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2017年1月16日 (月)

東日本大震災等および原発事故関連のニュース・2189

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:福島原発「自主避難者」ら、住宅支援の継続を訴える - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:3.11発生時刻に黙とう=つながる二つの被災地―神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「人ごとにしないで」=被災体験、紙芝居で伝える―兵庫の美術教員・阪神大震災 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神・淡路大震災から22年 発生時刻に合わせ黙とうささげられる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地震で負傷する原因、1位は家具の転倒 「固定」子供ら巡回説法 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 心つなぎ生きる 西宮中央商店街 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 心つなぎ生きる 震災直後生まれ葛藤乗り越えた - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 夢でも会いたい 愛する妻、いまも家族の一員 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 あの日の温かみ、子供たちに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災の教訓、次世代に=菅官房長官 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:南阿蘇で黙とう 熊本地震本震から9ヵ月 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>熊本・益城で豚まん提供…神戸の被災者 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>地震列島、語り継ぐ記憶…遺族ら祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「この日だけは変わらない」=震災22年、犠牲者しのぶ―神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>熊本の子と「命の一本桜」…東遊園地 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>午前5時46分、追悼のトランペット - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>6434人の鎮魂祈り…各地で追悼行事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災復興「前例なき挑戦」=交流先のドイツ州で講演―福島知事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼の灯消さないよ 阪神大震災22年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「夢でもいい、会いたい」=妻への思い、今も―遺族代表の大鳥居さん・阪神大震災 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「夢でいいから妻に会いたい」阪神大震災22年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:犠牲者しのび各地で追悼=教訓継承が課題に―阪神大震災22年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 「救える命もある」 被災経験し医師に 熊本地震で恩返し - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災22年 神戸市災害復旧債、年度内に完済 1996億円、財政面でひと区切り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災22年 犠牲者同数のろうそくで冥福祈る 伊丹の昆陽池公園 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>「生」の光で冥福を祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災22年>復興住宅進む高齢化 65歳以上52% - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:6434本、慰霊の明かり=阪神大震災、17日に22年―兵庫 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:玄海差し止め審尋終結=住民ら仮処分求め―佐賀地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:全盲男性、避難所暮らしで負い目 阪神大震災あす22年、災害弱者の孤立 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:労基署が社長出頭させ指導票交付…関電課長自殺 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:関電社長に指導票=「管理職の労働時間把握を」―高浜対応の課長自殺・敦賀労基署 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:規制委も直接確認せず=換気配管の腐食状況―原発再稼働前の検査 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災>おばさん、会いに来たよ…17日で22年 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

福島原発「自主避難者」ら、住宅支援の継続を訴える
日刊スポーツ 1/17(火) 19:26配信

 東京電力福島第1原発事故によって、避難指示区域以外の福島県内から避難した「自主避難者」とフリーライターら支援者が17日、日本外国特派員協会(東京)で会見し、4月以降に打ち切られる住宅支援の継続を求めた。

 10代の次女とともに、福島県郡山市から神奈川県内に避難している松本徳子さん(55)が会見し「『自主避難者』は国や福島県から勝手に避難したとして捨て去られている。事故がなければ帰りたい。でも帰れない状況を知っていただきたい」と話した。

 松本さんによると、次女は11年6月に鼻から大量の出血があり、下痢や吐き気が続いた。夫は仕事がある郡山に残り、松本さんも次女を連れて県外避難したという。福島と神奈川の二重生活による経済的負担は大きく、災害救助法に基づく住宅支援は「命綱」だったという。

 松本さんは「私は親ですので、娘を国が守ってくれないなら、借金してでも避難を続け、娘を守りたいと思っています」と話した。

 県外避難者の子どもたちへのいじめ問題も相次いでいるが、松本さんは「福島県の政治家から、県外に勝手に避難して子どもがいじめられるのは、親に責任があるんだろうと言われた。県内の人に言われるとは思わなかった」とも話した。

 福島県は、避難指示区域以外からの避難者への住宅支援を今年3月末で打ち切る方針を発表している。

 避難先の県によっては無償提供を続ける県もあるが、対応はさまざまだ。


3.11発生時刻に黙とう=つながる二つの被災地―神戸
時事通信 1/17(火) 17:57配信

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阪神大震災から22年が経過した17日、神戸市中央区の東遊園地では東日本大震災の発生時刻の午後2時46分に黙とうがささげられた。訪れた人は「3.11」にかたどられた竹灯籠を見詰め、手を合わせた。

 阪神大震災から22年が経過した17日、神戸市中央区の東遊園地では東日本大震災の発生時刻の午後2時46分に黙とうがささげられ、二つの被災地がつながった。

 訪れた人は「3.11」にかたどられた竹灯籠を見詰め、手を合わせた。

 仙台市から来た尚絅学院大3年の高橋佑瑞さん(22)は、宮城県名取市の仮設住宅で被災者の話を聞く「傾聴ボランティア」に取り組む。「自分たちも頑張ればここまで復興できる」。活気を取り戻した神戸の街並みに励まされたといい、熊本の復興支援にも携わりたいと意気込む。

 3月11日が結婚記念日という瀬口正久さん(71)、登喜子さん(69)夫妻=兵庫県尼崎市=。東日本大震災の約2年前に2人で東北を巡ったといい、テレビで見る様変わりした景色に、「絶句」した。阪神大震災で職場の同僚を失った正久さんにとって、結婚記念日は「東北のことを思い出す大切な一日」となった。

 兵庫は、「震災で東北と結ばれている」と登喜子さん。3年後は結婚50週年。「金婚式では、夫と再び東北を訪れたい」と語った。


「人ごとにしないで」=被災体験、紙芝居で伝える―兵庫の美術教員・阪神大震災
時事通信 1/17(火) 16:17配信

 「震災時に人々がどう助け合ったか知ってほしい」。

 阪神大震災から22年、兵庫県西宮市の中学美術教員、米光智恵さん(31)が被災体験を紙芝居で伝え続けている。「災害はいつ襲ってくるか分からない。震災を人ごとにしないで」。子どもたちに人の絆の大切さを語り継ぐ。

 当時は小学3年生。市内の自宅で被災し、震災のショックで笑顔が消えた。被災児童を旧ユーゴスラビアに招待する旅行に参加。紛争地で子どもたちが懸命に生き、描いた絵に心を打たれ、「うじうじしていられない」と勇気をもらった。いつしか笑顔が戻り、絵に打ち込み、短大で美術教諭の資格を取得した。

 2006年に母校の小学校に赴任。同僚の「震災体験を語ってほしい」との勧めで紙芝居を作り、「記憶を頼りに焼き付いているシーンを描いた」。住み慣れた町が燃えている惨状、避難所で1枚の毛布を分け合った様子など17枚にまとめ、10年から語り始めた。

 震災22年を迎えた17日。米光さんは市立瓦林小学校で全校児童を前に紙芝居を読んだ。震災で足を負傷し、紙芝居に描かれている会社員大川瞳さん(29)も登壇。足を切断する危険があったことや友人を亡くした体験を語り、児童に「この日だけでも(震災を)実感してほしい。もし起きたら自分が何をすればいいか考えて」と呼び掛けた。6年の金田礼音さんは(12)は「震災は怖いけど起きたらみんなで助け合いたい」と話した。


阪神・淡路大震災から22年 発生時刻に合わせ黙とうささげられる
ホウドウキョク 1/17(火) 15:39配信

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(写真:ホウドウキョク)

6,434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から22年、追悼式典が開かれ、祈りをささげた。
兵庫・神戸市の東遊園地では、地震が発生した午前5時46分に合わせて、黙とうがささげられた。
息子を亡くした女性は「やっぱりここへ来たら、あの当時の気持ちがよみがえってきます。とにかく、『なんとか元気で頑張ってるよ』って言ってやりたいです」と話した。
22年がたち、震災を知らない世代が増え、震災後に採用された神戸市職員も、52%と初めて半数を超え、経験をどう継承していくかが課題になっている。


地震で負傷する原因、1位は家具の転倒 「固定」子供ら巡回説法
産経新聞 1/17(火) 15:12配信

 地震による負傷原因の1位は「家具の転倒」だ。東日本大震災では、津波からの避難の妨げになったが、家具固定率は約2割と進んでいない。このため、南海トラフ地震の津波の危険がある高知県四万十町では、高齢者に役場や地域住民が働きかけ、家具固定を行う取り組みを始めた。(編集委員・北村理)

 「家具固定が進まないのは、高齢者にとって家具の移動や取り付けの作業が大きな負担だから」というのは京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)。

 矢守教授による同町町民の意識調査によると、家具固定をしない理由の上位は「面倒」「固定方法が分からない」「自分でできない」「お金がかかる」。

 このため、四万十町は1軒につき5千円まで家具固定に必要な費用を負担。自主防災組織の住民が、器具の取り付けを希望する高齢者宅を訪れ、家具固定を行う。

 家具固定の希望者を募る際、地元の中学生が地域の高齢者宅を回り、家具固定の必要性を説明する。その狙いは、「子供に声をかけられると高齢者は断りにくいし、子供たちにとっては実践的な防災教育の学びにもなる」と矢守教授は話す。

 こうした取り組みを実施した四万十町興津地区では、全477世帯のうち実施率は当初1割程度だったが、平成26年に29世帯、27年には63世帯、28年も15世帯と増加。現在では、ほぼ半数の世帯で家具固定が行われた。

 実際に各世帯を回った矢守研究室の野嶋太加志さんによると、「家具固定を各世帯に勧める場合、隣近所の具体的な事例を示すと、実感を持て取り組みやすいようだ」という。

 今後の課題は、昨年の実施世帯数が一昨年に比べ少なかったように、野嶋さんは「日中に不在となる世帯にどうアプローチするのか工夫が必要だ」という。

 南海トラフ地震は東日本大震災に比べ、震源が沿岸部に近く、東日本より強い揺れが予想される。

 東日本大震災の被災地での調査によると、東北3県で1割弱が「転倒家具が津波避難の障害になった」と回答。また、震度7を記録した阪神大震災や新潟県中越地震による負傷の原因の約半数が家具転倒だった。

 矢守教授は「これからもますます高齢化が進む。こうした現実の中で家具固定を進めるには地域の支援策が必要だ」としている。


阪神大震災22年 心つなぎ生きる 西宮中央商店街
産経新聞 1/17(火) 15:11配信

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阪神大震災が発生した午前5時46分に合わせ、止まったままの時計の前で黙祷を捧げる人ら=17日午前5時46分、兵庫県西宮市(山田哲司撮影)(写真:産経新聞)

 あの日と同じ冷たい風が吹く神戸の街に17日、追悼の明かりがともされた。6434人の命を奪った阪神大震災から22年。震災の爪痕を風景のなかに見つけることは難しくなった。それでも、かけがえのない人を失った思いは変わらない。家族へ、友人へ。人々は被災地のそれぞれの場所で鎮魂の祈りをささげた。

                  ◇

 震災で大半の店舗が全壊した兵庫県西宮市の西宮中央商店街では17日、地震発生直後の時を刻んだまま止まった大時計の前で追悼行事を行うのが恒例だったが、震災20年を機に中止になった。それでも今年も周辺住民ら約10人が集まり、午前5時46分に合わせて静かに黙祷(もくとう)した。

 商店街に事務所を構える地域情報紙「ともも」編集長の武地秀実さん(60)=神戸市西区=は「寒さや夜明け前の暗さなど、当時を感じられるのはやっぱりこの時間しかない。記憶のある人が大切に語り継いでいかなければ」と話した。


阪神大震災22年 心つなぎ生きる 震災直後生まれ葛藤乗り越えた
産経新聞 1/17(火) 15:10配信

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犠牲者を追悼する右近華子さん。震災発生3日後に生まれた=17日午前5時52分、神戸市中央区の東遊園地(奥清博撮影)(写真:産経新聞)

 ■立命大4年・右近華子さん(21) 京都

 「震災直後に生まれたことが、今の私につながっていると思えるようになった」。立命館大産業社会学部4年の右近華子さん(21)=京都市右京区=は17日、震災発生時刻の午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で目を閉じ、心の中で犠牲者に「ありがとう」とつぶやいて手を合わせた。

 震災発生3日後の1月20日朝、母親が出産のために里帰りしていた神戸市兵庫区の病院で生まれた。小学生の頃、「がれきの街、神戸にまた花が咲くように」との願いを込めて「華子」と名付けられたことを知った。「でも、私は震災を知らない」。名前を重荷に感じるようになった。

 高校1年のとき、東日本大震災が発生。「この目で震災を見たい」。大学進学後、被災地支援サークルに参加し被災地を訪れ、平成26年5月からは京都市内で毎月11日に東北の食材を仕入れ、被災地を考える「きっかけ食堂」を運営してきた。

 20歳の頃、祖父から「なるようにしてなったな」と言われ、はっとした。震災とどうかかわればいいか、答えを探し求めていた重圧から解放され、素直に震災と向き合えるようになった。

 今春から、東京で会社員として新生活のスタートを切る。「神戸の復興とともに成長してきた。これからは私にできることを続けていきたい」と笑顔で話した。


阪神大震災22年 夢でも会いたい 愛する妻、いまも家族の一員
産経新聞 1/17(火) 15:08配信

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遺族代表として追悼の言葉を述べる大鳥居慎司さん=17日午前5時52分、神戸市中央区の東遊園地 (寺口純平撮影)(写真:産経新聞)

 ■遺族代表 大鳥居慎司さん(58)

 「夢の中でも、たとえ幽霊であっても、妻に会いたい」

 神戸市中央区の東遊園地で17日行われた市の式典で、妻の裕美子さん=当時(32)=への思いを述べた大鳥居慎司さん(58)。追悼の言葉を、ゆっくりと読み上げた。

 22年前の17日、大鳥居さんは神戸市東灘区で被災。木造の自宅は全壊し、一家4人が家の下敷きになった。4時間後に助け出された裕美子さんの体は温かかったが、すでに脈はなかった。

 震災後、男手一つで長男(26)と長女(24)を育てあげた。子育てという目標があったから、悲しみを乗り越えられたのかもしれない。「私が死んで、妻が残った方が子供たちは幸せだったのに」という思いは、今も拭いきれない。

 あの日と同じ寒い朝を迎え、「22年前の思いが一気によみがえってきた」と話した。「慰霊と復興のモニュメント」で、裕美子さんの名が刻まれた銘板を前に「子供たちはしっかりしてきたよ」と伝えた。

 愛する人を亡くした寂しさは、22年たった今も変わらない。大鳥居さんの言葉はこう締めくくられた。「妻は天国から私たちを見守って、ときには怒ってくれる家族の一員です」

                  ◇

 ■遺族代表の言葉要旨

 阪神大震災から22年、これだけたつと歴史の世界になってしまいます。でも私にとっては22年前の出来事は、歴史で済ますことはできません。

 激しい揺れで目を覚まし、立ち上がろうとした途端、家がつぶれてきました。みんなに声を掛けると「大丈夫」と妻、裕美子の声。「火が出なければ助けが来るよ。長期戦でいこう」と声を掛けると「そんな!」と言ったきり、うめき声だけ。次第に聞こえなくなっていきました。

 焦った私は大声でがれきの底から助けを呼び、私と2人の子供は助け出されましたが、4時間後に妻が掘り出されたときにはまだ体は温かかったけど、脈がありませんでした。

 一緒に助けてくれた方に「もう一度脈を診てくれ」と頼んで診てもらいましたが、首を振るだけ。近所の人の車に乗せて病院に連れて行きました。路上で胸をはだけ、聴診器をあてた医師は「駄目です」と、ひと言。最後の望みも絶たれました。

 避難先の小学校で長男が「ママはどうしたの?」と聞きました。私は「天国へ行ったんだよ」と言いました。「天国からいつ帰ってくるの?」と聞きます。私は答えられず泣きだしました。

 「私が死んで妻が残った方が子供たちは幸せなのに。でも私には2人の子供がいる」と考えました。妻の死を悲しんでばかりいるより、子供を育てようという目標が明確になりました。

 目標達成戦略には困りました。父子家庭は少なく、どうやって子育てや生活をしていけばいいかイメージが湧かなかったのです。

 他のお母さんと話をすると悩みが同じでした。子供を育てる苦労は男も女も同じだと分かりました。振り返ると、子供を育てなければならない目標があったからこそ、悲しみを乗り越えられた気がします。子供たちにも感謝しています。

 震災からしばらく、妻のいない日常が夢で、本当は妻が生きていたのだという夢を何度か見ました。10年ほど前からは見なくなりました。現実を受け入れたということでしょうか。

 でも寂しいです。夢の中でも、たとえ幽霊であっても、会って話を聞いてもらいたいし相談もしたいです。仕事も子育てもこれからというときに、命を奪われ、さぞかし無念だったでしょう。

 妻の話も聞いてあげたいし、私へ託す思いも聞きたいです。妻は天国から私たちを見守って、ときには怒ってくれる家族の一員です。


阪神大震災22年 あの日の温かみ、子供たちに
産経新聞 1/17(火) 15:07配信

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灯籠の前で手を合わす「人と防災未来センター」の岸本くるみさん=17日午前5時43分、神戸市中央区 (寺口純平撮影)(写真:産経新聞)

 ■人と防災未来センター職員・岸本くるみさん

 阪神大震災の教訓を伝えることを目的に設立され、今年15周年を迎える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)。家族を失った人、自宅が倒壊した人、さまざまな「語り部」たちがそれぞれの震災を語り継いできた。センター職員の岸本くるみさん(29)=神戸市兵庫区=も被災者だが、震災関連資料の管理や展示を担う一方、自身の体験をあまり口にしてこなかった。「亡くなった人になんだか申し訳なくて」。だが、今年初めて、母校で講演する決意をした。震災から22年、「あの日」は、若い世代からさらに下の世代へも引き継がれていく。

 震災が起きたのは、小学2年のときだった。至る所で救援物資が配られていたことを覚えている。「なぜもらえるのかな」。当時はそれがどんなものなのか分からなかった。ただ、手に取った赤い鉛筆には「おうぎだにやえ」と名前が彫られていた。新品ではなく誰か知らない人のものだったことに少し嫌な気持ちになり、ペンで名前を塗りつぶした。

 センターが設立された平成14年。兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)に国内初の防災専門学科「環境防災科」が設置され、物珍しさにひかれて第1期生として入学した。在学中はネパールでのボランティアのほか、国内外の災害への募金活動を行った。「自分の大切なものを誰かのために手放してくれる人がこんなにたくさんいるんだ」。その時ふとあの鉛筆のことが頭をよぎった。

 大学卒業後、同センターに就職した。保管されている震災関連資料は約19万点。自身の経験も踏まえ、ひとつひとつのものの背後にある人の思いを大切にしたいと思っている。

 一方で自身の体験を人前で話すことには積極的にはなれなかった。「亡くなった人に、ごめんねって気持ちになってしまう」。しかし、震災から22年となった17日、自身が通った会下山(えげやま)小学校(神戸市兵庫区)で講演することにした。「今の自分や神戸の街があるのは、たくさんの人の支えがあったから。私にとって震災の日は自分自身の足元を見つめ直す日」という思いからだった。命の尊さや人の温かみ、震災を通じて教えられたことを、子供たちに少しでも伝えたいと思う。「今日はごめんね、じゃなくて、ありがとうって思いで話したい」(木下未希)


震災の教訓、次世代に=菅官房長官
時事通信 1/17(火) 11:57配信

 菅義偉官房長官は17日午前の記者会見で、阪神大震災から22年を迎えたことについて、「亡くなられた方々に心から哀悼の意を表したい」と述べた。

 その上で「教訓をしっかり検証して次の世代に伝えていくことが極めて重要だ」と語り、震災の経験を首都直下地震や南海トラフ地震の防災・減災対策に生かす考えを示した。

 また、阪神大震災以降も各地で大規模自然災害が相次いでいることに触れ、「個々人が被害を軽減するためには、公助だけでなく地域における自助・共助の取り組みが重要だ」と指摘。防災訓練への参加や生活用品の備蓄など災害への備えを国民に促した。


南阿蘇で黙とう 熊本地震本震から9ヵ月
西日本新聞 1/17(火) 11:27配信

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がれきの中で黙とうする住民。2月には壊れた建物の解体作業が始まるという=16日午前8時53分、熊本県南阿蘇村

 熊本地震の本震から9カ月を迎えた16日、土砂崩れで夫婦が犠牲になった熊本県南阿蘇村立野地区では、がれきや土砂が残ったままの自宅跡で、住民が花束を供えて黙とうをささげた。

 山沿いにあるこの集落では、本震の影響で九州電力黒川第1発電所の貯水槽が壊れて大量の水が流出し、9世帯が濁流による被害を受けた。いずれも2月上旬から家屋の公費解体が始まる。立野地区は全357世帯(877人)が隣町などに避難中。無人の家々の軒先にはしめ縄が飾られていたが、新春恒例の「どんど焼き」は見送った。

 山内博史区長(63)は「ここに来ると悔しさと憤りを感じる。家がなくなるのは寂しい。ここでの自宅再建は難しいと思い始めているが、一歩ずつでも前に進む年にしていきたい」と話した。

=2017/01/17付 西日本新聞朝刊=


<阪神大震災22年>熊本・益城で豚まん提供…神戸の被災者
毎日新聞 1/17(火) 11:10配信

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出来たての豚まんを受け取る住民=熊本県益城町小谷で2017年1月17日、山下俊輔撮影

 熊本地震の被災地・熊本県益城(ましき)町では17日、阪神大震災で被災した神戸市の中華料理店の店主らが豚まん2400個を仮設団地で暮らす住民たちに提供した。ともに頑張っていこうとの気持ちを込め、2012年から東日本大震災で被災した宮城県で実施しており、今年は熊本を訪れた。

 店主らは熊本最大の仮設団地のテクノ仮設団地(約500戸)で豚まんを蒸し、3個1セットで配った。発起人の一人で、神戸市の中華街・南京町で中華料理店「老祥記(ろうしょうき)」を経営し、阪神大震災では自宅が半壊した曹英生(そう・えいせい)さん(60)は「ささやかな贈り物だが、熊本の人たちにつかの間でも笑顔になってほしい」と話した。

 自宅が全壊し、テクノ仮設住宅で妻と暮らす福永勉さん(75)は「感謝の一言に尽きる。今は住む家も決まっていないが、前向きに生きなければならないと思った」と喜んだ。【山下俊輔】


<阪神大震災22年>地震列島、語り継ぐ記憶…遺族ら祈り
毎日新聞 1/17(火) 10:41配信

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阪神大震災発生時刻に犠牲者の冥福を祈り、黙とうする人たち=神戸市中央区の東遊園地で2017年1月17日午前5時46分、久保玲撮影

 6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった阪神大震災(1995年)の被災地は17日、発生から丸22年の朝を迎えた。激しい揺れが起きた午前5時46分に合わせ、各地で追悼行事が営まれた。風化を危ぶむ声がある一方、東日本大震災や熊本地震など大きな災害が各地で相次ぎ、その爪痕は生々しく残っている。南海トラフ巨大地震の危険性も直視しなければならない。震災の経験と記憶を語り継ぎ、教訓を生かす必要性が揺らぐことはない。

 神戸市中央区の東遊園地では、市民団体など実行委による「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれた。昨年に続き公募で決めた竹灯籠(とうろう)の文字は「1995 光 1・17」。約7000本に明かりがともされ、遺族や市民が午前5時46分の時報に合わせて黙とうした。午前7時現在の参列者は約4700人で、日曜だった昨年の約9000人から半減。記録のある2008年以降、同年の約4500人に次ぎ2番目に少なかった。

 午前5時46分、妻睦子さん(当時57歳)と母藤さん(同85歳)を亡くした塩崎章さん(86)=神戸市東灘区=は、竹灯籠の前で静かに目を閉じた。兵庫県芦屋市にあった木造2階建て自宅は1階が潰れ、隣で寝ていた睦子さんは、たんすとはりの下敷きに。「睦子、大丈夫か」と声を掛け、「苦しい」と返ってきたのが最後の会話だった。別の部屋で寝ていた藤さんもはりの下敷きになり、翌朝クラッシュ症候群で亡くなった。「震災は思い出すだけでも苦痛で、できれば忘れたい。それでも2人の事は忘れたくないから、つらい気持ちを抑えて来るんです」

 東遊園地を毎年訪れる札幌市の会社員、柳生芳枝さん(74)は、震災で亡くした夫伸一さん(同61歳)に「元気で頑張ってますよ」と報告した。同県芦屋市の自宅が全壊し、隣で寝ていた伸一さんが柱の下敷きになり即死。がれきに埋もれていたピアノが「たった一つだけ残った夫婦の思い出の品」で、今も趣味で弾き続ける。「つどいに参加しないと、私の一年が始まらないの」と語った。

 犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前では神戸市東灘区で被災し、妻裕美子さん(同32歳)を亡くした大阪府和泉市の会社員、大鳥居慎司さん(58)が遺族を代表し「追悼のことば」を述べた。【阪神大震災取材班】


「この日だけは変わらない」=震災22年、犠牲者しのぶ―神戸
時事通信 1/17(火) 10:33配信

 「あの日」から22年が経過した。

 神戸市中央区の東遊園地で開かれた「阪神淡路大震災1.17のつどい」。約7000本の竹灯籠に明かりがともされ、「1995 光 1.17」の文字が浮かび上がった。地震発生時刻の午前5時46分には、多くの市民らが黙とう。犠牲者をしのび、献花した。「この日だけは変わらない」。遺族は天国の家族に思いをはせた。

 震災後に生まれた大学生に、小さな娘を連れた母親。おじいちゃんと一緒に生まれて初めて訪れた孫娘―。午前7時までに約4700人が追悼に訪れ、それぞれが思い思いに竹灯籠をともし、冷たい風に揺らぐ明かりを前に、静かな祈りをささげた。

 神戸市灘区の主婦小西真希子さん(57)。震災で亡くした長女希ちゃん=当時(5)=に毎年会いに来ている。同区の自宅は全壊、絵本とピアノが大好きだった希ちゃんは、倒れてきたピアノの下敷きになった。「助けてあげられなくてごめんね」と涙もにじむ。「22年がたってもこの日だけは変わらない。天国で幸せでいてくれたら」と願った。

 妻芙美子さん(71)と訪れた神戸市灘区の自営業萩野一雄さん(75)は、孫の武史くん=同(1)=を亡くした。保育園まで一緒に行ったかわいい孫。「懐いてくれていた。いなくなったことに現実味が湧かなかった」と話す。生きていれば23歳。亡き孫への思いを募らせた。

 震災後に生まれた関西大3年の白永葉瑠香さん(21)=堺市=は「自分の目で見て、大切な人を亡くす悲しみを肌で感じたい」と、今回初めて足を運んだ。大学では防災を学び、昨年は福島県いわき市の仮設住宅を訪れるなどした。今年は「家族で防災会議を開くこと」が目標という。若い世代も、震災の記憶をつなごうとしている。


<阪神大震災22年>熊本の子と「命の一本桜」…東遊園地
毎日新聞 1/17(火) 10:27配信

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「命の一本桜」の前で言葉を交わす熊本と神戸の子供たち=神戸市中央区の東遊園地で2017年1月17日午前7時40分、加古信志撮影

 6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった阪神大震災の被災地は17日、発生から丸22年の朝を迎えた。

 神戸市中央区の東遊園地で営まれた「1・17のつどい」の会場では、昨年4月の熊本地震で被災した小学生と神戸の子供たちが、手形を使って巨大な「命の一本桜」の絵を完成させた。

 東日本大震災以降、被災した子供たちに「春のぬくもり」を感じてもらおうと、手形の桜で交流を続ける神戸市の絵画教室「アトリエ太陽の子」(中嶋洋子代表)が企画した。

 中嶋代表らは昨年6月、熊本県御船町を訪問。通学路の土砂崩れのため、近くの中学校を間借りして授業を続けていた町立滝尾小学校の児童と交流した。

 滝尾小の児童は17日午前5時46分に東遊園地の竹灯籠(とうろう)前で祈りをささげた後、そばのテント内で作品づくりに取り組んだ。縦3.2メートル、横7メートルの紙に、桃色の絵の具を塗った手を次々に押し当て、色鮮やかな満開の桜を咲かせた。

 滝尾小6年の中村恵都(けいと)さん(12)は「神戸は恐ろしい震災から立ち直ったと思った。熊本も早くこうなりたい」と話した。【矢澤秀範】


<阪神大震災22年>午前5時46分、追悼のトランペット
毎日新聞 1/17(火) 9:33配信

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夜明け前の街を背に鎮魂のトランペットを吹く松平晃さん=神戸市中央区で2017年1月17日午前6時半、川平愛撮影

 阪神大震災から22年を迎えた17日の朝は、前夜の雨が上がり、澄んだ冷気が寒かったあの日を思い起こさせた。「頑張っているよ」「見守っていてね」。各地で営まれた追悼会場で、自宅の仏前で、出勤前にほこらの前で、犠牲になった大切な人に思いを巡らせ、手を合わせる人たちがいた。被災地は鎮魂の祈りに包まれた。

 神戸市街を一望できる諏訪山公園(神戸市中央区)のビーナスブリッジでは午前5時46分、トランペット奏者、松平晃さん(74)による追悼の演奏がこだまし、約80人が黙とうした。毎年恒例の「早朝追悼のつどい」。実行委員会メンバーのほとんどが80~90代になった。「継いでくれる若い人がいるのか」。存続させるか気持ちが揺れ動く中で震災22年を迎えた。

 「神戸で天国に一番近い場所での追悼」として市民団体が企画した行事。2007年の十三回忌でいったん終了したが、存続を望む声に応え、「有志によるつどい」として続いてきた。

 実行委員長を務めてきたのは、ポートアイランド第3仮設住宅の自治会長だった安田秋成さん(91)=同市兵庫区。「命ある限り続けたい」と考えていたが、近年は心身の衰えを感じ、4年前には妻を亡くして復興住宅での1人暮らしに。「さすがに気力が続かない」と引き際を考えるようになった。

 他のメンバーも諏訪山まで自力で歩いて準備することが難しくなった。安田さんは「この場に立つと続けたいという思いも強くなるが、今後については検討したい」と話した。【田中将隆、井上卓也】


<阪神大震災22年>6434人の鎮魂祈り…各地で追悼行事
毎日新聞 1/17(火) 9:31配信

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阪神大震災の発生時刻に犠牲者の冥福を祈り、手を合わせる人たち=神戸市中央区の東遊園地で2017年1月17日午前5時46分、加古信志撮影

 6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった阪神大震災(1995年)の被災地は17日、発生から丸22年の朝を迎えた。激しい揺れが起きた午前5時46分に合わせ、各地で追悼行事が営まれ、黙とうがささげられた。

 風化を危ぶむ声がある一方、東日本大震災や熊本地震など大きな災害が各地で相次ぎ、その爪痕は生々しく残っている。南海トラフ巨大地震の危険性も直視しなければならない。震災の経験と記憶を語り継ぎ、教訓を生かす必要性が揺らぐことはない。


震災復興「前例なき挑戦」=交流先のドイツ州で講演―福島知事
時事通信 1/17(火) 9:13配信

 【デュッセルドルフ時事】福島県の内堀雅雄知事は16日、県と経済交流のあるドイツ西部ノルトライン・ウェストファーレン州の州都デュッセルドルフで講演した。

 東日本大震災からの復興を「前例なき挑戦」と述べ、被災者の生活再建など課題が山積する中、同州との協力関係を生かしながら今後の復興に取り組む意欲を示した。

 内堀知事は、県内の避難区域面積は震災直後の12%から5%に減ったものの、なお8万人超が避難生活を強いられていると説明。産業振興に向け、東京電力福島第1原発の廃炉作業で活用できるロボット産業や再生可能エネルギー事業に力を入れる考えを強調した。

 福島県は2014年にノルトライン・ウェストファーレン州と再生可能エネルギーなどの分野で協力する覚書を締結した。産業振興ではこうした分野で連携したい考えだ。


追悼の灯消さないよ 阪神大震災22年
産経新聞 1/17(火) 7:55配信

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「阪神大震災22年」 阪神大震災から22年となるのを前に、昆陽池公園で開かれた「犠牲者追悼のつどい」。市民らがろうそくを囲み祈りを捧げた =16日午後5時27分、兵庫県伊丹市 (竹川禎一郎撮影)(写真:産経新聞)

 阪神大震災の発生から17日で22年。犠牲者の数と同じ6434本のろうそくをともす「追悼のつどい」が16日夕、兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園で始まり、市民らはろうそくを囲み、祈りをささげた。

 ボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」が震災翌年の平成8年から開催。ろうそくは発生時刻の17日午前5時46分までともし続ける。


「夢でもいい、会いたい」=妻への思い、今も―遺族代表の大鳥居さん・阪神大震災
時事通信 1/17(火) 7:33配信

 夢の中でもいい、会いたい―。

 神戸市で開かれた式典で遺族代表として追悼の言葉を述べた大鳥居慎司さん(58)は、震災で最愛の妻を失った。あれから22年。2人の子どもを男手一つで育て、東日本大震災後は岩手県などで自身の経験を伝える活動も始めた。「妻にこれまでの話を聞いてもらいたい」。今も変わらぬ思いを語った。

 1995年1月17日早朝、突然の揺れで神戸市東灘区の自宅が全壊。家族4人は家の下敷きになった。当時4歳の長男と2歳の長女は助かったが、がれきの下から救出された妻裕美子さん=当時(32)=の息は無かった。「諦め切れなかった。妻が生きている夢を何度も見た」
 残された2人のため、子育てに奔走した。思春期には親子の会話も減り、気持ちがつかめなかった。息が詰まり、つらくなることもあったという。幾度となく裕美子さんに相談したくなった。

 2人は今、成人して仕事にも就いた。「妻は怒ってるやろうな」。手探りだった子育て。反省も多い。「妻のようにできたか自信はない。もし会えたら、『ごめんなさい』と伝えたい」と笑う。

 東日本大震災をきっかけに、自身の子育て経験を語り始めた。岩手県陸前高田市や宮城県石巻市といった被災地へ赴き、震災遺児を抱える父親らの話に耳を傾けている。

 「同じように子育てに苦労している人がいる。話すことしかできないが、それでも役に立てれば」。被災地訪問は12回を数える。「この経験は他の人には伝えられない。だから伝えたい」と力を込めた。


「夢でいいから妻に会いたい」阪神大震災22年
読売新聞 1/17(火) 6:53配信

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地震が発生した時刻に手を合わせ、祈りをささげる人たち(17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で)=前田尚紀撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、1995年の発生から22年になった。

 兵庫県内の各地では早朝から追悼行事が営まれ、亡くなった人たちを悼む静かな祈りに包まれた。

 神戸市中央区の東遊園地で営まれた「1・17のつどい」には約4700人(午前7時現在)が参加。鎮魂のための竹灯籠約7000本に点火されると、「1・17」の文字とともに、震災を知らない世代のために今年加えられた「1995」、昨年4月に起きた熊本地震などの被災地に光が差すよう願いを込めた「光」が浮かんだ。地震発生時刻の午前5時46分には、全員で黙とうをささげた。

 神戸市東灘区の自宅が全壊し、妻・裕美子さん(当時32歳)を亡くした会社員・大鳥居慎司さん(58)(大阪府和泉市)が遺族代表として追悼の言葉を述べた。子ども2人を抱えて生活が一変した22年前を振り返り、「これだけたつと歴史の世界になってしまうが、私にとっては歴史で済ませられない。夢の中でもいいから妻に会いたい。今も家族の一員です」と語った。


犠牲者しのび各地で追悼=教訓継承が課題に―阪神大震災22年
時事通信 1/17(火) 6:10配信

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発生から22年を迎えた。

 兵庫県内の各地でさまざまな追悼行事が行われ、多くの人が犠牲者をしのび、被災地は祈りに包まれた。県内では震災を経験していない住民が4割を超え、記憶の風化や教訓の継承が課題になっている。経験をいかに引き継いでいくかが問われている。

 神戸市中央区の東遊園地では、NPO法人などが追悼行事「阪神淡路大震災1.17のつどい」を開催。約7000本の竹灯籠に火がともされ、「1.17」の数字が浮かび上がり、発生時刻の午前5時46分に一斉に黙とうが行われた。遺族代表の会社員大鳥居慎司さん(58)=大阪府和泉市=は「22年たつと歴史の世界になってしまうが、私にとって22年前の出来事は歴史で済ますことはできない」と述べ、他の被災地でも自身の経験を伝えていく決意を新たにした。

 県なども神戸市中央区の慰霊碑前で、正午前から追悼式典を開催。県民代表として防災専門学科がある県立舞子高3年生の安田もえさん(18)が「あらゆる立場の人に向けて、未来の災害に備えるために被災体験を語り継いでいく」と思いを述べた。井戸敏三知事も「『想定外』は常に起こり得る。あらゆるシナリオを描き、まさかの事態に備えていかないといけない」とあいさつした。

 式典会場周辺では、東日本大震災と熊本地震、鳥取地震の早期復興を支援するため、物産販売やマスコットキャラクターによる観光PRを実施。車両での地震疑似体験コーナーも設けられた。


阪神大震災22年 「救える命もある」 被災経験し医師に 熊本地震で恩返し
産経新聞 1/17(火) 0:00配信

 命を救ってもらった恩返しをしたい-。平成7年の阪神大震災で倒壊家屋の下敷きになり、九死に一生を得た兵庫県立西宮病院の整形外科医、北田真平さん(37)=神戸市東灘区=は昨年、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として熊本地震の被災地に赴いた。災害医療は「判断ミスが死に直結する重い仕事」という認識のもと、使命感を胸に訓練に励んでいる。

 あの日、中学3年だった北田さんは自宅のがれきの下で死を覚悟した。ガスの臭いが充満する中、わずかな隙間に体を押し込め、暗闇に絶望しながら救助を待った。約4時間後に近所の人に助け出され、家族も全員無事だったが、近隣で多くの人が命を落としたことにショックを受けた。

 避難所の小学校にたどり着くと、講堂は重傷患者であふれていた。救急隊員はおらず、整形外科医の父がパジャマ姿で応急手当てを続けていた。医師として被災者に尽くす姿をまぶしく思い、「自分も災害現場で人を助ける医師になろう」と誓った。

 阪神大震災では道路が寸断されるなどし救急や消防の初動が遅れ、倒壊家屋に取り残された多くの人が他の被災者に助けられた。6434人の犠牲者のうち約500人は、初期医療の遅れが原因の「防ぎ得た災害死」だったとされる。震災後、全国の医療機関が、専門的な訓練を受けた医師や看護師で編成されるDMATを整備した。

 北田さんが勤務する西宮病院も、23年にDMATを設置。北田さんは「災害医療に正面から向き合うチャンス」と迷わず隊員になった。そして昨年4月、初めて派遣されたのが熊本地震の被災地だった。

 16日に本震が起きてすぐに招集され、翌日から熊本市内の病院の後方支援に回った。市内の別の病院が被災し、病床数の倍近くの患者が運び込まれたことから、他の医療機関に入院患者を振り分けるための診断書を作成した。被災者を直接治療する仕事ではなかったが、地域医療の機能を回復させることができたという手応えを感じ、「幅広い役割を求められるのがDMATだ」と実感した。

 ただ、将来の発生が予測される南海トラフ地震に対しては、DMATの数はもちろん、自身の経験も不足していると感じている。北田さんは「災害現場では医師個人の臨機応変な対応力が求められる。いつ起きるか分からない災害に備えていきたい」と力を込めた。


震災22年 神戸市災害復旧債、年度内に完済 1996億円、財政面でひと区切り
産経新聞 1/16(月) 22:24配信

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16日、昆陽池公園で開かれた「犠牲者追悼のつどい」で午後5時46分に黙祷する子供たち(土井繁孝撮影)(写真:産経新聞)

 神戸市は平成28年度中に、阪神大震災によるがれき撤去や道路整備などの復旧事業に充てるために発行した災害復旧債計1996億円の返済を終える。発生から22年が過ぎ、財政面でのひと区切りを迎える。

 市によると、6~11年度にがれき撤去や道路整備、学校園改修など22種類の災害復旧事業を一般会計で実施した。事業費は総額4834億円で、災害復旧債のほか、市の一般財源や国、県の補助を充てた。

 災害復旧債は6~11年度に発行し、償還期限は15~20年間。返済は震災翌年の8年度から始まり、今年度中に5億2千万円を返して完了する。市営地下鉄や下水道施設の改修など企業会計に計上された復旧事業債は31年度末に完済する見込み。

 一方、市内11の区画整理事業や新長田駅南地区の再開発事業などに使われた復興対策の事業費は計1兆8664億円に上る。復興にかかった市債は27年度末現在、2187億円残っており、55年度に返済を終える予定という。

 神戸市同様に被害の大きかった兵庫県西宮市は、災害復旧事業のため市債計425億4580万円を発行。残高(28年度末見込み)は5200万円で32年度に完済する見込み。芦屋市の市債残高(同)は174億1332万円で、市債残高全体の約4割を占める。償還予定に従えば52年度に返済を終える。

 淡路市は、合併前の旧5町が復旧・復興事業に市債260億円を発行。復旧にかかった44億円の返済は23年度末に終えたが、区画整理などでの市債は27年度末で90億円残っている。

 兵庫県は26年度に災害復旧債1476億円を完済したものの、震災関連の県債残高は27年度末時点で4800億円で、完済には10年以上かかるとみられる。県財政課は「他府県にはない負担。財政状況は依然として厳しいままだ」としている。


阪神大震災22年 犠牲者同数のろうそくで冥福祈る 伊丹の昆陽池公園
産経新聞 1/16(月) 22:20配信

 阪神大震災の犠牲者数と同じ6434本のろうそくをともす「追悼のつどい」が16日夕、兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園で始まった。発生時刻の17日午前5時46分までともし続け、犠牲者の冥福を祈る。

 ボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」が震災翌年の平成8年から開催している。

 今年のテーマは、2人の人間が手をつなぎ、次の年への架け橋となることを表現した「架ける~縁ありて花ひらき 恩ありて実を結ぶ~」。発生時刻12時間前の午後5時46分には、参加者約300人が揺らめく炎を囲みながら黙とうをささげた。


<阪神大震災22年>「生」の光で冥福を祈る
毎日新聞 1/16(月) 21:36配信

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石積みで「生」の文字をかたどったオブジェの前で黙とうする人たち=兵庫県宝塚市で2017年1月16日午後5時46分、山崎一輝撮影

 阪神大震災の犠牲者追悼と震災の記憶の継承を願って兵庫県宝塚市で16日夕、武庫川の中州に石を積んでかたどった「生(せい)」の字のオブジェを懐中電灯で照らし出す催しがあった。参加者は震災発生時刻の12時間前の午後5時46分に黙とう。犠牲者の冥福を祈った。

 今年で6回目。宝塚市の現代美術家、大野良平さん(57)が市民らと中州の石を積んだ。縦約20メートル、横約10メートルの大きさの「生」の文字が約160本の懐中電灯の光で浮かび上がった。昨年は熊本地震や鳥取県中部の地震などで災害が相次いだ。大野さんは「全国の被災地に犠牲者への追悼と復興への祈りのメッセージを伝えたい」と語った。【山本愛】


<阪神大震災22年>復興住宅進む高齢化 65歳以上52%
毎日新聞 1/16(月) 21:33配信

 6434人が犠牲になった阪神大震災(1995年)の発生から17日で22年。最も大きな被害を受けた神戸市は、今年度で「災害復旧債」(借金)の返済を終える見通しで、復興した中心繁華街・三宮をさらに再開発する計画を本格化させている。一方、被災者の高齢化は進む。兵庫県内の災害復興公営住宅に住む65歳以上のお年寄りの割合(高齢化率)は2016年11月現在で52.2%と過去最高を更新し、孤立を防ぐ対策が急務になっている。

 神戸市は、倒壊建物のがれき処理や道路整備など災害復旧事業に一般会計で総額4834億円を費やした。このうち、市が発行した災害復旧債は1996億円。96年度から始まった返済は、今年度中に終了する見込みとなり、一つの区切りを迎える。「ポスト震災20年」の動きも活発になっている。三宮では、阪急電鉄の神戸三宮駅ビル建て替え工事や、JR三ノ宮駅前のバスターミナルビル建設の協議が始まっている。

 復興住宅の高齢化率は、兵庫県平均(26.9%)の倍近い高さだ。復興住宅での「孤独死」も16年は65人(被災者以外が含まれる可能性がある)と過去10年で最多を記録しており、入居者が直面する環境の厳しさがうかがえる。【阪神大震災取材班】


6434本、慰霊の明かり=阪神大震災、17日に22年―兵庫
時事通信 1/16(月) 20:34配信

 阪神大震災から22年となるのを前に、兵庫県伊丹市の昆陽池公園で16日夕、追悼の集いが開かれた。

 犠牲者数と同じ6434本のろうそくがともされ、発生時刻の12時間前の午後5時46分、訪れた約300人が黙とう。静かに犠牲者をしのんだ。

 冷たい雨の中、人と人が手を結んだ形が、ろうそくの温かな明かりで浮かび上がった。ろうそく一本一本には、市内外の中学生らが書いた「私たちがつないでいきます」などのメッセージが記された。同市のボランティア団体が主催し、地震発生時刻まで明かりをともし続ける。

 伊丹市に住む女性(60)は、小学校の教え子だった男性=当時(25)=を震災で亡くした。「元気な子だった。生きていれば、何でもできただろうに」。震災翌年から毎年参加し、教え子の名前を書いたろうそくをともし続けている。「今年も来たよ」。そう語り掛けた。

 大阪府豊中市の主婦今北玲子さん(42)は、10歳と8歳の息子を連れて初めて参加した。夫貴久さん(48)は、親しかった職場の後輩を震災で亡くしたといい、15日夜、息子2人に当時の話をした。「2人には普通の生活が幸せなんだと感じてほしい」と玲子さんは話した。


玄海差し止め審尋終結=住民ら仮処分求め―佐賀地裁
時事通信 1/16(月) 18:55配信

 九州電力玄海原発3、4号機(佐賀県玄海町)は重大事故を起こす可能性があるとして、再稼働に反対する住民らが九電を相手に再稼働の差し止めを求めた仮処分の第24回審尋が16日、佐賀地裁(立川毅裁判長)であり、審理が終結した。

 住民側の冠木克彦弁護団長は記者会見で「3月までに仮処分決定が出るのではないか」と述べた。


全盲男性、避難所暮らしで負い目 阪神大震災あす22年、災害弱者の孤立
産経新聞 1/16(月) 15:07配信

 災害は、障害者や高齢者、妊婦といった社会的弱者への支援の必要性を平常時以上に際立たせる。神戸市垂水区在住の全盲のマッサージ業、今泉勝次さん(66)は阪神大震災の際、避難所や仮設住宅での生活に苦労した一人だ。あれから22年、福祉避難所の整備などは進んだが、一方でホームからの転落事故が相次ぐなど、視覚障害者が安心して暮らせる環境は整っているとはいえない。「根本的な対策は健常者と障害者との心のバリアフリーが進むこと」と訴えた。

 先天性の障害のため35歳で全盲になった今泉さんは平成7年1月17日早朝、垂水区にあった当時の自宅で全盲の妻、初子さん(65)とともに被災した。

 たどりついた避難所では食事やトイレを介助してくれる人はいなかった。周囲の被災者に声をかけて助けてもらったが、次第に「迷惑をかけている」と負い目を感じるように。5日後、親類宅に身を寄せた。

 最大の試練は同年4月に自宅から約2キロ離れた仮設住宅に入居した後に訪れた。白杖(はくじょう)を手に外出しても道に迷って戻れない。ボランティアの歩行訓練士に付き添われて住宅とバス停、スーパーとの間を何度も行き来して街を覚え、ようやく生活できるようになったという。

 当時、被災地では多くの視覚障害者や聴覚障害者が孤立した。避難所の張り紙や字幕のないテレビでは情報を得られず、亀裂の入った道路や段差の多い施設での移動は困難を極めた。居場所をなくし、半壊した自宅に戻った人もいた。

 こうした教訓から、全国の多くの自治体が震災後、災害弱者に対応しようと防災計画を見直した。障害者らを受け入れる福祉避難所の整備や施設のバリアフリー化、災害時の要支援者名簿の作成といった動きも進んだが、今泉さんは「まだまだ弱者が安心できる状況ではない」と感じている。

 実際に昨年4月の熊本地震では、熊本市内に開設された福祉避難所は92施設で、被災者の受け入れは1日最大250人にとどまった。市は24年以降、176施設と協定を結び、1日最大1700人の受け入れを見込んでいたが、「施設が被害を受けたり職員が被災したりしたため、運営の担い手を確保できなかった」(市担当者)という。

 ただ、今泉さんはそうした制度運用面での課題以上に、障害者と健常者との心の壁を懸念している。復興住宅で暮らす今、最も近い避難所までは歩いて約20分。周囲の支えなしでは、命を落とす危険性もあると考えているからだ。

 今泉さんは「障害者は普段から介助者だけに頼らず、地域の人々と積極的に交流していくことが大切だと思う。健常者の方には、災害発生時に手をさしのべる意識を持っていただけるとありがたい」と話した。


労基署が社長出頭させ指導票交付…関電課長自殺
読売新聞 1/16(月) 11:26配信

 関西電力高浜原子力発電所1、2号機(福井県高浜町)の40年超運転をめぐり、原子力規制委員会に提出する審査書類の準備を担当していた40歳代の男性課長が昨年4月、過労自殺した問題で、敦賀労働基準監督署が関電の岩根茂樹社長を出頭させ、管理職を含む全社員の労働時間管理の徹底を求める指導票を交付していたことがわかった。

 関電などによると、岩根社長が6日、福井労働局(福井市)で同労基署の指導票の交付を受けた。

 指導票は、法令違反ではないが、改善の必要があると判断された場合に交付されるもので、同労基署は全社員の労働時間を適正に把握することや、長時間労働者に対する産業医面談の確実な実施などを求めているという。


関電社長に指導票=「管理職の労働時間把握を」―高浜対応の課長自殺・敦賀労基署
時事通信 1/16(月) 10:30配信

 運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県)の運転延長に向け、原子力規制委員会の審査対応に当たっていた関電の40代の男性課長が自殺した問題で、福井労働局敦賀労働基準監督署が関電の岩根茂樹社長に指導票を交付していたことが16日、分かった。

 岩根社長が6日、同労働局に出向き、直接受け取った。

 指導票は、法律違反ではないが労働環境に改善事項がある場合に事業主に出される。敦賀労基署は、管理職を含む全社員の労働時間を適正に把握することや長時間労働をする社員に対し産業医の面談を確実に実施することなどを岩根社長に求めた。

 男性は労働基準法の「管理監督者」に当たるとされ、1日8時間労働などの規定から除外される。ただ、厚生労働省はガイドラインで、健康管理のために事業主は管理監督者の労働時間を把握するよう定めている。

 男性は、高浜1、2号機の設備や機器の詳細設計を示した「工事計画」の審査対応を担当していたが、昨年4月に自殺。1カ月の残業が約200時間に上ることもあり、敦賀労基署が労災認定していた。


規制委も直接確認せず=換気配管の腐食状況―原発再稼働前の検査
時事通信 1/16(月) 6:56配信

 全国の原発で中央制御室の換気などに使われる配管の詳細な点検が行われていなかった問題で、監督する立場の原子力規制委員会も再稼働前の検査などで、保温材を外した上での目視確認を実施していなかったことが15日、規制委への取材で分かった。

 東京電力福島第1原発事故を受け策定された新規制基準でも、配管の詳細な点検は義務化されていない。規制委の審査や検査を通った九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)や関西電力高浜原発3、4号機(福井県)、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)は保温材を外した点検をしないまま再稼働しており、新規制基準の不備が浮き彫りとなった。

 規制委事務局の原子力規制庁によると、審査に合格した原発で再稼働に向け行う使用前検査では、中央制御室にガスを流して濃度に大きな変化がないかどうかを確認する。換気配管に大きな穴があれば濃度に変化が生じ、検知できる可能性もあるという。

 だが、審査中の中国電力島根原発2号機(松江市)では、結露防止のため換気配管に巻かれた保温材に隠れる形で、腐食による穴が開いていた。規制庁も現在の検査で同様の腐食を把握するのは難しいとみて、対応を検討している。

 中央制御室の換気に使われる配管は重要設備に位置付けられるが、多重化されていない。島根2号機の場合、配管の総延長は約230メートルあるが、半分以上の約130メートルに保温材が巻かれていた。


<阪神大震災>おばさん、会いに来たよ…17日で22年
毎日新聞 1/16(月) 0:00配信

 阪神大震災から17日で22年になるのを前に、被災地を歩いて当時を振り返る催しが15日、各地で開かれた。兵庫県宝塚市のイベントでは、親戚を亡くした女性が、震災後に生まれた子供に当時の思いを伝えた。神戸市長田区のイベントには、熊本地震で自宅が全壊した陶芸家の女性が参加し、復興に取り組んだ商店主らと交流した。

 ◇亡くした大切な人、息子に伝え

 兵庫県宝塚市の尾崎美貴子さん(47)は、同市であった「宝塚防災ラジオウォーク」に参加。震災で亡くなった母方の親戚の「西宮のおばさん」のことを初めて息子に話した。学生で札幌市にいた震災前年、「札幌にも遊びにきてね。また会おうね」と手紙を送ると、「みんな元気で過ごしてくれたらいい」と返事をくれた。もし今、手紙を出せるなら、「『みんな元気でいるよ』と伝えたい」と願う。

 「西宮のおばさん」は浅本千穂さん(当時47歳)。西宮市内の自宅が全壊し、亡くなった。隣町の西宮に住む浅本さんは、娘のようにかわいがってくれた。北海道大学に合格すると、「向こうは寒いから」と手編みの毛糸のセーターを2着、持たせてくれた。

 大学院を修了し、震災の年の1995年4月から、関西での就職が決まった。5年ぶりに浅本さんと会うのを楽しみにしていた。

 あれから20年以上。結婚して3人の子に恵まれ、浅本さんと同じ年になった。今は大阪府内の中学校で理科の非常勤講師を務める。

 15日朝、雪が舞う中、夫雅彦さん(60)と長男で高1の天馬さん(16)、三男で小4の銀河さん(9)と歩いた。子供たちが生まれる前の阪神大震災。きちんと話せてこなかったが、天馬さんに体験を話した。「おばさんの手紙を読みたい」という天馬さん。「大切な人が亡くなっていたなんて知らず、今まで1・17は遠かった。震災で何があったのか知りたい」と話す。尾崎さんは「おばさんのこと、震災のこと、少しずつ話していきたい」と語った。【山本愛】

 ◇歩いて復興を知る

 長田区を訪れたのは、仮設住宅で生活している熊本県南阿蘇村の陶芸家、北里かおりさん(45)。村では旅館や土産物店の経営者らが復興イベントを企画しており、「旅館が土砂に埋まったままでも頑張っている人がいて、前を向き始めている」と感じていた。そんな時に、仮設を巡回する神戸のボランティアに誘われた。

 イベントは同区で復興に携わったNPOなどが主催。この日は地元のまちづくりに奮闘する商店主や東北大の研究員ら約150人と一緒に長田区内の約5キロを歩いた。

 地元の活性化をめざす「新長田まちづくり会社」の宍田正幸社長(60)が、にぎわいを取り戻すために玄関口のJR新長田駅前に鉄人28号のモニュメントを建てたプロジェクトを紹介。「建設費の大半は市民の寄付で、昨年も塗り替えたばかり。再開発ビルは埋まらないが、自分たちがまちをつくるという思いは変わらない」と説明した。

 北里さんは「復興を進めるのは住民の強い思いだと知った。私たちも南阿蘇オリジナルの復興まちづくりを進めたい」と話した。【井上元宏】

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