« 北朝鮮、今度は弾道ミサイル発射・32 | トップページ | 北朝鮮、金正恩の兄・金正男氏暗殺 金正恩の刺客による犯行説濃厚・23 »

2017年3月 8日 (水)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2205

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:配管内部も点検へ=島根2号機、腐食で防止策―中国電 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「今後も強い揺れや津波」=震災6年で政府調査委 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:1号機格納容器内にロボット投入へ 燃料デブリ確認目指す 福島第1原発事故 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:津波バイオリンの音響く=「奇跡の一本松」で演奏―東日本大震災6年・岩手 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災から6年を前に、不明者捜索続く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:首都圏の鉄道各社 11日に大地震想定の停止訓練 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被曝検査結果公開で批判されたが…原発事故から6年間、福島の人と歩む医師 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:数十秒で死ぬ場所? 福島第一原発内のローソンは「生茶」も「うまい棒」も買える - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東海大の地表に現れた断層保存へ 熊本県、防災教育に活用 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>女川中同窓生が「いのちの教科書」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:漁船あった場所、住宅地に…ドローンから見る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小松倫子ちゃん6年でスクスク成長 念願マイルーム - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大槌小に6年ぶり二宮金次郎像、児童の成長見守る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年 福島の出生数、過去最低 昨年推計 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年 仮設から新たな町に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発避難でいじめ 厳しい状況訴え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自主避難者への住宅提供打ち切り 支援求める声切実 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島避難の児童生徒へのいじめ、全国で44件 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:南三陸さんさん商店街、初日1万5000人…東日本大震災から6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発避難先いじめ 「学校も先生も大きらい」 男子生徒手記全文公開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>新潟で被災者遺体か 遺書「津波で1家不明」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<横浜・原発いじめ>16年一部公表手記、「全文」明らかに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<横浜・原発いじめ>新たな自筆の手記全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<横浜・原発いじめ>新手記で「つらくても自殺考えないで」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:69人の遺体、依然身元不明…東日本大震災 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「子供に責任無いのに」=川崎原発いじめ、母親が会見 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:首相、12日に岩手・宮古訪問…震災6年で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大きめ余震で一時増加=東北沿岸で隆起続く―気象庁など - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<安倍首相>岩手県宮古市を12日訪問 中学校卒業式に出席 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:川内原発テロ対策施設が審査合格 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:核燃工場、初の「合格」=新基準で審査書案―規制委 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:事務本館の電源盤焼く=浜岡原発 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:全員助かった「奇跡」の学校、新校舎急ピッチで - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:農地あきらめメガソーラーに…ドローンから見る - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

配管内部も点検へ=島根2号機、腐食で防止策―中国電
時事通信 3/9(木) 18:55配信

 中国電力は9日、島根原発2号機(松江市、停止中)の空調配管で腐食による穴が多数見つかった問題で、原因と再発防止策をまとめた報告書を公表した。

 腐食は配管内の結露や、外部から取り込まれた水分などで発生したと推定。早期発見のため、配管内部の点検頻度を新たに定めるなどの対策を取る。

 島根2号機では昨年12月、中央制御室と外部をつなぐ空調配管に巻かれた保温材を外したところ、計19個の穴や腐食などが見つかった。穴は最大で縦約30センチ、横約1メートルだった。

 中国電によると、配管の外側と外気取り入れ口は点検の頻度を定めていたが、配管内部は定めていなかった。今後は取り入れ口から80メートルの区間について、13カ月に1度の定期検査ごとに点検する。

 配管外側の点検頻度も増やし、腐食による穴が見つかった部分を中心に、保温材を外して確認する。

 中国電は同日、報告書を原子力規制委員会と関係自治体に提出した。


「今後も強い揺れや津波」=震災6年で政府調査委
時事通信 3/9(木) 18:36配信

 東日本大震災から6年となるのを前に、政府の地震調査委員会は9日、「余震活動は全体として徐々に低下傾向にある」としながらも、「今後も長期間にわたって規模の大きい地震が発生し、強い揺れや高い津波に見舞われる可能性がある」との評価をまとめた。

 
 平田直委員長は記者会見で、大震災後、年1回程度起きていたマグニチュード(M)7を超える余震が2015年はなかったが、昨年は11月に福島県沖でM7.4の津波を伴う余震が起きたと指摘。「油断しないようにしていただきたい。強い揺れがあって津波警報が出たら、一刻も早く高い所に避難してほしい」と述べた。


1号機格納容器内にロボット投入へ 燃料デブリ確認目指す 福島第1原発事故
産経新聞 3/9(木) 17:50配信

 東京電力は9日、福島第1原発1号機の格納容器内調査を14日から始めると発表した。調査は17日までの計4日間行う予定で、格納容器の底に溶け落ちたとみられる溶融した燃料(燃料デブリ)の初確認を目指す。

 1~2月には2号機で格納容器内の調査が行われたが、燃料デブリの確認には至らなかった。

 1号機の調査では、水中カメラをつり下げられるロボットを投入。格納容器の1階部分の足場から、地下階にたまった汚染水の中にカメラを沈め、内部を調査する。

 調査は午前7時から午後10時まで行う予定で、撮影した画像や放射線量の公表は調査日の翌日以降になる見通し。


津波バイオリンの音響く=「奇跡の一本松」で演奏―東日本大震災6年・岩手
時事通信 3/9(木) 17:22配信

 東日本大震災の津波で流された木などで作った「津波バイオリン」の献奏が9日、岩手県陸前高田市で行われた。

 津波に耐えて残った「奇跡の一本松」の前で、盛岡市出身のバイオリニスト工藤崇さん(26)がバッハのソナタを弾き、犠牲者の冥福を祈る優しい音色が被災地に響いた。

 震災の記憶を伝えようと、東京都のバイオリン製作者中沢宗幸さん(76)が製作。被災家屋のものとみられる流木を持ち帰り、材料にした。表板と裏板をつなぐ「魂柱」には一本松の一部が使われている。

 国内外の音楽家1000人が「津波バイオリン」を弾き継ぐことを目指す「千の音色でつなぐ絆」プロジェクトの一環。5年前、同市の追悼式で1人目が演奏し、工藤さんがちょうど500人目。

 演奏後、工藤さんは「優しくも力強いこの音色で、少しでも人々を元気にできれば」と語った。聴いていた同県釜石市の加藤しも子さん(69)は「優しい音色が心に響いた。津波で亡くした家族のことが思い出されてこみ上げてくるものがあった」と目を潤ませた。


震災から6年を前に、不明者捜索続く
ホウドウキョク 3/9(木) 16:39配信

東日本大震災の発生から、11日で6年となるのを前に、9日、宮城・七ケ浜町の海岸では、警察と海上保安部が合同で、行方不明者の手がかりを求めて捜索を行った。
宮城県では、震災後しばらく、月命日の前後に集中捜索を一斉に行っていたが、2016年の4月から各警察署の判断で、随時行う方針に変えた。
防潮堤の工事などの影響で、捜索できる範囲が限られ、頻繁に実施できないのが現状。
9日は、漂着物や石などをかき分けながら、1時間ほどにわたって行方不明者の手がかりを捜した。

仙台放送/FNN


首都圏の鉄道各社 11日に大地震想定の停止訓練
レスキューナウニュース 3/9(木) 16:00配信

東日本大震災から6年を迎える3月11日、関東の鉄道各社では、大地震を想定した列車停止訓練を実施(江ノ島電鉄のみ10日に実施)します。
訓練は、実施時刻に走行中の列車を一旦停止させるもので、これに伴い各列車に若干の遅れが見込まれますが、各社局ともに利用客に対して訓練実施への協力を呼びかけています。

■訓練の予定時刻と実施する社局
●10日(金)10:30から実施
・江ノ島電鉄

●11日(土)14:46から実施
・東京メトロ
・東京都交通局
・京王電鉄
・東武鉄道
・小田急電鉄
・箱根登山鉄道
・東京急行電鉄
・京成電鉄
・北総鉄道
・ゆりかもめ
・多摩都市モノレール
・横浜シーサイドライン
・関東鉄道


被曝検査結果公開で批判されたが…原発事故から6年間、福島の人と歩む医師
読売新聞(ヨミドクター) 3/9(木) 12:13配信

 東日本大震災が起きて3月で6年。東京電力福島第一原発から23キロの近さにある福島県南相馬市立総合病院に、震災直後から医療支援に入った医師、坪倉正治さん(35)は、この6年間東京と福島を往復しながら診療や被曝(ひばく)検査を続けてきた。被曝検査体制を一から作り上げ、放射線についてわかりやすく伝える講演会を毎週のように開催、この地で若手医師が働きがいを見いだせるよう研究や発信のリーダーとして奔走する。「ここで何が起こったのかを記録し、その教訓を生かすことは、ここで苦しんだ人への報いでもあるし、医療者としての使命でもある」。震災で過疎化や医師不足が加速し、日本が抱える課題の先を行く福島から、震災6年後の現実と地域医療の未来を語ってもらった。

「子供を被曝させてしまったのでは…」後ろめたさを感じる必要はない
 JR福島駅から車で約10分の三育保育園(福島市)。2月中旬の土曜日、診療が休みだった坪倉さんは、保育士や保護者ら20数人に向けて「放射線ってなに」というタイトルの講演会を行っていた。週の半分は福島で働き、金、土曜日は東京のクリニック。主に休日を使って行う講演は、2011年から約300回を数える。

 自己紹介を終えると、最初に、「安全だ」という情報に不信感を持つ人に語りかけるのが癖になっている。「データを根拠に『正しさ』を押しつけるだけでは、人の心には届かない」と、この6年間で痛感してきたからだ。

 「みなさん、放射線の話、いろいろなところで聞いたことありますでしょう? 『もう、いいかげんにしてくれ』と思う人、『放射線ってやっぱり危ないんだろうから、安全とか大丈夫という話をしないでくれ』という人もいると思います。6年経(た)っていろいろな考えの人がいて、それは尊重すべきです。ただ6年間、ずっと検査をやってきて、データではこんなことがわかっているということがありますから、それをみんなで復習しましょう。そのうえで、ペットボトルの水を使うか、福島県産の食べ物を使うか、甲状腺の超音波検査をやって大丈夫なのかは、最終的には個人がどう考えるかだと思います」

 放射線は宇宙や土、食べ物など自然界に元々あり、西日本やヨーロッパなどの方が年間被曝量は高いこと。外から浴びる外部被曝と、食べたり吸ったりして体の中から浴びる内部被曝があること。健康への影響はトータルの被曝量の問題で、現在では、居住環境での外部被曝は十分下がり、内部被曝もほぼ100%の住民から検出されていないこと。スーパーに並ぶ福島県産の食べ物を食べても、福島県産を避ける人と被曝量に差がないこと。甲状腺検査や被曝のデータを見ると、放射線の影響は考えにくいこと――。

 出身地の関西弁で笑いも交えながら一通り説明を終えた後で、坪倉さんは母親たちにこう強調した。

 「正直、放射線の影響については、データ上これで健康に害が出るレベルとは思えません。何が正しいということはないし、無理に考えを押しつけようというつもりはないですが、お母さんたちが後ろめたさを感じる必要はまったくないということだけは伝えたいです。『自分たちが何かしなかったせいで子供を被曝させてしまったのではないか』と思う必要は一切ないので、自信を持って下さい」
 質疑応答の時間に、一人の母親が手を上げた。

 「1週間ほど前、自分と同じ年代のお母さんが、都心部の人に『いつまで福島にいるの? 被爆しちゃうし、危ないところになんで子供といるの?』と言われて、言い返せなかったそうです。彼女は『何年か後にうちの子に何かあったらどうしよう』と動揺して、話を聞いた私も『どうしよう』と不安に思ってしまって……。今回、先生のお話を聞いて、放射線の影響はない、水や食べ物も安全だと初めて知りました。なかなかこういうことを知る機会がないし、それがもっと発信されると安心する方も多くなるのかなと思います」

 この日、参加者の中で保護者は4人だけ。園長によれば「本当に心配している保護者は不参加」だったが、事前の保護者アンケートでは、「放射能の影響で障害のある子供が生まれる確率は?」「水道水を乳児にあげるのは心配」など不安を表す質問が30個も並んだ。

 「最近はどこでも一見、関心は薄れている感じです。頭ごなしに『大丈夫』と押しつけられるのではないかとこういう講演会を警戒するし、6年経ってこの話題に触れなくても日常生活を送れるようになったので、『臭い物に蓋』ではないですが、放射線の問題は見ないようにしている。地元でさえ風化が進み、わかったつもりでわかっていないので、何か言われると言い返せないし、不安にかられてしまう。避難者のいじめが続いていますが、子供たちを偏見や攻撃から守り、健やかに成長してもらうためにも、子供も大人も知識の底上げが必要です」

「誰かが行かなあかんやろ」と説得
 2011年3月11日。当時、29歳だった坪倉さんは、血液内科医として勤めていた都立駒込病院の病室で、骨髄移植数日後の患者と話しているところだった。大きな揺れを体に感じ、最初に浮かんだのは「あの時の揺れと一緒だ」という感覚。大阪市出身の坪倉さんは、中学1年生の時に阪神・淡路大震災を経験していた。

 「あの時は、揺れる前に地鳴りで起きて、『揺れてる』と思った数秒後にドカンと来ました。隣の部屋に寝ていた妹が『怖いよー!』と叫び、父親が1階から駆け上がってきて、妹を抱き上げて『お前も来い!』と言われて駆け下りたのを覚えています。通っていた神戸市の灘中学校の体育館は遺体安置所になり、友達の家族も亡くなりました。東日本大震災の揺れも、あの時と同じレベルだと感じたんです」

 若手医師が次々に医療支援のため東北に派遣されたが、非常勤で働いていた坪倉さんは派遣対象にならなかった。4月には東大医科学研究所の大学院に進学。同月初旬にパリで行われた骨髄移植学会に参加した後、骨休めの休暇を取って、後に妻となる女性とセーヌ川で遊覧船に乗っている時に、運命を決める国際電話がかかる。

 「指導教官で被災地の医療支援を行っていた上昌広先生から、『帰ったら南相馬に行けるか?』と言われたんです。『浜通り(原発のある福島県沿岸部)だ』と言われてもピンと来なくて、ネットで調べて『ここ、大丈夫なんかな』と初めて気付くレベルでした。彼女は『そんなところに行くなんてあり得ない!』と泣いて怒りましたが、血液内科で放射線の知識は多少あったし、短期間ならCT(コンピューター断層撮影法)1回分は被曝しないだろうと判断して、『誰かが行かなあかんやろ』と説得しました」

 当時、南相馬市立総合病院は、14人いた常勤医が避難などで4人に減っていた。帰国後すぐに車で現地入りし、当初は避難所回りが主な仕事。そのうち、周辺の自治体から住民や役所職員の健康診断やカウンセリングを頼まれるようになった。全村避難する前の飯舘村住民の健康診断をした時は、被曝の問題よりもむしろ、うつや糖尿病、高血圧などの慢性疾患が悪化していることがわかった。

 「医者の感覚的なものですが、その時に確信したんです。放射線ではなく、こちらの方が被災者の命を奪うと。その直感は後になって正しかったとわかるのですが、当時はやはり、放射線に注目が集まっていました。しかし、放射線のことがわかる人が誰もいない。ぼくも専門じゃないからよくわからない。だけど、現地で『(累積被曝量を測る)ガラスバッジ(個人線量計)を調達して』『簡易CTが手に入らないか』と頼まれる度に放射線のことを勉強して、詳しくなっていったんです」

専門家でもない自分が……住民への説明役に
 そのうち、避難所で小さな子供を抱える母親たちから、「私は放射線を浴びたから死んでしまうのでしょうか?」「子供への影響は?」と相談されることが増えた。「放射線ってトータルの量が影響するから、長期的に大丈夫かどうかは正直わからないけれど、いきなりあなたたちが死ぬことはないと思う」と話していると、母親の1人から「避難所にいるお母さんたちを集めるから、放射線について話をしてくれない?」と頼まれた。

 「一般論でしゃべるならいいよと気軽に引き受けたのですが、それを聞きつけた市町村から住民説明会をしてくれと頼まれたんです。1か月で全地域30か所ぐらい回りました。当然、本や論文を読んで勉強はしましたが、データもあまりない中で何をどう伝えるか。『大丈夫』とは安易に言えないし、『危険だ』というのも微妙だし、結局、最初は『わからない』ということしか話せず、聞く側も不満を感じますよね。『うそつき野郎』『東電の回し者』とさんざん非難されました」

 そんな説明会を繰り返しているうちに、ストレスで頻繁にめまいが起こるようになった。病院で山菜そばを食べていたら、おかしな味がして味覚障害を起こしていることに気付く。自宅で寝ようとしても目を閉じることができず、顔面神経まひも発症していた。

 「最初は、もしかしたら放射線の影響で脳腫瘍でもできているのではないかと思って、すごく怖かったんです。放射線のデータ上そんなことはあるはずないと頭ではわかっているのに、採血して異常があったらどうしようと思いました。理屈ではない不安がわき上がるということを自分のこととして感じました」

 当時、発信されていたマスコミの情報は、現場でほとんど役に立たなかった。

 「地元の人が知りたいのは、『この水を飲んでも大丈夫か?』『この大根を食べても大丈夫か?』という具体的な生活の話。マスコミの情報は、原発がどうなっているかとか、100ミリシーベルトがどうかとかで、住民の不安には全く答えていませんでした。相手の話を聞いて求めているものを理解し、こちらが医学知識を元に、ある程度妥当な提案をするという、医師が一対一で行う診療のような情報提供がすごく求められていたのです」
手探りで内部被曝検査を開始
 説明会や健康診断を続けていくうちに、「やはり被曝量を測らないとダメだ」という声が上がり、放射性セシウムの内部被曝を測る機械「ホール・ボディー・カウンター(WBC)」が島根県のウラン鉱山から6月末、南相馬市立総合病院に届けられた。検査体制を組むために、東大医科研の協力を得て同意書を作り、7月初めには南相馬市で、自治体としては全国初の内部被曝検査が始まった。機械到着から検査開始までわずか10日ほど。中心となって準備を進めてきた坪倉さんが、検査結果の説明を担当することになった。

 「それまでの住民説明会の経験で、個別に話さないとダメだとわかっていたので、全員に検査をしながら説明をしました。1年先まで予約が埋まっていましたから、必死に進めていたのですが、それでも、『こんなのをやってないで、全員避難させろ!』とか『東京から来たやつが実験材料にしやがって』とつかみかかられることは、しょっちゅうでした」

 9月には検査精度の高い3台目のWBCも導入され、平均的な住民の内部被曝量はレントゲン数枚分ぐらいだとわかってきた。その頃から週刊誌が検査結果を取材し始めていたこともあり、「正しいデータをこちらから早く発表するべきだ」と市に働きかけた。

 「しかし、役所は公表による混乱を恐れ、及び腰でした。役所の幹部から『分をわきまえろ』と怒られたこともあります。それでも、『情報を正しくコントロールしようとするならば、こちらが先に手を打たなければダメです』と譲りませんでした。『被曝はしている、けれどもめちゃくちゃな量ではない』ということをセットで伝えないと、情報が一人歩きして危険だと思ったのです」

「被曝したとレッテル貼ってくれたわね」看護師の言葉にショック
 結局、10月25日に「福島・南相馬の小中学生から少量セシウム」という見出しの小さな新聞記事が掲載された。しかし、意図した通りには伝わらず、多くの人は「やはり被曝していた!」というセンセーショナルな反応を示した。

 「何より辛(つら)かったのは、記事が載った日の朝、看護師に『福島の人が被曝したというレッテルを貼ってくれたわね』と言われたことです。ショックでした。良かれと思ってやったのに、まったくそうは受け止められなかった。落ち込みました」

 専門家でもない自分が試行錯誤しながらやっていることに、世間は反発の言葉を浴びせかける。特に、被災地から遠く離れた専門家の批判は激しかった。

 「放射線の専門家がどうして現地にいないんだ、とずっと思っていました。検査を始めた時も、『そのデータは本当に大丈夫なのか?』と外から批判だけする専門家が多かったのですが、『あなたたちがやらなくちゃならないことをやらないから、こんなに混乱しているんじゃないか』と憤りを覚えていました。安全性を強調する専門家の発信がたたかれて以降、多くの人は批判を恐れて口をつぐんだ印象があります。どんな分野でも、議論が分かれている時は黙っていて、風向きが変わったら勝ち馬に乗ろうと声を上げ始める人が出てくる。でも僕からすれば、『あなたはあの時やらなかったでしょ? 一番しんどいところを引き受けなかったでしょう?』と思いました。もちろん、必死で放射線の問題を発信していた専門家も多くいます。でも、最初から自分で正しいと考えることを発信しようという人は少なかったです」

 しかし、現場でそんな孤独な闘いをしている坪倉さんに、手を差し伸べる人が徐々に現れた。原発事故直後からツイッターで放射線情報を発信していた原子物理学者、早野龍五さんは、専門家としての助けを求めると、データの精査や検査機器の開発などに協力を惜しまなかった。

 2011年末のチェルノブイリ訪問で食べ物が内部被曝量の鍵を握るとわかって以降は、住民に具体的に気を付けるべきことを伝える局面に移った。地元の市民団体「ベテランママの会」代表の番場さち子さんは、若い母親や子供たちとの間をつなぎ、正しい情報を住民に届けるのに力を貸してくれた。

 「ここまで僕が福島の現場で生き残ってこられたのは、運としか言いようがない。困った時に必ず応援してくれる人が出てきてくれたからです。多くの皆さんに支えていただいたおかげです。感謝しかありません」

 そして、坪倉さんは今も福島に通い続けている。現在では子供のほぼ全員、大人の99%から放射性セシウムは検出されていない。6年の間、「自分はここで何をやっているのだろう」と仕事の意味を疑いかけた時、時折かけられる住民の言葉が心を支えてくれた。

 「赤ちゃんを抱いたお母さんが、『一度はおろそうと思っていたんだけど、先生の話を聞いて生まれたのがこの子なんですよ』と見せてくれたり、『ありがとう』って言ってもらったり。『やっていて良かったな』と思うこともたまにあって、『まあ、明日もやりますか』と心を保つことができたのだと思います。医者のやりがいなんて、そんなものですよ」
 (ヨミドクター編集長・岩永直子)

【略歴】坪倉正治(つぼくら・まさはる)
 相馬中央病院常勤医、南相馬市立総合病院、ひらた中央病院非常勤医
 1982年、大阪市生まれ。2006年東京大学医学部卒。亀田総合病院研修医、帝京大ちば総合医療センター第三内科助手、都立駒込病院血液内科医員を経て、2011年4月、東京大学医科学研究所研究員。同月より、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故が重なった福島県浜通り(沿岸部)に医療支援のために入り、同年5月からは南相馬市立総合病院を拠点に内部被曝検査を開始。現在は毎週、東京と往復しながら、同病院、相馬中央病院、ひらた中央病院で診療を行い、放射線の計測や住民の健康相談、市町村の放射線対策などにも携わっている。


数十秒で死ぬ場所? 福島第一原発内のローソンは「生茶」も「うまい棒」も買える
ホウドウキョク 3/9(木) 11:30配信

「今さら何を言っているのか」
「人間が数十秒で死亡するレベル」

そんな恐ろしい見出しが様々なメディアで躍った。

1月30日、福島第一原発2号機の原子炉の真下をカメラで調べたところ、溶けた核燃料である可能性の高い黒い堆積物があったほか、格子状の足場の一部がなくなっていた。その後、画像を分析した結果、ほかにも1メートル四方の範囲で、足場がくぼんでいる場所があることがわかった。

格納容器内部の線量は最も高いところで、1時間あたり530シーベルト。人間は積算6~7シーベルト以上の被曝量で99%が死ぬとされているため、1時間あたり530シーベルトならば30秒から1分弱で人が死ぬほどの高いレベルというわけだ。

2月に入って東京電力は、同じ2号機で毎時650シーベルトというさらに高い放射線量が推定される場所が見つかったと発表している。


まるで、この世の終わりのように伝えられている福島第一原発。しかし、『はじめての福島学』の著者で、立命館大の開沼博准教授は「今さら何を言っているのかと思う」とあきれたように語った。

「530シーベルトと言われて怖がる人が多い。2号機の格納容器内部へ行けば、高い放射線量ですよ。そりゃあ、『横に行けば数秒で死ぬわ』と思います。火力発電所の火の上に30秒いれば死にますよね。それと同じです」

こうした情報に触れるたび、一般の人に風評が広がっていくと開沼さんは危惧している。「伝えられている福島」と「実際の福島」には大きな乖離があるというのだ。

そこで、実際の福島、特に福島第一原発はどのような状態になっているのか、日本記者クラブの取材団に参加して見てくることにした。

カメラマンがまさかのインフルエンザに
福島第一原発の取材は管理が徹底されている。事前登録している記者しか構内に入れないのはもちろん、カメラも機材番号を事前登録しておかなければならない。しかも、持ち込むことができるカメラは、取材団全体で1台に制限されている。そのため、取材団の中にカメラマンが1人参加し、代表として撮影することになっていた。

ところが、カメラマンがインフルエンザに罹患。取材への参加ができなくなってしまった。事務局が東電に問い合わせたところ、カメラマンの代わりに別の誰かが撮影するのは構わないが、機材の変更は認められないという。カメラマンの所属する社から当該カメラを入手して事なきを得たが、厳重管理されているのを思い知らされた。

私自身は2011年の発災後から原発20キロ圏内の「警戒区域」や「帰還困難区域」にはほぼ毎年足を運んで取材をしているが、福島第一原発構内に入るのは今回が初めてだ。原発の周辺地域を取材するだけでも真っ白いタイベックに身を包んでいたことを思い出すと、構内を私服のままウロウロできるというのはかなり意外な感じがする。

「ポケモンGO禁止」という張り紙が掲示されているのを見ると、ここは異世界ではないのだと強く実感させる。

原発建屋に近づく前に、食堂で昼食をとった。プリペイドカードで払う形式で、どの定食も380円(税込)。ボリュームも味も申し分ない。「大人のお子様ランチ(おもちゃなし)」などという趣向を凝らした特別メニューもある。お子様ランチが大人用になっているように、構内に子どもの姿はないが、女性スタッフはあちらこちらで見られる。建屋付近を案内してくれた東電の職員も女性だった。

また、構内で買い物をしたければ、ローソンもある。

ICカード「スイカ」も、ポイントカード「PONTA」も使える普通のコンビニだ。サンドイッチには「40枚集めればもれなくお皿がもらえるシール」がついている。酒は置いていないが、タバコはあった。値段も普通の店舗と変わらず、うまい棒は1本9円、キリン生茶のペットボトルは119円だ。

東電職員以外の作業員アンケートで、80%以上の人が「労働環境に満足」と答えていると聞いた時には半信半疑だったが、確かに働いていく上での不自由はなさそうだった。

しかし、やはりここは日常の職場ではない。無用の被ばくを避けるために、建物には窓がない。駐車場を見ると、構内でしか走らないためナンバーをつけていない車が多い。その中には「保護衣回収車」「熱中症対策車」など、聞きなれない名前の車も見かける。「熱中症対策車」とは、夏の暑い時期に作業員が冷房で涼むための車らしい。

237
2号機建屋(写真左)から80メートル

私服のまま建屋へ
「ご安全に!」

そんな独特な挨拶をされながら、原発建屋の100メートル圏内へ向かう。建屋から80メートルという近さの高台へ来ても、私服のまま。工事現場で使うヘルメットと、花粉症対策で使うような普通のマスクをするだけで外に出られる。

除染をした上に、粉塵で放射性物質が飛び散ることがないよう、アスファルトで地面を固めていることなどで抑え込みができているという。

ここからさらに、水素爆発して壊れた建屋の真横へ向かう。バスを降りることはできないが、装備はヘルメットとマスクだ。3号機のすぐ横を通りかかると、壊れた様子がよく見える。

3号機の壁が壊れたあたりの線量が1時間当たり245マイクロシーベルト。東電職員によると、震災翌年のこの辺りは毎時800~1000マイクロシーベルトだったということなので、かなり下がっているのは間違いない。遮蔽やガレキ撤去が進んでいるほか、風が吹いても大丈夫なように飛散防止剤などを活用しているという。

238
3号機

“数十秒で死ぬ”と話題の2号機は、水素爆発も起こしていないので、見た目には大きな問題が起きているようには感じられず、こちらも普通にバスで近くを横切った。

もちろん、だから安全と言うつもりもない。福島第一原発では様々な場所で放射線量を計測していて、それを一覧で見られるモニターが設置されているのだが、1号機の排気塔付近では1時間当たり1528マイクロシーベルトという高い値を示していた。

バスの外に見える作業員は、数年前と変わらず、白いタイベックの衣装に身を包み、防護マスクをして作業をしていた。

ただ、3時間ほど建屋周辺を取材した私の積算線量は0.02マイクロシーベルトだった。胸部のX線検査で60マイクロシーベルトということなので、それよりもはるかに少ない。

東電職員によると、どこを通れば線量が少なくて済むのかなど、かなりコントールできるようになっているとのこと。必要以上に怖がることはないという印象を私自身は受けた。

「福島問題の語りにくさ」
冒頭で紹介した、「実際の福島」と「意識」の乖離について懸念する開沼博准教授は「福島の問題は『語りにくさの壁』がある」という。

「関西の高校生による福島視察の話が進んでいたんです。しかし、『学校に話を持っていったら、福島に行くということは原発推進で、教育の場でそれをやっていいのかという話になった。何も反論できなかったので、お断りしたい』と言うんです。こっちからしたらわけが分からない」

開沼博准教授は、

「福島に行く」→「安全性を認める」→「政府や東電の方針に従う」→「原発推進」

というロジックになっていたのだろうと分析している。

「語りにくさ」という点では、今回の福島第一原発取材も同じだ。正直、「コントロールできている」という原稿は書きにくい。避難を余儀なくされている人が今も大勢いるし、東電から出ている情報もそのまま信頼して良いものなのか疑問に思うこともある。

しかし、6年間の福島の状況を見れば、少なくとも悪化の方向に進んでいないことだけは確かで、程度の差はあれど、コントロールの方向にも進んでいる。

開沼博准教授もこう語ってくれた。

「今必要なのはデータと理論です。大人が理解していないことで様々な問題が起きているということから目をそらしてはいけないと思います」

きちんとしたデータを元に、正しく判断する。いま一度、福島の現実を見つめ直したい。


東海大の地表に現れた断層保存へ 熊本県、防災教育に活用
西日本新聞 3/9(木) 11:25配信

 熊本県は8日、熊本地震で大きな被害を受けた東海大阿蘇キャンパス(同県南阿蘇村)内の地表に現れた断層を保存する方針を明らかにした。震災の記憶をとどめ、防災教育や観光資源として活用する考えで、大学側と協議を進めている。

 断層は講義棟を貫くように現れ、長さ数十メートル。現在、ブルーシートを掛けて保全してある。東海大は校舎の現地再建を断念し、被災の少ない農場などは継続利用する方針。県が断層部分を買い取るか、賃借するなどして整備し、村や大学の支援につなげる。

 阿蘇キャンパスを含む阿蘇くじゅう国立公園は、訪日外国人客増加を目指す環境省の「国立公園満喫プロジェクト」に選ばれており、取り組みの一つに「震災遺構の保存」を掲げる。

 熊本地震では、同県益城町教育委員会が断層2カ所を町文化財に指定している。

=2017/03/09付 西日本新聞朝刊=


<大震災6年>女川中同窓生が「いのちの教科書」
毎日新聞 3/9(木) 11:09配信

 東日本大震災で被災した宮城県女川町立女川中学校が母校の高校3年生たちが、被災経験を基に教訓をまとめた本「女川いのちの教科書~1000年後の命を守るために~」を完成させた。「私たち一人一人の体験を次の災害で生かしてほしい」と、震災当日の経験や家族を亡くした思いをつづった。【金森崇之】

 女川町は震災で人口の8・7%に当たる873人が死亡・行方不明(関連死含む)となり、住宅の66%に当たる2924棟が全壊した。生徒たちは震災翌月に女川中(当時の女川第一中)に入学した。「古里に何かできないか」。がれきの山となった町を見下ろす高台の校舎で津波対策を話し合い、町内の津波到達点に石碑を建てるなど教訓を発信し続けてきた。

 卒業後も同窓生約60人のうち20人以上が活動に参加。被災経験を語り合いながら100回以上の活動を重ね、6年間の集大成としてまとめたのが「女川いのちの教科書」だ。

 コンセプトは「中学生にも分かりやすい防災の教科書」。B5判78ページで6章に分かれている。1章は導入として震災当日の体験を伝え、2章の「社会科」で津波対策をまとめた。4章は「道徳」で、家族を失った生徒3人が作文を寄せた。

 常盤木学園高3年、神田七海さん(18)は、同町で行政区長をしていた祖父を亡くした経験と、「どうして自分は生きているんだろう」と悩みながら過ごした震災後の生活を書いた。多くの死に直面したことで震災2年後に精神的に不安定になり、「生きることが怖い」と泣いたこともあった。だが、今は家族の支えで「自分らしく生きることが亡くなった人のためにできること」と思えるようになったという。

 後書きを書いた石巻好文館高3年、阿部由季さん(18)は「震災はつらい経験だったからこそ伝えたい。一人でも災害で命をなくす人が減ってくれたら」と話している。

 300冊作り、活動を支援してくれた人たちに配布する。今後は近く公開するホームページで活動資金の寄付を募り、今回の本の改訂や小学生向けの教科書作りを続けるといい、寄付者には教科書の簡易版を作って贈る。


漁船あった場所、住宅地に…ドローンから見る
読売新聞 3/9(木) 10:59配信

236
復興住宅には人が住み始め、新しい町の姿が見え始めた気仙沼市鹿折地区(宮城県気仙沼市で、許可を得て小型無人機から)=飯島啓太撮影

 マス目状に道路が延び、新しい住宅の建設が進む。

 新興住宅地に生まれ変わった宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区。かつて大型漁船が打ち上げられ、津波の恐ろしさを伝える地として、多くの人が祈りに訪れた。

 現在は2500人の居住を目指し、市内最大の土地区画整理事業が展開中だ。8棟の集合住宅を軸に、海側に水産加工団地、内陸に商店街と住宅がつくられる。

 仮設住宅から昨年末、帰ってきた夫婦は「今はまださみしい景色だけれど、前よりいっそうにぎやかな街になれば」と、期待を寄せる。


小松倫子ちゃん6年でスクスク成長 念願マイルーム
日刊スポーツ 3/9(木) 9:59配信

235
1カ月かけて完成させたジグソーパズルを手にする小松倫子ちゃん(撮影・松本久)

<あれから6年…忘れない3・11東日本大震災>

 昨年7月、岩手県大槌町に住む小松倫子ちゃん(9)の一家が、念願だった2階建てマイホームを町内に建てた。震災から6年、日刊スポーツは倫子ちゃんの成長を追い掛け、家族の再建への道のりを毎年伝えてきた。このほど、初めて新居を訪れて、倫子ちゃんに部屋を案内された。3歳だった女の子は4月から小4に進級する。家族の愛情をたっぷりと受けて、料理好きなスポーツ少女に育った。

 2階の突き当たりが倫子ちゃんの部屋。案内されて入ると、学習机やベッドは小3の女の子らしいキャラクターグッズなどが置かれ、明るく彩られていた。別室に飾っている巨大なジグソーパズル(縦55センチ×横78センチ)は9歳の誕生日プレゼント。わずか1カ月で完成させた。「図工が好きだから。特にパズルが大好き!」と説明してくれた。

 小学校入学と同時に始めた空手は昨年の昇級試験で5級に。待望の色帯だ。母広子さん(37)は「度胸があって負けん気も強いから、大きな相手でも正面からいって負けちゃう。東京五輪に出場? それは無理ですね(笑い)」。

 両親が多忙で、父方の祖父母に育児の協力を依頼している。祖母の小松八重子さん(66)は「うちに来るとホットケーキやたこ焼きを作ったりするんです。倫子の『マイ包丁』も置いてあって、夕食でカレーライスを作る時はニンジンなどを切ってくれる。私が手伝おうとすると『うちがやっから手を付けないで!』と言われちゃうんです」と成長ぶりに目を細めた。

 ただ、気になることもあるという。八重子さんの友人が訪れ、震災の話をするとスッと隣の部屋に消えていく。余震を怖がり、防災訓練のサイレン音にも神経をとがらせる。あの日の記憶は幼心にも残っている。

 倫子ちゃんに将来の夢を聞くと「肩をもむ人」と返ってきた。理由は「ママがいつも肩がこっているからマッサージをしてあげたい」。倫子という名前は「まっすぐに人の道を外れないように」と広子さんが付けた。名前の通りにスクスクと育っている。【松本久】


大槌小に6年ぶり二宮金次郎像、児童の成長見守る
日刊スポーツ 3/9(木) 9:59配信

234
大槌学園の二宮金次郎像と並んで笑顔を見せる小松倫子ちゃん(撮影・松本久)

<あれから6年…忘れない3・11東日本大震災>

 昨年7月、岩手県大槌町に住む小松倫子ちゃん(9)の一家が、念願だった2階建てマイホームを町内に建てた。震災から6年、日刊スポーツは倫子ちゃんの成長を追い掛け、家族の再建への道のりを毎年伝えてきた。

 二宮金次郎像が、6年ぶりに子どもたちの学びやに帰ってきた。震災前、大槌小の玄関横にあり、児童たちの成長を見守っていた。だが、震災後は校舎が仮設の町役場に。銅像と児童たちは離れ離れになっていたが、昨年9月に小中一貫教育の「大槌学園」新校舎が完成・移転し、今年2月12日に金次郎像も同学園に移った。倫子ちゃんも、ここで学んでいる。大槌町は「金次郎像は学びの象徴。だから、ふさわしい場所に移しました」と説明した。


東日本大震災6年 福島の出生数、過去最低 昨年推計
産経新聞 3/9(木) 7:55配信

 福島県の平成28年の推計年間出生数は1万3753人で、東日本大震災翌年の確定出生数を17人下回り、過去最低となっていたことが8日、分かった。福島県の出生数は25年に大きく回復し、27年まで1万4千人台を維持してきたが、回復傾向は続かず、少子化の加速が浮き彫りとなった。

 福島県が毎月公表している推計人口から産経新聞が28年の推計出生数を集計した。福島県の出生数は震災前年の22年が1万6126人。震災のあった23年は1万5072人で、翌24年は1万3770人と大幅に減少した。県こども・青少年政策課は「震災直後の混乱や避難所生活、福島第1原発事故による放射線の影響から、この時期に妊娠を控える県民が多かったのではないか」と話す。

 県は震災後、除染の徹底や18歳までの医療費無償化など子育て支援を充実させ、25年は前年比776人増の1万4546人に回復。26、27年も1万4千人台を維持し、26年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に出産する子供の推計値)は1・58と全国平均(1・42)を上回り全国9位、東日本で1位だった。

 28年の推計数が震災翌年を下回ったことに、同課は「出産可能な年齢の女性が減っており、少子化の流れの中での数字と受け止めている。雇用や結婚など出産前から切れ目のない支援を充実させたい」とした。

 岩手、宮城両県の28年出生数も公表された推計人口から集計し、ともに過去最低となった。確定数は厚生労働省が9月に発表する人口動態統計で公表される。

 人口問題に詳しい国立社会保障・人口問題研究所、小池司朗氏の話「背景には震災による県外避難があり、母子避難が多かったことも要因の一つと考えられる。福島県の出生数の回復には、県外避難者が戻ってこられるような環境整備も大切ではないか」


東日本大震災6年 仮設から新たな町に
産経新聞 3/9(木) 7:55配信

 東日本大震災による被害でピーク時には220世帯、444人が生活していた仙台市太白区の「あすと長町」仮設住宅の取り壊し作業が終了し、今は更地となっている。

 東北新幹線や在来線の線路沿いに位置し、買い物や生活にも便利な仮設住宅で、夜は生活の明かりがともり、車や自転車が行き来する場所だったが、昨年12月までに解体作業が終わり、今年2月に地権者に返還された。土地は今後、住宅や商業施設として活用される予定だという。(写真報道局 鈴木健児)


原発避難でいじめ 厳しい状況訴え
ホウドウキョク 3/9(木) 7:34配信

東京電力福島第1原発事故で、神奈川県内に避難している母親ら3人が会見を開き、子どもがいじめにあった状況や、住宅支援打ち切りなど、不安な思いを語った。
いじめに遭った生徒の母親は「(息子は)『福島県民はバカだ』、『福島県民は奴隷だ』などと言われ、クラスメートからたたかれたり、けられたりということもあった」と話した。
母親ら3人は、いじめが原因で不登校になった子どもの状況や、母親自身が鬱(うつ)になり、外出できなくなった人がいることなどを明らかにした。
また、被災者への借り上げ住宅支援が、3月で打ち切られるなど、3人は、東日本大震災から6年がたとうとしている今も、被災者が置かれている厳しい状況を訴えた。
一方、神奈川・横浜市に避難し、小学校でいじめを受けていた中学1年の男子生徒が、新たな手記を公表した。
現在は、フリースクールに通っており、「今、僕は楽しく生きています」などと現在の心境をつづった。


自主避難者への住宅提供打ち切り 支援求める声切実
神戸新聞NEXT 3/9(木) 7:31配信

 福島第1原発事故による自主避難者に向けた公営住宅などの無償提供が3月末で打ち切られるのを前に、重い選択を迫られた兵庫県内の避難者。福島へ戻る人もいるが、避難先での生活状況から戻れない人もおり、支援を求める声は切実だ。

 夫を福島県鏡石町に残し、神戸市兵庫区に長女(6)と避難する小貫ちかこさん。4月以降も神戸に避難し続けることを決め、現在の市営住宅に有償で入居することにした。

 二重生活で経済的にも厳しい中、市営住宅の保証金に加え、保証人探しに四苦八苦。週4日パートで働くが、家賃もかかり始め、長女は4月から小学校へ入学。「これからどれだけの費用が必要なのか、不安ばかりが大きくなる」

 福島市から宝塚市の市営住宅に避難する石塚路世さん(44)。2011年3月の震災で福島市の自宅は全壊し、12年1月から母親(82)、高校2年の長女(17)の3人で暮らす。

 福島で営んでいた飲食店を宝塚で開業したが、病気で店を閉めることに。無償提供の継続について兵庫県内の自治体の対応が分かれる中、宝塚市は昨年末、1年間の無償提供延長を決め、胸をなでおろした。

 「娘が高校生のうちは避難を続けたい。宝塚では無償提供が続けられることになったが、どこに住んだかによって、その後の運命が変わってしまった」と、ほかの避難者のその後をおもんばかる。「避難者が抱える苦労を分かってほしい」とさらなる支援継続を訴える。(高田康夫)

 ■日本弁護士連合会災害復興支援委員会委員長、津久井進弁護士(兵庫県弁護士会)の話

 原発事故は数十年単位での支援を考えなければならない。6年がたとうとする中、避難者の状況は複雑化しており、福島に戻るか移住するかの二者択一ではなく、それぞれの事情に応じた対応が必要だ。


福島避難の児童生徒へのいじめ、全国で44件
読売新聞 3/9(木) 6:39配信

 東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県外に避難した児童生徒へのいじめが、全国の公立学校で少なくとも44件あり、うち避難に関連するいじめが7件だったことが読売新聞の全国調査でわかった。

 7件のうち4件は2016年度中に起きており、年月を経ても、避難者への差別や偏見が続いている実態が浮かび上がった。

 調査対象は、福島県を除く46都道府県と20政令市の教育委員会。福島県から避難している公立小中高校などの児童生徒へのいじめの認知件数を尋ねた。文部科学省によると、昨年5月1日現在、福島県から全国の国公私立学校などに避難している児童生徒は7848人を数える。


南三陸さんさん商店街、初日1万5000人…東日本大震災から6年
スポーツ報知 3/9(木) 6:07配信

 東日本大震災から6年。復興を目指して前進している被災地の現在を「進む」と題して今日から3回にわたり連載します。第1回目は宮城県南三陸町に今月3日完成し、大盛況となっている「南三陸志津川さんさん商店街」。

 東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町で今月3日にスタートを切った「南三陸志津川さんさん商店街」が、連日大にぎわいだ。震災後、年間30万人が来場した仮設商店街「南三陸さんさん商店街」を常設商店街として新設。仮設商店街23店に5店が加わり28店に。飲食店のみならず、コンビニ、土産店、理髪店、整骨院なども立ち並ぶ。

 初日に訪問した約1万5000人のほとんどが町外在住者だった。地元で鮮魚加工の「マルセン食品」を営みながらまちづくり会社を運営する三浦洋昭社長(58)は「予想以上に来ていただいてびっくりしています」と振り返った。三浦さんは会社の工場、社屋、自宅など沿岸に所有していた7棟すべてが全壊。介護施設で生活していた祖母を失う悲しみも味わった。どん底からの復興が、ついに形となり、感慨深げだ。

 死者620人、行方不明者212人の犠牲者が出た南三陸町。津波が迫る中で防災対策庁舎から防災無線で避難を呼び掛けた町の危機管理課、遠藤未希さん(享年24)も犠牲者の一人だ。約7000戸の建物が損壊した沿岸部は壊滅状態。「南三陸さんさん商店街」は、地元の事業者32店が復興を願って集結し、震災11か月後の2012年2月25日にオープン。週末には商店街中央フードコート特設ステージで様々な催しを開催した。

 新たな商店街は新国立競技場を手がけた建築家の隈研吾氏が設計。地元産のスギを使った木造平屋6棟からなる。仮設商店街の南東約600メートルの約2万平方メートルの高台に建てられた。商店街からは震災遺構としての整備が進む町の防災対策庁舎が見える。来場者に最も人気なのは、やはり海鮮料理の店だ。まぐろ丼などを売り物とする「山内鮮魚店」の前には長蛇の列ができていた。

 年間80万人の来客を見込むが、集客に見合う周辺整備は遅れている。現在1車線の国道45号線の拡張工事が終わるのは来年。北側に300台収容できる駐車場の完成まで、1年半かかる。三浦さんは「遠方から来ていただいた方をがっかりさせないよう、一日も早く環境を整えたい」と話す。

 仮設の時には課されなかった固定資産税も今後は課税され、家賃は4倍に跳ね上がる。仮設では出店していた弁当店など4店は、常設となるのを機に廃業の道を選んだという。「これからは仮設の時のような半端な思いではできない。参加28店舗は運命共同体です」と三浦さん。周辺ではまだ重機による造成が進む町で、復興へのシンボルを目指していく。(甲斐 毅彦)


原発避難先いじめ 「学校も先生も大きらい」 男子生徒手記全文公開
産経新聞 3/9(木) 0:09配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した同市立中学1年の男子生徒(13)がいじめを受けていた問題で、生徒が当時の心境をつづった手記の全文が8日、公開された。また、担当弁護士と生徒が面談を続ける中で「いじめで自殺してしまう人に対してメッセージを」という気持ちを込めて、2月28日に書いた手記の画像も併せて公開。最新の手記では「自殺は考えたらダメ」と訴えている。

 原発事故で横浜市に自主避難し、転校した小学校でいじめを受けていた生徒は、平成27年7月に当時の心境を手記にまとめ、生徒側の弁護士が一部を公開。さらに今回、生徒側が全文を公開した。全文では、小学5年のときの同級生による金銭授受のやり取りから始まり、ランドセルを振り回されたり、階段で押されたりするなど、具体的な暴力の内容も記されている。

 23年3月に発生した東日本大震災と原発事故の影響で、生徒は同年8月、家族と横浜市に自主避難したが、当時小学2年の生徒の名前に「菌」をつけるなどの心ないいじめが発生。26年5月には、「賠償金をもらっているだろう」などと言いがかりをつけられ、加害児童らからの暴力行為から逃れるために、金銭授受が行われた。

 手記では教師に相談しようしたが、「せんせいに言おうとするとむしされてた」とし、「学校も先生も大きらい」と学校側への不信感をあらわにしている。

 一方、2月28日につづった最新の手記では、「今、僕は楽しく生きています」の書き出しで始まっている。その上で、「つらいことがあっても自殺を考えないで下さい」「自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない」などと訴えている。

 市では年度内をめどに再発防止策をまとめる方針。


<大震災6年>新潟で被災者遺体か 遺書「津波で1家不明」
毎日新聞 3/8(水) 22:34配信

 ◇岩手・陸前高田市出身の70歳前後の男性「気力なくなり」

 新潟県糸魚川市で2月上旬、東日本大震災の被災者とみられる遺体が見つかった。岩手県陸前高田市出身の70歳前後の男性とみられ、遺書のようなメモには、震災で生きる気力を失ったことなどが記されていた。震災後に自殺したとみられるが、遺品は衣服とリュックサックなどだけで身元が特定できず、糸魚川市福祉事務所は「一刻も早く親族が見つかってほしい」と情報提供を呼びかけている。

 「陸前高田の者ですが津波により1家が行方不明となり今だにみつか…ません。私も生きる気力がなくなり…」(原文のママ、…は判別不能)。メモは約110文字でノートの一部のようなものに書かれていた。ズボンのポケットにあり、所々破れていた。

 新潟県警糸魚川署によると、男性の遺体が見つかったのは2月7日午後1時過ぎ、糸魚川市歌の北陸自動車道高架橋下の草むらで、白骨化していた。近くには黒いズボンとスニーカー(24.5センチ)、小銭入れなどが入った迷彩柄のリュックサックがあった。死後数年はたっており、身長160センチくらい。

 遺体は荼毘(だび)に付され、遺骨は市内の斎場で、遺品は市福祉事務所でそれぞれ保管している。

 陸前高田市は震災で、1756人(行方不明者、震災関連死含む。3月6日現在)が犠牲となった。身元が分からなければ、震災関連死には数えられない。市福祉事務所の担当者は遺骨が故郷に戻れる日が来ることを願っている。問い合わせは同事務所(025・552・1511)。【後藤結有】


<横浜・原発いじめ>16年一部公表手記、「全文」明らかに
毎日新聞 3/8(水) 22:17配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が転入先の市立小学校でいじめを受けて不登校になった問題で、男子生徒は8日、いじめを受けていた当時を振り返る手記の全文も明らかにした。加害者の名前は公表にあたり、A、B、Cに置き換えた。手記は2015年7月につづられ、昨年11月に一部が公表されていた。

としょホール 教室のすみ 防火とびらのちかく 体育館のうら

(A、B、Cの)3人からどれかしらでお金をもってこいと言われた。

Aからはメールでも言われた。

人目がきにならないところでもってこいと言われた。

お金もってこいと言われたときもすごいいらいらとくやしさがあったけどていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった。

いろんな人とかが(金を払ったのは)○○(被害児童名)だと言われてるがうらでは、A、B、Cが(自分や、関係児童の一部に)しじしてる。

てんこうしたときなんかいつもけられたりランドセルをふりまわしたりいつもこわくてなにもできなくてほんとうにつらかった。

4月もゲーセンにもいってるのに、A、B、Cはずっとだまっていて、やつらはほんとうにむかつく。

ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい。

A、Bにはいつもけられたり、なぐられたりランドセルふりま(わ)される、かいだんではおされたりしていつもどこでおわるかわかんなかったのでこわかった。

ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。

福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった。

しえんぶっしをとられてむかつく。

だれがやったかわからないけどきがつくとえんぴつがおられてる。そしてノートにはらくがきをされてた。

いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。だからがっこうはだいっきらい。

なんかいもせんせいに言おうとするとむしされてた。

学校も先生も大きらい。

いままでなんかいも死のうとおもった。

でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた。

みんなきらいむかつく

5年のたんにんはいつもドアをおもいっきりしめたりつくえをけったりして3・11のことをおもいだす。


<横浜・原発いじめ>新たな自筆の手記全文 
毎日新聞 3/8(水) 21:56配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が転入先の市立小学校でいじめを受けて不登校になった問題で、男子生徒が8日、原発事故から6年の節目を前に現在の心境をつづった自筆の手記を公表した。8日に公表した新たな手記の全文は以下の通り。2月28日につづり、保護者が代理人弁護士を通じて明らかにした。

今、僕は楽しく生きています。

一日一日前向きにいれば何とかなります。

だから、つらいことがあっても自殺を考えないで下さい。

もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない、

それに今は学校に行きたくないなら、僕みたいにフリースクールみたいな場所もあるから、そこに行って勉強するのもいいです。

環境になれなくてもゆっくり自分のペースでなれればいいです。

だから自殺は考えたらダメ。


<横浜・原発いじめ>新手記で「つらくても自殺考えないで」
毎日新聞 3/8(水) 21:31配信

 ◇被害の中1男子生徒 原発事故から6年の節目を前に

 東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が転入先の市立小学校でいじめを受けて不登校になった問題で、男子生徒が8日、原発事故から6年の節目を前に現在の心境をつづった自筆の手記を公表した。「つらいことがあっても自殺を考えないで下さい」と、同じ境遇の子どもたちにメッセージを送っている。

 手記は2月28日に書かれ、保護者が代理人の弁護士を通じて公表した。男子生徒は各地で「原発いじめ」が相次いで発覚したことを報道で知り、「今、僕は楽しく生きています。一日一日前向きにいれば何とかなります。もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない」などと訴えている。弁護士によると、生徒は現在、フリースクールに通っている。

 国の有識者会議は、いじめ防止対策推進法に基づく国の基本方針に東日本大震災で被災した子どもへのいじめの防止策を盛り込むことを求めており、文部科学省が改定を検討している。【水戸健一】


69人の遺体、依然身元不明…東日本大震災
読売新聞 3/8(水) 20:38配信

 警察庁は8日、東日本大震災の被害状況を発表した。

 3月1日現在の死者は1年前から1人減り、1万5893人、行方不明者は同8人減の2554人。

 死者数が減ったのは、宮城県石巻市の川で発見された遺体が、震災後に行方不明になった女性で、震災死でないと判明したため。69人の遺体が、依然として身元不明のままになっている。


「子供に責任無いのに」=川崎原発いじめ、母親が会見
時事通信 3/8(水) 20:37配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から川崎市に自主避難した男子生徒が中学校でいじめを受けていた問題で、50代の母親が8日、横浜市で記者会見し、「子供に責任は無いのにどうして」と心境を語った。

 母親によると、男子生徒は現在高校2年生。2012年に入学した避難先の川崎市立中学で、「福島県民はばかだ、奴隷だ」と暴言を吐かれるなどのいじめを受けていたことが、昨年明らかになっている。母親は「つらくても一生懸命学校に通ったのに、どうしていじめられたのか」とやりきれない思いを述べた。

 福島県から避難した子供へのいじめは昨年、横浜市や新潟県でも発覚した。母親は「学校へ行けなくなっている子供はたくさんいる」と指摘した。

 いじめが起こる原因について、母親は「周りの大人たちの理解もまだ進んでいないのでは」と推測。「好きで避難しているわけではない。さまざまなことを犠牲にしていると、分かってほしい」と訴えた。

 母親は、避難者が国と東電に損害賠償を求めて横浜地裁に起こした集団訴訟の原告で、東日本大震災6年を前に会見した。


首相、12日に岩手・宮古訪問…震災6年で
読売新聞 3/8(水) 20:16配信

 政府は8日、東日本大震災6年に合わせ、安倍首相が12日に岩手県宮古市を訪問すると発表した。

 首相は市立中学校の卒業式に出席するほか、震災遺構のホテル跡を視察する。昨年8月の台風10号で水害を受けた同県岩泉町も訪問する予定だ。


大きめ余震で一時増加=東北沿岸で隆起続く―気象庁など
時事通信 3/8(水) 19:14配信

 気象庁は8日、東日本大震災の震度1以上の余震が6日までの6年間で計1万2866回(本震含む)に上ったと発表した。

 減少傾向が続き、5年目に620回だったが、6年目は784回に増加した。

 昨年は11月に福島県沖でマグニチュード(M)7.4、最大震度5弱の津波を伴う余震が起きたり、12月に茨城県北部でM6.3、同6弱の余震があったりしたため、一時的に増えたという。

 気象庁の中村浩二地震情報企画官は「余震は減少傾向だが、強い揺れや津波を伴う地震にこれからも警戒してほしい」と話している。

 一方、国土地理院は8日、東北の太平洋沿岸の地殻変動について、水平方向は震災時からほぼ東に移動を続けているが、垂直方向は震災時に大きく沈下した後、小幅隆起が続いていると発表した。

 震災時から東方向への移動量合計が最も大きいのは、宮城県石巻市の牡鹿半島にある観測点の6メートル48センチ。この地点は震災時に1メートル7センチ沈下したが、翌日から今年2月までに50センチ隆起した。


<安倍首相>岩手県宮古市を12日訪問 中学校卒業式に出席
毎日新聞 3/8(水) 18:44配信

 安倍晋三首相は8日の政府・与党連絡会議で、東日本大震災の被災地である岩手県宮古市を12日に訪問し、市内の中学校の卒業式に出席すると表明した。「引き続き被災者支援やなりわいの復興に全力を尽くす」と語った。


川内原発テロ対策施設が審査合格
ホウドウキョク 3/8(水) 17:12配信

鹿児島県にある川内原発1号機、2号機のテロ対策施設が、事実上、審査に合格した。
原発の規制基準では、航空機が落下する事故や、テロなどへの対策で、既存の制御室とは別に、第2制御室などの整備を義務づけている。
原子力規制委員会は8日、川内原発1号機、2号機のテロ対策施設の設置計画について、審査に合格したことを示す審査書の案を了承した。
テロ対策施設の合格は、高浜原発3号機、4号機に次いで2例目。
テロ対策施設は、施設の詳細設計などをまとめた工事計画が認可されてから、5年以内に整備する必要があり、川内原発1号機、2号機は、2020年3月と5月までに、それぞれ整備しなければいけない。


核燃工場、初の「合格」=新基準で審査書案―規制委
時事通信 3/8(水) 16:13配信

 原子力規制委員会は8日、核燃料製造会社「グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン(GNF―J)」の核燃料加工工場(神奈川県横須賀市)について、新規制基準に適合するとした審査書案をまとめた。

 事実上の審査合格で、核燃工場では初めて。経済産業省の意見を聴いた上で正式決定する。

 東京電力福島第1原発事故を受け、核燃料加工工場などの原子力施設も、想定を超える地震や津波による重大事故対策と、テロ行為による破壊などへの対策が新たに求められた。

 GNF―Jは想定を超える地震や津波で工場の施設が破壊され、放射性物質が外部に放出された場合でも、敷地周辺の住民が受ける被ばく線量は基準の5ミリシーベルトを大幅に下回ると試算。規制委は試算を妥当と判断した。


事務本館の電源盤焼く=浜岡原発
時事通信 3/8(水) 14:06配信

 8日午前10時10分ごろ、静岡県御前崎市の中部電力浜岡原発で、事務本館3階の空調機械室にある電源盤から火が出た。

 作業員がすぐに電源を切り、火は消えた。電源盤が焼けたが延焼はせず、けが人もなかった。事務本館から離れた原子炉建屋に影響はなかった。

 中部電によると、当時は1月に設置した空調設備の試運転を行っていた。電源盤から20~30センチほどの火が出たという。下請け会社の作業員2人が消し止め、地元消防が鎮火を確認した。同社が出火原因を調べている。


全員助かった「奇跡」の学校、新校舎急ピッチで
読売新聞 3/8(水) 13:38配信

 東日本大震災の津波で校舎が全壊した岩手県釜石市の釜石東中と鵜住居(うのすまい)小の新校舎工事が、急ピッチで進んでいる。

 震災時、迅速な避難行動で学校にいた小中学生全員が助かり「釜石の奇跡」と呼ばれた。

 海抜15メートルの高台に造成した敷地に建つ校舎は、小中一体で鉄骨4階建て。災害時の避難所として活用できるように、非常食や毛布を収納する防災備蓄庫を設置。体育館のそばに調理室も設けた。

 日没後も重機を使った作業や内装工事が行われ、被災地の夜を明るく照らしている。15日に完成し、新学期からは子どもたちを迎え入れる。


農地あきらめメガソーラーに…ドローンから見る
読売新聞 3/8(水) 11:43配信

231
津波の被害を受けた農地を転用して建設が進むメガソーラ-(福島県相馬市で、許可を得て小型無人機から)=飯島啓太撮影

 福島県相馬市の潟湖(せきこ)・松川浦沿岸に、見渡す限りの太陽光パネルが並ぶ。

 津波後の塩害に苦しむ磯部地区で農地をあきらめ、建設されたメガソーラーだ。

 福岡市の電設会社九電工などが手がけ、6月に稼働する。70万平方メートルの敷地に、約20万枚のパネルが置かれ、一般家庭1万6660世帯分の年6000万キロ・ワット時の電力を供給する計画だ。

 同地区は漁港と水田があり、約600世帯約2100人が暮らしていたが、震災で市の死者の半分以上の251人の犠牲者が出た。稲穂で満ちた地は、電源地帯へと姿を変えつつある。

« 北朝鮮、今度は弾道ミサイル発射・32 | トップページ | 北朝鮮、金正恩の兄・金正男氏暗殺 金正恩の刺客による犯行説濃厚・23 »

ニュース」カテゴリの記事

災害」カテゴリの記事

社会・事件」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/566606/65001456

この記事へのトラックバック一覧です: 東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2205:

« 北朝鮮、今度は弾道ミサイル発射・32 | トップページ | 北朝鮮、金正恩の兄・金正男氏暗殺 金正恩の刺客による犯行説濃厚・23 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30