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2017年1月23日 (月)

俳優の松方弘樹氏が死去・2

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)氏が21日、脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

松方氏に脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった「夢コンサート」を降板し、舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方氏は時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

最初の記事

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リンク:「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

目黒祐樹「思い出すのは笑顔だけ」 遺骨は事実婚状態の元女優の元に
スポニチアネックス 1/24(火) 8:50配信

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自宅前で兄・松方弘樹について報道陣の取材に応じる目黒祐樹
 ◇松方弘樹さん急逝

 弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日夜、都内の自宅前で取材に対応し、病床の松方さんの様子などを明かした。

 最後に会ったのは昨年12月10日。目黒が声を掛けると「ほお」「へぇ」「そうか」などと相づちを打ち、その後はほとんど意識がない状態が続いたという。

 松方さんは昨年2月から入院。11カ月にわたって病院で過ごしたが、「本人はこのまま仕事復帰できないとは全然思わなかったと思います。常に明るくて、今も思い出されるのは笑顔だけですね」としみじみ。父親の近衛十四郎さんは63歳で死去。「俺たちも親父の年を超えてしまったなぁ。長生きしような」と話しながら74歳で亡くなってしまった松方さんを、目黒は「少し早すぎますね」と悔やんだ。

 兄として、俳優としてその背中を追いかけてきた。「兄は常に僕よりはるか前を歩いていました。いつか追いつこうと思っていたけど、結局追いつけず、とうとう見えなくなってしまうのかと思うと残念でなりません」と声を詰まらせた。

 葬儀は親族だけで済ませたが、「いずれはお別れの会という形も考えています」と説明。松方さんの遺骨は事実婚状態にある元女優の元にあるといい、「兄をずっと支えていただいて、本当に感謝しております。いずれは両親が眠っている京都にお骨を、と思っています」と明かした。


松方さん追悼 幻の“兄弟共演” 頭髪抜け落ち…「私の体調で迷惑かけられない」
スポニチアネックス 1/24(火) 8:45配信

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松方弘樹さん

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの病状については実弟の目黒祐樹さんから度々うかがっていた。それというのも松方・目黒兄弟は近く放送予定の、ある番組で共演することになっていたからだ。番組は昨年11月に収録する予定だったが、目黒さんが入院先の東大病院で会ったとき、頭髪も抜け落ち、対話も滞りがちだったこともあり、延び延びになっていた。12月に入って松方さんからテレビ局に「私の体調で迷惑をかけるのはしのびない」と連絡があり、結局、兄弟共演は実現しなかった。

 目黒さんは松方さんが亡くなった21日、知らせを受けて病院に駆けつけた。「まだ体温が残っていましてね。兄とはいろいろありましたが、たった一人の兄でしたからね」と目頭を押さえた。

 兄弟は、ある事情で30年近く公私にわたって没交渉だったが、3年ほど前に小林旭さん、浅丘ルリ子さんと共演の舞台で、松方さんが「テレビ出演の話があり、舞台に出られない可能性があるので、代役を務めてくれ」と目黒さんに話をして、兄弟仲を取り戻した。

 筆者は50年間にわたって公私で密なつきあいを続けた。松方さんが最初の奥さんと「3億円離婚」した際も、仁科亜季子さんとの再婚も、その亜季子さんとの離婚の時も相談を受けて、それぞれスクープにつなげた。またクレー射撃や北海道でのエゾシカハンティングの良き思い出も。酒を愛し、女性を愛し、趣味にのめり込み、仕事にも没頭した昭和の良き時代の映画俳優がまた逝ってしまった。残念でならない。 (特別編集委員 脇田 巧彦)


松方弘樹さん愛されて死す、事実婚の恋人と闘病1年
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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14年12月、日刊スポーツのインタビューで笑顔を見せる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。昨年2月から闘病していた。葬儀はこの日、近親者で行った。入院中も復帰を目指してリハビリに取り組んでいたが、かなわなかった。

【写真】79年11月、松方弘樹さんと結婚した仁科明子

 松方さんは21日、都内の病院で静かに息を引き取っていた。みとったのは、20年にわたり同居し、事実婚の関係にあった元女優山本万里子さん(44)と親しい関係者の3人。弟の俳優目黒祐樹(69)は間に合わなかった。死去は極秘にされた。23日、都内の斎場で山本さんや親族、親友の俳優梅宮辰夫(78)ら十数人が参列して葬儀が営まれた。全て遺志によるもので、終了後、報道各社に訃報が伝えられた。後日「お別れの会」を行うことを検討中で、遺骨は父で時代劇スター近衛十四郎さんら両親が眠る京都の目黒家の墓に納骨される。

 昨年2月初め「体全体がしびれる」「腕に力が入らない」と体調不良を訴えた。検査を受けたところ脳に黒い影があると判明。別の病院で開頭して生体検査を行い、「脳リンパ腫」と診断されて入院し、長期療養に入った。手術できない状態で、放射線治療や抗がん剤治療を行い、同年秋に復帰を目指した。病室では万里子さんが付きっきりで看病した。84年に松方さんとの間に男児を出産した歌手千葉マリア(67)や、98年に離婚した元妻の仁科亜季子(63)が面会を希望しても断った。仲の良かった芸能界の友人も同様だった。病室を訪れるのは元マネジャーら関係者に限られ、動静が伝えられることも少なかった。

 入院から半年後に脳梗塞を起こし、治療も一時中止した。その後、治療を再開したが、脳梗塞を何度も起こしリンパ腫も進行した。入院当初は病室で大好きなカツサンドを取り寄せて食べたり談笑もしたが、年末には言葉も出なくなった。意識が混濁することも多く、容体は一進一退が続き、危篤状態になったこともあった。それでも病室では大好きな大相撲のテレビ中継が流れ、亡くなる前日20日も中継に耳を傾けていた。

 近衛十四郎さんの長男で、17歳だった60年に映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズや「真田幸村の謀略」などの映画に主演し、NHK大河ドラマ「勝海舟」をはじめ「名奉行 遠山の金さん」などの時代劇ドラマに主演した。明るいキャラクターでも親しまれ、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にも出演した。

 私生活では79年に仁科と結婚したが、不倫交際していた千葉が男児を出産して世間を騒がせた。さらにドラマ「HOTEL」の共演で知り合った万里子さんとの交際が明らかになると、仁科と離婚した。

 マグロ釣りが趣味で、一昨年5月に沖縄・石垣島周辺で自己最高361キロのマグロを約6時間半の格闘の末に釣り上げた。

 仕事も趣味も愛した、昭和を代表するスターは、豪快な人生の幕を静かに下ろした。

 ◆仁科亜季子のコメント このたびの訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子どもを授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。合掌。

 ◆千葉マリアのコメント お見舞いにうかがいたかったけど、本人が姿を見せたくないということだったので心の準備はしていました。最後に会ったのは子供が小さい頃ですから二十数年会っていません。格好良く生きた人だと思います。皆さんに愛されて幸せな人生だったと思います。私は感謝しています。

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき)1942年(昭17)7月23日、東京都生まれ。父は俳優近衛十四郎、弟は俳優目黒祐樹。60年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズに出演。ドラマは「名奉行 遠山の金さん」「HOTEL」など。85年から日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演しバラエティーでも人気に。元モデルと離婚後、79年に女優仁科亜季子と再婚。仁科克基、仁科仁美をもうけるが、98年に離婚。

 ◆脳リンパ腫 中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもの。悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気。発症は60歳前後の高齢者が最も多い。脳にあるため、リンパ腫を切り取る手術はほとんど行われず抗がん剤投与などの投薬治療が一般的。症状としては手足のまひや感覚障害、おう吐などがあり、進行も早い。


京都中に人脈「全部俺につけて」電話/松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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98年3月、日刊スポーツのインタビューに応じる松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さん主催の花見に招かれたのは、90年代半ば、プロデュースも兼ねた「蔵」の取材で訪れた東映京都撮影所だった。

 撮影所近くの空き地に紅白幕が張られ、京都指折りの名店が屋台を並べた。舞妓(まいこ)さんの姿もあった。

 バブル景気が記憶に新しい頃だったが、この日だけのしつらえ、全てが松方さんのポケットマネーと聞き、勝新太郎さんに負けない気前の良さを実感した。

 うたげは日が高いうちから始まったが、当の松方さんは映画の衣装のまま「どうぞ、ゆっくり楽しんで下さい」と軽くあいさつすると姿を消した。そんなところも、粋に見えた。近くのオープンセットでは撮影が続けられており、その場にいたのは、スポンサー関係や劇場関係者ばかりだった。

 約2時間余り、松方さんの負担で飲み食いを続けるのもさすがに気が引けたので、気の知れた宣伝スタッフが行きつけというスナックに場を移した。だが数分もたたないうちに、店に松方さんから電話が入る。「全部俺につけて」。スタッフも意地になり、隠れ家風のところばかり、その後2軒回ったと記憶しているが、いずれも時を置かずに魔法のように松方さんから電話が入った。

 京都中に張り巡らされた人脈に驚かされた。最後の昭和スターのきっぷと気配りはけた違いだった。【相原斎】


松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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79年、結婚披露宴で仁科明子(亜季子)と笑顔の松方弘樹さん

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 松方弘樹さんは「映画スター」の印象が強いが、歩みは一筋縄ではいかない。10代半ば、歌手志望だった。一緒に歌を学んだのが五木ひろし。その歌声を聞くうちに自信を失い、父に連れていかれた東映で俳優人生をスタートした。

 ライバルといわれた北大路欣也が東映のスター候補生として王道を歩んだのに対し、69年から2年間、ライバルの大映にレンタルされた。急死した市川雷蔵さんの穴埋めを期待されてのことだったが、大映が傾くと倒産寸前の71年に東映に復帰。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで敵役・悪役として存在感を示し、芸域を広げた。二枚目の北大路に対し、二枚目半の幅広さが定着した。90年代からはプロデュースにも関わり、主演も兼ねた「首領(ドン)になった男」は3億5000万円の借金をして製作。2億円余りの利益を残したが、出資者らをチャーター機に誘い、ハワイや台湾を旅行して豪快に使い切った。

 85年にスタートしたバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「大物スター」の意外な一面が笑いを呼んだ。細長く畳んだハンカチの端を両手でつまみ、額の汗を拭く独特のしぐさや、頭に抜けるような高い笑い声でお茶の間の人気者になった。

 時代劇俳優の近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんとの間に長男として生まれ、弟は俳優目黒祐樹。最初の妻は元モデルの夏子さんで長男・目黒大樹の他に2女がいる。2度目の妻となった仁科亜季子との間に克基、仁美をもうけた。

 仁科との交際も不倫関係から始まった。仁科の父、歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが激怒する騒動となり、仁科は不倫発覚の77年に芸能活動を休止。2年後、松方さんとの結婚を機に引退した。仁科は離婚後、99年に芸能界復帰した。離婚のたびに多額の慰謝料を支払い、身ひとつから再起するのが「松方スタイル」だった。

 趣味の釣りは父親譲り。父と同じヘラブナ釣りからスタートしたが、近年はマグロ釣りで注目され、山口県萩市で実行委員を務める大会で08年に305キロ、09年に325キロのクロマグロを釣り上げている。


弟の目黒祐樹「自分の心に正直な人」松方さん悼む
日刊スポーツ 1/24(火) 8:05配信

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涙をこらえながら兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 松方弘樹さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅前で取材に応じた。俳優としても尊敬していた兄の死を「まだ実感が湧かない。自分の心に正直な人だった」と悼んだ。

【写真】釣り上げた361キロのマグロと、松方弘樹さん

 目黒は葬儀を終えて帰宅後、取材に応じた。「2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活において、皆さまにはお世話になりました。ありがとうございました」と一礼した。

 みとることはできなかったが、約2時間半後に病院に着いた。「まだぬくもりが残っていて『オイッ』って目を開きそうだった。やせていたけど、安らかでいい表情をしていました。まだ実感がなくて徐々に寂しさが湧いてくるのかな」。

 昨年2月の入院以降、見舞いに数回訪れた。「何万人に1人というくらいの難しい病気。放射線や投薬治療をしていて手術は難しかった。本人にはそこまで深刻とは伝わっていなかったかも。でも常に前向きな人なので、仕事に復帰したいという気持ちは強く持っていた」。最後に会ったのは昨年12月10日。自分の言葉に「おお」「そうか」と反応していた。それ以降は、少し元気になったり、会える状態の時に連絡が来るはずだったが、かなわなかった。

 兄として俳優として「背中が見えないくらい常に僕のはるか前を行っていた」と尊敬していた。「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人だったので、周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました」。

 父の近衛十四郎さんが63歳で亡くなっており、兄弟で父の生きた年齢を超えた際「2人で長生きしよう」と話し合っていた。「まだ逝くのは早いじゃないかと思う。変な話ですけど『向こうでも元気でな!』という気持ちです」と語る目は真っ赤だった。


松方弘樹さん死去 74歳 「仁義なき戦い」「遠山の金さん」
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去していたことが23日、分かった。74歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。昨年2月に入院し、闘病していた。

 昭和17年、俳優の近衛十四郎さんと女優、水川八重子さんの長男として生まれた。35年に東映に入社し、「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。「昭和残侠(ざんきょう)伝」シリーズなどの任侠映画や時代劇で活躍し、48年の深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズで強い印象を残した。

 NHK大河ドラマ「勝海舟」(49年)をはじめテレビ出演も多く、バラエティー番組にも出演した。

 54年に女優の仁科明子(現亜季子)さんと再婚したが、その後離婚。仁科さんとの間に、タレントの仁科克基さん(34)と仁科仁美さん(32)をもうけた。弟は俳優の目黒祐樹さん(69)。

                  ◇

 ■仁科亜季子さんの話

 仁科亜季子さんの話「このたびの、訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり、20年以上も共に歩んでまいりました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」


松方弘樹さん死去 やくざ役・バラエティー…多方面で活躍
産経新聞 1/24(火) 7:55配信

 鋭い眼光と役を離れた際の柔和な笑顔-。脳リンパ腫で死去した俳優の松方弘樹さんは「仁義なき戦い」など東映のやくざ映画に数多く出演し、男性的な役柄を得意とした。一方、バラエティー番組では気さくで明るい一面を見せた。

 チンピラを鮮烈に演じた「893愚連隊」(昭和41年)の中島貞夫監督は「台本を読み込む能力が高く、よく体が動いた。“昭和のスター”の生き方を知る最後の世代だと思う」とコメントした。

 代表作の映画「仁義なき戦い」で共演した渡瀬恒彦さんは「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」。北大路欣也さんは「仕事への情熱、夢と冒険、エネルギッシュに前進し続けた」と松方さんをしのび「さよならは言いたくない。また会おう」との言葉を贈った。

 「仁義なき戦い」では組長に反乱を起こす幹部役を熱演。菅原文太さん演じる主人公におびえきった本性をさらけ出す場面などで強い印象を残した。

 「育ちの良さから表れる甘さと戦後社会に生きる若者の荒々しい野性味を併せ持つ演技が特徴的」と映画評論家の白井佳夫さん。同シリーズでは役どころを変えて何度も出演し、好演を見せた。

 平成15年には「OKITE やくざの詩」で初監督を務め、「60歳で監督になるなんて。本当に幸せです」と話していた。

 テレビのバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(昭和60年、日本テレビ系)などでは、笑い上戸で甲高い声で陽気に話す意外な一面を見せ、人気を集めた。

 また、マグロの一本釣りを趣味とし、300キロ超のマグロを釣り上げるなどして、「だからマグロはやめられない」と語り、筋金入りの釣りマニアぶりを見せた。


松方さん元妻・仁科亜季子「本気で愛した方」克基「15年以上も会えないまま」
スポニチアネックス 1/24(火) 7:01配信

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仁科亜季子(左)と仁科克基

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんの元妻で女優の仁科亜季子(63)は所属事務所を通じファクスでコメントを発表した。「この度の、訃報を聞き大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と悼んだ。

 また、仁科亜季子との間の息子で俳優の仁科克基(34)は「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。心からご冥福をお祈り致します」とつづった。


仁科亜季子、松方さんと20年以上ともに歩み「本気で愛した方」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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松方さんと20年連れ添った仁科亜季子は元夫の訃報を悼んだ(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。

 松方さんの訃報に1998年に離婚した元妻の女優、仁科亜季子(63)は書面でコメントを発表し、「本気で愛し、二人の子供を授かり、二十年以上もともに歩んで参りました方。今は安らかにお休みくださいますよう心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 松方さんが前妻の夏子さんと結婚していた74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」の共演で出会い、77年に不倫が発覚。78年に離婚した松方さんと、翌79年に結婚した。略奪愛で結ばれたが、98年には松方さんと元女優、山本万里子さん(44)の不倫が発覚。今度は略奪されて同年に離婚した。それでも、20年連れ添った元夫との別れを悼んだ。

 松方さんと仁科との長男で俳優、仁科克基(34)もコメントを寄せ、「最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかった」と追悼した。15歳の時に両親が離婚してから松方さんに会っておらず、2011年に元妻の女優、華子(28)とグアムで挙式した際には声をかけないなど確執は深かった。

 ただ、関係者によると、昨年2月に報道で父の病を知ってからは心配で、知人を介して松方さんの容体を聞いていた。21日の父の死去を知らず、訃報が流れた23日はいてもたってもいられず、入院先の病院に足を運んだ。妹のタレント、仁科仁美(32)に長男(1)が誕生してから父の存在の大きさを実感していた克基は「偉大で大変尊敬する役者でした」としのんだ。


目黒祐樹、松方弘樹さんと「『俺らは長生きしような』って言っていたのに…」
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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苦渋の表情を浮かべながら松方弘樹さんの闘病生活を明かした実弟の目黒祐樹=東京・世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優、松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。最先端医療で知られる大学病院に入院しながらも、放射線治療と投薬治療のみで手術が難しい症状だったと振り返り、「仕事に復帰したいという意欲を強く持っていた」と告白。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「本気で愛した方でした」としのんだ。

 公私にわたり支え合ってきた兄の死に、弟は悲しみをあふれさせた。

 松方さんの訃報を受けて同日夜、自宅前に集まった約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔でした」と報告した。

 松方さんは内縁の妻、万里子さん(44)と事務所関係者らの3人に看取られたといい、「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』と目を開けそうでした。体は痩せていたけれど、顔は安らかでいい表情でした」と明かした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっとつらいときかな」と話したという。

 「何十万人に1人くらいの難しい病気だった」とし、最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていたという。脳梗塞を併発し、帰らぬ人となったが、「11カ月間ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので、仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年を越えたとき『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 報道陣が思い出を尋ねると、「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で、周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい…」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄をしのんだ。


松方弘樹さん追悼番組、25日深夜からスカパー!で放送
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。

 松方さんの死去を受け、スカパー!が追悼番組を放送することが23日、同局から発表された。25日深夜1時40分からBS日本映画専門チャンネルで「強盗放火殺人囚」(1975年)を放送するのを皮切りに、「大江戸捜査網」シリーズ8本(ホームドラマチャンネル)や「巨大マグロ伝説2009 洋上の激闘」(チャンネルNECO)など計15作品を2月28日まで放送する。


松方弘樹さん死す…“豪快人生”恋、酒、マグロ一本釣り
サンケイスポーツ 1/24(火) 7:00配信

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豪快な海釣りと華麗な女性遍歴、酒豪で知られた松方さん。2000年末からは医者の勧めで節酒に努めた(写真:サンケイスポーツ)

 映画「仁義なき戦い」やテレビ時代劇「名奉行 遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京・文京区の病院で死去したことが23日、分かった。74歳だった。この日、密葬が営まれた。昨年2月に入院し、30歳下の内縁の妻(44)が懸命な看病をしていたが…。昭和のスターがまたひとり、天に召された。

 1年前は元気だった豪快なスター俳優が、ひっそりと息を引き取っていた。

 松方さんは昨年2月8日に歌の公演に出演した際、頭痛などを訴えて入院し、エックス線検査で脳腫瘍の疑いが判明。公演を降板して主演舞台も中止となり、3月2日に所属事務所から脳リンパ腫と発表された。患部が脳幹近くで手術ができず、放射線と抗がん剤治療を受け続けた。

 一時は患部も消えかけたが、3度目の脳梗塞を併発した昨秋、抗がん剤が使えなくなり、再び脳リンパ腫が拡大。昨年末から点滴で栄養を補給していたが、意識は混濁し、釣り仲間の俳優、梅宮辰夫(78)が12月中旬、見舞いに訪れたときはほとんど会話ができなかったという。

 今月12日には高度な治療を受けるため転院予定だったが、容体が悪く周囲は断念。しかし、内縁の妻で元女優、山本万里子さん(44)が中心となり、懸命な看病をしてきた。23日夜に会見した実弟の俳優、目黒祐樹(69)は「パートナーの女性(万里子さん)と事務所スタッフらの3人が看取ったようです」と明かした。23日に近親者のみの密葬が東京・町屋斎場で営まれた後、松方さんの死が公になり、後日お別れの会が開かれることも発表された。

 松方さんは1942年、俳優の近衛十四郎と女優、水川八重子の長男として生まれた。高校時代の60年に映画「十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。73年の深作欣二監督「仁義なき戦い」に始まるやくざ路線では、あくの強い暴力団幹部を熱演した。

 テレビドラマでは、74年、病気降板した渡哲也(75)に代わってNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「名奉行 遠山の金さん」などでも主演したほか、映画「OKITE・やくざの詩」では監督を務めるなど製作側としても活躍した。

 男くさい俳優として株を上げる一方、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では、照れ屋な一面を見せて親しまれた。趣味の釣りでは2009年、山口県沖で325キロの特大マグロを釣り、東京・築地市場でセリにかけられ437万1000円で落札されて話題となった。

 華やかな女性遍歴も注目を浴びた。1967年に元モデル、夏子さんと結婚したが、78年に当時としては破格の総額3億160万円の慰謝料を支払うことで離婚が成立。夏子さんが引き取った3人の子供の養育費を15年間支払うと伝えられた。

 翌79年に不倫関係を乗り越え、歌舞伎俳優、故岩井半四郎の次女で女優、仁科亜季子(当時・明子、63)と再婚し、1男(俳優の仁科克基、34)1女(タレントの仁科仁美、32)をもうけた。ところが、87年には歌手、千葉マリア(67)との間に隠し子が発覚し、仁科の要請でパイプカットしたことも告白した。

 91年には仁科が子宮がんにかかったが、98年に万里子さんとの不倫が発覚。松方と仁科は同年12月28日に離婚した。その後は万里子さんと籍を入れることなく18年間、連れ添った。仕事に釣りに女性たちに、熱い情熱を注いだ一生だった。

 松方さんの遺骨は万里子さんの元にあり、四十九日を経て、同じ昭和のスターだった父母の眠る京都の墓に入る。


「松方伝説」酒も遊びも奔放人生 自腹1000万円打ち上げ 超巨大マグロ一本釣り
スポニチアネックス 1/24(火) 6:35配信

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361キロのマグロを釣り上げ、仁王立ちする俳優の松方弘樹(2015年撮影)

 ◇松方弘樹さん急逝

 松方さんは昭和のスターらしく遊びも酒も豪快だった。とりわけ趣味の釣りはプロ級の腕前。一昨年5月には石垣島周辺で自己最高を10キロ更新する361キロのマグロを約6時間半の格闘の末、釣り上げた。このマグロは寿司チェーン店「すしざんまい」が184万8000円で落札。松方さんのマグロの握り約1万2000貫を求めて都内各店に大行列ができた。

 釣り歴は50年以上。米ボストン沖で約400キロの大物を釣り上げたこともあった。毎年のように参加していた「萩クロマグロトーナメント」(山口県萩市)では08、09、12年の3度優勝。「役者も真剣だけど、マグロはもっと真剣よ」と公言し、体力が必要なマグロ釣りに備え日ごろから体を鍛えていた。親友の梅宮辰夫(78)や14年に亡くなった菅原文太さんと世界中の海で釣りをする番組はお茶の間の人気となっていた。

 芸能界きっての酒豪としても知られた。父親の近衛十四郎さんが大酒飲みだった影響で当初は酒嫌いだったが、映画界で先輩俳優に強要されているうちに酒に強くなったという。最盛期には自ら「毎日、ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升は飲んだ」と明かしたほどでドラマ出演時に控室の外まで酒瓶を並べていたという逸話も残っている。ただ、還暦前の00年に医師から「血液がドロドロでこのままでは長生きできない」と言われ禁酒していた。

 お金の使い方も派手で初製作した映画「首領になった男」(91年)の打ち上げでは1000万円以上、自腹を切ってハワイ旅行。別の作品の打ち上げで行った金沢では3日で970万円使った。

 女性関係もド派手だった。“自称800人斬り”だったが、周りから問われると「それは誤解。1年分だ」。10代で童貞を喪失した時は母親に報告するなど“純真”な性格でもあった。浮気癖がひどすぎたことで2人目の妻である女優仁科亜季子から命じられてパイプカットした。現在事実婚の元女優との不倫が98年に発覚し、仁科とも離婚。会見では「2度離婚するくらいですから亭主には向いてないですねえ」と頭を下げる場面もあった。

 多くの人に愛され、豪快な生きざまを貫いた人だった。


松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念
スポーツ報知 1/24(火) 6:09配信

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90年、インタビューに答えた松方弘樹さん

 スター俳優に上り詰めた松方だが、志願して俳優になったわけではない。16歳時に単身上京したのは「歌手になりたい」の一念から。しかし、作曲家・上原げんと氏のもとで修業するも半年で夢はついえる。少年・松山まさるの天才的な歌のうまさに圧倒されたからだ。後の五木ひろしのことだ。

 「華のある俳優」として一番勢いがあったのは京都に住んでいた30、40代のころ。父は時代劇俳優の中でも、最も迫力ある立ち回りで刀さばきを見せた近衛十四郎さん。偉大な父親を持つと、比較されたくない気持ちから、親の話題を避ける人が多いが、松方は違った。

 あれは20年以上も昔。松方と亜季子さんが離婚する前、長崎・雲仙普賢岳に夫婦そろっての取材会があった。元夫人は「息子は将来、パパみたいになりたいって言ってるのよね」と話していた。そんな時期もあった。太秦の東映撮影所で取材があれば、親子ほど年の離れた若い記者にも毎回、必ず「僕の父は近衛十四郎という昭和の剣劇スターだったんだけどね」と言い続けていた。父を心から愛し、リスペクトしていた。

 小2で始めた釣りに夢中になるのは、親子でさおを並べたへラブナ釣りが原点。松方の晩年と言えば、400キロ近い巨大マグロを釣り上げたことだ。獲物を釣り上げるために自ら編み出したのはエサの大きさ。10キロをこえるキハダマグロを使っていたという。

 漁師が3キロほどのカツオを使っているのを考えれば、いかに特別か分かるエピソード。そして松方は長年、釣り人生を楽しませてくれたお礼として“マグロ基金”を通じて「砂漠化した海に恩返しがしたい」とも、自著「松方弘樹の世界を釣った日々」で触れていた。やりたいことはたくさん残っていただけに、悔しい思いで生涯を終えただろう。


目黒祐樹、憧れの兄「まだ早い」…松方さん死去
スポーツ報知 1/24(火) 6:08配信

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和服姿で兄の松方弘樹さん(右)とくつろいだ表情を見せる目黒祐樹(1969年)

 松方さんの実弟で俳優の目黒は23日夜、都内の自宅前で取材に応じ、気丈に亡き兄への思いを語った。兄として俳優として「常に僕のはるか前を、背中が見えなくなるぐらい走り続けてきた人。追いつきようがなかったし、とうとう追いつけなくなってしまうのかなと。それが一番残念」と視線を落とした。

 病院に駆け付けたときは、すでに息を引き取っていた。亡くなって1時間半後に松方さんのマネジャーから連絡を受け、病院に到着したのは、それから1時間後だった。「とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちを致しましたので、それがせめてもの救い。触るとかすかにぬくもりが残っていて『おいっ』って、パチッと目を開きそうな感じでした」。11か月の苦しい闘病生活を見てきたからこそ、安らかな表情に安堵(あんど)した。

 密葬を終えても、まだ兄の死を受け止め切れていない。「実感はない。徐々にさみしさが、自分の中にわいてくるんじゃないか。底抜けに明るい笑顔が忘れられない。変な言い方だけど、元気なイメージしかない。そのままの元気さを向こうに持っていってもらいたい」。74歳で旅立った兄に語りかけた。

 1977年、父・近衛十四郎氏は63歳で亡くなった。目黒も70歳を目前にする。「僕たち兄弟が、父親の年を超えてしまったときに『俺たちもオヤジの年を超えたんだから、2人で長生きしような』って兄貴が言ってた。あんなこと言っていたのに、まだ早いじゃないかと…」。5年ほど前に兄と交わした会話が、今となって鮮明によみがえる。

 兄弟げんかも多かったが、憧れの兄だった。「自分に正直に生きたんじゃないかと思う。優しさも本当にたくさん持っていた。多くの方が『憎めない』という表現で、うちの兄のことを言って下さった。弟としては、うれしくもあり、悔しくもあり。かなわない。もっともっと学びたかった」。もう、その思いはかなわない。


仁科亜季子、松方さんへの思い届かず
スポーツ報知 1/24(火) 6:06配信

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79年、仁科亜季子との婚約会見に出席し肩を抱く松方弘樹さん

 1998年に松方さんと離婚した女優の仁科亜季子(63)と息子の俳優・仁科克基(34)は23日、葬儀には参列しなかったが、それぞれマスコミ各社にファクスでコメントを寄せ、別れを悲しんだ。松方さんの弟で俳優の目黒祐樹(69)はこの日、都内で会見。人生の、そして俳優の先輩である松方さんの死に「ついに追いつけなくなった」と肩を落とした。

【写真】息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」

 20年近く前に家族としての絆が切れながらも、松方さんとの間に2人の子供をもうけた亜季子にとって、訃報は衝撃であり、悲しみでもあった。

 この日、マスコミ各社にファクスを送付。「この度の、訃報を聞き大変驚いています。私が本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。 合掌」とのコメントをしたためた。ドラマの共演で知り合った当時は松方さんは元モデルと結婚しており、不倫の末の“略奪婚”だったが、79年から98年に離婚するまでの蜜月を振り返った。

 松方さんが病魔に倒れた後の昨年7月、出演舞台の会見で取材陣に病床へのメッセージを問われると「早く良くなっていただきたいです。明日は(松方さんの)誕生日なんです」と回復を祈っていた亜季子。その願いは届かなかった。

 一方、息子の克基もファクスで「突然の事で、本当に残念で仕方ありません。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした」としのんだ。松方さんとは15年以上会っていなかったそうで、2011年に女優・多岐川華子(28)と結婚(12年に離婚)した際の披露宴にも松方さんは出席しなかった。病気もニュースで知ったという。

 テレビに出演した際には「俳優としてはすごく好きだが、父親としてはあまり好きではなかったりする」と複雑な心境を吐露していたこともあったが、「最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです」。親子として語らうことができなかったことを悔やんでいる様子だった。


波乱万丈昭和のスター・松方弘樹さんの仁義なき戦い人生「完」
スポーツ報知 1/24(火) 6:05配信

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映画、テレビドラマ、バラエティー番組と多方面で活躍した松方弘樹さん(1976年撮影)

 映画「仁義なき戦い」などで知られる人気俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため死去したことが23日、分かった。74歳だった。所属事務所によると、この日、弟で俳優の目黒祐樹(69)ら近親者による密葬が営まれた。お別れの会などは未定。昨年2月に不調を訴え入院し、3月に病名を公表。事実婚状態の元女優・山本万里子さん(44)が常に付き添い、11か月にわたり闘病生活を送っていたが、帰らぬ人となった。

 昭和を代表する俳優が、この世を去った。

 体の不調を訴え入院したのは昨年2月。3月には病名が脳腫瘍の一種である脳リンパ腫(中枢神経系リンパ腫)であることを公表。すべての仕事をキャンセルし、治療に専念していた。

 日本での発症率は10万人に1人とも言われる非常に珍しいがんで、腫瘍が脳内にあり手術は難しく、放射線治療と抗がん剤治療が中心。山本さんと事務所スタッフが付きっきりで看病し、闘病生活を送っていた。

 この日、都内で取材に応じた弟の目黒によると、本人にはあえて、深刻な状況だとは伝えていなかった。松方さんは持ち前の前向きな性格もあって、仕事復帰を目指していたという。所属事務所によると、12月になって病状が進行。目黒は12月10日ごろに病室を見舞ったが、声をかけると「ほ~」、「へ~」などと相づちを打ち「今がつらいときかな」と漏らしていたという。

 年が明けると症状が悪化し「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態」(事務所関係者)の日々が続いていた。亡くなる3日ほど前まではしっかりと意識があったそうで、前日にもラジオの相撲中継を聞いていたという。21日午前、静かに息を引き取った。山本さんら近親者が最期をみとったという。

 俳優の近衛十四郎、女優の水川八重子の間に生まれ、60年に東映入り。映画「仁義なき戦い」シリーズや、テレビドラマ「名奉行 遠山の金さん」など、任侠(にんきょう)映画や時代劇で活躍し、200本近い映画に出演した。

 俳優として活躍する一方、1985年からは日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!」にレギュラー出演。二枚目俳優のイメージとは違ったひょうきんで明るい一面も見せ、人気の幅を広げた。

 釣りが大の趣味。15年5月には沖縄・石垣島周辺で361キロの巨大クロマグロを釣り上げる快挙を成し遂げた。船ごと大きく揺さぶられる苦境に耐え、6時間半も格闘するなど趣味の域を超え、70代とは思えないエネルギッシュさを見せていた。

 私生活では68年にモデルと結婚し3人の子供をもうけたが、74年にNHK大河ドラマ「勝海舟」で共演した女優の仁科亜季子(63)と不倫。ドロ沼の離婚交渉の末、78年に最初の妻と離婚したが、当時で3億円もの慰謝料を払ったことが話題を呼んだ。

 79年に仁科と再婚。仁科との間に俳優の仁科克基(34)、女優の仁科仁美(32)と2人の子供をもうけたが、98年、今度は山本さんとの不倫が明らかになり、同年末に仁科と離婚した。

 晩年まで、手術を必要とするような大病に縁はなかった。「一晩でウイスキーやブランデーを2人で5本空ける」と豪語するほどの酒豪で知られ、昭和のスターらしく、後輩やスタッフを連れ、自腹で何軒も飲み歩く豪快さも大きな魅力だった。

 2014年11月10日には高倉健さん(享年83)が、同28日に菅原文太さん(享年81)が死去。昭和のスターがまた1人、天国に旅立った。

 ◆松方 弘樹(まつかた・ひろき)本名・目黒浩樹。1942年7月23日、東京都生まれ。父は俳優の近衛十四郎、母は女優の水川八重子。明大中野高3年在学中の60年に東映に入社し、同年の映画「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。その後、時代劇スターとして「人形佐七捕物帳」、「名奉行 遠山の金さん」などに出演したほか、73年の映画「仁義なき戦い」など仁侠映画にも多数出演する。また85年からスタートした「天才・たけしの元気が出るテレビ!」でバラエティーにも進出。趣味の釣りでも知られ、2015年5月には自己最高となる361キロのマグロを釣り上げた。


松方弘樹さん、お騒がせ私生活 隠し子騒動、パイプカット告白…離婚も2度
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

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1991年5月、舞台挨拶で亜希子夫人(左)と子どもたちに囲まれ。右端は山城新伍さん

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日に亡くなっていたことが23日、分かった。74歳だった。

【写真】松方さんの末娘は未婚の母に…「ドンドン肥えてる」と実兄が近況報告

 数々の豪快伝説を残した、お茶目な「昭和のスター」が逝った。波乱の人生の最期を見送ったのは、18年間、事実婚状態で松方さんを支え続けた、元女優・山本万里子さん(44)だった。2人は1998年秋に当時の妻だった女優・仁科亜季子(63)に不倫関係を暴露された。その仁科も、3年間の不倫の末、79年に略奪婚した立場。1人目の妻との3億円の離婚慰謝料、隠し子騒動など、プライベートでも波乱に満ちた74年の生涯だった。

 東映出身。弟の目黒祐樹(69)も俳優で「お兄ちゃん」と呼ばれ、スタッフから愛された。とにかく豪快。現場では気持ちの波がない人で、スタッフを決して怒らなかった。話もうまく、常に人を楽しませる。待ち時間には鼻歌を歌い、にこにこと笑顔を浮かべていた。

 「撮影に関わったスタッフは、下(若い人)から上まで満遍なくみんなごちそうになった」(関係者)。松方主催の宴(うたげ)は、時に100人を超えるほどだった。ブランデーが大好きで、豪快に飲む。そして、共演者やスタッフに飲ませまくった。撮影の野次馬にも愛想がよかった。とにかく愛された人だった。

 プライベートは波瀾(はらん)万丈。1度目の結婚相手、夏子さんとは1男2女をもうけたが、77年に仁科と松方が同棲を始め、78年6月に離婚が成立。79年3月に仁科と入籍した。離婚の慰謝料は3億円。当時、“芸能界最高額の離婚慰謝料”と話題になった。

 82年9月には仁科との間に長男・仁科克基(34)、84年11月には長女・仁美(32)が誕生したが、87年10月には歌手・千葉マリアとの間に2歳になる隠し子が発覚し、松方さんが会見。公になる約2年前に当時の妻、仁科にバレて激怒され、「すぐパイプカットされてしまった」と衝撃の“パイプカット”告白をした。隠し子(男児)については認知せず、経済的援助をすることで決着した。

 隠し子も含めて子供は6人。克基は15年に出演したテレビで「弟は1回も会ったことない」と話していた。

 隠し子騒動も乗り越えた仁科との結婚だっったが、山本さんとの不倫関係が原因で、98年12月末に離婚。仁科は週刊誌に2人の不倫関係を暴露し、95年秋には睡眠薬を飲んで自殺を図ったことも明かした末の壮絶な離婚劇となった。


松方弘樹さん死す 昭和の名優がまた… 葬儀に弟・目黒、梅宮辰夫らが参列
デイリースポーツ 1/24(火) 5:59配信

 俳優の松方弘樹さん(本名・目黒浩樹=こうじゅ)が脳リンパ腫のため、21日午前11時26分に東京都文京区の病院で亡くなっていたことが23日、分かった。74歳。葬儀は近親者で行い、弟の俳優・目黒祐樹(69)、親交の深い俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。昨年2月に脳リンパ腫と診断されてから闘病しており、入院中の同年3月には脳梗塞も発症。関係者によると、マヒなどの影響が残り、体重も約20キロ減少していたという。

【写真】親友の山城新伍さん、亜希子夫人と幼い克基、仁美ら子どもたちに囲まれ満面の笑みの松方弘樹さん

 豪快な昭和の名優が、また1人旅立った。

 松方さんは昨年2月13日に体調不良を訴え、都内の病院に入院。3月以降のコンサートや6月開催の舞台をすべてキャンセルした。検査の結果、3月2日に脳リンパ腫であることが判明。症例の極めて少ない悪性腫瘍の難病で、10万人に1人の発症率とも言われている。手術による全摘出はほぼ不可能とされ、放射線治療や抗がん剤の投与で秋口の復帰を目指していた。

 だが、3月ごろに脳梗塞を発症。影響で右半身がマヒし、ろれつが回らなくなるなどの影響があったという。脳梗塞は計3度起こったとする報道もある。関係者によると、治療のかいあってリンパ腫は小さくなったが、入院前に約70キロだった体重は50キロ台まで減少していたという。

 最近は目黒、梅宮や18年間連れ添った事実婚の元女優・山本万里子さん(44)、個人マネジャーなど、極めて近い人物以外には面会を拒否していたという。

 松方さんは時代劇俳優だった近衛十四郎さんの跡を継ぎ、17歳でデビュー。映画「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」シリーズなどで、迫力あるこわもての俳優として存在感を発揮した。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をすべて演じるなど、時代劇でもカリスマ性と説得力を持った押し出しが魅力だった。

 業界きっての酒豪として知られ、飲み屋での伝説は数知れず。趣味の釣りは素人の域を超え、梅宮と2人で釣り番組を持ったこともある。マグロの一本釣りを楽しみ、300キロ超の大物と格闘しては、400万円以上の値をつけ、ニュースになった。

 一方、85年にスタートした日本テレビ系バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にレギュラー出演した際には、映画やドラマでのイメージとは違った“親しみのある面白いおじさん”として新たな一面を開拓。ファン層を広げた。

 私生活では2度の結婚と離婚を経験。2人目の妻となる女優の仁科亜季子(63)とは当初、不倫関係だった。愛人との間に隠し子が明らかになるなど、女性関係でも世間を騒がせた色気のあるスターだった。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん送り沈痛「常に前向きな人でした」
デイリースポーツ 1/24(火) 5:00配信

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 松方弘樹さんの実弟で俳優の目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。松方さんの葬儀は近親者のみで行われ、弟で俳優の目黒祐樹(69)、親友の俳優・梅宮辰夫(78)らが参列したという。

 最期をみとることはできなかったという目黒は23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じ、「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたので、それがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情でコメントした。

 志半ばで天国へ旅立った兄の心情を、同じ俳優としても思いやった。「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います」。難病の脳リンパ腫の治療中に脳梗塞を発症。体重も激減した松方さんだったが、芝居への意欲は失わなかった。

 幼少期から、松方さんの背中を追い続けてきた目黒は「常に前向きな人でしたから、このまま仕事に復帰できないということは、あまり考えてなかったんじゃないですかね」と肩を落とした。

 松方さんが闘病していた昨年6月、都内で行われた映画の舞台あいさつに登壇した目黒は「(兄は)様子を見ている段階です」と話すにとどまり、容体に詳しく触れることはなかった。


仁科克基 父・松方弘樹さん死去 15年以上も会えないままの別れになった
デイリースポーツ 1/24(火) 0:02配信

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仁科克基

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。息子で俳優の仁科克基が23日、TBS系「ニュース23」に談話を寄せた。

 「15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って一緒にお酒でも飲みたかったです」。


目黒祐樹、兄・松方弘樹さんを偲ぶ「思い浮かぶのは底抜けの笑顔」
サンケイスポーツ 1/23(月) 23:26配信

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囲み取材に応じる弟で俳優の目黒祐樹=東京都世田谷区(撮影・桐原正道)(写真:サンケイスポーツ)

 俳優の松方弘樹さん(享年74)の訃報を受け、実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、東京・世田谷区の自宅前で会見。11カ月に及んだ兄の闘病生活を明かした。

 約50人の報道陣を前に、目黒は開口一番、「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ちました」と語り、故人の意向でこの日、近親者で密葬を済ませたことを報告した。

 松方さんは20年来のパートナーと事務所関係者ら3人に看取られたといい、「苦しみもせずに穏やかに眠るように逝ったということです。息を引き取ってから連絡をもらい、(死後)2時間半後に病院に駆けつけたら、かすかにぬくもりが残っていて、『おいっ』とパチッと目を開けそうでした」と回顧。松方さんの遺骨について「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。長男ですから私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」と語り、お別れの会は「これから検討する」とした。

 松方さんに最後に会ったのは、昨年12月10日。目黒が見舞いに行って声を掛けると、「おぉ」「そうか」と反応し、「今はちょっと辛いときかな」と話したという。

 昨年2月から最先端医療で知られる都内の大学病院に入院していたが、「何万人、10万人に1人くらいの珍しい病気で、放射線治療と投薬治療で手術は難しい病気だと。最初は治療の効果があって本人も早めに退院できると思っていた。11カ月入院していたけれど、常に前向きな人なので仕事に復帰できないことは考えていなかったと思う」と振り返った。

 幼少期から兄として、俳優として尊敬し続けてきた。「常に背中が見えないくらい僕のはるか前を走り続けていた。追いつけなくなってしまったのが一番残念。数年前に僕たちが父親の亡くなった64歳の年をこえたとき、『俺らは長生きしような』って言っていたのに。まだ早いじゃないか…」と声を詰まらせた。

 兄との思い出については「数え切れないくらいある。思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心に正直な人で周りに迷惑を掛けたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれた。向こうでも元気でいてほしい」。目を真っ赤にしながら天国へ旅立った兄を偲んだ。


目黒祐樹 兄・松方弘樹さん とても穏やかな安らかな顔で旅立った
デイリースポーツ 1/23(月) 23:24配信

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目黒祐樹

 俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のために21日に74歳で亡くなった。弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、TBS系「ニュース23」などの取材に応じて心境を語った。

 目黒は「とても穏やかな安らかな顔で旅立ちをしたのでそれがせめてもの救いだと思っております。触るとまだかすかにぬくもりが残っていて、ぱちっと目を開きそうな感じでした」と沈痛な表情。

 また、「仕事に復帰したいという意欲は非常に強く持っていたと思います。常に前向きな人でしたからこのまま仕事復帰できないということは……あまり考えてなかったんじゃないですかね」と言葉に詰まりながら兄の気持ちに思いをはせた。


俳優・松方弘樹さん、脳リンパ腫で死去 74歳
ホウドウキョク 1/23(月) 23:24配信

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(写真:ホウドウキョク)

俳優の松方弘樹さんが、21日に亡くなっていたことがわかった。74歳だった。
松方さんは、10万人に1人ともいわれる脳の病気「脳リンパ腫」を患い、闘病を続けていた。
2016年2月に体調不良を訴え、そのまま入院。
1人で歩くことが困難で、車いすを使用。
言葉も出なくなる状況だったという。
松方さんは1960年、高校3年の時に東映に入社し、その年に主演で銀幕デビュー。
最近では、バラエティー番組にも多く出演していた。


松方さん弟・目黒祐樹「本日、ごくごく身内で見送らせていただいた」
東スポWeb 1/23(月) 22:46配信

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会見した目黒祐樹

 脳リンパ腫のため21日に74歳で死去した俳優・松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)の実弟で俳優の目黒祐樹(69)が23日、都内の自宅で報道陣の取材に応じ、兄に死を惜しんだ。

 目黒は沈痛な面持ちですでに密葬を済ませたことを明かした。「本人たっての希望で密葬にしてもらいたいと。(その意向を受け)本日、ごくごく身内で見送らせていただいた。もちろん(松方さんの)子供たちも参列した」

 松方さんの最期を見届けたのは3人だったという。「兄貴と二十数年来、パートナーとして一緒に過ごしていると女性と事務所関係者、面倒を見ていた人に看取られたと聞いている。苦しみもせず穏やかに眠るように逝ったと聞いている」と話した。

 遺骨については「パートナーの女性が保管して面倒見てくれると。私たちの父、母が眠っている京都(の墓に)に入ると思う」。お別れの会は「これから検討する」とした。

 目黒は死去した直後になきがらと対面。「体はずいぶん痩せていたけど、顔はすごくいい表情をしていた気がする」と語った。

 病気は昨年2月に発覚した。「(闘病は)11か月に及んだんじゃないですかね。放射線治療と投薬と聞いている。手術の難しい病気だと」。それでも、本人への告知については「深刻な状態と本人に伝えていなかったのかもしれない」とした。

 目黒が最後に見舞ったのは昨年12月10日で、松方さんの意識ははっきりしていたという。「『今はツラい時かな』とかそういう言葉を発していましたね」と振り返った。

 松方さんに顔がそっくりな目黒は涙をこらえ、兄への思いを語った。


松方弘樹さん死去 まだ体温かく…実弟・目黒祐樹さん「大変驚き」
埼玉新聞 1/23(月) 22:42配信

 東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、テレビのバラエティー番組でも親しまれた俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日午前11時26分、脳リンパ腫のため東京都文京区の病院で死去した。74歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

■残念でなりません/実弟の目黒祐樹さん(69)の話

 訃報を受け病院に駆け付けました。まだ体が温かくて…。兄とは近く放送の番組で共演の予定でしたが、兄の体調不良で昨年12月23日に私単独で収録に臨みました。この番組で兄の体調が回復するようにエールを送りましたが、残念でなりません。よく遊び、仕事も存分にした兄でした。大変驚いています


「松方弘樹さんの死は、日本の漁業界にとっても大きな損失」取材記者が語る
週刊SPA! 1/23(月) 21:40配信

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一本釣りで巨大マグロを釣り上げる松方弘樹さん

 1月21日、入院して闘病中だった俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫で死去。松方さんには入院前、マグロなどの漁業資源保護関係の記事で週刊SPA!に何度も登場いただいていた。その後何度か本誌で漁業資源関係の記事を掲載するたびにメッセージ等を送るも、容態が思わしくないようで、入院後は面会することもコメントをいただくこともかなわなかった。

 本誌は2009年11月22日、山口県萩市の離島・見島で開かれていた「萩クロマグロトーナメント」で、松方さんが300kgを超える巨大マグロを釣り上げ2年連続の優勝をした夜、インタビューを行った。

 その時に同席したのは、松方さんの一本釣りの師匠だった元漁民の佐々木敦司さん。2人はマグロトーナメントの話だけではなく、マグロ資源の危機的状況について語り合ってもいた。

「人間の力だけで釣り上げるマグロ一本釣りは、水産資源に優しい“エコ”な漁法。それに比べて産卵期の魚や小さい魚を根こそぎ獲ってしまう『巻網漁』は、魚の枯渇につながる。日本も、ノルウェーやニュージーランドなど、海外並みの厳しい規制強化をすべきです」と松方さんは語った。

 松方さんと言えば「本職は俳優ではなく、釣り人」というほどの釣り好きで有名だった。釣りの話だけでなく、漁業資源の話になると熱くなるのが印象的だった。

 この問題は松方さんにとって特別のものだったようで、本誌記者は事務所を通さず直接やりとりをしてもらっていた。

「以前のコメントは何度でも使って下さい。漁業資源を守るためには、巻網漁への規制強化は欠かせません」と非常に協力的だったのだ。

「佐々木さんと一緒に、海のエコを考えるシンポジウムに参加したい」と語っていた松方さん。本誌記者が「俳優のレオナルド・ディカプリオさんは、ハイブリッド車に乗って環境問題を訴えています。松方さんは一本釣りで海のエコを訴えているわけですね」と言うと、「そうです」とニコっと笑ってくれた。

 本誌で何度も語ってくれた「魚を守ってほしい」という思い――。しかし、まだ日本では巻き網漁などによる乱獲が続き、実現できていない。松方さんが亡くなられたことは、日本の漁業界にとっても大きな損失で、本当に残念なこと。本誌としてはその遺志を継いで今後も日本の漁業資源について取材を続けていくと宣言するともに、松方さんのご冥福をお祈りするばかりだ。 <取材・文/日刊SPA!取材班>


目黒祐樹「自分の心には正直な人」兄松方さん悼む
日刊スポーツ 1/23(月) 21:29配信

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兄松方弘樹さんとの思い出を語る目黒祐樹(撮影・下田雄一)

 21日に脳リンパ腫のため亡くなった、俳優松方弘樹さん(享年74)の実弟で、俳優の目黒祐樹(69)が23日夜、都内の自宅前で報道陣の取材に応じた。

【写真】松方弘樹さん死去、昨春に悪性脳リンパ腫 74歳

 目黒は冒頭「兄が2日前の午前11時26分に旅立ちました。長い芸能生活の中、皆様にはお世話になりました。ありがとうございました。とても穏やかな、安らかな顔で旅立ったのがせめてもの救いだと思っています」とあいさつした。

 松方さん本人の生前の意向で、この日密葬が行われたという。松方さんの最後は、20年来のパートナーとされる女性と、事務所関係者ら3人に看取られたといい「苦しみもせずに、穏やかに眠るように逝ったということです。(死後2時間半後に病院に駆けつけ)体はやせていたけど、顔は安らかでいい表情をしていました」と明かした。

 目黒が松方さんと最後に会ったのは、昨年12月10日。見舞いに行ったときで、目黒が声を掛けると「おお」「そうか」などと反応していたという。昨年2月から入院していたが「何万人、10万人に1人くらいの難しい病気。放射線治療や投薬をしていて、手術は難しい病気でした。ずっと入院していましたが、常に前向きな人なので仕事に復帰したいという気持ちは強く思っていたと思います」と話した。

 兄として、俳優として尊敬していた。「数え切れないくらい思い出はありますが、背中が見えないくらい、常に僕のはるか前を行っていた。小さい頃からけんかをしたりいろいろあったけど、まだ実感は…。徐々に寂しさが湧いてくるのかなと思います」。

 また、とにかく明るい人だったといい「思い浮かぶのは底抜けの笑顔。自分の心には正直な人だったので周りに迷惑をお掛けしたこともあったけど、多くの人が憎めない人と言ってくれていた。それが弟としては、うれしくもあり、ちょっと悔しくもあり、かなわないと思いました。変な話ですけど、向こうでも元気でいてほしい」と目を赤くした。


松方弘樹さん死去 脳リンパ腫のため
シネマトゥデイ 1/23(月) 21:04配信

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松方弘樹さん(写真は2014年に撮影したもの)

 『仁義なき戦い』シリーズや釣り番組などで知られた俳優の松方弘樹さん(本名:目黒浩樹)が21日に亡くなっていたことが明らかになった。74歳だった。所属事務所の株式会社MAREがマスコミ関係者に宛てたFAXを通じて23日に発表した。松方さんは復帰を目指して闘病中だったが、昨年2月から患っていた脳リンパ腫のため帰らぬ人となった。

【写真】2014年に行われたイベントでの松方弘樹さん

 東京都出身の松方さんは、映画『十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ』(1960)でデビュー。故・深作欣二監督のヤクザ映画や、「遠山の金さん」などの時代劇に多数出演し、俳優として確固たる地位を築いた。また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「ダウンタウンDX」などのバラエティー番組で見せたお茶目な一面も愛されていた。「松方弘樹・世界を釣る」と題したドキュメンタリー番組では、盟友・梅宮辰夫とともに世界の海に繰り出して大物のカジキやマグロを狙い、芸能界を代表する釣り好きとして知られていた。

 所属事務所によると、葬儀は生前の本人の意志を尊重して近親者のみですでに執り行っており、お別れ会に関しては関係者と協議中。昭和のスターの早すぎる死を悲しむ声がTwitterなどのSNSに多数寄せられている。(編集部・海江田宗)


松方さん死去に、息子の仁科克基「15年以上も、会えないままの別れになってしまいました」
スポーツ報知 1/23(月) 20:37配信

 脳リンパ腫のため21日に74歳で亡くなった俳優・松方弘樹(本名・目黒浩樹=めぐろこうじゅ)さんの次男で俳優・仁科克基(34)が23日、お悔やみのコメントを発表した。

 仁科は、松方さんにとって2度目の結婚となった仁科亜季子(63)との間に1982年に誕生。松方さんと仁科亜季子は98年に離婚、仁科克基の親権は仁科亜季子が持った。

 以下、コメント全文。

 × × ×

 突然の事で、本当で残念で仕方ありません。

 15年以上も、会えないままの別れになってしまいました。

 最後にもう一度会って、一緒にお酒でも、飲みたかったです。

 僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

 2017年1月23日

 仁科克基


松方弘樹さん死去 「15年以上、会えないままの別れに…」息子の仁科克基さん
産経新聞 1/23(月) 20:31配信

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松方弘樹さんの死去を受け、コメントを出した息子で俳優・タレントの仁科克基さん(写真:産経新聞)

 俳優の松方弘樹さんが21日に亡くなったことを受け、俳優・タレントで息子の仁科克基さん(34)が23日、コメントを発表した。

     ◇

 突然のことで、本当に残念で仕方ありません。15年以上も会えないままの別れになってしまいました。最後にもう一度会って、一緒にお酒でも飲みたかったです。僕にとって、偉大で、大変尊敬する役者でした。

 心からご冥福をお祈り致します。

2017年1月23日

仁科克基


仁科亜季子 松方さんの離婚と父の公認に3年 松方さんと結婚するために待った
デイリースポーツ 1/23(月) 20:29配信

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菅原文太さんの思い出を語る松方弘樹さん=2014年撮影

 俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒弘樹=めぐろ・こうじゅ)さんが脳リンパ腫のために亡くなったことが23日、分かった。亡くなったのは21日。74歳だった。松方さんは東映の“やくざ路線”“実録路線”のスターとして活躍し、代表出演作に「仁義なき戦い」シリーズがある。元妻で女優の仁科亜季子(63)は「私が本気で愛した人」と談話を出した。松方さんは仁科と結婚するために元妻と離婚をした。仁科との婚約当初を振り返る。

 2人が婚約を発表したのは1979(昭和54)年。仁科は当時、彰子と名乗っており、松方さんは「これでやっと彰子を太陽の下に出せます」と“日陰の存在”だったことに後ろめたさを感じていたことを告白した。

 仁科の父親で歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが2人の仲を公認し、婚約となった。2人はそろって会見し、仁科は「(松方に)ついてきて良かった。これからはだれに気兼ねすることなく笑顔が作れます」と喜んだ。

 婚約までに3年かかったことに仁科は「(松方さんは)いったん自分で決めたことはがんこに守る人ですから、大丈夫という自信はありました。でも、私の気持ちが両親にうまく伝わらず、父や母につらい思いをさせたことはつらかった」と話していた。


「大変驚き」「言葉出ない」=俳優の松方弘樹さん訃報に関係者コメント
時事通信 1/23(月) 20:25配信

 俳優の松方弘樹さんの訃報に、女優で元妻の仁科亜季子さんら関係者が、「大変驚いている」などのコメントを発表した。

 仁科さんは、「私が本気で愛し、2人の子どもを授かり20年以上も共に歩んできた方。安らかにお休みくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」と冥福を祈った。

 映画「仁義なき戦い」シリーズなどで共演した、俳優の渡瀬恒彦さんは、「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」と悼んだ。

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