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2016年11月17日 (木)

保守政治家の最長老・奥野誠亮氏死去、103歳

文相、法相などを務めた保守政治家の最長老・元自民党衆院議員の奥野誠亮氏が16日午後7時10分、老衰のため死去した。103歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く。喪主は長男信亮氏。

奈良県出身。東大卒業後、旧内務省に入省、戦後、自治事務次官を経て、1963年の衆院選で旧奈良全県区から初当選。文相、法相、国土庁長官、自民党安全保障調査会長などを歴任し、2003年に90歳で引退。当選13回。

歴史問題や憲法改正問題で筋の通った主張をした保守派の論客として知られ、「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の初代会長を務めた。平成27年には、東京・内幸町の日本記者クラブで会見し、戦後70年を経ても自主憲法の制定が実現していないことについて「いつまでたっても戦後は終わらない。そろそろ自前の憲法を作ろう」と訴えた。

リンク:奥野誠亮元法務相「お別れの会」 多くの政界関係者が参列 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野誠亮氏お別れの会 安倍首相「激動の昭和駆け抜けた偉大な保守政治家」と悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故奥野元法相お別れの会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:評伝 奥野誠亮元法相 自主憲法制定の信念貫き - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<奥野誠亮さん死去>筋金入りの保守派、ミスター内務省 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野元法相死去 葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【訃報】奥野誠亮氏=元文相・元法相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:記者会見する奥野氏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野誠亮氏死去、103歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野誠亮氏死去、103歳=元自民党衆院議員 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野誠亮氏死去…103歳、文相・法相など歴任 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<訃報>奥野誠亮さん103歳=元法相、保守系の重鎮 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

奥野誠亮元法務相「お別れの会」 多くの政界関係者が参列
ホウドウキョク 12/12(月) 20:25配信

自民党の大先輩を悼んだ。
11月、103歳で亡くなった、奥野誠亮(せいすけ)元法務相の「お別れの会」が、12日、東京都内で営まれ、大島理森(ただもり)衆議院議長ら、多くの政界関係者が参列し、安倍首相が、弔辞を述べた。
安倍首相は「憲法を、自らの手で制定すべきとの先生の信念こそ、まさに、わが党の骨格であったと言ってもいいと思います」と述べた。
さらに、安倍首相は、奥野氏が、自民党の選挙対策を所管する総務局長を、6期務めたことに触れ、「『選挙の神様』と賞賛されました」と功績を振り返った。


奥野誠亮氏お別れの会 安倍首相「激動の昭和駆け抜けた偉大な保守政治家」と悼む
産経新聞 12/12(月) 17:10配信

 11月に103歳で死去した奥野誠亮元法相の自民党と奥野家などによる合同の「お別れの会」が12日、東京都内のホテルで営まれた。実行委員長の安倍晋三首相(党総裁)はあいさつで「激動の昭和の時代を駆け抜けた、あまりにも偉大な保守政治家。その逝去に対し改めてその存在の大きさを痛感する」と悼んだ。

 首相はまた、「憲法を自らの手で制定すべきとの先生の信念こそ、まさにわが党の骨格だった」と述べた。お別れの会には大島理森衆院議長や二階俊博幹事長、福田康夫元首相ら政財界の関係者が多数参列した。


故奥野元法相お別れの会
時事通信 12/12(月) 16:35配信

 先月16日に死去した奥野誠亮元法相のお別れの会が12日、東京都内のホテルで営まれた。

 自民党総裁として実行委員長を務めた安倍晋三首相のほか、大島理森、伊達忠一衆参両院議長、公明党の山口那津男代表ら約1300人が参列した。

 首相はお別れの言葉で「憲法を自らの手で制定すべきだとの先生の信念こそ、まさにわが党の骨格だった。もしやり残されたことがあるとすれば、その志はしっかりと私たちが受け継いでいく」と述べた。


評伝 奥野誠亮元法相 自主憲法制定の信念貫き
産経新聞 11/18(金) 7:55配信

 自主憲法制定や東京裁判史観批判を訴え続けた保守政治家の重鎮が逝った。

 「若手の諸君に呼んでもらったんだ」。満100歳を迎えた3年前の夏、念願の東京スカイツリーに上った奥野誠亮氏は笑顔で語り、招いてくれた綿貫民輔元衆院議長、島村宜伸元農林水産相らに感謝した。

 昭和2年生まれの綿貫氏を若手と呼んだのに驚いたが、それも当然だった。

 大正2年生まれ。戦前と戦中、戦後の占領期、独立後の全てを官僚、国会議員として歩んだ稀有(けう)な体験を持つ最後の政治家だった。

 世の転変を責任ある立場で経験し続けたことが、現実的でバランスある信念を培った。タカ派のレッテルが貼られたが、そうした勢力が左に傾いていたことは今なら明白だろう。

 鈴木善幸内閣の法相だった。閣僚が国会で憲法改正を説けば野党やマスコミから総攻撃される時代だったが、勇気をもって自主憲法制定を問題提起した。

 担当記者らが昭和52年に始めた奥野氏を囲む毎月の勉強会は長く続き、今月2日も開かれた。

 勉強会で謦咳(けいがい)に接したが、とりわけ印象に残ったのが戦中と占領期の話だ。

 昭和20年3月の東京大空襲では多くの遺体の収容に当たった。戦争指導に疑問も抱いたが、本土決戦を覚悟して懸命に働いた。灘尾弘吉内務次官が耳元で「軍はけしからん。国民を道連れにしようとしている」とささやいたことを折に触れて語っていた。

 それでも奥野氏が「日本を守れない憲法は無意味だ」と強調していた意味をかみしめたい。今の憲法の下での専守防衛は、本土決戦主義に似ている。

 「主権がない占領中は国会も政府も自主的活動はできなかった。法案を出すのも、国会審議で修正するのも、議決が賛成でも反対でもGHQ(連合国軍総司令部)の承認が必要だった。憲法も同じだ」

 地方税財政のエキスパートとしてGHQと連日渡り合った経験者の発言は重い。

 102歳になった昨年11月、日本記者クラブで会見するためのお手伝いをした。

 「国民に言いたいことはひとつ。自前の憲法を作ろうということだ」

 後輩の政治家たちに、その熱意と意味が伝わることを願っているはずだ。(論説委員 榊原智)


<奥野誠亮さん死去>筋金入りの保守派、ミスター内務省
毎日新聞 11/17(木) 21:47配信

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熱弁をふるう奥野誠亮さん=奈良県橿原市の橿原神宮会館で2012年4月21日、野上哲撮影

 奥野誠亮さん(おくの・せいすけ=元自民党衆院議員、奥野信亮衆院議員の父)が16日、老衰のため103歳で死去した。戦前は大蔵省以上の力を持ち史上最大・最強官庁といわれたのが内務省。戦後、自治庁、自治省を経て今の総務省につながるが、旧内務省人脈の最高峰といわれるのが中曽根康弘、後藤田正晴の両氏。その2人の先輩で2人の上をいくミスター内務省がこの人で、中曽根、後藤田両氏も一目も二目も置いていた。

 1938(昭和13)年入省。地方局事務官として戦争終結方針策定に当たり、内務省解体も体験し、自治事務次官から政界入り。連続当選13回で文相、法相、国土庁長官を歴任し、卒寿(90歳)で引退した。

 閣僚としての歴史認識をめぐる発言で時に物議をかもしたこともあったが、真骨頂は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長としての活動と、自主憲法制定を求める運動。自著の回顧録のタイトル「派に頼らず、義を忘れず」をそのままモットーに万事に生涯無派閥を貫き「保守のバックボーン」ともいわれた。

 大いに存在感を発揮し筋金入りの右派だったが、決して硬直した右派ではなく、リベラルにも寛容な議論好きだった。引退後は、アジア福祉教育財団名誉会長として事務所に日参し、勉強会などを主宰。100歳を超えてもマージャン、ゴルフは欠かさなかった。

 ちょうど1年前には日本記者クラブのゲストとして戦後70年を振り返る講演を行い、時折固有名詞が出てこないこともあったが論旨は明快。「改憲ではなく自主憲法を制定しないと真に戦後が終わったことにならない」と力説した。自身の高知県警本部長時代に交流のあった高知選出の吉田茂のだるまの色紙を持ち出し、「新憲法 棚のだるまも 赤面し」と添え書きしてあったため「ここから吉田さんの心境が読み取れる」と語ったのが印象的だった。【本社元専務・長崎和夫】


奥野元法相死去 葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会
産経新聞 11/17(木) 14:20配信

 法相など閣僚経験のある政治家として最長老だった奥野誠亮(おくの・せいすけ)氏が16日午後7時10分、老衰のため、東京都渋谷区神宮前5の7の10の自宅で死去した。103歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で衆院議員の信亮(しんすけ)氏。二男は東大名誉教授の正寛(まさひろ)氏。

 奥野氏は大正2年、奈良県生まれ。昭和13年に東京帝国大学卒業後、内務省入省。高知県警本部長、自治省財政局長を経て、38年に事務次官。同年、衆院議員に初当選(13回連続当選)。文相、法相、国土庁長官、自民党安全保障調査会長などを歴任した。

 官僚時代は、先の大戦末期、本土決戦や省庁の終戦処理業務に当たった。占領期は地方税財政のエキスパートとして、連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合った。

 衆院議員として、派閥全盛の時代に無派閥を貫いた。自民党総務局長を6期務めるなど「選挙のプロ」の顔があった。

 歴史問題や憲法改正問題で筋の通った主張をした保守派の論客として知られる。法相時代の55年8月、国会答弁で自主憲法制定の信念を披瀝し、野党が反発したこともあった。

 国土庁長官だった63年5月には、国会で、先の大戦について「日本に侵略の意図はなかった」「盧溝橋事件は偶発的」などと答弁したことが批判され、閣僚を辞任した。

 古都保存法の制定を推進するなど、奈良の平城宮の復元や明日香村の史跡保存に尽力した。「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の初代会長だった。

 平成15年の衆院選に出馬せず、議員を引退。アジア福祉教育財団の名誉会長を務めていた。

 平成27年11月には、東京・内幸町の日本記者クラブで会見し、戦後70年を経ても自主憲法の制定が実現していないことについて「いつまでたっても戦後は終わらない。そろそろ自前の憲法を作ろう」と訴えた。


【訃報】奥野誠亮氏=元文相・元法相
読売新聞 11/17(木) 14:08配信

 文相、法相などを務めた元自民党衆院議員の奥野誠亮(おくの・せいすけ)氏が16日午後7時10分、老衰のため死去した。

 103歳だった。葬儀は密葬で行う予定。喪主は、長男で同党衆院議員の信亮氏。

 東大卒業後、旧内務省に入省し、戦後、自治事務次官を経て、1963年の衆院選で旧奈良全県区から初当選。2003年に90歳で引退するまで、当選13回。

 1972年、田中内閣で文相として初入閣。80年、鈴木内閣での法相を経て、87年に竹下内閣で国土庁長官に就任したが、翌88年、日中戦争に関する「日本に侵略の意図はなかった」との発言などが国内外の反発を招き、引責辞任した。


記者会見する奥野氏
時事通信 11/17(木) 11:46配信

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竹下内閣の国土庁長官に起用され、記者会見する奥野誠亮氏=1987年11月6日撮影、東京・首相官邸


奥野誠亮氏死去、103歳
時事通信 11/17(木) 11:46配信

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奥野誠亮氏(おくの・せいすけ=元自民党衆院議員、奥野信亮衆院議員の父)が16日午後7時10分、老衰のため死去した。103歳だった。


奥野誠亮氏死去、103歳=元自民党衆院議員
時事通信 11/17(木) 11:33配信

 奥野 誠亮氏(おくの・せいすけ=元自民党衆院議員、奥野信亮衆院議員の父)16日午後7時10分、老衰のため東京都渋谷区神宮前5の7の10の自宅で死去、103歳。

 奈良県出身。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く。喪主は長男信亮氏。

 旧内務省官僚、自治事務次官を経て、1963年の衆院選で初当選し、当選13回。文相や法相などを歴任。タカ派の論客として知られ、竹下内閣の国土庁長官当時、日中戦争をめぐり「日本に侵略の意図はなかった」と発言し、辞任した。


奥野誠亮氏死去…103歳、文相・法相など歴任
読売新聞 11/17(木) 11:31配信

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奥野誠亮氏

 文相、法相などを務めた元自民党衆院議員の奥野誠亮(おくの・せいすけ)氏が16日午後7時10分、老衰のため死去した。

 103歳だった。葬儀は密葬で行う予定。喪主は、長男で同党衆院議員の信亮氏。

 東大卒業後、旧内務省に入省し、戦後、自治事務次官を経て、1963年の衆院選で旧奈良全県区から初当選。2003年に90歳で引退するまで、当選13回。

 1972年、田中内閣で文相として初入閣。80年、鈴木内閣での法相を経て、87年に竹下内閣で国土庁長官に就任したが、翌88年、日中戦争に関する「日本に侵略の意図はなかった」との発言などが国内外の反発を招き、引責辞任した。


<訃報>奥野誠亮さん103歳=元法相、保守系の重鎮
毎日新聞 11/17(木) 11:27配信

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元法相・文相の奥野誠亮さん=東京都港区で2015年6月11日、山本晋撮影

 文相や法相を歴任し、保守系の重鎮として知られた元自民党衆院議員の奥野誠亮(おくの・せいすけ)さんが16日、老衰のため死去した。103歳。葬儀は家族葬で営む。東京と奈良でお別れの会を開く予定。喪主は長男信亮(しんすけ)さん。

 戦前に東京帝大を卒業後、旧内務省入り。戦後に旧自治事務次官を務めた。1963年に旧奈良全県区から衆院初当選。13期連続当選し、2003年に政界を引退した。

 竹下内閣の国土庁長官だった88年に日中戦争に絡んで「当時日本に(侵略の)意図はなかった」と発言。閣僚は辞任したが、その後も持論は変えなかった。

 95年の戦後50年国会決議に反対するなどの論陣を張り、昨年も毎日新聞の取材を受けて戦前戦中について「当時の日本は気概を持っていた」と語るなど、100歳を過ぎても発信を続けていた。


奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老
産経新聞 11/17(木) 10:52配信

Okuno
日本記者クラブで講演する奥野誠亮氏=2015年11月19日、東京千代田区(写真:産経新聞)

 法相、文相などを務め、閣僚経験のある政治家として最長老だった奥野誠亮(おくの・せいすけ)氏が16日夜、老衰のため、東京都渋谷区神宮前5の7の10の自宅で死去した。103歳だった。葬儀などは未定。

 奥野氏は大正2年、奈良県生まれ。昭和13年に東京帝国大学卒業後、内務省入省。高知県警本部長、自治省財政局長を経て、38年に事務次官。同年、衆院議員に初当選(13回連続当選)。文相、法相、国土庁長官、自民党安全保障調査会長などを歴任した。

 官僚時代は、先の大戦末期、本土決戦や省庁の終戦処理業務に当たった。占領期は地方税財政のエキスパートとして、連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合った。

 衆院議員として、派閥全盛の時代に無派閥を貫いた。自民党総務局長を6期務めるなど「選挙のプロ」の顔があった。

 歴史問題や憲法改正問題で筋の通った主張をした保守派の論客として知られる。法相時代の55年8月、国会答弁で自主憲法制定の信念を披瀝し、野党が反発したこともあった。

 国土庁長官だった62年5月には、国会で、先の大戦について「日本に侵略の意図はなかった」「盧溝橋事件は偶発的」などと答弁したことが批判され、閣僚を辞任した。

 古都保存法の制定を推進するなど、奈良の平城宮の復元や明日香村の史跡保存に尽力した。「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の初代会長だった。

 平成15年の衆院選に出馬せず、議員を引退。アジア福祉教育財団の名誉会長を務めていた。

 平成27年11月には、東京・内幸町の日本記者クラブで会見し、戦後70年を経ても自主憲法の制定が実現していないことについて「いつまでたっても戦後は終わらない。そろそろ自前の憲法を作ろう」と訴えた。

 長男は衆院議員の奥野信亮氏。二男は東大名誉教授の奥野正寛氏。

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