を行う”と発表しました。その通り、各メディアは家族葬のスケジュールを報じたのですが、A子さんサイドが“まだ決まっていない。勝手に発表してもらっては困る”と、その日程をキャンセルして、葬儀は後ろ倒しされたんです。勇気さんは“勝手にしろ”とかなり怒っていたそうです」(前出・別の知人)

 前出の音楽関係者が続ける。

「A子さんは名作曲家である平尾さんのブランドを守ろうと丁寧にマネジメントをする人でした。一方で、息子たちはアーティストの血を引いているので自由闊達な雰囲気がある。要の平尾さんが逝ってしまって家族間にさらなる行き違いが生じるとしても、いたしかたないのかもしれません」

 しかし、A子さんが役員を務める平尾昌晃事務所は言う。

「平尾さんとA子さんが入籍したのは4年以上前のことで、“遺産目的”といった情報はまったく違うんです。また、通夜・告別式が変更になった理由ですが、まだ日程が決まっていない段階で外に出てしまっており、未定です。家族葬でもありますので、今後、発表する予定はありません」

 そして、本稿締め切り間近、息子の勇気から話が聞けた。彼は、「入籍したのは4年ぐらい前だが、いつ知ったのか、誰から聞いたのかはお話しできません」という。やはり、両者に大きなしこりを感じさせる話だった。

 いずれにしろ、通夜の日程すらすんなりとは決まらない不穏な雲行きを、平尾さんはどんな思いで見つめているのだろうか。

※女性セブン2017年8月10日号


意外なことをヒントにヒット曲を生み出した平尾昌晃氏
7/26(水) 11:00配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 日本を代表する作曲家・平尾昌晃さんが、肺炎のため22日に死去した。もともとロカビリー歌手として人気だったが、その後は本格的に作曲家の活動も始めた。

【写真】平尾さん次男 父の名曲を歌い継ぐ覚悟

 世に送り出した曲は多数。「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、「夜空」(五木ひろし)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「銀河鉄道999」(ささきいさお)、「霧の摩周湖」(布施明)、「アメリカ橋」(山川豊)。後世に歌い継がれている名曲も多い。

 そんなヒットメーカー・平尾氏は、時に正攻法ではない独特な感性から、ヒット曲のメロディーを生み出していた。

 代表的なのは「よこはま・たそがれ」(1971年)。作家・山口洋子さんが、五木ひろしの再デビューのために作詞した楽曲だ。以前、本人から聞いた話だが、実はこの時、山口さんから渡された作品は8編あったという。その中の1つが「あの人は行ってしまった」(のちに改題)というタイトル。

 「なんだこれ?」。読んだら「よこはま」「たそがれ」「ホテルの小部屋」…。単語の羅列。「冗談でやっているのかと思った」と思ったが、妙に印象に残った。

 とはいえ、作曲するには難しい。頭を抱えてしまった。もう一度、歌詞を読んだ。言葉が流れるように続かない。間が空く。「何かに似ている?」そう思ったという。

 もともと湘南育ち。当時は東海道線に乗り東京と湘南を往復することもあった。それで、ふと頭にわき上がったきた言葉が駅員さんの「横浜~!横浜!」のアナウンスだった。さらに「大船~!大船~」。「鎌倉~!鎌倉~!」とも。

 「これだ!よし分かった」とひらめいたという。

 「この歌詞は、名詞の間に、空いた間(ま)がある。それを駅員さんのアナウンスのように、間をつくればいいんだと。メロディーに乗せていけばいいんだ」。こうして名曲を生み出した。

 同じようなエピソードが、1998年の「アメリカ橋」にもあった。この楽曲を歌う山川豊は、完成までの経緯を明かした。

 数々の名曲を生んだ作詞・山口洋子さんとの久々にコンビ。山口さんの詞は完成していたが、平尾氏はなかなか納得いく曲ができなかった。妥協せず徹底的に曲作りに励み12曲ほど作曲したが、いずれも採用されなかった。

 行き詰まった平尾氏は、山川を連れてカラオケに出向き、ひたすら歌わせた。ただ「演歌でなくポップスの曲だけ」という条件付きで。

 本業以外の曲ばかりを歌わせる荒技。山川は郷ひろみ、安全地帯の曲などを歌った。そして井上陽水の「リバーサイドホテル」を歌い終えた時、平尾氏は「よし分かった!」と、突然大声を上げた。その直後に大ヒットしたこのメロディーが生まれた。「“リバーサイドホテル”だったのか、ヒントは意外なところにあったのでしょうね」と山川も懐かしそうに振り返った。

 そんな幅広い感性からヒット曲生み出していた偉大な作曲家。その死は本当に惜しまれる。(デイリースポーツ・栗原正史)


平尾昌晃さん再々婚、4年前だった!生前に理由語る「照れくさい」
7/26(水) 7:00配信 サンケイスポーツ

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再々婚していたことが明らかになった作曲家の故平尾昌晃さん(写真:サンケイスポーツ)

 サンケイスポーツ報道で50代の一般女性と再々婚していたことが明らかになった作曲家の故平尾昌晃さん(享年79)の結婚時期が、2013年だったことが25日、分かった。

 関係者によると、21日に肺炎で他界した当初は昨年結婚したといわれていたが、4年前に婚姻届を提出していたという。

 お相手は数十年前から平尾さんを支えてきた個人事務所の女性スタッフ。平尾さんは生前、公にしてこなかった理由について、ごく近い関係者に「3回目だし70代でもあるから照れくさい」と話していたという。

 また、お相手の女性も現在、「結婚はプライベートなことで、公にするきっかけを失っていた」と説明しているという。平尾さんの葬儀は今週末に家族葬として営まれ、今秋をめどに音楽葬として「お別れの会」が開かれる予定。


平尾昌晃さん家族葬の日程変更 通夜29日、葬儀30日に
7/26(水) 6:30配信 スポニチアネックス

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21日に亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)の家族葬の日程が25日までに変更された。28日の予定だった通夜は29日に、葬儀・告別式は30日に営まれる。


平尾さん遺産めぐり不協和音、“育ての母”権利なく息子ら不満 
7/26(水) 5:00配信 スポニチアネックス

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21日に亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の遺産をめぐり、3度目の結婚相手となった元チーフマネジャーの50代女性と息子たちの間に不協和音が生じていることが25日、分かった。

【写真】平尾昌晃さんの次男・勇気

 元マネジャーとの結婚が成立したのは2013年で、平尾さんの体調が悪くなる前。元マネジャーは20年以上、公私ともに平尾さんを支えてきた人物で、体調悪化後はつきっきりで看病を行った。関係者によると「元マネジャーの側から婚姻届の提出を希望したようだ」という。平尾さんは長年の献身的な支えへの感謝と、元マネジャーが去っていく不安などを考えて結婚に応じたとみられる。

 ただ、2番目の妻との間に生まれた2人の息子には、平尾さんに代わり名古屋市で“育ての母”を務めたクラブ経営の女性がおり、女性は養育費用を自分で捻出してきた。兄弟の知人は「息子たちは育ての母が法的に何も受け取る権利がないのに、元マネジャーに相続分が生じることにわだかまりがある」と話す。

 平尾さんは約10年前には、すでに税理士の監督のもと遺産を整理する意向を示していたという。関係者は「正式な遺言書は存在すると思う」と話しており、内容が鍵となりそうだ。しかし、3度目の結婚で家族環境に変化があった中、現状に即した分配整理ができていない可能性もあり、その場合にはトラブルに発展することも考えられる。


急逝した平尾昌晃さん、肺結核の挫折が人生の転機に 評論家「歌手としても、作曲家としてもスター」
7/25(火) 16:56配信 夕刊フジ

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笑顔が絶えなかった平尾さん。「ロカビリー3人男」として歌手としてもスターだった(写真:夕刊フジ)

 「よこはま・たそがれ」や「瀬戸の花嫁」など戦後の昭和を彩ったヒット曲を数多く送り出した作曲家、平尾昌晃氏が21日に肺炎のため79歳で死去した。歌手としてスターとなり、作曲家としてもスターとなった希有な存在だった平尾さん。歌謡曲に洋楽のエッセンスを注ぎ込み、J-POPの礎を築いたパイオニアだった。

 平尾さんは約50年前に肺結核を患って以降、肺に疾患があり、2年前には肺がんを発症。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも体調不良を訴えて1カ月ほど入院していた。一時は回復したが今月13日に体調を崩して検査入院。21日午後11時ごろに容体が急変。最期は夫人らに看取られ、息を引き取ったという。

 「歌手としてもスター、作曲家としてもスター。こんな人はほかにはいない。まさにスーパースター」と語るのは音楽評論家の富澤一誠氏だ。

 平尾氏と交流するきっかけは、2006年の日本レコード大賞。レコ大の実行委員だった富澤氏に、平尾氏が「君が富澤君か。好きなことを言っていいから。かき回して面白くしてくれよ」と声をかけたという。

 「若い人の歌もよく聴いており、新しいことをよく知っていた。好奇心に満ちており、面白いものをみつけるのが得意。そして音楽を普及させるためにサービス精神も旺盛だった」と振り返る。

 そんな平尾氏の功績について「ロックのパイオニアであり、シンガー・ソングライターの礎であり、J-POPのパイオニアだった」という。

 ミッキー・カーチス、山下敬二郎氏(故人)とともに「ロカビリー3人男」としてブレーク。さらに「ミヨチャン」を自作しヒットさせるなどスター街道を歩んでいた。しかし、転機が訪れる。

 「肺結核になり、歌いたくても歌えないというのは、初めての挫折だっただろう。いい意味でお坊ちゃんだった平尾さんが、弱い人の心情が分かるようになった。そこから洋楽的なリズムに、日本的な叙情を織り交ぜた和洋折衷のポップスを生み出していく」

 そして「アン・ルイスの『グッド・バイ・マイ・ラブ』や梓みちよの『二人でお酒を』などは演歌ではなく、大人の音楽、いわばエイジフリーのさきがけだった。今、50、60、70代のためのメロディーを待っていたのですが、残念です」。

2017年7月23日 (日)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去・2

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

最初の記事

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リンク:平尾昌晃さん1年前結婚していた お相手は50代事務所スタッフ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん、昨年50代スタッフと再々婚していた - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:小柳ルミ子、ブログで平尾昌晃さんを悼む「心に響く歌が素晴らしいんだよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:五木ひろし、涙の千秋楽 平尾さんに手向け「別れの鐘の音」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:小柳ルミ子「瀬戸の花嫁は宝物」平尾さん急死「言葉が見つかりません」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:畑中葉子「父のように感じていた」平尾昌晃さんの思い出涙ながらに語る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:永井みゆき 平尾昌晃氏との最後の思い出を振り返る…レコーディング時に優しく指導 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:五木ひろし「よこはま・たそがれ」歌い平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

平尾昌晃さん音楽で華やかに「お別れの会」秋に開催
7/25(火) 7:42配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん(09年6月23日撮影)

 肺炎のため、21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)が安置された都内の自宅マンションは24日、弔問客が訪れることもなく、親族や事務所スタッフらが平尾さんとの最後の時間を過ごした。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 葬儀は家族葬として、今月28日に通夜、29日に葬儀・告別式を行う予定。歌手や作曲家として大きな功績を残した平尾さんだけに、日をあらためて、9月か10月をめどに音楽で華やかにおくる「お別れの会」を行うことで調整を進めている。


遺産相続トラブルの懸念も…平尾昌晃さん、50代女性と昨年結婚
7/25(火) 6:25配信 スポニチアネックス

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死去した作曲家・平尾昌晃さん

 肺炎のため21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が昨年、チーフマネジャーだった50代の女性と3度目の結婚をしていたことが24日、分かった。

【写真】2011年、次男・勇気と親子共演した平尾昌晃さん

 平尾さんは周囲に結婚を知らせていなかった。平尾さんの急死によって明らかになったことから、知人は「多くの人が驚いている」と話している。

 また、「数々の名曲の著作権を持つだけでなく、不動産はもちろん、さまざまに展開していた事業も含めると、相当な財産を残していたはず」と説明する。

 遺産の相続については、配偶者が2分の1を法定相続分として受け取ることになっている。平尾さんは最初の妻との間に男児をもうけ2番目の妻の間に2人の息子がいる。周囲は「平尾さんの偉大な功績によって残された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいます」としている。


平尾昌晃さん1年前結婚していた お相手は50代事務所スタッフ
7/25(火) 5:59配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん=2005年9月

 21日に死去した作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が、亡くなる1年ほど前に結婚していたことが24日、分かった。お相手は、事務所スタッフの50代女性。長年、同氏を公私にわたり支え、平尾氏も名字でなく名前で呼ぶなど信頼を寄せていた。関係者によれば「昨年の夏前に結婚したようだ」という。平尾氏の入退院などで公表のタイミングを逃していたという。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」

 23日には平尾家の家族会議が開かれ、葬儀・告別式の日程などが話し合われた。家族葬の形で28日に通夜、29日に葬儀が営まれる方向で調整が進んでいるが、喪主などは正式決定していない。


平尾昌晃さん、昨年50代スタッフと再々婚していた
7/25(火) 5:03配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 21日に肺気腫のため死去した歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が自身の個人事務所スタッフと昨年、再々婚していたことが24日までに分かった。

 関係者によると、お相手は数十年前から平尾さんを右腕として公私ともに支えてきた50代の女性スタッフ。明るい性格で知られ、平尾さんはもちろん、仕事関係者からも厚い信頼を得ていた。昨年、婚姻届を提出したが、女性はスタッフとして働き続けていたこともあってか、公にはしなかった。

 平尾さんは1972年に一般女性と結婚、1男をもうけたが76年に離婚。78年には元歌手と再婚し、歌手の平尾勇気(36)ら2男をもうけたものの、85年に離婚していた。

 平尾さんの遺体は23日、防腐措置のため一時的に都内の自宅マンションを離れたものの、関係者によるとこの日までに再びマンションに戻ったという。28日に通夜、29日に葬儀・告別式をいずれも家族葬で執り行い、9月をめどにお別れの会を開催する意向だ。


死去・平尾昌晃さん 美女に囲まれた“音楽界の巨星”
7/24(月) 16:45配信 東スポWeb

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東京スポーツ本社を訪問時にポーズを取る平尾さん(1994年10月)

 1950年代のロカビリーブームを「ロカビリー三人男」としてけん引し、その後、作曲家として五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」など数多くのヒット曲、歌手を生み出した平尾昌晃さんが21日、肺炎のため79歳で死去した衝撃がいまも芸能界に広がっている。若手に優しかった平尾さんの周りには慕う歌手や関係者、しかも美女ばかりが集まった。いつまでも若々しかった“音楽界の巨星”の秘話を公開する。

 平尾さんは68年に肺結核で片肺を切除して以来、肺の疾患を抱えていたが、2015年に肺がんを患い、闘病生活を送った。13日に体調を崩し、都内の病院で肺炎の疑いと診断され入院した。

「食欲もあり、ウィンブルドンテニスをテレビ観戦したり、元気だった」(関係者)というが、21日夜、肺炎の症状が悪化し、容体が急変。家族やスタッフに見守られ、亡くなった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日、お別れの会が開かれる予定だという。

 58年に歌手デビューした平尾さんは同年に始まった「日劇ウエスタンカーニバル」で山下敬二郎さん(享年71)、ミッキー・カーチス(78)と「ロカビリー三人男」としてブームを巻き起こした。その後は作曲家として「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)などのヒット曲を連発。78年には門下生の畑中葉子(58)と自らデュエットした「カナダからの手紙」をヒットさせた。

 最近もバラエティー番組にも物まねの審査員などとして積極的に出演し、NHK紅白歌合戦のフィナーレの「蛍の光」の指揮は06年から務めていた。 

「主催のチャリティーゴルフコンペは総計3億円以上の寄付金を集める規模に育て、NHKの『レッツゴーヤング』の司会や俳優も務め、精力的でした。若い女性が好きで、それが若さのエキスになっていたと思いますよ」とは音楽関係者。

 プライベートでは年の差婚を2度経験。34歳だった72年に現役女子大生と16歳差で結婚し、長男をもうけた。その後、21歳年下のOさんとの関係が発覚した。

「優秀な歌手を輩出するために開設した『平尾昌晃ミュージックスクール』の生徒は松田聖子や故川島なお美さんなど、かわいい女性ばかりでした。Oさんはその1期生で、平尾さんの“秘蔵っ子”といわれた」(レコード関係者)

 Oさんは19歳で歌手デビュー後、平尾さんとの関係が発覚。妻は子供を抱えて家を出た。その後、離婚と慰謝料を要求し“離婚トラブル”に発展した。

「泥沼化して離婚調停になり、慰謝料が1億5000万円から1600万円に引き下げられて離婚が成立した。その後、Oさんと再婚。2人の子供が生まれましたが、Oさんとも離婚しました」(元女性誌記者)

 Oさんとの間に生まれたのが息子で歌手の平尾勇気(36)だ。23日、本紙の取材に応じた勇気は金髪に赤いピアス、スーツ姿で時折、言葉に詰まりながらこう語った。

「昨夜、穏やかな顔で眠っている父のそばで一緒に寝ました。本当に悲しい、早すぎるなっていうか、眠っているようで。僕は地方へ営業に出ていたのでみとることはできませんでした。僕が音楽の道に進んだのは父の影響が大きい。今は言葉が見つからないし、起きてくるんじゃないかなと思います」

 前出の畑中も同日、都内で取材に応じ「『カナダからの手紙』でご一緒させていただいて運命的なものを感じていた。16歳で父を亡くし、父のように感じていたので残念です」と涙を浮かべて語った。

「歌詞に『あなたの居ないひとり旅です』という歌詞があるんですけど、現実になってしまった。いろいろ年齢も重ねてきましたし、本当に大切に歌わせていただきたいと思います」

 歌とゴルフをこよなく愛し、若い女性が好きだった平尾さんはいつまでも若々しかった。


小柳ルミ子、ブログで平尾昌晃さんを悼む「心に響く歌が素晴らしいんだよ」
7/24(月) 16:16配信 サンケイスポーツ

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小柳ルミ子(写真:サンケイスポーツ)

 歌手、小柳ルミ子が24日、自身のブログを更新。自身の代表曲である「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」などを作曲し、22日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)を悼み、その言葉とともに偉大な作曲家との思い出を振り返った。

 小柳はデビュー曲である「わたしの城下町」の、レコーディングの際のエピソードを披露。初めてのレコーディングを前に、長時間の拘束を覚悟していた小柳に対し、平尾さんと作詞家の安井かずみさんは「OK!最高!」とテイク1で即座にGOサインを出した。

 まさかの一発OKに、小柳は「『先生、納得いく迄歌わせて下さい』とお願い」したが、平尾さんは「『ルミ子、歌はね、上手く歌う事が素晴らしいんじゃないの。心に響く歌が素晴らしいんだよ』」と諭した。小柳はレコーディング後の様子を「何度も、何度も繰り返し聴きましたね。『良いね!最高だよ!ズズ(安井さんの愛称)、素晴らしいね!』と、大興奮。私は、平尾先生と安井かずみ先生の間に座り小さくなっていた」と振り返った。

 さらに「あれから47年、公私にわたって可愛がって下さいました。『ルミ子は強かに生きられないし、泣き虫だから心配だよ』と、何時も気に掛けて下さいました」と感謝し、「先生の教えを胸に、これからも人々の心に響く歌を心を込めて歌って行きたいと思います」と誓った。


小柳ルミ子、平尾昌晃さん悼む「先生の教えを胸に人々の心に響く歌を歌って行きたい」
7/24(月) 12:48配信 スポーツ報知

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09年6月、「出逢い☆ありがとうライブin横浜」で平尾さんと共演した小柳ルミ子

 歌手の小柳ルミ子が24日、自身のブログを更新し、21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)をしのんだ。

 72年の代表曲「瀬戸の花嫁」を平尾さんが作曲するなど、公私ともに親交が深かった小柳。冒頭、「先生無事にそちらに着かれましたか? 何もこんなに生き急がなくても…せっかちな先生らしいな」と思いをつづった。

 71年のデビュー曲「わたしの城下町」のレコーディングでは、1回のテイクで平尾さんからOKが出たという。小柳が「納得いく迄歌わせて下さい」とお願いすると、「歌は上手く歌う事が素晴らしいんじゃないの。心に響く歌が素晴らしいんだよ」と言葉を受けた。「先生の教えを胸にこれからも人々の心に響く歌を心を込めて歌って行きたいと思います」と決意を記し、最後は「『ラブレター フロム ルミ子』より」と結んだ。


平尾昌晃さん次男、父の名曲を歌い継ぐ覚悟「後世に残していく」
7/24(月) 10:31配信 デイリースポーツ

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歌手の平尾勇気

 21日に79歳で亡くなった作曲家・平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気(36)が24日、TBS系「ビビット」に生出演。歌手デビューした勇気の楽曲を聴き「もっとシンプルに、若い子からお年寄りまで口ずさめるように」とアドバイスを送り続けてくれたことに感謝した。

 番組では、勇気を招いて平尾さんのこれまでの輝かしい実績などを紹介。勇気は父の最期には「地方に行っていて会えなかった。ちょっと急だったので」と無念の表情。

 平尾さんは数々のヒット曲を手がけただけではなく、毎年大みそかには紅白歌合戦で「蛍の光」の指揮を振る姿も印象的だった。昨年はすでに体調を崩していた中、指揮を振ったが「無理してるなとは思ったが、大みそかの紅白の指揮を本当に喜んでいたので、今年も指揮をして欲しかった」と唇をかみしめた。

 改めて父について聞かれた勇気は「優しくて、かっこよくて、時には厳しい人でした」と振り返り、歌手として活動する勇気の曲を聴いては「音楽は、いろんな人の耳に残らないとダメ。気持ちは分かるけど詰め込みすぎ」と勇気の作った曲にアドバイス。「もっとシンプルに、若い人からご老人の方まで口ずさめる曲じゃないと」と話していたという。

 「音楽で生きて、音楽を愛し、ずっと音楽が大好きな人だった。父の残してくれた曲を僕らが歌い継いで、後世に残していきたい」と、父が作ったたくさんの名曲を歌い継ぐ覚悟も示すと、最後には「もうちょっと…。曲を書いているから、聞いて欲しかった…」と無念の表情を浮かべていた。


平尾昌晃さん次男「父は憧れの存在」「もっと曲を聴いてほしかった」
7/24(月) 10:30配信 東スポWeb

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亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の次男で歌手、タレントの平尾勇気(36)が24日、TBS系「ビビット」に出演し、平尾さんへの思いを語った。

 番組では作曲家、歌手、育成、チャリティーなど幅広く活動してきた平尾さんの経歴を紹介。生出演した勇気は、「いろいろな方に、こうして平尾昌晃という人間を応援してくださったりとか、日本全国のみなさんに感謝しています。今は複雑な心境で、こんなコメントで申し訳ないですけど、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。

 21日は名古屋におり、みとることができなかったという。「きのう(23日)、実家に行きましたが父の部屋は、いつものままの状態で残っていた。たぶん父も帰ってきたかったんだと思います」と話した。

 MCの国分太一(42)から平尾さんの父としての印象を聞かれた勇気は「優しくて厳しくてかっこいい、憧れの存在だった」とポツリ。勇気は作った曲を平尾さんに聴いてもらっており「いつも長いと言われました。『音楽はいろいろな人が聴くのだから、耳に残る曲を作らないとダメ。お前は詰め込みすぎ、若い子から高齢の人まで楽しめる曲にしないとダメだよ」とアドバイスされたことを明かした。

 勇気は「父が残してくれた歌とかを残せるように、歌い継いでいきたい」と平尾さんの遺志を継ぐと決意した。国分からお父さんに言いたかったことは?と聞かれると「もっと曲を聴いてほしかった」と寂しそうに答えた。


平尾昌晃さんは「紅白の指揮喜んでいた」次男しのぶ
7/24(月) 9:31配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん

 肺炎のため21日に亡くなった作曲家平尾昌晃さん(享年79)の次男で歌手の平尾勇気(36)が、「優しくてかっこよくて、時には厳しい人でした」としのんだ。

【写真】平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気

 勇気は24日放送のTBS系「ビビット」に生出演。平尾さんが亡くなった時は仕事で地方に滞在中で、最期には間に合わず「急でした」と悔やんだ。実家は今も平尾さんが過ごしていたままの状態だという。「そのままのものが残っていて、何ひとつ動いていなくて、たぶん父も帰ってきたかったんだなと思います」と語った。

 平尾さんは大みそかのNHK紅白歌合戦のエンディングで流れる「蛍の光」の指揮者としても知られたが、勇気は「やっぱり大みそかに紅白の指揮するのを本当に喜んでうれしそうにしてた」と父の姿を振り返り、「うちの父は音楽で生きて音楽を愛して、ずっと音楽を大好きな人だったんで、父がのこしてくれた曲とかいろいろなものを僕らが継いで、歌い継いで行ったりとか後世にのこしていくようにしていきたい」と語った。


国分太一、平尾昌晃さん悼む「あの曲もこの曲も平尾さんが作っていたことを知りました」
7/24(月) 8:43配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 24日放送のTBS系情報番組「ビビット」(月~金曜・前8時)では、21日に肺気腫のため死去した、歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)について特集した。

 冒頭、MCを務める国分太一(42)は「昭和のヒット曲、あの曲もこの曲も平尾さんが作っていたことを今回、知りました」とポツリ。同じくMCを務める女優の真矢ミキ(53)も「本当に幅広いですね」と、しみじみ。

 真矢は宝塚所属時代、平尾さんが手がけた「ベルサイユのばら」の劇中歌を数多く歌ったことを明かし、「膨大なセリフをまとめたような壮大な歌ばかり。特に『白ばらの人』は舞台で歌って大好きで。今でも歌います。感慨深いですね」と昭和最大のヒットメーカーの業績を振り返っていた。


オートレース 公式サイトでテーマソング作曲の平尾昌晃さん追悼
7/24(月) 8:21配信 東スポWeb

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今年2月、オートレース選手表彰式・ファン感謝祭に出席した平尾昌晃さん

 オートレース公式サイトは23日、21日に肺炎のため79歳で死去した作曲家・平尾昌晃さんの訃報を受け、サイトに追悼メッセージを掲載した。

 サイトでは「先生はオートレースの造詣が深く、長年にわたり表彰選手の選考委員やオート活性化の提言専門委員会の委員を歴任いただくなど、オートレースの発展に多大なご尽力を賜りましたことに改めて御礼申し上げます」と感謝。さらに「今後は先生のオートレースに対する愛情を忘れることなく業界発展に努めてまいります」としている。

 平尾さんは川口オートレース場のテーマソング「ぶっちぎりの青春」の作曲を担当。今年2月の選手表彰式・ファン感謝祭で川口所属の現役オートレーサーがコーラスとして参加するリメーク版「ぶっちぎりの青春☆NOW」発売を発表した。


五木ひろしが平尾さんに惜別「よこはま・たそがれ」
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

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平尾さんをしのび、涙ながらに熱唱する五木ひろし(撮影・村上久美子)

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の作曲「よこはま・たそがれ」で、スター歌手となった五木ひろし(69)は23日、大阪・新歌舞伎座の座長公演千秋楽を迎え、平尾さんの楽曲3曲を追悼歌唱。平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」を歌った歌手畑中葉子(58)も涙ぐみながら悼んだ。

【写真】畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む

 「五木ひろしを作っていただいた方…です…」

 座長公演の千秋楽。カーテンコールを終え、出演者もはけた最後の最後、五木は震える声であいさつした。「よこはま-」と「ふるさと」「別れの鐘の音(ね)」を熱唱。「平尾さんを思うと(座長公演を)まっとうできない」として、平尾さんの話は最終盤まで封印。閉幕後取材に応じ、平尾さんとの思い出を語った。

 「僕の人生の最大のチャレンジに、とても大きな力をくれた。平尾先生と、山口(洋子)先生がいなければ、五木ひろしはスターになっていなかった」

 五木は3度の改名を経て、71年に「よこはま・たそがれ」で再デビュー。そのきっかけとなったのは、グランドチャンピオンに輝いたオーディション番組「全日本歌謡選手権」。同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。

 五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)と、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕ってきた。73年にレコード大賞を獲得した「夜空」も平尾さんの作曲。恩師の死に「正直に言えば、まだ実感がわかない」と天を仰いだ。

 平尾さんの訃報は前日22日の舞台終演後に聞いた。昨年末のNHK紅白歌合戦で会っており「2年前より元気になっておられたので、本当にまさか、という思いでした」と語った。

 平尾さんは、五木としてのデビュー当時、キャンペーンに同行。「先生はレコード店の店頭に立って、道行く人に声をかけて、お客さんを集めてくれた。無名の僕では集まらないので、先生が頭を下げてくれた」。思い出は尽きない。

 平尾さんからは、テンポ感ある楽曲を多くもらった。その意味を「僕は重たい歌い方。あえてリズムのいい歌をくれた」ととらえ、思いやりに感謝する。五木は「僕が元気であれば、平尾作品も聴いてもらえる」と言い、歌の継承のため、追悼アルバムも検討しているという。【村上久美子】


畑中葉子涙「あなたの居ないひとり旅」平尾さん悼む
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)とのデュエット曲「カナダからの手紙」を歌った歌手畑中葉子(58)も涙ぐみながら悼んだ。

【写真】平尾さんをしのび、涙ながらに熱唱する五木ひろし

 畑中は23日、舞台「Nostalgia」出演後に取材に応じた。15年に東京・五反田ゆうぽうとホールでの公演に平尾さんが出演した際に対面したのが最後だったといい、「この時も手を腰にあてて歌っていたり、ご体調が良くないことは存じ上げてました。多分、もうお会いすることはできないと思っていたので、びっくりはしましたけど、覚悟していた部分はありました」と明かした。

 訃報は22日夜に知ったといい「いつも優しくて、どんな方にも接し方が同じ。私は16歳で父を亡くしていて、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 思い出については「私はデビューが18歳で、1曲目でヒットしたので鼻が高くなって、平尾先生にも失礼が度々あったような気がします。その時は感じなかったけど、結婚し、子育てをし、改めて先生の偉大さを感じました。そういったことがお伝えできずにお別れしてしまいました」。

 「カナダからの手紙」は来年で発売40周年になる。「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅』とありますけど、現実になってしまった。これからも1人で歌っていきたい。たくさんの曲を残された、そういった方とご一緒できてうれしく思います」と語った。【松尾幸之介】


平尾さん「詞を持ってこい」親子での曲作り叶わず
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

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平尾勇気(04年5月28日撮影)

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の次男で歌手の平尾勇気(36)が23日、取材に答えた。父から「詞をもってこい」と言われるも、病状悪化もあり、実現できなかったことを悔やんだ。

【写真】チャラい風貌と行動がテレビで話題を呼んだ平尾勇気

 平尾さんが亡くなった21日、勇気は仕事で名古屋に滞在中で、父が吐血し容体が急変したという知らせを受けた。午後10時過ぎで新幹線はない。愛知県内に住む兄と、車で都内の病院に向かったが、最期には間に合わなかった。事務所のスタッフらがみとったという。

 2カ月ほど前、自宅療養中の平尾さんを見舞った。勇気は「普段は厳しいんですけど、その時は『おお、勇気。どうだ、最近』と、優しい感じでした。弱っているのかな、と少し寂しく思いました」と振り返った。この時が、父に会った最後になった。

 勇気作詞、平尾さん作曲で、曲を作る企画もあったという。3~4年ほど前、平尾さんは勇気に「詞を書いて持って来い」と言い、自分が作曲する意思を見せた。しかし14年末、もともと肺に持病があった平尾さんが体調を崩し、15年1月に危篤状態にまでなった。勇気は「そこから徐々に弱っていったので、2人で曲を作るまではいかなかった。後悔がいっぱいあります」。

 平尾さんは音楽について常々、みんなが聞きやすい歌を作りなさい、とアドバイスしてくれたという。勇気は「音楽が活力になっている人でした。優しくてかっこよくて、尊敬する父でした」と話した。

 通夜は28日、葬儀・告別式は29日で、いずれも家族葬で営まれ、喪主は長男が務める予定。


紅白の顔「蛍の光」指揮者11年、平尾昌晃さんの後任は?
7/24(月) 7:12配信 スポーツ報知

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2015年の紅白歌合戦での平尾昌晃さん(中央)

 21日に肺気腫のため死去した歌手で作曲家、平尾昌晃さん(享年79)は大みそかのNHK紅白歌合戦のラストに流れる「蛍の光」の指揮者でも知られた。国民的番組のフィナーレを飾る“顔”を失い、同局はこれから頭を悩ませることになる。

【写真】平尾昌晃さん作曲の歌を熱唱する五木ひろし

 紅組、白組の勝敗が決し、出演者全員で合唱する、おなじみ「蛍の光」。両組の歌手らが入り交じってステージに登壇し、平尾さんがニコニコとタクトを振る。曲が終了すれば、カメラはすぐ「ゆく年くる年」(後11時45分)の除夜の鐘の中継へ―。それをお茶の間で見ることは、日本人の恒例行事だ。

 平尾さんは06年「大作曲家で、過去4回歌手としてステージも踏むなど華やかさがある」(NHK)として指揮者に就任。初代は「青い山脈」で知られる国民栄誉賞歌手の藤山一郎さん、2代目は「宇宙戦艦ヤマト」の音楽で知られる、作曲家の宮川泰さんが務めるなど、一環して国民的に支持される音楽家が担ってきた。

 一年を締めくくる生番組のエンディングだけに、責任も重大だ。かつて藤山さんは、番組の終了時間にちょうど合わせるため、テンポを変え、指揮していたこともあった。

 紅白まで半年を切った。平尾さんの訃報に、NHKでは悲しみに沈む一方で、後任探しを始めなければならない。前任者の宮川さんは06年3月に亡くなったが、平尾さんの就任発表は本番直前の同年12月25日。約9か月の間、秘密裏に進められてきた。NHKは現段階で「お話しできることはありません」と話すが、日本中が注目するイベントだけに、慎重に人選されていくことになりそうだ。

 ◆紅白フィナーレメモ 紅白歌合戦は1951年にラジオ番組としてスタート。1月3日に放送され、当時は正月番組だった。53年の第4回からテレビ放送され、日程も大みそかに。この回から「蛍の光」の合唱も始まった。1度だけ別の曲になったことがあり、東京五輪の前年となる63年の第14回大会では「蛍の光」が「東京五輪音頭」に変わったという。


畑中葉子も悲痛、平尾さんとのデュエット曲「歌詞が現実に…」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)とのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手で女優、畑中葉子(58)が23日、東京都内で出演舞台後、取材に応じた。

 最後に故人と会ったのは、2015年9月の「ウエスタンカーニバル」公演で「体調がよくないことは存じ上げていました。もうお会いすることができないかもと、覚悟をしていたところはあった」とポツリ。16歳で父を亡くしており、「父のように感じていました」と瞳を潤ませた。

 来年は「カナダ-」発売から40年。「『あなたの居ないひとり旅』という歌詞が現実になってしまいました。これからも大切に歌わせてもらいます」と声を震わせた。


岩佐美咲、AKB番組で平尾さんと共演「感謝の気持ち伝えたい」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 元AKB48の演歌歌手、岩佐美咲(22)が23日、東京都内のソロ公演前に取材に応じ、作曲家、平尾昌晃さん(享年79)を偲んだ。

 デビュー曲「無人駅」のカップリングで、故人が作曲し、歌手の小柳ルミ子(65)が歌った「瀬戸の花嫁」をカバーしており、「悲しい…」としんみり。2012年放送の日本テレビ系「AKBINGO!」のカラオケ大会で優勝した際、審査員だった平尾さんから「頑張ったね」と声を掛けられたといい、「優しい言葉を掛けてくださって心強かった。感謝の気持ちを伝えたい」と天に呼びかけた。


平尾さんに届け…五木ひろし、涙の追悼唱「やっぱり悲しいし寂しい」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

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「別れの鐘の音」を歌う際、感極まって涙をぬぐった五木ひろし=大阪市天王寺区(撮影・陶器浩平)(写真:サンケイスポーツ)

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報から一夜明けた23日、歌手の五木ひろし(69)が大阪・新歌舞伎座「五木ひろし特別公演」の千秋楽で故人が手がけた「よこはま・たそがれ」など3曲を歌い、追悼した。「人はいつかはお別れするが、やっぱり悲しいし、寂しい」と語り、背を向けて涙をぬぐった。恩師に思いを込めて熱唱した五木は、24日にも平尾さんと“対面”する。

 「私の原点です」-。坂本冬美(50)との「ふたりのスペシャルショー」中盤、五木はそう前置きして、1971年の“五木ひろし”としてのデビュー曲「よこはま・たそがれ」を歌った。

 ♪あの人は 行って行ってしまった もう帰らない

 一報を聞いたのは前日の公演が終わった午後8時半ごろ。「えっ!? なんで!?」。大きな声でマネジャーに問い返した。

 昨年大みそかにNHK紅白歌合戦で会ったときは「元気か」と明るく声をかけてもらい、「回復されたと思っていたから」驚きも大きかった。

 思い出は尽きない。70年、日本テレビ系「全日本歌謡選手権」に挑戦したときの、1週目ゲスト審査員が平尾さん。

 「よこはま-」では、「重い歌い方」を、平尾さんのリズム感のある曲調が変えた。歌手としても一時代を築いた平尾さんは、同曲のレコード店キャンペーンで自ら“客寄せパンダ”を買って出てくれた。

 千秋楽公演中、平尾さんへの思いは「ファンも悲しい気持ちになる」と懸命に押さえた。冬美らと明るく「ふるさと」を合唱すると、1人ステージに残り、平尾さんへの思いを語った。

 「(『よこはま-』を作詞した山口)洋子先生も天国に行ってしまいました。大恩ある平尾先生も旅立たれてしまいました。歌手にとって作品との出会いがすべて。大入満員の千秋楽を迎えさせていただいているのも、すべては、そのスタートにあったわけです」

 最後の曲は「ふるさと」と同様平尾さん作曲の「別れの鐘の音」。米ラスベガス公演(76年)で歌ったとき、駆けつけた平尾さんの笑顔が思い出され、前奏で客席に背を向けてあふれる涙をぬぐった。千秋楽だからと選んだ曲が追悼歌に。

 「偶然なのか、そうさせてくれたのか」

 感謝の思いを込めて歌ったものの、実感が湧かない。「自分の目でしっかり確認しないと。会いに行きます」と告げ、そのまま帰京した。


平尾勇気、父を看取ることができず絶句「いつも輝いていた。スター」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の息子で歌手、平尾勇気(36)が23日、東京都内でサンケイスポーツの取材に応じ、最愛の父の他界に「悔しいです…。もっと長生きしてほしかった」と涙ぐんだ。

 亡くなる直前の21日午後10時ごろ、仕事で滞在していた名古屋で心肺停止の連絡が入り、看取ることはできず。最後に会った2カ月前は元気だっただけに絶句し、「急いで車で東京に向かいましたが、途中で亡くなったと聞いて『ウソだろ』って…」と唇をかんだ。

 22日は一日中、父に寄り添っていたといい「カッコイイ人でいつも輝いていた。スターです」と偉大な父をしのんだ。

 今週末に家族葬を執り行い、秋頃に音楽葬を開く予定。「みなさんのお力を借りて、とにかく盛大に明るく送り出したい。派手な人だったので」と誓った。


平尾昌晃さん昨年再々婚していた!仕事関係の50代女性、献身的に看病
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

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昨年、再々婚していた平尾昌晃さん(写真:サンケイスポーツ)

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報から一夜明けた23日、平尾さんが昨年、再々婚していたことが分かった。

 複数の関係者によると、お相手は仕事関係で知り合い、数十年の親交がある50代女性。明るくオープンな性格で気配りができ、平尾さんや仕事関係者からも信頼が厚かった。ずっと側で支え合ううちに親密になり、昨年、婚姻届を提出。平尾さんは晩年の再々婚を照れ、公にしてこなかったようだ。

 平尾さんが2年前に肺がんを発症して、入退院を繰り返す闘病生活を送っていたときも、女性は献身的に看病。平尾さんの最期も看取り、現在もつきっきりで遺体に寄り添っているという。

 平尾さんは1972年に18歳の短大生と結婚。1男をもうけるも、当時16歳だった元歌手、小沢深雪さんとの交際が原因とみられる離婚騒動で、76年に離婚した。78年には小沢さんと結婚。歌手の平尾勇気ら2男をもうけたが、85年にすれ違いを理由に離婚していた。


岩佐美咲「瀬戸の花嫁」で平尾さん追悼 ソロコンサート曲目追加
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

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コンサートで「瀬戸の花嫁」を歌い平尾昌晃氏を追悼した岩佐美咲

 元AKB48の演歌歌手・岩佐美咲(22)が23日、都内でソロコンサートを行った。

 平尾さんの訃報を受け、デビューシングルにカップリング曲として収録した「瀬戸の花嫁」を急きょ曲目に追加。「これからも大切に、より一層心を込めて歌っていきたい」と誓った。

 AKB時代には日本テレビ「AKBINGO!」のカラオケ企画で平尾さんが審査員を務め、2連覇した岩佐に「よく頑張ったね」と声を掛けてくれたといい「凄くうれしかった」と振り返った。この日は他に新曲「鯖街道」などを熱唱した。


「うそ」のヒットでスターに…中条きよし「恩師であり生みの親」
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんが手掛けた74年の「うそ」の大ヒットでスターへと駆け上がった中条きよし(71)は「3月末に番組の収録で平尾先生とお会いした時、思い出話に花が咲き、一緒に撮った記念写真が最後の一枚になるとはいまだに信じられません」と回想した。

 読売テレビのオーディション番組「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、平尾さんに見いだされ「中条きよし」として「うそ」でデビュー。中条は「平尾先生は恩師でもあり“中条きよし”の生みの親でもあります。心からご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。


平尾さん ド派手衣装で旅立ち…次男・勇気「踊りだしそうな姿で」
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

 肺炎のため21日深夜に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の遺体は23日、都内の自宅マンションから一時的に移され、防腐処置を受けた。この日、次男で歌手の平尾勇気(36)が遺族を代表して本紙の取材に応じ、死に装束をお気に入りの紫ジャケットとピンクのネクタイにすると明かした。派手好きだった平尾さんらしい、最後の別れとなる。通夜は28日、葬儀・告別式は29日に家族葬で営まれる。

【写真】派手好きだった平尾昌晃さん

 平尾さんの遺体は亡くなってすぐ自宅に移されたという。仕事先の名古屋市から兄弟とともに駆けつけた勇気は22日早朝、父と無言の対面。「凄くきれいな顔で、いまだに亡くなったことを受け入れられない」と話した。

 みとったスタッフによると、平尾さんは20日に苦しさを訴え気胸が判明。亡くなる30分前に吐血し、心臓マッサージにも蘇生しなかったという。この日、勇気らは遺体の枕元にプレーヤーを置き、平尾さんの名曲や生前愛したロックをかけながら、どう送り出すべきかなど今後について親族で協議した。

 そして浮上したのが生前の平尾さんが大好きだった“ど派手な衣装”での旅立ち。勇気は「ピンクのジャケットばっかり着てたから、みんなそれを着せたいと言ったけど、ここ数年、お気に入りだったピカピカの紫のジャケットを着せることにした。ただ親父とくればピンク。だからネクタイをピンクにしました」と説明した。

 一般的には白の和装のイメージが強いが、近年定着しつつある「エンディングウエア」と呼ばれるサービス。生前のような服装を着用することで別れの悲しさを和らげると人気だ。派手さを好み、派手なことが似合った平尾さんにピッタリだ。

 遺体は「エンバーミング」という薬液を用いた防腐措置を受け、当面は自宅マンションに安置される。通夜は28日、葬儀・告別式は翌29日。家族のみで営むといい「たくさんの人にお見せできないのは少し残念」としつつ「皆さんに愛してもらった“平尾昌晃”らしい、今にも踊りだしそうな姿で送り出すことを親父は喜んでくれるのでは」と話した。

 勇気は歌手ながら「チャラ男キャラ」で露出するなど「先生(平尾さん)には怒られてばかりだった」。舞台での共演は11年秋、名古屋市でのチャリティー公演が最後になったといい「紅白歌合戦で、蛍の光を指揮する先生と並ぶのが夢だった。親孝行できなかったなあ」と目頭を押さえた。

 ▼エンバーミング 遺体の防腐や消毒が目的。ポンプを使い全身の血液を抜き、薬液を全身に行き渡らせる。10日前後保存できる施術が一般的だが、薬液の調合次第では何年も遺体の状態を保てる。赤い薬液で遺体の肌の色をよく見せたり、損傷を修復するなど遺族の悲しみを和らげる目的もある。所要時間は3~4時間、費用は15万~20万円。土葬文化の欧米に比べると日本での普及率は低いが、年々増加傾向。2016年は処置件数は約3万6000件。全国に約35の施術施設がある。


五木ひろし「歌い続けてご恩返ししたい」 悲しみこらえ…出世曲で平尾さん追悼
7/24(月) 6:00配信 デイリースポーツ

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 「別れの鐘の音」を歌い上げる五木ひろし=新歌舞伎座(撮影・石湯恒介)

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座公演で、「よこはま・たそがれ」など平尾作品3曲を追悼唱でささげた。

 五木は恩人を亡くした悲しみを必死にこらえ、平尾さんが手がけ、自身をスター街道に導いた出世曲を追悼歌唱した。

 歌謡ショーで「私の原点です」と「よこはま-」を披露。カーテンコールでは出演者全員で「ふるさと」を合唱。最後に五木が1人、舞台に残り「平尾先生に、ありがとうございましたとお伝えしたいです」と沈痛な表情で語り、「別れの鐘の音」を捧げた。

 無名だった1970年に「全日本歌謡選手権」で平尾さんと故山口洋子さんに素質を見込まれ、翌年に五木ひろしとして再デビュー。平尾さんと山口さんが手がけた「よこはま-」が大ヒットし、紅白初出場も果たした。

 終演後に取材に応じた五木は「『よこはま-』のキャンペーンの時は、レコード屋の店頭で平尾先生がお客さんを集め、私を呼び込んでくださったのを思い出します」と回顧。平尾さんとは昨年の紅白でも対面して激励されたといい「お元気だと思ってました。まだ信じられません」と言葉を詰まらせた。

 「五木ひろしを誕生させた山口先生に続き平尾先生までもが旅立たれて…。でも、私が元気である限り、歌い続けてご恩返ししたい」と誓った。


畑中葉子『あなたの居ないひとり旅』現実に…平尾さん訃報に沈痛
7/24(月) 6:00配信 デイリースポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、1978年の大ヒット曲「カナダからの手紙」をデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、平尾さんとの思い出を涙ながらに語った。同曲の歌詞を引用し、「『あなたの居ないひとり旅です』とあるのが、現実に…」と肩を落とした。

 恩師の訃報に触れてから一夜が明け、畑中が悲痛な胸中を吐露した。舞台「Nostalgia」に出演後、報道陣の取材に対応。2015年9月の「ウエスタンカーニバル」公演に平尾さんが出演した際、対面したのが最後になったといい、「先生のご体調が良くないことは存じ上げてました。もうお会いすることができないかもと、覚悟していたところはありました」とうなだれた。

 畑中が中学2年のとき、引っ越し先が平尾さんの自宅近辺だったことが縁で、平尾さんが開いたミュージックスクールの生徒となり、新人ながら「カナダ-」のデュエット相手に抜てきされた。NHK紅白歌合戦にも出場し、一気にスターダムに駆け上がった。

 来年は発売から40年の節目だったが、「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅です』とあるのが、現実になってしまいました…。これからも大切に歌わせていただきたい」と涙を浮かべ、唇をかみしめた。

 16歳で父親を亡くしている畑中にとって、平尾さんは「父親のように思っていた存在」と回想。初婚の相手は平尾さんの弟子で、離婚したときには「何だよ!!しょうがねえな」と励まされたという。今年の正月には、平尾さんから直筆で「いつもありがとうね」とお歳暮の礼状が届いたことも明かした。

 「デビューが18歳で、1曲目でヒットして鼻が高くなって、平尾先生にもたびたび失礼な態度があったと思います。結婚し、子育てをして、先生の偉大さを感じるようになったことをお伝えできないまま、お別れになってしまいました」。恩返しをせずに迎えた“デュエット解消”に、後悔の念を募らせていた。


五木ひろし、涙の千秋楽 平尾さんに手向け「別れの鐘の音」
7/24(月) 5:38配信 スポニチアネックス

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「別れの鐘の音」を歌いながら涙を拭う五木ひろし

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座で特別公演の千秋楽を迎え、亡くなった恩人・平尾さんの提供曲を熱唱した。

 本編中は座長として気丈に務めたが、アンコールでは訃報に触れ「悲しく寂しく、何とも言えない気持ち」と言葉を詰まらせた。「旅立たれてしまった先生に感謝を込めて歌う」と最後に「別れの鐘の音」を披露し、涙を拭った。

 平尾さん作曲の「よこはま・たそがれ」は毎回歌ってきたが、「別れ…」は平尾さんが亡くなる前から千秋楽で特別にやると決めていた。終演後、「偶然だったのか…これも驚き」と吐露し、「たくさん歌を作っていただき、僕の中にいっぱい平尾メロディーが残っている。元気な限り歌い続けるのが恩返し」と語った。


♪あなたの居ないひとり旅…の歌詞 畑中葉子「現実になってしまった」
7/24(月) 5:33配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手の畑中葉子(58)は23日、都内の劇場で出演舞台「Nostalgia」の終演後に報道陣に対応。「私は16歳の時に父を亡くし、(平尾さんを)父のように感じていたので残念です」と目を潤ませながら悼んだ。

 15年9月に都内で平尾さんが出演した公演を訪れ、「おお、元気?」と声を掛けられたのが最後の対面となった。今年1月には、平尾さんからお歳暮のお返しにと「いつもありがとうね」と書かれた手紙とクッキーが届いたという。

 「カナダからの手紙」は来年発売40周年を迎える。「歌詞に“あなたの居ないひとり旅です”とありますが、現実になってしまった。これからも一人で大切に歌っていきたい」と力を込めた。


小柳ルミ子「瀬戸の花嫁は宝物」平尾さん急死「言葉が見つかりません」
7/24(月) 5:00配信 スポニチアネックス

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98年6月、平尾昌晃さんの音楽生活40周年パーティーで小柳ルミ子と

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 「瀬戸の花嫁」が大ヒットした小柳ルミ子(65)は23日、所属事務所を通じてコメントを発表。「17歳で先生と初めてお会いしてから48年、数え切れないほどの思い出があります。哀(かな)しくて、今の気持ちを表す言葉が見つかりません」と大きなショックを受けている。

 デビュー曲「わたしの城下町」から「京のにわか雨」など代表曲は平尾さんが手掛けたものが多く「そのどれもが大切ですし、“瀬戸の花嫁”は私の宝物です。平尾先生の魂とも言える楽曲をこれからも歌える限り、大切に歌っていきたい」と誓った。


天国の恩人・平尾昌晃さんへ五木ひろし追悼の「別れの鐘の音」熱唱…涙ぬぐう場面も
7/23(日) 19:34配信 スポーツ報知

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大阪での座長公演で、平尾昌晃さん作曲の歌を熱唱する五木ひろし

 歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・上本町の新歌舞伎座で特別公演千秋楽を迎え、「よこはま・たそがれ」など、肺気腫のため21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)が作曲した楽曲を熱唱した。

 「よこはま―」は五木の人生を変えた1971年のヒット曲。また、以前から千秋楽のために用意していたアンコール曲「ふるさと」「別れの鐘の音」は偶然にも平尾さんの作曲で、五木はMCで「歌手にとって作品との出合いがすべて。これほど、そう思ったことはありません」と語り、「別れの―」の途中には、客席側に背を向けて目元に手をやるシーンもあった。

 五木は終演後に会見。22日の公演が終了した午後8時半ごろに楽屋で訃報を聞き、「ビックリしました。お元気だと思っていたので…」と、しんみり。昨年のNHK紅白歌合戦の際に会ったのが最後。「会うたびに『よく頑張っているね』とおっしゃってくれた」と振り返り、「悲しい、寂しい思いでいっぱい」と大恩人の死を悼んだ。


小柳ルミ子 平尾昌晃氏の冥福祈る…代表曲「瀬戸の花嫁」を作曲、親愛なる平尾先生
7/23(日) 19:13配信 デイリースポーツ

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小柳ルミ子

 歌手の小柳ルミ子(65)が、肺炎のため21日に79歳で死去した作曲家・平尾昌晃氏の冥福を祈った。小柳の代表曲「瀬戸の花嫁」を平尾氏が作曲した。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙

 小柳は23日午前1時過ぎにブログを更新。「平尾先生のマネージャー様から訃報のお電話を頂きました」と訃報に接したことを記した。「今はショックで何も考えられません。落ち着いたら又、改めてコメントさせて頂こうと思っております。親愛なる平尾先生ご冥福をお祈り致します」と恩人の死に言葉を失った。


畑中葉子「父のように感じていた」平尾昌晃さんの思い出涙ながらに語る
7/23(日) 18:43配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、大ヒット曲「カナダからの手紙」(78年)でデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、都内で取材に応じ、涙ながらに思い出を語った。

 22日に舞台「Nostalgia」に出演後、関係者から訃報を聞いた。15年9月、五反田・ゆうぽうとの閉館時に平尾さんが出演した「ウエスタンカーニバル」公演で会ったのが最後になり、「ステージで腰に手を当てて歌ってたので、だいぶ良くないのかなと思ってました。全ての方に温度差なく接するお優しい方でした」としのんだ。

 中学2年時に都内へ引っ越した際、平尾さんが同じマンションに住んでいた。その後、平尾さんの歌謡スクールに通い、18歳でデビュー曲「カナダ―」が大ヒット。NHK紅白歌合戦に2人で出場し「運命的なものを感じました。16歳で父を亡くしているので、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 歌謡スクールでレッスン時、畑中が歌の最後に一礼すると、平尾さんから「何でエンディングで頭下げるんだ。最後まで曲なんだよ」と一度だけ叱られ「一番胸に残ってます」。近年は交流が少なかったが、今年の正月に平尾さんから届いた寒中見舞いには初めて直筆の手紙が添えられ「いつもありがとう」とつづられた。

 同曲は来年で発売から40年を迎える。「歌詞に『あなたの居ない一人旅です』とあるけど、現実になってしまった。これからも1人で、大切に歌わせていただきたい」と前を向いた。


永井みゆき 平尾昌晃氏との最後の思い出を振り返る…レコーディング時に優しく指導
7/23(日) 18:37配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃氏との思い出を語る永井みゆき=都内

 肺炎のため21日に死去した作曲家・平尾昌晃氏(享年79)の最後のリリース楽曲「蛇の目小紋の女」を歌う歌手・永井みゆき(41)が23日、NHKラジオ第1「日曜バラエティー」(日曜、後1・05)に出演。「とても優しい方でした。突然のことで驚いています」などと心境を語り、追悼の思いを込め、同曲を熱唱した。その後、都内でデイリースポーツの取材に応じた永井は、平尾氏との思い出などを語った。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに…

 この楽曲は25周年記念曲の第2弾として4月19日に発売。初めて平尾氏の作品を歌うことになったが、2月のレコーディングに平尾氏はすべて立ち会ってくれた。当時の体調は一進一退で、すぐれない日もあったようだが、そんな様子はみせず「いつも笑顔で優しく指導してくれた。緊張している私に、何度も『大丈夫だから』と声をかけてくれて励ましてくれた」という。

 また楽曲のイメージを伝えるため、平尾氏は自らブースの中に入り、この曲を3番まで熱唱したことも。時々、パンやサラダなど自分の好物を「おいしいから」と差し入れてくれたという。

 5月31日には、都内で平尾氏が自らプロデュースしたライブにゲスト出演。この新曲を発表するコーナーを設けてくれ、ファンにも歌唱法を伝授するなど、ヒットへバックアップをしてくれた。実はこれが生前の平尾氏が、最後に公の場に登場した時。永井も最後の対面となった。「とても元気だったのに」と嘆いた。

 「(新曲で)新しい世界を生み出していただき感謝しています。これからも大事に歌っていきたい」と天に誓った永井。「(平尾)先生とは、これからもお仕事したかったです」と、最後まで悲しみをこらえていた。


五木ひろし「よこはま・たそがれ」歌い平尾さん悼む
7/23(日) 18:32配信 日刊スポーツ

 3度の改名を経て、平尾昌晃さんの「よこはま・たそがれ」を機に、スター街道を上った歌手、五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座の座長公演千秋楽で、平尾さんをしのんで「よこはた・たそがれ」「ふるさと」「別れの鐘の音(ね)」を歌い、追悼した。

【写真】故平尾昌晃さんの思い出を沈痛な面持ちで語る畑中葉子

 座長公演2部のショー。五木ひろしとしてのデビュー曲になった「よこはま-」を「私の原点です」と言い、熱唱。カーテンコールで共演者全員がはけた後には、21日に肺炎のために亡くなった平尾さんをしのび「昨日突然、平尾先生の訃報が届きました。人はいつか別れの時がくるものですが、やはり悲しく、寂しい」と、声を震わせながらあいさつした。

 五木はもともと、別名でデビュー後、鳴かず飛ばずで、2度改名。「三谷謙」として、オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場し、グランドチャンピオンに輝き、再デビュー権を得た。

 同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。71年に「五木ひろし」として、平尾さん作曲、山口さん作詞の「よこはま・たそがれ」でデビューし、ヒット歌手の仲間入り。五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)とともに、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕っていた。

 五木は、73年に「夜空」でレコード大賞を獲得したが、これも平尾さんの作品。この日のステージでは「平尾先生、山口先生がいなかったら、五木ひろしはいなかった。本当に心から、ありがとうございますと言いたい」と話すと、深々と頭を下げていた。

2017年7月22日 (土)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

リンク:畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:布施明「思い出は限りありません」平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:畑中葉子、恩師・平尾昌晃さん悼む「ありがとうございましたの言葉しかありません」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:結核で1年療養「故郷テーマに作曲」…平尾さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:もう聞けない「面白いだろ!」の決まり文句…担当記者が平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:森口博子、名付け親の平尾昌晃さん悼む「名前を大切にずっとずっと歌い続けます」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:和洋折衷の平尾節「私の城下町」など新しい歌謡曲…原点に家族の存在 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん 希代の歌手、親しまれた人柄 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ロカビリー3人男で人気博す/平尾昌晃さん略歴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐藤摩弥「先生が愛してくれたオートレースを世の中に広めていきます」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ミッキー・カーチス「本当に昔から才能のあるやつで」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:伊東ゆかり「星の王子様のような方」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去…『瀬戸の花嫁』の小柳ルミ子「あまりにもショック」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:五木ひろし、平尾昌晃さんに感謝いっぱい「世に送り出してくださった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾さん 甘いマスクで優しいモテ男 2度の結婚も… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」など名曲遺し - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ミッキー・カーチス「残されちゃった」平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さんが肺炎のため死去 79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん亡くなる、肺炎のため21日に…79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<訃報>平尾昌晃さん79歳=作曲家 「瀬戸の花嫁」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:作曲家で歌手の平尾昌晃さん死去…79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:作曲家の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」など多くのヒット曲手がける - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去=「瀬戸の花嫁」など作曲、79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む
7/23(日) 18:27配信 日刊スポーツ

 歌手畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、21日に肺炎のため亡くなった作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんへの思いを語った。

【写真】78年、紅白歌合戦で畑中葉子とデュエットする平尾昌晃さん

 畑中は78年発売の大ヒット曲「カナダからの手紙」を平尾さんとデュエットしていた。出演舞台「Nostalgia」の出演後に取材陣の取材に対応した。15年9月に東京・五反田ゆうぽうとホールの閉館を記念した「MIN-ON ウエスタン・カーニバル ファイナル」公演に平尾さんが出演した際に対面したのが最後だったといい、「この時も手を腰にあてて歌っていたり、去年か一昨年も倒れられたり、ご体調が良くないことは存じ上げてました」と明かした。訃報は22日夜の舞台出演後に知ったといい「多分、もうお会いすることできないと思っていたので、びっくりはしましたけど、覚悟していた部分はありました。私は16歳で父を亡くしていて、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 「カナダからの手紙」は来年で発売から40周年だった。「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅』とありますけど、現実になってしまったなと思います。これからもカナダからの手紙は1人で歌っていきたい。この曲だけでなく、たくさんの曲を残されて、そういった方とご一緒できて、うれしく思います」と話した。


畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」
7/23(日) 17:24配信 デイリースポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、大ヒット曲「カナダからの手紙」を平尾さんとデュエットした歌手・畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、平尾さんとの思い出を涙ながらに語った。

 舞台「Nostalgia」の出演後、報道陣の取材に対応。2015年9月に「ウエスタンカーニバル」公演に平尾さんが出演した際、対面したのが最後になったといい、「先生のご体調が良くないことは存じ上げてました。もうお会いすることができないかもと、覚悟していたところはありました。16歳で父を亡くしているので、父のように思っていたので残念です」と悲痛な胸中を吐露した。

 新人だった畑中が、平尾さんとのデュエット相手に抜擢され、「カナダ-」発売してから来年で40年。「歌詞の中に『あなたの居ない1人旅です』とあるのが、現実になってしまいました…。これからも大切に歌わせていただきたい」と瞳を潤ませながら、唇をかみしめた。


布施明「思い出は限りありません」平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 17:13配信 日刊スポーツ

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布施明

 歌手布施明(69)が23日、自身の公式サイトを更新し、21日に肺気腫のため79歳で死去した作曲家平尾昌晃さんを悼んだ。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん特集

 布施は新人当時の66年、病気療養中だった平尾さんがかつて歌った「おもいで」を再リリースし、人気歌手の仲間入りを果たした。

 一方で、歌手復帰を目指していた平尾さんが、本格的に作曲家の道を選ぶきっかけにもなったといわれる。

 布施はサイトのトップページで発表したコメントで、「平尾先生がいらっしゃった御陰で私 歌手 布施明が居ります。療養生活を強いられた先生の代役で昭和40年に歌った『おもいで』が私の歌謡歌手のスタートになり、そして先生は、そこから作曲家の道を歩まれることになりました」とつづった。

 その後も平尾さんから「霧の摩周湖」「恋」「愛の園」など、数十曲の楽曲提供を受けた。「アーティストとして 私人として 数多 御指導をいただきました。本当に有難う御座いました。思い出は限りがありません。辛いです。悲しいです。寂しいです」。最後は「師匠 弟子の布施明 心底より御冥福を御祈り申し上げます」と締めくくった。


畑中葉子、恩師・平尾昌晃さん悼む「ありがとうございましたの言葉しかありません」
7/23(日) 16:29配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のためなくなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)と「カナダからの手紙」でデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、「先生には、ありがとうございましたの言葉しかありません」とコメントした。平尾昌晃歌謡スクールに通い、1978年に同曲でデビュー。大ヒットし、紅白歌合戦にも出場した。「来年で40年になります。(当時)全ての方に温度差なく接するお優しい平尾先生を拝見し、私もそのようになりたいと思ったことを覚えております」と振り返る。「これからは1人で、大切に『カナダからの手紙』を歌わせていただきます」と残念がった。


結核で1年療養「故郷テーマに作曲」…平尾さん
7/23(日) 10:27配信 読売新聞

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(写真:読売新聞)

 珠玉のメロディーを次々と世に出し、人々に広く愛された作曲家で歌手の平尾昌晃さんが21日夜亡くなった。

 歌謡曲の一時代を作った音楽界の重鎮だった。

 早くから音楽的才能を発揮し、1950年代末にブームだったロカビリーの世界でスターとなった。人気歌手が集まるコンサート「日劇ウエスタンカーニバル」に出演。派手なファッションとキレのいい歌唱がうけ、女性人気も高かった。歌手としては「星は何んでも知っている」や自作曲の「ミヨちゃん」などをヒットさせている。

 布施明さんが平尾さんの作った「おもいで」をヒットさせると、作曲家として注目されるようになった。67年には日本レコード大賞作曲賞を受賞。当初は自分は歌手だという自覚が強く、心中は複雑だったという。翌年、結核のため、約1年間、長野県で療養生活を送った。この経験は大きく、「洋楽志向だった僕が、故郷をテーマに作曲するようになっていた」と、後に語っている。


もう聞けない「面白いだろ!」の決まり文句…担当記者が平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 10:03配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 平尾先生に最後にお会いしたのは5月31日に渋谷で行われた「アフタヌーンライブ」だった。田辺靖雄・九重佑三子夫妻、弟子のHANDSIGN、永井みゆきらが出演したイベントで、先生がプロデュースしていた。酸素吸入しながらもステージの真正面に陣取ってマイクパフォーマンスで会場を盛り上げ、「ダイアナ」を歌うシーンもあった。

 ウエスタンカーニバルでスターとなり、作曲家としては布施明や小柳ルミ子、五木ひろし、中条きよしにアグネス・チャンらをプロデュース。昭和歌謡の偉人ながら敷居の高さを感じさせない。事務所に訪ねていくと「この梨おいしいよ、食べて食べて」「甘いものは大丈夫でしょ、これおいしいから」と言っては一緒にほおばる。音楽以外の話も豊富だ。少年のころから筋金入りの巨人ファンで後楽園球場時代からシーズン席を持つほど。原辰徳前監督と親交が深く「辰徳君は僕が球場に行くと、いつも彼の隣の駐車スペースを確保してくれるんだ」と秘話を紹介しては場を盛り上げていた。

 とにかくサービス精神が旺盛なのだ。周囲に喜んでもらうことを常に考えている。そのベースになっているのは感謝の心だ。平尾先生と話をすると決まって出てくるフレーズがあった。「僕の人生は人との出会いなんですよ。それが全て」と…。ウエスタンブームが下火になり人気に陰りが出た時、俳優座に参加して俳優を目指したが芽が出なかった。「絶頂期を体験しているからこそ、誰にも見向きもされなかった時期は本当につらかった」という。

 不遇時代に布施明と出会い作曲家への道が開けたが好事魔多し。今度は肺結核を患った。主治医や看護師の尽力で命を取り留めたことで「みんなに助けられて今がある」と心に植え付けられた。これは後の作家活動や平尾先生が設立した認定NPO法人「ラブ&ハーモニー基金」につながっている。スターでありながら人なつっこい。それは実家が戦前からの大手化粧品会社で、慶応(高)ボーイという影響もあるだろうが、数々の挫折が平尾昌晃を作り上げたと思う。

 「面白いだろ!」―。ひとしきり話をして最後に念を押す決まり文句…。先生のトークがもっと聞きたいです。


森口博子、名付け親の平尾昌晃さん悼む「名前を大切にずっとずっと歌い続けます」
7/23(日) 9:52配信 スポーツ報知

 歌手の森口博子(49)が22日深夜にブログを更新し、恩師の歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんの死去を悼んだ。

 森口は、芸名の名付け親の訃報について「信じたくありません」と切り出し、「詩を書いてごらん。リリースに関係なく僕が曲をつけるから。コンサートで歌ったりしてさ。どんどんやろうよ!」と2人で話しをしていたことを明かし「先生とのお約束が果たせないまま、お別れだなんて。嫌です。無念です」と、15歳で出会った平尾さんとの思い出をつづった。

 そして「先生から頂いた、『森口博子』と言う名前を大切にずっとずっと歌い続けます。心からご冥福をお祈りいたします」と記した。


和洋折衷の平尾節「私の城下町」など新しい歌謡曲…原点に家族の存在
7/23(日) 8:00配信 スポニチアネックス

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98年6月、平尾昌晃さんの音楽生活40周年パーティーで小柳ルミ子と

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾昌晃さんは歌謡曲にポップスの要素を取り入れ、日本の風景が思い浮かぶ名曲を数多く残した。その根底にあるのは“和洋折衷”の精神。代表的なのが小柳ルミ子(65)の「わたしの城下町」(71年)。当時の最先端にいた作詞家、安井かずみさんとの共作で、日本的な詞やメロディーに洋楽のリズムを合わせることでミリオンヒットとなった。

 新人だった畑中葉子(58)とは横文字をサビに使ったデュエット曲「カナダからの手紙」(78年)で昭和歌謡史に残る大ヒットを記録。その後も水谷豊(65)の「カリフォルニア・コネクション」(79年)などを送り出している。

 原点にあるのは家族の存在だ。父親が化粧品会社を経営しており、戦後すぐに、自宅に米軍将校らを呼んでダンスパーティーを開催することもあった。平尾さん以外のきょうだいはフルートやピアノなど楽器を習熟。叔父はクラシック作曲家として有名な平尾貴四男氏で、父親は歌舞伎の三味線音楽である「長唄」や「清元」をたしなんでおり、その環境が平尾さんを育てた。最初は音楽に興味がなかったが、小3の時に将校からジャズのアルバムをもらったことで興味を覚え、「高校に入学した頃にはエルビス・プレスリーにしびれた」という。

 和洋折衷の精神は、「何でも面白いことは取り込んで生かす」というマルチな才能にもつながっている。作曲家としての顔を持ちながら、テレビではNHK「レッツゴーヤング」での司会や俳優としても活躍。複数の会社を経営するなど社長業もこなした。


平尾昌晃さん 希代の歌手、親しまれた人柄
7/23(日) 7:55配信 産経新聞

 「今度、ゆっくり話を聞いてね。まだ、やりたいことがたくさんあるから」

 今年1月、音楽関係者が集まった東京都内で開かれた新年会。今後のインタビュー取材を目的に声をかけると、平尾昌晃さんは目を輝かせながらそう話した。交わした握手から感じた手のぬくもりは、誰からも親しまれる優しい人柄そのものだった。

 平尾さんは小学生のころからラジオで、英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校へ通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶に出演。ウエスタンバンドを組んだがエルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ロックバンドに仕立てた。

 歌手の山下敬二郎さんやミッキー・カーチスさんとともに「ロカビリー3人男」として親しまれた。平成23年の山下さんの通夜では「寂しいというか、悔しいよ」と涙ぐみながら遺影に語りかけ、山下さんの代表曲「ダイアナ」の歌唱を参列者約500人に提案。「けいちゃん、ありがとう!」と絶叫していたのが忘れられない。27年には閉館される東京・五反田の「ゆうぽうとホール」のファイナル公演「ウエスタンカーニバル」に登場。「寂しいね。そういう気持ちもあるけれど、みんなが駆けつけてくれた。うれしいね」とにっこり。軽快なステップを踏みながら歌った。

 希代の歌手でエンターテイナーはこれから、何をやりたかったのか。インタビューで新たな夢を聞きたかった。(竹中文)


ロカビリー3人男で人気博す/平尾昌晃さん略歴
7/23(日) 7:52配信 日刊スポーツ

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08年2月、山下敬二郎さん(中央)ミッキー・カーチス(右)とロカビリーポーズ

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 ◆平尾昌晃(ひらお・まさあき)1937年(昭12)12月24日、東京都生まれ。少年時代からジャズに親しみ、58年「リトル・ダーリン」でデビュー。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー3人男として人気を博す。作曲家としては67年「霧の摩周湖」「渚のセニョリーナ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。74年に「平尾昌晃歌謡教室(現ミュージックスクール)」開校。音楽、趣味のゴルフを通じた慈善活動を積極的に行った。私生活では72年に女子大生と結婚も離婚。78年に歌手小沢深雪と結婚したが離婚した。


昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎
7/23(日) 7:52配信 日刊スポーツ

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2月、石坂敬一さん「お別れの会」に出席した平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。結核で倒れ、信州で療養生活を送ったこともあった。66年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や67年の梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その後も「よこはま・たそがれ」「わたしの城下町」など提供曲が次々と大ヒットした。日ごろから「洋楽、邦楽、民謡、童謡など何でも好き。楽しいものは何でも取り入れちゃう」と話していたように、ポップスから演歌まで幅広く曲提供した。テレビ時代劇「必殺」シリーズの音楽や、アニメ「銀河鉄道999」の主題歌なども手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。


佐藤摩弥「先生が愛してくれたオートレースを世の中に広めていきます」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 佐藤摩弥(女子オートレーサー、平尾さんが手掛けた川口オートのテーマ曲のリメイク版「ぶっちぎりの青春☆NOW」のコーラスを担当)「オートレースのことをいつも気にかけていただき、感謝の言葉しかありません。個人的にも『けがは大丈夫かな? いつも頑張っているね』と連絡をもらっていました。平尾先生が愛してくれたオートレースをこれからも世の中に広めていくよう頑張ります」


ミッキー・カーチス「本当に昔から才能のあるやつで」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 ミッキー・カーチス(ミュージシャンで俳優、平尾さんと山下敬二郎さんと「ロカビリー3人男」として人気を博す)「まーちゃんとは、進駐軍の仕事をしていた時代からだから、10代の頃からの付き合いだったんだよ。『3人男』で日劇に出たときはそれぞれ、お互い良いライバルだったから楽しかったよ。本当に昔から才能のあるやつで、オレとは違う素晴らしい才能を持っているやつだったね。けいちゃん(山下敬二郎さん)、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…。ご冥福をお祈りします」


伊東ゆかり「星の王子様のような方」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 伊東ゆかり(歌手)「初めてお会いした時、星の王子様のような方だなぁ…と思ったことを今でも覚えています。私の大好きな『恋のしずく』を作曲していただいた時、レコーディングでギターを弾きながら歌っていただきました時の姿を、なんてすてきなんだろうって思いながら見ていました。去年の12月、BSジャパンで平尾先生を特集した番組でご一緒させていただいた時、ご体調が悪そうだったので気になってはいたんですけど…。これから『恋のしずく』を歌う度に平尾先生のことを思い出すんだろうな、と思います。ご冥福をお祈り申し上げます」


平尾昌晃さん死去…『瀬戸の花嫁』の小柳ルミ子「あまりにもショック」
7/23(日) 7:00配信 サンケイスポーツ

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など数多くのヒット曲を手掛けた作曲家で歌手、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが肺炎のため、21日午後11時40分に東京都内の病院で死去したことが22日、分かった。79歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、秋頃に音楽葬を開く予定。関係者によると、平尾さんはかねてから肺が弱く1週間前に症状が悪化して入院。復帰を目指して療養していたという。温和な笑顔で親しまれた巨星が、ついに力尽きた。

 昭和の歌謡史を代表する偉大なヒットメーカーが、この世を去った。

 関係者によると、平尾さんは1968年に肺結核を患って以降、肺に疾患があり、2年前には肺がんを発症して闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも息苦しいと体調不良を訴えて1カ月ほど入院していた。

 一時は回復したが、今月13日に暑い日が続いたこともあって体調を崩して検査入院。入院中も仕事に対して前向きで亡くなる前日20日には食欲もあり、大好きなゴルフの全英オープンをテレビ観戦するなど体調も良かったが、亡くなる1時間前の21日午後11時ごろに容体が急変。最期は夫人や数人の親族、事務所関係者に看取られ、眠るような穏やかな顔で息を引き取った。息子で歌手、平尾勇気(36)は看取れなかったという。

 近親者によると、2月22日の作曲家、船村徹さん(享年84)の通夜には車いすで参列していたが、同27日のオートレース選手表彰式では笑顔でステージに登壇し、乾杯の音頭を取るなど元気な姿を見せていた。

 クラシック一家に生まれた平尾さんは、慶応高中退後に当時人気を博していたウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」で音楽活動を開始。1958年に「リトル・ダーリン」でソロデビューし、“和製プレスリー”として話題に。ミッキー・カーチス(79)、故山下敬二郎さん(享年71)とともに「ロカビリー三人男」とも呼ばれ、日劇ウエスタンカーニバルの看板スターとして活躍した。

 その後は作曲家としても才能を発揮し、布施明(69)の「霧の摩周湖」、五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」や小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒットを連発。歌手としても、自身が設立した「平尾昌晃ミュージックスクール」の卒業生、畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」が大ヒットした。

 「瀬戸の花嫁」などの楽曲提供を受けた小柳はこの日、カシマスタジアムで行われたサッカー・J1鹿島対スペイン1部セビリアを観戦後、関係者から恩師の訃報を聞き、落胆。サンケイスポーツの取材に応じ、「お体がすぐれないということは聞いていました。あまりにもショックで、今は言葉がみつかりません。たくさんの思い出がありすぎて…」と突然の出来事にがっくりと肩を落とした。

 平尾さんは近年、日本テレビ系「ものまねバトル」やNHK「のど自慢チャンピオン大会」で審査員を務めるなど幅広く活動。2006年からは「NHK紅白歌合戦」でフィナーレを飾る「蛍の光」の指揮を担当。最後まで作曲活動にも意欲的だった昭和の巨匠は人々の心に多くの思い出を刻み、天国へ旅立った。


五木ひろし、平尾昌晃さんに感謝いっぱい「世に送り出してくださった」
7/23(日) 7:00配信 サンケイスポーツ

 日本を代表する作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報が伝わった22日、芸能界に衝撃が広がった。「よこはま・たそがれ」で再デビューした演歌歌手、五木ひろし(69)は「今日があるのも平尾先生のおかげです」と“生みの親”に感謝。平尾さん、故山下敬二郎さん(享年71)とともに「ロカビリー三人男」として活躍した歌手で俳優、ミッキー・カーチス(79)も「寂しいよ」と悲しみに暮れた。

 数々の名曲とともに、一流アーティストを生み出してきた平尾さん。突然の悲報に、まな弟子や苦楽をともにした友人らが喪失感をにじませた。

 「ただただ驚いています。現実と思えません」

 この日、関係者から悲報を知らされた五木は絶句。約2年前に平尾さんが体調を悪くして心配していたというが、「昨年のNHK紅白歌合戦でもお会いして、『元気? 頑張ってるね』と気さくに話しかけてくださった。元気になられてよかったと安心していたのに…」と肩を落とした。

 不遇の時代を経て、1971年に故人と作詞家の故山口洋子さん(享年77)が手掛けた「よこはま-」で、「五木ひろし」として再デビュー。その後も数々のヒット曲を書いてもらった。「歌い続けることが、五木ひろしを世に送り出してくださった先生への恩返しだと思っております」と天国の平尾さんに誓った。

 小柳ルミ子(65)やアグネス・チャン(61)ら、平尾さんの曲を歌った多くの歌手も追悼のコメントを寄せた。「草原の輝き」などを作曲してもらったアグネスは「45年におよぶ歌手生活の中で、良いときも悪いときもずっと見守り、励ましてくださいました」と恩師に感謝。「とても寂しいですが、素晴らしい作品の数々は永遠に人々の心に残るでしょう」と悼んだ。

 「ロカビリー三人男」として平尾さん、山下さんと一時代を築いたミッキーは、10代の進駐軍時代からの付き合いを振り返り、「本当に昔から才能のある奴で、オレとは違う素晴らしい才能を持っている奴だったね」と故人の人柄を回想。「けいちゃん、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」と盟友との別れを惜しんだ。


平尾さん 甘いマスクで優しいモテ男 2度の結婚も…
7/23(日) 6:01配信 スポニチアネックス

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05年、渡辺プロ50周年パーティーで熱唱する平尾昌晃さん

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 柔らかな物腰と甘いマスクで、平尾さんは20代の頃から女性にもよくモテた。当時を知る関係者は「1955年ごろに外車のMGに乗っていたことを覚えてます。女性だけでなく、皆に優しかった。格好いいし、アイドルのような存在だった」と話した。

【写真】1977年、平尾昌晃さんと畑中葉子

 結婚は2度している。最初は72年に女子大生と結婚したが、当時16歳だった歌手小沢深雪との交際が原因とみられる離婚騒動に発展。1億5000万円の慰謝料を請求されるなど話題になった。小沢とは78年に再婚して85年に離婚している。


平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」など名曲遺し
7/23(日) 5:59配信 デイリースポーツ

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紅白歌合戦のエンディングで「蛍の光」を指揮する平尾昌晃さん(前列左から3人目)=06年12月31日 

 「日劇ウエスタンカーニバル」で歌手として一世を風靡(ふうび)し、作曲家としても「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を手掛けた平尾昌晃さんが21日午後11時40分、肺炎のため都内の病院で死去したことが22日、分かった。79歳だった。東京都出身。若いころに結核で片肺を摘出したため日ごろから体調に気を配っていたが、2014年暮れから肺炎の症状が出るようになっていた。葬儀・告別式は家族葬で行い、秋にお別れの会を開く。

【写真】2013年、藤圭子さんをしのぶ平尾昌晃さん

 歌手、そして作曲家として、長年人々の心に歌で明かりをともし続けた平尾さんが、突然、天国へと旅立った。

 関係者によると、平尾さんは今月13日、肺炎による体調不良を訴え、主治医のいる都内の病院で診察を受けた。レントゲンや血液検査では病状は軽かったが、大事をとって入院した。その後も回復しないため、入院が続いていた。

 スタッフらと普通に会話するなど、深刻な状態ではなかった。だが21日の午後11時ごろに容体が急変。「苦しい」などと話しているうちに、同11時40分。家族、関係者に見守られながら息を引き取った。「あまりにも突然だった」(関係者)という。

 平尾さんは1968年に結核を罹(り)患し、片方の肺を摘出していた。そのため、日ごろから健康には注意していた。14年暮れには肺炎で入院。これ以後、酸素吸入器を携帯するようになった。

 年齢による免疫力の低下などで、時々肺炎にかかることもあったが、日々普通に活動していた。体調面を考え、ステージの仕事はセーブしていたが、自宅で作曲活動なども行っていた。合間には趣味の競馬、オートレースなどを楽しんでいたという。

 今年の5月31日には都内のライブハウスで、自身がプロデュースしたライブに顔を見せた。ステージには立たなかったが、客席でマイクを持ちロックンロールを歌った。これが最後の公の場。最後のテレビ番組は5月1日放送のBS日テレ「歌謡プレミアム」。また、4月19日発売の歌手・永井みゆきの「蛇の目小紋の女」が最後のリリースとなった。

 平尾さんは1958年「リトル・ダーリン」で歌手デビュー。第1回「日劇ウエスタンカーニバル」に参加し、ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとともに「ロカビリー3人男」として人気が爆発。“和製プレスリー”と呼ばれた。60年代半ばからは作曲家として活躍。「霧の摩周湖」、「瀬戸の花嫁」、「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を世に送り出した。78年に畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」はロングヒットとなった。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」の指揮者としてもおなじみだった。


平尾昌晃さんは「五木ひろし誕生のきっかけを作っていただいた大恩人」
7/23(日) 5:47配信 スポーツ報知

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71年に五木ひろし(右)の「よこはま・たそがれ」がヒットし作詞家・山口洋子さん(中)とテレビ出演

 歌手の五木ひろし(69)が22日、平尾昌晃さんの訃報に「ただただ驚いています。現実とは思えません」と肩を落とした。

【写真】在りし日の平尾昌晃さん

 71年の「五木ひろし」名義での再デビュー曲「よこはま・たそがれ」、73年のレコード大賞に輝いた「夜空」など、平尾氏による作曲で次々にヒットを飛ばした。「平尾先生は、五木ひろし誕生のきっかけを作っていただいた大恩人です。早くお会いして『今までありがとうございました』とお伝えしたいです」とコメントを寄せた。

 平尾氏との出会いは、10週勝ち抜きした70年の全日本歌謡選手権。1週目のゲスト審査員の平尾氏から「企画さえ合えば面白いのでは」と声を掛けられ、自信につながった。

 最後に会ったのは、昨年末のNHK紅白歌合戦だった。「2年ほど前に体調を悪くされて心配しておりましたが、平尾先生が『元気? 頑張ってるね』と気さくに話しかけてくださり、元気になられて良かったと安心していたので、まさか亡くなられるとはとビックリしてます」と語った。

 自身の原点となった恩師の訃報に「これからもステージで歌い続けることが、五木ひろしを世に送り出してくださった平尾先生への恩返しだと思っています」と歌い継ぐことを誓った。


次世代の育成に力注いだ平尾さん 音楽学校開校、聖子ら巣立つ
7/23(日) 5:34配信 スポニチアネックス

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ミュージックスクールで生徒を指導する平尾昌晃さん

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんは次世代の育成にも力を注いだ。74年に「平尾昌晃ミュージックスクール」を開校し、「温かみのある歌手を育てたくなった。僕はミュージックドクター。半年間教えてダメな時は判断する」と語っていた。

 同所からは松田聖子(55)川崎麻世(54)、石野真子(56)、故川島なお美さんらが巣立っている。関係者は「その志を音楽業界一丸で継いでいきたい」としている。


日本歌謡界の父・平尾昌晃さん、79歳で亡くなる…家族葬後に音楽葬も
7/23(日) 5:33配信 スポーツ報知

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2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。「日劇ウエスタンカーニバル」の人気シンガーとして活躍後、作曲にも才能を発揮。布施明(69)の「霧の摩周湖」や五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒット曲を書き下ろした一方で、歌い手としても畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」を大ヒットさせた。後進の育成にも意欲的だった日本の歌謡界のヒットメーカーが、天国へ旅立った。

【写真】在りし日の平尾昌晃さん

 音楽を愛し、愛された日本歌謡界の父が、この世を去った。関係者によると、平尾さんはかねて肺をわずらっていたが、5月に体調を崩し1か月ほど入院。一時は回復したものの、7月中旬に症状が悪化したことから再度入院し療養していたが、数日前に容体が急変した。

 5月31日に自身のプロデュースライブで、教え子のステージを客席から見守ったのが、最後の公の場となった。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

 昭和の音楽の歴史を体現するような大スターだった。慶応高在学中に湘南の米軍キャンプにボーカルとして出演し、歌手人生をスタート。ジャズ、カントリー、ロックと多ジャンルに精通した。銀座のジャズ喫茶「テネシー」で歌っているところを渡邊美佐さん(現渡辺プロダクショングループ代表)に見初められ、1958年に「リトル・ダーリン」でデビューした。

 その1か月後からスタートした「日劇ウエスタンカーニバル」では一気にトップシンガーに。「ミヨチャン」などのヒットを飛ばし、ミッキー・カーチス(79)、山下敬二郎さん(11年死去、享年71)と「ロカビリー3人男」と呼ばれ、圧倒的な人気を博した。

 肺結核をわずらい、医師に歌手業を止められたことから作曲にも才能を発揮。66年に布施に書き下ろした「霧の摩周湖」が大ヒットした。71年、五木に提供した「よこはま・たそがれ」、小柳に提供した「わたしの城下町」で作曲家としての地位を不動のものとした。73年、五木に提供した「夜空」では、その年のレコード大賞を受賞している。「必殺」シリーズなどの時代劇、アニメ「銀河鉄道999」、宝塚ミュージカル「ベルサイユのばら」など、劇伴(劇中の伴奏音楽)の分野でも活躍した。

 日本の音楽界を担う、後進の育成にも早くから取り組んだ。74年には「平尾昌晃 ミュージックスクール」を開校し、同校の生徒だった畑中と組んで「カナダからの手紙」をリリース。2人の優しい声質とハーモニーが話題となり、紅白歌合戦にも出場した。結核で大手術を経験したことから、チャリティー活動にも精を出した。75年から始めた「平尾昌晃チャリティゴルフ」は、現在ではプロ、アマ、タレントが集結する恒例行事となっている。

 歌謡界の大御所でありながら腰が低く、いつも笑顔を絶やさないおだやかな人柄で誰からも愛された。巨人やオートレースのファンとしても知られ、紅白歌合戦では、クライマックスに出演者全員で歌う「蛍の光」の指揮を2006年から昨年まで務めていた。歌の力を信じ、生涯現役として輝きを放ったスターが、その名の通り星となった。

 ◆平尾 昌晃(ひらお・まさあき)本名同じ。1937年12月24日、東京府東京市牛込(現・新宿区)生まれ。慶応高1年時に米軍キャンプで歌手活動をスタートし、58年に「リトル・ダーリン」でソロデビュー。ロカビリー歌手として爆発的な人気を博す。作曲家に転身後、ヒットを連発するが、結核を患い68年に肋骨(ろっこつ)6本を除去する。03年に紫綬褒章受章。日本作曲家協会常務理事を務めている。歌手の平尾勇気は息子。


ミッキー・カーチス「残されちゃったね。本当に寂しいよ…」
7/23(日) 5:33配信 スポニチアネックス

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98年、音楽生活40周年記念パーティーでミッキーカーチス(左)、山下敬二郎さん(右)と熱唱する平尾昌晃さん(中央)

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんらと「ロカビリー三人男」として一大ブームを築いたミッキー・カーチス(78)は「けいちゃん、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」とコメントした。

【写真】77年、熱唱するロカビリー三人男

 2011年に山下さん、そして平尾さんも旅立った。「三人男で日劇に出たときは、お互い良いライバルだったから楽しかったよ」と振り返った。

 平尾さんとは「進駐軍の仕事をしていた時代からだから10代の頃からの付き合いだった」と言い、「昔から才能のあるやつで、俺とは違う素晴らしい才能を持っているやつだった。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。


畑中葉子、恩師の訃報に号泣「もう一度、先生と歌いたかった」
7/23(日) 5:00配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手・畑中葉子(58)は恩師の訃報に号泣。子育てに区切りがつき、2013年からライブ活動を開始していただけに「もう一度、先生と歌いたかったです」と言葉を詰まらせた。

【写真】「カナダからの手紙」をデュエットした平尾昌晃さんと畑中葉子

 「カナダ…」の大ヒットから1年後にソロデビューしたが、すぐに平尾さんの弟子にあたる作曲家と電撃結婚。「“しょうがないなあ、何やってるんだよ”って、言われただけ。先生の言葉には泣いてしまいました」と振り返った。

 再婚して歌手活動を休業していた20年前にも、平尾さんは母親の通夜に駆けつけてくれた。「本当に優しい方でした」と涙をあふれさせた。


五木ひろし 平尾さんに感謝「僕を世に出してくれた大恩人です」
7/23(日) 5:00配信 スポニチアネックス

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11年10月、星野哲郎さんの一周忌法要に参列した平尾さん(左)と五木ひろし

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 五木ひろし(69)が22日、大阪・新歌舞伎座で上演中の座長公演終演後にスポニチ本紙の取材に応じた。平尾さんに最後に会ったのは昨年末のNHK紅白歌合戦。以前、鼻に付けていた酸素チューブを外しており「元気になられたと安心していた」と、ショックを隠しきれなかった。

【写真】紅白歌合戦のエンディングで「蛍の光」の指揮者を務めた平尾昌晃さん

 三谷謙の芸名で活動していたが鳴かず飛ばずだった1970年、読売テレビのオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場。1週目のゲスト審査員が平尾さん、2週目が作詞家の故山口洋子さんだった。五木は10週勝ち抜いた。平尾さんは「地味な名前。これじゃ売れない」と、レコード会社社長だった故徳間康快氏に相談。「名前変えていい。三谷なんて知らなかったから」と言われた。

 山口さんが、自身が開業した銀座の高級クラブ「姫」の常連客だった五木寛之氏に「五木」の名前をもらっていいか尋ね、快諾を得た。

 五木ひろしとしての再デビュー曲「よこはま・たそがれ」は、もともと山口さんの詩として存在していた。よこはま たそがれ ホテルの小部屋――最後の部分が「あの人は 行ってしまった」だったところ、平尾さんが「行って行ってしまった」と変更。山口さんも「凄くいい」とゴーサインを出した。

 五木は同曲で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場し、スターの仲間入りをした。

 「僕の運命は歌謡選手権の最初の2週で決まったようなもの」と回想。「お二人に出会わなければ売れないまま終わってたかもしれないし、歌手を辞めていたかもしれない。僕を世に出してくれた大恩人です」と感謝した。

 今公演でも「よこはま・たそがれ」を歌い、23日の千秋楽では平尾さんの別の曲も歌う予定。「華々しい舞台で観客に訃報を伝えないといけないのはつらい。平尾先生への感謝の気持ちをステージから歌に込めておくることになる」と語った。


平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ
7/23(日) 0:59配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。

 67年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その前後、結核で倒れたりしたため信州で療養生活を送った。のちに日刊スポーツの取材に「この時の経験が作曲家としての分岐点になりました。療養中、見ず知らずの人が野沢菜を漬けて持ってきてくれたり、初めて人間の温かさを感じた。心の故郷をテーマに曲を書きたいと思った」と振り返った。こうして「よこはま・たそがれ」「私の城下町」などが誕生した。その後もポップスから演歌まで幅広い曲を手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。


ミッキー・カーチス「残されちゃった」平尾さん悼む
7/22(土) 23:22配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さんに追悼コメントを出したミッキー・カーチス

 平尾昌晃さんの訃報を受け、平尾さんと山下敬二郎さんとともに日劇ウエスタンカーニバルの「ロカビリー3人男」として活躍したミッキー・カーチス(78)がコメントした。

【写真】平尾昌晃さん死去「カナダからの手紙」他ヒット多数

 「まーちゃんとは進駐軍の仕事をしていた時代からだから10代の頃からの付き合いだったんだよ。3人男で日劇に出たときはそれぞれ、お互い良いライバルだったから楽しかったよ」と古くから交流があったことを明かし、「本当に昔から才能のあるやつで、オレとは違う素晴らしい才能を持っているやつだったね」としのんだ。

 続けて、「けいちゃん(山下敬二郎)、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」と、現在の心境を吐露した。


平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」
7/22(土) 22:49配信 産経新聞

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平尾昌晃さん=2001年6月(写真:産経新聞)

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など多数のヒット曲で知られる作曲家であり、自身も歌手として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 昭和33年に歌手としてデビュー、第1回「日劇ウエスタンカーニバル」に参加し、ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さん共に“ロカビリー三人男”と呼ばれロカビリーブームを巻き起こした。

 40年頃からは作曲家として活躍。布施明さんに提供した「霧の摩周湖」、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」「夜空」、梓みちよさん「二人でお酒を」などを手掛け、昭和を代表するヒットメーカーとして一時代を築いた。

 歌手としての活動も続け、53年には畑中葉子さんとデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。


平尾昌晃さんが肺炎のため死去 79歳
7/22(土) 22:19配信 東スポWeb

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平尾昌晃さん

「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、数多くのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃さんが21日夜、肺炎のため死去した。79歳だった。

 1958年に歌手デビューし、ミッキー・カーチス(78)、山下敬二郎(故人)とともに「ロカビリー三人男」として一躍スターに。ロカビリーのブームが去ると、作曲を学び、次々に昭和歌謡の代表曲を世に送り出した。


平尾昌晃さん死去
時事通信 7/22(土) 22:08配信

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「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。


平尾昌晃さん亡くなる、肺炎のため21日に…79歳
7/22(土) 22:00配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

 関係者によると、平尾さんはかねて肺をわずらっていたが、5月に体調を崩し1か月ほど入院。一時は回復したものの、7月中旬に症状が悪化したことから再度入院し療養していたが、数日前に容体が急変したという。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

 東京府東京市(現・新宿区)生まれ。慶応高1年時に米軍キャンプで歌手活動をスタートし、58年に「リトル・ダーリン」でソロデビュー。ロカビリー歌手として「日劇ウエスタンカーニバル」の人気シンガーとして活躍後、作曲にも才能を発揮。布施明(69)の「霧の摩周湖」五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」や小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒット曲を書き下ろした一方で、歌い手としても畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」を大ヒットさせた。


<訃報>平尾昌晃さん79歳=作曲家 「瀬戸の花嫁」
7/22(土) 21:59配信 毎日新聞

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など作曲家として多数のヒット曲を生み出し、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日、肺炎のため死去した。79歳。葬儀は近親者で営む。後日お別れの会を開く予定。

 東京都出身。慶応高校中退後、1958年に歌手デビュー。ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんと共に当時流行したロカビリーを歌い上げる“ロカビリー三人男”と呼ばれ人気を博した。「星はなんでも知っている」「ミヨちゃん」などの曲がヒットした。

 60年代以降は作曲家として活躍。小柳ルミ子さんの歌う「瀬戸の花嫁」が72年に日本歌謡大賞を、五木ひろしさんの歌う「夜空」が73年に日本レコード大賞をそれぞれ受賞した。このほか「わたしの城下町」「霧の摩周湖」なども作曲した。自らの作曲で畑中葉子さんと歌った「カナダからの手紙」も人気を集めた。

 2003年に紫綬褒章受章。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」合唱での指揮者やテレビのバラエティー番組出演など、お茶の間でもおなじみの顔だった。


作曲家で歌手の平尾昌晃さん死去…79歳
7/22(土) 21:55配信 読売新聞

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和歌謡を代表する数多くのヒット曲を残した作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日夜、肺炎で亡くなった。

 79歳だった。葬儀は近親者で行う。数日前から体調を崩していた。

 東京に生まれ、その後、神奈川県藤沢市に転居した。慶応高時代にバンドのボーカルとして米軍キャンプ回りを始め、1958年に歌手としてレコードデビュー。山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスさんとともに「ロカビリー3人男」と呼ばれ、脚光を浴びた。

 60年代後半からは作曲家として活躍。布施明さんの「霧の摩周湖」や、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」などをヒットさせた。五木さんが歌った「夜空」は73年の日本レコード大賞に輝いている。親しみやすいメロディーを生みだし、歌謡曲の黄金時代を支え、長きにわたって日本の音楽界をリードした。


作曲家の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」など多くのヒット曲手がける
7/22(土) 21:53配信 スポニチアネックス

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作曲家・平尾昌晃さん

 昭和の大ヒット曲「よこはまたそがれ」「瀬戸の花嫁」などの作曲で知られる作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため都内の病院で死去していたことが22日、分かった。79歳。東京市(現・東京都)出身。2年前に肺がんを患い闘病する傍ら、精力的に仕事をこなしていた。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

「カナダからの手紙」をデュエットした平尾昌晃さんと畑中葉子

 慶応義塾高中退後、当時人気のウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に入り音楽活動を開始。57年、石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」にも出演。翌年は「リトル・ダーリン」でソロ・デビューし、「星は何でも知っている」「ミヨチャン」がヒット。ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として日劇ウエスタンカーニバルの看板スターとなった。

 ロカビリーブーム後は作曲を勉強し、67年に布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。70年代は五木ひろし「よこはまたそがれ」、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、アグネス・チャン「草原の輝き」などを作曲、ヒットチャート上位に作品が並んだ。

 74年に「平尾昌晃音楽学校(のちの平尾昌晃ミュージックスクール)」を創立。石野真子、狩人、松田聖子、倖田來未、後藤真希らを輩出。生徒だった畑中葉子とデュオを組み、78年に「カナダからの手紙」をデュエットし、大ヒットとなった。

 日本テレビの人気ドラマ「熱中時代」シリーズやテレビ朝日系の時代劇「必殺シリーズ」、アニメ「銀河鉄道999」などの音楽も手掛け、80年代からは宝塚歌劇団の舞台音楽にも携わり、幅広く才能を発揮した。06年からは「NHK紅白歌合戦」で番組のフィナーレを飾る「蛍の光」の指揮を務めた。


平尾昌晃さん死去=「瀬戸の花嫁」など作曲、79歳
7/22(土) 21:50配信 時事通信

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「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。

 「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。

〔写真特集〕平尾昌晃さん

 東京都出身。

 1958年、歌手デビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」などがある。

 60年代から作曲家としても活躍。布施明「霧の摩周湖」、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

 74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

 2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

2017年6月19日 (月)

天皇皇后両陛下、日本芸術院授賞式にご出席

天皇皇后両陛下は19日午前、東京・上野の日本芸術院会館で開かれた第73回日本芸術院授賞式にご出席された。

リンク:両陛下、日本芸術院授賞式ご出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院授賞式に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院賞授賞式にご臨席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>天皇、皇后両陛下が芸術院授賞式に出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院授賞式に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

両陛下、日本芸術院授賞式ご出席
6/20(火) 11:38配信 ホウドウキョク

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(写真:ホウドウキョク)

天皇皇后両陛下は、東京・上野で開かれた、日本芸術院授賞式に出席された。
日本芸術院賞は、芸術の分野で顕著な業績を挙げた人に贈られるもので、今回は、歌舞伎俳優の市川左團次さんら、9人が受賞した。
毎年、授賞式に出席している両陛下は、それぞれの活動について説明を受けたあと、授賞式に臨み、受賞者1人ひとりに拍手を送られた。
午後には、皇居・宮殿で茶会が行われた。


両陛下、日本芸術院授賞式に
時事通信 6/19(月) 12:15配信

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第73回日本芸術院授賞式に出席し、受賞者の一柳慧さんから説明を受けられる天皇、皇后両陛下=19日午前、東京都台東区(代表撮影)

(時事通信社)


両陛下、日本芸術院賞授賞式にご臨席
6/19(月) 11:52配信 産経新聞

 天皇、皇后両陛下は19日、東京都台東区の日本芸術院会館で、芸術の分野で大きな業績を残した人に贈られる「日本芸術院賞」の授賞式に臨席された。

 73回目の今回は、恩賜賞も同時に贈られた書家の高木聖雨さん(67)や評論家の渡辺保さん(81)、作曲家の一柳慧さん(84)の3人を含む9人が受賞。両陛下は授賞式に先立ち、受賞者らから活動内容の説明を受け、熱心に耳を傾けられた。


<皇室>天皇、皇后両陛下が芸術院授賞式に出席
6/19(月) 11:21配信 毎日新聞

 天皇、皇后両陛下は19日、東京都台東区の日本芸術院会館であった第73回日本芸術院授賞式に出席された。今回の受賞者は作曲家の一柳慧さん(84)や小説家の高樹のぶ子さん(71)ら9人で、両陛下はそれぞれの作品について説明を聞いた。【高島博之】


両陛下、日本芸術院授賞式に
6/19(月) 11:18配信 時事通信

 天皇、皇后両陛下は19日午前、東京・上野の日本芸術院会館で開かれた第73回日本芸術院授賞式に出席された。

 日本芸術院賞は芸術の分野で顕著な功績があった人に贈られ、今回は作曲家の一柳慧さん(84)や歌舞伎俳優の市川左団次さん(76)ら9人が受賞。一柳さんら3人には恩賜賞も併せて贈られた。

 両陛下は式典に先立ち、受賞者らから作品や功績などについて説明を受けた。午後には皇居・宮殿で、受賞者らを招いて茶会が催される。

2017年6月12日 (月)

天皇皇后両陛下、日本学士院賞授賞式にご出席

天皇皇后両陛下は12日午前、日本学士院会館(東京都台東区)で行われた日本学士院賞の第107回授賞式にご出席された。

リンク:両陛下、日本学士院賞授賞式にご出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本学士院賞受賞者を皇居に招き茶会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>両陛下が学士院賞の受賞者らと懇談 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:学士院賞受賞者らと歓談される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、学士院受賞者と茶会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本学士院授賞式にご臨席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本学士院授賞式に出席された両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:研究について説明を受けられる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本学士院授賞式に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

両陛下、日本学士院賞授賞式にご出席
6/12(月) 23:20配信 ホウドウキョク

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(写真:ホウドウキョク)

天皇皇后両陛下は12日、日本学士院賞の授賞式に出席された。
日本学士院賞は、学術の分野で功績をあげた研究者に贈られるもので、両陛下は授賞式に出席し、拍手で受賞者を祝福された。
これに先立ち、両陛下は、受賞者から研究内容について説明を受け、地震学の東北大学・長谷川 昭名誉教授が、プレートの沈み込みと地底の水の移動について説明すると、陛下は「いつ頃から、そういうふうなことがわかるようになったんですか」などと、熱心に質問された。
午後には、受賞者らを招いて、皇居・宮殿で茶会が行われ、陛下は「これからも体に気をつけて、元気にそれぞれの道を進められるよう願っております」と述べられた。


両陛下、日本学士院賞受賞者を皇居に招き茶会
6/12(月) 21:05配信 読売新聞

 天皇、皇后両陛下は12日、今年度の日本学士院賞受賞者を皇居・宮殿に招き、茶会を開かれた。

 皇太子さまと秋篠宮(あきしののみや)ご夫妻も同席された。茶会には、地震活動の解明に大きく貢献した長谷川昭・東北大名誉教授(72)らが出席。天皇陛下は受賞者に、「これからも体に気をつけて、元気にその道を進められますよう願っています」と述べられた。


<皇室>両陛下が学士院賞の受賞者らと懇談
6/12(月) 18:05配信 毎日新聞

 天皇、皇后両陛下は12日、皇居・宮殿に今年度の日本学士院賞の受賞者らを招き、懇談された。陛下は「これからも体に気をつけ、元気にその道をすすめられるよう願っております」とあいさつした。皇太子さまと秋篠宮ご夫妻も同席され、受賞者から研究成果などについて聞いた。【高島博之】


学士院賞受賞者らと歓談される両陛下
時事通信 6/12(月) 17:29配信

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日本学士院賞受賞者らを招いた茶会で、恩賜賞と日本学士院賞を受賞した長谷川昭東北大名誉教授(左手前)らと歓談される天皇、皇后両陛下=12日午後、皇居・宮殿

(時事通信社)


両陛下、学士院受賞者と茶会
6/12(月) 16:54配信 時事通信

 天皇、皇后両陛下は12日午後、第107回日本学士院賞受賞者を皇居・宮殿に招き、茶会を開かれた。

 天皇陛下は冒頭、受賞者らに「このたびの受賞を心からお祝いします。これからも体に気を付けて、元気にその道を進められますよう祈っています」と声を掛けた。

 地震活動を研究した長谷川昭東北大名誉教授らと同じテーブルに着いた天皇陛下は、説明を受け「重要な問題ですね」などと応じた。

 茶会には、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻も出席した。


両陛下、日本学士院授賞式にご臨席
6/12(月) 12:40配信 産経新聞

 天皇、皇后両陛下は12日、東京都台東区の日本学士院会館で、優れた業績を修めた研究者に贈られる「日本学士院賞」の授賞式に臨席し、受賞者らを拍手で祝福された。

 今回で107回目となる受賞者は、プレート沈み込み帯の地殻やマントルの構造と地震活動の関係を調べ、恩賜賞も同時受賞した長谷川昭・東北大名誉教授(72)や、乳幼児がかかる川崎病で、心臓の冠動脈障害の合併症に対する手術法を確立した北村惣一郎・国立循環器病研究センター名誉総長(76)ら10人。


日本学士院授賞式に出席された両陛下
時事通信 6/12(月) 12:32配信

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天皇、皇后両陛下が出席されて行われた日本学士院賞の第107回授賞式。写真中央は恩賜賞と日本学士院賞を受賞する長谷川昭東北大名誉教授=12日、東京・上野の日本学士院会館


研究について説明を受けられる両陛下
時事通信 6/12(月) 12:12配信

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恩賜賞と日本学士院賞受賞者の長谷川昭氏(右)から研究について説明を受けられる天皇、皇后両陛下=12日、東京都台東区(代表撮影)

(時事通信社)


両陛下、日本学士院授賞式に
6/12(月) 10:39配信 時事通信

 天皇、皇后両陛下は12日午前、東京・上野の日本学士院会館で開かれた日本学士院賞の第107回授賞式に出席された。

 天皇陛下の退位を実現する特例法成立後、陛下の皇居外での公務は初めて。

 学士院賞は学術上、特に優れた研究業績に対し贈られ、両陛下は毎年授賞式に出席。今回は海洋プレートの沈み込み帯の構造と地震活動を研究した長谷川昭東北大名誉教授(72)や小児の心臓の冠動脈再建手術を確立した国立循環器病研究センターの北村惣一郎名誉総長(76)ら9件10人が受賞した。長谷川名誉教授には恩賜賞も併せて贈られ、両陛下は壇上で拍手を送った。

 両陛下は式典に先立ち、受賞者から研究内容の説明を受けた。長谷川名誉教授が、地震発生には断層面に含まれる水が関わっていることを説明すると、天皇陛下は「いつごろからそういうことが分かるようになったんですか」と尋ねた。午後には受賞者らを皇居・宮殿に招いて茶会が催される。

2017年6月 8日 (木)

桂宮宜仁親王殿下ご薨去「三年式年祭墓所祭」

三笠宮家のご次男で天皇陛下の従兄弟にあたられた桂宮宜仁親王殿下がご薨去(こうきょ)されてから3年を迎えた8日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で「三年式年祭墓所祭」が営まれ、母の三笠宮百合子妃殿下皇太子殿下秋篠宮紀子妃殿下など皇族方をはじめ、天皇皇后両陛下のご長女、黒田清子さんらが参列された。

三笠宮百合子妃殿下は墓前で車いすから立ち上がり、玉串をささげてご拝礼され、皇族方も順次拝礼された。天皇皇后両陛下は慣例により参列されず、使者を送られた。

同日午前には、東京・元赤坂の三笠宮邸で「霊舎祭」が執り行われた。

桂宮宜仁親王殿下ご薨去三周年にあたり、改めて謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

リンク:桂宮さま 三年式年祭営まれる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:桂宮さましのび三年式年祭 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

桂宮さま 三年式年祭営まれる
6/9(金) 10:51配信 ホウドウキョク

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(写真:ホウドウキョク)

天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまが亡くなられて、3年となる8日、墓所で祭祀(さいし)が行われた。
桂宮さまを悼む墓所祭は、午後2時から、東京・文京区の豊島岡墓地で行われ、皇太子さまや、秋篠宮妃紀子さまなど皇族方をはじめ、天皇皇后両陛下の長女、黒田清子(さやこ)さんなど34人が参列した。
両陛下は、慣例に従い参列せず、使者を遣わされた。
桂宮さまの母で、94歳の三笠宮妃百合子さまは、使者の拝礼に続いて墓所の前へと進み、車いすから立ち上がり、玉ぐしをささげ拝礼し、2番目の息子となる桂宮さまをしのばれていた。


桂宮さましのび三年式年祭
6/8(木) 17:52配信 時事通信

 桂宮さまが亡くなって3年となる8日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で三年式年祭「墓所祭」が営まれ、母親の三笠宮妃百合子さまや皇太子さま、秋篠宮妃紀子さまらが参列された。

 最初に天皇、皇后両陛下の使者が玉串をささげて拝礼。続いて百合子さまも車椅子から立ち上がって頭を下げ、ほかの参列者も続いた。これに先立つ同日午前には東京・元赤坂の三笠宮邸で「霊舎祭」が営まれた。

2017年6月 6日 (火)

三笠宮寛仁親王殿下ご薨去「五年式年祭墓所祭」

三笠宮家のご長男で天皇陛下の従兄弟にあたられた寛仁親王殿下がご薨去(こうきょ)されてから5年を迎えた6日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で「五年式年祭墓所祭」が営まれ、母の三笠宮百合子妃殿下長女の彬子女王殿下次女の瑶子女王殿下皇太子殿下秋篠宮殿下ご夫妻など皇族方をはじめ、天皇皇后両陛下のご長女、黒田清子さんらも参列された。

三笠宮百合子妃殿下は墓前で車いすから立ち上がり、玉串をささげてご拝礼され、皇族方も順次拝礼された。天皇皇后両陛下は慣例により参列されず、使者を送られた。

同日午前には、東京・元赤坂の三笠宮邸で「霊舎祭」が執り行われた。

三笠宮寛仁親王殿下ご薨去五周年にあたり、改めて謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

リンク:両陛下、三笠宮寛仁さまの墓拝礼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、寛仁さまの墓参 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:拝礼される天皇陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、寬仁親王殿下の墓所をご参拝 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、寛仁さまの墓参 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮寛仁さま墓所祭 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:寛仁さましのび、五年式年祭 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:寬仁親王殿下の命日、墓所祭営まれる - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

両陛下、三笠宮寛仁さまの墓拝礼
6/14(水) 23:26配信 ホウドウキョク

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(写真:ホウドウキョク)

天皇皇后両陛下は、三笠宮寛仁さまの墓を拝礼された。
両陛下は14日午前10時半ごろ、豊島岡墓地に到着し、出迎えた寛仁さまの長女・彬子さまとともに、寛仁さまの墓へと向かわれた。
陛下のいとこにあたり、「ひげの殿下」として親しまれた寛仁さまが亡くなって、6月6日で5年がたち、両陛下は、静かに玉ぐしをささげ、寛仁さまをしのんで、深く拝礼された。
墓前には、母、三笠宮妃百合子さまが立ち会われ、両陛下は、94歳の百合子さまをねぎらわれていた。


両陛下、寛仁さまの墓参
時事通信 6/14(水) 12:35配信

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三笠宮家の彬子さまに迎えられ、寛仁さまの墓に向かわれる天皇、皇后両陛下=14日午前、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影)


拝礼される天皇陛下
時事通信 6/14(水) 12:09配信

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三笠宮家の寛仁さまの墓に拝礼される天皇陛下=14日午前、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影)


両陛下、寬仁親王殿下の墓所をご参拝
6/14(水) 11:36配信 産経新聞

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寛仁さまの墓に向かわれる天皇、皇后両陛下=14日午前10時44分、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影)(写真:産経新聞)

 天皇、皇后両陛下は14日、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、陛下のいとこにあたる寬仁親王殿下の墓所を参拝された。

 寬仁さまが薨去(こうきょ)されてから5年の命日だった今月6日には、同墓地などで五年式年祭が営まれたが、両陛下は慣例により参列せず、日を改めて訪問された。

 両陛下は寬仁さまの母、三笠宮妃百合子さまと長女の彬子さまの出迎えを受けた後、順番に墓前に進み、玉串をささげて深々と拝礼された。


両陛下、寛仁さまの墓参
6/14(水) 11:23配信 時事通信

 天皇、皇后両陛下は14日午前、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、2012年6月に亡くなった三笠宮家の寛仁(ともひと)さまの墓にお参りされた。

 両陛下は今月6日に行われた五年式年祭には慣例で参列していなかった。

 モーニングと和服姿の両陛下は、寛仁さまの長女彬子(あきこ)さまに出迎えられ墓所に到着。三笠宮妃百合子さまらが見守る中、それぞれ墓前に進むと玉串をささげ、深々と拝礼した。


三笠宮寛仁さま墓所祭
6/6(火) 22:59配信 ホウドウキョク

808
(写真:ホウドウキョク)

天皇陛下のいとこで、「ひげの殿下」として親しまれた、三笠宮寛仁さまが亡くなられて5年の命日にあたる6日、墓所祭が営まれた。
寛仁さまの墓所祭は、午後2時から東京・文京区の豊島岡墓地で行われ、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻など、皇族方をはじめ、天皇皇后両陛下の長女、黒田清子さんなども参列した。
両陛下は、慣例に従い参列せず、使者を遣わされ、寛仁さまの母で、94歳の三笠宮妃百合子さまは、墓の前で車いすから立ち上がり、玉串をささげられた。
長女・彬子さまや、次女の瑶子さまも拝礼し、66歳で亡くなられた寛仁さまをしのばれた。


寛仁さましのび、五年式年祭
6/6(火) 16:43配信 時事通信

 三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが亡くなってから5年となる6日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で五年式年祭「墓所祭」が営まれ、母親の三笠宮妃百合子さま、長女彬子さま、次女瑶子さま、皇太子さまらが参列された。

 天皇、皇后両陛下の使者が墓所に玉串をささげ、百合子さまが車椅子から立ち上がって拝礼した。同日午前には、東京・元赤坂の三笠宮東邸で「霊舎祭」が営まれた。


寬仁親王殿下の命日、墓所祭営まれる
6/6(火) 16:32配信 産経新聞

 天皇陛下のいとこにあたる寬仁親王殿下が亡くなられてから5年の命日を迎えた6日、東京都文京区の豊島岡墓地で五年式年祭の「墓所祭」が営まれた。しきたりで参列されない天皇、皇后両陛下の使者を務めた侍従に続き、母の三笠宮妃百合子さまが墓前に玉串をささげられた。長女の彬子さま、次女の瑶子さまも墓前で深々と拝礼された。皇太子さまや秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も参列された。

 これに先立ち、東京都港区の赤坂御用地内にある三笠宮東邸では「霊舎祭」が営まれた。

2017年4月27日 (木)

眞子内親王殿下がご乗車の車が自損事故、おけがはなし

26日午後6時ごろ、東京都千代田区の東京国際フォーラム前の交差点で、秋篠宮殿下ご夫妻のご長女、眞子内親王殿下がご乗車の宮内庁の乗用車が右折する際、中央分離帯に接触する事故を起こしていたことが27日、同庁への取材で分かった。この事故で乗用車の右の後輪がパンクし走行不能となったが、眞子内親王殿下におけがはなく、また運転していた同庁の男性職員にもけがはなかった。

宮内庁によると、乗用車は41歳の同庁職員が運転していた。眞子殿下は別の車に乗り換え、元赤坂の宮邸に戻られたという。同庁は「運転手の不注意と初歩的な運転ミス」が原因としている。

昨年11月には相模原市内の中央道で、秋篠宮妃紀子殿下とご長男の悠仁親王殿下がご乗車された宮内庁職員が運転するワゴン車が乗用車に追突する事故を起こしていた。

リンク:<眞子さま>乗用車が自損事故、けがなし 宮内庁職員運転 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:眞子さまお乗せの車、都内で自損事故 けがなし - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:眞子さまの車が自損事故=走行不能に、けが人なし - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<眞子さま>乗用車が自損事故、けがなし 宮内庁職員運転
毎日新聞 4/27(木) 12:57配信

767
秋篠宮家の長女眞子さま=皇居・宮殿「松の間」で2017年1月13日午前11時35分、長谷川直亮撮影

 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま(25)が乗られた乗用車が26日夕、東京都内で自損事故を起こしたが、眞子さまを含めてけが人はなかった。27日、宮内庁への取材で分かった。

 同庁によると、26日午後6時ごろ、東京都千代田区の交差点で、同庁職員(41)が運転する乗用車が右折した際、中央分離帯に後部右側のタイヤが接触してパンクした。車には眞子さまが乗っていたがけがはなかった。

 昨年11月には、秋篠宮妃紀子さま(50)と長男悠仁さま(10)が乗ったワゴン車が追突事故を起こしており、同庁は「(職員の)安全運転意識の向上を徹底させたい」としている。【高島博之】


眞子さまお乗せの車、都内で自損事故 けがなし
産経新聞 4/27(木) 12:49配信

 26日午後6時ごろ、東京都千代田区の東京国際フォーラム前の交差点で、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが乗られた乗用車が右折する際、中央分離帯と接触する事故を起こしていたことが、宮内庁への取材で分かった。この事故で右の後輪がパンクしたが、眞子さまや、同乗者にけがはなかった。

 宮内庁によると、乗用車は41歳の同庁職員が運転していた。車は自走不能となったが、眞子さまは別の車に乗り換え、元赤坂の宮邸に戻られたという。同庁は「運転手の不注意と初歩的な運転ミス」が原因としている。

 昨年11月には相模原市内の中央道で、秋篠宮妃紀子さまと長男の悠仁さまが乗られたワゴン車が乗用車に追突する事故があった。


眞子さまの車が自損事故=走行不能に、けが人なし
時事通信 4/27(木) 12:26配信

 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま(25)を乗せた宮内庁の乗用車が、東京都千代田区の交差点で中央分離帯に接触する自損事故を起こしていたことが27日、同庁への取材で分かった。

 眞子さまや、運転していた同庁の男性職員(41)にけがはなかった。

 宮内庁によると、眞子さまの乗用車は26日午後6時すぎ、千代田区の東京国際フォーラム西側の交差点を右折しようとした際に、右後輪が中央分離帯に接触。タイヤがパンクしたため車は走行不能に陥り、眞子さまは別の車に乗り換えて宮邸に戻られたという。

2017年4月24日 (月)

佳子内親王殿下、9月からイギリス・リーズ大にご留学

秋篠宮家の次女、佳子内親王殿下が、今年9月からイギリス・リーズ大にご留学されることが24日、宮内庁から発表された。

佳子内親王殿下は現在、国際基督教大学(International Christian University、ICU)の3年としてご在学中だが、昨年10月に同大の交換留学プログラムにご応募され、書類選考や面接試験などを経て今年3月にリーズ大へのご留学が決定した。来年6月までのコースで夏ごろにご帰国の予定とされる。皇室の方々が同大で学ばれるのは初めて。履修科目は未定だが、心理学や美術に関心を持たれているという。

佳子殿下は学習院大1年の25年には、米国で1カ月間のホームステイをご経験された。またご長女の眞子内親王殿下はICU3年だった24年に同じプログラムを利用し、イギリス・エディンバラ大にご留学、その後26年にはイギリス・レスター大学大学院にご留学されている。

リンク:秋篠宮佳子さま、イギリス留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>佳子さま英国のリーズ大に留学へ ICUの制度利用 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、英中部の名門・リーズ大に短期留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、9月に英国ご留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、英国へ短期留学=今年9月からリーズ大に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

秋篠宮佳子さま、イギリス留学へ
ホウドウキョク 4/24(月) 20:40配信

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(写真:ホウドウキョク)

秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまは、2017年9月から、イギリスのリーズ大学へ短期留学されることになった。
佳子さまは、ICU(国際基督教大学)の3年に在学中で、宮内庁によると、以前から留学に関心があり、ICUの交換留学制度を利用し、2017年9月からおよそ1年間、イギリスのリーズ大学に留学されるという。
ウエスト・ヨークシャー州にあるリーズ大学は、伝統ある国立大学で、佳子さまは、この大学を自ら志望し、ICU内での選考試験を経て、3月に留学が決まったという。
佳子さまは、心理学や芸術などに関心があり、幅広い分野で学ぶことを希望されているという。
姉の眞子さまもICU在学中、同じ制度を利用して、イギリスに留学されている。
佳子さまは、2013年の夏休みに、アメリカでホームステイを経験されているが、留学は今回が初めて。


<皇室>佳子さま英国のリーズ大に留学へ ICUの制度利用
毎日新聞 4/24(月) 20:30配信

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秋篠宮家の次女佳子さま=代表撮影

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さま(22)が、9月から来年6月まで英国のリーズ大に短期留学されると発表した。佳子さまは昨年10月にICUの交換留学プログラムに申し込み、書類選考と面接を経て留学が決まった。

 姉の眞子さま(25)もICU3年時の2012年9月から、同プログラムを利用して英エディンバラ大に留学された。【高島博之】


佳子さま、英中部の名門・リーズ大に短期留学へ
読売新聞 4/24(月) 19:19配信

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佳子さま

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で、国際基督教大の3年生の佳子さま(22)が今年9月から、英・リーズ大学に短期留学されると発表した。

 期間は来年6月頃までの予定。佳子さまの海外留学は初めて。

 宮内庁によると、佳子さまは、書類や面接選考を経て、今年3月に留学が決定した。学部や専攻は今後決めるが、心理学や美術に関心を示されているという。

 リーズ大は1904年設立の英国中部の名門大学で、6000人以上の留学生を受け入れている。


佳子さま、9月に英国ご留学へ
産経新聞 4/24(月) 16:37配信

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さまが9月から英中部のリーズ大に留学されると発表した。来年6月までのコースで夏ごろに帰国される。皇室の方々が同大で学ばれるのは初めて。履修科目は未定だが、心理学や美術に関心を持たれているという。

 宮内庁によると、佳子さまは昨年10月、ICUの交換留学プログラムに応募され、書類選考や面接試験などを経て今年3月にリーズ大での受け入れが決まった。教職員と相談し、世界各国から留学生が集まるなど文化的に多様性がある同大を選ばれたという。

 佳子さまの外国ご訪問は3度目。学習院大1年だった25年には8~9月の約1カ月間、米国でホームステイを経験された。姉の眞子さまはICU3年だった24年に同じプログラムを利用し、英国エディンバラ大に留学されている。


佳子さま、英国へ短期留学=今年9月からリーズ大に
時事通信 4/24(月) 16:28配信

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さま(22)が今年9月から、英国のウエスト・ヨークシャー州にあるリーズ大に短期留学されると発表した。

 宮内庁によると、佳子さまは昨年ICUの交換留学プログラムに出願し、書類選考などを経て、今年3月にリーズ大から留学受け入れの回答を受けた。同大は英国でも国際性が高いといい、各国から多くの留学生を受け入れていることや、幅広い科目の履修が可能なことなどから、佳子さまが自ら留学先に選んだという。

 帰国は来年夏ごろの見通しで、その後は引き続きICUで学ぶ。大学間の交換留学協定で、留学先での取得単位はICUの単位として認められるため、4年で卒業が可能という。所属する学部や、現地での住まいなどはまだ決まっていない。

2017年4月18日 (火)

渡部昇一氏が死去 戦後の売国風潮を敢然と批判した勇気ある言論人

英語学者・評論家で第1回正論大賞を受賞した上智大名誉教授の渡部昇一氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

昭和51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

※以上、産経新聞報道から抜粋。

渡部昇一氏の生前の業績に深く敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りする。

リンク:第1回正論大賞の渡部昇一氏が死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一さん死去、86歳 保守の論客、『知的生活の方法』 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏が死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏が死去=保守派の評論家 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:保守派の論客、渡部昇一さん死去…86歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:評論家の渡部昇一氏が死去 「知的生活の方法」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

第1回正論大賞の渡部昇一氏が死去
SankeiBiz 4/19(水) 8:15配信

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(写真:フジサンケイビジネスアイ)

 産経新聞正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。

 1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授を経て教授に。76年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は100万部超のベストセラーとなった。

 一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として85年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。


渡部昇一さん死去、86歳 保守の論客、『知的生活の方法』
J-CASTニュース 4/18(火) 12:03配信

 『知的生活の方法』のベストセラーを出し、保守派の論客として知られた英語学者で、上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)さんが、2017年4月17日、心不全で死去した。86歳だった。各メディアが報道した。

 昨16年秋には、天皇陛下の生前退位を巡り、専門家として意見を求められ、退位ではなく「摂政」で対応すべきとの見解を明らかにしていた。

■第1回正論大賞を受賞

 1930年、山形県生まれ。上智大学、同大学院を経て、独ミュンスター大学、英オックスフォード大学に留学。上智大学教授などを務めた。

 英語学者として英文法史などを研究するかたわら、75年の『腐敗の時代』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。76年に出版した『知的生活の方法』は100万部を超えるベストセラーとなり、一躍名前を知られるようになった。

 80年代に入ってから次第に保守派論客としての活動が多くなり、85年には第1回正論大賞を受けた。歴史教科書、東京裁判、従軍慰安婦問題などで盛んに発言した。

 多数の著書があり、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』などの翻訳も手がけた。


渡部昇一氏が死去
時事通信 4/18(火) 11:02配信

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保守派の評論家として知られた英語学者で、上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が18日までに死去した。86歳だった。山形県出身=2000年撮影

(時事通信社)


渡部昇一氏が死去=保守派の評論家
時事通信 4/18(火) 10:46配信

 保守派の評論家として知られた英語学者で、上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。

 86歳だった。山形県鶴岡市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻迪子(みちこ)さん。

 上智大大学院修士課程、独ミュンスター大大学院博士課程修了。1971年から上智大教授。旧文部省の臨時教育審議会専門委員などを務めた。著書に「実践・快老生活」「知的生活の方法」など。

 天皇退位を検討する政府の有識者会議に専門家として招かれ、退位に反対する立場から意見を述べていた。


保守派の論客、渡部昇一さん死去…86歳
読売新聞 4/18(火) 1:13配信

 保守派の論客として知られた英語学者で、上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)さんが、17日午後、心不全で死去した。

 86歳だった。告別式は近親者のみで行う予定。後日、お別れの会を開く。喪主は妻の迪子(みちこ)さん。

 渡部さんは1930年、山形県生まれ。上智大学、同大学院を経て、独ミュンスター大学、英オックスフォード大学に留学。帰国後、上智大学で教壇に立ち、後に教授に就任した。

 英語学者として英文法史などを研究するかたわら、日本のあり方について保守派の立場から積極的に発言した。

 「不平等主義のすすめ」「日本史から見た日本人」など著書多数。「知的生活の方法」はミリオンセラーになった。76年には「腐敗の時代」で日本エッセイストクラブ賞を、85年には第1回正論大賞を受けた。


渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人
産経新聞 4/18(火) 1:04配信

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講演後に談笑する渡部昇一さん(右)とジャーナリストの櫻井よしこさん=平成25年9月12日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)(写真:産経新聞)

 産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

 人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

 もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。

 批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

 大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

 繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

 ■ジャーナリストの櫻井よしこさんの話「非常に博識で、歴史問題や東京裁判などあらゆるテーマについて精通しておられた。日本の国柄について、優しい語り口で解説することができる、かけがえのない存在です。今、日本はとても大事なところに立っていて、渡部先生に先頭に立って日本のあるべき姿を論じていただけたら、どんなに力になったかと思うと本当に残念です」


評論家の渡部昇一氏が死去 「知的生活の方法」
産経新聞 4/18(火) 1:01配信

 本紙正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

 昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

 48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

 57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

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