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2017年3月 3日 (金)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2203

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:復興支援ソング完成=震災6年を前にお披露目―福島県 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<楢葉町長>「町に居住なら昇進優先」 職員から不安の声 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:NYで東日本大震災追悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災 フレコンバッグ、汚染土壌の仮置き場に 間もなく6年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:津波、2層の教訓…ドローンから見る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「原発事故よ、ありがとう」震災から6年、福島の高校生がセリフに込めた深い意味 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:特産イチゴでギネスに挑戦! - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<玄海原発>「再稼働の判断材料」アリバイ作りの第三者委? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<イチゴ狩り>一斉に1141人、ギネス認定 宮城・亘理 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島で震度3 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「復興イチゴ」でギネス認定=1100人一斉に収穫―宮城・亘理町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「子どもにとってはふるさと」=福島から避難の被災者支援員―新潟・柏崎 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自分の無力さを痛感した――。被災地出身者が語る、あの日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:広範囲で相次ぐ大震災の誘発地震 「古傷」に数十年は警戒を - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千葉で震度3 マグニチュード4・7 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千葉で震度3 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仮設店舗の3割営業続けず=退去後、再建難しく―宮城の被災地 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年「故郷の証残したい」 津波被災で解散の南相馬 住民が桜植樹 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自民党が毎年恒例の「屋台村」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島県立富岡高校>本校舎に別れ 卒業生ら「復校」誓う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<がんばっぺ福島>復興支援イベントに600人 東京 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自民党が恒例の「屋台村」 豚骨ラーメンと豚丼で被災地復興アピール - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自民が「屋台村」=二階氏ら振る舞う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:1・17追悼で使った竹灯籠を東北へ 「希望」「絆」の文字を添え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>復興照らす「花の灯台」…学生ら特製ポスト - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自民党本部で屋台村、被災地メニューで復興支援 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:除染費用 累計で2兆6,000億円に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:荒漠とした更地に家屋点在…ドローンから見る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:311を忘れない…準備進む「受援マニュアル」は災害の救世主か? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>売上高、事故後10分の1…浪江町・検査会社 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>商売、苦悩続く…避難指示区域の中小・個人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:熊本地震、張り紙に「隠れた課題」 九大准教授らが分析 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災6年>熊本と福島が神社復興支え合う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災6年 南三陸に新商店街「再建は夢だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

復興支援ソング完成=震災6年を前にお披露目―福島県
時事通信 3/6(月) 21:36配信

 東京電力福島第1原発事故などで苦しむ福島県の思いを全国に伝えようと、県が制作に取り組んできた「復興支援ソング」が完成し、6日に同県郡山市でお披露目された。

 内堀雅雄知事は、東日本大震災から11日で6年になるのを前に「福島が未来に向かって頑張るんだというメッセージを、歌を通じて世界に届けたい」と述べた。

 「雲のかなた」と題された復興支援ソングは、「10年後に空を見上げる私を思い描こう」などと、優しく語り掛ける内容。シンガー・ソングライターの谷村新司さん(68)が手掛けた。

 県内外から800通を超える福島への思いをつづった作文が寄せられ、それらに目を通した上で作詞作曲に臨んだという谷村さんは、「子どもたちへのはなむけとなるような歌にした」とビデオメッセージを寄せた。

 この日は、2016年の声楽アンサンブルコンテスト全国大会で金賞に輝いた日大東北高校(郡山市)の合唱部16人が参加。会場に美しい歌声を響かせた。


<楢葉町長>「町に居住なら昇進優先」 職員から不安の声
毎日新聞 3/6(月) 20:45配信

 東京電力福島第1原発事故の避難指示が一昨年9月に解除された福島県楢葉町の松本幸英町長が、避難先から町内に住居を戻した町職員を昇進で優先する趣旨の発言をしていたことが分かった。町民の帰還が進まない中、職員の率先垂範を意図したものだが、職員からは「乱暴すぎる」と不安の声も上がる。

 楢葉町に帰還した町民は、避難先で定住したり、生活インフラへの不安があったりすることから、町民の11.1%にあたる818人にとどまっている。

 昨年11月の早朝、福島県沖地震が起きた際、本庁舎勤務の町内居住者は職員約100人のうち13人。震度5弱を記録し、松本町長が庁舎に駆けつけたが、誰も登庁していなかった。このため12月から、職員10人が交代で町内に毎日宿泊。先月末時点で町内居住者は35人に増えた。

 6日の町議会一般質問で、松本町長は「公式な場で(職員に)伝わるよう話した」と答弁。「職員の不安も理解するが、行政には守るべき重い責任がある」とも述べ、今後も帰還を促す考えを示した。

 同県いわき市から通う男性職員は「戻れる環境をつくるのが我々の職務なので、町長の気持ちも分かる。でも家族も守らないといけない」と戸惑う。

 自治労県本部は「職務ではなく、住所での評価は、地方公務員法の平等な取り扱い原則に反する。被災自治体では退職する職員も多く、無理に帰還を進めることが意欲をそがないか心配だ」と指摘している。【乾達】


NYで東日本大震災追悼
ホウドウキョク 3/6(月) 18:03配信

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(写真:ホウドウキョク)

東日本大震災から、まもなく6年になるのを前に、アメリカ・ニューヨークの教会で5日、追悼式典が開かれた。
震災で母を亡くした、岩手・陸前高田市出身の女性は「すごくつらかったこととかも、ふと思い出すことはありつつも、今は子育てに一生懸命になりすぎて、少し前向きに、とらえられるようになってきたなと思います。でも、すごく早かったですね、6年」と話した。
宮城・石巻でボランティアも経験したニューヨーク市民は、「ニューヨークで、このようなイベントを開くのは素晴らしい。日本は遠いが、心は日本に寄り添っている」と話した。
震災の翌年から毎年開かれている式典には、ニューヨークに住む日本人ら、400人以上が参加し、犠牲者への哀悼の意を表し、黙とうをささげた。
2017年の式典では、2016年4月に起きた熊本地震の被災者への支援のためにも、寄付金が集められたほか、小中学生による合唱団が、被災地に向けて、エールを送った。


東日本大震災 フレコンバッグ、汚染土壌の仮置き場に 間もなく6年
産経新聞 3/6(月) 17:33配信

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積み上げられたフレコンバッグに緑色のシートが掛けられ、富岡町の市街地に異様な光景を作っている=4日午後、福島県富岡町(本社チャーター機から、川口良介撮影)(写真:産経新聞)

 東京電力福島第1原発事故で全域が避難区域となっている福島県富岡町。除染作業で出た汚染土壌の仮置き場には、フレコンバッグが積み上げられ、その上に緑色のシートが掛けられている。帰還困難区域を除いた地域の避難指示解除を4月に控える同町だが、異様な緑色のモザイク模様が侵食しているように見えた。


津波、2層の教訓…ドローンから見る
読売新聞 3/6(月) 14:29配信

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巨大な防潮堤が海と陸を分けるように立つ大船渡市綾里地区。震災前に建てられた部分と新しい部分で上下にツートンカラーになっている(岩手県大船渡市で、許可を得て小型無人機から)=飯島啓太撮影

 巨大なコンクリート壁は、すっかり被災地の海辺の風景となった。

 岩手県大船渡市綾里地区では、高さ11.6メートルの壁が町と海を分断し、脇を通る人を圧迫する。

 白黒のツートンカラーは、この地を襲った津波の歴史を物語る。明治、昭和の三陸地震とチリ地震を経験し、7.9メートルの下部が築かれた。ところが、6年前の津波は、これを軽々乗り越え、積み上げ工事が必要になった。

 ただ、地元漁師の男性(54)は「どんなに立派な物を作っても自然には勝てねぇ。油断せずに地震が来たらまず高台に逃げるんだ」と自らを戒める。


「原発事故よ、ありがとう」震災から6年、福島の高校生がセリフに込めた深い意味
ホウドウキョク 3/6(月) 11:30配信

東日本大震災をテーマに福島の高校生が作り上げた演劇
西山喜久恵アナウンサー:まもなく東日本大震災から6年が経とうとしています。そんな中、福島県立ふたば未来学園の演劇部の生徒が震災をテーマにした演劇『数直線』を作り上げ、2月上旬に東京で公演が行われました。『数直線』は演劇部の生徒たちが体験したことを基に作られた演劇で、今、福島の高校生が何を思い、何を伝えたいのかがリアルに描かれています。

まずは冒頭のシーンをご覧ください。
【リンク参照】

主人公は東京から福島に転校した女子生徒
西山:主人公は、東京の中高一貫校から福島のふたば未来学園に転校してきたサクラ。劇中ではサクラが地元・福島で被災した子どもとの間で葛藤したり、「どうせサクラは他人事なんでしょ、震災って」というセリフもあったりとか、まさに彼女たちがふたば未来学園で体験したリアルな出来事が基になっています。
今、ふたば未来学園では何が起こっていて、生徒たちは何を感じながら震災から6年経った今を生きているのか、が実にうまく描かれているんです。

ふたば未来学園とは
西山:震災と原発事故の影響で双葉郡にあった5校は授業のめどが立ちませんでした。そんな中、地元の自治体やいろんな人の力を借りて震災から4年後の平成27年4月、福島県双葉郡広野町にて開校したのがこの福島県立ふたば未来学園。今年の4月には、3年生・2年生・1年生の3学年が初めて揃うんです。

教育活動も特色があり、それがこちら。
【画像参照】

ふたば未来学園と西山アナの縁
西山:私と佐々木恭子アナが去年の6月、1年生の教育活動にある「地域の課題を探る」のお手伝いをしたんです。

生徒たちが地域のいろんな方、駐在所の方とか市役所の方とか、東電の方とかに「今の課題は何ですか?」とかいう風にインタビューをしに行くんですね。初年度はインタビューをしに行けと言われても、核心をつけずに帰ってきたりとか、先生たちが「やり直し」と言うようなインタビューになってしまったらしいんです。それで私と佐々木アナのところに「インタビューの極意を教えてくれ」という話がきて、私たちは喜んで行きますということで指導をしたんです。

そしたら、その学年の生徒さんたちはすごく役立ったというか、いろんな偉い方だとか、自分よりも目上の人に話を聞くときにどういう気持ちで接したらいいかということも分かったって…あと、その人たちの言葉の裏側にあるものとか、そういうものを見つけ出してインタビューできたと。それで「今年度はいいお芝居ができましたよ」ということだったんです。

そうこうしている内に学校の副校長先生から、「実は今年、ふたば未来学園の演劇部が福島県の演劇コンクールで優秀賞をとりました」と。「その作品が東京で公演をするのでぜひ観に来てください」といって観に行ったのが、この『数直線』だったんですね。

震災をテーマに演劇を作ることに反対する声も
西山:演劇部の皆さんが今年、震災をテーマにした演劇をやろうとする一方で、反対する生徒さんもいたそうなんです。やらなくてもいいんじゃないだろうか、自分で自分の心をえぐるようなことになるので、何も私たちが震災をテーマにした演劇を作らなくてもいいんじゃないかと。

「震災を演劇にしたい」と思わせたある言葉とは?
西山:「いや、でも震災をテーマにした演劇を作りたいんだ」ということで、脚本・演出を手掛けた2年生の佐藤美羽さんという方がいるんですけれども、佐藤さんがどうしても作りたいと思ったきっかけがあって、先生の知り合いの岩手の方に「もう皆さん、帰れるんでしょ?みんな帰ってるんでしょ?」ってすごく軽く言われたんですって。「いや、そんなことないです。未だに帰れない苦労している人、いっぱいいる」と。彼女たちにしてみれば岩手の人も同じ被災した仲間のような気持ちだったんです。

だけど、仲間だと思っていた人たちでも全て分かってくれているわけではないんだと思って、今、自分たちがどういう状況でどういうことを思って、何が一番伝えたいとか、これが楽しいとか、これが面白いとか、思っていることをリアルに伝えなきゃって思ったそうなんです。

それで今回、震災をテーマにした演劇を作ろうということで、美羽さんが中心になって演劇部が作り始めたんですね。

心に刺さるセリフがたくさんある
西山:震災をテーマにした演劇を作るにあたって、美羽さんがいろいろ考えるだけだと煮詰まってしまうのと、どうしても抽象的な演劇になってしまう。
そこで何をやったのかというと、みんなで輪になって演劇部のみんなで今まで自分が体験した被災したときのつらい話でもいいし楽しい話でもいいし、「とにかくどんな思いをしてきて、今ここにいるのかという話をしよう」じゃないかと。

美羽さんが言っていて印象的だったのは、ふたば未来学園に来ている生徒はみんな苦労していると、被災者であり、避難してまだ帰れない人もいたりとか、程度の違いはあれ、いろんな経験をしてるから、実はみんな「どんなに大変だったの?」と聞けない。今までもあんまり聞いたことがないそうなんです。

友達のそういう部分にあんまり入っちゃいけないという思いが強すぎて、そういうことをやらなかったんですけど、今回、震災をテーマにした演劇をやろうといったときに、思い切ってみんなの体験を聞いたそうなんです。

そしたら、その体験がすごくて、話している途中で泣き出しちゃう子もいたりとか。
そこでみんなで出し合って、それを基に、今感じていることを本当にリアルに演劇にしていこうって、いろんな場面場面、学校での遊びのような場面で本音がポロっと出てきたりとか。ひとつひとつのセリフが実は、みんなの思っていること、経験してきたこと、何か深ーいものがいっぱいっぱいあって心に刺さるセリフがいっぱいあったんです。

西山アナの心に最も刺さった言葉は「ありがとう」
西山:この演劇に出てくるセリフで私の心に一番刺さったのが「ありがとう」という言葉なんです。「ありがとう」っていうのは普通、いい意味で使いますよね。感謝を表す意味です。だけど、脚本・演出を手掛けた佐藤美羽さんは「ありがとうって実はすごい深い意味があるんじゃないか」ってことで、演劇の中のあるシーンではこういう風に使っているんです。
【上記リンク参照】

ネガティブな言葉+「ありがとう」が持つ意味
西山:聞いていて、いろんなことを考えさせられたんですけど。ネガティブな言葉に「ありがとう」が加わると、何とも言えず「ありがとう」の重みが違ってくるなぁと思いまして。

このセリフを美羽さんは「本当に大切にしているセリフなんです」と言っていて、今回このセリフを言っているのは青木くんという男の子なんですけど、青木君は楢葉町だったんですよね、それでまだ帰れてはいない。なかなか大変な状況ではあるんですけど、彼に「ありがとうをどういう気持ちで言ったの?」って聞いたら、「地震と津波、ありがとう」「原発事故よ、ありがとう」、この2つの「ありがとう」は本当の「ありがとう」なんですって。

「ありがとうって言える状況じゃないじゃない?」って聞いたら、「地震と津波があって原発事故があって、でも僕はこうやって今、ふたば未来学園に通えていて、いい友達もできて、(地震、津波、原発事故)はとてもネガティブな言葉なんだけれど、これが起こったおかげで友達ができたんです。こんな素晴らしい学校に通えています」って堂々とまっすぐな瞳でそういう風に言われて涙が出そうだったんですけど。

それで最後の「家に帰して、ありがとう」っていうのは「この野郎ー!」っていう気持ちで「ありがとう」を言ったんですって。

だから、同じ「ありがとう」だけど、この「ありがとう」だけは性質が違うんですよって言っていて、この演劇のひとつの「ありがとう」という言葉なんだけれど、すごい深い意味があるなぁと思っていて。これをいろんな人に分かってほしいなぁ。
リアルに今、福島の高校生が考えていること、気持ちが凝縮されているんじゃないかなぁと思いました。

「そんなに心配してもらわなくても大丈夫」
西山:(「ありがとう」のセリフを言った)青木くんには「そんなに心配してもらわなくても大丈夫なんです。僕は楽しく高校生活がやれているし、そういったところもぜひ伝えて知ってほしいんです」っていう気持ちもあって、原発の影響があって大変っていうのはあるけれども、そうじゃない部分、日常を楽しめている部分も、もっともっと理解してほしいっていう気持ちもあるんだっていうことを聞いて、私たち伝える側として、ちゃんと彼らと向き合って取材して伝えなきゃいけないなぁって思いました。

「みなさんは福島と聞いて何を思い浮かべますか」
西山:
最後に『数直線』の脚本と演出を手掛けた佐藤美羽さんのコメントを読み上げます。

福島と聞いて何が浮かびますか。
私たちの殆どは震災に関することです。
5年も経ってるんだ。震災は終わったという人がいるかもしれません。そう考えてもいいと思います。
しかし今もまだ解決していないものがあります。
また、震災があったという事実と未だに向き合う事ができない人もいます。
震災を起点に確実に何か人生に変化があったと思います。
親にさえ無意識に話すことがなかったことを自分たちがやりたいものは何かと上演するまでに持ってきました。
今、私たちは福島県双葉郡広野町のふたば未来学園にいます。
みなさんは福島と聞いて何を思い浮かべますか。
今どこにいますか。

※この取材の様子は3月11日「新・週刊フジテレビ批評」にて放送予定。


特産イチゴでギネスに挑戦!
ホウドウキョク 3/6(月) 9:07配信

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(写真:ホウドウキョク)

特産のイチゴでギネス世界記録に挑戦する催しが開かれた。
真っ赤に実った大きなイチゴ。
このイチゴが、宮城県のオリジナル品種「もういっこ」。
亘理町(わたりちょう)は、東日本大震災で大きな被害を受けた。
巨大津波によって、イチゴの栽培面積の9割以上が浸水した。
そこで、イチゴ産地としての復活と、自慢の品種「もういっこ」を全国にアピールしようと、1,000人を超える人で、一斉にイチゴを摘み取るギネス世界記録への挑戦が行われた。
参加した人は、「いっぱい取れてよかったです」、「ギネス登録されれば、その一員になったと思うので、最高」などと話した。
今回、集まった人の数は1,141人、同時にイチゴ狩りをした最多の人数として、ギネス世界記録に認められ、認定証が亘理町に手渡された。

仙台放送/FNN


<玄海原発>「再稼働の判断材料」アリバイ作りの第三者委?
毎日新聞 3/6(月) 7:52配信

 ◇佐賀知事が設置 国、九電が延々説明 提言すら求めず

 佐賀県玄海町が近く町内に立地する九州電力玄海原発3、4号機の再稼働に同意する。今後の焦点は県の判断に移るが、山口祥義(よしのり)知事が「再稼働の判断材料とする」として設置した第三者委員会の位置付けがあいまいだ。知事への提言なども予定されておらず、委員会内部からも「再稼働のアリバイ作りに利用されているだけでは」と疑念の声が上がっている。

 第三者委は昨年末に設置された。委員は農林水産業や経済、医療など県内各界の代表30人だが、原発の専門家は工藤和彦・九州大名誉教授(原子力工学)だけ。このため工藤名誉教授を部会長に専門家7人でつくる部会も別途設け、それぞれが別々に議論している。

 ただその立場は「再稼働について広く意見を聞く場」(設置要綱)にすぎず、県は「議論して何か方向性を出すものではない。県民説明会での(一般の)意見と同じ位置付け」(新エネルギー産業課)とする。

 川内(せんだい)原発の安全性を議論する鹿児島県の専門家委員会も位置付けが不明瞭だが、それでも「(1号機に)熊本地震の影響はなかった」という意見書をまとめ、三反園訓(みたぞのさとし)知事はそれを根拠に2月22日、1号機の運転容認を表明した。これに対し、佐賀県はそうした意見書や提言すら求めず、委員会や部会での個々の意見が山口知事に伝えられるだけだ。

 しかも知事は元々「再稼働の方向で考える」という立場で、早ければ4月にも同意表明するとみられている。そうした中で設置された第三者委の役割には委員自身が懐疑的だ。

 象徴的な場面が2月8日の2回目の会合の際にあった。委員の一人で、県地域婦人連絡協議会会長の三苫紀美子さん(71)は午前中、再稼働に反対する立場から発言した。だが他に発言者は少なく、午前の会合を終えた控室で三苫さんがたまらず他の委員に「なんで何も言わないの」と聞いたところ、ある委員が「決まったこと(再稼働)ば、いくら言うたって同じやろもん」と答えたという。

 この会合では、原子力規制庁や九電などの職員による説明が延々と続いた。同じく再稼働に反対する委員の県労働組合総連合議長、北野修さん(53)は「再稼働を目指す国と九電の説明ばかり聞かされ、再稼働にもっていこうという意図を感じた」と話す。三苫さんも「委員会を作ったことが再稼働のアリバイに利用されるのならば許せない。知事は結論ありきではなく、もっと時間をかけた議論を促すべきだ」と訴える。【関東晋慈】

 ◇モデルの愛媛と比べ、雲泥の差

 上部委員会と専門部会からなる佐賀県の第三者委は愛媛県をモデルに設置されたが、審議時間も役割も雲泥の差がある。

 愛媛県の場合、委員会は県内にある四国電力伊方原発1号機が運転開始する前年の1976年から常設されている。四国電が原子力規制委員会に伊方3号機の審査を申請した直後の2013年7月からは、専門部会が約2年かけて再稼働を巡る議論をし、原発の新規制基準に「合格」とした規制委の審査結果を「妥当」と判断、上部の委員会も承認した。

 この間の専門部会は15回、現地調査も3回を数え、委員の一人は「規制委の審査結果について伊方の地域特性も踏まえて確認した」と語る。

 これに対し、佐賀県は福島県を除く原発立地県で第三者委がない最後の自治体となったため、昨年末になって急ごしらえで設置。それぞれ今月中旬に予定されている第三者委の3回目、専門部会の6回目(うち1回は現地視察)の会合が、県による同意判断前では最後となる見込みだ。【中村敦茂】


<イチゴ狩り>一斉に1141人、ギネス認定 宮城・亘理
毎日新聞 3/5(日) 19:31配信

 イチゴが特産の宮城県亘理町で5日、同時にイチゴ狩りした最多人数のギネス世界記録に挑む催しがあった。約2500平方メートルの大型ハウスで1141人が一斉に摘み、記録として認定された。

 東日本大震災の津波で町内の生産者の約9割が被災。内陸に施設を集約し、昨年度の出荷額は震災前の約9割まで回復した。震災から6年を前に復活をアピールしようと町が企画した。

 摘んだイチゴは宮城の独自品種「もういっこ」。会場はイチゴをほおばる参加者の笑顔であふれた。生産者の岩佐貴幸さん(47)は「復興ももう一歩、前へ進めていきたい」。【百武信幸】


福島で震度3
時事通信 3/5(日) 19:19配信

 5日午後7時4分ごろ、福島県沖を震源とする地震があり、同県天栄村と玉川村で震度3の揺れを観測した。

 気象庁によると、震源の深さは約20キロ。地震の規模(マグニチュード)は4.6と推定される。主な各地の震度は次の通り。

 震度3=福島県天栄村、玉川村
 震度2=福島県郡山市、いわき市。


「復興イチゴ」でギネス認定=1100人一斉に収穫―宮城・亘理町
時事通信 3/5(日) 15:16配信

 東日本大震災で被災したイチゴ産業の復興を後押ししようと、宮城県亘理町で5日、イチゴを一斉に収穫する人数のギネス世界記録に挑む催しがあった。

 震災後に整備されたハウスで栽培した同県のオリジナル品種「もういっこ」を、1141人で摘み取り、新記録が誕生した。

 亘理町と隣接する山元町は東北一のイチゴ産地だったが、震災の津波で農地の95%が被災。両町には国の支援で2013年に計191棟のハウス団地が整備され、本格的な出荷を再開した。

 催しは亘理町が主催。ハウス団地の1棟が会場となり、町内外からの参加者で埋め尽くされた。ギネスの公式認定員による審査の結果、1141人の世界記録が認定された。

 亘理町では250戸あった農家のほとんどが被災し、現在はハウス団地も含め170戸がイチゴ栽培を続けている。4000平方メートルの農地全てが津波で浸水し、ハウス団地で栽培を再開した菊地優さん(76)も記録達成を見守った。海水の塩害で栽培方法が変わり、慣れるまで苦労したというが、「ハウス団地に入ってよかった。イチゴ栽培だけで生活していける安心感をみんな感じている」と話した。

 仙台市から子供連れで参加した三橋春奈さん(34)は「甘くておいしい」と笑顔。震災前から亘理町でイチゴ狩りをしていたといい、「参加することで町おこしに貢献できるかな」と話した。


「子どもにとってはふるさと」=福島から避難の被災者支援員―新潟・柏崎
時事通信 3/5(日) 14:11配信

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。

 家族で福島県双葉町から新潟県柏崎市に避難するNPO法人職員渡辺浩二さん(47)は、他の避難者の生活を支援する仕事を続けている。帰宅困難区域解除の見通しが立たない現状に、「子どもにとっては柏崎がふるさと。何十年も暮らす心構えはできている」と話す。

 原発から3~4キロの自宅に住んでいた渡辺さんは事故後、親戚のつてを頼り柏崎市に避難。妻と当時14歳の長男、3歳の長女、生後4カ月の次男と共に、アパートの一室に身を寄せた。

 避難前の水泳インストラクターと同様の求人を探しに向かったハローワークで、避難者が暮らす住宅を訪問する仕事を紹介された。当時、柏崎市内には約2000人が避難していた。

 慣れない道を必死に覚えて避難者宅に向かい、涙を流す人たちの話を聞く日々。「最初はつらかった」と振り返る。それでも、福島の方言を交えて世間話をするうちに、不安や孤独な気持ちを共有できた。

 仕事を続けることに迷いもあったが、「子どもの生活環境を変えたくない」との思いから契約を更新してきた。6年間で子どもたちには多くの友人ができ、今春には次男が市内の小学校に入学する。福島から避難した子どもへのいじめが各地で発覚しているが、「(東電柏崎刈羽)原発を抱え、地震も経験した柏崎では、避難者への理解がある」と感じている。

 成長する子どもたちから刺激を受け、「福島から柏崎に避難した自分だからこそ、できることをしたい」と考えるようになったという渡辺さん。今年7月には、柏崎市などで15人の死者を出した新潟県中越沖地震から10年を迎える。避難後に取得した防災士の資格を生かし、今後は市民の防災教育や、東日本大震災の語り部としての活動にも力を入れる予定だ。


自分の無力さを痛感した――。被災地出身者が語る、あの日
ホウドウキョク 3/5(日) 13:22配信

2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。当日、被災地にいた人たちの苦しみは計り知れないものがあるだろう。しかし、あの日、東北にいなかった「被災地出身者」もまた苦悩していたのだ。彼らを苛んでいたもの――それは、故郷にいる家族や友人に対し、「なにもできない」という思い。

震災当時、どこでなにをしていたのか。そして、どのように苦悩していたのか。東京に住む、被災地出身者の話を聞いた。

他の地域の被災者を悼むようになった
現在、広告代理店でコピーライター・CMプランナーとして活躍するTさん。岩手県出身の彼は、あの日、都内のオフィスでコピー制作に追われていた。震源地が東北であることを知ったのは、震災発生後すぐだったという。

「非常に大きな地震だったので、オフィスにあるテレビをつけて、地元が被災したことを知りました。ただ、実家は岩手の山の中にあるため、津波の心配はなかったんです。どちらかといえば、盛岡に住んでいる兄弟家族や宮城県の友人のことが心配になりました」

震災翌日には家族とも連絡がとれ、その後、新幹線が復旧したGWに帰省をした。実家自体は被害を免れていたが、海沿いである久慈市には津波の爪痕が残っており、被害の大きさを実感したそうだ。さらに、家を失ったことで車生活を余儀なくされている友人の姿も目の当たりにした。そこでTさんがとったのが、情報を伝えること。

「東京に住んでいる僕にできることは、とにかく情報を伝えること。こまめに連絡を取り続けたのを覚えています」

しかしTさんは、「自分のことで精一杯だった気もする」と後悔の色を滲ませる。

「震災の影響が仕事にも波及し、その対応に追われていました。家族への被害が少なかったことは幸いでしたが、やはり不安は大きかったと思うので、家族に対してはもう少し密に連絡をするべきだったとも思っています」

そして、その後悔が尾を引き、地元である東北との「心理的な距離」が開いてしまったという。被災地出身者ではあるものの、被災した当事者ではない。心境は複雑だ。

「震災当時、東北出身者ではない人たちがあまりにも他人事だったことが僕にとってはショッキングでした。なので、もし他の地域で災害が起きたときには、その地の被災者の方々に思いを巡らせるようにしようとは思っています。それが、最低限できることなのかな、と」

震災の年に出産。はじめて母親の気持ちがわかった
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身のFさんは、当時、妊娠初期のため自宅にいた。大きな揺れを感じテレビをつけると、地元が津波に飲み込まれてしまった報道を目にし、愕然としたという。急いで家族に連絡を取ろうとしたが、回線が混み合っていたため一切つながることはなかった。

「両親や兄弟が住んでいたので、無事かどうか気が気じゃなくて…。その後、災害伝言板経由で無事が確認できてホッとしました。ただ、実家は完全に流されてしまったんです」

家族が無事ならそれでいい。そう思いながら、当時所属していた会社を経由して、家族へ支援物資を送り続けた。そして、震災後はじめて地元を訪れたのは5月半ばの頃。

「実家の跡地を訪れたら、やはりなにも残っていなかった。生まれ育った家だったので、とてもショックでしたね。でも、私以上に母が呆然としていて。母は自宅で美容室を経営していたのですが、いろんな思い出が詰まっている場所を一気に失ってしまったことで生きがいをなくしたようでした。その姿を見るのが、とてもつらかったです」

その後、両親は妹夫婦と同居することになり、現在では新居で新しい生活をスタートさせているという。

「その年の11月に娘を出産しましたが、そうなってはじめて母親の気持ちが理解できるようになったんです。当時、私の母は誰よりもつらかったはずなのに、私を含めて子どもたちの心配ばかりしていた。それが親なんですよね。だから、あれ以来、両親の元へまめに帰るようになりました。孫の顔を見せてあげたいですしね。それと、人生はいつなにが起こるかわからないんだと思うようにもなりました。だから、後悔しないように生きなければいけない。娘にはそれを教えていこうと思っています」

ちょっとした地震でも震源地を確認するように
最後に話を聞いたIさんは、宮城県東松島市の出身。ここもまた、津波の被害が甚大だった地域だ。震災当時、仕事中だったIさんも、オフィスのテレビでその全容を知り急いで家族の安否を確認した。

なんとか電話がつながり無事が確認できたものの、すぐに回線が混み合い不通に。その後、一週間はまったく連絡が取れなかったという。無事を確認できたものの、次第に募る不安。その理由は、父親がある障がいを抱えていたからだ。

「父は日常生活において酸素ボンベを必要とする体だったんです。だから避難できたとしても、酸素ボンベがなくなってしまったらどうなってしまうのか…。そう思うと、まったく安心はできなかったです」

そこで痛感したのが、自分の無力さ。当時を振り返り、Iさんは涙ながらにこう話す。

「情報がなにも入ってこないし、だからといって帰る経路もない。自分にはなにもできないんだと、とても悲しくなりました。当時は会社までの電車もしばらく動いていなかったので、仕事は数日間お休みしたんです。でも、なにをしていたのか、正直記憶がないんですよね…」

前述の通り、一週間ほど経ってあらためて家族の無事を確認することができた。そして、Iさんもまた5月の連休を利用して帰省をした。そこで見たのが、地元の凄惨な様子。かろうじて実家は無事だったが、慣れ親しんだ土地の変わり果てた姿に、涙がこらえきれなかったという。

「家族があんな震災に巻き込まれるなんて想像もしていなかったので、今後平穏に暮らしてもらうことだけが願いです。ちょっとした地震が発生すると、地元が震源地なんじゃないかと敏感に反応してしまうようになりましたし、きっとあのできごとは心に根深く残り続けるんだと思います」

情報収集をしたり、支援物資を送り続けたり、3人はそれぞれのやり方で「できること」を行った。しかし、その根底にはやはり「なにもできなかった」という無力さが漂っている。その後悔にも似た思いが、いつの日か昇華されることを願ってやまない。

取材・文=五十嵐 大


広範囲で相次ぐ大震災の誘発地震 「古傷」に数十年は警戒を
産経新聞 3/5(日) 11:35配信

 東日本大震災から6年がたつが、東北や関東地方では地殻変動に伴う誘発地震が相次いでいる。目立つのは岩盤が引っ張られて起きる正断層型の地震だ。専門家は発生確率の高い状態が数十年続くとみており、油断は禁物だ。(原田成樹)

 東日本で起きる地震は通常、岩盤が圧縮されて壊れる逆断層型が多い。日本海溝から沈み込む太平洋プレート(岩板)が、東日本を乗せた陸側プレートを西に押しているためだ。

 しかし両プレートの境界でマグニチュード(M)9・0に及ぶ大震災の巨大地震が発生し、陸側が沖へ最大約65メートル動いたことで、東に引っ張る逆向きの力がかかるようになった。

 この影響で正断層型の地震が大幅に増加。大震災で誘発された10回のM7級のうち、正断層型は6回を占める。最大1・4メートルの津波が起きた昨年11月の福島県沖の地震や、最大震度6弱を観測した翌月の茨城県北部の地震も、このタイプだった。

 ■動いた正断層

 中でも震災1カ月後に福島県東部で発生し、4人が死亡したM7・0の地震は研究者たちを驚かせた。大震災後の内陸の正断層型としては最大規模で、大きな地震が少ない地域で起きたからだ。

 ほとんど活動しないと思われていた2つの活断層が動き、人の背丈ほどの段差を持つ断層が地表に現れた。めったに動かない断層は地下に隠れていることも多く、思わぬ被害を招きかねない。

 この地震は当初、東西に押さえ付けられていた断層が急に引っ張られたことで動いたとされた。しかし、産業技術総合研究所の今西和俊・地震テクトニクス研究グループ長は「この仮説では以前に押さえていた力が非常に小さくなって矛盾する」と考えた。

 今西氏は過去の小さな地震のメカニズムを分析。この地域では以前から正断層型が頻繁に起きており、大震災後に引っ張られてさらに起きやすくなったことを明らかにした。東北地方は一枚岩ではなく地下構造などが不均質なため、普段から引っ張られている場所もあったわけだ。

 ■5地域で急増

 増えたのは正断層型だけではない。東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は、M2以上の発生率が東日本の5地域で大震災後に10倍以上に急増し、地震のタイプはそれぞれの地域で特徴があることを見いだした。

 福島県東部の地震などが起きた福島・茨城県境や、千葉県銚子市周辺は正断層型が増加したのに対し、秋田市や北秋田市の周辺は横ずれ断層型、福島県喜多方市周辺は逆断層型が増えていた。こうしたタイプの地震が発生しやすい素地があったとみられる。

 遠田氏によると、日本列島はかつてユーラシア大陸の東端にあったが、日本海の拡大などで今の場所に移動した。その長い歴史の中で多くの断層が傷として刻まれた。大震災で非常に大きな震源域が動き、東日本にかかる力を広い範囲で変化させたことで「いろいろなタイプの断層を表舞台に出した」と表現する。

 ■100年以上も

 こうした研究は地震学の進歩にも役立つ。1938年に福島県沖で多発し、死者1人を出したM7級の地震は従来、プレート境界の逆断層型とされていたが、陸側プレート内の正断層型との見方が強まっている。政府が公表している地震の長期予測の見直しに発展する可能性もある。

 誘発による地震発生確率の上昇は、普段から力がかかってひずんでいる場所では比較的早く解消されるが、そうでない場所では長引く。1891年に岐阜県で起きた国内最大級の活断層地震の濃尾地震(M8・0)では、100年以上たった現在も周辺で微小な誘発地震が続いている。

 遠田氏は「大震災で確率が上昇した地域が元の状態に戻るまでに20~30年以上、場所によっては100年以上かかるので備えが必要だ」と警告している。


千葉で震度3 マグニチュード4・7
産経新聞 3/5(日) 11:04配信

 5日午前10時20分ごろ、千葉で震度3を観測する地震があった。

 気象庁によると、震源地は千葉県北東部で、震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは4・7と推定される。


千葉で震度3
時事通信 3/5(日) 10:35配信

 5日午前10時19分ごろ、千葉県北東部を震源とする地震があり、同県横芝光町で震度3の揺れを観測した。

 気象庁によると、震源の深さは約50キロ。地震の規模(マグニチュード)は4.7と推定される。主な各地の震度は次の通り。

 震度3=千葉県横芝光町
 震度2=千葉市中央区、茨城県日立市、東京都墨田区。


仮設店舗の3割営業続けず=退去後、再建難しく―宮城の被災地
時事通信 3/5(日) 8:33配信

 東日本大震災後、仮設店舗で営業してきた宮城県南三陸町の「南三陸さんさん商店街」が、3日に常設店舗として営業を再開した。

 その一方、被災地の仮設店舗の多くは営業継続の岐路に立たされている。宮城県の調査では、既に仮設を退去した店舗のうち、約3割は営業を続けていないことが判明。震災から間もなく6年を迎え、退去期限が迫る店舗も多い中、店主からは「本格再建は難しい」と不安の声が漏れる。

 プレハブなど仮設店舗の多くは家賃が無料で、震災から半年~1年の間に整備された。宮城県内ではこれまでに12市町で、小売りや飲食など商業系の計約540店が入居した。

 県の調査(昨年10月時点)では、期限を迎えるなどして既に退去した238店のうち、73店は再建しての営業が確認できなかった。復旧工事の遅れで再建場所の確保が難航していることや、人口減少で売り上げのめどが立たないことなどが原因とみられる。仮設で営業を続ける302店の9割近くは再建を希望するが、うち4割超の111店が「再建方法は未定」と回答した。

 気仙沼市では、区画整理のため今春に二つの仮設商店街が営業を終える。市の調査(今年1月時点)によると、退去する55店のうち18店は移転先が決まっていない。

 地元で80年以上続く焼き鳥店の店主岩槻邦雄さん(74)は、「1年以上前から物件を探しているが、条件に合うところが見つからない」と頭を抱える。ラーメン店を経営する大友つき子さん(64)は「店は続けたいが、再建できるかはアルバイトをしながら考えたい」と話す。

 仮設店舗の退去期限は最終的には自治体の判断だが、国が撤去費用を負担する期限が最長で2018年度末のため、それまでに退去を迫られるケースが今後、増えるとみられる。


東日本大震災6年「故郷の証残したい」 津波被災で解散の南相馬 住民が桜植樹
産経新聞 3/4(土) 23:25配信

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故郷への思いを込めて桜の木を植える、かつての南右田行政区の住民ら。全70戸が津波で流失した=4日、福島県南相馬市(野田佑介撮影)(写真:産経新聞)

 「ここで暮らした証しを残そう」-。東日本大震災の津波で全ての家屋が流され、25日に解散する福島県南相馬市鹿島区の集落「南右田行政区」のかつての住民が4日、地区内に桜を植樹した。故郷で過ごした日々を懐かしみ、住民同士のつながりを築いた行政区の解散を惜しんだ。

 南右田行政区は津波で全70戸が流失し、54人が犠牲に。区内の大半が住宅を建てられない「災害危険区域」となったため、解散を余儀なくされた。

 この日は、参加した約80人が30組に分かれ、地区のシンボルでもある「みちのく鹿島球場」の周囲にソメイヨシノ30本を植えた。津波で父と妻を亡くした大久定光さん(68)は、「行政区まで解散するのはやりきれないが、思い出が消えることはない。また、みんなでここに集まって花見ができたらいいね」とほほ笑んだ。


自民党が毎年恒例の「屋台村」
ホウドウキョク 3/4(土) 20:30配信

自民党幹部らが、被災地の名物を振る舞った。
自民党は、党大会を翌日に控えた4日、毎年恒例となっている「屋台村」を開いた。
法被姿の二階幹事長は、2016年、大地震に見舞われた熊本県の名物「熊本ラーメン」を党員らに振る舞い、自らも味わった。
自民党の二階幹事長は「(お味は?)お味は上等!」と語った。
また、ほかの幹部も、熊本産の肉を使ったハヤシライスや、2016年の台風で甚大な被害を受けた北海道の牛乳を配るなど、党員らとの交流を図るとともに、被災地の復旧・復興をアピールした。


<福島県立富岡高校>本校舎に別れ 卒業生ら「復校」誓う
毎日新聞 3/4(土) 18:26配信

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「復校富高」と描いた4枚の幕を前に手を振る富岡高の卒業生ら=富岡町小浜の同校本校舎で2017年3月4日午後1時24分、乾達撮影

 東京電力福島第1原発事故で避難し、今春で休校となる県立富岡高校が4日、富岡町の本校舎に別れを告げる記念行事を開いた。卒業生や元教員ら約110人が避難時そのままの掲示物が残る校舎内を回り、ベランダに出て校歌を合唱するなどして休校を惜しんだ。

 富岡高は1950年に開校。2006年には普通科から国際・スポーツ科に移行し外国語、介護福祉、スポーツの専門コースで特色ある教育を続けてきた。特にバドミントン部は全国トップレベルで、男子サッカー部も2回の全国大会出場を果たした。県内と静岡県のサテライト校舎に分かれて授業を続け、1日に最後の卒業生62人を送り出した。

 この日は、サクラより一足早く咲くモクレンを校門近くに植樹。今年の卒業生が墨で手形を押して「復校富高」と描いた4枚の幕が披露されると、参加者全員で校舎3階に上がり校歌を歌った。

 指揮をした83年卒の加藤久美さん(51)は「音楽部を復活させて文化祭で合唱したのが一番の思い出」。一昨年から卒業生が月1回本校舎に集まり校歌を歌っているといい、「歌い続けることで思い出深い母校を守っていきたい」と話した。山崎雅弘校長は「今春の避難指示解除で富岡町がまたにぎわうようになれば、学校再開の話が出てくる」と希望を未来に託した。

 再開の日を目指し、4枚の幕は掲げ続ける。避難後の生徒の活躍を示すトロフィーやユニホーム、全国からの応援メッセージなどの展示も教室に残す。【乾達】


<がんばっぺ福島>復興支援イベントに600人 東京
毎日新聞 3/4(土) 18:10配信

 福島県の復興を支援するイベント「第2回がんばっぺ福島! 応援の集い」(毎日新聞社・無洲主催、復興庁・東京都・福島県・県酒造組合・駐日ベトナム大使館後援)が4日、東京都中央区のベルサール東京日本橋であった。約600人の参加者は、福島の食材を使った料理や地酒を楽しんだ。

 集いで、今村雅弘復興相と対談した内堀雅雄県知事は、8万人近い人が避難生活を続けている現状や風評被害に対する取り組みなどを紹介し、「皆さんの応援を力に福島のプライドを取り戻したい」と話した。山木屋太鼓(川俣町)や、スパリゾートハワイアンズ(いわき市)のダンスチームなどがパフォーマンスで盛り上げた。【坂巻士朗】


自民党が恒例の「屋台村」 豚骨ラーメンと豚丼で被災地復興アピール
産経新聞 3/4(土) 17:52配信

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党本部の敷地内で開かれた「自民党屋台村」で熊本ラーメンを試食する二階俊博幹事長(中央)=4日午後、東京都千代田区(春名中撮影)(写真:産経新聞)

 自民党は4日、翌日に控えた党大会のプレイベントを東京・永田町の党本部で開いた。二階俊博幹事長ら党幹部が特設の「屋台村」で、地震などの災害に見舞われた地方の復興をアピールしようと各地の名物料理を党員らに振る舞った。

 背中に大きく「自民党」と書かれた青い法被をまとった二階氏は、昨年4月に大地震の被害を受けた熊本県の名物の豚骨ラーメンを配った。山東昭子党紀委員長は、糸魚川市で大火があった新潟県のコシヒカリと台風被害を受けた北海道の豚肉を使った豚丼に人を呼び込んだ。

 用意した計600食が約45分で品切れとなる盛況ぶり。党員が8年ぶりに100万人台を回復し、内閣支持率や政党支持率も堅調な自民党だが、二階氏は記者団に次期衆院選への手応えを問われ、「まずまず順調だが、もっと頑張らないといけない」と述べた。


自民が「屋台村」=二階氏ら振る舞う
時事通信 3/4(土) 15:34配信

 自民党は4日午後、東京・永田町の党本部駐車場で、党大会前日恒例の「屋台村」を開いた。

 二階俊博幹事長ら幹部は、地震や台風、大規模火災の被害を受けた地方の食材を使った料理を集まった党員らに振る舞った。

 屋台には、地震に見舞われた熊本のラーメンやハヤシライス、台風被害を受けた北海道の豚丼が登場。ご飯には大規模火災が発生した新潟・糸魚川産のコシヒカリが使用された。用意された600食は45分ほどでなくなった。


1・17追悼で使った竹灯籠を東北へ 「希望」「絆」の文字を添え
産経新聞 3/4(土) 15:15配信

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「絆」や「祈り」などの文字が書き入れられた竹灯籠。神戸から東北へ鎮魂の思いを届ける=4日、神戸市灘区の摩耶埠頭公園(写真:産経新聞)

 阪神大震災の追悼行事「1・17のつどい」で使った竹灯籠を、東日本大震災で被災した宮城県名取市に贈るため、市民団体「神戸・心絆(ここな)」が4日、神戸市灘区の摩耶埠頭公園で、竹筒にメッセージを書き入れた。

 この日は朝からメンバーら約10人が集まり、津波による犠牲者208人の名前や、「希望」「絆」といった文字を長さ約30センチの竹筒一本一本に筆で書き入れていった。竹灯籠は、11日に名取市閖上(ゆりあげ)地区の仮設住宅で開かれる追悼行事で並べられ、追悼の明かりがともされる。


<大震災6年>復興照らす「花の灯台」…学生ら特製ポスト
毎日新聞 3/4(土) 14:00配信

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岩手県釜石市の復興住宅に設置される「花の灯台」のデザイン画=宮本佳明教授提供

 東日本大震災で被災し、住民の高台移転が進む岩手県釜石市鵜住居町(うのすまいちょう)の根浜地区で、住民と大阪市立大の大学院生らが、花とLED照明で飾って「花の灯台」をイメージしたポストを移転先の家々に据え付ける取り組みを進めている。震災前、同地区の庭先では花が咲き誇っていたといい、「復興の象徴に」と住民が学生らにデザインを依頼した。既に一部は業者に発注済みで、院生らが4月下旬から設置する。【山本愛】

 根浜地区はリアス式海岸の半島の付け根にある。津波によって67世帯173人のうち12人が死亡、2人が行方不明となり、大半の住宅が全壊した。

 釜石市は被災した土地に高さ約20メートルの盛り土をして、44区画の宅地を造成した。地元町内会によると、仮設住宅などに住む38世帯が移転を決め、来年度中に住民の約7割が移る見通しという。2015年9月ごろ、住民から「震災から立ち上がった根浜のシンボルを移転先に作りたい」との声が上がり、おそろいのポストを置くことにした。

 復興に向け、まちづくりを考える釜石市民を支援してきた建築家で大阪市立大大学院工学研究科の宮本佳明教授(56)と院生がデザインを引き受けた。宮本教授は、津波で基礎だけになった自宅跡にたたずみ、震災前の暮らしを懐かしむ被災者に胸を打たれたという。

 自身も阪神大震災で兵庫県宝塚市の自宅が全壊。住み慣れた家への思い入れから撤去せず、鉄骨で補強して再建した経験がある。「震災前の町の姿や、平穏だった日常の記憶を取り戻せるまちづくりをしたい」と考え、院生とデザインを練った。

 ポストは鉄製の籠状で高さ約160センチ、直径35センチ。中ほどにポストがあり、植木鉢を20個ほど置ける。灯台らしく太陽光発電機能を備えたLEDライトを付ける。約200万円の製造費は義援金を活用した。

 工学研究科2年の芥隆之介さん(24)は「ポストの花が住民の心や新しい生活を彩り、復興の役に立てたらうれしい」と話す。震災で妻や父らを亡くした同地区の佐々木雄治さん(61)は「季節ごとの花が咲き誇っていた当時を思い出しながら復興に向けて歩んでいきたい」と、ポストの完成を心待ちにしている。


自民党本部で屋台村、被災地メニューで復興支援
日刊スポーツ 3/4(土) 13:34配信

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復興支援の屋台村で熊本ラーメンを食する自民党の二階俊博幹事長

 自民党本部で4日、党大会前日恒例の「屋台村」が行われた。毎年、復興支援を目的に被災地の食材やメニューを使った料理が、無料で党員に振る舞われている。

 今年は昨年、地震に見舞われた熊本県・阿蘇産の牛肉を使った「阿蘇ハヤシライス」や熊本ラーメン、大雨による水害が発生した北海道の豚肉を使った「帯広豚丼」が提供された。ハヤシライスには、地震被害に見舞われた鳥取県のらっきょうが薬味に使われ、米は、大規模火災が発生した新潟・糸魚川産のコシヒカリが使われた。熊本、北海道の乳製品も振る舞われ、開始から1時間ですべて、「完売」した。

 熊本ラーメンを、党員らに手渡す役を担った二階俊博幹事長は、自らもラーメンを食し「味は上等。ラーメンはよく食べますが、今日のは最高です」とPRした。

 自民党大会は5日、都内で開かれる。


除染費用 累計で2兆6,000億円に
ホウドウキョク 3/4(土) 12:55配信

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(写真:ホウドウキョク)

費用は、累計2兆6,000億円に達する見通し。
環境省は、福島第1原発事故で、放射線に汚染された地域の環境を回復させるための除染費用として計上した予算が、2016年度までの累計で、およそ2兆6,000億円にのぼったと発表した。
国が除染を行う地域で、延べ1,300万人、市町村が行う地域で、延べ1,700万人以上の作業員を動員し、推計およそ1,600万立法メートルの汚染土壌や、廃棄物を除去したという。


荒漠とした更地に家屋点在…ドローンから見る
読売新聞 3/4(土) 11:30配信

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荒漠とした更地に残る住宅(4日午前、福島県浪江町で、許可を得て小型無人機から)=飯島啓太撮影

 人影のない更地に家屋が点在する。

 ここに集落があったことをうかがわせる数少ない遺物だ。家の中やがれきに残る家財道具だけが、かつての人々の暮らしぶりを伝えている。

 福島第一原発から約7キロ離れた福島県浪江町請戸(うけど)地区は、漁業の町としてにぎわい、海水浴場もあった。しかし、津波と原発事故で住民は避難を余儀なくされた。

 海岸沿いの請戸漁港に先月25日、約6年ぶりに漁船が帰還した。今月31日には町の一部で避難指示が解除される。ただ、請戸地区の沿岸部は住むことはできず、防災林や農地として整備される。


311を忘れない…準備進む「受援マニュアル」は災害の救世主か?
ホウドウキョク 3/4(土) 11:30配信

大災害時に他自治体から派遣される応援などを円滑に受け入れるため14府県が「受援計画」と呼ばれる対応マニュアルを策定したことが分かった。14府県の大半は、2011年の震災後に計画をまとめ窓口を一元化するなど混乱回避の具体策が明記されているという。国は2012年に受援計画の策定を都道府県と市町村に策定を要請。現在「策定予定なし」の都道府県はゼロとなっている。

古市憲寿の印象
日本は震災が多い国ですけど、外部から大量にボランティアなどの人が来たら、どうやって指揮系統に組み込めばいいのか、事前に準備しておかないと難しい場合が多いんでしょう。

大村晟アナウンサー:気持ちは嬉しいけど人を余らせてしまうことが解消されるといいですね。

原発が爆発したらどうするか考えてなかった
今回のマニュアルを作る意味は、想定できる範囲のことをすべて想定し、あるいは想定できてないことは何だろうと考える事をやっておくことにあると思います。私たちが想像できる事象は氷山の一角で、見えないところにある事の方が本質だったりするんですよね。例えば、原発事故に対応するための非難訓練は実施されていたんですが、その内容は、原発事故が起こりそうなので皆で逃げて、収まったので帰りましょうというものだった。それ以上の事を想定しなかったというのが福島第一原発の問題。爆発したらどうするとか、長期避難になってお年寄りが弱ったらどうするとか、そういうことまでは考えてなかったんですね。

映画「シンゴジラ」では、霞が関がやられて総理官邸を遠方に移す描写がありました。他にも、偉い人がみんなポロッとあっけなく死んだりしすが、現実はもっとあっけないはずで、そういう前提も考えなきゃダメだと思います。首都が機能しなくなった時に、どこに大々的な司令塔を置くのかとか、大量の避難者が出た時にどうするのかとか。

311では避難する中で多くの人が亡くなったんですが、その半分以上は震災から3か月以内、それもお年寄りが中心だったんです。被災した地域は、まあ田舎だから空き家とかに避難できたんですけど、東京郊外の団地ですでに孤立化しているお年寄りは、どうするんでしょう。どこに行く場所があって、どうやって移動するのか、多分多くの人が答えられないはずです。そういうところまで考える必要があると思いますね。

今すぐできる対策
例え想定外のことでもみんなで普段から考えるためにマニュアルを配るだけでは足りないとも言えます。学校教育の中や地域活動の中で、義務づけまではいかなくても、ロールプレイをしたりワークショップを開いたり、できる範囲でやって欲しい。誰もがワークショップに行くというわけではなくても、聞いたことがあるぐらいにしてもらいたいわけです。

東京では「東京防災」という黄色い表紙の冊子が配られましたが、どれだけの人が中身を読んだんでしょう。例えば東京でも地域ごとに商店街みたいなものはありますから、そういう所のリーダー的な人が防災意識を高めていくことなら、直近でもできると思います。

熊本地震で起きた「受援ミスマッチ」
東日本大震災の時は、自治体そのものが被災しました。施設ごと流されたり、職員も被災したことによって能力そのものが半減したわけですもともと被災地の沿岸部にある市町村のほとんどは小規模で人員も少ないですから、そこに職員の被災が重なって応急対応などは非常に難しかったですね。受援マニュアルがあるとかないとかという問題ではなく、絶対のマンパワーが足らない。

熊本地震での失敗
そのあとになって受援マニュアルが必要だっていう話になったんですけど、じゃあ以降の震災で役立ったのでしょうか。東日本から5年たって起きた熊本の地震を見てみると、実際にはちゃんとした受援マニュアルはなかったんですね。

国の対応は比較的早かったと思います。政府はプッシュ型の支援をやっていますと言っていましたが、実際には事前の調整不足で地元自治体と連携が取れていませんでした。たとえば、物資を送りますよと言っておきながら、到着時刻が不明で職員を24時間待機させなきゃならず、疲弊してしまう。

また、地元の情報は上位自治体にも上がっていませんでした。例えば、避難所に入らない車中泊の人たちがいたんですが、避難者としてカウントされていなかったんですね。そういう人たちが避難所に物資を取りに来るわけですけども、カウントされてないから物資が足りない。そういったことも混乱に拍車をかけ、受援体制のミスマッチを招いたんですね。

熊本地震で学んだことが生かされた鳥取県中部地震
大規模災害が起きると、一般の方々がそれを学習するという効果があります。例えば、熊本地震の後に鳥取県中部地震が発生したんですが、最大震度は6弱でほとんど建物は壊れていないんです。それなのに家に入らず駐車場に避難する人がたくさんいた。これは、熊本で連続して起こった地震の怖さを目の当たりにした人がたくさんいたからでしょう。受援マニュアルも、直前に起きた災害の学習効果を踏まえて柔軟性を持たせ、非常にきめ細かく対応できるようにしておくことが大事でしょう。

必要なのは「備蓄」と「在宅訓練」
私は、ペナルティまではなくてもいいので「備蓄」を推進する条例と「在宅避難訓練」が必要だと考えています。日本は備蓄が少ない国なんです。昔はスーパーマーケットのバックヤードには在庫がありましたが今はありません。熊本地震の時、私が車中泊の人にインタビューしてみると、水と食糧があれば家に帰れるという人がたくさんいた。

避難所に行く人というのは、被災地にいるすべての人のせいぜい20~5%なんです。残りの80~95%の人は、電気ガス水道電話が止まった中で暮らさなきゃいけない。だからそこで暮らす訓練をしようというわけです。例えば、半日だけ電気ガス水道電話を止めて在宅避難訓練をやれば、何が本当に必要なのか分かるでしょう。

古市憲寿のまとめ
これから起こるであろう首都直下地震とか南海トラフ地震では、特に東京都という日本の司令塔が被害を受ける可能性があるわけです。そうなったときのためにマニュアルはやっぱり無いよりはあったほうがいいとは思うんですね。

それに加えて山村さんが仰っていたのは、自治体レベルの受援計画だけではなくて、各家庭や個人レベルの啓蒙とか訓練が必要だという事でした。備蓄とか、電気がないときはどうするとか、水が止まったらどうするとか、そういう事を考えた方がいいんじゃないかという事ですね。

もうすぐ、震災から6年ですか。来年以降も、制度や生活などあらゆる面で震災の経験を生かせていければいいなと思います。


<大震災6年>売上高、事故後10分の1…浪江町・検査会社
毎日新聞 3/4(土) 11:09配信

 東京電力福島第1原発事故による避難指示区域は徐々に解除されているが、福島県商工会連合会の調査で、地元中小企業の苦境が続いていることが浮き彫りになった。同県浪江町にあった原発関連の検査会社「東北エックス線」もその一つ。事故後、仕事が激減し、人材も流出。売り上げは事故前の1割程度に低迷しているという。経営を下支えしてきた東電からの賠償も減額される見通しだ。

 1974年に創業し、社員十数人で第1原発の配管検査や作業員の被ばく管理を始めた。「放射線のプロ集団」(同社担当者)として、従業員に専門資格を積極的に取らせるなどし、着実に仕事を増やした。「原発メーカーの信頼を得るため、経験を積んで技術を磨くのに必死だった」と業務部長の幕田保夫さん(62)。柏崎刈羽(新潟県)、島根(島根県)、浜岡(静岡県)など全国の原発でも仕事を任され、社員は約80人になった。

 だが、原発事故で状況は一変。事務所は福島市に移転し、従業員も各地に避難してばらばらに。現在は創業時とほぼ同じ14人だ。一時は学校や公園の放射線測定や、測定装置の維持管理業務を請け負ったが、県外企業が次々と参入し受注競争に敗れた。

 2015年からは除染作業員の放射性物質の付着を調べる検査機器をゼネコンに販売して食いつないだ。だが、頼みの綱の除染は今年度でほぼ終了する。

 先行きが不透明なため社員を増やすわけにいかず、その結果、人材不足で業務拡大が難しいという悪循環。幕田さんは「賠償に頼らず自立したいと頑張ってきた。6年もたって見通しがないということは今後も変わらないのだろうね」とため息をついた。【土江洋範】


<大震災6年>商売、苦悩続く…避難指示区域の中小・個人
毎日新聞 3/4(土) 11:09配信

 東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県12市町村の中小企業や個人事業主のうち、営業を再開した事業者の7割が事故前より営業利益を減らしたことが県商工会連合会のアンケートで分かった。「休業中」の事業者も約半数あった。避難が長引き、顧客や人材の不足に陥ったり、取引先を失ったりしたことなどが原因とみられる。東日本大震災から6年。東電は3月以降、営業補償を終了させていく方針で、被災地の産業再生への道は険しい。

 ◇「再開後減益」7割

 政府や自治体による避難指示が出た12市町村のうち6市町村で解除され、4町村で今春、解かれる(帰還困難区域を除く)。

 県商工会連合会は昨年9、10月、会員2293業者を対象にアンケートを実施(回答率46%)。大半が避難指示区域にあった事業者だ。

 現状は、地元で営業再開20%、避難先などで再開32%、休業中48%だった。再開した業者の70%は、昨年度末時点の営業利益が事故前を下回った。利益が半分以下になった業者は38%に上った。

 減益の理由(複数回答)は、8割が「避難指示でなじみの客が減った」、4割が「取引先からの仕事が減少」「人材不足で事業規模を完全に戻せない」とした。

 避難指示区域の商工業者には休業・再開を問わず、東電が賠償として事故前の年間利益の6年分を支払った。

 今年3月以降、東電が原発事故による損害が継続していると判断した場合に限って個別に支払われるが、業者にとって立証は困難で「事実上の打ち切り」と指摘されている。

 調査に協力した大阪市立大の除本理史(よけもと・まさふみ)教授(環境政策論)は「東電は事故の被害が収束していないという認識を持ち、柔軟に賠償を認めるべきだ」と指摘する。【土江洋範】


熊本地震、張り紙に「隠れた課題」 九大准教授らが分析
西日本新聞 3/4(土) 9:20配信

 熊本地震後、熊本県内の各地に開設されていた避難所の張り紙を九州大大学院芸術工学研究院の尾方義人准教授(工業デザイン)の研究チームが分析し、結果をまとめた。大規模な避難所ほど、病気や健康維持など「福祉系」の張り紙が増加。時間の経過に伴い、伝える内容や情報量は変化する傾向にあったが、トイレやごみなど「衛生系」の情報量は変化せず、常に懸案だったことがうかがえた。尾方准教授は「張り紙から避難者も気付かなかった課題、要望が見えてくる。今後の運営に生かしてほしい」と話している。

張り紙の写真861枚を撮影、分析
 尾方准教授は、避難所を回る中で避難所ごとに張り紙の内容、書き方に違いがある点に着目。熊本市や宇土市の避難所5カ所(最大収容人数30~368人)で張り紙の写真計861枚を撮影し、分析した。

 それによると、「お弁当を減塩食で対応します」「入れ歯で困っている方はいませんか」「てんかんの方へのお知らせ」など、福祉に関する張り紙は規模が大きい避難所ほど増加。100人以下の避難所は張り紙全体の約13%だったが、100人以上の避難所では約22%を占めた。

 「規模が大きな避難所は看護師や保健師が小まめに巡回することで、避難所の細かなニーズをつかみとることができ、張り紙につながった」としている。

子どもの文字で呼び掛けると避難者がきちんと応じる傾向も
 熊本市南区に開設されていた富合雁(がん)回館(最大収容人数368人)で、昨年6月7日時点の張り紙(全171枚)を8月10日時点(計180枚)と比較すると、感染症や窃盗など「注意系」の割合が減り、生活再建や復興支援イベントの案内など将来に目を向けた明るい情報が増えていた。

 一方で、「缶詰の汁はここに捨てて!」といったごみ処理や、トイレに関する張り紙の割合は変わらず、全体の約1割を占め続けた。子どもの文字で分別を呼び掛けると避難者がきちんと分別する傾向も確認できたという。

 尾方准教授は「復興の明るい話題を早めに張り出すと被災者の元気につながるのではないか。トイレの張り紙は運営者や避難者が問題を解決したい思いの表れ。トイレの音が気にならない避難所構造にするなどの工夫が必要」としている。


<大震災6年>熊本と福島が神社復興支え合う
毎日新聞 3/4(土) 7:00配信

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南相馬市の山田神社=2016年8月10日、小出洋平撮影

 間もなく発生から6年となる東日本大震災の津波で社殿が流出した福島県南相馬市の山田神社が、16年の熊本地震で被害を受けた熊本県内の神社の支援に乗り出している。同県立球磨工業高から12年に仮社殿などを寄贈されたことへの恩返しだ。熊本の神社復旧のための募金箱を設置し、宮司の森幸彦さん(59)は「熊本と福島が支え合うことが願いです」と話している。

 山田神社は1941(昭和16)年創建で、豊作を祈る農家など付近の住民から大切にされてきた。震災時は氏子が約200世帯いたが、そのうち43人が津波の犠牲となり、社殿も流されてしまった。森さんは「あまりのことに声も出なかった」と振り返る。

 被災直後にがれき撤去のボランティアとして訪れていた熊本県苓北町の志岐八幡宮の宮司、宮崎國忠さん(71)は、山田神社近くに住む熊本出身の女性(68)らを通じて社殿流出を知った。宮崎さんは宮大工の養成コースがある球磨工に、支援できないか相談。学校側は約20年前に生徒たちが制作し、授業で作品見本として活用してきた社殿を仮社殿として提供したほか、灯籠(とうろう)や鳥居を新調し寄贈した。

 12年2月に仮社殿に神様を迎える遷座(せんざ)祭を行うことができ、氏子たちは「勇気と希望をもらった」と喜んだ。その後も、熊本の農家などが山田神社近くの集落に対し、熊本産の野菜や果物を無料で送るなど交流している。

 熊本地震では1000超の寺社仏閣が被災した。森さんは15年から建設に着手し、昨秋に完成した新社殿で募金活動をしている。熊本の神社の復旧に活用してもらうつもりだ。まだ、集まった金額は多くはないが、森さんは「震災から6年になっても熊本から支援が続いている。お互いに長く支えあいたい」と語る。視線の先には新社殿の中に保管された仮社殿がある。宮崎さんは「福島の支援はありがたい」と話している。【中里顕】


東日本大震災6年 南三陸に新商店街「再建は夢だった」
産経新聞 3/3(金) 23:32配信

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町で3日、新たな商業施設「南三陸さんさん商店街」が開業し、多くの地元客や観光客でにぎわった。震災からまもなく6年。新商店街には復興加速やにぎわい復活のかじ取り役として期待が高まっている。

 商店街は震災翌年の平成24年2月から昨年末まで仮設店舗で営業してきた。新商店街はかつての町中心部に、将来の津波被害を避けるため海抜約10メートルまでかさ上げして本格再建された。

 商店街には町のスギを使った平屋6棟に、三陸の海でとれた新鮮な魚介類を味わえる飲食店、土産物店など28店が立ち並ぶ。仮設営業していた32店のうち23店が移り、新たに5店が加わった。建物は新国立競技場のデザインを手掛けた建築家の隈研吾氏が設計した。

 職員ら43人が犠牲になった町防災対策庁舎の近くにあり、今後、周辺には水産加工場や大型スーパーなども建設される。

 記念式典ではテープカットとともに、約300個の風船を空に放ちオープンを祝った。すし店「弁慶鮨」を経営する菅原実さん(61)は「再建は夢だったが、真価が問われるのはこれから。地元に愛される商店街にしたい」と話した。

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