スポーツ

2016年12月 9日 (金)

コロンビアでブラジルのサッカーチーム搭乗のチャーター機が墜落・3

コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜(日本時間29日昼)、乗客乗員計77人を乗せたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)のチャーター機・アブロRJ85(BAe146)が墜落した。71人が死亡し、生存者6人が救出されたが、うち1人は病院へ搬送中に死亡した。乗客にはブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らも含まれている。

シャペコエンセには日本のJリーグで活躍した監督や複数の選手が所属しており、このうち何人かが事故機に乗っていた可能性がある。

チャーター機はボリビア南部サンタクルスを28日に飛び立ち、メデジンに向かっていた。墜落したのはメデジン近郊で、ロイター通信によると、機体は二つに割れ、尾翼が破損していた。事故原因はまだ判明していないが、当初、電気系統のトラブルと報じられ、その後、燃料切れが原因とする報道が広がっている。墜落現場での救出活動などは悪天候の中で行われた。

Arj85
アブロRJ85の同型機(ウィキペディアより)

最初の記事
2番目の記事

リンク:コロンビア・チャーター機墜落事故 人為的ミス原因との発表 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセ搭乗機墜落事故の原因を”燃料不足”と断定。複数の人為的ミスも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、燃料不足が原因 航空当局「人為的ミス」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:サッカー選手の搭乗機墜落「燃料切れが原因」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落原因「燃料切れ」=コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落原因「燃料切れ」=元J1神戸監督ら犠牲―コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:《シャペコエンセ》ボリビア捜査当局「事故の責任は操縦士と航空会社にあり」と結論 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故 原因は人為的ミス、ボリビア当局 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアの墜落現場 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:機長、訓練不足だった? =元Jリーグ監督ら犠牲の墜落機―ボリビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落事故生存者3人がブラジル帰国。飛行機移動に「不安はない」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【写真特集】シャペコエンセの飛行機墜落事故 生存者の選手らがブラジルに帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「墜落前に何も知らされなかった」。奇跡的に生存した記者が語る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ボリビア国防相、墜落した飛行機の操縦士を強烈に非難「事故ではなく殺人だ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:《シャペコエンセ》3カ国が合同捜査会議開催=ブラジル内の飛行記録を調査へ=事故を起こした航空会社に11月アルゼンチン代表も乗っていた - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

コロンビア・チャーター機墜落事故 人為的ミス原因との発表
ホウドウキョク 12/27(火) 17:17配信

937
(写真:ホウドウキョク)

墜落原因は「人為的ミスだった」と発表した。
南米コロンビアで11月末、ブラジル1部リーグのプロサッカーチームの選手らを乗せたチャーター機が墜落し、あわせて71人が死亡した事故について、コロンビアの航空当局は、26日、事故原因は燃料切れによるものだったと発表した。
そのうえで、目的地にたどり着くまでの十分な燃料が積まれておらず、全ては人為的なミスによるものだったと強調し、この飛行計画を許可したボリビア当局にも、問題があったと指摘した。


シャペコエンセ搭乗機墜落事故の原因を”燃料不足”と断定。複数の人為的ミスも
フットボールチャンネル 12/27(火) 11:40配信

 現地時間11月28日に発生したシャペコエンセ搭乗機墜落事故に関して、予備調査の結果、当初から指摘されていた”燃料不足”が事故の主な原因であると断定された。26日にスペイン紙『アス』が報じている。

 この飛行機には、コパ・スダメリカーナ決勝でアトレティコ・ナシオナルと対戦する予定だったブラジル1部シャペコエンセの選手たちが乗っていた。しかし、目的地に到着する前にコロンビア・メデジンの近くの山岳地帯に墜落し、Jリーグでプレーした経験のある選手や監督を含む70人以上の人々が亡くなっている。

 同紙によると、人為的なミスが重なったことが事故を招いたとのこと。一つは燃料を制限しすぎたことによる”燃料不足”で、もう一つは積載量オーバーとしている。また、電気系統トラブルなど、飛行機自体にエラーが発生したとされる可能性は消滅した。

 そして、燃料が限界に近づいていたことから途中降機する可能性を議論する声が録音されていたとしている。このことから、機長は”燃料不足”を認識していたまま飛行を継続した可能性があるとの見方が強まった。


コロンビア墜落、燃料不足が原因 航空当局「人為的ミス」
ロイター 12/27(火) 11:03配信

906
 12月26日、コロンビア中部メデジン近郊で先月末、ブラジルのプロサッカー選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故で、コロンビアの航空当局は、予備的調査の結果、操縦士や航空会社、ボリビア当局の人為的ミスが重なって起きたとの判断を示した。写真は同航空の所有機。提供写真(2016年 ロイター)

[26日 ロイター] - コロンビア中部メデジン近郊で先月末、ブラジルのプロサッカー選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故で、コロンビアの航空当局は26日、予備的調査の結果、操縦士や航空会社、ボリビア当局の人為的ミスが重なって起きたとの判断を示した。

この事故では、ブラジル1部リーグに所属する「シャペコエンセ」の選手らを含む71人が死亡した。

コロンビアの航空当局者は、操縦士が十分な燃料を補充しておらず、それが原因となったエンジン不良を直前まで報告しなかったことが事故を引き起こしたと説明。チャーター機の運営会社や飛行計画を認めたボリビア航空当局にも責任があるとし、「すべては人為的ミスだ」と指摘した。

ほかにも、積載貨物の重量が規定を約400キロ上回っていたほか、定められた飛行高度を守っていなかったとも明かした。

(Reporting By Miki Shimogori)


サッカー選手の搭乗機墜落「燃料切れが原因」
読売新聞 12/27(火) 10:46配信

 【リオデジャネイロ=田口直樹】ブラジルのサッカークラブ、シャペコエンセの選手らを乗せたチャーター機が墜落した事故で、コロンビアの航空当局は26日、事故調査の中間報告を公表した。

 墜落は、人為的なミスが重なって燃料切れを起こしたことが原因と判断した。最終報告は来年4月に公表する。

 報告では、同機が重量制限を超え、飛行計画も不適切だったとして、運航していた航空会社を批判した。機長らが燃料不足に気づいた後も補給せずに飛行を続けたと指摘。エンジントラブルの連絡も遅れたという。ボリビアの航空当局が飛行を認めた責任にも言及した。一連の人為的ミスが事故を招いたとの見方を示した。


墜落原因「燃料切れ」=コロンビア
時事通信 12/27(火) 9:12配信

936
サッカーのブラジル1部リーグ、シャペコエンセの選手ら71人が死亡したチャーター機墜落事故(写真=11月29日撮影)で、コロンビアの航空当局は26日、予備調査の結果、燃料切れが墜落原因だったと断定した。


墜落原因「燃料切れ」=元J1神戸監督ら犠牲―コロンビア
時事通信 12/27(火) 8:23配信

 【サンパウロ時事】サッカーのブラジル1部リーグ、シャペコエンセの選手ら71人が死亡したチャーター機墜落事故で、コロンビアの航空当局は26日、予備調査の結果、燃料切れが墜落原因だったと断定した。

 墜落機には、かつてJ1神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督をはじめ、Jリーグで活躍した選手たちが乗っていた。

 航空当局は、十分な燃料を積んでいないことを墜落直前まで機長は管制塔に知らせなかったと指摘。「すべては人為的ミスだ」と強調、飛行を許可したボリビアの航空当局にも責任があると批判した。

 また、チャーター機は過積載の状態で飛行をしていた。ただ、事故につながる決定的な要因ではなかったとも判断している。


《シャペコエンセ》ボリビア捜査当局「事故の責任は操縦士と航空会社にあり」と結論
ニッケイ新聞 12/22(木) 4:07配信

ブラジリア時間の11月29日未明、コロンビア中部メデリン市近郊で発生した、サッカーチームシャペコエンセ搭乗機墜落事故。
 搭乗していた乗客乗員全77人の内、71人の命を奪ったこの事故の捜査に当たっていたボリビア(事故機はボリビアの航空会社のもので、ボリビアから飛び立っていた)当局は20日、事故の責任は航空会社ラ・ミーア社と、操縦士にあると結論付けたと21日付現地紙・サイトが報じた。
 この発表はボリビアのラパス市で、ミルトン・カルロス公共事業相が行った。
 事故の責任を負うとされ、亡くなった操縦士のミゲル・キローガ氏はラ・ミーア社の2人の共同経営者の1人だった。
 調査は、墜落した飛行機は法の定めに反して、飛行に必要な最低限の燃料しか搭載していなかったと結論付けた。
 事故発生直後にラ・ミーア社は営業停止とされ、同社幹部のグスタヴォ・ヴァルガス・ガンボア氏も逮捕され、社内文書も押収された。
 ミルトン・カルロス公共事業相はまた、ラ・ミーア社に見直し勧告を行ったボリビア航空庁のセリア・カステド氏が、ラ・ミーア機の飛行を許可した責任者だとして告発する手続きに入ったことも明かした。
 セリア・カステド氏後に、事故機の飛行計画書は飛行許可が出せるものではなかったが、その中身を変更することを強要されたと語り、ブラジルに亡命を申請した。


コロンビア墜落事故 原因は人為的ミス、ボリビア当局
CNN.co.jp 12/21(水) 11:36配信

(CNN) ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの選手らを乗せたチャーター機がコロンビアで墜落し71人が死亡した事故で、ボリビア政府は20日、同機は人為ミスが原因で墜落したと発表した。

ラミア航空2933便は11月28日、ボリビアからコロンビアのメデジンへ向かう途中でメデジン近郊の山間部に墜落した。ボリビアの公共事業相は事故原因について、「捜査の結果、同機を墜落させた責任は操縦士とラミア航空にあるとの結論に至った」と発表した。

同相によると、政府機関の職員が職務を怠った疑いがあるとされ、複数の職員と同航空に対して法的措置を講じる方針だという。

ラミア航空は現時点でこの発表についてコメントしていない。

航空事故調査ではあらゆる要因について詳しい調査が行われ、通常は結論が出るまでに1年以上かかる。しかしボリビア政府は1カ月もたたないうちに結論を発表した。

シャペコエンセはコロンビアで国際大会に出場するはずだった。同チームのディフェンダー、アラン・ラスケル選手など6人は救助されて一命をとりとめている。

調査関係者によれば、同機は墜落直前、乗員から管制塔に「電気系統が完全に故障して燃料もない」という連絡が入っていた。

ラミア調査委員会の委員は12月上旬、ボリビア国営通信に対し、同国空の幹部を含む従業員3人が拘束されたことを明らかにしていた。ボリビアのサンタクルスにある同航空のオフィスも捜索を受けたという。


コロンビアの墜落現場
時事通信 12/19(月) 16:38配信

935
ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機墜落現場=11月29日撮影、コロンビア中部メデジン近郊


機長、訓練不足だった? =元Jリーグ監督ら犠牲の墜落機―ボリビア
時事通信 12/19(月) 16:23配信

 【ラパスAFP=時事】南米コロンビアの山中で11月28日、墜落したチャーター機の機長が、訓練不足のまま操縦免許を取得していた疑いが浮上している。

 チャーター機はボリビアの航空会社の旅客機で、副機長の弁護士が17日、疑惑を指摘した。墜落機には、かつてJ1神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督をはじめブラジルのサッカー選手らが乗っており、71人が犠牲になった。

 弁護士は、ボリビアのABI通信に対し「機長が必要な時間、訓練を終わらせていないことを立証できる」と主張。「2013年の話とみられるが、偽りの記録が通り、当局も訓練時間不足と認識しながら免許が出されている」と語った。

 弁護士によると、副機長は生前、この事実を知りながら会社の評判を気にして口に出せなかった。航空会社の経営者の親子は墜落後、逮捕された。


墜落事故生存者3人がブラジル帰国。飛行機移動に「不安はない」
フットボールチャンネル 12/14(水) 13:01配信

934
ジャクソン・フォルマンを乗せた救急車【写真:Getty Images】

 先月コロンビアで起きた飛行機墜落事故で奇跡的に救助された6人の生存者のうち、3人のブラジル人が母国に帰国した。『グローボ』など13日付のブラジル複数メディアが伝えている。

 ブラジル1部リーグのクラブであるシャペコエンセを乗せた飛行機は、コロンビアでの開催が予定されていた試合に向かっていたところで墜落。77名の搭乗者中71名が命を落とす惨事となった。

 奇跡的に一命をとりとめた6人はシャペコエンセのブラジル人選手3人と、ブラジル人記者のラファエウ・ヘンゼル氏、およびボリビア人のクルー2人だった。コロンビアの病院に入院していた4人のブラジル人のうち、3人が現地時間の13日に2週間ぶりの帰国を果たした。

 最初の帰国者となったのは、事故による負傷で右足の切断を余儀なくされたGKジャクソン・フォルマン。「飛ぶ集中治療室」と呼ばれる特別機で13日朝にコロンビアからサンパウロに到着し、現地の病院で新たな手術を受けたとのことだ。

 続いてヘンゼル氏とDFアラン・ルシェウの2人は、ブラジル空軍の準備した特別機で13日夜に帰国した。2人を乗せた飛行機はシャペコエンセの本拠地シャペコに到着している。ストレッチャーに横たわった状態で飛行機を降りた2人は地元の病院へと搬送された。

 移動手段として飛行機が用いられることになったが、ヘンゼル氏とルシェウの2人は「全く不安を抱いてはおらず、落ちついた様子で帰国を心待ちにしていた」と医師がコロンビア出発前にコメントしている。一方、フォルマンは着陸時に少々不安げな様子を見せ、無事に着陸すると安堵していたとのことだ。

 もうひとりのブラジル人生存者であるDFエリオ・ネトは先日昏睡状態から目を覚ましたばかりで、引き続きコロンビアの病院に入院している。


【写真特集】シャペコエンセの飛行機墜落事故 生存者の選手らがブラジルに帰国
アフロ 12/14(水) 12:27配信

933
11月29日未明にコロンビアでブラジルのサッカーチームの選手らを乗せた飛行機の墜落事故の生存者が、13日ブラジルに帰国した。写真は、シャペコの病院に到着するシャペコエンセ所属のサッカー選手アラン・ルシェル。(写真:ロイター/アフロ)


「墜落前に何も知らされなかった」。奇跡的に生存した記者が語る
フットボールチャンネル 12/13(火) 21:01配信

 先月コロンビアで起きたシャペコエンセの飛行機墜落事故では、乗客に危機的な状況であることが伝わっていなかったようだ。生存者の一人、記者のラファエウ・ヘンセル氏がブラジルメディア『グローボTV』に語った。

 選手19人を含む71人が命を落とした大惨事は、燃料不足が主な原因と伝えられている。ただ、乗客は状況をほとんど知らなかったようだ。

 奇跡的に救助された6人のうちの1人である同記者は、「飛んでいるときは何も知らなかった。我々がどうなっているか聞いても、あと10分で到着すると繰り返していた。パイロットから緊急事態だとか、そういった警告はなかった」と語っている。

 さらにヘンセル氏は「悲劇が起こる前、誰もシートベルトをするように言ってなかった。それからシートベルト着用のサインがついて、我々は席に戻ってシートベルトをした。静まりかえっていたことを覚えている。そして、エンジン音が消えたんだ。誰も叫んだりわめいたりはしていなかったと思う。どうすべきか分かっている人はいなかったから」と、墜落直前の様子を生々しく明かした。


ボリビア国防相、墜落した飛行機の操縦士を強烈に非難「事故ではなく殺人だ」
フットボールチャンネル 12/10(土) 12:32配信

 ボリビアのレイミ・フェレイラ国防相は、先月コロンビアで起きた飛行機墜落事故について、事故ではなく殺人事件であるとして同飛行機の操縦士だったミゲル・キローガ氏を強烈に非難した。9日付のブラジル紙『グローボ』など複数紙が報じている。

 現地時間11月28日、コロンビアのメデジン近郊でブラジル1部リーグのシャペコエンセの選手らを乗せた飛行機が墜落し、71人が亡くなった。コロンビアの民間航空局は事故後にブラックボックスを回収して原因を追究しているところだが、燃料不足が主な問題だったという見方が強まっている。

 これを受けてフェレイラ国防相は、これは事故ではなく操縦士のキローガ氏が犯した殺人事件だと確信しているようだ。

「もし操縦士が本来給油を行う予定であったボリビアのコビハに到着するか、或いは最初から緊急事態宣言をしていたならば、このような悲劇を避けることができたはずだった」

 さらに同国防相は、パイロットが不十分な燃料で飛行していたことについて「偶然であるはずがない」と述べると、「メデジンで起こったことは殺人事件だった」と発言した。

 また、この事故の生存者6名の内の1人である航空技師のエルウィン・トゥミリ氏は、操縦士が緊急事態宣言をしていなかったことを証言したとされ、その一方でキローガ氏の妻であるダニエラ・ピント夫人は、現地時間7日に「私の夫が非道な人間ではなかったことを人々に理解してほしい」と公の場で呼びかけたと報じられている。


《シャペコエンセ》3カ国が合同捜査会議開催=ブラジル内の飛行記録を調査へ=事故を起こした航空会社に11月アルゼンチン代表も乗っていた
ニッケイ新聞 12/9(金) 4:48配信

932
事故から1週間以上が経ち、ブラジル、コロンビア、ボリビア3カ国の合同捜査も開始された

 ブラジリア時間で11月29日にコロンビアで発生した、シャペコエンセが搭乗したラ・ミア社の航空機墜落事故に関して、ブラジル、コロンビア、ボリビア3カ国合同の捜査当局の会議が7日にボリビアのサンタクルス市で開かれ、捜査の基本線を過失殺人容疑とする事が決まったと、8日付現地紙が報じた。
 捜査は、71人もが命を落とす事故が発生したコロンビア当局の主導で行われる。
 コロンビア検察庁は、事故機が飛び立ったボリビアのサンタクルスでの3カ国合同会議で、初期捜査の結論を発表した。ブラジルの検察からはウェリントン・サライヴァ氏と、カルロス・ウンベルト・ジュニオル氏が同会議に出席した。
 会議を主催したのは、ボリビア検察庁のラミーロ・ゲレーロ長官だ。ボリビア検察は引き続き、事件発生の要因や背景を捜査していく。
 ゲレーロ氏は、事故後に責任を問われ、更迭された上、ボリビア国内で死の脅迫も受けたためにブラジルに亡命申請したボリビア人監査官のセリア・カステド・モナステリオ氏の取調べを望んでいる。
 モナステリオ氏は事故機に対し、積載燃料が飛行時間ギリギリで、飛行計画は不適切であると判断し、見直し勧告を行っていた。事故原因は燃料切れとの調査結果も出ている。
 ブラジル検察は、これまでにブラジル国内を飛行したラ・ミア社の航空機に違反行為がなかったかを調べることを約束した。
 同社がブラジル国内で行った飛行の中には、11月のW杯南米予選の際、サッカー・アルゼンチン代表チームがブエノスアイレスからベロオリゾンテまで来た便などがある。

2016年11月30日 (水)

コロンビアでブラジルのサッカーチーム搭乗のチャーター機が墜落・2

コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜(日本時間29日昼)、乗客乗員計77人を乗せたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)のチャーター機・アブロRJ85(BAe146)が墜落した。71人が死亡し、生存者6人が救出されたが、うち1人は病院へ搬送中に死亡した。乗客にはブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らも含まれている。

シャペコエンセには日本のJリーグで活躍した監督や複数の選手が所属しており、このうち何人かが事故機に乗っていた可能性がある。

チャーター機はボリビア南部サンタクルスを28日に飛び立ち、メデジンに向かっていた。墜落したのはメデジン近郊で、ロイター通信によると、機体は二つに割れ、尾翼が破損していた。事故原因はまだ判明していないが、当初、電気系統のトラブルと報じられ、その後、燃料切れが原因とする報道が広がっている。墜落現場での救出活動などは悪天候の中で行われた。

Arj85
アブロRJ85の同型機(ウィキペディアより)

最初の記事

リンク:コロンビア飛行機墜落事故でチャーター便運航会社CEOを拘束 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア旅客機墜落 ボリビア当局がチャーター便運航会社トップを拘束 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落事故「シャペコエンセ」追悼、本拠地スタジアムに2万人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:アルゼンチン代表も墜落機の運行会社利用 関係者「AFA内にリスクの認識あった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:71人の遺体、母国に帰還 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:71人の遺体、母国に帰還=チャーター機墜落で犠牲―コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:“10歳少年“が選手救助に貢献か。墜落現場で負傷者の位置を案内 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落事故生存者「立ち上がって大声で叫ぶ人が大勢いた」…私はこうして助かった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故、チャーター機運航会社の免許停止 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア航空機墜落、ボリビア当局が運航会社の免許停止 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落機長「電気系統故障、燃料無い」交信記録明らかに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセを襲った悲劇 飛行機墜落原因は燃料切れ=コロンビアでは大規模な追悼集会も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセ墜落事故の原因は燃料不足か…機長の音声記録から判明 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:チャーター機墜落事故 管制塔との交信音声公開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ブラジル選手搭乗機、燃料切れで墜落か 音声記録 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:選手1人が右脚切断、直前に搭乗やめた4人も 墜落機の明暗 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、操縦士が「燃料切れ」伝える 音声記録公開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセ搭乗機墜落事故、”燃料切れ”が主な原因か?操縦士が管制官と交信 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、燃料切れか…パイロットが報告 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセのファン、追悼集会で本拠地に集結 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【写真特集】シャペコエンセの地元ファン、本拠地で追悼=コロンビア飛行機墜落事故 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ブラジル>サポーターら突然の死を悼む 航空機墜落で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落直前のチャーター機、「燃料切れ」と交信 コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:サッカー=ブラジルチーム搭乗機墜落、原因は燃料切れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故 燃料切れで墜落か 墜落前にパイロット「完全に電気系統が切れた。燃料がない」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「故障!」操縦士叫ぶ=コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、操縦士が直前に「燃料切れ」報告か テープ流出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「故障!」操縦士叫ぶ=墜落機音声記録か―コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:シャペコエンセ搭乗機墜落事故 犠牲者数は71人、4人は乗らず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:サッカー界から追悼の声相次ぐ、無償の選手貸し出しの提案も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故 原因は燃料切れか、現場で火災発生せず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故 犠牲者に元千葉・得点王ケンペスも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落事故機、緊急着陸の要請を聞き入れられずか - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ジャーナリスト20人死亡=コロンビアのチャーター機墜落 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

コロンビア飛行機墜落事故でチャーター便運航会社CEOを拘束
フットボールチャンネル 12/7(水) 16:50配信

931
シャペコエンセに祈りをささげる【写真:Getty Images】

 先月コロンビアで起きた飛行機墜落事故で、ボリビア当局はラミア・ボリビア航空のグスタボ・バルガスCEOを拘束した。英メディア『BBC』などが伝えている。

 現地時間11月28日、コロンビア・メデジン近郊でブラジル1部リーグ・シャペコエンセの選手らを乗せた飛行機が墜落し、71人が亡くなった。

 コロンビアの民間航空局は事故後、ブラックボックスを回収して原因を追究。燃料不足が主な問題だったことが明らかになっている。

 ボリビア航空当局者のセリア・カステド氏は、飛行機が発つ前にパイロットのミゲル・キローガ氏に燃料が少ないのではないかと警告したとされているが、飛行機はそのまま出発してしまった。

 カステド氏は事故後に脅迫などを受けたとして、ブラジルへの亡命を希望している。

 だが、ボリビア政府のカルロス・ロメロ氏は「彼女がしたことは深刻だ。法の裁きから逃れようとする行為だ」と非難し、ブラジルに追い返すよう要求している。


コロンビア旅客機墜落 ボリビア当局がチャーター便運航会社トップを拘束
BBC News 12/7(水) 14:16配信

南米コロンビアで先月28日に旅客機が墜落し、ブラジルのサッカー1部リーグ所属のプロチーム「シャペコエンセ」の選手の多くを含む71人が死亡した事故をめぐり、ボリビア当局は6日、チャーター便を運航していた会社の経営者を拘束した。

事故原因の捜査が進むなか、ボリビアの小規模なチャーター便会社、ラミアのグスタボ・バルガス最高経営責任者(CEO)が拘束された。バルガスCEOは退役した元空軍大将。

事故機は英国製の「アブロRJ85(BAe-146)」で、コロンビア北部メデジンの空港に向かっていたが、燃料がなくなり墜落した。

流出した管制塔とパイロットの会話録音からは、パイロットのミゲル・キロガさんが「電気系統が全く機能していない」「燃料がなくなった」と語っていたことが明らかになっている。

ボリビアの航空当局者セリア・カステド氏は、事故機が飛び立つ前に、ボリビア南部からメデジンまでの長距離のフライトは同機の限界に近いと、パイロットのキロガさんに警告したと語った。

カステド氏は、事故後に脅迫などを受けたとして、ブラジルへの亡命を希望している。ブラジル当局は亡命申請承認には1年かかるかもしれないと述べた。

ボリビアのカルロス・ロメロ内務相は、カステド氏を帰国させるようブラジル政府に求めた。「彼女がしたことは非常に重大だ。法律から逃れようとする行為だ」と語った。

事故では6人が助かった。そのうちの1人で乗員のエルウィン・トゥムリさんはブラジルのテレビ局に、当初ボリビア北部のコビハで給油するはずだったものの、パイロットが実行しなかったと話した。また、電気系統や燃料に問題が生じたという連絡は、乗員乗客にはなかったという。

ラミア社は当初ベネズエラで法人登記したが、その後ボリビアに本拠地を移した。保有していたのはわずか3機で、そのうち2機のみが使用可能だった。

事故に遭遇したシャペコエンセの選手らは、南米サッカー連盟が主催するクラブチームのサッカー国際大会「コパ・スダメリカーナ」の決勝で、メデジンを本拠とするチーム「アトレティコ・ナシオナル」と対戦する予定だった。

ブラジル南部の町シャペコで1973年に創設されたチームが国際トーナメントの決勝に出場するのは、今回が初めてだった。

事故の翌日、対戦相手のアトレティコ・ナシオナルは「コパ・スダメリカーナ」の優勝を譲りたいと発表。5日には、南米サッカー連盟が正式にシャペコエンセの優勝を宣言した。

アトレティコ・ナシオナルに対しては、南米サッカー連盟100周年を記念するフェアプレイ特別賞が与えられた。

(英語記事 Chapecoense plane crash: Bolivia arrests LaMia airline boss)


墜落事故「シャペコエンセ」追悼、本拠地スタジアムに2万人
スポーツ報知 12/5(月) 6:08配信

 コロンビア中部メデジン近郊でチャーター機が墜落した事故で、死亡したブラジル1部シャペコエンセの選手らの遺体が3日、同国南部サンタカタリナ州シャペコ市に搬送され、チーム本拠地で追悼式が行われた。

 遺体は空港でブラジルのテメル大統領や軍の兵士に迎えられ、雨が降る市内をゆっくりと競技場へ移動。沿道はチームのユニホームを着た市民で埋め尽くされた。スタジアムには人口の10分の1にあたる約2万人が集結。ひつぎを拍手で迎え、選手のこれまでの健闘をたたえた。

 式典には代表のチッチ監督のほかにFIFAのインファンティノ会長も参列。「今日、我々はみなブラジル人であり、シャコペエンセだ」と死を悼んだ。また、ローマ法王フランシスコもメッセージを寄せた。


アルゼンチン代表も墜落機の運行会社利用 関係者「AFA内にリスクの認識あった」
ISM 12/3(土) 19:03配信

911
離陸前の事故機(LatinContent/Getty Images)

 現地時間2日(以下現地時間)、AFA(アルゼンチンサッカー協会)もブラジル1部シャペコエンセの関係者ら多数の死傷者を出した事故機の運営会社を利用していたことが分かった。

 AFAの広報担当者ミゲル・イルシュ氏によると、AFAは通常アンデス航空を利用。しかし前月にW杯南米予選のブラジル戦に臨んだ際、ブエノスアイレス─ベロオリゾンテ間の往復便が技術上の問題で利用できず、代わりを探さなくてはならなくなったという。

 『AP通信』は6社が提案した代替便のリストを入手。それによると、リストに運行会社の名は記されていなかったが、値段や型番は記されていた。AFAが選んだチャーター便は9万9000ドル(約1000万円)と最安値だったが、そこだけ航空機の型番が記されていなかったという。

 イルシュ氏は『AP通信』に対し「AFAは財政難にあるため、コストの問題だったのでしょう」とコメント。「代理店に聞いたり、インターネット上でチケットを買ったりするのと同じです。デルタやアメリカン、コンチネンタルのフライトがボーイング777かどうかなんて気にしないでしょう。『ああ、この会社知ってる、安いね』という感覚で決めるのと同じです」と語っている。

 11月末にコロンビアのメデジン市郊外の山中に墜落したのは、ボリビアのチャーター便会社ラミアが運航するBAe146型機。アルゼンチンが利用したのも同型機だった。墜落は燃料切れが原因とされており、ボリビア当局は1日、ラミア航空の運航免許を停止した。

 イルシュ氏は「幸運にも、何も起こりませんでした。しかし、AFA内にリスクに対する強い懸念があったことは確かです。今回の事故はヒューマンエラーです。必要な燃料を積んでいなかったという話です。それが安値の理由のひとつでしょう」と語っている。(STATS-AP)


71人の遺体、母国に帰還
時事通信 12/3(土) 13:25配信

910
南米コロンビアで11月に起きたチャーター機の墜落事故で、死亡したブラジル人サッカー選手ら71人の遺体が2日、母国の遺族の元に順次送り届けられた。写真は2日、ボリビアのサンタクルスに到着したひつぎ。


71人の遺体、母国に帰還=チャーター機墜落で犠牲―コロンビア
時事通信 12/3(土) 13:00配信

 【メデジン(コロンビア)AFP=時事】南米コロンビアのメデジン近郊で11月に起きたチャーター機の墜落事故で、死亡したブラジル人サッカー選手ら71人の遺体が2日、母国の遺族の元に順次送り届けられた。

 このうちパラグアイ人の乗員の遺体は2日未明、同国の国旗に包まれたひつぎで遺族に届けられた。また、残りのブラジル人64人、ボリビア人5人、ベネズエラ人1人の遺体も同日中に送り届けられた。

 墜落機に乗っていたブラジル1部リーグのサッカーチーム「シャペコエンセ」の一員の遺族男性は「今、何よりもしたいのはわれわれの兄弟たちを連れて自宅に帰ることだ」と語った。

 同チームの本拠地、ブラジル南部シャペコでは3日、犠牲になった選手らの追悼式典が開催され、人口の半数に当たる10万人が出席するとみられている。国際サッカー連盟(FIFA)のインファンティノ会長も式典に出席するほか、テメル大統領もシャペコに向かう。


“10歳少年“が選手救助に貢献か。墜落現場で負傷者の位置を案内
フットボールチャンネル 12/2(金) 19:04配信

909
救助されたアラン・ルシェウ【写真:Getty Images】

 コロンビアで起きた航空機墜落事故では、いち早く現場に到着していた地元の少年が、生存者を救助する上で大きな貢献を果たしたのだという。スペイン『EFE通信』による報道を各国メディアが伝えている。

 ブラジル1部のシャペコエンセの選手らを乗せた航空機は、現地時間28日にコロンビアのメデジン近郊の山間部に墜落。搭乗していた77名のうち71名が命を落とす大惨事となった。

 墜落現場の立地や濃霧・豪雨の影響もあって救助作業は困難を極めたが、最終的に選手3名を含む6名が奇跡的に救助された。その救助にあたり、10歳前後とみられる地元の少年による案内が大きな助けになったという話が伝えられている。

 負傷者の救助に協力した地元男性のセルヒオ・マルランダ氏は、医師である兄弟からの連絡を受け、4WD車で墜落現場へ向かったという。「(到着して)車を停めると子供がやってきて、『向こうに負傷者がいる』と教えてくれた」と同氏は話している。マルランダ氏は警察の指示も受けてその場所へ向かい、最初に生存が確認されたDFアラン・ルシェウの救助に協力したとのことだ。少年の名や身元などは明らかにされていない。

 マルランダ氏はまた、救助直後のルシェウの様子についても語った。「彼は毛布にくるまれた状態で車に乗せられた。家族や友人たちのことを質問し、骨折しているので腰がすごく痛いと言っていた」と話している。その後同選手は近隣の病院へと搬送された。


墜落事故生存者「立ち上がって大声で叫ぶ人が大勢いた」…私はこうして助かった
ゲキサカ 12/2(金) 18:45配信

908
Getty Images(ゲキサカ)

 現地時間11月28日に南米コロンビア北部のメデジン近郊で起きた旅客機墜落事故の詳細が徐々に判明してきている。航空管制官と操縦士のやり取りから、事故の原因は燃料切れによる電気系統の異常から墜落に至ったとみられている。

 写真や映像から事故の悲惨さが鮮明に伝えられている。生存者は乗員乗客77人のうち、わずか6人だった。『BBC』によると、救出された3人のシャペコエンセの選手のうち2人(DFアラン・ルシェウ、DFネット)の容体は安定しているが、GKジャクソン・フォルマンは右足を切断し、さらに両足を失う可能性も残っている。またジャーナリストのラファエウ・ヘンゼウさんも重体だという。

 ただ客室乗務員のシメナ・スアレスさんと航空技師のエルウィン・トゥミリさんは、すでにメディアの取材に答えられるほど、回復している。『BBC』によると、スアレスさんは「飛行機は鋭く落下し、大きな衝撃を受けた」と事故当時の様子を語り、トゥミリさんは「(墜落の瞬間、)立ち上がって大声で叫ぶ人が大勢いた。でも私は推奨されているカバンを足の間に挟んで、頭を低くする構えの姿勢をとっていた」と緊急時の指示を守ったことが自らを助けたと話している。


コロンビア墜落事故、チャーター機運航会社の免許停止
AFP=時事 12/2(金) 12:28配信

907
コロンビア・セロゴルドの山岳地帯で、墜落したラミア・ボリビア航空機の残骸から犠牲者を運び出す救助隊員(2016年11月29日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】コロンビアでブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機が墜落し乗客乗員71人が死亡した事故で、ボリビア当局は1日、同機を運航していたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)の運航免許を停止するとともに、同社に対する調査を命じた。

 今回の事故をめぐっては、墜落直前に操縦士が管制官に語った「燃料切れ」という音声が記録されたとされるテープが放送され、動揺が広がっている。

 ボリビア当局は調査期間中、民間航空当局や空港運営業者の幹部の職務も停止させた。

 政府は今回の決定について説明していないが、当局は操縦士のミスや管制システムの問題も視野に原因究明を進めている。【翻訳編集】 AFPBB News


コロンビア航空機墜落、ボリビア当局が運航会社の免許停止
ロイター 12/2(金) 9:21配信

906
 12月1日、コロンビア中部メデジン近郊で今週、ブラジルのプロサッカー選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故を受けて、ボリビアの航空当局は、同機を運航していたラミア・ボリビア航空の運航免許を停止した。写真は同航空の所有機。提供写真(2016年 ロイター)

[ラパス/メデジン(コロンビア) 1日 ロイター] - コロンビア中部メデジン近郊で今週、ブラジルのプロサッカー選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故を受けて、ボリビアの航空当局は1日、同機を運航していたラミア・ボリビア航空の運航免許を停止した。

今回の事故では71人が死亡。墜落は燃料切れが原因だったとみられている。国際的な航空規制によると、航空機は目的地到着後も30分飛行できる程度の燃料を余分に積んでおくことが義務付けられている。


墜落機長「電気系統故障、燃料無い」交信記録明らかに
スポーツ報知 12/2(金) 6:04配信

 ブラジル1部シャペコエンセの選手ら71人が死亡したチャーター機墜落事故で11月30日、地元メディアは事故機と管制塔の交信記録を入手。機長が「完全に電気系統が故障。燃料がない」と叫んだと伝え、燃料不足で優先的に着陸を求めていたと報じた。

 AP通信によると、事故機の最大航続距離は2965キロで、出発地のボリビア東部サンタクルスとメデジン間の距離に若干足りないという。墜落時に爆発炎上しなかったことも、燃料切れの根拠とされた。

 チーム本拠地のシャペコでは同日夜、人口の10分の1を超える2万2000人がスタジアムで追悼。チームカラーの緑と白のユニホームなどを着て、アトレチコ・ナシオナル(コロンビア)とコパ・スダメリカーナ決勝第1戦で対戦予定だった同日は、悲しみに包まれた。

 7年前は4部で、2014年から1部で戦う小クラブへの援助は、ブラジル全国から集結。16レアル(約540円)から185レアル(約6270円)をクラブに支払う会員サポーターは、事故前の9000人から一気に2万2000人に増加した。アトレチコ・ナシオナルの本拠でも約4万人が追悼式典に参加。「我々は皆、シャペコエンセ」と掲げる人もいた。

 フランス1部では第15節の全10試合の開始前に黙とうがささげられた。多数のブラジル国旗が振られたアンジェ戦で、パリSGで通算100点目を挙げたウルグアイ代表FWカバニはゴール後、ユニホームを脱いでシャペコエンセのロゴと「FUERZA(スペイン語で力)」と書かれたTシャツを披露。世界中が悲劇に立ち向かおうとしている。


シャペコエンセを襲った悲劇 飛行機墜落原因は燃料切れ=コロンビアでは大規模な追悼集会も
ニッケイ新聞 12/2(金) 3:37配信

905
アタナシオ・ヒラルド・スタジアムでの追悼集会

11月28日夜に起きた、サッカー・クラブ、シャペコエンセを乗せた航空機墜落事故の原因は、燃料切れと断定された。
 生存者は「機内の電気が消えた後、急速に墜落した」と証言している。
 選手を乗せていた飛行機はアヴロRJ85型、最長飛行距離は3千キロだが、離陸地のサンタクルス・デ・ラ・シエラ(ボリビア)から着陸地のジョゼ・マリア・コルドバ国際空港までは2985キロだ。
 こうした状況にも関わらず、ジョゼ・マリア・コルドバ国際空港の管制塔は燃料漏れを起こして緊急着陸を要請したヴィヴァ・コロンビア社のFC8170便の着陸を優先させた。このため、事故機は旋回しながら着陸許可を待っていたが、着陸許可が出るまでに約15分かかり、燃料消費に繋がった。

 操縦士は管制塔に対し、21時48分と52分に「燃料が残り少ないので優先着陸させてほしい」とのメッセージを送った。管制塔はFC8170便の着陸後に事故機の着陸を許可したが、操縦士は57分、「電気系統が完全に機能停止、燃料皆無」と連絡。高度低下でレーダー上に機影が映っていなかったのか、管制塔が軌道修正のための指示などを出す間に通信が途絶え、8分後の22時5分、標高2743メートルのエル・ゴルド山に衝突した。
 11月30日はシャペコエンセがアトレチコ・ナシオナルと戦う、スダメリカーナ杯の決勝戦第1試合が行われる予定だったが、同夜、試合が開催されるはずだったメデリン市のアタナシオ・ヒラルド・スタジアムには、収容人数の4万4739人を大幅に超える人が集まり、スタジアムの中と外で盛大にシャペコエンセの追悼集会を行った。地元シャペコー市のコンダー・アリーナでも追悼集会が行われ、市民らがスタジアムを埋め尽くした。
 ブラジルからは急遽シャペコー市長、ジョゼ・セーラ外相も駆けつけ、セーラ外相は涙ながらにコロンビア国民の見せた団結心に謝意を表した。
 墜落死した71人の遺体の身元確認は終わり、シャペコエンセ関係者の遺体は2日のうちにシャペコー市に運ばれ、3日に合同葬となる予定だ。葬儀にはテメル大統領、インティファーノFIFA会長なども列席するとされている。

 尚、現地時間12月1日午後5時現在 有力スポーツ情報サイト、グローボ・エスポルチには「南米サッカー連盟内部関係者の話では、シャペコエンセをスダメリカーナ杯優勝とする決定がなされた」との報道も出ている。


シャペコエンセ墜落事故の原因は燃料不足か…機長の音声記録から判明
GOAL 12/1(木) 17:35配信

904
シャペコエンセを乗せたチャーター機には燃料がなかったとの報道も/(C)Getty Images

11月28日シャペコエンセのチームを乗せたチャーター機が、コロンビアのメデシン郊外に墜落。70名以上もの犠牲者が出た惨事について、事故原因となった機体には燃料がなかったのではないかと『ESPN』など大手メディアが報じている。

墜落前、チャーター機の機長が発した言葉は「電気系統のトラブル」「燃料が足りない!」であり、実際に交信記録として確認されている。

現地コロンビアで調査を行っている航空会社社長アルフレッド・ボカネグラ氏は、「最初に電気系統に問題が起こり、そのあとの墜落は燃料不足によって引き起こされた可能性が高い」と述べているという。

また、メデシン以外の別の空港に向かうにしても30分から45分の飛行が必要になり、その時間に耐えられる燃料さえも積んでいなかったとされている。実際に墜落時に炎上しなかったことから、機体に燃料がほぼ残っていなかった可能性が高いようだ。

現時点で全容は不明の段階だが、墜落した機体からブラックボックスを発見し、その中の音声データやフライト記録などを解析する作業に入っており、その調査が完了するまで今後数カ月を要すると見られている。


チャーター機墜落事故 管制塔との交信音声公開
ホウドウキョク 12/1(木) 15:37配信

903
(写真:ホウドウキョク)

管制塔との交信音声が公開された。

操縦士「機体は、完全に電気系統が故障しています。燃料不足です」
管制官「あとどのくらい飛べますか?」
操縦士「燃料切れの非常事態です。直ちに指示を」

ブラジルのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機は28日、コロンビア北西部で墜落。
71人が犠牲になった。
航空当局は、墜落現場から、飛行状況などの記録がおさめられたブラックボックスを回収して、事故原因を調べている。


ブラジル選手搭乗機、燃料切れで墜落か 音声記録
産経新聞 12/1(木) 15:11配信

 【ロサンゼルス=中村将】南米コロンビアでブラジルのプロサッカーチームの選手らを乗せたチャーター機が墜落した事故で、複数のコロンビアのメディアは11月30日、パイロットが飛行中に燃料がなくなったことを管制官に伝えたとされる音声記録の内容を報じた。

 報道によると、パイロットは墜落前に「完全に電気系統が切れた。燃料がない」「燃料が緊急事態だ」などと緊急着陸の許可を求め、その後、通信が途絶えた。

 AP通信によると、事故後に救助された客室乗務員も救急隊員に「燃料切れ」と語ったという。燃料不足に陥った理由は不明。コロンビア航空当局は音声記録が本物かどうかには言及していない。

 チャーター機はボリビアからコロンビア中部のメデジンに向かう途中だった。ブラジル1部リーグのチーム、シャペコエンセの選手と報道関係者、乗員ら71人が死亡し、6人が救助された。


選手1人が右脚切断、直前に搭乗やめた4人も 墜落機の明暗
CNN.co.jp 12/1(木) 13:56配信

(CNN) ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機がコロンビアで墜落し71人が死亡した事故で、現場から救出された生存者6人は病院に運ばれたが、選手1人が右足を切断するなど重体となっている。一方、同機への搭乗予定を直前になって変更した4人は、搭乗しなかった経緯を明らかにした。

ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの選手など77人を乗せたラミア航空のチャーター機は11月28日にコロンビア・メデジン近郊に墜落した。

同機に搭乗していて一命を取りとめたのは、ジャクソン・フォルマン、アラン・ラスケル、エリオ・エルミート・サンピエル・ネトの3選手と乗員2人、記者1人。

地元当局者によると、フォルマン選手はメデジンで右脚切断の手術を受け、集中治療室に入院している。ネト選手は複数回の手術を受けて経過を観察中、ラスケル選手も集中治療室に入院しているという。

一方、ブラジル・サンタカタリーナ州のジェルソン・メリシオ議員(50)は同チームの大ファンで、チャーター機に乗って選手団に同行し、30日の試合を観戦する予定だった。

しかし直前になって仕事の予定が入り、楽しみにしていた観戦をあきらめたという。メリシオ議員はフェイスブックへの投稿でこの経緯を打ち明け、犠牲者に哀悼の意を表した。

ジャーナリストのイバン・アグノレットさんは、大会の取材が夢だったという同僚のジェルソン・ガリオットさんに座席を譲っていた。「試合は私が取材するはずだったが、国際大会の決勝戦取材が夢だという同僚がいた」「ジェルソン・ガリオットに、自分の代わりに取材に行っていいと伝えると、『本当に? 本当に行けるの?』と信じられないという様子だった。彼の夢だったんだ」と振り返る。

墜落事故のことは、妻のところに追悼の電話が相次いだことで初めて知ったという。「神が私を救ったのかと考えても、あまりに痛ましすぎる」

チームの本拠地シャペコ市のルシアノ・ブリゴン市長と、シャペコエンセ会長のプリニオ・ダビド・デ・ネス・フィリョさんは、サンパウロで開かれた会議に出席するため搭乗を見送った。

ブリゴン市長はグローボの取材に対し、「こうした事態についても私が残った経緯についても、神にしか説明できない」と語り、「シャペコは最大の悲劇を切り抜けなければならない。私たちはサッカーチームとともに至福の時にあった」と振り返った。


コロンビア墜落、操縦士が「燃料切れ」伝える 音声記録公開
CNN.co.jp 12/1(木) 13:00配信

(CNN) ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機がコロンビアの山間部に墜落した事故で、飛行中に乗員の1人が管制塔と交信し「機体の電気系統が完全に故障。燃料もない」と伝えていたことが分かった。同機に搭載された音声記録を聴いた捜査関係者が明らかにした。

音声記録はコロンビアのメディアが公にした。墜落の原因をめぐっては機体の燃料切れの可能性が取り沙汰されていたが、音声記録の会話はその見方に一定の根拠を与えるものだ。

同国のメディアはこのほか、墜落機の近くを飛行していた別の航空機のパイロットが証言したとされる音声記録を公開した。その中で当該のパイロットは、自身の操縦する機体のそばを墜落機が急速に高度を下げつつ通過したと説明。その間、無線を聴いていたが、墜落機から管制塔に対して燃料不足に関する具体的な緊急連絡は行われなかった。同乗していた機長も「(墜落機は)燃料に問題があるのに、緊急事態の連絡を入れていないのか?」と口にしたという。

コロンビア民間航空当局の報道官はCNNに対し、メディアが公開した上述のパイロットの証言や管制塔の通信記録について、本物かどうかの確認は取れていないと述べた。その上で「職務上、こうした記録は保管され、誰にも触れられることはない」と付け加えた。


シャペコエンセ搭乗機墜落事故、”燃料切れ”が主な原因か?操縦士が管制官と交信
フットボールチャンネル 12/1(木) 12:40配信

902
航空機【写真:Getty Images】

 現地時間28日、ブラジル1部シャペコエンセの選手たちを乗せた飛行機が墜落する事故が起きた。様々な墜落の原因が報じられる中、操縦士と管制官との交信記録について1日に英メディア『ESPN FC』が報じている。

 同メディアによると、操縦士はまず燃料が尽き始めていることと電気系統のトラブルを受けて管制官に対して着陸の許可を繰り返し申し出ていたとのこと。最後に「燃料が尽きた」との言葉を残している。この交信記録から”燃料切れ”などが主な原因と見られているが、完全な調査は数ヶ月かかるようだ。

 シャペコエンセの選手たちを載せた飛行機はコロンビア・メデジンの近くの山岳地帯に墜落し、Jリーグでプレーした経験のある選手や監督を含む70人以上の人々が亡くなった。


コロンビア墜落、燃料切れか…パイロットが報告
読売新聞 12/1(木) 12:24配信

 【ニューヨーク=吉池亮】ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機(BAe146型機)がコロンビアの山中で墜落し、71人が死亡した事故で、ロイター通信などは30日、同機は墜落直前に管制官に緊急事態を宣言した際に、燃料切れを報告していたなどと報じた。

 地元メディアが報じた管制官との交信では、事故機のパイロットは、着陸寸前で燃料がなくなり、電子機器類も作動していないなどと申告。ただちに着陸させてほしいと繰り返し要請していた。機体は墜落後、激しく炎上しなかったことから、燃料切れを起こしていた可能性が高いという。

 コロンビアの航空当局は今後、回収したブラックボックスの解析を進め、機体が墜落直前にどのような状態にあったのか特定する。


シャペコエンセのファン、追悼集会で本拠地に集結
AFP=時事 12/1(木) 12:07配信

901
選手が旅客機墜落事故で犠牲となったシャペコエンセの本拠地で行われた追悼集会で涙を流すサポーター(2016年11月30日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)の大勢の地元ファンが、晴れの大舞台を応援するはずだった30日夜、亡くなった選手を悼み、本拠地のスタジアムに集まった。南米サッカー連盟(CONMEBOL)主催の国際大会コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)決勝の第1戦で、コロンビアのアトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)と対戦するため、チャーター機で同国第2の都市メデジン(Medellin)に向かっていたシャペコエンセのチームが、28日に現地近郊の山脈で墜落事故に遭遇した現実に、地元ではまだ動揺が収まっていない。

【写真】事故を免れた選手も沈痛な面持ち(その他全15枚)

 シャペコエンセが拠点とするブラジル南部サンタカタリナ(Santa Catarina)州の都市シャペコ(Chapeco)では、ファンがクラブカラーの緑と白のユニホームを見にまとい、コパ・スダメリカーナで夢のタイトルを目指していたチームが突然いなくなってしまった現実を受け止めようとしていた。

 教師をしているという21歳のファンは、「シャペコは大きな都市ではありません。通りのあちらこちらで(選手たちと)会えました。今まで通りは難しいです。昨日からすでに悲しみに包まれていますが、町は悲嘆に暮れています。音楽が鳴り響くこともなく、何も聞こえてきません」と話した。

 身元の確認は今週末までかかる予定で、遺体はまだコロンビアから戻ってこないものの、南米大陸で2番目に大きな大会の決勝戦で、シャペコエンセがアトレティコ・ナシオナルとのキックオフに臨むはずだった時間に合わせ、ファンは黒いリボンが飾られた本拠地アレーナ・コンダ(Arena Conda)で追悼集会を開いた。

 事故便に搭乗しなかった選手やユースチームの選手、遺族、そして多くのファンがクラブカラーを身にまとう中行われた集会で亡くなったチームメートたちを追悼する映像が流されると、ほとんどの人が涙に目をぬらしていた。

 墜落事故で犠牲となった71人のうち、20人はスポーツジャーナリストで、下部リーグからトップリーグまではい上がったシャペコエンセが大舞台で躍動する姿を取材するために同行していた。

■追悼ミサ

 今回の悲劇が起きなければ、20万人の地元住民の多くがテレビにくぎ付けとなり、コロンビアの強豪クラブに立ち向かうヒーローたちの姿を見るはずだった。

 タイトルの行方が決まる第2戦は、シャペコよりも決勝の舞台にふさわしい場所として、ブラジル南部クリチバ(Curitiba)で行われる予定となっており、地元ではその試合にも備えていたが、チーム関係者と遺族は今週末、選手たちの遺体と対面しなければならなくなった。

 クラブ責任者は、スタジアムで10万人規模の追悼ミサを行いたいとして、「われわれの願いは、ここで共同ミサを開くことです」と記者会見で明かし、遺族の許可を求めていると補足した。【翻訳編集】 AFPBB News


【写真特集】シャペコエンセの地元ファン、本拠地で追悼=コロンビア飛行機墜落事故
アフロ 12/1(木) 12:02配信

900
コロンビア飛行機事故により所属選手が亡くなったブラジル1部シャペコエンセ。本拠地アレーナ・コンダでは、多くのファンが亡くなった選手を追悼した。


<ブラジル>サポーターら突然の死を悼む 航空機墜落で
毎日新聞 12/1(木) 11:39配信

 南米コロンビアで起きた航空機墜落事故で、多くの選手が犠牲になったブラジル南部シャペコのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」は11月30日、ホームスタジアムで追悼集会を開いた。緑色のユニホームを着たサポーターらがスタジアムを埋め尽くし、選手らの突然の死を悼んだ。

 集会では、サポーターがチームの応援歌を歌い、選手らの名前が読み上げられた。航空機に乗らずに無事だった選手も参加し、早すぎるチームメートの死を嘆いた。

 事故では乗員乗客計77人のうち、選手や同行記者ら71人が死亡した。【山本太一】


墜落直前のチャーター機、「燃料切れ」と交信 コロンビア
BBC News 12/1(木) 11:16配信

999
墜落直前のチャーター機、「燃料切れ」と交信 コロンビア

南米コロンビア北部メデジンの近くで11月28日夜、ブラジル1部リーグのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを含む77人を乗せた旅客機が墜落した事故について30日、操縦士と管制官との交信記録が、メデジン航空管制当局から地元ラジオ局に流出した。墜落直前の録音から、燃料が切れたと操縦士が連絡していることが明らかになった。

操縦士は航空管制官に対して繰り返し、「電気系統が完全に故障」し「燃料が切れた」と訴えている。

録音が終わる直前に操縦士は、高度9000フィート(2743メートル)を飛んでいると報告。飛行機は、メデジン近くの山肌に激突した。

墜落時に爆発していないことからも、燃料切れだった可能性が推測される。コロンビア軍の消息筋はAFP通信に対して、爆発がなかったことは「不審だ」と話していた。

燃料切れの原因は、漏出したのか、そもそも十分に搭載していなかったのか、いずれも不明だ。

事故原因の調査当局は、直接の墜落原因について言及していない。フライトレコーダーは2つとも回収されているため、今後数カ月にわたり原因究明の調査が行われる。

乗客乗員77人のうち、助かったのは6人のみだった。

ブラジル1部リーグのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」は選手19人を失った。同行記者20人も死亡した。

乗っていた「シャペコエンセ」の選手や関係者らは、南米サッカー連盟が主催するクラブチームのサッカー国際大会「コパ・スダメリカーナ」の決勝で、メデジンが本拠地の「アトレティコ・ナシオナル」と対戦する予定だった。チーム史上最も重要な試合になるはずだった。

「シャペコエンセ」によると、助かった選手2人は重体だが容体は安定している。助かったゴールキーパーは、片方の脚を切断。もう片方も失う恐れがあるという。

負傷した記者1人も重体だという。

生存者の航空技師、エルウィン・トゥミリ氏は、緊急時の指示を守ったから助かったと話している。

「立ち上がって叫び始めた人が大勢いたが、自分はスーツケースを両脚で挟んで、構えの姿勢をとった」という。

ブラジルは3日間の服喪期間に入り、地元サポーター数千人が29日早朝から「シャペコエンセ」のスタジアム「アレーナ・コンダ」に次々と集まり、空のピッチをじっと見つめている。

「シャペコエンセ」は、チーム関係者全員の遺体の身元確認が終わった時点で、12月2日か3日に団体葬を行う予定と話している。約10万人の参列が予想されるという。

「選手たちの遺体が戻ってくるのを待ちわびている。最後に一度、みんなで称えてあげたい。その時を待って、町は止まってしまった」と1人のサポーターは話した。

(英語記事 Chapecoense air crash: Leaked tape shows plane 'ran out of fuel')


サッカー=ブラジルチーム搭乗機墜落、原因は燃料切れ
ロイター 12/1(木) 10:57配信

998
 11月30日、ブラジル南部を拠点とするサッカーチーム、シャペコエンセの選手らが登場していたチャーター機が墜落した事故で、操縦していた機長が最後の言葉で燃料切れを口にしていたことが明らかに。写真は選手らを追悼するファン(2016年 ロイター/Ricardo Moraes)

[ラウニオン(コロンビア)/シャペコ(ブラジル) 30日 ロイター] - ブラジル南部を拠点とするサッカーチーム、シャペコエンセの選手らが搭乗していたチャーター機が28日にコロンビア中部メデジン近郊で墜落した事故で、操縦していた機長が最後の言葉で燃料切れを口にしていたことが分かった。

音声記録によると、ボリビア人の機長はメデジン空港の管制塔通信士に対し、同機の電気系統が全面停止し、燃料切れの状態にあると述べ、緊急着陸を要請していた。

事故による犠牲者は71人で、生存者は選手3人、ジャーナリスト1人、乗員2人の合計6人。助かった乗員の一人は、コロンビアのラジオ局に対し、万が一の際の手順に厳密に従ったことで命が救われたとし、「乗客の多くは席を離れ、叫び出した。私は荷物を両足の間に入れて胎児のように丸くなる体勢を取った」と語った。

本拠地のブラジル南部シャペコでは学校が休校に、店舗や事務所も休業となった。遺体が戻るのを待ちたいと、スタジアムの外にテントを組み立てる熱心なファンの姿も。ファンの一人カウア・レジスさんは「勝利の時も、悲劇の時も、何があってもここにいる」と語った。

シャペコエンセとコパ・スダメリカーナ(南米杯)決勝の第1戦を30日に戦う予定だったコロンビアのアトレチコ・ナシオナルは、「われわれにとってシャペコエンセは永久に2016年南米杯王者」と述べ、同クラブに敬意を表して優勝トロフィーが授与されることを希望した。


コロンビア墜落事故 燃料切れで墜落か 墜落前にパイロット「完全に電気系統が切れた。燃料がない」
産経新聞 12/1(木) 10:29配信

 【ロサンゼルス=中村将】南米コロンビアでブラジルのプロサッカーチームの選手らを乗せたチャーター機が墜落した事故で、複数のコロンビアのメディアは11月30日、パイロットが飛行中に燃料がなくなったことを管制官に伝えたとされる音声記録の内容を報じた。

 報道によると、パイロットは墜落前、「完全に電気系統が切れた。燃料がない」「燃料が緊急事態だ」などと緊急着陸の許可を求めたが、その後、通信が途絶えた。AP通信によると、事故後に救助された客室乗務員も救急隊員に「燃料切れ」と語ったという。燃料不足に陥った理由は不明。コロンビア航空当局は音声記録が本物かどうかには言及していない。

 事故ではブラジル1部リーグのチーム、シャペコエンセの選手と報道関係者、乗員ら71人が死亡し、6人が救助された。


「故障!」操縦士叫ぶ=コロンビア
時事通信 12/1(木) 10:05配信

997
南米コロンビア中部メデジン近郊に墜落したチャーター機の操縦士が、近くの管制塔に「完全に故障、燃料がない」と叫ぶ交信記録とされる音声が、コロンビアで11月30日、一斉に報じられた=29日撮影


コロンビア墜落、操縦士が直前に「燃料切れ」報告か テープ流出
AFP=時事 12/1(木) 9:31配信

996
コロンビア・セロゴルドの山岳地帯に墜落したラミア・ボリビア航空機の残骸(2016年11月29日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機がコロンビアで墜落し乗客乗員71人が死亡した事故で、墜落直前に操縦士が管制官に語った「燃料切れ」という音声を記録したとされるテープを、コロンビアメディアが放送した。ただ、当局はテープが本物かどうか確認していない。

 事故を起こしたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)のミゲル・キロガ(Miguel Quiroga)操縦士はパニックに陥った様子で「ラミア2933便は完全な故障、電気系統の完全な故障、燃料切れ」と管制塔に報告している。この声の録音は墜落数分前とされる。

 テープの中で操縦士はこれに先立ち、「燃料の問題」により着陸を優先したいと要請している。

 チャーター機は11月28日、コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で墜落。国際大会に参加するブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)の選手や記者らが搭乗していた。

 当局は11月30日も事故原因の調査を継続。コロンビアとブラジルの当局者やメディアの間でも燃料切れや電気系統の故障が墜落原因として推測されている。【翻訳編集】 AFPBB News


「故障!」操縦士叫ぶ=墜落機音声記録か―コロンビア
時事通信 12/1(木) 9:21配信

 【メデジン(コロンビア)AFP=時事】元サッカーJリーグの監督や選手を乗せ南米コロンビア中部メデジン近郊に墜落したチャーター機の操縦士が、近くの管制塔に「完全に故障、完全に電気系統が故障、燃料がない」と叫ぶ交信記録とされる音声が、コロンビアで11月30日、一斉に報じられた。

 墜落数分前のミゲル・キロガ操縦士の無線での声とされるが、本物かどうかコロンビア当局は確認していない。ただ、コロンビアの主な放送局が放送し、新聞のサイトにも掲載されている。

 これに先立ち操縦士は「燃料の問題」を訴え、着陸許可を求めている。管制塔は許可したが、直後に交信が途絶えた。


シャペコエンセ搭乗機墜落事故 犠牲者数は71人、4人は乗らず
スポニチアネックス 11/30(水) 21:15配信

986
コロンビア中部メデジン近郊のチャーター機墜落現場で救出作業にあたる人々(AP)

 コロンビア中部メデジン近郊でブラジルのプロサッカーチーム、シャペコエンセの選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故で、コロンビア政府当局は29日、死亡したのは71人で、6人が救助され病院などで手当てを受けていることを明らかにした。

 航空当局は当初、乗客乗員81人のうち76人が死亡したとしていたが、生存者が1人増え、4人が搭乗していなかったことが分かったという。


サッカー界から追悼の声相次ぐ、無償の選手貸し出しの提案も
CNN.co.jp 11/30(水) 18:52配信

(CNN) ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの選手らを乗せたチャーター機がコロンビア・メデジン近郊に墜落した事故を受け、ソーシャルメディア上にはサッカー界を代表するクラブや選手などから、犠牲者を悼む書き込みが相次いで寄せられている。

ボリビアのサンタクルスからコロンビアのメデジンへ向かっていた旅客機が墜落したのは28日夜、乗員乗客77人のうち、29日までに、71人の死亡と、6人の生存が確認された。シャペコエンセの選手やスタッフらは南米のクラブ同士が争う「コパ・スダメリカーナ」の決勝第1戦を戦うため同機に搭乗していた。所属選手のうちこれまで生存が確認されているのは3人。

ブラジル代表のネイマール選手は自身のツイッターに画像とメッセージをアップし、シャペコエンセへの追悼と激励の気持ちを示した。またスペインのレアル・マドリードやバルセロナなどのクラブは、練習の際、選手らが輪になって事故の犠牲者に黙とうを捧げた。同じくスペインのアトレティコ・マドリードは、かつて所属していたクレベル・サンターナ選手が事故機に搭乗していたとして、ツイッターで「衝撃を受けている」とつづった。

ドイツでもバイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムントといったクラブが追悼のメッセージを寄せている。

ブラジル代表の伝説的な選手だったことで知られるペレ氏は、シャペコエンセのエンブレムをブラジル国旗に重ねた画像をツイッターに投稿。「ブラジルのフットボールファミリーが悲嘆に暮れている」と述べ、犠牲者の家族に哀悼の言葉を贈った。

ブラジル国内では、コリンチャンスをはじめとする複数の有力クラブが、2017年のシーズンの間シャペコエンセに無償で選手を貸し出すと申し出ている。

人口20万人の街をホームタウンとするシャペコエンセは1973年の創立。国内4部リーグからトップのカテゴリーに上り詰め、今年は前出のコパ・スダメリカーナでも快進撃を続けるなど、そのシンデレラ・ストーリーはブラジル全土から注目を集めていた。


コロンビア墜落事故 原因は燃料切れか、現場で火災発生せず
CNN.co.jp 11/30(水) 18:06配信

(CNN) ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機がコロンビアの山間部に墜落した事故の原因を調べている当局者らは、機体が燃料切れを起こしていた可能性を検討していることが30日までに分かった。初期調査の状況に詳しい人物が語った。

同機の墜落現場では火災が発生しなかった。過去の例からみて、これは燃料がほとんど残っていなかったことを示唆している。

航空機のエンジンに燃料が供給されなくなる状況としては、燃料漏れや内部の着氷、ポンプやメーターの不具合、乗員のミスなど、いくつものケースが考えられる。ただ専門家らによると、民間航空機では通常、何重にもチェックが繰り返されるため、めったに起きることはないという。

コロンビア民間航空当局の責任者は、予備調査では電気系統が故障したとの説が浮上しているものの、燃料切れの可能性も否定できないと述べた。

同当局が公開した現場の写真には、斜面に散乱した破片の様子が写っているが、焼け焦げた跡はみられない。惨事のなかで6人の生存者が確認されたのも、火災が起きなかったためとの見方が強い。

調査チームは今後、現場から良好な状態で回収された飛行記録装置(フライトレコーダー)と音声記録装置(ボイスレコーダー)を解析し、整備や製造の記録を確認するなどして原因を究明する構え。機体を製造した英アブロ社からも、応援のチームが派遣されている。


コロンビア墜落事故 犠牲者に元千葉・得点王ケンペスも
産経新聞 11/30(水) 17:54配信

995
C大阪時代のケンペス=2012年6月、キンチョウスタジアム(撮影・鳥越瑞絵)(写真:産経新聞)

 南米コロンビアで、ブラジルのプロサッカーチームの「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機が墜落した事故は、4人の元Jリーガーも犠牲者に名を連ねる大惨事となった。

 2012年2月に来日したFWケンペスは約9カ月間、当時J1だったC大阪でプレー。公式戦34試合に出場し9得点を挙げた。

 期限付き移籍だったこともあり、レンタル元である母国・ブラジルのクラブに一時戻るが、翌13年からはJ2千葉に完全移籍。J1復帰を目指す古豪の攻撃陣を牽引し、13年シーズンはJ2で22得点を挙げ得点王に輝いた。

 翌14年シーズンもJ213得点。チームを3位に押し上げたが、プレーオフは決勝で敗北し、昇格を果たせないまま、ブラジルに帰国した。

 退団時には公式サイトを通じて、「私は千葉を離れますが、応援しています! 1人の千葉サポーターが増えましたね! 本当にありがとうございました!」とコメントしていた。

 1973年創設とサッカー王国ブラジルでは新興チームのシャペコエンセは2014年にブラジル1部リーグに昇格。コパ・スダメリカーナ決勝を戦うため、コロンビア遠征中に事故にあった。

 初の国際タイトルをかけたチームを主将として統率していたのが2005年にJ1柏でプレーしたMFクレーベルだった。

 ブラジル人ならではの個人技を披露し29試合8得点の記録を残したが、柏はJ2に降格。退団後はスペインリーグでプレー。14年からシャペコエンセで中盤を統率していた。

 ブラジルの名門、フラメンゴから15年に期限付き移籍でJ1川崎に加入したのがMFアルトゥールマイア。

 左足のテクニックと抜群の攻撃センスが武器で背番号10を背負うなど期待は高かったが、初めての外国生活になじめず、公式戦6試合無得点。不完全燃焼に終わり、16年にシャペコエンセに加入していた。

 10年に当時J1だった京都に加わったDFチエゴも事故の犠牲となった。

 1年間だけの在籍ながら、公式戦12試合に出場。ボランチからディフェンスラインまですべてのポジションをこなせる器用さをもっており、188センチの長身を生かした空中戦の強さをみせた。 事故後の救出活動で生存が確認された6人のうち、選手は3人のみ。昨年J2だった福岡でプレーしたMFモイゼスは遠征メンバーから外れ、ブラジルに残っていたため無事だった。


墜落事故機、緊急着陸の要請を聞き入れられずか
日刊スポーツ 11/30(水) 16:57配信

 コロンビアの山中で28日夜(日本時間29日)に発生した、ブラジル1部シャペコエンセのメンバーを乗せた飛行機が墜落した事故について、飛行機を運航したラミア・ボリビア航空の副操縦士が緊急着陸を要請しながら、メデジンの空港の管制塔は、別な飛行機の着陸を優先したとコロンビアの複数メディアが報じた。副操縦士は電気系統の不調を訴え、必死に緊急着陸を要請したものの、聞き入れられなかったようだと報じている。

 またたラミア・ボリビア航空の全容も分かってきた。ブラジルの大手メディア・グローボの取材によると、ラミア・ボリビア航空は、昨年7月に設立されたばかりの小さな航空会社で、チャーター便の運航と輸送を専門にしていたという。アルゼンチン代表も移動に使用しており、バルセロナFWリオネル・メッシも同社の飛行機に乗っていた可能性がある。

 ラミア・ボリビア航空は飛行機を3機所有しているが、うち2機は検査中で、唯一、稼働していた1機が墜落したという。同社の関係者は、グローボの取材に「航空機は、ボリビアの政府当局の全ての検査項目をクリアし、完璧な状態だった」と答えた


ジャーナリスト20人死亡=コロンビアのチャーター機墜落
時事通信 11/30(水) 14:16配信

 【リオデジャネイロAFP=時事】コロンビアで28日に起きたチャーター機墜落事故では、ブラジルのサッカー選手のほか、ジャーナリスト20人が命を落とした。

 死者には、ブラジルの元サッカー選手で著名なテレビコメンテーターのマリオ・セルジオ氏が含まれている。乗客名簿に載っていたジャーナリストのうち1人は、フライトに乗り遅れて難を逃れた。

2016年11月29日 (火)

コロンビアでブラジルのサッカーチーム搭乗のチャーター機が墜落

コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜(日本時間29日昼)、乗客乗員計77人を乗せたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)のチャーター機・アブロRJ85(BAe146)が墜落した。71人が死亡し、生存者6人が救出されたが、うち1人は病院へ搬送中に死亡した。乗客にはブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らも含まれている。

シャペコエンセには日本のJリーグで活躍した監督や複数の選手が所属しており、このうち何人かが事故機に乗っていた可能性がある。

チャーター機はボリビア南部サンタクルスを28日に飛び立ち、メデジンに向かっていた。墜落したのはメデジン近郊で、ロイター通信によると、機体は二つに割れ、尾翼が破損していた。事故原因はまだ判明していないが、当初、電気系統のトラブルと報じられ、その後、燃料切れが原因とする報道が広がっている。墜落現場での救出活動などは悪天候の中で行われた。

Arj85
アブロRJ85の同型機(ウィキペディアより)

リンク:ケンペスら元J4選手と監督死亡と地元メディア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:世界中のサッカー選手と関係者がシャペコエンセに哀悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<コロンビア墜落>飛行記録を回収 71人の死亡確認 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:チャーター機墜落 記者ら4人乗っておらず、死者71人、生存者6人に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故、サッカー選手ら6人生存 死者71人に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:直行便から経由便、飛行ルート変更、燃料不足… 様々なトラブルが重なったシャペコエンセの悲劇 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、死者75人から71人に訂正 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落事故 ブラックボックスを回収、死者は71人に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:回収されたブラックボックス - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落したチャーター機と救助隊員 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:チャーター機の墜落現場 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落事故の現場 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアで悲劇…元J監督が、得点王が墜落死 75人が犠牲に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:快進撃イレブン襲った悲劇=大舞台直前、悪夢に―元J1監督が指揮・コロンビア墜落 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアで旅客機墜落 ブラジルサッカー選手含む71人死亡か Jリーグ経験者の可能性も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:FIFA会長「悲しい日」=コロンビア墜落 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビア墜落、サッカー選手1人救出で生存者6人に 死者71人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<飛行機墜落>J元監督・選手ら7人所属 関係者も無事祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<飛行機墜落>名簿にJ1元監督も コロンビア当局5人救出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアで旅客機墜落 76人死亡、サッカー選手ら搭乗 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:81人乗り旅客機墜落=コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【写真特集】コロンビアで飛行機墜落、ブラジル1部リーグ所属のサッカー選手ら搭乗 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<飛行機墜落>コロンビア山岳地帯 チャーター機76人犠牲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアで旅客機墜落 サッカー選手ら81人が搭乗、6人生存か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<飛行機墜落>81人搭乗 ブラジル1部サッカー選手犠牲か - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:生存者は81人中6人か ケンペス選手ら救出情報なく…悪天候で救助難航 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ブラジルのサッカー選手ら乗せた航空機、コロンビアで墜落-75人死亡 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:81人搭乗機が墜落、76人死亡 ブラジルのサッカーチームも搭乗 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元Jケンペスらの飛行機墜落、救出されたGKが死亡 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ブラジルクラブの選手乗ったチャーター機が墜落…元神戸カイオ・ジュニオール監督が指揮 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアで旅客機墜落、76人死亡 ブラジルサッカーチーム搭乗 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コロンビアでチャーター機墜落、ブラジルサッカー選手ら搭乗 5人生存の情報 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:墜落機に元Jリーグ選手ら搭乗か…6人を救助 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:チャーター機墜落、75人死亡=名簿に元J1監督や選手―コロンビア - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

ケンペスら元J4選手と監督死亡と地元メディア 
日刊スポーツ 11/30(水) 12:41配信

994
シャペコエンセの一行が乗ったチャーター機の墜落現場(ロイター)

 ブラジル1部シャペコエンセの選手ら81人を乗せ、ボリビアからコロンビアのメデジンに向かっていた飛行機が28日夜(日本時間29日)コロンビアの山中で墜落した事故で、ブラジルの大手メディア・グローボは29日夜(日本時間30日)死亡が確認された搭乗者のリストを更新した。

 事故機には、13年に22得点でJ2得点王になった元千葉、C大阪のFWケンペス(34)、05年に柏、07年から10年までAマドリードに所属したクレーベル(35)、10年に京都に所属したDFチエゴ(30)、川崎Fに昨年在籍したMFアルトゥール・マイア(24)が乗っていたが、グローボは4選手が死亡したと発表した。また09年に神戸を率いたカイオ・ジュニオール監督(51)も死亡した。

 またグローボは、奇跡的に生存した搭乗者のうち、頭部に重傷を負ったDFネトの、頭蓋内にできた血腫を除去する手術が成功したと報じた。GKフォルマンは手術を受け、右足のひざから下を切断したという。DFアラン・ラスケルは左足を骨折したほか、脊椎骨折の重傷を負ったが、手術を行い、状態は安定しているという。

 シャペコエンセは12月1日にコロンビアのメデジンで行われる南米のカップ戦コパ・スダメリカーナ(南米杯)決勝のナシオナル・メデジン(コロンビア)戦に出場する予定だった。カイオ・ジュニオール監督の息子マテウス・サロリさんは、パスポートを忘れてしまい、飛行機に乗ることができず、チームに帯同しなかったことで今回の事故を免れた。マテウスさんは、ブラジルのテレビ局RPCの取材に応じ、チームがサンパウロのグアリーリョス空港を出発する前に、父らスタッフとミーティングを行ったことを明かした。

 「空港で、別れる最後の瞬間まで、チームのいろいろなことについて話し合った。(事故が起こってしまった後、結果論として)今、言うのは簡単だと思われるかもしれないが、父と話していて、いつもとは違う何かを感じていました」

 マテウスさんは「父は亡くなったとしても(シャペコエンセの監督を務め)幸せだったと思う」と、涙ながらに語った。


世界中のサッカー選手と関係者がシャペコエンセに哀悼
AFP=時事 11/30(水) 12:22配信

993
選手らが飛行機墜落の犠牲になったシャペコエンセのホームスタジアムに集まり、追悼行事に参加する人々(2016年11月29日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)のメンバーらを乗せた旅客機が墜落した事故に対して、世界のサッカー界が哀悼の意を表している。ここでは主なものをまとめた。

【写真】シャペコエンセのホームスタジアムに置かれた哀悼のメッセージや花

――けがのため遠征に帯同しなかったシャペコエンセのFWアレハンドロ・マルティヌシオ(Alejandro Martinuccio)「チームメートのために祈ってください。お願いします」

――シャペコエンセの主将クレーベル・サンタナ(Cleber Santana Loureiro)がかつて所属していたアトレティコ・マドリード(Atletico de Madrid)「かつての仲間、クレーベル・サンタナの現所属クラブを襲った事故に、深い衝撃を受けています。ご家族のみなさまにお悔やみ申し上げます。安らかに」

――サンタナとアトレティコ時代に同僚だったマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)のGKダビド・デ・ヘア(David De Gea)「墜落事故に深い悲しみを覚えています。サンタナとはロッカールームが一緒だったこともあり、今の気持ちは言葉では言い表せません。大きな抱擁を」

――FCバルセロナ(FC Barcelona)のネイマール(Neymar da Silva Santos Junior)「この悲劇が信じられません。こんなことが起こるなんて信じられない。飛行機が落ちたなんて信じられない。選手や、人々がその飛行機に乗っていたなんて信じられない。その人たちが家族を残していってしまったなんて信じられない」

――FCバルセロナのリオネル・メッシ(Lionel Messi)「ご遺族、ご友人、シャペコエンセのファンのみなさまへ、深い哀悼の意を表します」

――レアル・マドリード(Real Madrid)のクリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)「シャペコエンセの方々に起こった悲劇にショックを受けています。ご遺族とご友人には連帯を。クラブとブラジルサッカー界全体には抱擁を」

――レアル・マドリードの主将セルヒオ・ラモス(Sergio Ramos)「私たちの思いは、シャペコエンセ、この悲劇の余波を受けたみなさま、そしてご遺族とともにあります。言葉が見つかりません」

――コロンビア代表のラダメル・ファルカオ・ガルシア(Radamel Falcao Garcia)「この悲しいときに、シャペコエンセの生き残った方々、ご遺族、ご友人へ、祈りと連帯の気持ちをささげます」

――元ブラジル代表のペレ(Pele)氏「ブラジルのサッカー界が嘆き悲しんでいます。悲劇的な損失です。亡くなった方々のご遺族に心からお悔やみ申し上げます。安らかに」

――元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏「選手たちのことをとても残念に思います。彼らはサッカー界の一勢力になる途上にありながら、誤った飛行機に乗ってしまいました」

――国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ(Gianni Infantino)会長「サッカーにとってとても悲しい日です。この苦しいときに、われわれの思いは犠牲者とご遺族、ご友人とともにあります。シャペコエンセのファンのみなさまに、ブラジルのサッカーコミュニティー、メディア組織のみなさまに、心からお悔やみ申し上げます」

――1958年に飛行機事故で8人の選手を失ったマンチェスター・ユナイテッド「マンチェスター・ユナイテッドのすべての人間の思いは、シャペコエンセ、そしてコロンビアで悲劇に遭われたすべての方々とともにあります」

――レアル・マドリード「ブラジルのクラブ、シャペコエンセの飛行機墜落の悲劇に哀悼の意を表するとともに、犠牲者のご親族、ご友人にお悔やみ申し上げます。同時に、生き残ったみなさまの一刻も早いご回復をお祈り申し上げます」

――FCバルセロナ「コロンビアでシャペコエンセの悲劇に見舞われた犠牲者、ご遺族のみなさまに、できうる限りの支援と連帯を示します」

【翻訳編集】 AFPBB News


<コロンビア墜落>飛行記録を回収 71人の死亡確認
毎日新聞 11/30(水) 12:00配信

992
墜落現場

 【ハバナ朴鐘珠】南米コロンビア北西部メデジン近くで28日夜、ブラジルのプロサッカー選手らが乗ったチャーター機が墜落した事故で、コロンビア当局は29日、飛行データが記録された「ブラックボックス」を現場から回収し、事故原因の本格的な解明を始めた。

 当局は当初、名簿に基づき乗客を72人としていたが、4人が乗っていなかったことが分かり、68人と修正した。乗員9人を加えた計77人が搭乗し、うち71人の死亡が確認され、6人が救出された。

 事故機にはブラジルのプロサッカー1部リーグの「シャペコエンセ」の選手らが搭乗。名簿にJ1神戸で監督経験があるカイオ・ジュニオール監督やジェフ千葉やセレッソ大阪に所属したケンペス選手ら元Jリーガー4選手の名前が載っていた。


チャーター機墜落 記者ら4人乗っておらず、死者71人、生存者6人に
ホウドウキョク 11/30(水) 11:30配信

991
(写真:ホウドウキョク)

墜落の原因は、電気系統の不具合とみられている。
ブラジルのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機が、28日、コロンビアで墜落した。
チームは、南米カップの決勝戦に初めて進出し、決戦の地、コロンビアに向かっていた。
当局は、当初、チャーター機に81人が乗っていたと発表していたが、記者ら4人が乗っていなかったことがわかり、結果、死者は71人、生存者は6人となった。
地元当局は、電気系統に不具合があった可能性が高いとみて、事故原因をくわしく調べている。


コロンビア墜落事故、サッカー選手ら6人生存 死者71人に
CNN.co.jp 11/30(水) 10:46配信

コロンビア・メデジン近郊(CNN) ブラジルのサッカー選手らを乗せたチャーター機がコロンビア・メデジン近郊に墜落した事故で、29日までに71人が死亡し、6人の生存が確認された。

民間航空当局によると、77人を乗せたアブロRJ85型機は28日夜、ボリビアのサンタクルスからコロンビアのメデジンへ向かう途中、コロンビアのリオネグロ付近の山間部に墜落した。

同機にはブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手やコーチ、招待客、報道陣などが搭乗していた。コロンビア当局によれば、ディフェンダーのアラン・ラスケル選手など少なくとも3選手と乗員2人、記者1人は生存が確認された。

現場では機体の残骸の捜索作業が行われ、当局が墜落原因を調べている。29日午後にはフライトデータレコーダーと操縦室の音声を記録したボイスレコーダーが見つかった。いずれも「完璧な状態」だったとしている。

管制官や航空当局によると、同機は現地時間の28日午後6時18分、ボリビアのビルビル国際空港を出発。コロンビア上空で非常事態を宣言し、メデジン近郊に墜落した。

1973年の創設以来長く下部リーグでプレーしてきたシャペコエンセは、近年になって国内でも屈指の強豪チームにのし上がり、ブラジル全土にファンを獲得。南米のクラブ同士が争う今年の「コパ・スダメリカーナ」では多くの予想に反して格上の相手を破る目覚ましい活躍を見せ、「サッカー界のシンデレラ」と評されている。30日には同カップ戦の決勝第1戦に出場するはずだった。

本拠地シャペコのスタジアム前には大勢のファンが集まり、突然の悲報に涙にくれている。


直行便から経由便、飛行ルート変更、燃料不足… 様々なトラブルが重なったシャペコエンセの悲劇
Football ZONE web 11/30(水) 10:40配信

990
シャペコエンセを乗せていた飛行機は様々なトラブルを抱えていたことが明らかに【写真:Getty Images】

サンパウロから直行便でコロンビアへと向かう予定だったが…
 現地時間28日にコロンビアのメデリン近郊で起きた航空機事故で、ブラジルのサッカークラブ「シャペコエンセ」の主力選手や首脳陣、そして同行した記者陣70人以上が死亡した。スペイン紙「マルカ」は本来ブラジルからの直行便だったはずの飛行機が経由便になったことなど、様々なトラブルが重なったと伝えている。

 チャーター機を手配したシャペコエンセは、ブラジルの航空会社であるANACの飛行機でサンパウロから直行便でコロンビアへと向かう予定だったが、ボリビアの空港でトランジット後、コロンビアに向かうルートへ変更することになったという。

 そのボリビアからコロンビアに向かうフライトは、ベネズエラの航空会社であるラミア航空の飛行機に搭乗することになった。18日前にはFWリオネル・メッシ(バルセロナ)らアルゼンチン代表メンバーを乗せた同じ便だったことにも触れられているが、同紙によると「最終的な目的地に到着する1時間前に計画外の墜落を余儀なくされた。その問題は飛行機にあった」と指摘し、こう記されている。

「当該の飛行機は最小量の燃料で飛んでおり、非常事態を想定していなかった。パイロットと地上管制官との間で通信の誤解が生じたことは、最短の着陸ルートが取られなかったことを意味する」

 かつてセレッソ大阪やジェフユナイテッド市原・千葉に所属したFWケンペスらが犠牲になった事故。飛行ルートの変更、搭乗した飛行機の燃料不足など様々な原因が積み重なった結果が、今回の悲劇につながったとしている。


コロンビア墜落、死者75人から71人に訂正
読売新聞 11/30(水) 10:35配信

 【ロサンゼルス=田原徳容】ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機が28日、コロンビアの山中で墜落した事故で、AP通信は29日、コロンビア運輸航空当局の話として、死者数を当初発表した75人から71人に訂正したと報じた。

 死亡したとみられた4人が搭乗していなかったことが判明した。一方、当局は同機のブラックボックスを回収、事故原因の究明に向けて解析を始めた。

 同通信などは、当局の話として、同機は緊急信号を発信した後、レーダーから消えており、原因として、電気系統のトラブルのほか、激しい雨の影響や燃料が足りなかった可能性もあるとの見方を報じた。

 6人の生存者はシャペコエンセの選手3人と乗員のボリビア人2人、ジャーナリスト1人。死者についての公式の発表はなく、搭乗名簿に名前があった日本のJリーグのチームに所属した監督や選手らの安否は分かっていない。


コロンビア墜落事故 ブラックボックスを回収、死者は71人に
産経新聞 11/30(水) 10:02配信

 【ロサンゼルス=中村将】南米コロンビアで、ブラジルのプロサッカーチームの選手らを乗せたチャーター機が墜落した事故で、コロンビアの航空当局は29日、コックピット内の会話や飛行データなどを記録したブラックボックスを回収したことを明らかにした。事故原因の解明を進める。AP通信などが報じた。

 同機には当初、ブラジル1部リーグのチーム、シャペコエンセの選手と報道関係者、乗員ら計81人が搭乗しているとされていたが、航空当局者は同日、搭乗者名簿にあったうちの4人は乗り合わせていなかったと発表。事故による死者を75人から71人に訂正した。4人はサッカーチームのメンバーではないという。

 同機はボリビアからコロンビア中部メデジンに向かう途中の28日深夜から29日未明にかけて、山岳地帯に墜落した。


回収されたブラックボックス
時事通信 11/30(水) 8:31配信

985
29日、コロンビア中部メデジン近郊に墜落したチャーター機から回収された二つのブラックボックス=同国当局提供


墜落したチャーター機と救助隊員
時事通信 11/30(水) 8:31配信

989
29日、コロンビア中部メデジン近郊のチャーター機墜落現場で、捜索活動に当たる救助隊員。


チャーター機の墜落現場
時事通信 11/30(水) 8:31配信

988
29日、コロンビア中部メデジン近郊のチャーター機の墜落現場で作業に当たる救助隊員ら=地元警察当局提供


墜落事故の現場
時事通信 11/30(水) 8:31配信

987
29日、コロンビア中部メデジン近郊のチャーター機墜落現場で、生存者の捜索活動に当たる救助隊員ら。


コロンビアで悲劇…元J監督が、得点王が墜落死 75人が犠牲に
スポニチアネックス 11/30(水) 7:01配信

986
コロンビア中部メデジン近郊のチャーター機墜落現場で救出作業にあたる人々(AP)

 元Jリーガーが“メデジンの悲劇”の犠牲となった。南米連盟主催の国際大会スダメリカーナ杯の決勝に進出していたシャペコエンセ(ブラジル)の選手、関係者を含む乗客乗員計81人が乗ったボリビアのチャーター機が28日、コロンビアで墜落した。地元政府は29日に生存者は6人で、残り75人は死亡したと発表。元J1神戸指揮官のカイオ・ジュニオール監督(51)のほか、J2千葉などで活躍したFWケンペス(34)ら、かつてJリーグでプレーした4選手も搭乗していた。

 山肌に大破した航空機が横たわっていた。シャペコエンセの選手22人ら乗客72人と乗組員9人が乗ったチャーター機が28日夜に同国中部メデジン近郊に墜落した。現場は山岳部でアクセスが難しい上に、悪天候で救助活動は難航。地元警察は29日未明に生存者は5人のみと発表したが、その後、コロンビアのサントス大統領は6人が生存していると明らかにした。ロイター通信などは当局者の話として乗客乗員75人が死亡したと伝えた。

 地元報道によると生存者は選手3人が含まれておりDFアラン・ルシェウ、GKダニーロ、GKジャクソン・フォルマン。残り3人は記者、乗組員、技術者という。搭乗者名簿には、神戸で09年に指揮を執ったカイオ・ジュニオール監督ら元Jリーグ関係者5人が含まれていた。05年に柏に所属したMFクレーベルはチーム主将。12年に当時J1のC大阪、13~14年にJ2千葉でプレーして13年にJ2得点王となったFWケンペス、昨年川崎FでプレーしたMFアルトゥール・マイア、10年に当時J1の京都に所属したDFチエゴも搭乗していたが、生存者名簿にはいずれも名前がなかった。J2千葉のMF佐藤勇人はツイッターで「ケンペスどうか無事でいてくれ」と元同僚の無事を祈るなど、日本の関係者にも動揺が広がった。

 シャペコエンセは南米連盟主催の国際大会スダメリカーナ杯で初めて決勝進出。30日に決勝第1戦でアトレチコ・ナシオナル(コロンビア)と対戦するためサンパウロを28日午後3時すぎにたち、ボリビア東部サンタクルスを経由し同午後9時半ごろにメデジンの国際空港に到着予定だった。しかし事故機から電気系統のトラブルを伝える緊急発信の後、メデジン近郊で消息を絶ち山岳部に墜落した。

 初のビッグタイトルを目前にした悲劇だった。本拠地シャペコは人口わずか20万人。14年にブラジル1部に35年ぶりに復帰した地方の小クラブにとって奇跡的な快進撃で、指揮官は決勝進出を決めた直後の会見で「もし今日死んだとしてもハッピーだ」と感極まって話すほど喜んでいた。

 シャペコエンセとアトレチコ・ナシオナルの勝者は、南米代表としてスルガ銀行チャンピオンシップの出場権を獲得。今年のルヴァン杯王者の浦和と来年に対戦予定だった。南米連盟は決勝の延期を発表したが、状況的に開催は難しい。地元報道によると、アトレチコ・ナシオナルは、南米連盟にシャペコエンセを大会優勝チームとするよう依頼したという。

 ▽シャペコエンセ ブラジル南部サンタカタリナ州のシャペコを本拠地に1973年創設。77年に同州選手権を制し、初タイトルを獲得。78年にブラジル全国選手権1部に初昇格したが、その後は下部で低迷。09年4部、12年に3部、13年に2部と昇格。14年に35年ぶりに1部復帰し15位。昨季は14位、今季は9位で、「ブラジルのレスター」と呼ばれる。主なタイトルはサンタカタリナ州選手権優勝5回、同州杯優勝1回。


快進撃イレブン襲った悲劇=大舞台直前、悪夢に―元J1監督が指揮・コロンビア墜落
時事通信 11/30(水) 6:17配信

985
29日、コロンビア中部メデジン近郊に墜落したチャーター機から回収された二つのブラックボックス=同国当局提供

 南米コロンビア中部メデジン近郊で28日に起きたチャーター機墜落事故では、ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の主力選手の大半が犠牲になったとみられる。

 弱小と見なされていたチームが快進撃の末、ビッグタイトルにあと一歩まで迫ったところで見舞われた悲劇。関係者の間にショックが広がっている。

 コロンビア当局は29日、飛行記録を収めたブラックボックスを発見したと明らかにした。当局は搭乗者名簿に基づき75人死亡、6人生存と発表していたが、名簿中の4人が乗っていなかったことが分かり、死者数を71人に修正した。

 シャペコエンセはブラジル南部シャペコを本拠地とする地域密着チームで、1973年に設立された。1部リーグに2014年に復帰したばかりで、今季はかつてJ1神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督の下、J1C大阪などに在籍していたFWケンペス選手らの働きもあって躍進。南米のクラブチームが戦うコパ・スダメリカーナ(南米杯)の大舞台でも、準決勝でアルゼンチンの強豪サン・ロレンソを下し、チーム史上初めて30日、コロンビアのアトレティコ・ナシオナルとの決勝第1戦に臨むはずだった。

 突然の悲劇に、シャペコの市長は「夢がまったくの悪夢に変わってしまった」と嘆息。ロイター通信によれば、シャペコエンセのトッゾ副会長は、ブラジルのメディアに「新しい選手と契約し、クラブを立て直さなければならない」と述べ、来年もブラジル・リーグ参加を継続する決意を表明した。

 AFP通信によると、「サッカーの王様」ペレ氏は自身のツイッターに「何と悲劇的な喪失だろう。遺族に哀悼の意をささげる」と書き込んだ。アルゼンチンの英雄マラドーナ氏は「(搭乗していた)若者たちは、サッカー界で主力選手となるはずだった。その矢先、残念ながら間違った飛行機に乗ってしまった」とフェイスブックにつづった。


コロンビアで旅客機墜落 ブラジルサッカー選手含む71人死亡か Jリーグ経験者の可能性も
sorae.jp 11/30(水) 6:14配信

984
コロンビアで旅客機墜落 ブラジルサッカー選手含む71人死亡か Jリーグ参加者の可能性も

月曜日(11月28日)の夜、コロンビアのメデジン郊外の山中にて旅客機が墜落し、71名が死亡したとのニュースが伝えられています。乗客の中にはブラジルのプロサッカーチームも含まれており、現地警察の報道では6名の乗客が助けられているとのことです。
 
墜落事故を起こしたのはラミア・ボリビア航空のチャーター機。同機はボリビアからメデジンへの航路の最中に電気的なトラブルに遭遇し、その後墜落しています。また搭乗していたのは、ブラジルのサッカーチームのシャペコエンセ(Chapecoense)のプレーヤー。搭乗名簿に記載された選手の中には過去にJリーグでプレーしていた選手も複数おり、日本でもその安否を気遣う報道が広まっています。
 
一方、救助されたのは3人のサッカー選手、2人のクルー、1人のジャーナリスト。また4名は直前になって搭乗をキャンセルしており、当初伝えられていた81名の乗員という報道は誤りのようです。現在病院ではAlan Luciano Ruschel選手、Jackson Ragnar Follmann選手が治療をうけており、Helio Zampier選手の容態は安定しているそうです。
 
さらにブラックボックスの回収にも成功しており、今後当局によって調査が行われます。


FIFA会長「悲しい日」=コロンビア墜落
時事通信 11/29(火) 23:00配信

 【ロンドン時事】国際サッカー連盟(FIFA)のインファンティノ会長は29日、ブラジル1部リーグのシャペコエンセの監督、選手らが乗った旅客機が墜落した事故を受け、「サッカーにとって非常に悲しい日になった。衝撃的で悲劇的な事故を聞き、とても残念に思う。犠牲者や家族、友人らにはお悔やみを申し上げ、ファンやブラジルのサッカー界、メディアには心から哀悼の意を表したい」とコメントを出した。


コロンビア墜落、サッカー選手1人救出で生存者6人に 死者71人
AFP=時事 11/29(火) 21:58配信

983
ブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの選手を乗せ、コロンビア・セロゴルドの山岳地帯に墜落したラミア・ボリビア航空機の残骸(2016年11月29日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】(更新、写真追加)コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜に旅客機が墜落した事故で、搭乗していたブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)の選手1人が救出され、生存者は計6人となった。

【関連写真】搬送される生存者

 日付が変わった29日、コロンビアの災害対策当局は、墜落したチャーター機から6番目の生存者を救出していることを確認したと発表した。6人目の生存者は、エリオ・エルミート・サンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)選手だという。当局は「他にも生存者が発見される可能性は排除していない」と述べている。

 民間航空当局は当初、死者を75人と発表していたが、乗客名簿に名前があった72人のうち4人は実際には搭乗していなかったことが分かったため、災害対策当局が死者を71人に修正した。同機にはこのほかに乗員9人が登録されている。

 乗客の中には、30日に予定されていた南米サッカー連盟 (CONMEBOL) 主催の国際大会コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)決勝のためにコロンビアへ向かっていた、カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部所属のチーム、シャペコエンセの選手らが含まれていた。

 先に発表されていた生存者5人には同チームのDF、アラン・ルシェウ(Alan Ruschel)選手も含まれる。CONMEBOLはすでに30日の大会決勝の中止を決定している。【翻訳編集】 AFPBB News


<飛行機墜落>J元監督・選手ら7人所属 関係者も無事祈る
毎日新聞 11/29(火) 21:47配信

 南米コロンビアからの報道によると、28日午後10時15分(日本時間29日午後0時15分)ごろ、コロンビア北西部メデジン近くの山岳地帯で、ブラジルのプロサッカー選手ら乗客72人と乗員9人の計81人が乗ったチャーター機が墜落した。

 ブラジル1部リーグのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」には、かつてJリーグのチームで活躍した監督や選手ら計7人が所属している。どの選手らが搭乗していたのか情報が乏しい中、各地の関係者は無事を祈りつつ安否情報の収集に追われた。

 シャペコエンセはブラジル南部のサンタカタリナ州シャペコが本拠地のプロサッカークラブ。1973年創設で、78年にブラジル全国選手権1部に初昇格。2014年には35年ぶりに同1部へ復帰した。元ヴィッセル神戸監督のカイオ・ジュニオール監督をはじめ、セレッソ大阪やジェフ千葉でプレーした13年J2得点王のケンペス選手や、昨季川崎フロンターレに在籍したアルトゥール・マイア選手らが所属する。

 ケンペス選手が2013年1月から2年間在籍したジェフ千葉の広報グループ、富永真悟さん(31)は「もしかしたら乗っているかもしれないと心配している」と動揺した様子。ケンペス選手は明るく気さくな人柄で、言葉の壁はあったがチームに溶け込んでいたといい、「どうか無事でいて」と願った。

 コンサドーレ札幌に2009年シーズン途中から所属していたハファエル・バストス選手は、半年間の期限付き移籍で加入。J2リーグ17試合で3得点を挙げている。コンサドーレ札幌の広報担当者は「ハファエル選手が航空機に乗っていたのかも分からず、確認のしようもない。情報が入ってくるのを待っている状況」と話した。

 アビスパ福岡に昨年所属していたモイゼス・リベイロ・サントス選手(25)は福岡のクラブ関係者を通じて、無事が確認された。けがのためチームに帯同しておらず「自分が乗っていなかったのは不幸中の幸いだが、それ以上にチームメートが心配だ」と話しているという。モイゼス選手は昨年7月31日に福岡と契約し、昨シーズン終了まで所属。リーグ戦は2試合に出場した。【石井遥、三沢邦彦】

 ◇Jリーグ在籍経験のあるシャペコエンセ所属メンバー

カイオ・ジュニオール監督(神戸監督)

ケンペス(セ大阪、千葉)

クレーベル(柏)

アルトゥール・マイア(川崎)

モイゼス(福岡)

チエゴ(京都)

ハファエル(札幌)

※カッコ内は在籍していたJリーグクラブ


<飛行機墜落>名簿にJ1元監督も コロンビア当局5人救出
毎日新聞 11/29(火) 20:47配信

 【ハバナ朴鐘珠】南米コロンビアからの報道によると、28日午後10時15分(日本時間29日午後0時15分)ごろ、コロンビア北西部メデジン近くの山岳地帯で、ブラジルのプロサッカー選手ら乗客72人と乗員9人の計81人が乗ったチャーター機が墜落した。ロイター通信によると、コロンビア警察当局は76人が死亡し、選手3人を含む5人が救出されたと明らかにした。航空当局が事故の原因を調べている。

 ブラジルのメディアが報じたコロンビア当局発表の乗客名簿には、ブラジル南部サンタカタリナ州シャペコを拠点とするプロサッカー1部リーグの「シャペコエンセ」の選手と首脳陣ら50人の名前があった。この中に、J1神戸での監督経験があるカイオ・ジュニオール監督、千葉やセ大阪に所属したケンペス、元川崎のアルトゥール・マイア、元柏のクレーベル、元京都のチエゴの計4選手が含まれている。他に22人の同行記者がいた。

 墜落した航空機はボリビアのラミア航空2933便。28日午後10時ごろ、着陸態勢に入っていた同機の操縦士から、メデジンの空港の管制塔に電気系統のトラブルが発生したとの緊急通報があった。墜落現場周辺で消防当局が救助活動をしているが、強い雨のために現場には陸路でしかたどりつけず、一時、活動を中止したりして難航している。

 シャペコエンセの選手らはブラジル・サンパウロの空港を28日朝に出発。ボリビア東部のサンタクルスを経由し、28日夜にメデジン到着の予定だった。30日には南米クラブ選手権の決勝戦で現地の「アトレチコ・ナシオナル」との対戦が組まれていた。事故を受け、主催者の南米サッカー連盟は試合の延期を決定した。


コロンビアで旅客機墜落 76人死亡、サッカー選手ら搭乗
CNN.co.jp 11/29(火) 20:17配信

コロンビア・メデジン近郊(CNN) ブラジルのサッカークラブ「シャペコエンセ」の選手らを乗せたチャーター機が28日夜、コロンビア・メデジン近郊で墜落し、76人の死亡が確認された。飛行機は乗客72人、乗員9人を乗せていた。

当局によれば、当初6人の生存者が見つかったとされたが、1人は病院へ搬送する途中で死亡したという。

同機は午後6時18分にボリビアのビルビル国際空港を出発し、コロンビア北西部のメデジン付近で緊急事態を宣言した。

気象衛星の観測によると、現場周辺は当時、所々でにわか雨や雷雨があったものの、上空に大きな異変は起きていなかったとみられる。ただ専門家は、雷雨や山からの風の影響で乱気流が発生した可能性を指摘している。


81人乗り旅客機墜落=コロンビア
時事通信 11/29(火) 19:28配信

981
南米コロンビア中部メデジン近郊の山岳地で28日午後10時ごろ、ブラジルのサッカーチームが乗ったチャーター旅客機(乗客乗員81人)が墜落した。写真は病院に搬送されるサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手


【写真特集】コロンビアで飛行機墜落、ブラジル1部リーグ所属のサッカー選手ら搭乗
アフロ 11/29(火) 18:52配信

982
サッカーのブラジル1部リーグ所属シャペコエンセの選手らを乗せた飛行機がコロンビアに向かう途中に墜落。写真は、11月29日ラ・セハの病院に搬送されるシャペコエンセの選手。(写真:Agencia EFE/アフロ)


<飛行機墜落>コロンビア山岳地帯 チャーター機76人犠牲
毎日新聞 11/29(火) 18:50配信

 ◇管制塔へ「電気系統の故障が発生」報告

 【ハバナ朴鐘珠】南米コロンビアの報道などによると、28日午後10時(日本時間29日正午)ごろ、同国北西部メデジンの空港から約50キロ離れた山岳地帯で、着陸態勢に入っていたチャーター便の航空機が墜落した。ロイター通信によると、コロンビア警察当局は76人が死亡したと明らかにした。

 同機には乗客72人、乗務員9人が搭乗しており、乗客にはブラジルのプロサッカーリーグ1部「シャペコエンセ」の選手と首脳陣ら48人が含まれていた。他に21人の同行記者もいた。AFP通信などによると、少なくとも選手1人を含む5人が生存していた。

 墜落した航空機はボリビアのラミア航空2933便。28日、ボリビアのサンタクルスダセハを離陸し、メデジンへ向かっていた。事故直前に操縦士から管制塔へ、電気系統の故障が発生したとの報告があった。

 シャペコエンセはメデジンで30日に南米クラブ選手権の決勝に出場する予定だったが、事故を受けて試合は延期された。


コロンビアで旅客機墜落 サッカー選手ら81人が搭乗、6人生存か
CNN.co.jp 11/29(火) 18:37配信

(CNN) コロンビアの民間航空当局によると、同国北西部で28日夜、乗客72人、乗員9人を乗せた旅客機が墜落した。乗客の中にはブラジルのプロサッカーチームの選手が含まれている。

同機は午後6時18分にボリビアのビルビル国際空港を出発し、コロンビア北西部のメデジン付近で緊急事態を宣言した。

当局の声明によると、生存者が6人いるとみられる。負傷者は近くの施設へ運ばれているという。

気象衛星の観測によると、現場周辺は当時、所々でにわか雨や雷雨があったものの、上空に大きな異変は起きていなかったとみられる。ただ専門家は、雷雨や山からの風の影響で乱気流が発生した可能性を指摘している。

現場は上空の気象条件が不安定で、陸路で到達するしかないという。コロンビア空軍が出動を試みたが断念した。

搭乗していたサッカーチームは、ブラジル1部リーグのシャペコエンセ。近年急激に力をつけ、30日には南米の国際大会「スダメリカーナ杯」の決勝第一戦でコロンビアのアトレティコ・ナシオナルと対戦することになっていた。


<飛行機墜落>81人搭乗 ブラジル1部サッカー選手犠牲か
毎日新聞 11/29(火) 17:46配信

 ◇コロンビア北西部山岳地帯 25遺体発見

 【ハバナ朴鐘珠】南米コロンビアの報道などによると、28日午後10時(日本時間29日正午)ごろ、同国北西部メデジンの空港から約50キロ離れた山岳地帯で、着陸態勢に入っていたチャーター便の航空機が墜落した。AFP通信によると、少なくとも25人の遺体が見つかった。

 同機には乗客72人、乗務員9人が搭乗しており、乗客にはブラジルのプロサッカーリーグ1部の「シャペコエンセ」の選手と首脳陣ら48人が含まれていた。他に21人の同行記者もいた。このうち少なくとも選手1人を含む3人の生存者が見つかったとの情報がある。

 墜落した航空機はボリビアのラミア航空2933便。28日、ボリビアのサンタクルスダセハを離陸し、メデジンへ向かっていた。事故直前に操縦士から管制塔へ、電気系統の故障が発生したとの報告があった。

 シャペコエンセはメデジンで南米クラブ選手権の決勝に出場する予定だったが、事故を受けて試合は延期された。


生存者は81人中6人か ケンペス選手ら救出情報なく…悪天候で救助難航
スポニチアネックス 11/29(火) 16:51配信

Lamcr
29日、コロンビア中部メデジン近郊に墜落し、大破したチャーター機の機体(AP)

 ◇ブラジル1部クラブ乗せた飛行機墜落

 ブラジルのサッカーチームの選手ら乗客乗員計81人が乗ったチャーター機がコロンビアで墜落したと29日、AP通信などが報じた。生存者がいるもよう。

 28日深夜に中部メデジン近郊の山岳部に墜落した飛行機には同国1部のシャペコエンセの選手が搭乗していたとみられる。

 コロンビアのテレビ局カラコル(電子版)によると、生存者救出され、そのうちDFアラン・ルシェウ(27)がメデシン近郊ラセハの病院に搬送され、生存者として最初に確認された。

 ブラジルのテレビ局グロボニュースは、生存者の中には選手3人が含まれいると報道。ルシェウとDFダニーロ(31)、GKジャクソン・フォルマン(24)と伝えた。

 その後、コロンビアの地元警察は29日午前4時過ぎに、生存者は5人のみで、残りの乗員乗客76人は死亡したと発表。地元警察の担当者は「6人が救出されたが、うち1人は亡くなった。残念ながら、残りの乗客は死亡。死者は76人だ」と説明した。だが、その後コロンビアのサントス大統領は29日、6人が生存していると明らかにしている。

 乗客は72人で、乗組員は9人。ボリビア南部サンタクルスを出発し、コロンビアのメデジン到着の予定だったが、コロンビア山岳部にあるアンティキア県付近で連絡が途絶えた。コロンビアの地元報道によると、事故現場はアクセスが難しい上に、悪天候で救助活動は難航しているという。

 シャペコエンセの監督は、09年に神戸を指揮したカイオ・ジュニオール氏。選手は、12年に当時J1のC大阪、13~14年にJ2千葉でプレーしたFWケンペスのほか、昨年J1川崎FでプレーしたMFアルトゥール・マイア、同じく昨年に当時J2の福岡でプレーしたMFモイゼス、10年に当時J1の京都でプレーしたMFチエゴ、05年にJ1柏でプレーしたMFクレーベルら元Jリーガーが多数所属。乗客名簿によると指揮官のほかチエゴ、クレーベル、アルトゥール・マイア、ケンペスの4人が含まれていたが、救出された選手の中に名前はなかった。

 クラブの本拠地はサンタカタリーナ州のシャペコで、1973年に設立された。77年に同州選手権を制し初タイトルを獲得。78年にブラジル全国選手権1部に初昇格した。14年に35年ぶりに1部復帰を果たし、昨季は14位、今季は9位だった。


ブラジルのサッカー選手ら乗せた航空機、コロンビアで墜落-75人死亡
Bloomberg 11/29(火) 16:50配信

ブラジルのプロサッカーチーム、シャペコエンセの選手らを含む乗客・乗員81人を乗せた航空機が28日、コロンビアで2番目に大きい空港近くに墜落した。現地報道によると少なくとも75人が死亡したが、生存者もいるもようだ。

チャーター便のラミアCP2933便はコパ・スダメリカーナ決勝の第1戦のアトレチコ・ナシオナル戦のためメデジンに向かっていた。ツイッターへの投稿によると、ブラジルのテメル大統領は3日間、国を挙げて喪に服すと宣言した。

コロンビア当局などによると、生存者にはディフェンダーのアラン・ルシェウ選手など3人の選手と乗員2人、報道関係者1人が含まれる。

原題:Airplane Transporting Brazilian Soccer Team Crashes in Colombia(抜粋)Plane Crash With Brazilian Soccer Team Leaves 75 Dead (1)(抜粋)


81人搭乗機が墜落、76人死亡 ブラジルのサッカーチームも搭乗
AFP=時事 11/29(火) 16:34配信

【AFP=時事】(更新、写真追加)コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜、乗客乗員計81人を乗せたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)の旅客機が墜落した。75人が死亡し、生存者6人が救出されたが、うち1人は病院へ搬送中に死亡した。乗客にはブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)の選手らも含まれている。

 メデジンの玄関口であるホセ・マリア・コルドバ国際空港(Jose Maria Cordova International Airport)当局によると、搭乗していたのは乗客72人、乗員9人。同当局はツイッター(Twitter)に「許可証番号CP2933には、シャペコエンセ(@ChapecoenseReal.)のチームが搭乗していたことを確認。生存者がいる模様」と投稿した。救助作業が進んでいるが、悪天候のため現場へは陸路でしか到達できない状態だという。また、生存者の中にはシャペコエンセのDF、アラン・ルシェウ(Alan Ruschel)選手が含まれているとの情報もある。

 同機はブラジルを出発し、ボリビアのサンタクルス(Santa Cruz)を経由した後、メデジンから約50キロのセロ・ゴルド(Cerro Gordo)周辺を飛行中に墜落した。

 墜落現場に近いラ・セハ(La Ceja)の町長は当初、「燃料が切れたようだ」と語っていたが、空港当局によれば、現地時間28日午後10時(日本時間29日正午)ごろ、同機から電気系統の故障が報告されたという。

 カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部に所属するシャペコエンセは、11月30日にコロンビアのチーム、アトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)と、コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)の決勝第1戦を行うためにメデジンへ向かっていた。南米サッカー連盟(CONMEBOL)は、同大会決勝の中止を発表した。【翻訳編集】 AFPBB News


元Jケンペスらの飛行機墜落、救出されたGKが死亡
日刊スポーツ 11/29(火) 15:58配信

Ama
アルトゥール・マイア選手(写真は2015年8月1日)

 12月1日にコロンビアのメデジンで行われる南米のカップ戦コパ・スダメリカーナ決勝に出場する、ブラジル1部シャペコエンセの選手ら81人を乗せ、メデジンに向かっていた飛行機が墜落したと29日、ブラジルの大手メディアグローボなど各国の複数メディアが報じた。

 グローボは、GKフォルマン、DFアラン・ラスケルら6人の負傷者が現場から救出されたが、GKダニーロは病院への搬送中に死亡。ラスケルは左足を骨折したほか、骨髄に達する可能性のある深いけがを背中に負ったという。

 遠征メンバーには12年にC大阪、13、14年に千葉に所属し、13年に22得点でJ2得点王になったFWケンペス(34)、05年に柏、07年から10年までAマドリードに所属したクレーベル(35)、10年に京都に所属したDFチエゴ(30)、川崎Fに昨年在籍したMFアルトゥール・マイア(24)が入っていた。監督は09年に神戸を率いたカイオ・ジュニオール監督(51)が務めていた。

 クラブのホームページによると、当初、チームがあるサンタカタリーナ州からメデジンにチャーター機で直行する予定だったが、航空会社に拒否され、サンパウロのグアルーリョス空港からボリビアのサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ空港を経由し、メデジンに向かうルートを取らざるを得ず、今回の事故に巻き込まれた模様だ。

 飛行機は午後8時15分にボリビアを離陸後、同9時33分に管制塔との交信が途絶え、コロンビアのアベホラル上空を飛んでいた同10時15分に墜落したとみられるという。落下の原因は電気系統の故障とみられており、グローボによると、機長は不時着を覚悟し、不時着した際の爆発を防ぐため、墜落直前に燃料を放出していたという。

 飛行機は、山間部の間にある山の中に墜落した。グローボ電子版のリアルタイム速報によると、既に60人の遺体が回収されたが、救助隊は大破した機体の中に、まだ15人がいるとみて懸命の捜索を続けてるという。

  シャペコエンセは1日にメデジンのエスタディオ・アタナシオ・ヒラルドで開催予定の、ナシオナルとの決勝戦に出場予定だったが、南米サッカー連盟(CONMEBOL)は、決勝戦を含め、コパ・スダメリカーナに関する全ての活動を停止すると発表した。


ブラジルクラブの選手乗ったチャーター機が墜落…元神戸カイオ・ジュニオール監督が指揮
サンケイスポーツ 11/29(火) 15:28配信

 ブラジルのクラブ、シャペコエンセの選手たちが乗ったチャーター機がコロンビアのメデジン国際空港に墜落したと28日、AP通信などが報じた。

 同空港によると、チャーター機には70人以上が乗っており、その中にシャペコエンセの選手たちも含まれている。チャーター機はボリビアを出発し、12月1日に行われるコロンビアのクラブ、アトレティコ・ナシオナルとのコパ・スダメリカーナ決勝第1戦を行うためにコロンビアへ向かう予定だったが、緊急事態に巻き込まれたという。

 シャペコエンセは現在、2009年に神戸を指揮していたカイオ・ジュニオール氏が監督を務めており、13年に千葉でJ2得点王に輝いたFWケンペスや、柏やスペインのアトレティコ・マドリードでもプレーしたクレーベルなどが所属している。


コロンビアで旅客機墜落、76人死亡 ブラジルサッカーチーム搭乗
ロイター 11/29(火) 15:26配信

Chapec
 11月29日、民間航空団体の発表によると、乗客乗員81人を乗せた航空機がコロンビアで墜落した。写真は同機に搭乗しているとみられるブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの選手たち。シャペコで23日撮影(2016年 ロイター/Paulo Whitaker)

[ボゴタ 29日 ロイター] - コロンビアで28日夜、サッカーのブラジル1部リーグに所属する「シャペコエンセ」の選手らを含む乗客乗員81人を乗せたチャーター旅客機が墜落し、76人が死亡した。警察が29日発表した。

航空機は28日午後10時15分ごろに墜落した。乗客72人と乗員9人が搭乗していた。警察当局者は記者団に対し、6人が救出されたがこのうち1人は死亡したと述べた。

大雨のため救助活動は難航し、その後中止された。

シャペコエンセはコパ・スダメリカーナ(南米杯)決勝第1戦のためコロンビアに向かっていた。


コロンビアでチャーター機墜落、ブラジルサッカー選手ら搭乗 5人生存の情報
産経新聞 11/29(火) 15:25配信

 【ロサンゼルス=中村将】南米ブラジルのサッカーチームの選手ら乗員・乗客計81人を乗せたチャーター機がコロンビアで墜落した。コロンビア当局が29日発表した。ロイター通信は75人が死亡したと伝えた。

 搭乗していたのはブラジル南部サンタカタリーナ州シャペコを拠点とするプロサッカークラブ、シャペコエンセの選手ら乗客72人と乗員9人。乗客にはメディア関係者約20人も含まれていた。同機はボリビアを出発し、28日深夜から29日未明にかけてコロンビア中部メデジンに向かう途中、山岳地帯に墜落した。墜落直前に異常を知らせる発信があったという。

 ブラジルメディアが報じたコロンビア当局発表の乗客名簿には、J1神戸のカイオジュニオール元監督のほか、元Jリーガーら4人の名前があったが、生存者名簿にはいずれも載っていなかった。搭乗していた可能性のある元Jリーガーは元千葉、C大阪のケンペス選手、元川崎のアルトゥールマイア選手、元柏のクレーベル選手、元京都のチエゴ選手。

 選手らは30日、南米サッカーの国際大会決勝でコロンビアのチームと対戦する予定だった。シャペコエンセはブラジル1部リーグに所属している。


墜落機に元Jリーグ選手ら搭乗か…6人を救助
読売新聞 11/29(火) 15:21配信

 【ロサンゼルス=田原徳容】ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らの乗ったチャーター機が28日夜(日本時間29日昼)、コロンビアの山中に墜落した。

 コロンビア運輸航空当局によると、乗客乗員81人のうち75人が死亡、6人は救助された。シャペコエンセには日本のJリーグで活躍した監督や複数の選手が所属しており、このうち何人かが事故機に乗っていた可能性がある。

 チャーター機はボリビア南部サンタクルスを28日に飛び立ち、コロンビア第2の都市メデジンに向かっていた。墜落したのはメデジン近郊で、ロイター通信によると、機体は二つに割れ、尾翼が破損していた。事故原因はまだ判明していないが、地元メディアは同機が電気系統でのトラブルを報告後、レーダーから消えたと報じた。墜落現場での救出活動などは悪天候の中で行われた。


チャーター機墜落、75人死亡=名簿に元J1監督や選手―コロンビア
時事通信 11/29(火) 15:08配信

Chapeco
ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手たち=23日撮影、ブラジル南部シャペコ

 【ボゴタ時事】コロンビア中部メデジン近郊で28日午後10時(日本時間29日正午)ごろ、ブラジルのサッカーチームを乗せたチャーター機(乗客乗員81人)が墜落した。

〔写真特集〕旅客機墜落 ブラジルのサッカーチーム搭乗

 コロンビア当局によると、75人の死亡が確認され、6人が病院で治療を受けている。搭乗者名簿には、2009年にJ1神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督のほか、少なくとも4人の元Jリーガーの名前がある。

 墜落機には、ブラジル1部リーグの「シャペコエンセ」の選手らが乗っていた。搭乗者名簿には12~14年にJ1C大阪やJ2千葉で活躍したFWケンペス選手、10年にJ1京都でプレーしたDFチエゴ選手のほか、15年にJ1川崎に在籍したMFマイア選手、05年にJ1柏にいたMFクレーベル選手の名前がある。

 ただ、当局は救出作業を続けており、公式に発表された死者の名前はない。

 カイオ・ジュニオール氏率いるシャペコエンセは1973年に創設され、ブラジル南部サンタカタリーナ州が本拠地。コパ・スダメリカーナ(南米杯)で初の決勝進出を決め、30日の決勝第1戦に向け、対戦相手のアトレティコ・ナシオナルが拠点を構えるメデジンに向かっていた。

 地元メディアによると、チーム関係者50人、同行記者22人、乗員9人を乗せたチャーター機は着陸前に突然管制と連絡が取れなくなった。コロンビア当局は、チャーター機から技術的な問題が発生したとして緊急事態の報告があったと説明している。「燃料切れになった」との情報もあり、墜落の原因は分かっていない。

 ブラジルのテメル大統領は事故を受け、3日間の服喪期間を宣言。「犠牲者とその家族を支援するためのあらゆる措置を取る」と声明を出した。

 「シャペコエンセ」もサイトに声明を出し「公式情報の発表を待つ。神が私たちの選手、関係者、記者らと共にありますように」と表明した。

2016年8月27日 (土)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・6

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事
2番目の記事
3番目の記事
4番目の記事
5番目の記事

リンク:故九重親方・元横綱千代の富士に叙勲授与 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

故九重親方・元横綱千代の富士に叙勲授与
スポニチアネックス 8月27日(土)7時2分配信

860
1991年5月14日、現役最後の土俵入りを披露する千代の富士

 日本相撲協会は、7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した故九重親方(元横綱・千代の富士)に叙位(従四位)、叙勲(旭日中綬章)が授与されることを発表した。24日の閣議において政府が決定した。

 秋元久美子夫人は「このたびは叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメントした。

2016年8月 7日 (日)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・5

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事
2番目の記事
3番目の記事
4番目の記事

リンク:千代の富士さんに叙位叙勲授与へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士貢――昭和の大横綱はなぜウルフと呼ばれたのか? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士さんへの叙位と叙勲が閣議決定 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故千代の富士に叙勲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故千代の富士に叙勲 夫人も「大変光栄」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 父の偉大さあらためて実感「寂しいのとうれしいのと…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父親のすごさ実感「寂しいのとうれしいのと」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父・千代の富士さんの偉大さ改めて実感「本当にすごい人だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故九重親方の葬儀が緊迫 「協会の人間の席も花もない!」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士が通った常連店の店主が語る"ウルフ"の素顔「応援してやるから頑張れや」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方 「協会葬」ではなく「お別れの会」となった内幕 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:告別式に約1000人参列 原辰徳氏「千代の富士は大ヒーロー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士夫人「長生きすると約束したのに…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:新・九重親方「師匠の相撲道を一生守る」棺に大好きだったカトレア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、ラジオで「最後のゲストはパパがいいなって言っていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:巨人前監督・原氏、千代の富士さん告別式で思い出語った「我々の世代では大ヒーロー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士に「日本一!」「ありがとう!」出棺時に惜別のかけ声 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士の告別式に1千人…秋にお別れの会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:葬送 元横綱千代の富士 先代九重親方の秋元貢氏(7日、東京都墨田区の九重部屋) - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元大関千代大海「見守って」九重親方葬儀あいさつ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<先代九重親方>葬儀に1000人 両国国技館に別れ告げ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ひつぎを運ぶ元千代大海ら - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢がFMラジオで父・千代の富士を悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらば、千代の富士=葬儀に1000人参列―大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「ありがとう!千代の富士」先代九重親方にかけ声 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さん葬儀、原辰徳氏ら1000人が弔う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士告別式…長男・秋元剛氏「多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、気丈に父の死去3日後に仕事…ラジオで言葉詰まらせ九重親方の思い出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方密葬に2000人 千春、猪木氏ら弔問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<医療>きょう葬儀 千代の富士が最後に闘ったがんとは - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:愛娘が、松山千春が、具志堅が…「ウルフ」さようなら 先代九重親方の通夜 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:新・九重親方 ウルフ魂継承「1年前に“次はおまえが”と言われていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の通夜に2000人…弔問に松山千春、猪木ら駆けつけた - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

千代の富士さんに叙位叙勲授与へ
スポーツ報知 8月27日(土)6時5分配信

 7月31日にすい臓がんのため61歳で急死した元横綱・千代の富士の先代・九重親方に、叙位と叙勲が授けられることが26日、日本相撲協会から発表された。

 授与は24日の閣議で決定した。叙位は従四位で叙勲は旭日中綬章。同親方の秋元久美子夫人は相撲協会を通じて、「この度は叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメント。

 角界では2013年1月に死去した元横綱・大鵬の納谷幸喜氏、05年5月に死去した元大関・貴ノ花の花田満氏らが位記や勲章を受けている。


千代の富士貢――昭和の大横綱はなぜウルフと呼ばれたのか?
cakes 8月26日(金)18時0分配信

昭和を代表する力士の一人、千代の富士貢。彼の人生は、ライバルたちとの戦いであるとともに、怪我との苦闘でもありました。体力の限界まで戦い抜き、その後あまりにも早い死を迎えた彼の人生を、今回の「一故人」はたどります。

●昭和の終わりを飾った53連勝

昭和天皇は大の好角家として知られた。大相撲観戦の回数は、学習院初等科から数えるとじつに71回におよぶ。1988(昭和63)年9月18日にも両国国技館を訪れる予定だったが、折から高熱が続いており、大事をとって中止となった。天皇の容体が急変したのはその翌日の夜中のことだった。

このあと昭和天皇の病状は一進一退を繰り返す。9月24日には最初の危篤状態に陥るも、何とか乗り切った。あくる日、意識の戻った天皇は「全勝か」と侍医らに訊ねたという。ちょうど大相撲秋場所の千秋楽で、第58代横綱・千代の富士貢(2016年7月31日没、61歳)の成績を気にしての質問だった。

千代の富士はこの年5月、夏場所の7日目に花乃湖に勝って以来、連勝を続けていた。7月の名古屋場所、そして秋場所と全勝優勝をはたす。これにより優勝回数は25を数え、北の湖の記録を上回り大鵬の32回に次ぐ歴代2位(当時)となった。それまで連勝など考えもしなかった千代の富士だが、この記録更新で一つ大きな仕事が達成できたと思い、楽な気持ちで相撲が取れるようになったという(『プレジデント』1989年12月号)。

千代の富士の連勝は11月の九州場所にも続いた。7日目には目標に置いていた大鵬の45連勝を抜いて歴代2位(当時)となる。その夜、当の大鵬親方と街でばったり会い、「連勝記録は一番一番の積み重ね。これからも一日一日、大事に取ってもらいたい」と激励された。ファンやマスコミからも、史上最多記録である双葉山の69連勝の更新を期待する声が高まる。本人にはそんな大それたことができるわけがないとの思いもあったというが、大鵬の言葉を胸に着実に連勝を伸ばしていった。14日目には53連勝にまで伸ばして優勝を決める。しかし11月27日の千秋楽、横綱・大乃国(現・芝田山親方)に敗れて双葉山超えはならなかった。

そのあいだ昭和天皇の病状は重くなる一方で、もはや九州場所をテレビ観戦する体力すら残っていなかった。結局、千代の富士が連勝を阻まれた取組が、昭和の大相撲の締めくくりとなる。翌89年1月、昭和天皇は崩御、元号は平成に改まった。千代の富士の目標は、元小結・大潮の持つ通算964勝という記録の更新、さらには前人未到の通算1000勝へと移っていく。

●角界入りは「飛行機に乗せてやる」の言葉に誘われて

千代の富士、本名・秋元貢は1955年6月1日、北海道松前郡福島町に生まれた。津軽海峡に面する福島町は、青函トンネルの北海道側の建設基地として栄えた町だ。この町からはまた、第41代横綱の千代の山雅信が輩出されている。スポーツ万能だった秋元少年に力士の素質を最初に見出したのも、千代の山とつきあいのある地元の人たちだった。

地元の関係者から話を聞いて、1970年8月、中学3年生だった秋元少年の家に元千代の山の九重親方がスカウトに訪れる。それまで角界入りをすすめられても「相撲は好きじゃない」と断っていた秋元少年は、親方直々の誘いにも当初気乗りしなかった。しかし「飛行機に乗せてやる」の殺し文句に気持ちが一変する。飛行機のプラモデルをつくるのが好きだった彼は、本物に乗れるというだけで、東京行きを決めたのだった。

九重親方はこのとき地方巡業で福島町に来ていた。その弟子の北の富士勝昭は、ちょうど同年に第52代横綱になったばかりだった。北の富士は巡業中に親方から秋元少年と引き合わされ、「坊や、俺の名前を知ってるか」と訊いたところ、「知りません」と言われてガクッと来たという。それほど少年は相撲に興味がなかったのだ。しかし恥ずかしがったりおびえたりもせず、けっして視線をそらさない彼の態度は、北の富士に強い印象を残した(『文藝春秋』1989年12月号)。

上京した秋元少年は、9月の秋場所の新弟子検査に合格して、本名の「秋元」で初土俵を踏む。続く11月の九州場所は「大秋元」、さらに翌71年1月の初場所に際して「千代の冨士」の四股名を親方より与えられた(千代の「富」士となったのは75年初場所)。だが、もともと陸上でオリンピック出場を夢見ていた彼は、いまひとつ相撲になじめなかった。転入した台東区立福井中学では、区立中学連合の陸上競技大会に出場し、あこがれの国立競技場にて砲丸投げで2位に入賞までしている。そもそも約束では中学卒業まで相撲をやって、いったん北海道に帰り、それから先は相談して決めることになっていた。千代の富士は71年の春場所が終わると、郷里の高校に入って陸上に打ちこむつもりで、荷物も実家へ送り帰してしまった。あわてた九重親方は、何とか東京に引きとめるべく、明治大学付属中野高校に入学させる。

しかし高校では陸上部ではなく、相撲部に入れさせられた。しかも通学するうちに学業と相撲の両立の難しさに気づく。結局、高校は半年で退学し、相撲一本で行くことを決心した。これに親方は泣いて喜んでくれたという。

1971年の九州場所では三段目に昇進しながら、場所前の稽古中の骨折により全休、翌年の初場所には序二段に逆戻りする。それでも千代の富士は、けがの回復とともに猛烈な闘志で稽古に励み出した。兄弟子の北の富士から「オオカミ」というあだ名をつけられたのはこのころだ。一説には目をランランと光らせながら稽古する姿からつけられたとも、あるいはチャンコを 鉈 ( なた ) みたいなものを持ってつくっていたところからの命名とも伝えられる。いずれにせよ、つけられた本人はあまり気に入らなかったらしい。オオカミは昔話などで悪役のイメージが強いからだ。やがてオオカミでは言いにくいと、英語の「ウルフ」に変わり、これがのちの横綱昇進前後に一般にも広まっていった。

●自腹を切りタクシーで出稽古にまわる

幕下時代の千代の富士の写真を見ると、痩身で鋭い目つきをしており、たしかにオオカミにそっくりだ。しかし彼には大きな弱点があった。それは肩だ。幕下となっていた1973年夏場所で左肩を脱臼してからというもの、何度も肩を抜いては休場を余儀なくされた。もともと肩の関節のかみ合わせが浅く、根本的に治すには手術をするしかないと医者から言われていたという。しかし手術するカネも、回復まで待てる時間も、若い千代の富士にはなかった。

1975年の秋場所では東前頭11枚目として初入幕したものの、こんどは右腕の筋肉を断裂する大けがを負う。完治までには時間がかかり、次の九州場所では十両に降格したあげく、翌76年の春場所から夏場所にかけては幕下陥落という屈辱を味わった。さらにこのあと十両から幕内に復帰するまでは1年半、9場所もかかることになる。おかげで一時やる気を失った千代の富士は、タバコや酒に夜遊びと自暴自棄な生活を送ったという。この間、師匠である元千代の山の九重親方が1977年10月に死去、九重部屋は北の富士(当時、井筒親方)が引き継いだ。

けがの頻発は、力まかせに投げ飛ばす強引な相撲が原因だった。それが1979年の春場所に右肩を脱臼したのをきっかけに、劇的に変わっていく。このけがのため再び十両に落ちた千代の富士だが、公傷扱いとはならなかった。そこで、次の夏場所には、肩に大きなサポーターをつけながら3日目から出場する。はたして千代の富士はこの場所で9勝をあげ、みごと2度目の幕内復帰を決めた。

これを境に、彼は相撲の型を根本から変える必要性を感じるようになる。強引に投げ打つ取り口では肩に負担をかけ、また脱臼するかもしれない。そこで、素早く相手の左前 褌 ( みつ ) をとって一気に突っ走る正攻法の相撲をとるようになった。これとあわせて、医師のすすめにより肩の周辺の筋肉強化に励んだ。ダンベルを使ったウエートトレーニングのほか、腕立て伏せも1日300~400回と欠かさなかった。もっとも、照れ屋で人前では努力しているところを見せたがらない千代の富士は、自分の部屋で黙々と腕立て伏せをしていたらしい。彼の部屋の畳があまりに擦り減るので、あげくの果てに擦り減らないよう花ござを上から敷いたという。

こうして変えた型にたしかな手ごたえを感じたのは、東前頭3枚目だった1980年の春場所10日目、横綱・若乃花(二代目)から金星をとったときだ。このとき、元北の富士の九重親方から「あの相撲をとればおまえは伸びていく」と言われ、自分でも満足感を抱いたという(『WILL』1989年2月号)。同場所では初の技能賞を獲得、同年11月の九州場所は関脇として迎える。

なお、当時の九重部屋には千代の富士を除けば関取が一人しかおらず、場所前には相手を求めてほかの部屋へ出稽古にまわった。初めは部屋所有のマイクロバスを使っていたが、関脇にもなると自腹を切ってタクシーを利用するようになる。それでも彼は《さすらいの一匹狼だよ。(中略)出げいこのタクシー代、しめて六万円ナリさ》とさらりと言ってのけた(『現代』1981年2月号)。

「ウルフ・フィーバー」が始まったのは、このころだった。その精悍な顔立ち、力士らしからぬ筋肉質の体に魅了された女性は多く、彼を一目見ようと部屋や場所中の会場にはファンが殺到した。また国鉄(現JR)が1980年10月、千代の富士をモデルにしたポスターを各駅に掲示したところ、盗難があいついだ。

ちょうど大関の貴ノ花(初代)や増位山(二代目)といった人気力士たちの全盛期がすぎたころで、相撲協会も千代の富士の早い大関昇進を期待した。それは1981年の初場所での幕内初優勝により実現する。その後も勢いは止まらず、同年7月の名古屋場所後にはついに横綱に昇進した。いったん入幕しながらも幕下にまで落ちて再び幕内に復活した力士のうち、横綱にまで到達したのはいまのところ千代の富士だけである。この年、前出の2大関のほか、横綱・輪島も引退、世代交代のなか「ウルフの時代」が訪れようとしていた。

●「短命横綱」と予想されながらの奮起

とはいえ、小兵という先入観から、千代の富士が大鵬や北の湖に並び立つ大横綱になると予想した人はほとんどいなかったらしい。横綱として初めて迎えた秋場所も、直前の巡業中で負ったけがのため、3日目から休場という幸先の悪いスタートだった。おかげで「短命横綱」との見方も出るなか、続く九州場所では12勝3敗で横綱昇進後初の優勝を決める。逆境に立たされながらも執念で賜杯を手にして、インタビューでは大泣きに泣いた。《あの苦しさの中でつかんだ優勝の自信は、その後横綱で十年も相撲を取ることができた原動力となった気がする》と、のちに彼は語っている(陣幕貢『負けてたまるか』)。

師匠の九重親方もまた当初は、千代の富士がまさか10年近くも横綱の地位を守り続けるとは思っていなかったようだ。その証拠に、彼が横綱になったとき《太く短くやれ。そして、もし横綱として相応の成績が残せない場合は、スパッとやめよう》と忠言したという(『文藝春秋』1989年12月号)。だが、千代の富士は結果的に「太く長く」横綱を務めることになる。

両国に現在の国技館が完成した1985年の初場所では、それまで千代の富士の大きな壁となっていた北の湖が引退する。北の湖は千代の富士よりわずか2歳上、引退時31歳だった。それに先立つ昭和の大横綱・大鵬も1971年、31歳になる直前に引退している。しかし千代の富士の場合、その年齢に達した1985~86年に全盛期を迎えた。85年には優勝4回(うち全勝2)、86年には優勝5回を記録する。このうち新国技館では87年の初場所まで7連覇を成し遂げた。これと前後して、幕内力士の大型化が著しかった。小錦、大乃国、北尾(のちの横綱・双羽黒)らの台頭で幕内平均体重は150キロ台に突入、そのなかにあって千代の富士は体重120キロ台(身長は183センチメートル)の小兵ながらトップに君臨し続ける。

それでもけがをしなくなったわけではない。横綱在位59場所中、休場は11回(うち全休は6回)におよぶ。だが、先述の「涙の優勝」以来、「休場後の千代の富士は強い」というジンクスが生まれていた。事実、休場明けの優勝は6回を数える。医者と相談して正しい治療をしながらも、横綱としての責任感から、多少痛くても稽古を続けた賜物だろう。冒頭にあげた53連勝のスタートも、1988年春場所を全休したあとだった。

●一代年寄という名誉を辞退して部屋を継ぐ

平成と改元された1989年は、千代の富士にとって波瀾の1年となる。春場所では優勝したものの、けがのため千秋楽は不戦敗を喫した。このとき2月に生まれたばかりの三女を抱きながら賜杯とともに記念写真を撮っている。続く5月の夏場所は全休。悲劇はその翌月、次の場所で復帰するべく懸命にトレーニングを続けるさなかに起こった。三女が生後3カ月あまりにして乳幼児突然死症候群で急死したのだ。知らせを聞いた九重親方が駆けつけると、千代の富士は声をあげて泣いていたという。葬儀を終えてからもなかなか立ち直れず、稽古場で弟弟子の横綱・ 北勝海 ( ほくとうみ ) (現・八角親方)と稽古していても、大したことのない外掛けを食らっただけで尻からストンと落ちるありさまだった(『文藝春秋』1989年12月号)。

次の名古屋場所は、調整がままならないうちに初日が来た。このとき、千代の富士は東京後援会の寺の住職から贈られた数珠を首にかけて場所入りする。ふたを開けてみれば、千秋楽まで12勝3敗で北勝海と並び、初の同部屋横綱による同点決勝となった。ここ一番で勝負強さを見せてきた千代の富士は、この決定戦も制する。ちなみに引退までに経験した優勝決定戦は、このときも含め6戦全勝だった。

9月の秋場所の12日目の 巨砲 ( おおづつ ) 戦で、目標としていた大潮の通算勝利数を抜く965勝を達成した。これにより国民栄誉賞が贈られる。前人未到の1000勝は、翌90年の春場所7日目、花ノ国戦で達成する。同場所では優勝できなかったものの、11月場所で優勝回数は31回におよんだ。しかし、このときすでに千代の富士の体はボロボロだった。1000勝を前にした89年末、九重親方は大鵬の残した優勝32回を上回ってほしいと願いつつも、体を慮って「もういいよ、十分やったよ」と言ってやりたいと真情を吐露している(『文藝春秋』1989年12月号)。

千代の富士が引退を発表したのは1991年の夏場所、3日目(5月14日)に貴闘力に敗れてからだった。初日には貴花田(のちの横綱・貴乃花)に敗れているが、引退の覚悟を決めたのは2日目の板井戦に勝ったとき(通算1045勝目)だという。もし翌日負ければ初日から3日間で1勝2敗となる。だが、そんな場所は関脇昇進以来なかったとの思いから、実際に負けたのならやめようと決意したのだ。

板井に勝って帰宅した千代の富士は、「いやあ、体が痛い、痛い」と口にする。ダジャレのつもりだったのかもしれないが、夫人からは「いつもそんなこと言わないのに、痛いって言うんだから、そうとうガタが来てるんじゃない」と心配されたという(『文藝春秋』1991年7月号)。事実、そうだった。引退会見で「体力の限界! 気力もなくなり、引退することになりました」と語ったとおり、現役末期の千代の富士からは、最後の目標だったはずの大鵬の優勝記録を破る気力ももはや失われていた。

引退とともに年寄・陣幕を襲名した彼は、翌92年、九重親方が50歳になったのを機に部屋を譲られる。じつは国民栄誉賞決定時、相撲協会からは一代年寄の打診を受け、自分の部屋を興す選択肢も用意されていた。しかし彼はそれを身に余る光栄と感じつつも、けっきょく辞退し、同郷の恩人である千代の山の興した九重部屋を継承する道を選んだのだ。以後は九重親方として、大関・千代大海(現・九重親方)をはじめ力士たちの育成に尽力する。

一方で相撲協会ではナンバー2の事業部長を2012年より務め、北の湖のあとの理事長候補の呼び声も高かったが、2014年の理事候補選に落選、平委員に格下げの憂き目にあう。翌15年11月に北の湖理事長が急逝したあと、その後任に就いたのは弟弟子である元北勝海の八角親方だった。この間、千代の富士は国技館で還暦土俵入り(2015年5月31日)を行なうも、直後の名古屋場所を病気で全休、やがて病名が膵臓がんと公表される。

手術をして一度は全快を宣言したものの、2016年に入ってがんの胃や肺などへの転移が発覚。各場所には監察委員として出続けたが、この年の名古屋場所4日目(7月13日)、「きついなあ、きついよ」と、引退直前と同様に珍しく弱音を吐いたのを最後に翌日から休場する。亡くなったのは同場所の千秋楽から1週間後のことだった。

現役時代、けがに泣かされて何度も休場した千代の富士だが、いつしか休場中は治療だけでなく充電のための貴重な期間となっていた。引退する3年ほど前から、休場中にはやれる範囲で稽古をする一方で、陶芸に凝っていたという。

《焦りや「もう俺はだめなんじゃないかな」というような不安など感じる暇もないくらいに陶器づくりに没頭するんだ。それができたことが、精神的に次のがんばりにつながったような気がする》(『文藝春秋』1991年7月号)

このほか、絵画や書にも親しみ、《いいものを見ていると、心が洗われるようで気持ちが大きくなり、視野が広がってくる気がする》とも語っていた(前掲『負けてたまるか』)。亡くなる直前に刊行された『月刊美術』2016年8月号では、かねてより親交のあった画家の瀧下和之と対談しており、これがおそらく生前最後のメディア出演と思われる。同号の表紙を飾った「大相撲力士図」は、瀧下の描く赤鬼を気に入った千代の富士が、これに綱をつけてほしいとリクエストして描かれたものだという。鋭い目つきで四股を踏む赤鬼は、やはり現役時代の千代の富士の姿と重なる。昭和最後の大横綱は、それを見て心をなごませながら、いずれ病気に打ち克ち、復活することを期していたのかもしれない。

●参考文献
千代の富士貢『私はかく闘った 横綱 千代の富士』(向坂松彦との共著、日本放送出版協会、1991年)、「独占 「あとは頼むぞ 貴花田」」(『文藝春秋』1991年7月号)、『負けてたまるか』(陣幕貢名義、東京新聞出版局、1991年)、『不撓不屈』(日之出出版、1992年)、『ウルフと呼ばれた男』(九重貢名義、読売新聞社、1993年)、『綱の力』(九重貢名義、ベースボール・マガジン社、2011年)
石井代蔵「千代の富士 「ウルフ」が歩む大横綱への道」(『プレジデント』1989年12月号)、『千代の富士一代』(文春文庫、1991年)
岩本晢『一流の瞬間 星野仙一・落合博満・千代の富士』(エフエー出版、1993年)
鎌田忠良「千代の富士は双葉山を超えられるか」(『潮』1990年4月号)
九重勝昭「国民栄誉賞・千代の富士が月に吠えてた頃」(『文藝春秋』1989年12月号)
佐竹義惇「新入幕力士物語 千代の富士貢の巻」1~6(『相撲』1991年10月号~1992年3月号)
杉山桂四郎「千代の富士 貴ノ花を人気で抜いたウルフ」(『現代』1981年2月号)
高橋紘編著『昭和天皇発言録 大正9年~昭和64年の真実』(小学館、1989年)
藤竹暁「大衆現象の神話学15 「ヒーロー待望の社会的気分」 初場所にみる千代の富士報道」(『月刊アドバタイジング』1981年3月号)
「個性NOW 千代の富士貢 第五十八代横綱」(『WILL』1989年2月号)
「すい臓がんで13キロ体重が落ちた「九重親方」が明かさない心労」(『週刊新潮』2015年9月24日号)
『月刊DVDマガジン 大相撲名力士風雲録 第2号 千代の富士』(ベースボール・マガジン社、2016年)
「対談 九重親方VS瀧下和之 技に生きる男が語る力強さと美しさ」(『月刊美術』2016年8月号)
『千代の富士貢 追悼号』(『スポーツマガジン』2016年9月号)


元横綱千代の富士さんへの叙位と叙勲が閣議決定
日刊スポーツ 8月26日(金)16時57分配信

808
元横綱千代の富士さん(写真は1989年1月18日)

 日本相撲協会は26日、24日の閣議で元横綱千代の富士の秋元貢さん(享年61)への叙位(従四位)と叙勲(旭日中綬章)が決まったと発表した。

 夫人の秋元久美子さんは「このたびは叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメントした。


故千代の富士に叙勲
時事通信 8月26日(金)16時27分配信

 日本相撲協会は26日、7月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の秋元貢さんに対し、24日の閣議で叙位(従四位)と叙勲(旭日中綬章)が決定したと発表した。

 遺族を代表し、夫人の久美子さんは「このたびは叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」との談話を発表した。


故千代の富士に叙勲 夫人も「大変光栄」
デイリースポーツ 8月26日(金)15時27分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の秋元貢さん

 日本相撲協会は26日、7月31日に死去した元横綱千代の富士の秋元貢さん(享年61)に対し、24日の閣議で叙位と叙勲が決定したと発表した。叙位は従四位、叙勲は旭日中綬章。遺族を代表し、夫人の秋元久美子さんは「この度は叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメントを発表した。


引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは
スポニチアネックス 8月22日(月)11時16分配信

807
1990年1月、初場所で30回目の優勝を決め、Vサインの千代の富士

 昭和から平成にかけての相撲界を引っ張った大横綱・千代の富士。91年夏場所の引退から25年以上が経過し、当時1位だった通算勝利1045勝は魁皇(1047勝)に抜かれ、優勝31回も白鵬(37回)が突破し、大鵬(32回)に次ぐ3番目となった。そんな中、いまだに抜かれていない記録がある。30歳を過ぎてからの優勝19回だ。

 千代の富士は25歳だった81年初場所で初優勝。20代で12度の優勝を飾った。30代になるとペースは上がり、35歳で引退となった91年夏場所までの36場所で19度の優勝を成し遂げた。2場所に1回以上、賜杯を抱いていた計算になる。現役の白鵬は30歳以降の9場所で4度優勝しているが、それを上回る優勝率だ。31歳になる直前で引退した大鵬は、30代での優勝は1回にとどまっている。

 全盛時でも120キロしかなかった小さな体で、引退直前まで衰え知らずで土俵に上がり続けた。脱臼癖を治すためにトレーニングを続けて手にした鋼のような「体」、前まわしを引いてすぐに出る速攻などの「技」があったからこそ優勝回数が伸びていったのだが、千代の富士は「心」も凄かった。もともと負けん気の強さを前面に出して闘うタイプだったが、それは年を重ねるごとに強くなっていった。30代になってから連敗したのは、小錦、益荒男、大乃国、安芸乃島の4人だけ。ここ一番で抜群の集中力を発揮し、多くの力士を返り討ちにした。

 その負けん気の強さは、引退後も続いた。プロ野球・前巨人監督の原辰徳氏はこう振り返る。「ゴルフは私の方がやや上手だったが、私のことを上手とは言わず、強気な弁の中で小さなボールを追いかけていた」と。昭和30年会の仲間だったボクシングの元WBAライトフライ級王者・具志堅用高氏も「勝負師で負けず嫌いだった」と話している。どんな時でも、人前で弱さを見せることのない人だった。

 心技体の全てが強い人だから、病魔にも打ち勝ってくれると思っていた。61歳での死は、あまりにも早すぎる。(佐藤 博之)


秋元梢 父の偉大さあらためて実感「寂しいのとうれしいのと…」
スポニチアネックス 8月21日(日)13時3分配信

806
モデルの秋元梢

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士=本名・秋元貢さん=の次女でモデルの秋元梢(29)が21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。「凄い人だったと実感する時間になっている」と父の偉大さをかみしめた。

 7日の告別式までは「こんなに忙しい時間があるのかって思うぐらい」と時間が慌ただしく過ぎて行ったことを伝え、現在は「落ち着いていますね」と報告した。

 相撲の歴史に輝く「昭和の大横綱」。秋元は父の現役時代は「見ていない」というが、「いろいろな人が家に来てくれて、お話ししてくれたことで、本当に凄い人だったなと実感する時間になっている」とし、亡くなったことであらためてその実績について語られることに「寂しいのとうれしいのと、複雑な感じ」と話した。

 千代の富士さんについては、この日共演したタレントのピーコ(71)が「かっこいい力士だった。偉かったのは、引退したら体がプクプクになることが多いけど、そうはならなかった」と述懐。また元参議院議員でプロレスラーの大仁田厚(58)は若手時代のエピソードとして「横綱は脱臼癖をウエートトレでカバーしていたが、それに僕らは感動していた」と振り返っていた。


秋元梢、父親のすごさ実感「寂しいのとうれしいのと」
日刊スポーツ 8月21日(日)11時37分配信

805
秋元梢(写真は2013年3月23日)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった、元横綱千代の富士の先代九重親方の次女でモデルの秋元梢(29)が、現在の心境を明かした。

 秋元は21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」で、「告別式が終わるまではこんなに忙しい時間があるのかという感じでしたが、今は落ち着いています」と近況を報告した。告別式を終えてとりあえず一段落した現在について「自分は(父親の)現役時代を全然見ていない、時代が合わなかったんですが、いろんな人が家に来てお話ししてくれることで、本当にすごい人だったんだなと改めて実感したりする時間になっています」と語り、「寂しいのとうれしいのと、複雑な感じ」とほほ笑んだ。


秋元梢、父・千代の富士さんの偉大さ改めて実感「本当にすごい人だった」
スポーツ報知 8月21日(日)10時50分配信

804
秋元梢

 すい臓がんのため、7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ=享年61)の次女でモデルの秋元梢(29)が、21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日・前10時)に出演し、父の偉大さを改めて実感していると語った。

 秋元は、告別式が終わるまではこんなに忙しい時間があるのかというくらい忙しかったというが、「今は落ち着いています」とコメント。「(父親の)現役時代を見たことなかったけど、いろいろな人が家に来てくれて、お話ししてくれることで、本当にすごい人だったというのを改めて実感する時間になっている」と父の偉大さを改めて知ったといい、「寂しいのと嬉しいのと複雑な感じです」と笑顔を見せた。

 共演のダウンタウン・松本人志(52)が「秋元さんが結婚してお父さんみたいな(赤ちゃんを)産むんですよ。満月の夜、夜泣きひどいんだろうな」と千代の富士さんの愛称・ウルフにかけて笑わせていた。


故九重親方の葬儀が緊迫 「協会の人間の席も花もない!」
NEWS ポストセブン 8月21日(日)7時0分配信

817
昭和の大横綱の葬儀で異様な光景が

 7月31日に膵臓がんで死去した先代・九重親方(元横綱・千代の富士)の後援会関係者は、その葬儀で「やはり親方と相撲協会との緊張関係は深刻なものだったのだ」と改めて感じさせられたと語る。

 東京・墨田区の九重部屋で行なわれた通夜(8月6日)には2000人、告別式(翌7日)にも1000人が参列した。

「相撲協会からは八角理事長(元横綱・北勝海)のほか、二所ノ関親方(元大関・若嶋津)ら協会理事や関係者も参列したのですが、座る席が設けられたのは八角理事長だけ。他の理事たちは立ったままでした。

 弔辞も理事長ではなく後援会の副会長が読んだ。土俵のある稽古場に祭壇が設けられ、周囲に数えきれないほどの献花が並んでいたが、そこも部屋の後援会関係者や友人の名前ばかり。聞けば、夫人が協会関係者からの献花はすべて断わったそうです。唯一、飾られていた相撲協会名での献花も一度は断わったと聞きます」(同前)

 昭和の大横綱の葬儀でみられた異様な光景。背景には、先代・九重親方が協会に冷や飯を食わされてきたという事情がある。

「2014年の理事選で落選した後には、協会の主流派から異例の“ヒラ委員への三階級降格”という仕打ちを受けた。ご遺族には相当な無念があったのでしょう」(同前)

 高砂一門の親方の一人は九重部屋を継いだ元・千代大海が、そうした先代の無念を晴らすべく動き出すとみる。

「もともと『九重部屋』には複雑な人間関係がある。先々代の九重親方(元横綱・北の富士)と先代の間では、部屋の土地・建物の継承などを巡る諍いがあり、結局、先々代は八角親方に土地・建物を譲り、八角部屋を立ち上げさせた。以来、『先々代&八角vs先代』という対立構図が続いてきた。

 千代大海はそうした構図の中で先代が苦汁をなめさせられたことをよくわかっている。今後は八角親方と理事長の座を争った貴乃花親方のグループに入り、反八角派として協会理事の席を目指していくようです」

 ウルフの無念を愛弟子が晴らすか。

※週刊ポスト2016年9月2日号


千代の富士が通った常連店の店主が語る"ウルフ"の素顔「応援してやるから頑張れや」
週刊女性PRIME 8月9日(火)11時6分配信

846
'81年7月、横綱昇進がかかったこの年の夏場所見事優勝して横綱に

 元横綱千代の富士の九重親方が7月31日、61歳で急死し、角界に衝撃が走った─。

「突然のことでした。昨年5月末の還暦土俵入り披露後、すい臓がんが見つかりました。手術は成功し、回復しているように見えましたが、最近になって胃や肺への転移が見つかり、7月13日から入院していました」(スポーツ紙記者)

 現役時代は、"ウルフ"の愛称で慕われ、31回の優勝(歴代3位)を誇り、角界初の国民栄誉賞を受賞。"小さな大横綱"と称されるも、5年生存率2割未満と言われるすい臓がんに屈した。

 遺体の眠る九重部屋が涙に暮れる中、親方がこよなく通った東京・錦糸町『とり喜』の主人、酒井康人さんの目からも、涙がこぼれる。

「今日は(焼き鳥を)焼いていて、ずっと涙が止まりませんでした。店をオープンして15年になりますが、親方には14年前から贔屓にしていただいてます。

 最初はおかみさんが友人たちといらしていて。もちろん親方の奥さんだとは知りませんでした。あるとき、おかみさんが親方を連れてこられたんです。忘れもしないクリスマスイブの日でした。お店に入ってこられたときに、"わっ、千代の富士だ! "とびっくりしたものです」

 彼の腕にはさりげなく喪章がつけられている。

「うちが7年前から連続してミシュランの星を獲得するようになると、なかなか(気軽に)立ち寄っていただくことも叶わず、申し訳ないと思っていました。

 今年の初め、私が1人で仕込みをしているときに、それこそふらっとお店に来てくださったんです。"プレゼントだ"と言って、還暦の土俵入りを描いた絵を持ってきてくれました」

 土俵に上がれば眼光鋭い九重親方も、酒井さんの前ではいつも穏やかな眼差しだったという。その振る舞いは誰とつるむこともなく、愚痴ひとつ言わず、まさに"昭和の男"で、カッコよかったそうだ。

 常連店のひとつで、週に1度は通っていたと報じられた、東京・浅草のふぐ、スッポン料理店『つち田』。ここでも、主人の土田裕さんとの男同士の付き合いがあった。

「親方が最初に店に来たのは10年くらい前です。最初は後援会の方と一緒に来られたのですが、週1でスッポンを食べに来るようになったのは、それから1年くらいしてからでした」

 それはこんな理由があったからだった。’07年6月、土田さんは父を亡くし、店を継ぐ。

「翌月に親方が来られたときに、父が亡くなったことを報告すると、"そうか、応援してやるから頑張れや"と。

 それからは、言葉どおり毎週のようにご自分で予約されて来られるようになったんです。私を応援するためにと、いろいろな方を連れて店に来ていただきました。もちろん、ご家族と仲よく一緒のときも」

 現役時代は"土俵の鬼"と恐れられた親方だったが、土俵を離れると"鬼"や"狼"のイメージとはかけ離れた優しい姿を見せていたのだった。

 そして、彼に対し、酒井さんも土田さんも抱いている気持ちは同じだった。

「感謝の気持ちでいっぱいです」


九重親方 「協会葬」ではなく「お別れの会」となった内幕
NEWS ポストセブン 8月9日(火)7時0分配信

817
「お別れの会」となった理由は

 九重親方(元横綱・千代の富士)が7月31日、膵臓がんで亡くなった。享年61。幕内通算31回の優勝(歴代3位)を誇り、角界で唯一、国民栄誉賞を受賞した経歴を持ちながら、実は、その晩年を「無念だったろう」と評す相撲協会関係者は少なくない。協会内で一体、何が起きていたのか。

 亡くなった直後、一般のファンも参加できる「お別れの会」が、10月1日に両国国技館で開催されると報じられた。関係者の間でまず注目されたのは、報じられたのが「お別れの会」であり、「協会葬」ではなかったことだ。

 昨年11月に急逝した北の湖・前理事長や2005年に亡くなった二子山親方(元大関・貴ノ花)の際は、協会葬が執り行なわれている。

「協会葬は、協会への功労者である理事経験者もしくは横綱が亡くなった際に行なわれる。大鵬さんが2013年に亡くなった時は協会を退職していたので行なわれていないが、九重親方は元横綱で理事経験者、しかも現役の親方。功労者であることも疑いようがない。それなのに協会葬にならない。

 そうした協会の処遇・対応に親方のご遺族は不満があり、『お別れの会』への参加辞退の返事があったと聞きます。加えて背景には協会が九重親方をこの2年半あまり、酷く冷遇してきたことへの反発もあるでしょう。そのため最終的に協会ではなく後援会が主催し、それも国技館のエントランスでの『お別れの会』となりました」(協会関係者)

 九重親方は2014年まで、北の湖理事長体制の下で協会の理事を務め、しかもナンバー2の「事業部長」という要職にあった。ところが2014年1月の協会理事選を境に、状況は暗転する。

「九重親方を次期理事長とみる向きもあるなかで、理事選でまさかの落選。しかも、理事経験者は退任後も『役員待遇委員』という役職に就くのが慣例ですが、ただの“ヒラ”の委員(監察委員)に落とされた。理事、副理事、役員待遇を飛び越えた異例の『3階級降格』だった」(親方の一人)

 この異例の転落人事の裏では、熾烈な権力闘争があったとされている。

 2014年1月の理事選では定員10人に対し、11人が立候補。全親方97人の投票が行なわれた。九重親方は5票しか集められず、その前の理事選(2012年)で落選した友綱親方(元関脇・魁輝)の後塵を拝した。

 この選挙戦の最中に、「“九重親方が、北の湖理事長の追い落としを画策している”という情報が流されていた」と証言するのは、九重部屋と同じ高砂一門のある親方だ。

「実際はそんな画策なんてしていないのに、“ある人物”によってニセの情報が当時の北の湖理事長に吹き込まれたといわれています。その情報に危機感を持った理事長は、自身の出羽海一門を動かして友綱親方に票を回した」

 ここで指摘されている“ある人物”とは相撲協会の元顧問・K氏を指す。このK氏は、現役力士のキャラを使ったパチンコの新台を製作するライセンス契約を巡って、2012年にメーカー関係者から裏金を受け取った人物で、その現場動画を本誌がスクープした(2014年1月24日号)。K氏と九重親方の間には、本誌スクープ以前から緊張関係があったという。

「九重親方が事業部長だった時に、国技館の大改修工事が計画され、親方は工事業者の選定を進めていた。この選定を巡って対立したのが、当時、北の湖理事長の“懐刀”と称されていたK氏だった。理事長を後ろ盾に協会の事務を一手に取り仕切っていたK氏のやり方を見て、“このままでは協会が食い物にされる”と危機感を募らせたのが九重親方でした」(同前)

 そうした中で、前述のパチンコ裏金問題が浮上する。

「K氏はパチンコのライセンス契約の話を、九重親方に知られないように進めていたが、そこに裏金の話が発覚した。九重親方はこれをきっかけにK氏の責任を追及しようと動いたのです」(別の協会関係者)

 ところが、北の湖体制下ではK氏が裏金を返したということをもって“お咎めなし”となったのである(メーカー関係者は返還を否定)。

「裏金問題にメスを入れようとした九重親方がそれに失敗し、逆に理事選でK氏側が北の湖理事長を動かして落選に追い込まれた格好です」(同前)

 その後の、ナンバー2の事業部長からヒラの委員に降ろされる人事についても、「落ちた理事を役員待遇に残すかは理事長の判断。北の湖体制に刃向かったということで、“ヒラ”として徹底的に冷や飯を食わされたかたち」(相撲担当記者)とされている。

※週刊ポスト2016年8月19・26日号


告別式に約1000人参列 原辰徳氏「千代の富士は大ヒーロー」
東スポWeb 8月8日(月)17時0分配信

844
九重親方の棺を乗せて出発した霊きゅう車

 元横綱千代の富士の故秋元貢氏(享年61)の告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(53=元横綱北勝海)をはじめ、プロ野球巨人前監督の原辰徳氏(58)、日本レスリング協会の栄和人強化本部長(56)、演歌歌手の細川たかし(66)ら約1000人が参列した。

 原氏は「我々の世代にとっては大ヒーロー。1か月くらい前にお会いしたのが最後。やせていたので心配していた。ショックです」と沈痛な面持ち。栄氏は「病気だと知っていたが、こんなに早く亡くなると思わなかった」と突然の別れを惜しんだ。

 栄氏によると、秋元氏は7月2日に東京都内で開かれた吉田沙保里(33)の壮行会に出席する予定を直前にキャンセル。代わりにビデオで吉田にエールを送ってくれたという。栄氏は「吉田には『(秋元氏を元気づけるために)五輪で絶対に金メダルを取ってみせような』と話していた。金メダルを取ることが彼女の役割」と五輪本番での活躍を誓った。

 秋元氏のひつぎは部屋を継いだ九重親方(40=元大関千代大海)や幕内千代鳳(23)ら愛弟子たちの手によって霊きゅう車へと運ばれた。出発の際には周囲から「千代の富士、日本一!」「ありがとう!!」などと次々と声が飛んだ。


千代の富士夫人「長生きすると約束したのに…」
日刊スポーツ 8月8日(月)10時27分配信

843
告別式を終え部屋を出る、右から久美子夫人、遺影を持つ長男の剛さん、次女の梢

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで急逝した元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。ひつぎには生前に大好きだったというカトレアの花が添えられた。巨人の原前監督ら別れを惜しむ約1000人の参列者を前に「ありがとう! 千代の富士」「日本一!」の声が飛んだ。

 約束を守る人。レスリング日本代表栄チームリーダーは「7月2日の吉田沙保里の壮行会で、本当は肩車してもらって入場する予定だった。できなくてもビデオレターをくれた。直前に気力を振り絞ってくれた」と感謝した。30年来の付き合いのサッカー釜本氏は「昔、風邪で食事を断ろうとしたら『スッポン料理をつくる』と振る舞ってくれた」と懐かしんだ。

 だが、最後に破った。久美子夫人と結婚直前、義父に同い年の朝潮(現高砂親方)より長生きできるかと問われた。夫人は「長生きしますと約束したのに」と泣いた。後援会の丸山正修副会長が弔辞で明かした。

 最後、両国国技館に立ち寄った霊きゅう車。遺骨は東京・谷中の玉林寺に納められる。89年6月に早世した三女愛ちゃんもそこにいる。27年ぶりに再会する。

 ◆主な参列者(敬称略)

 【日本相撲協会】八角理事長、二所ノ関親方、山響親方、藤島親方、友綱親方、阿武松親方、錣山親方

 【その他著名人】山本寛斎(ファッションデザイナー)松山千春、細川たかし(以上歌手)釜本邦茂(元サッカー日本代表)原辰徳(プロ野球巨人前監督)栄和人(レスリング日本代表チームリーダー)


新・九重親方「師匠の相撲道を一生守る」棺に大好きだったカトレア
スポニチアネックス 8月8日(月)7時1分配信

842
九重親方(左)の挨拶する隣りで涙をこらえる(右から)長女・優さん、次女・梢さん、長男・剛さん
 ◇元横綱・千代の富士、先代九重親方 葬儀・告別式(2016年8月7日 東京都墨田区 九重部屋)

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士の先代九重親方=秋元貢さん=(享年61)の葬儀・告別式が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、角界関係者ら約1000人が参列した。棺には親方が大好きだったカトレアの花が添えられ、最後は新師匠の九重親方(元大関・千代大海)が「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、一生忘れずにこれからも守っていきます」とあいさつ。「千代の富士、日本一!」などと声が掛かった中で部屋を出発した霊きゅう車は両国国技館に立ち寄り、慣れ親しんだ思い出の地に別れを告げた。

 参列者の中にはリオ五輪を直前に控えたレスリング女子日本代表の栄和人監督の姿も。53キロ級で五輪4連覇を狙う吉田沙保里も故人と親交が深く、先月2日の壮行会の際にもビデオメッセージで激励してくれた。10日に吉田らとともにリオへと出発する栄監督は「本当は吉田選手も今日来たかったが、調整してしっかり金メダルを獲ることの方が親方は喜ぶ」と愛弟子の思いを代弁していた。

 ▼主な参列者 釜本邦茂、栄和人、原辰徳、細川たかし、山本寛斎、八角理事長、出羽海親方、山響親方、藤島親方、友綱親方、阿武松親方、錣山親方、錦戸親方、振分親方(敬称略)


秋元梢、ラジオで「最後のゲストはパパがいいなって言っていた」
サンケイスポーツ 8月8日(月)7時0分配信

 先月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方の次女でモデル、秋元梢(29)が7日、パーソナリティーを務めるJ-WAVE「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜前11・40)に出演。8月3日に収録されたもので「番組の最後のゲストはパパがいいなって言っていたので。それもかなわぬことになってしまいました」と無念そうだった。


巨人前監督・原氏、千代の富士さん告別式で思い出語った「我々の世代では大ヒーロー」
スポーツ報知 8月8日(月)6時14分配信

841
両国国技館前で止まって別れを告げる故・九重親方のひつぎを乗せた霊きゅう車

 すい臓がんで7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が東京・墨田区の九重部屋で営まれ、プロ野球巨人前監督・原辰徳氏や日本相撲協会関係者ら約1000人が参列した。

 原前監督は「我々の世代では大ヒーロー。ゴルフをし、酒を酌み交わしたこともあった。1か月前に出版社のパーティーで会い、お痩せになったと心配していた」と突然の別れを惜しんだ。ゴルフの腕前は原前監督の方がやや上だそうだが「(先代九重親方は)決して褒めてくれなかった。2人で小さなボールを追いかけました」と故人の強気な性格の一端を明かした。

 葬儀では、部屋を継ぐ九重親方(元大関・千代大海)と関取衆がひつぎを霊きゅう車に収めると、見送りのファンが「千代の富士、日本一!」「大横綱!」と絶叫。霊きゅう車が両国国技館前に立ち寄り、約5秒間停車してクラクションを鳴らすと、そこでも約200人のファンが「ありがとう」と口々に叫んだ。

 1989年9月に角界初の国民栄誉賞を授与した海部俊樹元首相や阪神・掛布雅之2軍監督らから弔電も寄せられた。ひつぎには故人が生前好きだったというカトレアの花が添えられ、長男の剛氏が「父が残した輝かしい功績を汚すことなくいつまでも皆様の記憶に残り続けるよう、後世大切に語り継いでいきたいと思います」と遺族を代表してあいさつした。10月1日には両国国技館で「お別れの会」が開かれる。(網野 大一郎)


千代の富士に「日本一!」「ありがとう!」出棺時に惜別のかけ声
デイリースポーツ 8月8日(月)6時3分配信

840
 参列者にあいさつをする新九重親方(中央左)。遺影を持つ秋元剛さん(同右)と梢(右から2人目)

 大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で死去した先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)やプロ野球巨人の原辰徳前監督、歌手の細川たかしら約1000人が、優勝31度を誇り「ウルフ」の愛称で親しまれた大横綱との最後の別れを惜しんだ。戒名は家族の名前が入り「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士」。

 献花では棺に故人が好んでいたカトレアの花が添えられた。今はシーズンではないが、全国から集められた。原前監督は「われわれの世代の英雄というか大ヒーロー。非常に強気な方でした。偉業は未来永劫、引き継がれる」。同じ北海道出身の細川も「付き合いは35年になる。還暦土俵入り後の宴会で5、6曲歌わせていただいて、すごく盛り上がった。あの土俵入りは完ぺきだった。あまりにも早い。同じ北海道人として残念」と目頭を押さえた。

 棺は千代丸、千代の国、千代大龍ら愛弟子の手で霊きゅう車に乗せられた。出棺時には会葬者から「千代の富士、日本一!」「ありがとう!」などの声が飛んだ。霊きゅう車は両国国技館に立ち寄り、不世出の大横綱は、最後は栄光と思い出が詰まった地から天国へ旅立った。10月1日には国技館で「お別れの会」が開かれる。


千代の富士の告別式に1千人…秋にお別れの会
読売新聞 8月7日(日)22時19分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため、61歳で7月31日に死去した大相撲の前九重親方(元横綱千代の富士、本名・秋元貢)の告別式が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、約1000人が別れを告げた。

 プロ野球・巨人の原辰徳前監督、日本レスリング協会の栄和人・強化本部長らも参列した。58歳の原前監督は、「我々の時代の大ヒーロー。快方に向かっていると信じていたのでショックだ」と、早すぎる死を悼んだ。部屋を継承した九重親方(元大関千代大海)は出棺に際し、「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、守っていきます」などとあいさつ。ひつぎを乗せた車は両国国技館に立ち寄り、斎場に向かった。

 また、10月1日午後1時から両国国技館で「お別れの会」が開かれ、一般のファンも参列できる。


葬送 元横綱千代の富士 先代九重親方の秋元貢氏(7日、東京都墨田区の九重部屋)
産経新聞 8月7日(日)20時29分配信

 「千代の富士、日本一」「ウルフありがとう」-。出棺の際、一時代を築いた「小さな大横綱」との別れを惜しむように、親族や部屋関係者、ファンが何重にも囲み、すすり泣きながら感謝の言葉を送った。

 7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれた葬儀・告別式には約1千人が参列。前日の通夜と合わせ、縁の深い人々が多く足を運んだ。しかし、がんの転移が発覚した今年に入ってから対面した人はそう多くなかった。横綱として誰よりも強くあることを追求してきた男は、衰えていく姿を見せたくなかったのだろう。

 元大関武双山の藤島親方(44)は「千代の富士関は強かったり、怖かったりするのが当たり前。『大丈夫ですか?』と声をかけられるのも嫌がったと思う」と心境を察した。

 史上3位の優勝31度や同2位の通算1045勝など数々の記録を残した。何より大相撲を国民へ親しませた功労者と言える。

 年寄「九重」を襲名、部屋を継承した弟子の元大関千代大海(40)は「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付けて守っていきます」と決意表明した。

 7月31日、膵臓(すいぞう)がんのため死去。61歳。(藤原翔)


元大関千代大海「見守って」九重親方葬儀あいさつ
日刊スポーツ 8月7日(日)19時44分配信

839
先代九重親方の告別式であいさつする長男の剛さん(左)。右は久美子夫人、遺影を持つ九重親方、次女の梢さん、長女の優さん(撮影・小沢裕)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋でしめやかに営まれた。約1000人の参列者が別れを惜しみ、その後には一般のファンも焼香を行った。

 部屋を継承した九重親方(元大関千代大海)は「あまりに突然のお別れとなり、悲しくて、悔しくて仕方ありません。平成4年11月、私が初めて九重部屋を訪ねた日、師匠の圧倒的なオーラ、鋭い眼光を目の当たりにし『この人の下なら頑張っていける』と思ったことを今でも鮮明に覚えています。あの日から24年、私をここまで育ててくださり、心から感謝しております。師匠から教わった相撲道を、我々弟子たちが体全体にあらためて焼き付け、一生忘れることなく守っていきます。これからもずっと、天から見守っていて下さい。師匠、本当にありがとうございました」とあいさつした。

 遺族を代表して長男の剛さん(30)は「突然の父の訃報に、皆様を驚かせてしまったことを深くおわび申し上げます。昨年の還暦土俵入りの後の検査で膵臓(すいぞう)がんが見つかり、手術をいたしました。術後の経過は良好だったのですが、今年の1月末に転移が見つかり、治療に専念しておりましたが、7月の大相撲名古屋場所の途中で体調を崩し、7月31日、東京の病院にて家族全員が見守る中、静かに息を引き取りました」と経緯を明かした。

 そして「父の死後、たくさんの方が弔問にいらしてくださいました。父がたくさんの人から愛され、偉大な存在だったことをあらためて感じさせる日々でした。今後は父が残した輝かしい功績を汚すことなく、いつまでも皆様の記憶に残り続けるよう、後世大切に、語り継いでいきたいと思います。あまりに急すぎて、私どももまだ信じられない気持ちでいっぱいですが、父が見守っていることを信じて、残された家族で力を合わせて、頑張っていく所存でございます」と話した。


<先代九重親方>葬儀に1000人 両国国技館に別れ告げ
毎日新聞 8月7日(日)18時47分配信

838
先代の告別式を終え、出棺前にあいさつする九重親方(元千代大海)=東京都墨田区で2016年8月7日午後1時48分(代表撮影)

 先月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった大相撲の元横綱・千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)ら協会関係者のほか、親交のあったプロ野球・巨人前監督の原辰徳さんや歌手の細川たかしさん、リオデジャネイロ五輪に出発前の栄和人・日本レスリング協会強化本部長ら約1000人が参列した。

 式の最後に、部屋を継いだ九重親方(元大関・千代大海)が「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、一生忘れずに守っていきます」とあいさつ。出棺の際には部屋の周囲に駆けつけたファンから「日本一!」「ウルフ!」など掛け声が上がった。ひつぎを乗せた車は東京・両国国技館に立ち寄り、かつて活躍した土俵に最後の別れを告げた。

 10月1日には、両国国技館でお別れの会が開かれる。【村社拓信】


ひつぎを運ぶ元千代大海ら
時事通信 8月7日(日)17時30分配信

837
先代九重親方(元横綱千代の富士)のひつぎを運ぶ、九重親方(元大関千代大海・右から2人目)ら=7日午後、東京都墨田区(代表撮影)


秋元梢がFMラジオで父・千代の富士を悼む
サンケイスポーツ 8月7日(日)17時2分配信

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方の次女でモデル、秋元梢(29)が7日、パーソナリティーを務めるJ-WAVE「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜前11・40)に出演した。

 この日の放送は8月3日の収録で「最期は苦しむことなく、家族に看取られて亡くなりました」と報告。九重親方もこの番組が大好きだったようで「この番組にも来てほしいとずっと言っていて。番組は終わってほしくないけど、最後のゲストはパパがいいなって言っていた。それもかなわぬことになってしまいました」と声を詰まらせた。

 またエンディングでは「本当に後悔してからじゃ遅いなっていうことを、今回パパに教えてもらった。その時にしかできないことは絶対あるから、みんなは後悔しないように」と呼びかけた。


さらば、千代の富士=葬儀に1000人参列―大相撲
時事通信 8月7日(日)17時0分配信

 先月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の先代九重親方の葬儀が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら角界関係者や、プロ野球巨人の原辰徳前監督ら約1000人が参列した。

 58歳の原氏は「われわれ世代の英雄であり、大ヒーローだった」と故人をしのんだ。日本レスリング協会の栄和人強化本部長も弔問。指導する吉田沙保里を含め親交があったそうで、「吉田とリオデジャネイロ五輪では絶対に金を取って見せようと話していた」と残念がった。

 部屋を引き継いだ九重親方(元大関千代大海)は「師匠から教わった相撲道を守っていく。天から見守ってほしい」と決意を新たにしていた。

 先代九重親方のひつぎを乗せた車は、横綱として何度も優勝した両国国技館に立ち寄り、最後の別れを告げた。


「ありがとう!千代の富士」先代九重親方にかけ声
日刊スポーツ 8月7日(日)16時12分配信

836
大勢の相撲ファンが待ち構えるなか両国国技館に最後のお別れをする先代九重親方の棺が乗った霊きゅう車(撮影・小沢裕)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳の若さで死去した、元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の告別式が7日午後、東京・墨田区石原の九重部屋で、しめやかに営まれた。式には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら日本相撲協会関係者や、親交のあった著名人ら約1000人が参列し、故人の冥福を祈った。

 告別式終了後、故人を乗せた霊きゅう車や関係者を乗せたマイクロバスなどの関係車両は、都内の火葬場に向かう前に両国国技館を通った。国技館前には、霊きゅう車が通ることを知った熱心なファン約300人が、両側の歩道を埋め偉大な足跡を残した故人を見送った。

 霊きゅう車は国技館の正面玄関前に一時停止。お別れのクラクションが鳴らされ、位牌(いはい)を持って助手席に座っていた久美子夫人が、目頭を押さえながら頭を下げた。ファンからの「ありがとう! 千代の富士」「よっ、日本一!」などのかけ声を背に、車列は火葬場に向かった。


千代の富士さん葬儀、原辰徳氏ら1000人が弔う
デイリースポーツ 8月7日(日)15時28分配信

 大相撲の元横綱千代の富士で7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した先代九重親方(本名・秋元貢、享年61)の葬儀が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。

 葬儀には原辰徳・プロ野球前巨人監督、歌手の細川たかし、栄和人日本レスリング協会強化委員長ら著名人をはじめ、およそ1000人が故人を弔った。戒名は「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士」。

 原氏は「われわれの世代の英雄というか大ヒーロー。一緒にお酒を酌み交わしたこともあった。ついこの間、出版関係のパーティーでお会いしてお痩せになったと心配していました。それが最後になりました。今はご苦労様と言いたいです」と話した。

 同じ北海道出身の細川は「付き合いは長くて35年になる。還暦土俵入り後の宴会で5、6曲歌わせていただいて、すごく盛り上がった。あの土俵入りは完ぺきだった。あまりにも早い。お疲れ様でした」と神妙な表情だった。


千代の富士告別式…長男・秋元剛氏「多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」
スポーツ報知 8月7日(日)15時2分配信

835
両国国技館前で止まって別れを告げる故九重親方の棺を乗せた霊柩車

 すい臓がんのため、7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方の葬儀・告別式が7日、自宅でもある東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会関係者らが参列した。1989年9月、千代の富士に角界初の国民栄誉賞を贈呈した海部俊樹元首相らが弔電を寄せて、故人をしのんだ。

 午後2時の出棺前には長男の秋元剛氏が親族を代表してあいさつ。「突然の父の訃報に皆様を驚かせてしまったことを深くおわびします。多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」と気丈に振る舞った。出棺後は横綱時代に何度も優勝を果たした両国国技館前を通過。約5秒間、クラクションを鳴らすと集まった約200人のファンが「千代の富士! ありがとう!」と声をあげて昭和の大横綱に別れを告げていた。


秋元梢、気丈に父の死去3日後に仕事…ラジオで言葉詰まらせ九重親方の思い出
デイリースポーツ 8月7日(日)12時27分配信

834
通夜で父との思い出を話す次女・秋元梢=8月6日

 7月31日に逝去した大相撲の九重前親方の次女でタレントの秋元梢が7日、ナビゲーターを務めるFM局J-WAVEの「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜、前11時40分)に出演した。

 秋元は冒頭で「実は7月31日、日曜日17時20分に父が膵がんのために亡くなりました。8月7日は告別式のため収録(放送)とさせていただきました。わがままを聞いていただきありがとうございます」とあいさつ。この日は予定を変更し、「時期が時期なので心許せる千原さんに来てもらいました」とゲストに親交のあるアートディレクターの千原徹也氏を迎えたことを伝えた。

 秋元は最初の曲が流れた後、「あらためて父について、先週(7月31日)生放送の後、最後は苦しむことなく息を引き取りました」と話すと涙が込み上げ、「ごめんなさい」とポツリ。言葉を詰まらせながらも「この番組にも来てほしかった。『パパはいつゲストに呼ばれるの』とか、親ばかなんで『お前は話がうまいな』と言ってくれました」と思い出を語った。

 涙がおさまりかけた後は、横綱千代の富士について、「私は現役時代の記憶がないので、映像とか他の人の話を聞いて、父がどんなに偉大だったのかをそこで知りました」と話し、今回の放送が8月3日に収録したことを明かしながら、「まだ3日ですが、たくさんの人が(弔問に)来てくれ、ほんとに愛されていたんだなと思いました。悲しいんだけど、温かい時間を過ごさせてもらっています」と語った。

 秋元は弔問客から「もう親方に怒ってもらえないのが寂しい」という言葉をかけてもらい、「父の不器用な愛情が分かってもらえた」とも吐露。さらに、先週の生放送後にスタッフから自身の誕生日(7月27日)を祝ってもらった後に帰宅し、母、兄、姉と自分の家族全員が親方の死に目に会えたことを明かし、「いつもは家族5人だけということがない。たまたま(親方が)待っててくれたのかな」と振り返った。

 秋元はまた、番組リスナーへ、「まだ整理はついてないですけど、父と出会った方で変わった方がいます。弟子もそうです。パパが忘れられないように伝えていければいいと思います」とメッセージを送り、「このラジオに呼べなかったことがすごく悔いです。みんなやりたいことをやった方がいいと思います」と再び涙声で思いを述べた。

 番組の最後には千代の富士さんと同郷で同学年の松山千春の楽曲「燃える涙」をバックに、秋元が「収録前は文章にしようと思いましたが、その場で考えて話しました。何を話したか分かりませんが、今後も皆さんにもっともっと言い伝えたいです」と話すと、ゲストの千原氏から「最終回のゲストがいなくなったから、ずうっと続けなければね」と粋な激励が送られた。秋元は「これからも秋元梢、九重部屋の力士、家族をよろしくお願いします」とあいさつして放送を終えた。


九重親方密葬に2000人 千春、猪木氏ら弔問
日刊スポーツ 8月7日(日)10時5分配信

833
通夜に参列したKONISHIKIは部屋の入り口にある親方の銅像にレイをかける

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の先代九重親方(享年61)の通夜が6日、東京・墨田区内の九重部屋で営まれた。密葬の予定だったが遠方から来たファンを帰せないという親族の意向で、一般ファンも焼香できるよう配慮された。通夜には協会関係者や親交のあった著名人ら約2000人が参列し故人をしのんだ。

 同じ北海道出身で30年以上の親交がある歌手松山千春は「ご冥福は祈らない。ひつぎの中からもう1度、立ち上がって来い! と言いたい。こんなに早く、オレは許さない」と言葉を詰まらせた。アントニオ猪木氏も「最期も格好良かったよ」とつぶやき、部屋を継いだ元大関千代大海の九重親方は「これで本当に師匠とお別れという気持ちになってしまった」と視線を宙に泳がせた。

 戒名は家族5人の名前の1文字を入れ「千久院殿金剛貢力優梢禪大居士」(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。今日7日、同所で告別式が行われる。

 ◆主な参列者(敬称略)

 【日本相撲協会】八角理事長、二所ノ関親方、春日野親方、出羽海親方、境川親方、山響親方、伊勢ケ浜親方、高砂親方、石山五郎(相撲博物館館長=元横綱三重ノ海)横綱鶴竜

 【その他著名人】松山千春、錦野旦(以上歌手)アントニオ猪木(参議院議員)石田純一(タレント)KONISHIKI(元大関小錦)舞の海秀平(元小結)糸井重里(コピーライター)松浪健四郎(日本レスリング協会副会長)


<医療>きょう葬儀 千代の富士が最後に闘ったがんとは
毎日新聞 8月7日(日)10時0分配信

832
還暦を迎え、土俵入りする元横綱・千代の富士の九重親方(中央)=東京・両国国技館で2015年5月

 昭和を代表する横綱、千代の富士の九重親方が亡くなった。7日午後には東京都墨田区の九重部屋で葬儀が行われる。九重親方は昨秋、膵臓がんを公表し、闘病を続けていた。消化器がんの中では、もっとも難治性と言われる膵臓がん。その特徴と検査・治療法について、消化器がんの化学療法と診療相談が専門の三嶋秀行・愛知医科大教授に聞いた。【医療プレミア編集部】

 ◇消化器がんの中でトップクラスの難敵

 膵臓は胃の背中側にあり、長さ約20センチの洋梨のような形をしている。全体を三つに分けて、頭部、体部、尾部(びぶ)と呼ぶ。機能は主に二つで、食物の消化を助ける消化液=膵液の産生と、インスリン、グルカゴンという血糖値の調整に必要なホルモンの産生だ。膵臓の中には、膵管という管が網の目のように通っており、膵液は膵管を通って「主膵管」という1本の管に集められた後、肝臓で作られた胆汁が流れてくる総胆管と合流して、十二指腸に流れ込む。

 この膵管の細胞にできる「膵管がん」が、膵臓がんの約9割を占める。その特徴を三嶋教授は「確実に早期発見する方法がない。そのために予後が悪い」と説明する。難治性の消化器がんとしては、昨年、女優の川島なお美さんらが亡くなった胆管がんがあるが、三嶋教授は「膵臓がんは胆管がん以上に難しい、トップクラスの難治性がん」と言う。

 ◇初期はほとんど症状が表れない

 難治性である最大の理由は「見つけにくい」ことだ。体の奥にある膵管にがんができても、早期では痛みなどの自覚症状はほとんど出ず、出た場合も胃の周囲や背中が重苦しい、食欲がないなど、他の疾患でもよくある症状にしかならない。黄疸(おうだん)が出ることもあるが、すべてではなく、黄疸は胆石や肝臓がんでも見られる。逆に膵臓がんで痛みが出た場合は、膵臓の外にある神経にがんが浸潤するまで進行したことを示している。最初期の病期(ステージ)0で発見されるのは「ほとんどが偶然」だという。

 検査は、腹部の超音波検査、CT(コンピューター断層撮影)検査、MRI(磁気共鳴画像化)検査などがあるが、「いずれもがんが数ミリ以上に大きくならないと捉えられない」のが現状だ。診療現場では、自覚症状などから「膵臓がんかもしれない」と画像検査をしてもがんが見つからず、後にがんが大きくなった結果「やはりがんだった」と判明するケースすらあるという。

 ◇目に見えないがんが再発を引き起こす

 その現実は、全国がん(成人病)センター協議会(全がん協)が公表している5年相対生存率のデータ(2005~07年に膵臓がんの診断、治療を受けた患者が対象)を見ても分かる。症例全3250例のうち、1期は206例、2期は626例、3期は654例なのに対し、もっともがんが進行した4期は1626例と半数を占める。「多くはがんが進行してから見つかっている証拠」という三嶋教授の言葉もうなずける。

 そして「検査で捉えられないがん」という特徴は、手術後の再発率の高さにつながる。全がん協データで、大腸がん1期2期の5年相対生存率は98.8%、91.3%だが、膵臓がんは41.3%、17.8%。手術で目視できるがんをすべて切除しても、検査で捉えられない=目に見えないサイズのがんが残り、再発するためだ。結果、全病期での5年相対生存率も9%と非常に厳しくなる。

 また膵臓がんは進行が比較的速い。進行してから見つかることが多いこともあり、周囲にはあっという間に悪化したように感じられる。15年5月の還暦土俵入りでの九重親方の若々しい姿を記憶している人から、「(訃報が)信じられない」という声が出たが、背景にはそんな病の性質もありそうだ。

 ◇治療は手術+抗がん剤

 治療は手術が第一選択だが、大抵は手術後に化学療法(術後化学療法)が行われる。がんが膵臓内にとどまっていれば放射線治療も選択肢だが、周囲に転移している場合は適応外だ。発見時に転移がある場合は、延命や生活の質の向上を目指した治療が行われる。

 見つけにくく、見つかった後も治しにくい--膵臓がんは、人類に立ちはだかる難攻不落のがんの代表格だ。患者側で気をつけることはないのか。膵臓がんの危険因子としては、まず喫煙、そして糖尿病、肥満、慢性膵炎などが挙げられる。三嶋教授は膵臓を過度に働かせることになる「暴飲暴食や高血糖を避けることが第一」と話している。


愛娘が、松山千春が、具志堅が…「ウルフ」さようなら 先代九重親方の通夜
産経新聞 8月7日(日)8時0分配信

831
九重部屋に訪れ合掌する弔問客ら=東京都墨田区(撮影・長尾みなみ)(写真:産経新聞)

 「さようならウルフ」-。

 7月31日に膵臓がんのため死去した大相撲の元横綱千代の富士の先代九重親方=本名・秋元貢氏、北海道福島町出身=の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、親族のほか、生前に縁の深かった各界の著名人が参列し、昭和から平成にかけて一時代を築いた大横綱に別れを告げた。

 先代親方の次女でモデルの秋元梢さんは通夜を終え、気丈に報道陣の取材に応じた。

 「うちの家族はなかなか5人だけの時間は持てませんでしたが、最後は5人でみとれました。ちょっとゆっくりしてもらって、天国からみんなを見守ってもらいたい。(通夜には)たくさんの方に来ていただいて、こんなにも父が愛されていると実感致しました」

 通夜を前に、九重部屋の前には参列者の行列ができた。

 同じ角界からは一様に早すぎる死を惜しんだ。現役時代に対戦のある境川親方(元小結両国)は「残念しかない。本人が一番無念でしょう」と言葉少な。元関脇高見山の渡辺大五郎氏は「彼みたいな人はなかなかいないから。ちょうど一回り下か…。残念」と神妙に語った。好敵手だった元大関でタレントのKONISHIKIは、九重部屋前にある先代親方の銅像にそっと花をかけた。

 ありし日の思い出を語ったのは元関脇旭天鵬の大島親方。平成16年に行われた韓国公演で同じ班に入り、先代九重親方と行動をともにしたといい「僕からしたらすごい人。こわごわ話しかけたら、優しかった。だから、その気になって打ち上げで乾杯しにいったな」と振り返り、焼香を終え「相撲界のために頑張って来られたので、お休みくださいと伝えました」。

 千代の富士は細身の身体で大柄な力士をなぎ倒し、史上3位の31度の優勝を記録。「小さな大横綱」と称された。

 横綱鶴竜は「自分は入ったとき身体が小さくて、(千代の富士の)映像をよく見て研究した」という。関脇の頃には「もっと強い相手と稽古しなきゃ駄目だ」と諭された。時を経て同じ最高位に上り詰めた。「その言葉で今の自分がある」と感謝を述べた。

 先代親方の死去後、年寄「九重」を襲名し、部屋を継承した弟子の元大関千代大海は「今まで教わったことを1つ1つ思い出してかみしめながら、今後力士たちにどう教えて守っていくか。一生懸命頑張ります」と決意を語った。

 同じ昭和30年生まれでつながりの深かった人は多い。元ボクシング世界王者の具志堅用高氏は、沖縄県と北海道の互いの実家を行き来したことがあるほどの仲だったという。

 「やっぱりお互い勝負師だから。負けず嫌いでね」。61歳という若さでの急逝に「同じ年でこんなに早く去ったら寂しいよね。これから本当にねえ、もうちょっと一緒に遊びたかった」と悔しそうだった。

 北海道出身の共通点もある歌手の松山千春氏は「亡くなった顔も拝見させてもらった。会った頃の若い顔だった」。“昭和30年会”のメンバーとして現役時代から親交があったといい、「マネジャーとか付け人とかがいるのに、俺と飲みに行くときはあいつ1人で来るから。そして2人でススキノ、博多、大阪、名古屋。いろんな思い出がありすぎて」と声を詰まらせた。

 昨年、膵臓がんの手術を受けた際には「見舞いに行こうか」と電話すると「いや、そんなに長い入院生活にはならない」と返された。最後まで弱い姿を見せないまま旅立った旧友に「われわれ昭和30年会で、まさかあいつが、あれだけ屈強な男が、こんなに早く逝くとは。あいつは日本の宝だった」と肩を落とした。

 最後に先代九重親方の亡きがらへかけた言葉を問われると、ときおり下を向きながら答えた。

 「ご苦労の一言。でもご冥福は祈らない。こんな若い、早い。俺たちは許さん。貢、もう一度立ち上がってこい。あの棺の中から。そうやって声をかけました」と。(藤原翔)


新・九重親方 ウルフ魂継承「1年前に“次はおまえが”と言われていた」
スポニチアネックス 8月7日(日)7時1分配信

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士=本名・秋元貢さん=(享年61)の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、2000人を超える関係者やファンが参列した。当初は関係者のみの参列が予定されていたが、急きょ一般ファンも祭壇の前で焼香することが可能となるなど最後まで国民的スターであり続けた“ウルフ”。7日午後0時30分から同所で葬儀・告別式が営まれる。

 現役時代に31度の優勝を果たした“ウルフ”は遺影の中でほほ笑みを浮かべ、2000人を超える通夜の参列者を迎え入れた。雑誌の企画で09年に両国国技館で撮影されたスーツ姿の写真。「親方が指導していた眺めからお別れしたい」という遺族の意向もあり、祭壇は親方自身が一から作り上げた九重部屋の稽古場に設けられた。

 国民に愛され続けた大横綱・千代の富士らしい通夜となった。当初は親族や関係者のみが参列する密葬の形で行われる予定だったが、故人の“遺志”をくみ取り、急きょ一般ファンも部屋の中に入って祭壇の前で焼香が可能に。関係者ら約2000人に加え、最後は100人以上のファンが大横綱が眠る棺の前で哀悼の意をささげた。

 師匠亡き後の部屋を継承した元大関・千代大海の九重親方は通夜を終え「寂しいし、言葉がない。悲しいし、悔しい。もっといろいろと話したかった」と悲しみに暮れた。それでも「1年前に“次はおまえが引っ張っていけ”と言われていた。名門のプレッシャーはありますが、頑張りたい」と、今後は自らが師匠として千代の富士魂を受け継ぐことを誓った。

 戒名は家族思いの親方らしいものになった。「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。千代の富士の「千」や力士人生を表現した「力」に加え、久美子夫人、長男・剛さん、長女・優さん、次女・梢の家族全員の名前の文字が入れられた。きょう7日の告別式後には霊きゅう車が思い出の詰まった両国国技館を通る予定となっている。

 ▼千代の富士の主な成績 1970年秋場所初土俵。1045勝437敗159休。優勝31回は歴代3位。三賞は殊勲1、敢闘1、技能5。金星は3個で、三重ノ海(2個)、2代目・若乃花から奪取


元千代の富士の通夜に2000人…弔問に松山千春、猪木ら駆けつけた
サンケイスポーツ 8月7日(日)7時0分配信

824
先代九重親方の遺影は、スーツ姿で柔和な表情だった(撮影・長尾みなみ)(写真:サンケイスポーツ)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した、大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)の通夜が6日、東京・墨田区の九重部屋で営まれ、日本相撲協会・八角理事長(53)=元横綱北勝海=ら約40人の親方衆をはじめ、同じ北海道出身の歌手、松山千春(60)、アントニオ猪木参院議員(73)らが弔問。「ウルフ」の愛称で人気を集めた同親方の早すぎる死を悼んだ。

 菊の花であしらわれた祭壇は、稽古場の土俵の上にしつらえられた。先代九重親方が力士を指導していた上がり座敷からの視線の先に、スーツ姿で優しい表情を浮かべる遺影が掲げられていた。親交のあった歌手、松山千春はお経が終わるまで斎場に残り、神妙な表情だった。

 「亡くなった顔を拝見したが、若い頃の貢(九重親方)のようだった。北海道の人間にとって、やつは宝だった」

 その声は涙で震えていた。同じ北海道出身で、同じ昭和30年生まれ。「ご冥福は祈らん。こんなに早い、若い…。俺たちは許さん。貢、もう一度ひつぎの中から立ち上がってこい!!」と千春節で故人を送った。

 トレードマークの赤いマフラーを黒色に変えて弔問に訪れたのはアントニオ猪木参院議員。「(角界の人とは)あまり付き合いがないんだけど、親方とだけはあった。あまり葬式は出ないんだけど、今日は来ました」。

 意外な交友関係を明かしたうえで「具合が悪いというのは聞いていた。早いとか遅いとかいうけど、人それぞれの寿命がある。最後まで格好よかった」としみじみ。歴代3位の優勝31度を誇り、昭和以降3位の53連勝などの記録も残した「小さな大横綱」をしのんだ。

 また、同じ年齢で現役時代から親交の深かった元プロボクシングの世界王者、具志堅用高(61)も「僕の石垣島の実家にも来たことがあるし、北海道の実家にも行ったことがある。ゴルフもよくやったよ。もっと遊びたかった」と無念の表情。「同じ歳だから、早すぎるし、寂しいよ。これからなのに…」と話し、ショックの大きさをうかがわせた。

 7日に葬儀・告別式が同所で営まれ、10月1日に東京・両国国技館でお別れの会が開かれる予定。

2016年8月 2日 (火)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・4

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事
2番目の記事
3番目の記事

リンク:次女の秋元梢 涙浮かべ「ちょっとゆっくりして、見守って」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さん、告別式後に国技館で最後のお別れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さん次女・秋元梢「天国からみんなを見守ってくれれば」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、大粒の涙 横綱千代の富士の想い出かみしめて… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さん、九重部屋で通夜 亡き三女と同じ自宅から旅立ち - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父・九重親方へ「家族5人の時間なかった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:先代九重親方の通夜 しめやかに2000人が故人しのぶ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:先代九重親方の通夜しめやかに 2000人が参列 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:KONISHIKI、九重親方の銅像にレイかける - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の通夜に2千人…各界著名人も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大横綱の通夜、しめやかに=元千代の富士、九重親方―大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大横綱の通夜、しめやかに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>九重部屋で通夜 八角理事長ら参列 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方にお別れ記帳2000人 きょう部屋で通夜 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱・千代の富士 6日の通夜にファンのための焼香所も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方「娘の誕生日までは…」と最期の踏ん張り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「千代の富士しのぶ会」故郷・北海道でも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:先代九重親方6日に通夜、お別れ記帳は2000人超 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代大海佐ノ山親方が部屋別最多Vの九重部屋継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋の関取衆「寂しい」…親方死去で初めて心境吐露 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代大海・佐ノ山親方が九重部屋を継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐ノ山親方「九重」襲名、千代鳳が「佐ノ山」に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋、千代の富士故郷で合宿決行!11日から北海道・福島町の記念館 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大相撲>元千代大海が九重部屋を継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋、佐ノ山親方が継承…相撲協会発表 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋、元千代大海が継承=元千代の富士の死去受け=大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大相撲中継の歴代最高視聴率は、「若貴」ではなく「千代の富士」だった! - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:球界の人脈も広い元千代の富士の九重親方…頭の切れ味も抜群だった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元大関・千代大海が九重部屋を継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:訃報を機に再注目 千代の富士の名言「体力の限界!」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方「お別れの会」10・1両国国技館で開催 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士、NHKが追悼特番を放送 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NHK、九重親方の追悼番組を8・5に放送 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

次女の秋元梢 涙浮かべ「ちょっとゆっくりして、見守って」
スポニチアネックス 8月7日(日)6時28分配信

830
父について語る秋元梢

 ◇元横綱千代の富士・九重親方 秋元貢さん通夜

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士=本名・秋元貢さん=の次女でモデルの秋元梢(29)が遺族を代表して取材対応した。

 きょうだいはいずれも成人しているとあって「なかなか家族5人の時間がなかった」というが「最期は家族で父をみとることができました」と明かすと、涙を浮かべ口元を押さえた。

 「誰よりも人のことを気にして。ちょっとゆっくりして、見守ってもらいたいと思います」と父への思いを気丈に話した。父が守ってきた九重部屋については「父が亡くなっても九重部屋は続いていくので、これからもご支援よろしくお願いします」と懇願していた。


千代の富士さん、告別式後に国技館で最後のお別れ
スポーツ報知 8月7日(日)6時6分配信

829
千代の富士の胸像にレイで献花するKONISHIKI

 先代・九重親方が両国国技館で最後のお別れをする。出棺は7日の告別式後の午後2時。部屋から車で約10分の距離にある国技館を周回して火葬場に向かうという。

 部屋の関係者は「ご遺族の意向です」と強調。国技館内に入るプランもあったが、当日は別なイベントが入っており、また休日のため協会関係者も不在。数々の名勝負を演じてきた思い出の場所の外からお別れすることになった。


千代の富士さん次女・秋元梢「天国からみんなを見守ってくれれば」
スポーツ報知 8月7日(日)6時5分配信

828
心境を語る故九重親方の次女・秋元梢

 先月31日にすい臓がんのため61歳で急死した大相撲の第58代横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢)の通夜が6日、自宅でもある東京・墨田区の九重部屋で営まれた。モデルで次女の秋元梢(29)が心境を語った。

 「なかなか家族5人の時間がなかったんですけども、最期は家族だけでみとることができました。たくさんの方がいらっしゃって下さり、父がいろんな方に愛されていたんだなと感じました。誰よりも人のことを気にして、いろんなことを気を配っていたので、ちょっとゆっくりしてもらって天国からみんなを見守ってくれればと思います」


秋元梢、大粒の涙 横綱千代の富士の想い出かみしめて…
デイリースポーツ 8月7日(日)6時0分配信

827
 父との思い出を話す秋元梢=九重部屋(撮影・佐々木彰尚)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった先代九重親方(元横綱千代の富士)の次女でモデルの秋元梢(29)が6日、都内の九重部屋で営まれた通夜後に取材に応じた。最愛の父を亡くした秋元は「天国から見守ってほしい」と言葉を絞り出した。成人後も手をつないで歩くなど仲良し親子として知られたが、父の現役時代は一緒の時間も少なく「最期は家族5人で見送れてよかった」と大粒の涙をハンカチでふいた。関係者によると、この日も参列者に対応するなど、気丈に振る舞っていたという。

 父譲りの鋭い目元は大粒の涙でぬれていた。それでも、大横綱の娘らしく振る舞った。部屋に詰めかけた報道陣の前に喪服姿で姿を見せた秋元は「暑い中お集まりいただき、ありがとうございます」と真っ先に感謝の言葉を述べ、頭を下げた。早口の口調から動揺が伺えたが、礼儀を重んじた。

 父の最期は家族全員で看取った。現役時代は巡業のため1年の半分は別々。誕生日やクリスマスなど節目は家族全員で集まるのが“九重流”だっただけに、秋元はこらえきれずに涙をこぼし「家族5人の時間がなかったので、最期は5人で見送れてよかったです」とハンカチで目元をぬぐった。

 2009年6月にモデルとしてデビュー。父に「やるなら一生懸命やりなさい」と背中を押されて活動を続け、父譲りの眼光の鋭さが評価されている。関係者によると、闘病中の父を仕事の合間に見舞った際、秋元は「オレのところに来るなら、仕事をやりなさい」と言われたことがあるという。父のプロフェッショナルに触れ、今がある。

 かけたい言葉を聞かれると「誰よりも人のことを気遣い、気を配っていたので、ちょっとゆっくりして、天国から見守ってほしいと思います」と少しだけ笑みがこぼれた。31日深夜のツイッターで「父の娘に生まれて、幸せです」とつづったように、最後まで言葉には父への愛があふれていた。

 7日には、パーソナリティーを務めるJ-WAVE「TOKYO DISTRICT」(日曜、前11・40)が放送される。本来は生放送の番組だが、収録で父を追悼しているという。


千代の富士さん、九重部屋で通夜 亡き三女と同じ自宅から旅立ち 
スポーツ報知 8月7日(日)5時4分配信

826
遺影の飾られた先代・九重親方の祭壇

 先月31日にすい臓がんのため61歳で急死した大相撲の第58代横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢)の通夜が6日、自宅でもある東京・墨田区の九重部屋で営まれ、約2000人が弔問に訪れた。故人の遺志で、1989年6月に生後4か月で亡くした三女・愛ちゃんの葬儀会場と同じ自宅から旅立った。戒名は「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士」。7日には葬儀・告別式が執り行われる。

 まな娘と同じ場所から旅立った。千代の富士さんは、自宅で通夜、葬儀を行うことを遺言で残していた。「大きな所ではなく(力士、親方として)育った所でやってほしいという意向です」と後援会関係者。別の関係者は「早世した娘さんの葬儀をした自宅で旅立ちたかったそうです」と故人の思いを付け加えた。

 戒名にも故人の思いが反映された。「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。久美子夫人、長女・優さん、長男・剛さん、次女・梢さんの名前が1文字ずつ入り、愛さんの名は「先に亡くなったので入れていない」と部屋関係者。天国で末娘に家族のことを報告するかのようだ。

 27年前、愛さんを乳幼児突然死症候群で失った。わずか4か月の命だった。亡くなる3か月前の1989年春場所で27回目の優勝を飾った際、生後間もない娘を大阪まで呼び寄せ「この娘だけ(優勝の記念写真を)撮ってないとかわいそう」と賜杯と一緒に写真に納まった。そのまな娘と、これからは空の上で心穏やかな日々を過ごす。

 当初、通夜と告別式は家族、関係者だけで行う密葬を予定していたが、「全国から来るファンの方にもご焼香ができるようにしました」(後援会関係者)と前日に対応した。前日までの記帳者は2000人以上。この日も弔問客は通夜が始まる前から300人以上が列を作った。

 祭壇は部屋1階の土俵上に設置。「親方がいつも稽古で投げかけていた視線と同じ目線で送り出したい」と、遺族の希望で上がり座敷と同じ高さにひつぎが置かれた。遺影は腕組みしたスーツ姿。2009年に国技館で撮影されたもので、後援会関係者は「力士として親方として道を極めた方ですが、相撲を広めるという一般的な感覚で選びました」という。

 遺族の意向通り、通夜はシンプルな装飾で営まれた。しかし、元大関でタレントのKONISHIKIが部屋入り口にある千代の富士の胸像に花の首飾りをかけるなど故人をしのぶ人々の思いは大きい。10月1日には角界初の国民栄誉賞横綱の「お別れの会」が東京・両国国技館で開かれる。(網野 大一郎)


秋元梢、父・九重親方へ「家族5人の時間なかった」
日刊スポーツ 8月6日(土)22時22分配信

825
報道陣にあいさつする次女の秋元梢

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった、元横綱千代の富士の前九重親方の通夜が6日、東京・墨田区の部屋で行われた。

 次女でモデルの秋元梢(29)は報道陣の取材に応じ、父への思いを語った。大横綱の家族ならではの苦悩か「うちの家族は、なかなか家族5人だけの時間がなかった」と明かし、涙も込み上げた。それでも気丈に振る舞い「最後は家族5人で、(父を)みとることができました。今日もたくさんの方が来てくださって、こんなにも父がいろいろな人に愛され、支持されていたということがあらためて分かりました」とあいさつした。

 父については「誰よりも人のことを気にして、気を配っていた。ちょっとゆっくりして、天国からみんなを見守ってもらいたい」と話した。


先代九重親方の通夜 しめやかに2000人が故人しのぶ
産経新聞 8月6日(土)22時19分配信

824
斎場となった九重部屋に設置された祭壇=東京都墨田区(撮影・長尾みなみ)(写真:産経新聞)

 大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した先代九重親方=本名・秋元貢氏、北海道福島町出身=の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)や現役時代の師匠で解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)ら約2千人が参列し、故人をしのんだ。

 部屋の土俵上に祭壇が設けられ、遺影はスーツにネクタイを締め、穏やかにほほ笑む姿だった。戒名には自身や家族の名前が入り「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。

 先代親方の死去で年寄「九重」を襲名し、部屋を継承した弟子の元大関千代大海は通夜を終え「本当にお別れ、という気持ち。次は自分が頑張らなきゃいけない」と決意を語った。

 先代九重親方は第58代横綱として、史上3位の31度の優勝を記録。「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集め、平成元年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞。現役引退後は九重部屋を継承し、千代大海らを育てた。

 7日には葬儀・告別式が執り行われる。また、九重部屋後援会は10月1日に両国国技館エントランスでお別れの会を開く。


先代九重親方の通夜しめやかに 2000人が参列
日刊スポーツ 8月6日(土)21時46分配信

823
故・九重親方の通夜は九重部屋でしめやかに行われた。けいこ場には故・九重親方のひつぎと遺影が(撮影・酒井清司)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳の若さで死去した、元横綱千代の富士の先代九重親方の通夜が6日、東京・墨田区石原の九重部屋で、しめやかに営まれた。

 当初は密葬の予定だったが、それを知らずに来たファンを返すわけにはいかない、という親族の意向で、一般ファンも最後に焼香できるよう配慮された。

 通夜には、八角理事長(元横綱北勝海)ら日本相撲協会関係者や、親交のあった著名人ら約2000人が参列した。

 戒名は、家族5人の名前の1文字ずつ入れ「千久院殿金剛貢力優梢禪大居士」(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)になった。7日には同所で、告別式が行われる。


KONISHIKI、九重親方の銅像にレイかける
日刊スポーツ 8月6日(土)21時46分配信

822
先代九重親方の通夜に参列したKONISHIKIは部屋の入り口にある親方の銅像にレイをかける(撮影・酒井清司)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった、元横綱千代の富士の先代九重親方の通夜が6日、東京・墨田区の部屋で行われた。

 元大関小錦でタレントのKONISHIKI(52)は、大きな箱を抱えて参列。一度部屋の中に入ったが、おもむろに玄関に出て、故人の銅像に故郷ハワイの装飾品「レイ」をかけた。


元横綱千代の富士の通夜に2千人…各界著名人も
読売新聞 8月6日(土)20時52分配信

821
花が掛けられた横綱千代の富士の像の脇に並ぶ、通夜に参列する人たち(6日午後、東京都墨田区で)=片岡航希撮影

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため、61歳で死去した大相撲の元横綱千代の富士の前九重親方(本名・秋元貢)の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で行われ、約2000人が別れを惜しんだ。

 弟弟子に当たる八角理事長(元横綱北勝海)ら相撲界の関係者だけでなく、ボクシングの具志堅用高さんや歌手の松山千春さんら多くの著名人が弔問に訪れた。具志堅さんは「同い年で現役時代から、よく遊んだ。もっと遊びたかった」と悔やんだ。部屋を受け継いだ九重親方(元大関千代大海)は「天から見守ってくださいと声をかけた。さみしいし、悔しい」と語った。


大横綱の通夜、しめやかに=元千代の富士、九重親方―大相撲
時事通信 8月6日(土)20時24分配信

 先月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋でしめやかに営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら角界関係者の他、アントニオ猪木さんや具志堅用高さんら約2000人が参列した。

 部屋を引き継いだ、弟子の新九重親方(元大関千代大海)は、「悲しいし、悔しい。教わったことを一つ一つかみしめながらやっていこうと思う」と決意を述べた。具志堅さんは、千代の富士の現役引退後も互いの実家を訪問し合う間柄で、「同い年なのに、こんなに早く去ったらさみしい。早過ぎる」と嘆いていた。

 祭壇は稽古場の土俵上に設けられ、スーツ姿で穏やかな表情の遺影が飾られた。


大横綱の通夜、しめやかに
時事通信 8月6日(土)20時21分配信

820
先月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋でしめやかに営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら約2000人が参列した。写真は祭壇に飾られた遺影


<千代の富士死去>九重部屋で通夜 八角理事長ら参列
毎日新聞 8月6日(土)19時41分配信

819
九重部屋の中に置かれた元横綱・千代の富士の遺影=東京都墨田区で2016年8月6日午後3時52分、宮武祐希撮影

 先月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった大相撲の元横綱・千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、弟弟子でもあった日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)ら約2000人が参列した。

 祭壇には、遺族の意向でスーツ姿の遺影が飾られた。親方衆のほか、現役時代の師匠だった北の富士勝昭さんら協会関係者、親交のあった元プロレスラーのアントニオ猪木さんや元プロボクシング世界王者の具志堅用高さん、歌手の松山千春さんらが参列した。今月3日に部屋を継いだ九重親方(元大関・千代大海)は「本当に師匠とお別れという気持ちになった。もっといろいろ話をしたかった」と述べた。次女でモデルの秋元梢さんも「ちょっとゆっくりして、天国から見守ってもらいたい」と話した。

 葬儀は7日に行われる。10月1日には、東京・両国国技館でお別れの会が開かれる予定になっている。【村社拓信】


九重親方にお別れ記帳2000人 きょう部屋で通夜
日刊スポーツ 8月6日(土)10時0分配信

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため死去した、元横綱千代の富士の先代九重親方(享年61)の通夜が今日6日、都内墨田区の九重部屋で営まれる。翌日に控えた5日も、一般ファンらが記帳に訪れ、その数はこの日までに2000人を超えた。

 通夜に備え故郷の北海道福島町から近親者らが、一足早く上京し亡き大横綱と対面した。葬儀を取り仕切る後援会関係者は、混雑に備えた周辺住民や所轄警察署との調整を進め、参列者の熱中症対策に医師や看護師も配備。明日7日の告別式と合わせ万難を排して、角界唯一の国民栄誉賞横綱を送り出す。


元横綱・千代の富士 6日の通夜にファンのための焼香所も
スポニチアネックス 8月6日(土)7時1分配信

818
九重部屋前の献花台に手向けられた大量の花束

 7月31日にすい臓がんのため61歳で死去した九重親方(元横綱・千代の富士)の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれる。参列者は家族や関係者のみとなるが、ファンのための焼香所が置かれる予定。既に玄関前に設けられている献花台と記帳台には通夜前日の5日までに全国から毎日約500人が訪れるなど千代の富士人気は健在だ。

 相撲専門誌の月刊「相撲」を発行するベースボールマガジン社では「千代の富士追悼号」(税抜き722円)を10日に緊急発売することが決定。現役時代の写真や成績などが52ページにわたって特集され、B2サイズのポスターも付録として付いている。同社が発行する力士の追悼号は昨年11月に死去した北の湖親方(元横綱)以来となる。


九重親方「娘の誕生日までは…」と最期の踏ん張り
NEWS ポストセブン 8月6日(土)7時0分配信

817
最期の踏ん張りを見せたという九重親方

 元横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、膵臓がんのため61才で亡くなった。昨年6月に、緊急手術を受けるも、その後、がんは全身に転移。特殊な放射線治療を受けながら、親方としての仕事をこなしていたが、今年7月の名古屋場所4日目(7月13日)の後に体調を崩し、東京に戻り緊急入院した。親しい友人が明かす。

「入院後に連絡をもらいました。もう長くはないかもしれない。でも、弱った姿は見せたくないから、お見舞いはお断りさせてほしいと…」

 それでも、親方は最後の気力を振り絞っていた。

「娘の誕生日までは、踏ん張るよ」

 長女・優さんの誕生日は7月19日、モデルの次女・梢は27日だ。入院中はいつも優さんが親方の隣にいたという。

 九重親方の家族に対する愛情には、特別なものがある。妻の久美子さんとは関脇時代の1981年、後援者の紹介で知り合った。

「九州場所の博多で一目見て、“ピピッ”と感じるものがあったそうです」(ベテラン相撲記者)

 翌年9月に結婚式を挙げた。相撲の取り口同様の“一気の速攻”だった。その翌1983年には長女・優さんが誕生する。

「優さんが3才くらいの頃、千代の富士関が負ける場面を見て“パパが負けちゃった。かわいそう”と泣き止まなかったそうです。ところが、幼稚園に入ってから、横綱が“パパ負けてごめんね”と言うと、“この前勝ってくれたからいいよ”と小さいなりに慰めようとする。それには、“これじゃあ頑張らないわけにはいかないでしょう”と話していました」(ベテラン記者)

 1986年には長男、1987年には梢、1989年2月には三女・愛ちゃんが誕生した。

「千代の富士関は子供が生まれるたびに“この子を抱っこして優勝の記念写真を撮ってやる”と言っていました。“物心つくまでは勝ち続けて、父親が相撲取りだったとわからせてやりたい”とも。家族こそが自分の心の支えだと確信していたんです」(前出・ベテラン記者)

 その直後の1989年春場所。千代の富士は27回目の優勝を飾り、愛ちゃんは生後わずか1か月で優勝の記念写真に収まった。後に千代の富士はこう述懐している。

「女房には“まだ首も据わってないから無理”と言われた。それでも、なぜか無性に一緒に写真を撮りたくなった」

 撮影の時、千代の富士は目を赤くし、「これが念願だった」と喜びを口にした。

 だが、それからわずか3か月後の6月12日、愛ちゃんは乳幼児突然死症候群で、生後4か月というあまりにも短い生涯を終える。この時の千代の富士の憔悴ぶりは激しく、体重は一気に4kg減った。

 愛ちゃんの葬儀から2週間で始まった名古屋場所。千代の富士は首に大きな数珠をかけて場所に通った。

「涙を流して娘が帰ってくるなら泣く。それより、あの子のために優勝する」

 この場所、千代の富士は左肩脱臼の影響もあり、満身創痍の状態で、「15日間土俵に上がるだけで奇跡」といわれるほどだった。

 それでも愛ちゃんの霊前に供えるように、1日、1日、白星を積み重ねた。そして史上初となる同部屋の横綱同士による優勝決定戦の末、北勝海(現・八角親方)を破り、見事に優勝を果たす。千代の富士は後にこうも語った。

「忘れようと頑張った。でも、死んだ娘が後ろから押してくれて勝った、と思う相撲もあった」

 今年6月4日、九重親方は東京・台東区にある菩提寺を訪れ、愛ちゃんの眠る墓前で手を合わせた。

「(親方の)緊急入院は7月13日でした。19日の優さんの誕生日は、個室の病室でおかみさんと3人でお祝いをしたそうです。体調が急激に悪化し、集中治療室に運び込まれたのは24日。しだいに意識がなくなり危篤状態になりましたが、27日の梢さんの誕生日は何とか持ちこたえた。最期の最期まで、親方は気力を燃やし続けたんです」(前出・相撲関係者)

 2人の娘の誕生日を祝い終えた31日、大横綱は逝った。

※女性セブン2016年8月18・25日号


「千代の富士しのぶ会」故郷・北海道でも
スポーツ報知 8月6日(土)6時4分配信

816
故・九重親方

 先月31日にすい臓がんで亡くなった元横綱・千代の富士の先代・九重親方(享年61)の出身地、北海道松前郡福島町が同親方を「しのぶ会」を企画していることが5日、分かった。10月1日に東京・両国国技館で九重部屋後援会主催の「お別れの会」が開催されるが、同町役場の総務課によると「東京でお別れの会が行われた後に、こちらでも(先代)九重親方の追悼イベントをやる方向で進めています」と話し、現在は日程を調整している段階という。

 福島町の鳴海清春町長(60)は先代・九重親方と小、中学校の同級生でもあり、今回の訃報には即座に対応。地元が生んだ昭和の大横綱を地元ファンとともに胸に刻むイベントをいち早く開催することを決断したという。鳴海町長は今月3日から上京しており、6日に東京・墨田区の九重部屋で営まれる同親方の通夜にも弔問に訪れる。

 通夜には同親方と現役時代から親交の深かった参議院議員のアントニオ猪木氏(73)や歌手の松山千春(60)ら著名人も弔問に訪れる予定。5日は稽古場のある部屋1階に設けられた祭壇を飾る花が運び込まれるなど、準備が進められた。

 また、国技館内の相撲博物館ではベースボール・マガジン社の協力で、今月18日から館内にあるモニターに千代の富士の名勝負の取組映像が上映されることも決まった。博物館職員は、「次回の催し物が行われるタイミングで(取組映像を)流すことになりました」と説明した。

 ◆記帳台と献花台22日まで延長へ

 福島町の「横綱千代の山・千代の富士記念館」に設けられた先代・九重親方への記帳台と献花台が、当初の7日から予定を大幅に延長して22日まで置かれることになった。同町役場によると、「11日から22日まで部屋の合宿が(同所で)あるので引き続き行うことにしました」と説明。合宿を見学に訪れたファンにも弔意を表す場を提供するためだという。また、同記念館の無料開放も合宿が終わる22日まで延長されることが決定した。


先代九重親方6日に通夜、お別れ記帳は2000人超
日刊スポーツ 8月6日(土)5時54分配信

815
6日の故先代九重親方の通夜に備え赤じゅうたんを敷き詰めるなど、準備を整える九重部屋

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため死去した、元横綱千代の富士の先代九重親方(享年61)の通夜が6日、都内墨田区の九重部屋で営まれる。翌日に控えた5日も、一般ファンらが記帳に訪れ、その数はこの日までに2000人を超えた。

 通夜に備え故郷の北海道福島町から近親者らが、一足早く上京し亡き大横綱と対面した。葬儀を取り仕切る後援会関係者は、混雑に備えた周辺住民や所轄警察署との調整を進め、参列者の熱中症対策に医師や看護師も配備。7日の告別式と合わせ万難を排して、国民栄誉賞横綱を送り出す。


元千代大海佐ノ山親方が部屋別最多Vの九重部屋継承
日刊スポーツ 8月4日(木)10時14分配信

 日本相撲協会は3日、元大関千代大海の佐ノ山親方(40)が同日付で年寄「九重」を襲名し、元横綱千代の富士の前親方が死去した九重部屋を継承したと発表した。年寄「佐ノ山」は幕内千代鳳が所有するという。

 九重部屋は北の富士、北勝海を含めた3横綱を輩出し、千代の富士の31度を筆頭に部屋別の優勝回数で52度とトップを誇る。7月の名古屋場所番付では6関取など力士13人が在籍した。


千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」
webスポルティーバ 8月4日(木)7時10分配信

814
陽杯を手に笑顔の千代の富士。1989年名古屋場所 photo by Kyodo News

 大相撲第58代横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。61歳だった。ウルフの愛称で親しまれ、歴代2位(当時)の優勝31回を誇り、1989年には角界初の国民栄誉賞も受賞した大横綱。精悍なマスクと彫刻のような美しい肉体から繰り出す左前まわしを引く電光石火の速攻相撲は、広く国民的な人気を集めた。

 2006年から大相撲を取材する中で、親方から横綱としての姿勢、心構えを聞く機会があった。時代を築いた大横綱は、どんな思いで土俵を務めていたのか。その会話のやり取りの中には、これからの土俵を支える力士への激励が込められていた。

 あれは2014年九州(11月)場所だった。前の秋(9月)場所で新入幕の逸ノ城(湊部屋)が1横綱2大関を倒し、13勝2敗の大旋風を巻き起こした。上位をなぎ倒す姿は1984年秋場所で「黒船襲来」と謳われた小錦旋風を思い起こさせた。その場所が小錦と初顔合わせとなった千代の富士は、強烈なプッシュに体が浮き上がる惨敗を喫したのだ。

 しかし、その後の千代の富士は黒星の教訓を生かし、小錦に惨敗を喫することはなかった。怪物と評された新鋭を横綱は、どういう心構えで受け止めたのか。当時の思いを聞こうと場所中の朝稽古、福岡市内の鳥飼八幡宮にある九重部屋宿舎を訪ねた。

 小錦との一番を振り返っていただいた時、親方から出た言葉は意外なものだった。

「負ければ、不安なんだよ。もう勝てないんじゃないかと思うぐらい追いつめられるんだよ。あの時もそうだった。これから先、オレはどうなるんだろうって考えたよ」

「負けた夜は食事に行っても気持ちはうわの空で、明日、勝てるのか。オレはこのまま終わってしまうんだろうか。そんなことばっかり頭の中をグルグル回ってるんだよ」

 威風堂々の土俵での立ち姿。必殺の左前まわしを引けば、鮮やかな攻め手で相手を投げ飛ばす。そんな強烈な記憶と通算勝ち星1045勝という偉大な記録からは、かけ離れた「不安」の二文字。だが、この恐れこそ千代の富士を支えた源だったのだ。

 そして、親方は続けた。

「だから、やるんだよ。何をって。稽古に決まってるだろ。やるしかないんだよ。不安を消すには稽古しかない。稽古して自分を追い込んで納得するまでやる。そうすると、ここまでやったんだから負けるはずがないって、自分の中で思えるようになる。そこまで追い込まないと土俵には上がれない」

 言葉には説得力があった。稽古こそウルフの歴史そのものだからだ。

 北海道・松前郡福島町出身。15歳で同郷の横綱・千代の山の九重親方から「飛行機に乗せてあげる」の言葉に誘われて上京した。1970年秋の初土俵から類まれな運動神経はあったが、178cm、71kgの細身の体では圧力負けしてしまう。小柄な体は悲鳴を上げた。左肩の脱臼に幾度も悩まされたのだ。

 新十両が見えてきた幕下15枚目で迎えた74年春には右肩も脱臼してしまう。絶望と不安の中に叩き落とされた時、実行したのはやはり稽古だった。「脱臼を直すには肩に筋肉をつけるしかない」と1日1000回の腕立て伏せを自らに課し、筋肉の鎧(よろい)でケガを防いだ。

 十両、幕内と番付を上げていく中で苦手な力士がいれば、相手のもとへ出稽古した。有名なのが琴風(現・尾車親方)との稽古だ。押し相撲が苦手だった平幕時代、琴風に5連敗するなど、まったく歯が立たなかった。以来、毎日のように琴風の佐渡ケ嶽部屋に日参した。琴風が別の部屋へ行けば、そこへ行き胸を合わせた。後年、尾車親方が当時の千代の富士をこう振り返った。

「今日はいないだろうと思っても必ずいる。今でいうストーカーみたいな感じかもしれない。でも、あそこまでやらないと横綱にはなれないんだなと思わせていただいた。あの執念はすさまじいものがありましたよ」

 結果、通算で22勝6敗と苦手の琴風を圧倒する対戦成績を残した。

 その姿勢は横綱に上り詰めてからも変わらなかった。小錦に惨敗した後、高砂部屋への出稽古を繰り返した。ターゲットはもちろん、小錦だ。当時、胸を貸す立場の横綱が他の部屋へ出稽古に行くこと自体、めずらしかった。横綱の誇りを捨てたともいえる行動。この問いに九重親方は間髪入れずにこう言った。

「自分が弱いんだから当たり前でしょ。横綱だろうが何だろうが勝てない相手がいれば、稽古して研究するのは当然。弱いから稽古する。どこがおかしいの」

 通算成績1045勝437敗。歴代2位の勝ち星ばかりが目に行くが、437敗という“不安”があったからこその大記録だった。

 加えて体調管理も怠らなかった。日本を代表するトップスター。宴席も今の横綱とは比較にならないほど数多かった。それでも常に体重チェックだけは欠かさなかったという。ベストは125~126kg。

「これより2kg増えただけで動きが違ってくる。少し増えたなと思ったら多めに汗を流すとか、自分なりに工夫してベストを維持することを心掛けていたね」

 勝負勘も抜群だった。あのウルフフィーバーが吹き荒れた初優勝の1981年初場所。本割で横綱・北の湖につり出され、優勝決定戦で再び対決した。本割では北の湖と雪崩込むように土俵下に落ちたのだが、この時、相手が左足首をひねったのが見えたという。勝ち名乗りを受ける時に横綱が多少足を引きずっていることで確信。決定戦では「横綱の左足を揺さぶろう」と出し投げを狙い、見事に決めた。この一番を「相手の動きを見てれば、わかるよ」とこともなげに振り返ったが、瞬時に敵の変化に気づく勘は天性のものだろう。

 親方としては大関・千代大海(現・佐ノ山親方)を始め、多くの関取を育成。現役では7人もの関取を有する。育て方は対話重視。弟子一人ひとりと交換日記を行ない、自ら目を通し、赤字でアドバイスを送る。時にはLINEを使い、叱咤激励。厳しいだけでなく「勝ち越したら好きなものを食べさせてやる」とのアメもぶら下げて、弟子のやる気を引き出してきた。大横綱にして名伯楽。それが九重親方だった。

 そして取材中、話題は今の力士に移った。中心になったのは2年前(2014年)も綱に一番近いと言われた稀勢の里(田子ノ浦部屋)だった。「稀勢の里は横綱になれますか」と聞くと、即答だった。

「無理無理」

 続けてこう言った。

「稽古の仕方が全然、違うよ。自分より強い人がいるんだろ? なんでその人のところへ行って胸を借りないの? 強くなりたければ、自分より強い人と稽古するのが一番。そこへ行って最初は通用しないかもしれないけど、自分の課題もわかってくる。稽古を続けて少しでも通じるようになれば、それが自信になるんだ。それをやらないかぎり上には行けません。なんで、やらないのか、オレには不思議でしょうがないよ」

 不安を抱え、稽古で克服した千代の富士。大切なのは勝利への貪欲さだろう。その魂を受け継ぐ力士は、果たして出てくるのか。あの時の親方の熱い言葉が今の力士に少しでも届けばと切に願う。


九重部屋の関取衆「寂しい」…親方死去で初めて心境吐露
スポニチアネックス 8月4日(木)7時1分配信

 大相撲の九重親方(元横綱・千代の富士)が7月31日に死去したことを受け、所属部屋の関取衆が3日、現在の心境を初めて述べた。部屋頭の幕内・千代鳳は「寂しいです。今の地位に自分がいるのは師匠のおかげ。師匠じゃなかったら伸びていなかった」と感謝。生前時には「おまえが引っ張っていけ」と激励されていたそうで「九重部屋のみんなに“こういう関取になりたい”と思ってもらえるように頑張りたい」と自覚たっぷりに話した。この日正式に元大関・千代大海の佐ノ山親方が年寄「九重」を襲名して部屋を継承することが発表され、それに伴い千代鳳が「佐ノ山」を取得することも決まった。

 十両・千代大龍は「1場所で幕内に戻って少しでも恩返しができるように頑張りたい」と復活を誓い、十両・千代丸は「まだ現実として受け止められない。関取でいられるのも師匠のおかげです」といまだに信じられない様子。稽古場で厳しい言葉を掛けられたことには「それも愛情だった。厳しくも優しい方でした。苦になったことは一回もなかった」と振り返った。


元千代大海・佐ノ山親方が九重部屋を継承
サンケイスポーツ 8月4日(木)7時0分配信

 日本相撲協会は3日、元横綱千代の富士の九重親方が膵臓(すいぞう)がんで死去したことを受け、九重部屋の部屋付き親方だった元大関千代大海の佐ノ山親方(40)が同日付で年寄「九重」を襲名。九重部屋を継承したと発表した。

 九重部屋は「分家独立を許さず」の不文律があった出羽海部屋から昭和42年1月、元横綱千代の山が破門されるかたちで創設。それを元横綱北の富士(現相撲解説者・北の富士勝昭氏)が引き継いだ。亡くなった前親方は平成元年9月に協会から一代年寄を承認されたが、「部屋の名前は末永く続くものに」と辞退。看板に込めた思いが次世代へ受け継がれた。九重部屋は北の富士、北勝海(現八角理事長)を含めた3横綱を輩出。部屋別の優勝回数では52度でトップを誇る。


佐ノ山親方「九重」襲名、千代鳳が「佐ノ山」に
スポーツ報知 8月4日(木)6時4分配信

 日本相撲協会は3日、佐ノ山親方(40)=元大関・千代大海=が同日付で年寄「九重」を襲名。先月31日に亡くなった元横綱・千代の富士の先代師匠の部屋を継承したと発表した。新・九重親方はこれまでの年寄名跡「佐ノ山」を同「九重」と交換。前九重親方の遺族が「九重」以外の名跡を保有できないため、最高位が小結以上の保有資格を満たす部屋頭の幕内・千代鳳が「佐ノ山」を襲名した。

 千代鳳はこの日、「佐ノ山を預かる形。親方になりたかったが(師匠が死去したことでの)形の襲名は残念でもある」と語った。またこの日、部屋の関取のうち巡業を休場しない4人が4日の巡業先の立川へ出発。十両・千代大龍は「毎朝、線香をあげています。けがなく稽古して秋場所で勝ち越したい」と奮起を誓った。


九重部屋、千代の富士故郷で合宿決行!11日から北海道・福島町の記念館
スポーツ報知 8月4日(木)6時4分配信

 7月31日に61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重部屋が毎年恒例で行っている北海道合宿が予定通り決行されることが3日、分かった。親方の故郷・北海道松前郡福島町の役場産業課によると、同町の「横綱千代の山、千代の富士記念館」で11日から22日まで行われる。

 師匠の急逝のため、部屋では一時中止も検討された。だが、おかみである久美子夫人の強い意向で開催が決定。部屋関係者によれば、これが最後の北海道合宿となる可能性もあるという。

 産業課の花田雅昭さん(56)によると「(親方が亡くなり)どういうふうになるか分からなかった。だが、2日に部屋のマネジャーから『(北海道行きの)チケットを手配してください』と連絡が来ました」。先代師匠への追悼の意味も込めた合宿となる。

97年から開催  追悼の意も 記念館が創立した1997年から毎年行われ、今年で20回目になる。年寄名跡を継承し部屋を引き継いだ新・九重親方(元大関・千代大海)も現役時代は北の大地で実力を磨いた。花田さんは「(先代)九重親方がいると、やっぱり若い人たちもピンと張りつめた様子で毎年稽古をされていましたね」と地元の風物詩を懐かしがった。

 6人の関取のうち4人は巡業に参加するため合宿は欠席する。右膝の故障のため巡業を休場する幕内・千代の国(26)も参加できない可能性が高い。少人数での合宿となるが、親方の生まれ育った地で、若手力士たちが追悼の思いも込めた稽古に励む。花田さんは「町としては、今後も続けていってほしい気持ちがあります」と話した。


<大相撲>元千代大海が九重部屋を継承
毎日新聞 8月3日(水)19時12分配信

 日本相撲協会は3日、元横綱・千代の富士の九重親方が先月31日に亡くなったことに伴い、弟子で部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が年寄「九重」を襲名し、部屋を継承すると発表した。九重部屋には7月の名古屋場所時点で、前頭の千代鳳や千代の国らが所属している。【村社拓信】


九重部屋、佐ノ山親方が継承…相撲協会発表
読売新聞 8月3日(水)19時0分配信

 大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)の急逝を受け、部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)が九重部屋を継承することが承認された。

 3日、日本相撲協会が発表した。佐ノ山親方は年寄「九重」に名跡を変更した。九重部屋には幕内の千代鳳、千代の国ら関取6人が在籍している。


九重部屋、元千代大海が継承=元千代の富士の死去受け=大相撲
時事通信 8月3日(水)16時7分配信

 日本相撲協会は3日、元横綱千代の富士の九重親方が7月31日に死去したのに伴い、同親方が師匠を務めていた九重部屋を、弟子で部屋付きの佐ノ山親方(40)=元大関千代大海、本名須藤龍二、大分県出身=が、名跡を九重に変更して継承することを理事会で承認したと発表した。

 九重部屋には、幕内の千代鳳、千代の国らが所属している。


大相撲中継の歴代最高視聴率は、「若貴」ではなく「千代の富士」だった!
BEST TIMES 8月3日(水)16時0分配信

平成の相撲ブームは兄弟2人だけど“ウルフフィーバー”は俺1人だからね
 
 元横綱千代の富士の九重親方がすい臓がんのため、先月31日に61歳の若さで亡くなった。優勝31回、通算1045勝など輝かしい実績を残し、角界初の国民栄誉賞にも輝いた。そのサクセスストーリーが始まったのが、昭和56年1月場所。関脇で初優勝を飾り、“ウルフフィーバー”がうねりを上げたのがこの場所だった。

 のちの平成時代にいわゆる“若貴兄弟”を中心とした空前の大相撲ブームが巻き起こるが、NHKの大相撲テレビ中継の歴代最高視聴率をマークしたのは、実は“若貴時代”ではなく“ウルフ”が横綱北の湖を優勝決定戦で破って初優勝を決めた同場所千秋楽である。平均視聴率52.1%、瞬間最高視聴率65.3%はいまだ破られていない。後年、九重親方はこんなことを“豪語”していた。

「平成の相撲ブームは兄弟2人による数字だけど、“ウルフフィーバー”は俺1人だからね。どれだけすごかったか」。

 関脇で初優勝した4場所後には横綱に上り詰めた。左の前廻しを取って一気に走る速攻相撲で綱を射止めたのだが、横綱昇進以降は右手で相手の首根っこを押さえつけ、左上手から豪快に投げる“ウルフスペシャル”が“必殺技”となった。力を見せつけるような荒業だったが、そこにはウルフなりの思惑があった。

「横綱になったら勝った相撲は(新聞に)載せてもらえないんだよ。年に10回ぐらいしか負けないのに、それが全部載るわけだから悔しかったね。だったら、勝っても載せてくれるような内容の相撲を取ればいいのかなと。それが“ウルフスペシャル”になったんじゃないかな」。

 誰もが認める肉体的な強さはもちろん、新聞やテレビといったマスコミをも味方につけたことでそのイメージは倍加され、人々の記憶に深く刻み込まれていった。今、我々が抱いている大きな喪失感や悲しみは、その反動を物語っているのではないだろうか。


球界の人脈も広い元千代の富士の九重親方…頭の切れ味も抜群だった
サンケイスポーツ 8月3日(水)15時0分配信

884
故九重親方(写真:サンケイスポーツ)

 【球界ここだけの話】

 元横綱千代の富士の九重親方が7月31日に亡くなり、球界も悲しみに包まれ、親交のあったソフトバンク・王貞治会長らがお悔やみのコメントを出している。

 私も相撲担当として3年間取材させていただいたが、とにかく頭が抜群に切れる方だった。

 2002年頃。素朴な疑問をぶつけにいった。「貴ノ花(元大関)は親方と対戦し引退を決断。親方は貴乃花(現親方)に引退に追い込まれた。今度は親方の息子さん(剛さん)が貴乃花に引導を渡すというストーリーになっているんですけど。相撲はやらないんですか?」。

 そんな怖いもの知らずの、無茶な質問に「誰がそんなこと決めたんだよ!? 勝手に決めるな!! 今はバスケットをやってるよ。だいたい今から力士になって、貴乃花に勝つまでに何年かかると思ってるんだ」とちゃんと答えてくれた。

 娘の秋元梢は人気モデルになっているが、剛さんも力士になることはなかったが、ファッションの世界で活躍されているそうだ。

 ある年の名古屋場所。役員室に話を聞きに行くと「俺はおまえと相撲を取っても負けないよ」と言われたことがある。「当たり前じゃないですか」と返すと「俺はおまえの作戦がわかる。顔に『悪い記事を書きたいです』と書いてある。顔を洗って出直してこい」とこちらの狙いを見透かされ、すごすごと退散したこともあった。

 だから、こちらも考えた。例えば、親方の弟子の元大関千代大海(現佐ノ山親方)が序盤から負けがこんだとき。

 「大関はダメですね」とストレートに聞くと「そうか?」となる。そこで「大関は惜しかったですね?」といくと「どこが惜しいんだ! あんな相撲を取っているからダメなんだ」とうまくいくこともあった。

 そんな九重親方は力士にとっても憧れの存在。朝青龍が横綱のときに、勝ち名乗りを受けたあとに、必ず右を向く仕草をしていた。

 「どこを見ているのか?」と聞くと「審判の九重親方に『見てくれていましたか?』とチェックしている」と思ってもいない答えが返ってきた。

 その話を直撃すると「『俺も見ているよ』と言っておいてくれ。そんなに好きなら、うちの部屋に入ればよかったのにな」と話してくれた。

 5、6日の葬儀、告別式には多くの球界関係者が訪れるだろうが、強さだけではなく、こんな頭の切れるスーパースターはもう出てこないだろう。

 まだまだ辣腕(らつわん)を振るい、角界を盛り上げてほしかっただけに、残念でならない。(塚沢健太郎)


元大関・千代大海が九重部屋を継承
スポニチアネックス 8月3日(水)14時54分配信

 元大関・千代大海の佐ノ山親方(40)=本名須藤龍二、大分県出身=が3日付で年寄「九重」を襲名し、元横綱・千代の富士の前親方が死去した九重部屋を継承した。日本相撲協会が同日発表した。

 元千代大海の九重親方は1日に九重部屋で取材に応じた際、亡くなった前親方について「血のつながりはないが、父親としてずっと思っていた」と心境。九重部屋付き親方として弟子の指導に当たっていたが「生前時、次におまえが引っ張っていけと言われていた。これから不安にならないように頑張らせていただきます」と決意を述べていた。

 九重親方は若い頃、ケンカに明け暮れた悪ガキだったという。金髪にそり込みを入れて、入門を申し込みにいくと前親方が「その頭を何とかしてこい」と一喝。心を入れ替えて弟子入り。師匠の厳しい指導で、番付を駆け上がり、大関まで昇進した。優勝は3度で大関在位65場所は魁皇と並んで歴代最多。

 九重部屋には7月の名古屋場所時点で、幕内・千代鳳関ら6関取など力士13人が在籍。これまで北の富士、北勝海、千代の富士の3横綱を輩出した名門で、千代の富士の31度を筆頭に部屋別の優勝回数では52度でトップ。


訃報を機に再注目 千代の富士の名言「体力の限界!」
R25 8月3日(水)7時0分配信

元横綱の千代の富士(九重親方)が7月31日、61歳の若さで死去。名横綱の早すぎる死を偲ぶコメントが次々と寄せられている。

北海道出身の千代の富士は、1981年の初場所で初優勝を飾って大関に昇進すると、同年中に横綱に昇進。横綱として10年以上にわたって土俵に君臨し、優勝回数31回(歴代3位)、通算勝利数1045(歴代2位)、横綱在位59場所(歴代2位)など、数々の記録を打ち立て、1989年には角界初となる国民栄誉賞を受賞した。

力士としては小柄な120kg前後の体型ながら、大型力士の挑戦を鍛え上げられた身体で受け止め、「ウルフ」という愛称で抜群の人気を誇った千代の富士。そんな偉大な横綱の死に、ツイッターには、

「千代の富士強かったなぁぁって思いでしかないな」
「本当に格好良かった….リアルタイムで見れた事はある意味で幸せだったかも….」
「大きくない体なのに強くて、『相撲』を面白いと思ったのはこの人の魅力かも」
「千代の富士の土俵入り、雲竜型を見た時、なんて美しいのだろうと感動したことを今も鮮やかに目に浮かびます、まだ早過ぎます、残念です」

といった早すぎる死を悼む声が数多く寄せられているが、そんななかで目に付くのが、千代の富士の引退会見での発言に関するコメントだ。当時、猛烈な勢いで番付を駆け上がってきた貴花田(後の横綱・貴乃花)と初めて対戦し、これに敗れた千代の富士は、その2日後に引退を表明。涙で言葉を詰まらせながら、「体力の限界…気力も無くなり、引退することになりました」と述べ、当時大いに話題になった。

それゆえ、千代の富士の訃報が伝えられると、ツイッターには、

「体力の限界って周りも真似もしてたな よく覚えてるよ」
「『体力の限界!、気力もなくなり!』のセリフは、職場でよく使った」
「『体力の限界』。絞り出したその一言が今も忘れられない」
「『体力の限界』。あのカッコいい千代の富士の引退会見は、日本スポーツ史に残る名シーンだと思う」

など、改めてこのフレーズをつぶやく人が続出。潔い引退会見は日本中の涙を誘ったが、「人生」という土俵からも、あまりにもあっさりと去ってしまった大横綱を偲ぶ声が、続々と寄せられている。

(金子則男)
(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびR25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております


九重親方「お別れの会」10・1両国国技館で開催
デイリースポーツ 8月3日(水)5時59分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 日本相撲協会は2日、7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急死した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢)の「お別れの会」が10月1日に東京・両国国技館のエントランスで開かれると発表した。九重部屋後援会が主催で、時間は未定。

 相撲協会は、歴代3位の優勝31回、1989年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞した大功労者に対し、協会葬を営む選択肢もあったものとみられるが、遺族側の意向が尊重された。


元横綱千代の富士、NHKが追悼特番を放送
日刊スポーツ 8月2日(火)19時38分配信

883
元横綱千代の富士

 NHKは2日、膵臓(すいぞう)がんのため、7月31日に61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方をしのぶ特別番組を放送すると発表した。

 5日午後3時10分から「NHK特集『九州場所 千代の富士の15日間』」を放送するという。88年11月28日放送された番組の再放送。

 大鵬の持つ連勝記録45勝を破った横綱千代の富士はどこまで記録を伸ばすのかをテーマに、連勝阻止を目指す各力士と、挑戦を受けて立つ千代の富士との熱い戦いの日々を追ったドキュメンタリーという。


NHK、九重親方の追悼番組を8・5に放送 
スポーツ報知 8月2日(火)19時31分配信

 7月31日に61歳で急逝した第58代横綱・千代の富士の九重親方をしのんで、NHKは2日、1988年11月28日に放送されたNHK特集「九州場所 千代の富士の15日間」を5日午後3時10分から総合テレビで放送すると発表した。

 番組は88年の九州場所で大鵬の連勝記録「45」を破った千代の富士がどこまで記録を伸ばせるかに迫った内容。連勝阻止を目指す各力士と、挑戦を受けて立つ千代の富士の日々を描いている。

2016年8月 1日 (月)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・3

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事
2番目の記事

リンク:元千代の富士のお別れ会は10月1日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>お別れの会は10月1日 両国国技館で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:急逝千代の富士 一夜明けても消えぬ悲しみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方お別れの会、秋場所後10・1国技館で開催 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方のお別れの会は10月1日 東京・両国国技館のエントランスで - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:多くの人に尊敬されている、大横綱・千代の富士が残した“遺言” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大相撲の福井巡業で九重親方へ黙とうささげる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さんとお別れ10月1日、国技館で調整 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方悼み…夏巡業で黙とう 力士会会長の日馬が呼び掛け - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼秘話 九重親方を“協会ナンバー2”から下ろした真犯人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、まな弟子の急死に悲痛「強い順に逝ってしまうのかな」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:八角理事長、涙こらえ「治ると信じていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐ノ山親方「九重」「ウルフの魂」を受け継ぐ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:先代の九重親方・北の富士氏しみじみ「なんで…強い順番に逝っちゃう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:兄弟子・九重親方急逝から一夜…八角理事長「治ると思っていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方急死から一夜…八角理事長、遺影に手を合わせ「絶対に強い人だと」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:八角理事長悲痛「本当に亡くなったのかな」と声詰まらせる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方のお別れ会を10月1日、国技館で調整 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:本紙だけが撮っていた千代の富士“最後”の勇姿 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>八角理事長「勝ちに貪欲 弱音吐かず」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大相撲>九重部屋、佐ノ山親方が継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ありがとう、ウルフ! 『キン肉マン』作者が語る元横綱・千代の富士との超人誕生秘話 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋、元千代大海が継承へ=大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:キン肉マン作者が九重親方モデルのウルフマン秘話 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:理事落選など不遇の晩年も…九重親方が最後に輝いた還暦の土俵入り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【元番記者が九重親方を悼む】横綱に見透かされた心の中 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:太い人生…見せて頂きました…カメラマンが見た千代の富士関 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士氏が九重部屋を弔問「横綱になってくれたすばらしい弟子」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:担当記者が語るウルフの素顔…若手鍛え上げた「お山の大将」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 菅義偉官房長官「横綱の中の横綱だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、九重親方弔問「強い順番で…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の次女・秋元梢、父をしのぶ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、無言の対面=亡くなった九重親方と - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、九重親方と無言の対面「悔しい」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

元千代の富士のお別れ会は10月1日
時事通信 8月2日(火)19時23分配信

 大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に死去した九重親方の「お別れ会」が、10月1日に東京・両国国技館の正面エントランスで開かれることが決まった。午後1時から4時までの予定。九重部屋後援会が主催する。


<千代の富士死去>お別れの会は10月1日 両国国技館で
毎日新聞 8月2日(火)17時57分配信

 日本相撲協会は2日、7月31日に61歳で死去した元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会(九重部屋後援会主催)が、10月1日に東京・両国国技館で開かれると発表した。時間など詳細は後日発表される。


急逝千代の富士 一夜明けても消えぬ悲しみ
東スポWeb 8月2日(火)16時53分配信

 九重親方(享年61=元横綱千代の富士)の死去から一夜明けた1日、相撲界に与えた衝撃の大きさが改めて浮き彫りとなった。現役時代に無敵の強さを誇った横綱の突然の死に、日本相撲協会のトップや角界の大物OBの反応は一様に「信じられない」といった様子。2014年の理事選で落選して以降は協会の要職から外れていたが、やはり優勝31回を誇る大横綱の存在感は別格だった。

「ウルフ死去」が相撲界に与えた衝撃は一夜明けても収まることはなかった。

 この日の午前、現役時代の師匠だった北の富士勝昭氏(74=相撲解説者)が東京・墨田区の部屋を弔問。「快方に向かっているとばかり思っていた。(性格は)豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くなかった。まだまだ協会に力を尽くせる。悔しい」と沈痛な面持ちで唇をかんだ。

 日本相撲協会の八角理事長(53=元横綱北勝海)は東京・両国国技館で報道陣に対応。「(訃報を聞いて)『本当なのか?』と思った。現役のころから絶対に負けない人だった。病気にも勝つんだろうなと考えていた」と兄弟子の突然の死に驚くばかり。「一番の思い出」に挙げたのは、千代の富士からつけられた厳しい稽古だった。

 八角理事長は「(九重親方は)稽古で力を抜いてくれなかった。私も弱音を吐かずにぶつかった。お互いに意地があった。その時の思い出を…何年かたってから、2人でゆっくり飲みながらもう一度話してみたかった」と言い、話の途中で思わず涙ぐむ場面もあった。

 2人は決して「親密」と呼べるような間柄ではなかった。今年1月の理事選では、八角理事長に反旗を翻した貴乃花親方(43=元横綱)を九重親方が支援。両者の溝は深まっていた。

 それでも現役時代に濃密な時間を共有した“戦友”の死には、特別な感情を抱かずにはいられなかった。

 あの「お騒がせ男」も心を激しく揺さぶられた。この日、元横綱朝青龍(35)が所用のため来日。かつては千代の富士の相撲にあこがれ、入門後は同じ高砂一門だった縁もあって親交を深めた。

 成田空港に到着した朝青龍は「現役のころもお世話になったし…信じられない」と涙を流した。午後7時過ぎには東京・墨田区の九重部屋へ弔問に訪れ、再び目に涙を浮かべた。相撲界の重鎮や大物OBを含めて、昭和の大横綱を失った喪失感は当分の間、消えることはなさそうだ。


九重親方お別れの会、秋場所後10・1国技館で開催
日刊スポーツ 8月2日(火)16時16分配信

882
元横綱千代の富士(写真は1989年1月18日)

 日本相撲協会は2日、膵臓(すいぞう)がんのために61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)について、秋場所後の10月1日に、東京・両国国技館のエントランスで「お別れの会」を開くと発表した。九重部屋の後援会が主催で開かれる。時間は決まっていない。

 今月6日に通夜、同7日に葬儀・告別式が部屋で執り行われるが、こちらは遺族や関係者だけで営まれることになっている。


九重親方のお別れの会は10月1日 東京・両国国技館のエントランスで
デイリースポーツ 8月2日(火)16時2分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 日本相撲協会は2日、7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢、享年61)のファンへのお別れの会が10月1日に東京・両国国技館のエントランスで開かれることになったと発表した。

 九重部屋後援会が主催する。


多くの人に尊敬されている、大横綱・千代の富士が残した“遺言”
ITmedia ビジネスオンライン 8月2日(火)11時49分配信

881
元千代の富士の九重親方が息を引き取った

 巨星堕つ――。

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため息を引き取った。身長183センチ、体重120キロ台の小兵ながらも筋骨隆々で、しかも「イケメン」。昭和50年代後半、そんな現役時代の横綱・千代の富士に胸を躍らせた人は相撲ファンならずとも多いはずだ。

 左前褌(ひだりまえみつ)を取ってからの速攻相撲を得意とする激しい攻めで自分よりも大きな体格の力士たちを次々となぎ倒す。凄(すさ)まじい眼光で相手を睨む姿から「ウルフ」の愛称が付けられ、その惚れ惚れするような格好良さには女性だけでなく多くの男性も憧れた。

 歴代2位の通算1045勝、そして53連勝と幕内優勝31回は歴代3位。こうした数々の記録と偉業を成し遂げた功績が大きく評価されて1989年、相撲界としては初の国民栄誉賞受賞者となった。筆者のような昭和世代であれば、改めてこの「昭和最後の大横綱」の経歴を振り返るまでもあるまい。しかし平成世代には横綱千代の富士の取り口をリアルタイムで目にできず、どれだけ強い力士であったかを知らない人たちがおそらく大半だと思う。

 とにかく努力を怠らない力士だった。1975年9月場所にはスピード出世で新入幕を果たしたものの、その後は定着できずに十両どころか幕下まで一気に陥落。力士生命を脅かす両肩の脱臼癖が深刻化し始めたのは当時のことであった。

 もともと人間の肩関節の形成部分には肩甲骨と上腕骨の表面にクッションの働きをする軟骨がある。しかしながら千代の富士の肩関節は噛み合わせが悪く軟骨も薄いことから脱臼を引き起こしやすかった。並の人間ならば、ここであっさり諦めても不思議はない大きな挫折。しかし千代の富士は負けなかった。克服するため、当時の相撲界としては馴染みの薄かった筋力トレーニングをいち早く取り入れて肉体改造に着手。腕立て伏せも毎日500回以上、繰り返し行った。

●ただひたすら黙々と汗を流し続けた

 オレは是が非でも脱臼なんかに負けず、横綱として頂点に立ってやる――。そう自分に日々言い聞かせ、千代の富士はただひたすら黙々と汗を流し続けたという。後の全盛時に体脂肪率は10.3%。力士としては驚異的な数値を記録する均整の取れた彫刻のような鋼の肉体は、こうした本人の死に物狂いの努力によって作られていったのである。

 伸び悩んでいたころには主に相手を強引に引っ張り込んで力任せに投げ飛ばすなど軽量の体には明らかに負担のかかりそうな荒々しい戦法が目立っていた。しかし、その取り口も熟考と研究を重ねて徐々に変えていった。自らが小さな体格であることを考え、前まわしを引きながら頭をつけるスタイルを完成させ、脱臼克服の大きなプラス材料につなげた。

 脱臼克服を念頭に置きながら筋力アップを図ったことで、「取り組みに臨む前からまわしを緩まぬようにキッチリ締め上げ、ガッチリと四つに組んで相手の指がまわしにかかっても鍛え上げた強い筋力を生かしながら腰のひと振りで払いのける」「まるで短距離選手のスタートダッシュのような素早い立ち合いから、鍛え抜かれた腕力でまわしを引き付けて自分より重い相手の腰も“一気の力”で浮かせる」「相手の頭を押さえつけながら上手投げで投げ飛ばす“ウルフスペシャル”をここぞという場面で繰り出す」などのように戦法を徐々にマイナーチェンジしていった。

 「脱臼と向き合って肉体改造を行い、相撲のスタイルも変え、さらに頭を使いながら取り組みに臨むようになった。この流れこそが大横綱千代の富士を作り上げたのだ。つまり脱臼がなかったら、おそらく彼は短命力士で終わっていた」とは師匠で現相撲解説者・北の富士氏の言葉である。

●大相撲のレジェンドは千代の富士

 1981年初場所。関脇として14勝1敗で並んだ横綱北の湖と優勝決定戦で相まみえ、上手出し投げで下し、本割で敗れた屈辱を晴らして初優勝を決める。ちなみにこの日の千秋楽・NHK大相撲中継は視聴率52.2%、瞬間最高視聴率65.3%(関東地方平均・ビデオリサーチ社調べ)を記録し、今も大相撲中継の史上最高値として破られていない。ここから「ウルフフィーバー」が始まり、同年の7月場所に2度目の優勝を果たして横綱昇進を決めた。

 横綱になっても努力を怠らなかった。前場所で負けた相手には積極的に相手部屋へ稽古に出向き、攻略法を見つけようとした。横綱のポジションになればデンと構えてラクをしそうにも思えるが、千代の富士の辞書にはそのようなものは一切なかったのである。例えば元大関小錦(現KONISHIKI氏)には初対戦から連敗を重ねたが、相手の高砂部屋まで自ら足を運んで何度も出稽古に行くことで勝利への糸口を見つけ出した。最終的に20勝(うち不戦勝が1つ)9敗と大きく勝ち越したのは、まさにこうした努力の賜物である。

 「横綱という立場の人が、恥も外聞も捨てて出稽古にやって来る。普通ならばプライドが邪魔をするのに、横綱(千代の富士)は違った。『横綱だからこそ負けてはいけない』という責任感が人一倍強かったのだと思う。あの当時は、もうこっちがギブアップしたくなるくらいに何度も出稽古に駆り出され、そしてぶつかり合った。あそこまで負けん気が強く、取り口を追求し続ける力士は見たことがない。間違いなく本当に強い大横綱だった」とKONISHIKI氏は回想している。

 同氏が外国メディアから取材を受けた際、必ず「NBAのレジェンドはマイケル・ジョーダン、大相撲のレジェンドは千代の富士」と言い切ってリスペクトしているのもうなづける話だ。

 日本人力士はもちろんのこと、KONISHIKI氏を含め新旧の外国人力士たちからも「レジェンド」として羨望の眼差しを向けられていた。現在の横綱2人も「自分が目指すべき理想の力士」(横綱白鵬)、「『史上最強』の名がふさわしい横綱」(横綱日馬富士)と千代の富士に強い尊敬の念を抱いている。「千代の富士イズム」は脈々と現世代の最強力士たちに受け継がれているのだ。

●メディアがほとんど報じない“謎”

 さて、最後にメディアがほとんど報じない“謎”について触れておきたい。現役当時、北天佑(元大関・故人)との対戦が「因縁対決」と呼ばれていたことだ。

 「北天佑の弟が千代の富士と同じ九重部屋に所属していたが、部屋の面々に“かわいがり”を受け、その因縁があって兄である北天佑が千代の富士と対戦する際にはいわゆる『ガチンコ勝負』を常に仕掛けていたという話がまことしやかに広がっている。その“かわいがり”には横綱(千代の富士)も加わったとささやかれているが、実を言えば弟は兄も手を焼くほどの素行のよくない『ワル』で部屋の面々の我慢も限界に達し“かわいがり”につながったとも聞く。

 後に、その弟が週刊誌上で告発しているが、当時を知る大半の関係者は『正義感からの行為だった』として横綱に同情的。いまでは“かわいがり”など持ってのほかとされているが、その昔は相撲界でも『よくある話』だったわけだからね。いずれにしてもその当事者の2人(千代の富士、北天佑)は今、旅立ってしまったのだから真相は分からないが……。

 ただし、千代の富士対北天佑がそういう因縁対決を連想させるような、昭和末期を代表するバチバチの熱い戦いであったことは間違いないですよ」(日本相撲協会関係者)

 かつて多くの人たちの胸を高ぶらせた昭和最後の偉大なる大横綱・千代の富士貢関。61歳で天に召されてしまうとは余りにも早過ぎるが、心からご冥福をお祈りする。合掌――。

(臼北信行)


大相撲の福井巡業で九重親方へ黙とうささげる
日刊スポーツ 8月2日(火)10時40分配信

880
九重親方へ黙とうをささげる関取衆(撮影・木村有三)

 大相撲の福井巡業が2日、福井市内で行われ、朝稽古中の支度部屋で十両と幕内の関取衆が、7月31日に死去した九重親方(享年61=第58代横綱千代の富士)へ黙とうをささげた。

 午前9時から、玉ノ井巡業部副部長(元大関栃東)が関取衆を前に「(巡業部の貴乃花)部長はやりたいようにやってくれと言われていた。長いのでケガのないようにしてください」と夏巡業の訓示を行った。その後、力士会会長の横綱日馬富士(32=伊勢ケ浜)が「九重親方に黙とうをささげたいと思います」とあいさつ。約1分間黙とうをささげた。


千代の富士さんとお別れ10月1日、国技館で調整
日刊スポーツ 8月2日(火)10時8分配信

879
61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。九重部屋は佐ノ山親方(元大関千代大海)が継承する。訃報から一夜明け、遺体が眠る東京都墨田区の部屋には弟弟子の八角理事長(元横綱北勝海)や、現役時代の師匠の北の富士勝昭氏(元横綱)らが弔問に訪れた。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。

 九重部屋の継承も方針が固まった。春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「佐ノ山親方が継承する」と明かした。近く年寄名跡が変更され、3横綱を生んだ部屋が引き継がれる。

 九重親方の遺体は、部屋の自宅スペースにあたる4階に安置された。通夜も告別式も、その自宅で執り行われる。八角理事長は「まったく同じ場所で娘さんを亡くして、あそこで通夜、葬式…思い出しました」。

 89年6月に、生後3カ月の三女愛ちゃんを乳幼児突然死症候群で亡くした。左肩の脱臼で5月の夏場所を全休した身に、ショックが重なった。迎えた7月の名古屋は「場所前は稽古できず、休場か、引退かというくらいだった。でも、逆境に強い。絶対にくじけなかった。優勝決定戦で私に勝って優勝したんですよね」と述懐した。それだけに「悪いとは聞いていたが、何事にも絶対勝つと思っていた。治るだろうと」。まだ訃報を信じられずにいた。

 兄弟子との猛稽古は有名な話で、自らが横綱に上り詰めた原動力だった。「そのときの思い出をゆっくり…何年かたって、2人で飲みながらもう1度、話してみたかった」と涙ぐんだ。

 2人の師匠だった北の富士氏も弔問し「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔でね。豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くない。ユーモアも適当にあったし、涙もろいところも」と故人をしのんだ。「3年前は大鵬さん、そして北の湖さん、千代の富士。強い順番に逝っちゃうんだなぁ」。先に逝く弟子を悲しむよりなかった。


九重親方悼み…夏巡業で黙とう 力士会会長の日馬が呼び掛け
スポニチアネックス 8月2日(火)9時57分配信

878
九重親方(元横綱・千代の富士)を悼み関取衆らが黙とうを行う

 大相撲の夏巡業が2日、福井県福井市で行われ、九重親方(元横綱・千代の富士)の死去を受けて関取衆らが黙とうを行った。

 幕内力士による朝稽古が始まる前の午前9時に支度部屋に集まり、力士会会長の横綱・日馬富士が「亡くなった九重親方に黙とうをささげたいと思います」と呼びかけた。

 日馬富士と白鵬の両横綱が前に立ち、他の関取衆や付け人の若い衆らとともに約1分間、目を閉じて、哀悼の意を示した。


追悼秘話 九重親方を“協会ナンバー2”から下ろした真犯人
日刊ゲンダイ 8月2日(火)9時26分配信

877
国民栄誉賞も受賞した元横綱千代の富士(C)日刊ゲンダイ

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。

 昨年9月、がんの手術を受けた後、相撲協会内の職務に復帰していたものの、転移が見つかり、闘病生活を余儀なくされていた。「父親だと思っていた。まさかという思い」と話した愛弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)をはじめ、角界のあちこちから親方の死を悼む声が上がった。

 優勝31回。89年には国民栄誉賞を受賞し、「ウルフ」の愛称でファンに親しまれた昭和の大横綱はしかし、なぜか相撲協会内で頂点を極めることはできなかった。

 08年2月、理事に初当選。審判部長や広報部長などを経て、12年2月から事業部長。「協会ナンバー2」として北の湖理事長を支え、「次期理事長」の座は確実視されたものの、14年1月の理事選でまさかの落選。「票が揃わなかった」と、今年1月の理事選には立候補すらしなかった。もちろん体調の問題もあるとはいえ、「九重親方がナンバー2の座から転げ落ちたのは、北の湖理事長の右腕と言われた顧問の策略だったのです」と、さる親方がこう続ける。

「顧問がパチンコメーカーの代理店関係者から裏金を受け取るシーンを収めた動画があったじゃないですか。で、こういう動画があるから気を付けた方がいいと、当時の北の湖理事長に真っ先に忠告したのが九重親方だったというのです。九重親方は日頃からやりたい放題だった顧問の行為を見るに見かねたのでしょうけど、それが顧問の逆鱗に触れた。顧問は九重親方が将来、理事長になったら追い落とされるという危機感もあって、理事選で九重親方に票が流れないように操作した。その結果、2年間、冷や飯を食わされた九重親方は今年1月の理事選に再出馬するつもりでしたが、今回も貴乃花親方を利用した顧問の策略の前になすすべがなく、立候補を断念せざるを得なかったと聞きました」

 病を抱えながら志半ばで亡くなった九重親方は、さぞかし無念だったに違いない。


北の富士さん、まな弟子の急死に悲痛「強い順に逝ってしまうのかな」
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 九重親方の現役時代の師匠で相撲解説者の北の富士勝昭さん(74)が1日、九重部屋を弔問に訪れた。約10分間対面し、「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔」と話した。昨年の九州場所中に電話で医者を紹介することを約束。その後の経過を知り、「元気になったと聞いたから(急死に)驚いた」。訃報は八角理事長からの電話で知り、前日はショックのあまり報道陣にもほとんど対応できなかった。

 九重親方が92年に引退相撲を終えると部屋を譲り、98年に理事の座を失い協会を退職。解説者として弟子を見守ってきたが、「千代の富士は千代の富士ですよ。豪快だけど繊細で口は悪いけど腹は悪くない」と振り返った。3年前に大鵬、昨年11月は北の湖が亡くなり、今回はまな弟子がこの世を去った。「なんだろう、強い順に逝ってしまうのかな」と相次いで他界した昭和の大横綱をしのんだ。


八角理事長、涙こらえ「治ると信じていた」
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 31日に61歳で急逝した第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の名跡を、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が交換して継承することが1日、濃厚となった。日本相撲協会幹部がこの日、九重部屋の名前を残してほしいという遺族側の強い思いを確認。一代限りで部屋の名前が消える一代年寄を辞退してまで「九重部屋」にこだわった「ウルフの魂」が引き継がれる。八角理事長(元横綱・北勝海)は会見を行い、涙をこらえて兄弟子への思いを語った。

 ―一報を聞いた時は?

 「ちょっと整理がつかなくて…。絶対に強い、絶対に負けない、何事にも勝つんだという精神力。とてつもない人でした。そういう目で見ていたので絶対に治ると信じていました」

 ―現役時代の思い出は?

 「下の頃から稽古をつけてもらいました。(涙をこらえながら)毎日、やってくれて、私も弱音を吐かずにぶつかって、互いの意地と意地ですかね。ありがたかったです。その時のことをいつか2人で酒を飲みながら話してみたかった」

 ―どんな存在?

 「兄弟子というより親方です。九重親方が横綱に昇進した時、私は三段目か幕下。親方という感じの方が強いです。娘さんを亡くした時(89年6月)も場所前の稽古ができず、休場か引退かと言われた。でも(7月の)場所で私に勝って優勝しました。逆境に強いというか、くじけない。集中力もすごかったですね」


佐ノ山親方「九重」「ウルフの魂」を受け継ぐ
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 31日に61歳で急逝した第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の名跡を、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が交換して継承することが1日、濃厚となった。日本相撲協会幹部がこの日、九重部屋の名前を残してほしいという遺族側の強い思いを確認。一代限りで部屋の名前が消える一代年寄を辞退してまで「九重部屋」にこだわった「ウルフの魂」が引き継がれる。八角理事長(元横綱・北勝海)は会見を行い、涙をこらえて兄弟子への思いを語った。

 師匠の急死から一夜明けた九重部屋が動き出した。午後3時前に八角理事長ら協会幹部6人が東京・墨田区の部屋を訪問。九重親方の遺体と対面し遺族と今後の相談を行った。佐ノ山親方が継承する予定の部屋に関しては、春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が「名前は残したいとは言っていた」と説明。佐ノ山親方が名跡を交換して九重親方となれば、部屋の名前は引き継がれることになる。

 師匠不在の力士は土俵に上がることができないため速やかな手続きが必要。2日に佐ノ山親方が協会に出向いて手続きなどを行うことになる。「名前の変更は通さないといけないこともあるが、スムーズにいくんじゃないかな」(春日野親方)。正式には年寄資格審査委員会の結果に基づき理事会で承認を受ける。

 「九重」の部屋名の存続には亡き師匠の思いが詰まっている。九重親方を相撲界に導いた同郷の先々代の九重親方(元横綱・千代の山)が、1967年1月に出羽海部屋から「分家独立は許さず」の不文律を破って独立。苦労を重ねた先々代は77年に急死し、継承した先代の九重親方(元横綱・北の富士)は「本当の後継者は千代の富士」と言う。九重親方も現役中の89年9月に協会から一代年寄を与えられたが「自分の代で部屋を消したくない」と辞退。その経緯があるからこそ遺族は名前を残すことを希望したと思われる。

 佐ノ山親方はこの日、「手続きに協会に来たときも、まだ自分の口から話ができる状況ではありません」と関係者を通じてコメント。九重親方の久美子夫人ら遺族や後援会関係者との確認事項があり安易に口を開けないが、31日には報道陣の前で「力士が不安にならないように頑張らせていただく」と新師匠として決意表明していた。佐ノ山改め新・九重親方が、小さな大横綱の遺志をしっかりと受け継ぐ。(網野 大一郎)


先代の九重親方・北の富士氏しみじみ「なんで…強い順番に逝っちゃう」
スポニチアネックス 8月2日(火)7時3分配信

 ◇九重親方死去

 現役時代の師匠だった相撲解説者の元横綱・北の富士勝昭氏(74)が午前に東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れた。永遠の眠りに就いた九重親方と対面した北の富士氏は「穏やかな表情。千代の富士らしい顔だった」としんみり。どんな存在だったか?と問われると「千代の富士は千代の富士ですよ。豪快だけど繊細。口は悪いけど腹はそんなに悪くない。涙もろいし。これだけの弟子は二度と出ない。一代年寄を辞退してまで九重部屋を継いでくれた素晴らしい弟子」と言葉を振り絞り、ねぎらった。

 「大鵬さん、北の湖さん、千代の富士…なんでだろう、強い順番に逝っちゃうのだろう」としみじみ。もっとも印象に残った思い出は「(88年九州場所に)大乃国に負けて53連勝で止まった相撲が自分は悔しかった。本人はケロっとしていたけど」と振り返り「(91年夏場所に)辞めるときに上がり座敷で涙を流すとは想像していなかった」と振り返った。


兄弟子・九重親方急逝から一夜…八角理事長「治ると思っていた」
スポニチアネックス 8月2日(火)7時3分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため31日に61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)について、弟弟子だった日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が会見した。訃報が届いた前日はショックのためコメントできず、この日は思い出を語っている最中に目を潤ませ、声を詰まらせた。遺体が安置されている東京都墨田区の九重部屋には多くの弔問客が訪れた。

 八角理事長は現役時代、同部屋の兄弟子だった千代の富士とともに85年秋場所から2人で10場所連続優勝を飾るなど、角界の歴史に名を残した。ともに最高位となったが、8歳年上の兄弟子が横綱に昇進した81年名古屋場所後、自身は幕下。それだけに「兄弟子というより親方という感じが強かった」という。「幕下の頃から稽古をつけてもらった。何があってもぶつかれと。本当に力を抜いてくれなかった。それが一番の思い出」。猛稽古があったからこそ横綱にたどり着けた。過去を振り返るとこみ上げてくるものがあった。目を潤ませ、時折、声を詰まらせて唇をかんだ。

 訃報が届いた31日は心の整理がつかなかった。「現役の頃から絶対に負けないという目で見ていたので、治ると思っていた。(亡くなったのは)本当なのかなという感じ」だった。一日たって開いた会見では「弱音を吐かない。何事に対しても絶対に勝つという精神力はとてつもないと思っていた」と人柄について語った。最後に顔を合わせたのは今年1月、高砂一門の会合が行われた焼き肉店。「何年かたって、2人で酒を飲みながら思い出を語りたかった」と無念さをにじませた。

 89年名古屋場所は同部屋の横綱同士の優勝決定戦となり、北勝海が敗れた。千代の富士は場所前に生後3カ月の三女を亡くして出場も危ぶまれたが、見事に賜杯を抱いた。そのことに触れると「(遺族が)通夜、葬式を自宅でしたいと。同じ場所(自宅)で娘さんを亡くした。その(名古屋)場所を思い出した」と振り返った。

 3年前に元大鵬の納谷幸喜氏、昨年は現役理事長だった元北の湖の小畑敏満氏が亡くなった。九重親方の死で日本人の優勝回数上位3人が他界したことになった。八角理事長は「より責任を持ってしっかりしないといけない。相撲協会は真っすぐの道を進む」と恩人である先輩たちのためにも、よりよい協会にすることを誓った。


九重親方急死から一夜…八角理事長、遺影に手を合わせ「絶対に強い人だと」
サンケイスポーツ 8月2日(火)7時0分配信

876
平成元年名古屋場所千秋楽の優勝決定戦。千代の富士(左)は弟弟子の北勝海を上手投げで下し、28度目の賜杯を手にした(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る元横綱千代の富士の九重親方が膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急死してから一夜明けた1日、日本相撲協会・八角理事長(53)=元横綱北勝海=が東京・両国国技館で会見。その後、東京・墨田区の九重部屋へ弔問に訪れた。現時点で協会葬開催は決まっていないが、今後、遺族の意向も踏まえ、高砂一門葬を中心とした具体案が協議される。

 同部屋の兄弟子として胸を借り、強くしてもらった九重親方へ感謝の思いが去来する。8歳年下の八角理事長がまだ幕下だったころ。まぶしい記憶がよみがえるのだろう。時折、言葉を詰まらせながら振り返った。  「(ぶつかり稽古を)毎日、やってくれた。力を抜いてくれないんだ。お互い意地と意地、絶対に嫌とはいわない。でも、それはありがたいことだった」

 八角理事長は、この日午後、九重部屋を訪れ、約20分間、兄弟子の遺影に手を合わせた。「悪いとは聞いていたが、絶対に強い人だと思っていたから治るんだろうな、と思っていたのに」。

 相撲界は平成25年1月に大鵬(享年72)、27年11月には北の湖(同62)と「昭和の大横綱」といわれた2人の巨星を失った。そして、今度は「小さな大横綱」も…。八角理事長は、横綱千代の富士の「凄(すご)み」に畏敬の念を込めた。

 平成元年6月、千代の富士は同年2月に生まれたばかりの三女・愛ちゃんを「乳幼児突然死症候群」で亡くした。憔悴に稽古不足。相撲を取れる状態ではなかった、という。だが、7月の名古屋場所へ首に数珠を巻いて場所入り。千秋楽では12勝3敗の優勝決定戦となり、弟弟子の北勝海(八角理事長)との同部屋決戦を制して28度目の優勝を飾る。

 「娘さんを亡くしても、切り替えと集中力。『もう駄目、引退』といわれながら優勝するんだから…」

 6日には通夜、7日に告別式が営まれる。現時点で協会葬開催は決まっていないが、現実的には高砂一門葬を中心に告別式後、斎場へ向かう際に国技館玄関前に立ち寄る計画も協議される。


八角理事長悲痛「本当に亡くなったのかな」と声詰まらせる
デイリースポーツ 8月2日(火)5時59分配信

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢、享年61)の弟弟子に当たる日本相撲協会の八角理事長(53)=元横綱北勝海=が1日、東京・両国国技館で記者会見し「今でも(本当に)亡くなったのかなと思う」と声を詰まらせた。

 八角理事長はこみ上げる涙を必死にこらえた。「本当に(体調が)悪いと聞いてはいましたが、絶対に強いというか、治るんだろうなという目でみていた。(亡くなったというのは)本当なのかなという気持ちです」。知人からの連絡で急逝を知った前日はコメントしなかった。「何をどう(言っていいか)…。整理できなかった」と話し、ショックの大きさをうかがわせた。

 故人との一番の思い出には幕下の頃に胸を出してもらったことを挙げた。「絶対に力を抜いてくれなかったし、毎日出してくれた。こっちも絶対いやと言わなかった。お互い意地と意地。ありがたかったですね」としみじみと振り返った。

 最後に会ったのは今春の高砂一門会の場だった。「焼き肉を食べたのが最後かな。何年かたったら、一杯飲んで昔話をしたかった」。早すぎる死に「私にとっては兄弟子というより、もう一人の親方のような存在だった。(61歳は)若いですね」と声を詰まらせた。会見後は九重部屋に出向き、故人に手を合わせた。

 今後については弟子で部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)が九重部屋を継承する方向で固まっており、2日以降に年寄名跡変更手続きを進める。6日の通夜、7日の告別式(午後0時半開始に変更)は遺族や関係者だけで執り行い、お別れの会は後日開くことも検討されている。


九重親方のお別れ会を10月1日、国技館で調整
日刊スポーツ 8月2日(火)5時52分配信

875
九重親方(第58代横綱・千代の富士)(写真は2015年11月25日)

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。


本紙だけが撮っていた千代の富士“最後”の勇姿
東スポWeb 8月2日(火)5時51分配信

874
愛知県体育館から出てきた九重親方

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。現役時代は歴代3位の優勝31回など数々の記録を打ち立て、角界では初めて国民栄誉賞を受賞。昨年夏に「すい臓がん」の手術を受けるなど闘病生活を続けていたが、ついに帰らぬ人となった。本紙は先の大相撲名古屋場所中に愛知県体育館でウルフの姿を独占撮影。国民的ヒーローが公の場で見せた“最後の勇姿”となった。

 現役時代に圧倒的な強さを誇った昭和の大横綱も病魔には勝てず、静かにこの世を去った。九重親方の遺体を乗せた車は午後8時10分すぎに九重部屋へ到着。部屋付きの佐ノ山親方(40=元大関千代大海)や幕内千代の国(26)ら愛弟子たちが師匠の無言の帰宅を出迎えた。ストレッチャーの上で白い布をかぶせられた遺体は、部屋の正面玄関から中に運び込まれた。

 佐ノ山親方は報道陣を前に「急なことなのでびっくりしている。血のつながりはないですけど、ずっと父親だと思っている。(遺体の)手を握りながら『ありがとうございました』と言いました。だんだん顔がやせていく師匠を見ながら、何とか元気になってくれることだけを信じていた」。突然の別れに沈痛な面持ちを浮かべた。

 九重親方の「健康問題」が表面化したのは、昨年のことだった。5月場所後に東京・両国国技館で行われた還暦土俵入りで現役時代をほうふつとさせる引き締まった肉体を披露して周囲を驚かせた。だが、実際には体の内側は重い病にむしばまれていた。続く7月の名古屋場所は担当だった監察委員の職務を全休。翌9月場所で復帰した際には、すい臓がんの手術を受けて約1か月間入院していたことを自ら明かした。手術後の体重は以前より13キロも減っていた。

 九重親方は「もう健康体だから大丈夫」と話していたものの、すい臓がんはがんの中でも特に再発や転移が多いことでも知られている。その後も闘病生活は続き、最近はがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。

 そんななか、本紙はウルフの公の場での“最後の姿”をカメラに収めていた。写真は名古屋場所2日目の7月11日、九重親方が監察委員の仕事を終えて会場の愛知県体育館から出てきた時のものだ。水色のジャケットにグレーのズボン姿。口元の大きな黒いマスク越しからも、かなり顔がやせ細っている様子がうかがえる。

 夏場でもマスクを着用していたのは、感染症を予防するためなのか、それともやせこけてしまった顔を隠すためだったのか。ただ、その眼光は現役時代同様に鋭く、この時は誰の手も借りずに自力で迎えの車に乗り込んだが…。九重親方の体調が急変したのは、この直後のことだった。体調不良を訴えて7月14日に緊急帰京すると、同24日の千秋楽に開かれた部屋の打ち上げパーティーも欠席。再び名古屋に戻ってくることはなかった。

 今月には生まれ故郷の北海道・福島町で毎年恒例となっている部屋の合宿が予定されていた。九重親方は自ら関係者に準備の指示を出すなど、合宿への参加に強い意欲を見せていたという。だが、その願いもかなえられないまま帰らぬ人となってしまった。

☆九重貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年6月1日生まれ。北海道出身。70年秋場所初土俵で、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。両肩の脱臼を克服し、35歳の91年夏場所限りで引退するまでに史上3位の31度の優勝を果たした。通算1045勝は史上2位、幕内807勝は同3位。「ウルフ」の愛称で親しまれ、89年には国民栄誉賞も受賞した。92年4月に九重部屋を継承し、大関千代大海らを育てた。2008年に日本相撲協会理事に初当選。事業部長や審判部長を務めた。


<千代の富士死去>八角理事長「勝ちに貪欲 弱音吐かず」
毎日新聞 8月1日(月)22時54分配信

 ◇時折目を潤ませ、8歳上の兄弟子しのぶ

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は1日、東京・両国国技館内で記者会見し、7月31日に61歳で死去した九重親方(元横綱・千代の富士)について「何事にも絶対に勝つという貪欲さを持っていた。弱音を吐かなかったし、弱気なところを悟らせなかった」と述べ、時折目を潤ませながら8歳上の兄弟子をしのんだ。

 場所直前に九重親方の娘が病死し、同部屋力士による幕内優勝決定戦で敗れた1989年名古屋場所を振り返った八角理事長。「稽古(けいこ)をできず、休場か引退かと言われていたのに。逆境に強く、絶対にくじけなかった」と声を詰まらせた。ただ九重部屋から独立後は会話の機会が少なく「一緒に稽古していた時の思い出話を、もう一度ゆっくり話してみたかった」と惜しんだ。

 九重親方の現役時代の師匠で元横綱の北の富士勝昭さん(74)が1日、九重部屋を訪れた。昨年11月の北の湖親方(元横綱)に続いて、20回超の優勝を誇る横綱が相次いで亡くなった。北の富士さんは「その前は大鵬さん。なぜだろう。強い順番で亡くなっていくのか」と惜しんだ。午後には元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(35)も部屋を弔問した。

 九重部屋の前には記帳所と献花台が設けられ、一般ファンも訪れ、弔意を表していた。通夜は6日午後6時、葬儀は当初の発表から時間変更され7日午後0時半、東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋で営まれる。喪主は妻久美子(くみこ)さん。後日、お別れの会が検討されている。【大矢伸一、村社拓信】


<大相撲>九重部屋、佐ノ山親方が継承
毎日新聞 8月1日(月)22時44分配信

 日本相撲協会の春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)は1日、師匠の九重親方(元横綱・千代の富士)が死去した九重部屋について、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が継承する見通しであることを明らかにした。佐ノ山親方は2日に継承に必要な手続きを行う予定。

 春日野部長は「遺族は部屋の名前を残したいと言っていたので、佐ノ山親方が名跡変更の形を取るのではないか」と語った。九重部屋には7月の名古屋場所時点で、親方2人、力士13人、行司2人、呼び出し3人、床山2人が所属している。【大矢伸一】


ありがとう、ウルフ! 『キン肉マン』作者が語る元横綱・千代の富士との超人誕生秘話
週プレNEWS 8月1日(月)19時0分配信

873
超人・ウルフマンのモデルは当時、国民のヒーローであった千代の富士関。2015年1月7日の「グランドジャンプ」3号(集英社)では新作読切「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」が掲載されたことも…

7月31日、元横綱・千代の富士として1970年から引退する91年まで圧倒的な強さを誇った土俵の英雄、九重(ここのえ)親方が膵臓(すいぞう)がんのため逝去した。61歳の若さだった。

九重親方が全盛を振るった横綱在位時代とほぼ重なる時期に「週刊少年ジャンプ」で『キン肉マン』を連載し続けた漫画家・ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司先生は、この訃報を受け「僕らの漫画に出てくる“ウルフマン”という超人が生まれたのは九重親方の存在あればこそ。まだまだ若いのに信じられない」とショックを隠しきれない様子で、生前に深めた親交に想いを馳せながらこう語った。

「ウルフマンの名前の由来はもちろん、当時最強の横綱として活躍されていた千代の富士関のニックネーム“ウルフ”にあやかったものです。

『超人オリンピック ザ・ビッグファイト』というシリーズで、キン肉マンと同じ日本代表超人のライバルとして登場させ一躍、大人気キャラクターになりましたが、それは当時の千代の富士関がすでに全国の子供たちにとって最強のヒーローだったから、という下地が世の中にあってのことでした。

やがて1983年に『キン肉マン』がアニメ化された際に、関係各社の自主規制でアニメ内では“リキシマン”という名に変更されたんですが、のちに九重親方に直接お会いした際、『なぜ名前を変えてしまったのか。ウルフマンのままでよかったのに』と私どもに自らおっしゃっていただいたことがあり、非常に感動したのを覚えています」

3年前の2013年7月に新宿FACEで開催されたイベント「週プレ大学  キン肉マン通巻100巻記念 謝肉祭~キン肉マンと学ぶエンターテインメント~」ではシークレットゲストとして登場し、ゆでたまご先生から愛弟子・千代大龍関に贈られた描きおろしの化粧まわし贈呈式にそろって参加。

「あの時は、国民栄誉賞を取られた方が僕らのイベントに駆けつけてくれるなんて、と大変感動しました。わずか3年前のことですが、その迫力は現役時代と変わらぬままで、あんなにお元気そうだったのに…。また是非、元気になられてお会いしたく思っていたんですが、今はただただショックで。心よりご冥福をお祈り申し上げます」

と沈痛な表情で語った嶋田先生。『キン肉マン』という作品にも多大な影響を及ぼした伝説の大横綱の逝去を悼んだ。

(取材・文/山下貴弘 撮影/佐賀章弘【謝肉祭】 (c)ゆでたまご/集英社)


九重部屋、元千代大海が継承へ=大相撲
時事通信 8月1日(月)18時33分配信

 大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)が死去したことに伴い、同親方が師匠だった九重部屋を、弟子で部屋付きの佐ノ山親方(40)=元大関千代大海、本名須藤龍二、大分県出身=が継承する見通しとなった。日本相撲協会の幹部が1日、明らかにした。

 2日にも手続きを済ませ、佐ノ山親方が年寄「九重」を襲名する。


キン肉マン作者が九重親方モデルのウルフマン秘話
日刊スポーツ 8月1日(月)17時14分配信

872
元横綱千代の富士(写真は1982年9月30日)

 膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった大相撲元横綱千代の富士(九重親方)をモデルにした漫画「キン肉マン」に登場するキャラクター、ウルフマンについての裏話を作者のゆでたまご嶋田隆司氏が明かした。

 同キャラクターは千代の富士の愛称である“ウルフ”をその名前に冠した超人。しかしアニメ版では「リキシマン」と変更されていた。

 九重親方の訃報が伝わった7月31日、嶋田氏はツイッターで、「ウルフマンがアニメではリキシマンになったのは千代の富士関に気を使った自主規制だったのですが後に親方にお会いしたときに『ウルフマンでもよかったのに』ていう言葉が身に染みます」とのエピソードを明かして大横綱の死を悼んだ。

 九重親方(本名・秋元貢)は7月31日午後5時11分、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。


理事落選など不遇の晩年も…九重親方が最後に輝いた還暦の土俵入り
夕刊フジ 8月1日(月)16時56分配信

871
還暦土俵入りをする九重親方(元横綱千代の富士)=2015年5月31日、両国国技館(撮影・山田俊介)(写真:夕刊フジ)

 優勝回数31回。優勝決定戦の勝率は6戦無敗の100%。勝負どころでの強さは無類だった“小さな大横綱”も病魔には勝てなかったということか。

 晩年の九重親方は決して恵まれてはいなかった。協会ナンバー2の事業部長をつとめ、トップの理事長まであと一歩というところまで上り詰めたが、昨年11月に急逝した北の湖理事長に対抗するかたちで理事のポストを失い、不遇の日を強いられた。2014(平成26)年初場所の理事選で落選したとき、「不徳の致すところです」と腹の底から絞り出すようにもらしたときの悔しそうな顔を昨日のことのように思い出す。

 そんな九重親方が最後の輝きを見せたのが昨年5月、満60歳になり、両国国技館の土俵の上で還暦の土俵入りを行ったときだった。太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士を従えて登場した九重親方は「これで老人の仲間に入った」と苦笑いしたが、雲竜型の土俵入りはまだ力強く、また赤い綱の下に締めた赤富士の化粧まわしはこの日のためにわざわざ新調したものだった。そこには、ドッコイ、オレはまだ死んではいないぞ、という心意気にあふれていた。

 しかし、そのわずか2カ月後に膵臓(すいぞう)がんを発症して入院、手術。秋場所で復帰したときは「オレはもう健康体。大丈夫だ」と話していたが、今年6月、あるパーティーで会ったときはすっかり痩せ、「病気だから仕方ないよ」と寂しそうに笑っていた。

 それから1カ月半後の訃報に、ただただ驚くばかりだ。と同時にこのところ、元横綱の早過ぎる死が続いているのが気になる。どうか元横綱はくれぐれもご自愛のほどを。 (大見信昭)


【元番記者が九重親方を悼む】横綱に見透かされた心の中
東スポWeb 8月1日(月)16時50分配信

870
現役時代の九重親方は、角界の大黒柱として常に多くの報道陣に囲まれた

【元番記者が九重親方を悼む】平成が始まったばかりのころの名古屋場所だったと思う。「なぁ、それ伸ばしてんの?」。横綱千代の富士はニヤニヤしながらそう話しかけてきた。

 当時の私は30歳を超えたところ。年金をもらえるぐらいの大ベテランがわんさかといる相撲担当記者たちの中では完全な鼻タレだった。そこで少しでも貫禄があるように見せたいと、薄い口ひげを伸ばしていたのだ。

「うーん、やめたほうがいいなぁ。うん、やめとけ。似合わないよ。剃っちゃえ剃っちゃえ」

 確かにスカスカで貧弱だった。それでも何とか「ひげ」と認識してもらえるまで伸びてくれたのだ。何日か「まぁ、いいじゃないですか」と、はぐらかしていたのだが、ある日、全く予期していなかった言葉が飛んできた。

「なぁ、会社を代表して来てるってのは分かるし、ナメられないようにってのも分かるけどな、ひげを生やしたぐらいじゃどうにもならないぞ」

 見透かされていた。おくびにも出していなかったのに。土俵上そのままの鋭い観察力・洞察力。よく見ているからこそ「気負い」や「背伸び」といったものが分かったのだろう。

 次の日の朝、ひげを剃った私の背中をバシンと叩いて屈託のない笑顔を見せた千代の富士。記者として大切なことを学ばせてもらった気がする。最近は新聞で苦渋に満ちた顔しか見ていなかったが、あの日のウルフスマイルは一生忘れることはないだろう。ご冥福をお祈りします。


太い人生…見せて頂きました…カメラマンが見た千代の富士関
スポーツ報知 8月1日(月)15時32分配信

835
最後の横綱土俵入りで、雲竜型を披露する千代の富士91年5月

 1989年、入社早々だった私は、よく相撲取材に行かせてもらっていた。新人カメラマンの主な仕事は暗室作業で、なかなかカメラは持たせてもらえなかったが、早朝の朝稽古を志願すると撮影に行かせてもらえたのだ。

 世は若貴ブームだった。横綱に大乃国、千代の富士、北勝海、大関には小錦、旭富士という豪華メンバーが揃っていた。番付下位の若花田、貴花田の取組が終わって一段落すると、そこから横綱、大関の取組取材が相撲担当カメラマンの日常だった。

 90年3月の春場所で、大阪に出張したときのことだ。1000勝を目前にした千代の富士に、朝から晩まで張り付いた。横綱はほとんど稽古せず、うっすら汗が出る程度までしこを践み、若い衆に胸を出し、鏡の前で土俵入りのポーズを繰り返し、それで終了だった。若貴兄弟が泥まみれになる稽古をよく撮影していた私は、ベテラン記者に「稽古しないんですかね」などと耳打ちしてしまったが、横綱は7日目に1000勝を達成。大阪府立体育館は超満員、大歓声で構えたカメラのシャッター音は全く聞こえなかった。フィルムの36コマはあっという間に終わった。

 その春場所は、弟弟子の北勝海が優勝。宿舎のパーティーはカメラマンでごった返し、場所の取り合いで大騒ぎになった。それを見ていた千代の富士は「こいつをつまみ出せ」と1人のカメラマンを指さし、若い衆が追い出した。騒ぎを詫びた私に、横綱は「お前は悪くない」と一言。後日、1000勝を記念したテレホンカードも頂いた。

 引退がささやかれていた91年3月。玉ノ井部屋の部屋開きで土俵入りした千代の富士に、風呂場の入り口で挨拶すると、にらみつけられ、胸ぐらをつかまれた。巡業中の支度部屋で写真撮影して逃げたカメラマンと私を勘違いしたらしい。必死に否定すると、今度は首根っこをつかまれ、付き人に「こないだのあれ、こいつか?」と“首実検”。「違います」“容疑”が晴れると「お前ら紛らわしいんだ」とあっさり釈放された。横綱に吊されている私を見て笑っていた付き人に「助けろよ」と言うと、「無理っす」と一言。無敵の横綱を体験し、本当の”冷や汗”をかかせてもらった。

 91年の涙の引退会見、会見を終えると先輩カメラマンが私に言った。「カメラマンは選手の人生を見てるんだから、ちゃんと撮ってあげなきゃだめなんだ。一番光ってるとき見てるんだから」と。私が見た千代の富士は、すでにスーパースターになりきっていた大横綱だったが。

 土俵入りは今でも一番かっこよかったと思う。朝青龍がお手本にしたらしい、と聞くと、本人は「塩のまき方しか似てないよ」と国技館のカメラマン控室で話していた。現場を離れて長いが、雲竜型の、あのかっこよさは誰にもかなわないと思う。(コンテンツ編集部 越川 亘=元写真部)


北の富士氏が九重部屋を弔問「横綱になってくれたすばらしい弟子」
サンケイスポーツ 8月1日(月)13時44分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が、膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝してから一夜明けた1日、現役時代の師匠で相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱、74)が東京都墨田区の九重部屋を弔問した。

 和服姿で現れた北の富士氏は、九重親方との約10分間の対面を終えて、報道陣の取材に対応。「あれだけの横綱になってくれたすばらしい弟子。豪快で繊細だった。本当に悔しいよね」と別れを惜しんだ。


担当記者が語るウルフの素顔…若手鍛え上げた「お山の大将」
スポニチアネックス 8月1日(月)13時36分配信

857
1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。61歳。小兵ながら豪快な相撲でファンを魅了した国民的スター「ウルフ」を、スポニチの元担当記者がしのんだ。

 ▼龍川 裕(相撲記者クラブ会友)ちょうど、大関・貴ノ花が人気を博していた頃のことです。80年12月に九重部屋を訪問し、北の湖の日本刀を使って武士道をイメージした千代の富士の写真を撮らせてもらったのですが、そのときの千代の富士は自信に満ちあふれていました。81年1月の初場所後に大関に昇進しましたが、すでにその初場所中の土俵入りでは大関・貴ノ花よりも千代の富士に対する歓声の方が数倍も大きかったのを覚えています。貴ノ花から千代の富士へと、時代が完全に移り変わったと実感しました。

 横綱が出稽古することはなかった時代、押し相撲が苦手だった千代の富士は当時大関・琴風がいた佐渡ケ嶽部屋へ毎日通い、三番稽古で押し相撲を克服しました。そんな実体験からかゴルフを一緒にラウンドしたときにはOBだろうが、スコアが悪くなろうが「最後まで諦めるな」といつも言われました。北海道の実家を訪れたときにはご両親にお世話になりました。帰りには実家の塩辛をもらいました。本当においしい塩辛でその味とともに千代の富士には感謝しかありません。

 ▼富樫 嘉美(元相撲担当)駆け出しの1986年、九重部屋密着ルポの機会があった。都内の部屋に足を運ぶと、2階大広間の一角に1メートル四方のジグソーパズルがあった。確か大きな帆船だったが、横綱・千代の富士の趣味と聞いてびっくりした。小柄でも豪放磊落(らいらく)な印象しかなかったからだ。本人に尋ねると「おれは結構細かいことをしっかりやれるんだよ」と照れ笑いを浮かべていたのを思い出す。

 部屋の人間は千代の富士への尊称が「横綱」ではなく「大将」だった。これも珍しかった。そしてキャラ自体もまさにお山の大将。上り調子の部屋の違う若手を巡業の稽古でとことん鍛え、出はなをくじいた。こうして怖さを見せつけ、本場所の対戦の時、精神的優位に立つ。これも千代の富士流だった。

 引退後、弟子育成には手腕を見せたが、一門内での調整がうまくできず自らが望んだ理事長の椅子へは届かずじまいだった。親方になってもお山の大将気質が消えなかったのは確か。でも思う。もともとの能力の高さに気性の激しさがあったからこその千代の富士だったと。

 ▼仁木 弘一(元相撲担当、現大阪報道部デスク)九重親方には新人時代に仕事の厳しさを教えてもらいました。

 まだ現役時代のこと。当時横綱の千代の富士が90年8月の夏巡業でケガをして東京に帰京しました。その後、秋場所出場について自宅に取材に行けとデスクに言われて行きました。当時こちらはまだ新人。一方、千代の富士と言えば国民栄誉賞を受賞して、優勝回数も最多記録を更新していました。支度部屋でもウルフと言われ角界の第一人者と言われるほどの存在感と威圧感は凄いものがありました。

 ちゅうちょしながら自宅のインターホンを押したものです。最初はおかみさんが出て「横綱の具合は?」と聞くと「ちょっと待ってください」と言って横綱がインターホン越しに答えてくれました。びびりながらも、しっかりと応対してくれたことに感動したことを覚えています。その後も怖い存在でしたが、聞いたことには嫌みを言われながらも、ちゃんと答えてもらいました。横綱・貴乃花も同じような独特の存在感を持っていましたが、やっぱり千代の富士のすごみは今も忘れられません。


元横綱千代の富士死去 菅義偉官房長官「横綱の中の横綱だった」
産経新聞 8月1日(月)12時43分配信

 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は1日の記者会見で、横綱千代の富士として史上3位の優勝31度を誇った九重親方の訃報について、「心からご冥福をお祈り申し上げたい。『ウルフ』の愛称で国民から大変親しまれ、小柄ながらも厳しい稽古でつちかった強靱な肉体で、相撲に対しての人気を集めることになった。横綱の中の横綱だった」と語った。


北の富士さん、九重親方弔問「強い順番で…」
日刊スポーツ 8月1日(月)12時42分配信

 7月31日に死去した九重親方(享年61=第58代横綱千代の富士)のもとへ、大相撲解説者で第52代横綱の北の富士勝昭さん(74)が弔問した。1日、東京・墨田区の九重部屋を訪れ、約10分間の対面。「穏やかな表情だった。やっぱり、千代の富士らしい顔でね。ご苦労さんしかないでしょう」と話した。

 2人はもともと兄弟弟子だったが、北の富士さんが部屋を継承したため師弟関係に。その後千代の富士、北勝海(現八角理事長)を横綱に育てたが「これだけの弟子は2度と出るとは思わなかった。千代の富士とは縁もあって、横綱になってくれて先代に面目が立った。素晴らしい弟子に恵まれた」と明かした。

 3年前には大鵬さん、昨年11月には北の湖前理事長と、昭和の大横綱の相次ぐ訃報に「何でだろうねえ、強い順番で逝っちゃうんだな…」。61歳の若さでこの世を去った弟子に対しては「これは、もう若いも何も…。悔しいよね。本人も悔しいでしょう」と代弁した。


元千代の富士の次女・秋元梢、父をしのぶ
シネマトゥデイ 8月1日(月)12時37分配信

869
モデルとして活躍する秋元梢(写真は2013年撮影)

 元横綱・千代の富士の九重親方の次女で、モデルの秋元梢が7月31日、Twitterを更新し、父をしのんだ。

 秋元は「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と切り出すと、「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と報告。「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と心境をつづった。

 黒いぱっつん前髪がトレードマークの秋元は、昨年10月にパリコレデビューを果たすなど活躍。昨年4月には俳優・松田翔太との熱愛が報じられたことも話題に。2009年にイベントでモデルデビューを飾った際には、父から「やりたいことをやれ」と言われたことを明かしていた。(編集部・中山雄一朗)


北の富士さん、無言の対面=亡くなった九重親方と
時事通信 8月1日(月)12時14分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が亡くなって一夜明けた1日午前、同親方の師匠だった相撲解説者の北の富士勝昭さん(元横綱)が、東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れ、無言の対面をした。

 九重親方は穏やかな表情だったそうで、「ご苦労さまとしか言えない。若い衆もいるし、心残りはあると思う」。重い口調で弟子の心を推し量った。

 横綱千代の富士が現役引退を決意した日、上がり座敷で涙を流した顔を鮮明に覚えているという。「豪快だが繊細。口は悪いが腹はそんなに悪くない。涙もろいよね」とその気質をしのんだ。「弟子の育成でも群を抜いてすごいものを持っていた」と早過ぎる別れを惜しんだ。

 九重部屋の前には一般の弔問客向けの献花台と記帳台が設置された。


北の富士さん、九重親方と無言の対面「悔しい」
読売新聞 8月1日(月)12時12分配信

 「ウルフ」の愛称で大相撲に一時代を築いた第58代横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が61歳で死去してから一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋には角界関係者らが弔問に訪れ、小さな体ながら土俵に君臨した大横綱の早すぎる死を悼んだ。

 九重部屋には1日午前10時40分ごろ、先代九重親方で現相撲解説者の元横綱、北の富士勝昭さん(74)が弔問に訪れた。着物姿で部屋を訪れ、九重親方と無言の対面を済ませた北の富士さんは、「穏やかな表情だった。病気は快方に向かっていると聞いていたのに。まだこれからだったのに悔しい」と言葉を詰まらせた。

2016年7月31日 (日)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・2

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事

リンク:<千代の富士死去>出身地ファン悲しみ 記念館に記帳台 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>師匠「豪快で繊細」 関係者弔問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「横綱の中の横綱」=菅官房長官―千代の富士死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:師匠より先に…北の富士さん無念「なんで強い順番に逝っちゃうのだろう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:名言残し弟子を数多くの関取に育て上げた小さな大横綱「千代の富士」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士が北の湖破り初V瞬間視聴率は65・3% - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「鋼の横綱」千代の富士、膵臓がんに屈す 61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元大関千代大海の佐ノ山親方が九重部屋を継承へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小さな大横綱死去、角界に悲しみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 豪快左上手投げ、土俵君臨 綱の常識覆す先手の攻め - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「父の娘に生まれて幸せ…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらばウルフ!元千代の富士の九重親方、急死…がんが胃や肺などに転移 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「娘に生まれて幸せ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:無言の帰宅…佐ノ山親方“父”九重親方の手を握り「本当に寂しくなる」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の現役最後の相手・元貴闘力「懐の大きい人だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【各界から悼む声】一時代を築いた心に残る横綱 尊敬できる方 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【親方衆から悼む声】本当に強かった…手が届かない偉大な横綱 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士死す 小さな大横綱V31回、膵臓がんで…まだ61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらば千代の富士…九重親方、膵臓がんで死去 相撲界初の国民栄誉賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:貴に引導、貴から引導…角界“世代交代”数奇なめぐり合わせ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた 1日千回もの腕立て伏せも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方、激やせ4日目急変…机に突っ伏し「きついなあ…。きついよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、九重親方「最期は苦しむ事なく…」 父への感謝もつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ウルフよ永遠に…我らがヒーロー“千代の富士”を名言とともに振り返る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父・九重親方に感謝「娘に生まれて、幸せです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>「まさか…」地元、言葉失う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:戦後の大横綱、相次いで…=大鵬、北の湖、千代の富士―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ライバルらも涙=「こんなに早くとは」―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 九重親方の死に「父の娘に生まれて、幸せです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 父・九重親方を追悼「父の娘に生まれて幸せ」最期は「苦しむことなく」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:相撲協会も対応追われる=理事長「あまりにもショック」―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:まな弟子らが出迎え=「ウルフ」無言の帰宅―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小金沢昇司 元千代の富士「愚痴や悩みも1人で我慢する方」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<千代の富士死去>出身地ファン悲しみ 記念館に記帳台
毎日新聞 8月1日(月)11時54分配信

 元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢さん)の死去から一夜明けた1日、出身地の北海道福島町にある「横綱千代の山・千代の富士記念館」に記帳台が設けられ、町民やファンらが、圧倒的な強さを誇った大横綱に別れを告げた。

 同町在住で九重親方の姉、小笠原佐登子さん(63)は「最近は柔和な表情になっていた。地元に少しでもお返しできればといつも話していた」と語った。親方の中学校の後輩で同町の保育士、金谷恵理子さん(58)は「町名を広めてくれた。体が悪いと聞いていたが、いまだに信じられない」と声を詰まらせた。金沢市から来たという南谷敏隆さん(69)は「時代を作った力士。急な死で心が痛い」と悼んだ。

 福島町は九重親方と、横綱・千代の山の出身地。同館は1997年に2人の業績をたたえるため開館。九重部屋を再現した稽古(けいこ)部屋もあり、毎夏九重部屋が合宿に訪れている。【遠藤修平】


<千代の富士死去>師匠「豪快で繊細」 関係者弔問
毎日新聞 8月1日(月)11時51分配信

 大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなってから一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋はひっそりとした雰囲気に包まれた。朝から花が続々と届く中、角界や後援会の関係者が弔問に訪れ、近所の住民らが部屋の前で手を合わす姿もあった。

 現役時代の師匠で元横綱の北の富士勝昭さん(74)も訪れ、約10分にわたり対面して別れを惜しんだ。その後に報道陣の取材に応じ、力のない声で「穏やかな表情だった。千代の富士は千代の富士です。豪快だけど繊細だった。口は悪いけど腹(の内)はそれほど悪くない。涙もろいし」と語った。

 九重部屋では一般のファンのための記帳と献花台を用意する予定という。【村社拓信】


「横綱の中の横綱」=菅官房長官―千代の富士死去
時事通信 8月1日(月)11時45分配信

 菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で、元横綱千代の富士の九重親方の死去について、「『ウルフ』の愛称で国民から親しまれ、体格は小柄だったが圧倒的な相撲で、横綱の中の横綱であった」と述べた。


師匠より先に…北の富士さん無念「なんで強い順番に逝っちゃうのだろう」
スポニチアネックス 8月1日(月)11時29分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が膵臓がんのため61歳で急死してから一夜明けた1日、現役時代の師匠だった相撲解説者の元横綱・北の富士勝昭氏(74)が東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れた。

【写真】若き日の家族写真。久美子夫人、優ちゃん、梢ちゃん、剛くんと笑顔の千代の富士

 九重親方と対面した北の富士氏は「穏やかな表情だった。やっぱり千代の富士らしい顔。千代の富士は千代の富士ですよ」としんみり。「豪快だけど繊細。口は悪いけど腹はそんなに悪くない。涙もろいし…これだけの弟子は二度と出るとは思わなかった。一代年寄を辞退してまで九重部屋を継いでくれた素晴らしい弟子。ご苦労さんしかない」と思い出を語り、小さな大横綱をねぎらった。

 「大鵬さん、北の湖さん、千代の富士…なんでだろう、強い順番に逝っちゃうのだろう」と鬼籍に入った昭和の名横綱をしのんだ北の富士氏。もっとも印象に残った一番を問われると、53連勝で止まった1988年九州場所の大乃国戦を挙げ「53連勝で止まった、大乃国に負けた相撲が自分は悔しかった。本人はケロっとしていたけど」と振り返り、「(91年に)辞めるときに上がり座敷で涙を流すとは想像していなかった」としのんだ。


名言残し弟子を数多くの関取に育て上げた小さな大横綱「千代の富士」
東スポWeb 8月1日(月)11時21分配信

868
故ジャイアント馬場さん(右)と笑顔でツーショットの九重親方(1981年1月)

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、すい臓がんのため急死(享年61)。現役時代には肩の脱臼癖を克服するために筋骨隆々の体をつくり上げ、小兵ながら圧倒的な瞬発力とスピードで大型力士を手玉に取った。獲物を狙う狼のような鋭い眼光から「ウルフ」の愛称でファンから親しまれ、国民的な人気を博した。優勝31回(歴代3位)をはじめ、53連勝(同3位)、通算1045勝(同2位)など数々の記録を打ち立てて一時代を築き、1989年には相撲界では初めてとなる国民栄誉賞を受賞した。

 引き際も印象的だった。91年夏場所初日に新鋭の貴花田(のちの横綱貴乃花)に敗れると、3日目に貴闘力に負けた夜に会見を開いて現役引退を表明。涙を浮かべながら「体力の限界…。気力もなくなり引退することになりました」との“名言”を残して潔く土俵を去った。

 引退翌年の92年には九重部屋を継承。数多くの弟子を関取に育て上げ、大関千代大海は3度の優勝を果たした。

 2008年には日本相撲協会の理事に初めて就任。広報部長や審判部長などを歴任し、12年からは協会のナンバー2にあたる事業部長の要職を務めた。しかし、14年の理事選では親方衆の支持が広がらずにまさかの落選。その後は大横綱でありながら、役員待遇さえも与えられない“不遇”の時期が続いた。実績の面で見れば本来は理事長になってもおかしくはなかったが、最後まで協会トップの座に就く機会はなかった。

 それでも、角界に多大な功績を残した「千代の富士」の名は永遠に色あせることはない。現役時代の活躍で大相撲のファン層の拡大に大きく貢献した。師匠としても卓越した手腕を発揮し、現役関取6人は角界最多を誇る。定年まであと4年を残して天国へと旅立った九重親方。相撲界は、あまりにも大きな存在を失った。


千代の富士が北の湖破り初V瞬間視聴率は65・3%
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

843
81年1月、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(右)

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。

 現役時代はお茶の間の相撲ファンをくぎ付けにした。NHKが81年1月25日に中継した千代の富士が北の湖を破って初優勝した初場所千秋楽の平均視聴率は52・2%(ビデオリサーチ調べ)。大相撲の平均視聴率としては歴代トップ。瞬間最高では65・3%を記録した。84年の九州場所で10回目の優勝を果たした11月23日の放送も38・9%を記録している。


「鋼の横綱」千代の富士、膵臓がんに屈す 61歳
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

867
84年9月、高々と足を上げ、力強い四股を踏む第58代横綱千代の富士

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。「ウルフ」の愛称で親しまれ、史上3位の31度の優勝など昭和から平成にかけて一時代を築き、89年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞。大鵬、北の湖に続き道産子の大横綱がこの世を去った。

 横綱千代の富士はケガとの闘いを乗り越え、史上初の通算1000勝、31度の優勝を達成した。度重なる肩の脱臼などにも弱音をはかなかった。わが道を貫き、角界をけん引してきた、そんな小さな大横綱も、病にはかなわなかった。

 午後5時11分、家族全員にみとられて逝った。遺体を乗せた車に、久美子夫人と長男剛さんが同乗。都内の病院から、午後8時12分に東京・墨田区の九重部屋に到着した。キャスター付きベッドに乗せられ、佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが寄り添った。力士らは師匠の遺体に触れ「ありがとうございました」と涙を流しながら言葉をかけた。

 九重親方は昨年5月末に両国国技館で還暦土俵入りを披露。その後、膵臓がんが見つかり、手術を受けた。「早期発見で良かった」と喜び、以後は1滴もアルコールを口にしなかった。しかし、最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。

 70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し「小さな大横綱」と称された。角界のプリンスと人気を博した大関貴ノ花に代わるように看板力士となり、筋肉質の体で北の湖らと一時代を築いた。身長183センチ、125キロ前後の細身ながら、スピード、引き締まった体、眼光の鋭さなどで老若男女を魅了した。

 91年夏場所。初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目に貴闘力に屈し現役を引退。「体力の限界…」と涙する姿は感動を呼んだ。92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育てた。

 協会内では日本相撲協会理事として事業部長や審判部長などを務めた。しかし、14年の理事候補選に落選。今年1月の理事選も出馬の意向を持っていたが、票がまとまらず断念した。夢に描いていた第2の千代の富士育成に心血を注ぐ-。そう心機一転した直後に待っていた人生の最期。波瀾(はらん)万丈の人生に、幕を下ろした。

 日本相撲協会は今日1日、両国国技館で臨時の理事会を開く。協会葬やファンに向けたお別れの会などの開催が検討される。

 ◆膵臓(すいぞう)がん 膵臓にできる悪性腫瘍。早期の場合はほとんどが症状に表れず、早期発見が難しい病気。多くが進行している状態で発見されて、手術不可能な状態で見つかることも多い。手術したとしても、3年以内に再発する可能性が高く、5年生存率(5年間がんが再発しなければ完治したと言われている)は10~20%とされている。

 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝は史上2位。優勝31回は同3位。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝をマーク。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。三賞7度。金星3個。91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄「九重」を襲名して部屋継承。家族は夫人と1男2女。

<葬儀日程>

 ▼通夜 6日午後6時から、東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋

 ▼葬儀・告別式 7日午後0時半から、同所

 ▼喪主 妻久美子(くみこ)さん


元大関千代大海の佐ノ山親方が九重部屋を継承へ
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

866
生前の思い出を語る佐ノ山親方(撮影・神戸崇利)

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。

 佐ノ山親方は無念の表情で師匠との思い出を語った。入門時に「『お前、すごい頭して来たな』と言われた」のが始まりで、名古屋場所中の稽古場での会話が最後。病院での面会時は意識もなかったが「血のつながりはないけど、本当の自分の父親とずっと思っていた」。部屋については「生前『次はお前が引っ張っていってくれよ』と言われていたので、できる限り頑張らせていただきます」。九重親方が一代年寄を辞退したのも部屋の継承を望んでいたためで、今後は佐ノ山親方が部屋を引き継ぐ見通し。


小さな大横綱死去、角界に悲しみ
読売新聞 8月1日(月)9時59分配信

865
(写真:読売新聞)

 「ウルフ」のニックネームで親しまれた大相撲の元横綱千代の富士、九重親方が31日、61歳でこの世を去った。

 1メートル83で軽量ながら、小錦、大乃国ら巨漢力士をなぎ倒し、優勝は歴代3位の31度。昨年11月には同じ北海道出身で優勝24回の元横綱、北の湖前理事長も亡くなったばかり。大横綱を相次いで失った角界は大きな悲しみに包まれた。

 千代の富士という力士がその名をとどろかせたのは、初優勝を遂げた1981年初場所だった。新関脇から2場所目、25歳の千代の富士は初日から14連勝の快進撃。千秋楽、北の湖との本割では敗れたが、優勝決定戦で北の湖を破って初の賜杯を獲得した一番は、テレビ中継の瞬間視聴率が60%を超え、「世代交代」を象徴する一番となった。


元横綱千代の富士死去 豪快左上手投げ、土俵君臨 綱の常識覆す先手の攻め
産経新聞 8月1日(月)7時55分配信

864
春場所で、雲竜型の土俵入りを披露する横綱千代の富士=昭和62年3月30日、大阪府立体育会館(写真:産経新聞)

 度重なる肩の脱臼を乗り越え、角界の頂点に立った「小さな大横綱」も病には勝てなかった。61歳。まだまだ活躍が期待される存在。早すぎる訃報だった。

 逆境にも決して弱音を吐かなかった「ウルフ」。この負けん気の強さ、並外れた闘争心が土俵人生を支えた。

 足腰が強くて、運動神経は抜群。幕下の頃から有望視されていたが、無理な格好で投げを試みることもあって、けがが多く、足踏みした。

 そんな苦境を救ったのが筋力トレーニング。鍛錬で肩の周りを筋肉で固め、丹念な四股で下半身も強化した。これで取り口が変わった。鋭く踏み込んで左前まわしを引き、一気に勝負に出る「自分の型」。相手より数瞬速く立ち、相手の懐に潜る。右四つからの豪快な左上手投げは、先手先手の攻めが生み落とした果実だった。力士というよりまるで短距離走者。横綱は下位力士の攻めを受けて立つもの-という旧来の常識を覆すスプリント勝負は、「横綱像」を根底から変えた。

 軽量の弱点を克服するため、パワーのある力士を求めて他の部屋へ単独で武者修行。部屋では後輩の横綱北勝海との息もつかせぬ稽古を重ねた。

 努力を惜しまず、昭和後半から平成の初めにかけて一時代を築いたが、平成3年夏場所、初日に初顔合わせの貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目を最後に土俵を去った。“引き際の美学”も鮮やかだった。


九重親方の次女、秋元梢「父の娘に生まれて幸せ…」
日刊スポーツ 8月1日(月)7時54分配信

863
12年12月、一緒にイベントに参加した九重親方と次女でモデルの秋元梢

 大相撲元横綱千代の富士の九重親方の訃報が伝わった7月31日、各界の友人も悲しんだ。モデルとして活躍中の次女、秋元梢(29)は最愛の父への感謝の言葉をツイッターに投稿した。

 次女の梢はこの日夜、ツイッターにメッセージを書き込んだ。

 「最期は苦しむことなく、家族全員にみとられて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます」

 最後にこうつづった。

 「父の娘に生まれて、幸せです」

 最愛の父だった。09年にヘアサロンのカットモデルをへて本格的にモデル活動を始めた時、父から言われたのは「やりたいことをやれ。手伝えることがあれば手伝う」。端正な顔立ちは父親譲り。スリムな体形もDNAを受け継いだ。普段の様子について聞かれると「普通のお父さんだと思います」と答えたが、理想の男性像は「父に勝てる人」。基準は父だった。4年前に父娘初共演となったハンバーガーチェーンのPRイベントでも終始、仲の良さを感じさせる掛け合いが印象的だった。

 父は昨年9月、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていたことを公表した。今年7月19日のウエディングコレクション発表会に出演後、父の病状について取材陣に聞かれたが、答えることができなかった。ウエディングドレスについて質問されると「結婚式は一生に1度のもの。だったら派手でも着たい」と答えたが、父に花嫁姿を見せることはかなわなかった。

 死去直前の31日昼ごろ、ツイッターに7月27日の自分の誕生日を祝ってくれたスタッフに感謝の言葉を投稿した直後、父の最期をみとることになってしまった。


さらばウルフ!元千代の富士の九重親方、急死…がんが胃や肺などに転移
スポーツ報知 8月1日(月)7時5分配信

862
91年5月、横綱土俵入りで雲竜型を披露する千代の富士

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が、31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。精悍(せいかん)な顔つき、筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で親しまれた。昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残し、89年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞。91年夏場所中に現役を引退、92年4月に九重部屋を継承。日本相撲協会でも重職を担った。

 大横綱、千代の富士が逝った。7月の名古屋場所を途中で休場。15年に手術を受けたすい臓がんが完治せず、31日午後5時11分、入院していた都内の病院で家族にみとられ、苦しむことなく息を引き取った。久美子夫人と長男の剛氏に付き添われ、東京・墨田区内の部屋に遺体が到着したのは午後8時12分。部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)と幕内・千代の国ら力士6人が出迎え、ひつぎを運んだ。

 15年7月にすい臓がんの手術を受け、今年4月には体調が悪化して入院。最近がんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らし、体重は13キロも減ったという。ただ、7月の名古屋場所は初日から勤務し、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気だったが、4日目の13日を最後に休場した。居合わせた関係者によると、重い足どりで室内に入り、いすに座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」とマスク越しに声を絞り出し、目を閉じた。大横綱がやせ我慢さえできないほど弱っていた。帰京後に入院。午後8時半過ぎ、玄関先で対応した佐ノ山親方によると、この日の昼に病室を訪ねて声をかけたものの「声をかけても反応しなかった」という。

 同郷の北海道・福島町の横綱・千代の山の先々代・九重親方に「飛行機に乗せてあげる」と誘われ、中学3年で上京。1970年秋場所で初土俵。抜群の運動神経と昆布漁を営む家業の船の上で鍛えた足腰に支えられ、19歳5か月で新十両に昇進。後に師匠となる横綱・北の富士(先代九重親方)が、激しい気性と鋭い眼光の弟弟子に「ウルフ」の異名を与えた。

 入幕直後から両肩の脱臼に苦しめられたが、1日500回の腕立て伏せ、20キロのダンベルを振り回す過酷な練習でけがを克服。小柄ながら一気に寄る速攻相撲を体得し、豪快な左上手投げを武器に、81年初場所では関脇で初優勝と同時に大関に昇進。同年の名古屋場所で2度目の優勝を果たして横綱に昇進した。

 言葉力も一流だった。若手のホープだった貴花田(現貴乃花親方)との対戦を周囲が望んでいると知り「早く上がってこないと俺が引退してしまうぞ」とインタビューを通じて“挑発”した。その貴花田に91年夏場所初日に敗れて世代交代を実感。2日後に「体力の限界。気力もなくなり、引退することになりました」と土俵に別れを告げた。

 89年秋場所では大潮の通算最多勝記録(当時)を更新。当時の海部総理から角界初の国民栄誉賞を授与された。相撲協会から功績を認められて一代年寄を打診されたが、「部屋を一代限りで終えたくない」と辞退。引退後は九重親方として大関・千代大海ら多くの関取を育てた。葬儀・告別式は「部屋から送り出したい」という久美子夫人の意向で、九重部屋で営まれる。

 ◆九重 貢(ここのえ・みつぐ=本名・秋元貢)1955年6月1日、北海道生まれ。70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に横綱昇進。優勝回数は史上3位の31回。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。90年春場所に史上初の通算1000勝達成。通算1045勝は史上2位、幕内807勝は同3位。91年夏場所限りで現役引退。92年4月に年寄「九重」を襲名し部屋継承。08年2月に初めて日本相撲協会理事に就任。弟子の八百長関与で11年に辞任したが、12年に復帰し事業部長。14年の理事候補選挙で落選。家族は久美子夫人と1男2女。次女の秋元梢はモデル。


九重親方の次女、秋元梢「娘に生まれて幸せ」  
スポーツ報知 8月1日(月)7時5分配信

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が、31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。

 九重親方の次女で人気モデルの秋元梢(29)はこの日午後11時半ごろ、ツイッターを更新し「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」とつづった。

 関係者によると、秋元は東京・墨田区の九重部屋で弔問客の応対に追われたという。秋元はこの日午前11時40分からJ―WAVEの「TOKYO DISTRICT」に生出演していた。先月19日にイベントに出演した際、父について報道陣から問いかけられたが、無言を貫いていた。


無言の帰宅…佐ノ山親方“父”九重親方の手を握り「本当に寂しくなる」
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 九重親方の遺体は都内の病院から午後8時12分に東京都墨田区の九重部屋に久美子夫人や長男・剛さんら家族とともに戻ってきた。

 部屋の玄関前では部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)や幕内・千代の国ら所属力士が迎えストレッチャーに乗せられた亡き師匠を部屋の中に運び込んだ。悲しみの対面をした佐ノ山親方は「本当に寂しくなる」と目に涙を浮かべた。

 愛弟子の佐ノ山親方は九重部屋で取材に応じ、「血のつながりはないが、父親としてずっと思っていた」と声を絞り出した。この日、九重親方とは病院で面会したが、すでに意識はなかったという。「声を掛けても反応しなかった。名古屋場所の朝稽古で力士を指導していたのが最後の言葉でした。(帰ってきた遺体と)手を握りながら“ありがとうございました”と言いました」と話した。

 若い頃、ケンカに明け暮れた悪ガキだった佐ノ山親方。金髪にそり込みを入れて、入門を申し込みにいくと九重親方に「その頭を何とかしてこい」と一喝された。心を入れ替えて弟子入り。師匠の厳しい指導で、番付を駆け上がり、大関まで昇進した。

 現在、九重部屋付き親方として弟子の指導に当たっているが「生前時、次におまえが引っ張っていけと言われていた。これから不安にならないように頑張らせていただきます」と決意を述べた。


九重親方の現役最後の相手・元貴闘力「懐の大きい人だった」
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

861
1991年5月場所3日目 貴闘力戦  現役最後の取り組み

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 九重親方の現役最後の相手、元貴闘力の鎌苅忠茂氏は「1年ほど前に食事の席で会ったのが最後。その時は元気だったので…」と驚いた様子。

 鎌苅氏は2度目の対戦で初めて勝った91年夏場所の一番よりも初対戦で負けた時の方が記憶が鮮明だという。「横綱がなんぼのモンじゃいと顔を張っていった。(横綱の顔を張るのは失礼に当たるが)後から横綱に“若い者はこれくらい元気じゃないと”と言われ懐の大きい人だと思った」と故人をしのんだ。


【各界から悼む声】一時代を築いた心に残る横綱 尊敬できる方
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

860
1991年5月14日、現役最後の土俵入りを披露する千代の富士

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします。

 ▼楽天・梨田監督(現役時代からの交流)悪いのは知っていたけれど、凄いショック。残念。開幕前に電話で話をしたら「だいぶ良くなっている」と言って声も元気だった。思い出はいっぱいある。酒も豪快だったしね。何とも言えない寂しい感じです。

 ▼日本ハム・栗山監督 キャスター時代に食事をしたことがある。おおらかな人でこんな人になりたいと思った。ケガをトレーニングで克服した人で、大学の授業でも千代の富士さんの話をよくさせてもらった。

 ▼ロッテ・伊東監督 ボクシングの試合を見に行って席が隣になったことがあった。相撲人気が復活してきた中で、ヒーローが1人いなくなったのが残念。

 ▼J2横浜FC・FW三浦知良 面識はあります。レストランやいろいろなところで何度かお会いしたことがあります。まだお若いですよね。残念です。

 ▼レスリング女子53キロ級・吉田沙保里 偉大な方が亡くなった。以前からかわいがってもらい、本当に尊敬できる方だった。体調を崩されていたのは聞いていた。必ず治ると信じていたが…。

 ▼漫画家・やくみつるさん 闘志を前面に出して相手に食らいついていく姿勢やアスリートのような筋肉質な容姿は、それまでの力士にはないものだった。相撲界の新たな時代が始まると見ていて胸の高鳴りを感じた。昨年亡くなった北の湖親方といい、一時代を築いた力士の早過ぎる死に強い無力感、脱力感を覚える。


【親方衆から悼む声】本当に強かった…手が届かない偉大な横綱
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

823
元横綱千代の富士の九重親方

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 ▼尾車親方(元大関・琴風) 年齢は2つ上、まさに戦友でした。初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても、巡業にいてもいつも胸を合わせました。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです。これからは協会のご意見番としてアドバイスをいただきたかっただけに残念です。

 ▼春日野親方(元関脇・栃乃和歌) 手が届かない偉大な横綱と対戦できたことは忘れられない。初めて対戦した時の立ち合いの鋭さ、速さは、今までにない感覚だった。

 ▼芝田山親方(元横綱・大乃国) 体重は圧倒的に自分の方が多かったが、力が強かった。(連勝を53で止めた一番について)優勝がかかった一番ではなかったが自分のプライドもあった。負けっ放しで自分のプライドもあった。何とかしないとと思って臨んだ結果だった。当時は横綱に千代の富士がいて同部屋の北勝海がいて一門が違う大乃国がいた。そういう相手がいたから土俵を沸かせられたのではないかと思う。

 ▼浅香山親方(元大関・魁皇) 北の湖理事長もそうだったが、九重親方も相撲界のためにと思って無理をされていたのだと思う。九重親方の1000勝は私のものと比べるものではない。九重親方の体で大きな体の相手を倒したのは凄い。レベルが違う。


千代の富士死す 小さな大横綱V31回、膵臓がんで…まだ61歳
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

860
1991年5月14日、現役最後の土俵入りを披露する千代の富士

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。61歳だった。九重親方は昨年5月末に自身の還暦土俵入りを行った後、早期の膵臓がんが見つかり手術。一時は職務に復帰して元気な姿を見せていたが、がん発見から1年余りで帰らぬ人となってしまった。

 昭和の最後の土俵を彩った「小さな大横綱」千代の富士が、人生においてもついに体力の限界を迎えた。都内の病院に愛弟子の佐ノ山親方(元大関・千代大海)が駆けつけたときにはもう意識がなかったという。午後5時11分、妻・久美子さん、次女でモデルの秋元梢ら家族が見守る中、苦しむことなく静かに息を引き取った。

 7月の名古屋場所では所属する監察委員室に初日から現れ、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気いっぱいだったという。それが4日目になると様子が急変。居合わせた関係者によると、重い足取りで室内に入り、椅子に座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」と声を絞り出し、目を閉じた。「大将」と呼ばれ照れ屋で強がりで皮肉屋でもあったが、やせ我慢すらできないほど弱っていた。翌日から緊急帰京して休場。場所後に名古屋市内で行われた九重部屋千秋楽パーティーも欠席していた。

 精かんな顔つきと筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で呼ばれた九重親方は、昨年6月1日に60歳の誕生日を迎えた。その前日に行った還暦土俵入りでは太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士の現役横綱を従えて元気な姿を見せていたが、その直後に病魔が襲った。早期の膵臓がんが見つかったため手術を受け、同7月の名古屋場所を休場。それでも治療により2カ月後の秋場所では職務に復帰し、同場所で休場した白鵬に対し「8年間休場なく頑張ってきて疲れも出てきたのかな。万全な体調で出てきてほしい」とエールを送っていた。だが、今年に入ってがんが再発。関係者によるとがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。3月の春場所には体は急激に痩せ始め、7月には都内で乗用車を運転中、接触事故も起こした。

 現役時代は120キロ台の小さな体ながら抜群の実力で国民的人気を誇った。70年秋場所に15歳で初土俵を踏み、11年後の81年に横綱昇進。鍛え抜かれた腕力を生かした上手投げ「ウルフスペシャル」を武器に史上3位の31回の優勝、史上2位の通算1045勝など数々の記録を打ち立てた。89年には大相撲界から初めて国民栄誉賞を受賞。91年の引退時には会見で「体力の限界、気力もなくなり、引退することになりました。以上です」と言葉を振り絞ったシーンは多くの相撲ファンの記憶に深く刻まれた。

 引退後は日本相撲協会理事を務めていたが、理事長の座に届かず、最後は理事の座まで失った。それでも92年4月から九重部屋を継承し、後進の指導に携わるようになってからも大関・千代大海を育てるなど親方として手腕を発揮。現在も幕内・千代鳳ら6人の関取衆が在籍している。大相撲の枠を超えた国民的スターが、あまりにも早く61年の生涯に幕を下ろした。

 ◆九重 貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道福島町生まれ。70年秋場所で初土俵。75年秋場所新入幕を果たし、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。優勝31回(史上3位)。通算成績1045勝(史上2位)437敗159休。91年夏場所で引退し、年寄「陣幕」を襲名。92年4月に「九重」を襲名し、部屋を継承して師匠に。08年から理事、12年から協会No.2の事業部長を1期2年務めた。


さらば千代の富士…九重親方、膵臓がんで死去 相撲界初の国民栄誉賞
サンケイスポーツ 8月1日(月)7時0分配信

859
小さな大横綱として国民的な人気を博した元横綱千代の富士。ウルフの愛称で一時代を築いた=平成元年9月(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都文京区の東京大学附属病院で死去した。61歳。体重120キロ台の小兵ながら53連勝、通算1045勝、相撲界初の国民栄誉賞など数々の栄光を手にした。現役引退後は九重部屋を継承、事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。昨年5月31日に還暦土俵入りを披露したが、同9月に膵臓(すいぞう)がんで手術を受けていたことを公表していた。

 また一人、時代のヒーローが“旅立った”。元横綱千代の富士が、膵臓(すいぞう)がんのため、61歳の若さで急逝。この日午後5時過ぎ、東京大学附属病院で家族に看取られて静かに息を引き取った。昨年5月31日、露払い日馬富士、太刀持ち白鵬の両横綱を従えて還暦土俵入りを披露したのが最後の雄姿となった。

 精悍な顔つきと筋肉質の体から、先代九重親方(元横綱北の富士)に“ウルフ”と名付けられた。昭和45年秋場所初土俵。100キロ足らずの軽量で、両肩の脱臼と再三の故障にもかかわらず、同49年九州場所で新十両。同50年秋場所で新入幕を果たしたが、右上腕の筋を切り幕下まで転落。同53年初場所再入幕し、名古屋場所で新三役になったが、右肩脱臼で十両に転落した。

 この肩の脱臼による一時期の低迷も、20キロのダンベルの上げ下ろしと1日500回の腕立て伏せで肩周りに“筋肉のよろい”をつけた。左前みつを引いての速攻相撲を完成させると花が開いた。

 関脇を2場所で突破、大関を3場所で駆け抜け、同56年名古屋場所後に横綱昇進。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し、「小さな大横綱」と称された。昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残し、平成元年9月には相撲界で初の国民栄誉賞を受賞した。優勝回数は史上3位の31回。その内、優勝決定戦は6戦全勝。休場明け優勝6回。一人横綱場所14場所中10回優勝と勝負強さが光った。平成2年春場所で史上初の通算1000勝を達成した。

 元大関貴ノ花とは不思議な縁があった。北海道巡業に来た“相撲界のプリンス”に上京前日に励まされ、目標の人となった。「タバコを止めたら、もっと太るぞ」というアドバイスに従って禁煙、体が太りはじめて大関に突進した。

 貴ノ花が引退した昭和56年初場所。千代の富士が関脇で初優勝、場所後に大関のバトンを受けた。そして平成3年夏場所。横綱千代の富士は貴ノ花の次男・貴花田(後の横綱貴乃花・現貴乃花親方)に敗れ、今度は自身の引退を決意。「体力の限界、気力もなくなり、引退することになりました、以上」との言葉は今も相撲ファンの記憶に深く刻まれている。

 同4年4月に年寄「九重」を襲名し、部屋を継承した。大関千代大海らを育てた。同20年に初めて日本協会理事に就任。広報部長、審判部長、事業部長などを歴任したが、同26年の理事選挙で落選した。昨年夏には膵臓(すいぞう)がんを患った。最近、がんが胃や肺に転移していることを周囲に漏らしていた。今年7月の名古屋場所は初日から勤務したが、4日目の13日を最後に休場。その後、入院していた。大相撲の枠を超えた国民的スターが波瀾(はらん)万丈の人生に幕を下ろした。


貴に引導、貴から引導…角界“世代交代”数奇なめぐり合わせ
スポニチアネックス 8月1日(月)5時41分配信

858
91年5月12日、横綱・千代の富士(左)を寄り切りに破った貴花田

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 「角界のプリンス」と呼ばれた人気大関貴ノ花(のち二子山親方、故人)を引退に追い込み、その息子で「若貴ブーム」の主役だった貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れたことが土俵を去るきっかけになった。千代の富士には、この親子との世代交代のドラマがあった。

【写真】1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 1980年九州場所3日目。三役に定着した25歳の千代の富士は30歳の大関貴ノ花を一方的に破った。「タバコをやめれば体重が増えて強くなれる」と同じ軽量で苦しんだ貴ノ花にアドバイスを受け、禁煙したというのは有名なエピソードだった。

 それから10年たった91年夏場所初日。35歳の千代の富士は18歳の貴花田と対戦し、若武者の寄りに屈した。その2日後、貴闘力に敗れて引退を表明。出世のきっかけをつくってくれた“恩人”の息子を後継者と見定め、潔く土俵を去った。


小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた 1日千回もの腕立て伏せも
スポニチアネックス 8月1日(月)5時1分配信

857
1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 千代の富士は横綱としては恵まれた肉体ではなかった。身長1メートル83で体重は120キロ台の小兵。肩には脱臼癖もあった。だが、その弱点を克服するために取り入れた筋力トレーニングが飛躍のきっかけとなった。

 当時、相撲の稽古は四股、てっぽう、すり足が中心。筋トレには否定的な見方が強かった。だが、千代の富士は稽古場に相撲部屋では初めて腹筋台やバーベルを持ち込んだ。自宅でも1日1000回もの腕立て伏せ。東京都江戸川区の8畳の自室は4カ月に一度、畳替えをしなければならないほどすさまじいトレーニングだったという。

 この脱臼癖により、相撲を変えたことも成功につながった。若い頃は軽量ながら相手を引っ張り込んで、強引に上手投げに持っていくことが多かった。だが、脱臼のリスクを軽減するため、前まわしを引いて頭をつける取り口に変えていった。関脇だった81年初場所、初日から14連勝を飾った千代の富士は千秋楽の本割で横綱・北の湖に敗れたが、優勝決定戦では体格で勝る北の湖に頭をつけて上手投げで仕留め初優勝を飾った。この時の視聴率は52・2%で現在でも大相撲中継の最高視聴率となっている。

 横綱になってからは輝かしい栄光を築き上げた。休場明けだった88年夏場所7日目から同年九州場所14日目まで53連勝を飾った。89年名古屋場所では、同じ九重部屋所属の北勝海との史上初の同部屋横綱優勝決定戦を制して28回目の優勝を飾った。場所前の6月12日には「乳幼児突然死症候群」で生後3カ月の3女を亡くしていたが、気力を振り絞って土俵に上がり続けて賜杯を抱いた。この場所も含め、休場明けの優勝は6度にも及んだ。脱臼癖を克服した横綱は卓越した精神力も身につけ、大横綱となった。


九重親方、激やせ4日目急変…机に突っ伏し「きついなあ…。きついよ」
サンケイスポーツ 8月1日(月)5時0分配信

856
賜杯と現在モデルで活躍する次女の梢ちゃんを抱き、後援者と喜ぶ千代の富士=1988(昭和63)年5月。誰からも好かれる偉大な横綱だった(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都文京区の東京大学附属病院で死去した。61歳。

 「小さな大横綱」が、病魔に屈した。大相撲の枠を超えた国民的ヒーローの死。昭和の灯が、またひとつ消えた。

 複数の部屋関係者によれば、同親方は7月の名古屋場所前から同地へ入り、部屋の稽古では連日、力士らに声をかけていた。周囲は急激に痩せた姿を目の当たりにして、驚いたという。現役時代の九重親方は身長1メートル83、横綱となっても125キロ前後と小兵ながら、大型力士を次々となぎ倒した。

 贅肉(ぜいにく)とは無縁で、アスリートを思わせる引き締まった肉体は病魔でやせ細り、関係者の一人は「(体重が)100キロを割ったと聞いた。現役時代から初めてのこと。衝撃を受けた」と明かす。

 このとき、すでに固形物を受けつけず、部屋の若い衆がミキサーでつくったフルーツジュース程度しか口にできなかったという。名古屋場所には所属する監査委員室に初日から現れていたが4日目に様子が急変。重い足取りで室内に入り、いすに座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」。大きなマスク越しに声を絞り出し、目を閉じた。“小さな大横綱”が、やせ我慢もできないほど弱っていた。

 昭和45年秋場所初土俵。左前まわしを引いて一直線の寄り、電光石火の速攻で出世街道を駆け上がり、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。相手の頭を押さえつけて土俵へたたきつける豪快な上手投げは「ウルフスペシャル」と命名された。威圧感が常に漂っていたが、涙もろいところも。弟子の断髪式では関取になれなくても努力した姿を思い浮かべ人目をはばからずに号泣。ライバル北の湖理事長の死去翌日には真っ赤に腫れた目で「切ないよな」とつぶやいた。

 名古屋場所は初めから休場する選択肢もあったという。それでも、有力後援者には「しんどいけど、闘病に引退はないから」と伝えていた。最後の最後まで、人生の“気力”を燃やし続けた。


秋元梢、九重親方「最期は苦しむ事なく…」 父への感謝もつづる
サンケイスポーツ 8月1日(月)0時22分配信

855
イベントに参加した九重親方と次女でモデルの秋元梢=2012年12月20日撮影(写真:サンケイスポーツ)

 31日にすい臓がんのため東京都内で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)の次女でモデル、秋元梢(29)が自身のツイッターを更新。父親の訃報を報告した。

 梢は「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と報告し「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と九重親方の最期の様子を伝えた。そして「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます」と謝辞。

 最後には「父の娘に生まれて、幸せです。秋元梢」と父への感謝の気持ちをつづった。

 九重親方は、大相撲で史上3位の優勝31度。現役時代は“ウルフ”と呼ばれ、1989年には角界で初めて国民栄誉賞を受賞した。61歳だった。現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。


ウルフよ永遠に…我らがヒーロー“千代の富士”を名言とともに振り返る
MEN’S+ 8月1日(月)0時19分配信

854
いまや世界で活躍するモデル、梢ちゃんがまだ生まれたばかりの頃です。

角界の偉大なるヒーロー
 『メンズクラブ』「メンズ・プラス」の読者の中でも、お兄さんクラスの40代の方にとって、おそらく絶大なるヒーローではなかったでしょうか。横綱千代の富士、のちの九重親方が2016年7月31日(日)、61歳の若さで亡くなられました。昨年2015年11月には、千代の富士の兄的存在であった北の湖も亡くなられたばかり。角界の昭和のヒーローたちが次々と…。 
 
 当時、千代の富士ファンであった読者の皆さんも多かったことでしょう。身長は183cmであるも体重は127kgと、決して有利とはいえない体格でありながらも負ける気がしなかった千代の富士の全盛期。体重別の階級制度がない相撲ならではの楽しみとして、千代の富士対巨漢力士の代表であった小錦との取り組みはいまでも忘れらないのではないでしょうか。
 
 そんな子供の頃のヒーローであった千代の富士の土俵入り、および立合いの写真、加えて名言をここで特集します。これをご覧になって、皆さんもリアルに千代の富士の思い出を甦らせてください。学校から帰宅しランドセルを放り投げ、台所では母がトントンと音を立てながら夕飯の支度をするなかテレビをワクワクしながら観ていた頃を。
 
 のちのちに八百長疑惑も叫ばれたりしますが、真実は藪の中。少なからず千代の富士は、当時の我々に確実に元気を与えてくれたヒーローなのです。その感謝の気持ちとともに、この特集をご覧ください。そして、改めて千代の富士の強さを再確認することでお別れの儀としましょう。
 
 
◇九重 貢、元横綱千代の富士
本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。1955年(昭和30年)6月1日生まれ。北海道松前郡福島町出身。初土俵は、1970年の秋場所。そして1975年秋場所で新入幕に。1081年秋場所から横綱に昇進したのでした。通算成績は1045勝。優勝回数は31回。三賞の受賞は7回。1989年年には、国民栄誉賞に輝いています。1991年の夏場所限りで引退。その後は年寄陣幕を襲名する。1992年4月に九重を襲名し、部屋の師匠となる。2008年2月に理事初当選し、広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、2012年2月から事業部長となる。2015年の名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていたことが公表されていました。


九重親方の次女、秋元梢「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて」
スポーツ報知 8月1日(月)0時11分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の次女でモデルの秋元梢(29)が31日、ツイッターを更新した。

 「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と気丈につぶやいている。


秋元梢、父・九重親方に感謝「娘に生まれて、幸せです」
オリコン 8月1日(月)0時3分配信

853
亡くなった父・九重親方に感謝をつづった秋元梢(右) (C)ORICON NewS inc.

 元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、午後5時11分に膵臓(すいぞう)がんのため、死去した。61歳だった。次女でモデルの秋元梢(29)が、同日ツイッターで「父の娘に生まれて、幸せです」と、偉大なる父への感謝をつづった。

 九重親方は北海道出身。1970年秋場所で初土俵を踏み、74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。史上3位の優勝31度を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築き、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。国民栄誉賞など数々の栄光を手にし、現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。

■以下、コメント全文

今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。

最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。

今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。

父の娘に生まれて、幸せです。

秋元梢


<千代の富士死去>「まさか…」地元、言葉失う
毎日新聞 8月1日(月)0時1分配信

 北海道の英雄の一人、元横綱・千代の富士の九重親方が61歳で世を去った。道内出身横綱としては2013年1月の大鵬、15年11月の北の湖に続く訃報。九重親方の出身地・福島町では突然の知らせに「早すぎる」「実感が湧かない」など驚きと嘆きの声が相次いだ。

 福島町に住む九重親方の姉小笠原佐登子さん(63)は「突然のことで全く実感が湧かない。信じられない気持ち」と声を落とした。親方からは7月の名古屋場所中に電話があり、元気そうな声で「お盆に(福島町に)帰る」と話していたという。「いつもと変わらない様子だった。昔から我慢強く、弱音を吐かない子だった」と最後の会話を振り返った。

 九重部屋は夏になると、福島町で巡業を行っていた。小中学校の同級生で親交が深かった鳴海清春町長(60)は「巡業の朝稽古(げいこ)は町の風物詩となり、楽しみにしている町民も多かった。『ウルフ』と呼ばれ、有名になってからも地元を気にかけてくれ、『福島を盛り上げよう』と言っていた」と親方の古里への気持ちを代弁した。

 「横綱千代の山・千代の富士記念館」(福島町)の元館長で、町長も務めた藪内裕さんは「突然の悲報にただただ驚いている。まさかこんなに早く亡くなるとは……」と絶句。「記念館にいろいろ寄贈してもらい、知名度の低かった福島町を全国の人に知ってもらうきっかけを作ってくれた」と地元の英雄の死を悼んだ。

 故北の湖の古里・壮瞥町の「北の湖部屋郷土後援会」の船田寅雄元事務局長(77)は「昭和の大横綱が次々と亡くなってさみしい限り。北の湖の還暦の土俵入りで、太刀持ちを務めてくれたのを思い出す」と述懐。「大鵬相撲記念館」(弟子屈町)の山名政勝館長(66)は「北海道にとって宝のような力士たちだった。とても大きな損失だ」と話した。【澤俊太郎、横尾誠治、遠藤修平】


戦後の大横綱、相次いで…=大鵬、北の湖、千代の富士―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時48分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。昨年11月の九州場所中には、日本相撲協会の理事長を務めていた北の湖親方(元横綱)が、直腸がんによる多臓器不全のため急逝。高度経済成長期のヒーローとして「巨人、大鵬、卵焼き」と称された元横綱の大鵬さんも2013年1月、72歳で死去している。戦後の大横綱を約3年半の間に相次いで失った。

 土俵の上では圧倒的な強さを誇った大横綱だが、北の湖、九重両親方とも60代前半での死は早過ぎる。「負ければ引退」という重圧と背中合わせの戦いは孤独そのもの。現役引退後も角界の重鎮として激務が続く。長年にわたる疲労、ストレスなどが命を縮めたのかもしれない。


ライバルらも涙=「こんなに早くとは」―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時45分配信

 元千代の富士の九重親方の訃報を受け、同じ土俵で熱戦を繰り広げた親方衆らは、一様にショックを隠せなかった。

 元横綱大乃国の芝田山親方は「調子が良くないとは聞いていたが、こんなに早くとは」と嘆いた。1988年九州場所千秋楽、千代の富士の連勝を53で止めた一番については「そこまで負け続けてきた自分のプライドもあった」と振り返った。

 「自分が新弟子の頃、白まわしで稽古場に現れ、格好いいと思った。体重は圧倒的に自分の方が多かったが、力が強かった」と強敵にぶつかった日をしのんだ。

 元大関琴風の尾車親方は「年齢は九重親方が二つ上でまさに戦友だった。鋭い当たりから前まわしを取られたら、爪先立ちになるほど。本当に強かった」と現役時代の思い出を語った。

 横綱として、折に触れて九重親方のアドバイスを受けてきた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさんは、自身のツイッターに「悲しい、悲しいな。涙が止まらない…。憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ。悲しいな」と記した。

 何度も好勝負を演じた元大関小錦のタレント、KONISHIKIさんは突然の訃報を横浜市でのライブ直前に告げられたという。「今は話をすることができない。何も浮かばない」と衝撃を受けていた。


秋元梢 九重親方の死に「父の娘に生まれて、幸せです」
デイリースポーツ 7月31日(日)23時41分配信

852
秋元梢

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。61歳。昨年6月に膵臓がんの手術を受けていた。次女でモデルの秋元梢(29)は同日深夜にツイッターを更新。家族に看取られて穏やかな最期だったことなどを報告するとともに、感謝の気持ちを伝えた。

 秋元は父が息を引き取る直前まで、ラジオの生放送の仕事をしていた。

 ツイッターでは、「7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と伝え、「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです。」と感謝の思いをつづった。

 秋元はこの日、午前11時40分から12時半までJ-WAVEで自身がナビゲーターを務める番組「CHINTAI TOKYO DISTRICT」の生放送を行っていた。

 番組終了直後にはツイッターにゲストのピース・綾部祐二とのツーショット写真をアップ。27日に迎えた29歳の誕生日をスタッフがケーキで祝ってくれたことを写真とともに報告していた。

 秋元は今月19日、都内でイベントに登場。膵臓がんで闘病中と伝えられていた父について、報道陣から問いかけられたが、無言を通していた。

 父親譲りの力強い目元が印象的な秋元は1男2女の3人きょうだいの末っ子。09年に芸能界デビューした際は、父が「やりたいことをやれ」と背中を押してくれた。当時、携帯の待ち受け画面は、1988年5月場所で優勝した際に優勝杯とともに赤ちゃん(自分)を抱きかかえた父の写真だった。


秋元梢 父・九重親方を追悼「父の娘に生まれて幸せ」最期は「苦しむことなく」
スポニチアネックス 7月31日(日)23時38分配信

851
九重親方の次女でモデルの秋元梢

 31日に東京都内の病院で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)の次女でモデルの秋元梢(29)が同日夜、自身のツイッターを更新。父の訃報を報告した。

 「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と報告。「最期は苦しむことなく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と最期の様子を伝え「今まで父を応援してくれた皆さまに感謝申し上げます」と謝辞を記した。

 最後は「父の娘に生まれて、幸せです。秋元梢」と父への感謝をつづった。

 九重親方は大相撲で史上3位の優勝31度を誇り、1989年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞。61歳だった。北海道福島町出身。葬儀・告別式は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋で。喪主は妻久美子(くみこ)さん。


相撲協会も対応追われる=理事長「あまりにもショック」―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時20分配信

 九重親方(元横綱千代の富士)が亡くなったことを受け、日本相撲協会は31日、対応に追われた。協会広報部には春日野部長(元関脇栃乃和歌)が急きょ出勤し、午後10時すぎから報道陣に応対した。

 八角理事長(元横綱北勝海)は、春日野部長を通じて「あまりにもショックでコメントしようがない」との談話を出した。

 理事長にとって、九重親方は兄弟子。胸を借りて猛稽古し、自らも最高位まで上り詰めただけに感謝の思いも強い。理事長から談話を取った春日野部長は「言葉を詰まらせながら話していた。あまりにも思い出があるし、同じ釜の飯を食ってきた人ですから」と心中を推し量った。

 春日野部長も「偉大な横綱と対戦できたことはうれしく思う」と沈痛な面持ちで語った。


まな弟子らが出迎え=「ウルフ」無言の帰宅―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時19分配信

 亡くなった元横綱千代の富士、秋元貢さんの遺体は31日午後8時10分ごろ、東京都内の病院から墨田区の九重部屋に戻った。まな弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが悲痛な面持ちで出迎え、白い布で覆われた師匠を丁寧に部屋に運び入れた。

 報道陣に対応した佐ノ山親方は、「血はつながっていないけれど、自分にとって父親のような存在だった」と声を絞り出した。この日、亡くなる前に都内の病院で面会したそうで、「意識がなく、声を掛けても反応しない状態だった」という。

 「現役時代の師匠が好きで門をたたいた。子どもながらに、これほど愛される横綱がいるのかと思った人だ」と早過ぎる死を悼んだ。

 九重部屋のある町内で応援していた「九重部屋を囲む会」会長の山口紀代二さん(75)は、「優しい方で、会えばいつもあいさつしてくれた。残念で仕方がない」と肩を落としていた。


小金沢昇司 元千代の富士「愚痴や悩みも1人で我慢する方」
デイリースポーツ 7月31日(日)22時53分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 「ウルフ」の愛称で親しまれた昭和の大横綱、元千代の富士の九重親方=本名・秋元貢=が31日、都内の病院で死去した。61歳。北海道福島町出身。昨年6月に早期の膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、同9月の秋場所に復帰した時には、やせた姿に心配する声も上がっていた。

 現役時代から一緒に飲みに行くなど親交があった演歌歌手・小金沢昇司(57)は「ニュースで知り驚いています。体調が悪いとは聞いていましたが、ショックです」と早すぎる死に驚きを隠せず。

 後援者が同じという縁で知り合い、現役時代には一緒に飲みに行ったり、場所後のパーティーに呼んでもらうこともあったといい、「飲んでる時はいつもニコニコしてましたね。とにかく、何事にも我慢するタイプでした。愚痴や悩みも明かさず1人で我慢して乗り越えていく方でした。病気も1人で我慢して、乗り越えようとしていたんだと思います。自分と年齢も3歳しか違わない。まだ早いですよ。本当にショックです」と悼んだ。

元横綱千代の富士の九重親方が死去

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

リンク:元千代の富士さん死去 次女・秋元梢の芸能界デビュー応援 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>努力、稽古の大横綱…当意即妙、名言数々 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 愛弟子・元大関千代大海ショック隠せず 「まさかという思い。血は繋がっていなくても父親」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>小よく大を制す体現…眼光鋭く「ウルフ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士「一つ一つ」で53連勝/復刻連載4 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士が「最もすてきなお父さん」/復刻連載3 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士「コンチキショー」脱臼克服/復刻連載2 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士、猛攻の半生 北の湖倒す/復刻連載1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 部屋の近隣住民も悲しみ「訃報に足震えた」「気さくな方だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方無言の帰宅、佐ノ山親方や力士ら迎え入れる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:王会長「一時代を築いた心に残る横綱」九重親方悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の湖、千代の富士…相次いで旅立った名横綱 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の九重親方が死去 61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱・千代の富士死去…「ウルフ」優勝31回 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 “ウルフ”の愛称で国民的な人気、時代を彩った角界のスター - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の九重親方死去 昨年11月には北の湖前理事長も62歳で… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の九重親方が死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:個性伸ばしたカリスマ=九重親方「俺が手本だ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:土俵入りも「革新的」=九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:急逝の九重親方、膵臓がん手術からの生還を笑顔で話していたが… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の九重親方が死去、61歳 史上3位の優勝31度  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:笑顔の九重親方 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士に国民栄誉賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士―61歳・大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<訃報>元横綱・千代の富士、九重親方が死去 61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士、九重親方死去 次女のモデル秋元梢は直前に誕生日ツイート - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:初優勝を果たした千代の富士 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士の土俵入り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士―61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の九重親方が死去…61歳、膵臓がんで - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳 国民栄誉賞も受賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳 昨年すい臓がん手術 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士の九重親方が死去 がん転移で闘病 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

元千代の富士さん死去 次女・秋元梢の芸能界デビュー応援
デイリースポーツ 7月31日(日)22時40分配信

850
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方(左)と次女・秋元梢

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方が31日、亡くなった。61歳。昨年6月に膵臓癌の手術を受け、7月下旬に退院。同9月の秋場所に復帰したが、激やせした姿に心配の声もあがっていた。2女1男に恵まれ、次女・秋元梢はエキゾチックな美貌のモデルとして活躍している。外出の際は、手をつないで歩くほど仲良しで、梢が芸能界デビューを決意した際は、「やりたいことをやれ」と背中を押した。12年にはハンバーガーチェーンのイベントに父子仲良く登場し、親方は娘の成長に目を細めていた。

 【以下、09年6月24日のデイリースポーツ紙面より】

 大相撲第58代横綱、千代の富士(現九重親方)の次女、秋元梢(21)が23日、都内で行われた米ドラマのイベントにモデルとして出演し、芸能界デビューを果たした。100人を超える報道陣を前に、黒のワンピース姿でランウェイを歩いた秋元は、まぶしいばかりのフラッシュに動じることなく、父譲り、“横綱級”の度胸を見せつけた。

 ▼目標大きく「父超え」宣言 日本の国技を支えた名横綱の娘が、芸能界という“土俵”に足を踏み出した。

 史上最多の通算勝ち星1045勝、史上2位の通算31回の幕内最高優勝を誇る千代の富士が、1988年5月場所に優勝した際の記念撮影で、優勝杯とともに腕の中に大事に抱えていたあの赤ちゃんが、時を経てモデルデビューを飾った。

 秋元の“初土俵”は、テレビ東京系で7月15日から放送されることが決まった米人気ドラマ「THE HILLS」(水曜深夜0・43)の制作発表でのファッションショー。黒のLAファッションに身を包んで登場すると、印象的な真っすぐで長い黒髪、そしてウルフと呼ばれた父譲りの眼光鋭い“目力”でカメラマンの視線をくぎ付けにした。

 大手芸能事務所「レプロ」と今年1月に関係者の紹介をきっかけに契約。同事務所は、東洋系の美しさを称する「アジアンビューティー」としての素材にほれ込み、契約を済ませたが、秋元は当時、父親が国民栄誉賞をも受賞した昭和の大横綱であることを知らせず、自身の実力でデビュー切符をつかんだ。

 夢の舞台に立った秋元は笑顔で「始まる前はすごく緊張しましたが、歩いてみたらまったく緊張しませんでした」と大物ぶりをみせ、「父の存在を抜かすようにがんばりたい」と“横綱級”の目標を掲げた。父には今年に入って芸能界への夢を相談。「やりたいことをやれ」と応援されたという。

 同ドラマのナビゲーターを務める事務所の先輩、マリエ(22)が「(元横綱の)あんな大きな体からこんなきゃしゃな体が生まれるなんて」と感心?すると、秋元は「お父さんが産んでないので」と笑顔でツッコむ余裕もみせた。今後はモデルを中心に幅広い芸能活動を目指す。

 88年5月場所の写真を携帯の待ち受け画面にしているという秋元。ちなみに理想の男性は「お父さんに勝てる人」というからハードルはとてつもなく高い。

 ◆秋元 梢(あきもと・こずえ) 1987年7月27日、東京都墨田区出身。21歳。身長164センチ、3サイズはB80、W60、H88。血液型A。母・久美子さん、長女(26)、長男(23)の5人家族。趣味はショッピング。現在は神奈川県内の私立大学に通う4年生。個性的な前髪は1週間に1度、自分でカットしているという。

 ▼父も後押し「一生懸命やりなさい」

 九重親方(元横綱千代の富士)「(芸能界デビューは)よかったのではないでしょうか。大学生の残り(生活)はありますが、(娘が)『自分の好きなことをやりたい』と言ってきたので、『やるなら一生懸命やりなさい』と言いました」

 ▼秋元家はこんな家族「お父さんとは手をつないで歩く」

 姉、兄とともにいまも都内の実家で暮らし、今月初めには家族で台湾に旅行した(梢だけは直前に都合がつかず断念)ほどの仲良し家族。実は「お父さんと出かけると、手をつないで歩く」(梢)と明かす。巡業などで1年の半分を地方で過ごす父。それだけに一緒に過ごせる時間を大切に、とクリスマスや誕生日など家族でのイベントは欠かさないという。


<千代の富士死去>努力、稽古の大横綱…当意即妙、名言数々
毎日新聞 7月31日(日)21時54分配信

849
貴闘力との一番に敗れ引退を決意することになった横綱千代の富士(左)と貴花田(右)=両国国技館で1991年5月14日撮影
 ◇評伝

 いま東京都下水道局の処理場になっている台東区蔵前にあった蔵前国技館時代の1981年初場所。関脇・千代の富士が初日から14連勝して迎えた千秋楽、1敗で追う横綱・北の湖との直接対決は負けたが、優勝決定戦では右の上手出し投げで初優勝を果たした。

 この取組の視聴率は52%超。優勝が決まった瞬間最高は65%超に上り、現在でも大相撲中継の最高記録として大相撲史に残る取組になっている。場所後に大関昇進、3場所後には横綱になり、千代の富士時代の幕開けになった場所だった。

 肩の脱臼癖というハンディがありながら努力した。平幕の時、苦手にしていた琴風(尾車親方)を出稽古(でげいこ)で克服。左の上手を浅くとって攻める型は琴風との稽古から会得したものだった。小指を入れてからまわしをひきつけて相手の動きを止め速攻相撲に持ち込んだ。尾車親方は「今でいうところのストーカーだな。どの部屋に行っても横綱がいるんだから。でもあのおかげで私も強くさせてもらった」と稽古を振り返っている。

 かつて力士は寡黙の代名詞。「見ての通り」など話すのはいい方で、取組後は一言も話さない力士も少なくなかった。そんな中、千代の富士は当意即妙。現役時代も速攻相撲同様、質問にはきっちり答えた。それもユーモアたっぷりの受け答えが売り物だった。

 横綱になっての名言は「頂上であって同時に崖っぷちなんだよ」。横綱昇進した時の約束は「やめるときはすっぱり潔く土俵を去ること」。その通りに「体力の限界、気力もなくなり、引退」と涙したのが91年夏場所だった。

 読書や数独というクイズを楽しむ、従来にはないタイプの親方だった。しかし部屋を継承し九重親方になり、北の富士の九重親方は陣幕親方として協会の仕事に専念したが、陣幕親方と対立した。あつれきの代償は大きく、部屋の親方たちはこぞって8歳下の弟弟子の元横綱・北勝海の八角親方についていった。2008年に理事になり、その後はナンバー2の事業部長を務め、どんぶり勘定的な業者とのなれ合いなどを排し、改革に努めた。

 しかし長い慣行でもあったから反発も強かった。一緒に酒を飲む機会があったという先輩横綱は「親方に稽古をつけてもらったおかげで横綱になれました」という神妙な語り口に、「ずいぶん丸くなったなと感心して尻がむずかゆくなった」と言っていたが、支持者は少なく、理事への復帰はかなわなかった。

 部屋の呼び出しが「体重は100キロを切ったけど毎晩こうやってますよ」と酒を飲む仕草で元気な様子を語ってくれたのが、今年の夏場所中だった。13年に大鵬の納谷幸喜さん、昨年は北の湖前理事長、そして千代の富士の九重親方。4年の間に大横綱だった3人が亡くなった。角界はまた大きな存在を失った。【東京相撲記者倶楽部会友・武藤久】


元横綱千代の富士死去 愛弟子・元大関千代大海ショック隠せず 「まさかという思い。血は繋がっていなくても父親」
産経新聞 7月31日(日)21時49分配信

848
九重親方から優勝旗を受ける千代大海=1999年1月24日(写真:産経新聞)

 元横綱千代の富士の九重親方の訃報を受け、まな弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海、本名・須藤龍二さん)が31日夜、東京都墨田区の九重部屋前で報道陣の取材に応じ、「父親だと思っていた。訃報を力に変えて部屋をもり立てていきたい」と話した。

 佐ノ山親方は「治ると信じていたので、突然の死去はまさかという思い」とショックを隠しきれない様子。この日、容体の急変を受け病院に駆けつけ、手を握りながら声を掛けたが、反応はなかったという。

 佐ノ山親方によると、九重親方は7月24日に千秋楽を迎えた名古屋場所にも帯同し、若手を指導していた。しかし途中で体調が悪化し帰京。最後に話したのも若手力士らの指導方法についてだったという。

 「師匠のことは血は繋がっていなくても、父親だと思っていた。遺体の手を握り、『お世話になりました』と伝えました」

 また、記憶に残っている師匠の言葉として「初めて会ったとき、(当時は不良でリーゼントだった)自分の髪形を見て、『すごい髪形だな』といわれたこと」と苦笑いし、「親方の死を力に変えて、みんなで部屋をもり立てていきたい」と決意を語った。


<千代の富士死去>小よく大を制す体現…眼光鋭く「ウルフ」
毎日新聞 7月31日(日)21時43分配信

847
「大相撲春場所」花ノ国を破り、史上初の通算1000勝を達成した横綱・千代の富士=大阪府立体育会館で1990年3月17日、小座野容斉撮影

 昭和の大横綱が、また一人、逝ってしまった。幕内優勝31回を誇り、大相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士、九重親方の秋元貢さんが31日、膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった。全盛期でも体重130キロに満たない体によろいのような筋肉を作り上げ、小さい体で巨体の力士をねじ伏せるように土俵の真ん中で投げ転がす。大型化し、力任せの相撲が目立つ中「小よく大を制す」という相撲の醍醐味(だいごみ)を存分に披露し、大相撲人気を頂点に引き上げた大功労者だった。【上鵜瀬浄】

 「飛行機に乗せてあげる。ご飯もおなかいっぱい食べられるよ」という、当時の九重親方(元横綱千代の山)の誘い文句で中学3年生の1970年秋場所、北海道福島町から東京に転校して入門した。「やせて目ばかりがギョロギョロして、オオカミそのもの」と、付けられたあだ名は「ウルフ」。入門から4年後に新十両、そこから1年足らずで新入幕を果たした。

 100キロに満たない細い体で、相手を力任せに投げで振り回す、向こう気の強さだけをたのみにしていた。幕内下位の頃は、土俵上で相手との長いにらみ合いが幕内前半戦の名物に。しばしば審判部からお叱りを受けたが、78年名古屋場所で小結に昇進した。

 だが強引な取り口では2桁勝利できず、肩の脱臼もあって十両落ち。逆境の中、先々代死去後に師匠になった先代九重親方(元横綱・北の富士)の指導で上半身を筋肉で固め、立ち合いの踏み込みから左で前まわしを取って引きつける正攻法を身につけ、快進撃が始まる。

 十両落ちした79年夏場所は途中から出場して9勝し幕内復帰。そこから1年後の80年秋場所は3回目の小結で、初の2桁勝利になる10勝。翌場所新関脇で11勝。その次の81年初場所は初日から14連勝し、千秋楽に北の湖に本割で敗れたものの、決定戦を制して初優勝。たった1回のチャンスをものにして大関に昇進した。この取組の視聴率は52%超。大相撲がテレビで放送されて60年あまりになるが、いまだに破られない最高視聴率だ。

 大関も3場所で通過し、横綱昇進。横綱在位59場所、ほぼ10年、角界を先導した。大関までの2回を合わせて幕内優勝31回は白鵬、大鵬に次ぐ成績。現理事長で弟弟子の北勝海との同部屋優勝決定戦の優勝(89年名古屋場所)もあり、53連勝(88年夏~九州場所)、通算1045勝を記録した。一方で度重なるけがで休場が相次ぎ、優勝しながら千秋楽に休場したことも。賜杯と写真に納まった愛娘が突然死するなど苦闘もあった。現役最後の場所は91年夏場所だった。後に優勝22回を数えた貴乃花(当時は貴花田)に初日に敗れ「三重丸、いや五重丸」とたたえて、2日後に引退した。

 立ち合いで、相手をまともに受けるため、右の顎(あご)がへこみ、親方になってからは片足を引きずりながら歩いていた。審判部で出を待つ間は歴史小説などの読書を欠かさない努力家で、弟子の指導も交換ノートやビデオを用いる「理論派」大関千代大海(現佐ノ山親方)をはじめ、現在も6人の関取を擁する部屋に発展させた。現役としても指導者としても、お手本を示した。

 ◇千代の富士(ちよのふじ)

 58代横綱。本名・秋元貢。北海道福島町出身。15歳で元横綱・千代の山が師匠の九重部屋(当時)に入門。1970年秋場所初土俵、74年九州場所新十両、75年秋場所新入幕。関脇だった81年初場所で初優勝して大関に昇進。81年名古屋場所後には横綱となった。優勝31回は白鵬(37回)、大鵬(32回)に続く歴代3位。88年には53連勝し、89年には角界初の国民栄誉賞を受賞。91年夏場所に引退。年寄「陣幕」を経て、92年には年寄「九重」を襲名して部屋を継承、大関・千代大海(現在の佐ノ山親方)らを育てた。2008年には理事に初当選。広報、事業など各部長を歴任したが、14年の理事選では落選した。


千代の富士「一つ一つ」で53連勝/復刻連載4
日刊スポーツ 7月31日(日)21時23分配信

846
91年5月、貴花田に敗れる千代の富士

<この道 500人の証言:1995年7月28日付日刊スポーツ>

 1981年(昭56)横綱昇進直後の夏巡業で、左足首じん帯を損傷した。完治しないまま秋場所に臨み、2日目に同じ個所を痛めて休場した。新横綱の休場は吉葉山以来。「不祥事」と騒がれたが、続く九州場所で優勝した。

【写真】秋元梢、父九重親方に花嫁姿を見せられず

 証言 元横綱千代の富士の九重親方 「マスコミで厳しく書かれたのが結果的に良かったと思う。何クソ、と思った。横綱の威厳を守るためには勝つこと、勝つためには自分の相撲の確立しかない。目先の目標を一つ一つクリアすることだと肝に銘じた。部屋を強くするのも目標だった」。

 証言 付け人を務めたこともある八角親方(元横綱北勝海) 「私が幕下に上がる前、巡業先などで私の体が汚れていないと、横綱は兄弟子をしかった。朝4時に起きて5時に土俵へ行き、一つの土俵で先を争ってけいこした。当時一番土俵を取ったのは栃司、益荒雄、琴ケ梅、寺尾だった」。

 85年(昭60)秋場所から、九重部屋が10連覇した。千代の富士は3連覇と5連覇、北勝海が2回優勝した。今度は「北勝海には負けられない」。

 証言 元横綱若乃花、当時の二子山理事長の花田勝治氏(67=現相撲博物館館長) 「大記録は、大目標から生まれやしない。一日1番、勝つことを積み重ねて、記録が後からついてくるんだ」。

 「貴と対戦するまでは辞められない」の新たな誓いを立てたのは、3度目の全休を余儀なくされた88年(昭63)春場所だった。藤島部屋の若花田、貴花田がこの時初土俵を踏んだ。角界の新風を、挑むべき逆風とした。夏場所は6日目に琴ケ梅に敗れただけで優勝、53連勝を開始した。

 2場所連続全勝の後、九州場所14日目に横綱旭富士をつり出して53連勝を達成、千秋楽で大乃国と対戦した。

 証言 陣幕親方(元横綱北の富士、当時九重親方) 「場所中は69連勝もいける、おまえは強いぞと盛り上げた。今でも負けが信じられない。先に上手を取られたが、途中で頭をつけるいつものモールの形になった。いけると思ったよ。そこがスキだったな」。

 寄り切られて双葉山の69連勝突破の夢は消えたが、同年秋場所に全勝優勝した後、角界初の国民栄誉賞の受賞が決まった。

 91年(平3)夏場所初日だった。貴花田との初対決で寄り切られた。土俵下でふっと笑った。「対戦するまでは」の誓いを思い出したのだろうか。3日目に貴闘力に敗れて引退、ティッシュで涙をふいた。

 証言 同じ高砂一門の元大関の朝潮(39=現若松親方) 「北の湖さんは大きい体だけで威圧感があった。千代の富士関の場合は体が小さい分、目が威圧になった。あの目つきは最後まで鋭かった」。

 一代年寄が贈られたが、「部屋を自分の代で終わらせたくない」と、九重部屋継承を決意。93年8月に墨田区石原に部屋を新築した。親方4年目で名古屋場所には念願の関取第1号の千代大海(19=大分生まれ)が誕生した。96年には千代の山、千代の富士をたたえる横綱記念館の建設が故郷の福島町で始まる。

 証言 千代大海 「親方は正月とお盆には必ず実家へ帰してくれます。家族は大切にしろ、が口癖です。2年前からは年間の成績優秀者、上位10人に海外旅行をプレゼントしてくれてます」。

 弟子数35人は角界NO・3の大所帯だ。今も弟子たちに、「身近な目標を、一つ一つ」と教えている。【特別取材班】

 ◆取材後記 千代の富士は横綱をカッコ良く見せることにこだわった。横綱土俵入りのときに前につけるごへい(綱の前に垂れているもの)を5本つけるのにも角度にうるさかった。付け人を務めたことのある元横綱北勝海(32=現八角親方)は「1センチでも左に傾いていたら、やり直しをさせられました。つけるのに30分ほどかかったこともあります」と言う。

 土俵入りでは足も高く上げた。土俵一点を見つめ、肩の高さから塩をまいた。土俵上ではにらみも利かせた。「あのにらみにひるむ力士もいたはずだよ」と、若松親方(39=元大関朝潮)も言う。動きは毎日、全く変わらなかった。

 しかし強い横綱も幼少時代は弱虫だった。姉の小笠原佐登子さん(42=北海道福島町在住)が言う。「背はクラスでいつも頭一つは出て大きいのに、石をぶつけられても全然向かっていかなかった。代わりに私が悪ガキを追いかけまわしたほどです」。石をぶつけられる姿は今では全く想像がつかない。

※記録や表記は当時のもの


千代の富士が「最もすてきなお父さん」/復刻連載3
日刊スポーツ 7月31日(日)21時23分配信

845
82年5月、婚約を発表する千代の富士と進藤久美子さん

<この道 500人の証言:1995年7月27日付日刊スポーツ>

 1989年(平元)、千代の富士は「最もすてきなお父さん」を選定する「89年度イエローリボン賞」を受賞した。

家族思いの横綱だった。

 83年(昭58)7月、久美子夫人(35)との間に長女優ちゃんが誕生した。地方巡業へ出ると、2カ月前後は家を留守にする。「自分の顔を忘れられないように」と、自分の写真の大きなパネルを作らせ、指さして「これがパパ」と教え込んだ。

 証言 元横綱千代の富士の九重親方 「子供が生まれた時は、一家のあるじという自覚から頑張るぞという気持ちになった。そういう気持ちにさせてくれた。お礼の意味からも、優勝したら子供を抱いて、賜杯と一緒に写真を撮りたいと思っていた」。

 84年(昭59)九州場所で10回目の優勝を決めた時、まず優ちゃんと写真を撮った。2場所前には左肩の9回目の脱きゅうで全休、前場所は215キロの小錦が旋風を巻き起こして、自分は10勝5敗に終わった。29歳で、限界説も出た矢先の優勝だった。

 証言 千代の富士の姉小笠原佐登子さん(42=福島町在住) 「子供と写真を撮るためにと、頑張ったみたいです。“長女だけ賜杯と一緒の写真があって、ほかの子のがなかったらかわいそうだ”と、言ったこともあります。子供には自然がいいんだと、毎年夏は福島町によこすんです」。

 30歳になると、秋場所から3連覇した。87年(昭62)九州には剛君(9)、88年(昭63)夏には梢ちゃん(8)と一緒に写真を撮った。

 年号が平成にかわった89年2月に三女愛ちゃんが生まれた。直後、33歳3カ月で迎えた春場所は、14日目に大乃国戦で左肩11回目の脱きゅう。14勝1敗で優勝したが、テーピングも痛々しく、表彰式に出るのもやっとだった。

 証言 九重親方 「あの時はなぜか無性に愛と一緒に写真を撮りたくなった。東京の女房(久美子夫人)に電話したら、まだ1カ月と1週間、首も据わってないから無理と言われた。それでも来いと呼んだんだ。愛を抱き、賜杯を左に置いて、写真を撮った。長女の優が“今度優勝したら家族全員で撮ろうね”と言ったのが、今も耳に残る」。

 「撮ろうね」は、夢に散った。6月12日、愛ちゃんは乳幼児突然死症候群で短い生を終えた。葬儀から2週間で名古屋場所だった。体重が4キロ減り、北勝海とのけいこでも簡単に腰から落ちた。首から数珠をかけて場所入りした。「そうすれば、愛が見守ってくれる気がしたんだ」。

 奇跡は起きた。12勝3敗で北勝海と並び、史上初の同部屋横綱同士の優勝決定戦となった。上手投げで、28回目の優勝だった。

 証言 元横綱北勝海の八角親方 「初めて本場所で対決して、まわし取られた時、けいこ場よりはるかに力が強いのに気付いた。腰を振ったが、まわしを切れなかった。これではたくさん優勝するはずだと、変に感心した瞬間に投げられた」。

 優勝決定戦の通算成績は6戦6勝だった。

 証言 父秋元松夫さん 「なぜ息子だけにあんなにも試練を与えるのかと、恨みましたよ。けれど試練を受けたからこそ、それを乗り越えたからこそ、あそこまでいった」。

 子供と一緒に撮った優勝賜杯の写真パネル4枚は、福島町の実家と千代の富士の部屋それぞれに、大切に飾られている。愛ちゃんは、星の世界からそれを見守る。【特別取材班】

 ◆場所制度 東西にあった相撲協会が1927年(昭2)に合併、東京2場所のほかに関西場所として大阪、京都、名古屋などで年2場所の本場所を行うことにした。その後は年2場所を原則としてきたが、途中敗戦前後の混乱により44年には3場所、46年に1場所ということもあったが49年からは場所数が増えた。52年9月まで春、夏、秋の3場所(秋は大阪)、53年からは56年までは4場所(初、春、夏、秋、春は大阪)、57年は5場所(初、春、夏、秋、九州)。58年から年6場所制が実施された。奇数月に本場所は開催され、1、5、9月が東京、3、7、11月が大阪、名古屋、九州と地方で開催されている。

※記録や表記は当時のもの


千代の富士「コンチキショー」脱臼克服/復刻連載2
日刊スポーツ 7月31日(日)21時23分配信

844
1989年の春場所、27度目の優勝を決めた千代の富士は左肩を脱臼(写真は1989年3月25日)

<この道 500人の証言:1995年7月26日付日刊スポーツ>

 角界入りは、「飛行機に乗って東京へ行こう」という当時の九重親方(元横綱千代の山、77年=昭52没)の一言で決めた。

 証言 岡本寿一氏(69=岡本医院医院長) 「70年(昭45)8月、夏巡業中の九重親方に紹介したんです。水泳では中学2年で平泳ぎで校内新記録、陸上でも道南大会の三段跳びで中学新記録。本人は高校で水泳か陸上の選手になるつもりでしたが、親方が飛行機に乗らないかと言ったとたん、目が輝き出しました」。

 証言 元千代の富士の九重親方 「当時飛行機に乗れるのは町長ぐらいだった。中学卒業まで取りあえず相撲をするという約束だったので、帰ってから友達に自慢してやろうと思ってた。汽車と言われたら、人生は異なったはず」。

 大秋元の名前で秋場所デビュー、翌年初場所には千代の山の「千代」と、北の富士の「富士」をとって千代の富士とシコ名がついた。場所後、約束の中学卒業が近づいたからと、勝手に荷物を実家に送り返した。

 証言 九重部屋の当時のおかみさん、杉村光恵さん(62) 「親方が、高校なら東京でも行けると、やっと納得させました。千代の富士はいちずなんです。言い出したらきかない性格はその後、いろいろなところで飛び出しました」。

 71年(昭46)、明大中野高へ進学したが、名古屋場所(西序二段5枚目)で初めて3勝4敗と負け越した。8月、福島巡業で入門後初めて里帰りした。真っ黒の浴衣と歯の欠けたげたで帰った。

 証言 九重親方 「母が博多帯とげたを買ってくると言った。着るものも履くものもみんな番付で決まっている、勝手には買えないと言うと、母が寂しそうな顔をした。その顔を見て、次は必ずせったと博多帯(三段目以上)を締めて帰ってこようと決心した」。

 高校はその夏で辞めた。癖になった左肩の脱きゅうと戦いながら、24場所で74年(昭49)九州で新十両入り、翌年秋に新入幕を果たした。

 証言 金井整形外科、金井宏医院長(67) 「脱きゅうするたびに来ていた。待合室で小さい体をすぼめて座っていたが、“コンチキショー、コンチキショー”ってつぶやいてました」。

 73年(昭48)春場所以来、左肩脱きゅうは10回に及んだ。79年春場所、逆の右肩を脱きゅうした。それが転機となった。手術をすれば3週間はギプスが取れない。関節周囲の筋肉で、「脱きゅうしない肉体」に改造すると決めた。四日市中央病院でリハビリを続け、腕立て伏せ一日500回をノルマにした。

 証言 杉村光恵さん 「出入りの業者が驚いていました。千代の富士の部屋の畳は3週間に1回取り替えましたが、すり切れた畳には手の跡がくっきり付いていたそうです。いちずさが、脱きゅうも克服したんです」。

 証言 二子山親方(45=元大関貴ノ花) 「平幕のころ(79年=昭54京都巡業中)たばこをやめたら大きくなれるとアドバイスした。私はたばこはやめられなかったが、素質のある男だけに、伸びてほしかった」。

 たばこをぴたりとやめると100キロそこそこの体重が、翌年夏場所で小結に返り咲いた時は110キロに。相手を振り回すような取り口から、肩に負担がかからないよう、左前ミツを取って一気にダッシュする相撲に変えた。

自分の型ができた。【特別取材班】

 ◆北海道-東京間の航空便 北海道の空の玄関口・千歳空港は1926年(大15)10月、小樽新聞社(現北海道新聞社)の北海1号機(三菱式R2・2型)が地元民造成の平たん地に着陸したのに始まる。

 その後32年に旧海軍航空隊基地となり、第2次世界大戦の終戦とともにアメリカ軍が接収、50年アメリカ軍航空隊基地となる。51年10月、わが国の民間航空が再開されると同時に日本航空が千歳-羽田間に一日1往復の運航を始めた。現在は一日に日本航空が13、全日空が13、日本エアシステムが8往復(合計34往復)。函館空港は58年に第2種空港に政令指定された。61年4月から全日空が東京-仙台-三沢-函館-札幌間一日1往復、71年11月に滑走路が延長され、同月東京-函館間にB727機が就航、現在は8往復。そのほか北海道で東京直行便のある空港は旭川、女満別、中標津、釧路、帯広、稚内。

※記録や表記は当時のもの


千代の富士、猛攻の半生 北の湖倒す/復刻連載1
日刊スポーツ 7月31日(日)21時23分配信

843
1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(写真は1981年1月25日)

<この道 500人の証言:1995年7月25日付日刊スポーツ>

 オオカミのような、ぎらついた目で、相手をにらみつけた。ウルフ、と呼ばれた。千代の富士(現九重親方)は目で倒した。目で、ファンの心をつかんだ。連日ギャルが部屋へ押し掛け、フィーバーを起こした。1981年(昭56)初優勝時の体重116キロは、幕内で2番目の軽さだったが、全身を筋肉と闘志で固めた千代の富士が、次々に巨漢力士を倒すシーンは、日本人の心を熱くした。前人未到の通算1045勝。国民栄誉賞を受けた猛攻の半生を、4回連載します。

 憎らしいほど、北の湖は強かった。それを倒すやつが現れた。

 証言 陣幕親方(53=当時の九重親方、元横綱北の富士) 「小さいものが大きいものを倒すのが相撲のだいご味、スカッとさせた。日露戦争で日本がロシアに勝って大喜びしたように、日本人は判官びいき。千代の富士はそれを土俵で実践したんだ」。

 1981年(昭56)初場所千秋楽。千代の富士は14勝1敗同士で、横綱北の湖に挑んだ。相手は優勝20回、体重も50キロ上の166キロ、対戦成績は1勝8敗だった。しかし時代の入れ替わりのドラマはこの時起きた。優勝決定戦で千代の富士が右上手を引き、頭も付けて上手出し投げを放つと、北の湖はヒザから崩れた。前に出るようにしての強い投げだった。

 証言 北の湖親方 「まわしを引き付けられて、体が浮いた。後はたたきつけられるように右ヒザから落ちたと思う。完敗だった」。

 瞬間視聴率65・3%。それまで最高の貴ノ花-北の湖戦(75年秋場所千秋楽)の45・7%を上回った。江戸川区春江町の部屋前では3万人が優勝パレードを待った。

 証言 3階の窓から紙吹雪をまいた、当時三段目の元横綱北勝海(32=現八角親方) 「人波で、車は部屋の手前200メートルで動けなくなり、千代の富士関は車から降りて歩いた。足袋は真っ黒、紋付きのヒモは引きちぎられる、着物のそでは破れる。ボロボロになって帰ってきた」。

 大関昇進、フィーバーが始まった。連日30人以上のギャルが部屋に押し掛け「結婚して」「友達になって」のファンレターは一日約20通。小中学生のファンも多かった。

 証言 立呼び出しの飯田寛吉さん(64) 「呼び出している私を、千代の富士関は土俵下からいつもにらんだ。力士ににらまれたのは初めてで、私もにらみ返しましたが、引退後本人から、にらまれて気合が入ったと言われ、うれしかった。にらみ合って、互いに励まし合ったんです」。

 CMの依頼も殺到した。

 証言 CM交渉の窓口となった広告代理店・文化企画西山哲太郎代表取締役(57) 「当時は力士のCMに特別な規制がなく、申し込みの43社から全国的な商品、力士のイメージを崩さない企業をと、厳選しました。けいこもあるし、5社が限度。契約金は一社1500万円でした」。

 故郷の北海道福島町は、当時工事中の青函トンネルの北海道側出口。人口1万1000人(現在は7700人)の町にも、旋風は襲った。

 証言 父秋元松夫氏(70) 「一番多い時は32社、メシも食べずに取材され続けました。オラは漁師なので午後7時半には寝るが、真夜中に起こされたことも。田舎者で、マスコミが怖かった。レースのカーテンをして居留守を使ったこともありました」。

 修学旅行のルートになり、観光客が勝手に玄関の前でバンザイした。バレンタインデーには段ボールに6箱分のチョコが送られてきた。

 証言 西山氏 「前年に長嶋茂雄が巨人の監督を辞任、世界の王も現役を引退した。相撲界を引っ張った貴ノ花も、あの初場所6日目に引退し、国民的ヒーローの座が空いていた。そこに千代の富士が現れた。巡り合わせだった」。

 この年、千代の富士は夏場所13勝2敗(準優勝)名古屋場所14勝1敗(優勝)で一気に横綱まで駆け上がった。【特別取材班】

※記録や表記は当時のもの


元横綱千代の富士死去 部屋の近隣住民も悲しみ「訃報に足震えた」「気さくな方だった」
産経新聞 7月31日(日)21時17分配信

842
無言の帰宅をした元横綱千代の富士の九重親方=東京都墨田区の九重部屋(撮影・荒木孝雄)(写真:産経新聞)

 元横綱千代の富士の九重親方の訃報を受けた31日夜、東京都墨田区の九重部屋前には角界関係者や近隣住民、報道陣らが集まり、昭和の大横綱の人柄や偉大な足跡をしのんだ。

 部屋近くで工務店を営み、地元町内会の会長を務める高林芳和さん(65)は同日夕、部屋のマネジャーから「おやじが亡くなった」と連絡を受けたという。「聞いたときは足が震えた。病状が良くないとは知っていたが…」と絶句。「気さくな親方で、よく『飲みに行こう』と声を掛けてくれた。部屋も地域密着型で、祭りなどで子供にお菓子、大人にはお酒を振る舞ってくれていた。夏休みには子供向けに部屋見学会もしてくれ、稽古(けいこ)体験やちゃんこを食べさせてくれていた。とにかく残念だ」と肩を落とした。

 九重親方の遺体を載せた車は同日午後8時すぎ、部屋に到着。浴衣姿の力士やスーツ姿の部屋関係者らが白い布にくるまれた遺体を丁寧に部屋に運び入れた。地域住民らは手を合わせながらその様子を見守った。

 地元住民でつくり、部屋に米や化粧まわしなどの差し入れをしてきた「九重部屋を囲む会」会長、山口紀代二(きよじ)さん(75)は「親方も女将さんも優しい方で、会えばいつも丁寧にお礼を言ってくれた」。山口さんは両国国技館で昨年行われた親方の還暦土俵入りも見たといい、「引退のきっかけとなった貴花田(後の横綱貴乃花)との相撲が一番思い出深い。北の湖さんや魁傑さんなど、角界の訃報が相次いでおり寂しい」としんみりと話した。


九重親方無言の帰宅、佐ノ山親方や力士ら迎え入れる
日刊スポーツ 7月31日(日)21時2分配信

841
九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 九重親方の遺体は午後8時すぎに、病院から東京・墨田区の九重部屋におかみさんらが同乗する車で戻った。部屋では、部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)や力士らが、師匠の無言の帰宅を迎え入れた。


王会長「一時代を築いた心に残る横綱」九重親方悼む
日刊スポーツ 7月31日(日)21時2分配信

840
野球殿堂入りを果たし祝福に訪れた千代の富士(右)と握手をかわす王貞治氏(写真は1994年11月)

 ソフトバンク王貞治球団会長(76)が九重親方の訃報に接し、追悼の意を表した。

 「九重親方の訃報に接し、大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て、相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします」


北の湖、千代の富士…相次いで旅立った名横綱
デイリースポーツ 7月31日(日)20時44分配信

839
佐ノ山親方(中)らに付き添われて部屋に入る九重親方の遺体=東京都墨田区の九重部屋

 大相撲の第58代横綱千代の富士の九重親方=本名・秋元貢=が、都内の病院で死去したことが31日、分かった。61歳だった。九重親方は昨年6月に早期のすい臓がんの手術を受け、1カ月ほど入院していた。昨年は第55代横綱の北の湖理事長が死去。歴史に大きな足跡を残した大横綱が、相次いで天国に旅立った。

 九重親方は現役時代、「ウルフ」の愛称で親しまれ、120キロ台と小兵ながら豪快な上手投げで巨漢力士を投げ飛ばすなど、絶大な人気を誇った。1981年名古屋場所の千秋楽で横綱北の湖を破って2度目の優勝を果たし、第58代横綱に昇進した。91年夏場所限りで現役を引退するまで、史上3位の幕内優勝31回、史上2位の通算1045勝。88年夏場所7日目から同年九州場所14日目まで、昭和以降では歴代3位となる53連勝の記録も残した。

 昨年11月20日、直腸がんによる多臓器不全のため62歳で死去した北の湖理事長は、優勝24回を誇った。74年7月に史上最年少の21歳2カ月で第55代横綱に昇進し、85年初初場所で引退するまで、幕内24回優勝を果たした。横綱在位63場所は史上1位。横綱として挙げた670勝は、今年の春場所で白鵬に抜かれるまで、史上最多だった。

 土俵に生きた2人の名横綱。ともに60代前半の、あまりに早すぎる死だった。


元千代の富士の九重親方が死去 61歳
オリコン 7月31日(日)20時31分配信

838
元横綱千代の富士の九重親方 (C)ORICON NewS inc.

 元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が亡くなったことが31日、わかった。61歳だった。昨年9月に膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

 北海道出身。1970年秋場所で初土俵を踏み、74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。史上3位の優勝31度を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築き、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。国民栄誉賞など数々の栄光を手にし、現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。


元横綱・千代の富士死去…「ウルフ」優勝31回
読売新聞 7月31日(日)20時13分配信

837
赤い綱を締めて還暦祝いの横綱土俵入りを披露する九重親方(両国国技館で、2015年5月31日撮影)

 大相撲で歴代3位の31度の幕内優勝を誇り、「小さな大横綱」と呼ばれた第58代横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢(みつぐ))が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。

 告別式は7日正午、東京都墨田区石原4の22の4九重部屋。喪主は、妻の久美子さん。

 九重親方は昨年9月、がんを患っていることを公表。治療を続ける一方、九重部屋での弟子の指導や、相撲協会での監察委員の業務をこなしていた。7月の名古屋場所にも姿を見せていたが、途中から体調を崩して休場し、帰京していた。

 北海道福島町生まれ。1970年秋場所で初土俵を踏み、75年秋場所で新入幕を果たした。110キロそこそこと軽量ながら、速攻相撲と抜群の運動神経で頭角を現し、関脇時代の81年初場所、北の湖との優勝決定戦を制して初優勝を遂げ、場所後に大関昇進を果たした。

 精悍(せいかん)な顔立ちから、「ウルフ」のニックネームで呼ばれ、大相撲は空前の「ウルフフィーバー」に沸いた。


元横綱千代の富士死去 “ウルフ”の愛称で国民的な人気、時代を彩った角界のスター
産経新聞 7月31日(日)20時1分配信

833
2015年5月31日、会見で笑顔を見せる九重親方=両国国技館(撮影・山田俊介)(写真:産経新聞)

 “ウルフ”の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士の九重親方が死去。昭和後半から平成の初めにかけて国技を支え、時代を彩った角界のスターが逝った。

 昭和45年に入門した頃は体重70キロほど。当時の新弟子検査の体格基準を何とか満たした程度だ。関取になっても130キロに満たない細身の体。しかも肩に脱臼癖があった。

 不安を解消するために重ねたのが相撲の稽古に加え、徹底的な筋力トレーニングだ。「弱い箇所があれば、周りを強くして補強すればいいんだ」と鉄アレイを持ち上げ、てっぽう柱には左右の肩を代わる代わる何度もぶつけた。1日2千回腕立て伏せをしたこともあったという。

 黒い締め込みがよく映えるトレードマークの筋骨隆々の体は努力のたまものだった。だから、現役力士に送る視線は常に厳しく、取組の分析を尋ねると「稽古が足りないだけだ」と一言で片付けられることがたびたびあった。

 土俵の勝利を強い気持ちで求められた背景には家族の存在があった。「子供ができたときにはミルク代を稼がなきゃと思ったものだよ」と語っていた。いまではおなじみの光景となっているが、優勝力士が支度部屋で賜杯を抱き、夫人や子供と記念撮影するようになったのは、千代の富士からとされている。

 まだ生後間もない三女が突然死した直後の平成元年名古屋場所。左肩のケガで休場明け。肉体、精神の両面で危機に立たされていたが、数珠を胸に場所入りし、千秋楽は北勝海との史上初の同部屋の横綱同士による優勝決定戦に持ち込む。神がかり的に勝負を制し、まな娘の供養をした。

 平成3年夏場所初日。初対戦だった新鋭の貴花田(のちの横綱貴乃花)に敗れた。新たな世代の波にのまれるように、2日後に引退表明。あと一度賜杯を抱けば、当時最多優勝記録だった大鵬の32回に肩を並べていたが、のちに「その1回がほど遠いんだ」と語っていた。

 横綱に昇進したばかりの頃、師匠の九重親方(元横綱北の富士)から「辞めるときは、すぱっと辞めようぜ」と説かれた最高位に立つ者としての引き際の美学を忠実に守った。

 引退後は九重部屋を継承し、師匠の立場となった。還暦を超えてもなおオーラがあった。上がり座敷にただ座っているだけで、稽古場の雰囲気は張り詰める。弟子を怒鳴りつけることもあったが、ただ厳しいだけではなかった。

 本場所中。関取衆とは積極的にメールでやりとりしていた。絵文字を入れて「良い相撲だったね」と送信することも。殊勲の星を挙げた力士には師匠自ら賞金を出したり、関取全員が勝った日には食事に連れて行ったり。

 千代大海を大関へ育て、現役では千代大龍や千代鳳、千代丸ら、たたき上げから大卒力士までタイプの異なる多くの関取を育て挙げた。飴と鞭を使い分けた指導法には定評があった。

 平成26年の理事候補選で落選した後は、表舞台に出ることは少なかったが、その存在感は最後まで色あせることがなかった。(藤原翔)


元千代の富士の九重親方死去 昨年11月には北の湖前理事長も62歳で…
デイリースポーツ 7月31日(日)19時58分配信

836
佐ノ山親方(中)らに付き添われて部屋に入る九重親方の遺体=東京都墨田区の九重部屋

 「ウルフ」の愛称で圧倒的な人気を誇り、国民栄誉賞を受賞した元千代の富士の九重親方が亡くなったことが31日、分かった。61歳。昨年6月に膵臓(すいぞう)がんが見つかり、摘出手術を受けていた。

 最近は抗がん剤治療を行わず、放射線治療に取り組んでいると報じられたばかりだった。

 千代の富士時代の1981年初場所で横綱・北の湖を優勝決定戦で破り、初優勝を果たした。89年には国民栄誉賞に輝いた。「ウルフフィーバー」を巻き起こし、91年に引退するまでに31回の優勝を誇った。

 昨年11月には日本相撲協会の北の湖前理事長が直腸がんによる多臓器不全で62歳で亡くなったばかり。「昭和の大横綱」がまた、旅立った。


元千代の富士の九重親方が死去
デイリースポーツ 7月31日(日)19時57分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方=本名・秋元貢=が、都内の病院で死去したことが31日、分かった。61歳。北海道出身。

 九重親方は昨年6月に早期のすい臓がんの手術を受け、1カ月ほど入院していた。同年9月に手術を公表した際には「大丈夫だよ。健康体だ」と張りのある声で話していた。

 その後も治療を続けていたが、今年6月には、菩提寺である東京・望湖山玉林寺で熊本地震の募金活動を行い、ちゃんこを振る舞うなど、元気な様子を見せていた。

 また、今年7月に入って、抗がん剤治療を行わず、放射線治療に取り組んでいることが一部で報じられていた。

 九重親方は現役時代に「ウルフ」の愛称で親しまれ、120キロ台と小兵ながら豪快な上手投げで巨漢力士を投げ飛ばすなど、絶大な人気を誇った。史上3位となる31回の優勝を記録し、1989年には角界で初めてとなる国民栄誉賞を受賞した。


個性伸ばしたカリスマ=九重親方「俺が手本だ」
時事通信 7月31日(日)19時56分配信

 横綱千代の富士として数々の金字塔を打ち立てた九重親方は、師匠としても輝かしい実績を残した。大関千代大海(現佐ノ山親方)を筆頭に、千代大龍、千代鳳ら計13人の関取を育成。「大横綱」と並び称された大鵬、北の湖を上回る手腕を発揮した。

 荒れた少年時代を過ごしていた佐ノ山親方は、金髪にそり込みという風貌で入門を申し込んだ。そんな姿を見た九重親方は「その頭を何とかしてこい」と一喝。心を入れ替えて弟子入りし、稽古に励み番付を上げながら心酔していった。「横綱を極めた人。誰が見ても、カリスマ性がある。言っていることは間違いがないから、みんながついてくる」
 柔道、空手で鳴らし、格闘技のセンスにあふれていた千代大海には、激しい突き押しを仕込んだ。千代大龍は立ち合いの当たりで相手をはじき、攻め込むのが持ち味。だから稽古場でまわしを引くと、厳しく叱った。千代大龍は「個々が力が発揮できるよう、自分のいい形を徹底させる。四股などの基本についてもうるさく注意された」という。

 九重親方は、「ウルフ」の愛称で絶大な人気を誇り、相撲界では初めて国民栄誉賞を受賞。その指導を佐ノ山親方はこう振り返った。「俺が見本だ、強くなったらこうなるぞと言って、弟子の意欲をかき立たせた。自分で考えさせ、時にはかみ砕いて話し、理解させてくれた」
 暴れん坊だった自分自身を、名大関と呼ばれる力士に育ててくれた感謝を忘れたことはない。技だけでなく、心を鍛えるのが師匠の根本方針だった。


土俵入りも「革新的」=九重親方死去
時事通信 7月31日(日)19時53分配信

 故九重親方の現役時代は、横綱土俵入りも「革新的」だった。色白のあんこ型力士が真っすぐにゆったりとせり上がるのが、伝統的な土俵入りのイメージ。前傾姿勢が激しい千代の富士のせり上がりは当初、好角家に不評だったが、やがて相撲っぷりにマッチした、独特のスタイルになっていった。

 四股で足があれほどきれいに上がる横綱土俵入りも、これから先、見られないだろう。

 2015年5月の還暦土俵入りには、ジムで鍛えた体で登場。綱に垂らす紙垂(しで)も綱と同じ赤にして、個性とこだわりを見せた。


急逝の九重親方、膵臓がん手術からの生還を笑顔で話していたが…
スポーツ報知 7月31日(日)19時49分配信

835
最後の横綱土俵入りで、雲竜型を披露する横綱・千代の富士(1991年5月14日撮影)

 史上3位の優勝31回を誇り、国民栄誉賞も受賞した元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が亡くなったことが31日、分かった。61歳だった。

 九重親方は昨年7月の名古屋場所を、内臓疾患を理由に全休。体調面が心配される中、同年9月13日に東京・両国国技館で無気力相撲の有無をチェックする監察委員としての職務に復帰し、膵臓(すいぞう)がんを患っていることを公表した。同年7月下旬まで1か月間ほど入院し、手術を受けたことも明かした。

 膵臓は「沈黙の臓器」と呼ばれ、病に侵されても症状に出づらいと言われる。当時の親方の説明によると早期発見だったようで「大丈夫だよ。健康体だ」と張りのある声で説明。体重は入院前より約13キロ減ったが「おかげさまで仕事もできるようになりました」と笑顔で話していたが、それから1年を待たずに、悲報となった。

 ◇膵臓がん 自覚症状がほとんどなく、初期での発見が困難なのが特徴。有効な治療法は腫瘍部の切除だが、膵臓の周囲には血管やリンパ節が多く存在するため全身への転移も早い。


元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳
東スポWeb 7月31日(日)19時48分配信

834
九重親方

 大相撲の第58代横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、わかった。61歳だった。昨年、膵臓がんの手術を受けていた。

 1955年、北海道松前郡福島町に生まれた九重親方は、70年秋場所で初土俵。75年秋場所で新入幕を果たし、81年秋場所から横綱昇進。通算1045勝、優勝回数31回を誇り、89年には国民栄誉賞を授与された。

 91年夏場所限りで引退し、年寄陣幕を襲名。92年4月に九重を襲名し九重部屋の師匠となった。

 昨年5月末ごろに体調を崩し、7月の夏場所を休場。膵臓がんの手術を受けていたことを9月に明らかにした。


元横綱千代の富士の九重親方が死去、61歳 史上3位の優勝31度 
産経新聞 7月31日(日)19時44分配信

833
2015年5月31日、会見で笑顔を見せる九重親方=両国国技館(撮影・山田俊介)(写真:産経新聞)

 大相撲の第58代横綱千代の富士として史上3位の優勝31度を誇った九重親方=本名・秋元貢=が31日、死去した。61歳。北海道出身。

 昭和45年秋場所で初土俵を踏み、49年九州場所で十両へ昇進し、50年秋場所で新入幕を果たした。56年初場所には関脇の地位で初優勝し、大関昇進。同年名古屋場所後に横綱の地位に就いた。

 軽量ながら鍛え上げられた肉体で、右前まわしを引きつけての速攻や豪快な上手投げを得意とした。精悍な風貌から「ウルフ」の愛称で親しまれ、角界初の国民栄誉賞を受賞した。

 平成3年夏場所限りで引退。横綱在位は北の湖に次ぎ史上2位の59場所だった。通算勝ち星1045勝は歴代2位。

 4年に九重部屋を継承し、大関千代大海や小結千代鳳ら多くの関取を育てた。20年初場所後に日本相撲協会の理事となり、協会ナンバー2の事業部長に就きながらも26年の理事候補選では落選した。

 27年5月には60歳を前に歴代横綱10人目の還暦土俵入りを披露したが、同年9月に早期の膵臓がんで手術を受けていたことを公表。今年1月の理事候補選は、支持票の不足から土壇場で出馬を断念した。


笑顔の九重親方
時事通信 7月31日(日)19時44分配信

832
還暦の土俵入りを終え、記者会見で笑顔を見せる九重親方(元横綱千代の富士)=2015年5月31日、東京・両国国技館


千代の富士に国民栄誉賞
時事通信 7月31日(日)19時44分配信

831
海部俊樹首相(右)から国民栄誉賞を贈られた横綱千代の富士(中央)。左は久美子夫人=1989年9月29日、首相官邸


九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士―61歳・大相撲
時事通信 7月31日(日)19時41分配信

 大相撲で31度の優勝を遂げ、「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、がんの手術を受けたことを明らかにしていた。葬儀は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋で。喪主は妻久美子(くみこ)さん。

 北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。

 新入幕時で100キロそこそこの軽量ながら、中学時代は陸上競技でも活躍した身体能力を生かして出世。しかし、強引な投げに頼る取り口が災いし、肩を脱臼するなど低迷した時期もあった。筋力強化を図りながら、相撲を前まわしを引いて出るスタイルに改めてけがを克服。81年初場所、優勝決定戦で北の湖を破って初優勝を果たし、大関昇進を決めた。

 引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。

 北の湖の引退後、30代に入って絶頂期を迎え、86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で当時2番目の長さとなる53連勝をマークした。九州場所は特に強く、81年から8連覇。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所、初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に金星を与えると、3日目の取組後に現役引退を表明した。

 優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

 親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。


<訃報>元横綱・千代の富士、九重親方が死去 61歳
毎日新聞 7月31日(日)19時40分配信

830
九重親方=2015年5月、小川昌宏撮影

 ◇優勝31回、国民栄誉賞

 大相撲の第58代横綱で歴代3位の優勝31回を果たし、角界初の国民栄誉賞も受賞した「昭和の大横綱」、千代の富士の九重親方(ここのえおやかた、本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日、膵臓(すいぞう)がんのため入院先の東京都内の病院で亡くなった。61歳。通夜は6日午後6時、葬儀は7日正午、東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋。喪主は妻久美子(くみこ)さん。

 北海道福島町出身。15歳で元横綱・千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年9月の秋場所で初土俵を踏んだ。体重の軽い小兵ながら、抜群の運動神経を生かして出世し、74年九州場所で新十両、75年秋場所で新入幕を果たした。

 度重なる左肩の脱臼などけがに悩まされながら、筋力を鍛えてライバルたちに立ち向かい、関脇だった81年初場所で横綱・北の湖を優勝決定戦で破り、初優勝を果たした。翌春場所で大関に、81年名古屋場所後に横綱に昇進した。

 鋭い視線と筋肉で固めた細身の体、土俵上で大きい力士を投げる姿から「ウルフ」という愛称が付けられ、優勝回数を重ねるだけでなく連勝記録も作った。88年九州場所では大鵬の45連勝を抜き14日目まで53連勝、双葉山の69連勝に迫った。だが同場所千秋楽で、大乃国との横綱対決で敗れてストップ。当時としては双葉山に次ぐ昭和以降2位の記録になった。また大乃国との一番は、翌89年1月の昭和天皇ご逝去により「昭和最後の一番」になった。

 89年には角界初の国民栄誉賞を受賞した。90年九州場所では31回目の優勝を果たすなど、人気、実力とも高い横綱として君臨した。

 しかし、91年夏場所初日に、後に横綱になった貴乃花(当時は貴花田)に敗れたことをきっかけに、3日目の貴闘力戦で敗れた夜、記者会見を行い、「体力の限界。気力もなくなり引退することになりました」と現役引退を表明。通算勝利数1045勝、幕内勝利数807勝は引退当時1位、幕内優勝31回は大鵬に次ぐ当時2位の記録だった。

 引退後は年寄「陣幕」として後進の指導に当たり、92年には年寄「九重」を襲名して部屋を継承し、元大関・千代大海(現佐ノ山親方)をはじめ、多くの力士を育てた。協会内では理事として広報部長、審判部長、巡業部長や事実上のナンバー2とされる事業部長を歴任したが、2014年の理事選では落選し、16年は立候補しなかった。

 15年5月31日には還暦土俵入りを行い、露払いに日馬富士、太刀持ちに白鵬の、現役の両横綱を従えた。約1カ月半後の7月の名古屋場所では内臓疾患を理由に全休。復帰した翌秋場所では、自ら膵臓がんだったことを公表し、職務に復帰。土俵上の無気力相撲などを監視する監察委員を務めていた。【村社拓信】


元千代の富士、九重親方死去 次女のモデル秋元梢は直前に誕生日ツイート
デイリースポーツ 7月31日(日)19時38分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなったことが31日、分かった。61歳。昨年6月に早期の膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、同7月下旬まで入院していた。同9月の秋場所に復帰した時には、やせた姿に心配する声も上がっていた。

 今月に入り、抗がん剤治療を行わず、放射線治療に取り組んでいることが一部で報じられていた。

 次女でモデルの秋元梢(29)は今月27日に29歳の誕生日を迎えたばかり。31日昼ごろには、ラジオ番組スタッフが、ケーキで誕生日を祝ってくれたことを嬉しそうにツイッターで報告したばかりだった。

 秋元は今月19日、都内でイベントに登場。すい臓がんで闘病中と報じられていた父について、報道陣から問いかけられたが、無言だった。


初優勝を果たした千代の富士
時事通信 7月31日(日)19時27分配信

828
昭和56年の大相撲初場所で初優勝を果たし、賜杯を手にする関脇千代の富士(中央)=東京・蔵前国技館


千代の富士の土俵入り
時事通信 7月31日(日)19時27分配信

827
横綱千代の富士(右手前)の土俵入り=1983年撮影、東京・蔵前国技館


九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士―61歳
時事通信 7月31日(日)19時26分配信

826
大相撲で31度の優勝を遂げ、「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が死去したことが31日、分かった。61歳だった。

 大相撲で31度の優勝を遂げ、「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が死去したことが31日、分かった。

 61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

 北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。

 新入幕時で100キロそこそこの軽量ながら、中学時代は陸上競技でも活躍した身体能力を生かして出世。しかし、強引な投げに頼る取り口が災いし、肩を脱臼するなど低迷した時期もあった。筋力強化を図りながら、相撲を前まわしを引いて出るスタイルに改めてけがを克服。81年初場所、優勝決定戦で北の湖を破って初優勝を果たし、大関昇進を決めた。

 引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。

 北の湖の引退後、30代に入って絶頂期を迎え、86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。九州場所は特に強く、81年から8連覇。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所、初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に金星を与えると、3日目の取組後に現役引退を表明した。

 優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

 親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。


元千代の富士の九重親方が死去…61歳、膵臓がんで
スポーツ報知 7月31日(日)19時21分配信

825
九重親方

 史上3位の優勝31回を誇る元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が亡くなったことが31日、分かった。61歳だった。昨年7月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。

 現役時代に「ウルフ」の愛称で親しまれた九重親方は、89年に角界初の国民栄誉賞も受賞するなど人気を博した。

 ◆九重 貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年6月1日、北海道・福島町生まれ。70年秋、初土俵。81年秋に横綱昇進。通算1045勝。優勝31回。91年夏場所に引退し、年寄・陣幕襲名。92年に九重部屋を継承した。家族は夫人と1男2女。


元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳 国民栄誉賞も受賞
サンケイスポーツ 7月31日(日)19時19分配信

824
元横綱千代の富士の九重親方=2015年5月31日、両国国技館(撮影・山田俊介)(写真:サンケイスポーツ)

 現役時代に“ウルフ”と呼ばれ、優勝31回を記録した昭和の大横綱・千代の富士(現九重親方)の秋元貢(あきもと・みつぐ)さんが死去していたことが31日、分かった。61歳だった。

 千代の富士は、通算1045勝、国民栄誉賞など数々の栄光を手にし、現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。


元横綱千代の富士の九重親方が死去 61歳 昨年すい臓がん手術
スポニチアネックス 7月31日(日)19時8分配信

823
元横綱千代の富士の九重親方

 「小さな大横綱」と称された元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日、東京都内で死去した。九重部屋関係者が明らかにした。61歳。北海道福島町出身。

 昨年9月、早期の膵臓(すいぞう)がん手術を受けていたことを明かしていた。内臓疾患を理由に7月の名古屋場所を休場。6月中旬から下旬にかけての時期に手術を受けたとみられ、約1カ月の入院治療の後、7月下旬に退院したという。

 史上3位の優勝31度を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた。初土俵は1970年秋場所。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。精悍な顔つきと筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で呼ばれ「ウルフフィーバー」を巻き起こした。

 通算1045勝、昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残した。89年には角界初の国民栄誉賞に輝いた。

 91年夏場所限りで現役を引退した後、92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育て、2008年に初めて日本相撲協会理事となり、以降は事業部長や審判部長などを務めた。


元横綱千代の富士の九重親方が死去 がん転移で闘病
日刊スポーツ 7月31日(日)18時45分配信

822
九重親方(第58代横綱・千代の富士)(写真は2014年9月1日)

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 同親方は2015年名古屋場所を全休し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた。その後は職務に復帰していたが、最近はがんの転移が見つかったとされ、闘病を続けていた。

 九重親方の略歴は以下の通り。

 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝。優勝31回。三賞7度。金星3個。89年には国民栄誉賞に輝いた。91年夏場所限りで引退後、年寄陣幕襲名。92年4月に九重を襲名し部屋の師匠に。08年2月に理事初当選。広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、12年2月から事業部長。15年名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。家族は夫人と1男2女。現役時代は183センチ、127キロ。

2015年10月 3日 (土)

天皇皇后両陛下、「太陽の家」創立50周年記念式典出席のため大分県ご訪問 

天皇皇后両陛下は3日、社会福祉法人「太陽の家」創立50周年記念式典出席のため、羽田空港発の特別機で大分県入りされた。
 
両陛下は同日午後、大分市の県立美術館を視察。4日に別府市で式典に出席した後、来年のリオデジャネイロ・パラリンピックを目指す選手たちの練習風景を見学して帰京する。

※以上、時事通信の報道より。 

リンク:<天皇、皇后両陛下>大分の社会福祉法人を訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:天皇陛下が卓球…パラリンピック目指す選手と - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、太陽の家創立50周年記念式典にご臨席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:選手と話をされる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、障害者スポーツ選手と懇談=記念式典出席、予定外の卓球も―大分 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、太陽の家50周年式典へ - 速報:@niftyニュース.
リンク:作品を鑑賞される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下が大分県入り、県立美術館で絵画を鑑賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<両陛下>大分県立美術館を訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、大分県を訪問 - 速報:@niftyニュース.
リンク:両陛下、大分県立美術館を訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<両陛下>「太陽の家」式典で大分入り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、大分県入り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、大分県へご出発 「太陽の家」創立式典ご臨席へ - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<天皇、皇后両陛下>大分の社会福祉法人を訪問
毎日新聞 10月4日(日)20時13分配信

568
「太陽の家」で2020年東京パラリンピック出場を目指すボッチャの木谷隆行選手と懇談される天皇、皇后両陛下=大分県別府市で2015年10月4日、野田武撮影

 大分県を訪問していた天皇、皇后両陛下は4日、障害者の自立を支援している同県別府市の社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典に出席された。施設内のトレーニングルームでは、パラリンピック出場を目指す選手らを激励し、天皇陛下は卓球選手とプレーした。両陛下は同日夕、特別機で帰京した。

 太陽の家は1965年、障害者に働く機会を提供し、自立を支援するために設立された。創設者の中村裕氏(84年死去)は、64年の東京パラリンピック開催に尽力した医師で、日本の障害者スポーツの発展に貢献した。皇太子時代に同大会名誉総裁を務めた天皇陛下や、皇太子妃だった皇后さまと親交があったという。

 両陛下は式典で、太陽の家の活動を振り返るスピーチを聞いた後、パラリンピック出場を目指す卓球やパワーリフティングなどの選手らと面談した。天皇陛下は、式典のスピーチで2020年東京パラリンピックで金メダルを目指すと話した卓球の宿野部(しゅくのべ)拓海選手(23)に「ちょっとやりましょうか」と声をかけてラリーを楽しんだ。【高島博之】


天皇陛下が卓球…パラリンピック目指す選手と
読売新聞 10月4日(日)19時17分配信

 天皇、皇后両陛下は4日、障害者の就労支援などをする社会福祉法人「太陽の家」(大分県別府市)を訪れ、同家で開かれた創立50周年記念式典に出席された。

 「日本の障害者スポーツの父」と呼ばれた中村裕(ゆたか)さん(1984年に57歳で死去)が創設者で、両陛下は以前から親交があり、過去に訪問されている。この日は、式典後、パラリンピック出場を目指す施設職員らのトレーニングを視察。天皇陛下は、卓球の宿野部拓海(しゅくのべたくみ)選手(23)に「ちょっとやりましょうか」と持ちかけ、ラリーをされる場面もあった。

 両陛下は同日夜、特別機で帰京された。


両陛下、太陽の家創立50周年記念式典にご臨席
産経新聞 10月4日(日)18時35分配信

 大分県を訪問していた天皇、皇后両陛下は4日、別府市の社会福祉法人「太陽の家」を訪れ、創立50周年の記念式典に臨席するなどして帰京された。

 太陽の家は、昭和39年の東京パラリンピック開催に尽力した整形外科医の中村裕氏が翌40年に創設。障害者に就労の場を提供するとともに、スポーツを通じた自立支援を行ってきた。

 両陛下は皇太子同妃時代から中村氏の活動に理解を示し、天皇陛下が東京パラリンピックの名誉総裁を務め、お二人で開会式に臨まれた。陛下の意向で40年から始まった全国身体障害者スポーツ大会にも即位するまでほぼ毎年足を運ぶなど心を寄せ続けられている。

 この日は式典に続き、来年のリオデジャネイロパラリンピックを目指す選手らをご激励。卓球の宿野部拓海(しゅくのべたくみ)選手(23)には、陛下が「ちょっとやりましょうか」と声をかけて練習相手となり、真剣な表情でラリーを繰り返された。皇后さまが台から落ちた球を拾われる場面もあった。

 中村氏の妻、広子さん(76)や息子で太陽の家理事長の太郎氏(55)とも懇談し、「よく頑張ってこられましたね」などとねぎらわれたという。


選手と話をされる両陛下
時事通信 10月4日(日)15時36分配信

567
太陽の家のスポーツ施設で、パラリンピックを目指しトレーニングする選手と話をされる天皇、皇后両陛下=4日午前、大分県別府市


両陛下、障害者スポーツ選手と懇談=記念式典出席、予定外の卓球も―大分
時事通信 10月4日(日)15時31分配信

 大分県を訪問中の天皇、皇后両陛下は4日、障害者スポーツの普及に尽力した別府市の社会福祉法人「太陽の家」創立50周年記念式典に出席し、パラリンピックを目指す選手らと親しく言葉を交わされた。
 
 両陛下は式典後、パワーリフティングなどの競技を選手が実演するのを見学。歩行を助けるロボットスーツを着けた選手に、天皇陛下は「これがあるとかなり楽ですか」と尋ねた。卓球の際には陛下が「ちょっとやりましょうか」と声を掛けて自らラケットを持ち、選手とラリーを続ける予定外の場面もあった。
 太陽の家は1964年の東京パラリンピックで日本選手団長を務めた医師の故中村裕氏が65年に設立した。両陛下も障害者スポーツに長く心を寄せており、太陽の家と関連施設をこれまでに4回訪れている。同日夕、羽田空港着の特別機で帰京した。 


両陛下、太陽の家50周年式典へ
2015年10月4日(日)11時25分配信 共同通信

566
 「太陽の家」の創立50周年記念式典に出席された天皇、皇后両陛下=4日午前、大分県別府市

 天皇、皇后両陛下は4日、大分県別府市を訪れ、日本の障害者スポーツとゆかりが深い社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典に出席された。その後に施設内を見学した際には、天皇陛下が、パラリンピック出場を目指す卓球選手の練習に飛び入り参加する珍しい一幕もあった。

 陛下は皇太子時代、1964年の東京パラリンピックで名誉総裁を務めた。これを機に、その後も皇后さまとともに長年、障害者の支援に思いを寄せ続けてきた。式典には太陽の家や行政、企業の関係者ら約300人が出席し、50年の歩みを振り返った。


作品を鑑賞される両陛下
時事通信 10月3日(土)20時24分配信

565
大分県立美術館で展示作品を鑑賞される天皇、皇后両陛下=3日午後、大分市(代表撮影)


両陛下が大分県入り、県立美術館で絵画を鑑賞
読売新聞 10月3日(土)19時48分配信

564
集まった人たちに手を振りながら大分空港を車で出発される天皇、皇后両陛下

 天皇、皇后両陛下は3日、大分県入りし、大分市の県立美術館を訪問された。

 同館では、いずれも大分市出身で文化勲章受章者の画家高山辰雄、福田平八郎の日本画などを展示。墨絵を思わせるような特殊な画法で描かれた高山の作品に、天皇陛下は「これは日本の景色を描いたのですか」と案内役に尋ねられ、皇后さまは「墨のとは違いますね」と興味深そうに見られていた。


<両陛下>大分県立美術館を訪問
毎日新聞 10月3日(土)18時36分配信

 天皇、皇后両陛下は3日、今年4月に開館した大分市の大分県立美術館を訪問された。

 両陛下は、いずれも同県出身の画家、高山辰雄と福田平八郎の作品を館長から説明を受けながら鑑賞し、作品の主題や顔料などについて質問していた。

 両陛下は4日、同県別府市の社会福祉法人「太陽の家」創立50周年記念式典に出席し、夕方に特別機で帰京する。【高島博之】


両陛下、大分県を訪問
2015年10月3日(土)17時14分配信 共同通信

563
 大分県立美術館に到着し、集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下=3日午後、大分市(代表撮影)

 天皇、皇后両陛下は3日、日本の障害者スポーツに深いゆかりがある社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典への出席などのため、羽田発の特別機で大分県を訪問された。

 太陽の家は、1964年の東京パラリンピック開催に尽力し、日本選手団長も務めた医師の故中村裕さんが創設。天皇陛下は皇太子時代に、東京パラリンピックの名誉総裁を務めたほか、その後も皇后さまとともに障害者スポーツに思いを寄せてきた。

 訪問は1泊2日の日程。3日午後は、今年4月にオープンした県立美術館で、同県出身の日本画家、高山辰雄や福田平八郎の作品を見て回った。


両陛下、大分県立美術館を訪問
時事通信 10月3日(土)17時8分配信

 社会福祉法人「太陽の家」創立50周年記念式典出席のため大分県入りした天皇、皇后両陛下は3日午後、大分市の県立美術館を訪れ、絵画を鑑賞された。
 
 美術館は今年4月に開館し、地元の芸術家による作品が多数展示されている。大分市出身の日本画家、高山辰雄が「岩絵の具」という顔料で描いた作品を見た皇后さまは「墨の色ともちょっと違いますね」と感想を述べていた。 


<両陛下>「太陽の家」式典で大分入り
毎日新聞 10月3日(土)13時2分配信

 天皇、皇后両陛下は3日、大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典などに出席するため、特別機で大分空港(同県国東市)に到着された。

 両陛下は4日、障害者の自立を支援する「太陽の家」で式典に出席するほか、同施設で2020年東京パラリンピックの出場を目指してトレーニングをしている選手と面談する予定。【高島博之】


両陛下、大分県入り
時事通信 10月3日(土)12時48分配信

 天皇、皇后両陛下は3日、社会福祉法人「太陽の家」創立50周年記念式典出席のため、羽田空港発の特別機で大分県入りされた。
 
 両陛下は同日午後、大分市の県立美術館を視察。4日に別府市で式典に出席した後、来年のリオデジャネイロ・パラリンピックを目指す選手たちの練習風景を見学して帰京する。 


両陛下、大分県へご出発 「太陽の家」創立式典ご臨席へ
産経新聞 10月3日(土)11時11分配信

 天皇、皇后両陛下は3日、障害者スポーツの普及・発展を支えてきた社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典への臨席などのため羽田空港発の特別機で大分県に向かわれた。

 太陽の家は昭和39年の東京パラリンピックの開催に尽力し、日本選手団長を務めた医師の中村裕さんが創設。現在も車いすマラソンの支援などを続けている。

 天皇陛下は皇太子時代に東京パラリンピックの名誉総裁を務め、皇后さまとともに開会式などにご臨席。両陛下はその後も障害者スポーツの普及に心を寄せられてきた。

 今回は4日に開かれる記念式典に臨席した後、来年のリオデジャネイロパラリンピック出場を目指す選手たちを激励される。

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31