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2017年3月 9日 (木)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2206

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<大震災6年>富岡高休校式を臨時災害FMが放送 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:餅つき、陶芸、フリマ…津波に耐えた古民家から人の輪 福島・いわき市「清航館」の名に込められた思い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「原発いじめ」、全国で状況調査へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大川小、遺族と卒業生の6年 続く裁判と校舎保存と - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:核燃料船の使用終了合意=147億円超投入「開栄丸」―原子力機構 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発事故「続いている」=規制委員長、職員に訓示 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年 原発避難者の声一冊に 苦悩、福島への思い… 関西のネットワーク団体作製 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災、11日で6年=避難なお12万人―残る原発事故の影響 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:いざという時頼りになる丘…ドローンから見る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:核燃料取り出し、準備段階で悪戦苦闘=3号機は再延期―福島第1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:過渡期の二重ローン対策=個人版は熊本にも適用、拡充急務―東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高線量、堆積物…謎多く=燃料大半、原子炉内か―2号機調査は一歩前進・福島第1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島第1、廃炉作業に遅れ=汚染水百万トン超、費用膨らむ恐れ―東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:不明者を集中捜索=震災6年を前に―宮城県警 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<熊本地震>7校が母校で卒業式できず 改修が間に合わず - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「脱線しない」新幹線、在来線駅は内陸へ=今も続く地震・津波対策-JR東 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災とVRの意外な関係性。福島第一原発の中に入ってみると…。 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:状況把握へ調査=原発避難いじめ―松野文科相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:富岡に元気を!4・1避難解除の町にホテル建設中 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:避難解除の町に希望を、浪江町に本格海鮮料理 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大津波襲った荒浜で鎮魂「能」舞台 砂浜で小石拾い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島道路除染、10自治体で遅れ…仮置き場満杯 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:いじめ、一人で悩まないで=内堀福島県知事インタビュー―東日本大震災6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島第1原発事故>困窮する「自主避難者」 神奈川 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災直後に入学の6年生、仮設校舎で5年8か月過ごし新校舎で卒業…東日本大震災から6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:事故後「差別」、心の傷に=福島原発の東電社員調査―順天堂大 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<復興住宅>埋まらぬ…自宅再建/隣町に移転 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<復興住宅>空室2割超…9市町 ニーズ変化、一般向けにも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<復興>「2020年度以降も」4割 42市町村長調査 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<被災猫>新しい家族を…ふれあいサロン、本格営業 福島 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<茨城・シイタケ農家>生産再開見通せず 出荷制限影響今も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:TSUNAMIバイオリン、奇跡の一本松で献奏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:1号機、14日から内部調査=水の浮遊物採取も―福島第1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<風評被害>東電に5300万円賠償命令 栃木のゴルフ場に - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<大震災6年>富岡高休校式を臨時災害FMが放送
毎日新聞 3/10(金) 18:13配信

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福島県立富岡高校の休校式=福島市のパルセいいざかで2017年3月1日午後2時30分、西田真季子撮影

 東京電力福島第1原発事故の影響で今年度末に休校する福島県立富岡高校の休校式が1日、福島市の「パルセいいざか」で開かれた。11日に富岡町の臨時災害FM「おだがいさまFM」で休校式の模様が放送される。

 富岡高は1950年、富岡町に開校し、原発事故後は県内外のサテライト校に分散して存続していた。富岡町は現在、全町に避難指示が出され、4月1日に一部解除される。

 高校OBらも駆けつけた休校式では、式典のステージ上に休校前最後の卒業生62人が手形で作った「復校富高」のパネルが掲げられた。卒業生を代表して山澤直貴さんが「普通の卒業生には母校を訪れ、お世話になった先生方や部活動の後輩たちに会いに来る楽しみが生まれます。しかし私たち富岡高校の卒業生にはありません。とても寂しく残念でなりません。しかしいつか必ず、富岡高校は再開すると信じています」と「明日への誓い」を述べ、会場全員で校歌を斉唱し、学校の再開を願った。【西田真季子】


餅つき、陶芸、フリマ…津波に耐えた古民家から人の輪 福島・いわき市「清航館」の名に込められた思い
産経新聞 3/10(金) 18:00配信

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築200年以上の古民家「清航館」。東日本大震災の津波で被災したが、修復後は地区内外の人々が集う場になっている=福島県いわき市中之作地区(写真:産経新聞)

 2階の窓から外を眺めると、眼下には太平洋が広がる。港に停泊する船が、規則的に打ち寄せる穏やかな波に揺られていた。

 福島県いわき市の南東部に位置する中之作(なかのさく)地区。ここに築200年を超す古民家がある。かつては豪商が暮らしたという木造2階建て。大きなはりに漆塗りの柱、精巧な作りの神棚や螺(ら)鈿(でん)細工の棚が目を引く。

 名前は「清航(せいこう)館」。ここから始まる-との意味が込められている。人が集い、つながり、その輪が広がる。そんな場所だ。

 「もう諦めなさい」。清航館の管理人で、設計事務所を営む豊田善幸さん(47)は、住人だった高齢の女性にこう諭された。東日本大震災後に、建物を買い取りたいと持ち掛けたときのことだ。

 女性は震災の直前、この家の改築を豊田さんに依頼。「どう直そうか」。思いをめぐらせていたところに大地震と津波が襲う。床上50センチほどまで浸水し、室内は建具が散乱していた。だが、豊田さんは「まだ使える」と確信していた。

 いわき市内には、津波で多くの家屋が流失した地域がいくつもある。だが、中之作は湾状の地形が幸いしてか、1人の犠牲者も出ず、建物の被害も比較的小さかった。

 古くから港町として栄えたこの地域は、船主や商家などの立派な建物が数多く残る町並みが広がっていた。

 だが、震災後、家屋は姿を消し始めた。住民には高齢者が多く、修復や維持管理を諦めて、行政に無償で解体してもらうことを決めたからだった。

 「せっかく地震と津波に耐えて残ったのに、歴史のある港町の風景を、人間が壊し始めている」

 危機感を覚えた豊田さんは、家々と町並みを残すために動き出す。そのスタートが清航館だった。

 とはいえ、200年もの歴史のある建物を、一人で直すのはたやすいことではない。地区を盛り上げるためのNPO法人を立ち上げ、企業からの助成金を生かして修復に乗り出した。関わった人数は、ボランティアなど延べ1千人を数える。土壁塗りに障子やふすまの張り替え、床の塗装…。完成までに2年を費やした。

 「いつまでやってるんだ」「どうせ途中で投げ出すだろ」。地元の住民も初めは半信半疑だった。だが、餅つきや陶芸、フリーマーケットなどを行い、人が集まるようになると、疑いの目は自然と好意的なものに変わった。

 「今度、ここで新年会やろうよ」。地元の人たちから、そんな声が上がるようになった。豊田さんたちの活動への理解は、着実に深まっていった。

 清航館の修復が終わった後、1人の若い女性が訪ねてきた。建物を見て、豊田さんにこう言った。

 「この家を守ってくれてありがとうございます。また来てもいいですか?」

 住人女性の孫だった。

 豊田さんは、笑顔でうなずいた。(野田佑介)


「原発いじめ」、全国で状況調査へ
ホウドウキョク 3/10(金) 17:12配信

東京電力福島第1原発事故で、避難している子どもへのいじめが相次いでいる問題で、文部科学省は全国の状況について、取りまとめる方針を明らかにした。
松野文科相は「年度末を迎えるにあたり、通知のフォローアップとして、状況を把握したいと考えている」と述べた。
福島第1原発事故で避難した児童生徒へのいじめをめぐり、文科省は、2016年12月、教育委員会を通じ、全国の学校に対応を求める通知を出している。
松野文科相は、閣議後会見で、通知のフォローアップを行う方針を明らかにした。
文科省は、年度末に向け、福島県を中心とした全国の学校に対して、いじめの有無や現在の状況について確認を行ったうえで、取りまとめた結果を公表することにしている。


大川小、遺族と卒業生の6年 続く裁判と校舎保存と
THE PAGE 3/10(金) 16:40配信

 2011年3月の東日本大震災による津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校には、いまも連日のように、多くの人が訪れています。震災当日の津波からの避難をめぐって裁判が続き、校舎は震災遺構として保存が決まりました。あの日から、もうすぐ6年。遺族や卒業生らはどのような思いで震災をみつめるのでしょうか。

 紫桃(しとう)さよみさん(50)は、大川小に通っていた次女の千聖さん(当時小学5年)を震災の津波で亡くしました。仏壇には毎日、「おはよう」と声をかけています。6年前は家族7人でしたが、両親は他界。長男と長女は進学や就職のため、家を離れました。いまでは夫婦2人だけです。

「荷物は7人分あります。でも、(処分するか)迷っています。夢に出て来たとき、千聖が『いつまでも気にしなくてもいいよ』と言っていましたし」

 大川小は北上川の河口から約4キロに位置します。さよみさんは震災当日、さらに1.6キロ上流にある大川中学校で長男の卒業式に出ていました。その後、大川小から4キロほど上流にある福地地区の自宅に戻りました。そのとき地震があったのです。

 自宅には両親と長男、そしてさよみさんの4人がいました。動揺する両親を落ち着かせていたところ、時計を見ると、午後3時でした。余震が続くなか、スクールバスで帰宅する時間になりましたが、バスは来ません。108人の児童のうち、74人が津波にのまれて、死亡・行方不明となりました。その中に千聖さんもいました。

 あれから6年。福地地区の亡くなった児童の5遺族のうち、4遺族が合同で3月5日に7回忌の法要を行いました。同地区は津波被害がないため、合同でできる環境があります。さよみさんはこう話します。

「3回忌までは5遺族でしていました。今回参加しなかった遺族は、子どもが亡くなった現実を受け入れられないのでしょう。その気持ちはわかります。そのため、私は(子どもがなくなった現実を受け入れないといけないという)気持ちを追い込んで、あえて(共同の法要に参加し)やらないといけない状況を作りました」

 月命日にはしばらく学校の校舎に通っていましたが、最近は、掃除当番のときだけです。

「千聖がいつまでも学校にいるとは思っていません。もう家に帰って来ているんじゃないでしょうか。私が寂しいときには私のそばにいます。おじいちゃんとお姉ちゃんが喧嘩したら仲裁に入る、そんな子でした」

 千聖さんの肌の感覚や髪の匂いも覚えているという、さよみさん。押入れにある服はもう匂いが抜けているようで、寂しそうに話していました。

「何があったのかをこれからも伝えたい」
 被災した大川小校舎は、震災遺構として保存することが決まりました。その決定には、さよみさんの長女ら卒業生たちの意見表明が影響を与えました。「校舎を残して欲しい」。そう言えた背景には、宮城県内のNPOによる心のケアを含めた学習支援がありました。

 「ここねっと発達支援センター緊急こどもサポートチーム」のスタッフ、長谷川浩一さん(45)は「震災当時小6だった子どもたちへの、高校受験のための学習支援をした震災3年目が大変だった。(心の)ダメージが全然違う。それまでのやり方が通じませんでした。ダメージが大きい分、個別に面談を繰り返しました」と語ります。

 同じくスタッフの別所英恵さん(40)は「すぐに携帯をいじってしまうなど、携帯依存がひどかった。でも何とかしたいと本人たちも思っていました。学習と向き合う、自分と向き合うためのエネルギーをためていたのです。逃避していたら、勉強会に来なかったのではないでしょうか」と振り返りました。

 代表の佐藤秀明さん(60)はこう分析します。

「逃げ出した先が勉強会だったのではないでしょうか。逃げ出すのも自分と向き合うことです。それも自分の意思です。究極にダメージを受けた子どもたちは、いまだに向き合いきれず、答えが出ていない場合もあります」

 佐藤さんの息子・周作さん(19)も同年代としてサポートしようと、学習支援に参加しました。

「最初は(さよみさんの長女たちに)どうやって接するべきか悩みました。でも、受験で大変な時期に、真剣に向き合ってくれるここねっとのスタッフがいたのです。そのためにエネルギーが回復し、最終的にはみんな高校に合格しました」

 子どもたちはこうしたサポートによって、震災で傷ついた心を落ち着かせることができました。そして、校舎を保存するか、解体するか住民の間で議論が始まり、子どもたち同士でもどうするべきか話し合いました。ここねっとのスタッフや親たちはあえて意見を言いませんでした。最終的に、卒業生たち自身が校舎保存を希望し、意見表明につながったのです。

 地域には、悲惨な津波被害を思い出すからと校舎保存に反対の意見もあるなか、「唯一残った形のある場所。唯一の心の居場所」であると同時に、「大川小で何があったのかをこれからも伝えたい。あるのとないのとでは伝わり方が違う」と地域の会合で堂々と自分たちの意見を述べました。

 2015年3月に仙台市で開催された「国連防災世界会議」の「世界防災ジュニア会議」でもプレゼンテーションしました。こうした動きもあって、2016年3月、市は校舎の保存を決めました。今でもたくさんの人が校舎を訪れています。そして、語り部の活動も行われています。

「学校は子どもを守らなくてもいいのか」
 震災当日の小学校側の避難行動をめぐって、児童23人の遺族が県と市を訴えた裁判はいまも続いています。2016年10月、一審の仙台地裁(高宮健二裁判長)判決では原告側の勝訴。宮城県と石巻市に14億2658万円の支払いを命じました。

 県の浸水予測では大川小に津波は及ばないとされていましたが、津波が北上川河口付近の松林を越えたことで、当日の午後3時半ごろまでに、市の広報車が高台への避難を拡声器で呼び掛けながら、児童らがいた小学校の前を通過しました。そして同3時37分ごろ、津波が大川小に到達したのです。

 最大の焦点は、大川小に津波が来ることを教員たちが予見できたか、でした。判決では、市の広報車が呼びかけた時刻には知り得た、としています。しかし、県も市も控訴しました。そして遺族側も控訴しました。さよみさんはこう話します。

「(県や市が)控訴したときは悔しかったです。災害時に、学校は子どもを守らなくてもいい、という意味にも取れます」

 震災から6年。さよみさんはいまだ区切りをつけられない思いを抱えています。仙台高裁での控訴審の初弁論は3月29日。遺族たちの思いは届くのでしょうか。

(ライター/渋井哲也)


核燃料船の使用終了合意=147億円超投入「開栄丸」―原子力機構
時事通信 3/10(金) 16:11配信

 日本原子力研究開発機構は10日、核燃料輸送船「開栄丸」の使用を終了することで関係事業者と合意したと発表した。

 2015年11月の行政事業レビューで、廃止を含めた見直しを求められていた。

 原子力機構によると、開栄丸はこれまでに、新型転換炉「ふげん」(福井県敦賀市)で使用されたウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を3回、関西電力大飯原発(同県おおい町)の核燃料を1回運んだ。維持費などに計118億円が掛かった上、終了に伴う費用としてさらに29億5000万円が投じられる。


原発事故「続いている」=規制委員長、職員に訓示
時事通信 3/10(金) 15:27配信

 東京電力福島第1原発事故の発生から6年となるのを前に、原子力規制委員会の田中俊一委員長は10日、東京都港区内の規制委が入るビル内で、約480人の職員を前に訓示した。

 田中委員長は事故の影響に触れ、「現状では(避難した地元住民で)帰還を諦めざるを得ない人も少なくない」と指摘。「事故はまだ続いて、先の展望を見いだせないまま6年過ぎたというのが実感ではないか」と語った。その上で「私たちに何ができるかが問われている」と述べた。


東日本大震災6年 原発避難者の声一冊に 苦悩、福島への思い… 関西のネットワーク団体作製
産経新聞 3/10(金) 15:15配信

 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故から6年となるのを前に、関西へ避難している人たちでつくるグループが、避難者約100人の経験や思いをまとめた冊子「3・11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~」を作製した。原発事故で避難を余儀なくされている子供たちへのいじめ問題や、長引く避難生活への苦悩、故郷への思いなどを収録。グループは「埋もれつつある避難者の思いを知ってもらい、次の災害への教訓にしてほしい」としている。

 冊子を作ったのは、原発事故から逃れて関西に避難してきた人たちのネットワーク「東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream」。避難者同士の思いを共有し広く発信しようと、ホームページなどで避難者の声を募り、これまで震災関連イベントなどで展示してきた。今回まとめたA5判127ページの冊子には、福島県などからの避難者約100人から寄せられた手記や川柳などが収録されている。

 「避難民 いつまで経(た)っても 根なし草」「一言で 大変だったね ああむなし」-。避難の現状や苦悩をうたった川柳は約60句を収録。体験をつづった手記には、「避難しても、とどまっても、どちらにしても辛(つら)い思いは皆同じ」「子どもはもはや福島の方言すら話すことはできません」など、長引く避難生活の中での葛藤がにじむ。福島県いわき市から埼玉県に避難した小学2年の女児の手記には、仲の良い友達と離ればなれになった辛さとともに、「じしんときくとからだがふるえてないてしまいます」とつづられている。

 全国的に大きな問題となっている原発避難いじめにも触れている。福島県から避難した女子学生が「こいつの線量測れ」とバイト先で指さされた事例なども収録されている。一方、長期化する避難生活のなか、「寄り添い、支え、励まして応援をしてくださったから、避難者は現在まで倒れずに避難生活を続けることができています」といった避難先の支援者への感謝も寄せられている。

 執筆者の一人で、福島県郡山市から大阪市に母子で避難している同会代表の森松明希子さん(43)は「事故の記憶の風化とともに、いじめなどの無理解を恐れて避難者であることを隠す『隠れ避難民』がどんどん増えている」と指摘。「避難者それぞれに違った体験と思いがある。当事者だからこそ見える課題を伝え、一人でも多くの人に自分のこととして考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 冊子の希望者は部数や名前などをメールで同会事務局(sandori2017@gmail.com)に連絡する。販売はしていないが、1冊あたり500円の協力金を募っている。13日に同会が大阪・梅田の阪急三番街南館地下1階で開く東日本大震災6年イベントでも冊子を配布するという。


東日本大震災、11日で6年=避難なお12万人―残る原発事故の影響
時事通信 3/10(金) 14:13配信

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11日に東日本大震災から6年を迎える「奇跡の一本松」(中央)。奥は海岸線復旧工事でほぼ完成した防潮堤=10日午前、岩手県陸前高田市(小型無人機より)

 東北地方を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から11日で6年を迎える。

 復興庁によると、避難者はこの1年で約5万人減少したものの、いまだ12万3168人(2月13日現在)に上る。東京電力福島第1原発事故の影響で故郷へ戻れない人が多く、避難した児童・生徒らへのいじめも各地で発覚。原発事故に基づく風評が残っている。

 11日午後、政府主催の追悼式が東京都内で開かれ、秋篠宮ご夫妻が臨席される。被災地でもそれぞれ慰霊の式典が行われる。

 警察庁によると、死者は10日現在、12都道県の1万5893人、行方不明者は2553人。震災による負傷の悪化などで死亡した「震災関連死」を合わせると2万1000人を超える。

 復興庁によると、被災者向けの災害公営住宅は1月末時点、岩手、宮城、福島の3県で計画の8割弱に相当する約2万3000戸が完成した。地域の中心となる商店街の開業や新たな町の開発など、復興は道半ばながら進んできている。

 一方で、プレハブの応急仮設住宅に住む被災者は1月末現在、3県合わせて3万5503人おり、高齢化も進行している。長期に及ぶ仮設での生活で、心身の健康状態が懸念される。集団移転先ではコミュニティーづくりが課題になっている。

 沿岸部では、防潮堤の建設やかさ上げ工事が続いている。復興庁によると、防潮堤などの海岸対策工事は1月末で計画の3割弱が完了しただけで、高台への移転も宅地造成が終了したのは計画戸数の6割にとどまる。

 福島では、原発事故に伴う国の避難指示が今春、飯舘村や浪江町、川俣町、富岡町で帰還困難区域を除き解除される。病院や商店、交通機関など生活するうえで必要なサービスの復旧が課題となっており、放射線への不安も抱える住民がどれだけ戻るかは不透明だ。福島第1原発では、30~40年かかるとされる廃炉へ向けた作業が続く。


いざという時頼りになる丘…ドローンから見る
読売新聞 3/10(金) 14:02配信

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仙台市若林区の沿岸部に完成した「避難の丘」(仙台市若林区で、許可を得て小型無人機から)=飯島啓太撮影

 名取川河口近くの仙台市若林区藤塚に高さ15メートルの「避難の丘」がある。

 「周りは平地なので、いざという時に頼りになる」と、犬を散歩させる男性(64)は言う。

 階段と緩やかなスロープが併設され、最上部の広さは140平方メートル。津波発生時に70人が一時避難できる。あずま屋と太陽光発電による照明も設けられている。

 6年前、海岸公園の展望台が5人の命を救った。この教訓から市内沿岸部に造られ、4か所目となる。丘から周囲が見渡せ、防災や復興の様子を学ぶ場にもなっている。


核燃料取り出し、準備段階で悪戦苦闘=3号機は再延期―福島第1
時事通信 3/10(金) 13:42配信

 極めて強い放射線を放つ使用済み核燃料の取り出しは、準備段階で苦闘が続いている。

 東京電力福島第1原発1~3号機の各プールには、事故から6年たっても核燃料が残されたまま。3号機は取り出し開始時期を2度延期しており、作業の難しさが浮き彫りになっている。

 3号機の原子炉建屋は6年前、水素爆発を起こして大破した。建屋5階のプールから燃料を取り出すには、がれきを撤去して新たな装置を設置する必要があるが、現場は極めて強い放射線にさらされていた。

 東電は遠隔操作による除染で放射線量をある程度下げたが十分ではなく、線量が高い所に鉄板などを設置する対策に時間がかかった。線量は下がりつつあるが、現在も毎時0.2~8.4ミリシーベルトの厳しい環境で準備作業が行われている。

 3号機プールの燃料取り出しは当初、2015年度上半期に開始する予定だった。東電と政府は15年6月に延期を発表。18年1月に先送りしたが、今年1月には再び延期を決断せざるを得なくなり、「18年度の中頃」に変更した。

 1号機と2号機の各プールの搬出開始は、さらに先の20年度が目標。1号機も原子炉建屋が大破しており、プールがある階は、がれきの撤去に向けた調査が続く。地元は放射性物質の飛散を懸念しており、防止策を施しながらの慎重な作業が求められている。

 水素爆発を免れた2号機原子炉建屋は、プール周辺の様子が外から見えず、内部は放射線量が高く調査が難しい。最終的には建屋上部を解体して取り出し装置を設置する方向だが、まず内部の状況把握が必要になる。建屋の外壁に沿って足場を建設し、外から調査用の穴を開ける準備が進む。

 事故当時は停止中で、比較的放射線量の低い4号機はプールの燃料搬出が終わっているが、炉心溶融を起こした1~3号機の取り出し作業の難易度は4号機の比ではない。

 全てのプールからの燃料を取り出しても、その後の行き先は決まっていない。敷地内で長期間保管される可能性が高く、溶け落ちた核燃料(デブリ)の処理を含め、さらに難しい課題が残されている。


過渡期の二重ローン対策=個人版は熊本にも適用、拡充急務―東日本大震災6年
時事通信 3/10(金) 13:42配信

 東日本大震災で新たなローンを抱えた被災者・企業を救済する二重ローン対策が過渡期を迎えている。

 震災から6年。利用件数が頭打ちとなる中、個人向けは対象を全国に広げ、熊本地震にも適用された。南海トラフ巨大地震など広域で大規模な災害の発生に備え、制度の拡充が急務となっている。

 震災後、個人の支援を目的に設けられたのが「個人版私的整理ガイドライン(指針)」だ。指針に沿って返済計画を作成すれば、破産などの法的手続きを経ずに、金融機関から住宅ローンなどの減免を受けることができる。

 適用条件を一部緩和したこともあり、成立件数は計1300件を超えた。最近は横ばいで推移する中、仙台弁護士会の小向俊和弁護士は「引き続き支援ニーズの掘り起こしが課題だ」と訴える。

 当初は指針の作成に時間がかかり、運用開始は震災から5カ月後と遅れ、初の債務整理が成立したのは1年2カ月後の2012年5月だった。被災地の自治体関係者は「震災直後の支援が十分ではなかった」と悔やむ。

 震災当初の教訓も踏まえ、全国銀行協会などは15年12月に、個人版の新たな指針を公表。対象を全国に拡大した上で、台風なども含め大規模自然災害に見舞われた被災者に広げた。運用開始は熊本地震の発生直前の16年4月。熊本では複数の被災者が債務を免除され、安全網の役割を果たした。

 企業向け対策では、国と地方金融機関などが出資し、岩手、宮城、福島など被災5県で設立された「産業復興機構」と、議員立法による「東日本大震災事業者再生支援機構」が並立。当時の民主党政権が設けた復興機構に、自民党が対抗して支援機構を立ち上げ、「実績づくり」(政府関係者)を競い合った。

 宮城県の中小金融機関は「同じような組織で分かりにくかった」と振り返る。被災企業がどちらを利用するか悩むケースもあり、茨城、千葉両県の復興機構が15年から金融機関からの債権買い取りをやめ、支援機構に一本化する動きも出ている。

 支援機構が救済した企業数は現在700社強に上る。松崎孝夫社長は「再生可能な事業者はほぼ支援してきた」と強調する。今後は個人向けと同様に、全国版の公的支援機関への衣替えが課題となりそうだ。


高線量、堆積物…謎多く=燃料大半、原子炉内か―2号機調査は一歩前進・福島第1
時事通信 3/10(金) 13:42配信

 東京電力福島第1原発1~3号機で溶け落ちた核燃料(デブリ)は、どこに、どのような形で存在しているのか。

 今年1月の調査で初めてカメラが2号機圧力容器下の様子を捉えたが、デブリの位置や形状は依然分からず、多くの謎が残ったままだ。

 6年前、運転中だった2号機の圧力容器には548体の核燃料があった。炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機の中で、最も長く冷却が維持されたとみられ、溶融の進展が遅かった可能性がある。

 今回、2号機の格納容器内部に投入されたカメラが撮影したのは、圧力容器下の金網状の作業用足場にこびり付いた堆積物だった。高温で溶けた核燃料の一部は圧力容器の底を突き抜け、格納容器の底部に落ちたとみられる。堆積物はデブリの可能性があり、確認できれば取り出しに向けた準備が進むと期待された。

 ところが、近くの放射線量は画像解析から毎時20シーベルト程度と推定された。人間が浴びれば20分ほどで死亡する高線量だが、「デブリが近くにあれば、もっと高い値になるのでは」と東電の広報担当者は首をかしげた。

 2月に投入した自走式ロボットには線量計が搭載され、圧力容器下に至る手前で毎時210シーベルトを測定した。東電は核燃料が高温になり、気体になったセシウムなどの放射性物質が部分的に付着した可能性を指摘するが、原因は分かっていない。

 一方、確認できた範囲では、圧力容器の底に大きな損傷は見つからなかった。圧力容器の損傷が少なければ、格納容器に落ちたデブリも少ないとの推測が成り立つ。

 宇宙から降り注ぐ宇宙線で原子炉を透視し、核燃料の位置を推定する調査でも、2号機は圧力容器の底にデブリのような物が多くたまっているとの解析結果が出ており、内部調査の結果と符合する。デブリの大部分が圧力容器の中にあると分かれば、取り出し方法の検討が進む可能性もある。

 東電は1号機でも今月、ロボットを使った内部調査を行う。目標に掲げる今夏までのデブリ取り出し方針決定には、できるだけ多くの情報が必要だ。2号機の調査は一歩進んだが、ゴールはまだはるか遠くにある。


福島第1、廃炉作業に遅れ=汚染水百万トン超、費用膨らむ恐れ―東日本大震災6年
時事通信 3/10(金) 13:41配信

 甚大な被害をもたらした東京電力福島第1原発事故の発生から11日で6年を迎える。

 この1年の廃炉作業は工程の遅れが目立ち、延期を余儀なくされる事態が相次いだ。タンクや建屋にある放射能汚染水は3月初めの時点で102万トンを超え、今後も増え続ける。政府は昨年、廃炉にかかる費用が総額8兆円に上るとの見通しを示したが、さらに膨らむ恐れがある。

 廃炉費用の一部は、東電が2012年9月から値上げした電気料金に含まれ、利用者に転嫁されている。政府は20年度以降、電力各社のうち東電だけは送配電網の利用者が支払う使用料を値下げせず、さらに多額の費用を捻出する方針。利用者は新電力に切り替えた場合でも負担を迫られる。

 汚染水問題ではこの1年、誤算が続いた。保管用のタンクは16年度早期を目標に、漏れにくい溶接型に切り替える予定だったが、汚染水の増加に建造が追い付かず、達成を2年以上先送りした。過去に大規模な漏えいが起きた簡易型も使い続ける。

 汚染水の増加要因となっている地下水の流入を抑えるための「凍土遮水壁」も、なかなか効果が表れない。東電は凍土壁によって1~4号機の海側でくみ上げている地下水の量が、凍結前の1日平均400トンから70トンまで減ると説明していたが、実現していない。ただ、雨が少ない冬になってくみ上げ量は減っており、東電は「効果が出てきた」と主張する。

 3号機原子炉建屋のプールに残る使用済み核燃料の取り出し作業も、想定通りに進んでいない。プールには使用済み燃料が514体、未使用が52体あり、東電は18年1月に取り出しを始める計画だったが、今年1月に見直して「18年度の中頃」とした。延期は15年6月に続き2回目となる。

 1、2号機のプールにも使用済み燃料がそれぞれ292体と587体ある。大破した1号機原子炉建屋では、がれき撤去の前段階として調査が行われており、爆発を免れた2号機は建屋内部の調査に向けた準備が進められている。

 最大の難関とされる溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しに向けた作業では、大きな変化があった。1月下旬に2号機格納容器に入れたカメラで、圧力容器下の状況が初めて判明。撮影できたのは一部だが、作業用足場などに堆積物が見つかり、デブリの可能性も指摘された。だが、その後投入した自走式ロボットは足場に到達できず、堆積物の正体は不明のままだ。

 政府と東電は今年夏までに、1~3号機のデブリ取り出し方針を決定するとしている。1号機と3号機も原子炉内の調査を進める予定だが、難航が予想され、デブリの位置や形状の把握は難しい状況が続く。


不明者を集中捜索=震災6年を前に―宮城県警
時事通信 3/10(金) 12:32配信

 東日本大震災から6年を前に、宮城県警は10日、同県内の行方不明者1230人の集中捜索を行った。

 遺品や手掛かりを見つけようと、11日まで海岸など10カ所に延べ209人を投入する。

 27人が行方不明となっている仙台市ではこの日、宮城野区蒲生地区の海岸を警察官41人が捜索。慰霊碑での黙とう後、一列に並び熊手状の器具で砂浜を掘り返しながら、海岸線を約2.5キロ進んだ。

 参加した警察学校初任科生の橋本力さん(24)は、震災の経験から警察官を志したといい、「眠っている手掛かりを見つけ、家族の方に届けられれば」と語った。

 震災の行方不明者は1日時点で計2554人。福島、岩手両県警も11日に計約560人を投入して捜索を行う。


<熊本地震>7校が母校で卒業式できず 改修が間に合わず 
毎日新聞 3/10(金) 12:06配信

 熊本地震で被災した熊本県内の公立小中学校7校が体育館などの改修が間に合わず、母校で卒業式を開けないことが分かった。復旧工事の本格化に伴う入札の不調や人手不足などで改修工事が遅れていることが主な要因となっている。

 毎日新聞が県内全45市町村の教育委員会と県私立中学高等学校協会に取材した。7校は、熊本市の小中各1校▽嘉島町の小中各1校▽宇城(うき)市と高森町の中学1校▽阿蘇市の小学1校。土砂崩れで通学できない阿蘇市立阿蘇西小は、授業をしている近くの旧尾ケ石(おがいし)東部小(閉校中)で開催する。同校と熊本市の2校以外の4校は改修工事の遅れが原因だった。

 宇城市立松橋(まつばせ)中は10日、学校近くの市総合体育文化センターで卒業式を開いた。地震で体育館の柱は折れ天井がはがれ落ちているが、2月の改修工事入札は応札業者がいなかった。同市教委は「他の工事などと重なり指名業者が参加できなかったためだろう」とみている。吉田泰幸校長は「子供たちの思い出の場所で式を挙げさせたかったが残念」と話した。

 嘉島町立嘉島中は11日に町民会館で開催する。町は卒業式までに体育館改修を目指したが昨年12月の入札は不調。業者決定後も人手と資材が不足して工期が延びた。卒業生の嶋崎彩花さん(15)は「思い出の詰まった体育館で卒業式を挙げたかったけれど、場所に関係なくいい思い出にしたい」と話した。

 卒業式を母校で予定しているものの、少なくとも御船(みふね)、高森、甲佐3町の5校が今も23日の卒業式に向けて工事中。御船町では町立小6校中3校の体育館で工事をしている。高森中央小の体育館を補修工事中の高森町教委は「間に合うが完成予定は式の1週間前でぎりぎり」としている。【浅野翔太郎、林由紀子、野呂賢治】


「脱線しない」新幹線、在来線駅は内陸へ=今も続く地震・津波対策-JR東
時事通信 3/10(金) 12:01配信

 6年前の東日本大震災では、東北地方を中心に鉄道も大きな被害を受けた。

 新幹線のさらなる安全性向上、在来線駅舎の内陸移転など、地震・津波対策への取り組みは今も続く。

 JR東日本によると、3月11日の地震発生時、東北新幹線では27本の列車が営業運転中だったが、いずれも脱線することなく緊急停止できた。このうち仙台周辺の列車2本は、時速270キロ前後で走行していたという。

 宮城県栗原市で最大震度7を観測した激しい揺れの中、高速で走行中の新幹線を無事に止めることができたのは、早期地震検知システムの地震計がいち早く揺れを捉えて列車への電力供給を遮断、自動的に非常ブレーキがかかったためだ。

 新幹線では、海岸や内陸の135カ所に地震計を設置。海岸の地震計が、強い揺れ(S波)より先に伝わる最初の微動(P波)を検知することで、システム全体が有効に機能した。

 一方、仙台駅構内では、試運転中の「はやて」が低速で脱線し、約3.5メートル走って停止する事故も起きたが、レールから大きく逸脱することは免れた。

 2004年10月の新潟県中越地震で上越新幹線が脱線したことを踏まえ、JR東日本は新幹線の台車に「逸脱防止ガイド」と呼ばれる逆L字型のガイド機構を導入。脱線した場合でも、車輪が一定以上横方向にずれるのを防ぐ仕組みで、これが実際に役立ったとしている。現在、すべての新幹線車両への設置が完了しているという。

 一方で、高架橋の線路脇に設置された架線を支えるための「電化柱」が折損して傾いたり、仙台駅構内では天井のパネルが落下したりする被害が出た。

 特に新幹線ホームの被害が激しく、パネルは線路上にも崩落したが、「入線してくる列車はなく、幸運だった」(仙台支社)と振り返る。

 JR東日本は新幹線の新たな地震対策として、車両が脱線してレールの締結金具を破壊しても、レールが転倒しない防止装置の設置作業を進めている。

 ◇列車を使い津波避難訓練も
 在来線は東北の太平洋沿岸部を中心に、津波でレールや駅舎が流出するなど、甚大な被害を受けた。JR常磐線などで5本の列車が流されたが、乗客は乗務員や偶然乗り合わせた警察官らの誘導で避難し、乗車中の死傷者はなかった。

 昨年12月10日に相馬(福島県相馬市)-浜吉田(宮城県亘理町)間の運転が再開された常磐線では、山下駅(宮城県山元町)など3駅を元の場所から内陸側へ最大1.1キロ移転。高架化したり、盛り土でかさ上げしたりした。町づくりと一体となった復旧が進められた。

 津波で1000人以上が犠牲になった宮城県東松島市。JR仙石線野蒜(のびる)駅を出て緊急停止した上り列車の乗客は、避難所に指定された野蒜小に誘導され、体育館にいたところを間もなく襲来した津波に巻き込まれた。

 新しい駅舎は、約500メートル山側に移転。旧駅舎は改装されて市の震災復興伝承館として活用されている。

 将来の災害に備えてJR東日本は社内マニュアルを作成。3月11日前後に、石巻線で津波を想定した避難訓練を実施している。女川町など自治体職員らも参加して、はしごを使って列車から降りたり、避難場所に移動したりする一連の動作を乗務員やJR社員が確認し、臨機応変な対応が取れるようにしているという。


震災とVRの意外な関係性。福島第一原発の中に入ってみると…。
ホウドウキョク 3/10(金) 11:40配信

あらゆる可能性が期待されているVR。実は今、被災地でも活用されているという。いったいどのように使われているのか。

福島第一原発2号機の建屋内へ
私がいる場所は、福島第一原発2号機の原子炉建屋・地下1階。放射線量は1時間あたり126ミリシーベルトとかなり高い。積算で100ミリシーベルトを受けると、1000人のうち5人ががんで死亡するという(※国際放射線防護委員会〈ICRP〉の計算)。本来なら長居は許されない場所だ。

それでも私が誰に止められることもなく取材できる理由。それは、ここがVR空間だからだ。本当の場所は、福島第一原発から20キロほど離れた楢葉町。去年4月に本格運用が始まった遠隔技術開発センターの中にVR(仮想現実)の研究施設がある。

前と左右の3つのスクリーンに画像が投影されていて、特殊な3Dメガネをかけて中に入ると、その場にいるかのように立体的に見えるというものだ。

原発作業員の訓練などのために作られたこの施設。メガネはかなり簡易的な上、壁と壁の実際の境界はどうしても見えてしまうので、「あたかもそこにいるかのような没入感」というと少し言い過ぎだと思うが、コントローラーを使って自由に中を移動できるので、訓練や作業計画の立案にはもってこいだ。

福島第一原発では、これまでに40台前後のロボットが1~3号機に入って、7台が未帰還になったという。1台は回収できたそうだが、他のロボットは今も原発の内部にいる。

私が体験した2号機に関していうと、水素爆発はしていないが、地震の揺れで地面のゆがみや段差などがあり、ロボットがスムーズに通って作業することができない。そうした内部の状況を知るために、レーザーを照射して距離を測定し、建設段階の図面と突き合わせて3Dで内部を再現しているのだという。

ロボットで進むと、確かに内部にある段差を確認することができた。仮にこの場所で車輪を取られることがあれば、未帰還ロボットになってしまう。モードを切り替えれば暗さを再現することも可能。実際の訓練の際には照明を当てながら進むことになる。

今年度末までには、1号機、3号機のVR映像も準備して、ロボットの性能確認や作業員の技術向上に使う予定だという。さらには、この映像を活用し、新たなロボット開発にもつなげたいと意気込む。

担当者は「いま世界で最も難しいのが福島第一原発での作業なので、この研究を進めれば、様々な原発での作業に応用できると思う」と語っていた。

被災地で利用されるVR
東日本大震災の被災地でVRが使われているのは、原発ばかりではない。

日本で2番目に長い歴史を持つことで知られていた「マリンピア松島水族館」。水族館がある宮城県松島町は東日本大震災で大きな被害を受け、ここも休館となったが、地元の人々の期待の声を受けて震災の約1カ月後に営業を再開した。

その後も地元の人々を勇気づけながら営業を続けていたが、2015年5月10日に老朽化のため閉館となり、88年の歴史に幕を下ろした。

地元の人々に愛され続けた水族館の記憶や雰囲気を何とか残せないか。そう考えて作られたのがVRコンテンツ(360度動画)だ。

仙台市の携帯ショップに無料体験スペースが用意され、当時の様子を360度の動画で見ることができる。今年1月14、15日には特別イベントが開催され、マリンピア松島水族館の元職員たちも招待された。

元職員の川村隆さんは「今は何もないあの場所に、1年7カ月ぶりにまた戻ったような体験をさせてもらいました。自分の見たいものを360度そのまま見られるので、本当にその場にいるような臨場感がありました。このVR体験を機にマリンピアを思い出してもらえれば嬉しいです」と感想を述べた。

被災地では復旧作業を進めるために震災の記憶や爪痕が次々と取り壊されていて、今のありのままの姿を360度すべて映像で残しておくことができるという点でVRは有効だ。また、「防災教育」の観点からVRを利用する団体も増えてきているので、教訓を伝える“生きた教材”として360度映像を残しておく意味も大きい。

まだまだ続く復旧・復興作業の道のり。目覚ましい技術の発展を続けるVRは、被災地での活用がさらに増えていくかもしれない。


状況把握へ調査=原発避難いじめ―松野文科相
時事通信 3/10(金) 10:29配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県外に避難している子どもへのいじめが各地で明らかになった問題で、松野博一文部科学相は10日の閣議後記者会見で「年度末を迎えるに当たり、状況を把握したい」と述べ、全国の避難児童生徒らに対するいじめの発生件数や学校の対応、解決状況などについて調査する方針を明らかにした。

 
 文科省は昨年12月、各学校で避難児童生徒らがいじめられていないか確認し、被害者支援などの対応を取るよう全国の教育委員会などに通知した。松野文科相は「通知のフォローアップとして状況を把握し、引き続き偏見や差別に基づく被災児童生徒へのいじめ防止に努めたい」と語った。

 文科省は来週中にも調査を開始し、結果がまとまり次第公表する方針。


富岡に元気を!4・1避難解除の町にホテル建設中
日刊スポーツ 3/10(金) 10:10配信

<あれから6年…忘れない3・11東日本大震災>

 東京電力福島第1原発の事故から11日で6年。4月1日に帰還困難地域を除いて避難指示が解除される富岡町では、8人の町民たちが今秋のオープンを目指し、ホテル経営に乗り出した。食料品店、青果市場、居酒屋、衣料品店、自動車ディーラー、雑貨店、スナック…。富岡駅前に建設中のホテルの名前は、ずばり「富岡ホテル」。さまざまな業種から集まった8人は、力強く前を向いている。

 津波で流されたJR富岡駅には、まだ駅舎がない。線路の海側には、除染ゴミの黒いフレコンバッグが詰まれ、その先には除染ゴミなどの処理施設が見える。町を襲った津波と放射性物質からの復旧。マイナスからの回復はまだ途上にある。

 ただ、1区画だけ、震災と事故前より、プラスへ進もうとしている工事現場がある。駅前の「富岡ホテル」建設現場だ。基礎工事を終え、真新しい4階建てのビジネスホテルの建設が始まった。

 富岡町の個人事業主8人で「富岡ホテル株式会社」を立ち上げた。社長の渡辺吏(つかさ)さん(58)は、駅前の食料品店「誠屋」の2代目。全町避難後、大玉村の仮設住宅で、避難住民向けの仮設店舗を開店。一緒に店を営んだ富岡青果市場の林芳典さん(55)と居酒屋「いろは家」の大河原宗英さん(53)の3人で「いつか、富岡で何かしたいね」と語り合ってきた構想が出発点だ。

 1000年に1度という津波と、原発事故で多くを失った。先行きは見通せない。帰るか。帰らないか。そんなことではなく、みんな生きて行かなければ。だから、一歩踏み出した。

 渡辺さんは言う。「後ろ向きじゃなく、希望を持って前向きに生きたい。一番はそこでした」。

 帰還する人がいなければ、小売店も市場も成り立たない。業種はホテルに絞られた。被災3県の事業者に再開資金の4分の3を補助する国の「グループ助成金」の利用を考えたが、複数の自営業者がそろって他業種にくら替えする例がなく、国や県との交渉は1年半にわたり難航した。

 粘り強く交渉を続け、町の商工会に相談。富岡町の雑貨店「津多屋」の坂本禎人さん(53)衣料品店「綿屋」の小林新一郎さん(49)「スナックK」の佐藤新一郎さん(42)自動車販売「音吉ホンダ」の渡辺信一さん(41)が仲間に加わった。最後には、町で別のホテルを経営していた60代男性が「熱意と覚悟は分かった」と参加。賠償金との兼ね合いもあり、国の補助金は3分の2に減額されたが、8人の決意は変わらなかった。

 事故前には借りたこともない3億5000万円もの巨額の借金も、みんなで背負い、前を向いた。

 避難指示区域で営業しているホテルはあるが、いずれも、廃炉作業や除染作業などに携わる作業員向けの寄宿舎だ。富岡ホテルは、一般客向けのビジネスホテル。66部屋のシングルルームと、3部屋のバリアフリーのツインルームの計69部屋あり、バス、トイレは別。食事は滞在型の客も考慮し、栄養士による健康に配慮した食事を提供する。ホテル1階には落ち着いたバーラウンジも入れる。部屋やロビーはウッド調の落ち着いたデザインに決めた。

 食事は、居酒屋の大河原さんと、鮮魚の刺し身も店で出していたために調理師免許を持っている渡辺さんが作る予定だ。雑貨の坂本さんはアメニティー関係、衣料品店の小林さんは布団などの寝具などを担当。スナックの佐藤さんはラウンジ、ディーラーの渡辺さんはフロントを担当する。林さんは、水戸市のホテルで、掃除、ベッドメークから従業員の管理まで、ホテルマンや運営方法の研修を終えた。

 林さんは「今までやってきた市場の競りとは違いますが、お客さんと接する仕事という意味では一緒」と自信を見せる。

 渡辺さんたちの熱意に、20代の複数の若い町民も「働きたい」と声を上げ始めた。

 ターゲットの客層は町内に家があった町民から、廃炉関係の研究者、そして、被災地ツーリズムの一般観光客を意識している。ホテルのキャッチコピーは「フクシマ 最前線」。富岡町、双葉郡、福島県の現実を間近に体感してほしい。「興味本位、大歓迎」とうたい、現実を見てもらう拠点にしたい。それが、町の将来につながる。そう信じている。【清水優】

 ◆富岡町と浪江町の避難指示区域の現状 富岡町は全域が避難区域になっているが、来月1日に放射線量が高い帰宅困難区域を除き、居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除する。両区域では、帰還に向けて約300人が準備宿泊を始めているが、解除対象の約3%。帰宅困難区域では、約1600世帯の約4000人が生活していた。

 全域に避難指示が出ている浪江町も、同様に帰宅困難区域以外を今月31日に解除する。解除対象は約5800世帯の約1万5000人。福島第1原発から北西方向に帰宅困難区域が広がり、町域の約80%。この区域に住んでいた町民約3000人は、事前予約しないと一時帰宅できない。


避難解除の町に希望を、浪江町に本格海鮮料理
日刊スポーツ 3/10(金) 10:10配信

<あれから6年…忘れない3・11東日本大震災>

 浪江町も今月31日に帰還困難区域を除く地域の避難指示が解除になる。

 対象人口は1万5000人でこれまでで最大規模だ。解除前だが、浪江町が役場横に設けた仮設商業施設「まち・なみ・まるしぇ」の本格海鮮料理店「海鮮和食処くろさか」は連日盛況だ。家の様子を見に一時帰宅した町民や、作業員らの行列ができている。

 店主黒坂千潮さん(39)は、町で「うるし原寝具店」を営んでいた父栄さん(68)美恵子さん(65)の次男として生まれた。浪江高校を卒業後、18歳で上京し、すし職人となった。30歳で文京区目白台に「すし処くろさか」を開業。結婚もし、2人の子どもに恵まれた。店が軌道に乗り、いつか浪江で店を持とうという気持ちが薄れたころに、東電の原発事故が起きた。

 「地元に何かしらできたらと思っていても、思うようにいかなかった」。事故後、多忙で体調を崩し、東京の店は閉店。離婚も経験した。埼玉で海鮮丼店を始めたころ、町から浪江での出店を打診された。3カ月悩んだ末、どこか「人が冷たい」と感じていた東京に区切りを付けた。「浪江には故郷のために盛り上がっている仲間がいる。そこから力をもらっています」。

 味で、故郷を少しでも明るくしたい。だから、こだわる。冷凍モノは極力使わず、相馬港直送の生のネタを中心に、にぎりや海鮮丼を提供。布団店から転職した両親には酷とは思いつつ、プロの接客を求める。「両親には立ち仕事でなく、町の人と話す役をお願いしたいが、雇える人自体がいない。相馬港のネタも試験操業で漁獲が少なく、築地より高いこともある」。現実は厳しい。それでも、「みんなで力を合わせれば」と前を向く。【清水優】


大津波襲った荒浜で鎮魂「能」舞台 砂浜で小石拾い
日刊スポーツ 3/10(金) 10:06配信

<沿岸部を行く・記者リレーレポート(4)宮城・石巻市~山元町>

 東日本大震災で最大の犠牲者を出した宮城県石巻市。死者・行方不明者が児童74人、教職員10人という痛ましい被害となった大川小学校の校舎は、6年が経過する今も、大津波の恐ろしさを物語っている。訪れると、今も他県ナンバーの車がいて、鎮魂の祈りをささげていた。

 石巻の中心部を流れる旧北上川の中州にある「石ノ森萬画館」も当時、津波被害に遭った。記者が震災数日後に行くと、すぐ近くの橋の上には流された一軒家がそのまま乗っていた。その脇を被災者が徒歩で通る光景だった。今考えると危険だが、物資を仕入れるため川を渡るにはそうするしかなかった。今では橋は修繕され、ひっきりなしに車が行き交っていた。

 次に向かったのは仙台市荒浜。震災当日の夜、携帯電話のニュース速報に「荒浜に200~300の遺体」という衝撃的な情報が入った(正確なものではなかったとされる)。記者は仙台の支局勤めだったため翌早朝に取材したのが荒浜だった。海岸から街を見渡しても何もない。津波の力で曲がった木々、むき出しになった住居の基礎…。荒野の奥を見ると仙台中心部の高層ビルが見える。同じ市とは思えないコントラストだ。

 ふと砂浜を見ると高齢の男性が小石やゴミを拾っていた。荒浜で、おいの奥さんと子ども、自宅を失った佐藤豊さん(79)。11日に鎮魂のための「能」が行われるため、舞台となる砂浜をきれいにしていた。「はだしで踊られる方に安全にと思ってね」。

 海岸には地元の40代が中心となって交流の場「海辺の図書館」を建てた。彼らが主催者となって、3・11の鎮魂イベントを主催した。佐藤さんは「荒浜を忘れないように頑張っている。だけど、家族を亡くした、おいからすると『お祭り騒ぎしないでほしい』という思いなんだ」と複雑な心境を語った。

 宮城県沿岸で最後に訪れたのは福島県境にある山元町。震災前のJR山下駅に向かってみると線路も駅舎もなく、雑草に隠れたホーム跡だけが確認できた。その前にある「橋元商店」の店主・橋元伸一さん(56)は「売り上げは3分の1になった」と語った。その理由は駅の移動だけでなく「復興計画に失敗し、町を出た町民が戻ってこないからだ」と訴えた。

 「南三陸町、女川町は成功例。山元町は失敗例だ」と言い切る。復興計画に納得がいかなかった橋元さんは15年10月の町議選に初出馬し、見事トップ当選を果たした。「南三陸、女川は行政と地元住民が時間をかけて話し合った。山元町は時間短縮のためにとトップダウンで行ったから、今になって不具合が出て、足踏みし、結果的に1番遅れている」と話す。

 JR山下駅は約1キロ、内陸側に再建された。その駅前にはスーパー、薬局、小学校、保育所、住宅地が整備された。その計画について「小学校が駅前にある必要があるんですか? 電車で通うんですか? 全ての機能を1カ所に集中させたら、町の他の部分はどうするんですか」と疑問を呈した。

 町議になろうなんて震災前は1度も考えたことはなかった。しかし、「今の復興計画は被災者のための計画ではなく、全く新しい街づくりをするためだけになっている。私はここが大好きです。なんとかここで育った人が喜べるようにしたい」と意気込んだ。【三須一紀】


福島道路除染、10自治体で遅れ…仮置き場満杯
読売新聞 3/10(金) 7:18配信

 東京電力福島第一原発事故の後、福島県と県内36市町村が実施している除染事業のうち、道路除染は9市町村と県で、国の目標の今月末までに完了しない見通しであることがわかった。

 住宅から20メートル圏内の森林除染も7市町村にのぼる。汚染土の中間貯蔵施設の建設が遅れているために、県内の仮置き場が汚染土で満杯になり、除染の実施ペースを上げられないためだ。

 読売新聞が汚染状況重点調査地域に指定されている福島県内36市町村と県に、国直轄分を除く除染の実施状況を取材した。各自治体とも住宅除染は完了かほぼ完了する見通しだが、一方で道路や森林の除染が後回しになっている。


いじめ、一人で悩まないで=内堀福島県知事インタビュー―東日本大震災6年
時事通信 3/10(金) 7:10配信

 東京電力福島第1原発事故のため、なお8市町村にまたがる避難指示区域を抱える福島県。

 内堀雅雄知事は、全国各地に避難した子どもへのいじめ問題に取り組むとともに、農産物の風評被害軽減に努める考えを示した。

 ―避難した子どもへのいじめが後を絶たない。

 とにかく一人で悩まないで、電話相談を遠慮なく使ってほしい。県教育委員会には、電話相談窓口「ふくしま24時間子どもSOS」などがある。各地にいる県の駐在職員が戸別訪問して情報を聞き、避難先の関係機関と共有して対策を講じる。政府には、放射線への正確な理解に国全体で取り組むよう求めており、文部科学省と復興庁が中心となり対応する。

 ―風評被害が強い分野は何か。

 まず農業だ。一部の農産物価格は回復傾向にあるが、米や肉用牛は震災前の水準まで回復していないため、食の安全性を粘り強く発信する。首都圏の量販店に福島(産品用)の棚を回復させるとともに、県がオンラインストアを新設して販売を促進する。

 ―第1原発を抱える双葉町と大熊町は、全域避難が当面続く。

 働く場所や居住環境を確保するため両町は復興拠点を整備するが、完成には時間がかかる。住民意向調査では「ふるさとに帰りたい」という人が相当数いる。そういう人は、ぜひ安心して帰ってきてほしい。

 ―福島県の復興状況は。

 交通インフラや拠点施設の整備は着実に進展しているが、なお8万人近い県民が避難を継続している。復興は長い闘いになるが、県民と共に新しい福島の創造に全力で取り組む。


<福島第1原発事故>困窮する「自主避難者」 神奈川
毎日新聞 3/10(金) 6:30配信

 東京電力福島第1原発事故で国の避難指示が出ていない地域から避難した「自主避難者」への住宅無償提供が、今月末で打ち切られる。ほぼ唯一の公的支援がなくなるのを前に、「放射能から子どもを守りたい」と神奈川県内に母子避難した自主避難者の中には、生活に困窮するケースも出始めている。

 福島県いわき市から自主避難している母親(44)は2月下旬、自治体の窓口で生活保護の申請を相談した。脊柱(せきちゅう)管狭さく症でつえが無いと歩けず、うつ病も発症。収入は児童扶養手当と失業手当のみで、その失業手当も7月までに切れてしまう。

 シングルマザーで、高校2年の息子(17)と小学6年の娘(12)を養う。2011年末、神奈川に避難したのは「親として子どもを守る義務がある」という一心からだった。

 震災前、いわきでの暮らしは気に入っていた。近所でアルバイトをして暮らし、近くの実家の母は子どもの夕食づくりを手伝ってくれた。週末には子どもたちと海へ行き、ふ頭で投げ釣りをしたり磯遊びをしたり。親子とも友人が多かった。

 「このまま、ここで暮らしていきたい」。そう思っていた矢先の震災だった。避難を提案すると、子どもたちは「友達と離れたくない」。親も「いわきは安全」と反対した。それでも、放射能への不安を払拭(ふっしょく)できない。「守れるのは自分しかいない」と避難を決めた。

 避難先では、福島県と神奈川県が自主避難者のために無償提供する「みなし仮設住宅」のアパートに入居。パソコンでデータや印刷物を作製するDTPの知識を生かした仕事をしながら、子どもたちが学校になじめるようにと学校の役員活動も積極的に取り組んだ。

 「賠償金もらっているから楽だよね」。子どもを通して知り合った親から言われ「うちはもらっていないけれど、家は自治体が用意してくれているの。家計はギリギリだよ」と伝えた。「子どもを守る義務を果たしているだけ。悪いことはしていない」と思いながらも、自主避難への偏見は心に重くのしかかった。

 住宅の無償提供が「いつまでも続かない」という危機感と「自立しないと」という焦りもあって心労が募っていった昨春、「住宅無償提供は17年3月末で打ち切り」というニュースを知った。将来への不安はストレスになり、次第に眠ることができなくなった。うつ状態で仕事に集中できなくなり、重い腰痛も発症。7月に脳動脈瘤(りゅう)も見つかり、肉体的にも精神的にも仕事はできないと手術を機に辞職した。

 心身が追い詰められる中、子どもたちにこれ以上、転居による負担をかけたくなかった。だが、学区内の県営住宅は3度落選。焦りが募る中、学区外だが約30分歩けば同じ学校に通える距離の市営住宅への入居が決まった。昨秋、引っ越し費用を抑えようと荷物を自ら運搬し、腰痛を悪化させてしまった。

 娘と駅でホームに立っていたら、娘が腕をギュッとつかんできたこともあった。ホームから飛び込みそうに見えるぐらい、「落ちた顔」をしているのかと気付かされた。

 全国で無償提供打ち切りに反対する署名活動などが広がっているが、賛同したい気持ちと賛同したくない気持ちがある。「いつまでも甘える気持ちはない」との思いからだ。だが、家賃の負担は大きい。「母子避難で親がからだを壊している人は少なくないと思う。自主避難者にも、もう少し自立に向かう補助をしてくれたら」

 来年高校3年になる息子は国公立の大学入学を目指し、受験勉強をしながらアルバイトも始めた。「自分ももう一度がんばりたい」という思いもある。でも、身体的、経済的な不安が頭をもたげ、すぐに落ち込んでしまう。気持ちは行ったり来たりしながら、生活保護はまだ申請せずにいる。【宇多川はるか】


震災直後に入学の6年生、仮設校舎で5年8か月過ごし新校舎で卒業…東日本大震災から6年
スポーツ報知 3/10(金) 6:03配信

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新校舎の前でほほえむ越喜来小の児童会長・田端里帆さん

 宮城、岩手両県の沿岸部では、被災した小中学校の高台への移転が進んでいる。津波により全壊した岩手県大船渡市立越喜来(おきらい)小学校の6年生は、被災直後に入学し、昨年11月に海抜53メートルの高台に開校した新校舎で、残りの学校生活を送って巣立っていく。町の復興とともに6年間の小学校生活を歩んだ児童たちは「3・11の記憶」を知らない世代へと語り継いでいく決意だ。(甲斐 毅彦)

 あの日、大船渡市には最大23メートル(港湾空港技術研究所調べ)の津波が押し寄せた。越喜来小の児童会長・田端里帆さん(12)の目には、6歳の時に見た津波の猛威が、今でも焼き付いている。甫嶺(ほれい)地区の保育園のお昼寝の時間に感じた大きな揺れ。すぐに先生や他の園児たちと一緒に近くの龍昌寺へ逃げ込んだ。海に白い線が見えたような気がすると、数分後には真っ黒い津波が押し寄せ、家々や車が呑み込まれていった。「波がここに来るんじゃないかという不安があふれて怖かったです」

 市内だけでも死者340人、行方不明者79人を出したむごい光景が、小学校生活6年間の原点となった。田端さんの入学年からは、全壊した越喜来小を含む近隣3校が合同で、深刻な被災を免れた甫嶺小校舎を使って授業を行うことに。翌12年に3校が統合されるまで、校長、副校長、担任が一つの校舎に3人ずつ共存するという状況だった。

 「復興へ向けて、大人たちが一生懸命頑張っているのをみていると、何か子どもでも力になれることはないか、と思いました」。田端さんのこの思いは、在校生に共通するものだった。震災後は、自分たちの足で町中を歩き、被災状況を調べてハザードマップを作成。児童たちの力で「防災おきらいプラン」を作り上げた。同級生の新沼雄君(12)は「違う地域で生活しても生かして行動できるものだと思う」と振り返った。

 昨年4月には、熊本地震が発生。関連死を含めて死者204人が出た大災害は、やはり「3・11」を思い出させるものだった。「災害が起きるのは、自分たちの地域だけじゃないんだな、と思った」と田端さん。運動会などの行事の度に、児童たちが義援金の募金活動を行った。

 待望の新校舎が開校したのは昨年11月。海抜53メートルの高台で、眼下にはのどかに1両編成の三陸鉄道南リアス線が走っている。ミュージアムのような外観の新キャンパス落成記念式典では、AKB48のミニコンサートを開いて祝った。敷地内には未就学児の「こども園」も設置。地域の復興のシンボルにして、人口流出を防ぐとともに保護者を含む住民たちの交流の場にしていく狙いだ。17日の卒業式を前に、村上修校長(59)は「最後の数か月だけでも、被災後に入学して来た6年生たちに新校舎で学んでもらうことができてよかった」としみじみ話した。

 児童たちにとっては旧校舎での思い出も、うれしかったことばかりだ。津波被災地域のほとんどの小中学校の校庭が仮設住宅で埋め尽くされてしまっている中で、地元の有志が「子どもたちの遊び場は残したい」と仮設住宅用の土地を提供し、校庭を確保してくれたことも、児童たちは知っている。そして在学中には児童図書、米、野菜、果物…数え切れない支援物資が全国から届けられた。

 来年度入学の新入生11人は2010年度生まれ。津波の記憶がない子どもが多い世代だ。田端さんたちとともに越喜来中学へと巣立っていく前野七海さん(12)は「津波の恐ろしさを忘れず、これからも語り継いでいきたい」と話した。


事故後「差別」、心の傷に=福島原発の東電社員調査―順天堂大
時事通信 3/10(金) 5:02配信

 東京電力福島第1原発事故の際、福島第1、第2両原発で勤務していた発電所員の1割以上が、事故後に東電社員であることを理由に差別や中傷を受けた経験があり、3年以上経過しても心の傷が残る傾向にあることが10日までに、順天堂大の研究チームの追跡調査で分かった。

 論文は近く、英医学誌に掲載される。

 順天堂大の谷川武教授らの研究チームは、2011年3月の原発事故から2~3カ月後、第1、第2原発に勤務していた社員1417人にアンケートを実施。「災害関係体験」として、(1)命の危険を感じる(2)同僚を失う(3)家や財産を失う(4)避難所などで住民に詰め寄られたり、診療を拒否されたり「中傷」「差別」を受ける―などの経験の有無を聞いた。さらに、14年までの3年間、フラッシュバックや睡眠障害など心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状があるかを追跡調査した。

 その結果、中傷や差別を受けた経験のある社員は12.8%に当たる181人に上り、そうした経験がない社員よりも震災直後で5.7倍と高い割合でPTSDの症状がみられ、3年後でも3.7倍と強く心の傷が残っていることが分かった。

 谷川教授は「彼らは東電の社員だが、復旧の支援者でもある。東電への怒りを社員個人に向けるべきではない。廃炉作業が続く中、従事する人の心身の健康を見守る活動が、国によってもっと支援されるべきだ」と話している。


<復興住宅>埋まらぬ…自宅再建/隣町に移転
毎日新聞 3/9(木) 23:28配信

 東日本大震災の被災地で災害公営住宅(復興住宅)の空室が相次いでいる。家を失った被災者のため国の手厚い支援で建設されたのに、なぜ空室が出るのだろうか。【金森崇之】

 暮れも押し迫った昨年12月28日、宮城県塩釜市の仙台塩釜港から内陸約1.5キロに昨秋完成した市営清水沢東住宅1、2号棟(計139戸)を訪ねた。広大な駐車場は空きスペースが目立つ。市内最大の復興住宅だが人影はあまりない。夜になって明かりがともったのは各棟10戸ずつほどだ。

 震災で3950戸が全半壊した塩釜市は、2013年の復興住宅への仮入居申し込みで約420世帯の応募があり、整備戸数を420戸と決めた。昨年3月、最後の300戸分の入居を募ったところ、応募は205世帯にとどまった。未着工の29戸の建設をやめたが、それでも今年1月末現在で87戸が空室だ。市は被災者以外に貸すことを検討している。

 同市港町地区で1人暮らしの女性(73)は14年秋、復興住宅に当選したが「最期は慣れ親しんだ町に戻りたい。子供に家を残したい」と自宅を建て直した。被災直後は「1人だし復興住宅に」と思ったが、未経験の集合住宅暮らしへの不安もあり「70歳を超え、家を再建しても年金と蓄えで生きられる」と思い直した。

 港町地区は震災前の10年末は269世帯あったが、6年間で192世帯にまで減った。港三・四町内会の鈴木一郎会長(65)は「うちの町内は85世帯から36世帯に減った。復興住宅に入ったのは1割かな。復興が待てず、高台や隣の多賀城市などに移った」と話す。市によると、作業員不足などで一部の復興住宅の完成が3カ月~半年遅れたことも応募減の一因となった。

 仙台市太白区の茂庭第2市営住宅(100戸)は、今年1月末現在で25戸が空室だ。鉄道沿線などに建てられた他の復興住宅がほぼ埋まったのに対し、茂庭第2は海岸から15キロ以上離れた山あいにポツンと建設され、人気がない。最寄りのJR葛岡駅まで車で約15分かかる。14年に市内1311戸分の募集をした時、茂庭第2を第1希望にしたのは1件だけだった。

 茂庭第2は仙台の復興住宅の中で最後に建設が決まった。建設地は、1970年代からの団地造成で整備されたが、計画縮小で20年以上使い道が決まらなかった「塩漬けの土地」だ。市担当者は「復興交付金の申請期限が迫っており、土地確保が確実な市有地から選んだ」と説明する。

 市は一般貸し出しを検討するが、県の指針では、まず県内全域の被災者に募集をかけ、希望の有無を確認する必要がある。しかし「仙台市が全県で募集したら、沿岸部で更なる人口流出を招く懸念が強い」(市関係者)とためらう。

 阪神大震災の被災地では復興住宅で住民同士がコミュニティーをうまく築けず、孤独死が相次いだ。茂庭第2の清野秀夫さん(70)は昨年5月に入居した当初は、廊下で誰にも会わない状況だった。昨夏から集会所で住民主催のカフェを月2回開いており、15人ほど集まるようになった。「住民が力を合わせ、入居者が減らないようにしたい」と力を込めた。

 ◇空室、自治体財政を直撃

 復興庁と国土交通省によると岩手、宮城、福島3県で復興住宅計2万9684戸が計画された。各自治体が公表している建設費や家賃減免措置などの事業費は1月末現在で計約1兆1000億円に上る。建設費への国の補助率は、一般の公営住宅(おおむね45%)より高い3分の2から4分の3だが、東日本大震災では特例で8分の7にまで引き上げられた。家賃低廉化事業(20年間)への補助も一般の公営住宅がおおむね45%なのに対し、復興住宅は入居5年が8分の7、その後も6分の5と手厚い。

 維持管理費は、家賃収入や家賃低廉化補助金などでまかなう。復興庁などによると、東日本の被災地で新設した復興住宅だけに絞って考えると、家賃や補助を合わせた収入が維持管理費などを上回り、自治体は当面「黒字経営」になる。ただ、既存の公営住宅と合わせた膨大な戸数を管理する必要がある上に、空室には家賃低廉化補助金が支給されず、空室が多いと自治体の財政を直撃する。国の支援が終わり、老朽化対策などが必要となる数十年後には赤字に陥る恐れがある。

 被災地最多の復興住宅を整備する宮城県石巻市は、震災前の市営住宅戸数(1690戸)の2.8倍にあたる4700戸を建設するため、昨年度、家賃低廉化補助金などを原資とする基金を創設し、7億円を積み立てた。

 ただ、人口減少が悩みの種だ。2010年国勢調査で16万826人だった市の人口は、国立社会保障・人口問題研究所の推計で30年後は10万9021人に減る。市住宅管理課は「転居や死去もあり空室は増える。老朽市営住宅の住民に復興住宅へ移ってもらい、古い住宅は解体するなどして市の規模に合った戸数にしていきたい」という。

 復興住宅に詳しい立命館大の塩崎賢明・特別招聘(しょうへい)教授(都市計画)は「大規模・高層の集合住宅や都市から離れた場所の団地は、空室で維持費やコミュニティー育成に長期的な問題を抱える可能性がある。特効薬はないが、被災者の意向を丁寧に調査し、住みたくなるような魅力的な公営住宅を建設することがミスマッチを少なくする方法だ」と指摘する。


<復興住宅>空室2割超…9市町 ニーズ変化、一般向けにも
毎日新聞 3/9(木) 22:00配信

 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の被災者が入居する災害公営住宅(復興住宅)がある岩手、宮城、福島3県の計54市町村のうち、9市町で空室率が2~4割に上ることが分かった。この9市町を含む18市町村は1割以上だった。復興の長期化などで被災者の住宅ニーズが変化したことが大きな要因とみられる。岩手、宮城両県の10市町村は空室を解消するため一般向けに既に貸していたり、来年度にも貸し始めたりする。

 毎日新聞は岩手、宮城各県がまとめた各自治体の入居状況(1月末現在)の提供を受けた。福島県では、住宅を管理する県と各自治体に取材した。その結果、54市町村の計2万2686戸のうち、7%(1643戸)が空室だった。

 宮城県塩釜市は空室率30%。80戸以上で被災者が入居する見込みがない。市復興推進課は「復興が長引く間に自宅を再建する人が増えた」と話す。同県気仙沼市や南三陸町も70~80戸で入居の見通しが立たない。岩手県陸前高田市は空室率が22%。市建設課は「高台造成が続いており、一度は復興住宅入居を表明したものの、自宅再建するか迷って入居に踏み切れない人がいる」と話す。

 一方、岩手県では126戸が、宮城県でも269戸が死去や引っ越しで退去しており、空室増加につながっている。

 公営住宅法は、災害発生から3年たつと被災者以外の復興住宅入居も認めている。東日本大震災は復興が長期化したため3年経過後も入居を認めてこなかったが、2015年秋、国が容認する見解を示した。

 岩手県岩泉町、田野畑村、宮城県大崎市、南三陸町、涌谷町が既に一般向けに貸しており、岩手県大船渡市や宮城県気仙沼市など計5市町は来年度にも貸し始める。

 福島県では、被災者以外に貸している自治体はない。県建築住宅課は「避難指示が続いている地域もある。県内では時期尚早」としている。【金森崇之】


<復興>「2020年度以降も」4割 42市町村長調査
毎日新聞 3/9(木) 21:53配信

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かさ上げ工事の現場では途切れることなくトラックが走っていた=岩手県陸前高田市で2017年3月9日午後3時52分、佐々木順一撮影

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県、宮城県、福島県の沿岸部計42市町村の首長に毎日新聞がアンケートしたところ、国が復興のめどとし、東京オリンピック・パラリンピックも開催される2020年度までに復興事業を終わらせる見込みが「ない」と答えた首長が約4割に上った。大半が東京電力福島第1原発事故で避難を強いられた福島県の首長で、原発事故からの復興が進んでいないことが浮き彫りになった。

 国は2011年度からの5年間を「集中復興期間」、16年度からの5年間を「復興・創生期間」と位置づけ、震災10年となる20年度までに総額32兆円を投じて復興事業をほぼ終わらせ、復興庁も廃止する方針。その後も福島を中心に支援する姿勢を示すが、具体的な予算措置は未定だ。

 アンケートは2月、岩手12、宮城15、福島15の市町村長を対象に書面で行い、全首長から回答を得た。

 20年度までに復興事業が終わる見込みが「ない」と回答したのは、岩手2人、宮城1人に対し、福島は避難指示区域の自治体を含む13人。福島で「ある」と答えたのは新地町だけで、相馬市は「わからない」とした。終了できない理由について福島では大半の首長が原発事故の影響を挙げた。浪江町は「(今後)3年程度で復興事業が終わるとは思えない」とした上で「津波被災地と原発被災地では復興の速度が明らかに異なる」と指摘。帰還困難区域が町の96%を占める双葉町は「復興事業自体が始まっていない」とし、解除された川内村も「急激な人口減少と超少子高齢化」に直面していると訴えた。

 岩手では陸前高田市と大槌町、宮城では山元町が「ない」と回答。陸前高田市は「新庁舎建設が21年度までかかる」ことを、大槌町は土地区画整理事業の遅れなどをそれぞれ理由に挙げた。山元町は「集団移転先でのコミュニティー形成や心の復興」などに長い歳月が必要だと訴えた。【栗田慎一】


<被災猫>新しい家族を…ふれあいサロン、本格営業 福島
毎日新聞 3/9(木) 20:47配信

 福島県いわき市のJR常磐線湯本駅近くに保護猫ふれあいサロン「Ohana(オハナ)」がオープンした。運営する動物愛護NPO「LYSTA(リスタ)」は、東京電力福島第1原発事故の避難指示区域などに遺棄された猫や犬約150匹を市内のシェルターで保護しており、サロンで猫と一緒に過ごしてもらうことで新たな飼い主を見つけたい考えだ。先月プレオープンし、10日から本格営業する。

 建物2階の約50平方メートルの空間に猫27匹がおり、入場客はおもちゃで気を引いたり、ソファで読書をしながら寄ってくるのを待ったりしながらゆっくり過ごせる。猫と一緒に暮らす感覚を味わえ、個々の性格も分かるため、家族に迎えたい猫を見つける出会いの場にもなる。猫カフェと違い、飲食はできない。

 プレオープンでいろいろな猫と遊んだ茨城県高萩市の主婦(48)は「家でも飼っているが、保護猫とは思えないほど人なつっこい」。カウチに腰掛けて動きを眺めた福島県広野町の男性会社員(58)は「いい雰囲気でリラックスできた」と話した。

 代表を務める同県いわき市の鈴木理絵さん(37)は東日本大震災後の2011年9月、被災ペットの保護に専念するため勤め先を退職し、リスタを設立した。自宅は沿岸部にあったものの津波の難を逃れ、「生かされた自分の役割は、取り残された動物を助けることだ」との思いから決断した。大熊、双葉、富岡町などに通って救助した犬猫は約200匹に上る。

 鈴木さんの自宅に設けたシェルターはすでに満杯。現在は野良猫の不妊去勢手術を進め、不幸になる命を減らす活動に注力する。医療費を含めたシェルター維持費は月100万円以上といい、サロンの入場料は活動を支える収入源になる。飼い主が見つかればシェルターに余裕ができ、新たな猫を保護できる。

 鈴木さんは「猫を飼いたい人、助けたい人に来てほしい。引き取ってくれる人には、災害時にペットと一緒に避難できる準備をお願いしている」と話す。

 オハナはハワイ語で家族を意味する。金・土・日曜・祝日の営業で、午前11時(金曜は午後1時)~午後6時。入場料は1時間1000円。問い合わせはオハナ(070・2028・3838)。【乾達】


<茨城・シイタケ農家>生産再開見通せず 出荷制限影響今も
毎日新聞 3/9(木) 20:44配信

 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故は、発生から6年がたつ今も、茨城県内に影響を与えている。出荷制限を受け、生産を再開できない茨城町のシイタケ農家をたずねた。

 湿度管理されたビニールハウス内に、菌打ちされたシイタケの原木1000本が整然と並ぶ。「つくったところで売れないんだけどね」。芽を出した肉厚のシイタケを手に、茨城町木部の農家、郡司孝さん(64)はうつむいた。

 父親の代から続く原木シイタケの専業農家。ビニールハウス6棟(約1200平方メートル)でシイタケを栽培していたが、2011年3月の東京電力福島第1原発事故で状況は一変した。茨城町のシイタケには11年11月に国の出荷制限指示が発令され、郡司さんもその対象となった。

 原木の購入先だった福島県田村市の業者が出荷できなくなり、仕入れ先を失った。今は東電からの賠償で生計を立てながら、県の組合から購入した少量の原木で試験的な栽培を続けている。「何もしなければ腕がなまっちゃうでしょ」。先が見えない中、技術や施設の維持管理に努める。

    ■

 県林政課によると、県内では今年1月27日現在、19市町でシイタケの出荷が制限されており、大小含めて農家約120軒が影響を受けている。震災を機に廃業した農家も多く、震災前の10年に全国3位の1009.5トンだった原木生シイタケの生産は、15年には6位の381.2トンまで減った。

 解除は農家の申請に基づき個別に行うが、制限解除に至った農家は10軒にとどまる。ただ1、2月で計3軒の解除が続くなど、ペースは上がりつつある。同課は「解除が目的ではなく、安全な流通の再開まで見据えて支援していく」と強調する。

    ■

 郡司さん方では最近は線量を測っていないものの、同じ町内のシイタケ農家は基準値内だった。制限の解除は可能かもしれない。ただ「解除しても意味がないよ。原木を確保できないのでは商売は成り立たない」と語気を強める。

 別の品目を作る手もあるが、設備投資にはお金がかかる。大臣表彰を受けるほどだった父親のシイタケへの思いを絶やすのも簡単ではない。「東電の賠償も先は見通せない。決断の時がきたのかもしれないね」。再び山積みの原木に問いかけた。【松本尚也】

 ◇解説 林産物6品目、魚介類4品目

 東京電力福島第1原発事故で飛散した放射性物質の影響で、県内でも一部の農林水産物が出荷制限の対象となった。農産物はすでに全品目が解除されているが、林産物や魚介類の一部はいまだに制限が続いている。

 国は放射性物質検査で基準値を超えた場合、原子力災害対策特別措置法に基づいて出荷停止を指示。食品の基準値は2012年4月、1キロ当たり500ベクレル(暫定規制値)から100ベクレルに引き下げられ、厳格化された。

 農産物はホウレンソウやパセリなど4品目が対象となったが、13年11月の茶(飲用は10ベクレル)を最後にすべて解除された。林産物はシイタケやタケノコなど6品目で制限が続いている。

 魚介類については、県と漁協の独自基準(50ベクレル)に基づく出荷自粛がある。最も多かった12年5月には31品目が対象だったが、現在は海産2、内水面2の4品目まで減少した。

 県漁政課によると、海産については間もなく解除される見通し。県は解除後の品目についても、定期的なモニタリング調査で安全性を確認している。【松本尚也】


TSUNAMIバイオリン、奇跡の一本松で献奏
読売新聞 3/9(木) 20:32配信

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「奇跡の一本松」の前で行われたバイオリンの献奏。500人目の奏者として盛岡市出身の工藤崇さんが演奏した(9日午後1時54分、岩手県陸前高田市で)=栗原怜里撮影

 東日本大震災の津波の流木などで作った「TSUNAMIバイオリン」の献奏が9日、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」前で行われた。

 東京都でバイオリンの製作や修復を手がける中沢宗幸さん(76)が、奇跡の一本松の原木や拾った流木などで作り上げた。その後、チェロやビオラも製作され、全国の音楽家がリレー方式で演奏を続けている。

 今回がちょうど500人目の奏者で、盛岡市出身のバイオリニスト工藤崇さん(26)がバッハの曲を弾き、震災の犠牲者を追悼した。中沢さんは「バイオリンの命は人より長い。震災の記憶を伝え続けてほしい」と話していた。


1号機、14日から内部調査=水の浮遊物採取も―福島第1
時事通信 3/9(木) 19:40配信

 東京電力は9日、6年前の事故で核燃料が溶け落ちた福島第1原発1号機で、格納容器内部にロボットを入れて14日にも調査を始めると発表した。

 17日まで4日間かけて放射線量の測定や内部の撮影を行うほか、底部にたまった水の浮遊物採取を試みる。

 1号機は中心にある圧力容器から格納容器に溶け落ち、他の構造物と混じり合った核燃料(デブリ)が底部の水の中に存在している可能性がある。デブリの位置や分布状況につながる情報が得られれば、今夏の取り出し方針決定に役立つ。ただ、内部は放射線量が高く、たまった水も濁っている可能性があり、予定通りに調査が進むかは不透明だ。


<風評被害>東電に5300万円賠償命令 栃木のゴルフ場に
毎日新聞 3/9(木) 19:40配信

 東京電力福島第1原発事故による風評被害で来場者や売り上げが減少したとして、栃木県那須町のゴルフ場経営会社「那須伊王野カントリークラブ」が東京電力を相手取り、約8000万円の損害賠償を求めた訴訟で、宇都宮地裁(吉田尚弘裁判長)は9日、約5300万円の支払いを命じた。

 裁判では、東電が損害賠償の支払いを拒否した2012年7月以降の風評被害の影響が争点となった。東電側は「利用者が1日5時間、年100回プレーしても、年間被ばく量は1ミリシーベルトを大きく下回り、健康リスクが高まるものではない」などと主張し、訴えを退けるよう求めていた。

 判決では、ゴルフ場で測定の放射線量が13年5月時点で放射線障害防止法が定める規制値(年間1ミリシーベルト)を超えていたと認定。放射線量データが那須町のホームページで公開されていたことなどから、風評被害と売り上げ減少とに因果関係が認められるとした。13年10月時点で風評被害の影響はなくなったとし、請求額を減額した。【田中友梨】

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