文化・芸術

2017年7月25日 (火)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去・3

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

最初の記事
2番目の記事

リンク:平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手に感謝「看病してくださった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん追悼番組、BSプレミアムで放送『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん次男、“チャラ男”キャラ封印約束「アーティストとして頑張る」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手は「お母さんです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:山本譲二「飲まなくてよかった」平尾昌晃さん思い出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん次男の歌手勇気「父の魂受け継ぐ」決意 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さんが長男・勇気に授けた曲作りのアドバイスとは… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん家族葬、長男が喪主に…通夜29日、告別式30日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK紅白「蛍の光」のタクトは誰が振る? 平尾さん死去で関係者「人選は難航しそう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:意外なことをヒントにヒット曲を生み出した平尾昌晃氏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん再々婚、4年前だった!生前に理由語る「照れくさい」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん家族葬の日程変更 通夜29日、葬儀30日に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾さん遺産めぐり不協和音、“育ての母”権利なく息子ら不満  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:急逝した平尾昌晃さん、肺結核の挫折が人生の転機に 評論家「歌手としても、作曲家としてもスター」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手に感謝「看病してくださった」
7/28(金) 7:00配信 サンケイスポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の息子で歌手、平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)に生出演した。平尾さんが死去後、テレビ出演するのは初で、サンケイスポーツ報道で明らかになった父の再々婚について初めて言及。長年、故人を支えた個人事務所のスタッフで、献身的に看病していたお相手の50代女性を「お母さん」と呼び、感謝した。

 日本を代表する作曲家が他界してから6日。息子が亡き父、そして“母”への思いを語った。

 「優しくて、かっこよくて、ときには厳しい人でした。憧れの人です」

 この日、黒スーツ姿で「バイキング」に生出演した勇気。普段、バラエティーで見せる陽気な笑顔はなく、父の人柄を問われると沈痛な面持ちで言葉を絞り出した。

 番組内では、平尾さんの輝かしい人生を振り返るとともに、訃報から一夜明けた23日付でサンケイスポーツが報じた再々婚の記事も紹介。お相手が数十年前から故人を支えてきた個人事務所の50代女性のチーフマネジャーで、2013年に婚姻届を提出していたことと、平尾さんには2度の離婚歴があり、2人目の妻との間に生まれた2男のうち次男が勇気であることが伝えられた。

 司会の坂上忍(50)から「再々婚したお相手の方っていうのは…」と水を向けられると、勇気は「お母さんですね」とキッパリ。再々婚に言及するのは初で、「父が体調悪いときもずっと看病してくださった」と献身的にサポートしていたと説明。自身は仕事先の名古屋で訃報に接したことを振り返り、「奥さんは(最期に)会えました。最後までちゃんとやってくれました」と感謝の言葉を述べた。

 入院中の父の様子については「病室で『この曲をかけてくれ』って言って、音楽が好きで好きで仕方がないという人だった」と説明。自身の今後の音楽活動には「父の魂を受け継いで、音楽で人のために頑張りたい。『アーティスト平尾勇気』としてやっていきたい」と涙ながらに父に誓っていた。

 平尾さんは、72年に短大生と結婚して1男をもうけるも、76年に離婚。78年に元歌手、小沢深雪さん(58)と結婚し、勇気ら2男をもうけたが、85年に離婚している。通夜は29日、葬儀・告別式は30日に家族葬で営まれる。


平尾昌晃さん追悼番組、BSプレミアムで放送『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』
7/27(木) 21:21配信 オリコン

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平尾昌晃さんの追悼番組の放送が決定

 今月21日に肺炎のため都内の病院で亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の追悼番組『昭和歌謡黄金時代 作曲家・平尾昌晃の世界』が、NHK・BSプレミアムで29日午後1時半より放送されることが決定した。

■数々の名曲を作曲…平尾昌晃さんのプロフィール

 同番組は、平成22年11月3日に衛星第2(当時)で放送されたもの。ウェスタン歌手からロカビリーの人気ものになり、その後は作曲家として「カナダからの手紙」「瀬戸の花嫁」など多くのヒット曲を生み出し、新人歌手の発掘と育成にも尽力した平尾さん。

 番組では、アメリカンポップスの影響を受けながらも独自の日本的なメロディーの歌謡曲を作り上げた人生をたどり、その作品の数々を放送する。


マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず
7/27(木) 16:00配信 NEWS ポストセブン

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平尾さんを看取った妻の存在に波紋が

「8月以降も仕事を入れていて、『どんどん仕事をやっていきたい』と言っていた矢先だっただけに、本人はさぞ無念だったのではないかと思います」(芸能関係者)

 作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さんが、7月21日に亡くなった。79才だった。

 平尾さんは2年前に肺がんを患って闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも「息苦しい」と訴えて約1か月にわたって入院していた。一時は回復したものの、7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と、病院で検査。肺炎の疑いがあったため入院したが、亡くなる前日まで食欲も旺盛で、大好きなゴルフの全英オープンと、松居一代(60才)の騒動をテレビで見るのを楽しみにしており、「(松居には)穏便に解決してほしい」などと話していたという。

 だが、21日に容体が急変し、帰らぬ人となった。その傍らには身内やスタッフとともに、最期を看取った“妻”の姿。音楽業界関係者や親しい友人らも知らなかった、その“妻”の存在が波紋を広げている。

《遺産騒動 心配の声》──7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったという。

《数々の名曲の著作権を持つだけでなく、不動産はもちろん、さまざまに展開した事業を含めると、相当な財産を残していたはず》

 その財産は、今後、A子さんと、平尾さんの3人の子供たちの間で分け合うことになる。そんな中で、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。

「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」

 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”が聞こえてきた。その話をする前に、まずは平尾さんの功績について振り返る。

◆2度の離婚と3人の子供

 平尾さんは1937年、東京生まれ。小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えてしまうほど洋楽に熱中。慶應高校時代は創立間もない日本ジャズ学校に通い、ウエスタンバンドを組んで進駐軍のキャンプやジャズ喫茶で演奏した。高校を中退し、1958年に歌手デビュー。『第一回日劇ウエスタンカーニバル』に参加し、ミッキー・カーチス(79才)、山下敬二郎(享年71)とともに「ロカビリー三人男」として一大ブームを巻き起こした。

 その甘いマスクと歌声から「和製プレスリー」と称され、アイドル顔負けの人気ぶりだった平尾さん。しかし、もともと肺に疾患を抱えていたことから、医師に「3年間は肺を使わないように」と告げられ、60年代半ばに作曲家に転身。すると一気にその才能が開花する。

 1966年に布施明(69才)の『霧の摩周湖』と梓みちよ(74才)の『渚のセニョリーナ』の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞。五木ひろし(69才)の『よこはまたそがれ』や小柳ルミ子(65才)の『瀬戸の花嫁』、アグネス・チャン(61才)の『草原の輝き』、山口百恵(58才)の『赤い絆』、中条きよし(71才)の『うそ』など、ポップスから演歌まで幅広いジャンルで数々の大ヒット曲を生み出した。

 1974年に平尾昌晃音楽学校(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。松田聖子(55才)、中村あゆみ(51才)、森口博子(49才)らを育てた。1978年にはスクール出身の畑中葉子(58才)とデュエットし、『カナダからの手紙』をヒットさせている。

「一発当てると散財してしまう音楽関係者が多いなか、平尾さんはとても堅実な人。音楽学校の経営も順調で、業界では数少ない、音楽的才能とビジネスセンスを兼ね備えた人でした」(音楽業界関係者)

 その一方で、平尾さんはとても子煩悩な父親としても知られた。1972年7月、当時現役女子大生だった女性と最初の結婚。男子をもうけたが、平尾さんは音楽学校の秘蔵っ子だった小沢深雪(58才)との「不貞」を疑われ、妻に離婚と1億5000万円の慰謝料を要求される。当時、小沢はまだ16才。平尾さんが「不貞などない」と要求を突っぱねると、離婚問題は家庭裁判所に持ち込まれ、慰謝料1600万円、長男の養育費毎月15万円を支払うことで決着した。

 平尾さんが小沢との再婚を発表したのはそれから2年半後、1978年7月のことだった。1978年10月に男子、1981年3月にも男の子(2004年に歌手デビューした平尾勇気・36才)が誕生した。だが、1980年代半ば、平尾さんが仕事で多忙なため“すれ違い生活”が続き、離婚した。

 その後、30年以上長い独身生活を続けていた平尾さんが密かに再々婚していたというから周囲は驚いた。

「A子さんは50代で、身長は160cmくらいのグラマラスな体形です。気さくで明るいパワフルな女性で、事務所の取締役も務めているビジネスパートナーでした。彼女も平尾昌晃ミュージックスクール出身で、卒業後、20年以上も平尾さんのマネジャー的役割をしていたようです」(平尾さんの知人)

 だが、その知人は首を傾げながらこう続ける。

「平尾さんからは、『A子はパートナー』と紹介されていたものの、結婚していたということは聞いていませんでした。報道を見て知ったんです。どうも、作曲家仲間や音楽関係者にも結婚したことを隠していたようで…。私だけじゃなく仲間もみんな、入籍していたことは知らなかったと思います」

※女性セブン2017年8月10日号


平尾昌晃さん次男、“チャラ男”キャラ封印約束「アーティストとして頑張る」
7/27(木) 14:26配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家・平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演。これまで金髪の“チャラ男”キャラを貫いていたが、「これからはアーティスト平尾勇気として頑張っていく」と“チャラ男”封印を約束した。

 番組では、勇気を迎え、平尾さんの足跡などを振り返った。その最後にMCの坂上忍が今後について勇気にたずねた。

 「父の魂を受け継いで、父の背中を見てきたので、音楽で、人のために何か頑張りたい」と、神妙に語ると、坂上は「ってことは、これからは音楽で行くってこと?チャラ男はどうするの?」と質問。金髪キャラの勇気は、これまでも恵まれた二世タレントとして、派手な印象を振りまいていた。坂上も「俺が出させて頂いた番組でVTRで勇気君が出てくれ、誰だこいつ?って思った。それぐらい頑張ってた。堂に入ったチャラ男ぶりだった」と説明。

 それを聞いた勇気は改めて「アーティスト平尾勇気としてやっぱり(頑張っていく)」と、音楽家として活動していく意気込みを吐露。「数年前からチャラ男キャラをやりながら曲を書いていた。それを父に聞かせることが出来なかったんで、悲しい」「父に生では聞いてもらえなかったけど、これから平尾家として、本当に頑張っていきたい」と、チャラ男キャラは封印し、音楽の道を邁進することを涙を浮かべ約束した。

 これを聞いた坂上は「だったら本当に、歌い手、アーティストとして頑張っていくのを応援したい」と、エールを送っていた。


平尾勇気、父・昌晃さんの再々婚相手は「お母さんです」
7/27(木) 13:49配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演。平尾さんが再々婚していた女性に対し「お母さんです」とキッパリと語った。勇気は平尾さんの2人目の妻の子供。再々婚のお相手は、勇気にとって継母となる。

 番組によると、平尾さんと再々婚のお相手は、4年前に婚姻届を出していたといい、坂上忍から「再々婚したお相手の方っていうのは…」と切り出されると「お母さんです」とキッパリ。「父が体調悪いときもずっと看病して側に(いてくれた)」と、献身的に看病していたと説明。

 「父が亡くなるとき、地方の仕事があったんですけど、車で東京に向かっている時にマネジャーから今息を引き取ったと。でも奥さんはちゃんと(最期に)会えましたんで。ちゃんと最後までやってくれました」と母に感謝していた。

 平尾さんは72年に最初の結婚をするものの、一男をもうけた後76年に離婚。その後、勇気の母となる女性と78年に結婚するも85年に離婚していた。


山本譲二「飲まなくてよかった」平尾昌晃さん思い出
7/27(木) 13:46配信 日刊スポーツ

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山本譲二(15年7月7日撮影)

 歌手の山本譲二(67)が、21日になくなった平尾昌晃さん(享年79)の思い出を語った。

【写真】平尾昌晃さん、山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男

 山本は27日放送のフジテレビ系「バイキング」に出演。88年に平尾さんに「夕陽」を作曲してもらい、レッスンのため初めて自宅マンションを訪れた時のエピソードを語った。

 その時、平尾さんからお酒に誘われたという山本。これからレッスンのため断ったが、「いいから少し飲め」と勧められ、一口だけ口をつけたという。そしてゴルフの話題で盛り上がったと振り返った。

 それからレッスンを終え、帰る時になって平尾さんから「酒飲まなかったんだね、ありがとう」と感謝されたという。山本は「ひょっとしたら、バカバカ飲んじゃったら『俺の書く音楽を大事にしてくれないんだな』っていうふうに思われちゃってたのかな」と、その時の平尾さんの胸中を推し量り、「飲まなくてよかったなって、帰る時に思いました」と語った。


平尾昌晃さん次男の歌手勇気「父の魂受け継ぐ」決意
7/27(木) 13:27配信 日刊スポーツ

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平尾勇気(04年5月28日撮影)

 21日に死去した平尾昌晃さん(享年79)の次男の歌手平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」に生出演し、亡き父への思いを語った。

【写真】 平尾さん「詞を持ってこい」親子での曲作り叶わず

 「優しくて、格好良くて、時には厳しい人」と人柄について語った。その後に「父の魂を受け継いで音楽で人のために頑張りたい。『アーティスト平尾勇気』としてやっていく」と決意を新たにした。

 ここ数年で書きためた曲が複数あるという。それは、聞いてもらう機会がないまま、平尾さんは旅立ってしまった。「父にナマで聞いてもらえなかったが、(歌手として)頑張っていきます」と誓った。

 平尾さんは13年春に、約20年にわたってマネジャーをしていた50代女性と3度目の結婚をした。この再々婚相手については「奥さん」と呼んで、「最後までみとってくれました」と感謝した。

 平尾さんの通夜は29日、葬儀・告別式は30日に、いずれも都内で家族葬として営まれる。喪主は長男(38)が務める予定。


平尾昌晃さんが長男・勇気に授けた曲作りのアドバイスとは…
7/27(木) 13:15配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 肺炎のため、21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)の長男で歌手の平尾勇気(36)が27日、フジテレビ系「バイキング」(月~金曜・前11時55分)に出演し「優しくてかっこよくて時には厳しい人でした。あこがれの人」と振り返った。

 勇気によると平尾さんは「2014年ごろから体調を壊しまして、そっから入退院を繰り返し苦しかった」と闘病生活を明かした。入院中も「病室でこの曲をかけてくれって言って、音楽が好きで好きで仕方がないという人だった」と明かした。

 音楽活動をしている勇気は「曲ができたら、父に渡していた」という。この時、平尾さんは「曲はシンプルじゃないとダメないんだよ。勇気はあれもこれも詰め込みすぎだ」と曲作りの極意をアドバイスしていたという。数々の名曲を残した平尾さん。当時の助言を勇気は「耳に残る曲が多いので本当に尊敬です」と感謝していた。


平尾昌晃さん家族葬、長男が喪主に…通夜29日、告別式30日 
7/27(木) 5:04配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の葬儀・告別式の喪主を、長男が務めることが26日、分かった。

 関係者によると、平尾さんは13年春、数十年前から公私共に支えてきた50代の女性スタッフと結婚。この女性スタッフと親族と話し合いの結果、長男が喪主を務めることでまとまった。

 平尾さんの通夜が29日、葬儀・告別式が30日に都内で営まれることも明らかになった。当初は28、29日の予定だったが、会場の都合で日にちを変更した。いずれも家族葬で執り行われ、9月をめどにお別れの会を開く意向だという。


NHK紅白「蛍の光」のタクトは誰が振る? 平尾さん死去で関係者「人選は難航しそう」
7/26(水) 16:56配信 夕刊フジ

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平尾昌晃さん(写真:夕刊フジ)

 21日肺炎で死去した歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)。数多くのヒット曲から国民的な作曲家としても親しまれ、大みそかのNHK紅白歌合戦のラストを飾る「蛍の光」で指揮棒を振る姿もおなじみだった。果たして、この大役は誰に?

 平尾さんが「蛍の光」のタクトをとったのは2006年。担当プロデューサーは「平尾さんは音楽への造詣が深く、華やかさがある」と起用理由を説明したという。

 「蛍の光」は、「長崎の鐘」などで知られる初代の藤山一郎さん(1958~92年)、「宇宙戦艦ヤマト」で知られる2代目の宮川泰さん(93~05年)、そして平尾さんと“国民的”な作曲者が務めてきた。

 平尾さんの就任発表も12月25日とギリギリのタイミングだったことから、今年も直前まで明かされないとみられるが、「1年を締めくくる顔ですから、人選は難航しそうです」と関係者。

 その人選について、こう語る音楽関係者も。

 「ほかの出場者同様、NHKへの貢献度もある程度、考慮されることになるだろう。宮川さんの息子で『ひよっこ』の音楽も担当している宮川彬良さん、服部良一さんの孫で『真田丸』を担当した服部隆之さん、『あまちゃん』などNHKでの仕事も多い大友良英さんらが有力でしょう」

 今年の紅白では、平尾さんの特集が組まれることは早くも確実視されており、“出場内定”がささやかれる歌手も出始めている。偉大な足跡を継ぐのはいったい誰だ。


故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝
7/26(水) 16:00配信 NEWS ポストセブン

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巨額の遺産を残して亡くなった平尾昌晃さん

 7月21日に亡くなった作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さん(享年79)の“妻”の存在が波紋を広げている。

《遺産騒動 心配の声》。7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったというのだ。さらに、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。平尾さんには最初の妻との間に1人、2人目の妻との間に2人、合計3人の息子がいる。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。

「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」

 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”がいくつも聞こえてきた。 前出のスポニチの記事では平尾さんの「遺産」について触れている。平尾さんが代表を務める事務所では、東京都心部に事務所兼スタジオの物件を所有している。その資産価値はおよそ2億円とされる。それ以外にも、数年前に購入したというタワーマンションもある。

「平尾さんはミュージックスクールを経営する会社の代表でもありました。スクールの経営も順調。それに、かつては競馬の競走馬も所有するほど羽振りもよかった」(芸能関係者)

 なにより平尾さんは自身が作曲した膨大な数のヒット曲があり、音楽業界内では、「印税収入は年間2億円弱ある」といわれている。

 ただ、「平尾さんの遺産は多くても10億円程度ではないか」というのは、平尾さんの知人だ。

「平尾さんの2人目の妻の息子たち2人は名古屋で暮らしていますが、長男は事業をやっていて、次男は歌手やタレント活動をしています。口の悪い音楽仲間は“平尾は親バカ”というほど子煩悩なかただったので、彼らの事業費や活動費をかなり手助けしていたと聞いています。また、面倒見のいい平尾さんは親族への援助も多く、それほど蓄えているという印象はありません」

 とはいえ、10億円ともいわれる遺産が今後どうなるのかを、平尾さんの友人たちは心配しているわけだ。

 故人の財産が血縁関係者に移転することを「相続」という。誰に、どれくらいの割合で受け継がれるかなどは民法によって定められている。

 たとえば、法廷相続人が配偶者と子供1人の場合、配偶者に半分、子供に半分が相続される。子供が2人になっても、配偶者は半分のままで、子供2人が4分の1ずつを受け取ることができる。子供が3人いる平尾さんの場合、A子さんが半分を受け取って、残りを子供3人で均等にわけるルールになっている。

◆複雑化する遺産の行方

「著作権の相続の場合も、著作者(作曲者)の個人管理だとしたら、不動産や株券などの財産と変わらず、相続方法も同じで、遺族に相続されます。著作権は著作者の死後、50年間にわたって保護されます。ただし、複雑なのが、個人事務所や会社で著作権を所有している場合です。その際は著作者が亡くなっても、著作権は事務所に残り、配偶者や子供たちには相続されないんです」(音楽関係者)

 2014年1月に亡くなったやしきたかじんさん(享年64)のケースでも、個人事務所が資産を所有していて、それが遺産相続問題の争点になった。

 たかじんさんは平尾さん同様、3度の結婚をし、最初の妻との間に娘が1人いた。その一方で、亡くなる3か月前、一般人女性のSさんと再々婚していたのだ。たかじんさんがこの世を去ると、最期を看取った3人目の妻と1人娘の間で、10億円ともいわれる遺産をめぐる激しいバトルが勃発したことはよく知られている。平尾さんの周辺でもこんな心配の声が聞こえてくる。

「A子さんは平尾さんの音楽事務所の役員でもあります。事務所が著作権の印税を管理しているので、今後もそのまま会社に印税が入ることになりそうです。ただし、それでは息子たちは蚊帳の外。平尾さんの親族からは『財団を作って印税はみんなで管理してはどうか』という声も聞かれますが、A子さんら事務所関係者にすればそれは受け入れ難いことでしょうね」(前出・音楽関係者)

 一部には「平尾さんは10年以上前から遺言状を作っていた」という話もある。今後、親族の間の話し合いも、その遺言状の中身次第となるのかもしれない。

 平尾さんが旅立って間もないが、以前からすでにA子さんと息子たちの間には深い溝ができているという証言は多い。

「次男の勇気さんがスポーツ紙のインタビューで、“家族葬は7月28日に通夜、29日に告別式を行う”と発表しました。その通り、各メディアは家族葬のスケジュールを報じたのですが、A子さんサイドが“まだ決まっていない。勝手に発表してもらっては困る”と、その日程をキャンセルして、葬儀は後ろ倒しされたんです。勇気さんは“勝手にしろ”とかなり怒っていたそうです」(前出・別の知人)

 前出の音楽関係者が続ける。

「A子さんは名作曲家である平尾さんのブランドを守ろうと丁寧にマネジメントをする人でした。一方で、息子たちはアーティストの血を引いているので自由闊達な雰囲気がある。要の平尾さんが逝ってしまって家族間にさらなる行き違いが生じるとしても、いたしかたないのかもしれません」

 しかし、A子さんが役員を務める平尾昌晃事務所は言う。

「平尾さんとA子さんが入籍したのは4年以上前のことで、“遺産目的”といった情報はまったく違うんです。また、通夜・告別式が変更になった理由ですが、まだ日程が決まっていない段階で外に出てしまっており、未定です。家族葬でもありますので、今後、発表する予定はありません」

 そして、本稿締め切り間近、息子の勇気から話が聞けた。彼は、「入籍したのは4年ぐらい前だが、いつ知ったのか、誰から聞いたのかはお話しできません」という。やはり、両者に大きなしこりを感じさせる話だった。

 いずれにしろ、通夜の日程すらすんなりとは決まらない不穏な雲行きを、平尾さんはどんな思いで見つめているのだろうか。

※女性セブン2017年8月10日号


意外なことをヒントにヒット曲を生み出した平尾昌晃氏
7/26(水) 11:00配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん

 日本を代表する作曲家・平尾昌晃さんが、肺炎のため22日に死去した。もともとロカビリー歌手として人気だったが、その後は本格的に作曲家の活動も始めた。

【写真】平尾さん次男 父の名曲を歌い継ぐ覚悟

 世に送り出した曲は多数。「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、「夜空」(五木ひろし)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「銀河鉄道999」(ささきいさお)、「霧の摩周湖」(布施明)、「アメリカ橋」(山川豊)。後世に歌い継がれている名曲も多い。

 そんなヒットメーカー・平尾氏は、時に正攻法ではない独特な感性から、ヒット曲のメロディーを生み出していた。

 代表的なのは「よこはま・たそがれ」(1971年)。作家・山口洋子さんが、五木ひろしの再デビューのために作詞した楽曲だ。以前、本人から聞いた話だが、実はこの時、山口さんから渡された作品は8編あったという。その中の1つが「あの人は行ってしまった」(のちに改題)というタイトル。

 「なんだこれ?」。読んだら「よこはま」「たそがれ」「ホテルの小部屋」…。単語の羅列。「冗談でやっているのかと思った」と思ったが、妙に印象に残った。

 とはいえ、作曲するには難しい。頭を抱えてしまった。もう一度、歌詞を読んだ。言葉が流れるように続かない。間が空く。「何かに似ている?」そう思ったという。

 もともと湘南育ち。当時は東海道線に乗り東京と湘南を往復することもあった。それで、ふと頭にわき上がったきた言葉が駅員さんの「横浜~!横浜!」のアナウンスだった。さらに「大船~!大船~」。「鎌倉~!鎌倉~!」とも。

 「これだ!よし分かった」とひらめいたという。

 「この歌詞は、名詞の間に、空いた間(ま)がある。それを駅員さんのアナウンスのように、間をつくればいいんだと。メロディーに乗せていけばいいんだ」。こうして名曲を生み出した。

 同じようなエピソードが、1998年の「アメリカ橋」にもあった。この楽曲を歌う山川豊は、完成までの経緯を明かした。

 数々の名曲を生んだ作詞・山口洋子さんとの久々にコンビ。山口さんの詞は完成していたが、平尾氏はなかなか納得いく曲ができなかった。妥協せず徹底的に曲作りに励み12曲ほど作曲したが、いずれも採用されなかった。

 行き詰まった平尾氏は、山川を連れてカラオケに出向き、ひたすら歌わせた。ただ「演歌でなくポップスの曲だけ」という条件付きで。

 本業以外の曲ばかりを歌わせる荒技。山川は郷ひろみ、安全地帯の曲などを歌った。そして井上陽水の「リバーサイドホテル」を歌い終えた時、平尾氏は「よし分かった!」と、突然大声を上げた。その直後に大ヒットしたこのメロディーが生まれた。「“リバーサイドホテル”だったのか、ヒントは意外なところにあったのでしょうね」と山川も懐かしそうに振り返った。

 そんな幅広い感性からヒット曲生み出していた偉大な作曲家。その死は本当に惜しまれる。(デイリースポーツ・栗原正史)


平尾昌晃さん再々婚、4年前だった!生前に理由語る「照れくさい」
7/26(水) 7:00配信 サンケイスポーツ

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再々婚していたことが明らかになった作曲家の故平尾昌晃さん(写真:サンケイスポーツ)

 サンケイスポーツ報道で50代の一般女性と再々婚していたことが明らかになった作曲家の故平尾昌晃さん(享年79)の結婚時期が、2013年だったことが25日、分かった。

 関係者によると、21日に肺炎で他界した当初は昨年結婚したといわれていたが、4年前に婚姻届を提出していたという。

 お相手は数十年前から平尾さんを支えてきた個人事務所の女性スタッフ。平尾さんは生前、公にしてこなかった理由について、ごく近い関係者に「3回目だし70代でもあるから照れくさい」と話していたという。

 また、お相手の女性も現在、「結婚はプライベートなことで、公にするきっかけを失っていた」と説明しているという。平尾さんの葬儀は今週末に家族葬として営まれ、今秋をめどに音楽葬として「お別れの会」が開かれる予定。


平尾昌晃さん家族葬の日程変更 通夜29日、葬儀30日に
7/26(水) 6:30配信 スポニチアネックス

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21日に亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)の家族葬の日程が25日までに変更された。28日の予定だった通夜は29日に、葬儀・告別式は30日に営まれる。


平尾さん遺産めぐり不協和音、“育ての母”権利なく息子ら不満 
7/26(水) 5:00配信 スポニチアネックス

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21日に亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の遺産をめぐり、3度目の結婚相手となった元チーフマネジャーの50代女性と息子たちの間に不協和音が生じていることが25日、分かった。

【写真】平尾昌晃さんの次男・勇気

 元マネジャーとの結婚が成立したのは2013年で、平尾さんの体調が悪くなる前。元マネジャーは20年以上、公私ともに平尾さんを支えてきた人物で、体調悪化後はつきっきりで看病を行った。関係者によると「元マネジャーの側から婚姻届の提出を希望したようだ」という。平尾さんは長年の献身的な支えへの感謝と、元マネジャーが去っていく不安などを考えて結婚に応じたとみられる。

 ただ、2番目の妻との間に生まれた2人の息子には、平尾さんに代わり名古屋市で“育ての母”を務めたクラブ経営の女性がおり、女性は養育費用を自分で捻出してきた。兄弟の知人は「息子たちは育ての母が法的に何も受け取る権利がないのに、元マネジャーに相続分が生じることにわだかまりがある」と話す。

 平尾さんは約10年前には、すでに税理士の監督のもと遺産を整理する意向を示していたという。関係者は「正式な遺言書は存在すると思う」と話しており、内容が鍵となりそうだ。しかし、3度目の結婚で家族環境に変化があった中、現状に即した分配整理ができていない可能性もあり、その場合にはトラブルに発展することも考えられる。


急逝した平尾昌晃さん、肺結核の挫折が人生の転機に 評論家「歌手としても、作曲家としてもスター」
7/25(火) 16:56配信 夕刊フジ

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笑顔が絶えなかった平尾さん。「ロカビリー3人男」として歌手としてもスターだった(写真:夕刊フジ)

 「よこはま・たそがれ」や「瀬戸の花嫁」など戦後の昭和を彩ったヒット曲を数多く送り出した作曲家、平尾昌晃氏が21日に肺炎のため79歳で死去した。歌手としてスターとなり、作曲家としてもスターとなった希有な存在だった平尾さん。歌謡曲に洋楽のエッセンスを注ぎ込み、J-POPの礎を築いたパイオニアだった。

 平尾さんは約50年前に肺結核を患って以降、肺に疾患があり、2年前には肺がんを発症。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも体調不良を訴えて1カ月ほど入院していた。一時は回復したが今月13日に体調を崩して検査入院。21日午後11時ごろに容体が急変。最期は夫人らに看取られ、息を引き取ったという。

 「歌手としてもスター、作曲家としてもスター。こんな人はほかにはいない。まさにスーパースター」と語るのは音楽評論家の富澤一誠氏だ。

 平尾氏と交流するきっかけは、2006年の日本レコード大賞。レコ大の実行委員だった富澤氏に、平尾氏が「君が富澤君か。好きなことを言っていいから。かき回して面白くしてくれよ」と声をかけたという。

 「若い人の歌もよく聴いており、新しいことをよく知っていた。好奇心に満ちており、面白いものをみつけるのが得意。そして音楽を普及させるためにサービス精神も旺盛だった」と振り返る。

 そんな平尾氏の功績について「ロックのパイオニアであり、シンガー・ソングライターの礎であり、J-POPのパイオニアだった」という。

 ミッキー・カーチス、山下敬二郎氏(故人)とともに「ロカビリー3人男」としてブレーク。さらに「ミヨチャン」を自作しヒットさせるなどスター街道を歩んでいた。しかし、転機が訪れる。

 「肺結核になり、歌いたくても歌えないというのは、初めての挫折だっただろう。いい意味でお坊ちゃんだった平尾さんが、弱い人の心情が分かるようになった。そこから洋楽的なリズムに、日本的な叙情を織り交ぜた和洋折衷のポップスを生み出していく」

 そして「アン・ルイスの『グッド・バイ・マイ・ラブ』や梓みちよの『二人でお酒を』などは演歌ではなく、大人の音楽、いわばエイジフリーのさきがけだった。今、50、60、70代のためのメロディーを待っていたのですが、残念です」。

2017年7月23日 (日)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去・2

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

最初の記事

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リンク:平尾昌晃さん1年前結婚していた お相手は50代事務所スタッフ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん、昨年50代スタッフと再々婚していた - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:小柳ルミ子、ブログで平尾昌晃さんを悼む「心に響く歌が素晴らしいんだよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:五木ひろし、涙の千秋楽 平尾さんに手向け「別れの鐘の音」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:小柳ルミ子「瀬戸の花嫁は宝物」平尾さん急死「言葉が見つかりません」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:畑中葉子「父のように感じていた」平尾昌晃さんの思い出涙ながらに語る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:永井みゆき 平尾昌晃氏との最後の思い出を振り返る…レコーディング時に優しく指導 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:五木ひろし「よこはま・たそがれ」歌い平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

平尾昌晃さん音楽で華やかに「お別れの会」秋に開催
7/25(火) 7:42配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん(09年6月23日撮影)

 肺炎のため、21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)が安置された都内の自宅マンションは24日、弔問客が訪れることもなく、親族や事務所スタッフらが平尾さんとの最後の時間を過ごした。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 葬儀は家族葬として、今月28日に通夜、29日に葬儀・告別式を行う予定。歌手や作曲家として大きな功績を残した平尾さんだけに、日をあらためて、9月か10月をめどに音楽で華やかにおくる「お別れの会」を行うことで調整を進めている。


遺産相続トラブルの懸念も…平尾昌晃さん、50代女性と昨年結婚
7/25(火) 6:25配信 スポニチアネックス

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死去した作曲家・平尾昌晃さん

 肺炎のため21日に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が昨年、チーフマネジャーだった50代の女性と3度目の結婚をしていたことが24日、分かった。

【写真】2011年、次男・勇気と親子共演した平尾昌晃さん

 平尾さんは周囲に結婚を知らせていなかった。平尾さんの急死によって明らかになったことから、知人は「多くの人が驚いている」と話している。

 また、「数々の名曲の著作権を持つだけでなく、不動産はもちろん、さまざまに展開していた事業も含めると、相当な財産を残していたはず」と説明する。

 遺産の相続については、配偶者が2分の1を法定相続分として受け取ることになっている。平尾さんは最初の妻との間に男児をもうけ2番目の妻の間に2人の息子がいる。周囲は「平尾さんの偉大な功績によって残された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいます」としている。


平尾昌晃さん1年前結婚していた お相手は50代事務所スタッフ
7/25(火) 5:59配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃さん=2005年9月

 21日に死去した作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が、亡くなる1年ほど前に結婚していたことが24日、分かった。お相手は、事務所スタッフの50代女性。長年、同氏を公私にわたり支え、平尾氏も名字でなく名前で呼ぶなど信頼を寄せていた。関係者によれば「昨年の夏前に結婚したようだ」という。平尾氏の入退院などで公表のタイミングを逃していたという。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」

 23日には平尾家の家族会議が開かれ、葬儀・告別式の日程などが話し合われた。家族葬の形で28日に通夜、29日に葬儀が営まれる方向で調整が進んでいるが、喪主などは正式決定していない。


平尾昌晃さん、昨年50代スタッフと再々婚していた
7/25(火) 5:03配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 21日に肺気腫のため死去した歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)が自身の個人事務所スタッフと昨年、再々婚していたことが24日までに分かった。

 関係者によると、お相手は数十年前から平尾さんを右腕として公私ともに支えてきた50代の女性スタッフ。明るい性格で知られ、平尾さんはもちろん、仕事関係者からも厚い信頼を得ていた。昨年、婚姻届を提出したが、女性はスタッフとして働き続けていたこともあってか、公にはしなかった。

 平尾さんは1972年に一般女性と結婚、1男をもうけたが76年に離婚。78年には元歌手と再婚し、歌手の平尾勇気(36)ら2男をもうけたものの、85年に離婚していた。

 平尾さんの遺体は23日、防腐措置のため一時的に都内の自宅マンションを離れたものの、関係者によるとこの日までに再びマンションに戻ったという。28日に通夜、29日に葬儀・告別式をいずれも家族葬で執り行い、9月をめどにお別れの会を開催する意向だ。


死去・平尾昌晃さん 美女に囲まれた“音楽界の巨星”
7/24(月) 16:45配信 東スポWeb

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東京スポーツ本社を訪問時にポーズを取る平尾さん(1994年10月)

 1950年代のロカビリーブームを「ロカビリー三人男」としてけん引し、その後、作曲家として五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」など数多くのヒット曲、歌手を生み出した平尾昌晃さんが21日、肺炎のため79歳で死去した衝撃がいまも芸能界に広がっている。若手に優しかった平尾さんの周りには慕う歌手や関係者、しかも美女ばかりが集まった。いつまでも若々しかった“音楽界の巨星”の秘話を公開する。

 平尾さんは68年に肺結核で片肺を切除して以来、肺の疾患を抱えていたが、2015年に肺がんを患い、闘病生活を送った。13日に体調を崩し、都内の病院で肺炎の疑いと診断され入院した。

「食欲もあり、ウィンブルドンテニスをテレビ観戦したり、元気だった」(関係者)というが、21日夜、肺炎の症状が悪化し、容体が急変。家族やスタッフに見守られ、亡くなった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日、お別れの会が開かれる予定だという。

 58年に歌手デビューした平尾さんは同年に始まった「日劇ウエスタンカーニバル」で山下敬二郎さん(享年71)、ミッキー・カーチス(78)と「ロカビリー三人男」としてブームを巻き起こした。その後は作曲家として「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)などのヒット曲を連発。78年には門下生の畑中葉子(58)と自らデュエットした「カナダからの手紙」をヒットさせた。

 最近もバラエティー番組にも物まねの審査員などとして積極的に出演し、NHK紅白歌合戦のフィナーレの「蛍の光」の指揮は06年から務めていた。 

「主催のチャリティーゴルフコンペは総計3億円以上の寄付金を集める規模に育て、NHKの『レッツゴーヤング』の司会や俳優も務め、精力的でした。若い女性が好きで、それが若さのエキスになっていたと思いますよ」とは音楽関係者。

 プライベートでは年の差婚を2度経験。34歳だった72年に現役女子大生と16歳差で結婚し、長男をもうけた。その後、21歳年下のOさんとの関係が発覚した。

「優秀な歌手を輩出するために開設した『平尾昌晃ミュージックスクール』の生徒は松田聖子や故川島なお美さんなど、かわいい女性ばかりでした。Oさんはその1期生で、平尾さんの“秘蔵っ子”といわれた」(レコード関係者)

 Oさんは19歳で歌手デビュー後、平尾さんとの関係が発覚。妻は子供を抱えて家を出た。その後、離婚と慰謝料を要求し“離婚トラブル”に発展した。

「泥沼化して離婚調停になり、慰謝料が1億5000万円から1600万円に引き下げられて離婚が成立した。その後、Oさんと再婚。2人の子供が生まれましたが、Oさんとも離婚しました」(元女性誌記者)

 Oさんとの間に生まれたのが息子で歌手の平尾勇気(36)だ。23日、本紙の取材に応じた勇気は金髪に赤いピアス、スーツ姿で時折、言葉に詰まりながらこう語った。

「昨夜、穏やかな顔で眠っている父のそばで一緒に寝ました。本当に悲しい、早すぎるなっていうか、眠っているようで。僕は地方へ営業に出ていたのでみとることはできませんでした。僕が音楽の道に進んだのは父の影響が大きい。今は言葉が見つからないし、起きてくるんじゃないかなと思います」

 前出の畑中も同日、都内で取材に応じ「『カナダからの手紙』でご一緒させていただいて運命的なものを感じていた。16歳で父を亡くし、父のように感じていたので残念です」と涙を浮かべて語った。

「歌詞に『あなたの居ないひとり旅です』という歌詞があるんですけど、現実になってしまった。いろいろ年齢も重ねてきましたし、本当に大切に歌わせていただきたいと思います」

 歌とゴルフをこよなく愛し、若い女性が好きだった平尾さんはいつまでも若々しかった。


小柳ルミ子、ブログで平尾昌晃さんを悼む「心に響く歌が素晴らしいんだよ」
7/24(月) 16:16配信 サンケイスポーツ

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小柳ルミ子(写真:サンケイスポーツ)

 歌手、小柳ルミ子が24日、自身のブログを更新。自身の代表曲である「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」などを作曲し、22日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)を悼み、その言葉とともに偉大な作曲家との思い出を振り返った。

 小柳はデビュー曲である「わたしの城下町」の、レコーディングの際のエピソードを披露。初めてのレコーディングを前に、長時間の拘束を覚悟していた小柳に対し、平尾さんと作詞家の安井かずみさんは「OK!最高!」とテイク1で即座にGOサインを出した。

 まさかの一発OKに、小柳は「『先生、納得いく迄歌わせて下さい』とお願い」したが、平尾さんは「『ルミ子、歌はね、上手く歌う事が素晴らしいんじゃないの。心に響く歌が素晴らしいんだよ』」と諭した。小柳はレコーディング後の様子を「何度も、何度も繰り返し聴きましたね。『良いね!最高だよ!ズズ(安井さんの愛称)、素晴らしいね!』と、大興奮。私は、平尾先生と安井かずみ先生の間に座り小さくなっていた」と振り返った。

 さらに「あれから47年、公私にわたって可愛がって下さいました。『ルミ子は強かに生きられないし、泣き虫だから心配だよ』と、何時も気に掛けて下さいました」と感謝し、「先生の教えを胸に、これからも人々の心に響く歌を心を込めて歌って行きたいと思います」と誓った。


小柳ルミ子、平尾昌晃さん悼む「先生の教えを胸に人々の心に響く歌を歌って行きたい」
7/24(月) 12:48配信 スポーツ報知

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09年6月、「出逢い☆ありがとうライブin横浜」で平尾さんと共演した小柳ルミ子

 歌手の小柳ルミ子が24日、自身のブログを更新し、21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)をしのんだ。

 72年の代表曲「瀬戸の花嫁」を平尾さんが作曲するなど、公私ともに親交が深かった小柳。冒頭、「先生無事にそちらに着かれましたか? 何もこんなに生き急がなくても…せっかちな先生らしいな」と思いをつづった。

 71年のデビュー曲「わたしの城下町」のレコーディングでは、1回のテイクで平尾さんからOKが出たという。小柳が「納得いく迄歌わせて下さい」とお願いすると、「歌は上手く歌う事が素晴らしいんじゃないの。心に響く歌が素晴らしいんだよ」と言葉を受けた。「先生の教えを胸にこれからも人々の心に響く歌を心を込めて歌って行きたいと思います」と決意を記し、最後は「『ラブレター フロム ルミ子』より」と結んだ。


平尾昌晃さん次男、父の名曲を歌い継ぐ覚悟「後世に残していく」
7/24(月) 10:31配信 デイリースポーツ

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歌手の平尾勇気

 21日に79歳で亡くなった作曲家・平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気(36)が24日、TBS系「ビビット」に生出演。歌手デビューした勇気の楽曲を聴き「もっとシンプルに、若い子からお年寄りまで口ずさめるように」とアドバイスを送り続けてくれたことに感謝した。

 番組では、勇気を招いて平尾さんのこれまでの輝かしい実績などを紹介。勇気は父の最期には「地方に行っていて会えなかった。ちょっと急だったので」と無念の表情。

 平尾さんは数々のヒット曲を手がけただけではなく、毎年大みそかには紅白歌合戦で「蛍の光」の指揮を振る姿も印象的だった。昨年はすでに体調を崩していた中、指揮を振ったが「無理してるなとは思ったが、大みそかの紅白の指揮を本当に喜んでいたので、今年も指揮をして欲しかった」と唇をかみしめた。

 改めて父について聞かれた勇気は「優しくて、かっこよくて、時には厳しい人でした」と振り返り、歌手として活動する勇気の曲を聴いては「音楽は、いろんな人の耳に残らないとダメ。気持ちは分かるけど詰め込みすぎ」と勇気の作った曲にアドバイス。「もっとシンプルに、若い人からご老人の方まで口ずさめる曲じゃないと」と話していたという。

 「音楽で生きて、音楽を愛し、ずっと音楽が大好きな人だった。父の残してくれた曲を僕らが歌い継いで、後世に残していきたい」と、父が作ったたくさんの名曲を歌い継ぐ覚悟も示すと、最後には「もうちょっと…。曲を書いているから、聞いて欲しかった…」と無念の表情を浮かべていた。


平尾昌晃さん次男「父は憧れの存在」「もっと曲を聴いてほしかった」
7/24(月) 10:30配信 東スポWeb

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亡くなった平尾昌晃さん

 21日に亡くなった作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の次男で歌手、タレントの平尾勇気(36)が24日、TBS系「ビビット」に出演し、平尾さんへの思いを語った。

 番組では作曲家、歌手、育成、チャリティーなど幅広く活動してきた平尾さんの経歴を紹介。生出演した勇気は、「いろいろな方に、こうして平尾昌晃という人間を応援してくださったりとか、日本全国のみなさんに感謝しています。今は複雑な心境で、こんなコメントで申し訳ないですけど、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。

 21日は名古屋におり、みとることができなかったという。「きのう(23日)、実家に行きましたが父の部屋は、いつものままの状態で残っていた。たぶん父も帰ってきたかったんだと思います」と話した。

 MCの国分太一(42)から平尾さんの父としての印象を聞かれた勇気は「優しくて厳しくてかっこいい、憧れの存在だった」とポツリ。勇気は作った曲を平尾さんに聴いてもらっており「いつも長いと言われました。『音楽はいろいろな人が聴くのだから、耳に残る曲を作らないとダメ。お前は詰め込みすぎ、若い子から高齢の人まで楽しめる曲にしないとダメだよ」とアドバイスされたことを明かした。

 勇気は「父が残してくれた歌とかを残せるように、歌い継いでいきたい」と平尾さんの遺志を継ぐと決意した。国分からお父さんに言いたかったことは?と聞かれると「もっと曲を聴いてほしかった」と寂しそうに答えた。


平尾昌晃さんは「紅白の指揮喜んでいた」次男しのぶ
7/24(月) 9:31配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん

 肺炎のため21日に亡くなった作曲家平尾昌晃さん(享年79)の次男で歌手の平尾勇気(36)が、「優しくてかっこよくて、時には厳しい人でした」としのんだ。

【写真】平尾昌晃さんの次男で歌手の平尾勇気

 勇気は24日放送のTBS系「ビビット」に生出演。平尾さんが亡くなった時は仕事で地方に滞在中で、最期には間に合わず「急でした」と悔やんだ。実家は今も平尾さんが過ごしていたままの状態だという。「そのままのものが残っていて、何ひとつ動いていなくて、たぶん父も帰ってきたかったんだなと思います」と語った。

 平尾さんは大みそかのNHK紅白歌合戦のエンディングで流れる「蛍の光」の指揮者としても知られたが、勇気は「やっぱり大みそかに紅白の指揮するのを本当に喜んでうれしそうにしてた」と父の姿を振り返り、「うちの父は音楽で生きて音楽を愛して、ずっと音楽を大好きな人だったんで、父がのこしてくれた曲とかいろいろなものを僕らが継いで、歌い継いで行ったりとか後世にのこしていくようにしていきたい」と語った。


国分太一、平尾昌晃さん悼む「あの曲もこの曲も平尾さんが作っていたことを知りました」
7/24(月) 8:43配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 24日放送のTBS系情報番組「ビビット」(月~金曜・前8時)では、21日に肺気腫のため死去した、歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)について特集した。

 冒頭、MCを務める国分太一(42)は「昭和のヒット曲、あの曲もこの曲も平尾さんが作っていたことを今回、知りました」とポツリ。同じくMCを務める女優の真矢ミキ(53)も「本当に幅広いですね」と、しみじみ。

 真矢は宝塚所属時代、平尾さんが手がけた「ベルサイユのばら」の劇中歌を数多く歌ったことを明かし、「膨大なセリフをまとめたような壮大な歌ばかり。特に『白ばらの人』は舞台で歌って大好きで。今でも歌います。感慨深いですね」と昭和最大のヒットメーカーの業績を振り返っていた。


オートレース 公式サイトでテーマソング作曲の平尾昌晃さん追悼
7/24(月) 8:21配信 東スポWeb

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今年2月、オートレース選手表彰式・ファン感謝祭に出席した平尾昌晃さん

 オートレース公式サイトは23日、21日に肺炎のため79歳で死去した作曲家・平尾昌晃さんの訃報を受け、サイトに追悼メッセージを掲載した。

 サイトでは「先生はオートレースの造詣が深く、長年にわたり表彰選手の選考委員やオート活性化の提言専門委員会の委員を歴任いただくなど、オートレースの発展に多大なご尽力を賜りましたことに改めて御礼申し上げます」と感謝。さらに「今後は先生のオートレースに対する愛情を忘れることなく業界発展に努めてまいります」としている。

 平尾さんは川口オートレース場のテーマソング「ぶっちぎりの青春」の作曲を担当。今年2月の選手表彰式・ファン感謝祭で川口所属の現役オートレーサーがコーラスとして参加するリメーク版「ぶっちぎりの青春☆NOW」発売を発表した。


五木ひろしが平尾さんに惜別「よこはま・たそがれ」
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

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平尾さんをしのび、涙ながらに熱唱する五木ひろし(撮影・村上久美子)

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の作曲「よこはま・たそがれ」で、スター歌手となった五木ひろし(69)は23日、大阪・新歌舞伎座の座長公演千秋楽を迎え、平尾さんの楽曲3曲を追悼歌唱。平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」を歌った歌手畑中葉子(58)も涙ぐみながら悼んだ。

【写真】畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む

 「五木ひろしを作っていただいた方…です…」

 座長公演の千秋楽。カーテンコールを終え、出演者もはけた最後の最後、五木は震える声であいさつした。「よこはま-」と「ふるさと」「別れの鐘の音(ね)」を熱唱。「平尾さんを思うと(座長公演を)まっとうできない」として、平尾さんの話は最終盤まで封印。閉幕後取材に応じ、平尾さんとの思い出を語った。

 「僕の人生の最大のチャレンジに、とても大きな力をくれた。平尾先生と、山口(洋子)先生がいなければ、五木ひろしはスターになっていなかった」

 五木は3度の改名を経て、71年に「よこはま・たそがれ」で再デビュー。そのきっかけとなったのは、グランドチャンピオンに輝いたオーディション番組「全日本歌謡選手権」。同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。

 五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)と、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕ってきた。73年にレコード大賞を獲得した「夜空」も平尾さんの作曲。恩師の死に「正直に言えば、まだ実感がわかない」と天を仰いだ。

 平尾さんの訃報は前日22日の舞台終演後に聞いた。昨年末のNHK紅白歌合戦で会っており「2年前より元気になっておられたので、本当にまさか、という思いでした」と語った。

 平尾さんは、五木としてのデビュー当時、キャンペーンに同行。「先生はレコード店の店頭に立って、道行く人に声をかけて、お客さんを集めてくれた。無名の僕では集まらないので、先生が頭を下げてくれた」。思い出は尽きない。

 平尾さんからは、テンポ感ある楽曲を多くもらった。その意味を「僕は重たい歌い方。あえてリズムのいい歌をくれた」ととらえ、思いやりに感謝する。五木は「僕が元気であれば、平尾作品も聴いてもらえる」と言い、歌の継承のため、追悼アルバムも検討しているという。【村上久美子】


畑中葉子涙「あなたの居ないひとり旅」平尾さん悼む
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)とのデュエット曲「カナダからの手紙」を歌った歌手畑中葉子(58)も涙ぐみながら悼んだ。

【写真】平尾さんをしのび、涙ながらに熱唱する五木ひろし

 畑中は23日、舞台「Nostalgia」出演後に取材に応じた。15年に東京・五反田ゆうぽうとホールでの公演に平尾さんが出演した際に対面したのが最後だったといい、「この時も手を腰にあてて歌っていたり、ご体調が良くないことは存じ上げてました。多分、もうお会いすることはできないと思っていたので、びっくりはしましたけど、覚悟していた部分はありました」と明かした。

 訃報は22日夜に知ったといい「いつも優しくて、どんな方にも接し方が同じ。私は16歳で父を亡くしていて、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 思い出については「私はデビューが18歳で、1曲目でヒットしたので鼻が高くなって、平尾先生にも失礼が度々あったような気がします。その時は感じなかったけど、結婚し、子育てをし、改めて先生の偉大さを感じました。そういったことがお伝えできずにお別れしてしまいました」。

 「カナダからの手紙」は来年で発売40周年になる。「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅』とありますけど、現実になってしまった。これからも1人で歌っていきたい。たくさんの曲を残された、そういった方とご一緒できてうれしく思います」と語った。【松尾幸之介】


平尾さん「詞を持ってこい」親子での曲作り叶わず
7/24(月) 8:10配信 日刊スポーツ

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平尾勇気(04年5月28日撮影)

 肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の次男で歌手の平尾勇気(36)が23日、取材に答えた。父から「詞をもってこい」と言われるも、病状悪化もあり、実現できなかったことを悔やんだ。

【写真】チャラい風貌と行動がテレビで話題を呼んだ平尾勇気

 平尾さんが亡くなった21日、勇気は仕事で名古屋に滞在中で、父が吐血し容体が急変したという知らせを受けた。午後10時過ぎで新幹線はない。愛知県内に住む兄と、車で都内の病院に向かったが、最期には間に合わなかった。事務所のスタッフらがみとったという。

 2カ月ほど前、自宅療養中の平尾さんを見舞った。勇気は「普段は厳しいんですけど、その時は『おお、勇気。どうだ、最近』と、優しい感じでした。弱っているのかな、と少し寂しく思いました」と振り返った。この時が、父に会った最後になった。

 勇気作詞、平尾さん作曲で、曲を作る企画もあったという。3~4年ほど前、平尾さんは勇気に「詞を書いて持って来い」と言い、自分が作曲する意思を見せた。しかし14年末、もともと肺に持病があった平尾さんが体調を崩し、15年1月に危篤状態にまでなった。勇気は「そこから徐々に弱っていったので、2人で曲を作るまではいかなかった。後悔がいっぱいあります」。

 平尾さんは音楽について常々、みんなが聞きやすい歌を作りなさい、とアドバイスしてくれたという。勇気は「音楽が活力になっている人でした。優しくてかっこよくて、尊敬する父でした」と話した。

 通夜は28日、葬儀・告別式は29日で、いずれも家族葬で営まれ、喪主は長男が務める予定。


紅白の顔「蛍の光」指揮者11年、平尾昌晃さんの後任は?
7/24(月) 7:12配信 スポーツ報知

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2015年の紅白歌合戦での平尾昌晃さん(中央)

 21日に肺気腫のため死去した歌手で作曲家、平尾昌晃さん(享年79)は大みそかのNHK紅白歌合戦のラストに流れる「蛍の光」の指揮者でも知られた。国民的番組のフィナーレを飾る“顔”を失い、同局はこれから頭を悩ませることになる。

【写真】平尾昌晃さん作曲の歌を熱唱する五木ひろし

 紅組、白組の勝敗が決し、出演者全員で合唱する、おなじみ「蛍の光」。両組の歌手らが入り交じってステージに登壇し、平尾さんがニコニコとタクトを振る。曲が終了すれば、カメラはすぐ「ゆく年くる年」(後11時45分)の除夜の鐘の中継へ―。それをお茶の間で見ることは、日本人の恒例行事だ。

 平尾さんは06年「大作曲家で、過去4回歌手としてステージも踏むなど華やかさがある」(NHK)として指揮者に就任。初代は「青い山脈」で知られる国民栄誉賞歌手の藤山一郎さん、2代目は「宇宙戦艦ヤマト」の音楽で知られる、作曲家の宮川泰さんが務めるなど、一環して国民的に支持される音楽家が担ってきた。

 一年を締めくくる生番組のエンディングだけに、責任も重大だ。かつて藤山さんは、番組の終了時間にちょうど合わせるため、テンポを変え、指揮していたこともあった。

 紅白まで半年を切った。平尾さんの訃報に、NHKでは悲しみに沈む一方で、後任探しを始めなければならない。前任者の宮川さんは06年3月に亡くなったが、平尾さんの就任発表は本番直前の同年12月25日。約9か月の間、秘密裏に進められてきた。NHKは現段階で「お話しできることはありません」と話すが、日本中が注目するイベントだけに、慎重に人選されていくことになりそうだ。

 ◆紅白フィナーレメモ 紅白歌合戦は1951年にラジオ番組としてスタート。1月3日に放送され、当時は正月番組だった。53年の第4回からテレビ放送され、日程も大みそかに。この回から「蛍の光」の合唱も始まった。1度だけ別の曲になったことがあり、東京五輪の前年となる63年の第14回大会では「蛍の光」が「東京五輪音頭」に変わったという。


畑中葉子も悲痛、平尾さんとのデュエット曲「歌詞が現実に…」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)とのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手で女優、畑中葉子(58)が23日、東京都内で出演舞台後、取材に応じた。

 最後に故人と会ったのは、2015年9月の「ウエスタンカーニバル」公演で「体調がよくないことは存じ上げていました。もうお会いすることができないかもと、覚悟をしていたところはあった」とポツリ。16歳で父を亡くしており、「父のように感じていました」と瞳を潤ませた。

 来年は「カナダ-」発売から40年。「『あなたの居ないひとり旅』という歌詞が現実になってしまいました。これからも大切に歌わせてもらいます」と声を震わせた。


岩佐美咲、AKB番組で平尾さんと共演「感謝の気持ち伝えたい」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 元AKB48の演歌歌手、岩佐美咲(22)が23日、東京都内のソロ公演前に取材に応じ、作曲家、平尾昌晃さん(享年79)を偲んだ。

 デビュー曲「無人駅」のカップリングで、故人が作曲し、歌手の小柳ルミ子(65)が歌った「瀬戸の花嫁」をカバーしており、「悲しい…」としんみり。2012年放送の日本テレビ系「AKBINGO!」のカラオケ大会で優勝した際、審査員だった平尾さんから「頑張ったね」と声を掛けられたといい、「優しい言葉を掛けてくださって心強かった。感謝の気持ちを伝えたい」と天に呼びかけた。


平尾さんに届け…五木ひろし、涙の追悼唱「やっぱり悲しいし寂しい」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

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「別れの鐘の音」を歌う際、感極まって涙をぬぐった五木ひろし=大阪市天王寺区(撮影・陶器浩平)(写真:サンケイスポーツ)

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報から一夜明けた23日、歌手の五木ひろし(69)が大阪・新歌舞伎座「五木ひろし特別公演」の千秋楽で故人が手がけた「よこはま・たそがれ」など3曲を歌い、追悼した。「人はいつかはお別れするが、やっぱり悲しいし、寂しい」と語り、背を向けて涙をぬぐった。恩師に思いを込めて熱唱した五木は、24日にも平尾さんと“対面”する。

 「私の原点です」-。坂本冬美(50)との「ふたりのスペシャルショー」中盤、五木はそう前置きして、1971年の“五木ひろし”としてのデビュー曲「よこはま・たそがれ」を歌った。

 ♪あの人は 行って行ってしまった もう帰らない

 一報を聞いたのは前日の公演が終わった午後8時半ごろ。「えっ!? なんで!?」。大きな声でマネジャーに問い返した。

 昨年大みそかにNHK紅白歌合戦で会ったときは「元気か」と明るく声をかけてもらい、「回復されたと思っていたから」驚きも大きかった。

 思い出は尽きない。70年、日本テレビ系「全日本歌謡選手権」に挑戦したときの、1週目ゲスト審査員が平尾さん。

 「よこはま-」では、「重い歌い方」を、平尾さんのリズム感のある曲調が変えた。歌手としても一時代を築いた平尾さんは、同曲のレコード店キャンペーンで自ら“客寄せパンダ”を買って出てくれた。

 千秋楽公演中、平尾さんへの思いは「ファンも悲しい気持ちになる」と懸命に押さえた。冬美らと明るく「ふるさと」を合唱すると、1人ステージに残り、平尾さんへの思いを語った。

 「(『よこはま-』を作詞した山口)洋子先生も天国に行ってしまいました。大恩ある平尾先生も旅立たれてしまいました。歌手にとって作品との出会いがすべて。大入満員の千秋楽を迎えさせていただいているのも、すべては、そのスタートにあったわけです」

 最後の曲は「ふるさと」と同様平尾さん作曲の「別れの鐘の音」。米ラスベガス公演(76年)で歌ったとき、駆けつけた平尾さんの笑顔が思い出され、前奏で客席に背を向けてあふれる涙をぬぐった。千秋楽だからと選んだ曲が追悼歌に。

 「偶然なのか、そうさせてくれたのか」

 感謝の思いを込めて歌ったものの、実感が湧かない。「自分の目でしっかり確認しないと。会いに行きます」と告げ、そのまま帰京した。


平尾勇気、父を看取ることができず絶句「いつも輝いていた。スター」
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の息子で歌手、平尾勇気(36)が23日、東京都内でサンケイスポーツの取材に応じ、最愛の父の他界に「悔しいです…。もっと長生きしてほしかった」と涙ぐんだ。

 亡くなる直前の21日午後10時ごろ、仕事で滞在していた名古屋で心肺停止の連絡が入り、看取ることはできず。最後に会った2カ月前は元気だっただけに絶句し、「急いで車で東京に向かいましたが、途中で亡くなったと聞いて『ウソだろ』って…」と唇をかんだ。

 22日は一日中、父に寄り添っていたといい「カッコイイ人でいつも輝いていた。スターです」と偉大な父をしのんだ。

 今週末に家族葬を執り行い、秋頃に音楽葬を開く予定。「みなさんのお力を借りて、とにかく盛大に明るく送り出したい。派手な人だったので」と誓った。


平尾昌晃さん昨年再々婚していた!仕事関係の50代女性、献身的に看病
7/24(月) 7:00配信 サンケイスポーツ

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昨年、再々婚していた平尾昌晃さん(写真:サンケイスポーツ)

 作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報から一夜明けた23日、平尾さんが昨年、再々婚していたことが分かった。

 複数の関係者によると、お相手は仕事関係で知り合い、数十年の親交がある50代女性。明るくオープンな性格で気配りができ、平尾さんや仕事関係者からも信頼が厚かった。ずっと側で支え合ううちに親密になり、昨年、婚姻届を提出。平尾さんは晩年の再々婚を照れ、公にしてこなかったようだ。

 平尾さんが2年前に肺がんを発症して、入退院を繰り返す闘病生活を送っていたときも、女性は献身的に看病。平尾さんの最期も看取り、現在もつきっきりで遺体に寄り添っているという。

 平尾さんは1972年に18歳の短大生と結婚。1男をもうけるも、当時16歳だった元歌手、小沢深雪さんとの交際が原因とみられる離婚騒動で、76年に離婚した。78年には小沢さんと結婚。歌手の平尾勇気ら2男をもうけたが、85年にすれ違いを理由に離婚していた。


岩佐美咲「瀬戸の花嫁」で平尾さん追悼 ソロコンサート曲目追加
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

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コンサートで「瀬戸の花嫁」を歌い平尾昌晃氏を追悼した岩佐美咲

 元AKB48の演歌歌手・岩佐美咲(22)が23日、都内でソロコンサートを行った。

 平尾さんの訃報を受け、デビューシングルにカップリング曲として収録した「瀬戸の花嫁」を急きょ曲目に追加。「これからも大切に、より一層心を込めて歌っていきたい」と誓った。

 AKB時代には日本テレビ「AKBINGO!」のカラオケ企画で平尾さんが審査員を務め、2連覇した岩佐に「よく頑張ったね」と声を掛けてくれたといい「凄くうれしかった」と振り返った。この日は他に新曲「鯖街道」などを熱唱した。


「うそ」のヒットでスターに…中条きよし「恩師であり生みの親」
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんが手掛けた74年の「うそ」の大ヒットでスターへと駆け上がった中条きよし(71)は「3月末に番組の収録で平尾先生とお会いした時、思い出話に花が咲き、一緒に撮った記念写真が最後の一枚になるとはいまだに信じられません」と回想した。

 読売テレビのオーディション番組「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、平尾さんに見いだされ「中条きよし」として「うそ」でデビュー。中条は「平尾先生は恩師でもあり“中条きよし”の生みの親でもあります。心からご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。


平尾さん ド派手衣装で旅立ち…次男・勇気「踊りだしそうな姿で」
7/24(月) 6:01配信 スポニチアネックス

 肺炎のため21日深夜に亡くなった作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の遺体は23日、都内の自宅マンションから一時的に移され、防腐処置を受けた。この日、次男で歌手の平尾勇気(36)が遺族を代表して本紙の取材に応じ、死に装束をお気に入りの紫ジャケットとピンクのネクタイにすると明かした。派手好きだった平尾さんらしい、最後の別れとなる。通夜は28日、葬儀・告別式は29日に家族葬で営まれる。

【写真】派手好きだった平尾昌晃さん

 平尾さんの遺体は亡くなってすぐ自宅に移されたという。仕事先の名古屋市から兄弟とともに駆けつけた勇気は22日早朝、父と無言の対面。「凄くきれいな顔で、いまだに亡くなったことを受け入れられない」と話した。

 みとったスタッフによると、平尾さんは20日に苦しさを訴え気胸が判明。亡くなる30分前に吐血し、心臓マッサージにも蘇生しなかったという。この日、勇気らは遺体の枕元にプレーヤーを置き、平尾さんの名曲や生前愛したロックをかけながら、どう送り出すべきかなど今後について親族で協議した。

 そして浮上したのが生前の平尾さんが大好きだった“ど派手な衣装”での旅立ち。勇気は「ピンクのジャケットばっかり着てたから、みんなそれを着せたいと言ったけど、ここ数年、お気に入りだったピカピカの紫のジャケットを着せることにした。ただ親父とくればピンク。だからネクタイをピンクにしました」と説明した。

 一般的には白の和装のイメージが強いが、近年定着しつつある「エンディングウエア」と呼ばれるサービス。生前のような服装を着用することで別れの悲しさを和らげると人気だ。派手さを好み、派手なことが似合った平尾さんにピッタリだ。

 遺体は「エンバーミング」という薬液を用いた防腐措置を受け、当面は自宅マンションに安置される。通夜は28日、葬儀・告別式は翌29日。家族のみで営むといい「たくさんの人にお見せできないのは少し残念」としつつ「皆さんに愛してもらった“平尾昌晃”らしい、今にも踊りだしそうな姿で送り出すことを親父は喜んでくれるのでは」と話した。

 勇気は歌手ながら「チャラ男キャラ」で露出するなど「先生(平尾さん)には怒られてばかりだった」。舞台での共演は11年秋、名古屋市でのチャリティー公演が最後になったといい「紅白歌合戦で、蛍の光を指揮する先生と並ぶのが夢だった。親孝行できなかったなあ」と目頭を押さえた。

 ▼エンバーミング 遺体の防腐や消毒が目的。ポンプを使い全身の血液を抜き、薬液を全身に行き渡らせる。10日前後保存できる施術が一般的だが、薬液の調合次第では何年も遺体の状態を保てる。赤い薬液で遺体の肌の色をよく見せたり、損傷を修復するなど遺族の悲しみを和らげる目的もある。所要時間は3~4時間、費用は15万~20万円。土葬文化の欧米に比べると日本での普及率は低いが、年々増加傾向。2016年は処置件数は約3万6000件。全国に約35の施術施設がある。


五木ひろし「歌い続けてご恩返ししたい」 悲しみこらえ…出世曲で平尾さん追悼
7/24(月) 6:00配信 デイリースポーツ

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 「別れの鐘の音」を歌い上げる五木ひろし=新歌舞伎座(撮影・石湯恒介)

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座公演で、「よこはま・たそがれ」など平尾作品3曲を追悼唱でささげた。

 五木は恩人を亡くした悲しみを必死にこらえ、平尾さんが手がけ、自身をスター街道に導いた出世曲を追悼歌唱した。

 歌謡ショーで「私の原点です」と「よこはま-」を披露。カーテンコールでは出演者全員で「ふるさと」を合唱。最後に五木が1人、舞台に残り「平尾先生に、ありがとうございましたとお伝えしたいです」と沈痛な表情で語り、「別れの鐘の音」を捧げた。

 無名だった1970年に「全日本歌謡選手権」で平尾さんと故山口洋子さんに素質を見込まれ、翌年に五木ひろしとして再デビュー。平尾さんと山口さんが手がけた「よこはま-」が大ヒットし、紅白初出場も果たした。

 終演後に取材に応じた五木は「『よこはま-』のキャンペーンの時は、レコード屋の店頭で平尾先生がお客さんを集め、私を呼び込んでくださったのを思い出します」と回顧。平尾さんとは昨年の紅白でも対面して激励されたといい「お元気だと思ってました。まだ信じられません」と言葉を詰まらせた。

 「五木ひろしを誕生させた山口先生に続き平尾先生までもが旅立たれて…。でも、私が元気である限り、歌い続けてご恩返ししたい」と誓った。


畑中葉子『あなたの居ないひとり旅』現実に…平尾さん訃報に沈痛
7/24(月) 6:00配信 デイリースポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、1978年の大ヒット曲「カナダからの手紙」をデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、平尾さんとの思い出を涙ながらに語った。同曲の歌詞を引用し、「『あなたの居ないひとり旅です』とあるのが、現実に…」と肩を落とした。

 恩師の訃報に触れてから一夜が明け、畑中が悲痛な胸中を吐露した。舞台「Nostalgia」に出演後、報道陣の取材に対応。2015年9月の「ウエスタンカーニバル」公演に平尾さんが出演した際、対面したのが最後になったといい、「先生のご体調が良くないことは存じ上げてました。もうお会いすることができないかもと、覚悟していたところはありました」とうなだれた。

 畑中が中学2年のとき、引っ越し先が平尾さんの自宅近辺だったことが縁で、平尾さんが開いたミュージックスクールの生徒となり、新人ながら「カナダ-」のデュエット相手に抜てきされた。NHK紅白歌合戦にも出場し、一気にスターダムに駆け上がった。

 来年は発売から40年の節目だったが、「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅です』とあるのが、現実になってしまいました…。これからも大切に歌わせていただきたい」と涙を浮かべ、唇をかみしめた。

 16歳で父親を亡くしている畑中にとって、平尾さんは「父親のように思っていた存在」と回想。初婚の相手は平尾さんの弟子で、離婚したときには「何だよ!!しょうがねえな」と励まされたという。今年の正月には、平尾さんから直筆で「いつもありがとうね」とお歳暮の礼状が届いたことも明かした。

 「デビューが18歳で、1曲目でヒットして鼻が高くなって、平尾先生にもたびたび失礼な態度があったと思います。結婚し、子育てをして、先生の偉大さを感じるようになったことをお伝えできないまま、お別れになってしまいました」。恩返しをせずに迎えた“デュエット解消”に、後悔の念を募らせていた。


五木ひろし、涙の千秋楽 平尾さんに手向け「別れの鐘の音」
7/24(月) 5:38配信 スポニチアネックス

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「別れの鐘の音」を歌いながら涙を拭う五木ひろし

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座で特別公演の千秋楽を迎え、亡くなった恩人・平尾さんの提供曲を熱唱した。

 本編中は座長として気丈に務めたが、アンコールでは訃報に触れ「悲しく寂しく、何とも言えない気持ち」と言葉を詰まらせた。「旅立たれてしまった先生に感謝を込めて歌う」と最後に「別れの鐘の音」を披露し、涙を拭った。

 平尾さん作曲の「よこはま・たそがれ」は毎回歌ってきたが、「別れ…」は平尾さんが亡くなる前から千秋楽で特別にやると決めていた。終演後、「偶然だったのか…これも驚き」と吐露し、「たくさん歌を作っていただき、僕の中にいっぱい平尾メロディーが残っている。元気な限り歌い続けるのが恩返し」と語った。


♪あなたの居ないひとり旅…の歌詞 畑中葉子「現実になってしまった」
7/24(月) 5:33配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手の畑中葉子(58)は23日、都内の劇場で出演舞台「Nostalgia」の終演後に報道陣に対応。「私は16歳の時に父を亡くし、(平尾さんを)父のように感じていたので残念です」と目を潤ませながら悼んだ。

 15年9月に都内で平尾さんが出演した公演を訪れ、「おお、元気?」と声を掛けられたのが最後の対面となった。今年1月には、平尾さんからお歳暮のお返しにと「いつもありがとうね」と書かれた手紙とクッキーが届いたという。

 「カナダからの手紙」は来年発売40周年を迎える。「歌詞に“あなたの居ないひとり旅です”とありますが、現実になってしまった。これからも一人で大切に歌っていきたい」と力を込めた。


小柳ルミ子「瀬戸の花嫁は宝物」平尾さん急死「言葉が見つかりません」
7/24(月) 5:00配信 スポニチアネックス

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98年6月、平尾昌晃さんの音楽生活40周年パーティーで小柳ルミ子と

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 「瀬戸の花嫁」が大ヒットした小柳ルミ子(65)は23日、所属事務所を通じてコメントを発表。「17歳で先生と初めてお会いしてから48年、数え切れないほどの思い出があります。哀(かな)しくて、今の気持ちを表す言葉が見つかりません」と大きなショックを受けている。

 デビュー曲「わたしの城下町」から「京のにわか雨」など代表曲は平尾さんが手掛けたものが多く「そのどれもが大切ですし、“瀬戸の花嫁”は私の宝物です。平尾先生の魂とも言える楽曲をこれからも歌える限り、大切に歌っていきたい」と誓った。


天国の恩人・平尾昌晃さんへ五木ひろし追悼の「別れの鐘の音」熱唱…涙ぬぐう場面も
7/23(日) 19:34配信 スポーツ報知

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大阪での座長公演で、平尾昌晃さん作曲の歌を熱唱する五木ひろし

 歌手の五木ひろし(69)が23日、大阪・上本町の新歌舞伎座で特別公演千秋楽を迎え、「よこはま・たそがれ」など、肺気腫のため21日に亡くなった平尾昌晃さん(享年79)が作曲した楽曲を熱唱した。

 「よこはま―」は五木の人生を変えた1971年のヒット曲。また、以前から千秋楽のために用意していたアンコール曲「ふるさと」「別れの鐘の音」は偶然にも平尾さんの作曲で、五木はMCで「歌手にとって作品との出合いがすべて。これほど、そう思ったことはありません」と語り、「別れの―」の途中には、客席側に背を向けて目元に手をやるシーンもあった。

 五木は終演後に会見。22日の公演が終了した午後8時半ごろに楽屋で訃報を聞き、「ビックリしました。お元気だと思っていたので…」と、しんみり。昨年のNHK紅白歌合戦の際に会ったのが最後。「会うたびに『よく頑張っているね』とおっしゃってくれた」と振り返り、「悲しい、寂しい思いでいっぱい」と大恩人の死を悼んだ。


小柳ルミ子 平尾昌晃氏の冥福祈る…代表曲「瀬戸の花嫁」を作曲、親愛なる平尾先生
7/23(日) 19:13配信 デイリースポーツ

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小柳ルミ子

 歌手の小柳ルミ子(65)が、肺炎のため21日に79歳で死去した作曲家・平尾昌晃氏の冥福を祈った。小柳の代表曲「瀬戸の花嫁」を平尾氏が作曲した。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙

 小柳は23日午前1時過ぎにブログを更新。「平尾先生のマネージャー様から訃報のお電話を頂きました」と訃報に接したことを記した。「今はショックで何も考えられません。落ち着いたら又、改めてコメントさせて頂こうと思っております。親愛なる平尾先生ご冥福をお祈り致します」と恩人の死に言葉を失った。


畑中葉子「父のように感じていた」平尾昌晃さんの思い出涙ながらに語る
7/23(日) 18:43配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のため亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、大ヒット曲「カナダからの手紙」(78年)でデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、都内で取材に応じ、涙ながらに思い出を語った。

 22日に舞台「Nostalgia」に出演後、関係者から訃報を聞いた。15年9月、五反田・ゆうぽうとの閉館時に平尾さんが出演した「ウエスタンカーニバル」公演で会ったのが最後になり、「ステージで腰に手を当てて歌ってたので、だいぶ良くないのかなと思ってました。全ての方に温度差なく接するお優しい方でした」としのんだ。

 中学2年時に都内へ引っ越した際、平尾さんが同じマンションに住んでいた。その後、平尾さんの歌謡スクールに通い、18歳でデビュー曲「カナダ―」が大ヒット。NHK紅白歌合戦に2人で出場し「運命的なものを感じました。16歳で父を亡くしているので、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 歌謡スクールでレッスン時、畑中が歌の最後に一礼すると、平尾さんから「何でエンディングで頭下げるんだ。最後まで曲なんだよ」と一度だけ叱られ「一番胸に残ってます」。近年は交流が少なかったが、今年の正月に平尾さんから届いた寒中見舞いには初めて直筆の手紙が添えられ「いつもありがとう」とつづられた。

 同曲は来年で発売から40年を迎える。「歌詞に『あなたの居ない一人旅です』とあるけど、現実になってしまった。これからも1人で、大切に歌わせていただきたい」と前を向いた。


永井みゆき 平尾昌晃氏との最後の思い出を振り返る…レコーディング時に優しく指導
7/23(日) 18:37配信 デイリースポーツ

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平尾昌晃氏との思い出を語る永井みゆき=都内

 肺炎のため21日に死去した作曲家・平尾昌晃氏(享年79)の最後のリリース楽曲「蛇の目小紋の女」を歌う歌手・永井みゆき(41)が23日、NHKラジオ第1「日曜バラエティー」(日曜、後1・05)に出演。「とても優しい方でした。突然のことで驚いています」などと心境を語り、追悼の思いを込め、同曲を熱唱した。その後、都内でデイリースポーツの取材に応じた永井は、平尾氏との思い出などを語った。

【写真】畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに…

 この楽曲は25周年記念曲の第2弾として4月19日に発売。初めて平尾氏の作品を歌うことになったが、2月のレコーディングに平尾氏はすべて立ち会ってくれた。当時の体調は一進一退で、すぐれない日もあったようだが、そんな様子はみせず「いつも笑顔で優しく指導してくれた。緊張している私に、何度も『大丈夫だから』と声をかけてくれて励ましてくれた」という。

 また楽曲のイメージを伝えるため、平尾氏は自らブースの中に入り、この曲を3番まで熱唱したことも。時々、パンやサラダなど自分の好物を「おいしいから」と差し入れてくれたという。

 5月31日には、都内で平尾氏が自らプロデュースしたライブにゲスト出演。この新曲を発表するコーナーを設けてくれ、ファンにも歌唱法を伝授するなど、ヒットへバックアップをしてくれた。実はこれが生前の平尾氏が、最後に公の場に登場した時。永井も最後の対面となった。「とても元気だったのに」と嘆いた。

 「(新曲で)新しい世界を生み出していただき感謝しています。これからも大事に歌っていきたい」と天に誓った永井。「(平尾)先生とは、これからもお仕事したかったです」と、最後まで悲しみをこらえていた。


五木ひろし「よこはま・たそがれ」歌い平尾さん悼む
7/23(日) 18:32配信 日刊スポーツ

 3度の改名を経て、平尾昌晃さんの「よこはま・たそがれ」を機に、スター街道を上った歌手、五木ひろし(69)が23日、大阪・新歌舞伎座の座長公演千秋楽で、平尾さんをしのんで「よこはた・たそがれ」「ふるさと」「別れの鐘の音(ね)」を歌い、追悼した。

【写真】故平尾昌晃さんの思い出を沈痛な面持ちで語る畑中葉子

 座長公演2部のショー。五木ひろしとしてのデビュー曲になった「よこはま-」を「私の原点です」と言い、熱唱。カーテンコールで共演者全員がはけた後には、21日に肺炎のために亡くなった平尾さんをしのび「昨日突然、平尾先生の訃報が届きました。人はいつか別れの時がくるものですが、やはり悲しく、寂しい」と、声を震わせながらあいさつした。

 五木はもともと、別名でデビュー後、鳴かず飛ばずで、2度改名。「三谷謙」として、オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場し、グランドチャンピオンに輝き、再デビュー権を得た。

 同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。71年に「五木ひろし」として、平尾さん作曲、山口さん作詞の「よこはま・たそがれ」でデビューし、ヒット歌手の仲間入り。五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)とともに、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕っていた。

 五木は、73年に「夜空」でレコード大賞を獲得したが、これも平尾さんの作品。この日のステージでは「平尾先生、山口先生がいなかったら、五木ひろしはいなかった。本当に心から、ありがとうございますと言いたい」と話すと、深々と頭を下げていた。

2017年7月22日 (土)

歌手・作曲家の平尾昌晃氏が死去

歌手・作曲家として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

平尾昌晃氏は東京都出身、1958年に歌手さしてデビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などがある。

60年代からは自身が歌い布施明が再リリースしてヒットした「おもいで」を皮切りに作曲家としても活躍、67年には布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

リンク:畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:布施明「思い出は限りありません」平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:畑中葉子、恩師・平尾昌晃さん悼む「ありがとうございましたの言葉しかありません」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:結核で1年療養「故郷テーマに作曲」…平尾さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:もう聞けない「面白いだろ!」の決まり文句…担当記者が平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:森口博子、名付け親の平尾昌晃さん悼む「名前を大切にずっとずっと歌い続けます」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:和洋折衷の平尾節「私の城下町」など新しい歌謡曲…原点に家族の存在 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん 希代の歌手、親しまれた人柄 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ロカビリー3人男で人気博す/平尾昌晃さん略歴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐藤摩弥「先生が愛してくれたオートレースを世の中に広めていきます」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ミッキー・カーチス「本当に昔から才能のあるやつで」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:伊東ゆかり「星の王子様のような方」…平尾昌晃さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去…『瀬戸の花嫁』の小柳ルミ子「あまりにもショック」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:五木ひろし、平尾昌晃さんに感謝いっぱい「世に送り出してくださった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾さん 甘いマスクで優しいモテ男 2度の結婚も… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」など名曲遺し - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ミッキー・カーチス「残されちゃった」平尾さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さんが肺炎のため死去 79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん亡くなる、肺炎のため21日に…79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<訃報>平尾昌晃さん79歳=作曲家 「瀬戸の花嫁」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:作曲家で歌手の平尾昌晃さん死去…79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:作曲家の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」など多くのヒット曲手がける - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:平尾昌晃さん死去=「瀬戸の花嫁」など作曲、79歳 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

畑中葉子「カナダからの手紙が現実に」平尾さん悼む
7/23(日) 18:27配信 日刊スポーツ

 歌手畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、21日に肺炎のため亡くなった作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんへの思いを語った。

【写真】78年、紅白歌合戦で畑中葉子とデュエットする平尾昌晃さん

 畑中は78年発売の大ヒット曲「カナダからの手紙」を平尾さんとデュエットしていた。出演舞台「Nostalgia」の出演後に取材陣の取材に対応した。15年9月に東京・五反田ゆうぽうとホールの閉館を記念した「MIN-ON ウエスタン・カーニバル ファイナル」公演に平尾さんが出演した際に対面したのが最後だったといい、「この時も手を腰にあてて歌っていたり、去年か一昨年も倒れられたり、ご体調が良くないことは存じ上げてました」と明かした。訃報は22日夜の舞台出演後に知ったといい「多分、もうお会いすることできないと思っていたので、びっくりはしましたけど、覚悟していた部分はありました。私は16歳で父を亡くしていて、父のように感じていたので残念です」と涙ぐんだ。

 「カナダからの手紙」は来年で発売から40周年だった。「歌詞の中に『あなたの居ないひとり旅』とありますけど、現実になってしまったなと思います。これからもカナダからの手紙は1人で歌っていきたい。この曲だけでなく、たくさんの曲を残されて、そういった方とご一緒できて、うれしく思います」と話した。


畑中葉子 恩人・平尾さんとの別れに涙「あなたの居ない1人旅です」
7/23(日) 17:24配信 デイリースポーツ

 21日に肺炎のため亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さん(享年79)の訃報を受けて、大ヒット曲「カナダからの手紙」を平尾さんとデュエットした歌手・畑中葉子(58)が23日、都内で会見し、平尾さんとの思い出を涙ながらに語った。

 舞台「Nostalgia」の出演後、報道陣の取材に対応。2015年9月に「ウエスタンカーニバル」公演に平尾さんが出演した際、対面したのが最後になったといい、「先生のご体調が良くないことは存じ上げてました。もうお会いすることができないかもと、覚悟していたところはありました。16歳で父を亡くしているので、父のように思っていたので残念です」と悲痛な胸中を吐露した。

 新人だった畑中が、平尾さんとのデュエット相手に抜擢され、「カナダ-」発売してから来年で40年。「歌詞の中に『あなたの居ない1人旅です』とあるのが、現実になってしまいました…。これからも大切に歌わせていただきたい」と瞳を潤ませながら、唇をかみしめた。


布施明「思い出は限りありません」平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 17:13配信 日刊スポーツ

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布施明

 歌手布施明(69)が23日、自身の公式サイトを更新し、21日に肺気腫のため79歳で死去した作曲家平尾昌晃さんを悼んだ。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん特集

 布施は新人当時の66年、病気療養中だった平尾さんがかつて歌った「おもいで」を再リリースし、人気歌手の仲間入りを果たした。

 一方で、歌手復帰を目指していた平尾さんが、本格的に作曲家の道を選ぶきっかけにもなったといわれる。

 布施はサイトのトップページで発表したコメントで、「平尾先生がいらっしゃった御陰で私 歌手 布施明が居ります。療養生活を強いられた先生の代役で昭和40年に歌った『おもいで』が私の歌謡歌手のスタートになり、そして先生は、そこから作曲家の道を歩まれることになりました」とつづった。

 その後も平尾さんから「霧の摩周湖」「恋」「愛の園」など、数十曲の楽曲提供を受けた。「アーティストとして 私人として 数多 御指導をいただきました。本当に有難う御座いました。思い出は限りがありません。辛いです。悲しいです。寂しいです」。最後は「師匠 弟子の布施明 心底より御冥福を御祈り申し上げます」と締めくくった。


畑中葉子、恩師・平尾昌晃さん悼む「ありがとうございましたの言葉しかありません」
7/23(日) 16:29配信 スポーツ報知

 21日に肺気腫のためなくなった歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)と「カナダからの手紙」でデュエットした歌手の畑中葉子(58)が23日、「先生には、ありがとうございましたの言葉しかありません」とコメントした。平尾昌晃歌謡スクールに通い、1978年に同曲でデビュー。大ヒットし、紅白歌合戦にも出場した。「来年で40年になります。(当時)全ての方に温度差なく接するお優しい平尾先生を拝見し、私もそのようになりたいと思ったことを覚えております」と振り返る。「これからは1人で、大切に『カナダからの手紙』を歌わせていただきます」と残念がった。


結核で1年療養「故郷テーマに作曲」…平尾さん
7/23(日) 10:27配信 読売新聞

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(写真:読売新聞)

 珠玉のメロディーを次々と世に出し、人々に広く愛された作曲家で歌手の平尾昌晃さんが21日夜亡くなった。

 歌謡曲の一時代を作った音楽界の重鎮だった。

 早くから音楽的才能を発揮し、1950年代末にブームだったロカビリーの世界でスターとなった。人気歌手が集まるコンサート「日劇ウエスタンカーニバル」に出演。派手なファッションとキレのいい歌唱がうけ、女性人気も高かった。歌手としては「星は何んでも知っている」や自作曲の「ミヨちゃん」などをヒットさせている。

 布施明さんが平尾さんの作った「おもいで」をヒットさせると、作曲家として注目されるようになった。67年には日本レコード大賞作曲賞を受賞。当初は自分は歌手だという自覚が強く、心中は複雑だったという。翌年、結核のため、約1年間、長野県で療養生活を送った。この経験は大きく、「洋楽志向だった僕が、故郷をテーマに作曲するようになっていた」と、後に語っている。


もう聞けない「面白いだろ!」の決まり文句…担当記者が平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 10:03配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 平尾先生に最後にお会いしたのは5月31日に渋谷で行われた「アフタヌーンライブ」だった。田辺靖雄・九重佑三子夫妻、弟子のHANDSIGN、永井みゆきらが出演したイベントで、先生がプロデュースしていた。酸素吸入しながらもステージの真正面に陣取ってマイクパフォーマンスで会場を盛り上げ、「ダイアナ」を歌うシーンもあった。

 ウエスタンカーニバルでスターとなり、作曲家としては布施明や小柳ルミ子、五木ひろし、中条きよしにアグネス・チャンらをプロデュース。昭和歌謡の偉人ながら敷居の高さを感じさせない。事務所に訪ねていくと「この梨おいしいよ、食べて食べて」「甘いものは大丈夫でしょ、これおいしいから」と言っては一緒にほおばる。音楽以外の話も豊富だ。少年のころから筋金入りの巨人ファンで後楽園球場時代からシーズン席を持つほど。原辰徳前監督と親交が深く「辰徳君は僕が球場に行くと、いつも彼の隣の駐車スペースを確保してくれるんだ」と秘話を紹介しては場を盛り上げていた。

 とにかくサービス精神が旺盛なのだ。周囲に喜んでもらうことを常に考えている。そのベースになっているのは感謝の心だ。平尾先生と話をすると決まって出てくるフレーズがあった。「僕の人生は人との出会いなんですよ。それが全て」と…。ウエスタンブームが下火になり人気に陰りが出た時、俳優座に参加して俳優を目指したが芽が出なかった。「絶頂期を体験しているからこそ、誰にも見向きもされなかった時期は本当につらかった」という。

 不遇時代に布施明と出会い作曲家への道が開けたが好事魔多し。今度は肺結核を患った。主治医や看護師の尽力で命を取り留めたことで「みんなに助けられて今がある」と心に植え付けられた。これは後の作家活動や平尾先生が設立した認定NPO法人「ラブ&ハーモニー基金」につながっている。スターでありながら人なつっこい。それは実家が戦前からの大手化粧品会社で、慶応(高)ボーイという影響もあるだろうが、数々の挫折が平尾昌晃を作り上げたと思う。

 「面白いだろ!」―。ひとしきり話をして最後に念を押す決まり文句…。先生のトークがもっと聞きたいです。


森口博子、名付け親の平尾昌晃さん悼む「名前を大切にずっとずっと歌い続けます」
7/23(日) 9:52配信 スポーツ報知

 歌手の森口博子(49)が22日深夜にブログを更新し、恩師の歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんの死去を悼んだ。

 森口は、芸名の名付け親の訃報について「信じたくありません」と切り出し、「詩を書いてごらん。リリースに関係なく僕が曲をつけるから。コンサートで歌ったりしてさ。どんどんやろうよ!」と2人で話しをしていたことを明かし「先生とのお約束が果たせないまま、お別れだなんて。嫌です。無念です」と、15歳で出会った平尾さんとの思い出をつづった。

 そして「先生から頂いた、『森口博子』と言う名前を大切にずっとずっと歌い続けます。心からご冥福をお祈りいたします」と記した。


和洋折衷の平尾節「私の城下町」など新しい歌謡曲…原点に家族の存在
7/23(日) 8:00配信 スポニチアネックス

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98年6月、平尾昌晃さんの音楽生活40周年パーティーで小柳ルミ子と

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾昌晃さんは歌謡曲にポップスの要素を取り入れ、日本の風景が思い浮かぶ名曲を数多く残した。その根底にあるのは“和洋折衷”の精神。代表的なのが小柳ルミ子(65)の「わたしの城下町」(71年)。当時の最先端にいた作詞家、安井かずみさんとの共作で、日本的な詞やメロディーに洋楽のリズムを合わせることでミリオンヒットとなった。

 新人だった畑中葉子(58)とは横文字をサビに使ったデュエット曲「カナダからの手紙」(78年)で昭和歌謡史に残る大ヒットを記録。その後も水谷豊(65)の「カリフォルニア・コネクション」(79年)などを送り出している。

 原点にあるのは家族の存在だ。父親が化粧品会社を経営しており、戦後すぐに、自宅に米軍将校らを呼んでダンスパーティーを開催することもあった。平尾さん以外のきょうだいはフルートやピアノなど楽器を習熟。叔父はクラシック作曲家として有名な平尾貴四男氏で、父親は歌舞伎の三味線音楽である「長唄」や「清元」をたしなんでおり、その環境が平尾さんを育てた。最初は音楽に興味がなかったが、小3の時に将校からジャズのアルバムをもらったことで興味を覚え、「高校に入学した頃にはエルビス・プレスリーにしびれた」という。

 和洋折衷の精神は、「何でも面白いことは取り込んで生かす」というマルチな才能にもつながっている。作曲家としての顔を持ちながら、テレビではNHK「レッツゴーヤング」での司会や俳優としても活躍。複数の会社を経営するなど社長業もこなした。


平尾昌晃さん 希代の歌手、親しまれた人柄
7/23(日) 7:55配信 産経新聞

 「今度、ゆっくり話を聞いてね。まだ、やりたいことがたくさんあるから」

 今年1月、音楽関係者が集まった東京都内で開かれた新年会。今後のインタビュー取材を目的に声をかけると、平尾昌晃さんは目を輝かせながらそう話した。交わした握手から感じた手のぬくもりは、誰からも親しまれる優しい人柄そのものだった。

 平尾さんは小学生のころからラジオで、英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校へ通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶に出演。ウエスタンバンドを組んだがエルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ロックバンドに仕立てた。

 歌手の山下敬二郎さんやミッキー・カーチスさんとともに「ロカビリー3人男」として親しまれた。平成23年の山下さんの通夜では「寂しいというか、悔しいよ」と涙ぐみながら遺影に語りかけ、山下さんの代表曲「ダイアナ」の歌唱を参列者約500人に提案。「けいちゃん、ありがとう!」と絶叫していたのが忘れられない。27年には閉館される東京・五反田の「ゆうぽうとホール」のファイナル公演「ウエスタンカーニバル」に登場。「寂しいね。そういう気持ちもあるけれど、みんなが駆けつけてくれた。うれしいね」とにっこり。軽快なステップを踏みながら歌った。

 希代の歌手でエンターテイナーはこれから、何をやりたかったのか。インタビューで新たな夢を聞きたかった。(竹中文)


ロカビリー3人男で人気博す/平尾昌晃さん略歴
7/23(日) 7:52配信 日刊スポーツ

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08年2月、山下敬二郎さん(中央)ミッキー・カーチス(右)とロカビリーポーズ

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 ◆平尾昌晃(ひらお・まさあき)1937年(昭12)12月24日、東京都生まれ。少年時代からジャズに親しみ、58年「リトル・ダーリン」でデビュー。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー3人男として人気を博す。作曲家としては67年「霧の摩周湖」「渚のセニョリーナ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。74年に「平尾昌晃歌謡教室(現ミュージックスクール)」開校。音楽、趣味のゴルフを通じた慈善活動を積極的に行った。私生活では72年に女子大生と結婚も離婚。78年に歌手小沢深雪と結婚したが離婚した。


昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎
7/23(日) 7:52配信 日刊スポーツ

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2月、石坂敬一さん「お別れの会」に出席した平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。結核で倒れ、信州で療養生活を送ったこともあった。66年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や67年の梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その後も「よこはま・たそがれ」「わたしの城下町」など提供曲が次々と大ヒットした。日ごろから「洋楽、邦楽、民謡、童謡など何でも好き。楽しいものは何でも取り入れちゃう」と話していたように、ポップスから演歌まで幅広く曲提供した。テレビ時代劇「必殺」シリーズの音楽や、アニメ「銀河鉄道999」の主題歌なども手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。


佐藤摩弥「先生が愛してくれたオートレースを世の中に広めていきます」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 佐藤摩弥(女子オートレーサー、平尾さんが手掛けた川口オートのテーマ曲のリメイク版「ぶっちぎりの青春☆NOW」のコーラスを担当)「オートレースのことをいつも気にかけていただき、感謝の言葉しかありません。個人的にも『けがは大丈夫かな? いつも頑張っているね』と連絡をもらっていました。平尾先生が愛してくれたオートレースをこれからも世の中に広めていくよう頑張ります」


ミッキー・カーチス「本当に昔から才能のあるやつで」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 ミッキー・カーチス(ミュージシャンで俳優、平尾さんと山下敬二郎さんと「ロカビリー3人男」として人気を博す)「まーちゃんとは、進駐軍の仕事をしていた時代からだから、10代の頃からの付き合いだったんだよ。『3人男』で日劇に出たときはそれぞれ、お互い良いライバルだったから楽しかったよ。本当に昔から才能のあるやつで、オレとは違う素晴らしい才能を持っているやつだったね。けいちゃん(山下敬二郎さん)、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…。ご冥福をお祈りします」


伊東ゆかり「星の王子様のような方」…平尾昌晃さん悼む
7/23(日) 7:04配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 伊東ゆかり(歌手)「初めてお会いした時、星の王子様のような方だなぁ…と思ったことを今でも覚えています。私の大好きな『恋のしずく』を作曲していただいた時、レコーディングでギターを弾きながら歌っていただきました時の姿を、なんてすてきなんだろうって思いながら見ていました。去年の12月、BSジャパンで平尾先生を特集した番組でご一緒させていただいた時、ご体調が悪そうだったので気になってはいたんですけど…。これから『恋のしずく』を歌う度に平尾先生のことを思い出すんだろうな、と思います。ご冥福をお祈り申し上げます」


平尾昌晃さん死去…『瀬戸の花嫁』の小柳ルミ子「あまりにもショック」
7/23(日) 7:00配信 サンケイスポーツ

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など数多くのヒット曲を手掛けた作曲家で歌手、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが肺炎のため、21日午後11時40分に東京都内の病院で死去したことが22日、分かった。79歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、秋頃に音楽葬を開く予定。関係者によると、平尾さんはかねてから肺が弱く1週間前に症状が悪化して入院。復帰を目指して療養していたという。温和な笑顔で親しまれた巨星が、ついに力尽きた。

 昭和の歌謡史を代表する偉大なヒットメーカーが、この世を去った。

 関係者によると、平尾さんは1968年に肺結核を患って以降、肺に疾患があり、2年前には肺がんを発症して闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも息苦しいと体調不良を訴えて1カ月ほど入院していた。

 一時は回復したが、今月13日に暑い日が続いたこともあって体調を崩して検査入院。入院中も仕事に対して前向きで亡くなる前日20日には食欲もあり、大好きなゴルフの全英オープンをテレビ観戦するなど体調も良かったが、亡くなる1時間前の21日午後11時ごろに容体が急変。最期は夫人や数人の親族、事務所関係者に看取られ、眠るような穏やかな顔で息を引き取った。息子で歌手、平尾勇気(36)は看取れなかったという。

 近親者によると、2月22日の作曲家、船村徹さん(享年84)の通夜には車いすで参列していたが、同27日のオートレース選手表彰式では笑顔でステージに登壇し、乾杯の音頭を取るなど元気な姿を見せていた。

 クラシック一家に生まれた平尾さんは、慶応高中退後に当時人気を博していたウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」で音楽活動を開始。1958年に「リトル・ダーリン」でソロデビューし、“和製プレスリー”として話題に。ミッキー・カーチス(79)、故山下敬二郎さん(享年71)とともに「ロカビリー三人男」とも呼ばれ、日劇ウエスタンカーニバルの看板スターとして活躍した。

 その後は作曲家としても才能を発揮し、布施明(69)の「霧の摩周湖」、五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」や小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒットを連発。歌手としても、自身が設立した「平尾昌晃ミュージックスクール」の卒業生、畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」が大ヒットした。

 「瀬戸の花嫁」などの楽曲提供を受けた小柳はこの日、カシマスタジアムで行われたサッカー・J1鹿島対スペイン1部セビリアを観戦後、関係者から恩師の訃報を聞き、落胆。サンケイスポーツの取材に応じ、「お体がすぐれないということは聞いていました。あまりにもショックで、今は言葉がみつかりません。たくさんの思い出がありすぎて…」と突然の出来事にがっくりと肩を落とした。

 平尾さんは近年、日本テレビ系「ものまねバトル」やNHK「のど自慢チャンピオン大会」で審査員を務めるなど幅広く活動。2006年からは「NHK紅白歌合戦」でフィナーレを飾る「蛍の光」の指揮を担当。最後まで作曲活動にも意欲的だった昭和の巨匠は人々の心に多くの思い出を刻み、天国へ旅立った。


五木ひろし、平尾昌晃さんに感謝いっぱい「世に送り出してくださった」
7/23(日) 7:00配信 サンケイスポーツ

 日本を代表する作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の訃報が伝わった22日、芸能界に衝撃が広がった。「よこはま・たそがれ」で再デビューした演歌歌手、五木ひろし(69)は「今日があるのも平尾先生のおかげです」と“生みの親”に感謝。平尾さん、故山下敬二郎さん(享年71)とともに「ロカビリー三人男」として活躍した歌手で俳優、ミッキー・カーチス(79)も「寂しいよ」と悲しみに暮れた。

 数々の名曲とともに、一流アーティストを生み出してきた平尾さん。突然の悲報に、まな弟子や苦楽をともにした友人らが喪失感をにじませた。

 「ただただ驚いています。現実と思えません」

 この日、関係者から悲報を知らされた五木は絶句。約2年前に平尾さんが体調を悪くして心配していたというが、「昨年のNHK紅白歌合戦でもお会いして、『元気? 頑張ってるね』と気さくに話しかけてくださった。元気になられてよかったと安心していたのに…」と肩を落とした。

 不遇の時代を経て、1971年に故人と作詞家の故山口洋子さん(享年77)が手掛けた「よこはま-」で、「五木ひろし」として再デビュー。その後も数々のヒット曲を書いてもらった。「歌い続けることが、五木ひろしを世に送り出してくださった先生への恩返しだと思っております」と天国の平尾さんに誓った。

 小柳ルミ子(65)やアグネス・チャン(61)ら、平尾さんの曲を歌った多くの歌手も追悼のコメントを寄せた。「草原の輝き」などを作曲してもらったアグネスは「45年におよぶ歌手生活の中で、良いときも悪いときもずっと見守り、励ましてくださいました」と恩師に感謝。「とても寂しいですが、素晴らしい作品の数々は永遠に人々の心に残るでしょう」と悼んだ。

 「ロカビリー三人男」として平尾さん、山下さんと一時代を築いたミッキーは、10代の進駐軍時代からの付き合いを振り返り、「本当に昔から才能のある奴で、オレとは違う素晴らしい才能を持っている奴だったね」と故人の人柄を回想。「けいちゃん、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」と盟友との別れを惜しんだ。


平尾さん 甘いマスクで優しいモテ男 2度の結婚も…
7/23(日) 6:01配信 スポニチアネックス

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05年、渡辺プロ50周年パーティーで熱唱する平尾昌晃さん

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 柔らかな物腰と甘いマスクで、平尾さんは20代の頃から女性にもよくモテた。当時を知る関係者は「1955年ごろに外車のMGに乗っていたことを覚えてます。女性だけでなく、皆に優しかった。格好いいし、アイドルのような存在だった」と話した。

【写真】1977年、平尾昌晃さんと畑中葉子

 結婚は2度している。最初は72年に女子大生と結婚したが、当時16歳だった歌手小沢深雪との交際が原因とみられる離婚騒動に発展。1億5000万円の慰謝料を請求されるなど話題になった。小沢とは78年に再婚して85年に離婚している。


平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」など名曲遺し
7/23(日) 5:59配信 デイリースポーツ

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紅白歌合戦のエンディングで「蛍の光」を指揮する平尾昌晃さん(前列左から3人目)=06年12月31日 

 「日劇ウエスタンカーニバル」で歌手として一世を風靡(ふうび)し、作曲家としても「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を手掛けた平尾昌晃さんが21日午後11時40分、肺炎のため都内の病院で死去したことが22日、分かった。79歳だった。東京都出身。若いころに結核で片肺を摘出したため日ごろから体調に気を配っていたが、2014年暮れから肺炎の症状が出るようになっていた。葬儀・告別式は家族葬で行い、秋にお別れの会を開く。

【写真】2013年、藤圭子さんをしのぶ平尾昌晃さん

 歌手、そして作曲家として、長年人々の心に歌で明かりをともし続けた平尾さんが、突然、天国へと旅立った。

 関係者によると、平尾さんは今月13日、肺炎による体調不良を訴え、主治医のいる都内の病院で診察を受けた。レントゲンや血液検査では病状は軽かったが、大事をとって入院した。その後も回復しないため、入院が続いていた。

 スタッフらと普通に会話するなど、深刻な状態ではなかった。だが21日の午後11時ごろに容体が急変。「苦しい」などと話しているうちに、同11時40分。家族、関係者に見守られながら息を引き取った。「あまりにも突然だった」(関係者)という。

 平尾さんは1968年に結核を罹(り)患し、片方の肺を摘出していた。そのため、日ごろから健康には注意していた。14年暮れには肺炎で入院。これ以後、酸素吸入器を携帯するようになった。

 年齢による免疫力の低下などで、時々肺炎にかかることもあったが、日々普通に活動していた。体調面を考え、ステージの仕事はセーブしていたが、自宅で作曲活動なども行っていた。合間には趣味の競馬、オートレースなどを楽しんでいたという。

 今年の5月31日には都内のライブハウスで、自身がプロデュースしたライブに顔を見せた。ステージには立たなかったが、客席でマイクを持ちロックンロールを歌った。これが最後の公の場。最後のテレビ番組は5月1日放送のBS日テレ「歌謡プレミアム」。また、4月19日発売の歌手・永井みゆきの「蛇の目小紋の女」が最後のリリースとなった。

 平尾さんは1958年「リトル・ダーリン」で歌手デビュー。第1回「日劇ウエスタンカーニバル」に参加し、ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとともに「ロカビリー3人男」として人気が爆発。“和製プレスリー”と呼ばれた。60年代半ばからは作曲家として活躍。「霧の摩周湖」、「瀬戸の花嫁」、「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を世に送り出した。78年に畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」はロングヒットとなった。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」の指揮者としてもおなじみだった。


平尾昌晃さんは「五木ひろし誕生のきっかけを作っていただいた大恩人」
7/23(日) 5:47配信 スポーツ報知

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71年に五木ひろし(右)の「よこはま・たそがれ」がヒットし作詞家・山口洋子さん(中)とテレビ出演

 歌手の五木ひろし(69)が22日、平尾昌晃さんの訃報に「ただただ驚いています。現実とは思えません」と肩を落とした。

【写真】在りし日の平尾昌晃さん

 71年の「五木ひろし」名義での再デビュー曲「よこはま・たそがれ」、73年のレコード大賞に輝いた「夜空」など、平尾氏による作曲で次々にヒットを飛ばした。「平尾先生は、五木ひろし誕生のきっかけを作っていただいた大恩人です。早くお会いして『今までありがとうございました』とお伝えしたいです」とコメントを寄せた。

 平尾氏との出会いは、10週勝ち抜きした70年の全日本歌謡選手権。1週目のゲスト審査員の平尾氏から「企画さえ合えば面白いのでは」と声を掛けられ、自信につながった。

 最後に会ったのは、昨年末のNHK紅白歌合戦だった。「2年ほど前に体調を悪くされて心配しておりましたが、平尾先生が『元気? 頑張ってるね』と気さくに話しかけてくださり、元気になられて良かったと安心していたので、まさか亡くなられるとはとビックリしてます」と語った。

 自身の原点となった恩師の訃報に「これからもステージで歌い続けることが、五木ひろしを世に送り出してくださった平尾先生への恩返しだと思っています」と歌い継ぐことを誓った。


次世代の育成に力注いだ平尾さん 音楽学校開校、聖子ら巣立つ
7/23(日) 5:34配信 スポニチアネックス

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ミュージックスクールで生徒を指導する平尾昌晃さん

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんは次世代の育成にも力を注いだ。74年に「平尾昌晃ミュージックスクール」を開校し、「温かみのある歌手を育てたくなった。僕はミュージックドクター。半年間教えてダメな時は判断する」と語っていた。

 同所からは松田聖子(55)川崎麻世(54)、石野真子(56)、故川島なお美さんらが巣立っている。関係者は「その志を音楽業界一丸で継いでいきたい」としている。


日本歌謡界の父・平尾昌晃さん、79歳で亡くなる…家族葬後に音楽葬も
7/23(日) 5:33配信 スポーツ報知

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2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。「日劇ウエスタンカーニバル」の人気シンガーとして活躍後、作曲にも才能を発揮。布施明(69)の「霧の摩周湖」や五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒット曲を書き下ろした一方で、歌い手としても畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」を大ヒットさせた。後進の育成にも意欲的だった日本の歌謡界のヒットメーカーが、天国へ旅立った。

【写真】在りし日の平尾昌晃さん

 音楽を愛し、愛された日本歌謡界の父が、この世を去った。関係者によると、平尾さんはかねて肺をわずらっていたが、5月に体調を崩し1か月ほど入院。一時は回復したものの、7月中旬に症状が悪化したことから再度入院し療養していたが、数日前に容体が急変した。

 5月31日に自身のプロデュースライブで、教え子のステージを客席から見守ったのが、最後の公の場となった。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

 昭和の音楽の歴史を体現するような大スターだった。慶応高在学中に湘南の米軍キャンプにボーカルとして出演し、歌手人生をスタート。ジャズ、カントリー、ロックと多ジャンルに精通した。銀座のジャズ喫茶「テネシー」で歌っているところを渡邊美佐さん(現渡辺プロダクショングループ代表)に見初められ、1958年に「リトル・ダーリン」でデビューした。

 その1か月後からスタートした「日劇ウエスタンカーニバル」では一気にトップシンガーに。「ミヨチャン」などのヒットを飛ばし、ミッキー・カーチス(79)、山下敬二郎さん(11年死去、享年71)と「ロカビリー3人男」と呼ばれ、圧倒的な人気を博した。

 肺結核をわずらい、医師に歌手業を止められたことから作曲にも才能を発揮。66年に布施に書き下ろした「霧の摩周湖」が大ヒットした。71年、五木に提供した「よこはま・たそがれ」、小柳に提供した「わたしの城下町」で作曲家としての地位を不動のものとした。73年、五木に提供した「夜空」では、その年のレコード大賞を受賞している。「必殺」シリーズなどの時代劇、アニメ「銀河鉄道999」、宝塚ミュージカル「ベルサイユのばら」など、劇伴(劇中の伴奏音楽)の分野でも活躍した。

 日本の音楽界を担う、後進の育成にも早くから取り組んだ。74年には「平尾昌晃 ミュージックスクール」を開校し、同校の生徒だった畑中と組んで「カナダからの手紙」をリリース。2人の優しい声質とハーモニーが話題となり、紅白歌合戦にも出場した。結核で大手術を経験したことから、チャリティー活動にも精を出した。75年から始めた「平尾昌晃チャリティゴルフ」は、現在ではプロ、アマ、タレントが集結する恒例行事となっている。

 歌謡界の大御所でありながら腰が低く、いつも笑顔を絶やさないおだやかな人柄で誰からも愛された。巨人やオートレースのファンとしても知られ、紅白歌合戦では、クライマックスに出演者全員で歌う「蛍の光」の指揮を2006年から昨年まで務めていた。歌の力を信じ、生涯現役として輝きを放ったスターが、その名の通り星となった。

 ◆平尾 昌晃(ひらお・まさあき)本名同じ。1937年12月24日、東京府東京市牛込(現・新宿区)生まれ。慶応高1年時に米軍キャンプで歌手活動をスタートし、58年に「リトル・ダーリン」でソロデビュー。ロカビリー歌手として爆発的な人気を博す。作曲家に転身後、ヒットを連発するが、結核を患い68年に肋骨(ろっこつ)6本を除去する。03年に紫綬褒章受章。日本作曲家協会常務理事を務めている。歌手の平尾勇気は息子。


ミッキー・カーチス「残されちゃったね。本当に寂しいよ…」
7/23(日) 5:33配信 スポニチアネックス

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98年、音楽生活40周年記念パーティーでミッキーカーチス(左)、山下敬二郎さん(右)と熱唱する平尾昌晃さん(中央)

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんらと「ロカビリー三人男」として一大ブームを築いたミッキー・カーチス(78)は「けいちゃん、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」とコメントした。

【写真】77年、熱唱するロカビリー三人男

 2011年に山下さん、そして平尾さんも旅立った。「三人男で日劇に出たときは、お互い良いライバルだったから楽しかったよ」と振り返った。

 平尾さんとは「進駐軍の仕事をしていた時代からだから10代の頃からの付き合いだった」と言い、「昔から才能のあるやつで、俺とは違う素晴らしい才能を持っているやつだった。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。


畑中葉子、恩師の訃報に号泣「もう一度、先生と歌いたかった」
7/23(日) 5:00配信 スポニチアネックス

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 平尾さんとのデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒットした歌手・畑中葉子(58)は恩師の訃報に号泣。子育てに区切りがつき、2013年からライブ活動を開始していただけに「もう一度、先生と歌いたかったです」と言葉を詰まらせた。

【写真】「カナダからの手紙」をデュエットした平尾昌晃さんと畑中葉子

 「カナダ…」の大ヒットから1年後にソロデビューしたが、すぐに平尾さんの弟子にあたる作曲家と電撃結婚。「“しょうがないなあ、何やってるんだよ”って、言われただけ。先生の言葉には泣いてしまいました」と振り返った。

 再婚して歌手活動を休業していた20年前にも、平尾さんは母親の通夜に駆けつけてくれた。「本当に優しい方でした」と涙をあふれさせた。


五木ひろし 平尾さんに感謝「僕を世に出してくれた大恩人です」
7/23(日) 5:00配信 スポニチアネックス

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11年10月、星野哲郎さんの一周忌法要に参列した平尾さん(左)と五木ひろし

 ◇作曲家・平尾昌晃さん死去

 五木ひろし(69)が22日、大阪・新歌舞伎座で上演中の座長公演終演後にスポニチ本紙の取材に応じた。平尾さんに最後に会ったのは昨年末のNHK紅白歌合戦。以前、鼻に付けていた酸素チューブを外しており「元気になられたと安心していた」と、ショックを隠しきれなかった。

【写真】紅白歌合戦のエンディングで「蛍の光」の指揮者を務めた平尾昌晃さん

 三谷謙の芸名で活動していたが鳴かず飛ばずだった1970年、読売テレビのオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場。1週目のゲスト審査員が平尾さん、2週目が作詞家の故山口洋子さんだった。五木は10週勝ち抜いた。平尾さんは「地味な名前。これじゃ売れない」と、レコード会社社長だった故徳間康快氏に相談。「名前変えていい。三谷なんて知らなかったから」と言われた。

 山口さんが、自身が開業した銀座の高級クラブ「姫」の常連客だった五木寛之氏に「五木」の名前をもらっていいか尋ね、快諾を得た。

 五木ひろしとしての再デビュー曲「よこはま・たそがれ」は、もともと山口さんの詩として存在していた。よこはま たそがれ ホテルの小部屋――最後の部分が「あの人は 行ってしまった」だったところ、平尾さんが「行って行ってしまった」と変更。山口さんも「凄くいい」とゴーサインを出した。

 五木は同曲で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場し、スターの仲間入りをした。

 「僕の運命は歌謡選手権の最初の2週で決まったようなもの」と回想。「お二人に出会わなければ売れないまま終わってたかもしれないし、歌手を辞めていたかもしれない。僕を世に出してくれた大恩人です」と感謝した。

 今公演でも「よこはま・たそがれ」を歌い、23日の千秋楽では平尾さんの別の曲も歌う予定。「華々しい舞台で観客に訃報を伝えないといけないのはつらい。平尾先生への感謝の気持ちをステージから歌に込めておくることになる」と語った。


平尾昌晃さん肺炎で死去、21日急変家族に見守られ
7/23(日) 0:59配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】紅白で畑中葉子とデュエット/平尾昌晃さん写真特集

 ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。

 67年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その前後、結核で倒れたりしたため信州で療養生活を送った。のちに日刊スポーツの取材に「この時の経験が作曲家としての分岐点になりました。療養中、見ず知らずの人が野沢菜を漬けて持ってきてくれたり、初めて人間の温かさを感じた。心の故郷をテーマに曲を書きたいと思った」と振り返った。こうして「よこはま・たそがれ」「私の城下町」などが誕生した。その後もポップスから演歌まで幅広い曲を手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。


ミッキー・カーチス「残されちゃった」平尾さん悼む
7/22(土) 23:22配信 日刊スポーツ

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平尾昌晃さんに追悼コメントを出したミッキー・カーチス

 平尾昌晃さんの訃報を受け、平尾さんと山下敬二郎さんとともに日劇ウエスタンカーニバルの「ロカビリー3人男」として活躍したミッキー・カーチス(78)がコメントした。

【写真】平尾昌晃さん死去「カナダからの手紙」他ヒット多数

 「まーちゃんとは進駐軍の仕事をしていた時代からだから10代の頃からの付き合いだったんだよ。3人男で日劇に出たときはそれぞれ、お互い良いライバルだったから楽しかったよ」と古くから交流があったことを明かし、「本当に昔から才能のあるやつで、オレとは違う素晴らしい才能を持っているやつだったね」としのんだ。

 続けて、「けいちゃん(山下敬二郎)、まーちゃんと逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…」と、現在の心境を吐露した。


平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」
7/22(土) 22:49配信 産経新聞

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平尾昌晃さん=2001年6月(写真:産経新聞)

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など多数のヒット曲で知られる作曲家であり、自身も歌手として活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 昭和33年に歌手としてデビュー、第1回「日劇ウエスタンカーニバル」に参加し、ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さん共に“ロカビリー三人男”と呼ばれロカビリーブームを巻き起こした。

 40年頃からは作曲家として活躍。布施明さんに提供した「霧の摩周湖」、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」「夜空」、梓みちよさん「二人でお酒を」などを手掛け、昭和を代表するヒットメーカーとして一時代を築いた。

 歌手としての活動も続け、53年には畑中葉子さんとデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。


平尾昌晃さんが肺炎のため死去 79歳
7/22(土) 22:19配信 東スポWeb

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平尾昌晃さん

「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、数多くのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃さんが21日夜、肺炎のため死去した。79歳だった。

 1958年に歌手デビューし、ミッキー・カーチス(78)、山下敬二郎(故人)とともに「ロカビリー三人男」として一躍スターに。ロカビリーのブームが去ると、作曲を学び、次々に昭和歌謡の代表曲を世に送り出した。


平尾昌晃さん死去
時事通信 7/22(土) 22:08配信

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「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。


平尾昌晃さん亡くなる、肺炎のため21日に…79歳
7/22(土) 22:00配信 スポーツ報知

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平尾昌晃さん

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

 関係者によると、平尾さんはかねて肺をわずらっていたが、5月に体調を崩し1か月ほど入院。一時は回復したものの、7月中旬に症状が悪化したことから再度入院し療養していたが、数日前に容体が急変したという。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

 東京府東京市(現・新宿区)生まれ。慶応高1年時に米軍キャンプで歌手活動をスタートし、58年に「リトル・ダーリン」でソロデビュー。ロカビリー歌手として「日劇ウエスタンカーニバル」の人気シンガーとして活躍後、作曲にも才能を発揮。布施明(69)の「霧の摩周湖」五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」や小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒット曲を書き下ろした一方で、歌い手としても畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」を大ヒットさせた。


<訃報>平尾昌晃さん79歳=作曲家 「瀬戸の花嫁」
7/22(土) 21:59配信 毎日新聞

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など作曲家として多数のヒット曲を生み出し、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日、肺炎のため死去した。79歳。葬儀は近親者で営む。後日お別れの会を開く予定。

 東京都出身。慶応高校中退後、1958年に歌手デビュー。ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんと共に当時流行したロカビリーを歌い上げる“ロカビリー三人男”と呼ばれ人気を博した。「星はなんでも知っている」「ミヨちゃん」などの曲がヒットした。

 60年代以降は作曲家として活躍。小柳ルミ子さんの歌う「瀬戸の花嫁」が72年に日本歌謡大賞を、五木ひろしさんの歌う「夜空」が73年に日本レコード大賞をそれぞれ受賞した。このほか「わたしの城下町」「霧の摩周湖」なども作曲した。自らの作曲で畑中葉子さんと歌った「カナダからの手紙」も人気を集めた。

 2003年に紫綬褒章受章。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」合唱での指揮者やテレビのバラエティー番組出演など、お茶の間でもおなじみの顔だった。


作曲家で歌手の平尾昌晃さん死去…79歳
7/22(土) 21:55配信 読売新聞

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平尾昌晃さん

 「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など、昭和歌謡を代表する数多くのヒット曲を残した作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日夜、肺炎で亡くなった。

 79歳だった。葬儀は近親者で行う。数日前から体調を崩していた。

 東京に生まれ、その後、神奈川県藤沢市に転居した。慶応高時代にバンドのボーカルとして米軍キャンプ回りを始め、1958年に歌手としてレコードデビュー。山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスさんとともに「ロカビリー3人男」と呼ばれ、脚光を浴びた。

 60年代後半からは作曲家として活躍。布施明さんの「霧の摩周湖」や、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」などをヒットさせた。五木さんが歌った「夜空」は73年の日本レコード大賞に輝いている。親しみやすいメロディーを生みだし、歌謡曲の黄金時代を支え、長きにわたって日本の音楽界をリードした。


作曲家の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」など多くのヒット曲手がける
7/22(土) 21:53配信 スポニチアネックス

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作曲家・平尾昌晃さん

 昭和の大ヒット曲「よこはまたそがれ」「瀬戸の花嫁」などの作曲で知られる作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため都内の病院で死去していたことが22日、分かった。79歳。東京市(現・東京都)出身。2年前に肺がんを患い闘病する傍ら、精力的に仕事をこなしていた。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

「カナダからの手紙」をデュエットした平尾昌晃さんと畑中葉子

 慶応義塾高中退後、当時人気のウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に入り音楽活動を開始。57年、石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」にも出演。翌年は「リトル・ダーリン」でソロ・デビューし、「星は何でも知っている」「ミヨチャン」がヒット。ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として日劇ウエスタンカーニバルの看板スターとなった。

 ロカビリーブーム後は作曲を勉強し、67年に布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。70年代は五木ひろし「よこはまたそがれ」、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、アグネス・チャン「草原の輝き」などを作曲、ヒットチャート上位に作品が並んだ。

 74年に「平尾昌晃音楽学校(のちの平尾昌晃ミュージックスクール)」を創立。石野真子、狩人、松田聖子、倖田來未、後藤真希らを輩出。生徒だった畑中葉子とデュオを組み、78年に「カナダからの手紙」をデュエットし、大ヒットとなった。

 日本テレビの人気ドラマ「熱中時代」シリーズやテレビ朝日系の時代劇「必殺シリーズ」、アニメ「銀河鉄道999」などの音楽も手掛け、80年代からは宝塚歌劇団の舞台音楽にも携わり、幅広く才能を発揮した。06年からは「NHK紅白歌合戦」で番組のフィナーレを飾る「蛍の光」の指揮を務めた。


平尾昌晃さん死去=「瀬戸の花嫁」など作曲、79歳
7/22(土) 21:50配信 時事通信

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「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。

 「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家、歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳だった。

〔写真特集〕平尾昌晃さん

 東京都出身。

 1958年、歌手デビューし、ミッキー・カーチス、故山下敬二郎と共にロカビリーブームを担った。ヒット曲に「星は何でも知っている」などがある。

 60年代から作曲家としても活躍。布施明「霧の摩周湖」、五木ひろし「よこはま・たそがれ」「夜空」、小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など数々のヒット曲を提供した。テレビの人気時代劇「必殺仕事人」シリーズの音楽なども手掛けた。

 74年、平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、後進の指導にも尽力。生徒だった畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」などもヒットした。

 2003年、紫綬褒章。日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事も務めた。

2017年6月19日 (月)

天皇皇后両陛下、日本芸術院授賞式にご出席

天皇皇后両陛下は19日午前、東京・上野の日本芸術院会館で開かれた第73回日本芸術院授賞式にご出席された。

リンク:両陛下、日本芸術院授賞式ご出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院授賞式に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院賞授賞式にご臨席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>天皇、皇后両陛下が芸術院授賞式に出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本芸術院授賞式に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

両陛下、日本芸術院授賞式ご出席
6/20(火) 11:38配信 ホウドウキョク

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(写真:ホウドウキョク)

天皇皇后両陛下は、東京・上野で開かれた、日本芸術院授賞式に出席された。
日本芸術院賞は、芸術の分野で顕著な業績を挙げた人に贈られるもので、今回は、歌舞伎俳優の市川左團次さんら、9人が受賞した。
毎年、授賞式に出席している両陛下は、それぞれの活動について説明を受けたあと、授賞式に臨み、受賞者1人ひとりに拍手を送られた。
午後には、皇居・宮殿で茶会が行われた。


両陛下、日本芸術院授賞式に
時事通信 6/19(月) 12:15配信

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第73回日本芸術院授賞式に出席し、受賞者の一柳慧さんから説明を受けられる天皇、皇后両陛下=19日午前、東京都台東区(代表撮影)

(時事通信社)


両陛下、日本芸術院賞授賞式にご臨席
6/19(月) 11:52配信 産経新聞

 天皇、皇后両陛下は19日、東京都台東区の日本芸術院会館で、芸術の分野で大きな業績を残した人に贈られる「日本芸術院賞」の授賞式に臨席された。

 73回目の今回は、恩賜賞も同時に贈られた書家の高木聖雨さん(67)や評論家の渡辺保さん(81)、作曲家の一柳慧さん(84)の3人を含む9人が受賞。両陛下は授賞式に先立ち、受賞者らから活動内容の説明を受け、熱心に耳を傾けられた。


<皇室>天皇、皇后両陛下が芸術院授賞式に出席
6/19(月) 11:21配信 毎日新聞

 天皇、皇后両陛下は19日、東京都台東区の日本芸術院会館であった第73回日本芸術院授賞式に出席された。今回の受賞者は作曲家の一柳慧さん(84)や小説家の高樹のぶ子さん(71)ら9人で、両陛下はそれぞれの作品について説明を聞いた。【高島博之】


両陛下、日本芸術院授賞式に
6/19(月) 11:18配信 時事通信

 天皇、皇后両陛下は19日午前、東京・上野の日本芸術院会館で開かれた第73回日本芸術院授賞式に出席された。

 日本芸術院賞は芸術の分野で顕著な功績があった人に贈られ、今回は作曲家の一柳慧さん(84)や歌舞伎俳優の市川左団次さん(76)ら9人が受賞。一柳さんら3人には恩賜賞も併せて贈られた。

 両陛下は式典に先立ち、受賞者らから作品や功績などについて説明を受けた。午後には皇居・宮殿で、受賞者らを招いて茶会が催される。

2017年4月24日 (月)

佳子内親王殿下、9月からイギリス・リーズ大にご留学

秋篠宮家の次女、佳子内親王殿下が、今年9月からイギリス・リーズ大にご留学されることが24日、宮内庁から発表された。

佳子内親王殿下は現在、国際基督教大学(International Christian University、ICU)の3年としてご在学中だが、昨年10月に同大の交換留学プログラムにご応募され、書類選考や面接試験などを経て今年3月にリーズ大へのご留学が決定した。来年6月までのコースで夏ごろにご帰国の予定とされる。皇室の方々が同大で学ばれるのは初めて。履修科目は未定だが、心理学や美術に関心を持たれているという。

佳子殿下は学習院大1年の25年には、米国で1カ月間のホームステイをご経験された。またご長女の眞子内親王殿下はICU3年だった24年に同じプログラムを利用し、イギリス・エディンバラ大にご留学、その後26年にはイギリス・レスター大学大学院にご留学されている。

リンク:秋篠宮佳子さま、イギリス留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<皇室>佳子さま英国のリーズ大に留学へ ICUの制度利用 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、英中部の名門・リーズ大に短期留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、9月に英国ご留学へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佳子さま、英国へ短期留学=今年9月からリーズ大に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

秋篠宮佳子さま、イギリス留学へ
ホウドウキョク 4/24(月) 20:40配信

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(写真:ホウドウキョク)

秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまは、2017年9月から、イギリスのリーズ大学へ短期留学されることになった。
佳子さまは、ICU(国際基督教大学)の3年に在学中で、宮内庁によると、以前から留学に関心があり、ICUの交換留学制度を利用し、2017年9月からおよそ1年間、イギリスのリーズ大学に留学されるという。
ウエスト・ヨークシャー州にあるリーズ大学は、伝統ある国立大学で、佳子さまは、この大学を自ら志望し、ICU内での選考試験を経て、3月に留学が決まったという。
佳子さまは、心理学や芸術などに関心があり、幅広い分野で学ぶことを希望されているという。
姉の眞子さまもICU在学中、同じ制度を利用して、イギリスに留学されている。
佳子さまは、2013年の夏休みに、アメリカでホームステイを経験されているが、留学は今回が初めて。


<皇室>佳子さま英国のリーズ大に留学へ ICUの制度利用
毎日新聞 4/24(月) 20:30配信

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秋篠宮家の次女佳子さま=代表撮影

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さま(22)が、9月から来年6月まで英国のリーズ大に短期留学されると発表した。佳子さまは昨年10月にICUの交換留学プログラムに申し込み、書類選考と面接を経て留学が決まった。

 姉の眞子さま(25)もICU3年時の2012年9月から、同プログラムを利用して英エディンバラ大に留学された。【高島博之】


佳子さま、英中部の名門・リーズ大に短期留学へ
読売新聞 4/24(月) 19:19配信

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佳子さま

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で、国際基督教大の3年生の佳子さま(22)が今年9月から、英・リーズ大学に短期留学されると発表した。

 期間は来年6月頃までの予定。佳子さまの海外留学は初めて。

 宮内庁によると、佳子さまは、書類や面接選考を経て、今年3月に留学が決定した。学部や専攻は今後決めるが、心理学や美術に関心を示されているという。

 リーズ大は1904年設立の英国中部の名門大学で、6000人以上の留学生を受け入れている。


佳子さま、9月に英国ご留学へ
産経新聞 4/24(月) 16:37配信

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さまが9月から英中部のリーズ大に留学されると発表した。来年6月までのコースで夏ごろに帰国される。皇室の方々が同大で学ばれるのは初めて。履修科目は未定だが、心理学や美術に関心を持たれているという。

 宮内庁によると、佳子さまは昨年10月、ICUの交換留学プログラムに応募され、書類選考や面接試験などを経て今年3月にリーズ大での受け入れが決まった。教職員と相談し、世界各国から留学生が集まるなど文化的に多様性がある同大を選ばれたという。

 佳子さまの外国ご訪問は3度目。学習院大1年だった25年には8~9月の約1カ月間、米国でホームステイを経験された。姉の眞子さまはICU3年だった24年に同じプログラムを利用し、英国エディンバラ大に留学されている。


佳子さま、英国へ短期留学=今年9月からリーズ大に
時事通信 4/24(月) 16:28配信

 宮内庁は24日、秋篠宮ご夫妻の次女で国際基督教大(ICU)3年の佳子さま(22)が今年9月から、英国のウエスト・ヨークシャー州にあるリーズ大に短期留学されると発表した。

 宮内庁によると、佳子さまは昨年ICUの交換留学プログラムに出願し、書類選考などを経て、今年3月にリーズ大から留学受け入れの回答を受けた。同大は英国でも国際性が高いといい、各国から多くの留学生を受け入れていることや、幅広い科目の履修が可能なことなどから、佳子さまが自ら留学先に選んだという。

 帰国は来年夏ごろの見通しで、その後は引き続きICUで学ぶ。大学間の交換留学協定で、留学先での取得単位はICUの単位として認められるため、4年で卒業が可能という。所属する学部や、現地での住まいなどはまだ決まっていない。

2017年4月20日 (木)

天皇皇后両陛下ご主催の春の園遊会開催

天皇皇后両陛下が主催される園遊会が20日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれた。レスリング女子の伊調馨選手、卓球女子団体の福原愛選手らリオデジャネイロ五輪メダリスト、熊本地震で被害を受けた熊本県の蒲島郁夫知事、宇宙飛行士の大西卓哉さんら各界から約2000人が出席し、両陛下や皇族方が声を掛けて回られた。

雅子皇太子妃殿下は、2003年秋以来、13年半ぶりに和服姿で出席、一部招待者と懇談後、途中退出した。
右膝をねんざされた三笠宮家の瑶子殿下は欠席された。

リンク:春の園遊会、リオメダリストら招待 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:金メダリストら出席 春の園遊会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:天皇陛下、伊調馨選手ねぎらう…園遊会に2千人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<春の園遊会>両陛下、五輪メダリストらと歓談 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:五輪メダリスト、熊本県知事ら招き「春の園遊会」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:伊調選手らと歓談される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福原選手と歓談される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:伊調選手ら招き春の園遊会=雅子さま、13年半ぶり和服で - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

春の園遊会、リオメダリストら招待
AFP=時事 4/21(金) 9:59配信

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都内の赤坂御苑で開かれた春の園遊会で、卓球の福原愛選手(右から4人目)やレスリングの伊調馨選手(右から7人目)ら招待客と懇談される天皇、皇后両陛下(2017年4月20日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】天皇、皇后両陛下が主催する春の園遊会が20日、都内の赤坂御苑で開かれ、レスリングの伊調馨(Kaori Icho)選手や卓球の福原愛(Ai Fukuhara)選手ら各界の功績者など多数が出席した。園遊会は毎年、春と秋の2回開かれる。【翻訳編集】 AFPBB News


金メダリストら出席 春の園遊会
ホウドウキョク 4/20(木) 23:13配信

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(写真:ホウドウキョク)

天皇・皇后両陛下主催の春の園遊会が、赤坂御苑で開かれた。

天皇陛下「随分小さい時から卓球をやっておられるでしょ?」
福原 愛選手「はい、3歳から」
皇后さま「時々、テレビで泣いてらっしゃるところを見て」
福原 愛選手「...お恥ずかしい...」
天皇陛下「どこに住まれるの?」
福原 愛選手「台湾と日本を、今は行ったり来たりの生活です」

園遊会には、リオデジャネイロオリンピックの金メダリストで、レスリング女子の伊調 馨選手、バドミントン女子ダブルスで金メダルの高橋礼華選手と松友 美佐紀選手や、卓球女子団体で銅メダルを獲得した福原 愛選手などのメダリストをはじめ、宇宙飛行士の大西卓哉さんなど、各界から招かれた2,000人以上が出席した。
両陛下や皇太子ご夫妻など皇族方は、安倍首相らのあいさつを受けたあと、招待客のもとを回られた。
皇太子妃雅子さまは、13年半ぶりに和服で出席し、10分間ほど、笑顔で参加者と懇談された。


天皇陛下、伊調馨選手ねぎらう…園遊会に2千人
読売新聞 4/20(木) 20:02配信

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春の園遊会でレスリングの伊調馨選手(右から3人目)に話しかけられる天皇、皇后両陛下(20日、東京・元赤坂で)=杉本昌大撮影

 天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が20日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、各界の功労者ら約2000人が出席した。

 会場には、リオデジャネイロ五輪で活躍した選手らが顔をそろえ、天皇陛下は、レスリング女子で4連覇を果たした伊調馨(いちょうかおり)選手を「よい成果を収められて良かったですね」とねぎらわれた。卓球女子団体の銅メダリスト福原愛選手とは、3歳から卓球を始めたことが話題となり、皇后さまが「時々テレビで泣いてらっしゃるところも」と述べられ、福原選手が「お恥ずかしい」と応じる場面もあった。

 熊本県の蒲島郁夫(かばしまいくお)知事は、熊本地震の仮設住宅で孤独に陥る被災者を助ける取り組みを紹介。陛下は、「これからも体を大事にして皆のためによろしくね」と語られた。


<春の園遊会>両陛下、五輪メダリストらと歓談
毎日新聞 4/20(木) 19:21配信

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園遊会でレスリング女子の五輪4連覇を果たした伊調馨選手(中央)と言葉を交わされる天皇、皇后両陛下=東京都港区の赤坂御苑で2017年4月20日午後2時34分、小出洋平撮影

 天皇、皇后両陛下が主催される春の園遊会が20日、東京・元赤坂の赤坂御苑であり、招待された各界の功績者ら約2000人が出席した。昨夏のリオデジャネイロ五輪で活躍した選手も多く招かれ、両陛下や皇族方は、あでやかな着物姿のメダリストらと和やかに歓談した。

 天皇陛下は、五輪で4連覇を達成したレスリングの伊調馨選手に「良い成果をおさめられてよかったですね」と声を掛け、伊調選手は「国民のみなさまに応援していただいて、良い結果を残すことができました」と緊張した表情で応じた。皇后さまは、卓球女子団体で主将を務め、銅メダルを獲得した福原愛選手を「立派に主将のお役をお果たしになって」とねぎらった。五輪後の結婚も話題に上り、両陛下は「お幸せに」と笑顔で祝福した。

 また、両陛下は熊本県の蒲島郁夫知事から、熊本地震の復興状況や被災地の課題などについて、熱心に話を聴いていた。

 園遊会は春と秋に開かれるのが恒例。昨年の秋の園遊会は、三笠宮さまの死去を受けて中止された。【山田奈緒】


五輪メダリスト、熊本県知事ら招き「春の園遊会」
産経新聞 4/20(木) 18:38配信

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春の園遊会で、リオデジャネイロ五輪の女子メダリストらと懇談される天皇、皇后両陛下。右から福原愛、松友美佐紀、高橋礼華、伊調馨=20日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑(寺河内美奈撮影)(写真:産経新聞)

 天皇、皇后両陛下が主催される「春の園遊会」が20日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、レスリング女子の伊調馨選手、卓球女子団体の福原愛選手らリオデジャネイロ五輪メダリストのほか、昨年4月の熊本地震で被害を受けた熊本県の蒲島郁夫知事など、各界の約2千人が出席した。

 陛下は蒲島知事に「震災、大変でしたね」「どうぞこれからも体を大事にして、皆のためによろしくね」といたわられた。皇后さまは福原選手に「立派に主将のお役を果たしになってね」とねぎらった後、福原選手の夫で台湾の卓球選手の話題では「台湾もずいぶん東日本(大震災)の時などに心を寄せてくださって」と言葉をかけられた。

 療養中の皇太子妃雅子さまは12年ぶりだった平成27年秋の園遊会から毎回参加しており、この日は15年秋以来の着物姿でご出席。体調を考慮し、一部招待者と懇談後、途中退出された。


伊調選手らと歓談される両陛下
時事通信 4/20(木) 18:26配信

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春の園遊会で、五輪4連覇を果たしたレスリング女子の伊調馨選手(前列右から5人目)、宇宙飛行士の大西卓哉さん(同7人目)らと歓談される天皇、皇后両陛下=20日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑

(時事通信社)


福原選手と歓談される両陛下
時事通信 4/20(木) 18:26配信

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春の園遊会で、卓球の福原愛選手(前列右から3人目)と歓談される天皇、皇后両陛下=20日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑


伊調選手ら招き春の園遊会=雅子さま、13年半ぶり和服で
時事通信 4/20(木) 14:23配信

 天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が20日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれた。

 伊調馨選手らリオデジャネイロ五輪で活躍したメダリストや、宇宙飛行士の大西卓哉さんら各界から約2000人が出席し、両陛下や皇族方が声を掛けて回られた。

 天皇陛下は、レスリング女子で五輪4連覇を達成した伊調選手に「良い成果を収められて良かったですね」と祝福。卓球女子団体の主将として銅メダルを獲得し、昨年台湾の卓球選手と結婚した福原愛選手も、両陛下から「お幸せに」と言葉を掛けられていた。

 熊本地震から1年を迎えた熊本県の蒲島郁夫知事も招かれ、両陛下に復興状況を報告。天皇陛下は「これからも体を大事にして、皆のためによろしく」とねぎらっていた。国際宇宙ステーションに約4カ月間滞在した大西さんは、天皇陛下から「健康はどうですか」などと帰還後の影響を気遣われたといい、「打ち上げよりも緊張しました」と笑顔で振り返った。

 昨年秋は三笠宮さまの逝去で中止となったため、今回は天皇陛下が退位の意向を示唆したビデオメッセージの公表以降、初の園遊会となった。皇太子妃雅子さまは2003年秋以来、13年半ぶりに和服姿で出席し、一部の招待客と交流。右膝をねんざした三笠宮家の瑶子さまは欠席した。

2017年4月13日 (木)

寺社仏閣に油を掛けたのは支那人の女2人 すでに出国も指名手配、国際手配も検討

明治神宮の鳥居や門の柱などで液体のような染みが確認された事件で、警視庁捜査1課は13日、建造物損壊と器物損壊容疑で、ともに支那籍で住所、職業不詳の朴今玉容疑者(49)と、朴善愛容疑者(49)の逮捕状を取った。ともに既に出国しているが、捜査1課は再来日する可能性もあるとみて全国に指名手配。国際手配も検討する。

逮捕状の容疑は、3日午前9時半ごろ~11時ごろ、明治神宮の鳥居や門など4地点15カ所に油のような液体を散布し、損壊したとしている。鳥居の防犯カメラに2人がスプレーで油のようなものを掛けているのが写っていたという。

捜査1課によると、2人は中共支那・吉林省出身。3月27日に支那・上海から那覇空港に入国し、30日に那覇空港から空路で伊丹空港に移動。4月1日には新幹線で東京に入り、4日午前1時半に羽田空港から支那・上海に帰国したという。

この支那人ののような、他国の文化や・歴史・伝統を尊重するということが理解出来ない未開人・野蛮人は我が国に来てもらいたくない。のみならず、地球上から消え去ってもらいたい。この地球は未開人・野蛮人どもの生息する場所ではない。

リンク:世界遺産・金峯山寺カメラに女2人 液体まかれた跡、全国手配の中国人か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:守礼門液体被害、カメラに手配の中国人似の2人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:浅草寺でも液体まかれた跡 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:浅草寺にもシミ十数か所、中国人女2人関与か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<液体被害>浅草寺でも染み 指名手配の女2人防犯カメラに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:浅草寺でも油のような染み=中国人2人関与か―警視庁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:金峯山寺、新たに6カ所で油のような液体跡 奈良 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:下鴨神社などにも十字のシミ…手配の2人関与か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:明治神宮に「油」...2人指名手配 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:明治神宮に液体 反日思想かいたずらか - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:明治神宮に「油」...2人指名手配 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:明治神宮に液体、女2人に逮捕状…中国に帰国か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<明治神宮>鳥居や門に染み 中国人の女2人に逮捕状 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:寺社液体事件 「政治的な嫌悪なのか」 中国人に逮捕状、観光客らに怒り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:中国人の女2人に逮捕状=明治神宮に液体―既に出国、指名手配・警視庁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:明治神宮の液体事件で逮捕状 中国人49歳女2人 すでに出国 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

世界遺産・金峯山寺カメラに女2人 液体まかれた跡、全国手配の中国人か
産経新聞 4/28(金) 15:12配信

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金峯山寺本堂の正面扉板の被害状況を調べる文化庁の調査官(左)ら=4月3日、奈良県吉野町(写真:産経新聞)

 国内の複数の寺社で液体の染みのようなものが見つかった事件で、被害に遭った奈良県吉野町の世界遺産・金峯山寺(きんぷせんじ)の敷地内に設置された防犯カメラに、明治神宮(東京都渋谷区)で油のような液体をかけた疑いで警視庁が逮捕状を取った中国籍の女2人とみられる人物が写っていたことが28日、捜査関係者への取材で分かった。

 2人は電車とバスで寺を訪れる途中でも液体をまいたとみられ、奈良県警が関連を調べている。捜査関係者によると、2人は近鉄吉野駅で電車を降り、桜のシーズンに合わせ運行されている臨時バスに乗車。金峯山寺近くの終点「吉野中千本公園」で下車後、徒歩で寺へ向かい、南側の「二天門跡」から境内に入ったとみられる。

 寺では今月1日午後2時50分ごろ、本堂(蔵王堂、国宝)の正面扉板など4カ所で液体がまかれた跡を確認。3月30日から4月1日にかけての間で、犯行があったとみられる。その後の調査で、被害は計10カ所と判明した。捜査関係者によると、2人が境内北側出入り口から出る姿なども、複数の防犯カメラに写っていたという。

 また、バス停から寺まで続く商店街沿いにある創業約300年前の老舗薬店など2カ所でも、計約10カ所で油のような液体がまかれた跡が見つかった。被害が確認されたのは寺と同時期といい、県警で関連を調べている。

 同様の被害は今月、世界遺産の下鴨神社(京都市左京区)や首里城(那覇市)、浅草寺(東京都台東区)など全国で確認。警視庁が建造物損壊などの容疑で逮捕状を取り、全国に指名手配した中国籍の女2人は3月27日に中国・上海から那覇空港に来日し、30日に那覇空港から空路で大阪(伊丹)空港へ移動。4月1日には新幹線で東京に入り、4日午前1時半に羽田空港から上海に帰国したとみられている。


守礼門液体被害、カメラに手配の中国人似の2人
読売新聞 4/20(木) 9:25配信

 首里城公園(那覇市)の守礼(しゅれい)門などに油のような液体がかけられた事件で、警視庁が明治神宮(東京都渋谷区)に液体をまいたとして建造物損壊容疑などで指名手配した中国人の女2人と特徴の似た2人組が、公園の防犯カメラに映っていたことが沖縄県警への取材でわかった。

 県警は、この2人が油をまいた可能性もあるとみて、慎重に調べている。

 これまでの調べで、中国人の女2人は3月27~30日、沖縄県内に滞在したことが判明している。2人と似た人物は同28日、カメラに映っていたという。2人はすでに出国している。

 那覇市では、国指定重要文化財「旧崇元寺(そうげんじ)第一門」にも油のようなものがまかれる事件が発生しており、県警が関連を調べている。


浅草寺でも液体まかれた跡
ホウドウキョク 4/16(日) 12:52配信

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(写真:ホウドウキョク)

東京・浅草の浅草寺で、液体がまかれた跡が見つかった。
明治神宮に液体をかけた疑いで逮捕状が出ている中国人の女2人は、浅草寺も訪問しており、警視庁が関連を調べている。
15日正午ごろ、台東区の浅草寺から「液体がかけられている」との通報があり、駆けつけた警察官が、境内の銭塚弁財天に、油のようなものがまかれた跡が10カ所以上あるのを確認した。
警視庁は、器物損壊の疑いで、液体の成分を調べるなど捜査しているが、4月3日に明治神宮の鳥居などに液体をかけた疑いで逮捕状が出ている中国人の女2人が、3日午後に浅草寺も訪れていることが、防犯カメラの映像で判明していることから、関連を調べている。
液体をかけられる同様の被害は、沖縄の首里城跡や、京都の世界遺産・下鴨神社などでも確認されている。


浅草寺にもシミ十数か所、中国人女2人関与か
読売新聞 4/15(土) 21:12配信

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浅草寺の銭塚弁財天で見つかった液体がまかれたような跡(15日午後5時49分、東京都台東区で)=吉岡毅撮影

 15日正午頃、東京都台東区の浅草寺から警視庁浅草署に「ほこらに油のようなものが付いている」との通報があった。

 同署員が、本堂西側のほこらの扉や階段など計十数か所に油のようなシミがあるのを確認。同庁は、何者かが故意に液体をまいたとみて建造物損壊容疑などで捜査を始めた。明治神宮(渋谷区)に液体をまいたとして、同容疑などで指名手配した中国人の女2人が浅草寺にも立ち寄ったとみられ、同庁で関連を調べている。

 同署幹部によると、浅草寺は11日、参拝客からほこらにシミがあると指摘を受けていた。指名手配した中国人の女2人とみられる姿が3日午後、浅草寺周辺の防犯カメラに映っていたという。2人はその直後に出国しており、同庁で浅草寺を含めた来日中の足取りを詳しく調べている。


<液体被害>浅草寺でも染み 指名手配の女2人防犯カメラに
毎日新聞 4/15(土) 21:00配信

 東京都台東区の浅草寺の職員から15日、敷地内の木造のほこらに油のような染みがあると警視庁浅草署に通報があった。警視庁は鉄製の扉など、ほこらに10個以上の染みがあるのを確認、器物損壊容疑で捜査を始めた。また明治神宮(渋谷区)に液体をまいたとして、同容疑などで全国に指名手配されている中国籍の女2人の関与についても調べる。

 浅草署によると、浅草寺のほこらの染みは、11日ごろに参拝客が発見したという。

 一方、捜査関係者によると、明治神宮の被害の件で指名手配されている女2人が3日午後に浅草寺に立ち寄っていたことが、敷地内にある複数の防犯カメラ映像から分かったという。2人は既に出国している。【安藤いく子】


浅草寺でも油のような染み=中国人2人関与か―警視庁
時事通信 4/15(土) 19:26配信

 15日午前、東京都台東区の浅草寺から、建物に油のような染みが見つかったと警視庁浅草署に通報があった。

 署員が調べたところ、本堂の西側にある参拝施設で、液体がまかれたような跡が十数カ所で確認された。同庁は明治神宮(渋谷区)の鳥居に液体を掛けた建造物損壊などの容疑で中国人の女2人を全国に指名手配しており、関連を調べる。

 捜査1課によると、3日午後、浅草寺付近の防犯カメラにこの2人とみられる人物が映っていたという。明治神宮の後に浅草寺に立ち寄ったとみている。

 浅草署によると、染みが見つかったのは施設正面の扉や階段部分で、数日前に参拝者から寺側に指摘があったという。これまで、増上寺(港区)や世界遺産の下鴨神社(京都市)、首里城(那覇市)などでも液体がまかれたような跡が見つかっている。


金峯山寺、新たに6カ所で油のような液体跡 奈良
産経新聞 4/15(土) 18:46配信

 国内各地の寺社の門などに油のような液体が掛けられた事件で、すでに被害が確認されていた奈良県吉野町の世界遺産の金(きん)峯(ぷ)山(せん)寺(じ)本堂(蔵王堂、国宝)で、新たに6カ所の液体跡が見つかっていたことが15日、寺などへの取材で分かった。県警吉野署が事件との関連を調べている。

 寺によると、同寺では1日に本堂正面扉板など計4カ所で被害が見つかったが、5日に寺が調べ直した結果、新たに別の正面扉板に計6カ所の液体跡があることが分かったという。液体がまかれた時期は不明。

 寺社の液体被害をめぐっては、明治神宮(東京都渋谷区)で油のような液体をかけたとして、警視庁が建造物損壊などの容疑で中国国籍の女2人の逮捕状を取り、全国に指名手配している。吉野署は女2人の服装などの情報を同庁から得ており、寺に設置された防犯カメラの映像分析や液体の成分解析を進めるなどして関連を調べる。

 寺の担当者は「貴重な宝であり、非常に残念」と話した。


下鴨神社などにも十字のシミ…手配の2人関与か
読売新聞 4/14(金) 15:15配信

 東京、京都、奈良、沖縄4都府県の寺社などに油のような液体がかけられた事件で、明治神宮(東京都渋谷区)と酷似する十字の形のシミが、世界遺産の下鴨神社(京都市)や国指定重要文化財・旧崇元寺第一門(那覇市)にもあったことが捜査関係者への取材でわかった。

 明治神宮の事件に関与したとして、警視庁が13日に建造物損壊などの容疑で指名手配した中国人の女2人は沖縄県や関西地方にも滞在しており、警察当局は2人が一連の事件に関与したとみている。

 捜査関係者などによると、明治神宮では今月3日、スプレーなどでかけられたとみられる液体のシミが15か所で見つかった。鳥居と門の柱に付けられたシミは十字の形で、液体には同一の油脂成分が含まれていた。


明治神宮に「油」...2人指名手配
ホウドウキョク 4/14(金) 12:13配信

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(写真:ホウドウキョク)

東京・渋谷区の明治神宮で鳥居などに油のようなものをまいた疑いで、警視庁が49歳の中国人の女2人を全国に指名手配した事件で、警視庁は、各地で相次いだ同様の事件との関連を調べている。
建造物損壊などの疑いで逮捕状が出たのは、中国の吉林省に住む朴今玉容疑者(49)と朴善愛容疑者(49)の2人。
2人は4月3日、渋谷区の明治神宮で、鳥居や門など15カ所に油のようなものをまいた疑いが持たれている。
防犯カメラには、2人で鳥居の右の柱と左の柱に、同時にスプレーボトルで液体をかけている様子が映っていた。
2人は、犯行翌日の未明に、羽田空港から中国・上海行きの飛行機に乗って出国していて、警視庁は、再入国する可能性もあることから、全国に指名手配した。
この直前には、沖縄の首里城跡の守礼門のほか、奈良や京都で同様の被害が確認されているが、2人は東京を訪れる前に、沖縄や大阪の空港を利用していて、警視庁は関連を調べている。


明治神宮に液体 反日思想かいたずらか
産経新聞 4/14(金) 7:55配信

 全国で相次いで発覚した油のような液体をかけられる被害。警視庁の捜査で、明治神宮の事件について、中国籍の女2人の関与が明らかになった。2年前に各地で相次いだ事件同様、神社仏閣が狙われたことから反日思想が背景にあるとの指摘もあった。一方で、宗教的要素のない首里城でも被害があり、観光時のいたずら目的の可能性も浮上している。

 平成27年に16都府県48カ所の寺社などで被害があった事件では、宗教団体を設立した米国在住の日本人医師の男=千葉県警が逮捕状=が「呪われた寺社などを油を注いで清めた」と話していた。当時、香取神宮(千葉県香取市)や唐招提寺(奈良市)などで被害があり、この現場にあった染みからは、甘い臭いにおいがしていたという。

 一方、今回の明治神宮の染みは無臭といい、別の成分の可能性がある。2人とこの団体との関連性は現時点で確認されていない。

 捜査1課によると2人の滞在期間はわずか1週間。沖縄、関西、東京を数日ずつで移動していた。犯行のため計画的に行動していた可能性もあるが、観光客がよく訪れる場所が多く含まれていた。被害があったのは、桜のシーズンでもあった。

 2人の動機は分かっていないが、捜査関係者によると、観光客が行き交う日中に、平然とスプレーで液体をまき散らしていたという。

 動機は反日思想か、いたずらか。捜査1課は慎重に経緯を調べている。


明治神宮に「油」...2人指名手配
ホウドウキョク 4/13(木) 22:35配信

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(写真:ホウドウキョク)

東京・渋谷区の明治神宮で、鳥居などに油のようなものがまかれているのが見つかった事件で、警視庁は、49歳の中国人の女2人の逮捕状を取り、全国に指名手配した。
建造物損壊などの疑いで逮捕状が出たのは、中国の吉林省に住む朴今玉容疑者(49)と、朴善愛容疑者(49)の2人。
2人は4月3日、渋谷区の明治神宮で、鳥居や門など15カ所に油のようなものをまいた疑いが持たれている。
スプレーボトルから液体をかけている様子が、防犯カメラにとらえられていて、2人は犯行直後に、羽田空港から中国・上海行きの飛行機に乗って出国したことが判明し、指名手配した。
この直前には、沖縄の首里城跡の守礼門のほか、奈良や京都で同様の被害が確認されているが、2人は、東京を訪れる前に、沖縄や大阪の空港を利用していて、関連を調べている。


明治神宮に液体、女2人に逮捕状…中国に帰国か
読売新聞 4/13(木) 21:18配信

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明治神宮の南神門を調べる警視庁の捜査員ら(4日)

 東京、京都、奈良、沖縄4都府県の寺社などで油のような液体がかけられた事件で、警視庁は13日、このうち明治神宮(東京都渋谷区)の事件に関与したとして、中国人の女2人について建造物損壊と器物損壊の容疑で逮捕状を取り、全国に指名手配した。

 2人は事件後に出国しており、同庁は国際手配を検討するとともに他の事件への関与を調べている。

 発表によると、指名手配されたのはともに中国籍で49歳の朴今玉容疑者と朴善愛容疑者。2人は4月3日午前9時半頃からの約1時間40分の間、明治神宮の鳥居や門など計15か所に油のような液体をまいて汚した疑い。

 周辺の防犯カメラに2人が液体をまく様子が映っていた。シミの形状などからスプレーなどが使われたとみられる。2人が事件前後に宿泊した東京・銀座のホテルに提示した旅券から身元が判明した。旅券にはともに中国吉林省の住所が記載されていた。


<明治神宮>鳥居や門に染み 中国人の女2人に逮捕状
毎日新聞 4/13(木) 21:01配信

 東京都渋谷区の明治神宮で鳥居などに油のような液体がかけられた事件で、警視庁捜査1課は13日、住所、職業不詳の朴今玉容疑者(49)と朴善愛容疑者(49)=いずれも中国籍の女=について、建造物損壊と器物損壊の容疑で逮捕状を取った。2人は既に出国しているが再び入国する可能性があるため、同課は全国に指名手配した。

 逮捕状の容疑は今月3日午前9時半~11時ごろ、明治神宮の鳥居や門など4カ所で油のような液体をまき、計15個の染みを付けたとしている。液体の鑑定結果は出ていないが、同一の油脂成分だったという。明治神宮内に設置された防犯カメラに2人がスプレーのようなもので液体を吹き付けている様子が映っていたという。防犯カメラで2人を追跡し、宿泊先の東京都中央区のホテルに提出したパスポートの写しから身元が分かった。

 同課によると、2人は3月27日に中国・上海から飛行機で沖縄・那覇空港に到着し、同30日に伊丹空港に移動。4月1日に関西地方から新幹線で東京に移動し、同4日に羽田空港から上海に出国した。

 今月5日に東京都港区の増上寺の三解脱門など十数カ所に液体がかけられたと通報があったほか、今月1~3日、京都市の下鴨神社や那覇市の首里城公園内にある守礼門でも液体のようなものがかけられているのが確認されており、同庁は関連がないか調べている。【深津誠、春増翔太、山本佳孝】


寺社液体事件 「政治的な嫌悪なのか」 中国人に逮捕状、観光客らに怒り
産経新聞 4/13(木) 20:32配信

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液体の跡が見つかった南神門を調べる捜査員ら=4日午後、東京都渋谷区(桐原正道撮影)(写真:産経新聞)

 明治神宮(東京都渋谷区)で鳥居などに液体がまかれた事件で、警視庁が中国人の女2人の逮捕状を取ったことを受け、周辺の商店関係者や利用客には安堵が広がる一方、怒りの声も多数あがった。

 「犯行が繰り返されるのではないか心配していた。指名手配ではなく、中国まで逮捕に出向いてもらいたいが、容疑者が特定されただけ安心した。東京を代表する神社なので大切にしてほしい」

 渋谷区で美容室を経営する、森孝史さん(38)はほっとした表情で語った。そのうえで、「模倣犯や愉快犯が出ないように、神社、警察、地元などそれぞれの立場で注意を払っていきたい」とした。

 新宿区の大学生、山本晶さん(22)は「神社仏閣めぐりが好きなので、とても許せる行為でない。先人が残した貴重なもの。他国の文化や歴史を尊重できないならば、その国を訪れないでもらいたい」と怒りをあらわにした。

 観光に来ていた山口県防府市の会社員、白石雅敬さん(53)は、容疑者が中国籍だったことについて「やっぱりか、という残念な思い。政治的に日本を嫌悪するのだとしても、その思いで文化財を汚さないでもらいたい」と語った。


中国人の女2人に逮捕状=明治神宮に液体―既に出国、指名手配・警視庁
時事通信 4/13(木) 18:45配信

 東京都渋谷区の明治神宮で鳥居などに液体が掛けられた事件で、警視庁捜査1課は13日、建造物損壊と器物損壊の疑いで、いずれも中国籍の住所職業不詳、朴今玉容疑者(49)と朴善愛容疑者(49)の逮捕状を取った。

 2人は既に中国に出国しているといい、再入国した場合に備え、全国に指名手配した。

 同課によると、2人は3日午前9時半~同11時10分ごろ、明治神宮の本殿に向かう参道に建つ第2鳥居や南神門など四つの建造物の計15カ所に油のような液体をまいた疑いが持たれている。

 第2鳥居の防犯カメラに、スプレーのようなもので液体を掛ける2人の姿が映っており、宿泊先のホテルなどから特定した。

 2人は3月27日に中国・上海から那覇市行きの航空機で入国し、同月30日に大阪府に移動。4月1日に東京に入り、事件後の4日未明に中国・上海行きの航空機に乗ったという。

 世界遺産の下鴨神社(京都市)や首里城(那覇市)などでも液体がまかれたような跡が見つかっている。都内では港区芝公園の増上寺でも重要文化財の「三解脱門」や本堂の柱など十数カ所に液体が掛けられる被害があり、警視庁などが関連を調べている。


明治神宮の液体事件で逮捕状 中国人49歳女2人 すでに出国
産経新聞 4/13(木) 18:37配信

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鳥居にかけられた液体を調べる警視庁の鑑識課員=4日午後、東京都渋谷区の明治神宮(宝田将志撮影)(写真:産経新聞)

 明治神宮(東京都渋谷区)の鳥居や門の柱などで液体のような染みが確認された事件で、警視庁捜査1課は13日、建造物損壊と器物損壊容疑で、ともに中国籍で住所、職業不詳の朴今玉容疑者(49)と、朴善愛容疑者(49)の逮捕状を取った。ともに既に出国しているが、捜査1課は再来日する可能性もあるとみて全国に指名手配。国際手配も検討する。

【写真で見る】容疑者は中国人 明治神宮液体事件を振り返る

 逮捕状の容疑は、3日午前9時半ごろ~11時ごろ、明治神宮の鳥居や門など4地点15カ所に油のような液体を散布し、損壊したとしている。鳥居の防犯カメラに2人がスプレーで油のようなものを掛けているのが写っていたという。

 捜査1課によると、2人は中国・吉林省出身。3月27日に中国・上海から那覇空港に入国し、30日に那覇空港から空路で伊丹空港に移動。4月1日には新幹線で東京に入り、4日午前1時半に羽田空港から上海に帰国したという。

 今月に入って寺社で液体をまかれる被害は増上寺(東京都港区)、下鴨神社(京都市左京区)、首里城(那覇市)など全国で6件確認。いずれも2人の立ち回り先に近いことから、警察当局は関連を調べる。

2017年1月26日 (木)

俳優の松方弘樹氏が死去・4

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

最初の記事
2番目の記事
3番目の記事

リンク:松方弘樹さんの事実婚妻 最期まで入籍しなかった理由 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:15年以上会えないまま届いた訃報…仁科克基「親父の作品を片っ端から…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK、2・2に松方さん追悼番組放送 BSフジでは1・29“最後の旅” - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

松方弘樹さんの事実婚妻 最期まで入籍しなかった理由
NEWS ポストセブン 1/27(金) 7:00配信

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松方弘樹さん事実婚女性が入籍しなかった理由とは?

 羽織袴や黒いスーツを着た男たちがずらりと並び、僧侶たちの読経の声がごうごうと響く。壮大な葬儀の祭壇に飾られるのは、志半ばで凶弾に倒れたある男(松方弘樹)の遺影だ。さぞ無念だっただろうと、男の友人(菅原文太)は祭壇に向かって“追悼”のピストルを撃つ──。キネマ旬報が「日本映画史上ベストテン」で第5位に選出する名作映画『仁義なき戦い』(1973年)のラストシーンだ。生き急ぐ男の揺れる心情を体現した松方さんの演技は出色で、この作品で一気に名優の仲間入りを果たす。

 俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため入院先の都内の大学病院で亡くなった。74才だった。しかし、『仁義なき戦い』のラストシーンのように、松方さんのために豪壮な葬儀が執り行われることはなかった。友人たちのほとんどは、その悲報をニュースで知り、お別れを告げる機会もなかった。

 松方さんの最期を看取ったのは、長年一緒に暮らしてきた女性。葬儀は彼女がひとりで取り仕切り、ひっそり行われたという。その女性とは、女優の山本万里子(45才)だ。松方さんにとっては30才年下の「愛人」である。

 時代劇スターの近衛十四郎と女優の水川八重子の間に長男として生まれた松方さんは、高校3年の時に東映入り。『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でいきなり主演デビューし、前出の『仁義なき戦い』といった任侠ものや『柳生一族の陰謀』などの大型時代劇で活躍。その一方で、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのバラエティー番組ではコミカルな一面で人気を呼んだ。

 豪気な「昭和の大スター」だけあって、女性関係も華やかだった。1968年に元モデルの女性と結婚して3人の子供をもうけたが、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)で共演した女優の仁科亜季子(63才)と恋仲になり、再婚。タレントの仁科克基(34才)と仁科仁美(32才)の2人の子供に恵まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67才)との間にも、認知した子供が1人いる。

 そんな松方さんと山本の出会いは、今から25年前の1991年にさかのぼる。

「当時、山本さんは京都・祇園の高級クラブでホステスをしていました。客として訪れた松方さんが山本さんに一目惚れし、口説き落として交際が始まったんです。松方さんは芸能界入りを希望していた山本さんをバックアップ。山本さんは松方さんが出演しているドラマ『遠山の金さん』(テレビ朝日系)や『HOTEL』(TBS系)に出演していました」(ベテラン芸能記者)

 交際が始まって7年後の1998年秋、当時、松方さんの妻だった仁科亜季子が本誌・女性セブンに「夫との離婚決意」を赤裸々に告白。山本との不倫交際は一気に世間に知れわたった。

 1999年1月に松方さんと仁科との離婚が成立。その騒動の中で、山本は「有名女優から夫を奪った」として、世の女性たちから激しいバッシングを浴びた。それでも山本は雑誌のインタビューに答える形で、仁科に向けてこんな発言をした。

《申し訳ないことをしました。ご迷惑をかけました。でも妻子ある人と承知していても魅かれていく気持ちや、相手の家族に対する罪悪感は、きっと仁科さんなら理解していただけると思います》

 仁科と松方さんの交際も、“不倫”からスタートしたことを暗示しながら、仁科の理解を求めた。

「山本さんの芯の強さと松方さんに対する並々ならぬ思いが伝わるメッセージだったと思います。それでも山本さんは、仁科さんとその子供たちへの配慮から、離婚が成立した後も入籍せず、事実婚を続けてきました」(山本の知人)

 その後、ふたりは都内で同棲生活を送り、レストランでふたりきりで仲よく食事する姿もたびたび目撃されていた。

「その姿は長年連れ添った夫婦の姿そのものでした。山本さんは松方さんの個人事務所に役員として名を連ね、公私両面でよきパートナーになっていました」(芸能関係者)

 松方さんは2011年の映画イベントで、こんな発言をしたことがある。

「なかなか正式に籍を入れてもらえないんだよ。籍を入れないのは介護要員になるのが嫌みたい」

 闘病中、松方さんの病状が外に伝わることはほとんどなかった。友人たちは見舞いに行きたくても行けない状況で、親交のある里見浩太朗(80才)は「毎日電話しても出ないんですよね。ちょっと心配」と打ち明けていた。

「山本さんは自身の両親からも“愛人に育てた覚えはない”と勘当同然ながら、25年間、松方さんを支え続けました。友人たちを病室に招かなかったのは、“最期は私が彼の隣にいる”という強い思いがあったんでしょうか」(前出・松方さんの知人)

※女性セブン2017年2月9日号


15年以上会えないまま届いた訃報…仁科克基「親父の作品を片っ端から…」
スポニチアネックス 1/26(木) 22:45配信

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仁科克基

 脳リンパ腫のため21日に亡くなった俳優・松方弘樹さん(享年74)の息子で俳優の仁科克基(34)が26日、自身のブログを更新。松方さんが出演した作品を「片っ端から観ようと思います」と宣言した。

【写真】仁科克基の元妻・華子

 松方さんの訃報が公表された翌日の24日に続いてのブログ更新。24日のブログでは「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」とつづっていたが、この日は「松方弘樹の親父の作品を改めて片っ端から観ようと思います。やっぱり偉大で尊敬する人です」と短くつづった。

 仁科がひんぱんにブログを更新することは珍しく、今月24日の前にブログを更新したのは昨年12月1日で、その前は同9月5日。24日のブログでは「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と決意を記していたが、亡き父への思いを胸に、まずは改めて作品を片っ端から鑑賞することにしたようだ。


NHK、2・2に松方さん追悼番組放送 BSフジでは1・29“最後の旅”
サンケイスポーツ 1/26(木) 7:00配信

 21日に死去した俳優、松方弘樹さん(享年74)の追悼番組が25日、発表された。

 NHK「ファミリーヒストリー」(木曜後7・30)が、2月2日に「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」として放送。兄弟の父で昭和を代表する俳優、近衛十四郎と母で元女優、水川八重子の人生をたどる。スタジオ収録は昨年12月23日に弟の俳優、目黒祐樹(69)だけが参加して行われた。

 BSフジでも、今月29日に「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」(後6・0)を放送。俳優、梅宮辰夫(78)との“最後の旅”となった2014年7月放送のハワイロケの模様を未公開シーンを加えて放送する。

2017年1月24日 (火)

俳優の松方弘樹氏が死去・3

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

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リンク:BSフジでも松方弘樹さん追悼企画放送 梅宮辰夫と“最後の旅” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK、松方さん追悼番組2・2放送 目黒祐樹「2人でGOサイン」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹を追悼 NHK「ファミリーヒストリー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん罹患の「脳リンパ腫」、発症率は10万人に1人 原因不明、完治難しく… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、女と酒を愛し続けた豪快伝説 派手な女性遍歴に銀座の豪遊、昭和の名優またひとり… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんの事実婚妻 自分で納骨希望、財産分与は難航か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK「ファミリーヒストリー」松方弘樹さん追悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:回復を待って準備されていた松方弘樹さんの「ファミリーヒストリー」…弟・目黒祐樹出演でNHK2・2放送 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん追悼『ファミリーヒストリー』2・2放送  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK 急きょ松方さん追悼番組 2・2「ファミリーヒストリー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん「第1回東京スポーツ映画大賞」特別賞を受賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん出演作に注文殺到 「仁義なき戦い」シリーズなど - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「一緒に酒飲みたかった」松方さんと15年以上対面なし - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:“ヒットパレード葬”で松方さんとお別れ 昭和スター集結 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん、交流再開の弟・目黒祐樹と幻の共演作あった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子、元夫・松方さんへの思いつづる「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子「子供達にもう一度会ってほしかった」松方さんへの思いブログにつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 松方さんに「子供達に会い、孫を抱いてほしかった」 ブログで冥福祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子 ブログで松方さんへの思い吐露「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子「胸が痛む」松方弘樹さんへ「子供達にもう一度会ってほしかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科亜季子、松方さん復帰「信じてた」 ブログで思いつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんと事実婚の山本万里子さん 不倫関係時のインタビュー「尊敬し続ける」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基、ブログで改めて父・松方弘樹さんへ「俺…頑張るからね」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基 父・松方さんと15年以上会えないまま別れ「俺…頑張るから」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん次男の仁科克基、「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「親父…本当にありがとう」 父・松方さんへの思いつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 豪快に笑い飛ばした「3億円離婚」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方弘樹さんの闘病生活支えた内縁の妻の献身 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仁科克基「偉大で大変尊敬する役者」父松方さん悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【訃報】松方弘樹さん=俳優 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:松方さん急逝 続く名優訃報 3日には名優・神山繁さんも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「仁義なき…」また一人 菅原文太さん、山城新伍さんも - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

BSフジでも松方弘樹さん追悼企画放送 梅宮辰夫と“最後の旅”
スポニチアネックス 1/26(木) 6:00配信

884
BSフジ「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」の1シーン

 BSフジは、29日午後6時から「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」を放送する。

 14年7月に放送した「僕らはみんな生きてきた」は、松方さんと梅宮辰夫(78)がハワイでロケを行い、15年ぶりに一緒に釣行。これが2人の最後の旅となった。

 当時放送された映像に加え、未公開シーンも放送。梅宮は新たに収録を行ったインタビューで、親友への思いを語る。


NHK、松方さん追悼番組2・2放送 目黒祐樹「2人でGOサイン」
スポニチアネックス 1/26(木) 5:45配信

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松方弘樹さん(左)と弟の目黒祐樹

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優・松方弘樹さん(享年74)の追悼番組としてNHKは25日、「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」(木曜後7・30)を2月2日に放送すると発表した。当初の予定より1週間前倒ししてのオンエアとなる。

 著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底調査する番組。剣劇スター近衛十四郎さんを父に、女優の水川八重子さんを母に持つ兄弟にNHKからアプローチがあったのは昨年初め。弟の目黒祐樹(69)はスポニチ本紙の取材に「あの番組は兄も好きで見ていたようで、“どうせなら兄弟そろって出よう”と2人でGOサインを出しましたが、直後に兄が体調を崩し…」と唇をかんだ。

 スタッフが父方のルーツである新潟県の長岡市などでリサーチを開始する一方で、目黒も松方さんの回復を待ったが、「しばらくして“いつまでも待たせるわけにはいかない”からと、兄貴の方から収録には参加できないと局に断りを入れたようです」と振り返った。実現すれば73年のテレビ時代劇「いただき勘兵衛 旅を行く」以来の兄弟共演となったが、昨年12月23日の収録には目黒が1人で臨んだ。

 「兄貴も残念だったと思います。でもゆかりの人がたくさん出てきて、僕も“えっ”と驚くことばかり。オヤジはもちろん、兄貴の映像もたくさん出てきますよ」と一端を明かした。


松方弘樹を追悼 NHK「ファミリーヒストリー」
ザテレビジョン 1/25(水) 19:42配信

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「ファミリーヒストリー」が松方弘樹(左)・目黒祐樹(右)兄弟のルーツに迫る/(C)NHK

1月21日に死去した松方弘樹の追悼番組として、2月2日(木)夜7時30分から「ファミリーヒストリー『松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~』」(NHK総合)が放送されることが発表された。

著名人のルーツに迫る同番組だが、今回は松方・目黒兄弟の父で昭和を代表する時代劇俳優・近衛十四郎、そして母で元女優の水川八重子の人生をたどる。

取材班がまとめたVTRを鑑賞するスタジオ収録は12月23日に行なわれ、目黒のみが参加。NHKによれば、取材開始後すぐに病に倒れた松方の回復を待ってから、放送する予定だったという。

また、番組内では、ゆかりの人物たちから闘病中だった松方へ向けられたメッセージも紹介される。

なお、当初2月2日(木)に放送予定だった夏木マリの出演回は、2月9日(木)に放送される。


松方弘樹さん罹患の「脳リンパ腫」、発症率は10万人に1人 原因不明、完治難しく…
夕刊フジ 1/25(水) 16:56配信

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松方弘樹さん(写真:夕刊フジ)

 松方弘樹さんが罹患(りかん)した「脳リンパ腫」は脳や脊髄、眼球などの中枢神経系にできる悪性腫瘍で、発症率が10万人に1人ともいわれる非常にまれな病気だ。

 山野医療専門学校副校長で医学博士の中原英臣氏によると、初期症状としては、片目が急激な視力低下に見舞われることが多いという。

 腫瘍ができた位置によっては、体のまひやけいれん、言語障害、人格の変化といった精神症状などが出る。大きな腫瘍ができると、脳が圧迫され、頭痛や吐き気、嘔吐(おうと)などの症状も現れる。

 進行が早いのも特徴で、手術による腫瘍摘出だけで完治することは少ない。松方さんも手術が難しい状況だったといわれ、病院に入院しながら放射線治療や投薬治療を続けていたようだ。

 中原氏は「脳リンパ腫は60歳以上の高齢者が発症することが多いが、なぜ発症に至るのか詳しい原因はまだよく分かっていない。発症すると数日~数週間単位で進行していくため、片目の視力が急激に低下したといった症状が現れたら、すぐに病院を受診することを心がけてほしい」と呼び掛けている。


松方弘樹さん、女と酒を愛し続けた豪快伝説 派手な女性遍歴に銀座の豪遊、昭和の名優またひとり…
夕刊フジ 1/25(水) 16:56配信

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松方弘樹さん(写真:夕刊フジ)

 これぞ昭和のスターの生きざまだ。21日、脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さん。あおるように酒を飲み、いい女を抱き、クルーザーでマグロを釣るという豪快な生き方は男の夢を体現した人生だった。

 松方さんは昨年2月、頭痛などを訴えて入院。検査の結果、脳リンパ腫と発表された。患部が脳幹に近く手術ができず、放射線と抗がん剤治療を続けたが、昨年秋に脳梗塞を起こし、脳リンパ腫も進行。昨年末には点滴で栄養を補給する状況になった。

 今年に入ってからは一進一退の状況が続き、今月12日には高度な治療を受けるため転院予定だったが、容体が悪く断念。20年来のパートナーだった内縁の妻で元女優、山本万里子さん(44)が中心となって懸命な看病をしてきた。

 23日夜に会見した弟の目黒祐樹(69)は、最期を看取れなかったが直後に対面。「やせていたけど、安らかでいい表情をしていました」と明かした。

 私生活も派手な人で、華やかな女性遍歴でメディアをにぎわしてきた。1968年にモデルと結婚し、3人の子供をもうけたが、74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と不倫関係に陥り、すったもんだの末に約3億円の慰謝料を支払うことで離婚が成立。

 79年に仁科と再婚し、2人の子供が誕生。ところが、87年には愛人関係にあった歌手、千葉マリア(67)との間に隠し子がいたことが発覚。

 自称“800人斬り”とも言われたが、自身は「それは誤解で、1年分しかない」と周囲に釈明することも。浮気については「僕は嘘が下手なんです」とあっけらかんと語っていたが、それでも浮気がひどすぎるとして、仁科に命じられてパイプカットしたことも。

 さらには98年には山本さんとの不倫が発覚。釈明会見ではしどろもどろになりながら「僕には亜季子が最高の伴侶」と語るも、結局、同年に仁科と離婚した。

 芸能界きっての酒豪としても知られた。長財布に入りきらないほどの札束を持ち、銀座に繰り出した日々。「毎日ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升」「一晩でふたりでブランデーを5本空ける」と伝説には事欠かなかった。

 東映の元宣伝部長、福永邦昭氏は「豪快だが、人前では決してベロベロにはならない。そんな飲み方は、俳優としても尊敬していた萬屋錦之介さんの影響を多分に受けていたのだろう」と話す。

 趣味の釣りはプロ級の腕前とも。2015年には沖縄・石垣島周辺で6時間半の格闘の末、361キロの巨大クロマグロを釣り上げる快挙も。このマグロは寿司チェーン店「すしざんまい」が約185万円で落札した。

 俳優としても輝かしい人生だった。前出の福永氏は「演技は天才的。台本をパッとみるだけで演技できる人。それだけに器用貧乏で終わるかと思ったが、『仁義なき戦い』での血を吐き出すような演技で一皮むけ、本当のスターに駆け上がった」と話す。

 またひとつ昭和の輝きが消えた。


松方弘樹さんの事実婚妻 自分で納骨希望、財産分与は難航か
NEWS ポストセブン 1/25(水) 16:00配信

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財産分与の難航が予想されている

 俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため入院先の都内の大学病院で亡くなった。74才だった。

 気さくで豪放磊落な人柄は多くの人を惹きつけ、芸能界でも華やかな交友関係で知られていた。同い年でライバルだった北大路欣也(73才)、学生時代から親交のある里見浩太朗(80才)、同じ釣りが趣味だった梅宮辰夫(78才)など、親友と呼べる友人も多かった。

 が、松方さんのために豪壮な葬儀が執り行われることはなかった。友人たちのほとんどは、その悲報をニュースで知り、お別れを告げる機会もなかった。

「亡くなった2日後にひっそりと荼毘に付されたそうです。大スターにしては寂しい最期といわれるかもしれませんが、病室ではずっと一緒に暮らしてきた女性が付き添っていました。葬儀も彼女がひとりで取り仕切りました。松方さんが望まれたことだったのではないでしょうか」(松方さんの知人)

 松方さんの最期に寄り添った女性とは、女優の山本万里子(45才)だ。松方さんにとっては30才年下の「愛人」である。

 1968年に元モデルの女性と結婚して3人の子供をもうけたが、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)で共演した女優の仁科亜季子(63才)と恋仲になり、再婚。タレントの仁科克基(34才)と仁科仁美(32才)の2人の子供に恵まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67才)との間にも、認知した子供が1人いる。

 その後、1991年に山本さん出会い、交際がスタート。7年後の1998年に仁科と離婚し、それからは山本さんとの事実婚生活が続いた。

 松方さんは昨年2月、頭痛や体のしびれなどの体調不良を訴えて入院。精密検査の結果、「脳リンパ種」であることが判明し、以降、入院先での闘病を余儀なくされていた。放射線治療と抗がん剤治療を中心に取り組んでいたが、昨年秋頃、抗がん剤を投与している時に、脳梗塞を起こす。

「松方さんは一時的に脳リンパ腫の治療を中止せざるを得なくなりました。その後もさらに小さな脳梗塞を2度起こしたため、腫瘍の治療は思うように進まなかった。この年末年始には言葉がほとんど出なくなり、意識も混濁することが多かった」(前出・松方さんの知人)

 その病室で、朝から晩まで、彼女だけがひとりで付き添ってきた。

「山本さんは火葬した後の遺骨も、自分で納骨したいと希望しているようです。しかし、松方さんには元モデルとの間に3人、仁科家に2人、千葉マリアとの間にも1人の子供がいます。財産分与や遺品の分配を含め、調整は難航しそうです」(前出・松方さんの知人)

 昭和のスターはたったひとりの女性に見守られるなか、帰らぬ人となった。

※女性セブン2017年2月9日号


NHK「ファミリーヒストリー」松方弘樹さん追悼
日刊スポーツ 1/25(水) 14:03配信

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松方弘樹さん

 NHKは25日、21日に亡くなった俳優松方弘樹さん(享年74)の追悼番組として「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月」(2月2日午後7時30分)を放送すると発表した。

【写真】涙をこらえながら兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹

 同番組の取材が始まってまもなく松方さんが病に倒れたため、回復を待って放送する予定だったという。兄弟の家族のルーツに迫る内容で、闘病中だった松方さんに向け、ゆかりの人たちのメッセージも紹介される。収録は昨年12月23日に行われ、目黒だけが参加したという。


回復を待って準備されていた松方弘樹さんの「ファミリーヒストリー」…弟・目黒祐樹出演でNHK2・2放送
スポーツ報知 1/25(水) 13:24配信

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松方弘樹さん

 NHKは25日、21日に脳リンパ腫のため死去した俳優・松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さん(享年74)の追悼番組として、2月2日に「ファミリーヒストリー」(木曜・後7時30分)で「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」を放送すると発表した。

 収録は昨年12月23日に行われ、松方さんの弟で俳優・目黒祐樹(69)のみが参加した。NHKの説明によると、番組の取材が始まってからしばらくして松方が病に倒れ、回復を待って放送する予定だったが叶わなかったという。

 番組では、松方と目黒の父で昭和を代表する俳優・近衛十四郎に戦時中助けられたという人物を70年以上を経て見つけたという。また闘病中だった松方にゆかりの人物がメッセージを送る。


松方弘樹さん追悼『ファミリーヒストリー』2・2放送 
オリコン 1/25(水) 12:53配信

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(左から)松方弘樹さん・目黒祐樹

 今月21日に脳リンパ腫のため74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんの追悼番組として、2月2日にNHK『ファミリーヒストリー』(毎週木曜 後7:30)で「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」が放送されることが25日、わかった。

【写真】松方さんの元妻・仁科亜季子と娘・仁美の2ショット

 同番組の取材が始まって間もなく松方さんは病に倒れ、回復を待って放送される予定だった。収録は昨年12月23日に行われ、目黒のみが参加した。

 番組では、芸能一家だった松方さん・目黒兄弟の家族のルーツに迫る。父は昭和を代表する剣げきスター・近衛十四郎、母は元女優の水川八重子。戦争中、近衛さんに助けられたという人物が70年以上の時を経て見つかった。そして、闘病中だった松方さんに、ゆかりの人たちが熱いメッセージを送る。


NHK 急きょ松方さん追悼番組 2・2「ファミリーヒストリー」
スポニチアネックス 1/25(水) 12:31配信

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松方弘樹さん(左)と目黒祐樹

 NHKは25日、今月21日に脳リンパ腫のため死去した俳優・松方弘樹さん(享年74)のルーツに迫る「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」(木曜後7・30)を2月2日に追悼番組として急きょ放送すると発表した。

【写真】361キロのマグロを釣り上げ、仁王立ちする松方さん

 番組の取材が始まって間もなく松方さんが病に倒れ、回復を待ってオンエア予定だったが、叶わなかった。父は時代劇スターの近衛十四郎さん、母は女優の水川八重子さん。戦争中、近衛十四郎に助けられたという人物が70年以上の時を経て見つかる。そして、闘病中だった松方さんに、ゆかりの人たちが熱いメッセージを送る。

 収録は昨年12月23日に行われ、弟で俳優の目黒祐樹(69)だけが参加。関係者によると「兄も(収録に)来たかったはず」と共演叶わず、残念がっていたという。


松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった
東スポWeb 1/25(水) 11:01配信

 時代劇や任侠もので大活躍した“映画スター”松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)が、21日に脳リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。松方さんは昨年2月、頭痛や体のしびれを訴え、都内の大学病院に緊急入院。検査の結果、「脳リンパ腫」と診断され、闘病生活を続けていた。映画スターとして近寄りがたいイメージだった松方さんを女子高生から「カワイ~」とまで言わせたのは、ビートたけし本紙客員編集長(70)の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985~96年、日本テレビ系)だ。松方さんがたけしに明かした豪快すぎる「松方伝説」を特別追悼公開する。 

「柳生一族の陰謀」「仁義なき戦い」などの映画でこわもて二枚目スターのオーラを放っていた松方さんを、まったく畑違いのバラエティー番組「元気が出るテレビ!!」に引っ張り出したのが、たけしだった。

 85年の開始当時から長らくレギュラー出演した同番組で、たけしのギャグにズッコケたり、声を裏返らせたりと“おちゃめ”な面も発露。「たけちゃん!」などと言って笑いながらハンカチで顔の汗を拭くシーンが番組の名物となり、若い女性から「カワイ~」と人気になった。

 ちょうどそのころ、松方さんとたけしは頻繁に飲み歩いていた時期があったという。昔話としてたけしが聞かされた仰天の“修羅場エピソード”は次のような話だった。

「松方さんがオンナの家行ってたら、夜中に男が来ちゃってオンナが真っ青に。『早くタンスの中に隠れて!』って。松方さんが『お前、男がいるんじゃないか!!』って言ったら、『たまに来るのよ』って。しょうがなくて隠れたら、男が『テメェ~、中に誰かいるんじゃね~か?』って寝室のドアを蹴っ飛ばして入ってきた。で、『こっちだって松方弘樹だ。しょぼい男だったらぶん殴ってやる!』って思って、洋服ダンスの隙間からソーッと見たら、力道山だったって」

 力道山は63年に亡くなっている。松方さんが20歳前後の若かった時代のこと。このエピソードをたけしに明かした時、松方さんは「本当に怖かったんだよ」としみじみ語っていたという。

 京都の一流ステーキハウスでの超豪快エピソードは、その支払いっぷりだ。

「高級ステーキったっていくら食べても100万円もいかない。でも、ほんの数時間で高級ワインをバンバン頼んで、会計が2000万円。それを1人で払っちゃうんだからね」

 200万円ではなく2000万円だ。当時、クレジットカードはそれほど流通しておらず、支払いには現金が必要だった。そんな時代の松方さんといえば、“立つ財布”で有名だったという。いったいどれだけ分厚い札束を持っていたのか。

☆まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹(めぐろ・こうじゅ)。1942年7月23日生まれ。東京都出身。父・近衛十四郎、母・水川八重子がともに役者の家庭で育つ。明大中野高3年の60年、父が所属する東映に入社し「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。翌年の「赤穂浪士」や「瞼の母」(62年)などの時代劇で二枚目スターに。69年に大映に移籍し、71年に東映復帰。深作欣二監督「仁義なき戦い」(73年)では、あくの強い暴力団幹部を熱演。「県警対組織暴力」などで強烈な個性を発揮した。代表作に「柳生一族の陰謀」(78年)、「修羅の群れ」(84年)など。91年の「江戸城大乱」などで日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。テレビでは74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「人形佐七捕物帳」「名奉行遠山の金さん」などで主演を務めたほか、バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でも親しまれた。2004年の「想い出ワルツ」など歌曲のCD、レコードも出している。弟の目黒祐樹も俳優。俳優の仁科亜季子は元妻。


松方弘樹さん「第1回東京スポーツ映画大賞」特別賞を受賞
東スポWeb 1/25(水) 11:01配信

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東スポ映画大賞特別賞の賞状をたけし(左)から受けた松方さん(1992年2月)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(本名・目黒浩樹、享年74)は1992年の「第1回東京スポーツ映画大賞」で特別賞を受賞した。東映「首領になった男」などに主演して映画界に貢献したということで、たけし審査委員長が選んだのだ。

 同年1月31日に東京・渋谷に当時あった渋谷ビデオスタジオで収録していた「北野ファンクラブ」(フジテレビ系)の番組内で授賞式が行われた。

 松方さんはスケジュールの都合で授賞式に出席できなかったため、2月の「元気が出るテレビ!!」の松方さんの楽屋をたけしが訪ねて“出前表彰”となった。

 松方さんは「特別賞はありがたく受けさせてもらうよ」と喜んで表彰され、さらに「映画監督としてのたけちゃんの才能はすごいと思うね。テレビのレギュラーをあれだけ抱えていながら映画を撮るというからすごい」などと話していた。

 さらにたけしは「第5回東スポ映画大賞」の映画貢献賞に「映画『藏』のプロデューサーをやった。何十億切符売って、客の来ない映画館に無理やり客を運んでくれた努力の人」として、松方さんを選んだ。授賞式を欠席した松方さんに対し、「松方さんは植毛で忙しい。あと200本は必要」と毒舌で笑わせた。


松方さん出演作に注文殺到 「仁義なき戦い」シリーズなど
スポニチアネックス 1/25(水) 8:20配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さんを悼む

 松方さんの悲報を受けて東映ビデオには24日、全国のDVDショップから松方さんの出演作の注文が50本、100本単位で続々と入り始めた。

 「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」「修羅の群れ」など、アウトローを演じた作品だけでなく「真田幸村の謀略」など時代劇まで幅広いオーダーが殺到。東映ビデオは「改めてスター俳優だったことを再確認しています」と話している。


仁科克基「一緒に酒飲みたかった」松方さんと15年以上対面なし
スポニチアネックス 1/25(水) 7:01配信

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仁科亜季子(左)と仁科克基

 ◇松方弘樹さん悼む

 松方さんの息子で俳優の仁科克基(34)が24日、ブログで「僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と思いをつづった。15年以上、会っていなかったといい「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」と残念がった。この日はオフで、知人は「凄く落ち込んでいました。“役者をやりたい”という思いを新たにしている様子でした」と明かした。

 克基の母で松方さんの前妻の仁科亜季子(63)もブログで「本気で愛し…、人生を懸けて彼の元へ飛び込み…」などと回想。長女の仁美(32)が15年6月に第1子の男児を出産しており「孫を抱っこしてもらいたかった」と悔やんだ。


“ヒットパレード葬”で松方さんとお別れ 昭和スター集結
スポニチアネックス 1/25(水) 5:36配信

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松方弘樹さん

 松方さんのお別れの会が“ヒットパレード葬”として行われることが検討されている。所属していた「夢グループ」が24日、「松方さんらしいにぎやかな会にできれば」と、盛大に催したい意向を明かした。

【写真】会見で涙を堪える梅宮辰夫

 松方さんは12年3月から昨年2月まで、同じ夢グループの小林旭(78)や千昌夫(69)、黛ジュン(68)らとのジョイント公演を全国各地で約200回開催。ドラマ「名奉行遠山の金さん」の主題歌「華のうちに」をおはことし、甘い歌声と豪華共演で全国のファンを喜ばせてきた。お別れの会にも昭和歌謡のスターが集い、松方さんの歌を歌うことになりそうだ。具体的なプランについては今後、パートナーの山本万里子さんと話し合う意向だ。

 松方さんは元々歌手志望だった。16歳で上京し作曲家の上原げんと氏に師事。同じ門下生だった五木ひろし(68)の歌のうまさに圧倒され、俳優の道に進んだ。

 俳優としての出発点で、実録路線で人気を博した「東映」でもお別れの会を呼び掛ける声が浮上している。宣伝マンOBは「弘樹ちゃんは東映からデビューして、時代劇や仁義なき戦いシリーズなどでスター俳優に上り詰めた。90年代に入って独立したとはいえ、あれだけの足跡を残してくれた人。お別れの会をしてあげたいというより、しなければいけない」としみじみ。開催となれば、俳優仲間も多く駆けつけるとみられ、昭和のスターらしい手向けの会になりそうだ。


松方弘樹さん、交流再開の弟・目黒祐樹と幻の共演作あった
デイリースポーツ 1/25(水) 5:00配信

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 亡くなった俳優の松方弘樹さん

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹)さんが、弟で俳優の目黒祐樹(69)と、NHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」(木曜、後7・30)で共演を果たす予定だったことが24日、明らかになった。また、松方さんが死の直前、関係者からの呼びかけに対し、涙を流していたこともわかった。

【写真】山城新伍さん、亜希子夫人と幼い克基、仁美ら子どもたちに囲まれ満面の笑みの松方弘樹さん

 兄弟ともに俳優として第一線で活躍しながら、共演経験はほぼなかった松方さんと目黒。そんな二人が一つの画面で顔を合わせる“幻の共演作”が用意されていた。

 松方さんの事務所関係者によると、二人が共演する予定だった番組は、NHKの「ファミリーヒストリー」。各界の著名人が、父母や先祖について語るスタイルで、松方さんと目黒が二人でVTRを見ながら語り合うことになっていたという。収録は昨年11月に行われる予定だったが、松方さんの体調が優れなかったことから延期となり、最終的には目黒が年末に一人で収録に参加。兄弟共演は幻に終わった。

 関係者によると、松方さんと目黒は約30年にわたり没交渉状態だったが、3年ほど前に再会した際に会話を交わし、交流を取り戻した。その後は、直接会うことはほとんどなかったというが、連絡は取り合っており、入院中の松方さんを目黒が見舞うこともあった。

 また、同じく事務所関係者によると、松方さんは21日に死去する前日まで意識ははっきりしており、病室では大好きな相撲中継に興じることもあった。だが、昨冬に容体が悪化した際には、医師から「リンパ腫が脳内の呼吸中枢に影響を及ぼした場合、いつ呼吸が止まってもおかしくない」と予告されており、21日に静かに息を引き取った。

 松方さんの最期は、事実婚状態で元女優の山本万里子さん(44)と、事務所関係者2人の計3人でみとった。死の直前、関係者が松方さんに「今までお世話になりました。ありがとうございました」と声を掛けると、松方さんは自らの死を覚悟していたのか、涙を一滴流して応えていたという。


仁科亜季子、元夫・松方さんへの思いつづる「子供達にもう一度会ってほしかった」
サンケイスポーツ 1/25(水) 0:17配信

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仁科亜季子(写真:サンケイスポーツ)

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの元妻で女優、仁科亜季子(63)が24日、訃報から一夜明けて自身のブログを更新。松方さんへの思いをつづった。

 仁科は「悲しみ…」と題し、「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」と回復を願っていた心境を吐露。

 続いて「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と悲しみを胸に故人を偲んだ。

 また、松方さんのことを「私が本気で愛し、人生を懸けて彼の元へ飛び込み、二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と表現し、夫婦であった当時の生活を振り返った。

 「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と叶わなかった胸の内を打ち明けた仁科。最後は「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と結んだ。


仁科亜季子「子供達にもう一度会ってほしかった」松方さんへの思いブログにつづる
スポーツ報知 1/24(火) 23:40配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの元妻で、1998年に松方さんと離婚した女優の仁科亜季子(63)が24日、訃報から一夜明けブログを更新し、松方さんへの思いをつづった。

 「全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました。私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした」

 仁科自身は子宮頸がんや大腸がんなどで3回の手術を経験している。「大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」と記すと、「今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」としのんだ。

 松方さんとは“略奪婚”だった仁科。20年近く、夫婦として過ごし、2人の子どもももうけた。仁科は「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です。最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と胸の内を打ち明けた。


仁科亜季子 松方さんに「子供達に会い、孫を抱いてほしかった」 ブログで冥福祈る
デイリースポーツ 1/24(火) 22:50配信

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松方弘樹の元妻の仁科亜季子

 21日に脳リンパ腫のために74歳で亡くなった俳優松方弘樹さんの元妻で女優の仁科亜季子が24日、ブログを更新し、「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。孫を抱っこしてもらいたかった」と松方さんへの思いをつづった。

 仁科は「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」と松方さんの回復を強く願っていたことを記した。

 松方さんのイメージについて、「とても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」と悲しみを新たにした。

 同時に楽しい思い出も浮かぶそうで、「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と元伴侶との生活を振り返った。

 「最後に」として仁科は「子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです。今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と松方さんに父親、祖父として家族に関わって欲しかったとの思いをつづった。


仁科亜季子 ブログで松方さんへの思い吐露「子供達にもう一度会ってほしかった」
東スポWeb 1/24(火) 22:42配信

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仁科亜季子

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)が24日、自身にブログを「悲しみ…」のタイトルで更新し、改めて故人を悼んだ

「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません」とつづると、こう続けた。

「今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます。21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」

 そして「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と、もうかなうことのない思いを記し、「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます。合掌」と結んだ。


仁科亜季子「胸が痛む」松方弘樹さんへ「子供達にもう一度会ってほしかった」
スポニチアネックス 1/24(火) 22:20配信

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仁科亜季子

 21日に亡くなった俳優・松方弘樹さん(享年74)の元妻で女優の仁科亜季子(63)が24日、自身のブログを更新。松方さんの死を悼み「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」とつづった。

【写真】涙をこらえる梅宮辰夫

 仁科は23日に所属事務所を通じファクスでコメントを発表していたが、この日のブログで「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした。大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と思い出を振り返った。

 「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です。最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と叶わなかった思いを明かし「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」と結んだ。


仁科亜季子、松方さん復帰「信じてた」 ブログで思いつづる
オリコン 1/24(火) 21:41配信

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仁科亜季子 (C)ORICON NewS inc.

 今月21日に脳リンパ腫のため74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名:目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんの元妻で女優の(63)が24日夜、自身のブログを更新。「最後に、子供達にもう一度会ってほしかった。そして、孫を抱っこしてもらいたかったです」と思いをつづった。

【写真】仁科亜季子と娘・仁美の2ショット

 「悲しみ…」のエントリーで仁科は「昨日の訃報を聞き、大変驚きました。全力で病と闘い、お仕事への復帰を目指していらっしゃると報道でお聞きしていたので、きっと頑張ってくださると信じておりました」とつづり「私の中の松方さんはとても元気だったし、病気とは無縁のような方でした」と思い出を回顧。

 「大きな病を何度も繰り返している私の方が絶対に先に逝くと思っておりました。本当にとても悲しく、残念でなりません。今は楽しい思い出ばかりが浮かび、胸が痛みます」と明かすと「21歳で知り合い、私が本気で愛し…人生を懸けて彼の元へ飛び込み…二人の子供を授かり20数年人生を共に歩んで参りました方です」と続けた。

 また、息子で俳優の仁科克基(34)と娘でタレントの仁科仁美(32)に「もう一度会ってほしかった」とつづり、仁美が2015年6月に出産した長男を「抱っこしてもらいたかったです」と母としての思いも。それでも、最後は松方さんに向け「今は安らかにおやすみくださいますことをお祈り申し上げます」とメッセージしブログを結んだ。

 同日夕方には、克基もブログを更新。「僕にとって、偉大で、大変 尊敬する 役者でした。心から 御冥福を お祈り致します」としのび「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と松方さんに誓っている。


松方弘樹さんと事実婚の山本万里子さん 不倫関係時のインタビュー「尊敬し続ける」
デイリースポーツ 1/24(火) 21:03配信

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松方弘樹さん

 俳優の松方弘樹さんが21日に脳リンパ腫のために74歳で亡くなった。親友の梅宮辰夫は24日、取材に応じ「あいつまでいなくなっちゃった。寂しい」と悼み、松方さんにずっと付き添った事実婚の山本万里子さんの献身ぶりをたたえた。フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」は24日、松方さんが山本さんと不倫状態にあった当時の山本さんのインタビューを放送。山本さんは「どういう関係になっても尊敬し続ける」と話していた。

【写真】故菅原文太さんと松方さんの2ショット

 インタビューは1998年で、松方さんが仁科亜季子と離婚した年だった。山本さんが26歳の時のもの。

 インタビュアーが「奧さんや家族のことは考えなかったのですか」と尋ねると山本さんは「こういうご家族のある方と、こういう関係でいることの…罪深さというか。本当に申し訳ないことをしました」と不倫関係であることに反省の言葉を述べた。

 インタビュアーが「松方さんは大切な人だったわけでしょ」と質問すると山本さんは「そうですね」と認め、「どういう関係になろうと…ずっと…尊敬し続けると思います」と自分の言葉にうなずき、「また、別れるかもしれませんし…どういうふうな関係になるか…それは分からないです」と将来への不安も明かしていた。


仁科克基、ブログで改めて父・松方弘樹さんへ「俺…頑張るからね」
スポーツ報知 1/24(火) 19:04配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの次男で俳優・仁科克基(34)が24日、ブログで新たにコメントを発表した。

 23日に発表したコメントに「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と付け加えられた。

 23日には「突然の事で、本当で残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心からご冥福をお祈り致します」とのコメントを発表していた。

 仁科は、松方さんにとって2度目の結婚となった仁科亜季子(63)との間に1982年に誕生。松方さんと仁科亜季子は98年に離婚、仁科克基の親権は仁科亜季子が持った。


仁科克基 父・松方さんと15年以上会えないまま別れ「俺…頑張るから」
東スポWeb 1/24(火) 17:24配信

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仁科克基

 21日に脳リンパ腫のため74歳で死去した俳優・松方弘樹さんの息子で、俳優の仁科克基(34)が24日、自身のブログを「偉大なる役者 そして父」のタイトルで更新。父・松方さんへの思いをつづった。

 息子として「1月21日に父である松方弘樹が旅立ちました」と松方さんの訃報を改めて報告すると、こう続けた。

「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」

 最後は「心から御冥福をお祈り致します。親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と結んだ。


松方さん次男の仁科克基、「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」
サンケイスポーツ 1/24(火) 16:54配信

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仁科克基(写真:サンケイスポーツ)

 脳リンパ腫のため21日に死去した俳優、俳優、松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんの次男でタレント、仁科克基(34)が24日、ブログを更新。「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」とつづった。

 仁科は23日に報道各社にファクスを通じて談話を発表。「突然の事で、本当に残念で仕方がありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心から御冥福をお祈り致します」とコメントした。

 克基は松方さんにとって2度目の結婚となった女優、仁科亜希子(63)との間に誕生。松方さんと仁科亜希子はその後、離婚していた。


仁科克基「親父…本当にありがとう」 父・松方さんへの思いつづる
デイリースポーツ 1/24(火) 16:51配信

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 仁科克基

 21日に亡くなった俳優・松方弘樹さんの次男で俳優の仁科克基が24日、ブログを更新し「親父…本当にありがとうございました」と感謝の言葉をつづった。

 ブログには親子共演を果たした時代劇ドラマでの2ショット写真をアップし、「父である松方弘樹が旅立ちました」と書き始め、「突然の事で本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」とつづった。

 「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と残念がり、最後に「親父…。本当にありがとうございました。俺…。頑張るからね」と、俳優として、更に精進することを亡き父に誓っていた。

 仁科は、松方の2人目の妻で女優の仁科亜季子の長男。


松方弘樹さん 豪快に笑い飛ばした「3億円離婚」
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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映画「野生の証明」米国ロケの現場で本紙のインタビューに答える松方さん(1978年7月)
 
【団塊記者の取材回顧録】21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(享年74)。かつて東映京都撮影所などで何度か取材したことがあるが、離婚騒動の渦中にあった1978年7月23日、角川映画「野性の証明」に出演していた時、米国ロケの現場でインタビューしたことがあった。当時36歳。

 同年7月7日、元モデルのNさんとの離婚に決着がついて、離婚の原因といわれた女優・仁科明子(現亜季子)との「10月結婚説」が流れていた。

 米カリフォルニア州軍の基地があるキャンプ・ロバーツなどで2週間にわたって行われたロケに参加。たくましく日焼けして元気な姿を見せた。ディレクターズチェアに腰掛け「私事も解決してスッキリした。このカリフォルニアの陽気な空気のような気分ですよ」。

 松方がNさんとの離婚を宣言してから2年半、途中で仁科との不倫関係が明るみに出てもめにもめ、ワイドショーや週刊誌を騒がせていたがようやく決着がついた。芸能人の離婚慰謝料としては当時史上最高の“3億円離婚”といわれた。

「3億円っていったら、これはゴツイよ。こっちに来てから大丈夫かなって思うこともあるよ」

 慰謝料を支払うために1億円近い借金を背負ったと言われたが、「ぼう大な借金を背負った形だが、これは役者としていい仕事をしていけば返せる。決心して実行に移した以上、ガンガンいい仕事を作って大きな財産を作ってみせますよ」。数少ない大物映画スターならではの豪快なところを見せた。

 米国ロケについて「ハリウッドスタイルっていうんですか。そりゃあもうすごい。専用の豪華なバスがついてね。キッチンもあれば、ベッドルームもあるキャンピングカーの大きなやつで、ヒロキ・マツカタってドーンと名前入りでね。とにかくアメリカのスタッフを使って、大がかりなアメリカロケをやってのける角川のチャレンジ精神は大いに映画界の刺激になりますよ」と語った。

 仁科との「10月結婚説」については「かんべんしてよ。オレ、そんなこといった覚えないよ。とにかく今は仕事にまい進して今までの穴埋めをしたい」「やっぱり映画が主になりますね。映画の入りがいちばん気になる」といっていたが翌年の3月、仁科と再婚して再びマスコミをにぎわせた。


松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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ロケ撮影先の釣り堀で梅宮辰夫(左)に指示を出す監督を務めた松方さん(2002年11月)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(享年74)は、波瀾万丈の女性遍歴で知られた。プレーボーイと言われ、週刊誌に「“千人斬り”の松方」とキャッチフレーズを付けられたことも。最初の妻である元モデルのNさんとの「3億円離婚」、仁科明子(現亜季子)との不倫、結婚、離婚などでにぎわせた。

 仁科とは1974年、松方さんが主演したNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演し、翌年に松方さん主演のドラマ「けんか安兵衛」(フジテレビ系)のヒロインに仁科を推薦して共演したころから親密に。当時「花嫁候補ナンバーワン」といわれた仁科と妻子ある松方さんの“不倫騒動”が世間を騒がせた。

 当時Nさんと結婚していて、現在俳優の長男・目黒大樹(43)がいた。77年1月、松方さんが離婚を切り出したが、仁科の存在が分かってNさんが態度を硬化させ、すんなり離婚とはいかなかった。結局「慰謝料3億円」という破格の慰謝料で離婚が成立。当初は松方さんとの交際に猛反対していた仁科の父親で俳優の故岩井半四郎さんも結婚を認め79年3月、仁科との結婚を発表した。

 同年11月7日、都内のホテルで「松方弘樹と仁科明子の結婚を祝う会」が盛大に開かれた。発起人には三船敏郎、勝新太郎、萬屋錦之介、大川橋蔵、菅原文太など、今は亡きスターがずらりと顔を並べ、800人を超す芸能人、業界関係者が詰め掛けた。

 仁科は結婚後、芸能界を引退。松方さんとの間にタレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。だが元アイドル歌手との隠し子騒動が持ち上がり松方さんがパイプカットして謝罪したこともあった。また元女優の山本万里子さんとの“不倫騒動”が持ち上がり、98年に仁科と離婚。克基と仁美は、仁科が親権を持ったため仁科姓を名乗っている。


松方弘樹さんの闘病生活支えた内縁の妻の献身
東スポWeb 1/24(火) 16:45配信

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自ら釣ったマグロの解体ショーに立ち会う松方さん。右は「すしざんまい」の木村清社長(2011年12月)

 21日に亡くなった松方弘樹さん(享年74)は昨年2月、体調不良を訴えて長期療養すると発表した。当初は脳腫瘍が疑われていたが、入院先の病院で生検を行った結果、脳リンパ腫と診断された。開頭手術も検討されたが断念し、その後は投薬治療に切り替えた。所属事務所は「松方本人も『皆様からいただいております心温まる激励を糧に一日も早く病を乗り越え元気な姿をご報告できるように』と闘病生活への意気込みを語っております」と、復帰に向けた意気込みを明かした。

 抗がん剤と放射線治療を並行して行ってきたが、その最中に脳梗塞を3回発症。最近は意識が混濁しており、見舞い客が誰かわからない状態だと伝えられていた。

 脳リンパ腫に詳しい専門の医師によれば、リンパ腫はリンパ液ががん化するもので、体のどこに発症してもおかしくないが、脳にできるのはまれなケースだという。

 一般的には脳腫瘍が広く知られているが、脳リンパ腫は脳腫瘍とは別で発症する年齢はさまざま。高齢者だけではなく若年層でも発症することがあり、症状は頭痛や手足のまひ、嘔吐など発症部位によって異なるという。松方さんは頭痛や体のしびれを訴えていた。

 松方さんの闘病生活を支えていたのは、25年間寄り添ってきた内縁の妻で元女優の山本万里子さんだった。2人を知る関係者は「山本さんは25年間、一度も松方さんに結婚を迫らず彼を支えてきた。これまでに一緒に暮らした女性のなかで最高の女性でしたよ」と、その献身ぶりを明かした。

 その山本さんにみとられて天国へ旅立った松方さん。生前は361キロの超巨大マグロを釣り上げて世間を驚かせるなど、趣味の釣りにも情熱を注いだだけに、天国でも巨大魚と格闘しているに違いない。


仁科克基「偉大で大変尊敬する役者」父松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 16:44配信

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仁科克基

 俳優の仁科克基(34)が、脳リンパ腫のため亡くなった父で俳優の松方弘樹さん(享年74)を哀悼した。

【写真特集】さらば松方弘樹さん/「勝海舟」、「仁義なき戦い」など

 仁科は24日にブログを更新。父の訃報に「突然の事で、本当に残念で仕方ありません、15年以上も、会えないままの 別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」と思いをつづった。

 そして「親父…本当にありがとうございました。俺…頑張るからね」と呼びかけるようにつづった。


【訃報】松方弘樹さん=俳優
読売新聞 1/24(火) 14:02配信

 時代劇、やくざ映画などで、華と存在感を併せ持つスターとして活躍した俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが、21日、脳リンパ腫のため亡くなった。

 74歳だった。葬儀は近親者で済ませた。

 東京都出身。俳優、近衛十四郎さんの長男で、1960年、東映に入社し、映画デビュー。「赤穂浪士」「次郎長三国志」など時代劇で人気を集め、戦後派のチンピラを演じた「893愚連隊」といった作品でも実力を発揮。「仁義なき戦い」シリーズや「北陸代理戦争」など東映実録路線のスターとしてダイナミックな演技を見せた。「柳生一族の陰謀」「真田幸村の謀略」でも活躍した。


松方さん急逝 続く名優訃報 3日には名優・神山繁さんも
スポニチアネックス 1/24(火) 8:55配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さん急逝

 昭和の銀幕やテレビを彩ったスターや名優の訃報が続いている。14年11月には「昭和残侠伝」「網走番外地」シリーズなど数々の名作に主演した高倉健さん(享年83)が悪性リンパ腫で、「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズで活躍した菅原文太さん(同81)が転移性肝がんによる肝不全で相次いで逝去。「昭和残侠伝」や「仁義なき戦い」は松方さんも出演した。

 昨年10月には平幹二朗さん(享年82)が自宅の浴槽で亡くなっているのが発見された。同12月には黒澤明監督の映画「影武者」などに出演した根津甚八さんが肺炎のため69歳で死去した。


「仁義なき…」また一人 菅原文太さん、山城新伍さんも
スポニチアネックス 1/24(火) 8:55配信

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「仁義なき戦い」での松方弘樹(C)東映
 
 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの代表作の一つ「仁義なき戦い」シリーズの出演者では、広能組の組長を演じた菅原文太さん(享年81)が14年、江田組組長役の山城新伍さん(享年70)は09年、打本会組長役の加藤武さん(享年86)も15年に死去している。

 山守組組長役の金子信雄さんは95年に71歳で死去。オリジナル5部作すべてのメガホンを取った深作欣二監督は03年に72歳で他界した。

 ▼映画監督・中島貞夫氏(「893愚連隊」、「真田幸村の謀略」など松方さんの主演映画を最も多く手掛けた)がっくりです。私の方が年上なんで、弘樹が若いころから面倒を見るような感じで、節目節目で一緒にやってきた。台本を読み込む能力が高いし、よく体が動いて、本当に役者だった。中村錦之助(=萬屋錦之介)らをそばで見てきたから、豪快なところがあって、“昭和のスター”の生き方を知る最後の世代だと思う。もう1本、映画を一緒にやりたかった。

2017年1月23日 (月)

俳優の松方弘樹氏が死去・2

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

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リンク:「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

目黒祐樹「思い出すのは笑顔だけ」 遺骨は事実婚状態の元女優の元に
スポニチアネックス 1/24(火) 8:50配信

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自宅前で兄・松方弘樹について報道陣の取材に応じる目黒祐樹
 ◇松方弘樹さん急逝

 弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日夜、都内の自宅前で取材に対応し、病床の松方さんの様子などを明かした。

 最後に会ったのは昨年12月10日。目黒が声を掛けると「ほお」「へぇ」「そうか」などと相づちを打ち、その後はほとんど意識がない状態が続いたという。

 松方さんは昨年2月から入院。11カ月にわたって病院で過ごしたが、「本人はこのまま仕事復帰できないとは全然思わなかったと思います。常に明るくて、今も思い出されるのは笑顔だけですね」としみじみ。父親の近衛十四郎さんは63歳で死去。「俺たちも親父の年を超えてしまったなぁ。長生きしような」と話しながら74歳で亡くなってしまった松方さんを、目黒は「少し早すぎますね」と悔やんだ。

 兄として、俳優としてその背中を追いかけてきた。「兄は常に僕よりはるか前を歩いていました。いつか追いつこうと思っていたけど、結局追いつけず、とうとう見えなくなってしまうのかと思うと残念でなりません」と声を詰まらせた。

 葬儀は親族だけで済ませたが、「いずれはお別れの会という形も考えています」と説明。松方さんの遺骨は事実婚状態にある元女優の元にあるといい、「兄をずっと支えていただいて、本当に感謝しております。いずれは両親が眠っている京都にお骨を、と思っています」と明かした。


松方さん追悼 幻の“兄弟共演” 頭髪抜け落ち…「私の体調で迷惑かけられない」
スポニチアネックス 1/24(火) 8:45配信

819
松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの病状については実弟の目黒祐樹さんから度々うかがっていた。それというのも松方・目黒兄弟は近く放送予定の、ある番組で共演することになっていたからだ。番組は昨年11月に収録する予定だったが、目黒さんが入院先の東大病院で会ったとき、頭髪も抜け落ち、対話も滞りがちだったこともあり、延び延びになっていた。12月に入って松方さんからテレビ局に「私の体調で迷惑をかけるのはしのびない」と連絡があり、結局、兄弟共演は実現しなかった。

 目黒さんは松方さんが亡くなった21日、知らせを受けて病院に駆けつけた。「まだ体温が残っていましてね。兄とはいろいろありましたが、たった一人の兄でしたからね」と目頭を押さえた。

 兄弟は、ある事情で30年近く公私にわたって没交渉だったが、3年ほど前に小林旭さん、浅丘ルリ子さんと共演の舞台で、松方さんが「テレビ出演の話があり、舞台に出られない可能性があるので、代役を務めてくれ」と目黒さんに話をして、兄弟仲を取り戻した。

 筆者は50年間にわたって公私で密なつきあいを続けた。松方さんが最初の奥さんと「3億円離婚」した際も、仁科亜季子さんとの再婚も、その亜季子さんとの離婚の時も相談を受けて、それぞれスクープにつなげた。またクレー射撃や北海道でのエゾシカハンティングの良き思い出も。酒を愛し、女性を愛し、趣味にのめり込み、仕事にも没頭した昭和の良き時代の映画俳優がまた逝ってしまった。残念でならない。 (特別編集委員 脇田 巧彦)


松方弘樹さん愛されて死す、事実婚の恋人と闘病1年
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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14年12月、日刊スポーツのインタビューで笑顔を見せる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。昨年2月から闘病していた。葬儀はこの日、近親者で行った。入院中も復帰を目指してリハビリに取り組んでいたが、かなわなかった。

【写真】79年11月、松方弘樹さんと結婚した仁科明子

 松方さんは21日、都内の病院で静かに息を引き取っていた。みとったのは、20年にわたり同居し、事実婚の関係にあった元女優山本万里子さん(44)と親しい関係者の3人。弟の俳優目黒祐樹(69)は間に合わなかった。死去は極秘にされた。23日、都内の斎場で山本さんや親族、親友の俳優梅宮辰夫(78)ら十数人が参列して葬儀が営まれた。全て遺志によるもので、終了後、報道各社に訃報が伝えられた。後日「お別れの会」を行うことを検討中で、遺骨は父で時代劇スター近衛十四郎さんら両親が眠る京都の目黒家の墓に納骨される。

 昨年2月初め「体全体がしびれる」「腕に力が入らない」と体調不良を訴えた。検査を受けたところ脳に黒い影があると判明。別の病院で開頭して生体検査を行い、「脳リンパ腫」と診断されて入院し、長期療養に入った。手術できない状態で、放射線治療や抗がん剤治療を行い、同年秋に復帰を目指した。病室では万里子さんが付きっきりで看病した。84年に松方さんとの間に男児を出産した歌手千葉マリア(67)や、98年に離婚した元妻の仁科亜季子(63)が面会を希望しても断った。仲の良かった芸能界の友人も同様だった。病室を訪れるのは元マネジャーら関係者に限られ、動静が伝えられることも少なかった。

 入院から半年後に脳梗塞を起こし、治療も一時中止した。その後、治療を再開したが、脳梗塞を何度も起こしリンパ腫も進行した。入院当初は病室で大好きなカツサンドを取り寄せて食べたり談笑もしたが、年末には言葉も出なくなった。意識が混濁することも多く、容体は一進一退が続き、危篤状態になったこともあった。それでも病室では大好きな大相撲のテレビ中継が流れ、亡くなる前日20日も中継に耳を傾けていた。

 近衛十四郎さんの長男で、17歳だった60年に映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズや「真田幸村の謀略」などの映画に主演し、NHK大河ドラマ「勝海舟」をはじめ「名奉行 遠山の金さん」などの時代劇ドラマに主演した。明るいキャラクターでも親しまれ、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にも出演した。

 私生活では79年に仁科と結婚したが、不倫交際していた千葉が男児を出産して世間を騒がせた。さらにドラマ「HOTEL」の共演で知り合った万里子さんとの交際が明らかになると、仁科と離婚した。

 マグロ釣りが趣味で、一昨年5月に沖縄・石垣島周辺で自己最高361キロのマグロを約6時間半の格闘の末に釣り上げた。

 仕事も趣味も愛した、昭和を代表するスターは、豪快な人生の幕を静かに下ろした。

 ◆仁科亜季子のコメント このたびの訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子どもを授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。合掌。

 ◆千葉マリアのコメント お見舞いにうかがいたかったけど、本人が姿を見せたくないということだったので心の準備はしていました。最後に会ったのは子供が小さい頃ですから二十数年会っていません。格好良く生きた人だと思います。皆さんに愛されて幸せな人生だったと思います。私は感謝しています。

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき)1942年(昭17)7月23日、東京都生まれ。父は俳優近衛十四郎、弟は俳優目黒祐樹。60年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズに出演。ドラマは「名奉行 遠山の金さん」「HOTEL」など。85年から日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演しバラエティーでも人気に。元モデルと離婚後、79年に女優仁科亜季子と再婚。仁科克基、仁科仁美をもうけるが、98年に離婚。

 ◆脳リンパ腫 中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもの。悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気。発症は60歳前後の高齢者が最も多い。脳にあるため、リンパ腫を切り取る手術はほとんど行われず抗がん剤投与などの投薬治療が一般的。症状としては手足のまひや感覚障害、おう吐などがあり、進行も早い。


京都中に人脈「全部俺につけて」電話/松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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98年3月、日刊スポーツのインタビューに応じる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さん主催の花見に招かれたのは、90年代半ば、プロデュースも兼ねた「蔵」の取材で訪れた東映京都撮影所だった。

 撮影所近くの空き地に紅白幕が張られ、京都指折りの名店が屋台を並べた。舞妓(まいこ)さんの姿もあった。

 バブル景気が記憶に新しい頃だったが、この日だけのしつらえ、全てが松方さんのポケットマネーと聞き、勝新太郎さんに負けない気前の良さを実感した。

 うたげは日が高いうちから始まったが、当の松方さんは映画の衣装のまま「どうぞ、ゆっくり楽しんで下さい」と軽くあいさつすると姿を消した。そんなところも、粋に見えた。近くのオープンセットでは撮影が続けられており、その場にいたのは、スポンサー関係や劇場関係者ばかりだった。

 約2時間余り、松方さんの負担で飲み食いを続けるのもさすがに気が引けたので、気の知れた宣伝スタッフが行きつけというスナックに場を移した。だが数分もたたないうちに、店に松方さんから電話が入る。「全部俺につけて」。スタッフも意地になり、隠れ家風のところばかり、その後2軒回ったと記憶しているが、いずれも時を置かずに魔法のように松方さんから電話が入った。

 京都中に張り巡らされた人脈に驚かされた。最後の昭和スターのきっぷと気配りはけた違いだった。【相原斎】


松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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79年、結婚披露宴で仁科明子(亜季子)と笑顔の松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さんは「映画スター」の印象が強いが、歩みは一筋縄ではいかない。10代半ば、歌手志望だった。一緒に歌を学んだのが五木ひろし。その歌声を聞くうちに自信を失い、父に連れていかれた東映で俳優人生をスタートした。

 ライバルといわれた北大路欣也が東映のスター候補生として王道を歩んだのに対し、69年から2年間、ライバルの大映にレンタルされた。急死した市川雷蔵さんの穴埋めを期待されてのことだったが、大映が傾くと倒産寸前の71年に東映に復帰。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで敵役・悪役として存在感を示し、芸域を広げた。二枚目の北大路に対し、二枚目半の幅広さが定着した。90年代からはプロデュースにも関わり、主演も兼ねた「首領(ドン)になった男」は3億5000万円の借金をして製作。2億円余りの利益を残したが、出資者らをチャーター機に誘い、ハワイや台湾を旅行して豪快に使い切った。

 85年にスタートしたバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「大物スター」の意外な一面が笑いを呼んだ。細長く畳んだハンカチの端を両手でつまみ、額の汗を拭く独特のしぐさや、頭に抜けるような高い笑い声でお茶の間の人気者になった。

 時代劇俳優の近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんとの間に長男として生まれ、弟は俳優目黒祐樹。最初の妻は元モデルの夏子さんで長男・目黒大樹の他に2女がいる。2度目の妻となった仁科亜季子との間に克基、仁美をもうけた。

 仁科との交際も不倫関係から始まった。仁科の父、歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが激怒する騒動となり、仁科は不倫発覚の77年に芸能活動を休止。2年後、松方さんとの結婚を機に引退した。仁科は離婚後、99年に芸能界復帰した。離婚のたびに多額の慰謝料を支払い、身ひとつから再起するのが「松方スタイル」だった。

 趣味の釣りは父親譲り。父と同じヘラブナ釣りからスタートしたが、近年はマグロ釣りで注目され、山口県萩市で実行委員を務める大会で08年に305キロ、09年に325キロのクロマグロを釣り上げている。


弟の目黒祐樹「自分の心に正直な人」松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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涙をこらえながら兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 松方弘樹さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅前で取材に応じた。俳優としても尊敬していた兄の死を「まだ実感が湧かない。自分の心に正直な人だった」と悼んだ。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 目黒は葬儀を終えて帰宅後、取材に応じた。「2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活において、皆さまにはお世話になりました。ありがとうございました」と一礼した。

 みとることはできなかったが、約2時間半後に病院に着いた。「まだぬくもりが残っていて『オイッ』って目を開きそうだった。やせていたけど、安らかでいい表情をしていました。まだ実感がなくて徐々に寂しさが湧いてくるのかな」。

 昨年2月の入院以降、見舞いに数回訪れた。「何万人に1人というくらいの難しい病気。放射線や投薬治療をしていて手術は難しかった。本人にはそこまで深刻とは伝わっていなかったかも。でも常に前向きな人なので、仕事に復帰したいという気持ちは強く持っていた」。最後に会ったのは昨年12月10日。自分の言葉に「おお」「そうか」と反応していた。それ以降は、少し元気になったり、会える状態の時に連絡が来るはずだったが、かなわなかった。

 兄として俳優として「背中が見えないくらい常に僕のはるか前を行っていた」と尊敬していた。「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人だったので、周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました」。

 父の近衛十四郎さんが63歳で亡くなっており、兄弟で父の生きた年齢を超えた際「2人で長生きしよう」と話し合っていた。「まだ逝くのは早いじゃないかと思う。変な話ですけど『向こうでも元気でな!』という気持ちです」と語る目は真っ赤だった。


松方弘樹さん死去 74歳 「仁義なき戦い」「遠山の金さん」
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去していたことが23日、分かった。74歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。昨年2月に入院し、闘病していた。

 昭和17年、俳優の近衛十四郎さんと女優、水川八重子さんの長男として生まれた。35年に東映に入社し、「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。「昭和残侠(ざんきょう)伝」シリーズなどの任侠映画や時代劇で活躍し、48年の深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズで強い印象を残した。

 NHK大河ドラマ「勝海舟」(49年)をはじめテレビ出演も多く、バラエティー番組にも出演した。

 54年に女優の仁科明子(現亜季子)さんと再婚したが、その後離婚。仁科さんとの間に、タレントの仁科克基さん(34)と仁科仁美さん(32)をもうけた。弟は俳優の目黒祐樹さん(69)。

                  ◇

 ■仁科亜季子さんの話

 仁科亜季子さんの話「このたびの、訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」


松方弘樹さん死去 やくざ役・バラエティー…多方面で活躍
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 鋭い眼光と役を離れた際の柔和な笑顔-。脳リンパ腫で死去した俳優の松方弘樹さんは「仁義なき戦い」など東映のやくざ映画に数多く出演し、男性的な役柄を得意とした。一方、バラエティー番組では気さくで明るい一面を見せた。

 チンピラを鮮烈に演じた「893愚連隊」(昭和41年)の中島貞夫監督は「台本を読み込む能力が高く、よく体が動いた。“昭和のスター”の生き方を知る最後の世代だと思う」とコメントした。

 代表作の映画「仁義なき戦い」で共演した渡瀬恒彦さんは「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」。北大路欣也さんは「仕事への情熱、夢と冒険、エネルギッシュに前進し続けた」と松方さんをしのび「さよならは言いたくない。また会おう」との言葉を贈った。

 「仁義なき戦い」では組長に反乱を起こす幹部役を熱演。菅原文太さん演じる主人公におびえきった本性をさらけ出す場面などで強い印象を残した。

 「育ちの良さから表れる甘さと戦後社会に生きる若者の荒々しい野性味を併せ持つ演技が特徴的」と映画評論家の白井佳夫さん。同シリーズでは役どころを変えて何度も出演し、好演を見せた。

 平成15年には「OKITE やくざの詩」で初監督を務め、「60歳で監督になるなんて。本当に幸せです」と話していた。

 テレビのバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(昭和60年、日本テレビ系)などでは、笑い上戸で甲高い声で陽気に話す意外な一面を見せ、人気を集めた。

 また、マグロの一本釣りを趣味とし、300キロ超のマグロを釣り上げるなどして、「だからマグロはやめられない」と語り、筋金入りの釣りマニアぶりを見せた。


松方さん元妻・仁科亜季子「本気で愛した方」克基「15年以上も会えないまま」
スポニチアネックス 1/24(火) 7:01配信

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仁科亜季子(左)と仁科克基

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)は所属事務所を通じファクスでコメントを発表した。「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と悼んだ。

 また、仁科亜季子との間の息子で俳優の仁科克基(34)は「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心からご冥福をお祈り致します」とつづった。


仁科亜季子、松方さんと20年以上ともに歩み「本気で愛した方」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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松方さんと20年連れ添った仁科亜季子は元夫の訃報を悼んだ(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。

 松方さんの訃報に1998年に離婚した元妻の女優、仁科亜季子(63)は書面でコメントを発表し、「本気で愛し、二人の子供を授かり、二十年以上もともに歩んで参りました方。今は安らかにお休みくださいますよう心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 松方さんが前妻の夏子さんと結婚していた74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」の共演で出会い、77年に不倫が発覚。78年に離婚した松方さんと、翌79年に結婚した。略奪愛で結ばれたが、98年には松方さんと元女優、山本万里子さん(44)の不倫が発覚。今度は略奪されて同年に離婚した。それでも、20年連れ添った元夫との別れを悼んだ。

 松方さんと仁科との長男で俳優、仁科克基(34)もコメントを寄せ、「最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかった」と追悼した。15歳の時に両親が離婚してから松方さんに会っておらず、2011年に元妻の女優、華子(28)とグアムで挙式した際には声をかけないなど確執は深かった。

 ただ、関係者によると、昨年2月に報道で父の病を知ってからは心配で、知人を介して松方さんの容体を聞いていた。21日の父の死去を知らず、訃報が流れた23日はいてもたってもいられず、入院先の病院に足を運んだ。妹のタレント、仁科仁美(32)に長男(1)が誕生してから父の存在の大きさを実感していた克基は「偉大で大変尊敬する役者でした」としのんだ。


目黒祐樹、松方弘樹さんと「『俺らは長生きしような』って言っていたのに…」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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苦渋の表情を浮かべながら松方弘樹さんの闘病生活を明かした実弟の目黒祐樹=東京・世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優、松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。最先端医療で知られる大学病院に入院しながらも、放射線治療と投薬治療のみで手術が難しい症状だったと振り返り、「仕事に復帰したいという意欲を強く持っていた」と告白。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「本気で愛した方でした」としのんだ。

 公私にわたり支え合ってきた兄の死に、弟は悲しみをあふれさせた。

 松方さんの訃報を受けて同日夜、自宅前に集まった約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔でした」と報告した。

 松方さんは内縁の妻、万里子さん(44)と事務所関係者らの3人に看取られたといい、「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』と目を開けそうでした。体は痩せていたけれど、顔は安らかでいい表情でした」と明かした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっとつらいときかな」と話したという。

 「何十万人に1人くらいの難しい病気だった」とし、最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていたという。脳梗塞を併発し、帰らぬ人となったが、「11カ月間ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので、仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年を越えたとき『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 報道陣が思い出を尋ねると、「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で、周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい…」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄をしのんだ。


松方弘樹さん追悼番組、25日深夜からスカパー!で放送
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。

 松方さんの死去を受け、スカパー!が追悼番組を放送することが23日、同局から発表された。25日深夜1時40分からBS日本映画専門チャンネルで「強盗放火殺人囚」(1975年)を放送するのを皮切りに、「大江戸捜査網」シリーズ8本(ホームドラマチャンネル)や「巨大マグロ伝説2009 洋上の激闘」(チャンネルNECO)など計15作品を2月28日まで放送する。


松方弘樹さん死す…“豪快人生”恋、酒、マグロ一本釣り
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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豪快な海釣りと華麗な女性遍歴、酒豪で知られた松方さん。2000年末からは医者の勧めで節酒に努めた(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。この日、密葬が営まれた。昨年2月に入院し、30歳下の内縁の妻(44)が懸命な看病をしていたが…。昭和のスターがまたひとり、天に召された。

 1年前は元気だった豪快なスター俳優が、ひっそりと息を引き取っていた。

 松方さんは昨年2月8日に歌の公演に出演した際、頭痛などを訴えて入院し、エックス線検査で脳腫瘍の疑いが判明。公演を降板して主演舞台も中止となり、3月2日に所属事務所から脳リンパ腫と発表された。患部が脳幹近くで手術ができず、放射線と抗がん剤治療を受け続けた。

 一時は患部も消えかけたが、3度目の脳梗塞を併発した昨秋、抗がん剤が使えなくなり、再び脳リンパ腫が拡大。昨年末から点滴で栄養を補給していたが、意識は混濁し、釣り仲間の俳優、梅宮辰夫(78)が12月中旬、見舞いに訪れたときはほとんど会話ができなかったという。

 今月12日には高度な治療を受けるため転院予定だったが、容体が悪く周囲は断念。しかし、内縁の妻で元女優、山本万里子さん(44)が中心となり、懸命な看病をしてきた。23日夜に会見した実弟の俳優、目黒祐樹(69)は「パートナーの女性(万里子さん)と事務所スタッフらの3人が看取ったようです」と明かした。23日に近親者のみの密葬が東京・町屋斎場で営まれた後、松方さんの死が公になり、後日お別れの会が開かれることも発表された。

 松方さんは1942年、俳優の近衛十四郎と女優、水川八重子の長男として生まれた。高校時代の60年に映画「十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。73年の深作欣二監督「仁義なき戦い」に始まるやくざ路線では、あくの強い暴力団幹部を熱演した。

 テレビドラマでは、74年、病気降板した渡哲也(75)に代わってNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「名奉行 遠山の金さん」などでも主演したほか、映画「OKITE・やくざの詩」では監督を務めるなど製作側としても活躍した。

 男くさい俳優として株を上げる一方、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では、照れ屋な一面を見せて親しまれた。趣味の釣りでは2009年、山口県沖で325キロの特大マグロを釣り、東京・築地市場でセリにかけられ437万1000円で落札されて話題となった。

 華やかな女性遍歴も注目を浴びた。1967年に元モデル、夏子さんと結婚したが、78年に当時としては破格の総額3億160万円の慰謝料を支払うことで離婚が成立。夏子さんが引き取った3人の子供の養育費を15年間支払うと伝えられた。

 翌79年に不倫関係を乗り越え、歌舞伎俳優、故岩井半四郎の次女で女優、仁科亜季子(当時・明子、63)と再婚し、1男(俳優の仁科克基、34)1女(タレントの仁科仁美、32)をもうけた。ところが、87年には歌手、千葉マリア(67)との間に隠し子が発覚し、仁科の要請でパイプカットしたことも告白した。

 91年には仁科が子宮がんにかかったが、98年に万里子さんとの不倫が発覚。松方と仁科は同年12月28日に離婚した。その後は万里子さんと籍を入れることなく18年間、連れ添った。仕事に釣りに女性たちに、熱い情熱を注いだ一生だった。

 松方さんの遺骨は万里子さんの元にあり、四十九日を経て、同じ昭和のスターだった父母の眠る京都の墓に入る。


「松方伝説」酒も遊びも奔放人生 自腹1000万円打ち上げ 超巨大マグロ一本釣り
スポニチアネックス 1/24(火) 6:35配信

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361キロのマグロを釣り上げ、仁王立ちする俳優の松方弘樹(2015年撮影)

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんは昭和のスターらしく遊びも酒も豪快だった。とりわけ趣味の釣りはプロ級の腕前。一昨年5月には石垣島周辺で自己最高を10キロ更新する361キロのマグロを約6時間半の格闘の末、釣り上げた。このマグロは寿司チェーン店「すしざんまい」が184万8000円で落札。松方さんのマグロの握り約1万2000貫を求めて都内各店に大行列ができた。

 釣り歴は50年以上。米ボストン沖で約400キロの大物を釣り上げたこともあった。毎年のように参加していた「萩クロマグロトーナメント」(山口県萩市)では08、09、12年の3度優勝。「役者も真剣だけど、マグロはもっと真剣よ」と公言し、体力が必要なマグロ釣りに備え日ごろから体を鍛えていた。親友の梅宮辰夫(78)や14年に亡くなった菅原文太さんと世界中の海で釣りをする番組はお茶の間の人気となっていた。

 芸能界きっての酒豪としても知られた。父親の近衛十四郎さんが大酒飲みだった影響で当初は酒嫌いだったが、映画界で先輩俳優に強要されているうちに酒に強くなったという。最盛期には自ら「毎日、ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升は飲んだ」と明かしたほどでドラマ出演時に控室の外まで酒瓶を並べていたという逸話も残っている。ただ、還暦前の00年に医師から「血液がドロドロでこのままでは長生きできない」と言われ禁酒していた。

 お金の使い方も派手で初製作した映画「首領になった男」(91年)の打ち上げでは1000万円以上、自腹を切ってハワイ旅行。別の作品の打ち上げで行った金沢では3日で970万円使った。

 女性関係もド派手だった。“自称800人斬り”だったが、周りから問われると「それは誤解。1年分だ」。10代で童貞を喪失した時は母親に報告するなど“純真”な性格でもあった。浮気癖がひどすぎたことで2人目の妻である女優仁科亜季子から命じられてパイプカットした。現在事実婚の元女優との不倫が98年に発覚し、仁科とも離婚。会見では「2度離婚するくらいですから亭主には向いてないですねえ」と頭を下げる場面もあった。

 多くの人に愛され、豪快な生きざまを貫いた人だった。


松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念
スポーツ報知 1/24(火) 6:09配信

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90年、インタビューに答えた松方弘樹さん

 スター俳優に上り詰めた松方だが、志願して俳優になったわけではない。16歳時に単身上京したのは「歌手になりたい」の一念から。しかし、作曲家・上原げんと氏のもとで修業するも半年で夢はついえる。少年・松山まさるの天才的な歌のうまさに圧倒されたからだ。後の五木ひろしのことだ。

 「華のある俳優」として一番勢いがあったのは京都に住んでいた30、40代のころ。父は時代劇俳優の中でも、最も迫力ある立ち回りで刀さばきを見せた近衛十四郎さん。偉大な父親を持つと、比較されたくない気持ちから、親の話題を避ける人が多いが、松方は違った。

 あれは20年以上も昔。松方と亜季子さんが離婚する前、長崎・雲仙普賢岳に夫婦そろっての取材会があった。元夫人は「息子は将来、パパみたいになりたいって言ってるのよね」と話していた。そんな時期もあった。太秦の東映撮影所で取材があれば、親子ほど年の離れた若い記者にも毎回、必ず「僕の父は近衛十四郎という昭和の剣劇スターだったんだけどね」と言い続けていた。父を心から愛し、リスペクトしていた。

 小2で始めた釣りに夢中になるのは、親子でさおを並べたへラブナ釣りが原点。松方の晩年と言えば、400キロ近い巨大マグロを釣り上げたことだ。獲物を釣り上げるために自ら編み出したのはエサの大きさ。10キロをこえるキハダマグロを使っていたという。

 漁師が3キロほどのカツオを使っているのを考えれば、いかに特別か分かるエピソード。そして松方は長年、釣り人生を楽しませてくれたお礼として“マグロ基金”を通じて「砂漠化した海に恩返しがしたい」とも、自著「松方弘樹の世界を釣った日々」で触れていた。やりたいことはたくさん残っていただけに、悔しい思いで生涯を終えただろう。


目黒祐樹、憧れの兄「まだ早い」…松方さん死去
スポーツ報知 1/24(火) 6:08配信

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和服姿で兄の松方弘樹さん(右)とくつろいだ表情を見せる目黒祐樹(1969年)

 松方さんの実弟で俳優の目黒は23日夜、都内の自宅前で取材に応じ、気丈に亡き兄への思いを語った。兄として俳優として「常に僕のはるか前を、背中が見えなくなるぐらい走り続けてきた人。追いつきようがなかったし、とうとう追いつけなくなってしまうのかなと。それが一番残念」と視線を落とした。

 病院に駆け付けたときは、すでに息を引き取っていた。亡くなって1時間半後に松方さんのマネジャーから連絡を受け、病院に到着したのは、それから1時間後だった。「とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちを致しましたので、それがせめてもの救い。触るとかすかにぬくもりが残っていて『おいっ』って、パチッと目を開きそうな感じでした」。11か月の苦しい闘病生活を見てきたからこそ、安らかな表情に安堵(あんど)した。

 密葬を終えても、まだ兄の死を受け止め切れていない。「実感はない。徐々にさみしさが、自分の中にわいてくるんじゃないか。底抜けに明るい笑顔が忘れられない。変な言い方だけど、元気なイメージしかない。そのままの元気さを向こうに持っていってもらいたい」。74歳で旅立った兄に語りかけた。

 1977年、父・近衛十四郎氏は63歳で亡くなった。目黒も70歳を目前にする。「僕たち兄弟が、父親の年を超えてしまったときに『俺たちもオヤジの年を超えたんだから、2人で長生きしような』って兄貴が言ってた。あんなこと言っていたのに、まだ早いじゃないかと…」。5年ほど前に兄と交わした会話が、今となって鮮明によみがえる。

 兄弟げんかも多かったが、憧れの兄だった。「自分に正直に生きたんじゃないかと思う。優しさも本当にたくさん持っていた。多くの方が『憎めない』という表現で、うちの兄のことを言って下さった。弟としては、うれしくもあり、悔しくもあり。かなわない。もっともっと学びたかった」。もう、その思いはかなわない。


仁科亜季子、松方さんへの思い届かず
スポーツ報知 1/24(火) 6:06配信

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79年、仁科亜季子との婚約会見に出席し肩を抱く松方弘樹さん

 1998年に松方さんと離婚した女優の仁科亜季子(63)と息子の俳優・仁科克基(34)は23日、葬儀には参列しなかったが、それぞれマスコミ各社にファクスでコメントを寄せ、別れを悲しんだ。松方さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日、都内で会見。人生の、そして俳優の先輩である松方さんの死に「ついに追いつけなくなった」と肩を落とした。

【写真】息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」

 20年近く前に家族としての絆が切れながらも、松方さんとの間に2人の子供をもうけた亜季子にとって、訃報は衝撃であり、悲しみでもあった。

 この日、マスコミ各社にファクスを送付。「この度の、訃報を聞き大変驚いています。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。 合掌」とのコメントをしたためた。ドラマの共演で知り合った当時は松方さんは元モデルと結婚しており、不倫の末の“略奪婚”だったが、79年から98年に離婚するまでの蜜月を振り返った。

 松方さんが病魔に倒れた後の昨年7月、出演舞台の会見で取材陣に病床へのメッセージを問われると「早く良くなっていただきたいです。明日は(松方さんの)誕生日なんです」と回復を祈っていた亜季子。その願いは届かなかった。

 一方、息子の克基もファクスで「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」としのんだ。松方さんとは15年以上会っていなかったそうで、2011年に女優・多岐川華子(28)と結婚(12年に離婚)した際の披露宴にも松方さんは出席しなかった。病気もニュースで知ったという。

 テレビに出演した際には「俳優としてはすごく好きだが、父親としてはあまり好きではなかったりする」と複雑な心境を吐露していたこともあったが、「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」。親子として語らうことができなかったことを悔やんでいる様子だった。


波乱万丈昭和のスター・松方弘樹さんの仁義なき戦い人生「完」
スポーツ報知 1/24(火) 6:05配信

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映画、テレビドラマ、バラエティー番組と多方面で活躍した松方弘樹さん(1976年撮影)

 映画「仁義なき戦い」などで知られる人気俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため死去したことが23日、分かった。74歳だった。所属事務所によると、この日、弟で俳優の目黒祐樹(69)ら近親者による密葬が営まれた。お別れの会などは未定。昨年2月に不調を訴え入院し、3月に病名を公表。事実婚状態の元女優・山本万里子さん(44)が常に付き添い、11か月にわたり闘病生活を送っていたが、帰らぬ人となった。

 昭和を代表する俳優が、この世を去った。

 体の不調を訴え入院したのは昨年2月。3月には病名が脳腫瘍の一種である脳リンパ腫(中枢神経系リンパ腫)であることを公表。すべての仕事をキャンセルし、治療に専念していた。

 日本での発症率は10万人に1人とも言われる非常に珍しいがんで、腫瘍が脳内にあり手術は難しく、放射線治療と抗がん剤治療が中心。山本さんと事務所スタッフが付きっきりで看病し、闘病生活を送っていた。

 この日、都内で取材に応じた弟の目黒によると、本人にはあえて、深刻な状況だとは伝えていなかった。松方さんは持ち前の前向きな性格もあって、仕事復帰を目指していたという。所属事務所によると、12月になって病状が進行。目黒は12月10日ごろに病室を見舞ったが、声をかけると「ほ~」、「へ~」などと相づちを打ち「今がつらいときかな」と漏らしていたという。

 年が明けると症状が悪化し「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態」(事務所関係者)の日々が続いていた。亡くなる3日ほど前まではしっかりと意識があったそうで、前日にもラジオの相撲中継を聞いていたという。21日午前、静かに息を引き取った。山本さんら近親者が最期をみとったという。

 俳優の近衛十四郎、女優の水川八重子の間に生まれ、60年に東映入り。映画「仁義なき戦い」シリーズや、テレビドラマ「名奉行 遠山の金さん」など、任侠(にんきょう)映画や時代劇で活躍し、200本近い映画に出演した。

 俳優として活躍する一方、1985年からは日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!」にレギュラー出演。二枚目俳優のイメージとは違ったひょうきんで明るい一面も見せ、人気の幅を広げた。

 釣りが大の趣味。15年5月には沖縄・石垣島周辺で361キロの巨大クロマグロを釣り上げる快挙を成し遂げた。船ごと大きく揺さぶられる苦境に耐え、6時間半も格闘するなど趣味の域を超え、70代とは思えないエネルギッシュさを見せていた。

 私生活では68年にモデルと結婚し3人の子供をもうけたが、74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と不倫。ドロ沼の離婚交渉の末、78年に最初の妻と離婚したが、当時で3億円もの慰謝料を払ったことが話題を呼んだ。

 79年に仁科と再婚。仁科との間に俳優の仁科克基(34)、女優の仁科仁美(32)と2人の子供をもうけたが、98年、今度は山本さんとの不倫が明らかになり、同年末に仁科と離婚した。

 晩年まで、手術を必要とするような大病に縁はなかった。「一晩でウイスキーやブランデーを2人で5本空ける」と豪語するほどの酒豪で知られ、昭和のスターらしく、後輩やスタッフを連れ、自腹で何軒も飲み歩く豪快さも大きな魅力だった。

 2014年11月10日には高倉健さん(享年83)が、同28日に菅原文太さん(享年81)が死去。昭和のスターがまた1人、天国に旅立った。

 ◆松方 弘樹(まつかた・ひろき)本名・目黒浩樹。1942年7月23日、東京都生まれ。父は俳優の近衛十四郎、母は女優の水川八重子。明大中野高3年在学中の60年に東映に入社し、同年の映画「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。その後、時代劇スターとして「人形佐七捕物帳」、「名奉行 遠山の金さん」などに出演したほか、73年の映画「仁義なき戦い」など仁侠映画にも多数出演する。また85年からスタートした「天才・たけしの元気が出るテレビ!」でバラエティーにも進出。趣味の釣りでも知られ、2015年5月には自己最高となる361キロのマグロを釣り上げた。


松方弘樹さん、お騒がせ私生活 隠し子騒動、パイプカット告白…離婚も2度
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

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1991年5月、舞台挨拶で亜希子夫人(左)と子どもたちに囲まれ。右端は山城新伍さん

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日に亡くなっていたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】松方さんの末娘は未婚の母に…「ドンドン肥えてる」と実兄が近況報告

 数々の豪快伝説を残した、お茶目な「昭和のスター」が逝った。波乱の人生の最期を見送ったのは、18年間、事実婚状態で松方さんを支え続けた、元女優・山本万里子さん(44)だった。2人は1998年秋に当時の妻だった女優・仁科亜季子(63)に不倫関係を暴露された。その仁科も、3年間の不倫の末、79年に略奪婚した立場。1人目の妻との3億円の離婚慰謝料、隠し子騒動など、プライベートでも波乱に満ちた74年の生涯だった。

 東映出身。弟の目黒祐樹(69)も俳優で「お兄ちゃん」と呼ばれ、スタッフから愛された。とにかく豪快。現場では気持ちの波がない人で、スタッフを決して怒らなかった。話もうまく、常に人を楽しませる。待ち時間には鼻歌を歌い、にこにこと笑顔を浮かべていた。

 「撮影に関わったスタッフは、下(若い人)から上まで満遍なくみんなごちそうになった」(関係者)。松方主催の宴(うたげ)は、時に100人を超えるほどだった。ブランデーが大好きで、豪快に飲む。そして、共演者やスタッフに飲ませまくった。撮影の野次馬にも愛想がよかった。とにかく愛された人だった。

 プライベートは波瀾(はらん)万丈。1度目の結婚相手、夏子さんとは1男2女をもうけたが、77年に仁科と松方が同棲を始め、78年6月に離婚が成立。79年3月に仁科と入籍した。離婚の慰謝料は3億円。当時、“芸能界最高額の離婚慰謝料”と話題になった。

 82年9月には仁科との間に長男・仁科克基(34)、84年11月には長女・仁美(32)が誕生したが、87年10月には歌手・千葉マリアとの間に2歳になる隠し子が発覚し、松方さんが会見。公になる約2年前に当時の妻、仁科にバレて激怒され、「すぐパイプカットされてしまった」と衝撃の“パイプカット”告白をした。隠し子(男児)については認知せず、経済的援助をすることで決着した。

 隠し子も含めて子供は6人。克基は15年に出演したテレビで「弟は1回も会ったことない」と話していた。

 隠し子騒動も乗り越えた仁科との結婚だっったが、山本さんとの不倫関係が原因で、98年12月末に離婚。仁科は週刊誌に2人の不倫関係を暴露し、95年秋には睡眠薬を飲んで自殺を図ったことも明かした末の壮絶な離婚劇となった。


松方弘樹さん死す 昭和の名優がまた… 葬儀に弟・目黒、梅宮辰夫らが参列
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日午前11時26分に東京都文京区の病院で亡くなっていたことが23日、分かった。74歳。葬儀は近親者で行い、弟の俳優・目黒祐樹(69)、親交の深い俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。昨年2月に脳リンパ腫と診断されてから闘病しており、入院中の同年3月には脳梗塞も発症。関係者によると、マヒなどの影響が残り、体重も約20キロ減少していたという。

【写真】親友の山城新伍さん、亜希子夫人と幼い克基、仁美ら子どもたちに囲まれ満面の笑みの松方弘樹さん

 豪快な昭和の名優が、また1人旅立った。

 松方さんは昨年2月13日に体調不良を訴え、都内の病院に入院。3月以降のコンサートや6月開催の舞台をすべてキャンセルした。検査の結果、3月2日に脳リンパ腫であることが判明。症例の極めて少ない悪性腫瘍の難病で、10万人に1人の発症率とも言われている。手術による全摘出はほぼ不可能とされ、放射線治療や抗がん剤の投与で秋口の復帰を目指していた。

 だが、3月ごろに脳梗塞を発症。影響で右半身がマヒし、ろれつが回らなくなるなどの影響があったという。脳梗塞は計3度起こったとする報道もある。関係者によると、治療のかいあってリンパ腫は小さくなったが、入院前に約70キロだった体重は50キロ台まで減少していたという。

 最近は目黒、梅宮や18年間連れ添った事実婚の元女優・山本万里子さん(44)、個人マネジャーなど、極めて近い人物以外には面会を拒否していたという。

 松方さんは時代劇俳優だった近衛十四郎さんの跡を継ぎ、17歳でデビュー。映画「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」シリーズなどで、迫力あるこわもての俳優として存在感を発揮した。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をすべて演じるなど、時代劇でもカリスマ性と説得力を持った押し出しが魅力だった。

 業界きっての酒豪として知られ、飲み屋での伝説は数知れず。趣味の釣りは素人の域を超え、梅宮と2人で釣り番組を持ったこともある。マグロの一本釣りを楽しみ、300キロ超の大物と格闘しては、400万円以上の値をつけ、ニュースになった。

 一方、85年にスタートした日本テレビ系バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にレギュラー出演した際には、映画やドラマでのイメージとは違った“親しみのある面白いおじさん”として新たな一面を開拓。ファン層を広げた。

 私生活では2度の結婚と離婚を経験。2人目の妻となる女優の仁科亜季子(63)とは当初、不倫関係だった。愛人との間に隠し子が明らかになるなど、女性関係でも世間を騒がせた色気のあるスターだった。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん送り沈痛「常に前向きな人でした」
デイリースポーツ 1/24(火) 5:00配信

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 松方弘樹さんの実弟で俳優の目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。松方さんの葬儀は近親者のみで行われ、弟で俳優の目黒祐樹(69)、親友の俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。

 最期をみとることはできなかったという目黒は23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じ、「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたので、それがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情でコメントした。

 志半ばで天国へ旅立った兄の心情を、同じ俳優としても思いやった。「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います」。難病の脳リンパ腫の治療中に脳梗塞を発症。体重も激減した松方さんだったが、芝居への意欲は失わなかった。

 幼少期から、松方さんの背中を追い続けてきた目黒は「常に前向きな人でしたから、このまま仕事に復帰できないということは、あまり考えてなかったんじゃないですかね」と肩を落とした。

 松方さんが闘病していた昨年6月、都内で行われた映画の舞台あいさつに登壇した目黒は「(兄は)様子を見ている段階です」と話すにとどまり、容体に詳しく触れることはなかった。


仁科克基 父・松方弘樹さん死去 15年以上も会えないままの別れになった
デイリースポーツ 1/24(火) 0:02配信

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仁科克基

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。息子で俳優の仁科克基が23日、TBS系「ニュース23」に談話を寄せた。

 「15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかったです」。


目黒祐樹、兄・松方弘樹さんを偲ぶ「思い浮かぶのは底抜けの笑顔」
サンケイスポーツ 1/23(月) 23:26配信

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囲み取材に応じる弟で俳優の目黒祐樹=東京都世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優の松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。

 約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番、「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちました」と語り、故人の意向でこの日、近親者で密葬を済ませたことを報告した。

 松方さんは20年来のパートナーと事務所関係者ら3人に看取られたといい、「苦しみもせずに穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』とパチッと目を開けそうでした」と回顧。松方さんの遺骨について「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。長男ですから私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」と語り、お別れの会は「これから検討する」とした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっと辛いときかな」と話したという。

 昨年2月から最先端医療で知られる都内の大学病院に入院していたが、「何万人、10万人に1人くらいの珍しい病気で、放射線治療と投薬治療で手術は難しい病気だと。最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていた。11カ月入院していたけれど、常に前向きな人なので仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年をこえたとき、『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 兄との思い出については「数え切れないくらいある。思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄を偲んだ。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん とても穏やかな安らかな顔で旅立った
デイリースポーツ 1/23(月) 23:24配信

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目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じて心境を語った。

 目黒は「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたのでそれがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情。

 また、「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います。常に前向きな人でしたからこのまま仕事復帰できないということは……あまり考えてなかったんじゃないですかね」と言葉に詰まりながら兄の気持ちに思いをはせた。


俳優・松方弘樹さん、脳リンパ腫で死去 74歳
ホウドウキョク 1/23(月) 23:24配信

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(写真:ホウドウキョク)

俳優の松方弘樹さんが、21日に亡くなっていたことがわかった。74歳だった。
松方さんは、10万人に1人ともいわれる脳の病気「脳リンパ腫」を患い、闘病を続けていた。
2016年2月に体調不良を訴え、そのまま入院。
1人で歩くことが困難で、車いすを使用。
言葉も出なくなる状況だったという。
松方さんは1960年、高校3年の時に東映に入社し、その年に主演で銀幕デビュー。
最近では、バラエティー番組にも多く出演していた。


松方さん弟・目黒祐樹「本日、ごくごく身内で見送らせていただいた」
東スポWeb 1/23(月) 22:46配信

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会見した目黒祐樹

 脳リンパ腫のため21日に74歳で死去した俳優・松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)の実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅で報道陣の取材に応じ、兄に死を惜しんだ。

 目黒は沈痛な面持ちですでに密葬を済ませたことを明かした。「本人たっての希望で密葬にしてもらいたいと。(その意向を受け)本日、ごくごく身内で見送らせていただいた。もちろん(松方さんの)子供たちも参列した」

 松方さんの最期を見届けたのは3人だったという。「兄貴と二十数年来、パートナーとして一緒に過ごしていると女性と事務所関係者、面倒を見ていた人に看取られたと聞いている。苦しみもせず穏やかに眠るように逝ったと聞いている」と話した。

 遺骨については「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」。お別れの会は「これから検討する」とした。

 目黒は死去した直後になきがらと対面。「体はずいぶん痩せていたけど、顔はすごくいい表情をしていた気がする」と語った。

 病気は昨年2月に発覚した。「(闘病は)11か月に及んだんじゃないですかね。放射線治療と投薬と聞いている。手術の難しい病気だと」。それでも、本人への告知については「深刻な状態と本人に伝えていなかったのかもしれない」とした。

 目黒が最後に見舞ったのは昨年12月10日で、松方さんの意識ははっきりしていたという。「『今はツラい時かな』とかそういう言葉を発していましたね」と振り返った。

 松方さんに顔がそっくりな目黒は涙をこらえ、兄への思いを語った。


松方弘樹さん死去 まだ体温かく…実弟・目黒祐樹さん「大変驚き」
埼玉新聞 1/23(月) 22:42配信

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、テレビのバラエティー番組でも親しまれた俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京都文京区の病院で死去した。74歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

■残念でなりません/実弟の目黒祐樹さん(69)の話

 訃報を受け病院に駆け付けました。まだ体が温かくて…。兄とは近く放送の番組で共演の予定でしたが、兄の体調不良で昨年12月23日に私単独で収録に臨みました。この番組で兄の体調が回復するようにエールを送りましたが、残念でなりません。よく遊び、仕事も存分にした兄でした。大変驚いています


「松方弘樹さんの死は、日本の漁業界にとっても大きな損失」取材記者が語る
週刊SPA! 1/23(月) 21:40配信

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一本釣りで巨大マグロを釣り上げる松方弘樹さん

 1月21日、入院して闘病中だった俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫で死去。松方さんには入院前、マグロなどの漁業資源保護関係の記事で週刊SPA!に何度も登場いただいていた。その後何度か本誌で漁業資源関係の記事を掲載するたびにメッセージ等を送るも、容態が思わしくないようで、入院後は面会することもコメントをいただくこともかなわなかった。

 本誌は2009年11月22日、山口県萩市の離島・見島で開かれていた「萩クロマグロトーナメント」で、松方さんが300kgを超える巨大マグロを釣り上げ2年連続の優勝をした夜、インタビューを行った。

 その時に同席したのは、松方さんの一本釣りの師匠だった元漁民の佐々木敦司さん。2人はマグロトーナメントの話だけではなく、マグロ資源の危機的状況について語り合ってもいた。

「人間の力だけで釣り上げるマグロ一本釣りは、水産資源に優しい“エコ”な漁法。それに比べて産卵期の魚や小さい魚を根こそぎ獲ってしまう『巻網漁』は、魚の枯渇につながる。日本も、ノルウェーやニュージーランドなど、海外並みの厳しい規制強化をすべきです」と松方さんは語った。

 松方さんと言えば「本職は俳優ではなく、釣り人」というほどの釣り好きで有名だった。釣りの話だけでなく、漁業資源の話になると熱くなるのが印象的だった。

 この問題は松方さんにとって特別のものだったようで、本誌記者は事務所を通さず直接やりとりをしてもらっていた。

「以前のコメントは何度でも使って下さい。漁業資源を守るためには、巻網漁への規制強化は欠かせません」と非常に協力的だったのだ。

「佐々木さんと一緒に、海のエコを考えるシンポジウムに参加したい」と語っていた松方さん。本誌記者が「俳優のレオナルド・ディカプリオさんは、ハイブリッド車に乗って環境問題を訴えています。松方さんは一本釣りで海のエコを訴えているわけですね」と言うと、「そうです」とニコっと笑ってくれた。

 本誌で何度も語ってくれた「魚を守ってほしい」という思い――。しかし、まだ日本では巻き網漁などによる乱獲が続き、実現できていない。松方さんが亡くなられたことは、日本の漁業界にとっても大きな損失で、本当に残念なこと。本誌としてはその遺志を継いで今後も日本の漁業資源について取材を続けていくと宣言するともに、松方さんのご冥福をお祈りするばかりだ。 <取材・文/日刊SPA!取材班>


目黒祐樹「自分の心には正直な人」兄松方さん悼む
日刊スポーツ 1/23(月) 21:29配信

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兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった、俳優松方弘樹さん(享年74)の実弟で、俳優の目黒祐樹(69)が23日夜、都内の自宅前で報道陣の取材に応じた。

【写真】松方弘樹さん死去、昨春に悪性脳リンパ腫 74歳

 目黒は冒頭「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活の中、皆様にはお世話になりました。ありがとうございました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ったのがせめてもの救いだと思っています」とあいさつした。

 松方さん本人の生前の意向で、この日密葬が行われたという。松方さんの最後は、20年来のパートナーとされる女性と、事務所関係者ら3人に看取られたといい「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。(死後2時間半後に病院に駆けつけ)体はやせていたけど、顔は安らかでいい表情をしていました」と明かした。

 目黒が松方さんと最後に会ったのは、昨年12月10日。見舞いに行ったときで、目黒が声を掛けると「おお」「そうか」などと反応していたという。昨年2月から入院していたが「何万人、10万人に1人くらいの難しい病気。放射線治療や投薬をしていて、手術は難しい病気でした。ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので仕事に復帰したいという気持ちは強く思っていたと思います」と話した。

 兄として、俳優として尊敬していた。「数え切れないくらい思い出はありますが、背中が見えないくらい、常に僕のはるか前を行っていた。小さい頃からけんかをしたりいろいろあったけど、まだ実感は…。徐々に寂しさが湧いてくるのかなと思います」。

 また、とにかく明るい人だったといい「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心には正直な人だったので周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。それが弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました。変な話ですけど、向こうでも元気でいてほしい」と目を赤くした。


松方弘樹さん死去 脳リンパ腫のため
シネマトゥデイ 1/23(月) 21:04配信

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松方弘樹さん(写真は2014年に撮影したもの)

 『仁義なき戦い』シリーズや釣り番組などで知られた俳優の松方弘樹さん(本名:目黒浩樹)が21日に亡くなっていたことが明らかになった。74歳だった。所属事務所の株式会社MAREがマスコミ関係者に宛てたFAXを通じて23日に発表した。松方さんは復帰を目指して闘病中だったが、昨年2月から患っていた脳リンパ腫のため帰らぬ人となった。

【写真】2014年に行われたイベントでの松方弘樹さん

 東京都出身の松方さんは、映画『十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ』(1960)でデビュー。故・深作欣二監督のヤクザ映画や、「遠山の金さん」などの時代劇に多数出演し、俳優として確固たる地位を築いた。また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「ダウンタウンDX」などのバラエティー番組で見せたお茶目な一面も愛されていた。「松方弘樹・世界を釣る」と題したドキュメンタリー番組では、盟友・梅宮辰夫とともに世界の海に繰り出して大物のカジキやマグロを狙い、芸能界を代表する釣り好きとして知られていた。

 所属事務所によると、葬儀は生前の本人の意志を尊重して近親者のみですでに執り行っており、お別れ会に関しては関係者と協議中。昭和のスターの早すぎる死を悲しむ声がTwitterなどのSNSに多数寄せられている。(編集部・海江田宗)


松方さん死去に、息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」
スポーツ報知 1/23(月) 20:37配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの次男で俳優・仁科克基(34)が23日、お悔やみのコメントを発表した。

 仁科は、松方さんにとって2度目の結婚となった仁科亜季子(63)との間に1982年に誕生。松方さんと仁科亜季子は98年に離婚、仁科克基の親権は仁科亜季子が持った。

 以下、コメント全文。

 × × ×

 突然の事で、本当で残念で仕方ありません。

 15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。

 最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。

 僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

 2017年1月23日

 仁科克基


松方弘樹さん死去 「15年以上、会えないままの別れに…」息子の仁科克基さん
産経新聞 1/23(月) 20:31配信

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松方弘樹さんの死去を受け、コメントを出した息子で俳優・タレントの仁科克基さん(写真:産経新聞)

 俳優の松方弘樹さんが21日に亡くなったことを受け、俳優・タレントで息子の仁科克基さん(34)が23日、コメントを発表した。

     ◇

 突然のことで、本当に残念で仕方ありません。15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

2017年1月23日

仁科克基


仁科亜季子 松方さんの離婚と父の公認に3年 松方さんと結婚するために待った
デイリースポーツ 1/23(月) 20:29配信

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菅原文太さんの思い出を語る松方弘樹さん=2014年撮影

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「私が本気で愛した人」と談話を出した。松方さんは仁科と結婚するために元妻と離婚をした。仁科との婚約当初を振り返る。

 2人が婚約を発表したのは1979(昭和54)年。仁科は当時、彰子と名乗っており、松方さんは「これでやっと彰子を太陽の下に出せます」と“日陰の存在”だったことに後ろめたさを感じていたことを告白した。

 仁科の父親で歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが2人の仲を公認し、婚約となった。2人はそろって会見し、仁科は「(松方に)ついてきて良かった。これからはだれに気兼ねすることなく笑顔が作れます」と喜んだ。

 婚約までに3年かかったことに仁科は「(松方さんは)いったん自分で決めたことはがんこに守る人ですから、大丈夫という自信はありました。でも、私の気持ちが両親にうまく伝わらず、父や母につらい思いをさせたことはつらかった」と話していた。


「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント
時事通信 1/23(月) 20:25配信

 俳優の松方弘樹さんの訃報に、女優で元妻の仁科亜季子さんら関係者が、「大変驚いている」などのコメントを発表した。

 仁科さんは、「私が本気で愛し、2人の子どもを授かり20年以上も共に歩んできた方。安らかにお休みくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 映画「仁義なき戦い」シリーズなどで共演した、俳優の渡瀬恒彦さんは、「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」と悼んだ。

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