人物・伝記

2017年4月18日 (火)

渡部昇一氏が死去 戦後の売国風潮を敢然と批判した勇気ある言論人

英語学者・評論家で第1回正論大賞を受賞した上智大名誉教授の渡部昇一氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

昭和51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

※以上、産経新聞報道から抜粋。

渡部昇一氏の生前の業績に深く敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りする。

リンク:第1回正論大賞の渡部昇一氏が死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一さん死去、86歳 保守の論客、『知的生活の方法』 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏が死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏が死去=保守派の評論家 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:保守派の論客、渡部昇一さん死去…86歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:評論家の渡部昇一氏が死去 「知的生活の方法」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

第1回正論大賞の渡部昇一氏が死去
SankeiBiz 4/19(水) 8:15配信

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(写真:フジサンケイビジネスアイ)

 産経新聞正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。

 1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授を経て教授に。76年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は100万部超のベストセラーとなった。

 一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として85年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。


渡部昇一さん死去、86歳 保守の論客、『知的生活の方法』
J-CASTニュース 4/18(火) 12:03配信

 『知的生活の方法』のベストセラーを出し、保守派の論客として知られた英語学者で、上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)さんが、2017年4月17日、心不全で死去した。86歳だった。各メディアが報道した。

 昨16年秋には、天皇陛下の生前退位を巡り、専門家として意見を求められ、退位ではなく「摂政」で対応すべきとの見解を明らかにしていた。

■第1回正論大賞を受賞

 1930年、山形県生まれ。上智大学、同大学院を経て、独ミュンスター大学、英オックスフォード大学に留学。上智大学教授などを務めた。

 英語学者として英文法史などを研究するかたわら、75年の『腐敗の時代』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。76年に出版した『知的生活の方法』は100万部を超えるベストセラーとなり、一躍名前を知られるようになった。

 80年代に入ってから次第に保守派論客としての活動が多くなり、85年には第1回正論大賞を受けた。歴史教科書、東京裁判、従軍慰安婦問題などで盛んに発言した。

 多数の著書があり、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』などの翻訳も手がけた。


渡部昇一氏が死去
時事通信 4/18(火) 11:02配信

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保守派の評論家として知られた英語学者で、上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が18日までに死去した。86歳だった。山形県出身=2000年撮影

(時事通信社)


渡部昇一氏が死去=保守派の評論家
時事通信 4/18(火) 10:46配信

 保守派の評論家として知られた英語学者で、上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。

 86歳だった。山形県鶴岡市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻迪子(みちこ)さん。

 上智大大学院修士課程、独ミュンスター大大学院博士課程修了。1971年から上智大教授。旧文部省の臨時教育審議会専門委員などを務めた。著書に「実践・快老生活」「知的生活の方法」など。

 天皇退位を検討する政府の有識者会議に専門家として招かれ、退位に反対する立場から意見を述べていた。


保守派の論客、渡部昇一さん死去…86歳
読売新聞 4/18(火) 1:13配信

 保守派の論客として知られた英語学者で、上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)さんが、17日午後、心不全で死去した。

 86歳だった。告別式は近親者のみで行う予定。後日、お別れの会を開く。喪主は妻の迪子(みちこ)さん。

 渡部さんは1930年、山形県生まれ。上智大学、同大学院を経て、独ミュンスター大学、英オックスフォード大学に留学。帰国後、上智大学で教壇に立ち、後に教授に就任した。

 英語学者として英文法史などを研究するかたわら、日本のあり方について保守派の立場から積極的に発言した。

 「不平等主義のすすめ」「日本史から見た日本人」など著書多数。「知的生活の方法」はミリオンセラーになった。76年には「腐敗の時代」で日本エッセイストクラブ賞を、85年には第1回正論大賞を受けた。


渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人
産経新聞 4/18(火) 1:04配信

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講演後に談笑する渡部昇一さん(右)とジャーナリストの櫻井よしこさん=平成25年9月12日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)(写真:産経新聞)

 産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

 人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

 もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。

 批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

 大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

 繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

 ■ジャーナリストの櫻井よしこさんの話「非常に博識で、歴史問題や東京裁判などあらゆるテーマについて精通しておられた。日本の国柄について、優しい語り口で解説することができる、かけがえのない存在です。今、日本はとても大事なところに立っていて、渡部先生に先頭に立って日本のあるべき姿を論じていただけたら、どんなに力になったかと思うと本当に残念です」


評論家の渡部昇一氏が死去 「知的生活の方法」
産経新聞 4/18(火) 1:01配信

 本紙正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

 昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

 48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。

 57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。

2017年4月13日 (木)

三笠宮瑶子女王殿下、右膝ねんざと診断

宮内庁は13日、故三笠宮寛仁親王殿下のご息女・瑶子女王殿下の右膝に痛みがあるため、12日に宮内庁病院で検査を受けられ、右膝のねんざと診断されたと発表した。

宮内庁によると、3月中旬に東京都内を友人と歩いていた際に貧血の症状で路面に膝をつき、その後痛みが強まったため、宮内庁病院でレントゲン検査などを受けられた。

日常生活に影響はないが、ご回復には1カ月以上かかる見通し。今後、20日に予定される春の園遊会などご公務への臨席を見送られる可能性があるという。

リンク:瑶子さま、貧血で右膝捻挫 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮家の瑶子さま右膝捻挫、貧血で立ちくらみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:瑶子さまが右膝ねんざ=宮内庁 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

瑶子さま、貧血で右膝捻挫
産経新聞 4/14(金) 0:02配信

 宮内庁は13日、三笠宮家の瑶子さまの右膝に痛みがあり、12日に宮内庁病院で捻挫との診断を受けられたと発表した。先月中旬に友人と都内を歩いていた際、貧血の症状で路面に膝をついて以降、お痛みが続いていたという。

 日常生活に影響はないが、ご回復に1カ月以上かかる見通し。今後、20日に予定される春の園遊会など公務への臨席を見送られる可能性があるという。


三笠宮家の瑶子さま右膝捻挫、貧血で立ちくらみ
読売新聞 4/13(木) 18:30配信

 宮内庁は13日、三笠宮家の瑶子(ようこ)さま(33)が右膝の痛みを訴えられ、宮内庁病院で捻挫と診断されたと発表した。

 同庁によると、瑶子さまは3月中旬、都内の歩道で、貧血による立ちくらみで両膝をつかれた。その後、公務や通常の生活を送っていたが、痛みが増してきたため、同病院で検査を受けられたという。


瑶子さまが右膝ねんざ=宮内庁
時事通信 4/13(木) 17:54配信

 宮内庁は13日、三笠宮家の瑶子さまが宮内庁病院で検査を受けられ、右膝のねんざと診断されたと発表した。

 完治には月単位の時間がかかるとみられ、20日に予定されている春の園遊会などを欠席する可能性がある。

 宮内庁によると、3月中旬に東京都内を友人と歩いていた際に立ちくらみを起こし、両膝を地面にぶつけていた。その後痛みが強まったため、12日に宮内庁病院でレントゲンなどの検査を受けたところ、ねんざと診断されたという。

2017年2月23日 (木)

皇太子殿下、今日23日、57歳のお誕生日をお迎え

皇太子殿下が今日23日、57歳のお誕生日をお迎えになられた。

皇太子殿下は今回のお誕生日に先立ち、21日に記者会見を行なわれ、天皇陛下が昨年8月に譲位の意向を表明されたことについて、心を揺さぶられたとした上で、お言葉を「常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたい」と述べられた。

リンク:皇太子さま57歳 陛下の譲位ご意向「心揺さぶられました」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:皇太子さま57歳 「国民に寄り添う」天皇像継承のご決意にじませ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:皇太子さま、57歳の誕生日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:陛下への思い切々と=お言葉「模索と熟慮の結果」―皇太子さま誕生日会見 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:陛下のお言葉「心揺さぶられた」=皇太子さま57歳に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:退位お言葉、心揺さぶられた…皇太子さま57歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇太子さま会見>雅子さまの「活動の幅広がる」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇太子さま>「国民を思い、祈る」中世・後奈良天皇に触れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇太子さま>次の天皇、にじむ覚悟 表情引き締め丁寧に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇太子さま>57歳 おことば「重く受け止めます」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

皇太子さま57歳 陛下の譲位ご意向「心揺さぶられました」
産経新聞 2/23(木) 7:55配信

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57歳の誕生日を前に、記者会見に臨まれる皇太子さま=21日、東京・元赤坂の東宮御所(松本健吾撮影)(写真:産経新聞)

 皇太子さまは23日、57歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に臨み、天皇陛下が昨年8月に譲位の意向を表明されたことについて、心を揺さぶられたとした上で、お言葉を「常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたい」と述べられた。皇位継承順位第1位の皇太子さまが、陛下の譲位に関するお言葉について公式に感想を述べられたのは初めて。

 皇太子さまは昨年8月の陛下のお言葉を、公務を終えた名古屋市の名古屋駅で「厳粛な思い」で聞かれたという。譲位の意向については、折に触れて陛下から直接聞いたり、陛下の姿やお話しぶりから推し量ることがあったとご説明。陛下が象徴天皇としての務めを果たす過程で「模索と熟慮の結果を踏まえ」られたとの認識を示された。

 「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」と案じた陛下のお言葉には「とても心を揺さぶられました」とし、譲位の意向表明に至った背景については「十分お察し申し上げている」と述べられた。また「今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたい」との意向を示された。

 天皇、皇后両陛下の今後についても言及し、「御自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています」と気遣われた。


皇太子さま57歳 「国民に寄り添う」天皇像継承のご決意にじませ
産経新聞 2/23(木) 7:55配信

 皇太子さまは57歳の誕生日を前にした記者会見で、慎重に言葉を選びながらも自らの「象徴天皇像」に触れ「祈り」「国民に常に寄り添う」天皇を継承する決意をにじませられた。過去の天皇に思いをはせながら、国民とともに歩まれてきた天皇陛下に倣う姿勢を示された形だ。皇太子さまは象徴天皇の在り方に関する質問に対し、16世紀の第105代、後奈良天皇を例示された。昨年8月、後奈良天皇が疫病に苦しむ人々を案じ、神社などに奉納するために書いた写経を見て、「徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」との思いが添え書きされていることに気づかれたという。

 皇太子さまは、被災地訪問などで感じた「直接国民と接することの大切さ」について、「都を離れることがかなわなかった過去の天皇も(同じ考えを)強くお持ちでいらっしゃった」と推測された。天皇陛下が過去に述べられた、国民と苦楽を共にし、国民の幸せを願うことの必要性にも言及された。その上で皇太子さまは、象徴天皇の活動として「国民を思い、国民のために祈る」ことを挙げ「国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたい」と結ばれた。これは、陛下が昨年8月のお言葉で「天皇の務め」として述べられた内容とほぼ重なる。象徴天皇の理想を、陛下をはじめとする歴代天皇に見いだされようとしていることがうかがえる。


皇太子さま、57歳の誕生日
ホウドウキョク 2/23(木) 7:37配信

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(写真:ホウドウキョク)

皇太子さまは23日、57歳の誕生日を迎えられた。事前に行われた記者会見で、皇太子さまは、天皇陛下のお気持ち表明について、「とても心を揺さぶられました」と心境を明かされた。
皇太子さまは「(陛下が)『全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか』と御案じになられていることに、とても心を揺さぶられました」と述べられた。
皇太子さまは、2016年8月、退位の思いがにじんだ陛下のビデオメッセージを、「厳粛な思いで伺いました」と振り返ったうえで、次の皇位継承者として、「真摯(しんし)に重く受け止め、常に心にとどめつつ務めに取り組んで参りたい」と述べられた。
陛下のお気持ち表明後、皇太子さまが感想を述べられるのは、これが初めて。
象徴天皇のあり方については、両陛下のように「国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむということを続けていきたい」との考えを示された。
また、中学校卒業を控えた長女・愛子さまの体調については、「今は普段通り、学校生活に戻っております」と説明し、雅子さまと共にご一家で臨む行事も増え、「私たち家族としては、活動の幅を広げることができた1年ではなかったか」と振り返られた。


陛下への思い切々と=お言葉「模索と熟慮の結果」―皇太子さま誕生日会見
時事通信 2/23(木) 5:05配信

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雅子さま、愛子さまと過ごされる皇太子さま=12日午後、東宮御所(宮内庁提供)

 57歳の誕生日を前に、記者会見に臨まれた皇太子さま。

 次の天皇として、退位の意向をにじませた天皇陛下に対する思いや、自身が描く象徴天皇像を、準備した原稿に時折目を落としながら、切々と口にした。

 「(天皇、皇后)両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ、真摯(しんし)に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました」。4歳だった1964年の東京五輪をはじめ、ボーイスカウトの大会や高校総体、冬季国体などの行事に、両陛下と一緒に出席したことを回顧。「陛下はご即位以来、長年象徴天皇として、そのあるべき姿について真摯に模索してこられた。今回のお考えは、そうした模索と熟慮の結果を踏まえ、おまとめになられたものであろう」と推し量った。

 退位に関する陛下の考えをいつどのような形で聞いたのかは「折に触れて」などとして明言しなかった。両陛下の今後について「ご自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないか」と気遣い、「お仕事の一つ一つを心から大切にしてこられた陛下のお気持ちを十分踏まえ、私をはじめ、皇族が適切に役割を担っていくことが重要」と、公務の引き継ぎや分担に言及した。

 陛下のビデオメッセージ公表前日の昨年8月7日、愛知県西尾市で戦国時代の後奈良天皇が自ら写経した書を見た。飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛めていたことを知り、「時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます」と述べた。


陛下のお言葉「心揺さぶられた」=皇太子さま57歳に
時事通信 2/23(木) 5:04配信

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誕生日を前に記者会見される皇太子さま=21日午後、東宮御所「檜の間」(代表撮影)

 皇太子さまは23日、57歳の誕生日を迎えられた。

 これに先立ち東宮御所(東京都港区)で記者会見。退位の意向を強くにじませた昨年8月の天皇陛下のビデオメッセージについて、「陛下が『全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか』とご案じになられていることに、とても心を揺さぶられました」と語った。

 皇太子さまが公の場で陛下のビデオメッセージへの感想を述べたのは初めて。「厳粛な思いで伺いました」と述べ、「陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げている」と言及。「陛下のお考えを真摯(しんし)に重く受け止め、私自身が活動に当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたい」と話した。

 次の天皇として、象徴天皇の在り方に関し、「過去の天皇が歩んでこられた道と、(象徴天皇制を定めた)憲法の規定に思いを致して、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けることが大切」と従来の考えを改めて説明。「(天皇、皇后)両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむことを続けていきたい」と述べ、「時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい」とも語った。

 長期療養が続く雅子さまについて「活動の幅が広がってきていることを、うれしく思っております。一方で、依然体調には波もあります」と説明。昨秋に体調を崩し、学校の欠席が続いた長女愛子さまについては「ご心配をお掛けしましたが、雅子の支えもあり、今は普段通り学校生活に戻っております」と話した


退位お言葉、心揺さぶられた…皇太子さま57歳
読売新聞 2/23(木) 5:03配信

 皇太子さまは23日、57歳の誕生日を迎え、これに先立ち、お住まいの東宮御所で記者会見された。

 天皇陛下が昨年8月、退位の意向を示唆された「お言葉」について、公の場で初めて言及し、「両陛下がまさになさっておられるように国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたい」と陛下が模索されてきた象徴天皇の在り方を継承する考えを表明された。

 退位の意向について、陛下から特別な場で話があったわけではなく、折に触れて直接聞き、お姿やお話しぶりから推し量られることもあったという。陛下がお言葉のなかで、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」と案じられたことに「心を揺さぶられた」と振り返られた。これからは、ご自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよい、と両陛下を気遣われた。


<皇太子さま会見>雅子さまの「活動の幅広がる」
毎日新聞 2/23(木) 5:02配信

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地図などを見ながら談笑される皇太子ご一家=東京都港区の東宮御所で2017年2月12日、宮内庁提供

 皇太子さまは57歳の誕生日を前にした記者会見で、療養生活が続く雅子さまについて、「活動の幅が広がってきている」と話された。昨年6月に岩手県で東日本大震災の被災地の復興状況を共に視察したことなどをその例に挙げ、「本人の自信にもつながり、私としてもうれしく思っている」と述べ、「引き続き快復を温かく見守っていただければありがたく思います」と語った。

 また皇太子さまは、中学3年で15歳の長女愛子さまについて「皇族としての務めに理解を深め、自覚と役割を学びつつあるように思う」と述べた。愛子さまは、昨年秋に一時体調を崩したが、今はふだん通りの生活に戻っているという。


<皇太子さま>「国民を思い、祈る」中世・後奈良天皇に触れ
毎日新聞 2/23(木) 5:01配信

 皇太子さまは57歳の誕生日を前にした記者会見で、戦国時代の後奈良天皇(在位1526~57年)が、飢饉(ききん)や疫病の流行に苦しむ人々のために「般若心経」を書写した歴史に触れられた。日本中世史を専攻した歴史家らしく、「過去の天皇が歩んでこられた道」を説明。「先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈る」と、活動の在り方についての考えを語った。

 後奈良天皇は、国の平安を祈念して般若心経を書写し、各地の神社などに奉納した。皇太子さまは、天皇陛下がおことばを公表された前日の昨年8月7日、愛知県の西尾市岩瀬文庫で、後奈良天皇の宸翰(しんかん)(天皇の直筆文書)の般若心経を見たと明かした。奥書に<私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている>との思いが記されたものも現存することを解説。「時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます」と述べた。

 同文庫は古書の博物館。皇太子さまは、国際会議出席のために愛知県を訪れた際、同文庫に立ち寄った。


<皇太子さま>次の天皇、にじむ覚悟 表情引き締め丁寧に
毎日新聞 2/23(木) 5:01配信

 「厳粛な思いで伺いました」。57歳の誕生日を前にした記者会見で、天皇陛下の退位の意向がにじむおことばについてそう述べられた皇太子さま。引き締まる表情に、皇位を継ぐ立場としての覚悟が表れた。皇太子さまは、これまでの誕生日会見でも象徴天皇の在り方に関する考えをたびたび表明している。近年は陛下の公務を少しずつ引き継ぎ、皇室での役割を広げつつある。【高島博之、山田奈緒】

【誕生日を前に記者会見される皇太子さま】

 お住まいの東宮御所(東京都港区)で21日に行われた会見。皇太子さまは緊張した様子で席に着き、用意したメモ数枚を机でトントンとそろえた。発言中は、正面に視線を向けることに努めながらも、何度もメモに目を落とし、丁寧な口調で慎重に自身の考えを語った。

 天皇陛下のおことばが昨年8月8日に公表されて以来、初めての会見。自身の発言に関心が集まる中、ひとつひとつの言葉を正確に伝えようとの思いが表れていた。「両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います」

 皇太子さまは毎年、誕生日にあわせて会見をしている。質問は宮内記者会に所属する報道各社が取りまとめ、会見時間はおおむね30分。1年の出来事を振り返り感想を述べる一方、象徴天皇や皇室の在り方に関して発言することも多い。

 2010年には、皇室像への考えを尋ねる質問を受け、「天皇は国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切」と述べた。同じ考えを、今回の会見でも語っている。

 01年の会見では「国民が皇室に対して、何を望んでいるか、何を期待しているかを的確に感じとることが重要です。時代に即した公務の内容というものも考えていく必要がある」と述べた。

 近年は、天皇陛下からいくつかの公務を引き継いでいる。15年には「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問、16年には国際緊急援助隊などとの面会4件を陛下から譲り受けた。今月19日の冬季アジア札幌大会開会式では、陛下の代理として開会を宣言した。

 皇太子さまは1960年2月23日に生まれ、名前は徳仁(なるひと)。幼少時の称号は浩宮(ひろのみや)。学習院大を卒業後、大学院に進み、英国のオックスフォード大にも留学した。水に関する諸問題の研究に長く取り組んでおり、07~15年には国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁を務めた。


<皇太子さま>57歳 おことば「重く受け止めます」
毎日新聞 2/23(木) 5:01配信

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誕生日を前に記者会見される皇太子さま=東宮御所「檜の間」で2017年2月21日午後4時4分(代表撮影)

 皇太子さまは23日、57歳の誕生日を迎えられた。誕生日に先立ち記者会見し、昨年8月8日に天皇陛下が退位の意向がにじむおことばを公表されたことについて「お考えを真摯(しんし)に重く受け止めますとともに、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたい」と述べた。陛下のおことば公表後に、皇位継承順位1位の皇太子さまが公の場で感想を語るのは初めて。

 皇太子さまは、愛知県から帰京中のJR名古屋駅で、おことばのビデオメッセージをテレビ放送で見たという。この際の気持ちを「厳粛な思いで伺った」と振り返った。

 陛下の考えを初めて聞いた時期や場所については「特別な場でお話があったというわけではない」とした上で「折に触れてお考えを直接お聞かせいただいたり、お姿やお話しぶりから推し量ることもあった」と話した。公表に至った経緯を「模索と熟慮の結果を踏まえ、内閣をはじめ主な関係者ともご相談なさった上で、おまとめになられたと思う」と語った。

 おことばの中で陛下が、高齢になることで象徴の務めを全身全霊で果たすことが難しくなる懸念を示したことにも言及。一つ一つの行事に陛下が真摯に取り組む姿を間近に見てきたことを理由に、「心を揺さぶられたが、お気持ちがそこに至った背景は、十分お察し申し上げている」と強調した。

 会見では、象徴天皇の在り方について、「存在自体が重要である」との考え方と、「活動することに意味がある」との考え方が有識者の間で示されていることへの見解も尋ねられた。皇太子さまは「いろいろな考え方があることは承知しているが、私自身としては、勉強しながら今の陛下の例に倣いつつ考えていきたい」と答えた。【高島博之、山田奈緒】

2017年2月 3日 (金)

三笠宮崇仁殿下の墓所百日祭の儀

昨年の10月27日に100歳でご薨去(こうきょ)され、同11月4日に本葬にあたる斂葬(れんそう)の儀が執り行われた三笠宮崇仁殿下の「墓所百日祭の儀」が、3日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれ、天皇、皇后両陛下の使者に続いて、喪主の三笠宮百合子妃殿下が玉串をささげて拝礼。続いて秋篠宮殿下ご夫妻ら皇族方が順に拝礼された。

三笠宮崇仁殿下の御霊に、改めて謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

リンク:天皇皇后両陛下、三笠宮さまの墓所を訪れ拝礼される - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、三笠宮さまの墓所を参拝…豊島岡墓地 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、三笠宮さまの墓所をご参拝 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、三笠宮さまの墓参 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>両陛下が三笠宮さまの墓所を拝礼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮さまの「墓所百日祭の儀」が営まれる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮さまの墓所百日祭の儀 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<三笠宮さま>「墓所百日祭の儀」東京・豊島岡墓地で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮さまの百日祭 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮さまの百日祭 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

天皇皇后両陛下、三笠宮さまの墓所を訪れ拝礼される
ホウドウキョク 2/10(金) 8:21配信

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(写真:ホウドウキョク)

天皇皇后両陛下は9日、2016年10月に亡くなられた陛下の叔父にあたる三笠宮さまの墓所を訪れ、拝礼された。
両陛下は、9日午前11時前、東京・文京区の豊島岡墓地を訪問された。
三笠宮さまは、2016年10月に100歳で亡くなられ、亡くなって100日目の2月3日に、「墓所百日祭の儀」が営まれたが、両陛下は、皇室の慣例で出席せず、日をあらためて訪問された。
墓前には、喪主の三笠宮妃百合子さま、孫の彬子さまが立ち会われ、モーニングにコート姿の陛下と、黒い和服姿の皇后さまは、順番に静かに進み出て、玉串をささげ、深く拝礼された。
両陛下は、帰り際、高齢の百合子さまや彬子さまに歩み寄り、声をかけられていた。


両陛下、三笠宮さまの墓所を参拝…豊島岡墓地
読売新聞 2/9(木) 15:43配信

 天皇、皇后両陛下は9日、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地を訪れ、三笠宮さまの墓所を参拝された。

 昨年10月27日に亡くなられた三笠宮さまの百日祭の儀が終わったことを受けた拝礼。両陛下は三笠宮妃百合子さまと三笠宮さまの孫の彬子さまに迎えられた後、墓標の前で深く拝礼し、玉串をささげられた。


両陛下、三笠宮さまの墓所をご参拝
産経新聞 2/9(木) 13:19配信

 天皇、皇后両陛下は9日、豊島岡墓地(東京都文京区)にある三笠宮さまの墓所を参拝された。三笠宮さまの薨去(こうきょ)から100日目の今月3日に「墓所百日祭の儀」が営まれたが、両陛下は慣例で出席せず、日を改めて訪問された。

 モーニングにロングコート姿の天皇陛下、和装の喪服姿の皇后さまは喪主の三笠宮妃百合子さま、喪主代理の三笠宮家の彬子さまの出迎えを受け、順番に墓前に進み出て、玉串をささげて深々と拝礼された。

 両陛下は帰り際、車のそばで見送られた彬子さまに優しく声をかけられた。


両陛下、三笠宮さまの墓参
時事通信 2/9(木) 11:46配信

 天皇、皇后両陛下は9日午前、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、昨年10月に亡くなった三笠宮さまの墓にお参りされた。

 三笠宮さまの孫の彬子さまから出迎えを受けた両陛下は、墓前にそれぞれ玉串をささげ、深く拝礼した。車いすに乗った喪主の三笠宮妃百合子さまも、様子を見守った。


<皇室>両陛下が三笠宮さまの墓所を拝礼
毎日新聞 2/9(木) 11:45配信

 天皇、皇后両陛下は9日、東京都文京区の豊島岡墓地を訪問し、昨年10月27日に100歳で亡くなられた三笠宮さまの墓所で拝礼された。亡くなって100日目の「墓所百日祭の儀」は今月3日に同墓地で営まれたが、両陛下は皇室の慣例で参列せず、この日の拝礼となった。【高島博之】


三笠宮さまの「墓所百日祭の儀」が営まれる
ホウドウキョク 2/4(土) 13:36配信

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(写真:ホウドウキョク)

天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁さまが亡くなられて100日目にあたる3日、「墓所百日祭の儀」が行われた。
東京・文京区の豊島岡墓地で、3日午後2時すぎ、三笠宮さまが亡くなられてから100日目に行われる「墓所百日祭の儀」が営まれた。
儀式では、喪主をつとめる妃殿下の百合子さまが、車いすから立ち上がり、玉串をささげ、頭を深く下げられたのに続き、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も、三笠宮さまをしのんで深く拝礼された。
両陛下は慣例により参列せず、使者を通じて玉串をささげられ、皇太子ご夫妻は午前の儀式に参列された。


三笠宮さまの墓所百日祭の儀
産経新聞 2/4(土) 7:55配信

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三笠宮さまの「墓所百日祭の儀」で拝礼を終えられた喪主の三笠宮妃百合子さま=3日午後、東京都文京区の豊島岡墓地(松本健吾撮影)(写真:産経新聞)

 三笠宮さまが昨年10月27日に薨去(こうきょ)されてから100日目にあたる3日午後、豊島岡(としまがおか)墓地(東京都文京区)で「墓所百日祭の儀」が営まれ、喪主の三笠宮妃百合子さまをはじめとする皇族方が拝礼された。

 車いす姿の百合子さまは墓前で立ち上がって玉串をささげ、深々と頭を下げられた。秋篠宮ご夫妻、長女の眞子さま、次女の佳子さまの順に続かれた。

 これに先立つ同日午前、赤坂御用地(港区)の三笠宮邸では「権舎百日祭の儀」が行われ、墓所祭に参列しなかった皇太子ご夫妻が拝礼された。


<三笠宮さま>「墓所百日祭の儀」東京・豊島岡墓地で
毎日新聞 2/3(金) 20:45配信

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三笠宮さまの「墓所百日祭の儀」で拝礼を終えられた喪主の三笠宮妃百合子さま=東京都文京区の豊島岡墓地で2017年2月3日午後2時23分(代表撮影)

 三笠宮さまが100歳で亡くなられてから100日目となる3日、東京都文京区の豊島岡墓地で「墓所百日祭の儀」が営まれ、妻の百合子さまら皇族方が参列された。天皇、皇后両陛下の使者に続いて、出席者が拝礼した。一連の葬儀は10月27日の「墓所一周年祭の儀」まで続く。【高島博之】


三笠宮さまの百日祭
時事通信 2/3(金) 17:48配信

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三笠宮さまの「墓所百日祭の儀」で拝礼に向かわれる喪主の三笠宮妃百合子さま=3日午後、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影)

(時事通信社)


三笠宮さまの百日祭
時事通信 2/3(金) 15:34配信

 三笠宮さまが昨年10月に亡くなられてから100日となる3日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で「墓所百日祭の儀」が行われた。

 天皇、皇后両陛下の使者に続いて、喪主の三笠宮妃百合子さまが玉串をささげて拝礼。続いて秋篠宮ご夫妻ら皇族方が順に拝礼した。皇太子ご夫妻は公務などのため欠席した。

2017年1月26日 (木)

俳優の松方弘樹氏が死去・4

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

最初の記事
2番目の記事
3番目の記事

リンク:松方弘樹さんの事実婚妻 最期まで入籍しなかった理由 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:15年以上会えないまま届いた訃報…仁科克基「親父の作品を片っ端から…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK、2・2に松方さん追悼番組放送 BSフジでは1・29“最後の旅” - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

松方弘樹さんの事実婚妻 最期まで入籍しなかった理由
NEWS ポストセブン 1/27(金) 7:00配信

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松方弘樹さん事実婚女性が入籍しなかった理由とは?

 羽織袴や黒いスーツを着た男たちがずらりと並び、僧侶たちの読経の声がごうごうと響く。壮大な葬儀の祭壇に飾られるのは、志半ばで凶弾に倒れたある男(松方弘樹)の遺影だ。さぞ無念だっただろうと、男の友人(菅原文太)は祭壇に向かって“追悼”のピストルを撃つ──。キネマ旬報が「日本映画史上ベストテン」で第5位に選出する名作映画『仁義なき戦い』(1973年)のラストシーンだ。生き急ぐ男の揺れる心情を体現した松方さんの演技は出色で、この作品で一気に名優の仲間入りを果たす。

 俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため入院先の都内の大学病院で亡くなった。74才だった。しかし、『仁義なき戦い』のラストシーンのように、松方さんのために豪壮な葬儀が執り行われることはなかった。友人たちのほとんどは、その悲報をニュースで知り、お別れを告げる機会もなかった。

 松方さんの最期を看取ったのは、長年一緒に暮らしてきた女性。葬儀は彼女がひとりで取り仕切り、ひっそり行われたという。その女性とは、女優の山本万里子(45才)だ。松方さんにとっては30才年下の「愛人」である。

 時代劇スターの近衛十四郎と女優の水川八重子の間に長男として生まれた松方さんは、高校3年の時に東映入り。『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でいきなり主演デビューし、前出の『仁義なき戦い』といった任侠ものや『柳生一族の陰謀』などの大型時代劇で活躍。その一方で、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのバラエティー番組ではコミカルな一面で人気を呼んだ。

 豪気な「昭和の大スター」だけあって、女性関係も華やかだった。1968年に元モデルの女性と結婚して3人の子供をもうけたが、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)で共演した女優の仁科亜季子(63才)と恋仲になり、再婚。タレントの仁科克基(34才)と仁科仁美(32才)の2人の子供に恵まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67才)との間にも、認知した子供が1人いる。

 そんな松方さんと山本の出会いは、今から25年前の1991年にさかのぼる。

「当時、山本さんは京都・祇園の高級クラブでホステスをしていました。客として訪れた松方さんが山本さんに一目惚れし、口説き落として交際が始まったんです。松方さんは芸能界入りを希望していた山本さんをバックアップ。山本さんは松方さんが出演しているドラマ『遠山の金さん』(テレビ朝日系)や『HOTEL』(TBS系)に出演していました」(ベテラン芸能記者)

 交際が始まって7年後の1998年秋、当時、松方さんの妻だった仁科亜季子が本誌・女性セブンに「夫との離婚決意」を赤裸々に告白。山本との不倫交際は一気に世間に知れわたった。

 1999年1月に松方さんと仁科との離婚が成立。その騒動の中で、山本は「有名女優から夫を奪った」として、世の女性たちから激しいバッシングを浴びた。それでも山本は雑誌のインタビューに答える形で、仁科に向けてこんな発言をした。

《申し訳ないことをしました。ご迷惑をかけました。でも妻子ある人と承知していても魅かれていく気持ちや、相手の家族に対する罪悪感は、きっと仁科さんなら理解していただけると思います》

 仁科と松方さんの交際も、“不倫”からスタートしたことを暗示しながら、仁科の理解を求めた。

「山本さんの芯の強さと松方さんに対する並々ならぬ思いが伝わるメッセージだったと思います。それでも山本さんは、仁科さんとその子供たちへの配慮から、離婚が成立した後も入籍せず、事実婚を続けてきました」(山本の知人)

 その後、ふたりは都内で同棲生活を送り、レストランでふたりきりで仲よく食事する姿もたびたび目撃されていた。

「その姿は長年連れ添った夫婦の姿そのものでした。山本さんは松方さんの個人事務所に役員として名を連ね、公私両面でよきパートナーになっていました」(芸能関係者)

 松方さんは2011年の映画イベントで、こんな発言をしたことがある。

「なかなか正式に籍を入れてもらえないんだよ。籍を入れないのは介護要員になるのが嫌みたい」

 闘病中、松方さんの病状が外に伝わることはほとんどなかった。友人たちは見舞いに行きたくても行けない状況で、親交のある里見浩太朗(80才)は「毎日電話しても出ないんですよね。ちょっと心配」と打ち明けていた。

「山本さんは自身の両親からも“愛人に育てた覚えはない”と勘当同然ながら、25年間、松方さんを支え続けました。友人たちを病室に招かなかったのは、“最期は私が彼の隣にいる”という強い思いがあったんでしょうか」(前出・松方さんの知人)

※女性セブン2017年2月9日号


15年以上会えないまま届いた訃報…仁科克基「親父の作品を片っ端から…」
スポニチアネックス 1/26(木) 22:45配信

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仁科克基

 脳リンパ腫のため21日に亡くなった俳優・松方弘樹さん(享年74)の息子で俳優の仁科克基(34)が26日、自身のブログを更新。松方さんが出演した作品を「片っ端から観ようと思います」と宣言した。

【写真】仁科克基の元妻・華子

 松方さんの訃報が公表された翌日の24日に続いてのブログ更新。24日のブログでは「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」とつづっていたが、この日は「松方弘樹の親父の作品を改めて片っ端から観ようと思います。やっぱり偉大で尊敬する人です」と短くつづった。

 仁科がひんぱんにブログを更新することは珍しく、今月24日の前にブログを更新したのは昨年12月1日で、その前は同9月5日。24日のブログでは「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と決意を記していたが、亡き父への思いを胸に、まずは改めて作品を片っ端から鑑賞することにしたようだ。


NHK、2・2に松方さん追悼番組放送 BSフジでは1・29“最後の旅”
サンケイスポーツ 1/26(木) 7:00配信

 21日に死去した俳優、松方弘樹さん(享年74)の追悼番組が25日、発表された。

 NHK「ファミリーヒストリー」(木曜後7・30)が、2月2日に「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」として放送。兄弟の父で昭和を代表する俳優、近衛十四郎と母で元女優、水川八重子の人生をたどる。スタジオ収録は昨年12月23日に弟の俳優、目黒祐樹(69)だけが参加して行われた。

 BSフジでも、今月29日に「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」(後6・0)を放送。俳優、梅宮辰夫(78)との“最後の旅”となった2014年7月放送のハワイロケの模様を未公開シーンを加えて放送する。

2017年1月24日 (火)

俳優の松方弘樹氏が死去・3

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

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リンク:BSフジでも松方弘樹さん追悼企画放送 梅宮辰夫と“最後の旅” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK、松方さん追悼番組2・2放送 目黒祐樹「2人でGOサイン」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹を追悼 NHK「ファミリーヒストリー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん罹患の「脳リンパ腫」、発症率は10万人に1人 原因不明、完治難しく… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、女と酒を愛し続けた豪快伝説 派手な女性遍歴に銀座の豪遊、昭和の名優またひとり… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんの事実婚妻 自分で納骨希望、財産分与は難航か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK「ファミリーヒストリー」松方弘樹さん追悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:回復を待って準備されていた松方弘樹さんの「ファミリーヒストリー」…弟・目黒祐樹出演でNHK2・2放送 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん追悼『ファミリーヒストリー』2・2放送  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK 急きょ松方さん追悼番組 2・2「ファミリーヒストリー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん「第1回東京スポーツ映画大賞」特別賞を受賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん出演作に注文殺到 「仁義なき戦い」シリーズなど - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「一緒に酒飲みたかった」松方さんと15年以上対面なし - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:“ヒットパレード葬”で松方さんとお別れ 昭和スター集結 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、交流再開の弟・目黒祐樹と幻の共演作あった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子、元夫・松方さんへの思いつづる「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子「子供達にもう一度会ってほしかった」松方さんへの思いブログにつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 松方さんに「子供達に会い、孫を抱いてほしかった」 ブログで冥福祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 ブログで松方さんへの思い吐露「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子「胸が痛む」松方弘樹さんへ「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子、松方さん復帰「信じてた」 ブログで思いつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんと事実婚の山本万里子さん 不倫関係時のインタビュー「尊敬し続ける」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基、ブログで改めて父・松方弘樹さんへ「俺…頑張るからね」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基 父・松方さんと15年以上会えないまま別れ「俺…頑張るから」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん次男の仁科克基、「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「親父…本当にありがとう」 父・松方さんへの思いつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 豪快に笑い飛ばした「3億円離婚」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんの闘病生活支えた内縁の妻の献身 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「偉大で大変尊敬する役者」父松方さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【訃報】松方弘樹さん=俳優 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん急逝 続く名優訃報 3日には名優・神山繁さんも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「仁義なき…」また一人 菅原文太さん、山城新伍さんも - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

BSフジでも松方弘樹さん追悼企画放送 梅宮辰夫と“最後の旅”
スポニチアネックス 1/26(木) 6:00配信

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BSフジ「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」の1シーン

 BSフジは、29日午後6時から「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」を放送する。

 14年7月に放送した「僕らはみんな生きてきた」は、松方さんと梅宮辰夫(78)がハワイでロケを行い、15年ぶりに一緒に釣行。これが2人の最後の旅となった。

 当時放送された映像に加え、未公開シーンも放送。梅宮は新たに収録を行ったインタビューで、親友への思いを語る。


NHK、松方さん追悼番組2・2放送 目黒祐樹「2人でGOサイン」
スポニチアネックス 1/26(木) 5:45配信

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松方弘樹さん(左)と弟の目黒祐樹

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優・松方弘樹さん(享年74)の追悼番組としてNHKは25日、「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」(木曜後7・30)を2月2日に放送すると発表した。当初の予定より1週間前倒ししてのオンエアとなる。

 著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底調査する番組。剣劇スター近衛十四郎さんを父に、女優の水川八重子さんを母に持つ兄弟にNHKからアプローチがあったのは昨年初め。弟の目黒祐樹(69)はスポニチ本紙の取材に「あの番組は兄も好きで見ていたようで、“どうせなら兄弟そろって出よう”と2人でGOサインを出しましたが、直後に兄が体調を崩し…」と唇をかんだ。

 スタッフが父方のルーツである新潟県の長岡市などでリサーチを開始する一方で、目黒も松方さんの回復を待ったが、「しばらくして“いつまでも待たせるわけにはいかない”からと、兄貴の方から収録には参加できないと局に断りを入れたようです」と振り返った。実現すれば73年のテレビ時代劇「いただき勘兵衛 旅を行く」以来の兄弟共演となったが、昨年12月23日の収録には目黒が1人で臨んだ。

 「兄貴も残念だったと思います。でもゆかりの人がたくさん出てきて、僕も“えっ”と驚くことばかり。オヤジはもちろん、兄貴の映像もたくさん出てきますよ」と一端を明かした。


松方弘樹を追悼 NHK「ファミリーヒストリー」
ザテレビジョン 1/25(水) 19:42配信

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「ファミリーヒストリー」が松方弘樹(左)・目黒祐樹(右)兄弟のルーツに迫る/(C)NHK

1月21日に死去した松方弘樹の追悼番組として、2月2日(木)夜7時30分から「ファミリーヒストリー『松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~』」(NHK総合)が放送されることが発表された。

著名人のルーツに迫る同番組だが、今回は松方・目黒兄弟の父で昭和を代表する時代劇俳優・近衛十四郎、そして母で元女優の水川八重子の人生をたどる。

取材班がまとめたVTRを鑑賞するスタジオ収録は12月23日に行なわれ、目黒のみが参加。NHKによれば、取材開始後すぐに病に倒れた松方の回復を待ってから、放送する予定だったという。

また、番組内では、ゆかりの人物たちから闘病中だった松方へ向けられたメッセージも紹介される。

なお、当初2月2日(木)に放送予定だった夏木マリの出演回は、2月9日(木)に放送される。


松方弘樹さん罹患の「脳リンパ腫」、発症率は10万人に1人 原因不明、完治難しく…
夕刊フジ 1/25(水) 16:56配信

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松方弘樹さん(写真:夕刊フジ)

 松方弘樹さんが罹患(りかん)した「脳リンパ腫」は脳や脊髄、眼球などの中枢神経系にできる悪性腫瘍で、発症率が10万人に1人ともいわれる非常にまれな病気だ。

 山野医療専門学校副校長で医学博士の中原英臣氏によると、初期症状としては、片目が急激な視力低下に見舞われることが多いという。

 腫瘍ができた位置によっては、体のまひやけいれん、言語障害、人格の変化といった精神症状などが出る。大きな腫瘍ができると、脳が圧迫され、頭痛や吐き気、嘔吐(おうと)などの症状も現れる。

 進行が早いのも特徴で、手術による腫瘍摘出だけで完治することは少ない。松方さんも手術が難しい状況だったといわれ、病院に入院しながら放射線治療や投薬治療を続けていたようだ。

 中原氏は「脳リンパ腫は60歳以上の高齢者が発症することが多いが、なぜ発症に至るのか詳しい原因はまだよく分かっていない。発症すると数日~数週間単位で進行していくため、片目の視力が急激に低下したといった症状が現れたら、すぐに病院を受診することを心がけてほしい」と呼び掛けている。


松方弘樹さん、女と酒を愛し続けた豪快伝説 派手な女性遍歴に銀座の豪遊、昭和の名優またひとり…
夕刊フジ 1/25(水) 16:56配信

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松方弘樹さん(写真:夕刊フジ)

 これぞ昭和のスターの生きざまだ。21日、脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さん。あおるように酒を飲み、いい女を抱き、クルーザーでマグロを釣るという豪快な生き方は男の夢を体現した人生だった。

 松方さんは昨年2月、頭痛などを訴えて入院。検査の結果、脳リンパ腫と発表された。患部が脳幹に近く手術ができず、放射線と抗がん剤治療を続けたが、昨年秋に脳梗塞を起こし、脳リンパ腫も進行。昨年末には点滴で栄養を補給する状況になった。

 今年に入ってからは一進一退の状況が続き、今月12日には高度な治療を受けるため転院予定だったが、容体が悪く断念。20年来のパートナーだった内縁の妻で元女優、山本万里子さん(44)が中心となって懸命な看病をしてきた。

 23日夜に会見した弟の目黒祐樹(69)は、最期を看取れなかったが直後に対面。「やせていたけど、安らかでいい表情をしていました」と明かした。

 私生活も派手な人で、華やかな女性遍歴でメディアをにぎわしてきた。1968年にモデルと結婚し、3人の子供をもうけたが、74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と不倫関係に陥り、すったもんだの末に約3億円の慰謝料を支払うことで離婚が成立。

 79年に仁科と再婚し、2人の子供が誕生。ところが、87年には愛人関係にあった歌手、千葉マリア(67)との間に隠し子がいたことが発覚。

 自称“800人斬り”とも言われたが、自身は「それは誤解で、1年分しかない」と周囲に釈明することも。浮気については「僕は嘘が下手なんです」とあっけらかんと語っていたが、それでも浮気がひどすぎるとして、仁科に命じられてパイプカットしたことも。

 さらには98年には山本さんとの不倫が発覚。釈明会見ではしどろもどろになりながら「僕には亜季子が最高の伴侶」と語るも、結局、同年に仁科と離婚した。

 芸能界きっての酒豪としても知られた。長財布に入りきらないほどの札束を持ち、銀座に繰り出した日々。「毎日ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升」「一晩でふたりでブランデーを5本空ける」と伝説には事欠かなかった。

 東映の元宣伝部長、福永邦昭氏は「豪快だが、人前では決してベロベロにはならない。そんな飲み方は、俳優としても尊敬していた萬屋錦之介さんの影響を多分に受けていたのだろう」と話す。

 趣味の釣りはプロ級の腕前とも。2015年には沖縄・石垣島周辺で6時間半の格闘の末、361キロの巨大クロマグロを釣り上げる快挙も。このマグロは寿司チェーン店「すしざんまい」が約185万円で落札した。

 俳優としても輝かしい人生だった。前出の福永氏は「演技は天才的。台本をパッとみるだけで演技できる人。それだけに器用貧乏で終わるかと思ったが、『仁義なき戦い』での血を吐き出すような演技で一皮むけ、本当のスターに駆け上がった」と話す。

 またひとつ昭和の輝きが消えた。


松方弘樹さんの事実婚妻 自分で納骨希望、財産分与は難航か
NEWS ポストセブン 1/25(水) 16:00配信

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財産分与の難航が予想されている

 俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため入院先の都内の大学病院で亡くなった。74才だった。

 気さくで豪放磊落な人柄は多くの人を惹きつけ、芸能界でも華やかな交友関係で知られていた。同い年でライバルだった北大路欣也(73才)、学生時代から親交のある里見浩太朗(80才)、同じ釣りが趣味だった梅宮辰夫(78才)など、親友と呼べる友人も多かった。

 が、松方さんのために豪壮な葬儀が執り行われることはなかった。友人たちのほとんどは、その悲報をニュースで知り、お別れを告げる機会もなかった。

「亡くなった2日後にひっそりと荼毘に付されたそうです。大スターにしては寂しい最期といわれるかもしれませんが、病室ではずっと一緒に暮らしてきた女性が付き添っていました。葬儀も彼女がひとりで取り仕切りました。松方さんが望まれたことだったのではないでしょうか」(松方さんの知人)

 松方さんの最期に寄り添った女性とは、女優の山本万里子(45才)だ。松方さんにとっては30才年下の「愛人」である。

 1968年に元モデルの女性と結婚して3人の子供をもうけたが、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)で共演した女優の仁科亜季子(63才)と恋仲になり、再婚。タレントの仁科克基(34才)と仁科仁美(32才)の2人の子供に恵まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67才)との間にも、認知した子供が1人いる。

 その後、1991年に山本さん出会い、交際がスタート。7年後の1998年に仁科と離婚し、それからは山本さんとの事実婚生活が続いた。

 松方さんは昨年2月、頭痛や体のしびれなどの体調不良を訴えて入院。精密検査の結果、「脳リンパ種」であることが判明し、以降、入院先での闘病を余儀なくされていた。放射線治療と抗がん剤治療を中心に取り組んでいたが、昨年秋頃、抗がん剤を投与している時に、脳梗塞を起こす。

「松方さんは一時的に脳リンパ腫の治療を中止せざるを得なくなりました。その後もさらに小さな脳梗塞を2度起こしたため、腫瘍の治療は思うように進まなかった。この年末年始には言葉がほとんど出なくなり、意識も混濁することが多かった」(前出・松方さんの知人)

 その病室で、朝から晩まで、彼女だけがひとりで付き添ってきた。

「山本さんは火葬した後の遺骨も、自分で納骨したいと希望しているようです。しかし、松方さんには元モデルとの間に3人、仁科家に2人、千葉マリアとの間にも1人の子供がいます。財産分与や遺品の分配を含め、調整は難航しそうです」(前出・松方さんの知人)

 昭和のスターはたったひとりの女性に見守られるなか、帰らぬ人となった。

※女性セブン2017年2月9日号


NHK「ファミリーヒストリー」松方弘樹さん追悼
日刊スポーツ 1/25(水) 14:03配信

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松方弘樹さん

 NHKは25日、21日に亡くなった俳優松方弘樹さん(享年74)の追悼番組として「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月」(2月2日午後7時30分)を放送すると発表した。

【写真】涙をこらえながら兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹

 同番組の取材が始まってまもなく松方さんが病に倒れたため、回復を待って放送する予定だったという。兄弟の家族のルーツに迫る内容で、闘病中だった松方さんに向け、ゆかりの人たちのメッセージも紹介される。収録は昨年12月23日に行われ、目黒だけが参加したという。


回復を待って準備されていた松方弘樹さんの「ファミリーヒストリー」…弟・目黒祐樹出演でNHK2・2放送
スポーツ報知 1/25(水) 13:24配信

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松方弘樹さん

 NHKは25日、21日に脳リンパ腫のため死去した俳優・松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さん(享年74)の追悼番組として、2月2日に「ファミリーヒストリー」(木曜・後7時30分)で「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」を放送すると発表した。

 収録は昨年12月23日に行われ、松方さんの弟で俳優・目黒祐樹(69)のみが参加した。NHKの説明によると、番組の取材が始まってからしばらくして松方が病に倒れ、回復を待って放送する予定だったが叶わなかったという。

 番組では、松方と目黒の父で昭和を代表する俳優・近衛十四郎に戦時中助けられたという人物を70年以上を経て見つけたという。また闘病中だった松方にゆかりの人物がメッセージを送る。


松方弘樹さん追悼『ファミリーヒストリー』2・2放送 
オリコン 1/25(水) 12:53配信

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(左から)松方弘樹さん・目黒祐樹

 今月21日に脳リンパ腫のため74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんの追悼番組として、2月2日にNHK『ファミリーヒストリー』(毎週木曜 後7:30)で「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」が放送されることが25日、わかった。

【写真】松方さんの元妻・仁科亜季子と娘・仁美の2ショット

 同番組の取材が始まって間もなく松方さんは病に倒れ、回復を待って放送される予定だった。収録は昨年12月23日に行われ、目黒のみが参加した。

 番組では、芸能一家だった松方さん・目黒兄弟の家族のルーツに迫る。父は昭和を代表する剣げきスター・近衛十四郎、母は元女優の水川八重子。戦争中、近衛さんに助けられたという人物が70年以上の時を経て見つかった。そして、闘病中だった松方さんに、ゆかりの人たちが熱いメッセージを送る。


NHK 急きょ松方さん追悼番組 2・2「ファミリーヒストリー」
スポニチアネックス 1/25(水) 12:31配信

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松方弘樹さん(左)と目黒祐樹

 NHKは25日、今月21日に脳リンパ腫のため死去した俳優・松方弘樹さん(享年74)のルーツに迫る「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」(木曜後7・30)を2月2日に追悼番組として急きょ放送すると発表した。

【写真】361キロのマグロを釣り上げ、仁王立ちする松方さん

 番組の取材が始まって間もなく松方さんが病に倒れ、回復を待ってオンエア予定だったが、叶わなかった。父は時代劇スターの近衛十四郎さん、母は女優の水川八重子さん。戦争中、近衛十四郎に助けられたという人物が70年以上の時を経て見つかる。そして、闘病中だった松方さんに、ゆかりの人たちが熱いメッセージを送る。

 収録は昨年12月23日に行われ、弟で俳優の目黒祐樹(69)だけが参加。関係者によると「兄も(収録に)来たかったはず」と共演叶わず、残念がっていたという。


松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった
東スポWeb 1/25(水) 11:01配信

 時代劇や任侠もので大活躍した“映画スター”松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)が、21日に脳リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。松方さんは昨年2月、頭痛や体のしびれを訴え、都内の大学病院に緊急入院。検査の結果、「脳リンパ腫」と診断され、闘病生活を続けていた。映画スターとして近寄りがたいイメージだった松方さんを女子高生から「カワイ~」とまで言わせたのは、ビートたけし本紙客員編集長(70)の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985~96年、日本テレビ系)だ。松方さんがたけしに明かした豪快すぎる「松方伝説」を特別追悼公開する。 

「柳生一族の陰謀」「仁義なき戦い」などの映画でこわもて二枚目スターのオーラを放っていた松方さんを、まったく畑違いのバラエティー番組「元気が出るテレビ!!」に引っ張り出したのが、たけしだった。

 85年の開始当時から長らくレギュラー出演した同番組で、たけしのギャグにズッコケたり、声を裏返らせたりと“おちゃめ”な面も発露。「たけちゃん!」などと言って笑いながらハンカチで顔の汗を拭くシーンが番組の名物となり、若い女性から「カワイ~」と人気になった。

 ちょうどそのころ、松方さんとたけしは頻繁に飲み歩いていた時期があったという。昔話としてたけしが聞かされた仰天の“修羅場エピソード”は次のような話だった。

「松方さんがオンナの家行ってたら、夜中に男が来ちゃってオンナが真っ青に。『早くタンスの中に隠れて!』って。松方さんが『お前、男がいるんじゃないか!!』って言ったら、『たまに来るのよ』って。しょうがなくて隠れたら、男が『テメェ~、中に誰かいるんじゃね~か?』って寝室のドアを蹴っ飛ばして入ってきた。で、『こっちだって松方弘樹だ。しょぼい男だったらぶん殴ってやる!』って思って、洋服ダンスの隙間からソーッと見たら、力道山だったって」

 力道山は63年に亡くなっている。松方さんが20歳前後の若かった時代のこと。このエピソードをたけしに明かした時、松方さんは「本当に怖かったんだよ」としみじみ語っていたという。

 京都の一流ステーキハウスでの超豪快エピソードは、その支払いっぷりだ。

「高級ステーキったっていくら食べても100万円もいかない。でも、ほんの数時間で高級ワインをバンバン頼んで、会計が2000万円。それを1人で払っちゃうんだからね」

 200万円ではなく2000万円だ。当時、クレジットカードはそれほど流通しておらず、支払いには現金が必要だった。そんな時代の松方さんといえば、“立つ財布”で有名だったという。いったいどれだけ分厚い札束を持っていたのか。

☆まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹(めぐろ・こうじゅ)。1942年7月23日生まれ。東京都出身。父・近衛十四郎、母・水川八重子がともに役者の家庭で育つ。明大中野高3年の60年、父が所属する東映に入社し「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。翌年の「赤穂浪士」や「瞼の母」(62年)などの時代劇で二枚目スターに。69年に大映に移籍し、71年に東映復帰。深作欣二監督「仁義なき戦い」(73年)では、あくの強い暴力団幹部を熱演。「県警対組織暴力」などで強烈な個性を発揮した。代表作に「柳生一族の陰謀」(78年)、「修羅の群れ」(84年)など。91年の「江戸城大乱」などで日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。テレビでは74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「人形佐七捕物帳」「名奉行遠山の金さん」などで主演を務めたほか、バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でも親しまれた。2004年の「想い出ワルツ」など歌曲のCD、レコードも出している。弟の目黒祐樹も俳優。俳優の仁科亜季子は元妻。


松方弘樹さん「第1回東京スポーツ映画大賞」特別賞を受賞
東スポWeb 1/25(水) 11:01配信

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東スポ映画大賞特別賞の賞状をたけし(左)から受けた松方さん(1992年2月)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(本名・目黒浩樹、享年74)は1992年の「第1回東京スポーツ映画大賞」で特別賞を受賞した。東映「首領になった男」などに主演して映画界に貢献したということで、たけし審査委員長が選んだのだ。

 同年1月31日に東京・渋谷に当時あった渋谷ビデオスタジオで収録していた「北野ファンクラブ」(フジテレビ系)の番組内で授賞式が行われた。

 松方さんはスケジュールの都合で授賞式に出席できなかったため、2月の「元気が出るテレビ!!」の松方さんの楽屋をたけしが訪ねて“出前表彰”となった。

 松方さんは「特別賞はありがたく受けさせてもらうよ」と喜んで表彰され、さらに「映画監督としてのたけちゃんの才能はすごいと思うね。テレビのレギュラーをあれだけ抱えていながら映画を撮るというからすごい」などと話していた。

 さらにたけしは「第5回東スポ映画大賞」の映画貢献賞に「映画『藏』のプロデューサーをやった。何十億切符売って、客の来ない映画館に無理やり客を運んでくれた努力の人」として、松方さんを選んだ。授賞式を欠席した松方さんに対し、「松方さんは植毛で忙しい。あと200本は必要」と毒舌で笑わせた。


松方さん出演作に注文殺到 「仁義なき戦い」シリーズなど
スポニチアネックス 1/25(水) 8:20配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さんを悼む

 松方さんの悲報を受けて東映ビデオには24日、全国のDVDショップから松方さんの出演作の注文が50本、100本単位で続々と入り始めた。

 「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」「修羅の群れ」など、アウトローを演じた作品だけでなく「真田幸村の謀略」など時代劇まで幅広いオーダーが殺到。東映ビデオは「改めてスター俳優だったことを再確認しています」と話している。


仁科克基「一緒に酒飲みたかった」松方さんと15年以上対面なし
スポニチアネックス 1/25(水) 7:01配信

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仁科亜季子(左)と仁科克基

 ◇松方弘樹さん悼む

 松方さんの息子で俳優の仁科克基(34)が24日、ブログで「僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と思いをつづった。15年以上、会っていなかったといい「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」と残念がった。この日はオフで、知人は「凄く落ち込んでいました。“役者をやりたい”という思いを新たにしている様子でした」と明かした。

 克基の母で松方さんの前妻の仁科亜季子(63)もブログで「本気で愛し…、人生を懸けて彼の元へ飛び込み…」などと回想。長女の仁美(32)が15年6月に第1子の男児を出産しており「孫を抱っこしてもらいたかった」と悔やんだ。


“ヒットパレード葬”で松方さんとお別れ 昭和スター集結
スポニチアネックス 1/25(水) 5:36配信

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松方弘樹さん

 松方さんのお別れの会が“ヒットパレード葬”として行われることが検討されている。所属していた「夢グループ」が24日、「松方さんらしいにぎやかな会にできれば」と、盛大に催したい意向を明かした。

【写真】会見で涙を堪える梅宮辰夫

 松方さんは12年3月から昨年2月まで、同じ夢グループの小林旭(78)や千昌夫(69)、黛ジュン(68)らとのジョイント公演を全国各地で約200回開催。ドラマ「名奉行遠山の金さん」の主題歌「華のうちに」をおはことし、甘い歌声と豪華共演で全国のファンを喜ばせてきた。お別れの会にも昭和歌謡のスターが集い、松方さんの歌を歌うことになりそうだ。具体的なプランについては今後、パートナーの山本万里子さんと話し合う意向だ。

 松方さんは元々歌手志望だった。16歳で上京し作曲家の上原げんと氏に師事。同じ門下生だった五木ひろし(68)の歌のうまさに圧倒され、俳優の道に進んだ。

 俳優としての出発点で、実録路線で人気を博した「東映」でもお別れの会を呼び掛ける声が浮上している。宣伝マンOBは「弘樹ちゃんは東映からデビューして、時代劇や仁義なき戦いシリーズなどでスター俳優に上り詰めた。90年代に入って独立したとはいえ、あれだけの足跡を残してくれた人。お別れの会をしてあげたいというより、しなければいけない」としみじみ。開催となれば、俳優仲間も多く駆けつけるとみられ、昭和のスターらしい手向けの会になりそうだ。


松方弘樹さん、交流再開の弟・目黒祐樹と幻の共演作あった
デイリースポーツ 1/25(水) 5:00配信

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 亡くなった俳優の松方弘樹さん

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹)さんが、弟で俳優の目黒祐樹(69)と、NHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」(木曜、後7・30)で共演を果たす予定だったことが24日、明らかになった。また、松方さんが死の直前、関係者からの呼びかけに対し、涙を流していたこともわかった。

【写真】山城新伍さん、亜希子夫人と幼い克基、仁美ら子どもたちに囲まれ満面の笑みの松方弘樹さん

 兄弟ともに俳優として第一線で活躍しながら、共演経験はほぼなかった松方さんと目黒。そんな二人が一つの画面で顔を合わせる“幻の共演作”が用意されていた。

 松方さんの事務所関係者によると、二人が共演する予定だった番組は、NHKの「ファミリーヒストリー」。各界の著名人が、父母や先祖について語るスタイルで、松方さんと目黒が二人でVTRを見ながら語り合うことになっていたという。収録は昨年11月に行われる予定だったが、松方さんの体調が優れなかったことから延期となり、最終的には目黒が年末に一人で収録に参加。兄弟共演は幻に終わった。

 関係者によると、松方さんと目黒は約30年にわたり没交渉状態だったが、3年ほど前に再会した際に会話を交わし、交流を取り戻した。その後は、直接会うことはほとんどなかったというが、連絡は取り合っており、入院中の松方さんを目黒が見舞うこともあった。

 また、同じく事務所関係者によると、松方さんは21日に死去する前日まで意識ははっきりしており、病室では大好きな相撲中継に興じることもあった。だが、昨冬に容体が悪化した際には、医師から「リンパ腫が脳内の呼吸中枢に影響を及ぼした場合、いつ呼吸が止まってもおかしくない」と予告されており、21日に静かに息を引き取った。

 松方さんの最期は、事実婚状態で元女優の山本万里子さん(44)と、事務所関係者2人の計3人でみとった。死の直前、関係者が松方さんに「今までお世話になりました。ありがとうございました」と声を掛けると、松方さんは自らの死を覚悟していたのか、涙を一滴流して応えていたという。


仁科亜季子、元夫・松方さんへの思いつづる「子供達にもう一度会ってほしかった」
サンケイスポーツ 1/25(水) 0:17配信

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仁科亜季子(写真:サンケイスポーツ)

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの元妻で女優、仁科亜季子(63)が24日、訃報から一夜明けて自身のブログを更新。松方さんへの思いをつづった。

 仁科は「悲しみ…」と題し、「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」と回復を願っていた心境を吐露。

 続いて「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と悲しみを胸に故人を偲んだ。

 また、松方さんのことを「私が本気で愛し、人生を懸けて彼の元へ飛び込み、二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と表現し、夫婦であった当時の生活を振り返った。

 「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と叶わなかった胸の内を打ち明けた仁科。最後は「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と結んだ。


仁科亜季子「子供達にもう一度会ってほしかった」松方さんへの思いブログにつづる
スポーツ報知 1/24(火) 23:40配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの元妻で、1998年に松方さんと離婚した女優の仁科亜季子(63)が24日、訃報から一夜明けブログを更新し、松方さんへの思いをつづった。

 「全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました。私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした」

 仁科自身は子宮頸がんや大腸がんなどで3回の手術を経験している。「大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」と記すと、「今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」としのんだ。

 松方さんとは“略奪婚”だった仁科。20年近く、夫婦として過ごし、2人の子どもももうけた。仁科は「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です。最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と胸の内を打ち明けた。


仁科亜季子 松方さんに「子供達に会い、孫を抱いてほしかった」 ブログで冥福祈る
デイリースポーツ 1/24(火) 22:50配信

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松方弘樹の元妻の仁科亜季子

 21日に脳リンパ腫のために74歳で亡くなった俳優松方弘樹さんの元妻で女優の仁科亜季子が24日、ブログを更新し、「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。孫を抱っこしてもらいたかった」と松方さんへの思いをつづった。

 仁科は「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」と松方さんの回復を強く願っていたことを記した。

 松方さんのイメージについて、「とても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」と悲しみを新たにした。

 同時に楽しい思い出も浮かぶそうで、「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と元伴侶との生活を振り返った。

 「最後に」として仁科は「子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです。今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と松方さんに父親、祖父として家族に関わって欲しかったとの思いをつづった。


仁科亜季子 ブログで松方さんへの思い吐露「子供達にもう一度会ってほしかった」
東スポWeb 1/24(火) 22:42配信

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仁科亜季子

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)が24日、自身にブログを「悲しみ…」のタイトルで更新し、改めて故人を悼んだ

「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」とつづると、こう続けた。

「今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます。21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」

 そして「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と、もうかなうことのない思いを記し、「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます。合掌」と結んだ。


仁科亜季子「胸が痛む」松方弘樹さんへ「子供達にもう一度会ってほしかった」
スポニチアネックス 1/24(火) 22:20配信

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仁科亜季子

 21日に亡くなった俳優・松方弘樹さん(享年74)の元妻で女優の仁科亜季子(63)が24日、自身のブログを更新。松方さんの死を悼み「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」とつづった。

【写真】涙をこらえる梅宮辰夫

 仁科は23日に所属事務所を通じファクスでコメントを発表していたが、この日のブログで「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と思い出を振り返った。

 「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です。最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と叶わなかった思いを明かし「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と結んだ。


仁科亜季子、松方さん復帰「信じてた」 ブログで思いつづる
オリコン 1/24(火) 21:41配信

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仁科亜季子 (C)ORICON NewS inc.

 今月21日に脳リンパ腫のため74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんの元妻で女優の(63)が24日夜、自身のブログを更新。「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と思いをつづった。

【写真】仁科亜季子と娘・仁美の2ショット

 「悲しみ…」のエントリーで仁科は「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」とつづり「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした」と思い出を回顧。

 「大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と明かすと「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と続けた。

 また、息子で俳優の仁科克基(34)と娘でタレントの仁科仁美(32)に「もう一度会ってほしかった」とつづり、仁美が2015年6月に出産した長男を「抱っこしてもらいたかったです」と母としての思いも。それでも、最後は松方さんに向け「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」とメッセージしブログを結んだ。

 同日夕方には、克基もブログを更新。「僕にとって、偉大で、大変 尊敬する 役者でした。心から 御冥福を お祈り致します」としのび「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と松方さんに誓っている。


松方弘樹さんと事実婚の山本万里子さん 不倫関係時のインタビュー「尊敬し続ける」
デイリースポーツ 1/24(火) 21:03配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹さんが21日に脳リンパ腫のために74歳で亡くなった。親友の梅宮辰夫は24日、取材に応じ「あいつまでいなくなっちゃった。寂しい」と悼み、松方さんにずっと付き添った事実婚の山本万里子さんの献身ぶりをたたえた。フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」は24日、松方さんが山本さんと不倫状態にあった当時の山本さんのインタビューを放送。山本さんは「どういう関係になっても尊敬し続ける」と話していた。

【写真】故菅原文太さんと松方さんの2ショット

 インタビューは1998年で、松方さんが仁科亜季子と離婚した年だった。山本さんが26歳の時のもの。

 インタビュアーが「奧さんや家族のことは考えなかったのですか」と尋ねると山本さんは「こういうご家族のある方と、こういう関係でいることの…罪深さというか。本当に申し訳ないことをしました」と不倫関係であることに反省の言葉を述べた。

 インタビュアーが「松方さんは大切な人だったわけでしょ」と質問すると山本さんは「そうですね」と認め、「どういう関係になろうと…ずっと…尊敬し続けると思います」と自分の言葉にうなずき、「また、別れるかもしれませんし…どういうふうな関係になるか…それは分からないです」と将来への不安も明かしていた。


仁科克基、ブログで改めて父・松方弘樹さんへ「俺…頑張るからね」
スポーツ報知 1/24(火) 19:04配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの次男で俳優・仁科克基(34)が24日、ブログで新たにコメントを発表した。

 23日に発表したコメントに「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と付け加えられた。

 23日には「突然の事で、本当で残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心からご冥福をお祈り致します」とのコメントを発表していた。

 仁科は、松方さんにとって2度目の結婚となった仁科亜季子(63)との間に1982年に誕生。松方さんと仁科亜季子は98年に離婚、仁科克基の親権は仁科亜季子が持った。


仁科克基 父・松方さんと15年以上会えないまま別れ「俺…頑張るから」
東スポWeb 1/24(火) 17:24配信

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仁科克基

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの息子で、俳優の仁科克基(34)が24日、自身のブログを「偉大なる役者 そして父」のタイトルで更新。父・松方さんへの思いをつづった。

 息子として「1月21日に父である松方弘樹が旅立ちました」と松方さんの訃報を改めて報告すると、こう続けた。

「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」

 最後は「心から御冥福をお祈り致します。親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と結んだ。


松方さん次男の仁科克基、「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」
サンケイスポーツ 1/24(火) 16:54配信

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仁科克基(写真:サンケイスポーツ)

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優、俳優、松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんの次男でタレント、仁科克基(34)が24日、ブログを更新。「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」とつづった。

 仁科は23日に報道各社にファクスを通じて談話を発表。「突然の事で、本当に残念で仕方がありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」とコメントした。

 克基は松方さんにとって2度目の結婚となった女優、仁科亜希子(63)との間に誕生。松方さんと仁科亜希子はその後、離婚していた。


仁科克基「親父…本当にありがとう」 父・松方さんへの思いつづる
デイリースポーツ 1/24(火) 16:51配信

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 仁科克基

 21日に亡くなった俳優・松方弘樹さんの次男で俳優の仁科克基が24日、ブログを更新し「親父…本当にありがとうございました」と感謝の言葉をつづった。

 ブログには親子共演を果たした時代劇ドラマでの2ショット写真をアップし、「父である松方弘樹が旅立ちました」と書き始め、「突然の事で本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」とつづった。

 「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と残念がり、最後に「親父…。本当にありがとうございました。俺…。頑張るからね」と、俳優として、更に精進することを亡き父に誓っていた。

 仁科は、松方の2人目の妻で女優の仁科亜季子の長男。


松方弘樹さん 豪快に笑い飛ばした「3億円離婚」
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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映画「野生の証明」米国ロケの現場で本紙のインタビューに答える松方さん(1978年7月)
 
【団塊記者の取材回顧録】21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(享年74)。かつて東映京都撮影所などで何度か取材したことがあるが、離婚騒動の渦中にあった1978年7月23日、角川映画「野性の証明」に出演していた時、米国ロケの現場でインタビューしたことがあった。当時36歳。

 同年7月7日、元モデルのNさんとの離婚に決着がついて、離婚の原因といわれた女優・仁科明子(現亜季子)との「10月結婚説」が流れていた。

 米カリフォルニア州軍の基地があるキャンプ・ロバーツなどで2週間にわたって行われたロケに参加。たくましく日焼けして元気な姿を見せた。ディレクターズチェアに腰掛け「私事も解決してスッキリした。このカリフォルニアの陽気な空気のような気分ですよ」。

 松方がNさんとの離婚を宣言してから2年半、途中で仁科との不倫関係が明るみに出てもめにもめ、ワイドショーや週刊誌を騒がせていたがようやく決着がついた。芸能人の離婚慰謝料としては当時史上最高の“3億円離婚”といわれた。

「3億円っていったら、これはゴツイよ。こっちに来てから大丈夫かなって思うこともあるよ」

 慰謝料を支払うために1億円近い借金を背負ったと言われたが、「ぼう大な借金を背負った形だが、これは役者としていい仕事をしていけば返せる。決心して実行に移した以上、ガンガンいい仕事を作って大きな財産を作ってみせますよ」。数少ない大物映画スターならではの豪快なところを見せた。

 米国ロケについて「ハリウッドスタイルっていうんですか。そりゃあもうすごい。専用の豪華なバスがついてね。キッチンもあれば、ベッドルームもあるキャンピングカーの大きなやつで、ヒロキ・マツカタってドーンと名前入りでね。とにかくアメリカのスタッフを使って、大がかりなアメリカロケをやってのける角川のチャレンジ精神は大いに映画界の刺激になりますよ」と語った。

 仁科との「10月結婚説」については「かんべんしてよ。オレ、そんなこといった覚えないよ。とにかく今は仕事にまい進して今までの穴埋めをしたい」「やっぱり映画が主になりますね。映画の入りがいちばん気になる」といっていたが翌年の3月、仁科と再婚して再びマスコミをにぎわせた。


松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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ロケ撮影先の釣り堀で梅宮辰夫(左)に指示を出す監督を務めた松方さん(2002年11月)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(享年74)は、波瀾万丈の女性遍歴で知られた。プレーボーイと言われ、週刊誌に「“千人斬り”の松方」とキャッチフレーズを付けられたことも。最初の妻である元モデルのNさんとの「3億円離婚」、仁科明子(現亜季子)との不倫、結婚、離婚などでにぎわせた。

 仁科とは1974年、松方さんが主演したNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演し、翌年に松方さん主演のドラマ「けんか安兵衛」(フジテレビ系)のヒロインに仁科を推薦して共演したころから親密に。当時「花嫁候補ナンバーワン」といわれた仁科と妻子ある松方さんの“不倫騒動”が世間を騒がせた。

 当時Nさんと結婚していて、現在俳優の長男・目黒大樹(43)がいた。77年1月、松方さんが離婚を切り出したが、仁科の存在が分かってNさんが態度を硬化させ、すんなり離婚とはいかなかった。結局「慰謝料3億円」という破格の慰謝料で離婚が成立。当初は松方さんとの交際に猛反対していた仁科の父親で俳優の故岩井半四郎さんも結婚を認め79年3月、仁科との結婚を発表した。

 同年11月7日、都内のホテルで「松方弘樹と仁科明子の結婚を祝う会」が盛大に開かれた。発起人には三船敏郎、勝新太郎、萬屋錦之介、大川橋蔵、菅原文太など、今は亡きスターがずらりと顔を並べ、800人を超す芸能人、業界関係者が詰め掛けた。

 仁科は結婚後、芸能界を引退。松方さんとの間にタレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。だが元アイドル歌手との隠し子騒動が持ち上がり松方さんがパイプカットして謝罪したこともあった。また元女優の山本万里子さんとの“不倫騒動”が持ち上がり、98年に仁科と離婚。克基と仁美は、仁科が親権を持ったため仁科姓を名乗っている。


松方弘樹さんの闘病生活支えた内縁の妻の献身
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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自ら釣ったマグロの解体ショーに立ち会う松方さん。右は「すしざんまい」の木村清社長(2011年12月)

 21日に亡くなった松方弘樹さん(享年74)は昨年2月、体調不良を訴えて長期療養すると発表した。当初は脳腫瘍が疑われていたが、入院先の病院で生検を行った結果、脳リンパ腫と診断された。開頭手術も検討されたが断念し、その後は投薬治療に切り替えた。所属事務所は「松方本人も『皆様からいただいております心温まる激励を糧に一日も早く病を乗り越え元気な姿をご報告できるように』と闘病生活への意気込みを語っております」と、復帰に向けた意気込みを明かした。

 抗がん剤と放射線治療を並行して行ってきたが、その最中に脳梗塞を3回発症。最近は意識が混濁しており、見舞い客が誰かわからない状態だと伝えられていた。

 脳リンパ腫に詳しい専門の医師によれば、リンパ腫はリンパ液ががん化するもので、体のどこに発症してもおかしくないが、脳にできるのはまれなケースだという。

 一般的には脳腫瘍が広く知られているが、脳リンパ腫は脳腫瘍とは別で発症する年齢はさまざま。高齢者だけではなく若年層でも発症することがあり、症状は頭痛や手足のまひ、嘔吐など発症部位によって異なるという。松方さんは頭痛や体のしびれを訴えていた。

 松方さんの闘病生活を支えていたのは、25年間寄り添ってきた内縁の妻で元女優の山本万里子さんだった。2人を知る関係者は「山本さんは25年間、一度も松方さんに結婚を迫らず彼を支えてきた。これまでに一緒に暮らした女性のなかで最高の女性でしたよ」と、その献身ぶりを明かした。

 その山本さんにみとられて天国へ旅立った松方さん。生前は361キロの超巨大マグロを釣り上げて世間を驚かせるなど、趣味の釣りにも情熱を注いだだけに、天国でも巨大魚と格闘しているに違いない。


仁科克基「偉大で大変尊敬する役者」父松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 16:44配信

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仁科克基

 俳優の仁科克基(34)が、脳リンパ腫のため亡くなった父で俳優の松方弘樹さん(享年74)を哀悼した。

【写真特集】さらば松方弘樹さん/「勝海舟」、「仁義なき戦い」など

 仁科は24日にブログを更新。父の訃報に「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの 別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と思いをつづった。

 そして「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と呼びかけるようにつづった。


【訃報】松方弘樹さん=俳優
読売新聞 1/24(火) 14:02配信

 時代劇、やくざ映画などで、華と存在感を併せ持つスターとして活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが、21日、脳リンパ腫のため亡くなった。

 74歳だった。葬儀は近親者で済ませた。

 東京都出身。俳優、近衛十四郎さんの長男で、1960年、東映に入社し、映画デビュー。「赤穂浪士」「次郎長三国志」など時代劇で人気を集め、戦後派のチンピラを演じた「893愚連隊」といった作品でも実力を発揮。「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」など東映実録路線のスターとしてダイナミックな演技を見せた。「柳生一族の陰謀」「真田幸村の謀略」でも活躍した。


松方さん急逝 続く名優訃報 3日には名優・神山繁さんも
スポニチアネックス 1/24(火) 8:55配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さん急逝

 昭和の銀幕やテレビを彩ったスターや名優の訃報が続いている。14年11月には「昭和残侠伝」「網走番外地」シリーズなど数々の名作に主演した高倉健さん(享年83)が悪性リンパ腫で、「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズで活躍した菅原文太さん(同81)が転移性肝がんによる肝不全で相次いで逝去。「昭和残侠伝」や「仁義なき戦い」は松方さんも出演した。

 昨年10月には平幹二朗さん(享年82)が自宅の浴槽で亡くなっているのが発見された。同12月には黒澤明監督の映画「影武者」などに出演した根津甚八さんが肺炎のため69歳で死去した。


「仁義なき…」また一人 菅原文太さん、山城新伍さんも
スポニチアネックス 1/24(火) 8:55配信

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「仁義なき戦い」での松方弘樹(C)東映
 
 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの代表作の一つ「仁義なき戦い」シリーズの出演者では、広能組の組長を演じた菅原文太さん(享年81)が14年、江田組組長役の山城新伍さん(享年70)は09年、打本会組長役の加藤武さん(享年86)も15年に死去している。

 山守組組長役の金子信雄さんは95年に71歳で死去。オリジナル5部作すべてのメガホンを取った深作欣二監督は03年に72歳で他界した。

 ▼映画監督・中島貞夫氏(「893愚連隊」、「真田幸村の謀略」など松方さんの主演映画を最も多く手掛けた)がっくりです。私の方が年上なんで、弘樹が若いころから面倒を見るような感じで、節目節目で一緒にやってきた。台本を読み込む能力が高いし、よく体が動いて、本当に役者だった。中村錦之助(=萬屋錦之介)らをそばで見てきたから、豪快なところがあって、“昭和のスター”の生き方を知る最後の世代だと思う。もう1本、映画を一緒にやりたかった。

2017年1月23日 (月)

俳優の松方弘樹氏が死去・2

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

最初の記事

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リンク:仁科亜季子 松方さんの離婚と父の公認に3年 松方さんと結婚するために待った - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

目黒祐樹「思い出すのは笑顔だけ」 遺骨は事実婚状態の元女優の元に
スポニチアネックス 1/24(火) 8:50配信

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自宅前で兄・松方弘樹について報道陣の取材に応じる目黒祐樹
 ◇松方弘樹さん急逝

 弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日夜、都内の自宅前で取材に対応し、病床の松方さんの様子などを明かした。

 最後に会ったのは昨年12月10日。目黒が声を掛けると「ほお」「へぇ」「そうか」などと相づちを打ち、その後はほとんど意識がない状態が続いたという。

 松方さんは昨年2月から入院。11カ月にわたって病院で過ごしたが、「本人はこのまま仕事復帰できないとは全然思わなかったと思います。常に明るくて、今も思い出されるのは笑顔だけですね」としみじみ。父親の近衛十四郎さんは63歳で死去。「俺たちも親父の年を超えてしまったなぁ。長生きしような」と話しながら74歳で亡くなってしまった松方さんを、目黒は「少し早すぎますね」と悔やんだ。

 兄として、俳優としてその背中を追いかけてきた。「兄は常に僕よりはるか前を歩いていました。いつか追いつこうと思っていたけど、結局追いつけず、とうとう見えなくなってしまうのかと思うと残念でなりません」と声を詰まらせた。

 葬儀は親族だけで済ませたが、「いずれはお別れの会という形も考えています」と説明。松方さんの遺骨は事実婚状態にある元女優の元にあるといい、「兄をずっと支えていただいて、本当に感謝しております。いずれは両親が眠っている京都にお骨を、と思っています」と明かした。


松方さん追悼 幻の“兄弟共演” 頭髪抜け落ち…「私の体調で迷惑かけられない」
スポニチアネックス 1/24(火) 8:45配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの病状については実弟の目黒祐樹さんから度々うかがっていた。それというのも松方・目黒兄弟は近く放送予定の、ある番組で共演することになっていたからだ。番組は昨年11月に収録する予定だったが、目黒さんが入院先の東大病院で会ったとき、頭髪も抜け落ち、対話も滞りがちだったこともあり、延び延びになっていた。12月に入って松方さんからテレビ局に「私の体調で迷惑をかけるのはしのびない」と連絡があり、結局、兄弟共演は実現しなかった。

 目黒さんは松方さんが亡くなった21日、知らせを受けて病院に駆けつけた。「まだ体温が残っていましてね。兄とはいろいろありましたが、たった一人の兄でしたからね」と目頭を押さえた。

 兄弟は、ある事情で30年近く公私にわたって没交渉だったが、3年ほど前に小林旭さん、浅丘ルリ子さんと共演の舞台で、松方さんが「テレビ出演の話があり、舞台に出られない可能性があるので、代役を務めてくれ」と目黒さんに話をして、兄弟仲を取り戻した。

 筆者は50年間にわたって公私で密なつきあいを続けた。松方さんが最初の奥さんと「3億円離婚」した際も、仁科亜季子さんとの再婚も、その亜季子さんとの離婚の時も相談を受けて、それぞれスクープにつなげた。またクレー射撃や北海道でのエゾシカハンティングの良き思い出も。酒を愛し、女性を愛し、趣味にのめり込み、仕事にも没頭した昭和の良き時代の映画俳優がまた逝ってしまった。残念でならない。 (特別編集委員 脇田 巧彦)


松方弘樹さん愛されて死す、事実婚の恋人と闘病1年
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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14年12月、日刊スポーツのインタビューで笑顔を見せる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。昨年2月から闘病していた。葬儀はこの日、近親者で行った。入院中も復帰を目指してリハビリに取り組んでいたが、かなわなかった。

【写真】79年11月、松方弘樹さんと結婚した仁科明子

 松方さんは21日、都内の病院で静かに息を引き取っていた。みとったのは、20年にわたり同居し、事実婚の関係にあった元女優山本万里子さん(44)と親しい関係者の3人。弟の俳優目黒祐樹(69)は間に合わなかった。死去は極秘にされた。23日、都内の斎場で山本さんや親族、親友の俳優梅宮辰夫(78)ら十数人が参列して葬儀が営まれた。全て遺志によるもので、終了後、報道各社に訃報が伝えられた。後日「お別れの会」を行うことを検討中で、遺骨は父で時代劇スター近衛十四郎さんら両親が眠る京都の目黒家の墓に納骨される。

 昨年2月初め「体全体がしびれる」「腕に力が入らない」と体調不良を訴えた。検査を受けたところ脳に黒い影があると判明。別の病院で開頭して生体検査を行い、「脳リンパ腫」と診断されて入院し、長期療養に入った。手術できない状態で、放射線治療や抗がん剤治療を行い、同年秋に復帰を目指した。病室では万里子さんが付きっきりで看病した。84年に松方さんとの間に男児を出産した歌手千葉マリア(67)や、98年に離婚した元妻の仁科亜季子(63)が面会を希望しても断った。仲の良かった芸能界の友人も同様だった。病室を訪れるのは元マネジャーら関係者に限られ、動静が伝えられることも少なかった。

 入院から半年後に脳梗塞を起こし、治療も一時中止した。その後、治療を再開したが、脳梗塞を何度も起こしリンパ腫も進行した。入院当初は病室で大好きなカツサンドを取り寄せて食べたり談笑もしたが、年末には言葉も出なくなった。意識が混濁することも多く、容体は一進一退が続き、危篤状態になったこともあった。それでも病室では大好きな大相撲のテレビ中継が流れ、亡くなる前日20日も中継に耳を傾けていた。

 近衛十四郎さんの長男で、17歳だった60年に映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズや「真田幸村の謀略」などの映画に主演し、NHK大河ドラマ「勝海舟」をはじめ「名奉行 遠山の金さん」などの時代劇ドラマに主演した。明るいキャラクターでも親しまれ、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にも出演した。

 私生活では79年に仁科と結婚したが、不倫交際していた千葉が男児を出産して世間を騒がせた。さらにドラマ「HOTEL」の共演で知り合った万里子さんとの交際が明らかになると、仁科と離婚した。

 マグロ釣りが趣味で、一昨年5月に沖縄・石垣島周辺で自己最高361キロのマグロを約6時間半の格闘の末に釣り上げた。

 仕事も趣味も愛した、昭和を代表するスターは、豪快な人生の幕を静かに下ろした。

 ◆仁科亜季子のコメント このたびの訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子どもを授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。合掌。

 ◆千葉マリアのコメント お見舞いにうかがいたかったけど、本人が姿を見せたくないということだったので心の準備はしていました。最後に会ったのは子供が小さい頃ですから二十数年会っていません。格好良く生きた人だと思います。皆さんに愛されて幸せな人生だったと思います。私は感謝しています。

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき)1942年(昭17)7月23日、東京都生まれ。父は俳優近衛十四郎、弟は俳優目黒祐樹。60年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズに出演。ドラマは「名奉行 遠山の金さん」「HOTEL」など。85年から日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演しバラエティーでも人気に。元モデルと離婚後、79年に女優仁科亜季子と再婚。仁科克基、仁科仁美をもうけるが、98年に離婚。

 ◆脳リンパ腫 中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもの。悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気。発症は60歳前後の高齢者が最も多い。脳にあるため、リンパ腫を切り取る手術はほとんど行われず抗がん剤投与などの投薬治療が一般的。症状としては手足のまひや感覚障害、おう吐などがあり、進行も早い。


京都中に人脈「全部俺につけて」電話/松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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98年3月、日刊スポーツのインタビューに応じる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さん主催の花見に招かれたのは、90年代半ば、プロデュースも兼ねた「蔵」の取材で訪れた東映京都撮影所だった。

 撮影所近くの空き地に紅白幕が張られ、京都指折りの名店が屋台を並べた。舞妓(まいこ)さんの姿もあった。

 バブル景気が記憶に新しい頃だったが、この日だけのしつらえ、全てが松方さんのポケットマネーと聞き、勝新太郎さんに負けない気前の良さを実感した。

 うたげは日が高いうちから始まったが、当の松方さんは映画の衣装のまま「どうぞ、ゆっくり楽しんで下さい」と軽くあいさつすると姿を消した。そんなところも、粋に見えた。近くのオープンセットでは撮影が続けられており、その場にいたのは、スポンサー関係や劇場関係者ばかりだった。

 約2時間余り、松方さんの負担で飲み食いを続けるのもさすがに気が引けたので、気の知れた宣伝スタッフが行きつけというスナックに場を移した。だが数分もたたないうちに、店に松方さんから電話が入る。「全部俺につけて」。スタッフも意地になり、隠れ家風のところばかり、その後2軒回ったと記憶しているが、いずれも時を置かずに魔法のように松方さんから電話が入った。

 京都中に張り巡らされた人脈に驚かされた。最後の昭和スターのきっぷと気配りはけた違いだった。【相原斎】


松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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79年、結婚披露宴で仁科明子(亜季子)と笑顔の松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さんは「映画スター」の印象が強いが、歩みは一筋縄ではいかない。10代半ば、歌手志望だった。一緒に歌を学んだのが五木ひろし。その歌声を聞くうちに自信を失い、父に連れていかれた東映で俳優人生をスタートした。

 ライバルといわれた北大路欣也が東映のスター候補生として王道を歩んだのに対し、69年から2年間、ライバルの大映にレンタルされた。急死した市川雷蔵さんの穴埋めを期待されてのことだったが、大映が傾くと倒産寸前の71年に東映に復帰。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで敵役・悪役として存在感を示し、芸域を広げた。二枚目の北大路に対し、二枚目半の幅広さが定着した。90年代からはプロデュースにも関わり、主演も兼ねた「首領(ドン)になった男」は3億5000万円の借金をして製作。2億円余りの利益を残したが、出資者らをチャーター機に誘い、ハワイや台湾を旅行して豪快に使い切った。

 85年にスタートしたバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「大物スター」の意外な一面が笑いを呼んだ。細長く畳んだハンカチの端を両手でつまみ、額の汗を拭く独特のしぐさや、頭に抜けるような高い笑い声でお茶の間の人気者になった。

 時代劇俳優の近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんとの間に長男として生まれ、弟は俳優目黒祐樹。最初の妻は元モデルの夏子さんで長男・目黒大樹の他に2女がいる。2度目の妻となった仁科亜季子との間に克基、仁美をもうけた。

 仁科との交際も不倫関係から始まった。仁科の父、歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが激怒する騒動となり、仁科は不倫発覚の77年に芸能活動を休止。2年後、松方さんとの結婚を機に引退した。仁科は離婚後、99年に芸能界復帰した。離婚のたびに多額の慰謝料を支払い、身ひとつから再起するのが「松方スタイル」だった。

 趣味の釣りは父親譲り。父と同じヘラブナ釣りからスタートしたが、近年はマグロ釣りで注目され、山口県萩市で実行委員を務める大会で08年に305キロ、09年に325キロのクロマグロを釣り上げている。


弟の目黒祐樹「自分の心に正直な人」松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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涙をこらえながら兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 松方弘樹さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅前で取材に応じた。俳優としても尊敬していた兄の死を「まだ実感が湧かない。自分の心に正直な人だった」と悼んだ。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 目黒は葬儀を終えて帰宅後、取材に応じた。「2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活において、皆さまにはお世話になりました。ありがとうございました」と一礼した。

 みとることはできなかったが、約2時間半後に病院に着いた。「まだぬくもりが残っていて『オイッ』って目を開きそうだった。やせていたけど、安らかでいい表情をしていました。まだ実感がなくて徐々に寂しさが湧いてくるのかな」。

 昨年2月の入院以降、見舞いに数回訪れた。「何万人に1人というくらいの難しい病気。放射線や投薬治療をしていて手術は難しかった。本人にはそこまで深刻とは伝わっていなかったかも。でも常に前向きな人なので、仕事に復帰したいという気持ちは強く持っていた」。最後に会ったのは昨年12月10日。自分の言葉に「おお」「そうか」と反応していた。それ以降は、少し元気になったり、会える状態の時に連絡が来るはずだったが、かなわなかった。

 兄として俳優として「背中が見えないくらい常に僕のはるか前を行っていた」と尊敬していた。「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人だったので、周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました」。

 父の近衛十四郎さんが63歳で亡くなっており、兄弟で父の生きた年齢を超えた際「2人で長生きしよう」と話し合っていた。「まだ逝くのは早いじゃないかと思う。変な話ですけど『向こうでも元気でな!』という気持ちです」と語る目は真っ赤だった。


松方弘樹さん死去 74歳 「仁義なき戦い」「遠山の金さん」
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去していたことが23日、分かった。74歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。昨年2月に入院し、闘病していた。

 昭和17年、俳優の近衛十四郎さんと女優、水川八重子さんの長男として生まれた。35年に東映に入社し、「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。「昭和残侠(ざんきょう)伝」シリーズなどの任侠映画や時代劇で活躍し、48年の深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズで強い印象を残した。

 NHK大河ドラマ「勝海舟」(49年)をはじめテレビ出演も多く、バラエティー番組にも出演した。

 54年に女優の仁科明子(現亜季子)さんと再婚したが、その後離婚。仁科さんとの間に、タレントの仁科克基さん(34)と仁科仁美さん(32)をもうけた。弟は俳優の目黒祐樹さん(69)。

                  ◇

 ■仁科亜季子さんの話

 仁科亜季子さんの話「このたびの、訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」


松方弘樹さん死去 やくざ役・バラエティー…多方面で活躍
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 鋭い眼光と役を離れた際の柔和な笑顔-。脳リンパ腫で死去した俳優の松方弘樹さんは「仁義なき戦い」など東映のやくざ映画に数多く出演し、男性的な役柄を得意とした。一方、バラエティー番組では気さくで明るい一面を見せた。

 チンピラを鮮烈に演じた「893愚連隊」(昭和41年)の中島貞夫監督は「台本を読み込む能力が高く、よく体が動いた。“昭和のスター”の生き方を知る最後の世代だと思う」とコメントした。

 代表作の映画「仁義なき戦い」で共演した渡瀬恒彦さんは「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」。北大路欣也さんは「仕事への情熱、夢と冒険、エネルギッシュに前進し続けた」と松方さんをしのび「さよならは言いたくない。また会おう」との言葉を贈った。

 「仁義なき戦い」では組長に反乱を起こす幹部役を熱演。菅原文太さん演じる主人公におびえきった本性をさらけ出す場面などで強い印象を残した。

 「育ちの良さから表れる甘さと戦後社会に生きる若者の荒々しい野性味を併せ持つ演技が特徴的」と映画評論家の白井佳夫さん。同シリーズでは役どころを変えて何度も出演し、好演を見せた。

 平成15年には「OKITE やくざの詩」で初監督を務め、「60歳で監督になるなんて。本当に幸せです」と話していた。

 テレビのバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(昭和60年、日本テレビ系)などでは、笑い上戸で甲高い声で陽気に話す意外な一面を見せ、人気を集めた。

 また、マグロの一本釣りを趣味とし、300キロ超のマグロを釣り上げるなどして、「だからマグロはやめられない」と語り、筋金入りの釣りマニアぶりを見せた。


松方さん元妻・仁科亜季子「本気で愛した方」克基「15年以上も会えないまま」
スポニチアネックス 1/24(火) 7:01配信

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仁科亜季子(左)と仁科克基

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)は所属事務所を通じファクスでコメントを発表した。「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と悼んだ。

 また、仁科亜季子との間の息子で俳優の仁科克基(34)は「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心からご冥福をお祈り致します」とつづった。


仁科亜季子、松方さんと20年以上ともに歩み「本気で愛した方」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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松方さんと20年連れ添った仁科亜季子は元夫の訃報を悼んだ(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。

 松方さんの訃報に1998年に離婚した元妻の女優、仁科亜季子(63)は書面でコメントを発表し、「本気で愛し、二人の子供を授かり、二十年以上もともに歩んで参りました方。今は安らかにお休みくださいますよう心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 松方さんが前妻の夏子さんと結婚していた74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」の共演で出会い、77年に不倫が発覚。78年に離婚した松方さんと、翌79年に結婚した。略奪愛で結ばれたが、98年には松方さんと元女優、山本万里子さん(44)の不倫が発覚。今度は略奪されて同年に離婚した。それでも、20年連れ添った元夫との別れを悼んだ。

 松方さんと仁科との長男で俳優、仁科克基(34)もコメントを寄せ、「最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかった」と追悼した。15歳の時に両親が離婚してから松方さんに会っておらず、2011年に元妻の女優、華子(28)とグアムで挙式した際には声をかけないなど確執は深かった。

 ただ、関係者によると、昨年2月に報道で父の病を知ってからは心配で、知人を介して松方さんの容体を聞いていた。21日の父の死去を知らず、訃報が流れた23日はいてもたってもいられず、入院先の病院に足を運んだ。妹のタレント、仁科仁美(32)に長男(1)が誕生してから父の存在の大きさを実感していた克基は「偉大で大変尊敬する役者でした」としのんだ。


目黒祐樹、松方弘樹さんと「『俺らは長生きしような』って言っていたのに…」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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苦渋の表情を浮かべながら松方弘樹さんの闘病生活を明かした実弟の目黒祐樹=東京・世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優、松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。最先端医療で知られる大学病院に入院しながらも、放射線治療と投薬治療のみで手術が難しい症状だったと振り返り、「仕事に復帰したいという意欲を強く持っていた」と告白。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「本気で愛した方でした」としのんだ。

 公私にわたり支え合ってきた兄の死に、弟は悲しみをあふれさせた。

 松方さんの訃報を受けて同日夜、自宅前に集まった約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔でした」と報告した。

 松方さんは内縁の妻、万里子さん(44)と事務所関係者らの3人に看取られたといい、「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』と目を開けそうでした。体は痩せていたけれど、顔は安らかでいい表情でした」と明かした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっとつらいときかな」と話したという。

 「何十万人に1人くらいの難しい病気だった」とし、最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていたという。脳梗塞を併発し、帰らぬ人となったが、「11カ月間ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので、仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年を越えたとき『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 報道陣が思い出を尋ねると、「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で、周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい…」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄をしのんだ。


松方弘樹さん追悼番組、25日深夜からスカパー!で放送
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。

 松方さんの死去を受け、スカパー!が追悼番組を放送することが23日、同局から発表された。25日深夜1時40分からBS日本映画専門チャンネルで「強盗放火殺人囚」(1975年)を放送するのを皮切りに、「大江戸捜査網」シリーズ8本(ホームドラマチャンネル)や「巨大マグロ伝説2009 洋上の激闘」(チャンネルNECO)など計15作品を2月28日まで放送する。


松方弘樹さん死す…“豪快人生”恋、酒、マグロ一本釣り
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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豪快な海釣りと華麗な女性遍歴、酒豪で知られた松方さん。2000年末からは医者の勧めで節酒に努めた(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。この日、密葬が営まれた。昨年2月に入院し、30歳下の内縁の妻(44)が懸命な看病をしていたが…。昭和のスターがまたひとり、天に召された。

 1年前は元気だった豪快なスター俳優が、ひっそりと息を引き取っていた。

 松方さんは昨年2月8日に歌の公演に出演した際、頭痛などを訴えて入院し、エックス線検査で脳腫瘍の疑いが判明。公演を降板して主演舞台も中止となり、3月2日に所属事務所から脳リンパ腫と発表された。患部が脳幹近くで手術ができず、放射線と抗がん剤治療を受け続けた。

 一時は患部も消えかけたが、3度目の脳梗塞を併発した昨秋、抗がん剤が使えなくなり、再び脳リンパ腫が拡大。昨年末から点滴で栄養を補給していたが、意識は混濁し、釣り仲間の俳優、梅宮辰夫(78)が12月中旬、見舞いに訪れたときはほとんど会話ができなかったという。

 今月12日には高度な治療を受けるため転院予定だったが、容体が悪く周囲は断念。しかし、内縁の妻で元女優、山本万里子さん(44)が中心となり、懸命な看病をしてきた。23日夜に会見した実弟の俳優、目黒祐樹(69)は「パートナーの女性(万里子さん)と事務所スタッフらの3人が看取ったようです」と明かした。23日に近親者のみの密葬が東京・町屋斎場で営まれた後、松方さんの死が公になり、後日お別れの会が開かれることも発表された。

 松方さんは1942年、俳優の近衛十四郎と女優、水川八重子の長男として生まれた。高校時代の60年に映画「十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。73年の深作欣二監督「仁義なき戦い」に始まるやくざ路線では、あくの強い暴力団幹部を熱演した。

 テレビドラマでは、74年、病気降板した渡哲也(75)に代わってNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「名奉行 遠山の金さん」などでも主演したほか、映画「OKITE・やくざの詩」では監督を務めるなど製作側としても活躍した。

 男くさい俳優として株を上げる一方、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では、照れ屋な一面を見せて親しまれた。趣味の釣りでは2009年、山口県沖で325キロの特大マグロを釣り、東京・築地市場でセリにかけられ437万1000円で落札されて話題となった。

 華やかな女性遍歴も注目を浴びた。1967年に元モデル、夏子さんと結婚したが、78年に当時としては破格の総額3億160万円の慰謝料を支払うことで離婚が成立。夏子さんが引き取った3人の子供の養育費を15年間支払うと伝えられた。

 翌79年に不倫関係を乗り越え、歌舞伎俳優、故岩井半四郎の次女で女優、仁科亜季子(当時・明子、63)と再婚し、1男(俳優の仁科克基、34)1女(タレントの仁科仁美、32)をもうけた。ところが、87年には歌手、千葉マリア(67)との間に隠し子が発覚し、仁科の要請でパイプカットしたことも告白した。

 91年には仁科が子宮がんにかかったが、98年に万里子さんとの不倫が発覚。松方と仁科は同年12月28日に離婚した。その後は万里子さんと籍を入れることなく18年間、連れ添った。仕事に釣りに女性たちに、熱い情熱を注いだ一生だった。

 松方さんの遺骨は万里子さんの元にあり、四十九日を経て、同じ昭和のスターだった父母の眠る京都の墓に入る。


「松方伝説」酒も遊びも奔放人生 自腹1000万円打ち上げ 超巨大マグロ一本釣り
スポニチアネックス 1/24(火) 6:35配信

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361キロのマグロを釣り上げ、仁王立ちする俳優の松方弘樹(2015年撮影)

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんは昭和のスターらしく遊びも酒も豪快だった。とりわけ趣味の釣りはプロ級の腕前。一昨年5月には石垣島周辺で自己最高を10キロ更新する361キロのマグロを約6時間半の格闘の末、釣り上げた。このマグロは寿司チェーン店「すしざんまい」が184万8000円で落札。松方さんのマグロの握り約1万2000貫を求めて都内各店に大行列ができた。

 釣り歴は50年以上。米ボストン沖で約400キロの大物を釣り上げたこともあった。毎年のように参加していた「萩クロマグロトーナメント」(山口県萩市)では08、09、12年の3度優勝。「役者も真剣だけど、マグロはもっと真剣よ」と公言し、体力が必要なマグロ釣りに備え日ごろから体を鍛えていた。親友の梅宮辰夫(78)や14年に亡くなった菅原文太さんと世界中の海で釣りをする番組はお茶の間の人気となっていた。

 芸能界きっての酒豪としても知られた。父親の近衛十四郎さんが大酒飲みだった影響で当初は酒嫌いだったが、映画界で先輩俳優に強要されているうちに酒に強くなったという。最盛期には自ら「毎日、ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升は飲んだ」と明かしたほどでドラマ出演時に控室の外まで酒瓶を並べていたという逸話も残っている。ただ、還暦前の00年に医師から「血液がドロドロでこのままでは長生きできない」と言われ禁酒していた。

 お金の使い方も派手で初製作した映画「首領になった男」(91年)の打ち上げでは1000万円以上、自腹を切ってハワイ旅行。別の作品の打ち上げで行った金沢では3日で970万円使った。

 女性関係もド派手だった。“自称800人斬り”だったが、周りから問われると「それは誤解。1年分だ」。10代で童貞を喪失した時は母親に報告するなど“純真”な性格でもあった。浮気癖がひどすぎたことで2人目の妻である女優仁科亜季子から命じられてパイプカットした。現在事実婚の元女優との不倫が98年に発覚し、仁科とも離婚。会見では「2度離婚するくらいですから亭主には向いてないですねえ」と頭を下げる場面もあった。

 多くの人に愛され、豪快な生きざまを貫いた人だった。


松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念
スポーツ報知 1/24(火) 6:09配信

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90年、インタビューに答えた松方弘樹さん

 スター俳優に上り詰めた松方だが、志願して俳優になったわけではない。16歳時に単身上京したのは「歌手になりたい」の一念から。しかし、作曲家・上原げんと氏のもとで修業するも半年で夢はついえる。少年・松山まさるの天才的な歌のうまさに圧倒されたからだ。後の五木ひろしのことだ。

 「華のある俳優」として一番勢いがあったのは京都に住んでいた30、40代のころ。父は時代劇俳優の中でも、最も迫力ある立ち回りで刀さばきを見せた近衛十四郎さん。偉大な父親を持つと、比較されたくない気持ちから、親の話題を避ける人が多いが、松方は違った。

 あれは20年以上も昔。松方と亜季子さんが離婚する前、長崎・雲仙普賢岳に夫婦そろっての取材会があった。元夫人は「息子は将来、パパみたいになりたいって言ってるのよね」と話していた。そんな時期もあった。太秦の東映撮影所で取材があれば、親子ほど年の離れた若い記者にも毎回、必ず「僕の父は近衛十四郎という昭和の剣劇スターだったんだけどね」と言い続けていた。父を心から愛し、リスペクトしていた。

 小2で始めた釣りに夢中になるのは、親子でさおを並べたへラブナ釣りが原点。松方の晩年と言えば、400キロ近い巨大マグロを釣り上げたことだ。獲物を釣り上げるために自ら編み出したのはエサの大きさ。10キロをこえるキハダマグロを使っていたという。

 漁師が3キロほどのカツオを使っているのを考えれば、いかに特別か分かるエピソード。そして松方は長年、釣り人生を楽しませてくれたお礼として“マグロ基金”を通じて「砂漠化した海に恩返しがしたい」とも、自著「松方弘樹の世界を釣った日々」で触れていた。やりたいことはたくさん残っていただけに、悔しい思いで生涯を終えただろう。


目黒祐樹、憧れの兄「まだ早い」…松方さん死去
スポーツ報知 1/24(火) 6:08配信

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和服姿で兄の松方弘樹さん(右)とくつろいだ表情を見せる目黒祐樹(1969年)

 松方さんの実弟で俳優の目黒は23日夜、都内の自宅前で取材に応じ、気丈に亡き兄への思いを語った。兄として俳優として「常に僕のはるか前を、背中が見えなくなるぐらい走り続けてきた人。追いつきようがなかったし、とうとう追いつけなくなってしまうのかなと。それが一番残念」と視線を落とした。

 病院に駆け付けたときは、すでに息を引き取っていた。亡くなって1時間半後に松方さんのマネジャーから連絡を受け、病院に到着したのは、それから1時間後だった。「とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちを致しましたので、それがせめてもの救い。触るとかすかにぬくもりが残っていて『おいっ』って、パチッと目を開きそうな感じでした」。11か月の苦しい闘病生活を見てきたからこそ、安らかな表情に安堵(あんど)した。

 密葬を終えても、まだ兄の死を受け止め切れていない。「実感はない。徐々にさみしさが、自分の中にわいてくるんじゃないか。底抜けに明るい笑顔が忘れられない。変な言い方だけど、元気なイメージしかない。そのままの元気さを向こうに持っていってもらいたい」。74歳で旅立った兄に語りかけた。

 1977年、父・近衛十四郎氏は63歳で亡くなった。目黒も70歳を目前にする。「僕たち兄弟が、父親の年を超えてしまったときに『俺たちもオヤジの年を超えたんだから、2人で長生きしような』って兄貴が言ってた。あんなこと言っていたのに、まだ早いじゃないかと…」。5年ほど前に兄と交わした会話が、今となって鮮明によみがえる。

 兄弟げんかも多かったが、憧れの兄だった。「自分に正直に生きたんじゃないかと思う。優しさも本当にたくさん持っていた。多くの方が『憎めない』という表現で、うちの兄のことを言って下さった。弟としては、うれしくもあり、悔しくもあり。かなわない。もっともっと学びたかった」。もう、その思いはかなわない。


仁科亜季子、松方さんへの思い届かず
スポーツ報知 1/24(火) 6:06配信

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79年、仁科亜季子との婚約会見に出席し肩を抱く松方弘樹さん

 1998年に松方さんと離婚した女優の仁科亜季子(63)と息子の俳優・仁科克基(34)は23日、葬儀には参列しなかったが、それぞれマスコミ各社にファクスでコメントを寄せ、別れを悲しんだ。松方さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日、都内で会見。人生の、そして俳優の先輩である松方さんの死に「ついに追いつけなくなった」と肩を落とした。

【写真】息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」

 20年近く前に家族としての絆が切れながらも、松方さんとの間に2人の子供をもうけた亜季子にとって、訃報は衝撃であり、悲しみでもあった。

 この日、マスコミ各社にファクスを送付。「この度の、訃報を聞き大変驚いています。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。 合掌」とのコメントをしたためた。ドラマの共演で知り合った当時は松方さんは元モデルと結婚しており、不倫の末の“略奪婚”だったが、79年から98年に離婚するまでの蜜月を振り返った。

 松方さんが病魔に倒れた後の昨年7月、出演舞台の会見で取材陣に病床へのメッセージを問われると「早く良くなっていただきたいです。明日は(松方さんの)誕生日なんです」と回復を祈っていた亜季子。その願いは届かなかった。

 一方、息子の克基もファクスで「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」としのんだ。松方さんとは15年以上会っていなかったそうで、2011年に女優・多岐川華子(28)と結婚(12年に離婚)した際の披露宴にも松方さんは出席しなかった。病気もニュースで知ったという。

 テレビに出演した際には「俳優としてはすごく好きだが、父親としてはあまり好きではなかったりする」と複雑な心境を吐露していたこともあったが、「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」。親子として語らうことができなかったことを悔やんでいる様子だった。


波乱万丈昭和のスター・松方弘樹さんの仁義なき戦い人生「完」
スポーツ報知 1/24(火) 6:05配信

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映画、テレビドラマ、バラエティー番組と多方面で活躍した松方弘樹さん(1976年撮影)

 映画「仁義なき戦い」などで知られる人気俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため死去したことが23日、分かった。74歳だった。所属事務所によると、この日、弟で俳優の目黒祐樹(69)ら近親者による密葬が営まれた。お別れの会などは未定。昨年2月に不調を訴え入院し、3月に病名を公表。事実婚状態の元女優・山本万里子さん(44)が常に付き添い、11か月にわたり闘病生活を送っていたが、帰らぬ人となった。

 昭和を代表する俳優が、この世を去った。

 体の不調を訴え入院したのは昨年2月。3月には病名が脳腫瘍の一種である脳リンパ腫(中枢神経系リンパ腫)であることを公表。すべての仕事をキャンセルし、治療に専念していた。

 日本での発症率は10万人に1人とも言われる非常に珍しいがんで、腫瘍が脳内にあり手術は難しく、放射線治療と抗がん剤治療が中心。山本さんと事務所スタッフが付きっきりで看病し、闘病生活を送っていた。

 この日、都内で取材に応じた弟の目黒によると、本人にはあえて、深刻な状況だとは伝えていなかった。松方さんは持ち前の前向きな性格もあって、仕事復帰を目指していたという。所属事務所によると、12月になって病状が進行。目黒は12月10日ごろに病室を見舞ったが、声をかけると「ほ~」、「へ~」などと相づちを打ち「今がつらいときかな」と漏らしていたという。

 年が明けると症状が悪化し「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態」(事務所関係者)の日々が続いていた。亡くなる3日ほど前まではしっかりと意識があったそうで、前日にもラジオの相撲中継を聞いていたという。21日午前、静かに息を引き取った。山本さんら近親者が最期をみとったという。

 俳優の近衛十四郎、女優の水川八重子の間に生まれ、60年に東映入り。映画「仁義なき戦い」シリーズや、テレビドラマ「名奉行 遠山の金さん」など、任侠(にんきょう)映画や時代劇で活躍し、200本近い映画に出演した。

 俳優として活躍する一方、1985年からは日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!」にレギュラー出演。二枚目俳優のイメージとは違ったひょうきんで明るい一面も見せ、人気の幅を広げた。

 釣りが大の趣味。15年5月には沖縄・石垣島周辺で361キロの巨大クロマグロを釣り上げる快挙を成し遂げた。船ごと大きく揺さぶられる苦境に耐え、6時間半も格闘するなど趣味の域を超え、70代とは思えないエネルギッシュさを見せていた。

 私生活では68年にモデルと結婚し3人の子供をもうけたが、74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と不倫。ドロ沼の離婚交渉の末、78年に最初の妻と離婚したが、当時で3億円もの慰謝料を払ったことが話題を呼んだ。

 79年に仁科と再婚。仁科との間に俳優の仁科克基(34)、女優の仁科仁美(32)と2人の子供をもうけたが、98年、今度は山本さんとの不倫が明らかになり、同年末に仁科と離婚した。

 晩年まで、手術を必要とするような大病に縁はなかった。「一晩でウイスキーやブランデーを2人で5本空ける」と豪語するほどの酒豪で知られ、昭和のスターらしく、後輩やスタッフを連れ、自腹で何軒も飲み歩く豪快さも大きな魅力だった。

 2014年11月10日には高倉健さん(享年83)が、同28日に菅原文太さん(享年81)が死去。昭和のスターがまた1人、天国に旅立った。

 ◆松方 弘樹(まつかた・ひろき)本名・目黒浩樹。1942年7月23日、東京都生まれ。父は俳優の近衛十四郎、母は女優の水川八重子。明大中野高3年在学中の60年に東映に入社し、同年の映画「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。その後、時代劇スターとして「人形佐七捕物帳」、「名奉行 遠山の金さん」などに出演したほか、73年の映画「仁義なき戦い」など仁侠映画にも多数出演する。また85年からスタートした「天才・たけしの元気が出るテレビ!」でバラエティーにも進出。趣味の釣りでも知られ、2015年5月には自己最高となる361キロのマグロを釣り上げた。


松方弘樹さん、お騒がせ私生活 隠し子騒動、パイプカット告白…離婚も2度
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

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1991年5月、舞台挨拶で亜希子夫人(左)と子どもたちに囲まれ。右端は山城新伍さん

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日に亡くなっていたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】松方さんの末娘は未婚の母に…「ドンドン肥えてる」と実兄が近況報告

 数々の豪快伝説を残した、お茶目な「昭和のスター」が逝った。波乱の人生の最期を見送ったのは、18年間、事実婚状態で松方さんを支え続けた、元女優・山本万里子さん(44)だった。2人は1998年秋に当時の妻だった女優・仁科亜季子(63)に不倫関係を暴露された。その仁科も、3年間の不倫の末、79年に略奪婚した立場。1人目の妻との3億円の離婚慰謝料、隠し子騒動など、プライベートでも波乱に満ちた74年の生涯だった。

 東映出身。弟の目黒祐樹(69)も俳優で「お兄ちゃん」と呼ばれ、スタッフから愛された。とにかく豪快。現場では気持ちの波がない人で、スタッフを決して怒らなかった。話もうまく、常に人を楽しませる。待ち時間には鼻歌を歌い、にこにこと笑顔を浮かべていた。

 「撮影に関わったスタッフは、下(若い人)から上まで満遍なくみんなごちそうになった」(関係者)。松方主催の宴(うたげ)は、時に100人を超えるほどだった。ブランデーが大好きで、豪快に飲む。そして、共演者やスタッフに飲ませまくった。撮影の野次馬にも愛想がよかった。とにかく愛された人だった。

 プライベートは波瀾(はらん)万丈。1度目の結婚相手、夏子さんとは1男2女をもうけたが、77年に仁科と松方が同棲を始め、78年6月に離婚が成立。79年3月に仁科と入籍した。離婚の慰謝料は3億円。当時、“芸能界最高額の離婚慰謝料”と話題になった。

 82年9月には仁科との間に長男・仁科克基(34)、84年11月には長女・仁美(32)が誕生したが、87年10月には歌手・千葉マリアとの間に2歳になる隠し子が発覚し、松方さんが会見。公になる約2年前に当時の妻、仁科にバレて激怒され、「すぐパイプカットされてしまった」と衝撃の“パイプカット”告白をした。隠し子(男児)については認知せず、経済的援助をすることで決着した。

 隠し子も含めて子供は6人。克基は15年に出演したテレビで「弟は1回も会ったことない」と話していた。

 隠し子騒動も乗り越えた仁科との結婚だっったが、山本さんとの不倫関係が原因で、98年12月末に離婚。仁科は週刊誌に2人の不倫関係を暴露し、95年秋には睡眠薬を飲んで自殺を図ったことも明かした末の壮絶な離婚劇となった。


松方弘樹さん死す 昭和の名優がまた… 葬儀に弟・目黒、梅宮辰夫らが参列
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日午前11時26分に東京都文京区の病院で亡くなっていたことが23日、分かった。74歳。葬儀は近親者で行い、弟の俳優・目黒祐樹(69)、親交の深い俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。昨年2月に脳リンパ腫と診断されてから闘病しており、入院中の同年3月には脳梗塞も発症。関係者によると、マヒなどの影響が残り、体重も約20キロ減少していたという。

【写真】親友の山城新伍さん、亜希子夫人と幼い克基、仁美ら子どもたちに囲まれ満面の笑みの松方弘樹さん

 豪快な昭和の名優が、また1人旅立った。

 松方さんは昨年2月13日に体調不良を訴え、都内の病院に入院。3月以降のコンサートや6月開催の舞台をすべてキャンセルした。検査の結果、3月2日に脳リンパ腫であることが判明。症例の極めて少ない悪性腫瘍の難病で、10万人に1人の発症率とも言われている。手術による全摘出はほぼ不可能とされ、放射線治療や抗がん剤の投与で秋口の復帰を目指していた。

 だが、3月ごろに脳梗塞を発症。影響で右半身がマヒし、ろれつが回らなくなるなどの影響があったという。脳梗塞は計3度起こったとする報道もある。関係者によると、治療のかいあってリンパ腫は小さくなったが、入院前に約70キロだった体重は50キロ台まで減少していたという。

 最近は目黒、梅宮や18年間連れ添った事実婚の元女優・山本万里子さん(44)、個人マネジャーなど、極めて近い人物以外には面会を拒否していたという。

 松方さんは時代劇俳優だった近衛十四郎さんの跡を継ぎ、17歳でデビュー。映画「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」シリーズなどで、迫力あるこわもての俳優として存在感を発揮した。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をすべて演じるなど、時代劇でもカリスマ性と説得力を持った押し出しが魅力だった。

 業界きっての酒豪として知られ、飲み屋での伝説は数知れず。趣味の釣りは素人の域を超え、梅宮と2人で釣り番組を持ったこともある。マグロの一本釣りを楽しみ、300キロ超の大物と格闘しては、400万円以上の値をつけ、ニュースになった。

 一方、85年にスタートした日本テレビ系バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にレギュラー出演した際には、映画やドラマでのイメージとは違った“親しみのある面白いおじさん”として新たな一面を開拓。ファン層を広げた。

 私生活では2度の結婚と離婚を経験。2人目の妻となる女優の仁科亜季子(63)とは当初、不倫関係だった。愛人との間に隠し子が明らかになるなど、女性関係でも世間を騒がせた色気のあるスターだった。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん送り沈痛「常に前向きな人でした」
デイリースポーツ 1/24(火) 5:00配信

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 松方弘樹さんの実弟で俳優の目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。松方さんの葬儀は近親者のみで行われ、弟で俳優の目黒祐樹(69)、親友の俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。

 最期をみとることはできなかったという目黒は23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じ、「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたので、それがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情でコメントした。

 志半ばで天国へ旅立った兄の心情を、同じ俳優としても思いやった。「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います」。難病の脳リンパ腫の治療中に脳梗塞を発症。体重も激減した松方さんだったが、芝居への意欲は失わなかった。

 幼少期から、松方さんの背中を追い続けてきた目黒は「常に前向きな人でしたから、このまま仕事に復帰できないということは、あまり考えてなかったんじゃないですかね」と肩を落とした。

 松方さんが闘病していた昨年6月、都内で行われた映画の舞台あいさつに登壇した目黒は「(兄は)様子を見ている段階です」と話すにとどまり、容体に詳しく触れることはなかった。


仁科克基 父・松方弘樹さん死去 15年以上も会えないままの別れになった
デイリースポーツ 1/24(火) 0:02配信

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仁科克基

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。息子で俳優の仁科克基が23日、TBS系「ニュース23」に談話を寄せた。

 「15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかったです」。


目黒祐樹、兄・松方弘樹さんを偲ぶ「思い浮かぶのは底抜けの笑顔」
サンケイスポーツ 1/23(月) 23:26配信

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囲み取材に応じる弟で俳優の目黒祐樹=東京都世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優の松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。

 約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番、「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちました」と語り、故人の意向でこの日、近親者で密葬を済ませたことを報告した。

 松方さんは20年来のパートナーと事務所関係者ら3人に看取られたといい、「苦しみもせずに穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』とパチッと目を開けそうでした」と回顧。松方さんの遺骨について「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。長男ですから私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」と語り、お別れの会は「これから検討する」とした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっと辛いときかな」と話したという。

 昨年2月から最先端医療で知られる都内の大学病院に入院していたが、「何万人、10万人に1人くらいの珍しい病気で、放射線治療と投薬治療で手術は難しい病気だと。最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていた。11カ月入院していたけれど、常に前向きな人なので仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年をこえたとき、『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 兄との思い出については「数え切れないくらいある。思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄を偲んだ。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん とても穏やかな安らかな顔で旅立った
デイリースポーツ 1/23(月) 23:24配信

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目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じて心境を語った。

 目黒は「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたのでそれがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情。

 また、「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います。常に前向きな人でしたからこのまま仕事復帰できないということは……あまり考えてなかったんじゃないですかね」と言葉に詰まりながら兄の気持ちに思いをはせた。


俳優・松方弘樹さん、脳リンパ腫で死去 74歳
ホウドウキョク 1/23(月) 23:24配信

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(写真:ホウドウキョク)

俳優の松方弘樹さんが、21日に亡くなっていたことがわかった。74歳だった。
松方さんは、10万人に1人ともいわれる脳の病気「脳リンパ腫」を患い、闘病を続けていた。
2016年2月に体調不良を訴え、そのまま入院。
1人で歩くことが困難で、車いすを使用。
言葉も出なくなる状況だったという。
松方さんは1960年、高校3年の時に東映に入社し、その年に主演で銀幕デビュー。
最近では、バラエティー番組にも多く出演していた。


松方さん弟・目黒祐樹「本日、ごくごく身内で見送らせていただいた」
東スポWeb 1/23(月) 22:46配信

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会見した目黒祐樹

 脳リンパ腫のため21日に74歳で死去した俳優・松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)の実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅で報道陣の取材に応じ、兄に死を惜しんだ。

 目黒は沈痛な面持ちですでに密葬を済ませたことを明かした。「本人たっての希望で密葬にしてもらいたいと。(その意向を受け)本日、ごくごく身内で見送らせていただいた。もちろん(松方さんの)子供たちも参列した」

 松方さんの最期を見届けたのは3人だったという。「兄貴と二十数年来、パートナーとして一緒に過ごしていると女性と事務所関係者、面倒を見ていた人に看取られたと聞いている。苦しみもせず穏やかに眠るように逝ったと聞いている」と話した。

 遺骨については「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」。お別れの会は「これから検討する」とした。

 目黒は死去した直後になきがらと対面。「体はずいぶん痩せていたけど、顔はすごくいい表情をしていた気がする」と語った。

 病気は昨年2月に発覚した。「(闘病は)11か月に及んだんじゃないですかね。放射線治療と投薬と聞いている。手術の難しい病気だと」。それでも、本人への告知については「深刻な状態と本人に伝えていなかったのかもしれない」とした。

 目黒が最後に見舞ったのは昨年12月10日で、松方さんの意識ははっきりしていたという。「『今はツラい時かな』とかそういう言葉を発していましたね」と振り返った。

 松方さんに顔がそっくりな目黒は涙をこらえ、兄への思いを語った。


松方弘樹さん死去 まだ体温かく…実弟・目黒祐樹さん「大変驚き」
埼玉新聞 1/23(月) 22:42配信

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、テレビのバラエティー番組でも親しまれた俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京都文京区の病院で死去した。74歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

■残念でなりません/実弟の目黒祐樹さん(69)の話

 訃報を受け病院に駆け付けました。まだ体が温かくて…。兄とは近く放送の番組で共演の予定でしたが、兄の体調不良で昨年12月23日に私単独で収録に臨みました。この番組で兄の体調が回復するようにエールを送りましたが、残念でなりません。よく遊び、仕事も存分にした兄でした。大変驚いています


「松方弘樹さんの死は、日本の漁業界にとっても大きな損失」取材記者が語る
週刊SPA! 1/23(月) 21:40配信

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一本釣りで巨大マグロを釣り上げる松方弘樹さん

 1月21日、入院して闘病中だった俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫で死去。松方さんには入院前、マグロなどの漁業資源保護関係の記事で週刊SPA!に何度も登場いただいていた。その後何度か本誌で漁業資源関係の記事を掲載するたびにメッセージ等を送るも、容態が思わしくないようで、入院後は面会することもコメントをいただくこともかなわなかった。

 本誌は2009年11月22日、山口県萩市の離島・見島で開かれていた「萩クロマグロトーナメント」で、松方さんが300kgを超える巨大マグロを釣り上げ2年連続の優勝をした夜、インタビューを行った。

 その時に同席したのは、松方さんの一本釣りの師匠だった元漁民の佐々木敦司さん。2人はマグロトーナメントの話だけではなく、マグロ資源の危機的状況について語り合ってもいた。

「人間の力だけで釣り上げるマグロ一本釣りは、水産資源に優しい“エコ”な漁法。それに比べて産卵期の魚や小さい魚を根こそぎ獲ってしまう『巻網漁』は、魚の枯渇につながる。日本も、ノルウェーやニュージーランドなど、海外並みの厳しい規制強化をすべきです」と松方さんは語った。

 松方さんと言えば「本職は俳優ではなく、釣り人」というほどの釣り好きで有名だった。釣りの話だけでなく、漁業資源の話になると熱くなるのが印象的だった。

 この問題は松方さんにとって特別のものだったようで、本誌記者は事務所を通さず直接やりとりをしてもらっていた。

「以前のコメントは何度でも使って下さい。漁業資源を守るためには、巻網漁への規制強化は欠かせません」と非常に協力的だったのだ。

「佐々木さんと一緒に、海のエコを考えるシンポジウムに参加したい」と語っていた松方さん。本誌記者が「俳優のレオナルド・ディカプリオさんは、ハイブリッド車に乗って環境問題を訴えています。松方さんは一本釣りで海のエコを訴えているわけですね」と言うと、「そうです」とニコっと笑ってくれた。

 本誌で何度も語ってくれた「魚を守ってほしい」という思い――。しかし、まだ日本では巻き網漁などによる乱獲が続き、実現できていない。松方さんが亡くなられたことは、日本の漁業界にとっても大きな損失で、本当に残念なこと。本誌としてはその遺志を継いで今後も日本の漁業資源について取材を続けていくと宣言するともに、松方さんのご冥福をお祈りするばかりだ。 <取材・文/日刊SPA!取材班>


目黒祐樹「自分の心には正直な人」兄松方さん悼む
日刊スポーツ 1/23(月) 21:29配信

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兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった、俳優松方弘樹さん(享年74)の実弟で、俳優の目黒祐樹(69)が23日夜、都内の自宅前で報道陣の取材に応じた。

【写真】松方弘樹さん死去、昨春に悪性脳リンパ腫 74歳

 目黒は冒頭「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活の中、皆様にはお世話になりました。ありがとうございました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ったのがせめてもの救いだと思っています」とあいさつした。

 松方さん本人の生前の意向で、この日密葬が行われたという。松方さんの最後は、20年来のパートナーとされる女性と、事務所関係者ら3人に看取られたといい「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。(死後2時間半後に病院に駆けつけ)体はやせていたけど、顔は安らかでいい表情をしていました」と明かした。

 目黒が松方さんと最後に会ったのは、昨年12月10日。見舞いに行ったときで、目黒が声を掛けると「おお」「そうか」などと反応していたという。昨年2月から入院していたが「何万人、10万人に1人くらいの難しい病気。放射線治療や投薬をしていて、手術は難しい病気でした。ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので仕事に復帰したいという気持ちは強く思っていたと思います」と話した。

 兄として、俳優として尊敬していた。「数え切れないくらい思い出はありますが、背中が見えないくらい、常に僕のはるか前を行っていた。小さい頃からけんかをしたりいろいろあったけど、まだ実感は…。徐々に寂しさが湧いてくるのかなと思います」。

 また、とにかく明るい人だったといい「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心には正直な人だったので周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。それが弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました。変な話ですけど、向こうでも元気でいてほしい」と目を赤くした。


松方弘樹さん死去 脳リンパ腫のため
シネマトゥデイ 1/23(月) 21:04配信

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松方弘樹さん(写真は2014年に撮影したもの)

 『仁義なき戦い』シリーズや釣り番組などで知られた俳優の松方弘樹さん(本名:目黒浩樹)が21日に亡くなっていたことが明らかになった。74歳だった。所属事務所の株式会社MAREがマスコミ関係者に宛てたFAXを通じて23日に発表した。松方さんは復帰を目指して闘病中だったが、昨年2月から患っていた脳リンパ腫のため帰らぬ人となった。

【写真】2014年に行われたイベントでの松方弘樹さん

 東京都出身の松方さんは、映画『十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ』(1960)でデビュー。故・深作欣二監督のヤクザ映画や、「遠山の金さん」などの時代劇に多数出演し、俳優として確固たる地位を築いた。また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「ダウンタウンDX」などのバラエティー番組で見せたお茶目な一面も愛されていた。「松方弘樹・世界を釣る」と題したドキュメンタリー番組では、盟友・梅宮辰夫とともに世界の海に繰り出して大物のカジキやマグロを狙い、芸能界を代表する釣り好きとして知られていた。

 所属事務所によると、葬儀は生前の本人の意志を尊重して近親者のみですでに執り行っており、お別れ会に関しては関係者と協議中。昭和のスターの早すぎる死を悲しむ声がTwitterなどのSNSに多数寄せられている。(編集部・海江田宗)


松方さん死去に、息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」
スポーツ報知 1/23(月) 20:37配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの次男で俳優・仁科克基(34)が23日、お悔やみのコメントを発表した。

 仁科は、松方さんにとって2度目の結婚となった仁科亜季子(63)との間に1982年に誕生。松方さんと仁科亜季子は98年に離婚、仁科克基の親権は仁科亜季子が持った。

 以下、コメント全文。

 × × ×

 突然の事で、本当で残念で仕方ありません。

 15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。

 最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。

 僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

 2017年1月23日

 仁科克基


松方弘樹さん死去 「15年以上、会えないままの別れに…」息子の仁科克基さん
産経新聞 1/23(月) 20:31配信

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松方弘樹さんの死去を受け、コメントを出した息子で俳優・タレントの仁科克基さん(写真:産経新聞)

 俳優の松方弘樹さんが21日に亡くなったことを受け、俳優・タレントで息子の仁科克基さん(34)が23日、コメントを発表した。

     ◇

 突然のことで、本当に残念で仕方ありません。15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

2017年1月23日

仁科克基


仁科亜季子 松方さんの離婚と父の公認に3年 松方さんと結婚するために待った
デイリースポーツ 1/23(月) 20:29配信

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菅原文太さんの思い出を語る松方弘樹さん=2014年撮影

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「私が本気で愛した人」と談話を出した。松方さんは仁科と結婚するために元妻と離婚をした。仁科との婚約当初を振り返る。

 2人が婚約を発表したのは1979(昭和54)年。仁科は当時、彰子と名乗っており、松方さんは「これでやっと彰子を太陽の下に出せます」と“日陰の存在”だったことに後ろめたさを感じていたことを告白した。

 仁科の父親で歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが2人の仲を公認し、婚約となった。2人はそろって会見し、仁科は「(松方に)ついてきて良かった。これからはだれに気兼ねすることなく笑顔が作れます」と喜んだ。

 婚約までに3年かかったことに仁科は「(松方さんは)いったん自分で決めたことはがんこに守る人ですから、大丈夫という自信はありました。でも、私の気持ちが両親にうまく伝わらず、父や母につらい思いをさせたことはつらかった」と話していた。


「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント
時事通信 1/23(月) 20:25配信

 俳優の松方弘樹さんの訃報に、女優で元妻の仁科亜季子さんら関係者が、「大変驚いている」などのコメントを発表した。

 仁科さんは、「私が本気で愛し、2人の子どもを授かり20年以上も共に歩んできた方。安らかにお休みくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 映画「仁義なき戦い」シリーズなどで共演した、俳優の渡瀬恒彦さんは、「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」と悼んだ。

俳優の松方弘樹氏が死去

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

リンク:<松方弘樹さん死去>不良っぽい「チョイ悪」の金さん演じて - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去、74歳 「仁義なき戦い」「遠山の金さん」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元妻の仁科亜季子「今は安らかに…」/松方さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<松方弘樹さん死去>元妻の仁科さん「私が本気で愛し…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元妻・仁科亜季子が松方さん追悼「私が本気で愛し、二十年以上も共に歩んで参りました方」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん次男の仁科克基、父の訃報に「15年以上も会えないままの別れに」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子「私が本気で愛し共に歩んで参りました方、安らかにおやすみください」松方さんしのぶ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん元妻の仁科亜季子「二十年以上共に歩んだ」克基は「飲みたかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん元妻の仁科亜希子「訃報を聞き大変驚いております」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去、元妻の仁科亜季子「私が本気で愛し、2人の子供を授かり…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:昭和のスター・松方弘樹さんが死去 74歳、脳リンパ腫で闘病中だった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 38歳で子宮頸がんを発症 現在はがんサバイバー - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 複数の女性との間に子ども6人 芸能界指折りのモテ男 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、74歳で死去…「仁義なき戦い」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:俳優の松方弘樹さんが死去 74歳 「仁義なき戦い」や時代劇などで活躍 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 既に近親者のみで葬儀「本人の生前の意志を尊重」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん74歳で死去 時代劇ややくざ映画で活躍 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 元夫の松方弘樹さんの回復祈っていた 「早く良くなってほしい」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去 74歳 昨年3月に脳リンパ腫と診断 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去=74歳、「仁義なき戦い」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫と診断され闘病 「仁義なき戦い」シリーズ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【訃報】脳リンパ腫で闘病中だった松方弘樹さんが死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<訃報>時代劇「遠山の金さん」 俳優の松方弘樹さん74歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんが死去 74歳、脳リンパ腫で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:俳優・松方弘樹さん脳リンパ腫のため死去 昨年から闘病続ける - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、74歳で死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、脳リンパ腫のため74歳で死去 「仁義なき戦いシリーズ」などで活躍 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「仁義なき戦い」シリーズで人気/松方弘樹さん略歴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去、昨春に悪性脳リンパ腫 74歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:昭和のスターだった松方弘樹さん 趣味の釣りで大型マグロ 私生活も華やか - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<松方弘樹さん死去>不良っぽい「チョイ悪」の金さん演じて
毎日新聞 1/23(月) 20:19配信

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「二匹目のドジョウを」と笑顔で定期船に乗り込む松方弘樹さん=山口県萩市の萩港で2009年11月19日午後2時38分、川上敏文撮影

 やくざ映画や時代劇などで活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、74歳で脳リンパ腫のため死去した。

 ともに俳優の近衛十四郎と水川八重子の長男として生まれ、高校3年の1960年、近衛の所属していた東映に入社、「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で銀幕デビューした。甘いマスクの二枚目として、「赤穂浪士」や「次郎長三国志」などの時代劇で人気に。69年に大映に移り、「眠狂四郎円月殺法」などに出演するも、71年に東映に復帰。ぎらついたすごみのある容姿を生かし、「仁義なき戦い」シリーズをはじめ「県警対組織暴力」「北陸代理戦争」といった東映実録映画のスターとなった。他の代表作に「柳生一族の陰謀」「修羅の群れ」など。2003年には「OKITE・やくざの詩」で初監督を務めた。

 テレビにも活躍の場を広げ、74年には病気で降板した渡哲也さんの代役としてNHK大河ドラマ「勝海舟」で主演。88年に始まった「名奉行 遠山の金さん」シリーズでは約10年間にわたり、不良っぽい「チョイ悪」の金さんを演じた。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などバラエティー番組にも多数出演し、お茶の間の人気者になった。

 業界きっての太公望として知られ、「松方弘樹 世界を釣る」などの番組にも出演。特にマグロ釣りを得意とし、日本屈指のクロマグロの好漁場を舞台とした「萩クロマグロトーナメント」では300キロ超の大物を釣り上げ、優勝したこともある。弟は俳優の目黒祐樹さん。元妻に女優の仁科亜季子さん。

 映画「仁義なき戦い」などで共演した俳優の渡瀬恒彦さんの話 年齢も近く、東映の撮影所でともに育ってきました。今は言葉が出ません。


松方弘樹さん死去、74歳 「仁義なき戦い」「遠山の金さん」
J-CASTニュース 1/23(月) 20:19配信

 俳優の松方弘樹(本名:目黒浩樹、めぐろ・こうじゅ)さんが2017年1月21日、脳リンパ腫のため死去した。東京都出身、74歳。1月23日にマネジメント担当者がJ-CASTニュースの取材に対し明らかにした。

 松方さんは1960年、映画「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。「仁義なき戦い」(1973年)といった任侠映画に出演する一方、NHK大河ドラマ「勝海舟」(74年)や、「名奉行 遠山の金さん」(88~98年)などテレビでも数多く主演。「天才・たけしの元気が出るテレビ!! 」(85~96年)といったバラエティー番組でも活躍した。

■「またひとつ昭和が遠ざかったということか」

 松方さんは1942年、時代劇俳優の近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんの間に誕生。弟には同じく俳優の目黒祐樹さん(69)がいる。また1979年に結婚、98年に離婚した仁科亜希子さん(63)との間には、俳優・タレントの仁科克基さん(34)と仁科仁美さん(32)をもうけた。

 俳優活動のかたわら、趣味の釣りをいかした冠番組「松方弘樹・世界を釣る!」などにも出演していたが、16年2月に「脳腫瘍の可能性」のため長期療養に入ったことを公表し、コンサートや主演舞台から降板していた。休養発表からわずか1年での死去に、ツイッターでは驚く反応が出ている。

  「最近見てないと思ったら、 体調悪かったのか...」
  「マジかー。またひとつ昭和が遠ざかったということか」
  「松方さんの遠山の金さんがすごく好きだった。松方弘樹の世界を釣るもよく見てた。残念で仕方ない」


元妻の仁科亜季子「今は安らかに…」/松方さん悼む
日刊スポーツ 1/23(月) 20:14配信

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79年11月、松方弘樹さんと結婚した仁科明子

 松方弘樹さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)が、23日、所属事務所を通じ、報道各社にファクスで追悼コメントを発表した。

【写真】亡くなった松方弘樹さん

 「このたびの訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子どもを授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。合掌」


<松方弘樹さん死去>元妻の仁科さん「私が本気で愛し…」
毎日新聞 1/23(月) 20:10配信

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仁科亜季子さん=2015年11月、関口純撮影

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、74歳で脳リンパ腫のため死去した。元妻の女優・仁科亜季子さんは「訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は安らかにお休みくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」とコメントした。


元妻・仁科亜季子が松方さん追悼「私が本気で愛し、二十年以上も共に歩んで参りました方」
東スポWeb 1/23(月) 19:48配信

 俳優・松方弘樹さんが21日に脳リンパ腫のため74歳で死去したことが明らかになった23日、元妻で女優の仁科亜季子(63)がコメントを発表した。

 仁科は所属事務所を通じて「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、二人の子供を授かり二十年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と故人を悼んだ。

 2人は1979年に結婚。2人の子供をもうけたが、98年に離婚した。


松方さん次男の仁科克基、父の訃報に「15年以上も会えないままの別れに」
サンケイスポーツ 1/23(月) 19:44配信

839
仁科克基(写真:サンケイスポーツ)

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優、俳優、松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんの次男でタレント、仁科克基(34)がマスコミ各社にファクスを通じて談話を発表した。

 仁科は「突然の事で、本当に残念で仕方がありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」とコメントした。

 克基は松方さんにとって2度目の結婚となった女優、仁科亜希子(63)との間に誕生。松方さんと仁科亜希子はその後、離婚していた。


仁科亜季子「私が本気で愛し共に歩んで参りました方、安らかにおやすみください」松方さんしのぶ
スポーツ報知 1/23(月) 19:42配信

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仁科亜季子

 俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんが、脳リンパ腫のため21日に都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。74歳だった。

 98年に松方さんと離婚した元妻の仁科亜季子(63)はこの日、所属事務所を通じてコメントを発表。「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、二人の子供を授かり二十年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と惜しんだ。


松方さん元妻の仁科亜季子「二十年以上共に歩んだ」克基は「飲みたかった」
スポニチアネックス 1/23(月) 19:41配信

837
仁科亜季子(左)と仁科克基

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去したことを受け、元妻で女優の仁科亜季子(63)が23日、コメントを発表した。

 仁科は所属事務所を通じたファクスで「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、二人の子供を授かり二十年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」とし、「合掌」と続けた。仁科は1979年に松方さんと結婚。タレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけたが、98年に離婚した。

 また、克基もコメントを発表、「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」と悼んだ。


松方弘樹さん元妻の仁科亜希子「訃報を聞き大変驚いております」
サンケイスポーツ 1/23(月) 19:39配信

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仁科亜希子(写真:サンケイスポーツ)

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優、松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんの元妻で女優、仁科亜希子(63)が23日、直筆の署名入りのコメントをマスコミ各社にファクスを通じて発表した。

 仁科は「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、二人の子供を授かり二十年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」とコメントした。

 松方さんは仁科と1979年に結婚。松方は再婚だったが、2人は98年に離婚した。


松方弘樹さん死去、元妻の仁科亜季子「私が本気で愛し、2人の子供を授かり…」
デイリースポーツ 1/23(月) 19:38配信

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在りし日の松方弘樹さん=2014年12月撮影

 俳優の松方弘樹さんが死去したことを受け、元妻の仁科亜季子が23日、コメントを発表した。

【写真】映画「仁義なき戦い」でヤクザ役を熱演する松方弘樹さん

 「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、二人の子供を授かり二十年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」

 仁科は松方さんと1979年に結婚。98年に離婚した。俳優の克基、タレントの仁美の2子をもうけた。

 松方さんは脳リンパ腫のために21日に亡くなった。74歳だった。


松方弘樹さん 息子仁科克基の元妻と会ったことなかった 最近の語録から
デイリースポーツ 1/23(月) 19:28配信

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在りし日の松方弘樹さん=2014年12月撮影

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。21日に亡くなった。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。しかし、最近は健康を崩し、脳リンパ腫と診断され、病と闘っていた。松方さんの最近の語録を振り返る。

【写真】映画「仁義なき戦い」でヤクザ役を熱演する松方弘樹さん

 ◆2009年11月27日 山口県萩市の「萩クロマグロトーナメント」で、大会史上最大の325キロのマグロを釣って2年連続優勝。「2年連続300キロ超とは夢にも思わなかった」

 ◆2013年4月24日 都内で映画イベントに登場。前年10月にタレントの多岐川華子と結婚生活わずか2年で離婚した長男の仁科克基に“ダメ出し”。「甲斐(かい)性がないと女性は付いてこないでしょう。男は仕事が大事だから、ちゃんとやっていないとね」。さらに「没交渉ですから。(多岐川とも)お会いしたこともない」と父子の交流がないことも告白。

 ◆2014年4月15日付の本紙インタビュー。主演映画「柳生十兵衛 世直し旅」を映画館で公開せずに、地方自治体が持つホールなどで上映する形式を取っていることに「映画のデリバリーですよ。今は地方のお年寄りの楽しみが少なすぎる。ぼくの映画を支えてくれた世代の方々に楽しみを提供したいんです」

 「昔は現場が華やかでしたが、最近は元気がなくてさみしいんですよ。こういうやり方もある、ということになれば、作品が増えて現場に活気が戻ってくる。50年飯を食わせてもらってる業界にお返しをしたいんです」

 ◆14年8月18日 主演舞台「友情~秋桜のバラード~」の製作発表。白血病で髪が抜けた同級生を励ますため、クラスメート全員が丸刈りにするという実話に基づき、女優の髪にバリカンを入れて「緊張しました。彼女の覚悟を重い気持ちで受け止めています」

 ◆14年12月1日 菅原文太さんの訃報を受けて。最後の会話となった3年前の電話でのやりとりを明かし「(菅原さんが)『元気してるぞ』って。『仕事やってくださいよ』と言ったら、『もういいよ』と言われた。ギラギラしているときを知っているから、白髪になった好々爺(や)の文太さん(の演技)が見たかった」

 ◆2015年3月11日。菅原文太さんをしのぶ会に出席し「(高倉)健さんはあこがれが強すぎたけど、文太さんは身近で手が届きそうで届かない存在。昔はよく飲みに行って、文太さんはめちゃくちゃモテた」


松方弘樹さん死去 元妻・仁科亜季子が追悼「20年以上も共に歩んで…」
オリコン 1/23(月) 19:26配信

834
仁科亜季子 (C)ORICON NewS inc.

 俳優の松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが、脳リンパ腫のため今月21日に死去した。74歳だった。訃報を受け、元妻で女優の仁科亜季子(63)が23日、所属事務所を通じてコメントを発表した。

【写真】仁科亜季子と娘の仁科仁美 2ショット

 直筆の署名とともに仁科は「このたびの、訃報を聞き大変驚いております」と記し「私が本気で愛し、2人の子どもを授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます 合掌」としのんだ。

 松方さんと仁科は1979年に結婚。仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけるが1998年に離婚した。なお、所属事務所によると会見は行わない予定。


昭和のスター・松方弘樹さんが死去 74歳、脳リンパ腫で闘病中だった
BuzzFeed Japan 1/23(月) 19:13配信

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松方弘樹さん(2012年撮影)

俳優の松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが1月21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。

松方さんは2016年2月、脳腫瘍のため出演予定だったコンサートと舞台の中止を発表。その後、医師に脳リンパ腫と診断されていた。

所属事務所によれば、葬儀は生前の本人の意思を尊重し、近親者のみで執り行った。お別れ会については、関係者と協議をした上で報道関係者に連絡するとしている。

松方さんは、時代劇スターの近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんの間に長男として生まれた。

1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。その後、「仁義なき戦い」シリーズなど数々の任侠映画に出演し人気を得た。

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こちらは、松方弘樹さんが釣り上げた「308キロ」の巨大マグロ。「すしざんまい」チェーンの喜代村が184万8000円で落札した(2015年撮影)

一方、番組スタートから出演した人気バラエティ「天才・たけしの元気が出るテレビ」では、映画では見せない笑い上戸キャラを発揮。活躍の幅を広げた。

趣味の釣りでは2015年5月、沖縄・石垣島で、自己最高記録となる361キロのマグロを釣り上げた。


仁科亜季子 38歳で子宮頸がんを発症 現在はがんサバイバー
デイリースポーツ 1/23(月) 19:05配信

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松方弘樹の元妻の仁科亜季子

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。最近は健康を崩し、脳リンパ腫と診断され闘病していた。元妻で女優の仁科亜季子(63)もまた1991年5月、38歳のときに子宮頸がんを発症。計4度のがんを発症しながらも、現在はがんサバイバーとして講演活動などを行っている。

 仁科は昨年10月1日にブログで、がん体験を公開していくとした。1991年5月、38歳のときに子宮頸がんを発症。その後も胃がんや大腸がんなど、合計4度のがんを発症しながらも、現在はがんサバイバーとして講演活動などを行っている。当日のブログには「小林麻央さんの勇気あるブログ発信の後、私の所へも何カ所かメディアから取材の依頼がありました」と打ち明けている。

 ブログによると、最初のがんを発症したときは子供たちが幼かった頃であったため「告知を受けた時は、頭をハンマーで打ち砕かれたようでした。自分の身に何が起きたのか理解できませんでした」と当時の心境を吐露。

 仁科はまた、最初の発病から25年がたつことに触れ「自分でもよく頑張っていると思います」とつづるほど復調しており、現在も講演などに飛び回る毎日。だが「今の元気そうな私を見て、今なお、後遺症に悩まされながら、日々不安や恐怖をかかえながら、癌と共存しているとはどなたも思わないと思います」とつづり、まだまだ再発の恐怖や闘病の苦しさにさいなまれていることを告白した。

 昨年12月に更新したブログでは「放射線治療 そして嬉しい一時帰宅」と振り返り、「二度と子供達と離れたくなかった 二度とガン細胞が現れないよう 万全を期するようにしたかった」とがんを克服しようとする心境をつづっていた。


松方弘樹さん 複数の女性との間に子ども6人 芸能界指折りのモテ男
デイリースポーツ 1/23(月) 19:05配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。21日に亡くなった。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。しかし、最近は健康を崩し、脳リンパ腫と診断され、病と闘っていた。モテ男だった松方さんには複数の女性との間に6人の子どもがいることを俳優で息子の仁科克基が明かしていた。

【写真】映画「仁義なき戦い」でヤクザ役を熱演する松方弘樹さん

 仁科は2015年12月に関西テレビの「胸いっぱいサミット!」にゲスト出演し、松方さんの複雑な家族構成について語った。

 「知っている範囲で家族を教えて?」と問われた仁科は、松方さんの最初の妻との間にできた姉2人と兄、仁科亜季子との間にできた自分自身と妹の仁科仁美、さらに父が認知した弟と計6人の子供がいることを説明。姉と兄には何度も会ったことはあるそうだが、子供たち全員がそろって顔を合わせたことはないといい、「弟は1回も会ったことはないです」と明かしていた。

 今後もきょうだいが増える可能性を聞かれると克基は「子供はもう増えないです。(松方さんが)パイプカットしてるんで!」と話していた。


松方弘樹さん、74歳で死去…「仁義なき戦い」
読売新聞 1/23(月) 19:04配信

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松方弘樹さん(2004年10月撮影)

 時代劇、やくざ映画などで、華と存在感を併せ持つスターとして活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが、21日、脳リンパ腫のため亡くなった。

 74歳だった。葬儀は近親者で済ませた。

 東京都出身。俳優、近衛十四郎さんの長男で、1960年、東映に入社し、映画デビュー。「赤穂浪士」「次郎長三国志」など時代劇で人気を集め、戦後派のチンピラを演じた「893愚連隊」といった作品でも実力を発揮。「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」など東映実録路線のスターとしてダイナミックな演技を見せた。「柳生一族の陰謀」「真田幸村の謀略」でも活躍した。


俳優の松方弘樹さんが死去 74歳 「仁義なき戦い」や時代劇などで活躍
産経新聞 1/23(月) 18:53配信

 映画やテレビで活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが死去していたことが23日、分かった。74歳だった。東京都出身。

 松方さんは体調不良で昨年2月に入院。「脳リンパ腫」と診断され、治療を続けていた。

 昭和17年、剣劇俳優の近衛十四郎さんと女優、水川八重子さんの長男として生まれた。35年に東映に入社し、「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。甘いマスクと鋭い眼光が特徴で、「昭和残(ざん)侠(きょう)伝」シリーズなどの任侠映画や時代劇で活躍。時代劇の退潮に伴い、実録やくざ映画路線に転向し、48年の深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズなどで強い印象を残した。他の代表作に「県警対組織暴力」「柳生一族の陰謀」「修羅の群れ」など。

 テレビ出演も多く、NHK大河ドラマ「勝海舟」(49年)で、病気降板した渡哲也さんに代って主演を務めたほか、「大江戸捜査網」「名奉行遠山の金さん」「ホテル」などで渋い演技を披露した。

 一方で、60年にはバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)に出演。笑い上戸で甲高い声で陽気に話す意外な一面を見せて人気を集め、その後、他のバラエティー番組にも数多く出演した。また、マグロの1本釣りを趣味とし、釣りのドキュメンタリー番組にも出演。たびたび大物を釣り上げて話題を呼んでいた。

 54年に女優の仁科明子(現亜季子)さんと再婚したが、その後離婚。仁科さんとの間に、タレントの仁科克基さん(34)と仁科仁美さん(32)をもうけた。

 弟は俳優の目黒祐樹さん(69)。

 ■女優で元妻の仁科亜希子さんの話 「このたびの、訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり、20年以上も供に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」


松方弘樹さん死去
時事通信 1/23(月) 18:42配信

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映画「仁義なき戦い」シリーズやテレビドラマ「人形佐七捕物帳」などで知られる俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。


松方弘樹さん 既に近親者のみで葬儀「本人の生前の意志を尊重」
スポニチアネックス 1/23(月) 18:41配信

819
松方弘樹さん

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんの所属事務所が23日、マスコミ各社に文書でコメントを発表。葬儀は本人の生前の意思を尊重し、近親者のみで執り行われた。

 文書によると「葬儀に関しましては生前の本人の意志を尊重致しまして、近親者のみで執り行いました」と発表。「勝手ながらのお願いですが、ご供花、お供物、お香典は固くご辞退申し上げます」とした。

 また、お別れ会については「お世話になった方々、関係者各位と協議をした上で追って連絡させていただきます」と記載。「皆様の生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでご通知申し上げます」と結んだ。


松方弘樹さん74歳で死去 時代劇ややくざ映画で活躍
エンタメOVO 1/23(月) 18:28配信

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが死去したことが23日、分かった。74歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。脳リンパ腫で闘病していた。

 松方さんは、1960年にデビュー。時代劇で活躍し、スターの座に就いた。深作欣二監督『仁義なき戦い』では、あくの強い暴力団幹部を熱演。『県警対組織暴力』などで強烈な個性を発揮した。他の代表作に『柳生一族の陰謀』『修羅の群れ』など。

 テレビではNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「人形佐七捕物帳」「名奉行遠山の金さん」などでも主演を務めたほか、バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でも親しまれた。

 女優の仁科亜季子さんは元妻。


仁科亜季子 元夫の松方弘樹さんの回復祈っていた 「早く良くなってほしい」
デイリースポーツ 1/23(月) 18:23配信

830
松方弘樹の元妻の仁科亜季子

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。最近は健康を崩し、脳リンパ腫と診断され闘病していた。元妻で女優の仁科亜季子(63)は回復を祈っていた。

 仁科は昨年7月22、舞台「ペコロスの母に会いに行く」の公開稽古後の会見に出席。当時、松方さんは脳リンパ腫で闘病中だったことから報道陣にコメントを求められ、「早く良くなってほしい」と気遣った。仁科は「あした誕生日なんですよね」と松方さんの誕生日を覚えていた。2人は79(昭和54)年に結婚。98(平成10)年に離婚した。

 同世代の女優山本陽子も気遣い、昨年3月に「彼とは同い年なのよ。若い若いと思っていたらね。元気になって早く復帰してもらいたい」と話していた。


松方弘樹さん死去 74歳 昨年3月に脳リンパ腫と診断
オリコン 1/23(月) 18:12配信

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松方弘樹さん (C)ORICON NewS inc.

 俳優の松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが、脳リンパ腫のため今月21日に死去した。74歳だった。葬儀は生前の本人の意志を尊重し、近親者のみで執り行われた。お別れ会については、今後協議される。

【写真】元妻・仁科亜季子と娘の仁科仁美

 松方さんは昨年2月、脳腫瘍のため出演予定だった3月からのコンサートと6月からの舞台の中止を発表。その後、医師より脳リンパ腫と診断され、所属事務所は「完全復帰を目指し治療と療養に専念させていただきたく存じます。松方本人も皆様方からいただいております心温まる激励を糧に一日も早く病を乗り越え元気な姿をご報告出来る様にと闘病生活への意気込みを語っております」とFAXで発表していた。

 松方さんは1942年7月23日東京都生まれ。父は俳優の近衛十四郎、母は女優の水川八重子、弟は俳優の目黒祐樹。60年に東映に入社し、主演作『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でデビュー。『赤穂浪士』『次郎長三国志』など時代劇を中心に二枚目スターとして人気を得る。主な出演作は映画『眠狂四郎円月殺法』『仁義なき戦い』『江戸城知覧』、ドラマ『HOTEL』『サラリーマン金太郎』など。

 俳優のほか、バラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ』ではコミカルな一面も見せ、話題を呼んだ。幼少期からの釣り好きを生かし『松方弘樹・世界を釣る!』をはじめ数々の釣り番組を持ち、マグロの大物を釣るたびにニュースとなっていた。


松方弘樹さん死去=74歳、「仁義なき戦い」
時事通信 1/23(月) 18:12配信

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映画「仁義なき戦い」シリーズやテレビドラマ「人形佐七捕物帳」などで知られる俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。

 映画「仁義なき戦い」シリーズやテレビドラマ「人形佐七捕物帳」などで知られる俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。

〔写真特集〕俳優・松方弘樹さん

 74歳だった。東京都出身。

 時代劇俳優だった故近衛十四郎さんの長男として生まれ、高校3年のときに東映に入社。1960年に「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビューし、甘さと精悍(せいかん)さを兼ね備えた若手俳優として青春物から時代劇まで幅広いジャンルの作品で活躍した。デビュー当初は正統派の二枚目役も多かったが、「893愚連隊」の小悪党役などで演技の幅を広げ、深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズの人間くさいやくざ役で新境地を開拓。悪役やかたき役も演じられる性格俳優として数々の作品に出演した。

 テレビドラマにも進出し、大河ドラマ「勝海舟」のほか、「大江戸捜査網」「名奉行 遠山の金さん」などの人気作に主演。ドラマ以外にも、バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!! 」や趣味の釣りを生かした番組など多彩なジャンルに出演し、飾らない三枚目的なキャラクターがお茶の間でも親しまれた。

 このほかの代表作に映画「赤穂浪士」「昭和残侠伝」「恐喝こそわが人生」「北陸代理戦争」「柳生一族の陰謀」「修羅の群れ」、大河ドラマ「天地人」「八重の桜」など。

 弟は俳優の目黒祐樹さん。元妻で女優の仁科亜季子さんとの間に、タレントの仁科克基さんと仁科仁美さんをもうけた。松方さんは昨年3月に脳リンパ腫を患っていることが判明。その後はドラマ出演などの予定は全てキャンセルし、復帰を目指して治療に専念していた。


松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫と診断され闘病 「仁義なき戦い」シリーズ
デイリースポーツ 1/23(月) 18:08配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。釣り好きでも知られ、2年前には361キロのカジキマグロを釣り上げて話題になった。しかし、最近は健康を崩し、脳リンパ腫と診断され、病と闘っていた。「クジラを釣りたい」とも話していたが思いはかなわなかった。

【写真】巨大マグロを釣り上げ、ご機嫌の松方弘樹さん=2015年

 松方さんは昨年2月に体調不良を訴え、その後脳リンパ腫と診断された。脳リンパ腫は悪性腫瘍で症例の極めて少ない難病。入院中に脳梗塞も発症していた。健康な時は70キロほどあった体重は55キロほどに減ったという。

 松方さんは1942(昭和17)年7月23日生まれ。60(昭和35)年、高校3年の時に東映入社。同年、「十七歳の逆襲・暴力をぶっとばせ」でデビューした。北大路欣也との2世スターコンビとして数多くの時代劇映画に出演。その後、東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズ、「県警対組織暴力」などの深作欣二作品のほか、「脱獄広島殺人囚」な中島貞夫監督と組んだ主演作も多い。

 テレビドラマにも出演し、「勝海舟」「大江戸捜査網」などにも出演。ビートたけしの「天才たけしの元気が出るテレビ」にも出演し、たけしのふりに言葉少なに答えたり、笑い上戸な部分を見せるなど以外な一面を披露し、ファンの裾野が広がった。

 1991(平成3)年に「江戸城大乱」で日本アカデミー賞主演男優賞など受賞多数。

 私生活では女優の仁科亜希子(63)と79(昭和54)年に結婚。98(平成10)年に離婚した。仁科との間に仁科克基、仁科仁美がいる。父親は俳優だった近衛十四郎さん。弟は俳優の目黒祐樹(69)。


【訃報】脳リンパ腫で闘病中だった松方弘樹さんが死去
東スポWeb 1/23(月) 18:06配信

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松方弘樹さん

 昨年2月から闘病生活を送っていた俳優の松方弘樹さんが21日に都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。74歳だった。所属事務所によると、葬儀は生前の本人の意志を尊重し、近親者のみで執り行われた。

 松方さんは昨年2月、体調不良で翌3月から6月までに予定していたコンサートの中止を事務所を通じて発表した。その後の検査で病名が「脳リンパ腫」であると判明。完全復帰を目指して、治療と療養に専念してきた。

 12日発売の「女性セブン」は「放射線と抗がん剤による治療を受けてきたが、脳梗塞を3回起こして体の自由がきかなくなり、車いすを使う生活を送っている。自力で食事が取れず点滴で栄養を補給している」と深刻な状況であることを伝えた。

 松方さんを18歳のころから知っているというデヴィ・スカルノ夫人(76)は19日のイベントで「連絡が取れなくて本当に心配。前のマネジャーでさえ連絡が取れない状態」と語っていた。

☆まつかた・ひろき=本名は目黒浩樹(めぐろ・こうじゅ)。東京都出身。1942年7月23日生まれ。父は時代劇俳優・近衛十四郎(1977年没)、母は女優の水川八重子(1976年没)の長男。弟は俳優・目黒祐樹(69)。元妻で女優・仁科亜希子(63)との間にタレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。60年、17歳の時に「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」(東映)で主演デビュー。「昭和残侠伝シリーズ」や「人形佐七捕物帳」「仁義なき戦いシリーズ」「柳生一族の陰謀」など時代劇や任侠映画に出演。大河ドラマ「勝海舟」や「大江戸捜査網」のテレビでも主役を務めた。また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では笑い上戸な一面を見せ、バラエティー番組にも出演するようになった。


<訃報>時代劇「遠山の金さん」 俳優の松方弘樹さん74歳
毎日新聞 1/23(月) 18:05配信

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松方弘樹さん=川上敏文撮影

 やくざ映画や時代劇などで活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳。

 いずれも俳優の近衛十四郎と水川八重子の長男として生まれ、高校3年の1960年、近衛の所属していた東映に入社。「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で銀幕デビューした。甘いマスクの二枚目として、「赤穂浪士」や「次郎長三国志」といった時代劇で人気に。69年に大映に移り、「眠狂四郎円月殺法」などに出演するも、71年に東映に復帰。ぎらついたすごみのある容姿をいかし、「仁義なき戦い」シリーズをはじめ「県警対組織暴力」「北陸代理戦争」といった東映実録映画のスターとなった。2003年には自ら「OKITE・やくざの詩」で初監督。

 テレビにも活躍の場を広げ、88年に始まった「名奉行 遠山の金さん」シリーズでは約10年間にわたり、不良っぽい「チョイ悪」の金さんがお茶の間の人気者に。また、「ハケンの品格」では人情味あふれる営業部長を演じ、新たな一面を見せた。

 業界きっての太公望として知られ、「松方弘樹 世界を釣る」などの番組に出演。特にマグロ釣りを得意とし、日本屈指のクロマグロの好漁場を舞台とした「萩クロマグロトーナメント」では300キロ超の大物を釣り上げ、優勝したこともある。弟は俳優の目黒祐樹さん。元妻に女優の仁科亜季子さん。


松方弘樹さんが死去 74歳、脳リンパ腫で
スポーツ報知 1/23(月) 18:05配信

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松方弘樹さん

 俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんが、脳リンパ腫のため21日に都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。74歳だった。

 松方さんは2016年2月、脳腫瘍の疑いから長期療養のため出演予定だった「夢コンサート」を降板。6月からの舞台「遠山の金さんと女ねずみ」の中止も発表。3月の検査の結果、脳リンパ腫との確定診断を受けたことが発表されていた。

 所属事務所によると、葬儀は生前の本人の意志を尊重し、近親者のみで行ったという。

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき) 本名・目黒浩樹。1942年7月23日、東京都生まれ。父は俳優の近衛十四郎、母は女優の水川八重子、弟は俳優の目黒祐樹。明大中野高3年の60年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。時代劇、任侠(にんきょう)映画で活躍する一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!」などバラエティーでも人気に。釣りの腕前はプロ級で15年5月には自己最高を10キロ更新する361キロの巨大クロマグロを釣り上げた。


俳優・松方弘樹さん脳リンパ腫のため死去 昨年から闘病続ける
ねとらぼ 1/23(月) 18:03配信

 俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹)さんが74歳で亡くなった。2016年2月に体調不良を訴えて入院し、闘病を続けていた。脳リンパ腫のためとされている。

【画像】GREEブログの日記

 松方弘樹さんは1942年7月23日生まれで1960年に東映に入社。1991年には「江戸城大乱」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。日本映画界を代表するトップスターとして活躍していた。


松方弘樹さん、74歳で死去
映画.com 1/23(月) 18:02配信

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死去した松方弘樹さん

 [映画.com ニュース] 俳優の松方弘樹(本名:目黒浩樹)さんが1月21日、脳リンパ腫のため都内の病院で死去した。74歳だった。

 松方さんは1942年、時代劇俳優・近衛十四郎、女優・水川八重子の長男として誕生。歌手志望だったが、60年に東映入りすると「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビューを果たす。

 その後は映画「昭和残侠伝」シリーズ、ドラマ「人形佐七捕物帳」など主に時代劇やヤクザ映画に出演。さらに、「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線から、「柳生一族の陰謀」をはじめ大型時代劇でも存在感を発揮した。

 テレビドラマでは大河ドラマ「勝海舟」や「大江戸捜査網」に主演。三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)をすべて演じたことでも知られている。なお、元妻の女優・仁科亜希子との間には、タレントの仁科克基と仁科仁美をもうけた。


松方弘樹さん、脳リンパ腫のため74歳で死去 「仁義なき戦いシリーズ」などで活躍
サンケイスポーツ 1/23(月) 17:56配信

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俳優の松方弘樹さん (写真:サンケイスポーツ)

 俳優、松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去した。74歳だった。23日に密葬を済ませたとみられる。

 松方さんは「仁義なき戦いシリーズ」など任侠路線で人気スターとなる一方、「天才・たけしの元気が出るテレビ」でのひょうきんな姿でも話題となった。2016年3月に「脳リンパ腫」と診断され療養に専念していたが、帰らぬ人となった。

 松方さんは昨年2月8日に歌の公演に出演したが、風邪の症状が出たため、病院でエックス線検査を受けたところ脳に影が見つかり18日に検査を受けた。

 その結果、23日に脳腫瘍の疑いが判明。25日に内視鏡で脳内の患部を採取する生検を受けた後、無菌室に入り身内以外は面会謝絶になっていた。

 所属事務所は3月2日に「脳リンパ腫と診断された」と発表。松方さんは完全復帰を目指し、療養生活を送っていたが、脳梗塞を3度発症し、寝たきりの状態となっていた。

 松方さんは父親の名優、近衛十四郎に口説かれ、1960年に映画「十七歳の逆襲 暴力をぶっ潰せ」で俳優デビュー。73年の「仁義なき戦い」でブレークした。任侠映画と「柳生一族の陰謀」など時代劇の2つの路線でスター街道を突っ走った。

 一方で、1985年10月から放送の日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」では、笑い転げるひょうきんな姿を見せ、バラエティー番組でも人気を博すようになった。

 プライベートでは芸能界随一の釣り好きとして知られ、〝プレイボーイ〟として華やかな女性遍歴を誇った。女優、仁科亜希子(63)は元妻で、俳優、目黒祐樹(69)は弟。同じく俳優の目黒大樹(43)は長男、仁科克基(34)は次男。タレントでモデルの仁科仁美(32)は長女。


「仁義なき戦い」シリーズで人気/松方弘樹さん略歴
日刊スポーツ 1/23(月) 17:38配信

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松方弘樹さんと仁科明子が晴れて結婚式を挙げた(写真は1979年11月7日)

 俳優の松方弘樹さんが亡くなった。昨年3月に悪性の脳リンパ腫を公表していた。74歳だった。

【写真】亡くなった松方弘樹さん

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき) 本名・目黒浩樹。1942年(昭17)7月23日生まれ。明大付属中野高卒業。高校3年の60年、父近衛十四郎が所属する東映に入社。同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。以来、数多くの時代劇や「仁義なき戦い」シリーズなど任きょう映画に出演した。

 日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!!」でバラエティーにも活動の幅を広げる。プロデューサーとしては「藏」で95年度日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞を受賞。テレビ朝日「金さんVS女ねずみ」やTBS「HOTEL」などに出演。特に金さんシリーズは11年目を迎えている。

 元モデルと離婚後、79年に仁科亜季子と再婚、仁科克基、仁科仁美をもうけるが、98年に離婚。16年3月、所属事務所が悪性の脳リンパ腫と公表、手術ではなく投薬で治療する方針も明らかにした。事実婚状態の元女優山本万里子さんが看病していた。


松方弘樹さん死去、昨春に悪性脳リンパ腫 74歳
日刊スポーツ 1/23(月) 17:37配信

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松方弘樹さん

 昨年2月から入院していた俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。74歳だった。

【写真】79年、結婚式を挙げた松方弘樹と仁科明子

 松方さんは昨年3月に悪性の脳リンパ腫を公表し、長期療養に入っていた。

 脳リンパ腫は、中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で、血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもの。悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気とされる。発症は60歳前後の高齢者がもっとも多いという。松方さんは手術を受けず、投薬治療の方針を明かしていた。

 東映の時代劇映画などで活躍し、テレビでもNHK大河ドラマ「勝海舟」や「遠山の金さん」に主演した。マグロ釣りが趣味で、バラエティー番組に出演。笑い上戸の明るいキャラクターで愛されていた。


昭和のスターだった松方弘樹さん 趣味の釣りで大型マグロ 私生活も華やか
スポニチアネックス 1/23(月) 17:30配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。

【写真】2015年、趣味の釣りで361キロのマグロを仕留めた松方弘樹さん

 1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビューした松方さんは、昭和のスターらしく遊びも酒も豪快だった。とりわけ趣味の釣りは名人級で、一昨年5月には沖縄・石垣島周辺で自己最高を10キロ更新する361キロのマグロを釣り上げて話題を呼んだ。親友の梅宮辰夫(78)との釣行や紀行番組はお茶の間の人気となっていた。

 私生活も派手だった。68年に元モデルの女性と結婚し、3人の子供をもうけるが、74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と恋仲になり、元モデルと離婚して仁科と再婚。仁科克基(34)と仁科仁美(32)が生まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67)との間にも認知した男の子供がいる。仁科とは98年12月に離婚。その後は元女優の女性と事実婚状態にあった。


松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」
スポニチアネックス 1/23(月) 17:28配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

【写真】2015年、趣味の釣りで361キロのマグロを仕留めた松方弘樹さん

 趣味の釣りで300キロ以上の巨大マグロを釣り上げるなど豪快なイメージで知られた松方さんだが、病魔には勝てなかった。回復を願ったファンや関係者の祈りも通じなかった。

 所属する「夢グループ」が松方さんに脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった同3月1日から6月8日までの「夢コンサート」を降板し、6月からの舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

 松方さんは時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

 元妻の女優仁科亜希子(63)との間に、タレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。

2017年1月13日 (金)

皇居で新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」

新年恒例の宮中行事歌会始の儀」が13日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。今年のお題は「野」で、天皇皇后両陛下と皇族方のお歌のほか、天皇陛下から招かれた召人(めしうど)、選者、一般応募の2万205首の中から選ばれた10人の歌などが、古式にのっとった独特の節回しで披露された。

リンク:新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」 2017年のお題は「野」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:お題は「野」、天皇陛下は那須の思い出詠まれる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:歌会始 両陛下や皇族方のお歌、入選者らの歌一覧 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:歌会始の儀 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「野」お題に歌会始=皇居 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:歌会始の儀 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<歌会始の儀>「野」を題に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:歌会始 来年のお題は「語」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:歌会始 皇居で新年恒例「歌会始の儀」行われる お題は「野」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「野」お題に歌会始=皇居 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」 2017年のお題は「野」
ホウドウキョク 1/13(金) 15:09配信

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(写真:ホウドウキョク)

新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、皇居・宮殿で行われた。
2017年のお題は「野」で、2万首を超える応募から選ばれた10首のほか、皇族方の歌が詠み上げられ、最後に天皇陛下の歌が披露された。
以前、栃木県の那須御用邸で静養中、皇后さまと共に、コオロギの仲間・邯鄲(かんたん)の鳴き声を聴きに出かけられた思い出を詠まれた。
「邯鄲(かんたん)の 鳴く音(ね)聞かむと 那須の野に 集(つど)ひし夜(よる)を なつかしみ思ふ」
2018年のお題は「語」で、9月30日まで受け付けられる。


お題は「野」、天皇陛下は那須の思い出詠まれる
読売新聞 1/13(金) 13:49配信

 新春恒例の歌会始の儀が13日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。

 今年のお題は「野」。天皇、皇后両陛下や皇族方の歌のほか、2万205首の応募作から選ばれた10人の入選者と選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)で国文学者の久保田淳さん(83)の作品が古式にのっとった節回しで朗詠された。

 天皇陛下は、1999年秋の夜、静養先の栃木県の那須御用邸近くで、周辺の自然調査をしていた研究者から邯鄲(かんたん)というスズムシに似た昆虫の説明を受けた際、その鳴き声を耳にした思い出を歌にされた。

 皇后さまは、様々な野草が生息する御所の庭で、春にはツクシを摘み、秋にはギンナンを拾うなどしてきた生活を感慨深く懐かしむ歌を詠まれた。


歌会始 両陛下や皇族方のお歌、入選者らの歌一覧
産経新聞 1/13(金) 12:07配信

 天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌、入選者らの歌は以下の通り(仮名遣い、ルビは原文のまま)。

 天皇陛下

 邯鄲(かんたん)の鳴く音(ね)聞かむと那須の野に集(つど)ひし夜(よる)をなつかしみ思ふ

 皇后陛下

 土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し

 皇太子さま

 岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく

 皇太子妃雅子さま

 那須の野を親子三人(みたり)で歩みつつ吾子(あこ)に教(をし)ふる秋の花の名

 秋篠宮さま

 山腹(さんぷく)の野に放たれし野鶏(やけい)らは新たな暮らしを求め飛び行く

 秋篠宮妃紀子さま

 霧の立つ野辺山(のべやま)のあさ高原の野菜畑に人ら勤(いそ)しむ

 秋篠宮家長女眞子さま

 野間馬(のまうま)の小さき姿愛らしく蜜柑(みかん)運びし歴史を思ふ

 秋篠宮家次女佳子さま

 春の野にしろつめ草を摘みながら友と作りし花の冠

 常陸宮妃華子さま

 野を越えて山道のぼり見はるかす那須野ヶ原に霞たなびく

 【召人】

 久保田淳さん

 葦茂る野に咲きのぼる沢(さは)桔梗(ぎきやう)冴えたる碧(あを)に今年も逢へり

 【選者】

 篠弘さん

 書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎

 三枝昂之さん

 さざなみの関東平野よみがへり水張田(みはりだ)を風わたりゆくなり

 永田和宏さん

 野に折りて挿されし花よ吾亦紅(われもかう)あの頃われの待たれてありき

 今野寿美さん

 月夜野(つきよの)の工房に立ちひとの吹くびーどろはいま炎(ひ)にほかならず

 内藤明さん

 放たれて朝(あした)遥けき野を駆けるふるさと持たぬわが内の馬

 【入選者】(年齢順)

 岐阜県 政井繁之さん(81)

 如月(きさらぎ)の日はかげりつつ吹雪く野に山中(さんちゆう)和紙の楮(かうぞ)をさらす

 東京都 上田国博さん(81)

 歩みゆく秋日(あきひ)ゆたけき武蔵野に浅黄斑蝶(あさぎまだら)の旅を見送る

 長野県 小松美佐子さん(80)

 宇宙より帰る人待つ広野には引力といふ地球のちから

 千葉県 斎藤和子さん(71)

 筆先に小さな春をひそませてふつくら画(ゑが)く里の野山を

 東京都 平田恭信さん(68)

 手術野(しゆじゆつや)をおほふ布地は碧(あを)み帯び無菌操作の舞台整ふ

 東京都 西出和代さん(64)

 父が十野菜の名前言へるまで医師はカルテを書く手とめたり

 宮城県 角田正雄さん(62)

 積み上げし瓦礫の丘に草むして一雨ごとに野に還りゆく

 新潟県 山本英吏子さん(42)

 友の手をとりてマニキュア塗る時に越後平野に降る雪静か

 東京都 鴨下彩さん(17)

 野原ならまつすぐ走つてゆけるのに満員電車で見つけた背中

 新潟県 杉本陽香里さん(17)

 夏野菜今しか出せない色がある僕には出せない茄子の紫


歌会始の儀
時事通信 1/13(金) 12:07配信

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天皇、皇后両陛下、皇族方が出席されて行われた「歌会始の儀」=13日午前、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)


「野」お題に歌会始=皇居
時事通信 1/13(金) 12:07配信

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新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が13日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。今年のお題は「野(の)」。天皇、皇后両陛下や皇太子さまら皇族方の歌が、古式にのっとった独特の節回しで披露された(代表撮影)


歌会始の儀
時事通信 1/13(金) 12:07配信

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天皇、皇后両陛下が出席されて行われた「歌会始の儀」=13日午前、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)


<歌会始の儀>「野」を題に
毎日新聞 1/13(金) 12:04配信

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天皇、皇后両陛下、皇族方が出席されて行われた「歌会始の儀」=皇居・宮殿「松の間」で2017年1月13日午前10時38分、長谷川直亮撮影

 新春恒例の宮中行事である「歌会始の儀」が13日、皇居・宮殿であり、天皇、皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌が披露された。今年の題は「野」で、一般応募の2万205首から入選した10人の歌も詠み上げられた。

 天皇陛下は、栃木・那須の御用邸に滞在中、「邯鄲(かんたん)」という鈴虫に似た昆虫の美しい鳴き声を聴こうと皇后さまたちと外に出た1999年9月の情景を詠んだ。皇后さまは、都心にありながら自然豊かな皇居・御所での暮らしを感慨深く振り返り、歌にした。

 皇太子さまは、山梨県の笠取山の水源林で見た水の流れの行方に思いをはせ、雅子さまは長女愛子さまに草花の名前を教えながらご家族3人で那須を散策した喜びを歌にした。【山田奈緒】

 ◇天皇陛下

邯鄲(かんたん)の鳴く音(ね)聞かむと那須の野に集(つど)ひし夜(よる)をなつかしみ思ふ

 ◇皇后さま

土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し

 ◇皇太子さま

岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく

 ◇皇太子妃雅子さま

那須の野を親子三人(みたり)で歩みつつ吾子(あこ)に教(をし)ふる秋の花の名

 ◇秋篠宮さま

山腹(さんぷく)の野に放たれし野鶏(やけい)らは新たな暮らしを求め飛び行く

 ◇秋篠宮妃紀子さま

霧の立つ野辺山(のべやま)のあさ高原の野菜畑に人ら勤(いそ)しむ

 ◇眞子さま(秋篠宮家)

野間馬(のまうま)の小さき姿愛らしく蜜柑(みかん)運びし歴史を思ふ

 ◇佳子さま(秋篠宮家)

春の野にしろつめ草を摘みながら友と作りし花の冠

 ◇常陸宮妃華子さま

野を越えて山道のぼり見はるかす那須野ヶ原に霞たなびく

 ◇入選者(年齢順)

 岐阜県 政井繁之さん(81)

如月(きさらぎ)の日はかげりつつ吹雪く野に山中(さんちゆう)和紙の楮(かうぞ)をさらす

 東京都 上田国博さん(81)

歩みゆく秋日(あきひ)ゆたけき武蔵野に浅黄(あさぎ)斑蝶(まだら)の旅を見送る

 長野県 小松美佐子さん(80)

宇宙より帰る人待つ広野には引力といふ地球のちから

 千葉県 斎藤和子さん(71)

筆先に小さな春をひそませてふつくら画(ゑが)く里の野山を

 東京都 平田恭信さん(68)

手術野(しゆじゆつや)をおほふ布地は碧(あを)み帯び無菌操作の舞台整ふ

 東京都 西出和代さん(64)

父が十野菜の名前言へるまで医師はカルテを書く手とめたり

 仙台市 角田正雄さん(62)

積み上げし瓦礫の丘に草むして一雨ごとに野に還りゆく

 新潟市 山本英吏子さん(42)

友の手をとりてマニキュア塗る時に越後平野に降る雪静か

 東京都 鴨下彩さん(17)

野原ならまつすぐ走つてゆけるのに満員電車で見つけた背中

 新潟市 杉本陽香里さん(17)

夏野菜今しか出せない色がある僕には出せない茄子の紫

 ◇召人の歌

 久保田淳さん

葦茂る野に咲きのぼる沢(さは)桔梗(ぎきやう)冴えたる碧(あを)に今年も逢へり

 ◇選者の歌

 篠弘さん

書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎

 三枝昂之さん

さざなみの関東平野よみがへり水張田(みはりだ)を風わたりゆくなり

 永田和宏さん

野に折りて挿されし花よ吾亦紅(われもかう)あの頃われの待たれてありき

 今野寿美さん

月夜野(つきよの)の工房に立ちひとの吹くびーどろはいま炎(ひ)にほかならず

 内藤明さん

放たれて朝(あした)遥けき野を駆けるふるさと持たぬわが内の馬

 ◇佳作者(年齢順、敬称略)

 秋田県、浦部昭二(89)▽宮崎市、赤崎敏子(86)▽和歌山県、山田千代子(82)▽青森県、三戸源治(77)▽山口県、吉国建(75)▽静岡県、後藤悦良(73)▽京都府、高橋かつみ(71)▽群馬県、岸和夫(71)▽大分市、長野幸一(71)▽愛知県、家田操(69)▽茨城県、岩熊啓子(67)▽新潟市、相沢初美(67)▽埼玉県、橋本久子(67)▽甲府市、入倉久美子(66)▽香川県、上久保忠彦(65)▽金沢市、北西佐和子(64)▽岐阜県、江尻恵子(63)▽石川県、上農多慶美(59)▽名古屋市、松浦晴男(58)▽東京都、高橋嘉恵(38)▽新潟県、安達亮太(16)

         ◇

 宮内庁は来年の歌会始の募集要領を発表した。題は「語」で、歌に「語」の文字が詠み込まれていれば、「物語」のような熟語でも「語る」のように訓読しても良い。

 1人1首で未発表の歌に限る。半紙に毛筆が原則。半紙を横長にして、右半分に題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(ふりがな付き)、生年月日、性別、職業を書く。病気などのため代筆の場合は、理由と代筆者の氏名、住所を別紙に記入して添える。点字による応募も可能。海外からの応募の場合は、用紙や筆記用具は自由。

 宛先は「〒100-8111 宮内庁」とし、封筒に詠進歌と書き添える。9月30日までの消印有効。詳細は宮内庁ホームページでも確認できる。


歌会始 来年のお題は「語」
産経新聞 1/13(金) 12:02配信

 宮内庁は13日付で、来年の歌会始のお題を「語(ご)」とする募集要領を発表した。応募は未発表の自作で1人1首。「語」の文字が入っていれば、「語感」などの熟語や「語(かた)る」などの訓読みでも差し支えない。

 書式は半紙(習字用)を横長に使い、右半分にお題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を毛筆で縦書きし、中央で山折りする。海外から応募する場合、用紙や筆記用具は自由だが、用紙は半紙サイズの縦24センチ、横33センチ。

 病気や障害などのため代筆、パソコンでの印字などで応募する場合は、別紙に自筆できない理由と、代筆の場合は代筆者の住所と氏名も記す。視覚障害者は点字で応募できる。

 締め切りは9月30日(当日消印有効)。あて先は「〒100-8111 宮内庁」で、封筒に「詠進歌」と書き添える。要領は宮内庁ホームページにも掲載している。


歌会始 皇居で新年恒例「歌会始の儀」行われる お題は「野」
産経新聞 1/13(金) 11:58配信

 新年恒例の「歌会始の儀」が13日、皇居・宮殿「松の間」で、「野」をお題に行われた。天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻、秋篠宮さまのお歌、一般応募の2万205首(選考対象)の中から入選した10人の歌などが古式ゆかしい独特の節回しで披露された。天皇陛下のお招きで歌を詠む召人(めしうど)は、国文学者で東大名誉教授の久保田淳さん(83)が務めた。

 宮内庁によると、陛下は、那須御用邸(栃木県那須町)で静養中の平成11年9月、夜間に動植物の調査を行っていた研究者の説明を受けながら、コオロギの仲間「カンタン」の鳴き声を聞かれたときのことを思い起こして歌にされた。

 皇后さまは、陛下とともに御所の庭で季節の野草などを採ることを楽しんでおり、都心に住みながら、あたかも野に住むように過ごしてきた生活を感慨深く振り返って詠まれた。

 皇太子さまは、25年5月に笠取山(山梨県甲州市)に登り、多摩川の源流を見学しており、一滴の水とその先の流れに思いをはせられた。皇太子妃雅子さまは、ご一家で那須御用邸を散策中、長女の敬宮(としのみや)愛子さまに秋の草花を教えたときの喜びを表現された。


「野」お題に歌会始=皇居
時事通信 1/13(金) 11:45配信

 新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が13日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。

 今年のお題は「野(の)」。天皇、皇后両陛下や皇太子さまら皇族方のほか、天皇陛下から招かれた召人(めしうど)、選者、約2万首の一般応募の中から選ばれた入選者10人の歌が、古式にのっとった独特の節回しで披露された。

 天皇陛下は1999年9月、那須御用邸(栃木県那須町)で静養中、夜に外出し、御用邸近くでコオロギの一種「邯鄲(カンタン)」の鳴き声を聞いた思い出を詠まれた。皇后さまは、東京都心にありながら自然豊かな皇居・御所での暮らしを振り返って歌にした。

 皇太子さまは2008年5月、笠取山(山梨県甲州市)に登った際、多摩川の源流となる水が岩から滴り落ちているのを見て、流れゆく先に思いをはせて詠んだ。同妃雅子さまは昨年夏、那須で静養中、ご一家3人で散策の際に秋の草花の名前を長女愛子さま(15)に教えた喜びを歌にした。

 昨年の三笠宮さまの逝去を受け、三笠宮家と高円宮家の皇族方は欠席し、歌の披露もなかった。

2017年1月10日 (火)

三笠宮彬子女王殿下がご退院

宮内庁は10日、風邪とぜんそく発作のため4日から京都府立医科大病院にご入院されていた、故三笠宮寛仁親王殿下のご長女・彬子女王殿下がご退院されたと発表した。

彬子殿下は3日夕方から発熱などの症状があったため、4日未明から大事を取られて同病院にご入院されていた。

リンク:風邪などのため入院していた三笠宮彬子さま、退院される - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三笠宮彬子さまが退院…発熱やせき、症状回復 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:彬子さまがご退院 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:彬子さまが退院 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

風邪などのため入院していた三笠宮彬子さま、退院される
ホウドウキョク 1/10(火) 21:55配信

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(写真:ホウドウキョク)

1月4日から、風邪などのため、京都市内の病院に入院していた、三笠宮家の彬子さまが10日、退院された。
故・三笠宮寬仁さまの長女・彬子さまは、子どものころから、ぜんそくの持病があり、1月4日、風邪による高熱に加え、ぜんそくの発作が起きたため、大事を取って、京都市内の京都府立医科大学付属病院に入院された。
その後、ぜんそくの症状は落ち着いて、熱も下がり、宮内庁によると、10日に行ったエックス線などの検査でも問題がなかったため、退院されたという。


三笠宮彬子さまが退院…発熱やせき、症状回復
読売新聞 1/10(火) 18:51配信

 宮内庁は10日、風邪と持病のぜんそくの発作のため京都府立医大病院(京都市)に入院していた三笠宮家の彬子さまが同日、退院されたと発表した。

 今週は、京都市内のお住まいで静かに過ごされるという。彬子さまは3日夕から発熱やせきの症状が出始めたため、大事を取って入院したが、現在は回復されているという。


彬子さまがご退院
産経新聞 1/10(火) 17:42配信

 宮内庁は10日、三笠宮家の彬子さまが風邪とぜんそくの発作のため入院していた京都府立医科大学付属病院(京都市)を同日午後に退院されたと発表した。3日に発熱が見られ、4日から大事を取って入院していたが、快復された。

 今週中は京都市内のお住まいで過ごされるという。


彬子さまが退院
時事通信 1/10(火) 14:10配信

 宮内庁は10日、三笠宮家の彬子さまが同日午後、京都府立医科大付属病院(京都市)から退院されたと発表した。

 3日夕方から風邪とぜんそく発作の症状があり、4日未明から大事を取って入院していた。症状は完治し、10日午前の検査でも異常はなかったという。

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