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2016年8月 1日 (月)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・3

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事
2番目の記事

リンク:元千代の富士のお別れ会は10月1日 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>お別れの会は10月1日 両国国技館で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:急逝千代の富士 一夜明けても消えぬ悲しみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方お別れの会、秋場所後10・1国技館で開催 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方のお別れの会は10月1日 東京・両国国技館のエントランスで - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:多くの人に尊敬されている、大横綱・千代の富士が残した“遺言” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大相撲の福井巡業で九重親方へ黙とうささげる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士さんとお別れ10月1日、国技館で調整 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方悼み…夏巡業で黙とう 力士会会長の日馬が呼び掛け - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼秘話 九重親方を“協会ナンバー2”から下ろした真犯人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、まな弟子の急死に悲痛「強い順に逝ってしまうのかな」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:八角理事長、涙こらえ「治ると信じていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:佐ノ山親方「九重」「ウルフの魂」を受け継ぐ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:先代の九重親方・北の富士氏しみじみ「なんで…強い順番に逝っちゃう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:兄弟子・九重親方急逝から一夜…八角理事長「治ると思っていた」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方急死から一夜…八角理事長、遺影に手を合わせ「絶対に強い人だと」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:八角理事長悲痛「本当に亡くなったのかな」と声詰まらせる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方のお別れ会を10月1日、国技館で調整 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:本紙だけが撮っていた千代の富士“最後”の勇姿 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>八角理事長「勝ちに貪欲 弱音吐かず」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大相撲>九重部屋、佐ノ山親方が継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ありがとう、ウルフ! 『キン肉マン』作者が語る元横綱・千代の富士との超人誕生秘話 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重部屋、元千代大海が継承へ=大相撲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:キン肉マン作者が九重親方モデルのウルフマン秘話 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:理事落選など不遇の晩年も…九重親方が最後に輝いた還暦の土俵入り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【元番記者が九重親方を悼む】横綱に見透かされた心の中 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:太い人生…見せて頂きました…カメラマンが見た千代の富士関 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士氏が九重部屋を弔問「横綱になってくれたすばらしい弟子」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:担当記者が語るウルフの素顔…若手鍛え上げた「お山の大将」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 菅義偉官房長官「横綱の中の横綱だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、九重親方弔問「強い順番で…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元千代の富士の次女・秋元梢、父をしのぶ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、無言の対面=亡くなった九重親方と - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北の富士さん、九重親方と無言の対面「悔しい」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

元千代の富士のお別れ会は10月1日
時事通信 8月2日(火)19時23分配信

 大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に死去した九重親方の「お別れ会」が、10月1日に東京・両国国技館の正面エントランスで開かれることが決まった。午後1時から4時までの予定。九重部屋後援会が主催する。


<千代の富士死去>お別れの会は10月1日 両国国技館で
毎日新聞 8月2日(火)17時57分配信

 日本相撲協会は2日、7月31日に61歳で死去した元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会(九重部屋後援会主催)が、10月1日に東京・両国国技館で開かれると発表した。時間など詳細は後日発表される。


急逝千代の富士 一夜明けても消えぬ悲しみ
東スポWeb 8月2日(火)16時53分配信

 九重親方(享年61=元横綱千代の富士)の死去から一夜明けた1日、相撲界に与えた衝撃の大きさが改めて浮き彫りとなった。現役時代に無敵の強さを誇った横綱の突然の死に、日本相撲協会のトップや角界の大物OBの反応は一様に「信じられない」といった様子。2014年の理事選で落選して以降は協会の要職から外れていたが、やはり優勝31回を誇る大横綱の存在感は別格だった。

「ウルフ死去」が相撲界に与えた衝撃は一夜明けても収まることはなかった。

 この日の午前、現役時代の師匠だった北の富士勝昭氏(74=相撲解説者)が東京・墨田区の部屋を弔問。「快方に向かっているとばかり思っていた。(性格は)豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くなかった。まだまだ協会に力を尽くせる。悔しい」と沈痛な面持ちで唇をかんだ。

 日本相撲協会の八角理事長(53=元横綱北勝海)は東京・両国国技館で報道陣に対応。「(訃報を聞いて)『本当なのか?』と思った。現役のころから絶対に負けない人だった。病気にも勝つんだろうなと考えていた」と兄弟子の突然の死に驚くばかり。「一番の思い出」に挙げたのは、千代の富士からつけられた厳しい稽古だった。

 八角理事長は「(九重親方は)稽古で力を抜いてくれなかった。私も弱音を吐かずにぶつかった。お互いに意地があった。その時の思い出を…何年かたってから、2人でゆっくり飲みながらもう一度話してみたかった」と言い、話の途中で思わず涙ぐむ場面もあった。

 2人は決して「親密」と呼べるような間柄ではなかった。今年1月の理事選では、八角理事長に反旗を翻した貴乃花親方(43=元横綱)を九重親方が支援。両者の溝は深まっていた。

 それでも現役時代に濃密な時間を共有した“戦友”の死には、特別な感情を抱かずにはいられなかった。

 あの「お騒がせ男」も心を激しく揺さぶられた。この日、元横綱朝青龍(35)が所用のため来日。かつては千代の富士の相撲にあこがれ、入門後は同じ高砂一門だった縁もあって親交を深めた。

 成田空港に到着した朝青龍は「現役のころもお世話になったし…信じられない」と涙を流した。午後7時過ぎには東京・墨田区の九重部屋へ弔問に訪れ、再び目に涙を浮かべた。相撲界の重鎮や大物OBを含めて、昭和の大横綱を失った喪失感は当分の間、消えることはなさそうだ。


九重親方お別れの会、秋場所後10・1国技館で開催
日刊スポーツ 8月2日(火)16時16分配信

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元横綱千代の富士(写真は1989年1月18日)

 日本相撲協会は2日、膵臓(すいぞう)がんのために61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)について、秋場所後の10月1日に、東京・両国国技館のエントランスで「お別れの会」を開くと発表した。九重部屋の後援会が主催で開かれる。時間は決まっていない。

 今月6日に通夜、同7日に葬儀・告別式が部屋で執り行われるが、こちらは遺族や関係者だけで営まれることになっている。


九重親方のお別れの会は10月1日 東京・両国国技館のエントランスで
デイリースポーツ 8月2日(火)16時2分配信

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亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 日本相撲協会は2日、7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢、享年61)のファンへのお別れの会が10月1日に東京・両国国技館のエントランスで開かれることになったと発表した。

 九重部屋後援会が主催する。


多くの人に尊敬されている、大横綱・千代の富士が残した“遺言”
ITmedia ビジネスオンライン 8月2日(火)11時49分配信

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元千代の富士の九重親方が息を引き取った

 巨星堕つ――。

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため息を引き取った。身長183センチ、体重120キロ台の小兵ながらも筋骨隆々で、しかも「イケメン」。昭和50年代後半、そんな現役時代の横綱・千代の富士に胸を躍らせた人は相撲ファンならずとも多いはずだ。

 左前褌(ひだりまえみつ)を取ってからの速攻相撲を得意とする激しい攻めで自分よりも大きな体格の力士たちを次々となぎ倒す。凄(すさ)まじい眼光で相手を睨む姿から「ウルフ」の愛称が付けられ、その惚れ惚れするような格好良さには女性だけでなく多くの男性も憧れた。

 歴代2位の通算1045勝、そして53連勝と幕内優勝31回は歴代3位。こうした数々の記録と偉業を成し遂げた功績が大きく評価されて1989年、相撲界としては初の国民栄誉賞受賞者となった。筆者のような昭和世代であれば、改めてこの「昭和最後の大横綱」の経歴を振り返るまでもあるまい。しかし平成世代には横綱千代の富士の取り口をリアルタイムで目にできず、どれだけ強い力士であったかを知らない人たちがおそらく大半だと思う。

 とにかく努力を怠らない力士だった。1975年9月場所にはスピード出世で新入幕を果たしたものの、その後は定着できずに十両どころか幕下まで一気に陥落。力士生命を脅かす両肩の脱臼癖が深刻化し始めたのは当時のことであった。

 もともと人間の肩関節の形成部分には肩甲骨と上腕骨の表面にクッションの働きをする軟骨がある。しかしながら千代の富士の肩関節は噛み合わせが悪く軟骨も薄いことから脱臼を引き起こしやすかった。並の人間ならば、ここであっさり諦めても不思議はない大きな挫折。しかし千代の富士は負けなかった。克服するため、当時の相撲界としては馴染みの薄かった筋力トレーニングをいち早く取り入れて肉体改造に着手。腕立て伏せも毎日500回以上、繰り返し行った。

●ただひたすら黙々と汗を流し続けた

 オレは是が非でも脱臼なんかに負けず、横綱として頂点に立ってやる――。そう自分に日々言い聞かせ、千代の富士はただひたすら黙々と汗を流し続けたという。後の全盛時に体脂肪率は10.3%。力士としては驚異的な数値を記録する均整の取れた彫刻のような鋼の肉体は、こうした本人の死に物狂いの努力によって作られていったのである。

 伸び悩んでいたころには主に相手を強引に引っ張り込んで力任せに投げ飛ばすなど軽量の体には明らかに負担のかかりそうな荒々しい戦法が目立っていた。しかし、その取り口も熟考と研究を重ねて徐々に変えていった。自らが小さな体格であることを考え、前まわしを引きながら頭をつけるスタイルを完成させ、脱臼克服の大きなプラス材料につなげた。

 脱臼克服を念頭に置きながら筋力アップを図ったことで、「取り組みに臨む前からまわしを緩まぬようにキッチリ締め上げ、ガッチリと四つに組んで相手の指がまわしにかかっても鍛え上げた強い筋力を生かしながら腰のひと振りで払いのける」「まるで短距離選手のスタートダッシュのような素早い立ち合いから、鍛え抜かれた腕力でまわしを引き付けて自分より重い相手の腰も“一気の力”で浮かせる」「相手の頭を押さえつけながら上手投げで投げ飛ばす“ウルフスペシャル”をここぞという場面で繰り出す」などのように戦法を徐々にマイナーチェンジしていった。

 「脱臼と向き合って肉体改造を行い、相撲のスタイルも変え、さらに頭を使いながら取り組みに臨むようになった。この流れこそが大横綱千代の富士を作り上げたのだ。つまり脱臼がなかったら、おそらく彼は短命力士で終わっていた」とは師匠で現相撲解説者・北の富士氏の言葉である。

●大相撲のレジェンドは千代の富士

 1981年初場所。関脇として14勝1敗で並んだ横綱北の湖と優勝決定戦で相まみえ、上手出し投げで下し、本割で敗れた屈辱を晴らして初優勝を決める。ちなみにこの日の千秋楽・NHK大相撲中継は視聴率52.2%、瞬間最高視聴率65.3%(関東地方平均・ビデオリサーチ社調べ)を記録し、今も大相撲中継の史上最高値として破られていない。ここから「ウルフフィーバー」が始まり、同年の7月場所に2度目の優勝を果たして横綱昇進を決めた。

 横綱になっても努力を怠らなかった。前場所で負けた相手には積極的に相手部屋へ稽古に出向き、攻略法を見つけようとした。横綱のポジションになればデンと構えてラクをしそうにも思えるが、千代の富士の辞書にはそのようなものは一切なかったのである。例えば元大関小錦(現KONISHIKI氏)には初対戦から連敗を重ねたが、相手の高砂部屋まで自ら足を運んで何度も出稽古に行くことで勝利への糸口を見つけ出した。最終的に20勝(うち不戦勝が1つ)9敗と大きく勝ち越したのは、まさにこうした努力の賜物である。

 「横綱という立場の人が、恥も外聞も捨てて出稽古にやって来る。普通ならばプライドが邪魔をするのに、横綱(千代の富士)は違った。『横綱だからこそ負けてはいけない』という責任感が人一倍強かったのだと思う。あの当時は、もうこっちがギブアップしたくなるくらいに何度も出稽古に駆り出され、そしてぶつかり合った。あそこまで負けん気が強く、取り口を追求し続ける力士は見たことがない。間違いなく本当に強い大横綱だった」とKONISHIKI氏は回想している。

 同氏が外国メディアから取材を受けた際、必ず「NBAのレジェンドはマイケル・ジョーダン、大相撲のレジェンドは千代の富士」と言い切ってリスペクトしているのもうなづける話だ。

 日本人力士はもちろんのこと、KONISHIKI氏を含め新旧の外国人力士たちからも「レジェンド」として羨望の眼差しを向けられていた。現在の横綱2人も「自分が目指すべき理想の力士」(横綱白鵬)、「『史上最強』の名がふさわしい横綱」(横綱日馬富士)と千代の富士に強い尊敬の念を抱いている。「千代の富士イズム」は脈々と現世代の最強力士たちに受け継がれているのだ。

●メディアがほとんど報じない“謎”

 さて、最後にメディアがほとんど報じない“謎”について触れておきたい。現役当時、北天佑(元大関・故人)との対戦が「因縁対決」と呼ばれていたことだ。

 「北天佑の弟が千代の富士と同じ九重部屋に所属していたが、部屋の面々に“かわいがり”を受け、その因縁があって兄である北天佑が千代の富士と対戦する際にはいわゆる『ガチンコ勝負』を常に仕掛けていたという話がまことしやかに広がっている。その“かわいがり”には横綱(千代の富士)も加わったとささやかれているが、実を言えば弟は兄も手を焼くほどの素行のよくない『ワル』で部屋の面々の我慢も限界に達し“かわいがり”につながったとも聞く。

 後に、その弟が週刊誌上で告発しているが、当時を知る大半の関係者は『正義感からの行為だった』として横綱に同情的。いまでは“かわいがり”など持ってのほかとされているが、その昔は相撲界でも『よくある話』だったわけだからね。いずれにしてもその当事者の2人(千代の富士、北天佑)は今、旅立ってしまったのだから真相は分からないが……。

 ただし、千代の富士対北天佑がそういう因縁対決を連想させるような、昭和末期を代表するバチバチの熱い戦いであったことは間違いないですよ」(日本相撲協会関係者)

 かつて多くの人たちの胸を高ぶらせた昭和最後の偉大なる大横綱・千代の富士貢関。61歳で天に召されてしまうとは余りにも早過ぎるが、心からご冥福をお祈りする。合掌――。

(臼北信行)


大相撲の福井巡業で九重親方へ黙とうささげる
日刊スポーツ 8月2日(火)10時40分配信

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九重親方へ黙とうをささげる関取衆(撮影・木村有三)

 大相撲の福井巡業が2日、福井市内で行われ、朝稽古中の支度部屋で十両と幕内の関取衆が、7月31日に死去した九重親方(享年61=第58代横綱千代の富士)へ黙とうをささげた。

 午前9時から、玉ノ井巡業部副部長(元大関栃東)が関取衆を前に「(巡業部の貴乃花)部長はやりたいようにやってくれと言われていた。長いのでケガのないようにしてください」と夏巡業の訓示を行った。その後、力士会会長の横綱日馬富士(32=伊勢ケ浜)が「九重親方に黙とうをささげたいと思います」とあいさつ。約1分間黙とうをささげた。


千代の富士さんとお別れ10月1日、国技館で調整
日刊スポーツ 8月2日(火)10時8分配信

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61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。九重部屋は佐ノ山親方(元大関千代大海)が継承する。訃報から一夜明け、遺体が眠る東京都墨田区の部屋には弟弟子の八角理事長(元横綱北勝海)や、現役時代の師匠の北の富士勝昭氏(元横綱)らが弔問に訪れた。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。

 九重部屋の継承も方針が固まった。春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「佐ノ山親方が継承する」と明かした。近く年寄名跡が変更され、3横綱を生んだ部屋が引き継がれる。

 九重親方の遺体は、部屋の自宅スペースにあたる4階に安置された。通夜も告別式も、その自宅で執り行われる。八角理事長は「まったく同じ場所で娘さんを亡くして、あそこで通夜、葬式…思い出しました」。

 89年6月に、生後3カ月の三女愛ちゃんを乳幼児突然死症候群で亡くした。左肩の脱臼で5月の夏場所を全休した身に、ショックが重なった。迎えた7月の名古屋は「場所前は稽古できず、休場か、引退かというくらいだった。でも、逆境に強い。絶対にくじけなかった。優勝決定戦で私に勝って優勝したんですよね」と述懐した。それだけに「悪いとは聞いていたが、何事にも絶対勝つと思っていた。治るだろうと」。まだ訃報を信じられずにいた。

 兄弟子との猛稽古は有名な話で、自らが横綱に上り詰めた原動力だった。「そのときの思い出をゆっくり…何年かたって、2人で飲みながらもう1度、話してみたかった」と涙ぐんだ。

 2人の師匠だった北の富士氏も弔問し「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔でね。豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くない。ユーモアも適当にあったし、涙もろいところも」と故人をしのんだ。「3年前は大鵬さん、そして北の湖さん、千代の富士。強い順番に逝っちゃうんだなぁ」。先に逝く弟子を悲しむよりなかった。


九重親方悼み…夏巡業で黙とう 力士会会長の日馬が呼び掛け
スポニチアネックス 8月2日(火)9時57分配信

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九重親方(元横綱・千代の富士)を悼み関取衆らが黙とうを行う

 大相撲の夏巡業が2日、福井県福井市で行われ、九重親方(元横綱・千代の富士)の死去を受けて関取衆らが黙とうを行った。

 幕内力士による朝稽古が始まる前の午前9時に支度部屋に集まり、力士会会長の横綱・日馬富士が「亡くなった九重親方に黙とうをささげたいと思います」と呼びかけた。

 日馬富士と白鵬の両横綱が前に立ち、他の関取衆や付け人の若い衆らとともに約1分間、目を閉じて、哀悼の意を示した。


追悼秘話 九重親方を“協会ナンバー2”から下ろした真犯人
日刊ゲンダイ 8月2日(火)9時26分配信

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国民栄誉賞も受賞した元横綱千代の富士(C)日刊ゲンダイ

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。

 昨年9月、がんの手術を受けた後、相撲協会内の職務に復帰していたものの、転移が見つかり、闘病生活を余儀なくされていた。「父親だと思っていた。まさかという思い」と話した愛弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)をはじめ、角界のあちこちから親方の死を悼む声が上がった。

 優勝31回。89年には国民栄誉賞を受賞し、「ウルフ」の愛称でファンに親しまれた昭和の大横綱はしかし、なぜか相撲協会内で頂点を極めることはできなかった。

 08年2月、理事に初当選。審判部長や広報部長などを経て、12年2月から事業部長。「協会ナンバー2」として北の湖理事長を支え、「次期理事長」の座は確実視されたものの、14年1月の理事選でまさかの落選。「票が揃わなかった」と、今年1月の理事選には立候補すらしなかった。もちろん体調の問題もあるとはいえ、「九重親方がナンバー2の座から転げ落ちたのは、北の湖理事長の右腕と言われた顧問の策略だったのです」と、さる親方がこう続ける。

「顧問がパチンコメーカーの代理店関係者から裏金を受け取るシーンを収めた動画があったじゃないですか。で、こういう動画があるから気を付けた方がいいと、当時の北の湖理事長に真っ先に忠告したのが九重親方だったというのです。九重親方は日頃からやりたい放題だった顧問の行為を見るに見かねたのでしょうけど、それが顧問の逆鱗に触れた。顧問は九重親方が将来、理事長になったら追い落とされるという危機感もあって、理事選で九重親方に票が流れないように操作した。その結果、2年間、冷や飯を食わされた九重親方は今年1月の理事選に再出馬するつもりでしたが、今回も貴乃花親方を利用した顧問の策略の前になすすべがなく、立候補を断念せざるを得なかったと聞きました」

 病を抱えながら志半ばで亡くなった九重親方は、さぞかし無念だったに違いない。


北の富士さん、まな弟子の急死に悲痛「強い順に逝ってしまうのかな」
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 九重親方の現役時代の師匠で相撲解説者の北の富士勝昭さん(74)が1日、九重部屋を弔問に訪れた。約10分間対面し、「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔」と話した。昨年の九州場所中に電話で医者を紹介することを約束。その後の経過を知り、「元気になったと聞いたから(急死に)驚いた」。訃報は八角理事長からの電話で知り、前日はショックのあまり報道陣にもほとんど対応できなかった。

 九重親方が92年に引退相撲を終えると部屋を譲り、98年に理事の座を失い協会を退職。解説者として弟子を見守ってきたが、「千代の富士は千代の富士ですよ。豪快だけど繊細で口は悪いけど腹は悪くない」と振り返った。3年前に大鵬、昨年11月は北の湖が亡くなり、今回はまな弟子がこの世を去った。「なんだろう、強い順に逝ってしまうのかな」と相次いで他界した昭和の大横綱をしのんだ。


八角理事長、涙こらえ「治ると信じていた」
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 31日に61歳で急逝した第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の名跡を、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が交換して継承することが1日、濃厚となった。日本相撲協会幹部がこの日、九重部屋の名前を残してほしいという遺族側の強い思いを確認。一代限りで部屋の名前が消える一代年寄を辞退してまで「九重部屋」にこだわった「ウルフの魂」が引き継がれる。八角理事長(元横綱・北勝海)は会見を行い、涙をこらえて兄弟子への思いを語った。

 ―一報を聞いた時は?

 「ちょっと整理がつかなくて…。絶対に強い、絶対に負けない、何事にも勝つんだという精神力。とてつもない人でした。そういう目で見ていたので絶対に治ると信じていました」

 ―現役時代の思い出は?

 「下の頃から稽古をつけてもらいました。(涙をこらえながら)毎日、やってくれて、私も弱音を吐かずにぶつかって、互いの意地と意地ですかね。ありがたかったです。その時のことをいつか2人で酒を飲みながら話してみたかった」

 ―どんな存在?

 「兄弟子というより親方です。九重親方が横綱に昇進した時、私は三段目か幕下。親方という感じの方が強いです。娘さんを亡くした時(89年6月)も場所前の稽古ができず、休場か引退かと言われた。でも(7月の)場所で私に勝って優勝しました。逆境に強いというか、くじけない。集中力もすごかったですね」


佐ノ山親方「九重」「ウルフの魂」を受け継ぐ
スポーツ報知 8月2日(火)7時6分配信

 31日に61歳で急逝した第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の名跡を、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が交換して継承することが1日、濃厚となった。日本相撲協会幹部がこの日、九重部屋の名前を残してほしいという遺族側の強い思いを確認。一代限りで部屋の名前が消える一代年寄を辞退してまで「九重部屋」にこだわった「ウルフの魂」が引き継がれる。八角理事長(元横綱・北勝海)は会見を行い、涙をこらえて兄弟子への思いを語った。

 師匠の急死から一夜明けた九重部屋が動き出した。午後3時前に八角理事長ら協会幹部6人が東京・墨田区の部屋を訪問。九重親方の遺体と対面し遺族と今後の相談を行った。佐ノ山親方が継承する予定の部屋に関しては、春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が「名前は残したいとは言っていた」と説明。佐ノ山親方が名跡を交換して九重親方となれば、部屋の名前は引き継がれることになる。

 師匠不在の力士は土俵に上がることができないため速やかな手続きが必要。2日に佐ノ山親方が協会に出向いて手続きなどを行うことになる。「名前の変更は通さないといけないこともあるが、スムーズにいくんじゃないかな」(春日野親方)。正式には年寄資格審査委員会の結果に基づき理事会で承認を受ける。

 「九重」の部屋名の存続には亡き師匠の思いが詰まっている。九重親方を相撲界に導いた同郷の先々代の九重親方(元横綱・千代の山)が、1967年1月に出羽海部屋から「分家独立は許さず」の不文律を破って独立。苦労を重ねた先々代は77年に急死し、継承した先代の九重親方(元横綱・北の富士)は「本当の後継者は千代の富士」と言う。九重親方も現役中の89年9月に協会から一代年寄を与えられたが「自分の代で部屋を消したくない」と辞退。その経緯があるからこそ遺族は名前を残すことを希望したと思われる。

 佐ノ山親方はこの日、「手続きに協会に来たときも、まだ自分の口から話ができる状況ではありません」と関係者を通じてコメント。九重親方の久美子夫人ら遺族や後援会関係者との確認事項があり安易に口を開けないが、31日には報道陣の前で「力士が不安にならないように頑張らせていただく」と新師匠として決意表明していた。佐ノ山改め新・九重親方が、小さな大横綱の遺志をしっかりと受け継ぐ。(網野 大一郎)


先代の九重親方・北の富士氏しみじみ「なんで…強い順番に逝っちゃう」
スポニチアネックス 8月2日(火)7時3分配信

 ◇九重親方死去

 現役時代の師匠だった相撲解説者の元横綱・北の富士勝昭氏(74)が午前に東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れた。永遠の眠りに就いた九重親方と対面した北の富士氏は「穏やかな表情。千代の富士らしい顔だった」としんみり。どんな存在だったか?と問われると「千代の富士は千代の富士ですよ。豪快だけど繊細。口は悪いけど腹はそんなに悪くない。涙もろいし。これだけの弟子は二度と出ない。一代年寄を辞退してまで九重部屋を継いでくれた素晴らしい弟子」と言葉を振り絞り、ねぎらった。

 「大鵬さん、北の湖さん、千代の富士…なんでだろう、強い順番に逝っちゃうのだろう」としみじみ。もっとも印象に残った思い出は「(88年九州場所に)大乃国に負けて53連勝で止まった相撲が自分は悔しかった。本人はケロっとしていたけど」と振り返り「(91年夏場所に)辞めるときに上がり座敷で涙を流すとは想像していなかった」と振り返った。


兄弟子・九重親方急逝から一夜…八角理事長「治ると思っていた」
スポニチアネックス 8月2日(火)7時3分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため31日に61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)について、弟弟子だった日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が会見した。訃報が届いた前日はショックのためコメントできず、この日は思い出を語っている最中に目を潤ませ、声を詰まらせた。遺体が安置されている東京都墨田区の九重部屋には多くの弔問客が訪れた。

 八角理事長は現役時代、同部屋の兄弟子だった千代の富士とともに85年秋場所から2人で10場所連続優勝を飾るなど、角界の歴史に名を残した。ともに最高位となったが、8歳年上の兄弟子が横綱に昇進した81年名古屋場所後、自身は幕下。それだけに「兄弟子というより親方という感じが強かった」という。「幕下の頃から稽古をつけてもらった。何があってもぶつかれと。本当に力を抜いてくれなかった。それが一番の思い出」。猛稽古があったからこそ横綱にたどり着けた。過去を振り返るとこみ上げてくるものがあった。目を潤ませ、時折、声を詰まらせて唇をかんだ。

 訃報が届いた31日は心の整理がつかなかった。「現役の頃から絶対に負けないという目で見ていたので、治ると思っていた。(亡くなったのは)本当なのかなという感じ」だった。一日たって開いた会見では「弱音を吐かない。何事に対しても絶対に勝つという精神力はとてつもないと思っていた」と人柄について語った。最後に顔を合わせたのは今年1月、高砂一門の会合が行われた焼き肉店。「何年かたって、2人で酒を飲みながら思い出を語りたかった」と無念さをにじませた。

 89年名古屋場所は同部屋の横綱同士の優勝決定戦となり、北勝海が敗れた。千代の富士は場所前に生後3カ月の三女を亡くして出場も危ぶまれたが、見事に賜杯を抱いた。そのことに触れると「(遺族が)通夜、葬式を自宅でしたいと。同じ場所(自宅)で娘さんを亡くした。その(名古屋)場所を思い出した」と振り返った。

 3年前に元大鵬の納谷幸喜氏、昨年は現役理事長だった元北の湖の小畑敏満氏が亡くなった。九重親方の死で日本人の優勝回数上位3人が他界したことになった。八角理事長は「より責任を持ってしっかりしないといけない。相撲協会は真っすぐの道を進む」と恩人である先輩たちのためにも、よりよい協会にすることを誓った。


九重親方急死から一夜…八角理事長、遺影に手を合わせ「絶対に強い人だと」
サンケイスポーツ 8月2日(火)7時0分配信

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平成元年名古屋場所千秋楽の優勝決定戦。千代の富士(左)は弟弟子の北勝海を上手投げで下し、28度目の賜杯を手にした(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る元横綱千代の富士の九重親方が膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急死してから一夜明けた1日、日本相撲協会・八角理事長(53)=元横綱北勝海=が東京・両国国技館で会見。その後、東京・墨田区の九重部屋へ弔問に訪れた。現時点で協会葬開催は決まっていないが、今後、遺族の意向も踏まえ、高砂一門葬を中心とした具体案が協議される。

 同部屋の兄弟子として胸を借り、強くしてもらった九重親方へ感謝の思いが去来する。8歳年下の八角理事長がまだ幕下だったころ。まぶしい記憶がよみがえるのだろう。時折、言葉を詰まらせながら振り返った。  「(ぶつかり稽古を)毎日、やってくれた。力を抜いてくれないんだ。お互い意地と意地、絶対に嫌とはいわない。でも、それはありがたいことだった」

 八角理事長は、この日午後、九重部屋を訪れ、約20分間、兄弟子の遺影に手を合わせた。「悪いとは聞いていたが、絶対に強い人だと思っていたから治るんだろうな、と思っていたのに」。

 相撲界は平成25年1月に大鵬(享年72)、27年11月には北の湖(同62)と「昭和の大横綱」といわれた2人の巨星を失った。そして、今度は「小さな大横綱」も…。八角理事長は、横綱千代の富士の「凄(すご)み」に畏敬の念を込めた。

 平成元年6月、千代の富士は同年2月に生まれたばかりの三女・愛ちゃんを「乳幼児突然死症候群」で亡くした。憔悴に稽古不足。相撲を取れる状態ではなかった、という。だが、7月の名古屋場所へ首に数珠を巻いて場所入り。千秋楽では12勝3敗の優勝決定戦となり、弟弟子の北勝海(八角理事長)との同部屋決戦を制して28度目の優勝を飾る。

 「娘さんを亡くしても、切り替えと集中力。『もう駄目、引退』といわれながら優勝するんだから…」

 6日には通夜、7日に告別式が営まれる。現時点で協会葬開催は決まっていないが、現実的には高砂一門葬を中心に告別式後、斎場へ向かう際に国技館玄関前に立ち寄る計画も協議される。


八角理事長悲痛「本当に亡くなったのかな」と声詰まらせる
デイリースポーツ 8月2日(火)5時59分配信

 7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢、享年61)の弟弟子に当たる日本相撲協会の八角理事長(53)=元横綱北勝海=が1日、東京・両国国技館で記者会見し「今でも(本当に)亡くなったのかなと思う」と声を詰まらせた。

 八角理事長はこみ上げる涙を必死にこらえた。「本当に(体調が)悪いと聞いてはいましたが、絶対に強いというか、治るんだろうなという目でみていた。(亡くなったというのは)本当なのかなという気持ちです」。知人からの連絡で急逝を知った前日はコメントしなかった。「何をどう(言っていいか)…。整理できなかった」と話し、ショックの大きさをうかがわせた。

 故人との一番の思い出には幕下の頃に胸を出してもらったことを挙げた。「絶対に力を抜いてくれなかったし、毎日出してくれた。こっちも絶対いやと言わなかった。お互い意地と意地。ありがたかったですね」としみじみと振り返った。

 最後に会ったのは今春の高砂一門会の場だった。「焼き肉を食べたのが最後かな。何年かたったら、一杯飲んで昔話をしたかった」。早すぎる死に「私にとっては兄弟子というより、もう一人の親方のような存在だった。(61歳は)若いですね」と声を詰まらせた。会見後は九重部屋に出向き、故人に手を合わせた。

 今後については弟子で部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)が九重部屋を継承する方向で固まっており、2日以降に年寄名跡変更手続きを進める。6日の通夜、7日の告別式(午後0時半開始に変更)は遺族や関係者だけで執り行い、お別れの会は後日開くことも検討されている。


九重親方のお別れ会を10月1日、国技館で調整
日刊スポーツ 8月2日(火)5時52分配信

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九重親方(第58代横綱・千代の富士)(写真は2015年11月25日)

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。


本紙だけが撮っていた千代の富士“最後”の勇姿
東スポWeb 8月2日(火)5時51分配信

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愛知県体育館から出てきた九重親方

 大相撲の第58代横綱で元千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。現役時代は歴代3位の優勝31回など数々の記録を打ち立て、角界では初めて国民栄誉賞を受賞。昨年夏に「すい臓がん」の手術を受けるなど闘病生活を続けていたが、ついに帰らぬ人となった。本紙は先の大相撲名古屋場所中に愛知県体育館でウルフの姿を独占撮影。国民的ヒーローが公の場で見せた“最後の勇姿”となった。

 現役時代に圧倒的な強さを誇った昭和の大横綱も病魔には勝てず、静かにこの世を去った。九重親方の遺体を乗せた車は午後8時10分すぎに九重部屋へ到着。部屋付きの佐ノ山親方(40=元大関千代大海)や幕内千代の国(26)ら愛弟子たちが師匠の無言の帰宅を出迎えた。ストレッチャーの上で白い布をかぶせられた遺体は、部屋の正面玄関から中に運び込まれた。

 佐ノ山親方は報道陣を前に「急なことなのでびっくりしている。血のつながりはないですけど、ずっと父親だと思っている。(遺体の)手を握りながら『ありがとうございました』と言いました。だんだん顔がやせていく師匠を見ながら、何とか元気になってくれることだけを信じていた」。突然の別れに沈痛な面持ちを浮かべた。

 九重親方の「健康問題」が表面化したのは、昨年のことだった。5月場所後に東京・両国国技館で行われた還暦土俵入りで現役時代をほうふつとさせる引き締まった肉体を披露して周囲を驚かせた。だが、実際には体の内側は重い病にむしばまれていた。続く7月の名古屋場所は担当だった監察委員の職務を全休。翌9月場所で復帰した際には、すい臓がんの手術を受けて約1か月間入院していたことを自ら明かした。手術後の体重は以前より13キロも減っていた。

 九重親方は「もう健康体だから大丈夫」と話していたものの、すい臓がんはがんの中でも特に再発や転移が多いことでも知られている。その後も闘病生活は続き、最近はがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。

 そんななか、本紙はウルフの公の場での“最後の姿”をカメラに収めていた。写真は名古屋場所2日目の7月11日、九重親方が監察委員の仕事を終えて会場の愛知県体育館から出てきた時のものだ。水色のジャケットにグレーのズボン姿。口元の大きな黒いマスク越しからも、かなり顔がやせ細っている様子がうかがえる。

 夏場でもマスクを着用していたのは、感染症を予防するためなのか、それともやせこけてしまった顔を隠すためだったのか。ただ、その眼光は現役時代同様に鋭く、この時は誰の手も借りずに自力で迎えの車に乗り込んだが…。九重親方の体調が急変したのは、この直後のことだった。体調不良を訴えて7月14日に緊急帰京すると、同24日の千秋楽に開かれた部屋の打ち上げパーティーも欠席。再び名古屋に戻ってくることはなかった。

 今月には生まれ故郷の北海道・福島町で毎年恒例となっている部屋の合宿が予定されていた。九重親方は自ら関係者に準備の指示を出すなど、合宿への参加に強い意欲を見せていたという。だが、その願いもかなえられないまま帰らぬ人となってしまった。

☆九重貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年6月1日生まれ。北海道出身。70年秋場所初土俵で、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。両肩の脱臼を克服し、35歳の91年夏場所限りで引退するまでに史上3位の31度の優勝を果たした。通算1045勝は史上2位、幕内807勝は同3位。「ウルフ」の愛称で親しまれ、89年には国民栄誉賞も受賞した。92年4月に九重部屋を継承し、大関千代大海らを育てた。2008年に日本相撲協会理事に初当選。事業部長や審判部長を務めた。


<千代の富士死去>八角理事長「勝ちに貪欲 弱音吐かず」
毎日新聞 8月1日(月)22時54分配信

 ◇時折目を潤ませ、8歳上の兄弟子しのぶ

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は1日、東京・両国国技館内で記者会見し、7月31日に61歳で死去した九重親方(元横綱・千代の富士)について「何事にも絶対に勝つという貪欲さを持っていた。弱音を吐かなかったし、弱気なところを悟らせなかった」と述べ、時折目を潤ませながら8歳上の兄弟子をしのんだ。

 場所直前に九重親方の娘が病死し、同部屋力士による幕内優勝決定戦で敗れた1989年名古屋場所を振り返った八角理事長。「稽古(けいこ)をできず、休場か引退かと言われていたのに。逆境に強く、絶対にくじけなかった」と声を詰まらせた。ただ九重部屋から独立後は会話の機会が少なく「一緒に稽古していた時の思い出話を、もう一度ゆっくり話してみたかった」と惜しんだ。

 九重親方の現役時代の師匠で元横綱の北の富士勝昭さん(74)が1日、九重部屋を訪れた。昨年11月の北の湖親方(元横綱)に続いて、20回超の優勝を誇る横綱が相次いで亡くなった。北の富士さんは「その前は大鵬さん。なぜだろう。強い順番で亡くなっていくのか」と惜しんだ。午後には元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(35)も部屋を弔問した。

 九重部屋の前には記帳所と献花台が設けられ、一般ファンも訪れ、弔意を表していた。通夜は6日午後6時、葬儀は当初の発表から時間変更され7日午後0時半、東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋で営まれる。喪主は妻久美子(くみこ)さん。後日、お別れの会が検討されている。【大矢伸一、村社拓信】


<大相撲>九重部屋、佐ノ山親方が継承
毎日新聞 8月1日(月)22時44分配信

 日本相撲協会の春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)は1日、師匠の九重親方(元横綱・千代の富士)が死去した九重部屋について、部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)が継承する見通しであることを明らかにした。佐ノ山親方は2日に継承に必要な手続きを行う予定。

 春日野部長は「遺族は部屋の名前を残したいと言っていたので、佐ノ山親方が名跡変更の形を取るのではないか」と語った。九重部屋には7月の名古屋場所時点で、親方2人、力士13人、行司2人、呼び出し3人、床山2人が所属している。【大矢伸一】


ありがとう、ウルフ! 『キン肉マン』作者が語る元横綱・千代の富士との超人誕生秘話
週プレNEWS 8月1日(月)19時0分配信

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超人・ウルフマンのモデルは当時、国民のヒーローであった千代の富士関。2015年1月7日の「グランドジャンプ」3号(集英社)では新作読切「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」が掲載されたことも…

7月31日、元横綱・千代の富士として1970年から引退する91年まで圧倒的な強さを誇った土俵の英雄、九重(ここのえ)親方が膵臓(すいぞう)がんのため逝去した。61歳の若さだった。

九重親方が全盛を振るった横綱在位時代とほぼ重なる時期に「週刊少年ジャンプ」で『キン肉マン』を連載し続けた漫画家・ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司先生は、この訃報を受け「僕らの漫画に出てくる“ウルフマン”という超人が生まれたのは九重親方の存在あればこそ。まだまだ若いのに信じられない」とショックを隠しきれない様子で、生前に深めた親交に想いを馳せながらこう語った。

「ウルフマンの名前の由来はもちろん、当時最強の横綱として活躍されていた千代の富士関のニックネーム“ウルフ”にあやかったものです。

『超人オリンピック ザ・ビッグファイト』というシリーズで、キン肉マンと同じ日本代表超人のライバルとして登場させ一躍、大人気キャラクターになりましたが、それは当時の千代の富士関がすでに全国の子供たちにとって最強のヒーローだったから、という下地が世の中にあってのことでした。

やがて1983年に『キン肉マン』がアニメ化された際に、関係各社の自主規制でアニメ内では“リキシマン”という名に変更されたんですが、のちに九重親方に直接お会いした際、『なぜ名前を変えてしまったのか。ウルフマンのままでよかったのに』と私どもに自らおっしゃっていただいたことがあり、非常に感動したのを覚えています」

3年前の2013年7月に新宿FACEで開催されたイベント「週プレ大学  キン肉マン通巻100巻記念 謝肉祭~キン肉マンと学ぶエンターテインメント~」ではシークレットゲストとして登場し、ゆでたまご先生から愛弟子・千代大龍関に贈られた描きおろしの化粧まわし贈呈式にそろって参加。

「あの時は、国民栄誉賞を取られた方が僕らのイベントに駆けつけてくれるなんて、と大変感動しました。わずか3年前のことですが、その迫力は現役時代と変わらぬままで、あんなにお元気そうだったのに…。また是非、元気になられてお会いしたく思っていたんですが、今はただただショックで。心よりご冥福をお祈り申し上げます」

と沈痛な表情で語った嶋田先生。『キン肉マン』という作品にも多大な影響を及ぼした伝説の大横綱の逝去を悼んだ。

(取材・文/山下貴弘 撮影/佐賀章弘【謝肉祭】 (c)ゆでたまご/集英社)


九重部屋、元千代大海が継承へ=大相撲
時事通信 8月1日(月)18時33分配信

 大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)が死去したことに伴い、同親方が師匠だった九重部屋を、弟子で部屋付きの佐ノ山親方(40)=元大関千代大海、本名須藤龍二、大分県出身=が継承する見通しとなった。日本相撲協会の幹部が1日、明らかにした。

 2日にも手続きを済ませ、佐ノ山親方が年寄「九重」を襲名する。


キン肉マン作者が九重親方モデルのウルフマン秘話
日刊スポーツ 8月1日(月)17時14分配信

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元横綱千代の富士(写真は1982年9月30日)

 膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった大相撲元横綱千代の富士(九重親方)をモデルにした漫画「キン肉マン」に登場するキャラクター、ウルフマンについての裏話を作者のゆでたまご嶋田隆司氏が明かした。

 同キャラクターは千代の富士の愛称である“ウルフ”をその名前に冠した超人。しかしアニメ版では「リキシマン」と変更されていた。

 九重親方の訃報が伝わった7月31日、嶋田氏はツイッターで、「ウルフマンがアニメではリキシマンになったのは千代の富士関に気を使った自主規制だったのですが後に親方にお会いしたときに『ウルフマンでもよかったのに』ていう言葉が身に染みます」とのエピソードを明かして大横綱の死を悼んだ。

 九重親方(本名・秋元貢)は7月31日午後5時11分、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。


理事落選など不遇の晩年も…九重親方が最後に輝いた還暦の土俵入り
夕刊フジ 8月1日(月)16時56分配信

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還暦土俵入りをする九重親方(元横綱千代の富士)=2015年5月31日、両国国技館(撮影・山田俊介)(写真:夕刊フジ)

 優勝回数31回。優勝決定戦の勝率は6戦無敗の100%。勝負どころでの強さは無類だった“小さな大横綱”も病魔には勝てなかったということか。

 晩年の九重親方は決して恵まれてはいなかった。協会ナンバー2の事業部長をつとめ、トップの理事長まであと一歩というところまで上り詰めたが、昨年11月に急逝した北の湖理事長に対抗するかたちで理事のポストを失い、不遇の日を強いられた。2014(平成26)年初場所の理事選で落選したとき、「不徳の致すところです」と腹の底から絞り出すようにもらしたときの悔しそうな顔を昨日のことのように思い出す。

 そんな九重親方が最後の輝きを見せたのが昨年5月、満60歳になり、両国国技館の土俵の上で還暦の土俵入りを行ったときだった。太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士を従えて登場した九重親方は「これで老人の仲間に入った」と苦笑いしたが、雲竜型の土俵入りはまだ力強く、また赤い綱の下に締めた赤富士の化粧まわしはこの日のためにわざわざ新調したものだった。そこには、ドッコイ、オレはまだ死んではいないぞ、という心意気にあふれていた。

 しかし、そのわずか2カ月後に膵臓(すいぞう)がんを発症して入院、手術。秋場所で復帰したときは「オレはもう健康体。大丈夫だ」と話していたが、今年6月、あるパーティーで会ったときはすっかり痩せ、「病気だから仕方ないよ」と寂しそうに笑っていた。

 それから1カ月半後の訃報に、ただただ驚くばかりだ。と同時にこのところ、元横綱の早過ぎる死が続いているのが気になる。どうか元横綱はくれぐれもご自愛のほどを。 (大見信昭)


【元番記者が九重親方を悼む】横綱に見透かされた心の中
東スポWeb 8月1日(月)16時50分配信

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現役時代の九重親方は、角界の大黒柱として常に多くの報道陣に囲まれた

【元番記者が九重親方を悼む】平成が始まったばかりのころの名古屋場所だったと思う。「なぁ、それ伸ばしてんの?」。横綱千代の富士はニヤニヤしながらそう話しかけてきた。

 当時の私は30歳を超えたところ。年金をもらえるぐらいの大ベテランがわんさかといる相撲担当記者たちの中では完全な鼻タレだった。そこで少しでも貫禄があるように見せたいと、薄い口ひげを伸ばしていたのだ。

「うーん、やめたほうがいいなぁ。うん、やめとけ。似合わないよ。剃っちゃえ剃っちゃえ」

 確かにスカスカで貧弱だった。それでも何とか「ひげ」と認識してもらえるまで伸びてくれたのだ。何日か「まぁ、いいじゃないですか」と、はぐらかしていたのだが、ある日、全く予期していなかった言葉が飛んできた。

「なぁ、会社を代表して来てるってのは分かるし、ナメられないようにってのも分かるけどな、ひげを生やしたぐらいじゃどうにもならないぞ」

 見透かされていた。おくびにも出していなかったのに。土俵上そのままの鋭い観察力・洞察力。よく見ているからこそ「気負い」や「背伸び」といったものが分かったのだろう。

 次の日の朝、ひげを剃った私の背中をバシンと叩いて屈託のない笑顔を見せた千代の富士。記者として大切なことを学ばせてもらった気がする。最近は新聞で苦渋に満ちた顔しか見ていなかったが、あの日のウルフスマイルは一生忘れることはないだろう。ご冥福をお祈りします。


太い人生…見せて頂きました…カメラマンが見た千代の富士関
スポーツ報知 8月1日(月)15時32分配信

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最後の横綱土俵入りで、雲竜型を披露する千代の富士91年5月

 1989年、入社早々だった私は、よく相撲取材に行かせてもらっていた。新人カメラマンの主な仕事は暗室作業で、なかなかカメラは持たせてもらえなかったが、早朝の朝稽古を志願すると撮影に行かせてもらえたのだ。

 世は若貴ブームだった。横綱に大乃国、千代の富士、北勝海、大関には小錦、旭富士という豪華メンバーが揃っていた。番付下位の若花田、貴花田の取組が終わって一段落すると、そこから横綱、大関の取組取材が相撲担当カメラマンの日常だった。

 90年3月の春場所で、大阪に出張したときのことだ。1000勝を目前にした千代の富士に、朝から晩まで張り付いた。横綱はほとんど稽古せず、うっすら汗が出る程度までしこを践み、若い衆に胸を出し、鏡の前で土俵入りのポーズを繰り返し、それで終了だった。若貴兄弟が泥まみれになる稽古をよく撮影していた私は、ベテラン記者に「稽古しないんですかね」などと耳打ちしてしまったが、横綱は7日目に1000勝を達成。大阪府立体育館は超満員、大歓声で構えたカメラのシャッター音は全く聞こえなかった。フィルムの36コマはあっという間に終わった。

 その春場所は、弟弟子の北勝海が優勝。宿舎のパーティーはカメラマンでごった返し、場所の取り合いで大騒ぎになった。それを見ていた千代の富士は「こいつをつまみ出せ」と1人のカメラマンを指さし、若い衆が追い出した。騒ぎを詫びた私に、横綱は「お前は悪くない」と一言。後日、1000勝を記念したテレホンカードも頂いた。

 引退がささやかれていた91年3月。玉ノ井部屋の部屋開きで土俵入りした千代の富士に、風呂場の入り口で挨拶すると、にらみつけられ、胸ぐらをつかまれた。巡業中の支度部屋で写真撮影して逃げたカメラマンと私を勘違いしたらしい。必死に否定すると、今度は首根っこをつかまれ、付き人に「こないだのあれ、こいつか?」と“首実検”。「違います」“容疑”が晴れると「お前ら紛らわしいんだ」とあっさり釈放された。横綱に吊されている私を見て笑っていた付き人に「助けろよ」と言うと、「無理っす」と一言。無敵の横綱を体験し、本当の”冷や汗”をかかせてもらった。

 91年の涙の引退会見、会見を終えると先輩カメラマンが私に言った。「カメラマンは選手の人生を見てるんだから、ちゃんと撮ってあげなきゃだめなんだ。一番光ってるとき見てるんだから」と。私が見た千代の富士は、すでにスーパースターになりきっていた大横綱だったが。

 土俵入りは今でも一番かっこよかったと思う。朝青龍がお手本にしたらしい、と聞くと、本人は「塩のまき方しか似てないよ」と国技館のカメラマン控室で話していた。現場を離れて長いが、雲竜型の、あのかっこよさは誰にもかなわないと思う。(コンテンツ編集部 越川 亘=元写真部)


北の富士氏が九重部屋を弔問「横綱になってくれたすばらしい弟子」
サンケイスポーツ 8月1日(月)13時44分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が、膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝してから一夜明けた1日、現役時代の師匠で相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱、74)が東京都墨田区の九重部屋を弔問した。

 和服姿で現れた北の富士氏は、九重親方との約10分間の対面を終えて、報道陣の取材に対応。「あれだけの横綱になってくれたすばらしい弟子。豪快で繊細だった。本当に悔しいよね」と別れを惜しんだ。


担当記者が語るウルフの素顔…若手鍛え上げた「お山の大将」
スポニチアネックス 8月1日(月)13時36分配信

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1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。61歳。小兵ながら豪快な相撲でファンを魅了した国民的スター「ウルフ」を、スポニチの元担当記者がしのんだ。

 ▼龍川 裕(相撲記者クラブ会友)ちょうど、大関・貴ノ花が人気を博していた頃のことです。80年12月に九重部屋を訪問し、北の湖の日本刀を使って武士道をイメージした千代の富士の写真を撮らせてもらったのですが、そのときの千代の富士は自信に満ちあふれていました。81年1月の初場所後に大関に昇進しましたが、すでにその初場所中の土俵入りでは大関・貴ノ花よりも千代の富士に対する歓声の方が数倍も大きかったのを覚えています。貴ノ花から千代の富士へと、時代が完全に移り変わったと実感しました。

 横綱が出稽古することはなかった時代、押し相撲が苦手だった千代の富士は当時大関・琴風がいた佐渡ケ嶽部屋へ毎日通い、三番稽古で押し相撲を克服しました。そんな実体験からかゴルフを一緒にラウンドしたときにはOBだろうが、スコアが悪くなろうが「最後まで諦めるな」といつも言われました。北海道の実家を訪れたときにはご両親にお世話になりました。帰りには実家の塩辛をもらいました。本当においしい塩辛でその味とともに千代の富士には感謝しかありません。

 ▼富樫 嘉美(元相撲担当)駆け出しの1986年、九重部屋密着ルポの機会があった。都内の部屋に足を運ぶと、2階大広間の一角に1メートル四方のジグソーパズルがあった。確か大きな帆船だったが、横綱・千代の富士の趣味と聞いてびっくりした。小柄でも豪放磊落(らいらく)な印象しかなかったからだ。本人に尋ねると「おれは結構細かいことをしっかりやれるんだよ」と照れ笑いを浮かべていたのを思い出す。

 部屋の人間は千代の富士への尊称が「横綱」ではなく「大将」だった。これも珍しかった。そしてキャラ自体もまさにお山の大将。上り調子の部屋の違う若手を巡業の稽古でとことん鍛え、出はなをくじいた。こうして怖さを見せつけ、本場所の対戦の時、精神的優位に立つ。これも千代の富士流だった。

 引退後、弟子育成には手腕を見せたが、一門内での調整がうまくできず自らが望んだ理事長の椅子へは届かずじまいだった。親方になってもお山の大将気質が消えなかったのは確か。でも思う。もともとの能力の高さに気性の激しさがあったからこその千代の富士だったと。

 ▼仁木 弘一(元相撲担当、現大阪報道部デスク)九重親方には新人時代に仕事の厳しさを教えてもらいました。

 まだ現役時代のこと。当時横綱の千代の富士が90年8月の夏巡業でケガをして東京に帰京しました。その後、秋場所出場について自宅に取材に行けとデスクに言われて行きました。当時こちらはまだ新人。一方、千代の富士と言えば国民栄誉賞を受賞して、優勝回数も最多記録を更新していました。支度部屋でもウルフと言われ角界の第一人者と言われるほどの存在感と威圧感は凄いものがありました。

 ちゅうちょしながら自宅のインターホンを押したものです。最初はおかみさんが出て「横綱の具合は?」と聞くと「ちょっと待ってください」と言って横綱がインターホン越しに答えてくれました。びびりながらも、しっかりと応対してくれたことに感動したことを覚えています。その後も怖い存在でしたが、聞いたことには嫌みを言われながらも、ちゃんと答えてもらいました。横綱・貴乃花も同じような独特の存在感を持っていましたが、やっぱり千代の富士のすごみは今も忘れられません。


元横綱千代の富士死去 菅義偉官房長官「横綱の中の横綱だった」
産経新聞 8月1日(月)12時43分配信

 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は1日の記者会見で、横綱千代の富士として史上3位の優勝31度を誇った九重親方の訃報について、「心からご冥福をお祈り申し上げたい。『ウルフ』の愛称で国民から大変親しまれ、小柄ながらも厳しい稽古でつちかった強靱な肉体で、相撲に対しての人気を集めることになった。横綱の中の横綱だった」と語った。


北の富士さん、九重親方弔問「強い順番で…」
日刊スポーツ 8月1日(月)12時42分配信

 7月31日に死去した九重親方(享年61=第58代横綱千代の富士)のもとへ、大相撲解説者で第52代横綱の北の富士勝昭さん(74)が弔問した。1日、東京・墨田区の九重部屋を訪れ、約10分間の対面。「穏やかな表情だった。やっぱり、千代の富士らしい顔でね。ご苦労さんしかないでしょう」と話した。

 2人はもともと兄弟弟子だったが、北の富士さんが部屋を継承したため師弟関係に。その後千代の富士、北勝海(現八角理事長)を横綱に育てたが「これだけの弟子は2度と出るとは思わなかった。千代の富士とは縁もあって、横綱になってくれて先代に面目が立った。素晴らしい弟子に恵まれた」と明かした。

 3年前には大鵬さん、昨年11月には北の湖前理事長と、昭和の大横綱の相次ぐ訃報に「何でだろうねえ、強い順番で逝っちゃうんだな…」。61歳の若さでこの世を去った弟子に対しては「これは、もう若いも何も…。悔しいよね。本人も悔しいでしょう」と代弁した。


元千代の富士の次女・秋元梢、父をしのぶ
シネマトゥデイ 8月1日(月)12時37分配信

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モデルとして活躍する秋元梢(写真は2013年撮影)

 元横綱・千代の富士の九重親方の次女で、モデルの秋元梢が7月31日、Twitterを更新し、父をしのんだ。

 秋元は「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と切り出すと、「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と報告。「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と心境をつづった。

 黒いぱっつん前髪がトレードマークの秋元は、昨年10月にパリコレデビューを果たすなど活躍。昨年4月には俳優・松田翔太との熱愛が報じられたことも話題に。2009年にイベントでモデルデビューを飾った際には、父から「やりたいことをやれ」と言われたことを明かしていた。(編集部・中山雄一朗)


北の富士さん、無言の対面=亡くなった九重親方と
時事通信 8月1日(月)12時14分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が亡くなって一夜明けた1日午前、同親方の師匠だった相撲解説者の北の富士勝昭さん(元横綱)が、東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れ、無言の対面をした。

 九重親方は穏やかな表情だったそうで、「ご苦労さまとしか言えない。若い衆もいるし、心残りはあると思う」。重い口調で弟子の心を推し量った。

 横綱千代の富士が現役引退を決意した日、上がり座敷で涙を流した顔を鮮明に覚えているという。「豪快だが繊細。口は悪いが腹はそんなに悪くない。涙もろいよね」とその気質をしのんだ。「弟子の育成でも群を抜いてすごいものを持っていた」と早過ぎる別れを惜しんだ。

 九重部屋の前には一般の弔問客向けの献花台と記帳台が設置された。


北の富士さん、九重親方と無言の対面「悔しい」
読売新聞 8月1日(月)12時12分配信

 「ウルフ」の愛称で大相撲に一時代を築いた第58代横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が61歳で死去してから一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋には角界関係者らが弔問に訪れ、小さな体ながら土俵に君臨した大横綱の早すぎる死を悼んだ。

 九重部屋には1日午前10時40分ごろ、先代九重親方で現相撲解説者の元横綱、北の富士勝昭さん(74)が弔問に訪れた。着物姿で部屋を訪れ、九重親方と無言の対面を済ませた北の富士さんは、「穏やかな表情だった。病気は快方に向かっていると聞いていたのに。まだこれからだったのに悔しい」と言葉を詰まらせた。

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