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2017年3月11日 (土)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2208

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<大震災6年>今もあふれる思い 各地で鎮魂の祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:茨城・大洗町で津波の避難訓練 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>手をつなぎ海に黙とう 岩手・宮古 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>北海道で追悼コンサート 「心一つに」の灯も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>タイでも哀悼の祈り アユタヤ「絆」駅伝前日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:海へ追悼の灯籠=犠牲者全員の名前―岩手県大槌町・東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>「鎮魂の詩碑」除幕式 福島・安洞院 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:中学校、放置された楽器=黒板に卒業生メッセージ―市街地は無人・福島県双葉町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災から6年 都内で防災訓練 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>阪神被災者ら追悼の集い 神戸・東遊園地で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東京・日比谷公園で東日本大震災の追悼イベント開催 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼の風船、空に=灯籠で「3.11」―宮城県石巻市・東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:民放各局の「震災特番」一気に時間短縮 さっさとバラエティーの「番宣」へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>息の長い支援誓う 福岡の市民団体 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「いわて銀河プラザ」で黙とう 岩泉町の特産品販売 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災遺構の校舎公開=津波の破壊力まざまざ―仙台・東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「忘れず、共に」=陸前高田とネット中継―神戸・東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:社長「活動高い評価」=東京本社前で抗議集会も―東電 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:犠牲者しのび「花供養」=福島県いわき市の浜辺―東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「全国から頂いた善意の力を借りながら、故郷の復興を必ず成し遂げる」 宮城県代表、佐藤昌良さん(57)の言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年「復興着々と進むが、若い人が村に戻らない課題も」 福島県代表、石井芳信さん(72)の言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年「心の衝動、一生続くのではないか」 岩手県代表、千葉陽さん(41)の言葉全文 政府主催追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「司法の分野でも、被災者の生活の安定のため可能な限り尽力」 寺田逸郎最高裁長官追悼の辞全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「災害への備えを万全なものにしていくことが、私たちの成すべきこと」 伊達忠一参議院議長追悼の辞全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「現実に真摯に向き合う中で復興に向けた取り組みを進めていく」 大島理森衆議院議長の追悼の辞全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災6年で政府が追悼式、秋篠宮ご夫妻出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋篠宮さまのお言葉(全文)=東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「教訓忘れることなく、防災意識を高め、災害から多くの人々が守られることを希望します」 秋篠宮さまのお言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:再生へ、誓い新た=東日本大震災6年で追悼式―秋篠宮ご夫妻が初出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、5年区切りに交代=政府追悼式に秋篠宮ご夫妻―東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年「政府一丸となって災害に強い強靱な国づくり進める」 安倍晋三首相が追悼の言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年 歯で遺体の身元確認迅速化へ 歯科医師会、法整備要望 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:岐路に立つ被災地の「仮設商店街」 迫る退去期限、新設への移転進まず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「言葉遊び」ばかりのごみ最終処分場議論…「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」って分かりますか? - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<大震災6年>今もあふれる思い 各地で鎮魂の祈り
毎日新聞 3/11(土) 21:21配信

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新たにできた慰霊碑の除幕式で手を合わせる阿部充樹さん=宮城県石巻市で2017年3月11日午前11時53分、猪飼健史撮影

 東日本大震災から6年となった11日、各地で追悼行事が営まれた。東京では政府主催の追悼式もあった。関連死を含む死者は1万9416人、行方不明者2553人。地震発生時刻の午後2時46分、多くの人たちが大切な人に鎮魂の祈りをささげ、古里の復興を誓った。

 「おじいちゃん、おばあちゃん、戻って来て」。宮城県石巻市であった慰霊碑除幕式。粉雪が舞う中、市立釜小5年、阿部充樹さん(11)は、津波で亡くなった祖父孝衛さん(当時72歳)と祖母とく子さん(同64歳)に心の中で呼びかけた。

 あの日、充樹さんは職場から駆け付けた会社員の母(41)に連れられ自宅の2階に上がって助かったが、祖父母は逃げ遅れて帰らぬ人となった。「5年間しか一緒にいられなかったけど、次の運動会も2人が見てくれている気がする」。6年生の運動会では綱引きで活躍する姿を天国の2人に見せるつもりだ。

 「子育てに迷ったら、お父さんやお母さんだったらどうする?」。岩手県大槌町の曹洞宗吉祥寺の慰霊碑除幕式に参列した盛岡市の川嶋裕子さん(44)は、津波にのまれた父倉本謙吾さん(当時65歳)、母光子さん(同63歳)に問いかけた。父は腕のいい大工で、仕事の合間に漁に出かけたり、山でマツタケ狩りをしたりと手を休めずに3人きょうだいを育ててくれた。母は料理上手だった。「娘たちを船に乗せてくれたり、おいしい物を食べさせてくれたりしたね」

 東京電力福島第1原発の北約5キロにある福島県浪江町請戸で行方不明者の手掛かりを探していた同町出身の警視庁巡査長、鈴木弘(ひろむ)さん(29)は「みんなが笑顔で帰れる町づくりを支えられる警察官になりたい」と誓った。全国の警察から福島に派遣され捜索に携わる警察官の一人だ。

 6年前、警察学校で授業を受けていた時、テレビで古里が津波にのまれる光景を見た。家族は無事だったものの、福島第1原発事故で実家は避難指示区域内になった。当初は里帰りするにもゲートをくぐり、防護服を着なくてはならなかった。腐った床やはがれ落ちた瓦を見て何もできないふがいなさを感じた。古里の再生に役立とうと今春、県警に移る。

 午後2時46分、福島県南相馬市小高区の墓地にサイレンが鳴り響いた。津波で曽祖母と祖父母の3人を亡くし、50キロ以上離れた避難先で暮らす小学5年の村田日和(ひより)さん(10)が「生まれ変わっても3人に会えますように」と手を合わせた。

 原発事故による避難指示は昨夏に解除された。でも、避難先での生活の方が長くなった日和さんは「友達と離れたくないから(南相馬に)引っ越したくない」。心は揺れている。【野口麗子、高井瞳、加藤栄】


茨城・大洗町で津波の避難訓練
ホウドウキョク 3/11(土) 21:12配信

東日本大震災から6年を迎えた11日、津波による被害を受けた、茨城・大洗町で、市民らが参加し、避難訓練が行われた。
訓練は、震度6弱の地震が発生し、大津波警報が出されたとの想定で行われた。
防災無線で避難が呼びかけられると、参加した市民らは、非常用食料などが入ったリュックサックを背負い、学校に設置された避難所までの経路など、避難の手順を確認していた。
参加者は「(中身はどんなものを持ってきましたか?)軍手・コップ・簡易トイレ、寒いときにかぶるものが入っている」と話した。
2011年の東日本大震災では、大洗町に、高さおよそ4.3メートルの津波が到達し、ショッピングモールが被害を受け、茨城県内で6人が津波の犠牲となった。


<大震災6年>手をつなぎ海に黙とう 岩手・宮古
毎日新聞 3/11(土) 21:02配信

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「田老の防潮堤」の上で黙とうする人たち=岩手県宮古市で2017年3月11日午後2時46分、佐々木順一撮影

 岩手県宮古市田老では、東日本大震災が起きた午後2時46分、既設の防潮堤の上で住民ら400人余りが並んだ。海に向かって手をつなぎ、犠牲者をしのんだ。

 地元のNPO法人「立ち上がるぞ! 宮古市田老」が2012年から毎年3月11日に、既設の防潮堤(高さ10メートル)の上で「追悼手つなぎ」を行っている。地震が発生した時刻に合わせ、手をつないで黙とうした。

 母(当時67歳)と姉(同46歳)を亡くした大久保寿子さん(49)は「2人の供養になればとやって来ました」と話し、友人らと手をつないだ。

 防潮堤の海側には、高さ14.7メートルの新しい防潮堤が建設されている。そのため、今は既設の上からでも海の左側半分が見えなくなり、例年より南側に約100メートル移動して祈りをささげた。NPOの大棒秀一理事長は「新しい防潮堤の建設は今後も進む。既設の防潮堤で催すのは今年が最後かもしれない」と寂しそうに話した。【鬼山親芳】


<大震災6年>北海道で追悼コンサート 「心一つに」の灯も
毎日新聞 3/11(土) 20:43配信

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ともされた明かりを眺める人たち=札幌市中央区で2017年3月11日午後5時57分、竹内幹撮影

 犠牲者を悼み、被災地の復興を願うイベントが11日、北海道内各地でも行われた。札幌市中央区の道立文学館では、市民団体「ふるさとを歌う会in札幌 森の時間」が「追悼竹あかりコンサート」を開催。会場の玄関前は、LEDライトを入れた高さ約10センチのガラス瓶約130個を使い、「3・11 心を一つに」の文字を作った。

 玄関前は、高さ約30センチの竹の筒にLEDライトを入れた灯籠(とうろう)約50個なども設置。代表の横山芳江さん(48)は「悲しい思いが少なくなるよう、あかりをともし続けていきたい」と話した。コンサートでは篠笛(しのぶえ)やオカリナなどの演奏があり、約100人の参加者が被災者や被災地へ思いを寄せていた。【立松敏幸】


<大震災6年>タイでも哀悼の祈り アユタヤ「絆」駅伝前日
毎日新聞 3/11(土) 20:31配信

 東日本大震災から6年になる11日、タイのバンコク市内でも哀悼の祈りがささげられた。

 日タイ修好130周年を記念して初開催される「アユタヤ『絆』駅伝」(タイ国政府観光スポーツ省主催、毎日新聞社、RKB毎日放送共催)を翌日に控えたレセプションが11日、バンコク市内のホテルで開かれた。同国のチャワニー副観光スポーツ相、朝比奈豊毎日新聞社会長、井上良次RKB毎日放送社長らが出席。朝比奈会長の呼びかけで、約200人が黙とうをささげた。

 朝比奈会長は「6年前の今日、日本では東日本大震災が起き、タイから多くの救援物資をいただいた。日本とタイの交流の輪が広がることを期待します」とあいさつ。チャワニー氏は「長年の友好関係を祝福でき、アユタヤが駅伝開催の場所に選ばれたことを誇りに思う」と述べた。

 日本からの学生、高校生32人は、チームを組むタイ人学生32人と初顔合わせし、健闘を誓い合った。駅伝は、アユタヤ歴史公園・史跡周遊コースを舞台に、435チーム1740人が参加して12日午前6時半にスタートする。【バンコク野島康祐】


海へ追悼の灯籠=犠牲者全員の名前―岩手県大槌町・東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 20:29配信

 岩手県大槌町の大槌湾と船越湾では11日夜、東日本大震災の犠牲者を悼む灯籠流しがあった。

 同町の死者・行方不明者1285人全員の名前が記された1300個の灯籠が船の上から流されると、波に運ばれ夜の海に広がった。

 大槌湾では、このうち780個を積んだ漁船4隻が午後6時前に漁港を出発。岸壁に集まった被災者らが見守る中、船上の漁師らがそっと海面に浮かべ、僧侶が読経した。

 義父が津波で亡くなったという沢舘嘉美さん(47)は「これだけ多くの人が亡くなったのだと実感した。きれいだけど悲しい明かりですね」と声を詰まらせた。


<大震災6年>「鎮魂の詩碑」除幕式 福島・安洞院
毎日新聞 3/11(土) 20:27配信

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震災の犠牲者へ鎮魂の祈りをささげる詩碑が建立され、詩人の和合亮一さん(左)が詩を読み上げた=福島市山口の寺院「安洞院」で2017年3月11日、宮崎稔樹撮影

 東日本大震災の犠牲者に祈りをささげる「鎮魂の詩碑」の除幕式が11日、福島市の安洞院(あんとういん)であった。福島出身の詩人で、高校教諭の和合(わごう)亮一さん(48)の作品が刻まれ、訪れた約200人が手を合わせた。

 和合さんは震災直後からツイッターなどで詩を発表し、福島の現状を伝えてきた。境内に建てた全6基(高さ約1.7メートル)のうち5基はまっさら。人が成仏するという三十三回忌までに1基ずつ詩を刻む。

 <春のつぼみに涙を一つ>という書き出しで、生まれ変わっても会いたいという死者への愛を詠んだ。行方不明のままの教え子がいるという和合さんは、「この日の思いを胸に刻んで」。【宮崎稔樹】


中学校、放置された楽器=黒板に卒業生メッセージ―市街地は無人・福島県双葉町
時事通信 3/11(土) 19:58配信

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東日本大震災の発生当時のまま、楽器などが散乱する双葉中学校の音楽室=11日午前、福島県双葉町

 東日本大震災の発生から6年を経過した11日、東京電力福島第1原発事故のため原則立ち入り禁止となった福島県双葉町の帰還困難区域を歩いた。

 町立双葉中学校に入ると、音楽室ではホルンやトランペットなどの楽器が床に放置されたまま。部活中に地震が襲い、生徒たちが急いで避難した様子がうかがわれた。

 2011年3月11日は卒業式当日で、3年の教室の黒板には恩師への感謝のメッセージがつづられていた。同校は一晩だけ避難所となり、最大800人の町民が教室に避難。トイレの前には、水道が止まったため生徒たちがプールから水を運んだバケツが並ぶ。地震の翌朝には第1原発で爆発の危険が高まり、町職員は「町民は『とにかく西に逃げてください』とだけ言われて避難した」と話した。

 町立双葉南小学校の校舎では、教室や昇降口にランドセルが散乱。耐震性能の低い校舎から教師が大急ぎで避難させ、児童は上履きのまま校庭に移動した。げた箱に残された大量の靴が、持ち主の手に戻ることはなかった。

 町役場に津波は到達せず、地震の被害も限定的だった。原子力対策室のボードに張られた紙には、職員が避難する直前まで、徐々に悪化する原発の状況が記入されていた。

 かつて町民らでにぎわった海水浴場では、町営観光施設「マリーンハウスふたば」が津波で大破した無残な姿をさらす。防波堤からは、約3キロ南に廃炉作業が続く第1原発を望めた。

 JR双葉駅を中心とする市街地は、時折パトカーが通る程度で人の気配はほとんどない。地震が発生した午後2時46分、防災無線が流す黙とうのサイレンが、無人の街に響いた。


東日本大震災から6年 都内で防災訓練
ホウドウキョク 3/11(土) 19:02配信

東日本大震災発生から6年を迎えた11日、東京・新宿区の明治神宮外苑で、外国人らも参加して、首都直下型地震を想定した訓練が行われた。
訓練は、最大震度6強の首都直下型地震が発生したとの想定で行われ、警視庁や消防のレスキュー部隊のほか、地元の中学生や外国人ボランティアなど、およそ250人が参加した。
レスキュー隊は、車の中に閉じ込められた人を、特殊なカッターを使って救出する手順などを確認していた。
訓練が行われた明治神宮外苑は、2020年の東京オリンピック・パラリンピック会場の1つで、外国人観光客にも対応できるよう、警視庁では、こうした訓練を積み重ねて安全対策を強化したいとしている。


<大震災6年>阪神被災者ら追悼の集い 神戸・東遊園地で
毎日新聞 3/11(土) 18:52配信

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ガラス灯籠を並べて描いた「3.11」の前で、地震発生時刻に合わせて黙とうをする人たち=神戸市中央区の東遊園地で2017年3月11日午後2時46分、平川義之撮影

 神戸市中央区の東遊園地では、阪神大震災(1995年)の被災者ら約100人が集まり、東日本大震災の被災地に向けて追悼の集いを開いた。

 「阪神淡路大震災1・17のつどい」の実行委員会が主催。「3・11」の文字を形作るガラス灯籠(とうろう)に、東遊園地のガス灯「希望の灯(あか)り」から分灯した火をともした。同じ種火が運ばれた岩手県陸前高田市とインターネット中継を結び、地震発生時刻に合わせて黙とうした。

 東日本大震災があった小学校5年の時からボランティア活動をしているという神戸市長田区の高校2年、大村陽輝(はるき)さん(17)は、「何かできないか、といつも思っている。阪神も東日本も、震災のことを学んで、伝えていくことが大事と思う」と話した。【神足俊輔】


東京・日比谷公園で東日本大震災の追悼イベント開催
日刊スポーツ 3/11(土) 18:42配信

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都内の震災追悼イベント「Peace On Earth」では献花台が設けられ、多くの人が手を合わせた(撮影・柴田寛人)

 東日本大震災の追悼イベント「Peace On Earth(ピース・オン・アース)」は11日、東京・日比谷公園で行われた。震災翌年の3月11日から行われ、今年で6回目。

 献花台を設置した追悼ドームには多くの人が訪れ、手を合わせた。地震発生時刻の午後2時46分には黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。

 東京都台東区から訪れた30代女性は「あの時、東京でも大きな揺れだったのを今でも覚えている。東北で多くの方が亡くなったので、この日は手を合わせたい」と神妙な表情。岩手県沿岸に20回以上もボランティアで訪れているという横浜市の男性会社員(56)は「沿岸のかさ上げは終わっていないし、復興はまだまだ。被災地を忘れないという思いで、このイベントに来ました」と話した。

 黙とうの後、歌手加藤登紀子がミニライブを開いた。震災直後に被災地を励ます新曲をネットで公開するなど、支援活動を続けている。「私たちは原発事故という大きな課題を抱えました。日本という国が、生きるものたちをどうしようとしているのか。ちゃんとチェックしながら、しっかり生きていこうね」と力説。政府による被災者支援の継続を訴えた。


追悼の風船、空に=灯籠で「3.11」―宮城県石巻市・東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 18:35配信

 宮城県石巻市の南浜地区では11日午後2時46分、「がんばろう! 石巻」と書かれた看板の周辺で、サイレンとともに市民ら600人以上が黙とう。

 「あの日を忘れない」など一つ一つにメッセージを記した風船を一斉に空に放った。

 同地区に住んでいた鹿野三治さん(71)は、風船に「行方不明者が見つかるように」との願いを込めた。昨年4月、妻(67)と共に市内の仮設住宅から災害公営住宅に移り、生活は落ち着きを取り戻したが、「この日の寂しさは年々増していく」と話した。

 夕方には、同市の犠牲者数にちなんで約3600の灯籠やキャンドルに明かりがともされ、日没とともに「3.11追悼」の文字が浮かび上がった。


民放各局の「震災特番」一気に時間短縮 さっさとバラエティーの「番宣」へ
J-CASTニュース 3/11(土) 18:35配信

 東日本大震災から丸6年を迎えた。丸5年の「節目」だった1年前は、地震発生時刻(14時46分)をはさんで、民放テレビ各局が約4時間連続で、報道番組を編成していた。

 しかし今年は、各キー局が2時間前後と短く、バラエティーの「番宣」に時間を割いた。

■日テレは1時間半で切り上げる

 2017年3月11日、土曜の午後に民放各キー局が組んだ特番は、日本テレビの「news every.特別版」(13時30分~15時)、TBSの「3.11 7年目の真実」(14~16時)、フジテレビの「日本を襲う巨大地震 忘れていないか3.11」(14~15時35分)が、いずれも2時間以下で終わっている。

 テレビ朝日は、「スーパーJチャンネル」スペシャルと「ともに、未来へ」(13時59分~16時30分)から、そのまま通常の「スーパーJチャンネル」(~18時)へとつなげているが、日テレ、TBS、フジはバラエティー番組をはさんでから、夕方のニュースに入った。

 3局の16時台には、バラエティー番組の宣伝(番宣)が放送された。日テレの「今夜は!天才!志村どうぶつ園」の場合、過去に放送した被災地に関連する内容を交えつつ、その日の夜に放送する番組の告知につなげていた。TBS「ナイナイのお見合い大作戦!」、フジ「お客様と10人」はいずれも、震災が絡んでいなかった。

ツイッター「風化が始まっていると感じる」
 1年前、2016年の「3.11」は、どうだったのか。午後の民放各局は、テレビ朝日が「スーパーJチャンネル」、TBSが「Nスタ」を拡大版(14時前後~19時)として放送。日本テレビ(情報ライブ ミヤネ屋、news every.)とフジテレビ(直撃LIVE グッディ!、みんなのニュース)も2番組にまたがる形だが、14時台から19時まで震災特集を組んでいた。

 なお、昨年の3月11日は金曜日だった。同じ午後でも生放送の情報番組が並ぶ平日と、もともと再放送が多い土曜日は同列では扱いにくいが、5時間から2時間へ、大きく報道時間が減ったことは事実だ。ツイッターでは、

  「6年目になると、そうでもなくなるんだなぁとテレビ欄見て思った」
  「ラテ欄のテレビ局各局の震災の特番時間を見てると、風化が始まっていると感じる」
  「今後年が進むにつれどんどん震災特番も縮小して行くのかな...」
  「震災から1年たった時はこの時間も 震災関係のドキュメントとか特番やってたはずなのに6年目の今日は特集やるのも特番、ドキュメントもほんの少しだけ」

といった反応が出ている。しかしその一方で、震災特番を見たくない人もいるようで、番組時間短縮の受け止め方は三者三様だ。

 過去の番組表をさかのぼってみると、震災翌年の12年3月11日は、テレ朝の連続14時間特番をはじめ、各局が合計8時間近く編成。13年は6時間前後、14・15年は5時間前後、震災特集を組むニュース・情報番組があった。


<大震災6年>息の長い支援誓う 福岡の市民団体
毎日新聞 3/11(土) 18:24配信

 市民団体「被災者支援ふくおか市民ネットワーク」(福岡市)は東日本大震災の発生直後から避難者に交流の場を提供している。代表の藤井真さん(51)は「時間がたつほど抱えていた多様な悩みが表面化する」と息の長い支援を誓う。

 市民ネットは震災の発生直後、福岡県内の社会人有志らで結成。「悩みを打ち明ける場所があれば、少しは気が楽になるのではないか」と2011年夏以降、福岡市などで避難者向けの交流会を開いている。

 「話し相手がいなかった」。月1回の交流会には当初、孤立を深めていた避難者が60~80人参加した。何週間も引きこもっていた女性は「出てきて良かった」と喜んだ。個別の相談に発展するケースもあり、東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を恐れ、東京都内から未就学児2人を連れて来た女性は「マンションを借りたが貯金が底を突いた」と打ち明けた。藤井さんらは福岡市や福岡県に掛け合い、低家賃の雇用促進住宅を紹介した。

 最近の参加者は5~6人。「おいしいラーメン屋はどこ」などとたわいもない雑談が増えた。しかし「子供も成長し帰りたい気持ちもある。でも戻っても、町内会で後ろ指をさされるだけ」などと本音が飛び出すのは交流会ならではだ。

 最近になって初めて顔を出した避難者もいる。福島県内の避難指示区域から福岡県に避難する高齢の夫婦が「(行政は)帰れないなら帰れないと言ってほしい」と訴え、深刻さを改めて実感させられた。福島県から福岡県に避難する別の女性は3月で行政による住宅の無償提供が打ち切られる。無職のため藤井さんはハローワークに同行する予定だ。「精神的なケアを続けることが重要」。そう確信し支援を続ける。相談は市民ネット(092・409・3891)。【蓬田正志】


「いわて銀河プラザ」で黙とう 岩泉町の特産品販売
日刊スポーツ 3/11(土) 18:10配信

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岩泉乳業専務取締役の大沢澄子さんは、「龍泉洞の水」の2リットルボトルを見せる(撮影・柴田寛人)

 東日本大震災からちょうど6年の11日、東京・銀座の岩手県アンテナショップ「いわて銀河プラザ」では、午後2時46分の震災発生時刻に店内で黙とうがささげられた。

 特売スペースでは、昨年8月の台風10号による洪水被害を受けた岩泉町の特産品を販売。工場が被災した岩泉乳業と岩泉産業開発の2社は、主力商品の「龍泉洞の水」や「龍泉洞珈琲ブラック」、「龍泉洞の化粧水」などを並べた。

 「龍泉洞の水」は、日本3大鍾乳洞に挙がる龍泉洞の湧き水を使用。天然ミネラルを豊富に含み、国際的な品質コンクール「モンドセレクション」の最高金賞を4度受賞している。1985年(昭60)に商品化されて以来、東日本大震災に台風豪雨と、度重なる災害を乗り越えてきた。

 岩泉乳業の大沢澄子・専務取締役は「龍泉洞の水は、昨年10月に生産を再開できましたが、岩泉ヨーグルトは今回の3・11には間に合いませんでした」と残念そうだった。全国にファンを持つヨーグルトの工場は、今年8月に操業を再開する見通し。

 通路や照明などの復旧工事を進めていた龍泉洞は今月19日、半年ぶりに営業を再開する。


震災遺構の校舎公開=津波の破壊力まざまざ―仙台・東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 18:02配信

 東日本大震災の津波で集落が壊滅した仙台市若林区の荒浜地区で11日、震災遺構として保存される市立荒浜小学校が地元住民に公開された。

 4階建ての校舎は多くの児童や住民を津波から守り、4月末から一般にも公開される。

 同校は海から約700メートルの場所にあり、避難した児童や住民ら230人全員が難を逃れた。1階の教室の壁は消失し、天井が剥がれ落ちている。ヘリコプターなどで全員が救助されたのは震災翌日の夕方という。

 孫2人を連れて避難した海野小一郎さん(82)は「波の上に波が折り重なって来て、みんなパニックになって上の階に駆け上がった」と振り返った。卒業生の二瓶彩さん(18)は「(見た人が)津波のすさまじさを知って、ずっと伝えてほしい」と話している。


「忘れず、共に」=陸前高田とネット中継―神戸・東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 18:00配信

 阪神大震災で被災した神戸市の東遊園地では11日、岩手県陸前高田市とインターネット中継で結んだ追悼集会が開催され、実行委員長の藤本真一さん(32)が「6年がたってもあの日の事を忘れず伝え続けていく。これからも共に歩んでいきましょう」と語り掛けた。

 
 約100人が訪れ、阪神犠牲者の慰霊と復興のシンボル「1.17希望の灯り」の前で、「3.11」をかたどったグラスキャンドルに点灯。午後2時46分、キャンドルを囲んで黙とうした。

 神戸大1年の岸上侑生さん(19)=兵庫県姫路市=は「東北の人たちと気持ちを分かち合いたい」と訪れた。6年前の東北の惨状は、生まれる前に起きた阪神大震災を深く知ろうとするきっかけにもなったといい、「復興に向けて少しでも力になりたい」と話した。


社長「活動高い評価」=東京本社前で抗議集会も―東電
時事通信 3/11(土) 17:37配信

 東京電力福島第1原発事故の発生から6年となるのに合わせて、広瀬直己社長は11日、同原発構内入り口近くにある新事務本館で訓示を行い、福島県内での社員の活動について「大変高い評価をいただいている」と述べた。

 広瀬社長は「この6年で発電所(福島第1原発)は見違えるようになったと感じている」と廃炉作業の進展に手応えを示した。その上で、「一日でも早く地域の皆さんに古里に戻ってきてもらえるように頑張っていこう」と呼び掛けた。


犠牲者しのび「花供養」=福島県いわき市の浜辺―東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 16:51配信

 東日本大震災の地震や津波で58人の犠牲者を出した福島県いわき市久之浜地区で11日、切り花を線香に見立てた「花供養」が行われた。

 集まった住民らは色とりどりのバラや菊などを祭壇に供え、発生時刻の午後2時46分に合わせて黙とうした。

 4歳だった長男を津波で亡くした会社員楠康充さん(39)と妻美智子さん(36)は、震災後に生まれた次男蒼生君(4)を連れて訪れた。美智子さんは「6年が過ぎても時は止まったまま。あの時、何もできなくてごめんね」と涙をこぼした。

 花供養は2012年から始まった。フェイスブックなどで賛同者が増え、今年は全国から約5000本が寄せられたという。


「全国から頂いた善意の力を借りながら、故郷の復興を必ず成し遂げる」 宮城県代表、佐藤昌良さん(57)の言葉全文
産経新聞 3/11(土) 16:40配信

 震災時に1・2メートルの地盤沈下を観測した牡鹿半島に住んでいた両親と連絡が取れなくなり、東京で勤めておりました私は妻と2人、40時間かかって故郷にようやくたどり着きました。

 両親は行方不明と聞かされ、実家は跡形もありませんでした。その日から県内各地を捜して回り、1カ月後、金華山沖より収容された母が確認され、その翌日、偶然がれきの中から父を発見することができました。

 震災前の父は、石巻の四季を便りにつづり、母は、三陸の海の幸に少しだけ手を加え宅配便に詰めて、全国の親族友人に届けておりました。「年を重ねた者の楽しみだ」「石巻の自慢だ」と話しておりましたが、全て津波で消え去りました。

 避難所の方々や、不眠不休で活動している自治体職員の皆さんから情報を頂きながら両親を捜す中で、故郷の温かさ、底力を感じ、相互互助精神の真の姿に折れそうな心を支えていただきました。

 過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、

 あの悲しみを忘れません。

 あのつらさを忘れません。

 あの無力さを忘れません。

 あの寒さを忘れません。

 両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら空から見えるいい仕事をして故郷の復興を必ず成し遂げてまいります。安らかに天から見守ってください。

 謹んで東日本大震災で亡くなられました御霊(みたま)にお誓いし、追悼の言葉といたします。

平成29年3月11日

宮城県代表 佐藤昌良


東日本大震災6年「復興着々と進むが、若い人が村に戻らない課題も」 福島県代表、石井芳信さん(72)の言葉全文
産経新聞 3/11(土) 16:36配信

 私の住んでいる川内村は風光明媚(めいび)な山村であり津波の影響はありませんでしたが、東京電力福島第一原子力発電所の事故のため全村避難を余儀なくされました。

 私の母は、震災当時、原子力発電所のある大熊町の病院に入院しておりましたので当然避難を強いられました。

 数日間入院先の病院からも何の情報も入らず安否を心配していましたが、いわき市のある高等学校に移送されたらしいとの情報が入り、妻と駆けつけました。

 そこには白い布に覆われた変わり果てた母の姿があり、妻が亡き母の顔に頬ずりし涙を流していた様子は、今でも忘れることができません。

 母は病床の身にもかかわらず、自分のことより私たち夫婦のことを心配する優しい母でした。

 このような母が誰にも会えず一人寂しく亡くなったことを思うと、今でも申し訳なく残念でしかたがありません。

 母が亡くなり6年になりますが、これまでの恩に感謝しながら過ごす毎日です。

 川内村は、幸いにも比較的に放射線量が低く一部の地域を残し1年で戻ることができました。

 今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、若い人たちが子供の教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には程遠い現況にあります。

 これまで全国の皆さんからいただいた温かいご支援や励ましの言葉を糧に、みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます。

 最後にこの大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉といたします。

平成29年3月11日

福島県代表 石井芳信


東日本大震災6年「心の衝動、一生続くのではないか」 岩手県代表、千葉陽さん(41)の言葉全文 政府主催追悼式
産経新聞 3/11(土) 16:30配信

 大地が波打つような地震と海から迫る壁のような大津波が起きた3月11日が、今日で6年を迎えました。

 私は、その津波で、父を亡くしてしまいました。仕事で離れた場所にいたとはいえ、近くにいたらなど、いろいろと思うことばかりです。かつて、海に関わる仕事をしていた父ですから、海で亡くなるのは、父らしいのかもしれませんが、非常に残念でたまりません。また、同じ地域に住む人たちも、津波の犠牲となり、大変お世話になった方々だけに、残念です。

 あの時から、もう6年でもあり、まだ6年でもあります。

 この間に、私は、縁があって結婚し、新たな家族ができ、家もできました。しかし、あの時から3月11日が近づくと、少し心が落ち着かない自分がいます。かつての風景が変わっていく姿に、復興しているのだと、実感することはありますが、この心の衝動は、一生続くのではないかと思います。

 去年、いま住む町で、台風による甚大な被害がありました。

 私にとって、津波を思い起こす出来事でした。幸い、私自身、被害はほとんどありませんでしたが、どこにいても、どんなに万全にいたとしても、災害の影響から逃れることはできないのだと感じました。その災害から、何とか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、そして、さまざまなことで起きる「辛(つら)さ」を「幸せ」に変えられるように、いまの自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います。

 最後に、これまでのさまざまな支援に対して、深く感謝し、震災によって亡くなられた方々に、ご冥福をお祈りし、遺族代表の言葉とさせていただきます。

平成29年3月11日

岩手県代表 千葉陽


「司法の分野でも、被災者の生活の安定のため可能な限り尽力」 寺田逸郎最高裁長官追悼の辞全文
産経新聞 3/11(土) 16:28配信

 文仁親王同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災六周年追悼式が行われるに当たり、謹んで追悼の辞を申し述べます。

 突然の強い地震とこれに続く津波により、多くの方々が犠牲となられ、また、地域において培われた生活の基盤のほとんどが一瞬にして失われた東日本大震災から6年、その後の原子力発電所の事故も併せ、被災地の方々は、言い尽くせない悲しみと苦難に耐えながら、日常を取り戻そうとする厳しい日々を、今日まで歩んでこられました。震災で命を落とされた方々、最愛のご家族を失われたご遺族の方々にあらためて哀悼の意を表し、被災された全ての方々に心からお見舞いを申し上げます。

 震災直後からの地元自治体、国その他の関係機関の総力を挙げた復興への取り組みは、被災地の自立と地域の創生も視野に入れた復興を目指す段階へと移行し、福島県の一部の地域においては避難指示等の解除が始まるなど、着実に前進しています。被災者の方々の心に寄り添って今日まで復興に取り組んでこられた多くの方々の並々ならぬご尽力に対し、深く敬意を表します。

 地震から6年が経過した今も、生活基盤のさらなる整備など、取り組むべき課題は少なくなく、本格的な復興への道のりにはなお険しいものがあります。復興への取り組みが新たな段階を迎えつつある今、あらためて、地域や人々の置かれた実情に即した切れ目のない支援と、きめ細やかな対応が続けられることが求められており、そうした努力を通じ、生活や産業の基盤の本格的な再生が実現されることを心から願うものです。司法の分野においても、被災者の方々の生活の安定のため、可能な限り尽力してまいる所存です。

 大震災がもたらした甚大な被害と今日までの復興に向けた道のりを振り返り、あらためて、震災における経験と教訓に思いを致し、これらを災害への対策に生かして安全な社会を築いていくために不断の努力を続けることと併せて、被災地の一日も早い復興と再生のために力を尽くすことを誓って、追悼の辞といたします。

平成29年3月11日

最高裁判所長官 寺田逸郎


「災害への備えを万全なものにしていくことが、私たちの成すべきこと」 伊達忠一参議院議長追悼の辞全文
産経新聞 3/11(土) 16:22配信

 本日ここに、文仁親王同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災六周年追悼式が執り行われるに当たり、参議院を代表して、謹んで追悼の誠をささげます。

 東日本大震災により、1万5千名以上の方々が命を奪われました。

 あの地震さえなければ、お一人お一人に「今」という日々があり、そのことを思うと、悲しみが痛切に胸に迫ってまいります。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、掛け替えのない方を失われた皆さま方に衷心よりお悔やみ申し上げます。

 震災から6年が過ぎましたが、笑顔の奥に深い喪失感や自責の念を隠しながら、今も、失われてしまった日常を取り戻すために懸命な努力を続けている方々がいらっしゃいます。復興への足取りを確かなものにするため、われわれはそれぞれの立場で、苦難を乗りこえようとされている方々を支え続けていかなければなりません。

 現在、私たちは、震災後の世界を生きていると同時に、いつか来る「震災前」の時間を過ごしています。地震を避けることができないこの国で、同じ悲しみを再び繰り返さないためにも、災害への備えを万全なものにしていくことが、東日本大震災を経験した私たちの成すべきことであります。

 本日、この追悼式と同じように、さまざまな場所で多くの祈りがささげられております。どうか、その一つ一つが亡くなった方々の元へ届くことを願うとともに、ご遺族皆さんのご平安を心から祈念いたしまして、私の追悼の言葉といたします。

平成29年3月11日

参議院議長 伊達忠一


「現実に真摯に向き合う中で復興に向けた取り組みを進めていく」 大島理森衆議院議長の追悼の辞全文
産経新聞 3/11(土) 16:19配信

 文仁親王同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災6周年の追悼式が行われるに当たり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

 6年前の今日、東日本各地を襲った大地震と津波により、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々とご遺族の皆さまに改めてお悔やみを申し上げます。そして、被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々に心からお見舞いを申し上げます。

 震災が発生して以降、今日まで、国内のみならず世界各地の多くの方々からご支援をいただきました。こうした温かいご支援は大変心強く、復興に向けた取り組みを物心両面で後押ししていただきました。深く敬意を表します。また、感謝を申し上げます。

 震災発生から6年の月日が経過した今、避難生活の長期化に伴う被災者の方々の心身のケアや、生活再建をいかに後押しするかが重要な課題となっており、それぞれの状況に応じて切れ目なく支援を行っていくことが求められております。福島県では、原子力災害からの事態の改善に向けた懸命の努力が続けられていますが、その一方で、被災した子供たちが避難先でいわれなき言辞に苦しんでいる姿を見ると、われわれはそのことにも対応していかなければならないと強く感じます。被災地の復興は道半ばであります。被災者の方々が日常生活を取り戻すことは容易なことではありません。震災の記憶を風化させることなく、被災者の方々の思いに寄り添い、現実に真摯(しんし)に向き合う中で復興に向けた取り組みを進めていくことが、あの日、震災を経験したわれわれが果たさなければいけない責務であると改めて感じています。

 そして、被災地における人口の減少や高齢化、産業の空洞化などは多くの地域社会が直面している問題であり、国を挙げて対応しなければならない重要な課題であります。衆議院といたしましても、こうした事態に適切に対処し、被災地の復興を加速化するための取り組みを進めるとともに、災害に備えて遺漏のないよう対策を講じ、国民が安心して暮らすことのできる社会が実現できるよう、引き続き全力を尽くしてまいる所存です。

 結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉といたします。

平成29年3月11日

衆議院議長 大島理森


震災6年で政府が追悼式、秋篠宮ご夫妻出席
読売新聞 3/11(土) 16:06配信

 1万8000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災は、11日で発生から6年となった。

 被災地は復興に向けて着実に歩んできたが、なお被害の爪痕は残り、12万人以上が避難生活を強いられている。地震発生時刻の午後2時46分、人々は失った大切な命を思い、故郷再生への誓いを新たにした。

 東京都千代田区の国立劇場で行われた政府主催の追悼式には、秋篠宮ご夫妻が出席された。地震発生時刻に合わせ、安倍首相ら三権の長、各国の駐日大使、遺族代表ら計約900人が黙とうをささげた。震災5年の節目まで毎年、式典に出席し、お言葉を述べてきた天皇、皇后両陛下はこの日、お住まいの皇居・御所で黙とうされた。

 秋篠宮さまはお言葉で、東京電力福島第一原発事故などの影響で多数の被災者が長期の避難生活を余儀なくされていることを「深く心が痛みます」と気遣われた。震災の教訓にも触れ、「一人ひとりが防災の意識を高め、次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望します」と述べられた。


秋篠宮さまのお言葉(全文)=東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 16:05配信

 6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。

 そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。

 しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。

 東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。

 様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


「教訓忘れることなく、防災意識を高め、災害から多くの人々が守られることを希望します」 秋篠宮さまのお言葉全文
産経新聞 3/11(土) 15:58配信

 6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。

 しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。

 東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。

 様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


再生へ、誓い新た=東日本大震災6年で追悼式―秋篠宮ご夫妻が初出席
時事通信 3/11(土) 15:54配信

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東日本大震災から6年を迎えた11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。写真は式辞を述べる安倍晋三首相。

 東日本大震災から6年を迎えた11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。

 秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相ら三権の長、遺族の代表ら約900人が参列。地震が発生した午後2時46分から1分間、黙とうし、犠牲者の鎮魂を祈るとともに東北の再生へ誓いを新たにした。

 首相は式辞で、被災地のインフラはほぼ復旧し、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示も解除が進んでいるとして「復興は新たな段階に入りつつある」と指摘。同時に、なお12万人以上の避難者がいることに触れ、「心と体のケアや新たな地域社会の形成など、切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速していく」と表明した。

 今回、天皇、皇后両陛下は臨席されず、初めて秋篠宮ご夫妻が出席した。秋篠宮さまはお言葉で「困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです」と述べられた。

 岩手、宮城、福島の被災3県の遺族代表も、それぞれ思いを語った。

 岩手県田野畑村出身の千葉陽さん(41)は津波で父を失った。「何とか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うし、『辛(つら)さ』を『幸せ』に変えられるように、少しでもできることをしていきたい」と決意を述べた。

 宮城県石巻市出身の佐藤昌良さん(57)は「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、あの悲しみを忘れない」と述べた上で、「空から見えるいい仕事をして、古里の復興を必ず成し遂げたい」と亡くなった両親に思いをはせた。

 福島県川内村出身の石井芳信さん(72)は、原発事故に伴う避難指示が解除されても全村民が戻るわけではなく「以前のような村の姿には程遠い」と嘆き、「みんなで力を合わせ、復興と再生を進めていくことが私たちの責務だ」と力を込めた。

 参列者が1000人を下回ったのは今回が初めて。追悼式終了後、国立劇場には一般の参列者約800人が献花に訪れた。

 警察庁によると、10日現在の死者は1万5893人、行方不明者は2553人に上る。


両陛下、5年区切りに交代=政府追悼式に秋篠宮ご夫妻―東日本大震災6年
時事通信 3/11(土) 15:49配信

 11日に国立劇場(東京都千代田区)で開催された政府主催の東日本大震災の追悼式には、秋篠宮ご夫妻が出席された。

 これまでは天皇、皇后両陛下が毎年出席していたが、昨年で発生から5年の区切りを迎えたことを踏まえ、今後は10年など節目の回にその時の天皇、皇后が出席する方向という。

 阪神大震災では、10年と20年の追悼式に両陛下が出席し、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻が出席した年もあった。宮内庁関係者によると、天皇陛下の退位に関する法整備の検討が現在進められ、皇太子さまが数年内に即位する可能性があることも考慮し、秋篠宮ご夫妻の出席が決まったという。


東日本大震災6年「政府一丸となって災害に強い強靱な国づくり進める」 安倍晋三首相が追悼の言葉全文
産経新聞 3/11(土) 15:29配信

 本日ここに、文仁親王同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、「東日本大震災 六周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、6年の歳月が流れました。

 最愛のご家族やご親族、ご友人を失われた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意をささげます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 被災地に足を運ぶ度、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。しかしながら、今なお12万人の方が避難され、不自由な生活を送られています。

 被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも、心と体のケアや新たな地域社会の形成など、復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります。

 同時に、震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を、常に顧みながら、英知を結集して、防災対策を不断に見直してまいります。政府一丸となって、災害に強い、強靱(きょうじん)な国づくりを進めていくことを、改めて、ここに固くお誓いいたします。

 震災の発生以来、地元の方々のご努力をはじめ関係する全ての方々の大変なご尽力に支えられながら、復興が進んでまいりました。日本各地のみならず、本日ここにご列席の、世界各国・各地域の皆さまからも、多くの、温かく心強いご支援をいただきました。改めて、心より感謝と敬意を表したいと思います。

 東日本大震災の教訓とわが国が有する防災の知見や技術を世界の皆さまに役立てていただくことは、われわれの責務であり、今後、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。

 わが国は、幾度となく、国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、その度に、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでまいります。

 御霊(みたま)の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまのご平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

平成29年3月11日

内閣総理大臣 安倍晋三


東日本大震災6年 歯で遺体の身元確認迅速化へ 歯科医師会、法整備要望
産経新聞 3/11(土) 14:44配信

 ■治療記録DB化「遺族の負担軽減」

 東日本大震災の際、犠牲者の身元特定が長期化した教訓を踏まえ、各地の歯科医師会が身元特定の材料となる患者の治療記録などをデータベース(DB)にする取り組みを進めている。歯は津波などで損傷が激しい遺体でも残されていることが多い。日本歯科医師会は今後、災害時にDBを利用するための法整備を国に要望していく方針だ。

 警察庁によると、東日本大震災で岩手、宮城、福島の3県で見つかった1万5823人の遺体のうち、歯型や治療痕などの歯科情報が決め手となって身元が特定されたのは約8%に当たる1250人。指紋・掌紋の373人、DNA鑑定の173人を大きく上回る。

 一方、3県では226の歯科医院が全半壊。患者の治療記録が津波で流失したり、東京電力福島第1原発事故の影響で持ち出すことができなかったりしたため、身元を特定する作業自体は難航した。震災発生から6年がたった今も、岩手、宮城両県で69人の身元が分かっていない。

 こうした課題に対応するため、日本歯科医師会は平成25年度、災害時に過去の治療記録を集積したDBと遺体の歯の状態を照合し、早期の身元特定につなげる仕組み作りに着手。患者の同意を得て歯の治療痕やX線写真をDB化し、特定のサーバーで一括管理する構想を打ち出した。

 これを受けて各地の歯科医師会でも、独自にDBを作る動きが加速している。

 岡山県歯科医師会は27年1月、県内の歯科医院に協力を依頼し、虫歯の治療痕や差し歯の位置などをDBにする取り組みを始めた。兵庫県警察歯科医会は今年度から、生前のデータを集積する前段階として、年間約100人に及ぶ身元不明遺体の死後データを使ったDB運用のシミュレーションを始めた。

 東日本大震災の被災地で身元特定作業に携わった同会の藤田顕治さん(50)は「遺体の取り違えのような人為的ミスを防ぐためにも、DB化を早期に進めるべきだ」と語る。

 ただ、災害時に数千人単位の個人情報を一度にDBから取り出す行為を想定した法律はなく、個人情報保護法などに抵触する恐れもある。日本歯科医師会は災害時のDBの運用が問題なくできるような法整備を国に求める方針だ。

 同会の柳川忠広副会長は「取り組みが進めば災害時の迅速な身元特定につながる。作業に当たる警察官や医師だけでなく、なにより遺族の負担を軽減できる」と話している。


岐路に立つ被災地の「仮設商店街」 迫る退去期限、新設への移転進まず
THE PAGE 3/11(土) 14:30配信

 東日本大震災から6年を迎えた被災地で、震災後に復興支援として建てられた「仮設商店街」の多くで設置期限が迫っています。

 独立行政法人の「中小企業基盤整備機構」(中小機構)が建設し、各自治体を通して被災した商店主などに無償で店舗を提供してきた仮設商店街は、岩手、宮城、福島など被災地に合わせて70か所。しかし、2017年2月末時点で閉鎖されたのはこのうち18か所で、残りの仮設商店街の多くも、この3月末から2年以内に退去・撤去の予定になっています。テナント料や集客への不安などの理由から新しい商業施設や常設店舗への移転は思うように進んでいません。

「仮設」から「新設」に移転する店舗はゼロ
 福島県いわき市にある久之浜地区の商店街は、東日本大震災の地震と津波で全壊する被害を受けました。そんな久之浜にあって地元小学校の敷地を間借りしてる「浜風商店街」は、震災後で最初にオープンした仮設商店街。プレハブ1階建てで、2011年9月、食堂やスーパーマーケット、理容室、駄菓子屋さんなど、9店が集まって営業を始めました。「からすや食堂」の遠藤貴美さん(56)は、仮設商店街が地域のコミュニケーションの拠点だったと話します。

「この商店街は、地元の人も、地元以外の人も、本当にいろんな人たちが来てくれたんだよね。だから、来てくれた人たちには、気持ちよく帰ってもらえるようにって笑顔で迎えてきたんです。みんなここに集まって、お茶飲んで……。でも、このお店も一応3月いっぱいまで。4月からは元の場所に戻って営業することになってるけど、まだはっきりしてないの」

 「浜風商店街」の退去期限は3月末の予定です。「からすや食堂」の新しい店舗も建築中ですが、建築業者の人手不足もあり、店舗が再オープンする日程が未だに決まってないのです。

 久之浜では、この4月、かさ上げした沿岸に新しい商業施設「浜風きらら」が新設オープンする予定ですが、「浜風商店街」から移転する店は1軒もありません。商店主たちは口々に、経済的に条件が合わなかったと言います。

 一足早く仮設店舗から卒業し、元の場所をかさ上げしてスーパー「はたや」を再建した遠藤利勝さん(52歳)は、経営が黒字になる見込みはまだ立たないと言います。

「あんまり考えても仕方ない。動いている方がいい。そう思って店を再建しました。でも、ご覧の通り、この近所で全壊した家は、まだほとんど再建してません。『浜風きらら』も4月にならないとオープンしないし、復興住宅などからこの辺りにつながる橋もまだ建設中です。復興が進んで新しい人の流れができてくれば、何とかなるかなって思ってるんですけど……」

 これは、久之浜だけに限った話ではありません。岩手・宮城・福島の津波被害の大きかった沿岸地域では、仮設店舗から店を再建しても多くの場合、肝心の客が集まらずに売り上げが見込めないという現実があります。

復興需要に頼らず離れた地元の客を取り戻す
 宮城県の調査によると、2016年10月時点で県内の仮設商店街で営業する302店舗のうち、262店舗が営業継続を希望していますが、そのうち約42%の111店が「再建方法は未定」と回答。その理由として、復興の遅れなどで再建場所の確保が困難である事や、売り上げの回復が見込めない事をあげています。

 宮城県南三陸町の「さんさん商店街」は、2012年2月にオープン後、年間で20~40万人もの観光客などが訪れる人気スポットでした。2016年12月に仮設商店街は閉鎖、沿岸のかさ上げされた地域で新たに常設の「さんさん商店街」が建てられ、今年3月3日に再オープンしました。

 しかし、仮設店舗から常設店舗へと移転したのは32店舗のうち23店舗。地元で長く親しまれた「豊楽食堂」は、常設店舗には移転せず休業する事を選択した一軒です。仮設の「豊楽食堂」を切り盛りしていたのは、岩田大さん(29)。仙台で板前修行をしている身でしたが、祖母が仮設商店街で店を再建するのを機に、祖母の店の厨房に入り腕を振るってきました。

「移転の話がなければもっと続けてたかもしれませんが、自分の力不足です。テナント料などの関係もありますけど、自分の場合は、もう一度ちゃんと腕を磨きたいと思ったんです。このまま観光客とか復興関係者で賑わってる状況が続くとは思えない。未熟な自分を支えてくれた商店街の人たちや、『店を再開するときにはまた来るよ』と言ってくれたお客さんたちを裏切らないためにも、ちゃんと腕を磨きたいです」

 震災前は街の中心地にあり、ほどんど地元の人だけが利用していた「豊楽食堂」でしたが、震災後は地元の人たちが離れてしまったと岩田さんは実感しています。だからこそ、地元の人たちに親しまれるような店をもう一度南三陸で再開したいと決意を語ってくれました。

地域が復興しなければ商店も再建できない
 仮設住宅とは異なり、多くの仮設商店街は、土地の所有者が返還を求めたり、区画整理などの都合で立ち退きを要求されたりしない限り、行政の判断次第で延長可能です。その一方で、仮設商店街を撤去する際の費用を国が負担する期限が最大で7年半と限られています。

 復興庁の担当者によると、仮設商店街の撤去費用には、数百万から数千万円かかるといいます。そのため、結果的に多くの仮設商店街がこの春から2年以内に撤去することになるのです。自治体や中小機構としても、地元の復興状況などを十分に考慮して、無理のない退去を求めていますが、その一方で、被災店舗の「自立」のためにも、他の再建支援などを積極的に活用するよう促しています。

 久之浜の「浜風商店街」でも、3月末ですべての店舗が退去する方針となっているものの、各店舗の再建状況などを様子を見ながら閉鎖していく見込みです。「はたや」の遠藤さんはこう話します。

「これまではあっという間の6年間。でも、店を再建して久しぶりに来てくれたお客さんの顔とか見ると、お互いに年取ったなって。6年間はやっぱり長い時間です。今までは原発作業員の人たちや観光客の人たちが来てくれたけど、これからは久之浜が魅力ある地域になるようにしないと。お年寄りが元気に暮らして、震災や原発事故で地域を離れた若い人たちが戻ってこようかなって思えるようにね」

 被災地の生活圏を復興させるために欠かせない商店主たち。しかし、地域が復興しなければ商店主たちも再建できないというもどかしさを抱えるなかで、新しい岐路に立っています。

(フリーランス編集者/渡部真)


「言葉遊び」ばかりのごみ最終処分場議論…「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」って分かりますか?
産経新聞 3/11(土) 14:00配信

 原発の運転で出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」を地下に埋めて処分する最終処分地の選定をめぐり、政府が公表を予定している「科学的有望地」のマップ公表の議論が迷走している。国民の誤解を恐れるあまり、言葉の言い換えが相次いでいるのだ。その結果、専門家からは「分かりにくくなっている」との指摘も出ており、今後も議論は二転三転する可能性がある。(社会部 蕎麦谷里志)

 「科学的有望地という表現については、さまざまな誤解を招くという指摘や、いたずらに不安をもたせるという声もある。本日はそれを踏まえて、『マップ』と言いたい」

 2月28日に行われた、マップ公表について検討する作業部会。冒頭、経済産業省資源エネルギー庁放射性廃棄物対策課の小林大和課長は、そう述べると、今後は科学的有望地という表現は使わないことを表明した。ただ、代替の名称についての提案はなかった。

 科学的有望地のマップは、核のごみの最終処分地を決めるにあたり、政府が公表を検討している日本地図だ。活断層や火山といったリスクに応じて、最終処分地としての適正を3段階に色分けすることが検討されてきた。

 昨年末に公表する予定だったが、最終処分について国民の理解が十分に進んでいないことなどを理由に公表が見送られた。

 マップ公表にエネ庁が慎重になるのには理由がある。混乱が生じて誤解が広がれば、政府が進めようとしている最終処分場の建設が頓挫しかねないからだ。

 マップの提示は処分地を決める第1段階だ。まずマップを提示し、国民に最終処分についての関心を高めてもらうのが最大のねらいで、その後、国民的議論が広がる中で、詳細な調査を受け入れる自治体が現れることが期待されている。

 それだけに、作業部会の委員も「マップを提示してからの長い道のりを考えると、最初のところでボタンを掛け違わないようにという姿勢が大切だ」と、慎重な対応を求めている。

 しかし、慎重な議論を重ねた結果、次々と“禁句”が生まれる新たな問題が生じている。

 例えば「候補地」という用語。エネ庁はマップについて「候補地を示したものではない」と強調し続けている。マップを公表した時点で、候補地選定が始まっていると誤解されれば、冷静な議論ができなくなるからだ。エネ庁の小林課長が「科学的有望地」というマップの名称を使わないと表明したのも、「有望地」という言葉が、「候補地」と同様の印象を与えかねないからだ。

 最近は「適正の有無」に関する用語も使わない方針が確認された。

 マップは「適正が低い」「適正がある」といった表現を使い、3色に色分けされる予定だった。それが、「好ましくない特性があると推定される」と「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」という表現に置き換えることが決まった。

 処分地の適正は、実際に文献を調べ、詳細な地質調査などを行わなければ分からない。そのため、マップ公表段階では最終処分地としての適正は判断できず、「適正」という言葉の使用を避けたのだ。

 ただ、作業部会の委員の一人は「マップの要件は変わらないのに言葉を言い換えてやわらかい表現にした結果、分かりにくくなるのはよろしくない」と指摘。また、別の委員からも「用語を丁寧にしたのはすばらしいが、長い説明は1回で理解できない人もいる。省略版も考え、誤解を招かないことが大事だろう」といった意見が出ている。

 分かりやすさを追求すれば誤解を招き、誤解を恐れて正確さにこだわると、回りくどくい説明となる…。分かりやすさと正確さの両立という難題に、エネ庁の担当者も頭を悩ませているのだ。

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