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2016年3月11日 (金)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2105

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:東日本大震災5年 政府主催追悼式 安倍首相「政府一丸で強靱な国づくり」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>原爆ドームでは母子らが復興願う花柄傘で集合 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>釜石では高齢者ら「おめえさんたちの日だよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>阪神大震災の神戸被災者も東北へ祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>「絆の灯は消さない」神戸と閖上交流の竹灯籠 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国会や東電前で抗議集会 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<SPEEDI>知事会要望受け住民避難への活用を政府容認 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<地方交付税>被災前の9割が現在も居住…人口減少に対応 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<高浜原発>運転禁止仮処分決定受け保全抗告を取り下げ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>10年後に開けよう…避難先でタイムカプセル - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福井県>使用済み核燃料に課税の方針 6月議会提案へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜原発周辺住民、抗告取り下げ - 速報:@niftyニュース.
リンク:関電の値下げ見送りを批判=松井大阪知事・吉村市長 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>キャンドル1万本と献花と黙とうと…名古屋 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災3県で追悼式 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「一番つらい日」「安らかに」=妻、祖母らの思い胸に―被災各地で祈り・宮城、福島 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<自民党>大震災初動対応の検証する組織 党内に設置へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:変わりゆく町と「震災遺産」と住民たちの心の風景 南三陸~気仙沼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:常磐自動車道の一部区間を4車線化…渋滞解消 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜差し止め:海外識者“今こそ首相がリーダーシップを” 責任とリスクを語るべき、と提言 - 速報:@niftyニュース.
リンク:【全文】天皇陛下のおことば 東日本大震災5周年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:防潮堤で手つなぎ黙とう=「少しずつ前へ」―岩手県宮古市 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:犠牲者の冥福祈る=福島、宮城で追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:3・11双子地震、M8級の恐れ 地震調査委、最大余震上回る可能性に言及 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高知や都内で不気味な地鳴り騒動 「南海トラフ」サイン? 大災害の予兆に警戒 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:津波漂着船、ハワイから宮城・石巻港に帰還=水産高実習船で―大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国交省と農水省、津波や高潮発生時の水門閉鎖におけるルール浸透を検討 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大震災5年、政府追悼式で決意 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「いつも寄り添う」=岩手とネット中継で黙とう―神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「なみえ焼きそばで福島と信州の架け橋に」福島県浪江町から避難した夫妻が長野市で震災5年を迎えた - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:連載【大川小の今】最終回 生還者の夢は消防士 - 速報:@niftyニュース.
リンク:連載【大川小の今】第3回 子供の意見を聞くのは大事 - 速報:@niftyニュース.
リンク:連載【大川小の今】第2回 生存者が語る被災時 - 速報:@niftyニュース.
リンク:震災被災地の防潮堤整備計画 5年経過し完成は19% - 速報:@niftyニュース.

以下、参考のために同記事を引用

東日本大震災5年 政府主催追悼式 安倍首相「政府一丸で強靱な国づくり」
産経新聞 3月11日(金)21時18分配信

 死者、行方不明者1万8455人、関連死3千人以上を出した東日本大震災は11日、発生から5年を迎えた。東京都千代田区の国立劇場では天皇、皇后両陛下をお迎えして、政府主催の五周年追悼式が開催された。被災各地でも追悼行事が催され、日本中が鎮魂の祈りに包まれた。

 追悼式には津波に襲われた岩手、宮城、福島3県の遺族ら約1090人が出席した。国歌斉唱後、震災発生の午後2時46分に1分間黙祷(もくとう)し、犠牲者の冥福を祈った。安倍晋三首相は式辞で「政府一丸となって災害に強い強靱(きょうじん)な国づくりを進めていく」と誓った。

 遺族代表も登壇し、岩手県の山本永都さん(22)、宮城県の木村正清さん(52)、福島県の佐久間国幸さん(66)が復興への決意を語った。一方、中国は台湾の駐日代表の招待に反発し、3年連続で欠席した。


<大震災5年>原爆ドームでは母子らが復興願う花柄傘で集合
毎日新聞 3月11日(金)21時1分配信

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原爆ドーム前の元安川近くでは、「3・11」とかたどられたキャンドルが並べられた=広島市中区で2016年3月11日午後6時55分、山田尚弘撮影

 被爆地・広島では11日夕、世界遺産の原爆ドーム(広島市中区)前を流れる元安川沿いで、地元の母親や子どもたちが被災地の復興を願い、花の絵柄が描かれた傘を持つイベントがあった。子育て中の母親4人が企画した「ピース&フラワープロジェクト」で、傘に取り付けたLEDライトをともし、震災犠牲者への鎮魂の思いを込めた。同時にキャンドルで「3・11」の文字をかたどり、黙とうをささげた。

 イベントに参加した、防災に関わる学生団体を主宰する安田女子大4年、高橋ひかりさん(22)=同市安佐北区=は「学生の中でも年々、防災への関心が薄れている。震災の教訓をどう継承していくか、考え続けたい」と話した。【山田尚弘】


<大震災5年>釜石では高齢者ら「おめえさんたちの日だよ」
毎日新聞 3月11日(金)20時20分配信

 岩手県釜石市では11日、市内最大級の上中島復興公営住宅内の公民館で、住民らが追悼の会を開いた。隣接の仮設住宅には、市の追悼式典や墓参に出向くことが難しい高齢者や障害者も多く、午後2時46分に合わせ、集まった約50人が海に向かって黙とうした。

 仮設住宅から参加した藤井モト子さん(82)は、同市で最も被害が大きかった鵜住居地区に住み、近くで暮らす弟の前川健蔵さんと妻京子さんを津波で亡くした。

 毎朝、仏壇に手を合わせるという藤井さん。「風が吹いて、仮設の窓を揺らすたびに弟が帰ってきたような気がするのさ。来たかなーって」。この日の朝は「ケン(健蔵さん)、きょうは、おめえさんたちの日だよ」と仏壇に語りかけたという。追悼の会場では、黄色の折り紙に「健康を第一に長生きをするからね」とつづり、鶴にして祭壇に置いた。【高尾具成】


<大震災5年>阪神大震災の神戸被災者も東北へ祈り
毎日新聞 3月11日(金)20時15分配信

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ろうそくを並べて描いた「3・11」の前で、東日本大震災の発生時刻に合わせて黙とうをする人たち=神戸市中央区の東遊園地で2016年3月11日午後2時46分、西本勝撮影

 神戸市中央区の東遊園地では、阪神大震災の被災者ら約100人が東北の被災地に向けて祈りをささげた。岩手県陸前高田市とインターネット中継を結び、地震発生時刻に合わせて共に黙とうした。

 「阪神淡路大震災1・17のつどい」の実行委員会の主催で、ガラス灯籠(とうろう)約300個で3・11の文字を作り、「希望の灯(あか)り」から分灯した。陸前高田市では高台にある「3・11希望の灯り」に約30人が集まった。

 神戸側では福島市から長女(15)とともに京都市に避難している小林雅子さん(47)が「5年で頑張る力がなくなった人もいる。インフラや街並みが復興しても、人が復興しなければ復興ではない」と訴えていた。【久野洋】


<大震災5年>「絆の灯は消さない」神戸と閖上交流の竹灯籠
毎日新聞 3月11日(金)20時13分配信

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東日本大震災から5年を迎え、愛島東部仮設住宅に並べられた竹灯籠を囲んで手をつなぐ参加者=宮城県名取市で2016年3月11日午後5時34分、佐々木順一撮影

 津波で壊滅的被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の住民らが暮らす愛島(めでしま)東部仮設住宅で11日に営まれた追悼行事では、阪神大震災の被災地・神戸から運ばれた竹灯籠(たけとうろう)約300本が「3・11ユリアゲ」の文字を浮かび上がらせた。

 ボランティア団体「神戸・市民交流会」が、地区の犠牲者約200人の名前や戒名を竹灯籠に記入。地震発生の午後2時46分と、同5時過ぎに灯をともし、約150人が手をつなぎ合って竹灯籠を囲み、祈りをささげた。

 交流会は二つの被災地の絆を結ぼうと2013年から同住宅で追悼してきたが、会員の高齢化のため今月末で解散する。団体としての活動は今回が最後となるが、事務局長の山川泰宏さん(77)は「今後は有志で活動し、仮設住宅が解消されるまで絆の灯は消さない」と話した。

 仮設住宅には最大182世帯が暮らしていたが、145世帯にまで減った。夏には、復興住宅の一部で入居が始まる。自治会役員の長沼俊幸さん(53)は「住民同士励まし合って暮らしてきたが、復興住宅の抽選に当たって出る人、外れて残る人に分かれ、複雑な思いだ」と話す。

 同住宅に1人暮らす会社員、木皿俊克さん(59)は、妻典子さん(当時50歳)を津波で失い、その後長男康之さん(同27歳)も自ら命を絶った。典子さんの名前が書かれた竹灯籠に手を合わせた木皿さんは「一人きりで寂しいが、前を向いて一歩ずつ歩んでいるよと報告した」と話した。【桜井由紀治】


国会や東電前で抗議集会
2016年3月11日(金)20時4分配信 共同通信

 国会と東京・内幸町の東京電力本店の前で11日、原発に反対する市民団体による抗議集会が開かれ、「再稼働反対」などと書かれたプラカードを持った多くの人たちが「原発やめろ」「福島守れ」と声を上げた。

 福島市生まれという女性(33)は2歳の娘を連れて国会前の集会に参加。「5年たってもたくさんの人が帰れないままでいる。原発のない社会にすることが親である私たちの責任」と訴えた。

 東電本店前でも別の団体の呼び掛けに応じて市民らが多数集まり、「東電は責任を取れ」とシュプレヒコールを上げた。


<SPEEDI>知事会要望受け住民避難への活用を政府容認
毎日新聞 3月11日(金)20時4分配信

 政府は11日の原子力関係閣僚会議で、原発事故時に放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」について、自治体の判断に基づく住民避難への活用を容認することを決めた。近く国の防災基本計画を改定する。原子力規制委員会は住民避難にはSPEEDIを使わないことを原子力災害対策指針で定めているが、全国知事会などから「活用すべきだ」との要望が強く、政府が方針を転換した。

 東京電力福島第1原発事故でSPEEDIが避難に役立たなかった反省から、原子力災害対策指針ではSPEEDIによる予測を使わず、原子炉の状態や原発周辺の放射線の実測値などを基に避難の必要性を判断することになっている。

 規制委は「避難に使わない方針に変更はない」として指針は見直さない。このため、事故時の住民避難で規制委の判断と自治体の判断が食い違い、現場が混乱する可能性がある。政府は「どのようにSPEEDIを使うのか、今後自治体と調整したい」としている。

 政府案によると、事故時に自治体が具体的な避難経路や避難先を住民に指示する際、「参考情報としてのSPEEDIの活用は妨げない」とした。今後、自治体が独自にSPEEDIを運用するか、保有する日本原子力研究開発機構から予測結果を提供してもらうかなど、具体的な活用方法を検討する。自治体が運用する場合、国が財政支援する。

 一方、甲状腺被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤については、原則5キロ圏に限っていた事前配布を、自治体の判断で30キロ圏も事前配布できるようにする。必要な費用は国が負担する。【酒造唯】

 ◇SPEEDI

 事故時に原発から伝送される放射性物質の放出量や気象条件などのデータから、放射性物質の拡散範囲や大気中の濃度などを予測する。1979年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに開発が始まり、約124億円が投じられた。

          ◇

 政府が住民避難にSPEEDIを活用することを容認した背景には、自治体の理解を得て再稼働を進めたい思惑がある。東京電力柏崎刈羽原発がある新潟県の泉田裕彦知事はSPEEDIの活用を主張する急先鋒(せんぽう)。11日に林幹雄経済産業相と面会した泉田知事は「ようやく避難計画を作る端緒がつかめた」と政府の対応を評価した。

 だが、自治体が独自にSPEEDIの拡散予測を公表した場合、避難現場で混乱が生じる恐れがある。原子力災害対策指針は、原発から5キロ圏は事故があれば即時に避難、5~30キロ圏内はまず屋内退避し、予測でなく実際に放射線量が上昇した場合に避難を指示するとしているが、拡散予測に基づいて避難区域以外でも自主的に避難する住民が増えるとみられるからだ。交通渋滞などを招き、原発に近い住民の避難に支障をきたす可能性もある。


<地方交付税>被災前の9割が現在も居住…人口減少に対応
毎日新聞 3月11日(金)20時1分配信

 高市早苗総務相は11日の記者会見で、東日本大震災の影響で居住者が急減した自治体に配分する地方交付税の減少幅を抑える特例措置を導入すると表明した。配分額は国勢調査人口を基に計算されるため、2015年の調査で人口がゼロになったり急減したりした自治体を救済する。

 高市氏は会見で「安定的な財政運営を行えるよう特例措置を講じる」と述べた。被災前に集計された10年国勢調査人口の9割は現在も居住しているとみなした上で、10~15年にかけての住民基本台帳人口の減少率を加味して16~20年度の配分額を決定する。

 対象となるのは、東京電力福島第1原発事故や津波で15年国勢調査人口が前回調査より減少した福島県や被災地の市町村。原発事故の影響で人口がゼロになった福島県の浪江、富岡、大熊、双葉4町や、9割以上減少した同県の飯舘、葛尾両村、津波被害が大きかった福島県南相馬市や宮城県の女川、南三陸、山元の各町、岩手県の大槌町などが対象となる。【青木純】


<高浜原発>運転禁止仮処分決定受け保全抗告を取り下げ
毎日新聞 3月11日(金)19時49分配信

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を禁じた大津地裁の仮処分決定を受け、福井県などの住民は11日、2基の運転を認めた福井地裁決定を不服として名古屋高裁金沢支部に申し立てていた保全抗告を取り下げた。大津地裁の決定で原発が停止し「緊急性がなくなった」と判断した。今後は運転開始から40年以上経過した高浜1、2号機の延長認可差し止めを求めて愛知県の住民らが名古屋地裁へ起こす訴訟を支援する。

 一方、「福井から原発を止める裁判の会」は11日に高浜3、4号機の運転差し止めを求めて福井地裁に提訴する予定だったが、当面保留することを決めた。【岸川弘明】


<大震災5年>10年後に開けよう…避難先でタイムカプセル
毎日新聞 3月11日(金)19時46分配信

 埼玉県上尾市の県営シラコバト住宅で11日、東日本大震災5年の追悼式があり、避難生活を送る参加者が各自の思い出の品々を一つのタイムカプセルに封入した。同住宅には被災3県の28世帯47人が暮らす。

 避難者らが「10年後は別々になっているかもしれないが、集まって一緒に開封したい」と企画。カプセルは金属製の箱で、黙とう後、家族写真やこの日の新聞、交流会を記録したDVDなどを入れた。

 かつて共に過ごし、福島・南相馬に戻った仲間に保管を頼んでいる。10年後の開封場所は未定だが、同県浪江町から避難している橘光顕さん(50)は「みなが元気で再会できたら」と願う。【奥山はるな】


<福井県>使用済み核燃料に課税の方針 6月議会提案へ
毎日新聞 3月11日(金)19時33分配信

 福井県の西川一誠知事は11日、県内の原発敷地内で貯蔵されている使用済み核燃料に課税する制度を作る意向を明らかにした。県内に発電用原子炉を設置する電力事業者に負担を求める「核燃料税」の条例を11月に改正する方針で、6月議会への提案を目指す。

 県によると、使用済み核燃料に関する電力事業者への課税は、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)に対する柏崎市の例などがあるが、都道府県では全国初という。

 福井県は廃炉中を含めて15基の原発がある。西川知事は県内原発の使用済み核燃料について、県外での中間貯蔵を関西電力などの事業者に求めている。11日の県議会予算決算特別委員会で「県内貯蔵が長期間にわたり常態化しないようにするため、県外搬出を促進する税制としたい」と説明した。【村山豪】


高浜原発周辺住民、抗告取り下げ
2016年3月11日(金)19時29分配信 共同通信

 関西電力高浜原発(福井県高浜町)の周辺住民らは11日、3、4号機の運転を認めた異議審決定を不服として、名古屋高裁金沢支部に申し立てていた抗告を取り下げた。大津地裁による2基の運転差し止め仮処分決定を受け「緊急性がない」と判断し決めた。

 抗告とは別に、同様の訴訟を福井地裁に起こす予定だったが、当面見送る。5月の集会で今後、提訴するかどうか協議する。

 3、4号機をめぐっては昨年12月、福井地裁が運転差し止めを命じた同4月の仮処分決定を取り消した。周辺住民らはこれを受け、名古屋高裁金沢支部に抗告。2月29日に第1回抗告審が開かれていた。


関電の値下げ見送りを批判=松井大阪知事・吉村市長
時事通信 3月11日(金)19時20分配信

 大阪府の松井一郎知事は11日、関西電力が5月の電気料金値下げを見送ると発表したことについて、府庁内で記者団に「料金を人質にユーザーの足元を見ている。『裁判所に(原発運転差し止めの)申し立てをするような考えを抑えてください』と迫っている。やり方がずるい」と述べ、関電の対応を批判した。
 
 大阪市の吉村洋文市長も「値下げしないのは利用者に負担を転嫁すること。(原発を)再稼働するしないではなく、経営努力をすべきだ」と述べた。市役所で記者団の取材に答えた。


<大震災5年>キャンドル1万本と献花と黙とうと…名古屋
毎日新聞 3月11日(金)19時11分配信

 東日本大震災の犠牲者追悼式が11日、名古屋市中区の久屋大通公園で開かれた。約600人が参列し、地震発生時刻の午後2時46分、黙とうして冥福を祈った。

 NPO、企業など14団体が実行委員会形式で開いており、今回で3回目。会場には「追悼東日本3・11」と約1万本のキャンドルを並べた。参加者は次々と献花台に花をささげた。

 実行委員長の石井弘子・東海岩手県人会長(58)は「これからも被災地と被災者に心を寄せていきます。東日本大震災を教訓に災害に備えます」との宣言文を読み上げた。

 岩手県陸前高田市から愛知県知多市に来た鶴島道子さん(61)は「あっという間の5年で、生きていくのに必死だった。今日の励ましを心に前に進みたい」と話した。宮城県山元町から名古屋市守山区に定住した西村淳一さん(66)は「テレビで被災地を見ていると、生活を再建できているか気になる。そちらに予算を回してほしい」と話していた。【清藤天】


被災3県で追悼式
2016年3月11日(金)19時4分配信 共同通信

 岩手、宮城、福島の3県でも11日、東日本大震災の犠牲者をしのぶ追悼式が開かれた。巨大地震が起きた午後2時46分、参列した遺族や住民らは一斉に黙とう。「これから幸せになりましょう」。亡き人への思いを胸に未来への決意を述べ、鎮魂の祈りをささげた。

 宮城県女川町では、町主催の追悼式に村井嘉浩宮城県知事や約千人の住民らが出席。津波で祖父=当時(77)=を亡くし、現在山形市の大学に通う神田瑞季さん(20)が遺族を代表し「私たちが天国にいる人を思うように、天国にいる人も私たちの幸せを望んでいる。これからはたくさん、たくさん、幸せになりましょう」と思いを述べた。


「一番つらい日」「安らかに」=妻、祖母らの思い胸に―被災各地で祈り・宮城、福島
時事通信 3月11日(金)18時58分配信

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キャンドルで浮かび上がる「3・11追悼」の文字。東日本大震災の記憶を伝える「がんばろう!石巻」の看板は4月に移設され、一帯は復興祈念公園(仮称)になる予定=11日夕、宮城県石巻市門脇

 「一番つらい日」「上を向けるようになった」。
 地震が発生した午後2時46分、被災した各地では、遺族らが亡くした人への思いを胸に静かに目を閉じ、手を合わせた。
 宮城県石巻市門脇町の「がんばろう! 石巻」と書かれた看板の前では、600人以上の市民らが黙とうをささげた。看板はこの場所で被災した男性らが「津波に負けたくない、地域を励ましたい」との思いで、2011年4月に立てた。
 妻の美恵子さん=当時(58)=を亡くした四野見礼治さん(66)は「3月11日は来てほしくない。一年で一番つらい日」と涙を流した。美恵子さんは、自宅にいた犬を助けようとして津波にのまれた。「子どもが巣立ち、これからという時だった。町は復興しても、気持ちが吹っ切れることはない」と話した。
 近くにあった自宅が流され、親戚3人が犠牲になったという女性(70)は「5年間ずっと下を向いて生きてきた。今、ようやく元気を出して上を向けるようになったよ」と手を合わせた。
 458人が死亡した福島県相馬市の原釜地区の浜辺では、遺族らがタイサンボクの葉に般若心経が書かれた紙を縫い付けた舟約1500個を海に流し、冥福を祈った。
 同市尾浜地区の主婦佐藤弘子さん(61)は、津波に流された義父の長喜さん=同(96)=が行方不明のまま。「1人暮らしの妹が心配だと言い残し、戻って来なかった。もう5年がたつ。ひとかけらでもいい。見つかってほしい」と涙を拭った。
 同地区の山崎有香さん(19)も、津波で流された祖母綾子さん=同(66)=が「早く見つかってほしい」と願った。同地区の菊地クニさん(76)は、義兄の義一さん=同(87)=が介護施設からの帰り道に津波にのまれた。「みんな元気にしている。安らかに眠って」と祈った。


<自民党>大震災初動対応の検証する組織 党内に設置へ
毎日新聞 3月11日(金)18時41分配信

自民党の谷垣禎一幹事長=竹内紀臣撮影
 自民党の谷垣禎一幹事長は11日の記者会見で、東日本大震災5年に合わせ、発生当時の初動対応を検証する組織を党内に設置する意向を明らかにした。当時の民主党政権下で、東京電力福島第1原発事故や大津波にどのように対応したかを検証する。谷垣氏は「5年たつと、みんな冷静になってきて、いろいろな行政関係者の発言も出てきている。経験を蓄積しておくことが必要ではないか」と述べた。


変わりゆく町と「震災遺産」と住民たちの心の風景 南三陸~気仙沼
THE PAGE 3月11日(金)18時30分配信

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大震災で大きな被害をうけた南三陸町は、今まさに復興工事のまっただ中。町全体が巨大な工事現場と化し、山のように土が盛り上げられ、震災の面影も消えつつある。被災した防災対策庁舎のみが、その記憶を伝える唯一の遺産だ 南三陸町(撮影:村田信一)

 宮城県の南三陸町は、東日本大震災で最大規模の惨禍を被った場所の一つだ。町全体を飲み込む津波の凄まじさは、当時何度もテレビなどで放映され、日本のみならず、世界の至るところでも報じられた。津波の恐ろしさというものを、あの映像で初めて実感し、理解できた人も多いのではないか。

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震災から満5年の日を迎えた。多くの報道陣が見守る中、遺族や市の人々もたくさん集まり、震災が起きた時間になると、みなで黙祷を捧げた。それぞれの思いがこのときに凝縮し、厳粛な空気が流れる 南三陸町(撮影:村田信一)

 今回、満5年の慰霊の日ということで、私はどうしてもここに来たかった。震災が起きた後に、初めて入った被災地もここだったということもあるし、その惨状を目の当たりにして、幾多の戦場を歩いてきた私にとっても、かつてほとんど見たことがないほどの破壊だったということもある。この5年の間に何度も訪れ、ただ立ち尽くしていた記憶はまだ新しいものだ。

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少し肌寒いながら、冬としては穏やかな日となり、慰霊の日としては素晴らしい天候にも恵まれた。津波は自然が起こすことでもあり、またいつかやってくるだろう。しかし、今回のことを語り継ぐべく若い人たちも集まり、また記憶は繋がっていくと信じている 南三陸町(撮影:村田信一)

 特に防災対策庁舎は、そこで職員の方たちが亡くなり、建物が骨組みだけとはいえ流されずに残ったことで、これもまた震災の象徴として捉えられている。そのため現在でも「震災遺産」として残すのか、悲しい記憶を呼び覚ますから解体するのか議論されているが、その結論はまだ出ていない。

 個人的な意見としては、取り壊さずに残してほしい。あれだけの大きな自然災害で、2万人を超える人々が亡くなっているのだから、その教訓や亡くなった人たちの記憶を語り継いでほしいと思う。

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震災後には、多くの建物が破壊され、様々な商業施設も営業できない状態だったが、再び訪れると、それらの多くが再建し、以前のように人々が集っていた 気仙沼市郊外

 今回この地を訪れて、いちばん驚いたのは、復興のための工事の早さとその巨大さだ。1年以上前に訪れたときとは、町の光景がまったく変わっていた。

 骨組みだけの防災対策庁舎だけが残り、あとはすべて解体されてしまった。また、町全体が土を盛り上げた巨大な山に埋もれている。地面をかさ上げして、新たな町を作る計画なのだという。その工事の喧噪の中で、3月11日の慰霊の日を迎えた。遺族や地元の方々が次々と訪れる中、たくさんの報道陣がカメラを構える。震災が起きた、14時46分になると、誰もが黙祷を捧げ、亡くなった人々の冥福を祈った。

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南三陸町から気仙沼に向かうと、すぐに目につく大きな赤い鳥居がある。震災直後にも残っていたが、塗装しなおされ、ひときわ目立っていた。神社は人々の心のよりどころでもあるので、その姿を再び見ることができて、素直にうれしく感じた。気仙沼市郊外(撮影:村田信一)

 被災地はどこに行っても道路が大渋滞し、ホテルも空きがないほどに混み合っている。これも復興のために現地に来ている工事関係者や行政などの人間たちがいかに多いかの証だろう。町やインフラの整備は進み、外面だけ見ると、確実に復興していると感じる。

 かつて津波で破壊された道の駅も復旧し、以前撮影した鳥居だけが残っていた神社も、塗装も新しくなり、海を見守るように立っていた。

 復興が次々と形になっていくことは素晴らしいことだと思うが、それはそこに住む人間との共生あってこそだと思う。その辺が、これからの課題かもしれない。

(写真・文/村田信一)


常磐自動車道の一部区間を4車線化…渋滞解消
レスポンス 3月11日(金)18時15分配信

国土交通省は、渋滞が問題となっている常磐自動車道の一部区間を4車線化すると発表した。

常磐自動車は、震災復興のトラックなどの影響で一部区間で渋滞が深刻になり、復興事業の遅れになると指摘されていた。

国交省では、常磐自動車道について渋滞状況を確認した上で、有識者の意見も聞きながら検討してきたが「いわき中央インターチェンジ~広野インターチェンジ」の27kmと「山元インターチェンジ~岩沼インターチェンジ」の14kmについて4車線化に着手する。震災復興・創生期間内のほぼ5年での完成を目指し、直ちに事業に着手する。

《レスポンス レスポンス編集部》


高浜差し止め:海外識者“今こそ首相がリーダーシップを” 責任とリスクを語るべき、と提言
2016年3月11日(金)17時33分配信 NewSphere

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 大津地裁は9日、高浜原発3、4号機の運転差し止めを関西電力に命じる仮処分を決定した。稼働中の原発の運転を停止させる仮処分はこれが初となる。同原発は、原子力規制委員会の新規制基準を満たしていると認められた上で再稼働していただけに、関係者の困惑は大きい。海外メディアでは、ようやく端緒についた日本の原発再稼働への影響が、重点的に取り扱われている。

◆裁判所が原発再稼働への「脅威」?
 高浜原発3号機は1月に再稼働し、2月から営業運転していた。4号機は2月に再稼働したものの、その後のトラブルで停止していた。10日、関電は3号機の運転を停止した。これで、日本で現在運転中の原発は、九州電力川内原発の2基のみとなった。

 日本各地の原発で再稼働差し止めを求める申し立てがあるが、高浜原発も今回の大津地裁による運転差し止めの前に、昨年4月、福井地裁が再稼働差し止めの仮処分を決定していた。その仮処分は12月に同地裁の保全異議審で取り消しとされた。

 こういった状況を指してAFPは、日本の原発再稼働の試みは、福島第一原発事故の再来への心配のただ中、訴訟の網にからめとられるようになっている、と語る。ブルームバーグはもっと大胆に、日本の裁判所が、原発再稼働の取り組みへの脅威として浮上している、と語っている。

 三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社の荻野零児アナリストは、「今回のことが示しているのは、司法のリスクがこれまで考えられていた以上に大きいということだ」「申立人1人、裁判官1人で状況が変わる可能性がある」とブルームバーグに語っている。また、運転再開が認められるようになるまでの期間についても、「前回の例を考えると、今回もまた8ヶ月ほどかかるかもしれない」「全く裁判官次第。もし裁判官が望めば、決定を年単位で遅らせることも可能だ」と語っている。

 ロイターでは、元外務官僚、元気候変動担当大使の西村六善氏が、「これは原子力業界と政府にとって警鐘となる出来事だ。司法が旧来のやり方に従うことを当然視することはもうできない」と語っている。

 またウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)などは、今回、高浜原発がある福井県ではなく、隣県の滋賀県の住民の申し立てが認められたことにも注目していた。

◆再稼働を推進する安倍政権にとって逆風?
 今回の裁判所の決定は、安倍政権下で進められている原発再稼働の流れに、大きく水を差すものだという捉え方が、主要海外メディアでは目立った。

 ブルームバーグは、今回の決定は、安倍首相の福島原発事故後のエネルギー政策を難しくする、と語っている。経済産業省が昨年取りまとめた長期エネルギー需給見通しでは、2030年時点での日本の電源構成(エネルギーミックス)のあるべき姿として、原子力が20~22%を占めるとしている。ロイターも、今回の決定はもしかすると、政府のエネルギー政策を混乱に陥れるかもしれない、と語っている。

 ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンスのAli Izadi-Najafabadiアナリストは、「政府が昨年提案した2030年のエネルギーミックス目標では、福島県内の原発を除いて、日本の既存の原子炉、建設中の原子炉全ての稼働が仮定されている」「今回の裁判所の決定により、その目標の達成はなおさら不確かに思われる」と語っている。

 ウェブ誌「ディプロマット」では、米モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団のプログラム・ディレクターのライアン・シェイファー氏が、安倍首相が原発再稼働を求める理由をいくつか挙げている。原子力は、安倍首相の最優先事項である経済再生と国家安全保障にとって中心的だ、と氏は語る。原発の停止後、石油、天然ガスの輸入が急増し、日本は数十年ぶりに貿易収支が赤字になった(経産省によれば31年ぶり)。また、政治的不安定、自然災害や、為替レートの変動によってさえも引き起こされる、エネルギー供給の混乱に対して、日本はこれまで以上に弱くなっている、としている。さらに、安倍首相がCOP21で掲げた自主的削減目標は、原発が停止している限り、手の届かないところにとどまりそうだ、と氏は語る。

◆電力会社にとっても厳しい状況になる
 今回の裁判所の決定は、電力会社にとっても強い逆風だ。ブルームバーグは、化石燃料の輸入によるコストを削減したり、国民に対して原子炉は安全に運営できると保証したりする電力会社の取り組みにとって難題となる、と語っている。

 関西電力は、4号機の営業運転開始も条件に、5月から電気料金を値下げする計画だった。高浜原発の再稼働で化石燃料のコストが浮いた分を顧客に還元するという趣旨だった(ロイター)。だが今回の決定によって、関電はその計画を廃案にすることを余儀なくされるかもしれない、とロイターは語っている。関電側は9日の記者会見で「正式には改めて検討するが、極めて難しくなった」と語っている(日本経済新聞)。

◆新規制基準だけでは国民の不安を払拭できない?
 高浜原発3、4号機が、原子力規制委員会の新規制基準を満たしていたにもかかわらず、差し止めの仮処分が出されたという点にも注目が集まっている。WSJは、裁判所の決定は新規制基準に疑問を投げかけるもので、原発再稼働に向けた試験的な動きにとって打撃となる、と語っている。

 ブルームバーグは、原子力規制委員会の設立、新規制基準の制定後でさえも、国民の大部分は(原発の安全性に)確信が持てていないままだ、と語る。毎日新聞は、今回の決定は、福島第一原発事故から5年がたとうとする今も、国民の不安が払拭(ふっしょく)されていない現状を司法が代弁したといえる、と解説している。

 こういった状況に安倍首相がリーダーシップを発揮して取り組む必要がある、と提言しているのが、上述のシェイファー氏である。氏は、福島原発事故の政策上の教訓についての日米合同研究グループ「日米原子力ワーキンググループ」のプログラム・マネジャーであり、2011年6月、日本を訪れている(昨年にも)。

 同グループは、(原発事故後に)今や明らかとなった原子力のリスクに対処することが、日本にとって公共政策上の大問題となると考えていたという。

 事故後、独立性の高い原子力規制委員会が設立され、より厳しい安全基準が課されるようになった。(それらによって)原発の安全性は改善したにも関わらず、問題は残っている、と氏は語る。地震により、政府と電力業界の原子力の取り扱いに対する国民の信頼も打ち砕かれた、としている。原子力に日本人の信頼を取り戻すには、より厳しい新規制機関の設立だけでは足りない、必要とされているのは、安倍首相のより強いリーダーシップである、と氏は主張する。

 原発の再稼働が始まっているものの、日本はこれまで決して、リスクの問題、そして福島第一原発事故を経て、社会にはどれほどのリスクを許容する用意があるかについて、率直に論じてこなかった、と氏は指摘する。この面に関して、安倍首相が前面に立って、国民を納得させるよう努めるべきだというのが、氏の主張のようだ。また、再稼働の判断に関して、最終的な責任が政府にあると明言することも勧告しているようである。

 氏は安倍首相に、国民に対して原子力の安全の最終責任はどこにあるかをはっきり示し、原発再稼働がなぜリスクに値するかを語り、自分の影響力を駆使して原子力管理の強化を支援すべきだ、と提言している。まとめると、原発の再稼働を進めるためには、首相が政治的不人気を恐れず、表立って、主体的な役割を果たすことが必要だというのが氏の主張のようである。


【全文】天皇陛下のおことば 東日本大震災5周年追悼式
ログミー 3月11日(金)17時29分配信

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東日本大震災5周年追悼式に出席された天皇皇后両陛下

2016年3月11日、東日本大震災の発生から5年が経ちました。「3.11ふくしま 東日本大震災追悼復興祈念式」に出席された天皇陛下は、悼ましい災害の犠牲者に哀悼の意を表し、復興のさらなる進展への思いを述べられました。

天皇陛下のおことば
天皇陛下:東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非情な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。

このような津波に対して、どのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。

このようななかで、自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体関係者、さらには一般市民が厳しい状況のなかで自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。

地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。

こうした苦難のなかで、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援にあたってくれたことも忘れることはできません。

あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。

しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。とくに、年々高齢化していく被災者をはじめとし、私どもの関心の届かぬところで、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心にかかります。

困難のなかにいる人々一人ひとりが取り残されることなく、1日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を1つにして寄り添っていくことが大切と思います。

日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲のもとで学んだ教訓を活かし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。

今なお不自由な生活のなかで、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。


防潮堤で手つなぎ黙とう=「少しずつ前へ」―岩手県宮古市
時事通信 3月11日(金)17時22分配信

 岩手県宮古市田老地区の防潮堤では、津波で損壊した高さ10メートルの防潮堤の上で遺族ら約300人が手をつないで並び、海に向かって黙とうした。
 
 津波は2重の防潮堤を越え、同地区で181人が犠牲に。震災後に生まれた娘の雪愛ちゃん(4)らと参加した主婦山本昌代さん(38)は「津波が来たときは娘がまだおなかの中にいて、必死で高台に逃げた」と振り返り、「今でも津波は不安だが、少しずつ前を向いて暮らしていきたい」と涙声で話した。
 自宅が流され、市内の仮設住宅で暮らす介護福祉士の斉藤清和さん(21)は「この高さまで津波が来たなんて今でも信じられない。もしまた津波が来ても、ちゃんと施設の利用者を避難誘導できるように準備したい」と決意を語った。


犠牲者の冥福祈る=福島、宮城で追悼式
時事通信 3月11日(金)16時58分配信

 東日本大震災の被災地では11日、自治体主催の追悼式が開かれ、参列者が冥福を祈った。
 
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町は、避難先の同県二本松市で開き、遺族ら140人が出席した。
 祖母の安斉正子さん=当時(65)=が津波の犠牲になった高校1年の門馬芹香さん(16)は「あの震災を忘れないために私ができることは何か考えていきたい」と言葉を述べた。
 安斉さんは、小さい頃の門馬さんが遊びに行くと玄関口でよく抱き締めてくれたという。門馬さんは「少し恥ずかしかったけどうれしかった。また抱きしめてほしい」と思いを語った。
 宮城県女川町の追悼式。山形県の美大に通う神田瑞季さん(20)が代表で追悼の言葉を述べた。大好きだった祖父を亡くし、「自分を奮い立たせるためにも『生きる』というテーマの絵を描いた」と振り返り、「天国にいる方も私たちが幸せになることを強く望んでいると思う」と話した。


3・11双子地震、M8級の恐れ 地震調査委、最大余震上回る可能性に言及
夕刊フジ 3月11日(金)16時56分配信

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3・11の余震で再び甚大な被害が発生する恐れがある=2011年3月、宮城県気仙沼市(写真:夕刊フジ)

 東日本大震災から11日で5年を迎えるが、政府の地震調査委員会の本蔵(ほんくら)義守委員長(東京工業大名誉教授)が、今後もマグニチュード(M)8以上の余震が起きる可能性があると言及した。別の専門家は、警戒期間を「本震発生から約100年」と話す。地震列島に住むことの大変さがあらためて浮き彫りとなっている。

 本蔵氏の発言は10日付の毎日新聞が報じた。記事によると、他の地域の巨大地震の例を踏まえ、震災当日に起きたM7・6の最大余震を上回る地震の発生が今後も考えられるという。

 2004年12月にインドネシア・スマトラ沖で発生し、M9・1を記録した地震の震源やその周辺では5年以上たった後もM8級の地震が複数回起きている。その上で、本蔵氏は「東日本大震災とスマトラ沖地震は、地形が似たところで起きており、同じような規模の余震が起きてもおかしくない」との見解を示したという。

 武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「大きな余震は本震のマグニチュードからマイナス1程度というのがこれまでのデータの平均的な数字だ。しかし、過去にはM6の本震に対してM5・8の余震が起こったこともある。こうした余震は本震に対しての『双子地震』と呼ばれているが、東日本大震災クラスの地震に対しても、同様のケースが起こらないとはかぎらない」と解説する。

 また、大規模な余震を警戒すべき期間について、島村氏は「本震がM9を記録した大規模地震に対しては、発生から100年程度は警戒が必要だろう」と話す。

 3・11を機に気を引き締めたい。


高知や都内で不気味な地鳴り騒動 「南海トラフ」サイン? 大災害の予兆に警戒
夕刊フジ 3月11日(金)16時56分配信

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震災から5年。津波で多くの犠牲者が出た宮城県石巻市で祈りを捧げる人たち=11日午前(写真:夕刊フジ)

 東日本大震災から5年がたった。地震列島の日本は常に災害リスクにさらされており、首都直下型、南海トラフなど巨大地震がいつ発生してもおかしくないと言われている。そんななか、先日、四国で不気味な現象が報告された。夜中にズズズ…という音、「地鳴り」だ。地鳴りは1月に東京でも報告され、インターネットを中心に騒動となった。来るべき災害の前兆なのか。緊張が走っている。

 南国土佐にどよめきが起こった。きっかけは2月29日未明に響き渡った謎の轟音だ。県にもたらされた通報は、高知市や室戸市など高知県東部4市の住人からの計8件で「ジェット機が近くを通ったような音だった」「窓がガタガタ揺れた」といった内容だった。聞こえたという時間帯は午前1~2時ごろに集中している。

 室戸市に住むパート従業員で学生の小笠原翼さん(32)も、海にほど近い自宅で音を耳にした1人だ。

 「横になっていると『ズズズ…』という、何かが地中からわき上がってくるような音が聞こえた。地震かと思って非常用の持ち出し袋を用意したが、揺れはなかった。それから約30分後にも同じような音がした。生まれも育ちも室戸市だけれど、あんな音を聞いたのは初めて」

 高知県と言えば、県西部に位置する黒潮町が、南海トラフ巨大地震の被害想定で、日本一高い34・4メートルの大津波に襲われる恐れがあると指摘されている。現実になったときの被害は計り知れない。

 同様の騒動は年が改まって間もなくの東京でも起きていた。目黒区、渋谷区、世田谷区など東京23区の南部を中心にツイッターなどで「聞こえた」との情報が駆け巡った。1月3日の検索サイト「ヤフー」では、検索数が急上昇したワードランキングの3位に「地鳴り」が食い込んでいる。首都圏ではM7クラスの直下型地震が30年以内に70パーセントの確率で起きるとされ、多くの人々が地鳴りとの結びつきを想像した結果とみられる。

 夕刊フジで「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」(木曜)を連載する武蔵野学院大の島村英紀特任教授は、「地下の浅いところを震源とする地震は、地鳴りを引き起こすことがあるが、東京と高知の地鳴りについては詳細は不明だ」と指摘する一方、こんな恐ろしい事態も想定されるという。

 「太平洋上の海底を震源として、1944年に東南海地震が、2年後の46年には南海地震が発生し、大きな被害を生んでいる。これらの地震の十数年前から発生直前まで、西日本では震源の浅い直下型地震がたびたび起きている。高知で報告例が相次いだ地鳴りは、いつか起きる南海トラフ地震のサインである可能性は否定できない」(島村氏)

 必ず来る。そう踏まえて備えだけは万全にしておきたい。


津波漂着船、ハワイから宮城・石巻港に帰還=水産高実習船で―大震災5年
時事通信 3月11日(金)16時54分配信

 宮城県石巻市にある宮城県水産高校の実習船「宮城丸」(650トン)が11日、東日本大震災後に米ハワイ・オアフ島に漂着した小型漁船を載せて石巻港に帰還した。
 小型船は石巻市雄勝町の故伊藤恭一さんが使用していた「第二勝丸」(約0.5トン)。同船は5年前の大震災の津波で沖合に流され、昨年5月にオアフ島の浜辺で見つかり、ハワイ在住の日本人を通じて伊藤さんの家族に伝えられた。
 宮城丸は今年1月に、同校と宮城県気仙沼向洋高校(同県気仙沼市)の生徒ら約60人を乗せて同港を出航。ハワイ沖での操業実習を終えた後、2月下旬にホノルル港で第二勝丸を積載し、震災5年に合わせて11日昼すぎ、石巻港に戻った。


国交省と農水省、津波や高潮発生時の水門閉鎖におけるルール浸透を検討
レスポンス 3月11日(金)16時45分配信

農林水産省と国土交通省は、「水門・陸閘等の安全かつ適切な管理運用の促進に関する検討委員会」を開催し、津波や高潮発生時、操作者が安全、確実に水門・陸閘等を閉鎖できるよう、操作・退避ルールを現場に浸透させるための取り組みについて検討する。

東日本大震災では、水門・陸閘操作に従事した多くの人が犠牲となったことを踏まえ、海岸関係省庁では、有識者委員会が「現場操作員の安全最優先の操作・退避ルールの明確化」と「管理委託のあり方」を検討し、2015年4月に「津波・高潮対策における水門・陸閘等管理システムガイドライン」を改訂した。

また、同委員会が操作など、委託契約の円滑な締結の推進と現場操作員まで確実に操作・退避ルールを浸透させることが課題とされたことから、対策を検討している。

今回、水門・陸閘等の操作など、委託契約標準案のとりまとめを行うとともに、現場操作員まで確実に操作・退避ルールを浸透させるための今後の取り組みなどについて検討する。

《レスポンス レスポンス編集部》


大震災5年、政府追悼式で決意
2016年3月11日(金)16時30分配信 共同通信

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 東日本大震災から5年、宮城県石巻市で行われた犠牲者を追悼するイベント。キャンドルで「3・11追悼」の文字が浮かび上がった=11日午後5時51分

 東日本大震災の発生から5年となった11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で開かれ、遺族や安倍晋三首相、天皇、皇后両陛下ら計約1090人が参列し、地震発生時刻の午後2時46分に黙とうした。犠牲者を悼み、重い教訓をかみしめながら、引き続き復興に取り組むことを誓った。

 岩手、宮城、福島の3県の遺族代表は、失った家族や帰れぬ故郷への思いを語った。岩手県宮古市出身の山本永都さん(22)は祖父を亡くし、消防団員として防潮堤の水門を閉めに行った父も帰らないまま。つらい気持ちを母にぶつけた時もあったが「今では住民の命を守ろうとした父を誇りに思う」と胸を張る。


「いつも寄り添う」=岩手とネット中継で黙とう―神戸
時事通信 3月11日(金)16時18分配信

 神戸市の東遊園地では、市民団体などが追悼式を開いた。
 被災した岩手県陸前高田市とインターネット中継を結び、実行委員長の藤本真一さん(31)が「ポジティブなメッセージを安易に発することができないほどつらい状況だが、神戸はいつも寄り添っていると伝えたい」と呼び掛けた。
 阪神大震災の犠牲者の慰霊と復興のシンボルの「1・17希望の灯り」の前には、「3・11」をかたどったグラスキャンドルが並べられ、約100人が午後2時46分、手を合わせて黙とうした。


「なみえ焼きそばで福島と信州の架け橋に」福島県浪江町から避難した夫妻が長野市で震災5年を迎えた
産経新聞 3月11日(金)16時2分配信

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浪江町への思いを語る川橋昭義さん。店内の壁には福島のサッカーチームのユニフォームやタオルが飾られている=長野市(写真:産経新聞)

 東日本大震災の発生から11日で5年。長野県内では900人超の被災者が避難生活を送る。川橋昭義さん(67)、恵子さん(62)夫妻も、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示を受け、震災直後から福島県浪江町から長野市に移り住んだ。「浪江町と長野市の架け橋になりたい」…。同町のご当地グルメ「なみえ焼そば」を提供する居酒屋を市内に構えてから丸2年。夫妻は浪江町の地を再び踏む日を心待ちにしながら、「福島の味」と「元気」で長野市民をもてなし癒し続けている。(三宅真太郎)

 長野市の繁華街「権堂アーケード通り」にたたずむ居酒屋「てびねり」。庶民向けの酒場らしい、つまみが並ぶメニューの真ん中には「なみえ焼そば」の文字が元気よく躍る。

 「なみえ焼そば」は半世紀ほど前から浪江町一帯で親しまれてきた名物。通常の約3倍という極太の麺と濃厚なソースが特徴で、具材は豚肉ともやしだけというシンプルさが売りだ。

 同店では福島県の郷土料理や地酒も提供する。店内の壁には福島のサッカーチームのユニホームやタオル、福島の祭りのポスターが掲げられている。

 「福島県出身者が来ると懐かしがってくれるし、長野の人たちには福島の魅力を伝えられる。ここは浪江のアンテナショップです」

 店を切り盛りする昭義さんは笑顔でそう語る。

 5年前の3月11日の「あの瞬間」、昭義さんは自宅にいた。経験したことのない激しい揺れに襲われ、地面にはいつくばった。庭に大きな亀裂が入り、コンクリート製の家の基礎がバンッと大きく音を立てて壊れるのを目の当たりした。自宅から約5キロ離れた東電福島第1原発で事故が起きたこともあいまって、間髪入れずに避難を決意した。

 首都圏からの転勤を契機に住み始めて30余年。恵子さんとともに苦渋の決断で愛着のある浪江町を後にし、長男の哲平さん(28)と長女一家が暮らす長野市に移った。

 昭義さんには思い描く「未来」があった。自宅を改装し、福島県のそば粉を使ったそば屋を営むという夢だ。しかし今や全域が避難指示区域になった浪江町には戻れない。そこで、そばで名高い信州に住むことになった縁を生かし、塩尻市で行われていたそば作りの教室に1年半通い、そば打ちの技術を学んだ。

 震災から3年の節目となった一昨年3月11日。川橋さん夫妻は長男の哲平さんと一緒に「てびねり」をオープンさせた。「復興支援につながるように」と全国的に知られる「なみえ焼そば」をメニューに入れた。もちろん信州流の「手打ちそば」も提供する。昭義さんは言葉に力を込める。

 「被災者で大変な思いをしている人はまだたくさんいるが、あの震災のことがいつか忘れ去られてしまうのではないかと不安になる。店に来た人に福島を思い出してもらいたい」

 2年前の開店直後から訪れているという長野市の会社員、西宮信幸さん(42)は「いつも笑顔で出迎えてくれる明るい雰囲気のお店。応援するというより、こちらが逆に元気をもらっている」と話す。

 長男の哲平さんは「常連さんたちに支えてもらっている。もっとお客さんに愛される店にしたい」。恵子さんも「長野の人たちの応援でここまでやってこられた。長野は自然が多く、浪江町に似ていて良いところです」と笑みをたたえた。

 昭義さんは、信州で習得したそば打ちでこしらえた福島産のそば店を浪江町で開くことを夢見る。

 「5年はあっという間だったが、長野で懸命に生きてきて前向きな気持ちを持てるようになった。浪江町に戻り、暮らせる日を楽しみにしている」

    ◇

 長野県危機管理防災課によると、東日本大震災で被災し県内へ避難している人は3月1日現在で341世帯932人。そのうち福島県からの避難者は最も多く270世帯763人に上り、宮城県が27世帯59人、岩手県が13世帯22人、その他31世帯88人と続く。


連載【大川小の今】最終回 生還者の夢は消防士
2016年3月11日(金)16時0分配信 NEWSポストセブン

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大川小学校の生存者・只野哲也さんの夢は消防士

 震災を忘れ去ったかのような喧騒と、遅々として真相解明が進まない目の前の現実は、彼の目にどう映っているのだろうか──。2011年3月11日の津波で、全校児童108人のうち74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。只野哲也さん(16才)はその生存者だ。悲しみの癒えぬ5年の歳月を、長く大川小について取材を続けるジャーナリストの加藤順子さんと池上正樹がリポートする。(撮影:加藤順子)
【集中連載第4回/全4回】

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 この5年間、生還者としての体験を背負い校舎に対する思いや災害への備えを必死に語ってきた哲也さん。物怖じせず意見を述べる姿には強い覚悟が感じとれるが、時折こんな繊細な心の内も見せる。

「メンタル、めちゃめちゃ弱いです。取材では『何を言われても未来の命守れるなら伝えていきます』なんて簡単に言えるけど、文句を言われたり、亡くなった同級生の親が自分にあまりいい印象を持っていないと聞いたりしたときも落ち込んだし…」(哲也さん、以下「」内同じ)

 今熱中している部活動の柔道の好きなところも、試合で勝つことや技を身につける楽しさ以上に、礼を身につけることや、柔道家に共通する心の強さだという。

 素の自分だと感じるのは、柔道をしている時と家でリラックスしている時。先生やマスコミなど大人との会話では自分をちょっと作っているようにも感じている。

 しかしそれも、大川に戻れば昔の自分に戻った気がするという。

「当初は、校舎には正直、近寄りがたかったです。やっとの思いで大川を脱出した後、最初に(対岸の)北上川町側から大川小を見たときの異臭は今も忘れないです。ガソリンといろんな腐った物をごちゃ混ぜにしたような。今もたまにあの時と同じようなにおいがするような気がするんですよ。津波が家を壊してきて、それに追っかけられてのまれる瞬間だとかを、あの時、鮮明に思い出しました」

 そんな記憶も少しずつ薄れてきて、校舎へ来てもつらく感じることはなくなってきた。反対に、教室で亡くなった同級生たちに些細なことでも語りかければ、気持ちが楽になるようになったのだ。

 震災前は3世帯6人だった家族は、父と祖母との3人暮らしになった。「今は反抗期かな?」と笑いながらも、自分と向き合おうと努力する父親の背中を見続けている。

「仕事が忙しい中でも、休みの日はどこか行くか? とか、映画見に行くか? とか、気を使ってくれる。仕事の帰りに時間があれば、今日迎えにいくからって、忙しいながらもおれとの時間を作ろうとしてくれていて、すごいなと思う。お金稼いでいるのは親父だけだから感謝しているし、時間を作って大川に行って語り部もしていて、よく体力が持つなって思いますね」

 哲也さんの夢は最近、警察官から、消防士に変わった。

「どっちかっていうと自分が経験したことを防災に役立てたいから、災害から人を守る消防士になりたいな。今はそこを目標にして日々の生活を送ろうとしています」

【集中連載第4回/全4回】

※女性セブン2016年3月24日号


連載【大川小の今】第3回 子供の意見を聞くのは大事
2016年3月11日(金)7時0分配信 NEWSポストセブン

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「大川小をぜひ見に来てほしい」と語る生存者の只野哲也さん

 2011年3月11日の津波で、全校児童108人のうち74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。只野哲也さん(16才)はその生存者だ。悲しみの癒えぬ5年の歳月を、長く大川小について取材を続けるジャーナリストの加藤順子さんと池上正樹がリポートする。(撮影:加藤順子)
【集中連載第3回/全4回】

 * * *
「家に帰ると、ふとした拍子に(母親や妹が)亡くなったことを実感してきて寂しいと思ったり。考え出すと止まらなくなるんです」(哲也さん、以下「」内同じ)

 震災後、何もかも消えた故郷を出て、市街地に引っ越した。進学した中学校や高校は大川小とはあまりにも環境が違い、同じ市内でも震災の話をすることはなくなった。

「友達がきょうだいの話をしていると、『自分に話しが振られやしないか』とびびったり、天気の悪い日に『お母さん迎えに来るの?』と聞かれ、『ああ、おれんちも“親”が迎えに来るよ』とうまくごまかしてみたりしていますね。親がいないという本当のことを言ってもいいが、相手にとりあえず謝られたりすると傷つくので、そっとしてほしい。そんなことを通じて、少しずつ、少しずつ、家族がいないんだなって感じていますね」

 田んぼのなかの自動販売機すらない地域で育っただけに、市街地で生活するなんて思ってもいなかった。

「震災後は、子供ではいられない感じもあって、こっちに来てから自分を作っている感じがするけれど、本当の自分はどっち?ってわからなくなってきているんです」

 2012年8月、大川小保護者説明会で、現在の校長が「子供の記憶は変わるもの」と発言した。しかし、哲也さんの証言内容は、私たちが話を聞いてきた中ではもちろん、報道をみる限りでも、変わるどころか一貫し続けている。

「校舎を壊すのは、世界中の子供たちが見てからにしてほしい」

 そう訴え続ける強い思いの源泉には、虚ろな大人社会への不信が滲む。

「自分の母校だし、友達がいた。記憶が薄れていく中であの校舎がなくなったら、ただの更地になっちゃって、思い出せることも思い出せなくなる。校舎があるからこそ、この廊下で怒られたなとか、階段で転んだなとか思い出せる。思い出すきっかけがないと、いくら頑張っても忘れちゃう。みんなが生きていた証がないとだんだん忘れられて本当の意味で死んじゃうんじゃないか」

 一方、複雑な利害関係が交錯する狭い地域の中で、声を上げられない事情もある。多くのクラスメートを亡くした大川小の卒業生たちは、それぞれの大人たちの心中や事情も理解しながら、自分の思いに向き合い続けてきた。

「すべては、命あってのもの。伝えたいんです。わざわざ遠くから大川小に来て手を合わせてくれる人がいるのに、何も伝えられないまま帰っていく。広島の原爆ドームのような感じで伝われば、なるほどと思って帰った先で広まっていく。こういうことがあった時、どうすればいいか考えようと話してもらえば、すぐに避難するという防災に役立ってもらえる」

 凄惨な経験をしたからこその言葉には、防災の専門家よりもはるかに伝わってくる説得力がある。

「子供の意見をもっと聞いてほしい。そのためにも校舎をぜひ見に来てもらいたい。何か感じるものがあるかもしれないし、こういう仕事に就いて頑張りたいという、きっかけにもなるかもしれない」

 子供の目線でつくる防災。それを実現する周囲の大人の役割はとても重要だ。

「ここまで来ないと思っていたから、大川もああなった。もしものときは、大人も子供も関係なく、常に自分の第一感に従ってほしい。大切なのは、恐怖をどう伝えるか。百聞は一見にしかず。100回映像を見せるよりも、その場所に1回連れて行った方が、想像できると思う。

 子供がおかしいと言っても、大人はダメ。子供に謝らない。自分がどう思っているのか正直に従っていたら、あの時も山に逃げていたかもしれない。6年生が山に逃げましょうと言っていたとき、5年生も便乗して逃げましょうと言っていたら、先生も心動かされて変わっていたかもしれない。子供の意見を聞くって、本当に大事だと思う」

【集中連載第3回/全4回】

※女性セブン2016年3月24日号


連載【大川小の今】第2回 生存者が語る被災時
2016年3月10日(木)16時0分配信 NEWSポストセブン

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被災時の状況を語る大川小の生存者・只野哲也さん

東日本大震災から5年。被災者たちはどんな時間を過ごしていたのだろうか。全校児童108人のうち74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の生存者である只野哲也さん(16才)の5年間について、ジャーナリストの加藤順子さんと池上正樹さんがリポート。現在、石巻市では大川小の旧校舎を「震災遺構」として保存すべきかどうかの議論が本格化しているというが…。(撮影:加藤順子)
【集中連載第2回/全4回】

 * * *
 地元では、大川小について複雑な心境を抱えたままの人も多く、大人でも話題にすることが難しい。地区住民でつくる復興協議会も2012年秋には校舎についての話し合いを中断していた。校舎の遺構化について口火を切ったのは、他でもない哲也さんだった。2013年秋、中学2年の時だった。

 まだ小学生だった被災直後から校舎を遺す意義を取材で口にしてきた哲也さんだが、子供の人権に取り組むNGOに東京に招かれ講演した際に、「ぼくの先輩や後輩が、ここで生きていたという証」である校舎を震災遺構とするよう訴えたのだ。

 この発言は、全国ニュースでも放送され、校舎の保存を希望する他の卒業生たちを動かし、意見を表明する活動のきっかけとなっていった。哲也さんをそこまで突き動かすこれまで見てきた景色とは、どんなものだったのか──。

 当時、学校にいて生還できたのは、児童4人と教務主任だったA教諭のみ。しかし、あの日の様子を語り続けてきたのは、哲也さんだけだ。

 哲也さんは大勢の友人の他に当時3年生だった妹の未㮈ちゃんと母親のしろえさん、祖父の弘さんの家族3人を亡くした。未㮈ちゃんは同じ大川小にいて犠牲になった。

 地震の後の校庭には、全校生徒108人のうち、保護者などが引き取りに来て学校を離れた児童や欠席・早退などを除く子供たちがいた。校庭のすぐ裏には、子供たちが授業で登っていた山があった。「6年生が先生と言い合ってるようだった」と哲也さんは証言する。先生たちは校庭の前で話し合いをしていた。

 地震が起きてから津波が来るまでの約50分間、新北上川沿いにある標高わずか1mほどの低地の学校で、防災行政無線のサイレンが鳴り響く中、子供たちは教師たちと、校庭に待機し続けた。なぜ山があるのに1mでも上に逃げなかったのか。

 津波の来る直前、教師たちが児童を引率して目指したとされるのは、新北上川の堤防上にある“三角地帯”だった。あろうことか、子供たちを連れて、高台ではなく、川に向かったのだ。

 しかも避難したルートは、学校前に出る県道ではなく、なぜかその先が袋小路になっている民家裏の路地だった。哲也さんは、他の児童たちと小走りで民家の間を抜けて県道に出る直前、津波が川の堤防を越えてきたのを見て、慌てて引き返した。目の前の山をよじ登っている最中に、後ろから津波をかぶった。「哲也!」と叫ぶ声で意識が戻ったとき、体が半分ほど土砂に埋まっていた。哲也さんを掘り出してくれたのは、同じ5年生の友人だった。

 山の斜面から2人で津波が渦巻く様子をぽーっと眺めた。

「死んだと思ったのね。死んで、三途の川? ん? と思ったっけ。でも、(新北上)大橋があるし、三角地帯っぽいところもあるから、ここは釜谷かなって思って…」

 上によじ登っていった先で、地域の住民や役場の人と合流した。みんなでたき火して、ひと晩過ごした。

「助からなかった命ではなく、助かったはずの命をなぜ守れなかったのか? もっと一緒になって、何がダメだったのかを考えてほしい。子供も大人も人間なのだから、1人の人間として考えてほしい」

 2014年12月、中学3年になっていた哲也さんは都内のシンポジウムで、この年の3月に提出された最終報告でも事故の核心に触れなかった市設置の第三者委員会を意識してか、そんな発言もした。

 同委員会の報告書に記述があるのは、生還したA教諭が見たとされる「県道を移動する」津波の景色。しかし、哲也さんも避難した人たちも、A教諭の姿を目撃していない。

 しかも地域住民によると、A教諭がいたとされる位置からは「県道を移動する津波は見えない」と首をかしげる。そもそも、哲也さんが県道で見た川の堤防を越えてくる津波とも食い違う。説明は辻褄の合わない矛盾や疑問が多く、5年経った今も解明されないままだ。

 遺族の多くは、真相を隠そうとしているのではないか──そんな疑念が拭えないでいる。

【集中連載第2回/全4回】

※女性セブン2016年3月24日号


震災被災地の防潮堤整備計画 5年経過し完成は19%
2016年3月11日(金)7時0分配信 NEWSポストセブン

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宮城県・気仙沼市、高さ7.2mの防潮堤

 視界を遮る無機質なコンクリートの壁が、海岸線を這うように延びる。震災から5年、沿岸を覆い尽くす巨大防潮堤は、被災地の日常風景になった。

 だが、宮城県気仙沼市の海岸に立つと一風変わった光景が広がる。壁のようにそびえる高さ7.2mの防潮堤に約50m間隔で横長の穴が開き、透明のアクリル板がはめ込まれている(写真参照)。

「建設の計画段階で町民から要望がありました。津波警報が出て防潮堤の出入り口を塞ぐとき、人が取り残されていないか確認ができるようにしてほしいという理由です。このような設計でも強度に問題はありません」(宮城県気仙沼土木事務所)

 あたかも海を覗き込むための窓のようだが、同県釜石港にも同様の防潮堤がある。ただし、こちらは人の背丈ほどある大きな窓。しかも、隣接して建つホテルの正面の窓だけ横幅が広い。海が見えなくなるほど高い防潮堤の建設に反対していたホテル側からの、せめて少しでも海が見えるようにしてほしいという要望を受け入れた結果という。だが、アクリルの窓は薄く、紫外線で劣化するのではという指摘もある。

 震災発生の4か月後、2011年7月に始まった防潮堤整備計画。被災地3県で総延長400km、東京から名古屋に相当する距離の海岸をコンクリートで守るという総工費1兆円の巨大プロジェクトは、10年の期間をかけて平成32年度末の完了を目指す。だが、5年が経過した今年1月時点の進捗状況は、建造中が57%で未着工21%、完成は19%に留まる。

「地元との調整はすでに97%完了しているので、これからは粛々と復興計画を進めていくだけです」(国土交通省水管理・国土保全局)

 被災地を歩けば、「海が見えなくなった」「高台に移転するのに何を守るというのか」という声を耳にする。そんな住民の戸惑いをよそに、巨大な壁は次々とそそり立っていく──。

撮影■太田真三

※週刊ポスト2016年3月18日号

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