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2016年8月 7日 (日)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・5

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

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リンク:千代の富士さんに叙位叙勲授与へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士貢――昭和の大横綱はなぜウルフと呼ばれたのか? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士さんへの叙位と叙勲が閣議決定 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故千代の富士に叙勲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:故千代の富士に叙勲 夫人も「大変光栄」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 父の偉大さあらためて実感「寂しいのとうれしいのと…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父親のすごさ実感「寂しいのとうれしいのと」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父・千代の富士さんの偉大さ改めて実感「本当にすごい人だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
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リンク:九重親方 「協会葬」ではなく「お別れの会」となった内幕 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:告別式に約1000人参列 原辰徳氏「千代の富士は大ヒーロー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士夫人「長生きすると約束したのに…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:新・九重親方「師匠の相撲道を一生守る」棺に大好きだったカトレア - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、ラジオで「最後のゲストはパパがいいなって言っていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:巨人前監督・原氏、千代の富士さん告別式で思い出語った「我々の世代では大ヒーロー」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士に「日本一!」「ありがとう!」出棺時に惜別のかけ声 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士の告別式に1千人…秋にお別れの会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:葬送 元横綱千代の富士 先代九重親方の秋元貢氏(7日、東京都墨田区の九重部屋) - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元大関千代大海「見守って」九重親方葬儀あいさつ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<先代九重親方>葬儀に1000人 両国国技館に別れ告げ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ひつぎを運ぶ元千代大海ら - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢がFMラジオで父・千代の富士を悼む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらば、千代の富士=葬儀に1000人参列―大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「ありがとう!千代の富士」先代九重親方にかけ声 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さん葬儀、原辰徳氏ら1000人が弔う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士告別式…長男・秋元剛氏「多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、気丈に父の死去3日後に仕事…ラジオで言葉詰まらせ九重親方の思い出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方密葬に2000人 千春、猪木氏ら弔問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<医療>きょう葬儀 千代の富士が最後に闘ったがんとは - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:愛娘が、松山千春が、具志堅が…「ウルフ」さようなら 先代九重親方の通夜 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:新・九重親方 ウルフ魂継承「1年前に“次はおまえが”と言われていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の通夜に2000人…弔問に松山千春、猪木ら駆けつけた - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

千代の富士さんに叙位叙勲授与へ
スポーツ報知 8月27日(土)6時5分配信

 7月31日にすい臓がんのため61歳で急死した元横綱・千代の富士の先代・九重親方に、叙位と叙勲が授けられることが26日、日本相撲協会から発表された。

 授与は24日の閣議で決定した。叙位は従四位で叙勲は旭日中綬章。同親方の秋元久美子夫人は相撲協会を通じて、「この度は叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメント。

 角界では2013年1月に死去した元横綱・大鵬の納谷幸喜氏、05年5月に死去した元大関・貴ノ花の花田満氏らが位記や勲章を受けている。


千代の富士貢――昭和の大横綱はなぜウルフと呼ばれたのか?
cakes 8月26日(金)18時0分配信

昭和を代表する力士の一人、千代の富士貢。彼の人生は、ライバルたちとの戦いであるとともに、怪我との苦闘でもありました。体力の限界まで戦い抜き、その後あまりにも早い死を迎えた彼の人生を、今回の「一故人」はたどります。

●昭和の終わりを飾った53連勝

昭和天皇は大の好角家として知られた。大相撲観戦の回数は、学習院初等科から数えるとじつに71回におよぶ。1988(昭和63)年9月18日にも両国国技館を訪れる予定だったが、折から高熱が続いており、大事をとって中止となった。天皇の容体が急変したのはその翌日の夜中のことだった。

このあと昭和天皇の病状は一進一退を繰り返す。9月24日には最初の危篤状態に陥るも、何とか乗り切った。あくる日、意識の戻った天皇は「全勝か」と侍医らに訊ねたという。ちょうど大相撲秋場所の千秋楽で、第58代横綱・千代の富士貢(2016年7月31日没、61歳)の成績を気にしての質問だった。

千代の富士はこの年5月、夏場所の7日目に花乃湖に勝って以来、連勝を続けていた。7月の名古屋場所、そして秋場所と全勝優勝をはたす。これにより優勝回数は25を数え、北の湖の記録を上回り大鵬の32回に次ぐ歴代2位(当時)となった。それまで連勝など考えもしなかった千代の富士だが、この記録更新で一つ大きな仕事が達成できたと思い、楽な気持ちで相撲が取れるようになったという(『プレジデント』1989年12月号)。

千代の富士の連勝は11月の九州場所にも続いた。7日目には目標に置いていた大鵬の45連勝を抜いて歴代2位(当時)となる。その夜、当の大鵬親方と街でばったり会い、「連勝記録は一番一番の積み重ね。これからも一日一日、大事に取ってもらいたい」と激励された。ファンやマスコミからも、史上最多記録である双葉山の69連勝の更新を期待する声が高まる。本人にはそんな大それたことができるわけがないとの思いもあったというが、大鵬の言葉を胸に着実に連勝を伸ばしていった。14日目には53連勝にまで伸ばして優勝を決める。しかし11月27日の千秋楽、横綱・大乃国(現・芝田山親方)に敗れて双葉山超えはならなかった。

そのあいだ昭和天皇の病状は重くなる一方で、もはや九州場所をテレビ観戦する体力すら残っていなかった。結局、千代の富士が連勝を阻まれた取組が、昭和の大相撲の締めくくりとなる。翌89年1月、昭和天皇は崩御、元号は平成に改まった。千代の富士の目標は、元小結・大潮の持つ通算964勝という記録の更新、さらには前人未到の通算1000勝へと移っていく。

●角界入りは「飛行機に乗せてやる」の言葉に誘われて

千代の富士、本名・秋元貢は1955年6月1日、北海道松前郡福島町に生まれた。津軽海峡に面する福島町は、青函トンネルの北海道側の建設基地として栄えた町だ。この町からはまた、第41代横綱の千代の山雅信が輩出されている。スポーツ万能だった秋元少年に力士の素質を最初に見出したのも、千代の山とつきあいのある地元の人たちだった。

地元の関係者から話を聞いて、1970年8月、中学3年生だった秋元少年の家に元千代の山の九重親方がスカウトに訪れる。それまで角界入りをすすめられても「相撲は好きじゃない」と断っていた秋元少年は、親方直々の誘いにも当初気乗りしなかった。しかし「飛行機に乗せてやる」の殺し文句に気持ちが一変する。飛行機のプラモデルをつくるのが好きだった彼は、本物に乗れるというだけで、東京行きを決めたのだった。

九重親方はこのとき地方巡業で福島町に来ていた。その弟子の北の富士勝昭は、ちょうど同年に第52代横綱になったばかりだった。北の富士は巡業中に親方から秋元少年と引き合わされ、「坊や、俺の名前を知ってるか」と訊いたところ、「知りません」と言われてガクッと来たという。それほど少年は相撲に興味がなかったのだ。しかし恥ずかしがったりおびえたりもせず、けっして視線をそらさない彼の態度は、北の富士に強い印象を残した(『文藝春秋』1989年12月号)。

上京した秋元少年は、9月の秋場所の新弟子検査に合格して、本名の「秋元」で初土俵を踏む。続く11月の九州場所は「大秋元」、さらに翌71年1月の初場所に際して「千代の冨士」の四股名を親方より与えられた(千代の「富」士となったのは75年初場所)。だが、もともと陸上でオリンピック出場を夢見ていた彼は、いまひとつ相撲になじめなかった。転入した台東区立福井中学では、区立中学連合の陸上競技大会に出場し、あこがれの国立競技場にて砲丸投げで2位に入賞までしている。そもそも約束では中学卒業まで相撲をやって、いったん北海道に帰り、それから先は相談して決めることになっていた。千代の富士は71年の春場所が終わると、郷里の高校に入って陸上に打ちこむつもりで、荷物も実家へ送り帰してしまった。あわてた九重親方は、何とか東京に引きとめるべく、明治大学付属中野高校に入学させる。

しかし高校では陸上部ではなく、相撲部に入れさせられた。しかも通学するうちに学業と相撲の両立の難しさに気づく。結局、高校は半年で退学し、相撲一本で行くことを決心した。これに親方は泣いて喜んでくれたという。

1971年の九州場所では三段目に昇進しながら、場所前の稽古中の骨折により全休、翌年の初場所には序二段に逆戻りする。それでも千代の富士は、けがの回復とともに猛烈な闘志で稽古に励み出した。兄弟子の北の富士から「オオカミ」というあだ名をつけられたのはこのころだ。一説には目をランランと光らせながら稽古する姿からつけられたとも、あるいはチャンコを 鉈 ( なた ) みたいなものを持ってつくっていたところからの命名とも伝えられる。いずれにせよ、つけられた本人はあまり気に入らなかったらしい。オオカミは昔話などで悪役のイメージが強いからだ。やがてオオカミでは言いにくいと、英語の「ウルフ」に変わり、これがのちの横綱昇進前後に一般にも広まっていった。

●自腹を切りタクシーで出稽古にまわる

幕下時代の千代の富士の写真を見ると、痩身で鋭い目つきをしており、たしかにオオカミにそっくりだ。しかし彼には大きな弱点があった。それは肩だ。幕下となっていた1973年夏場所で左肩を脱臼してからというもの、何度も肩を抜いては休場を余儀なくされた。もともと肩の関節のかみ合わせが浅く、根本的に治すには手術をするしかないと医者から言われていたという。しかし手術するカネも、回復まで待てる時間も、若い千代の富士にはなかった。

1975年の秋場所では東前頭11枚目として初入幕したものの、こんどは右腕の筋肉を断裂する大けがを負う。完治までには時間がかかり、次の九州場所では十両に降格したあげく、翌76年の春場所から夏場所にかけては幕下陥落という屈辱を味わった。さらにこのあと十両から幕内に復帰するまでは1年半、9場所もかかることになる。おかげで一時やる気を失った千代の富士は、タバコや酒に夜遊びと自暴自棄な生活を送ったという。この間、師匠である元千代の山の九重親方が1977年10月に死去、九重部屋は北の富士(当時、井筒親方)が引き継いだ。

けがの頻発は、力まかせに投げ飛ばす強引な相撲が原因だった。それが1979年の春場所に右肩を脱臼したのをきっかけに、劇的に変わっていく。このけがのため再び十両に落ちた千代の富士だが、公傷扱いとはならなかった。そこで、次の夏場所には、肩に大きなサポーターをつけながら3日目から出場する。はたして千代の富士はこの場所で9勝をあげ、みごと2度目の幕内復帰を決めた。

これを境に、彼は相撲の型を根本から変える必要性を感じるようになる。強引に投げ打つ取り口では肩に負担をかけ、また脱臼するかもしれない。そこで、素早く相手の左前 褌 ( みつ ) をとって一気に突っ走る正攻法の相撲をとるようになった。これとあわせて、医師のすすめにより肩の周辺の筋肉強化に励んだ。ダンベルを使ったウエートトレーニングのほか、腕立て伏せも1日300~400回と欠かさなかった。もっとも、照れ屋で人前では努力しているところを見せたがらない千代の富士は、自分の部屋で黙々と腕立て伏せをしていたらしい。彼の部屋の畳があまりに擦り減るので、あげくの果てに擦り減らないよう花ござを上から敷いたという。

こうして変えた型にたしかな手ごたえを感じたのは、東前頭3枚目だった1980年の春場所10日目、横綱・若乃花(二代目)から金星をとったときだ。このとき、元北の富士の九重親方から「あの相撲をとればおまえは伸びていく」と言われ、自分でも満足感を抱いたという(『WILL』1989年2月号)。同場所では初の技能賞を獲得、同年11月の九州場所は関脇として迎える。

なお、当時の九重部屋には千代の富士を除けば関取が一人しかおらず、場所前には相手を求めてほかの部屋へ出稽古にまわった。初めは部屋所有のマイクロバスを使っていたが、関脇にもなると自腹を切ってタクシーを利用するようになる。それでも彼は《さすらいの一匹狼だよ。(中略)出げいこのタクシー代、しめて六万円ナリさ》とさらりと言ってのけた(『現代』1981年2月号)。

「ウルフ・フィーバー」が始まったのは、このころだった。その精悍な顔立ち、力士らしからぬ筋肉質の体に魅了された女性は多く、彼を一目見ようと部屋や場所中の会場にはファンが殺到した。また国鉄(現JR)が1980年10月、千代の富士をモデルにしたポスターを各駅に掲示したところ、盗難があいついだ。

ちょうど大関の貴ノ花(初代)や増位山(二代目)といった人気力士たちの全盛期がすぎたころで、相撲協会も千代の富士の早い大関昇進を期待した。それは1981年の初場所での幕内初優勝により実現する。その後も勢いは止まらず、同年7月の名古屋場所後にはついに横綱に昇進した。いったん入幕しながらも幕下にまで落ちて再び幕内に復活した力士のうち、横綱にまで到達したのはいまのところ千代の富士だけである。この年、前出の2大関のほか、横綱・輪島も引退、世代交代のなか「ウルフの時代」が訪れようとしていた。

●「短命横綱」と予想されながらの奮起

とはいえ、小兵という先入観から、千代の富士が大鵬や北の湖に並び立つ大横綱になると予想した人はほとんどいなかったらしい。横綱として初めて迎えた秋場所も、直前の巡業中で負ったけがのため、3日目から休場という幸先の悪いスタートだった。おかげで「短命横綱」との見方も出るなか、続く九州場所では12勝3敗で横綱昇進後初の優勝を決める。逆境に立たされながらも執念で賜杯を手にして、インタビューでは大泣きに泣いた。《あの苦しさの中でつかんだ優勝の自信は、その後横綱で十年も相撲を取ることができた原動力となった気がする》と、のちに彼は語っている(陣幕貢『負けてたまるか』)。

師匠の九重親方もまた当初は、千代の富士がまさか10年近くも横綱の地位を守り続けるとは思っていなかったようだ。その証拠に、彼が横綱になったとき《太く短くやれ。そして、もし横綱として相応の成績が残せない場合は、スパッとやめよう》と忠言したという(『文藝春秋』1989年12月号)。だが、千代の富士は結果的に「太く長く」横綱を務めることになる。

両国に現在の国技館が完成した1985年の初場所では、それまで千代の富士の大きな壁となっていた北の湖が引退する。北の湖は千代の富士よりわずか2歳上、引退時31歳だった。それに先立つ昭和の大横綱・大鵬も1971年、31歳になる直前に引退している。しかし千代の富士の場合、その年齢に達した1985~86年に全盛期を迎えた。85年には優勝4回(うち全勝2)、86年には優勝5回を記録する。このうち新国技館では87年の初場所まで7連覇を成し遂げた。これと前後して、幕内力士の大型化が著しかった。小錦、大乃国、北尾(のちの横綱・双羽黒)らの台頭で幕内平均体重は150キロ台に突入、そのなかにあって千代の富士は体重120キロ台(身長は183センチメートル)の小兵ながらトップに君臨し続ける。

それでもけがをしなくなったわけではない。横綱在位59場所中、休場は11回(うち全休は6回)におよぶ。だが、先述の「涙の優勝」以来、「休場後の千代の富士は強い」というジンクスが生まれていた。事実、休場明けの優勝は6回を数える。医者と相談して正しい治療をしながらも、横綱としての責任感から、多少痛くても稽古を続けた賜物だろう。冒頭にあげた53連勝のスタートも、1988年春場所を全休したあとだった。

●一代年寄という名誉を辞退して部屋を継ぐ

平成と改元された1989年は、千代の富士にとって波瀾の1年となる。春場所では優勝したものの、けがのため千秋楽は不戦敗を喫した。このとき2月に生まれたばかりの三女を抱きながら賜杯とともに記念写真を撮っている。続く5月の夏場所は全休。悲劇はその翌月、次の場所で復帰するべく懸命にトレーニングを続けるさなかに起こった。三女が生後3カ月あまりにして乳幼児突然死症候群で急死したのだ。知らせを聞いた九重親方が駆けつけると、千代の富士は声をあげて泣いていたという。葬儀を終えてからもなかなか立ち直れず、稽古場で弟弟子の横綱・ 北勝海 ( ほくとうみ ) (現・八角親方)と稽古していても、大したことのない外掛けを食らっただけで尻からストンと落ちるありさまだった(『文藝春秋』1989年12月号)。

次の名古屋場所は、調整がままならないうちに初日が来た。このとき、千代の富士は東京後援会の寺の住職から贈られた数珠を首にかけて場所入りする。ふたを開けてみれば、千秋楽まで12勝3敗で北勝海と並び、初の同部屋横綱による同点決勝となった。ここ一番で勝負強さを見せてきた千代の富士は、この決定戦も制する。ちなみに引退までに経験した優勝決定戦は、このときも含め6戦全勝だった。

9月の秋場所の12日目の 巨砲 ( おおづつ ) 戦で、目標としていた大潮の通算勝利数を抜く965勝を達成した。これにより国民栄誉賞が贈られる。前人未到の1000勝は、翌90年の春場所7日目、花ノ国戦で達成する。同場所では優勝できなかったものの、11月場所で優勝回数は31回におよんだ。しかし、このときすでに千代の富士の体はボロボロだった。1000勝を前にした89年末、九重親方は大鵬の残した優勝32回を上回ってほしいと願いつつも、体を慮って「もういいよ、十分やったよ」と言ってやりたいと真情を吐露している(『文藝春秋』1989年12月号)。

千代の富士が引退を発表したのは1991年の夏場所、3日目(5月14日)に貴闘力に敗れてからだった。初日には貴花田(のちの横綱・貴乃花)に敗れているが、引退の覚悟を決めたのは2日目の板井戦に勝ったとき(通算1045勝目)だという。もし翌日負ければ初日から3日間で1勝2敗となる。だが、そんな場所は関脇昇進以来なかったとの思いから、実際に負けたのならやめようと決意したのだ。

板井に勝って帰宅した千代の富士は、「いやあ、体が痛い、痛い」と口にする。ダジャレのつもりだったのかもしれないが、夫人からは「いつもそんなこと言わないのに、痛いって言うんだから、そうとうガタが来てるんじゃない」と心配されたという(『文藝春秋』1991年7月号)。事実、そうだった。引退会見で「体力の限界! 気力もなくなり、引退することになりました」と語ったとおり、現役末期の千代の富士からは、最後の目標だったはずの大鵬の優勝記録を破る気力ももはや失われていた。

引退とともに年寄・陣幕を襲名した彼は、翌92年、九重親方が50歳になったのを機に部屋を譲られる。じつは国民栄誉賞決定時、相撲協会からは一代年寄の打診を受け、自分の部屋を興す選択肢も用意されていた。しかし彼はそれを身に余る光栄と感じつつも、けっきょく辞退し、同郷の恩人である千代の山の興した九重部屋を継承する道を選んだのだ。以後は九重親方として、大関・千代大海(現・九重親方)をはじめ力士たちの育成に尽力する。

一方で相撲協会ではナンバー2の事業部長を2012年より務め、北の湖のあとの理事長候補の呼び声も高かったが、2014年の理事候補選に落選、平委員に格下げの憂き目にあう。翌15年11月に北の湖理事長が急逝したあと、その後任に就いたのは弟弟子である元北勝海の八角親方だった。この間、千代の富士は国技館で還暦土俵入り(2015年5月31日)を行なうも、直後の名古屋場所を病気で全休、やがて病名が膵臓がんと公表される。

手術をして一度は全快を宣言したものの、2016年に入ってがんの胃や肺などへの転移が発覚。各場所には監察委員として出続けたが、この年の名古屋場所4日目(7月13日)、「きついなあ、きついよ」と、引退直前と同様に珍しく弱音を吐いたのを最後に翌日から休場する。亡くなったのは同場所の千秋楽から1週間後のことだった。

現役時代、けがに泣かされて何度も休場した千代の富士だが、いつしか休場中は治療だけでなく充電のための貴重な期間となっていた。引退する3年ほど前から、休場中にはやれる範囲で稽古をする一方で、陶芸に凝っていたという。

《焦りや「もう俺はだめなんじゃないかな」というような不安など感じる暇もないくらいに陶器づくりに没頭するんだ。それができたことが、精神的に次のがんばりにつながったような気がする》(『文藝春秋』1991年7月号)

このほか、絵画や書にも親しみ、《いいものを見ていると、心が洗われるようで気持ちが大きくなり、視野が広がってくる気がする》とも語っていた(前掲『負けてたまるか』)。亡くなる直前に刊行された『月刊美術』2016年8月号では、かねてより親交のあった画家の瀧下和之と対談しており、これがおそらく生前最後のメディア出演と思われる。同号の表紙を飾った「大相撲力士図」は、瀧下の描く赤鬼を気に入った千代の富士が、これに綱をつけてほしいとリクエストして描かれたものだという。鋭い目つきで四股を踏む赤鬼は、やはり現役時代の千代の富士の姿と重なる。昭和最後の大横綱は、それを見て心をなごませながら、いずれ病気に打ち克ち、復活することを期していたのかもしれない。

●参考文献
千代の富士貢『私はかく闘った 横綱 千代の富士』(向坂松彦との共著、日本放送出版協会、1991年)、「独占 「あとは頼むぞ 貴花田」」(『文藝春秋』1991年7月号)、『負けてたまるか』(陣幕貢名義、東京新聞出版局、1991年)、『不撓不屈』(日之出出版、1992年)、『ウルフと呼ばれた男』(九重貢名義、読売新聞社、1993年)、『綱の力』(九重貢名義、ベースボール・マガジン社、2011年)
石井代蔵「千代の富士 「ウルフ」が歩む大横綱への道」(『プレジデント』1989年12月号)、『千代の富士一代』(文春文庫、1991年)
岩本晢『一流の瞬間 星野仙一・落合博満・千代の富士』(エフエー出版、1993年)
鎌田忠良「千代の富士は双葉山を超えられるか」(『潮』1990年4月号)
九重勝昭「国民栄誉賞・千代の富士が月に吠えてた頃」(『文藝春秋』1989年12月号)
佐竹義惇「新入幕力士物語 千代の富士貢の巻」1~6(『相撲』1991年10月号~1992年3月号)
杉山桂四郎「千代の富士 貴ノ花を人気で抜いたウルフ」(『現代』1981年2月号)
高橋紘編著『昭和天皇発言録 大正9年~昭和64年の真実』(小学館、1989年)
藤竹暁「大衆現象の神話学15 「ヒーロー待望の社会的気分」 初場所にみる千代の富士報道」(『月刊アドバタイジング』1981年3月号)
「個性NOW 千代の富士貢 第五十八代横綱」(『WILL』1989年2月号)
「すい臓がんで13キロ体重が落ちた「九重親方」が明かさない心労」(『週刊新潮』2015年9月24日号)
『月刊DVDマガジン 大相撲名力士風雲録 第2号 千代の富士』(ベースボール・マガジン社、2016年)
「対談 九重親方VS瀧下和之 技に生きる男が語る力強さと美しさ」(『月刊美術』2016年8月号)
『千代の富士貢 追悼号』(『スポーツマガジン』2016年9月号)


元横綱千代の富士さんへの叙位と叙勲が閣議決定
日刊スポーツ 8月26日(金)16時57分配信

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元横綱千代の富士さん(写真は1989年1月18日)

 日本相撲協会は26日、24日の閣議で元横綱千代の富士の秋元貢さん(享年61)への叙位(従四位)と叙勲(旭日中綬章)が決まったと発表した。

 夫人の秋元久美子さんは「このたびは叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメントした。


故千代の富士に叙勲
時事通信 8月26日(金)16時27分配信

 日本相撲協会は26日、7月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の秋元貢さんに対し、24日の閣議で叙位(従四位)と叙勲(旭日中綬章)が決定したと発表した。

 遺族を代表し、夫人の久美子さんは「このたびは叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」との談話を発表した。


故千代の富士に叙勲 夫人も「大変光栄」
デイリースポーツ 8月26日(金)15時27分配信

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亡くなった元横綱千代の富士の秋元貢さん

 日本相撲協会は26日、7月31日に死去した元横綱千代の富士の秋元貢さん(享年61)に対し、24日の閣議で叙位と叙勲が決定したと発表した。叙位は従四位、叙勲は旭日中綬章。遺族を代表し、夫人の秋元久美子さんは「この度は叙勲を賜り、大変光栄に存じます。国民の方々に支えていただいたおかげと、深く感謝いたします」とコメントを発表した。


引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは
スポニチアネックス 8月22日(月)11時16分配信

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1990年1月、初場所で30回目の優勝を決め、Vサインの千代の富士

 昭和から平成にかけての相撲界を引っ張った大横綱・千代の富士。91年夏場所の引退から25年以上が経過し、当時1位だった通算勝利1045勝は魁皇(1047勝)に抜かれ、優勝31回も白鵬(37回)が突破し、大鵬(32回)に次ぐ3番目となった。そんな中、いまだに抜かれていない記録がある。30歳を過ぎてからの優勝19回だ。

 千代の富士は25歳だった81年初場所で初優勝。20代で12度の優勝を飾った。30代になるとペースは上がり、35歳で引退となった91年夏場所までの36場所で19度の優勝を成し遂げた。2場所に1回以上、賜杯を抱いていた計算になる。現役の白鵬は30歳以降の9場所で4度優勝しているが、それを上回る優勝率だ。31歳になる直前で引退した大鵬は、30代での優勝は1回にとどまっている。

 全盛時でも120キロしかなかった小さな体で、引退直前まで衰え知らずで土俵に上がり続けた。脱臼癖を治すためにトレーニングを続けて手にした鋼のような「体」、前まわしを引いてすぐに出る速攻などの「技」があったからこそ優勝回数が伸びていったのだが、千代の富士は「心」も凄かった。もともと負けん気の強さを前面に出して闘うタイプだったが、それは年を重ねるごとに強くなっていった。30代になってから連敗したのは、小錦、益荒男、大乃国、安芸乃島の4人だけ。ここ一番で抜群の集中力を発揮し、多くの力士を返り討ちにした。

 その負けん気の強さは、引退後も続いた。プロ野球・前巨人監督の原辰徳氏はこう振り返る。「ゴルフは私の方がやや上手だったが、私のことを上手とは言わず、強気な弁の中で小さなボールを追いかけていた」と。昭和30年会の仲間だったボクシングの元WBAライトフライ級王者・具志堅用高氏も「勝負師で負けず嫌いだった」と話している。どんな時でも、人前で弱さを見せることのない人だった。

 心技体の全てが強い人だから、病魔にも打ち勝ってくれると思っていた。61歳での死は、あまりにも早すぎる。(佐藤 博之)


秋元梢 父の偉大さあらためて実感「寂しいのとうれしいのと…」
スポニチアネックス 8月21日(日)13時3分配信

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モデルの秋元梢

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士=本名・秋元貢さん=の次女でモデルの秋元梢(29)が21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。「凄い人だったと実感する時間になっている」と父の偉大さをかみしめた。

 7日の告別式までは「こんなに忙しい時間があるのかって思うぐらい」と時間が慌ただしく過ぎて行ったことを伝え、現在は「落ち着いていますね」と報告した。

 相撲の歴史に輝く「昭和の大横綱」。秋元は父の現役時代は「見ていない」というが、「いろいろな人が家に来てくれて、お話ししてくれたことで、本当に凄い人だったなと実感する時間になっている」とし、亡くなったことであらためてその実績について語られることに「寂しいのとうれしいのと、複雑な感じ」と話した。

 千代の富士さんについては、この日共演したタレントのピーコ(71)が「かっこいい力士だった。偉かったのは、引退したら体がプクプクになることが多いけど、そうはならなかった」と述懐。また元参議院議員でプロレスラーの大仁田厚(58)は若手時代のエピソードとして「横綱は脱臼癖をウエートトレでカバーしていたが、それに僕らは感動していた」と振り返っていた。


秋元梢、父親のすごさ実感「寂しいのとうれしいのと」
日刊スポーツ 8月21日(日)11時37分配信

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秋元梢(写真は2013年3月23日)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった、元横綱千代の富士の先代九重親方の次女でモデルの秋元梢(29)が、現在の心境を明かした。

 秋元は21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」で、「告別式が終わるまではこんなに忙しい時間があるのかという感じでしたが、今は落ち着いています」と近況を報告した。告別式を終えてとりあえず一段落した現在について「自分は(父親の)現役時代を全然見ていない、時代が合わなかったんですが、いろんな人が家に来てお話ししてくれることで、本当にすごい人だったんだなと改めて実感したりする時間になっています」と語り、「寂しいのとうれしいのと、複雑な感じ」とほほ笑んだ。


秋元梢、父・千代の富士さんの偉大さ改めて実感「本当にすごい人だった」
スポーツ報知 8月21日(日)10時50分配信

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秋元梢

 すい臓がんのため、7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ=享年61)の次女でモデルの秋元梢(29)が、21日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日・前10時)に出演し、父の偉大さを改めて実感していると語った。

 秋元は、告別式が終わるまではこんなに忙しい時間があるのかというくらい忙しかったというが、「今は落ち着いています」とコメント。「(父親の)現役時代を見たことなかったけど、いろいろな人が家に来てくれて、お話ししてくれることで、本当にすごい人だったというのを改めて実感する時間になっている」と父の偉大さを改めて知ったといい、「寂しいのと嬉しいのと複雑な感じです」と笑顔を見せた。

 共演のダウンタウン・松本人志(52)が「秋元さんが結婚してお父さんみたいな(赤ちゃんを)産むんですよ。満月の夜、夜泣きひどいんだろうな」と千代の富士さんの愛称・ウルフにかけて笑わせていた。


故九重親方の葬儀が緊迫 「協会の人間の席も花もない!」
NEWS ポストセブン 8月21日(日)7時0分配信

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昭和の大横綱の葬儀で異様な光景が

 7月31日に膵臓がんで死去した先代・九重親方(元横綱・千代の富士)の後援会関係者は、その葬儀で「やはり親方と相撲協会との緊張関係は深刻なものだったのだ」と改めて感じさせられたと語る。

 東京・墨田区の九重部屋で行なわれた通夜(8月6日)には2000人、告別式(翌7日)にも1000人が参列した。

「相撲協会からは八角理事長(元横綱・北勝海)のほか、二所ノ関親方(元大関・若嶋津)ら協会理事や関係者も参列したのですが、座る席が設けられたのは八角理事長だけ。他の理事たちは立ったままでした。

 弔辞も理事長ではなく後援会の副会長が読んだ。土俵のある稽古場に祭壇が設けられ、周囲に数えきれないほどの献花が並んでいたが、そこも部屋の後援会関係者や友人の名前ばかり。聞けば、夫人が協会関係者からの献花はすべて断わったそうです。唯一、飾られていた相撲協会名での献花も一度は断わったと聞きます」(同前)

 昭和の大横綱の葬儀でみられた異様な光景。背景には、先代・九重親方が協会に冷や飯を食わされてきたという事情がある。

「2014年の理事選で落選した後には、協会の主流派から異例の“ヒラ委員への三階級降格”という仕打ちを受けた。ご遺族には相当な無念があったのでしょう」(同前)

 高砂一門の親方の一人は九重部屋を継いだ元・千代大海が、そうした先代の無念を晴らすべく動き出すとみる。

「もともと『九重部屋』には複雑な人間関係がある。先々代の九重親方(元横綱・北の富士)と先代の間では、部屋の土地・建物の継承などを巡る諍いがあり、結局、先々代は八角親方に土地・建物を譲り、八角部屋を立ち上げさせた。以来、『先々代&八角vs先代』という対立構図が続いてきた。

 千代大海はそうした構図の中で先代が苦汁をなめさせられたことをよくわかっている。今後は八角親方と理事長の座を争った貴乃花親方のグループに入り、反八角派として協会理事の席を目指していくようです」

 ウルフの無念を愛弟子が晴らすか。

※週刊ポスト2016年9月2日号


千代の富士が通った常連店の店主が語る"ウルフ"の素顔「応援してやるから頑張れや」
週刊女性PRIME 8月9日(火)11時6分配信

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'81年7月、横綱昇進がかかったこの年の夏場所見事優勝して横綱に

 元横綱千代の富士の九重親方が7月31日、61歳で急死し、角界に衝撃が走った─。

「突然のことでした。昨年5月末の還暦土俵入り披露後、すい臓がんが見つかりました。手術は成功し、回復しているように見えましたが、最近になって胃や肺への転移が見つかり、7月13日から入院していました」(スポーツ紙記者)

 現役時代は、"ウルフ"の愛称で慕われ、31回の優勝(歴代3位)を誇り、角界初の国民栄誉賞を受賞。"小さな大横綱"と称されるも、5年生存率2割未満と言われるすい臓がんに屈した。

 遺体の眠る九重部屋が涙に暮れる中、親方がこよなく通った東京・錦糸町『とり喜』の主人、酒井康人さんの目からも、涙がこぼれる。

「今日は(焼き鳥を)焼いていて、ずっと涙が止まりませんでした。店をオープンして15年になりますが、親方には14年前から贔屓にしていただいてます。

 最初はおかみさんが友人たちといらしていて。もちろん親方の奥さんだとは知りませんでした。あるとき、おかみさんが親方を連れてこられたんです。忘れもしないクリスマスイブの日でした。お店に入ってこられたときに、"わっ、千代の富士だ! "とびっくりしたものです」

 彼の腕にはさりげなく喪章がつけられている。

「うちが7年前から連続してミシュランの星を獲得するようになると、なかなか(気軽に)立ち寄っていただくことも叶わず、申し訳ないと思っていました。

 今年の初め、私が1人で仕込みをしているときに、それこそふらっとお店に来てくださったんです。"プレゼントだ"と言って、還暦の土俵入りを描いた絵を持ってきてくれました」

 土俵に上がれば眼光鋭い九重親方も、酒井さんの前ではいつも穏やかな眼差しだったという。その振る舞いは誰とつるむこともなく、愚痴ひとつ言わず、まさに"昭和の男"で、カッコよかったそうだ。

 常連店のひとつで、週に1度は通っていたと報じられた、東京・浅草のふぐ、スッポン料理店『つち田』。ここでも、主人の土田裕さんとの男同士の付き合いがあった。

「親方が最初に店に来たのは10年くらい前です。最初は後援会の方と一緒に来られたのですが、週1でスッポンを食べに来るようになったのは、それから1年くらいしてからでした」

 それはこんな理由があったからだった。’07年6月、土田さんは父を亡くし、店を継ぐ。

「翌月に親方が来られたときに、父が亡くなったことを報告すると、"そうか、応援してやるから頑張れや"と。

 それからは、言葉どおり毎週のようにご自分で予約されて来られるようになったんです。私を応援するためにと、いろいろな方を連れて店に来ていただきました。もちろん、ご家族と仲よく一緒のときも」

 現役時代は"土俵の鬼"と恐れられた親方だったが、土俵を離れると"鬼"や"狼"のイメージとはかけ離れた優しい姿を見せていたのだった。

 そして、彼に対し、酒井さんも土田さんも抱いている気持ちは同じだった。

「感謝の気持ちでいっぱいです」


九重親方 「協会葬」ではなく「お別れの会」となった内幕
NEWS ポストセブン 8月9日(火)7時0分配信

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「お別れの会」となった理由は

 九重親方(元横綱・千代の富士)が7月31日、膵臓がんで亡くなった。享年61。幕内通算31回の優勝(歴代3位)を誇り、角界で唯一、国民栄誉賞を受賞した経歴を持ちながら、実は、その晩年を「無念だったろう」と評す相撲協会関係者は少なくない。協会内で一体、何が起きていたのか。

 亡くなった直後、一般のファンも参加できる「お別れの会」が、10月1日に両国国技館で開催されると報じられた。関係者の間でまず注目されたのは、報じられたのが「お別れの会」であり、「協会葬」ではなかったことだ。

 昨年11月に急逝した北の湖・前理事長や2005年に亡くなった二子山親方(元大関・貴ノ花)の際は、協会葬が執り行なわれている。

「協会葬は、協会への功労者である理事経験者もしくは横綱が亡くなった際に行なわれる。大鵬さんが2013年に亡くなった時は協会を退職していたので行なわれていないが、九重親方は元横綱で理事経験者、しかも現役の親方。功労者であることも疑いようがない。それなのに協会葬にならない。

 そうした協会の処遇・対応に親方のご遺族は不満があり、『お別れの会』への参加辞退の返事があったと聞きます。加えて背景には協会が九重親方をこの2年半あまり、酷く冷遇してきたことへの反発もあるでしょう。そのため最終的に協会ではなく後援会が主催し、それも国技館のエントランスでの『お別れの会』となりました」(協会関係者)

 九重親方は2014年まで、北の湖理事長体制の下で協会の理事を務め、しかもナンバー2の「事業部長」という要職にあった。ところが2014年1月の協会理事選を境に、状況は暗転する。

「九重親方を次期理事長とみる向きもあるなかで、理事選でまさかの落選。しかも、理事経験者は退任後も『役員待遇委員』という役職に就くのが慣例ですが、ただの“ヒラ”の委員(監察委員)に落とされた。理事、副理事、役員待遇を飛び越えた異例の『3階級降格』だった」(親方の一人)

 この異例の転落人事の裏では、熾烈な権力闘争があったとされている。

 2014年1月の理事選では定員10人に対し、11人が立候補。全親方97人の投票が行なわれた。九重親方は5票しか集められず、その前の理事選(2012年)で落選した友綱親方(元関脇・魁輝)の後塵を拝した。

 この選挙戦の最中に、「“九重親方が、北の湖理事長の追い落としを画策している”という情報が流されていた」と証言するのは、九重部屋と同じ高砂一門のある親方だ。

「実際はそんな画策なんてしていないのに、“ある人物”によってニセの情報が当時の北の湖理事長に吹き込まれたといわれています。その情報に危機感を持った理事長は、自身の出羽海一門を動かして友綱親方に票を回した」

 ここで指摘されている“ある人物”とは相撲協会の元顧問・K氏を指す。このK氏は、現役力士のキャラを使ったパチンコの新台を製作するライセンス契約を巡って、2012年にメーカー関係者から裏金を受け取った人物で、その現場動画を本誌がスクープした(2014年1月24日号)。K氏と九重親方の間には、本誌スクープ以前から緊張関係があったという。

「九重親方が事業部長だった時に、国技館の大改修工事が計画され、親方は工事業者の選定を進めていた。この選定を巡って対立したのが、当時、北の湖理事長の“懐刀”と称されていたK氏だった。理事長を後ろ盾に協会の事務を一手に取り仕切っていたK氏のやり方を見て、“このままでは協会が食い物にされる”と危機感を募らせたのが九重親方でした」(同前)

 そうした中で、前述のパチンコ裏金問題が浮上する。

「K氏はパチンコのライセンス契約の話を、九重親方に知られないように進めていたが、そこに裏金の話が発覚した。九重親方はこれをきっかけにK氏の責任を追及しようと動いたのです」(別の協会関係者)

 ところが、北の湖体制下ではK氏が裏金を返したということをもって“お咎めなし”となったのである(メーカー関係者は返還を否定)。

「裏金問題にメスを入れようとした九重親方がそれに失敗し、逆に理事選でK氏側が北の湖理事長を動かして落選に追い込まれた格好です」(同前)

 その後の、ナンバー2の事業部長からヒラの委員に降ろされる人事についても、「落ちた理事を役員待遇に残すかは理事長の判断。北の湖体制に刃向かったということで、“ヒラ”として徹底的に冷や飯を食わされたかたち」(相撲担当記者)とされている。

※週刊ポスト2016年8月19・26日号


告別式に約1000人参列 原辰徳氏「千代の富士は大ヒーロー」
東スポWeb 8月8日(月)17時0分配信

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九重親方の棺を乗せて出発した霊きゅう車

 元横綱千代の富士の故秋元貢氏(享年61)の告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(53=元横綱北勝海)をはじめ、プロ野球巨人前監督の原辰徳氏(58)、日本レスリング協会の栄和人強化本部長(56)、演歌歌手の細川たかし(66)ら約1000人が参列した。

 原氏は「我々の世代にとっては大ヒーロー。1か月くらい前にお会いしたのが最後。やせていたので心配していた。ショックです」と沈痛な面持ち。栄氏は「病気だと知っていたが、こんなに早く亡くなると思わなかった」と突然の別れを惜しんだ。

 栄氏によると、秋元氏は7月2日に東京都内で開かれた吉田沙保里(33)の壮行会に出席する予定を直前にキャンセル。代わりにビデオで吉田にエールを送ってくれたという。栄氏は「吉田には『(秋元氏を元気づけるために)五輪で絶対に金メダルを取ってみせような』と話していた。金メダルを取ることが彼女の役割」と五輪本番での活躍を誓った。

 秋元氏のひつぎは部屋を継いだ九重親方(40=元大関千代大海)や幕内千代鳳(23)ら愛弟子たちの手によって霊きゅう車へと運ばれた。出発の際には周囲から「千代の富士、日本一!」「ありがとう!!」などと次々と声が飛んだ。


千代の富士夫人「長生きすると約束したのに…」
日刊スポーツ 8月8日(月)10時27分配信

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告別式を終え部屋を出る、右から久美子夫人、遺影を持つ長男の剛さん、次女の梢

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで急逝した元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。ひつぎには生前に大好きだったというカトレアの花が添えられた。巨人の原前監督ら別れを惜しむ約1000人の参列者を前に「ありがとう! 千代の富士」「日本一!」の声が飛んだ。

 約束を守る人。レスリング日本代表栄チームリーダーは「7月2日の吉田沙保里の壮行会で、本当は肩車してもらって入場する予定だった。できなくてもビデオレターをくれた。直前に気力を振り絞ってくれた」と感謝した。30年来の付き合いのサッカー釜本氏は「昔、風邪で食事を断ろうとしたら『スッポン料理をつくる』と振る舞ってくれた」と懐かしんだ。

 だが、最後に破った。久美子夫人と結婚直前、義父に同い年の朝潮(現高砂親方)より長生きできるかと問われた。夫人は「長生きしますと約束したのに」と泣いた。後援会の丸山正修副会長が弔辞で明かした。

 最後、両国国技館に立ち寄った霊きゅう車。遺骨は東京・谷中の玉林寺に納められる。89年6月に早世した三女愛ちゃんもそこにいる。27年ぶりに再会する。

 ◆主な参列者(敬称略)

 【日本相撲協会】八角理事長、二所ノ関親方、山響親方、藤島親方、友綱親方、阿武松親方、錣山親方

 【その他著名人】山本寛斎(ファッションデザイナー)松山千春、細川たかし(以上歌手)釜本邦茂(元サッカー日本代表)原辰徳(プロ野球巨人前監督)栄和人(レスリング日本代表チームリーダー)


新・九重親方「師匠の相撲道を一生守る」棺に大好きだったカトレア
スポニチアネックス 8月8日(月)7時1分配信

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九重親方(左)の挨拶する隣りで涙をこらえる(右から)長女・優さん、次女・梢さん、長男・剛さん
 ◇元横綱・千代の富士、先代九重親方 葬儀・告別式(2016年8月7日 東京都墨田区 九重部屋)

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士の先代九重親方=秋元貢さん=(享年61)の葬儀・告別式が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、角界関係者ら約1000人が参列した。棺には親方が大好きだったカトレアの花が添えられ、最後は新師匠の九重親方(元大関・千代大海)が「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、一生忘れずにこれからも守っていきます」とあいさつ。「千代の富士、日本一!」などと声が掛かった中で部屋を出発した霊きゅう車は両国国技館に立ち寄り、慣れ親しんだ思い出の地に別れを告げた。

 参列者の中にはリオ五輪を直前に控えたレスリング女子日本代表の栄和人監督の姿も。53キロ級で五輪4連覇を狙う吉田沙保里も故人と親交が深く、先月2日の壮行会の際にもビデオメッセージで激励してくれた。10日に吉田らとともにリオへと出発する栄監督は「本当は吉田選手も今日来たかったが、調整してしっかり金メダルを獲ることの方が親方は喜ぶ」と愛弟子の思いを代弁していた。

 ▼主な参列者 釜本邦茂、栄和人、原辰徳、細川たかし、山本寛斎、八角理事長、出羽海親方、山響親方、藤島親方、友綱親方、阿武松親方、錣山親方、錦戸親方、振分親方(敬称略)


秋元梢、ラジオで「最後のゲストはパパがいいなって言っていた」
サンケイスポーツ 8月8日(月)7時0分配信

 先月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方の次女でモデル、秋元梢(29)が7日、パーソナリティーを務めるJ-WAVE「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜前11・40)に出演。8月3日に収録されたもので「番組の最後のゲストはパパがいいなって言っていたので。それもかなわぬことになってしまいました」と無念そうだった。


巨人前監督・原氏、千代の富士さん告別式で思い出語った「我々の世代では大ヒーロー」
スポーツ報知 8月8日(月)6時14分配信

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両国国技館前で止まって別れを告げる故・九重親方のひつぎを乗せた霊きゅう車

 すい臓がんで7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が東京・墨田区の九重部屋で営まれ、プロ野球巨人前監督・原辰徳氏や日本相撲協会関係者ら約1000人が参列した。

 原前監督は「我々の世代では大ヒーロー。ゴルフをし、酒を酌み交わしたこともあった。1か月前に出版社のパーティーで会い、お痩せになったと心配していた」と突然の別れを惜しんだ。ゴルフの腕前は原前監督の方がやや上だそうだが「(先代九重親方は)決して褒めてくれなかった。2人で小さなボールを追いかけました」と故人の強気な性格の一端を明かした。

 葬儀では、部屋を継ぐ九重親方(元大関・千代大海)と関取衆がひつぎを霊きゅう車に収めると、見送りのファンが「千代の富士、日本一!」「大横綱!」と絶叫。霊きゅう車が両国国技館前に立ち寄り、約5秒間停車してクラクションを鳴らすと、そこでも約200人のファンが「ありがとう」と口々に叫んだ。

 1989年9月に角界初の国民栄誉賞を授与した海部俊樹元首相や阪神・掛布雅之2軍監督らから弔電も寄せられた。ひつぎには故人が生前好きだったというカトレアの花が添えられ、長男の剛氏が「父が残した輝かしい功績を汚すことなくいつまでも皆様の記憶に残り続けるよう、後世大切に語り継いでいきたいと思います」と遺族を代表してあいさつした。10月1日には両国国技館で「お別れの会」が開かれる。(網野 大一郎)


千代の富士に「日本一!」「ありがとう!」出棺時に惜別のかけ声
デイリースポーツ 8月8日(月)6時3分配信

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 参列者にあいさつをする新九重親方(中央左)。遺影を持つ秋元剛さん(同右)と梢(右から2人目)

 大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で死去した先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)やプロ野球巨人の原辰徳前監督、歌手の細川たかしら約1000人が、優勝31度を誇り「ウルフ」の愛称で親しまれた大横綱との最後の別れを惜しんだ。戒名は家族の名前が入り「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士」。

 献花では棺に故人が好んでいたカトレアの花が添えられた。今はシーズンではないが、全国から集められた。原前監督は「われわれの世代の英雄というか大ヒーロー。非常に強気な方でした。偉業は未来永劫、引き継がれる」。同じ北海道出身の細川も「付き合いは35年になる。還暦土俵入り後の宴会で5、6曲歌わせていただいて、すごく盛り上がった。あの土俵入りは完ぺきだった。あまりにも早い。同じ北海道人として残念」と目頭を押さえた。

 棺は千代丸、千代の国、千代大龍ら愛弟子の手で霊きゅう車に乗せられた。出棺時には会葬者から「千代の富士、日本一!」「ありがとう!」などの声が飛んだ。霊きゅう車は両国国技館に立ち寄り、不世出の大横綱は、最後は栄光と思い出が詰まった地から天国へ旅立った。10月1日には国技館で「お別れの会」が開かれる。


千代の富士の告別式に1千人…秋にお別れの会
読売新聞 8月7日(日)22時19分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため、61歳で7月31日に死去した大相撲の前九重親方(元横綱千代の富士、本名・秋元貢)の告別式が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、約1000人が別れを告げた。

 プロ野球・巨人の原辰徳前監督、日本レスリング協会の栄和人・強化本部長らも参列した。58歳の原前監督は、「我々の時代の大ヒーロー。快方に向かっていると信じていたのでショックだ」と、早すぎる死を悼んだ。部屋を継承した九重親方(元大関千代大海)は出棺に際し、「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、守っていきます」などとあいさつ。ひつぎを乗せた車は両国国技館に立ち寄り、斎場に向かった。

 また、10月1日午後1時から両国国技館で「お別れの会」が開かれ、一般のファンも参列できる。


葬送 元横綱千代の富士 先代九重親方の秋元貢氏(7日、東京都墨田区の九重部屋)
産経新聞 8月7日(日)20時29分配信

 「千代の富士、日本一」「ウルフありがとう」-。出棺の際、一時代を築いた「小さな大横綱」との別れを惜しむように、親族や部屋関係者、ファンが何重にも囲み、すすり泣きながら感謝の言葉を送った。

 7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれた葬儀・告別式には約1千人が参列。前日の通夜と合わせ、縁の深い人々が多く足を運んだ。しかし、がんの転移が発覚した今年に入ってから対面した人はそう多くなかった。横綱として誰よりも強くあることを追求してきた男は、衰えていく姿を見せたくなかったのだろう。

 元大関武双山の藤島親方(44)は「千代の富士関は強かったり、怖かったりするのが当たり前。『大丈夫ですか?』と声をかけられるのも嫌がったと思う」と心境を察した。

 史上3位の優勝31度や同2位の通算1045勝など数々の記録を残した。何より大相撲を国民へ親しませた功労者と言える。

 年寄「九重」を襲名、部屋を継承した弟子の元大関千代大海(40)は「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付けて守っていきます」と決意表明した。

 7月31日、膵臓(すいぞう)がんのため死去。61歳。(藤原翔)


元大関千代大海「見守って」九重親方葬儀あいさつ
日刊スポーツ 8月7日(日)19時44分配信

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先代九重親方の告別式であいさつする長男の剛さん(左)。右は久美子夫人、遺影を持つ九重親方、次女の梢さん、長女の優さん(撮影・小沢裕)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀・告別式が7日、東京・墨田区の九重部屋でしめやかに営まれた。約1000人の参列者が別れを惜しみ、その後には一般のファンも焼香を行った。

 部屋を継承した九重親方(元大関千代大海)は「あまりに突然のお別れとなり、悲しくて、悔しくて仕方ありません。平成4年11月、私が初めて九重部屋を訪ねた日、師匠の圧倒的なオーラ、鋭い眼光を目の当たりにし『この人の下なら頑張っていける』と思ったことを今でも鮮明に覚えています。あの日から24年、私をここまで育ててくださり、心から感謝しております。師匠から教わった相撲道を、我々弟子たちが体全体にあらためて焼き付け、一生忘れることなく守っていきます。これからもずっと、天から見守っていて下さい。師匠、本当にありがとうございました」とあいさつした。

 遺族を代表して長男の剛さん(30)は「突然の父の訃報に、皆様を驚かせてしまったことを深くおわび申し上げます。昨年の還暦土俵入りの後の検査で膵臓(すいぞう)がんが見つかり、手術をいたしました。術後の経過は良好だったのですが、今年の1月末に転移が見つかり、治療に専念しておりましたが、7月の大相撲名古屋場所の途中で体調を崩し、7月31日、東京の病院にて家族全員が見守る中、静かに息を引き取りました」と経緯を明かした。

 そして「父の死後、たくさんの方が弔問にいらしてくださいました。父がたくさんの人から愛され、偉大な存在だったことをあらためて感じさせる日々でした。今後は父が残した輝かしい功績を汚すことなく、いつまでも皆様の記憶に残り続けるよう、後世大切に、語り継いでいきたいと思います。あまりに急すぎて、私どももまだ信じられない気持ちでいっぱいですが、父が見守っていることを信じて、残された家族で力を合わせて、頑張っていく所存でございます」と話した。


<先代九重親方>葬儀に1000人 両国国技館に別れ告げ
毎日新聞 8月7日(日)18時47分配信

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先代の告別式を終え、出棺前にあいさつする九重親方(元千代大海)=東京都墨田区で2016年8月7日午後1時48分(代表撮影)

 先月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった大相撲の元横綱・千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の葬儀が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)ら協会関係者のほか、親交のあったプロ野球・巨人前監督の原辰徳さんや歌手の細川たかしさん、リオデジャネイロ五輪に出発前の栄和人・日本レスリング協会強化本部長ら約1000人が参列した。

 式の最後に、部屋を継いだ九重親方(元大関・千代大海)が「師匠から教わった相撲道を体全体に焼き付け、一生忘れずに守っていきます」とあいさつ。出棺の際には部屋の周囲に駆けつけたファンから「日本一!」「ウルフ!」など掛け声が上がった。ひつぎを乗せた車は東京・両国国技館に立ち寄り、かつて活躍した土俵に最後の別れを告げた。

 10月1日には、両国国技館でお別れの会が開かれる。【村社拓信】


ひつぎを運ぶ元千代大海ら
時事通信 8月7日(日)17時30分配信

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先代九重親方(元横綱千代の富士)のひつぎを運ぶ、九重親方(元大関千代大海・右から2人目)ら=7日午後、東京都墨田区(代表撮影)


秋元梢がFMラジオで父・千代の富士を悼む
サンケイスポーツ 8月7日(日)17時2分配信

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方の次女でモデル、秋元梢(29)が7日、パーソナリティーを務めるJ-WAVE「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜前11・40)に出演した。

 この日の放送は8月3日の収録で「最期は苦しむことなく、家族に看取られて亡くなりました」と報告。九重親方もこの番組が大好きだったようで「この番組にも来てほしいとずっと言っていて。番組は終わってほしくないけど、最後のゲストはパパがいいなって言っていた。それもかなわぬことになってしまいました」と声を詰まらせた。

 またエンディングでは「本当に後悔してからじゃ遅いなっていうことを、今回パパに教えてもらった。その時にしかできないことは絶対あるから、みんなは後悔しないように」と呼びかけた。


さらば、千代の富士=葬儀に1000人参列―大相撲
時事通信 8月7日(日)17時0分配信

 先月31日に61歳で死去した元横綱千代の富士の先代九重親方の葬儀が7日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら角界関係者や、プロ野球巨人の原辰徳前監督ら約1000人が参列した。

 58歳の原氏は「われわれ世代の英雄であり、大ヒーローだった」と故人をしのんだ。日本レスリング協会の栄和人強化本部長も弔問。指導する吉田沙保里を含め親交があったそうで、「吉田とリオデジャネイロ五輪では絶対に金を取って見せようと話していた」と残念がった。

 部屋を引き継いだ九重親方(元大関千代大海)は「師匠から教わった相撲道を守っていく。天から見守ってほしい」と決意を新たにしていた。

 先代九重親方のひつぎを乗せた車は、横綱として何度も優勝した両国国技館に立ち寄り、最後の別れを告げた。


「ありがとう!千代の富士」先代九重親方にかけ声
日刊スポーツ 8月7日(日)16時12分配信

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大勢の相撲ファンが待ち構えるなか両国国技館に最後のお別れをする先代九重親方の棺が乗った霊きゅう車(撮影・小沢裕)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳の若さで死去した、元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)の告別式が7日午後、東京・墨田区石原の九重部屋で、しめやかに営まれた。式には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら日本相撲協会関係者や、親交のあった著名人ら約1000人が参列し、故人の冥福を祈った。

 告別式終了後、故人を乗せた霊きゅう車や関係者を乗せたマイクロバスなどの関係車両は、都内の火葬場に向かう前に両国国技館を通った。国技館前には、霊きゅう車が通ることを知った熱心なファン約300人が、両側の歩道を埋め偉大な足跡を残した故人を見送った。

 霊きゅう車は国技館の正面玄関前に一時停止。お別れのクラクションが鳴らされ、位牌(いはい)を持って助手席に座っていた久美子夫人が、目頭を押さえながら頭を下げた。ファンからの「ありがとう! 千代の富士」「よっ、日本一!」などのかけ声を背に、車列は火葬場に向かった。


千代の富士さん葬儀、原辰徳氏ら1000人が弔う
デイリースポーツ 8月7日(日)15時28分配信

 大相撲の元横綱千代の富士で7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した先代九重親方(本名・秋元貢、享年61)の葬儀が7日、東京・墨田区の九重部屋で営まれた。

 葬儀には原辰徳・プロ野球前巨人監督、歌手の細川たかし、栄和人日本レスリング協会強化委員長ら著名人をはじめ、およそ1000人が故人を弔った。戒名は「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士」。

 原氏は「われわれの世代の英雄というか大ヒーロー。一緒にお酒を酌み交わしたこともあった。ついこの間、出版関係のパーティーでお会いしてお痩せになったと心配していました。それが最後になりました。今はご苦労様と言いたいです」と話した。

 同じ北海道出身の細川は「付き合いは長くて35年になる。還暦土俵入り後の宴会で5、6曲歌わせていただいて、すごく盛り上がった。あの土俵入りは完ぺきだった。あまりにも早い。お疲れ様でした」と神妙な表情だった。


千代の富士告別式…長男・秋元剛氏「多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」
スポーツ報知 8月7日(日)15時2分配信

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両国国技館前で止まって別れを告げる故九重親方の棺を乗せた霊柩車

 すい臓がんのため、7月31日に61歳で急死した大相撲の元横綱・千代の富士の先代・九重親方の葬儀・告別式が7日、自宅でもある東京・墨田区の九重部屋で営まれた。日本相撲協会関係者らが参列した。1989年9月、千代の富士に角界初の国民栄誉賞を贈呈した海部俊樹元首相らが弔電を寄せて、故人をしのんだ。

 午後2時の出棺前には長男の秋元剛氏が親族を代表してあいさつ。「突然の父の訃報に皆様を驚かせてしまったことを深くおわびします。多くの方にお見送り頂き、父も喜んでいると思います」と気丈に振る舞った。出棺後は横綱時代に何度も優勝を果たした両国国技館前を通過。約5秒間、クラクションを鳴らすと集まった約200人のファンが「千代の富士! ありがとう!」と声をあげて昭和の大横綱に別れを告げていた。


秋元梢、気丈に父の死去3日後に仕事…ラジオで言葉詰まらせ九重親方の思い出
デイリースポーツ 8月7日(日)12時27分配信

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通夜で父との思い出を話す次女・秋元梢=8月6日

 7月31日に逝去した大相撲の九重前親方の次女でタレントの秋元梢が7日、ナビゲーターを務めるFM局J-WAVEの「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(日曜、前11時40分)に出演した。

 秋元は冒頭で「実は7月31日、日曜日17時20分に父が膵がんのために亡くなりました。8月7日は告別式のため収録(放送)とさせていただきました。わがままを聞いていただきありがとうございます」とあいさつ。この日は予定を変更し、「時期が時期なので心許せる千原さんに来てもらいました」とゲストに親交のあるアートディレクターの千原徹也氏を迎えたことを伝えた。

 秋元は最初の曲が流れた後、「あらためて父について、先週(7月31日)生放送の後、最後は苦しむことなく息を引き取りました」と話すと涙が込み上げ、「ごめんなさい」とポツリ。言葉を詰まらせながらも「この番組にも来てほしかった。『パパはいつゲストに呼ばれるの』とか、親ばかなんで『お前は話がうまいな』と言ってくれました」と思い出を語った。

 涙がおさまりかけた後は、横綱千代の富士について、「私は現役時代の記憶がないので、映像とか他の人の話を聞いて、父がどんなに偉大だったのかをそこで知りました」と話し、今回の放送が8月3日に収録したことを明かしながら、「まだ3日ですが、たくさんの人が(弔問に)来てくれ、ほんとに愛されていたんだなと思いました。悲しいんだけど、温かい時間を過ごさせてもらっています」と語った。

 秋元は弔問客から「もう親方に怒ってもらえないのが寂しい」という言葉をかけてもらい、「父の不器用な愛情が分かってもらえた」とも吐露。さらに、先週の生放送後にスタッフから自身の誕生日(7月27日)を祝ってもらった後に帰宅し、母、兄、姉と自分の家族全員が親方の死に目に会えたことを明かし、「いつもは家族5人だけということがない。たまたま(親方が)待っててくれたのかな」と振り返った。

 秋元はまた、番組リスナーへ、「まだ整理はついてないですけど、父と出会った方で変わった方がいます。弟子もそうです。パパが忘れられないように伝えていければいいと思います」とメッセージを送り、「このラジオに呼べなかったことがすごく悔いです。みんなやりたいことをやった方がいいと思います」と再び涙声で思いを述べた。

 番組の最後には千代の富士さんと同郷で同学年の松山千春の楽曲「燃える涙」をバックに、秋元が「収録前は文章にしようと思いましたが、その場で考えて話しました。何を話したか分かりませんが、今後も皆さんにもっともっと言い伝えたいです」と話すと、ゲストの千原氏から「最終回のゲストがいなくなったから、ずうっと続けなければね」と粋な激励が送られた。秋元は「これからも秋元梢、九重部屋の力士、家族をよろしくお願いします」とあいさつして放送を終えた。


九重親方密葬に2000人 千春、猪木氏ら弔問
日刊スポーツ 8月7日(日)10時5分配信

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通夜に参列したKONISHIKIは部屋の入り口にある親方の銅像にレイをかける

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の先代九重親方(享年61)の通夜が6日、東京・墨田区内の九重部屋で営まれた。密葬の予定だったが遠方から来たファンを帰せないという親族の意向で、一般ファンも焼香できるよう配慮された。通夜には協会関係者や親交のあった著名人ら約2000人が参列し故人をしのんだ。

 同じ北海道出身で30年以上の親交がある歌手松山千春は「ご冥福は祈らない。ひつぎの中からもう1度、立ち上がって来い! と言いたい。こんなに早く、オレは許さない」と言葉を詰まらせた。アントニオ猪木氏も「最期も格好良かったよ」とつぶやき、部屋を継いだ元大関千代大海の九重親方は「これで本当に師匠とお別れという気持ちになってしまった」と視線を宙に泳がせた。

 戒名は家族5人の名前の1文字を入れ「千久院殿金剛貢力優梢禪大居士」(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。今日7日、同所で告別式が行われる。

 ◆主な参列者(敬称略)

 【日本相撲協会】八角理事長、二所ノ関親方、春日野親方、出羽海親方、境川親方、山響親方、伊勢ケ浜親方、高砂親方、石山五郎(相撲博物館館長=元横綱三重ノ海)横綱鶴竜

 【その他著名人】松山千春、錦野旦(以上歌手)アントニオ猪木(参議院議員)石田純一(タレント)KONISHIKI(元大関小錦)舞の海秀平(元小結)糸井重里(コピーライター)松浪健四郎(日本レスリング協会副会長)


<医療>きょう葬儀 千代の富士が最後に闘ったがんとは
毎日新聞 8月7日(日)10時0分配信

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還暦を迎え、土俵入りする元横綱・千代の富士の九重親方(中央)=東京・両国国技館で2015年5月

 昭和を代表する横綱、千代の富士の九重親方が亡くなった。7日午後には東京都墨田区の九重部屋で葬儀が行われる。九重親方は昨秋、膵臓がんを公表し、闘病を続けていた。消化器がんの中では、もっとも難治性と言われる膵臓がん。その特徴と検査・治療法について、消化器がんの化学療法と診療相談が専門の三嶋秀行・愛知医科大教授に聞いた。【医療プレミア編集部】

 ◇消化器がんの中でトップクラスの難敵

 膵臓は胃の背中側にあり、長さ約20センチの洋梨のような形をしている。全体を三つに分けて、頭部、体部、尾部(びぶ)と呼ぶ。機能は主に二つで、食物の消化を助ける消化液=膵液の産生と、インスリン、グルカゴンという血糖値の調整に必要なホルモンの産生だ。膵臓の中には、膵管という管が網の目のように通っており、膵液は膵管を通って「主膵管」という1本の管に集められた後、肝臓で作られた胆汁が流れてくる総胆管と合流して、十二指腸に流れ込む。

 この膵管の細胞にできる「膵管がん」が、膵臓がんの約9割を占める。その特徴を三嶋教授は「確実に早期発見する方法がない。そのために予後が悪い」と説明する。難治性の消化器がんとしては、昨年、女優の川島なお美さんらが亡くなった胆管がんがあるが、三嶋教授は「膵臓がんは胆管がん以上に難しい、トップクラスの難治性がん」と言う。

 ◇初期はほとんど症状が表れない

 難治性である最大の理由は「見つけにくい」ことだ。体の奥にある膵管にがんができても、早期では痛みなどの自覚症状はほとんど出ず、出た場合も胃の周囲や背中が重苦しい、食欲がないなど、他の疾患でもよくある症状にしかならない。黄疸(おうだん)が出ることもあるが、すべてではなく、黄疸は胆石や肝臓がんでも見られる。逆に膵臓がんで痛みが出た場合は、膵臓の外にある神経にがんが浸潤するまで進行したことを示している。最初期の病期(ステージ)0で発見されるのは「ほとんどが偶然」だという。

 検査は、腹部の超音波検査、CT(コンピューター断層撮影)検査、MRI(磁気共鳴画像化)検査などがあるが、「いずれもがんが数ミリ以上に大きくならないと捉えられない」のが現状だ。診療現場では、自覚症状などから「膵臓がんかもしれない」と画像検査をしてもがんが見つからず、後にがんが大きくなった結果「やはりがんだった」と判明するケースすらあるという。

 ◇目に見えないがんが再発を引き起こす

 その現実は、全国がん(成人病)センター協議会(全がん協)が公表している5年相対生存率のデータ(2005~07年に膵臓がんの診断、治療を受けた患者が対象)を見ても分かる。症例全3250例のうち、1期は206例、2期は626例、3期は654例なのに対し、もっともがんが進行した4期は1626例と半数を占める。「多くはがんが進行してから見つかっている証拠」という三嶋教授の言葉もうなずける。

 そして「検査で捉えられないがん」という特徴は、手術後の再発率の高さにつながる。全がん協データで、大腸がん1期2期の5年相対生存率は98.8%、91.3%だが、膵臓がんは41.3%、17.8%。手術で目視できるがんをすべて切除しても、検査で捉えられない=目に見えないサイズのがんが残り、再発するためだ。結果、全病期での5年相対生存率も9%と非常に厳しくなる。

 また膵臓がんは進行が比較的速い。進行してから見つかることが多いこともあり、周囲にはあっという間に悪化したように感じられる。15年5月の還暦土俵入りでの九重親方の若々しい姿を記憶している人から、「(訃報が)信じられない」という声が出たが、背景にはそんな病の性質もありそうだ。

 ◇治療は手術+抗がん剤

 治療は手術が第一選択だが、大抵は手術後に化学療法(術後化学療法)が行われる。がんが膵臓内にとどまっていれば放射線治療も選択肢だが、周囲に転移している場合は適応外だ。発見時に転移がある場合は、延命や生活の質の向上を目指した治療が行われる。

 見つけにくく、見つかった後も治しにくい--膵臓がんは、人類に立ちはだかる難攻不落のがんの代表格だ。患者側で気をつけることはないのか。膵臓がんの危険因子としては、まず喫煙、そして糖尿病、肥満、慢性膵炎などが挙げられる。三嶋教授は膵臓を過度に働かせることになる「暴飲暴食や高血糖を避けることが第一」と話している。


愛娘が、松山千春が、具志堅が…「ウルフ」さようなら 先代九重親方の通夜
産経新聞 8月7日(日)8時0分配信

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九重部屋に訪れ合掌する弔問客ら=東京都墨田区(撮影・長尾みなみ)(写真:産経新聞)

 「さようならウルフ」-。

 7月31日に膵臓がんのため死去した大相撲の元横綱千代の富士の先代九重親方=本名・秋元貢氏、北海道福島町出身=の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、親族のほか、生前に縁の深かった各界の著名人が参列し、昭和から平成にかけて一時代を築いた大横綱に別れを告げた。

 先代親方の次女でモデルの秋元梢さんは通夜を終え、気丈に報道陣の取材に応じた。

 「うちの家族はなかなか5人だけの時間は持てませんでしたが、最後は5人でみとれました。ちょっとゆっくりしてもらって、天国からみんなを見守ってもらいたい。(通夜には)たくさんの方に来ていただいて、こんなにも父が愛されていると実感致しました」

 通夜を前に、九重部屋の前には参列者の行列ができた。

 同じ角界からは一様に早すぎる死を惜しんだ。現役時代に対戦のある境川親方(元小結両国)は「残念しかない。本人が一番無念でしょう」と言葉少な。元関脇高見山の渡辺大五郎氏は「彼みたいな人はなかなかいないから。ちょうど一回り下か…。残念」と神妙に語った。好敵手だった元大関でタレントのKONISHIKIは、九重部屋前にある先代親方の銅像にそっと花をかけた。

 ありし日の思い出を語ったのは元関脇旭天鵬の大島親方。平成16年に行われた韓国公演で同じ班に入り、先代九重親方と行動をともにしたといい「僕からしたらすごい人。こわごわ話しかけたら、優しかった。だから、その気になって打ち上げで乾杯しにいったな」と振り返り、焼香を終え「相撲界のために頑張って来られたので、お休みくださいと伝えました」。

 千代の富士は細身の身体で大柄な力士をなぎ倒し、史上3位の31度の優勝を記録。「小さな大横綱」と称された。

 横綱鶴竜は「自分は入ったとき身体が小さくて、(千代の富士の)映像をよく見て研究した」という。関脇の頃には「もっと強い相手と稽古しなきゃ駄目だ」と諭された。時を経て同じ最高位に上り詰めた。「その言葉で今の自分がある」と感謝を述べた。

 先代親方の死去後、年寄「九重」を襲名し、部屋を継承した弟子の元大関千代大海は「今まで教わったことを1つ1つ思い出してかみしめながら、今後力士たちにどう教えて守っていくか。一生懸命頑張ります」と決意を語った。

 同じ昭和30年生まれでつながりの深かった人は多い。元ボクシング世界王者の具志堅用高氏は、沖縄県と北海道の互いの実家を行き来したことがあるほどの仲だったという。

 「やっぱりお互い勝負師だから。負けず嫌いでね」。61歳という若さでの急逝に「同じ年でこんなに早く去ったら寂しいよね。これから本当にねえ、もうちょっと一緒に遊びたかった」と悔しそうだった。

 北海道出身の共通点もある歌手の松山千春氏は「亡くなった顔も拝見させてもらった。会った頃の若い顔だった」。“昭和30年会”のメンバーとして現役時代から親交があったといい、「マネジャーとか付け人とかがいるのに、俺と飲みに行くときはあいつ1人で来るから。そして2人でススキノ、博多、大阪、名古屋。いろんな思い出がありすぎて」と声を詰まらせた。

 昨年、膵臓がんの手術を受けた際には「見舞いに行こうか」と電話すると「いや、そんなに長い入院生活にはならない」と返された。最後まで弱い姿を見せないまま旅立った旧友に「われわれ昭和30年会で、まさかあいつが、あれだけ屈強な男が、こんなに早く逝くとは。あいつは日本の宝だった」と肩を落とした。

 最後に先代九重親方の亡きがらへかけた言葉を問われると、ときおり下を向きながら答えた。

 「ご苦労の一言。でもご冥福は祈らない。こんな若い、早い。俺たちは許さん。貢、もう一度立ち上がってこい。あの棺の中から。そうやって声をかけました」と。(藤原翔)


新・九重親方 ウルフ魂継承「1年前に“次はおまえが”と言われていた」
スポニチアネックス 8月7日(日)7時1分配信

 7月31日にすい臓がんで死去した元横綱・千代の富士=本名・秋元貢さん=(享年61)の通夜が6日、東京都墨田区の九重部屋で営まれ、2000人を超える関係者やファンが参列した。当初は関係者のみの参列が予定されていたが、急きょ一般ファンも祭壇の前で焼香することが可能となるなど最後まで国民的スターであり続けた“ウルフ”。7日午後0時30分から同所で葬儀・告別式が営まれる。

 現役時代に31度の優勝を果たした“ウルフ”は遺影の中でほほ笑みを浮かべ、2000人を超える通夜の参列者を迎え入れた。雑誌の企画で09年に両国国技館で撮影されたスーツ姿の写真。「親方が指導していた眺めからお別れしたい」という遺族の意向もあり、祭壇は親方自身が一から作り上げた九重部屋の稽古場に設けられた。

 国民に愛され続けた大横綱・千代の富士らしい通夜となった。当初は親族や関係者のみが参列する密葬の形で行われる予定だったが、故人の“遺志”をくみ取り、急きょ一般ファンも部屋の中に入って祭壇の前で焼香が可能に。関係者ら約2000人に加え、最後は100人以上のファンが大横綱が眠る棺の前で哀悼の意をささげた。

 師匠亡き後の部屋を継承した元大関・千代大海の九重親方は通夜を終え「寂しいし、言葉がない。悲しいし、悔しい。もっといろいろと話したかった」と悲しみに暮れた。それでも「1年前に“次はおまえが引っ張っていけ”と言われていた。名門のプレッシャーはありますが、頑張りたい」と、今後は自らが師匠として千代の富士魂を受け継ぐことを誓った。

 戒名は家族思いの親方らしいものになった。「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。千代の富士の「千」や力士人生を表現した「力」に加え、久美子夫人、長男・剛さん、長女・優さん、次女・梢の家族全員の名前の文字が入れられた。きょう7日の告別式後には霊きゅう車が思い出の詰まった両国国技館を通る予定となっている。

 ▼千代の富士の主な成績 1970年秋場所初土俵。1045勝437敗159休。優勝31回は歴代3位。三賞は殊勲1、敢闘1、技能5。金星は3個で、三重ノ海(2個)、2代目・若乃花から奪取


元千代の富士の通夜に2000人…弔問に松山千春、猪木ら駆けつけた
サンケイスポーツ 8月7日(日)7時0分配信

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先代九重親方の遺影は、スーツ姿で柔和な表情だった(撮影・長尾みなみ)(写真:サンケイスポーツ)

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した、大相撲の元横綱千代の富士、先代九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)の通夜が6日、東京・墨田区の九重部屋で営まれ、日本相撲協会・八角理事長(53)=元横綱北勝海=ら約40人の親方衆をはじめ、同じ北海道出身の歌手、松山千春(60)、アントニオ猪木参院議員(73)らが弔問。「ウルフ」の愛称で人気を集めた同親方の早すぎる死を悼んだ。

 菊の花であしらわれた祭壇は、稽古場の土俵の上にしつらえられた。先代九重親方が力士を指導していた上がり座敷からの視線の先に、スーツ姿で優しい表情を浮かべる遺影が掲げられていた。親交のあった歌手、松山千春はお経が終わるまで斎場に残り、神妙な表情だった。

 「亡くなった顔を拝見したが、若い頃の貢(九重親方)のようだった。北海道の人間にとって、やつは宝だった」

 その声は涙で震えていた。同じ北海道出身で、同じ昭和30年生まれ。「ご冥福は祈らん。こんなに早い、若い…。俺たちは許さん。貢、もう一度ひつぎの中から立ち上がってこい!!」と千春節で故人を送った。

 トレードマークの赤いマフラーを黒色に変えて弔問に訪れたのはアントニオ猪木参院議員。「(角界の人とは)あまり付き合いがないんだけど、親方とだけはあった。あまり葬式は出ないんだけど、今日は来ました」。

 意外な交友関係を明かしたうえで「具合が悪いというのは聞いていた。早いとか遅いとかいうけど、人それぞれの寿命がある。最後まで格好よかった」としみじみ。歴代3位の優勝31度を誇り、昭和以降3位の53連勝などの記録も残した「小さな大横綱」をしのんだ。

 また、同じ年齢で現役時代から親交の深かった元プロボクシングの世界王者、具志堅用高(61)も「僕の石垣島の実家にも来たことがあるし、北海道の実家にも行ったことがある。ゴルフもよくやったよ。もっと遊びたかった」と無念の表情。「同じ歳だから、早すぎるし、寂しいよ。これからなのに…」と話し、ショックの大きさをうかがわせた。

 7日に葬儀・告別式が同所で営まれ、10月1日に東京・両国国技館でお別れの会が開かれる予定。

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