« 元横綱千代の富士の九重親方が死去 | トップページ | 都知事選は小池百合子、上杉隆と桜井誠はそれぞれ4、5位 »

2016年7月31日 (日)

元横綱千代の富士の九重親方が死去・2

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が死去したことが31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所3日目の取組後に現役引退を表明した。
優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。

最初の記事

リンク:<千代の富士死去>出身地ファン悲しみ 記念館に記帳台 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>師匠「豪快で繊細」 関係者弔問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「横綱の中の横綱」=菅官房長官―千代の富士死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:師匠より先に…北の富士さん無念「なんで強い順番に逝っちゃうのだろう」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:名言残し弟子を数多くの関取に育て上げた小さな大横綱「千代の富士」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士が北の湖破り初V瞬間視聴率は65・3% - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「鋼の横綱」千代の富士、膵臓がんに屈す 61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元大関千代大海の佐ノ山親方が九重部屋を継承へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小さな大横綱死去、角界に悲しみ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:元横綱千代の富士死去 豪快左上手投げ、土俵君臨 綱の常識覆す先手の攻め - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「父の娘に生まれて幸せ…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらばウルフ!元千代の富士の九重親方、急死…がんが胃や肺などに転移 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「娘に生まれて幸せ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:無言の帰宅…佐ノ山親方“父”九重親方の手を握り「本当に寂しくなる」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の現役最後の相手・元貴闘力「懐の大きい人だった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【各界から悼む声】一時代を築いた心に残る横綱 尊敬できる方 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【親方衆から悼む声】本当に強かった…手が届かない偉大な横綱 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:千代の富士死す 小さな大横綱V31回、膵臓がんで…まだ61歳 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:さらば千代の富士…九重親方、膵臓がんで死去 相撲界初の国民栄誉賞 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:貴に引導、貴から引導…角界“世代交代”数奇なめぐり合わせ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた 1日千回もの腕立て伏せも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方、激やせ4日目急変…机に突っ伏し「きついなあ…。きついよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、九重親方「最期は苦しむ事なく…」 父への感謝もつづる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ウルフよ永遠に…我らがヒーロー“千代の富士”を名言とともに振り返る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:九重親方の次女、秋元梢「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢、父・九重親方に感謝「娘に生まれて、幸せです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<千代の富士死去>「まさか…」地元、言葉失う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:戦後の大横綱、相次いで…=大鵬、北の湖、千代の富士―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ライバルらも涙=「こんなに早くとは」―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 九重親方の死に「父の娘に生まれて、幸せです」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:秋元梢 父・九重親方を追悼「父の娘に生まれて幸せ」最期は「苦しむことなく」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:相撲協会も対応追われる=理事長「あまりにもショック」―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:まな弟子らが出迎え=「ウルフ」無言の帰宅―九重親方死去 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:小金沢昇司 元千代の富士「愚痴や悩みも1人で我慢する方」 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<千代の富士死去>出身地ファン悲しみ 記念館に記帳台
毎日新聞 8月1日(月)11時54分配信

 元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢さん)の死去から一夜明けた1日、出身地の北海道福島町にある「横綱千代の山・千代の富士記念館」に記帳台が設けられ、町民やファンらが、圧倒的な強さを誇った大横綱に別れを告げた。

 同町在住で九重親方の姉、小笠原佐登子さん(63)は「最近は柔和な表情になっていた。地元に少しでもお返しできればといつも話していた」と語った。親方の中学校の後輩で同町の保育士、金谷恵理子さん(58)は「町名を広めてくれた。体が悪いと聞いていたが、いまだに信じられない」と声を詰まらせた。金沢市から来たという南谷敏隆さん(69)は「時代を作った力士。急な死で心が痛い」と悼んだ。

 福島町は九重親方と、横綱・千代の山の出身地。同館は1997年に2人の業績をたたえるため開館。九重部屋を再現した稽古(けいこ)部屋もあり、毎夏九重部屋が合宿に訪れている。【遠藤修平】


<千代の富士死去>師匠「豪快で繊細」 関係者弔問
毎日新聞 8月1日(月)11時51分配信

 大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなってから一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋はひっそりとした雰囲気に包まれた。朝から花が続々と届く中、角界や後援会の関係者が弔問に訪れ、近所の住民らが部屋の前で手を合わす姿もあった。

 現役時代の師匠で元横綱の北の富士勝昭さん(74)も訪れ、約10分にわたり対面して別れを惜しんだ。その後に報道陣の取材に応じ、力のない声で「穏やかな表情だった。千代の富士は千代の富士です。豪快だけど繊細だった。口は悪いけど腹(の内)はそれほど悪くない。涙もろいし」と語った。

 九重部屋では一般のファンのための記帳と献花台を用意する予定という。【村社拓信】


「横綱の中の横綱」=菅官房長官―千代の富士死去
時事通信 8月1日(月)11時45分配信

 菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で、元横綱千代の富士の九重親方の死去について、「『ウルフ』の愛称で国民から親しまれ、体格は小柄だったが圧倒的な相撲で、横綱の中の横綱であった」と述べた。


師匠より先に…北の富士さん無念「なんで強い順番に逝っちゃうのだろう」
スポニチアネックス 8月1日(月)11時29分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が膵臓がんのため61歳で急死してから一夜明けた1日、現役時代の師匠だった相撲解説者の元横綱・北の富士勝昭氏(74)が東京都墨田区の九重部屋に弔問に訪れた。

【写真】若き日の家族写真。久美子夫人、優ちゃん、梢ちゃん、剛くんと笑顔の千代の富士

 九重親方と対面した北の富士氏は「穏やかな表情だった。やっぱり千代の富士らしい顔。千代の富士は千代の富士ですよ」としんみり。「豪快だけど繊細。口は悪いけど腹はそんなに悪くない。涙もろいし…これだけの弟子は二度と出るとは思わなかった。一代年寄を辞退してまで九重部屋を継いでくれた素晴らしい弟子。ご苦労さんしかない」と思い出を語り、小さな大横綱をねぎらった。

 「大鵬さん、北の湖さん、千代の富士…なんでだろう、強い順番に逝っちゃうのだろう」と鬼籍に入った昭和の名横綱をしのんだ北の富士氏。もっとも印象に残った一番を問われると、53連勝で止まった1988年九州場所の大乃国戦を挙げ「53連勝で止まった、大乃国に負けた相撲が自分は悔しかった。本人はケロっとしていたけど」と振り返り、「(91年に)辞めるときに上がり座敷で涙を流すとは想像していなかった」としのんだ。


名言残し弟子を数多くの関取に育て上げた小さな大横綱「千代の富士」
東スポWeb 8月1日(月)11時21分配信

868
故ジャイアント馬場さん(右)と笑顔でツーショットの九重親方(1981年1月)

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、すい臓がんのため急死(享年61)。現役時代には肩の脱臼癖を克服するために筋骨隆々の体をつくり上げ、小兵ながら圧倒的な瞬発力とスピードで大型力士を手玉に取った。獲物を狙う狼のような鋭い眼光から「ウルフ」の愛称でファンから親しまれ、国民的な人気を博した。優勝31回(歴代3位)をはじめ、53連勝(同3位)、通算1045勝(同2位)など数々の記録を打ち立てて一時代を築き、1989年には相撲界では初めてとなる国民栄誉賞を受賞した。

 引き際も印象的だった。91年夏場所初日に新鋭の貴花田(のちの横綱貴乃花)に敗れると、3日目に貴闘力に負けた夜に会見を開いて現役引退を表明。涙を浮かべながら「体力の限界…。気力もなくなり引退することになりました」との“名言”を残して潔く土俵を去った。

 引退翌年の92年には九重部屋を継承。数多くの弟子を関取に育て上げ、大関千代大海は3度の優勝を果たした。

 2008年には日本相撲協会の理事に初めて就任。広報部長や審判部長などを歴任し、12年からは協会のナンバー2にあたる事業部長の要職を務めた。しかし、14年の理事選では親方衆の支持が広がらずにまさかの落選。その後は大横綱でありながら、役員待遇さえも与えられない“不遇”の時期が続いた。実績の面で見れば本来は理事長になってもおかしくはなかったが、最後まで協会トップの座に就く機会はなかった。

 それでも、角界に多大な功績を残した「千代の富士」の名は永遠に色あせることはない。現役時代の活躍で大相撲のファン層の拡大に大きく貢献した。師匠としても卓越した手腕を発揮し、現役関取6人は角界最多を誇る。定年まであと4年を残して天国へと旅立った九重親方。相撲界は、あまりにも大きな存在を失った。


千代の富士が北の湖破り初V瞬間視聴率は65・3%
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

843
81年1月、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(右)

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。

 現役時代はお茶の間の相撲ファンをくぎ付けにした。NHKが81年1月25日に中継した千代の富士が北の湖を破って初優勝した初場所千秋楽の平均視聴率は52・2%(ビデオリサーチ調べ)。大相撲の平均視聴率としては歴代トップ。瞬間最高では65・3%を記録した。84年の九州場所で10回目の優勝を果たした11月23日の放送も38・9%を記録している。


「鋼の横綱」千代の富士、膵臓がんに屈す 61歳
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

867
84年9月、高々と足を上げ、力強い四股を踏む第58代横綱千代の富士

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。「ウルフ」の愛称で親しまれ、史上3位の31度の優勝など昭和から平成にかけて一時代を築き、89年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞。大鵬、北の湖に続き道産子の大横綱がこの世を去った。

 横綱千代の富士はケガとの闘いを乗り越え、史上初の通算1000勝、31度の優勝を達成した。度重なる肩の脱臼などにも弱音をはかなかった。わが道を貫き、角界をけん引してきた、そんな小さな大横綱も、病にはかなわなかった。

 午後5時11分、家族全員にみとられて逝った。遺体を乗せた車に、久美子夫人と長男剛さんが同乗。都内の病院から、午後8時12分に東京・墨田区の九重部屋に到着した。キャスター付きベッドに乗せられ、佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが寄り添った。力士らは師匠の遺体に触れ「ありがとうございました」と涙を流しながら言葉をかけた。

 九重親方は昨年5月末に両国国技館で還暦土俵入りを披露。その後、膵臓がんが見つかり、手術を受けた。「早期発見で良かった」と喜び、以後は1滴もアルコールを口にしなかった。しかし、最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。

 70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し「小さな大横綱」と称された。角界のプリンスと人気を博した大関貴ノ花に代わるように看板力士となり、筋肉質の体で北の湖らと一時代を築いた。身長183センチ、125キロ前後の細身ながら、スピード、引き締まった体、眼光の鋭さなどで老若男女を魅了した。

 91年夏場所。初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目に貴闘力に屈し現役を引退。「体力の限界…」と涙する姿は感動を呼んだ。92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育てた。

 協会内では日本相撲協会理事として事業部長や審判部長などを務めた。しかし、14年の理事候補選に落選。今年1月の理事選も出馬の意向を持っていたが、票がまとまらず断念した。夢に描いていた第2の千代の富士育成に心血を注ぐ-。そう心機一転した直後に待っていた人生の最期。波瀾(はらん)万丈の人生に、幕を下ろした。

 日本相撲協会は今日1日、両国国技館で臨時の理事会を開く。協会葬やファンに向けたお別れの会などの開催が検討される。

 ◆膵臓(すいぞう)がん 膵臓にできる悪性腫瘍。早期の場合はほとんどが症状に表れず、早期発見が難しい病気。多くが進行している状態で発見されて、手術不可能な状態で見つかることも多い。手術したとしても、3年以内に再発する可能性が高く、5年生存率(5年間がんが再発しなければ完治したと言われている)は10~20%とされている。

 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝は史上2位。優勝31回は同3位。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝をマーク。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。三賞7度。金星3個。91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄「九重」を襲名して部屋継承。家族は夫人と1男2女。

<葬儀日程>

 ▼通夜 6日午後6時から、東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋

 ▼葬儀・告別式 7日午後0時半から、同所

 ▼喪主 妻久美子(くみこ)さん


元大関千代大海の佐ノ山親方が九重部屋を継承へ
日刊スポーツ 8月1日(月)10時2分配信

866
生前の思い出を語る佐ノ山親方(撮影・神戸崇利)

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。

 佐ノ山親方は無念の表情で師匠との思い出を語った。入門時に「『お前、すごい頭して来たな』と言われた」のが始まりで、名古屋場所中の稽古場での会話が最後。病院での面会時は意識もなかったが「血のつながりはないけど、本当の自分の父親とずっと思っていた」。部屋については「生前『次はお前が引っ張っていってくれよ』と言われていたので、できる限り頑張らせていただきます」。九重親方が一代年寄を辞退したのも部屋の継承を望んでいたためで、今後は佐ノ山親方が部屋を引き継ぐ見通し。


小さな大横綱死去、角界に悲しみ
読売新聞 8月1日(月)9時59分配信

865
(写真:読売新聞)

 「ウルフ」のニックネームで親しまれた大相撲の元横綱千代の富士、九重親方が31日、61歳でこの世を去った。

 1メートル83で軽量ながら、小錦、大乃国ら巨漢力士をなぎ倒し、優勝は歴代3位の31度。昨年11月には同じ北海道出身で優勝24回の元横綱、北の湖前理事長も亡くなったばかり。大横綱を相次いで失った角界は大きな悲しみに包まれた。

 千代の富士という力士がその名をとどろかせたのは、初優勝を遂げた1981年初場所だった。新関脇から2場所目、25歳の千代の富士は初日から14連勝の快進撃。千秋楽、北の湖との本割では敗れたが、優勝決定戦で北の湖を破って初の賜杯を獲得した一番は、テレビ中継の瞬間視聴率が60%を超え、「世代交代」を象徴する一番となった。


元横綱千代の富士死去 豪快左上手投げ、土俵君臨 綱の常識覆す先手の攻め
産経新聞 8月1日(月)7時55分配信

864
春場所で、雲竜型の土俵入りを披露する横綱千代の富士=昭和62年3月30日、大阪府立体育会館(写真:産経新聞)

 度重なる肩の脱臼を乗り越え、角界の頂点に立った「小さな大横綱」も病には勝てなかった。61歳。まだまだ活躍が期待される存在。早すぎる訃報だった。

 逆境にも決して弱音を吐かなかった「ウルフ」。この負けん気の強さ、並外れた闘争心が土俵人生を支えた。

 足腰が強くて、運動神経は抜群。幕下の頃から有望視されていたが、無理な格好で投げを試みることもあって、けがが多く、足踏みした。

 そんな苦境を救ったのが筋力トレーニング。鍛錬で肩の周りを筋肉で固め、丹念な四股で下半身も強化した。これで取り口が変わった。鋭く踏み込んで左前まわしを引き、一気に勝負に出る「自分の型」。相手より数瞬速く立ち、相手の懐に潜る。右四つからの豪快な左上手投げは、先手先手の攻めが生み落とした果実だった。力士というよりまるで短距離走者。横綱は下位力士の攻めを受けて立つもの-という旧来の常識を覆すスプリント勝負は、「横綱像」を根底から変えた。

 軽量の弱点を克服するため、パワーのある力士を求めて他の部屋へ単独で武者修行。部屋では後輩の横綱北勝海との息もつかせぬ稽古を重ねた。

 努力を惜しまず、昭和後半から平成の初めにかけて一時代を築いたが、平成3年夏場所、初日に初顔合わせの貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目を最後に土俵を去った。“引き際の美学”も鮮やかだった。


九重親方の次女、秋元梢「父の娘に生まれて幸せ…」
日刊スポーツ 8月1日(月)7時54分配信

863
12年12月、一緒にイベントに参加した九重親方と次女でモデルの秋元梢

 大相撲元横綱千代の富士の九重親方の訃報が伝わった7月31日、各界の友人も悲しんだ。モデルとして活躍中の次女、秋元梢(29)は最愛の父への感謝の言葉をツイッターに投稿した。

 次女の梢はこの日夜、ツイッターにメッセージを書き込んだ。

 「最期は苦しむことなく、家族全員にみとられて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます」

 最後にこうつづった。

 「父の娘に生まれて、幸せです」

 最愛の父だった。09年にヘアサロンのカットモデルをへて本格的にモデル活動を始めた時、父から言われたのは「やりたいことをやれ。手伝えることがあれば手伝う」。端正な顔立ちは父親譲り。スリムな体形もDNAを受け継いだ。普段の様子について聞かれると「普通のお父さんだと思います」と答えたが、理想の男性像は「父に勝てる人」。基準は父だった。4年前に父娘初共演となったハンバーガーチェーンのPRイベントでも終始、仲の良さを感じさせる掛け合いが印象的だった。

 父は昨年9月、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていたことを公表した。今年7月19日のウエディングコレクション発表会に出演後、父の病状について取材陣に聞かれたが、答えることができなかった。ウエディングドレスについて質問されると「結婚式は一生に1度のもの。だったら派手でも着たい」と答えたが、父に花嫁姿を見せることはかなわなかった。

 死去直前の31日昼ごろ、ツイッターに7月27日の自分の誕生日を祝ってくれたスタッフに感謝の言葉を投稿した直後、父の最期をみとることになってしまった。


さらばウルフ!元千代の富士の九重親方、急死…がんが胃や肺などに転移
スポーツ報知 8月1日(月)7時5分配信

862
91年5月、横綱土俵入りで雲竜型を披露する千代の富士

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が、31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。精悍(せいかん)な顔つき、筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で親しまれた。昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残し、89年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞。91年夏場所中に現役を引退、92年4月に九重部屋を継承。日本相撲協会でも重職を担った。

 大横綱、千代の富士が逝った。7月の名古屋場所を途中で休場。15年に手術を受けたすい臓がんが完治せず、31日午後5時11分、入院していた都内の病院で家族にみとられ、苦しむことなく息を引き取った。久美子夫人と長男の剛氏に付き添われ、東京・墨田区内の部屋に遺体が到着したのは午後8時12分。部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)と幕内・千代の国ら力士6人が出迎え、ひつぎを運んだ。

 15年7月にすい臓がんの手術を受け、今年4月には体調が悪化して入院。最近がんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らし、体重は13キロも減ったという。ただ、7月の名古屋場所は初日から勤務し、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気だったが、4日目の13日を最後に休場した。居合わせた関係者によると、重い足どりで室内に入り、いすに座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」とマスク越しに声を絞り出し、目を閉じた。大横綱がやせ我慢さえできないほど弱っていた。帰京後に入院。午後8時半過ぎ、玄関先で対応した佐ノ山親方によると、この日の昼に病室を訪ねて声をかけたものの「声をかけても反応しなかった」という。

 同郷の北海道・福島町の横綱・千代の山の先々代・九重親方に「飛行機に乗せてあげる」と誘われ、中学3年で上京。1970年秋場所で初土俵。抜群の運動神経と昆布漁を営む家業の船の上で鍛えた足腰に支えられ、19歳5か月で新十両に昇進。後に師匠となる横綱・北の富士(先代九重親方)が、激しい気性と鋭い眼光の弟弟子に「ウルフ」の異名を与えた。

 入幕直後から両肩の脱臼に苦しめられたが、1日500回の腕立て伏せ、20キロのダンベルを振り回す過酷な練習でけがを克服。小柄ながら一気に寄る速攻相撲を体得し、豪快な左上手投げを武器に、81年初場所では関脇で初優勝と同時に大関に昇進。同年の名古屋場所で2度目の優勝を果たして横綱に昇進した。

 言葉力も一流だった。若手のホープだった貴花田(現貴乃花親方)との対戦を周囲が望んでいると知り「早く上がってこないと俺が引退してしまうぞ」とインタビューを通じて“挑発”した。その貴花田に91年夏場所初日に敗れて世代交代を実感。2日後に「体力の限界。気力もなくなり、引退することになりました」と土俵に別れを告げた。

 89年秋場所では大潮の通算最多勝記録(当時)を更新。当時の海部総理から角界初の国民栄誉賞を授与された。相撲協会から功績を認められて一代年寄を打診されたが、「部屋を一代限りで終えたくない」と辞退。引退後は九重親方として大関・千代大海ら多くの関取を育てた。葬儀・告別式は「部屋から送り出したい」という久美子夫人の意向で、九重部屋で営まれる。

 ◆九重 貢(ここのえ・みつぐ=本名・秋元貢)1955年6月1日、北海道生まれ。70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に横綱昇進。優勝回数は史上3位の31回。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。90年春場所に史上初の通算1000勝達成。通算1045勝は史上2位、幕内807勝は同3位。91年夏場所限りで現役引退。92年4月に年寄「九重」を襲名し部屋継承。08年2月に初めて日本相撲協会理事に就任。弟子の八百長関与で11年に辞任したが、12年に復帰し事業部長。14年の理事候補選挙で落選。家族は久美子夫人と1男2女。次女の秋元梢はモデル。


九重親方の次女、秋元梢「娘に生まれて幸せ」  
スポーツ報知 8月1日(月)7時5分配信

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇る第58代横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が、31日午後5時11分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。

 九重親方の次女で人気モデルの秋元梢(29)はこの日午後11時半ごろ、ツイッターを更新し「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」とつづった。

 関係者によると、秋元は東京・墨田区の九重部屋で弔問客の応対に追われたという。秋元はこの日午前11時40分からJ―WAVEの「TOKYO DISTRICT」に生出演していた。先月19日にイベントに出演した際、父について報道陣から問いかけられたが、無言を貫いていた。


無言の帰宅…佐ノ山親方“父”九重親方の手を握り「本当に寂しくなる」
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 九重親方の遺体は都内の病院から午後8時12分に東京都墨田区の九重部屋に久美子夫人や長男・剛さんら家族とともに戻ってきた。

 部屋の玄関前では部屋付きの佐ノ山親方(元大関・千代大海)や幕内・千代の国ら所属力士が迎えストレッチャーに乗せられた亡き師匠を部屋の中に運び込んだ。悲しみの対面をした佐ノ山親方は「本当に寂しくなる」と目に涙を浮かべた。

 愛弟子の佐ノ山親方は九重部屋で取材に応じ、「血のつながりはないが、父親としてずっと思っていた」と声を絞り出した。この日、九重親方とは病院で面会したが、すでに意識はなかったという。「声を掛けても反応しなかった。名古屋場所の朝稽古で力士を指導していたのが最後の言葉でした。(帰ってきた遺体と)手を握りながら“ありがとうございました”と言いました」と話した。

 若い頃、ケンカに明け暮れた悪ガキだった佐ノ山親方。金髪にそり込みを入れて、入門を申し込みにいくと九重親方に「その頭を何とかしてこい」と一喝された。心を入れ替えて弟子入り。師匠の厳しい指導で、番付を駆け上がり、大関まで昇進した。

 現在、九重部屋付き親方として弟子の指導に当たっているが「生前時、次におまえが引っ張っていけと言われていた。これから不安にならないように頑張らせていただきます」と決意を述べた。


九重親方の現役最後の相手・元貴闘力「懐の大きい人だった」
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

861
1991年5月場所3日目 貴闘力戦  現役最後の取り組み

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 九重親方の現役最後の相手、元貴闘力の鎌苅忠茂氏は「1年ほど前に食事の席で会ったのが最後。その時は元気だったので…」と驚いた様子。

 鎌苅氏は2度目の対戦で初めて勝った91年夏場所の一番よりも初対戦で負けた時の方が記憶が鮮明だという。「横綱がなんぼのモンじゃいと顔を張っていった。(横綱の顔を張るのは失礼に当たるが)後から横綱に“若い者はこれくらい元気じゃないと”と言われ懐の大きい人だと思った」と故人をしのんだ。


【各界から悼む声】一時代を築いた心に残る横綱 尊敬できる方
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

860
1991年5月14日、現役最後の土俵入りを披露する千代の富士

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします。

 ▼楽天・梨田監督(現役時代からの交流)悪いのは知っていたけれど、凄いショック。残念。開幕前に電話で話をしたら「だいぶ良くなっている」と言って声も元気だった。思い出はいっぱいある。酒も豪快だったしね。何とも言えない寂しい感じです。

 ▼日本ハム・栗山監督 キャスター時代に食事をしたことがある。おおらかな人でこんな人になりたいと思った。ケガをトレーニングで克服した人で、大学の授業でも千代の富士さんの話をよくさせてもらった。

 ▼ロッテ・伊東監督 ボクシングの試合を見に行って席が隣になったことがあった。相撲人気が復活してきた中で、ヒーローが1人いなくなったのが残念。

 ▼J2横浜FC・FW三浦知良 面識はあります。レストランやいろいろなところで何度かお会いしたことがあります。まだお若いですよね。残念です。

 ▼レスリング女子53キロ級・吉田沙保里 偉大な方が亡くなった。以前からかわいがってもらい、本当に尊敬できる方だった。体調を崩されていたのは聞いていた。必ず治ると信じていたが…。

 ▼漫画家・やくみつるさん 闘志を前面に出して相手に食らいついていく姿勢やアスリートのような筋肉質な容姿は、それまでの力士にはないものだった。相撲界の新たな時代が始まると見ていて胸の高鳴りを感じた。昨年亡くなった北の湖親方といい、一時代を築いた力士の早過ぎる死に強い無力感、脱力感を覚える。


【親方衆から悼む声】本当に強かった…手が届かない偉大な横綱
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

823
元横綱千代の富士の九重親方

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 ▼尾車親方(元大関・琴風) 年齢は2つ上、まさに戦友でした。初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても、巡業にいてもいつも胸を合わせました。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです。これからは協会のご意見番としてアドバイスをいただきたかっただけに残念です。

 ▼春日野親方(元関脇・栃乃和歌) 手が届かない偉大な横綱と対戦できたことは忘れられない。初めて対戦した時の立ち合いの鋭さ、速さは、今までにない感覚だった。

 ▼芝田山親方(元横綱・大乃国) 体重は圧倒的に自分の方が多かったが、力が強かった。(連勝を53で止めた一番について)優勝がかかった一番ではなかったが自分のプライドもあった。負けっ放しで自分のプライドもあった。何とかしないとと思って臨んだ結果だった。当時は横綱に千代の富士がいて同部屋の北勝海がいて一門が違う大乃国がいた。そういう相手がいたから土俵を沸かせられたのではないかと思う。

 ▼浅香山親方(元大関・魁皇) 北の湖理事長もそうだったが、九重親方も相撲界のためにと思って無理をされていたのだと思う。九重親方の1000勝は私のものと比べるものではない。九重親方の体で大きな体の相手を倒したのは凄い。レベルが違う。


千代の富士死す 小さな大横綱V31回、膵臓がんで…まだ61歳
スポニチアネックス 8月1日(月)7時2分配信

860
1991年5月14日、現役最後の土俵入りを披露する千代の富士

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。61歳だった。九重親方は昨年5月末に自身の還暦土俵入りを行った後、早期の膵臓がんが見つかり手術。一時は職務に復帰して元気な姿を見せていたが、がん発見から1年余りで帰らぬ人となってしまった。

 昭和の最後の土俵を彩った「小さな大横綱」千代の富士が、人生においてもついに体力の限界を迎えた。都内の病院に愛弟子の佐ノ山親方(元大関・千代大海)が駆けつけたときにはもう意識がなかったという。午後5時11分、妻・久美子さん、次女でモデルの秋元梢ら家族が見守る中、苦しむことなく静かに息を引き取った。

 7月の名古屋場所では所属する監察委員室に初日から現れ、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気いっぱいだったという。それが4日目になると様子が急変。居合わせた関係者によると、重い足取りで室内に入り、椅子に座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」と声を絞り出し、目を閉じた。「大将」と呼ばれ照れ屋で強がりで皮肉屋でもあったが、やせ我慢すらできないほど弱っていた。翌日から緊急帰京して休場。場所後に名古屋市内で行われた九重部屋千秋楽パーティーも欠席していた。

 精かんな顔つきと筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で呼ばれた九重親方は、昨年6月1日に60歳の誕生日を迎えた。その前日に行った還暦土俵入りでは太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士の現役横綱を従えて元気な姿を見せていたが、その直後に病魔が襲った。早期の膵臓がんが見つかったため手術を受け、同7月の名古屋場所を休場。それでも治療により2カ月後の秋場所では職務に復帰し、同場所で休場した白鵬に対し「8年間休場なく頑張ってきて疲れも出てきたのかな。万全な体調で出てきてほしい」とエールを送っていた。だが、今年に入ってがんが再発。関係者によるとがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。3月の春場所には体は急激に痩せ始め、7月には都内で乗用車を運転中、接触事故も起こした。

 現役時代は120キロ台の小さな体ながら抜群の実力で国民的人気を誇った。70年秋場所に15歳で初土俵を踏み、11年後の81年に横綱昇進。鍛え抜かれた腕力を生かした上手投げ「ウルフスペシャル」を武器に史上3位の31回の優勝、史上2位の通算1045勝など数々の記録を打ち立てた。89年には大相撲界から初めて国民栄誉賞を受賞。91年の引退時には会見で「体力の限界、気力もなくなり、引退することになりました。以上です」と言葉を振り絞ったシーンは多くの相撲ファンの記憶に深く刻まれた。

 引退後は日本相撲協会理事を務めていたが、理事長の座に届かず、最後は理事の座まで失った。それでも92年4月から九重部屋を継承し、後進の指導に携わるようになってからも大関・千代大海を育てるなど親方として手腕を発揮。現在も幕内・千代鳳ら6人の関取衆が在籍している。大相撲の枠を超えた国民的スターが、あまりにも早く61年の生涯に幕を下ろした。

 ◆九重 貢(ここのえ・みつぐ)本名・秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道福島町生まれ。70年秋場所で初土俵。75年秋場所新入幕を果たし、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。優勝31回(史上3位)。通算成績1045勝(史上2位)437敗159休。91年夏場所で引退し、年寄「陣幕」を襲名。92年4月に「九重」を襲名し、部屋を継承して師匠に。08年から理事、12年から協会No.2の事業部長を1期2年務めた。


さらば千代の富士…九重親方、膵臓がんで死去 相撲界初の国民栄誉賞
サンケイスポーツ 8月1日(月)7時0分配信

859
小さな大横綱として国民的な人気を博した元横綱千代の富士。ウルフの愛称で一時代を築いた=平成元年9月(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都文京区の東京大学附属病院で死去した。61歳。体重120キロ台の小兵ながら53連勝、通算1045勝、相撲界初の国民栄誉賞など数々の栄光を手にした。現役引退後は九重部屋を継承、事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。昨年5月31日に還暦土俵入りを披露したが、同9月に膵臓(すいぞう)がんで手術を受けていたことを公表していた。

 また一人、時代のヒーローが“旅立った”。元横綱千代の富士が、膵臓(すいぞう)がんのため、61歳の若さで急逝。この日午後5時過ぎ、東京大学附属病院で家族に看取られて静かに息を引き取った。昨年5月31日、露払い日馬富士、太刀持ち白鵬の両横綱を従えて還暦土俵入りを披露したのが最後の雄姿となった。

 精悍な顔つきと筋肉質の体から、先代九重親方(元横綱北の富士)に“ウルフ”と名付けられた。昭和45年秋場所初土俵。100キロ足らずの軽量で、両肩の脱臼と再三の故障にもかかわらず、同49年九州場所で新十両。同50年秋場所で新入幕を果たしたが、右上腕の筋を切り幕下まで転落。同53年初場所再入幕し、名古屋場所で新三役になったが、右肩脱臼で十両に転落した。

 この肩の脱臼による一時期の低迷も、20キロのダンベルの上げ下ろしと1日500回の腕立て伏せで肩周りに“筋肉のよろい”をつけた。左前みつを引いての速攻相撲を完成させると花が開いた。

 関脇を2場所で突破、大関を3場所で駆け抜け、同56年名古屋場所後に横綱昇進。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し、「小さな大横綱」と称された。昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残し、平成元年9月には相撲界で初の国民栄誉賞を受賞した。優勝回数は史上3位の31回。その内、優勝決定戦は6戦全勝。休場明け優勝6回。一人横綱場所14場所中10回優勝と勝負強さが光った。平成2年春場所で史上初の通算1000勝を達成した。

 元大関貴ノ花とは不思議な縁があった。北海道巡業に来た“相撲界のプリンス”に上京前日に励まされ、目標の人となった。「タバコを止めたら、もっと太るぞ」というアドバイスに従って禁煙、体が太りはじめて大関に突進した。

 貴ノ花が引退した昭和56年初場所。千代の富士が関脇で初優勝、場所後に大関のバトンを受けた。そして平成3年夏場所。横綱千代の富士は貴ノ花の次男・貴花田(後の横綱貴乃花・現貴乃花親方)に敗れ、今度は自身の引退を決意。「体力の限界、気力もなくなり、引退することになりました、以上」との言葉は今も相撲ファンの記憶に深く刻まれている。

 同4年4月に年寄「九重」を襲名し、部屋を継承した。大関千代大海らを育てた。同20年に初めて日本協会理事に就任。広報部長、審判部長、事業部長などを歴任したが、同26年の理事選挙で落選した。昨年夏には膵臓(すいぞう)がんを患った。最近、がんが胃や肺に転移していることを周囲に漏らしていた。今年7月の名古屋場所は初日から勤務したが、4日目の13日を最後に休場。その後、入院していた。大相撲の枠を超えた国民的スターが波瀾(はらん)万丈の人生に幕を下ろした。


貴に引導、貴から引導…角界“世代交代”数奇なめぐり合わせ
スポニチアネックス 8月1日(月)5時41分配信

858
91年5月12日、横綱・千代の富士(左)を寄り切りに破った貴花田

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 「角界のプリンス」と呼ばれた人気大関貴ノ花(のち二子山親方、故人)を引退に追い込み、その息子で「若貴ブーム」の主役だった貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れたことが土俵を去るきっかけになった。千代の富士には、この親子との世代交代のドラマがあった。

【写真】1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 1980年九州場所3日目。三役に定着した25歳の千代の富士は30歳の大関貴ノ花を一方的に破った。「タバコをやめれば体重が増えて強くなれる」と同じ軽量で苦しんだ貴ノ花にアドバイスを受け、禁煙したというのは有名なエピソードだった。

 それから10年たった91年夏場所初日。35歳の千代の富士は18歳の貴花田と対戦し、若武者の寄りに屈した。その2日後、貴闘力に敗れて引退を表明。出世のきっかけをつくってくれた“恩人”の息子を後継者と見定め、潔く土俵を去った。


小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた 1日千回もの腕立て伏せも
スポニチアネックス 8月1日(月)5時1分配信

857
1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

 ◇元横綱千代の富士・九重親方死去

 千代の富士は横綱としては恵まれた肉体ではなかった。身長1メートル83で体重は120キロ台の小兵。肩には脱臼癖もあった。だが、その弱点を克服するために取り入れた筋力トレーニングが飛躍のきっかけとなった。

 当時、相撲の稽古は四股、てっぽう、すり足が中心。筋トレには否定的な見方が強かった。だが、千代の富士は稽古場に相撲部屋では初めて腹筋台やバーベルを持ち込んだ。自宅でも1日1000回もの腕立て伏せ。東京都江戸川区の8畳の自室は4カ月に一度、畳替えをしなければならないほどすさまじいトレーニングだったという。

 この脱臼癖により、相撲を変えたことも成功につながった。若い頃は軽量ながら相手を引っ張り込んで、強引に上手投げに持っていくことが多かった。だが、脱臼のリスクを軽減するため、前まわしを引いて頭をつける取り口に変えていった。関脇だった81年初場所、初日から14連勝を飾った千代の富士は千秋楽の本割で横綱・北の湖に敗れたが、優勝決定戦では体格で勝る北の湖に頭をつけて上手投げで仕留め初優勝を飾った。この時の視聴率は52・2%で現在でも大相撲中継の最高視聴率となっている。

 横綱になってからは輝かしい栄光を築き上げた。休場明けだった88年夏場所7日目から同年九州場所14日目まで53連勝を飾った。89年名古屋場所では、同じ九重部屋所属の北勝海との史上初の同部屋横綱優勝決定戦を制して28回目の優勝を飾った。場所前の6月12日には「乳幼児突然死症候群」で生後3カ月の3女を亡くしていたが、気力を振り絞って土俵に上がり続けて賜杯を抱いた。この場所も含め、休場明けの優勝は6度にも及んだ。脱臼癖を克服した横綱は卓越した精神力も身につけ、大横綱となった。


九重親方、激やせ4日目急変…机に突っ伏し「きついなあ…。きついよ」
サンケイスポーツ 8月1日(月)5時0分配信

856
賜杯と現在モデルで活躍する次女の梢ちゃんを抱き、後援者と喜ぶ千代の富士=1988(昭和63)年5月。誰からも好かれる偉大な横綱だった(写真:サンケイスポーツ)

 大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都文京区の東京大学附属病院で死去した。61歳。

 「小さな大横綱」が、病魔に屈した。大相撲の枠を超えた国民的ヒーローの死。昭和の灯が、またひとつ消えた。

 複数の部屋関係者によれば、同親方は7月の名古屋場所前から同地へ入り、部屋の稽古では連日、力士らに声をかけていた。周囲は急激に痩せた姿を目の当たりにして、驚いたという。現役時代の九重親方は身長1メートル83、横綱となっても125キロ前後と小兵ながら、大型力士を次々となぎ倒した。

 贅肉(ぜいにく)とは無縁で、アスリートを思わせる引き締まった肉体は病魔でやせ細り、関係者の一人は「(体重が)100キロを割ったと聞いた。現役時代から初めてのこと。衝撃を受けた」と明かす。

 このとき、すでに固形物を受けつけず、部屋の若い衆がミキサーでつくったフルーツジュース程度しか口にできなかったという。名古屋場所には所属する監査委員室に初日から現れていたが4日目に様子が急変。重い足取りで室内に入り、いすに座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」。大きなマスク越しに声を絞り出し、目を閉じた。“小さな大横綱”が、やせ我慢もできないほど弱っていた。

 昭和45年秋場所初土俵。左前まわしを引いて一直線の寄り、電光石火の速攻で出世街道を駆け上がり、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。相手の頭を押さえつけて土俵へたたきつける豪快な上手投げは「ウルフスペシャル」と命名された。威圧感が常に漂っていたが、涙もろいところも。弟子の断髪式では関取になれなくても努力した姿を思い浮かべ人目をはばからずに号泣。ライバル北の湖理事長の死去翌日には真っ赤に腫れた目で「切ないよな」とつぶやいた。

 名古屋場所は初めから休場する選択肢もあったという。それでも、有力後援者には「しんどいけど、闘病に引退はないから」と伝えていた。最後の最後まで、人生の“気力”を燃やし続けた。


秋元梢、九重親方「最期は苦しむ事なく…」 父への感謝もつづる
サンケイスポーツ 8月1日(月)0時22分配信

855
イベントに参加した九重親方と次女でモデルの秋元梢=2012年12月20日撮影(写真:サンケイスポーツ)

 31日にすい臓がんのため東京都内で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)の次女でモデル、秋元梢(29)が自身のツイッターを更新。父親の訃報を報告した。

 梢は「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と報告し「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と九重親方の最期の様子を伝えた。そして「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます」と謝辞。

 最後には「父の娘に生まれて、幸せです。秋元梢」と父への感謝の気持ちをつづった。

 九重親方は、大相撲で史上3位の優勝31度。現役時代は“ウルフ”と呼ばれ、1989年には角界で初めて国民栄誉賞を受賞した。61歳だった。現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。


ウルフよ永遠に…我らがヒーロー“千代の富士”を名言とともに振り返る
MEN’S+ 8月1日(月)0時19分配信

854
いまや世界で活躍するモデル、梢ちゃんがまだ生まれたばかりの頃です。

角界の偉大なるヒーロー
 『メンズクラブ』「メンズ・プラス」の読者の中でも、お兄さんクラスの40代の方にとって、おそらく絶大なるヒーローではなかったでしょうか。横綱千代の富士、のちの九重親方が2016年7月31日(日)、61歳の若さで亡くなられました。昨年2015年11月には、千代の富士の兄的存在であった北の湖も亡くなられたばかり。角界の昭和のヒーローたちが次々と…。 
 
 当時、千代の富士ファンであった読者の皆さんも多かったことでしょう。身長は183cmであるも体重は127kgと、決して有利とはいえない体格でありながらも負ける気がしなかった千代の富士の全盛期。体重別の階級制度がない相撲ならではの楽しみとして、千代の富士対巨漢力士の代表であった小錦との取り組みはいまでも忘れらないのではないでしょうか。
 
 そんな子供の頃のヒーローであった千代の富士の土俵入り、および立合いの写真、加えて名言をここで特集します。これをご覧になって、皆さんもリアルに千代の富士の思い出を甦らせてください。学校から帰宅しランドセルを放り投げ、台所では母がトントンと音を立てながら夕飯の支度をするなかテレビをワクワクしながら観ていた頃を。
 
 のちのちに八百長疑惑も叫ばれたりしますが、真実は藪の中。少なからず千代の富士は、当時の我々に確実に元気を与えてくれたヒーローなのです。その感謝の気持ちとともに、この特集をご覧ください。そして、改めて千代の富士の強さを再確認することでお別れの儀としましょう。
 
 
◇九重 貢、元横綱千代の富士
本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。1955年(昭和30年)6月1日生まれ。北海道松前郡福島町出身。初土俵は、1970年の秋場所。そして1975年秋場所で新入幕に。1081年秋場所から横綱に昇進したのでした。通算成績は1045勝。優勝回数は31回。三賞の受賞は7回。1989年年には、国民栄誉賞に輝いています。1991年の夏場所限りで引退。その後は年寄陣幕を襲名する。1992年4月に九重を襲名し、部屋の師匠となる。2008年2月に理事初当選し、広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、2012年2月から事業部長となる。2015年の名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていたことが公表されていました。


九重親方の次女、秋元梢「最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて」
スポーツ報知 8月1日(月)0時11分配信

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の次女でモデルの秋元梢(29)が31日、ツイッターを更新した。

 「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と気丈につぶやいている。


秋元梢、父・九重親方に感謝「娘に生まれて、幸せです」
オリコン 8月1日(月)0時3分配信

853
亡くなった父・九重親方に感謝をつづった秋元梢(右) (C)ORICON NewS inc.

 元横綱・千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、午後5時11分に膵臓(すいぞう)がんのため、死去した。61歳だった。次女でモデルの秋元梢(29)が、同日ツイッターで「父の娘に生まれて、幸せです」と、偉大なる父への感謝をつづった。

 九重親方は北海道出身。1970年秋場所で初土俵を踏み、74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。史上3位の優勝31度を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築き、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。国民栄誉賞など数々の栄光を手にし、現役引退後は九重部屋を継承。事業部長など日本相撲協会の要職を歴任していた。

■以下、コメント全文

今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。

最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。

今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。

父の娘に生まれて、幸せです。

秋元梢


<千代の富士死去>「まさか…」地元、言葉失う
毎日新聞 8月1日(月)0時1分配信

 北海道の英雄の一人、元横綱・千代の富士の九重親方が61歳で世を去った。道内出身横綱としては2013年1月の大鵬、15年11月の北の湖に続く訃報。九重親方の出身地・福島町では突然の知らせに「早すぎる」「実感が湧かない」など驚きと嘆きの声が相次いだ。

 福島町に住む九重親方の姉小笠原佐登子さん(63)は「突然のことで全く実感が湧かない。信じられない気持ち」と声を落とした。親方からは7月の名古屋場所中に電話があり、元気そうな声で「お盆に(福島町に)帰る」と話していたという。「いつもと変わらない様子だった。昔から我慢強く、弱音を吐かない子だった」と最後の会話を振り返った。

 九重部屋は夏になると、福島町で巡業を行っていた。小中学校の同級生で親交が深かった鳴海清春町長(60)は「巡業の朝稽古(げいこ)は町の風物詩となり、楽しみにしている町民も多かった。『ウルフ』と呼ばれ、有名になってからも地元を気にかけてくれ、『福島を盛り上げよう』と言っていた」と親方の古里への気持ちを代弁した。

 「横綱千代の山・千代の富士記念館」(福島町)の元館長で、町長も務めた藪内裕さんは「突然の悲報にただただ驚いている。まさかこんなに早く亡くなるとは……」と絶句。「記念館にいろいろ寄贈してもらい、知名度の低かった福島町を全国の人に知ってもらうきっかけを作ってくれた」と地元の英雄の死を悼んだ。

 故北の湖の古里・壮瞥町の「北の湖部屋郷土後援会」の船田寅雄元事務局長(77)は「昭和の大横綱が次々と亡くなってさみしい限り。北の湖の還暦の土俵入りで、太刀持ちを務めてくれたのを思い出す」と述懐。「大鵬相撲記念館」(弟子屈町)の山名政勝館長(66)は「北海道にとって宝のような力士たちだった。とても大きな損失だ」と話した。【澤俊太郎、横尾誠治、遠藤修平】


戦後の大横綱、相次いで…=大鵬、北の湖、千代の富士―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時48分配信

 元横綱千代の富士の九重親方が31日、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。昨年11月の九州場所中には、日本相撲協会の理事長を務めていた北の湖親方(元横綱)が、直腸がんによる多臓器不全のため急逝。高度経済成長期のヒーローとして「巨人、大鵬、卵焼き」と称された元横綱の大鵬さんも2013年1月、72歳で死去している。戦後の大横綱を約3年半の間に相次いで失った。

 土俵の上では圧倒的な強さを誇った大横綱だが、北の湖、九重両親方とも60代前半での死は早過ぎる。「負ければ引退」という重圧と背中合わせの戦いは孤独そのもの。現役引退後も角界の重鎮として激務が続く。長年にわたる疲労、ストレスなどが命を縮めたのかもしれない。


ライバルらも涙=「こんなに早くとは」―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時45分配信

 元千代の富士の九重親方の訃報を受け、同じ土俵で熱戦を繰り広げた親方衆らは、一様にショックを隠せなかった。

 元横綱大乃国の芝田山親方は「調子が良くないとは聞いていたが、こんなに早くとは」と嘆いた。1988年九州場所千秋楽、千代の富士の連勝を53で止めた一番については「そこまで負け続けてきた自分のプライドもあった」と振り返った。

 「自分が新弟子の頃、白まわしで稽古場に現れ、格好いいと思った。体重は圧倒的に自分の方が多かったが、力が強かった」と強敵にぶつかった日をしのんだ。

 元大関琴風の尾車親方は「年齢は九重親方が二つ上でまさに戦友だった。鋭い当たりから前まわしを取られたら、爪先立ちになるほど。本当に強かった」と現役時代の思い出を語った。

 横綱として、折に触れて九重親方のアドバイスを受けてきた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさんは、自身のツイッターに「悲しい、悲しいな。涙が止まらない…。憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ。悲しいな」と記した。

 何度も好勝負を演じた元大関小錦のタレント、KONISHIKIさんは突然の訃報を横浜市でのライブ直前に告げられたという。「今は話をすることができない。何も浮かばない」と衝撃を受けていた。


秋元梢 九重親方の死に「父の娘に生まれて、幸せです」
デイリースポーツ 7月31日(日)23時41分配信

852
秋元梢

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。61歳。昨年6月に膵臓がんの手術を受けていた。次女でモデルの秋元梢(29)は同日深夜にツイッターを更新。家族に看取られて穏やかな最期だったことなどを報告するとともに、感謝の気持ちを伝えた。

 秋元は父が息を引き取る直前まで、ラジオの生放送の仕事をしていた。

 ツイッターでは、「7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と伝え、「今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです。」と感謝の思いをつづった。

 秋元はこの日、午前11時40分から12時半までJ-WAVEで自身がナビゲーターを務める番組「CHINTAI TOKYO DISTRICT」の生放送を行っていた。

 番組終了直後にはツイッターにゲストのピース・綾部祐二とのツーショット写真をアップ。27日に迎えた29歳の誕生日をスタッフがケーキで祝ってくれたことを写真とともに報告していた。

 秋元は今月19日、都内でイベントに登場。膵臓がんで闘病中と伝えられていた父について、報道陣から問いかけられたが、無言を通していた。

 父親譲りの力強い目元が印象的な秋元は1男2女の3人きょうだいの末っ子。09年に芸能界デビューした際は、父が「やりたいことをやれ」と背中を押してくれた。当時、携帯の待ち受け画面は、1988年5月場所で優勝した際に優勝杯とともに赤ちゃん(自分)を抱きかかえた父の写真だった。


秋元梢 父・九重親方を追悼「父の娘に生まれて幸せ」最期は「苦しむことなく」
スポニチアネックス 7月31日(日)23時38分配信

851
九重親方の次女でモデルの秋元梢

 31日に東京都内の病院で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)の次女でモデルの秋元梢(29)が同日夜、自身のツイッターを更新。父の訃報を報告した。

 「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました」と報告。「最期は苦しむことなく、家族全員に看取られて、息を引き取りました」と最期の様子を伝え「今まで父を応援してくれた皆さまに感謝申し上げます」と謝辞を記した。

 最後は「父の娘に生まれて、幸せです。秋元梢」と父への感謝をつづった。

 九重親方は大相撲で史上3位の優勝31度を誇り、1989年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞。61歳だった。北海道福島町出身。葬儀・告別式は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋で。喪主は妻久美子(くみこ)さん。


相撲協会も対応追われる=理事長「あまりにもショック」―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時20分配信

 九重親方(元横綱千代の富士)が亡くなったことを受け、日本相撲協会は31日、対応に追われた。協会広報部には春日野部長(元関脇栃乃和歌)が急きょ出勤し、午後10時すぎから報道陣に応対した。

 八角理事長(元横綱北勝海)は、春日野部長を通じて「あまりにもショックでコメントしようがない」との談話を出した。

 理事長にとって、九重親方は兄弟子。胸を借りて猛稽古し、自らも最高位まで上り詰めただけに感謝の思いも強い。理事長から談話を取った春日野部長は「言葉を詰まらせながら話していた。あまりにも思い出があるし、同じ釜の飯を食ってきた人ですから」と心中を推し量った。

 春日野部長も「偉大な横綱と対戦できたことはうれしく思う」と沈痛な面持ちで語った。


まな弟子らが出迎え=「ウルフ」無言の帰宅―九重親方死去
時事通信 7月31日(日)23時19分配信

 亡くなった元横綱千代の富士、秋元貢さんの遺体は31日午後8時10分ごろ、東京都内の病院から墨田区の九重部屋に戻った。まな弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが悲痛な面持ちで出迎え、白い布で覆われた師匠を丁寧に部屋に運び入れた。

 報道陣に対応した佐ノ山親方は、「血はつながっていないけれど、自分にとって父親のような存在だった」と声を絞り出した。この日、亡くなる前に都内の病院で面会したそうで、「意識がなく、声を掛けても反応しない状態だった」という。

 「現役時代の師匠が好きで門をたたいた。子どもながらに、これほど愛される横綱がいるのかと思った人だ」と早過ぎる死を悼んだ。

 九重部屋のある町内で応援していた「九重部屋を囲む会」会長の山口紀代二さん(75)は、「優しい方で、会えばいつもあいさつしてくれた。残念で仕方がない」と肩を落としていた。


小金沢昇司 元千代の富士「愚痴や悩みも1人で我慢する方」
デイリースポーツ 7月31日(日)22時53分配信

829
亡くなった元横綱千代の富士の九重親方

 「ウルフ」の愛称で親しまれた昭和の大横綱、元千代の富士の九重親方=本名・秋元貢=が31日、都内の病院で死去した。61歳。北海道福島町出身。昨年6月に早期の膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、同9月の秋場所に復帰した時には、やせた姿に心配する声も上がっていた。

 現役時代から一緒に飲みに行くなど親交があった演歌歌手・小金沢昇司(57)は「ニュースで知り驚いています。体調が悪いとは聞いていましたが、ショックです」と早すぎる死に驚きを隠せず。

 後援者が同じという縁で知り合い、現役時代には一緒に飲みに行ったり、場所後のパーティーに呼んでもらうこともあったといい、「飲んでる時はいつもニコニコしてましたね。とにかく、何事にも我慢するタイプでした。愚痴や悩みも明かさず1人で我慢して乗り越えていく方でした。病気も1人で我慢して、乗り越えようとしていたんだと思います。自分と年齢も3歳しか違わない。まだ早いですよ。本当にショックです」と悼んだ。

« 元横綱千代の富士の九重親方が死去 | トップページ | 都知事選は小池百合子、上杉隆と桜井誠はそれぞれ4、5位 »

スポーツ」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

人物・伝記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/566606/63996525

この記事へのトラックバック一覧です: 元横綱千代の富士の九重親方が死去・2:

« 元横綱千代の富士の九重親方が死去 | トップページ | 都知事選は小池百合子、上杉隆と桜井誠はそれぞれ4、5位 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30