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2017年4月14日 (金)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2222

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:熊本地震1年、鎮魂の祈り…遺族ら復興誓う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>義妹の冥福祈る「心の中に思い出」 益城町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:新潟、長野で震度3 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>連続した激震、傷痕は深く 今も… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>古く耐震でなくても安さ求め 学生向け物件 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>被災地、冥福と復興の祈りに包まれて - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>京都でも追悼法要 佛教大 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>JR博多駅の応援イベントにスザンヌさん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:灯籠に明かり、決意新た=大型仮設団地で追悼行事―甚大被害の益城町・熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震>安倍首相、熊本城復旧の財政支援表明 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震から1年 復興状況視察 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:首相、「熊本城復旧支援したい」…修復作業見学 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震>物資拠点を見直しを教訓に 菅官房長官 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 両陛下が御所で黙祷 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 大分・由布市の現状 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震から1年...追悼式が執り行われる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 「花梨と交わした10の約束守り続ける」転院負担で次女が関連死 母、懸命に前見つめ… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 犠牲225人を追悼 安倍首相も参列、各地で祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本県と市、徒歩や自転車で職員が参集訓練 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:入居期限、焦りと不安=仮設暮らし今も4万人超―熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「数字の7を見たくない」子に強烈な記憶 心のケアに、サイン見逃さないように - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>花手向け住民が冥福祈る 益城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:祭壇に花好きの母しのぶ=遺族代表の冨永さん―熊本地震 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年 安倍晋三首相「復興実現のため全力で取り組む」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>「まだ生きている気が」60年来の友が祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:忘れられた被災地、湯布院の1年間 「熊本よりはましだから。でも…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、御所で黙とう=熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「助けて」暗闇の中に響く声 手にくぎ、サンダルは血まみれ…亡き友、学生村 伝える決意 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仙台で児童ら黙とう=熊本派遣の教諭呼び掛け - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震1年で追悼式、犠牲者の冥福祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐賀県議会が玄海原発再稼働容認 知事、月内にも判断へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「まだまだ支え必要」全壊判定の自宅やテントで暮らす人も ボランティア同行ルポ 熊本地震1年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震1年>悲しみ乗り越え、復興へ誓い 犠牲者追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災文化財に寄付50億円超 引き続き支援呼び掛け - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

熊本地震1年、鎮魂の祈り…遺族ら復興誓う
読売新聞 4/15(土) 0:06配信

 熊本地震は14日、「前震」の発生から1年を迎えた。

 直接死は前震が9人、16日の「本震」が41人で、地震の影響による「震災関連死」などを含め、犠牲者は計225人に上る。熊本県内の仮設住宅では発生時刻の午後9時26分に合わせ、住民らが黙とうをささげた。県庁では追悼式が開かれ、被災地は鎮魂の祈りに包まれた。

 熊本地震は観測史上初めて震度7を2度記録。甚大な被害が出た同県益城(ましき)町の木山仮設団地(220戸)では、14日夕から、住民が「地震に負けず復興する」と書き込んだ竹灯籠に明かりがともされた。午後9時26分、静かに目を閉じ手を合わせた植村鎮男(しずお)さん(75)は、「余震のたび、犠牲になった知人の顔が浮かび、悔しくなる。住民同士で励まし合い、少しずつ前に進めたら」と話した。


<熊本地震1年>義妹の冥福祈る「心の中に思い出」 益城町
毎日新聞 4/14(金) 23:54配信

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前震で亡くなった宮守陽子さんの自宅跡で手向けた花を整える義姉の宮守るみさん=熊本県益城町で2017年4月14日午前9時12分、久保玲撮影

 最大震度7を2度観測し、震災関連死を含め225人の犠牲者が出た熊本地震は14日、発生から1年を迎えた。被災地では、犠牲となった人たちを悼む姿がみられた。

 熊本県益城町では、前震の際に亡くなった宮守陽子さん(当時55歳)の自宅跡で、義姉の宮守るみさん(66)が手向けられた花を前に祈りをささげていた。

 自身も当時隣に住んでおり、つぶれた自宅から命からがら救助された。「無念だったろうな。でも私たちの心の中には思い出として残ります」と、今は更地となった自宅跡に立ち、陽子さんのことを思った。【久保玲、後藤由耶】


新潟、長野で震度3
時事通信 4/14(金) 23:22配信

 14日午後11時1分ごろ、新潟県中越地方を震源とする地震があり、同県上越市と長野県栄村で震度3の揺れを観測した。

 気象庁によると、震源の深さは約10キロ。地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定される。


<熊本地震1年>連続した激震、傷痕は深く 今も…
毎日新聞 4/14(金) 22:50配信

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被災した宇土市役所の庁舎跡地=熊本県宇土市で2017年4月12日、本社ヘリから上入来尚撮影

 熊本県内で連続した激震の傷痕は深く、1年たった今も各地に爪痕を残している。

 宇土市の市役所庁舎は4階部分が押しつぶされるなど大きく損傷した。1965年の建築で新耐震基準を満たしておらず、防災拠点となるべき自治体庁舎の無残な姿は耐震化の遅れを印象づけた。解体工事は今年3月までに終わり、一時的に駐車場として使われている。新庁舎はこの場所か近くの公園を候補に計画され、完成は4年ほど先の見込みだ。

 阿蘇市の阿蘇神社は国の重要文化財の楼門が倒壊するなど大きな被害を受け、昨年11月から復旧工事が始まった。楼門は現在、工事用の素屋根にすっぽりと覆われ、いったん解体して部材を調べる作業が進んでいる。2022年度中の完了を目指している。

 震度7の激震に2度襲われた益城町。全住宅の約3割にあたる3000戸以上が全壊し、町並みは変わり果てた。1年後の今、町内での公費解体の進捗(しんちょく)率は約7割。解体が終わった更地も目立つようになる一方、壊れたまま手つかずでがれきが横たわる家も多い。地盤が沈下した地域では水害防止の土のうも並び、日常の風景はまだ戻っていない。【中村敦茂】


<熊本地震1年>古く耐震でなくても安さ求め 学生向け物件
毎日新聞 4/14(金) 22:05配信

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熊本地震によって1階部分が潰れた木造2階建ての学生向けアパート=熊本県南阿蘇村で2016年5月8日午後4時47分、関谷俊介撮影

 「築60年 ワンルーム 月2万8000円」「築41年 1K 月1万9000円」。インターネットの学生向け物件紹介サイトには、都市部や地方にかかわらず、1981年の新耐震基準導入前に建てられた古いアパートがいくつも掲載されている。そうした物件に生活費を少しでも切り詰めたい学生が飛びつき、今も多くの若者が入居している。

 81年以降の建物でも耐震性が不十分なものもある。このため、国土交通省は2000年に建築基準法施行令を改正し、柱と柱の間に斜めに取り付ける筋交いや柱の接合に金具を使うことなど、具体的な方法を告示で明示している。

 一方、国交省・国土技術政策総合研究所によると、熊本地震によって熊本県南阿蘇村で倒壊した学生向けの木造2階建てアパート7棟はすべて、航空写真から00年より前の建物と推定される。そして、現地調査で接合部を確認できた5棟(犠牲者が出た3棟を含む)が国交省の告示に反して、くぎ打ちだけで留められていた。そればかりか、筋交いの端がシロアリに食い荒らされていたり、土台のコンクリートに鉄筋が入っておらず亀裂が入ったとみられるアパートもあった。

 7棟の中には、物件紹介のホームページにこのように載せられているものもある。

 「1DK 築3年 月3万7000円」

 だが、このアパートの不動産登記簿を取り寄せてみると、「昭和57(1982)年新築」とあり、リフォームした時から数えて「築3年」と表記したものとみられる。

 ほかの倒壊アパートの中にも、ホームページに「改築5年」とあるのみで、築年数が書かれていないものがあった。登記上は「昭和49(74)年新築」だった。

 こうした物件はリフォームしていたら内装などはきれいに見える。だが、新たにユニットバスを設置したりすれば、耐震化が不十分なまま2階の重みが1階にのしかかることになりかねない。南阿蘇村の倒壊アパートの多くも1階部分が2階に押しつぶされていた。

 学生向けアパートの耐震化について、国交省は「特化した取り組みは実施していない」と取材に答える。文部科学省も「民間の資産なので特別に助成制度を設けたり、啓発活動を進めたりする動きもない」としている。

 だが、同じように古い建物によって若い命が奪われた事例は、95年の阪神大震災でも報告されている。

 兵庫県は、震災による死者について年代別(5歳ごと)にまとめているが、20~24歳が全体に占める割合は4.67%で、その前後の年代の2%台と比べて突出して高い。専門家は多くの学生が下宿先の建物の下敷きとなったとみている。【関谷俊介】


<熊本地震1年>被災地、冥福と復興の祈りに包まれて
毎日新聞 4/14(金) 22:05配信

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熊本地震前震の発生時刻に合わせ、竹灯籠に手を合わせる木山仮設団地の人たち=熊本県益城町で2017年4月14日午後9時26分、徳野仁子撮影

 熊本地震は発生から14日で1年を迎えた。最大震度7を2度観測した一連の地震は、熊本県を中心に甚大な被害を及ぼし、震災関連死を含め熊本、大分両県で225人が命を奪われた。熊本県主催の犠牲者追悼式などが開かれ、被災地は亡き人への冥福と復興の祈りに包まれた。

 県主催の犠牲者追悼式は県庁(熊本市中央区)であり、遺族ら365人が参列した。遺族代表の冨永真由美さん(58)=熊本市=が「熊本が笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されることを願う」と語り、安倍晋三首相と蒲島郁夫知事もあいさつした。

 祈りは各地で続いた。熊本市中央区の熊本城内にある加藤神社では午後6時、東日本大震災で被災した福島県民が「熊本負げねでがんばっべ」などと書いたキャンドル約1000本に火がともされ、参加者が早期の復興を願った。

 震災関連死を含め37人が亡くなった益城(ましき)町でも、木山仮設団地で「地震に負けず復興する」などと書かれた竹灯籠(とうろう)約600本が並び、千羽鶴も飾られた。前震が起きた午後9時26分に住民らが1分間の黙とうをささげた。【城島勇人、佐野格】


<熊本地震1年>京都でも追悼法要 佛教大
毎日新聞 4/14(金) 20:59配信

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熊本地震の犠牲者を追悼する法要でキャンドルの灯を見つめる学生や職員=京都市北区の佛教大で2017年4月14日午後6時50分、小松雄介撮影

 京都市北区の佛教大では14日夜、熊本地震犠牲者の追悼法要が営まれた。学内の礼拝堂前にろうそくを「4・14」の形に並べ、震災関連死を含めた犠牲者の数と同じ225個のLEDキャンドルをともした。

 地震発生後に現地でボランティアや募金活動に携わった学生たちが「震災の記憶を伝えていきたい」と企画した。学生や職員ら約80人が参列し、焼香して手を合わせ、被災地の復興を祈願した。

 熊本市内で、被災者の家の片付けを手伝ったという社会学部4年の兼田靖さん(21)は「熊本には夢や希望を抱きながら亡くなった人もいる。使命を持ってしっかりと生きていきたい」と話した。【宮川佐知子】


<熊本地震1年>JR博多駅の応援イベントにスザンヌさん
毎日新聞 4/14(金) 20:55配信

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JR博多シティの熊本復興支援のトークショーに登場したスザンヌさん=福岡市博多区で2017年4月14日、末永麻裕撮影

 熊本地震から1年の14日、JR博多駅の複合商業施設「JR博多シティ」で開かれたトークショーに熊本市在住のタレント、スザンヌさんが登場した。

 同施設の熊本応援プロジェクトの初日に合わせたイベント。スザンヌさんは自宅が被災し、ブログで避難所で不足している支援物資の情報を発信したことを振り返った。

 熊本県の「宣伝部長」も務めており郷土の食や自然の魅力を語って観光もしっかりPR。「熊本はみなさんをお待ちしています。支援への恩返しもしていきたい」【末永麻裕】


灯籠に明かり、決意新た=大型仮設団地で追悼行事―甚大被害の益城町・熊本地震1年
時事通信 4/14(金) 20:27配信

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熊本地震の前震から1年の14日夕、甚大な被害が生じた熊本県益城町に造成された大型仮設住宅団地「テクノ仮設団地」で、犠牲者の追悼行事が行われた。写真は黙とうする入居者ら=14日午後

 熊本地震の前震から1年の14日夕、甚大な被害が生じた熊本県益城町に造成された大型仮設住宅団地「テクノ仮設団地」で、犠牲者の追悼行事が行われた。

 団地内の広場に入居者ら約100人が集まって犠牲者に黙とうをささげ、「亡くなった方の分まで生きる」と復興への決意を新たにした。

 同団地は県内最大の仮設団地で約500世帯が暮らす。追悼行事は自治会長の吉村静代さん(67)らが「犠牲になった方の思いをつないでいきたい」と企画した。

 ペットボトルに紙を巻き発光ダイオードを入れた灯籠約500個を手作り。広場と各戸の玄関前に並べられた。吉村さんは「亡くなった方の分まで生きよう。一緒に(新しい)街づくりをしていこう」と決意を込めあいさつ。参加者らは約30秒間黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。

 参加した奥田由美子さん(72)は町内にあった自宅が全壊、夫(75)と長男(46)とともに同団地で暮らす。「仮設は狭いのでストレスもたまり大変な面もあるが、みんな仲良く楽しい」と話しながらも、「資金の問題で自宅再建は難しく、考えると眠れなくなる」と不安を隠せない様子で胸の内を語った。

 益城町では、震災関連死を含め37人が犠牲になった。住宅約1万棟以上が被災し、18カ所の仮設団地やみなし仮設住宅で少なくとも計約7600人が生活している。

 約200世帯が暮らす同町の木山仮設団地では、輪切りの竹にろうそくを入れた灯籠約600個に火がともされた。地震発生時刻の午後9時26分に合わせ、集まった入居者数十人が黙とう。涙ぐむ参加者の姿もあった。


<熊本地震>安倍首相、熊本城復旧の財政支援表明
毎日新聞 4/14(金) 20:20配信

 安倍晋三首相は14日、熊本地震の被災地を視察し、被災した熊本城について「熊本県のシンボルであり、観光の拠点だ。県民も一日も早い復旧を望んでおり、財政面でも支援したい」との考えを表明した。

 首相はこの日、熊本市の商店街を視察し、陸上自衛隊健軍駐屯地で隊員らを激励。また同県益城町のテクノ仮設団地で被災者と意見交換し、「災害公営住宅など、それぞれの事情に合わせた(政策)メニューを説明する体制を作る」と語った。


熊本地震から1年 復興状況視察
ホウドウキョク 4/14(金) 20:20配信

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(写真:ホウドウキョク)

熊本地震から1年、復興状況を視察した。
安倍首相は、熊本地震から1年を迎えた14日、復興状況を確認するため、熊本県を訪れた。
安倍首相は、石垣の崩落など、地震により大きな被害を受けた熊本城を視察したほか、住宅の倒壊が多かった益城町では、仮設団地で被災者と意見交換を行った。
安倍首相は「心のケア、心身のケアをはじめ、そして住まい、なりわいの復旧に向けて、できることは全てやるという基本的な考え方のもとに支援をしてまいります」と述べた。
地震から1年を迎え、安倍首相は「にぎわいを取り戻す」と、復興に向けた決意をあらためて述べた。

テレビ熊本/FNN


首相、「熊本城復旧支援したい」…修復作業見学
読売新聞 4/14(金) 19:36配信

 安倍首相は14日、熊本県を訪れ、県庁で行われた追悼式に出席した後、熊本地震からの復旧復興状況を視察した。

 熊本城の修復作業を見学した首相は記者団に「熊本城は熊本県のシンボルであり観光の拠点だ。財政面でも復旧を支援したい」と語った。

 また、首相は益城(ましき)町の仮設団地を訪問し、仮設住宅を出た後の生活支援について要望を受けた。首相は「益城に住みたいという皆さんが、益城で恒久的な住まいに移れるよう協力したい」と応じた。


<熊本地震>物資拠点を見直しを教訓に 菅官房長官
毎日新聞 4/14(金) 18:30配信

 菅義偉官房長官は14日の記者会見で、熊本地震から1年を振り返り、「東日本大震災の教訓を生かし、被災自治体の要請を待たずに物資を調達・発送する『プッシュ型支援』を初めて行い、大量の食料や生活必需品が行き渡った」と強調した。ただ一方では、道路の寸断・渋滞などで物資が避難所まで届かなかった事例を反省点に挙げ、「配送方法や物資拠点の見直しを教訓として次に備える」と語った。【竹内望】


熊本地震1年 両陛下が御所で黙祷
産経新聞 4/14(金) 17:41配信

 熊本地震から1年を迎えた14日、天皇、皇后両陛下は、熊本県庁で行われた犠牲者追悼式に合わせて、皇居・御所で黙祷された。宮内庁が発表した。

 両陛下は、地震発生から約1カ月たった平成28年5月19日、日帰りで熊本県を訪れ、被害が大きかった南阿蘇村と益城町の避難所に足を運び、被災者をねぎらわれていた。


熊本地震1年 大分・由布市の現状
ホウドウキョク 4/14(金) 16:39配信

熊本地震から14日で1年。震度6弱の揺れを観測した大分・由布市の現状。
大分・由布市では、住宅およそ130棟が全半壊。
ホテルや旅館も被災し、一部は休業を余儀なくされた。
大分県全体では、地震発生の翌月は、宿泊客が前年の6割にまで減少し、観光業への影響は深刻だった。
あれから1年、海外からの観光客も戻ってきて、宿泊客は前年並みに回復した。
しかし、住宅が被災し、いまだ市営住宅などでの生活を続けている人がいるのも現実。
全ての人が地震前の日常を取り戻すには、まだ時間がかかるとみられる。

テレビ大分/FNN


熊本地震から1年...追悼式が執り行われる
ホウドウキョク 4/14(金) 15:10配信

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(写真:ホウドウキョク)

熊本地震から14日で1年。熊本県庁では、犠牲者追悼式が執り行われ、犠牲者の冥福を祈った。
熊本県主催の追悼式には、遺族をはじめ、関係者およそ370人が参列し、安倍首相らが追悼の言葉を述べた。
安倍首相は「被災者の方々、お1人おひとりのお気持ちに寄り添い、1日も早い生活の再建となりわいの再生、被災地の復興を実現するため、引き続き政府一丸となって、全力で取り組んでまいります」と述べた。
このあと遺族を代表して、89歳の母親を亡くした冨永 真由美さんが「熊本が、笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されていくことを願います」と述べた。
一連の地震による熊本県内の犠牲者は、災害関連死などをあわせて、222人となっている。
また、仮設住宅などで暮らす人は、今なお、4万7,000人を超えている。
熊本地震から1年。
被災者の新たな住まいの確保が課題となっている。

テレビ熊本/FNN


熊本地震1年 「花梨と交わした10の約束守り続ける」転院負担で次女が関連死 母、懸命に前見つめ…
産経新聞 4/14(金) 14:34配信

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花梨ちゃんの遺影を手に追悼式に参列した母・さくらさん(右)と父・貴士さん=14日午前、熊本市の熊本県庁(宮沢宗士郎撮影)(写真:産経新聞)

 あのとき転院さえしなければ、娘は助かったのではないか-。熊本県合志(こうし)市の宮崎さくらさん(38)は、重い心臓病を患っていた次女の花梨(かりん)ちゃん=当時(4)=を熊本地震の被災後に失った。14日で前震の発生から1年。さくらさんはやり場のない思いを抱えながら、「少しずつ立ち直らないと」と懸命に前を向こうとしている。

 宮崎さん一家の時計の針は止まったままだ。居間には、花梨ちゃんが、よく遊んだぬいぐるみが、そこかしこに並ぶ。毎日の食卓にも花梨ちゃんのご飯を欠かさない。「でも花梨がいない現実は変わらないんですけどね」。さくらさんは悲しげな表情を浮かべる。

 花梨ちゃんは生後まもなく重い心臓病だと診断された。だが、病気が嘘のように公園を走り回る元気な子だった。2歳の頃に大分に初めて旅行した際は、今でも鮮明に覚えているほど笑顔を振りまいていた。

 昨年1月の3回目の手術も成功。主治医から「早ければ3月に退院できる」と言われたが、その直後に合併症を起こした。熊本地震は、その治療中の難しい時期に発生した。

 入院先の熊本市民病院は地震で傾き、院内の壁には亀裂も入った。「心臓への負担もあるが、倒壊の恐れがあるので転院を」。主治医の要請を断ることはできなかった。

 本震のあった昨年4月16日、花梨ちゃんは救急車で約2時間かけ、福岡市の病院へ移った。だが、到着後に容体が悪化。5日後に息を引き取った。

 姉が脱いだ幼稚園の服を着て通園の練習をしていた花梨ちゃん。さくらさんは「幼稚園、通おうね」と声をかけ続けたが、かなうことはなかった。

 昨年の夏、合志市に震災関連死を申請し、認定された。「倒壊しない建物であれば転院せず治療を続けられ、違う結果になったはず」。今もそんな気持ちがぬぐえない。

 一家には、花梨ちゃんと交わした10の約束事がある。

 《こうえんでいっぱいあそぶこと》

 《いつもえがおでいること》

 《かりんちゃんにほめてもらうようにがんばること》

 《かりんちゃんはいつもみんなといることをわすれないように》

 居間の壁に、その約束を記した色紙を掲げ、守り続けている。

 約束のうち、「ほめてもらうようがんばること」と「みんなといることをわすれない」は花梨ちゃんが亡くなってから付け加えた。悲しみが癒えることはないが、花梨ちゃんのためにも前を向こうとしているからだ。

 さくらさんは14日、花梨ちゃんが大好きだったぬいぐるみや遺影を手に県の追悼式に出席した。「式を迎えれば何か変わると思いましたが…」と複雑な心境をのぞかせた。

 ただ、約束がある。「少しずつ立ち直らないといけないとは思っている。これからも守って生きていきます」。さくらさんは、自分に言い聞かせた。


熊本地震1年 犠牲225人を追悼 安倍首相も参列、各地で祈り
産経新聞 4/14(金) 14:32配信

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犠牲者追悼式で黙とうする参加者ら =14日午前、熊本市(宮沢宗士郎撮影)(写真:産経新聞)

 観測史上初めて同一地点で2度の震度7を観測し、熊本、大分両県で関連死などを含む225人の犠牲者を出した熊本地震は14日、前震の発生から1年を迎えた。熊本県庁では同日、遺族や蒲島郁夫知事、関係者ら約370人が出席し、県主催の犠牲者追悼式が開かれた。安倍晋三首相も参列。県内の各地でも犠牲者に祈りがささげられた。

 追悼式の冒頭、参列者全員で黙祷(もくとう)。主催者を代表し、蒲島知事が「創造的復興を成し遂げた『ふるさと熊本』を次の世代に引き継ぐ」とあいさつすると、安倍首相は「地震から得られた教訓を踏まえて、災害に強い、強靱(きょうじん)な国造りを進めていくことを固くお誓いする」と述べた。

 さらに遺族代表として、母親の津崎操さん=当時(89)=を避難中に亡くした熊本市中央区の主婦、冨永真由美さん(58)が「遺族として悲しみが癒えることはない」と述べた。

 その後、出席者が会場で献花した。

 式に先立ち熊本県は、地震1年に合わせ、震度6弱が発生したとの想定で、職員の参集訓練を実施した。

 熊本地震の犠牲者は、建物の下敷きになるなどした直接死が50人で、関連死170人と、6月の大雨で地盤が緩んだ土砂に巻き込まれて死亡した5人を含めると計225人。関連死認定は、直接死の3倍強となっている。住宅被害は熊本、大分両県合わせて19万棟超。約4万7千人が仮設住宅など仮住まいでの暮らしを続けている。

 一連の地震では、熊本城をはじめとした観光名所が大きな被害を受け、外国人観光客が一時大幅に減少。さらに一部の国道や鉄道などは今も寸断されたままで、交通インフラの早期復旧も大きな課題になっている。


熊本県と市、徒歩や自転車で職員が参集訓練
読売新聞 4/14(金) 14:18配信

 熊本県と熊本市は14日早朝、地震を想定した職員の参集訓練を行った。

 大地震では、公共交通機関が使えない可能性が高いため、徒歩や自転車で、決められた集合場所に向かった。

 県の訓練には、ほぼ全職員にあたる約3900人が参加。県の地域防災計画では、震度6弱以上の地震が起きた場合に全職員が参集することになっているが、昨年4月16日の本震で、12時間以内に登庁できたのは半数だった。

 県内の全市町村で、震度6弱以上を観測したとの想定。県危機管理防災課が、午前6時に災害発生を知らせるメールを一斉送信し、受け取った職員は県庁(熊本市中央区)や県内各地の地域振興局などに向かった。この後、県庁では熊本地震の復旧・復興本部会議が開かれ、蒲島郁夫知事が「復興をスピード感を持って進めていくため、総力を挙げて対応してほしい」と幹部らに指示した。

 熊本市の訓練には、職員や教職員計約8700人が参加した。管理職ら約570人は中央区の市役所や各区役所などに集まり、無料通話アプリ「LINE(ライン)」を使って、部下らの安否を確認した。


入居期限、焦りと不安=仮設暮らし今も4万人超―熊本地震1年
時事通信 4/14(金) 14:16配信

 熊本地震で家を失い、仮設住宅などで暮らす県内被災者は今も4万人を超える。

 避難所から移り日常を取り戻そうとする中、入居期限は原則2年と定められており、次の住まいの確保を迫られている。県は災害公営住宅など受け皿づくりを進めているが、生活再建が困難な高齢者らには不安や焦りが広がる。

 熊本市東区の東町仮設団地。38世帯73人のうち65歳以上が半数を占める。自宅が全壊し昨年9月に入居した内野アイ子さん(79)は、1人暮らしながら自己資金で自宅を建て直すめどがついた。期限内に移る予定だが「自己負担が膨らむため、戻った後の生活を支える資金が心配」と話す。

 山川孝一さん(66)は次の行き先が決まっていない。収入もないため、行政に「弱者を最後まで助ける覚悟を持ってほしい」と注文を付ける。

 県によると、民間住宅を借り上げる「みなし仮設」も含めた県内の仮設住宅入居者は今年3月末で約4万4600人。このうち自力再建が難しく、引き続き支援が必要な人は1割程度とみられる。県は、安い家賃で恒久的住まいとなり得る災害公営住宅約1000戸の整備を進めており、蒲島郁夫知事は「移転が難しい人には個々の事情に応じ丁寧に対応する」とし、仮設からの強制退去を求めることはないと強調する。

 しかし、東町仮設団地で生活支援相談員を務める40代の女性は「災害公営住宅はどこになるか分からず、高齢者は住み慣れた土地を離れ難い気持ちがあるため、不安や焦りは解消されない」と指摘する。

 住まいとともに課題となるのは、仮設住宅でのコミュニティーづくりだ。県内110カ所の仮設団地で、自治会などを軸にコミュニティーが機能している例はまだ少ない。3月末には、益城町で61歳の男性が孤独死しているのが見つかった。

 「くまもと災害ボランティア団体ネットワーク」代表の樋口務さん(56)は「顔の見える近所付き合いの大切さが浮き彫りになった。行政で行き届かない部分を、民間でしっかりサポートすることが求められる」と話す。


「数字の7を見たくない」子に強烈な記憶 心のケアに、サイン見逃さないように
西日本新聞 4/14(金) 13:08配信

 校庭の満開の桜が、新入児童116人の笑顔を出迎えた。11日、熊本県益城町の広安西小。井手文雄校長は入学式で「地震を乗り越えた町の未来を担う大切な子どもたちです」と出席した保護者に語り掛けた。

 養護教諭の江崎賀子(のりこ)さん(44)は熊本地震以降、傷ついた児童の心のケアに取り組んできた。

 昨年5月の学校再開後、保健室を訪れる子が増え、欠席がちになる子もいた。目に見える異変が落ち着いたと感じた今年3月、気になる話を聞いた。

 「頑張れー」。高学年の男児は自宅でテレビに向かって突然、興奮気味に叫んだという。母親によると、画面に東日本大震災の映像が流れていた。3月は地震関連の報道が増える。

 災害や事件、事故の節目になると、心身に不調をきたすアニバーサリー(記念日)反応-。熊本地震から1年、江崎さんは表情を引き締める。「子どもたちのサインを見逃さないようにしながら、長い目で見守らないと」

1247人が「カウンセリングが必要」
 兵庫県立大大学院教授の冨永良喜さん(64)=臨床心理学=が3月、広安西小を訪ねた。4年生の教室で披露したのは軽い運動。「全身にぎゅーと力を入れて、すとーんと抜いて」。不安や不眠になったときのリラックス法という。

 冨永さんは阪神大震災以降、被災地で子どもの心理支援をしている。教室に広がった笑顔に表情を緩めながらも「今も気持ちを押し込めている子はいる」と話した。熊本県教育委員会によると、昨年末の県内調査で児童生徒17万7627人のうち、1247人が「カウンセリングが必要」との結果が出ている。

 教室で「数字の7を見たくない」と打ち明けた男児(10)がいた。震度7の激震を2度体験。「7」の数字は強烈な記憶として刻み込まれた。男児は「地震でびっくりしたら、体操をしてみる」と言った。熊本地方は4月9日にも、最大震度3の地震が起きた。

2階の寝室に1人でいたとき地震を体験
 県東部の小学校に入学した男児(6)は、自宅の2階に上がれない。

 2階の寝室に1人でいたとき地震を体験した。母親(28)が駆け付けると、震えて激しく泣いた。以降、1階で両親、妹の4人で一緒に寝る。今も怖いのだろう。他の家では普通に上がれる階段も、自宅では見上げただけで、母親の脚にしがみつく。

 入学を控え、1階の客間に学習机を運び子ども部屋にした。男児は最近、「ここで、1人で寝るけん」と言うようになった。ささやかな成長が両親はうれしい。この1年で男児は6センチ背が伸びた。


<熊本地震1年>花手向け住民が冥福祈る 益城
毎日新聞 4/14(金) 13:02配信

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熊本地震で亡くなった村上さん親子の住宅跡で手を合わせる近所の住民=熊本県益城町で2017年4月14日午前9時56分、津村豊和撮影

 あなたと生きた日を忘れない--。連続した突然の激震が大好きな家族、友を奪った熊本地震から1年となった14日、被災地ではあの日の別れを惜しみ、復興を誓う人たちの祈りに包まれた。

 前震で犠牲となった熊本県益城町木山の村上正孝さん(当時61歳)と母ハナエさん(同94歳)親子の自宅跡に設けられた献花台では14日午前、住民ら約15人が花を手向けて冥福を祈った。

 献花台は13日夜、町内で活動を続けるボランティアが遺族と相談して設置した。色とりどりの花や故人が好きだった甘酒などが供えられ、「祈り」と書かれた竹灯籠(とうろう)も置かれた。村上さん親子と親しかった近くの富田ヒサエさん(90)は「とても絆の強いご家族だった。冥福を祈り、『残されたご家族を見守ってください』と伝えました」とこぼれる涙をぬぐった。【金森崇之】


祭壇に花好きの母しのぶ=遺族代表の冨永さん―熊本地震
時事通信 4/14(金) 12:48配信

 14日行われた熊本地震の追悼式で、遺族代表として思いを述べた熊本市の冨永真由美さん(58)は式典後、「祭壇の花を見て、花が大好きだった母を思い出した」と静かにほほ笑みを浮かべ、亡くなった母津崎操さん=当時(89)=をしのんだ。

 昨年4月14日の前震後、冨永さんは寝たきりだった操さんと自宅近くの駐車場に車で避難。車中泊をしていたが、16日未明の本震後に操さんの体調が悪化。病院に運んだが、同日朝亡くなった。

 葬儀では、ひつぎに自宅の庭に咲いたバラを入れた。今年もバラのつぼみが膨らみ、「1年の月日を感じた」。遺族代表の役を務め上げ、操さんに「ありがとう。おかげでうまく(遺族代表の言葉を)読めた。無事に終わったよ」と感謝をささげた。


熊本地震1年 安倍晋三首相「復興実現のため全力で取り組む」
産経新聞 4/14(金) 12:40配信

 安倍晋三首相は熊本地震発生から1年となる14日午前、被災地の復興状況視察のため、熊本県を訪問した。県庁で開かれた犠牲者追悼式に出席した安倍首相は、哀悼の意を表した上で「復旧・復興をできるだけ早く成し遂げることこそが、犠牲となられた方々の御霊に報いる道だ。一日も早い生活の再建と生業の再生、被災地の復興を実現するため、政府一丸となって全力で取り組む」と復興加速の決意を語った。

 安倍首相は式典に出席した後、地震で石垣が崩れた熊本城を視察した。鉄骨が貫かれるように設置された天守閣をながめ、担当職員から復旧工事の進捗(しんちょく)状況について説明を受けた。また、店舗の外壁が崩れるなど、被害を受けた熊本市内の中心商店街を訪れ、被災者を激励した。

 首相の熊本地震の被災地訪問は4回目となる。


<熊本地震1年>「まだ生きている気が」60年来の友が祈り
毎日新聞 4/14(金) 12:06配信

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荒牧不二人さんが亡くなった自宅跡を訪れ、手を合わせる西村治信さん=熊本県益城町で2017年4月14日午前6時28分、徳野仁子撮影

 あなたと生きた日を忘れない--。連続した突然の激震が大好きな家族、友を奪った熊本地震から1年となった14日、被災地ではあの日の別れを惜しみ、復興を誓う人たちの祈りに包まれた。

 前震で倒壊した自宅の下敷きになって死亡した熊本県益城町惣領の荒牧不二人さん(当時84歳)宅には14日早朝、60年来の付き合いがある同町の電気工事業、西村治信さん(83)が訪れ親友の死を悼んだ。西村さんは「まだ生きている気がするけど、くよくよしたってどぎゃんならん。はよ成仏してくれ」と祈りをささげた。

 昨年4月14日、頼まれて朝から荒牧さん宅の庭にある松の手入れをしていた。「明日、また手入れするけんな」。午後7時ごろ別れた数時間後、震度7の前震が襲った。午後10時半ごろに荒牧さんの様子を見に来ると、救出する消防団などが既に集まっていた。「寝とらすような顔だった」

 あれから1年、ほぼ毎日のようにあるじのいない荒牧さん宅で手を合わせた。更地となった自宅跡に設けた小さな祭壇には一周忌を前にした13日、「生花だとすぐ枯れてしまう」と菊の造花を飾った。【出口絢】


忘れられた被災地、湯布院の1年間 「熊本よりはましだから。でも…」
BuzzFeed Japan 4/14(金) 12:02配信

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震災翌日(2016年4月17日)の湯布院・川北地区

熊本地震で被害を受けたのは、熊本だけではない。2016年4月16日未明にあった本震の被害は隣県・大分にも及んだ。中でも大きな被害を受けたのが、日本屈指の温泉街、湯布院だ。【BuzzFeed Japan / 籏智 広太】

大分県のまとめによると、湯布院町がある由布市の建物被害は全半壊あわせ176棟と、県内でいちばん多い。一部破損は2247棟と別府市(4386棟)に次ぐ多さだ。

発災直後に湯布院に入ったBuzzFeed Newsは、再び現地を訪れた。「忘れられた被災地」の1年間を知るために。

気がまぎれる、けれど……
「今度地震があったら、終わりじゃ。この家は持たない。次の地震がこんうちに、早くあの世に行きたいねえ」

そう語るのは、被害の大きかった川北地区に暮らす木部鉄朗さん(75)だ。

震災直後、取材に対し「もう湯布院には住めない」と話していた木部さん。妻の実家がある別府に半年ほど暮らしていたが、慣れない暮らしにストレスが溜まる一方だったため、11月ごろに戻ってきた。

「30年以上、暮らしてきたんですから。畑もあるし、庭の花木の世話もできる。ここに帰ってきたほうが、気がまぎれるからね」

いまだに眠るのが怖い
しかし、自宅は半壊状態だ。建て直しも考えたが、「年金暮らしだから」と諦めた。

あちらこちらに走ったヒビなど直せるところは自分で直し、妻と2人で暮らす。壁が剥がれ落ちるなど、被害の大きかった2階はそのままにして、1階のみを使う。

「もうちょっと若かったら自分で直すけどねえ。私たちも先が見えているし、帰ってくる子がいるわけでもない。金もないし、そのままにしているよ」

いまでも、小さな揺れにトラウマを呼び覚まされるという。車が通るたびに「ビクっとしてしまう」のだ。

「最初の頃はたまに頭が混乱して、震えが止まらなくなってね。いまだに眠るのが怖いんですよ」

震災後、精神安定剤の処方も受けるようになった。ただ、最近は飲むのをやめている。服用してから寝入ったときに地震がきても、「動けないんじゃないか」と思うからだ。

覚えていてほしい
また地震があるんじゃないかーー。これから先のことが、不安だ。トラウマは、1年が経とうとするいまも心に深く残る。

「それでも、熊本の人に比べれば、と思うんです。向こうは2度も大きな揺れがあって、それもこっちより大きい地震で……。本当、かわいそうだなあと」

そう語る木部さんは、一息おいてこう続けた。

「ただ、大分で被害にあった人たちのことも忘れんでほしい。湯布院も崩れたりしたのはここら辺の一部だけで、もう復興したようにも見えるけれどね」

「観光や復興ばかりをいうんじゃなくて、こういう個人がいることも、覚えていてほしいんです」

きちんと手入れが行き届いた庭の木々は、色とりどりの花を開かせていた。

30周年を目前にした旅館が……
「とにかくずっと、前向きにやってきた1年でしたね」

同じ川北地区にある旅館「山荘わらび野」の経営者・高田淳平さん(38)はそう話す。

2016年11月に30周年を迎えるはずだった旅館の建物は、もうない。地震で配管などの傷みが激しく、解体したからだ。

いまそこには、更地だけが残る。

「解体するときは感傷的になるのかなと思ったんですが、そうなる暇もありませんでしたね。震災があって、ずっと走り続けてきたような感覚です」

従業員や経営のことなど、「これから」について考えるべきことが多く、直後から自分のことを顧みる時間はなかったという。

やむを得なかった従業員の解雇
震災時、10棟あった客室は満席だった。幸いけが人などは出なかったが、すぐには再開できない状態だった。

当初は5月中の再開を目指していたが、修理をするのは「不可能」と判断。震災から2週間ほど経った4月末、社長である父親や兄と話し合って、旅館の建て直しを決めた。

「建物どうこうは良いんです。建て直そう、これでやり直そうと思えますから」

でも、と表情が曇る。15人いた社員は、全員解雇せざるを得なかった。それがいちばん辛かった。

「震災によって毎日顔をあわせてきた人たちを解雇しないといけなかったのは、キツかった。高校を卒業してから、20年近く働いてきた人もいた。解雇を伝えたときの脱力感は大きかったです」

再開を待つ人への恩返し
そんな状況に置かれた高田さんを励ましたのが、常連客たちの言葉だった。

「寄付を名乗り出るお客さんや、わざわざ九州の他県からお菓子を持ってお見舞いに来てくれる人がいたんです」

「『がんばってください』『オープンしたら連絡してください』という問い合わせもたくさんあった。本当に嬉しかったですね」

38歳。まだまだ若手だ。

「数億円かけて新たな出発をしようとしているのだから、妥協はしたくありません。新しい『わらび野』は、次の世代の湯布院を引っ張るような存在にしたい。それが、再開を待っている人たちへの恩返しにもなるはずです」

この町が、好きだから
震災を経験して、「この町で生きる覚悟」を決めたという高田さん。こう言葉に力を込める。

「なぜ湯布院に旅館を建て直すのか、考えたんです。やっぱりそれは、ここが自分の生まれ育った町で、好きだから。そしてこの町を、ネイティブとしてもっと良くしたいから。そう、改めて実感しました」

「旅館を営む仲間たちにはこう言われました。『湯布院が復興するのは、新しいわらび野ができたときだ』って。嬉しいし、恥ずかしい。でも、責任も感じています」

「山荘わらび野」の再開は、2018年夏の予定だ。


両陛下、御所で黙とう=熊本地震1年
時事通信 4/14(金) 11:58配信

 熊本地震の発生から1年を迎えた14日、天皇、皇后両陛下はお住まいの皇居・御所で、午前10時から行われた熊本県主催の追悼式の様子をテレビ中継で見ながら、犠牲者に黙とうをささげられた。

 宮内庁によると、天皇陛下は午前10時半から、エクアドルとモルディブの新任大使の信任状奉呈式に臨む予定があった。追悼式の中継を蒲島郁夫県知事のあいさつまで見守った後、歩いて向かう予定だった宮殿へ、車で向かったという。


「助けて」暗闇の中に響く声 手にくぎ、サンダルは血まみれ…亡き友、学生村 伝える決意
西日本新聞 4/14(金) 11:50配信

 「あの日を風化させない」。東海大農学部3年の国貞尚伸さん(20)は、そう心に刻み込んでいる。

 昨年4月16日午前1時25分。農学部がある熊本県南阿蘇村は震度6強の激しい揺れに襲われ、学生約800人が暮らす「学生村」は壊滅的被害を受けた。

 次々と倒壊したアパートの下敷きとなり、4年脇志朋弥(しほみ)さん=当時(21)、2年大野睦さん=同(20)、1年清田啓介さん=同(18)=が犠牲になった。

 「この辺りが下宿先でした」。今年2月、今は大半が更地となった学生村跡地。被災地見学に訪れた東京の企業の社員約10人を前に、国貞さんは語り掛けた。

 「あの日」の記憶をたどりながら、話を続ける。

「救いきれなくて、悔しかった」
 学生寮の1階から着の身着のまま飛び出すと、周囲には1階部分がつぶれたアパートがいくつもあった。「助けて」。暗闇の中に響く声。他の学生と一緒に、がれきをかき分けた。手にはくぎが刺さり、素足のまま履いていたサンダルは血まみれになった。

 消防隊も駆け付け、次々と救出されたが、バレーボールサークルの先輩の脇さんがいない。部屋は隣のアパートの1階。「脇さん、脇さん」。何度も名前を呼んだ。同じ東京都出身の大野さんもいない。実家が近かったことで仲良くなったサッカー仲間だ。

 「救いきれなくて、悔しかった」

 国貞さんが取り組むのは、地震後に先輩たちと立ち上げた学生団体「阿蘇復興への道」による「語り部」活動。見学者の求めに応じて跡地を案内する。「在りし日の学生村、地震当時のことを知ってほしいから」

 学生村のがれき撤去、街頭募金、学生団体で開いた南阿蘇大復興祭。地震後、学生村の再建を目指して動き回った。「阿蘇に戻りたい」。その一心だった。

 昨年7月から始まった熊本校舎(熊本市)の生活にも少しずつ慣れてきたが、先輩や友人に気安く会えた学生村の生活が、今も恋しい。

 大学は今年1月、阿蘇校舎の現地再建を断念する方針を発表。願いは遠ざかったが、「いつかは」という希望は持ち続ける。

 今春、先輩たちは卒業し、農学部には223人の仲間が入学した。あの日から、間もなく1年。

 「地震のこと、亡くなった3人のこと、学生村のこと」。新入生や多くの人たちに伝えたいこと、伝え続けなければならないことが、たくさんある。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=


仙台で児童ら黙とう=熊本派遣の教諭呼び掛け
時事通信 4/14(金) 11:27配信

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熊本地震の発生から1年を迎えた14日、東日本大震災を経験した仙台市では、市立西中田小学校(太白区)の児童らが熊本地震の犠牲者の冥福を祈り、黙とうをささげた。

 熊本地震の発生から1年を迎えた14日、東日本大震災を経験した仙台市では、市立西中田小学校(太白区)の児童らが熊本地震の犠牲者の冥福を祈り、黙とうをささげた。

 同小の桜井浩志教諭(54)は昨年7月から今年3月末まで、熊本市立秋津小学校に応援教員として派遣されていた。「熊本の先生や子どもたちは今も3月11日に黙とうを行ってくれている。私たちもその思いを返したい」と提案した。

 全校児童約570人は始業前、桜井教諭の校内放送に合わせ、それぞれの教室で1分間黙とうした。6年生の桜井理子さん(11)は「自分たちも熊本の人たちも同じ怖い思いをした。だから一緒に頑張ろうという気持ち」と話した。

 桜井教諭は「被災者にとって一番つらいのは、忘れられてしまうこと。熊本と仙台のつながりをずっと大事にしたい」と力を込めた。


熊本地震1年で追悼式、犠牲者の冥福祈る
読売新聞 4/14(金) 11:11配信

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熊本地震犠牲者追悼式の冒頭で黙とうする参列者たち(14日午前10時、熊本県庁で)=久保敏郎撮影

 熊本地震は14日、最初に震度7を観測した「前震」から1年となった。

 前震では9人が亡くなり、2日後の「本震」で亡くなった人や、地震の影響による震災関連死などと合わせ、犠牲者は計225人。熊本県庁では追悼式が開かれ、遺族や蒲島郁夫知事、安倍首相ら約360人が犠牲者の冥福(めいふく)を祈り、復興を誓った。

 式典では全員で黙とうをささげ、蒲島知事は「2度の激震は私たちの古里を一変させた。亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、災害に対する万全の備えを築いてまいります」と誓った。安倍首相は「復興を実現するため、引き続き全力で取り組んでいく」と述べた。

 母の津崎操(みさお)さん(当時89歳)が関連死に認定された遺族代表の冨永真由美さん(58)(熊本市)は「1年で一番美しく穏やかな季節を、私たちはずっと心の痛みとともに生きることになった」と祭壇に語りかけ、「笑顔と活気にあふれる古里に再建されることを願います」と締めくくった。

 被害が甚大だった同県益城(ましき)町などでも、住民たちが手を合わせる姿が見られた。


佐賀県議会が玄海原発再稼働容認 知事、月内にも判断へ
西日本新聞 4/14(金) 10:39配信

 佐賀県議会は13日、臨時会本会議で、自民党の2会派と1人会派が共同提出した九州電力玄海原発3、4号機(同県玄海町)の再稼働を容認する決議案を賛成多数で可決した。山口祥義知事は閉会後、記者団に「県議会の判断は極めて重く受け止める。(同意判断は)4月のうちの可能性が高い」と述べ、月内にも再稼働に同意する公算が高まった。

 山口知事は「県議会の判断は県民の判断」との考えで、臨時会を11日に招集。決議案は容認2案と反対1案が議員提出された。

 可決された決議は(1)安全性を国、県が確認した(2)電力を安定、安価に供給する必要がある(3)エネルギー情勢、地球温暖化対策を踏まえ、当面、原発に依存せざるを得ない-などを理由に「再稼働の必要性が認められる」とした。採決結果は公明党の2人を含む賛成28人、反対7人だった。

 共産党などが提出した「拙速な判断や同意しないよう求める」決議案と民進党議員らの「再稼働せざるを得ない」とする容認決議案は、それぞれ否決された。

 山口知事は、月内に世耕弘成経済産業相と会談するなどして判断を表明する意向を示した。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=


「まだまだ支え必要」全壊判定の自宅やテントで暮らす人も ボランティア同行ルポ 熊本地震1年
西日本新聞 4/14(金) 10:35配信

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表通りから住宅街に足を踏み入れると、解体を待つ崩れたままの家屋が残る=3月31日午後、益城町

 ガタン、ガタン。無数の亀裂を舗装した跡が残る路上を、大型トラックが鈍い音を立てて走る。沿道のプレハブで、住民たちは遠方からの顔なじみを笑顔で出迎えた。熊本県益城町に、熊本地震発生直後から毎週、支援に訪れる福岡市のボランティア団体「夢サークル」代表吉水恵介さん(60)に同行した。「いつもありがとうねえ」。明るい声色の奥底に、失った暮らしを取り戻せない焦りもにじんだ。

 がれきが撤去された更地に、修理されたばかりの石垣が目立つ。3月31日、益城町の中心部、木山地区。「吉水さん、まんじゅう食べていかんね」。快活な声を響かせたのはまんじゅう店「九ちゃん万十」の松原恵美さん(47)。半壊した店舗の改修を吉水さんらが手伝い、昨年10月末、営業を再開した。

 「調子はどう」(吉水さん)。「元気しとるよ。おかげさまで」(松原さん)。吉水さんが「ここのまんじゅうはおいしいけ、俺も食べ過ぎて10キロ太ったとよ」と目を細める。

 復旧が進むにつれ、力仕事を中心としたボランティアは一段落。吉水さんは今、仮設の店舗や住宅を一軒一軒、訪ね歩いている。時には1時間以上、座り込んで話す。

「出て行かないといけない土地に家を建てろと言うのか」
 路上で吉水さんに会釈し、手を上げた男性がいた。40代で7人家族。狭い仮設住宅には入らず、全壊判定の自宅で今も暮らしているという。「仮設以外で生活していると、支援物資は回ってこん。役場の情報も、よく聞き取れん防災無線で流れてるだけ」。困り顔でこぼす。

 なじみの食堂に到着。プレハブの壁は薄く、暖房がかかっていても肌寒い。食堂を経営する70代男性の自宅は、中心部を走る幹線道路「県道熊本高森線」沿い。町の復興計画で拡幅が予定され、いずれ所有地からの立ち退きを余儀なくされる。現在はテント暮らしだが「土地をいくらで買ってくれるとか、具体的な話がない。役場の窓口で聞くと、『今なら新築を建てる許可が出せる』と言われた」と憤る。「出て行かないといけない土地に家を建てろと言うのか」

 街中には新築が決まり、地鎮祭を行う所も。一方で幹線道路から住宅街へ足を踏み入れれば、重機が入れず解体できない家屋や、陥没して波打ったままのアスファルトが残る。本当に町が、支援や復興に主体的に取り組んでいるのか。慣れない生活が長引くにつれ「住民の間では微妙な空気も流れ始めている」(ある町議)-。

 東北などでも被災地支援の経験がある吉水さんは「被災者はぎりぎりの生活を送り、不安や不満を募らせている。話し相手となるのもボランティアのあり方だ」と言う。仮設住宅で交流イベントも企画し、精神的なケアにも努める。

 「1回顔を出すだけでは心を開いてもらえない。ボランティアの数はかなり減ったが、まだまだ支え手が必要なんです」

 日が落ちると、足元に散らばるがれきは全く見えない。傾いた電柱の遠くに、信号機の明かりだけがぼんやり浮かんでいた。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=


<熊本地震1年>悲しみ乗り越え、復興へ誓い 犠牲者追悼式
毎日新聞 4/14(金) 10:32配信

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熊本県庁で行われた熊本地震犠牲者追悼式=熊本市中央区で2017年4月14日午前10時3分、野田武撮影

 最大震度7を2度観測し、震災関連死を含め225人の犠牲者が出た熊本地震は14日、発生から1年を迎え、熊本県庁(熊本市中央区)で県主催の犠牲者追悼式が開かれた。式には遺族ら365人が参列して黙とうをささげ、白菊を祭壇に献花して犠牲者の冥福を祈った。

 遺族代表の冨永真由美さん(58)=熊本市=は「悲しみを乗り越え、このつらさを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されていくことを願う」とあいさつ。冨永さんの母津崎操さん(当時89歳)は車中泊による体調悪化で昨年4月16日に亡くなり、震災関連死に認定された。冨永さんは「追悼式をきっかけに、私たち遺族が少しでも前を向いて元気に歩き出すことは、亡くなった方々の望みではないでしょうか」と締めくくった。

 来賓を代表し、安倍晋三首相が「被災者の方々お一人お一人のお気持ちに寄り添い、一日も早い生活の再建と、なりわいの再生、被災地の復興を実現するため、引き続き政府一丸となって全力で取り組んでいく」とあいさつ。蒲島郁夫知事は「亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、残されたご家族をこれからも守り続けていくため、災害に対する万全の備えを築く」と語った。

 熊本地震は、昨年4月14日午後9時26分にマグニチュード(M)6.5の前震、同16日午前1時25分にM7.3の本震がそれぞれ起きた。全半壊した家屋被害は約4万2000棟に上り、今も被災者約4万8000人が熊本県内外の仮設住宅などで避難生活を強いられている。【中里顕、山下俊輔】


被災文化財に寄付50億円超 引き続き支援呼び掛け
西日本新聞 4/14(金) 10:21配信

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大切に保管されている熊本城石垣の石材。積み直しのため、一つ一つに番号が書かれている

 熊本県や熊本市は被災した文化財の復旧に対する寄付を募っている。これまでに寄せられた寄付金は総額50億円を超え、引き続き支援を呼び掛けている。

 県は昨年5月、「熊本城・阿蘇神社等文化財復興支援募金」の受け付けを開始。2月末現在、約26億7000万円が集まった。国や自治体の指定文化財が対象だが、未指定文化財に拡大する可能性もあるという。

 熊本市は、地震発生から間もない昨年4月21日に熊本城を対象とした「熊本城災害復旧支援金」を開設。約15億7400万円(3月末現在)が寄せられた。11月には「復興城主」制度を導入。1回1万円以上寄付した人を対象に「城主証」などを発行するほか、熊本城近くの観光施設に設けた「デジタル芳名板」に名前を掲載する仕組みで、約8億5900万円(同)が集まった。

 また、同市は2月、熊本城以外の被災した国、県、市の指定文化財など約70件(被害総額約25億円)を対象とする「市文化財災害復旧支援金」も設けており、この2カ月間で約110万円が寄せられている。

 県文化課=096(333)2704。熊本城災害復旧支援金と復興城主は熊本城総合事務所=096(352)5900、熊本市文化財災害復旧支援金は市文化振興課=096(328)2039。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=

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