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2017年4月15日 (土)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2223

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:南阿蘇村 遺族ら出席 追悼式典 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:水流寸断、水田壊滅も…避難所から通い育てたカライモ再生の実り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震本震1年>東海大の犠牲者の後輩ら、冥福祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震>九州道、完全復旧へ 28日までに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震>「経験を全国に」復興祈念シンポ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阿蘇大橋、20年度開通=熊本地震で崩落―国交省 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震「本震」から1年、南阿蘇村で追悼行事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震本震1年>復興への思い新たに 南阿蘇村で追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>花好きの亡き妻に「自宅跡に桜を」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:手合わせ、犠牲者しのぶ=「希望つなぐ」思い込め―熊本地震本震1年・南阿蘇 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:死者の4人に1人は避難後の帰宅で犠牲 熊本地震から1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」遺骨、今も手元に 熊本地震、本震きょう1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:益城町の潮井神社、地震で落差70センチの断層出現 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震度7が2度の益城町住民「活断層との共存」に複雑 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仮設入居、7割近くが「延長希望」…熊本被災者 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本城 何十年かかっても石垣再生へ、“現代の清正”石工養成から - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>東海大キャンパスで3学生追悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>益城町と西原村で追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震から1年 被災地で追悼式典 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:学生「決して風化させない」=3人犠牲の東海大追悼集会―熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:一周忌、家族で現場に=「ゆっくり休んで」―崩落阿蘇大橋で犠牲の大学生 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:17年度までの燃料搬出困難=ふげん、新たな工程検討―原子力機構 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本激震…最前線ドキュメント 首相指示「青空避難を解消せよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コナン、ドラえもん…漫画家らが復興支援 南阿蘇鉄道で激励ラッピング 熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本で追悼式、遺族「前へと歩くことこそ供養」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>「前に」 益城町と西原村で追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:漫画キャラが復興後押し、熊本にラッピング列車 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<南阿蘇鉄道>ドラえもんやコナンが復興願い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被害甚大の益城町で追悼式=遺族「生き抜くことが供養に」―熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>LINEとFB 災害時の機能追加 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:南阿蘇村から大学生が消えた…でも下宿はたたまない - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 転院先で次女関連死、癒えぬ悲しみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「何で向こうだけ」被災地の明暗、映し出す夜の街 支援と特需 熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本県産木材の活用進む=被災庁舎や住宅再建―復興需要をチャンスに・地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

南阿蘇村 遺族ら出席 追悼式典
ホウドウキョク 4/17(月) 8:31配信

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(写真:ホウドウキョク)

熊本地震から1年を迎えた16日、南阿蘇村では、犠牲者を悼む式典が行われた。
大規模な土砂崩れで阿蘇大橋が崩落するなど、甚大な被害を受けた南阿蘇村で行われた式典には、遺族や村の関係者など、およそ300人が参列した。
南阿蘇村での犠牲者は、直接死、関連死あわせて27人。
泊まっていた宿泊施設が土砂崩れで流され息子夫婦を亡くした鳥居政次さんは「あんたの思いは、お父さんが連れて帰るから心配するなと」と話した。
式典では、参列者全員が献花し、犠牲者に祈りをささげていた。

テレビ熊本/FNN


水流寸断、水田壊滅も…避難所から通い育てたカライモ再生の実り
スポニチアネックス 4/17(月) 7:01配信

 ◇熊本地震“連震”から1年 一歩一歩

 最大震度7を2度観測した熊本地震は16日、「本震」から1年を迎えた。阿蘇大橋が崩落した熊本県南阿蘇村などでは、犠牲者を追悼する式典が行われた。震源となった布田川・日奈久(ふたがわ・ひなぐ)断層帯の上にある西原村布田の農地は、水流が寸断され深い傷を負った。だが、地震直後に植えたカライモ(サツマイモ)の出荷がピークを迎えるなど、前へ歩きだしている農家もいる。

 布田の農家は、カライモなど水を引かなくてもできる作物を畑で作っている。だが辺りの水田は壊滅状態だ。緑に見えた西原の景色は、近寄って見ると牧草やレンゲソウが多かった。レンゲソウは主に休耕田の肥料として植えられる。「雑草が生えた田んぼも多い。手入れせんと、すぐ荒れ果ててしまう。コメはできんでも、土を混ぜたりで骨が折れる」と顔をしかめた。

 丹波家は畑15反(約1万4900平方メートル)でカライモを、水田6反でコメを作っている。地震直後は、西原中学校に避難。そこからかなり距離があり、数カ所に散らばっていた畑に通った。「家の片付けもしてないのに、何で農作業せなあかんのかと。避難所に泥だらけで帰るのも恥ずかしかった。でも父が“イモを植えなあかん”と。バカじゃないかと腹が立った」と当時を振り返る。

 ただ、今は父に感謝している。「去年、頑張ってイモを植えたから、今こうして生活できる。やっぱり土地のあるもんは強い」と、1年の苦労が詰まったカライモを大切に手に取った。今年は水田の幾つかをカライモの畑にするという。「息子も農業を継いでくれてるし、家も再建せにゃいかん」。丹波家は布田を離れず、これからも土とともに生きていく。


<熊本地震本震1年>東海大の犠牲者の後輩ら、冥福祈る
毎日新聞 4/16(日) 23:58配信

 ◇南阿蘇村 アパート倒壊現場を訪れて

 熊本地震の本震でアパートが倒壊し、東海大の学生3人が亡くなった熊本県南阿蘇村では16日、犠牲者の後輩や同級生らが既に更地となった倒壊現場を訪れ、冥福を祈った。

 同大農学部2年の梅崎世成(せな)さん(20)はアパート跡地を訪れ、学部の1年先輩で犠牲となった大野睦(りく)さん(当時20歳)をしのんだ。

 梅崎さんも同じアパートで、本震2日前の前震で外に避難していた際に、大野さんが入学したばかりの梅崎さんらを落ち着かせようと大学生活などを語ってくれたのを覚えている。本震で生き埋めになり、梅崎さんは約6時間後に助け出されたが、大野さんは命を落とした。

 梅崎さんも建物に長時間押しつぶされ、右脚の膝上から先を失った。3カ月入院し、今は義足での生活を懸命に送る。「この1年で人生が変わったが、乗り越えることができた。これからも見守っていてください」。後輩思いの先輩を思った。

 同大農学部4年生の脇志朋弥(しほみ)さん(当時21歳)が犠牲になったアパート跡では、鹿児島の高校で同級生だった熊本市東区の会社員、永吉龍平さん(22)が手を合わせた。

 現場に供えられたリンゴに手を伸ばし「高校時代、リンゴが大好きで毎日お弁当に入っていたのを思い出す」と在りし日を思った。「優しさで包み込んでくれるような人だった。『忘れないよ。元気でね』と伝えました」【徳野仁子、久保玲、山下俊輔】


<熊本地震>九州道、完全復旧へ 28日までに
毎日新聞 4/16(日) 23:55配信

 ◇益城熊本空港-松橋IC間が復旧見通し明らかに

 西日本高速道路は16日、熊本地震の復旧工事が続く九州道の益城熊本空港(熊本県益城町)-松橋(まつばせ)インターチェンジ(IC、同県宇城市)間の約17キロについて、28日までに4車線に復旧できる見通しを明らかにした。地震による九州道の車線規制がすべて解消される。

 同社によると、同区間は損壊した橋脚や路面などの復旧工事で車線規制されていた。速度も50キロに規制されているが、復旧後は御船-松橋IC間のみ80キロ規制となり、他区間は100キロ規制に戻る。

 昨年のゴールデンウイークでは最長約10キロの渋滞があったが、今年は解消される見通し。同社は「今後は他区間でも耐震補強を進めたい」と話している。【吉川雄策】


<熊本地震>「経験を全国に」復興祈念シンポ
毎日新聞 4/16(日) 23:52配信

 熊本県が主催する熊本地震復興祈念シンポジウムが16日、熊本市中央区のホテルであった。地震直後に蒲島郁夫知事が設置した「くまもと復旧・復興有識者会議」のメンバーが1年を振り返り、「熊本の経験を全国に伝えていく必要がある」などと話し合った。

 有識者会議は、座長の五百旗頭(いおきべ)真・熊本県立大理事長や御厨(みくりや)貴・東大名誉教授(政治学)ら7人で構成。昨年6月に「創造的な復興」を掲げた提言を県に提出し、県はこれを踏まえて24項目の復旧・復興プランをまとめた。

 シンポでは、防災の専門家、河田恵昭(よしあき)・関西大社会安全研究センター長が、熊本地震で実現した、被災地の要請を待たずに支援物資を調達・発送する国の「プッシュ型支援」について「首都直下型地震や南海トラフ地震など、熊本地震を大きく超える被害が出た場合には無理だろう」と指摘。「自治体や市民が何をできるのか、考えなければいけない」と警鐘を鳴らした。

 坂東真理子・昭和女子大理事長は「自治体が助けを求める『求援』も重要だと感じた。そうした経験の蓄積を広く分かち合うことが大事だ」と指摘。谷口将紀(まさき)・東大大学院教授(現代日本政治論)も「市民が得た経験を持ち寄って復興に参画する必要がある」と話した。

 東日本大震災復興構想会議で議長代理を務めた御厨さんは「有識者会議を閉じることなく熊本の経験を観察していきたい」と話し、蒲島知事は「熊本の教訓を分かりやすい形で発信していきたい」と応えた。【笠井光俊、佐野格】


阿蘇大橋、20年度開通=熊本地震で崩落―国交省
時事通信 4/16(日) 21:31配信

 国土交通省は16日、昨年4月の熊本地震で崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)について、新たな橋を2020年度に開通させる方針を発表した。

 崩落現場より約600メートル下流に設置予定。一部通行止めとなっている国道57号の新ルートも20年度の全線開通を目指す。

 また、一部区間が運休中の第三セクターの南阿蘇鉄道(本社・熊本県高森町)の復旧について、設計から工事完了まで最長で5年程度かかるとの見込みを公表した。65億~70億円程度の費用が必要とみている。

 九州自動車道は益城熊本空港インターチェンジ―松橋インターチェンジ間で車線規制が行われているが、今月28日までに地震前の4車線に復旧する見通しだ。


熊本地震「本震」から1年、南阿蘇村で追悼行事
読売新聞 4/16(日) 20:30配信

 熊本地震は16日、「本震」の発生から1年を迎えた。

 2度目の震度7を観測した本震では41人が亡くなった。昨年4月14日の「前震」と合わせた直接死は50人。本震で16人が犠牲になった熊本県南阿蘇村では追悼行事が営まれ、家屋倒壊や土砂崩れが起きた現場でも、冥福(めいふく)を祈る遺族や友人らの姿が見られた。

 本震は、前震から約28時間後の同16日午前1時25分に起きた。同県益城(ましき)町と西原村で震度7を観測。震度6強を記録した南阿蘇村を含む阿蘇地域では土砂災害が相次ぎ、阿蘇大橋が崩落した。

 同村にある東海大阿蘇キャンパスの学生3人が亡くなった三つのアパート跡地では16日、同級生らが花を手向けた。地震の影響による震災関連死を含む27人の犠牲者を追悼した村主催の式典で、吉良清一村長は「早く元の生活に戻れるよう復旧復興に取り組む」と決意を述べた。

 熊本地震では、直接死50人に加え、関連死などで計225人が犠牲になった。「みなし仮設」を含む県内の仮設入居者数は約4万5000人。被災者の生活再建が今後も課題になる。


<熊本地震本震1年>復興への思い新たに 南阿蘇村で追悼式
毎日新聞 4/16(日) 20:16配信

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熊本地震本震で住宅が土砂に流された高野台団地で、友人が犠牲となった場所を見つめる男性=熊本県南阿蘇村で2017年4月16日、津村豊和撮影

 熊本地震の本震から1年を迎えた16日、直接死16人と震災関連死11人の計27人が犠牲となるなど大きな被害が出た熊本県南阿蘇村では、犠牲者の遺族や知人らが追悼の意をささげて復興への思いを新たにした。

 同村河陽の長陽体育館で開かれた村主催の追悼式には計315人が参列し、正午の防災サイレンを合図に参列者全員が黙とう。会場前列に座った遺族16人の中にはハンカチで目頭を押さえる姿も見られた。吉良清一村長は「犠牲者や被災者の思いを心に刻み、ふるさとを再興する」と誓った。

 地震による大規模な土砂崩れで5人が死亡した同村河陽の高野台団地には犠牲者の友人や知人が相次いで訪れた。犠牲になった前田友光さん(当時65歳)の同僚だったという同県阿蘇市の会社員、米原義幸さん(32)は「地震後、職場だったゴルフ場が閉鎖されて仲間たちはばらばらになったけれど、みんな元気です」と伝え、故人がよく飲んでいたという野菜ジュースを現場の祭壇にささげた。

 南阿蘇村の立野地区では現在も357世帯(877人)が地区ぐるみでの避難を強いられている。土砂崩れに巻き込まれて犠牲になった片島信夫さん(当時69歳)と妻利栄子さん(同61歳)の自宅跡地では、地域住民ら約60人が集まって法要が営まれた。信夫さんの妹チヅ子さん(68)は「1年前は訃報を聞いて表現できないくらい落ち込んだ。立ち直らなければいけないとここに来た」と声を詰まらせた。【杉山恵一、山下俊輔、中里顕】


<熊本地震1年>花好きの亡き妻に「自宅跡に桜を」
毎日新聞 4/16(日) 19:00配信

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母を亡くした熊本地震の「本震」から1年となる16日、2月に解体した自宅を訪れ花を手向ける島崎浩さん(右から3人目)と家族=熊本県益城町で2017年4月16日午後3時9分、和田大典撮影

 熊本地震の本震から1年となった16日、被災地各地で犠牲者を悼む遺族らの姿が見られた。

 地震で壊滅的な被害を受けた熊本県益城町。解体された自宅跡地では、島崎敏幸さん(82)と長男の浩さん(57)、親族らが花を手向け、地震で犠牲となった敏幸さんの妻、京子さん(当時79歳)の冥福を祈った。

 京子さんは倒壊した自宅の下敷きになって亡くなった。

 敏幸さんは、「(妻は)花が好きで桜も好きだった。(自宅跡に)桜を植えてあげたい」と思いを語った。

 浩さんは、「まだ信じられない気持ちが強い。今日は父親や兄弟とも一緒だから(自宅跡に)来ることができた。当時を思い出してしまいつらい」と話した。【和田大典、後藤由耶】


手合わせ、犠牲者しのぶ=「希望つなぐ」思い込め―熊本地震本震1年・南阿蘇
時事通信 4/16(日) 17:06配信

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最大震度7を再度記録し、被害を拡大させた熊本地震の本震から16日で1年。関連死を含め27人が犠牲となった熊本県南阿蘇村で追悼式が行われた。写真は黙とうする参列者。

 最大震度7を再度記録し、被害を拡大させた熊本地震の本震から16日で1年。

 関連死を含め27人が犠牲となった熊本県南阿蘇村で追悼式が行われた。参列者らは予期せぬ「2度目の地震」で奪われた家族や友人らをしのび、静かに手を合わせた。

 式には遺族ら315人が参加。約1分間の黙とうの後、献花台に白い花を手向けた。会場の体育館には時折、参列者らのすすり泣く声が小さく響いた。

 同村の「ログ山荘・火の鳥」に宿泊中、土砂崩れに巻き込まれ亡くなった香川県東かがわ市の鳥居敬規さん=当時(42)=の父政次さん(73)は献花の後、天を仰いだ。「思いがこみ上げてきて、献花台にすがりつきたかった」。式中は「お父さんが来たけん、あんたの思いは連れて帰るから心配するな」とつぶやいたという。この1年を振り返り、「寂しく、悔しい。優しく素直な息子だった」と涙を拭った。

 同日は、下宿先のアパートの倒壊により学生3人が犠牲になった東海大阿蘇キャンパス(同村)でも慰霊式があった。学生と同大の職員計約120人が参列し、約30秒間黙とう。献花して犠牲者に追悼をささげた。

 農学部のあった同キャンパスは地震後、校舎の損壊などにより閉鎖。慰霊式は被害が比較的少なかった講義棟の前の広場に献花台を設けて行われた。

 荒木朋洋農学部長は追悼の辞で犠牲者一人ひとりの名前を挙げ、「あなた方の希望をつないでいくのが私たちの使命。一丸となり農学部の復興に取り組む」と語り掛けた。


死者の4人に1人は避難後の帰宅で犠牲 熊本地震から1年
産経新聞 4/16(日) 12:00配信

 発生から1年が経過した熊本地震は、震度7の激しい揺れが2度も襲う異例の大災害だった。死者の4人に1人は前震で避難しながら自宅に戻り、2日後の本震で犠牲になったことが調査で判明。帰宅判断の難しさを浮き彫りにした。(伊藤壽一郎)

 ■古い家屋で被害

 熊本地震は昨年4月14日、熊本県益城町から南西に延びる活断層の日奈久(ひなぐ)断層帯が活動し、マグニチュード(M)6・5の前震が発生。16日には隣接する布田川断層帯でM7・3の本震が起き、いずれも最大震度7を記録した。

 2つの断層帯に沿うように木造家屋の倒壊や土砂崩れなどの被害が発生し、直接的な死者は前震で9人、本震で41人に上った。

 死者の被災状況や行動を静岡大の牛山素行教授(災害情報学)らが調査したところ、全体の7割を超える37人が家屋の倒壊で死亡。うち30人は1970年代以前に建てた古い家屋で被災したことが分かった。

 木造家屋の耐震能力は、関東大震災翌年の24年に設けられた旧耐震基準で「震度5程度で倒壊しない」と定められた。81年に「震度6強以上で倒壊しない」との現行基準に強化されたが、熊本地震で死者が出た家屋の大半は、脆弱(ぜいじゃく)な旧基準だったとみられる。

 牛山教授は「犠牲者を軽減するには、建物の耐震性向上が重要だと再確認された」と指摘する。

 ■難しい帰宅判断

 熊本地震では前震でいったん避難したのに、倒壊を免れた自宅に戻り、本震で犠牲になった人が少なくないとされる。実態はどうだったのか。

 牛山教授らは本震による死者の行動を詳しく分析。その結果、3割に当たる13人が前震時に避難しながら自宅に戻り、死亡していたことが判明した。

 避難しなかった8人のうち4人は、前震時に県外にいて、本震前に自宅に戻っていた。残る20人の行動は不明で、避難後に帰宅して犠牲になった人は、さらに多い可能性があるという。

 ただ、牛山教授は「前震で避難したことで助かった人もいるとみられ、油断して帰宅したことで死者が大きく増えたとまではいえない」と分析する。

 倒壊を免れた家屋への帰宅は判断が難しい。基本的な基準は避難が必要か診断する応急危険度判定で、熊本県は前震翌日に開始したが、20戸を終えた時点で本震に襲われ間に合わなかった。今後は判定が出るまで帰宅しない慎重さが求められそうだ。

 ■現行基準でも倒壊

 国土交通省の調査では、建物被害が最も大きかった益城町中心部の木造家屋は前震で35棟、本震後に297棟が倒壊した。前震に耐えた家屋が、なぜこれほど多く倒壊したのか。京都大の竹脇出(いずる)教授(地盤環境工学)によると、前震で変形が生じたためだという。

 木造家屋は地震の際、しなるように動いて揺れを吸収する。だが、限界を超えると柱や壁の継ぎ目がゆがんで変形。再び大きな揺れに襲われると変形が一気に進んで倒壊につながる。

 現行の耐震基準は震度6強以上の揺れに1回耐えることしか想定していない。熊本地震を機に竹脇教授が試算したところ、このクラスの地震に2回耐えるには現行基準の1・5倍の耐震強度が必要と分かった。

 静岡大の調査では1980年代以降に建てた家屋の倒壊で6人が死亡。国交省の調査でも2000年以降の7棟が倒壊し、うち2棟で変形の限界を超えた可能性が指摘されている。

 国交省は熊本地震を受け現行基準の見直しを検討したが、昨年10月に見送りを決定した。今回は特殊なケースで基準を変更する必要はないと判断したためだ。

 ただ、竹脇教授は「耐震基準は最低限の強度であり、人的被害の軽減には極力、強度に余裕を持たせた方がいい。それが熊本地震の教訓だ」と指摘する。

 強度に余裕を持たせるには壁の数を増やすことが定番だが、既存の家屋では改修コストが高く、居住空間の圧迫にもつながる。

 竹脇教授は「最近は制震ダンパーが有効だ。階段裏などへの設置で家屋の揺れを吸収し安価に耐震性を向上できる」と話している。


「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」遺骨、今も手元に 熊本地震、本震きょう1年
西日本新聞 4/16(日) 11:32配信

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阿蘇大橋の崩落現場(左奥)を訪れ、手を合わせる大和晃さんの(手前から)父卓也さん、母忍さん、兄の翔吾さん=15日午前、熊本県南阿蘇村

 1年の区切りはまだ付けられそうにない。熊本地震から4カ月間、安否不明だった熊本県阿蘇市の大和晃(ひかる)さん=当時(22)=の両親は今も遺骨を手元に置いている。県の捜索が中断された時の「取り残された傷」も癒えていない。「それほど命は重いんです」。だからこそ全国から励ましの声が届き、自分たちの手で捜索を続けられた。感謝を返すため、半歩でも前へ-。本震から1年を迎える16日、自宅で一周忌法要を営む。

 朝昼晩、母の忍さん(49)は仏前に食事を供え続けている。好物だった卵焼き、めんたいこ…。「遠くに行けば、母親がしてあげられることができなくなる」。父の卓也さん(58)も「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」。一周忌に予定していた納骨は盆まで延ばそう。3月末、夫婦で決めた。

 晃さんは昨年4月16日、阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)付近を車で走行中、土砂崩れにのまれた。県は二次災害の恐れがあるとして、5月に入ると継続的な捜索を打ち切った。諦めきれない両親はほぼ毎日、現場に足を運び続けた。

 その間、忍さんは「母親がしてあげられること」を続けた。毎朝、おむすびを握り、谷底に投げ入れた。千羽鶴を折り、祈った。昨年7月に車体を発見。8月11日、遺体が収容された。

 その後も忍さんは晃さんの部屋で鶴を折り続けた。一緒に捜索してくれた友人ら延べ300人に感謝を形で示したい。部屋のこたつ布団もベッドも1年前のままだが、最近は鶴に「晃が次の世で穏やかに過ごせるように」との願いも込められるようになってきた。今月に入り、ようやく新しい千羽鶴が出来上がった。

 立ち止まった背中を押される出来事もあった。晃さんに婚姻届の証人になってもらったという友人が訪ねてきて、夫婦で披露宴に招かれた。被災した東海大の学生も線香を上げに来てくれた。その縁で学生たちが5月に南阿蘇村で開く追悼行事のために、農業を営む卓也さんが竹灯籠を作る約束をした。東日本大震災の被災者をはじめ、全国から激励の手紙も寄せられた。

 「晃が引き合わせてくれた。谷底で見つけられたのも、人のつながりが広がったおかげ」。卓也さんはそう振り返りつつも、捜索が遅れた悔しさは忘れていない。検証はされたのか。「今後、同じ思いをする人が出れば、晃の命が報われない」。一周忌を過ぎたら県に要請するつもりだ。

 それでもまだ「半歩」。そんな両親を支えようと、兄の翔吾さん(24)は就職先に地元を選んだ。今月、広島大大学院から熊本県内の製薬会社へ。大学4年で事故に遭った晃さんも、今春から社会人になっていたかもしれない。「晃の分まで頑張らなければと思っています」と自分に誓う。

 15日には親子3人で事故現場を訪れた。「慣れていかないといけないのかな。変わっていかないと」。晃さんが好んだ黄色の花を手向け、卓也さんは静かに語った。

=2017/04/16付 西日本新聞朝刊=


益城町の潮井神社、地震で落差70センチの断層出現
日刊スポーツ 4/16(日) 10:21配信

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潮井神社本殿前を落差70センチほどの断層(シートで覆われている部分)が現れた(10日撮影)

<震度7の大地震から1年 熊本の今(3)>

 熊本地震で昨年4月14日の前震、同16日の本震と、2度の震度7を記録した熊本県益城町。その中でも杉堂地区は布田川断層の真上に位置し、集落が大きな被害を受けた。

 杉堂の集落にある「潮井神社」本殿前には地震後、長さ4メートル、落差70センチの断層が地表に現れた。町を立て続けに襲った震度7のすさまじさを物語るもので「活断層との共存」を目指す町はこの断層を文化財に指定、シートで覆って保存している。だが住民は「共存と言われても、杉堂は(建物の)解体もまだまだ。1年たってもそのままたい」と肩を落とした。


震度7が2度の益城町住民「活断層との共存」に複雑
日刊スポーツ 4/16(日) 10:21配信

<震度7の大地震から1年 熊本の今(3)>

 熊本地震で昨年4月14日の前震、同16日の本震と、2度の震度7を記録した熊本県益城町。その中でも杉堂地区は布田川断層の真上に位置し、集落が大きな被害を受けた。「活断層との共存」を復興計画に打ち出した同町だが、実際の住民はどう感じているのか。家屋が全壊した被災者に聞いた。

 谷の間に挟まれるように、ひっそりと瓦屋根の家々が立ち並ぶ杉堂地区。熊本空港からわずか約2・5キロの距離にある。古き良き日本の集落だったが地震を境に姿を変え、1年がたった今もなお、倒壊家屋が解体されずに残っていた。

 地震の1週間前、矢嶋あつみさん(60)は父斉さん(90)と「断層があるけ、いつか地震は来る」と話していたという。「まさか本当に来るとは」。斉さんも「90年間こんな地震は来たことがない」と話した。ハザードマップで知らされていても、いつ来るか分からない地震に対処することはほぼ不可能だ。

 全壊した母屋は今月5日にようやく解体工事が始まった。人手が足りず、いつ倒壊してもおかしくない建物内の掃除を、矢嶋さん自ら行った。今は父と倉庫を改造して暮らしている。

 「活断層と共存」という考え方について「確かに怖い。震度3、4でもドキドキする。でも他のところに住もうとは思わない。また一からやり直し」と複雑な思いを語った。

 集落の入り口から一番奥の高台に上ると、鎌を持ち、庭先の草むしりをする山内誠一さん(68)がいた。

 自宅は全壊。裏山は大きく崩れ、大雨が降れば土砂災害につながりかねない。なぜそんな場所を手入れするのか尋ねると「ここが好きだから雑草を取ってる。でなきゃ来ん。住み慣れたところが一番だ」と笑顔で語った。山内家は明治時代から代々、杉堂に住んできた。「集落がなくなってしまった。80軒ほどあった家は今、10軒ほどしか住んでないだろう」。

 1年前。14日の前震では自宅は倒れなかったが、停電のため避難した。それが奏功。本震時は倒壊した自宅にいなくて済んだ。3日後、がれきや土砂でふさがった道を必死に上ると、姿を変えたわが家が目に入り、涙が止まらなかった。

 今は仮設住宅に妻と2人暮らし。「仮設住宅の2年間が終わったら復興住宅に入ろうと思っているけど、それすら造られるか分からん。先が見えない不安が強い」。高台から見える崩れた瓦屋根とブルーシートが目立つ故郷に、桜だけが地震前と変わらず咲いている。もう戻れないと覚悟していても、未練は捨て切れていない。【三須一紀】

 ◆益城町の被害 熊本地震では4月14、16日ともに震度7の激震を観測。建物が倒壊するなどして死亡した直接死が県内最多の20人、避難生活で体調を崩すなどして亡くなった関連死を含め計37人が犠牲に。住宅も6000戸以上が全半壊した。


仮設入居、7割近くが「延長希望」…熊本被災者
読売新聞 4/16(日) 8:48配信

 熊本地震は16日、「本震」から1年を迎えた。

 読売新聞は、地震の影響で仮設住宅に暮らす計100人にアンケートを実施した。仮設住宅の入居期限(原則2年)について、7割近くが「延長を希望する」と回答した。仮設住宅を出た後の住まいが「確保できておらず、見通しも立たない」とした人は約6割に上った。いまだに生活の礎となる住まいの見通しが立たず、復興の大きな課題になっている。

 地震後、整備された仮設住宅は、熊本県内16市町村で計4303戸に上り、3月末現在で4179戸に1万985人が暮らしている。アンケートは4月1~3日、仮設住宅が多い熊本市、益城(ましき)町などの6市町村を対象に行った。

 仮設住宅の入居期限の延長を希望するかどうかを尋ねた質問では、67人が「希望する」と回答。このうち、現時点で必要と思う延長期間を「分からない・見通せない」としたのは、半数近くの32人に上った。


熊本城 何十年かかっても石垣再生へ、“現代の清正”石工養成から
スポニチアネックス 4/16(日) 7:00配信

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復旧工事が進む熊本城の飯田丸五階櫓

 【熊本地震“連震”1年から 一歩一歩】震度7を2度観測した熊本地震は、2度目の激震の本震から16日で1年。多数の屋根瓦が天守閣で落下し、国の特別史跡・石垣も大きな被害を受けた熊本城。天守閣の再生時期は2年後に定められ4月から作業が開始されたが、石垣は復旧のメドが立っていない。「武者返し」と呼ばれる特徴的な造りや、修復技術を持つ職人、石工(いしく)の不足という壁が立ちふさがる。市を中心とした再生チームは“石工養成作戦”で復活を目指している。

 県のシンボル、熊本城は、今も多くのエリアが立ち入り禁止で長いフェンスに囲まれている。観光客が入場を許されている城内の神社からは、美しい曲線を描く「武者返し」とともに、えぐるように崩れ落ちた箇所が見える。公開されていない場所では、多くの石垣が崩落した。熊本市は2019年のラグビーW杯日本大会の会場の一つ。市は「震災復興のシンボルに」と19年中にまずは天守閣の外観を元の姿に戻す計画を立て、工事を4月から開始。石垣の再生は20年後の2037年としているが、専門家からは「復旧のメドが立っていない」との声が上がる。構造力学が専門の熊本大の山尾敏孝教授(65)は「崩れた石を元通りに積み直す技術を持つ石工が不足している」と指摘。さらに戦国武将の加藤清正が敵の侵入を防ぐために築いた「武者返し」、強度を増すために長方形の石を交互に積む「算木(さんぎ)積み」なども“壁”となっているとする。

 山尾氏は「独特の構造も修復を難しくしていてこのままだと、いつ修復が終わるか分からない。ただ何年かかろうとも直さなければならない。そのために石工も養成しないといけない」と話す。石工は、石を加工して、石垣や石造橋などを造り、修復も行う職人。

 石垣は50カ所以上で崩落があり、崩れた石が7万~10万個。熊本大は、それぞれの石が石垣のどの部分にあったのかをコンピューターで検索するシステムを開発したが、山尾氏は「修復するには、石工の技術が必要」と強調。石を一つ一つ積み直す作業でわずか数ミリの隙間ができてしまうと、複雑な構造ゆえに大きなゆがみにつながり、倒壊しやすくなってしまう恐れがある。地震による崩落で多数の石が傷つき、以前はなかった隙間を生む懸念があり、石工が石の形を整える必要がある。

 近年、石を資材とする公共事業が減るのに伴い石工も減少。戦国時代に全国の石垣を築いた石工集団の流れをくむ粟田建設(滋賀県)の粟田純徳社長(48)によると、石工は全国に200人ほどで熊本城の仕事にかかれるのはごくわずか。

 そんな中、市を中心とした再生プロジェクトチームは、石工養成を本格化。11年から開講し、主に九州地区の参加者を募っていた石工養成講座を今年から全国に向けて呼びかけている。一人前になるには10~15年かかるが、同講座の世話役の尾上一哉氏(64)は「文化財の再生を加速させるためにも力を注ぎ続けたい」と語った。

 ▼熊本城 城造りの名人と言われた戦国武将の加藤清正が築いた。完成は1607年。後に細川氏が熊本藩主となり、明治維新まで居城とした。熊本市によると、江戸時代に大地震で3回被災した記録が残る。明治時代は政府が軍の司令部「鎮台」を城内に設置。1877年の西南戦争中に、城内で火災が生じ天守閣などが焼失した。現在は特別史跡に指定されており、地震前には170万人前後の観光客が毎年訪れていた。

 《熊本市が復旧・復元試算634億円》熊本市の試算では、熊本城の復旧・復元には634億円を要するとされる。それを支えるのが「復興城主制度」だ。1万円以上の寄付に対して城主証と城主手形が送られ、手形は市内の観光施設や店舗で割引などの特典がある優待券として使用できる。同市によると、昨年11月に導入し、これまでに5万人を超える“復興城主”から約9億円の寄付が集まっている。今年2月からは検索サイト「ヤフー」のネット募金でも応募できるようになり、復興城主の数を増やしている。


<熊本地震1年>東海大キャンパスで3学生追悼
毎日新聞 4/15(土) 23:49配信

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東海大で開かれた追悼集会で、熊本地震の犠牲者を悼み献花する学生や関係者=熊本市東区で2017年4月15日午後2時22分、徳野仁子撮影

 熊本地震から1年を迎え、東海大の学内集会には学生や教職員約350人のほか、農学部4年生だった脇志朋弥(しほみ)さん(当時21歳)を亡くした父忠行さん(59)と母千鶴子さん(54)も遺影を手に参列し、冥福を祈った。

 山田清志学長が「集会を新たな一歩を踏み出す機会としたい」とあいさつ。学生代表の農学部3年、田中大智(だいち)さん(20)が「復興には時間がかかると思うが記憶を風化させないようにしたい。志半ばで亡くなった3人の分も生きていきたい」と述べた。

 脇さんの両親は集会後、大学を通して「1年間はあっという間で時間がたつのは早いなと感じた。先日、研究室にあった娘の写真やCDをいただき、中を見たら笑顔がたくさん写っていた。自分たちもその笑顔に負けないように前を向いて、笑顔で生きていこうと思っています」とのコメントを出した。【金森崇之、山口桂子】


<熊本地震1年>益城町と西原村で追悼式 
毎日新聞 4/15(土) 23:43配信

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熊本県益城町主催の熊本地震犠牲者追悼式で追悼の言葉を終え、祭壇を見つめる遺族代表の河添登志子さん=熊本県益城町で2017年4月15日午前11時9分(代表撮影)

 熊本地震の被災地は16日、2度目の震度7を観測した本震から1年を迎える。震災関連死を含め37人が亡くなった熊本県益城(ましき)町と8人が犠牲になった西原村では15日に追悼式が営まれた。

 益城町文化会館であった追悼式には390人が参列。遺族を代表し、長女河添由実さん(当時28歳)を亡くした母登志子さん(57)が「生活を一変させたこの土地は、豊かな実りを与えてくれる大切な古里です。悲しみとつらさを乗り越えながらどこよりも防災に強く人が支え合う豊かな町になるはずです」と語った。

 約300人が参列した西原村の追悼式では、父内村政勝さん(当時77歳)が亡くなった次男勝紀さん(47)が「父は残念ながら帰らぬ人となったが、村の人たちは不自由な暮らしに耐え、復興のつぼみを開かせようとしている」と述べた。

 熊本地震では14日の前震で9人、本震で41人が亡くなり、震災関連死を含めた犠牲者は225人に上った。【杉山恵一、取違剛】

 ◇遺族代表のことば

 熊本県の益城(ましき)町で15日に開かれた熊本地震犠牲者の追悼式で、長女河添由実さん(28)を亡くした母登志子さん(57)が遺族を代表して述べた追悼のことばは次の通り。

             ◇

 あの日、1年前の4月15日。

 前日に起きた地震の余震におびえながらも、私たち親子は、明日もあさっても当然のように、決して離れずに暮らせると信じて疑いませんでした。

 けれどその日が、家族全員が一緒に過ごせた、最後の日となってしまったのです。

 地震の後片付けに追われ、私たち家族は、暗い台所で懐中電灯の明かりを頼りに、寄り添うようにしてカップ麺を食べていました。

 ラジオに耳を傾けながら麺をすすっていると、真っ暗だった家に明かりが灯りました。「九電ってすごいね」娘はそう言って、無邪気に笑いました。

 それでも私は余震の恐怖におびえていました。「2、3日は車の中で寝ようよ」と言う私に「大丈夫だから」と、夫と息子、そして娘は家の中で寝ることにしたのです。そして私だけ、トラックの荷台で眠りにつきました。

 16日の午前1時ごろでした。のどの渇きを覚えた私は、一旦家の中に入りました。水を飲みながら「揺れも感じないし、静かね。私の取り越し苦労だったかもしれない」そう思い、私は再びトラックの荷台に戻りました。そしてその数分後、再び、あの震度7の本震が襲ったのです。

 荷台で激しく揺さぶられながら私は、今、起きている事実を把握することができませんでした。揺れが収まった後、暗闇の中の視界に映ったのは、無残に壊れた家の姿でした。

 くずれた家の2階の窓から、主人と息子が、娘の名前を呼ぶ声が聞こえてきたのです。

 私は無我夢中で娘の姿を探しました。そしてくずれ落ちた天井と床の間の1メートルほどの隙間(すきま)に、娘はマットレスごと飛ばされて横たわっていたのです。

 娘の体に傷はなく、一瞬、気を失っているのだと思いました。3人で「起きろ、起きろ」と娘の名前を呼び続けました。けれど、娘は二度と目を開けることはありませんでした。

 一瞬にして私たちから、いとおしい娘を奪った熊本地震。やり場のない怒りと深い悲しみ、そのつらさと、後悔は筆舌に耐えません。

 そしてこの地震で、大切な伴侶、慈しみ育てた子ども、親きょうだい、優しいおじいちゃんやおばあちゃん、大切な友だちを亡くされた方も多くいらっしゃいます。

 私たち遺族にとって失ったものはあまりにも大きく、ぽっかりと空いた心の穴が埋まることはありません。

 避難所で、ハウスの中で、小屋の隅で、命をつないだ多くの人たちの「生きる本能」に、人間の強さを見た気がします。そして、人の優しさや思いやりに支えられながら過ごした1年です。

 悲しみは癒えることはありませんが、私たちが、前へと歩いて生き抜くことこそが、この地震で命を落とした娘や、亡くなられた犠牲者への供養だと思います。

 現在、解体が進む益城町では、更地が広がりながらも、新しい家も建ち始めています。かつての家並みはなくなっても、また新しい町の姿が生まれようとしています。

 2度の揺れで私たちの生活を一変させたこの土地は、また、豊かな実りを与えてくれる大切な古里です。

 多くの悲しみとつらさを乗り越えながら、きっと益城町は、どこよりも防災に強く、人が温かく支え合う豊かな町になるはずです。

 例年より遅れて咲いた桜が、数日前の嵐にも負けず咲いています。「がんばれ」と背中を押してくれている気がします。

 最後になりましたが、地震直後から、全国から駆け付けてくださった警察、消防、自衛隊の方々、ボランティアの方々、全国の自治体及び役場の職員の方々、そして寄せられた多くの皆様のご厚意に、深く、深く感謝申し上げます。

 また、ご自身も被災しながら、人命救助、避難所運営、炊き出しを行っていただいた、区長、消防団を始めとした地域の皆様にも感謝申し上げます。

 今回の熊本地震でお亡くなりになられた、全ての皆様のご冥福をお祈り申し上げ、追悼のことばといたします。


熊本地震から1年 被災地で追悼式典
ホウドウキョク 4/15(土) 22:09配信

熊本地震から1年に合わせて、熊本県の益城町などで、犠牲者を悼む式典が開かれた。
遺族代表・河添 登志子さんは「悲しみは癒えることはありませんが...」と述べた。
当時28歳の長女・由実さんを亡くした河添 登志子さんが、遺族を代表して追悼の言葉を述べた、益城町の追悼式。
震度7の揺れに2度襲われた益城町では、これまでに直接死、災害関連死あわせて、犠牲者は37人にのぼっている。
一方、本震で震度7が襲った西原村では、地元の中学生が合唱で、阪神・淡路大震災から歌い継がれている、復興のシンボル曲「しあわせ運べるように」を歌い、犠牲者を追悼した。

テレビ熊本/FNN


学生「決して風化させない」=3人犠牲の東海大追悼集会―熊本地震1年
時事通信 4/15(土) 17:57配信

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熊本地震で学生3人が犠牲となった東海大学は15日、熊本市内のキャンパスで追悼集会を開いた。学生や教職員が参加、学生代表が「決して風化させない」と誓った。

 熊本地震で学生3人が犠牲となった東海大学は15日、熊本市内のキャンパスで追悼集会を開いた。

 学生や教職員が参加、学生代表が「決して風化させない」と誓った。

 同大熊本キャンパスで学ぶ1~4年生と教職員の計約350人が参加。全員で黙とうし献花した。会場の学生棟には、多数の写真を貼り付け、「新たな一歩を」の文字が書かれた学生ら手作りのパネルが壁に設置された。

 亡くなった大野睦さん=当時(20)=の友人で、農学部3年の田中大智さん(20)が学生を代表して慰霊の言葉を述べた。「一晩で数え切れないほど多くの物と大切な仲間を失い、計り知れないほどの恐怖や悲しみを経験しました」と1年前を振り返り、「私たちにできることは経験や記憶を決して風化させず、志半ばで亡くなった3人の分まで前を向いて歩いていくこと」と力を込めた。

 また、犠牲になった脇志朋弥さん=当時(21)=の両親は同大にコメントを寄せ、「娘の笑顔に負けないように前を向いて、笑顔で生きていこうと思っています」とした。


一周忌、家族で現場に=「ゆっくり休んで」―崩落阿蘇大橋で犠牲の大学生
時事通信 4/15(土) 17:33配信

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崩落した阿蘇大橋付近で手を合わせる大和晃さんの家族=15日午前、熊本県南阿蘇村

 熊本地震で崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)付近で土砂崩れに巻き込まれ犠牲となった熊本学園大4年大和晃さん=当時(22)=の家族が15日、一周忌を前に現場を訪れ、手を合わせて晃さんの冥福を祈った。

 橋は崩落したままで道路は封鎖されている。谷を挟んだ対岸の山肌は大きく崩れ、流れ出た土砂が橋があった部分まで覆い一面茶色。状況は1年前とあまり変わらないが、橋の架け替えが予定されている約600メートル下流側では、重機が整地作業を進めていた。

 封鎖された手前の道路脇、晃さんの遺体が発見された谷底を見下ろす場所に、アスファルトの破片を数十センチの高さに積んだ「祭壇」が作られている。訪れた父卓也さん(58)と母忍さん(49)、兄(24)の3人は、「祭壇」に供えられた花を替え、線香に火を付けて一緒に手を合わせた。

 卓也さんは「工事が進み崖の上は変わってきたが、谷底は当時のままだ。(晃さんには)ゆっくり休んでと言いたい」と静かに語った。忍さんは「(晃さんとは)いつも一緒にいる気持ちでいるので」と自分を勇気づけるように話した。

 晃さんは昨年4月16日、本震約1時間前に友人宅を出て自宅へ戻る途中で行方不明になった。二次災害の恐れから捜索作業は打ち切られたが、両親は独力で捜索を続行。7月24日、崩落現場下流の谷底で土砂に埋もれた車を見つけて県に捜索再開を訴え、遺体は8月11日に収容された。


17年度までの燃料搬出困難=ふげん、新たな工程検討―原子力機構
時事通信 4/15(土) 16:54配信

 日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」(福井県敦賀市、廃炉作業中)で貯蔵されている使用済み核燃料466体について、2017年度までに搬出するとしていた工程の達成が困難であることが15日、原子力機構への取材で分かった。

 原子力機構は新たな工程を検討中だが、「33年度の廃炉完了を変えるつもりはない」としている。

 燃料搬出の工程を見直せば、原子力規制委員会の認可が必要となる可能性がある。

 ふげんの廃炉計画では、原子力機構の東海再処理施設(茨城県)に使用済み燃料を搬出することになっていた。しかし同施設は14年に、新規制基準に適合させるには1000億円超の費用が掛かるとして廃止方針が決定。原子力機構は使用済み燃料の海外処理も視野に検討しているが、搬出先は決まっていない。


熊本激震…最前線ドキュメント 首相指示「青空避難を解消せよ」
西日本新聞 4/15(土) 15:59配信

 熊本地震の発生から1年が過ぎた。最大震度7の激震に2度見舞われた被災地では当時、市町村、県、政府が被災者支援の使命を背負い、職員たちが不眠不休で対応に当たった。

 だが現場は混乱を極めた。救援物資は被災者の元に届かず、初動対応に多くの課題を残した。行政同士の不信感、駆け引き、意思疎通の不足。それは今も復旧復興に影を落とす。

 舞台裏で何が起きていたのか。緊迫の日々から1年を迎え、最前線にいた関係者が口を開き始めている。証言をもとに当時の状況を再現すると、数々の教訓が浮かび上がってきた。六つの視点で検証した。

「なぜ、避難者が寒空の下にいるんだ」
 首相の安倍晋三(62)は、熊本地震の「前震」が発生した昨年4月14日夜、都内のフランス料理店にいた。車を飛ばして首相官邸に戻り、直後に発した一言が混乱の始まりだった。

 「なぜ、避難者が寒空の下にいるんだ」

 危機管理センターのモニターにはNHKや民放の臨時ニュースが流れていた。熊本県益城町役場の駐車場に避難者が詰め寄せ、毛布にくるまる姿を映し出していた。

 鶴の一声は側近、官僚を通じて瞬く間に熊本県庁に届いた。新館10階の災害対策本部で、県総務部長木村敬(42)の携帯電話が鳴った。「青空避難者をただちに収容せよ」。木村は知事蒲島郁夫(70)の東大教授時代の教え子で、総務省から派遣された最側近の一人だ。

 間断なく余震が続いていた。一晩で震度5以上の地震だけでも7回を数えた。「皆、屋内にいるのが怖くて外にいるんです」。木村は電話口で何度も叫んだ。東京からの電話は一晩中鳴り続けた。

 15日、政府現地対策本部長として内閣府副大臣の松本文明(68)が県庁に入った。普段は温厚な蒲島が目をつり上げた。「現場が分かっていない」

 次々に舞い込む被害情報と救急要請。現地は救命率が急落するとされる災害発生から「72時間」を意識した対応を最優先していた。そこに各省庁から優先度の低い指示や問い合わせが相次ぐ。「住民基本台帳システムはどうなっているのか」「県の災対(災害対策)本部に官邸とのテレビ会議用の大型モニターを置かせてくれ」-。

 指揮に当たった県幹部は「上から目線の指示に苦慮した」と顔をしかめる。ぎくしゃくした国と県の関係。16日未明、再び最大震度7の「本震」に襲われ、混乱に拍車が掛かる。

避難所外避難
 熊本地震では、県内63カ所の指定避難所が天井の落下などで、施設の一部または全体が使用できなかった。余震も頻発し、多くの人が避難所外への避難を余儀なくされた。こうした避難者への対応について、県の初動対応検証報告書は「車中泊、テント泊、自宅の軒先など指定避難所以外に滞在する被災者の実態把握は困難で、物資の支援や情報提供が十分でなかった」と指摘。(1)消防団や自主防災組織と連携した情報把握(2)物資提供体制の整備-などが必要と総括した。

※敬称略、肩書は当時、年齢は現在

=2017/04/15付 西日本新聞朝刊=


コナン、ドラえもん…漫画家らが復興支援 南阿蘇鉄道で激励ラッピング 熊本地震1年
産経新聞 4/15(土) 14:50配信

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人気漫画のキャラクターをデザインした「よせがきトレイン」の出発式 =15日午前、熊本県高森町の高森駅(宮沢宗士郎撮影)(写真:産経新聞)

 熊本地震から1年が経過した15日、熊本県の南阿蘇村と高森町を結ぶ第三セクター「南阿蘇鉄道」で、117人の漫画家らの応援イラストを描いたラッピング列車の運行が始まった。南阿蘇鉄道は、線路や鉄橋が損傷し、今も部分運休が続く。担当者は「漫画の力が復興の後押しになれば」と期待を寄せている。

 この企画は、昨年から4回目となる「復興祭」の一環で、熊本出身の小学館の編集者らが「復興のためお手伝いを」と提案し実現した。「名探偵コナン」や「ドラえもん」などの原作者ら117人が、自作の主人公の応援イラストを寄せ車両の内外にデザインしている。

 この日は、コナンのテーマ曲が流れる中、親子連れや観光客らが列車に乗り込み、多くの拍手に見送られながら午前10時半に高森駅(高森町)を出発した。南阿蘇村の小学4年、後藤遙さん(9)は「大好きなコナンが地元で走ってうれしい」と笑顔で話した。

 南阿蘇鉄道は、立野駅(南阿蘇村)と高森駅を結ぶ全長17・7キロのローカル鉄道。阿蘇の自然を満喫できるトロッコ列車などが人気で、地元の貴重な交通手段でもあったが、地震で被災し一時全線運休に追い込まれた。

 今も、被害の小さかった約7キロ(中松-高森間)での部分運行を強いられている。社長を兼務する草村大成・高森町長は「南阿蘇になくてはならない鉄道。復興のシンボルになれば」と話していた。

 列車は、8月末まで運行される。


熊本で追悼式、遺族「前へと歩くことこそ供養」
読売新聞 4/15(土) 12:32配信

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益城町の追悼式で献花する参列者(15日午前)=沼田光太郎撮影

 昨年4月16日の熊本地震の本震で震度7を観測した熊本県益城(ましき)町と西原村は15日、それぞれ犠牲者の追悼式を開いた。

 益城町では直接死20人、地震の影響による震災関連死17人の計37人が犠牲になった。町文化会館で行われた追悼式には、遺族ら約390人が参列。全員で犠牲者に黙とうをささげた後、西村博則町長が「町民が心を一つに合わせてこの苦難を乗り越え、新しい町を創造していくことが私たちに課せられた使命です」と述べた。

 遺族代表であいさつをした河添登志子さん(57)は、長女の由実さん(当時28歳)を亡くした。家族5人で暮らしていた自宅は本震で倒壊し、1階にいた由実さんだけが犠牲になった。

 河添さんは式典で、「ぽっかりと開いた心の穴が埋まることはないが、前へと歩いて生き抜くことこそが、娘や亡くなられた犠牲者への供養だと思う」と述べた。


<熊本地震1年>「前に」 益城町と西原村で追悼式
毎日新聞 4/15(土) 12:11配信

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西原村の追悼式で、熊本地震の犠牲者を悼み黙とうする遺族ら=熊本県西原村で2017年4月15日午前10時2分、徳野仁子撮影

 熊本県の益城(ましき)町と西原村は15日、発生から1年を迎えた熊本地震の犠牲者追悼式を開いた。

 益城町が同町文化会館で開いた追悼式には西村博則町長や遺族ら390人が参列した。長女河添由実さん(当時28歳)を亡くした母登志子さん(57)が遺族代表として「悲しみは癒えることはありませんが、私たちが前へと歩いて生き抜くことこそが、この地震で命を落とした娘や亡くなられた犠牲者への供養だと思います」と述べた。

 西原村の追悼式には約300人が参列。遺族代表の内村勝紀さん(47)は地震で父政勝さん(当時77歳)を亡くした。内村さんは「1年という節目は我々遺族が前に進んでいく新たな機会になる」と語った。

 益城町では直接死が県内最多の20人で震災関連死は17人。西原村では直接死が5人、関連死が3人だった。【杉山恵一、取違剛】


漫画キャラが復興後押し、熊本にラッピング列車
読売新聞 4/15(土) 11:44配信

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運行が始まった南阿蘇鉄道のラッピング列車(15日午前、熊本県高森町で、読売ヘリから)=中司雅信撮影

 熊本地震で被災し、一部区間で運休が続いている第3セクター「南阿蘇鉄道」(熊本県高森町)は15日、「ドラえもん」や「名探偵コナン」など人気漫画のキャラクターを描いたラッピング列車(1両)の運行を始めた。

 11月30日まで。

 観光客を呼び込み、復興を後押ししようと企画。漫画家や原作者ら117人が協力した。キャラクターには熊本県出身の漫画家、室山(むろやま)まゆみさんの「あさりちゃん」も描かれ、車内には「負けんばい熊本」といった漫画家らが寄せた応援メッセージの色紙が並んでいる。

 初日は、大勢の家族連れらが詰めかけ、車体を撮影するなどしていた。同鉄道のファンという同県合志(こうし)市の男性(66)は「運行をきっかけに、多くの人に阿蘇の美しい風景を見に来てほしい」と話していた。

 列車は高森(高森町)―中松駅(南阿蘇村)間で運行。平日は1往復、土日、祝日と大型連休期間(4月29日~5月7日)などは2往復する。


<南阿蘇鉄道>ドラえもんやコナンが復興願い
毎日新聞 4/15(土) 11:24配信

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高森駅を出発する南阿蘇鉄道のラッピング列車「がんばれクマモト!マンガよせがきトレイン」(右奥は阿蘇山)=熊本県高森町で2017年4月15日午前10時半、森園道子撮影

 熊本地震で一時全線が運休し、一部区間で運行を再開している第三セクター「南阿蘇鉄道」の高森駅(熊本県高森町)で15日、アニメなどの人気キャラクターがずらり描かれたラッピング列車が発車した。著名漫画家ら117人による「がんばれクマモト! マンガよせがきトレイン」(協力・小学館など)。列車は11月末まで甚大な被害が出た南阿蘇村などを走行する。

 1両編成の列車は、「ドラえもん」や「名探偵コナン」などの人気キャラクターが縦2.4メートル、横15.8メートルの側面いっぱいに描かれ「走れ!南阿蘇鉄道」「少しずつ前へ」などと復興を願うメッセージも添えられた。

 高森駅であった出発式では、同鉄道の社長を務める草村大成町長が「漫画家と原作者の思いに感謝し、全線復旧を目指したい」とあいさつし、一日駅長に任命された地元高校生2人の合図で一番列車が出発した。11月末まで平日は1往復、休日は2往復する。

 南阿蘇鉄道は全線17.7キロのうち、昨年7月に高森-中松(同県南阿蘇村)間の7.1キロで運行を再開している。しかし、残る路線は鉄橋やトンネルの損傷が激しく、全線再開のめどはいまだ立っていない。【比嘉洋、山下俊輔】


被害甚大の益城町で追悼式=遺族「生き抜くことが供養に」―熊本地震1年
時事通信 4/15(土) 11:21配信

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熊本地震の発生から1年となり、2度の震度7に見舞われ甚大な被害が出た熊本県益城町で15日、町主催の追悼式が開かれた。93人の遺族と町職員ら計390人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 熊本地震の発生から1年となり、2度の震度7に見舞われ甚大な被害が出た熊本県益城町で15日、町主催の追悼式が開かれた。

 93人の遺族と町職員ら計390人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 式典では参列者全員が黙とう。西村博則町長は「町民と心を一つにし、寄り添い支え合いながら一日も早い復興を目指す」と誓いを語った。遺族代表として、本震で自宅が全壊し長女由美さん=当時(28)=を亡くした河添登志子さん(57)が「悲しみが癒えることはないが、前へと歩き生き抜くことが命を落とした娘や亡くなった人への供養になる」と、時折声を詰まらせながら思いを述べた。

 参列者は、白やピンクの花が飾られた祭壇の前で犠牲者に献花し、手を合わせた。

 町によると、地震による益城町の犠牲者は14日時点で関連死を含めて37人。また、家を失い仮設住宅で暮らす被災者は少なくとも約7600人に上る。

 本震の際に震度7を観測した隣の同県西原村でもこの日追悼式が開かれ、約300人が参列した。同村では関連死を含め8人が犠牲となった。


<熊本地震1年>LINEとFB 災害時の機能追加
毎日新聞 4/15(土) 10:00配信

 ◇安否確認など情報共有を拡充

 大災害時の安否確認や情報共有の機能を、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のLINEやフェイスブックが拡充している。一方、自治体のSNS利用では情報発信にとどまり、被災地のニーズを吸い上げる情報収集での利用はまだ少ないことから、政府のIT総合戦略室は3月に「災害対応におけるSNS活用ガイドブック」を作成し、効果的な利用法を呼びかけている。【岡礼子】

 ◇LINEは「災害連絡サービス」

 LINEが3月にスタートした「災害連絡サービス」は、災害が起きた国の全利用者に、LINEから自動的に安否確認のメッセージが送信される。メッセージの画面で(1)被害あり(2)無事(3)災害地域にいない--のいずれかを選ぶと、投稿入力画面が表示され、自分のタイムラインに投稿できる仕組みだ。

 LINEは、東日本大震災時に家族との連絡が難しかったことをきっかけに生まれた。昨年4月の熊本地震では通常のメッセージ機能が連絡手段として利用され、国内のLINEのメッセージ送信回数は通常の倍に増えたという。

 ◇フェイスブックは「コミュニティーヘルプ」

 一方、熊本地震で安否確認の機能を国内の災害で初めて設けたフェイスブックは2月、食料や避難場所を探す人と、提供できる人が情報を結びつける「コミュニティーヘルプ」機能を追加し、日本でも利用できるようにした。移動手段や赤ちゃん用品など12項目あり、「40人分の食事を提供できます」「200人分の水を求めます」などと書き込む。

 これらのLINEとフェイスブックの新機能は災害発生時のみで、規模などに応じて、各社の判断で利用可能になる。

 ただ、LINEには日常から利用でき、災害時にも役立つアプリ「LINE HERE」もある。スマートフォンのGPS機能を使って地図上に自分の居場所を表示し、知人のLINEアカウントに送ることができるもので、利用者同士でグループをつくり、メンバーの現在地を地図上に表示してシェア(共有)することもできる。

 ◇政府が自治体向けガイド

 内閣官房のIT総合戦略室は2014年度から、全国1741市区町村を対象に防災や災害情報の発信にソーシャルメディアを使っているか調べてきた。導入割合は初年度4割に満たなかったが、16年度には半数を超え増加傾向だ。ただ被害情報や被災者の要望を知る情報収集での利用は、茨城県龍ケ崎市や滋賀県湖南市など全国7自治体にとどまっている。

 このほど作成された自治体向けガイドブックでは、実際に被災状況を調査するきっかけになる情報を集める場としてソーシャルメディアを利用する利点を強調している。無料閲覧ソフトを使って投稿を見やすく並べたり、「地震+場所」「地震+感情を表す言葉」のように検索語を組み合わせたりすることで、大量の投稿から有用な情報を抽出するコツを解説している。


南阿蘇村から大学生が消えた…でも下宿はたたまない
日刊スポーツ 4/15(土) 9:42配信

<震度7の大地震から1年 熊本の今(2)>

 震度7を2度観測し、熊本、大分両県で225人の犠牲を出した熊本地震は14日で発生から丸1年を迎えた。南阿蘇村は16日の本震で震度6強を記録。東海大農学部が立地する黒川地区では下宿する学生3人が犠牲になった。授業は現在も再開には至っておらず、学生村だった同地区のにぎわいは消えたまま。半壊認定された下宿「新栄荘」を営む竹原満博さん(56)は3月末が締め切りだった「公費解体」は申請せず、同地区復活への思いを語った。

 学生が笑い、語らい、活気があった地震前が目に浮かぶ。竹原さんは迷った末に公費解体申請を見送った。壊したら、あの時はもう戻らない。

 東海大は地震後、阿蘇キャンパスを閉鎖。約750人が下宿していた黒川地区に学生はいなくなった。現在は直線で約25キロ離れた熊本キャンパス(熊本市)で講義を行い、実習は国や県の施設を借りて行っている。

 それでも新栄荘で暮らした学生はこの1年、定期的に遊びに戻ってきた。3月上旬、4年生の卒業を祝う毎年恒例の「追い出しコンパ」を開いた。在校生と卒業生みんなでバーベキューを楽しんだ。

 「この1年は思い出したくない。学生たちがかわいそうで。4年生は特に、慣れ親しんだここから送り出してやりたかった」。急な校舎変更。黒川地区であれば地域住民とのコミュニティーが開かれていたが、都市部ではそのつながりはなく、戸惑った学生も多かったという。

 大学は今年1月、阿蘇キャンパスでの実習を17年度で一部再開、18年度の全面再開を目指すと発表。熊本キャンパスからのバス送迎となる。大学の担当者は黒川地区での下宿について「民間同士ですから、学生側の判断となる」と話した。

 それでも竹原さんは不安が募る。土砂崩れや橋の倒壊により、いくつもの道路が通行止めという状況で、熊本市内から車で1時間30分以上かかる。「そんな状況で実習が再開できるのか」。

 しかし、学生の安全面を考えれば大学側へ強くも言えない。「地震前のように講義も含めた全体的な再開は不可能だろう」と話しながらも「3、4年生は講義が少ない。そういう子たちだけでも、こっちに住むという形になれば…」と控えめに語った。

 竹原さんの祖父が始めて約40年の新栄荘。そう簡単にたためない。「卒業生が立ち寄るところがなくなってしまう」と寂しそうに語る。あの活気が恋しい。食堂には「追いコン」で使った万国旗の一部が残されたままだった。【三須一紀】


熊本地震1年 転院先で次女関連死、癒えぬ悲しみ
産経新聞 4/15(土) 7:55配信

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宮崎花梨ちゃんの遺影を手に追悼式に参列した母、さくらさん(右)と父、貴士さん=14日、熊本市の熊本県庁(宮沢宗士郎撮影)(写真:産経新聞)

 ■「花梨にほめられるよう立ち直らないとね」

 あのとき転院さえしなければ、娘は助かったのではないか-。熊本県合志(こうし)市の宮崎さくらさん(38)は、重い心臓病を患っていた次女の花梨(かりん)ちゃん=当時(4)=を熊本地震の被災後に失った。14日で前震の発生から1年。さくらさんはやり場のない思いを抱えながら、「少しずつ立ち直らないと」と懸命に前を向こうとしている。

                  ◇

 宮崎さん一家の時計の針は止まったままだ。居間には、花梨ちゃんが、よく遊んだぬいぐるみが、そこかしこに並ぶ。毎日の食卓にも花梨ちゃんのご飯を欠かさない。「でも花梨がいない現実は変わらないんですけどね」。さくらさんは悲しげな表情を浮かべる。

 花梨ちゃんは生後まもなく重い心臓病だと診断された。だが、病気が嘘のように公園を走り回る元気な子だった。2歳のころに大分に初めて旅行した際は、今でも鮮明に覚えているほど笑顔を振りまいていた。

 昨年1月の3回目の手術も成功。主治医から「早ければ3月に退院できる」と言われたが、その直後に合併症を起こした。熊本地震は、その治療中の難しい時期に発生した。

 入院先の熊本市民病院は地震で傾き、院内の壁には亀裂も入った。「心臓への負担もあるが、倒壊の恐れがあるので転院を」。主治医の要請を断ることはできなかった。

 本震のあった昨年4月16日、花梨ちゃんは救急車で約2時間かけ、福岡市の病院へ移った。だが、到着後に容体が悪化。5日後に息を引き取った。

 姉が脱いだ幼稚園の服を着て通園の練習をしていた花梨ちゃん。さくらさんは「幼稚園、通おうね」と声をかけ続けたが、かなうことはなかった。

 昨年の夏、合志市に震災関連死を申請し、認定された。「倒壊しない建物であれば転院せず治療を続けられ、違う結果になったはず」。今もそんな気持ちがぬぐえない。

 一家には、花梨ちゃんと交わした10の約束事がある。

 《こうえんでいっぱいあそぶこと》

 《いつもえがおでいること》

 《かりんちゃんにほめてもらうようにがんばること》

 《かりんちゃんはいつもみんなといることをわすれないように》

 居間の壁に、その約束を記した色紙を掲げ、守り続けている。

 約束のうち、「ほめてもらうようがんばること」と「みんなといることをわすれない」は花梨ちゃんが亡くなってから付け加えた。悲しみが癒えることはないが、花梨ちゃんのためにも前を向こうとしているからだ。

 さくらさんは14日、花梨ちゃんが大好きだったぬいぐるみや遺影を手に県の追悼式に出席した。「式を迎えれば何か変わると思いましたが…」と複雑な心境をのぞかせた。

 ただ、約束がある。「少しずつ立ち直らないといけないとは思っている。これからも守って生きていきます」。さくらさんは、自分に言い聞かせた。


「何で向こうだけ」被災地の明暗、映し出す夜の街 支援と特需 熊本地震1年
西日本新聞 4/15(土) 6:20配信

 雑木に囲まれた郊外にある熊本県甲佐町の白旗仮設団地には、熊本地震の被災者88世帯が暮らす。4月になっても朝夕は冷える。独居男性(76)が自室でテレビをつけると、同県益城町の大規模仮設団地で住民と大学生が交流するニュースが流れた。「何で向こうだけなんだって思うよ」。チャンネルを変えた。

 昨年6月初旬、県内で最初の仮設住宅として開設され、県内外からボランティアが駆け付けた。各地に仮設が増えるにつれて応援組も散り、夏が終わるころには波が引くように姿を見なくなった。

 益城町へ個人や企業から直接寄せられた義援金は10億円超。周辺自治体は1億円に届かない。最大震度7の地震が2度起きた益城町は当初から、象徴的な被災地として繰り返し報道され、今も支援が続く。

 同じ上益城郡の甲佐町も2574棟が被災した。静まり返った白旗仮設で、自治会長の平雄二郎さん(76)は「被災した一人一人に痛みがある。差があるのはどうか」と語った。

地震を区切りに廃業した旅館も
 明治から昭和初期の木造3階建ての旅館が並ぶ同県八代市の日奈久温泉。「熊本地震の日奈久断層帯」として名が知られ、客足が遠のいた。阿蘇や熊本城に比べ被害は小さかったが、予約のキャンセルが600件に上った旅館もあった。

 昨夏、総額約180億円に上る国の観光復興キャンペーン「九州ふっこう割」が始まり、何とか息を吹き返した。それでも地元で旅館を経営する松本寛三さん(63)は「日奈久温泉全体では、まだ地震前の5、6割程度」と言う。

 温泉街は地震前から課題に直面していた。経営者の高齢化と後継者不足。「もう少し先だろうと思っていた決断が、地震に見舞われて目の前に迫ってきた」。地震を区切りに廃業した旅館もある。

「復興するけん出ていけ」
 熊本市中心部の飲食店で、男性店主(61)は「復興するけん出ていけだと。地震で製氷機やエアコンが壊れて修繕に230万円もかかったのに」と憤った。

 入居ビルは築40年近く。オーナーは地震を機に建て替える予定で、二十数軒が立ち退きを迫られている。新たな契約更新では賃料が跳ね上がると、もっぱらのうわさだ。「減った客足がやっと戻ったとに」

 被災者の多くが生活再建に不安を感じる一方で、地場経済は潤い始める。不動産業の男性(45)は「一段落したら親に家ば建ててやらにゃんたい」。

 特需の恩恵にあずかる人、あおりを受ける人。夜の街は被災地の明暗を映し出す。12日午前0時すぎ、日付が変わった繁華街で、人通りが絶えることはなかった。


熊本県産木材の活用進む=被災庁舎や住宅再建―復興需要をチャンスに・地震1年
時事通信 4/15(土) 5:11配信

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多くの住宅が被害を受け、約8700棟が全壊となった熊本地震。熊本県内では、住宅などの再建に県産木材を活用する動きが広がっている。写真は県産ヒノキなどを活用する「くまもと型復興住宅」=同県宇城市

 度重なる強い揺れで多くの住宅が被害を受け、約8700棟が全壊となった熊本地震。

 復興が本格化しつつある熊本県内では、住宅などの再建に県産木材を活用する動きが広がっている。復興需要を林業活性化につなげる好機とにらみ、自治体や地元企業が動きだした。

 ◇仮設も木造で温かみ
 熊本県は面積の6割を森林が占める全国4位の木材産地。昨年4月の地震は、山腹崩壊などで林業にも大きな打撃を与えた。被害額は約438億円。復興への思いも込め、地震直後から県産材の活用が始まった。

 県内で整備された仮設住宅約4300戸のうち、木造は683戸。床や梁(はり)などに県産のスギやヒノキを使った。プレハブ仮設に比べ断熱、防音に優れているという。プレハブ仮設でも、玄関部分のスロープなどに県産材を採用し、入居者が温かみを感じられるように工夫した。

 被災者が仮設住宅退去後に利用する災害公営住宅は、熊本市や益城町など県内12市町村が計約1000戸の整備を計画。県は整備に当たり、木造化の推進や地域の木材産業との連携などを求める指針を示した。

 庁舎建て替えでも、県産材を活用する動きが進む。今年3月、県は公共施設の木造化率を2015年度の60%から19年度には75%に引き上げる計画を発表。地震で本庁舎が損壊し新庁舎建設を計画中の八代市も、床や壁などの木質化に数値目標を設定する予定だ。新庁舎建設課は「建物の規模が大きく、内装材を不燃加工する必要があるほか、消防上の配慮から木材が使いにくいなど課題はあるが、市産・県産材の積極利用を進めたい」と話している。

 ◇地元企業が主役に
 民間企業も積極的だ。県内に本社を置く工務店が県と一体となり、耐震性能を備えた手頃な価格の木造住宅を県産材で建築する「くまもと型復興住宅」を提案している。

 くまもと型復興住宅は3月末現在で約20件が受注済み、約110組が商談を進めている。県は「将来的な建設戸数は不明だが、くまもと型は20坪(1坪=約3.3平方メートル)の住宅で約15立方メートルの県産材を使用する。県産材需要に寄与することは間違いない。県産材は地域の気候にも適応し、虫食いにも強い。工務店側も自信を持って勧められる」(林業振興課)とみている。

 500戸以上が立ち並ぶ県内最大の「テクノ仮設団地」(益城町)では、モデル住宅3棟が完成。うち1棟を建設した熊本工務店ネットワーク(KKN)の久原英司会長は「熊本産の木を熊本の企業が加工し家を建てるからこそ、県内の雇用や消費の拡大が望める。全国から木材を購入する大手のハウスメーカーが復興の主役になっては熊本の経済が発展しない」と、地場産業が復興需要の受け皿になることの重要性を説く。

 モデル住宅には、昨年12月から約4500組が見学に訪れる盛況ぶり。久原会長は「今後3年間の間に、くまもと型を200件は受注したい」と意気込んでいる。

 住宅以外でも県産材の活用が進む。JR九州が3月4日から熊本―人吉間で運行を始めた観光列車「かわせみ やませみ」は、内装にスギやヒノキをふんだんに使用。観光回復と同時に、県産材の魅力をアピールする機会として期待されている。

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