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2016年3月11日 (金)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2104

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:【図】福島第一原発事故から5年 避難指示区域の指定の状況は? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:岩手県遺族代表・山本永都さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:宮城県遺族代表・木村正清さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島県遺族代表・佐久間国幸さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:安倍首相式辞全文=東日本大震災5年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:天皇陛下のお言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:祈りの日、再生誓う=東日本大震災5年で追悼式―安倍首相「復興、確実に前進」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大震災追悼式で天皇陛下「国民が心を一つに」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災から5年、首長会見を主催した外国特派員協会ジャーナリストの思い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 絆の灯、消さない…神戸から竹灯籠「仮設なくなるまで」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災から5年 17万4000人が避難生活続ける - 速報:@niftyニュース.
リンク:福島の公立中で卒業式 - 速報:@niftyニュース.
リンク:大規模な工事が各地で続く そして鎮魂の祈り新たに~女川、石巻~ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発事故時のSPEEDI使用認める=自治体に裁量―政府方針 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島県産の食品購入「ためらう」15.7% 消費者庁の調査で - 速報:@niftyニュース.
リンク:伊方原発再稼働差し止め、広島の被爆者ら提訴 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 遠藤五輪相「復興五輪として被災地に貢献」 野球・ソフトの福島開催にも意欲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原子力規制委員長が訓示「廃炉に全力尽くす」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年 自民、初動対応検証の新組織設置へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大地に、記憶に… 今も 爪痕 福島県浪江町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地食品 安全性検査 関心薄く 「風評」は根強い 消費者庁がアンケート - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福井住民ら抗告取り下げ=高浜停止で「緊急性ない」―名古屋高裁支部 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【被災地の2011と今】(1)宮城・石巻市雄勝町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:誓い新たに…東日本大震災5年、各地で追悼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【被災地の2011と今】(2)陸前高田市・奇跡の一本松 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【被災地の2011と今】(3)土入れ替え作業 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【被災地の2011と今】(4)日活パールシネマ、看板も上映も健在 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:愛媛・伊方原発差し止め求め提訴 - 速報:@niftyニュース.
リンク:震災5年 高木復興相「除染含め帰還困難区域の扱い検討」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<伊方原発>停止求め被爆者ら提訴…広島地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:政府、今後5年間の復興基本方針を閣議決定 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:不明者を一斉捜索=宮城、福島の海岸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 岸田外相「風評被害払拭に努める」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「残った家族見守って」=早朝から追悼の祈り―東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

【図】福島第一原発事故から5年 避難指示区域の指定の状況は?
THE PAGE 3月11日(金)16時0分配信

 東日本大震災から5年がたった。その後に起きた福島第一原発事故では、放射性物質の拡散から住民を守るため、政府は「避難指示区域」を設けて立ち入りを制限している。

 事故直後は福島原発から20キロ圏内に避難指示、20キロ~30キロ圏内に屋内退避指示が出されたが、2011年4月に、「警戒区域(20キロ圏内)」「緊急時避難準備区域(20~30キロ圏内)」「計画的避難区域(20キロ圏外で放射線の年間積算量が20ミリシーベルトになる恐れのある地域)」という3つの避難区域に整備された。

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[地図]避難指示区域の現状

 その後、避難区域は2012年4月に、放射線の年間積算量に応じてさらに3つの区域に見直された。2016年3月11日時点の区分はこれによるもの。

 年間積算量が50ミリシーベルト超で、5年たっても20ミリシーベルトを下回らない見込みの区域は「帰還困難区域」。原発の立地する双葉町・大熊町や浪江町の大部分、南相馬市、飯舘村、葛尾村の一部などが指定されている。この区域は引き続き避難の徹底が求められている。

 20ミリシーベルトを超える恐れがある地域は「居住制限区域」。避難の継続が求められるが、住民の一時帰宅やインフラ復旧などのための立ち入りは可能になった。飯舘村や富岡町の大部分や南相馬市、浪江町、葛尾村、大熊町の一部が指定されている。

 20ミリシーベルト以下になることが確実とみなされた地域は「避難指示解除準備区域」に指定され、住民の帰還準備が進められている。宿泊こそできないが住民の一時帰宅や、病院や店舗などの一部営業、農作業の再開が認められるようになった。南相馬市や川俣町、葛尾村の大部分、飯舘村、浪江町、川内村、富岡町、大熊町の一部が指定されている。


岩手県遺族代表・山本永都さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式
時事通信 3月11日(金)15時47分配信

 政府主催の追悼式で、岩手県遺族代表の山本永都さん(22)が述べた言葉は次の通り。
 
 5年前のきょう、高校生だった私は、いつものように玄関先で祖父に見送られ、通学のため父に駅まで送ってもらいました。家族の優しさに包まれていたあの日の朝、「行ってきます」のあいさつが、2人と交わした最期の言葉でした。
 避難途中だった祖父は、数日後遺体で見つかりました。遺体安置所で変わり果てた姿に母と泣き崩れ、祖父を守れなかったことを悔やむ日々が続きました。
 大好きだった父はいまだに家族の元に帰らぬままです。震災直後は、なぜ危険な状況にもかかわらず、父は防潮堤の水門を閉めに行かなければならなかったのか、と母を問い詰めてしまうこともありました。今では、あの日消防団員として住民の命を守ろうとした父を、とても誇りに思い尊敬しています。
 私は今、関東で大学生として生活をしています。
 入学後は、震災のことや不明の父のことが気になり、新しい生活にもなじめず、何度も大学を辞めようかと思い悩みました。1年の休学を経て、悲しみやつらさを抱えながらも夢を諦めず、ゆっくりでもいいから前に進む勇気を持つことの大切さを知りました。
 家族や友人、そしてたくさんの方からの励ましの言葉を胸に、私は再び、看護という学業に専念しています。大震災で受けた世界中からのたくさんの温かい支援にいつか恩返しができるよう日々精進しながら、毎日を大切に、父や祖父の分まで精いっぱい生きていこうと思っています。大震災で失うものもつらいこともたくさんありましたが、この5年は私を随分と成長させてくれました。住民の命を守った父の背中を胸に、いつか私も人の役に立てる人となり、努力を惜しまず前を向いて進んでいくことが、亡き父への親孝行だと思えるようになりました。
 最後に、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉と致します。


宮城県遺族代表・木村正清さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式
時事通信 3月11日(金)15時47分配信

 政府主催の追悼式で、宮城県遺族代表の木村正清さん(52)が述べた言葉は次の通り。
 
 人口の8.26%に当たる827人もの尊い命が奪われ、郷里女川が壊滅的な被害を受けてからはや5年を経過しようとしています。
 お父さん、あの日、何度も電話しましたが、出てくれませんでしたね。
 「逃げ遅れてしまったのか、いや、そんなはずはない」と自答しては、2日前の地震でも、「津波が来たら、体一つで逃げるから大丈夫」、力強く言ってくれたその言葉を信じていました。
 一方で、町立病院に入院していた母の退院が間近であることも伝えてくれましたね。実はこのとき、不安がよぎっていました、母が逃げ遅れてしまうのではないかと。
 図らずもその不安が現実のものとなりました。震災直後の実家の光景を今も忘れることができません。基礎を残し跡形もなくなった土の上に、生前の両親の姿を映し出すかのように、折り重なるようにして見つかっためおと茶わん。家内が見つけてくれたこのめおと茶わんが唯一の形見になってしまいました。
 最後にお父さんの姿を見た方が、「お父さん、お母さんの名前を大きな声で呼びながら家に入っていったよ」と証言してくれました。お母さんに対する計り知れない愛の深さと勇気を知り、私は改めてあなたの偉大さを痛感しています。
 「お父さん、自分の命も顧みずにお母さんを助けに行ってくれてありがとう」
 私は今、地域防災リーダーの養成や防災分野の調査・研究に携わっています。
 お父さん・お母さんの死を決して無駄にすることなく、これからも防災分野で、微力ながら地域防災に貢献できるよう全力を尽くしますので、天から見守っていてください。
 最後に、東日本大震災に際し、被災地を支援してくださった全世界の方々に衷心より御礼を申し上げます。
 亡くなられた多くのみ霊の安らかならんことを祈念すると共に、ご遺族の心の復興が一日も早くならんことを祈念し、追悼の言葉とさせていただきます。


福島県遺族代表・佐久間国幸さんの言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式
時事通信 3月11日(金)15時47分配信

 政府主催の追悼式で、福島県遺族代表の佐久間国幸さん(66)が述べた言葉は次の通り。
 
 私のふるさと大熊町は、春には三ツ森山に桜が咲き誇り、夏は日隠山への登山で汗を流し、秋には坂下ダムで紅葉狩りを楽しみ、冬は熊川に白鳥が飛来する、四季折々の豊かな自然に囲まれた、人々のほがらかさがあふれる穏やかな町でした。
 ところが、5年前に発生した東日本大震災に伴う原子力発電所の事故により、私たちはふるさとからの避難を余儀なくされ、家族が離ればなれの生活を送ることになりました。
 私の父は、長期にわたる避難生活の末に、ふるさとから遠く離れた雪国でその生涯を閉じました。
 避難生活の中ずっと、「大熊の自宅に帰るまでは死ねない」と言っていただけに、雪の降りしきる会津の仮設住宅で最期を迎えたことは、さぞ無念であったろうと思います。
 そして、残された私たちは、生まれた古里を離れ、家族がバラバラの生活が長くなるにつれ、ふるさとにはいつ帰れるのだろうか、再び家族が一緒に生活できる日は来るのだろうかと、言いしれぬ不安におそわれます。
 しかし、私たち遺族にできることは何かと改めて考えたとき、再びこのような悲しいことが起こらないように、そして、この大震災を風化させないために、私たちの経験を、これから先も、子々孫々、そして世界中に伝えていくことが重要なのではないかと思います。
 最後に、被災地には、放射能の問題など、まだまだ乗り越えなければならない多くの問題がありますが、みんなで力を出し合って復興を進めていくことを、大震災の犠牲となられたみ霊に改めてお誓い申し上げ、遺族代表のことばといたします。


安倍首相式辞全文=東日本大震災5年追悼式
時事通信 3月11日(金)15時47分配信

 安倍晋三首相の式辞全文は次の通り。
 
 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、「東日本大震災5周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 かけがえのない多くの命が失われ、そして、多くの方の人生を一変させた、東日本大震災の発生から、早くも5年が過ぎました。
 最愛のご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意をささげます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 被災地では、いまだに、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために、住み慣れた土地に戻れない方々も数多くおられます。被災地に足を運ぶたび、「まだ災害は続いている」、そのことを実感いたします。その中で、一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています。住まいとともに、なりわいの再生も本格化しています。
 被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも、心と体のケアや新たな地域社会の形成、被災地の産業の振興への支援などに力を注ぎ、魅力ある地方の創生につながるような復興を実現していく所存です。
 同時に、多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を、決して風化させることなく、常に最新の英知を取り入れながら、防災対策を不断に見直してまいります。政府一丸となって、災害に強い、強靱(きょうじん)な国づくりを進めていくことを、改めて、ここに固くお誓いいたします。
 震災の発生以来、地元の方々や関係する全ての方々の大変なご努力に支えられながら、今日に至っております。日本各地のみならず、本日ここにご列席の、世界各国・各地域の皆さまからも、多くの、温かく心強いご支援をいただきました。改めて、心より感謝と敬意を表したいと存じます。
 わが国は、今後とも、世界の皆さまに向け、東日本大震災の教訓と被災地の復興の様子をお伝えし続けるとともに、わが国の知見と技術を少しでも役立てていただけるよう、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。
 わが国は、幾度となく、国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、そのたびに、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでいくことを、改めてお誓いいたします。
 み霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまのご平安を心から祈念し、私の式辞といたします。


天皇陛下のお言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式
時事通信 3月11日(金)15時47分配信

 東日本大震災から五年が経(た)ちました。
 ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 五年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
 このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
 地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
 こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、百六十を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
 あれから五年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
 困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
 日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
 今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


祈りの日、再生誓う=東日本大震災5年で追悼式―安倍首相「復興、確実に前進」
時事通信 3月11日(金)15時35分配信

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政府主催の追悼式で、お言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま=11日午後、東京都千代田区(代表撮影)

 東日本大震災から11日で5年を迎え、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。
 天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長、遺族代表ら約1090人が参列。震災発生の午後2時46分から1分間、全員で黙とうし、犠牲者への祈りをささげるとともに、被災地の再生を誓った。
 首相は式辞で、「被災地に足を運ぶたびに『まだ災害は続いている』と実感する」としつつも、「一歩ずつだが復興は確実に前進している」と強調。その上で「心と体のケア、新たな地域社会の形成、被災地の産業振興支援などに力を注ぎ、魅力ある地方創生につながる復興を実現していく」と決意を語った。
 天皇陛下はお言葉で「困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。
 岩手、宮城、福島の被災3県の遺族代表も、それぞれの体験を語った。岩手県宮古市出身の山本永都さん(22)は避難中に祖父を亡くし、消防団員だった父は今も行方不明となっている。山本さんは「悔やむ日々が続いた」としながらも、「父や祖父の分まで精いっぱい生きていこうと思う」と語った。
 両親を亡くした宮城県女川町出身の木村正清さん(52)は「お父さん、お母さんの死を無駄にすることなく、微力ながら地域防災に貢献できるよう全力を尽くす」と力を込めた。福島県大熊町出身の佐久間国幸さん(66)は、東京電力福島第1原発事故の影響で避難生活が続く中、「みんなで力を出し合って復興を進めていく」と決意を述べた。


大震災追悼式で天皇陛下「国民が心を一つに」
読売新聞 3月11日(金)15時27分配信

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政府主催の追悼式で、お言葉を述べられる天皇、皇后両陛下(11日午後2時55分、東京都千代田区で)=竹田津敦史撮影

 甚大な被害が出た東日本大震災から11日で5年を迎えた。

 全国各地で追悼式が開かれ、政府主催の追悼式では天皇陛下が、被災者が普通の生活を取り戻すために「国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切」と述べられた。震災による死者・行方不明者は、震災関連死を含めて2万1000人を超える。遺族らは悲しみを新たにしつつ復興を誓った。

 震災が発生した時刻の午後2時46分、東京都千代田区の国立劇場で開かれた追悼式では、天皇、皇后両陛下をはじめ、安倍首相ら三権の長、遺族代表ら約1090人が黙とうをささげた。

 天皇陛下はお言葉で、震災や東京電力福島第一原発事故で多くの人が苦難の生活を続けている現状について「心が痛みます」などと述べ、被災者を案じられた。また、震災の教訓を生かし、防災の心を培い、次の世代に引き継ぐことで「より安全な国土が築かれることを希望します」と語られた。


震災から5年、首長会見を主催した外国特派員協会ジャーナリストの思い
THE PAGE 3月11日(金)15時6分配信

 5年前の東日本大震災では、日本にいた外国人ジャーナリストたちも自ら大きな揺れを経験、被災地に入って取材活動を行った。東京の外国特派員協会報道委員長を務め、アイルランド出身で英エコノミスト誌のデイビッド・マックニール契約記者(50)もその1人。同記者は、5年前のあの日に体験したこと、そして、被災地で見たことを振り返った。

被災地首長らを招いた会見の意味
 外国特派員協会では、東日本大震災の5周年に合わせて、震災に関連する人々の記者会見を企画。2月17日には福島県南相馬市・桜井勝延市長、同月25日には宮城県南三陸町・佐藤仁町長、3月8日には福島県いわき市・清水敏男市長など、被災地の首長らの会見を主催した。

 マックニール記者が務める報道委員長の役割は、会見を含むイベントを企画、検討する審議会の取りまとめ役。今回の震災企画の狙いについて「震災から5年後に一番影響を受けた被災地の現場の人の声を聞くということ。それはすごく大切だ」と力を込める。

マックニール記者が経験した3.11
 マックニール記者自身、震災を経験している。東日本大震災の発生当日、私用で神奈川県三浦市に向かうため、京急電鉄品川駅にいた。「最初、少しずつゆれがはじまって、次第に強くなっていった。それまでに経験した地震よりも、すごく揺れが長かったことが印象に残っている。心配したのは、駅の屋根が落ちないかということだった」。かたわらには、妊娠6か月の妻がいた。

 電車は止まり、三浦行きは当然運行を中止。帰宅しようにもタクシー乗り場は長蛇の列だった。徒歩で有楽町の日本外国特派員協会へ。そこで妻を休ませたのち、震災に関する事実を報じる記事と、自らがその日体験したことを記した記事を執筆。夜になると電車が動き始めたので帰宅した。

 翌12日の朝、知人の外国人記者とカメラマンとともにレンタカーで被災地へ出発。ひどい渋滞を抜け、福島方面に走行中、東京電力福島第一原発事故のニュースを知った。このまま行くべきか否か。3人で相談の末、行くことに決める。「仕事だから。それに、どれくらい危険なのかその時点ではわからなかった」。

 12日は福島県いわき市のホテルに宿泊。翌13日の夕方、ちょうど太陽が沈んだころに宮城県南三陸町へ到着した。「印象に残ってるのは、カラスの鳴く声以外、音が聞こえなかったことと、東京大空襲後の写真のように、建物がなくなり地面がフラットになっていたこと」だと思い起こす。

 街に、亡くなった方の遺体がいくつもあった。同行したカメラマンが撮影すべきかどうか尋ねてきたが、「それはあなたの仕事だから僕たちには何も言えない」と回答。結局、カメラマンは撮影したものの、メディアには送らずじまいだったという。

 海から約2kmほど内陸へ行くと、津波によってつくられたであろう瓦礫の山が目に入ってきた。中にあったのは、子どものおもちゃ、人形、時計、自動車など、普段の日常生活で使われているものばかりだった。

 取材を済ませ、車に戻る途中で向こう側から2人の男性が歩いてきた。行き先を尋ねたところ、「仙台から、おじいさんとおばあさんがどうしているか確かめにきた」との答えが返ってきた。今まで見てきた光景を思うと、マックニール記者は何も言えなくなってしまったという。

「被災地の現場の声とともに、政府や東電の話も聞きたい」
 マックニール記者が今、注目しているテーマの一つが原発事故と放射能の問題だ。イギリスの読者が高い関心を示すのも原発問題についての記事で、「記事がサイトに掲載されるたびに、反原発派と肯定派がコメントをさかんに応酬する。南相馬市の記事では、肯定派から『言い過ぎではないか』などと批判されたこともある」。これからも、震災に関してまだ解決していない問題を報道していきたいと考えている。

 外国特派員協会が、連日の会見を実施した背景には、マックニール記者こうした経験がある。しかし、「今の政府や東京電力の話も聞きたいと考えており、招待したのだが断られた。我々としては両サイドの声が聞きたい」と残念がった。

(取材・文:具志堅浩二)


震災5年 絆の灯、消さない…神戸から竹灯籠「仮設なくなるまで」
産経新聞 3月11日(金)14時51分配信

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神戸から持ち運んだ竹灯籠を並べる山川泰宏さん=11日午前10時40分、宮城県名取市(写真:産経新聞)

 毎年行われる阪神大震災の追悼行事で「1・17」の文字を浮かび上がらせてきた竹灯籠が11日午後、東日本大震災で被災した宮城県名取市の仮設住宅で追悼の明かりをともす。平成25年から現地へ竹灯籠を送ってきた神戸市の市民団体「神戸・市民交流会」は今月末で解散するが、「仮設住宅がなくなるまで交流の灯は消せない」と事務局長の山川泰宏さん(77)。「1・17」から「3・11」へ、「絆」のリレーは続く。(桑村朋)

 交流会は11年から毎年1月17日に東遊園地(神戸市中央区)で開かれる「1・17のつどい」で竹灯籠を並べ、犠牲者を追悼してきた。竹灯籠は、山川さんら交流会のメンバーがほぼ手作業で作っている。

 しかし中心メンバーの多くが70歳を超え、今月末で解散することが昨年決まった。竹灯籠作りは、つどいを主催するNPO法人「阪神淡路大震災『1・17希望の灯(あか)り』(HANDS)」が引き継ぐ。

 交流会のメンバーは25年から、津波で大きな被害を受けた名取市の閖上地区の住民が暮らす同市内の愛島(めでしま)東部仮設住宅を訪問し、3月11日とお盆の年2回、竹灯籠を届けている。同住宅の被災者から「私たちも仮設がなくなるまで頑張る。神戸から支援をお願いしたい」と頼まれ、山川さんが「神戸の竹灯籠で少しでも気持ちが和らげば」と思ったのが始まりだった。

 以来、山川さんらは、同住宅の住民らと交流を続けてきた。津波で妻=当時(50)=を亡くし、後に長男=同(27)=が自死した会社員、木皿俊克さん(59)は「竹灯籠の明かりはつらい気持ちが吹っ切れるきっかけになった。前向きに生きることが生き残った者ができる恩返し。神戸の人との交流でそう思えた」と話す。

 交流会の解散が決まり、竹灯籠を送るのをやめることも考えた。が、山川さんは「偶然の出会いから生まれた東北とのつながり。簡単に『やめます』とは言えない」と、届け続ける決意をした。

 11日、山川さんは朝から同仮設住宅を訪問。神戸から持ち運んだ竹灯籠約300本には閖上地区の犠牲者名や「希望」「前進」などのメッセージが書かれている。午後2時46分の追悼行事に向け、竹灯籠を「ユリアゲ 3・11」の文字の形に丁寧に並べていった。

 山川さんは「団体は解散しても一人の人間として、力の続く限り東北の被災者の心の復興を支えたい」と力を込めた。


東日本大震災から5年 17万4000人が避難生活続ける
2016年3月11日(金)14時50分配信 J-CASTニュース

東日本大震災の発生から5年となる2016年3月11日、東京・千代田区の国立劇場で政府主催の追悼式が行われた。天皇皇后両陛下も臨席し、地震発生時刻の14時46分には、出席者が1分間の黙とうをした。

甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の3県の各地でも犠牲者を悼む式典が開かれた。

警察庁のまとめによると、震災による死者は3月10日の時点で1万5894人。2561人が行方不明のままだ。復興庁によると、約17万4000人が避難生活を続けている。


福島の公立中で卒業式
2016年3月11日(金)13時26分配信 共同通信

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 福島県いわき市で開かれた、全町避難が続く双葉町の双葉中卒業式=11日午前

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年の節目となった11日、福島県内の公立中学校で一斉に卒業式が開かれた。原発事故で避難している学校では、生徒らが本来の校舎へ一度も通うことがないまま旅立ちの時を迎えた。仮設や間借り校舎での日々を惜しみながら「ふるさとの役に立つ人間に」と決意を新たにした。

 第1原発が立地し、全町避難が続く双葉町の双葉中は、移転先の同県いわき市の校舎で式を開いた。双葉中は事故後、避難で休校していたが、2014年4月に同市で再開。3人の卒業生は2年生の時から双葉中に通学し、式ではそれぞれ前に通っていた中学の制服を着て臨んだ。


大規模な工事が各地で続く そして鎮魂の祈り新たに~女川、石巻~
THE PAGE 3月11日(金)13時14分配信

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女川のいまの様子は、町全体が工事中でもあり、非常に慌ただしい。海を見下ろす高台にある病院には、慰霊碑が置かれている(撮影:村田信一)

 宮城県の沿岸部は、東日本大震災で津波による被害を受けた場所がいくつもあり、その被災地での復旧、復興の大規模な工事が続いている。

 約2年ぶりに訪れた女川では、津波に流された町全体が工事中で、当時の面影がほとんど残っていなかった。また、以前撮影した横倒しになったビルや、多くの行員が犠牲になった銀行など、震災遺産として残すべきとの声もあった建物の多くが、いまでは跡形もなくなっていた。

 それぞれの人の思いもあるのだと思うが、やはり大きな津波があって、たくさんの人名が失われたということを目に見える形で記憶、継承していくことが必要だと思うのだが、現在の工事が終わり、町全体が新しく生まれ変わったときに、記憶は色あせてしまうのではないかという危惧もある。

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大川小学校は、いまも依然と同じように静かに建っている(撮影:村田信一)

 女川から国道398号線を北上していくと、右側には海が見える。震災が起きたときには、この海が大いなる恐怖となって押し寄せてきたとは信じられないほどに、目の前に広がる海は穏やかであり、心安らぐ光景が広がっている。この自然こそが、私たちが大事にして敬っていくべき大いなる存在であり、それの大きな力を決して甘く見てはいけないのだと、あらためて思う。

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僧侶たちが慰霊に訪れていた(撮影:村田信一)

 石巻市の大川小学校のことは、幾度も報道されているので、いまさら何が起きたのかを繰り返す必要もないだろう。ただ、84人の児童、教員の命が失われ、なぜそういうことになったのかが、いまでも明らかになっていないということ。そして、二度とこのようなことが起きないように、記憶を受け継いでいかなければならない。

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大川小学校の目の前に流れる北上川。護岸工事や防潮堤の建設が続いている(撮影:村田信一)

 大川小学校の校舎も、震災遺産として残すべきだと思うが、反対する声も根強いと聞く。今月中に、市は結論を出すという。いずれにしても、今日は3月11日。多くの遺族や地域の人たちが訪れ、静かに花を手向けていた。また、校舎の清掃をする人たちの姿も見られた。いつもは静かな地域だが、5年目という節目の年であるから、今日は一日人々が訪れるのだろう。

 津波を起こした北上川の工事、防潮堤の建設は始まっている。また、行方不明者の捜索も、引き続き行われているようだ。

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大規模な工事が続いている北上川に面した小さな港はまったく手がつけられていない(撮影:村田信一)

 どの被災地にも、それぞれさまざまな思いが溢れ、厳粛な気持ちになるものだが、大川小学校は、子どもたちがなくなったということで、震災のシンボルになっている面もある。そういうことも含めて、この校舎を残し、伝えていくことが意味を持ってくるのだと思うのだが。

(写真/文:村田信一)


原発事故時のSPEEDI使用認める=自治体に裁量―政府方針
時事通信 3月11日(金)13時14分配信

 政府は11日、原子力関係閣僚会議を開き、全国知事会が要請していた原子力災害対策の拡充に向けた対応方針を決めた。
 原発事故時の避難経路の選択のため、大気中の放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を自治体が裁量で使用することを認めた。
 SPEEDIをめぐっては、東京電力福島第1原発事故の際に活用されず、情報不足から放射線量の高い地域に避難してしまった住民から批判を受けた経緯がある。
 原子力規制委員会は、原子力災害対策指針(防災指針)で、実際の放射性物質の放出量などが分からないと拡散予測は難しいとし、避難の判断には使用しない方針を示している。ただ今回の対応方針では、自治体からの強い要望を踏まえ、事故時に自治体が参考情報として使用することを認めた。
 原発事故の際に甲状腺被ばくを低減させる安定ヨウ素剤の事前配布についても、従来認めていた原発から半径5キロ圏内だけでなく、圏外の住民に対し、自治体の判断で平時に事前配布できることとした。


福島県産の食品購入「ためらう」15.7% 消費者庁の調査で
2016年3月11日(金)13時11分配信 J-CASTニュース

消費者庁は2016年3月10日、東京電力福島第1原発事故による消費者意識への影響を調査した結果を発表した。「福島県産の食品購入をためらう」と答えた人は15.7%で、15年8月の前回調査より1.5ポイント下がった。

調査は13年2月から、東日本大震災の被災地と被災地産品が出回る11都道府県の住民を対象にインターネット上で実施。今回は16年2月に実施され、5176人が回答した。

また、食品に含まれる放射性物質の検査が行われていることを「知らない」(36.7%)、放射性物質や放射線についての知識は「特にない」(37.4%)との回答はそれぞれ過去最多だった。


伊方原発再稼働差し止め、広島の被爆者ら提訴
読売新聞 3月11日(金)12時58分配信

 四国電力伊方原子力発電所(愛媛県伊方町)について、広島市の被爆者らが11日、四国電力を相手取り、再稼働の差し止めを求める訴訟を広島地裁に起こした。

 再稼働が近い3号機は、運転差し止めの仮処分も同時に申し立てた。

 提訴したのは広島、長崎の被爆者18人を含む計67人。訴状では、伊方原発は南海トラフ巨大地震の震源域にあり、地震や津波が懸念されると主張。重大事故が起きた場合、放射性物質が拡散し、瀬戸内海も汚染されるとしている。


震災5年 遠藤五輪相「復興五輪として被災地に貢献」 野球・ソフトの福島開催にも意欲
産経新聞 3月11日(金)12時54分配信

 遠藤利明五輪相は11日午前の記者会見で、東日本大震災から5年を迎え、2020年東京五輪・パラリンピックついて「復興五輪として被災地に貢献できるよう努めていく。被災地の皆さんが元気を取り戻し、勇気をもらい、復興に邁進していただけるような支援をしていきたい」と述べ、開催の意義を強調した。

 遠藤氏は、被災3県のうち岩手県では2019年ラグビーワールドカップ(W杯)、宮城県では東京五輪のサッカー1次リーグの開催がそれぞれ決まっていることに触れ、「五輪種目に野球、ソフトボールが決定し、その上で予選をということになれば、ぜひ福島県でさせていただきたい」と改めて福島県での開催に意欲を示した。


原子力規制委員長が訓示「廃炉に全力尽くす」
読売新聞 3月11日(金)12時53分配信

 東京都港区の原子力規制委員会では11日午前、田中俊一委員長が職員ら約600人を前に、「福島第一原発が住民にとって、これ以上不安の原因にならないよう廃止措置(廃炉)に全力を尽くしたい」と訓示した。

 また、「(東日本大震災で)17万人を超える人々が今も避難生活を続けていることに胸が痛む」と述べた。

 田中委員長は、大津地裁の仮処分決定を受けて関西電力高浜原発3号機が運転を停止したことに触れ、「原発の安全を確保するために厳格な審査を粛々と進めることにいささかも変わりはない」と強調した。


東日本大震災5年 自民、初動対応検証の新組織設置へ
産経新聞 3月11日(金)12時53分配信

 自民党の谷垣禎一幹事長は11日午前の記者会見で、東日本大震災の発生から5年を迎えたのを機に、当時の初動対応などを検証する新組織を党内に設置する意向を示した。「5年たつとみんな冷静になってきて、行政関係者らの発言も出てきている。経験を蓄積しておくことが必要ではないか」と述べた。


大地に、記憶に… 今も 爪痕 福島県浪江町
日本農業新聞 3月11日(金)12時40分配信

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東日本大震災発生時にできた地割れが残る牧場(福島県浪江町で)

大地に、記憶に… 今も 爪痕 福島県浪江町
 福島県浪江町に、東日本大震災の震度6強の揺れでできた地割れが残る牧場がある。100メートルにわたって、亀裂が牧草地を引き裂く。断面には固い土の塊が見え、雨などによる流亡が進んでいるように見える。

 牧場は「希望の牧場・ふくしま」。畜産農家の吉沢正巳さん(62)らが、東京電力福島第1原子力発電所事故で被ばくした牛など330頭を飼養。出荷はせず、東北大学などが継続的に健康状態を調査している。牧場内には、震災時に地滑りを起こした斜面も、手付かずのまま残る。

 同町は、原発事故に伴う全町避難が続く。牧場からは、南東に14キロ離れた同原発の排気筒が見える。吉沢さんは「地割れは、そのうち埋めたい」と話す一方、「既に事故の風化が始まっていると感じる。残りの人生を語り部として生きたい」と思いを語った。(富永健太郎)


被災地食品 安全性検査 関心薄く 「風評」は根強い 消費者庁がアンケート
日本農業新聞 3月11日(金)12時40分配信

 放射性物質検査など被災地の食品の安全・安心に関わる情報に、消費者の関心が薄らいでいることが、消費者庁が10日に公表したアンケートで分かった。放射線量が基準以下であれば安全性が確保されているなどの評価について、情報がなく判断できないとする層が3分の1を占め、過去最多となった。東京電力福島第1原子力発電所事故の被災地の食品を避ける「風評被害」は依然残っており、同庁は「被災地への理解が薄れてしまっているようだ」と指摘する。

 産地で食品中の放射性物質検査を行っていること自体知らない人も37%と過去最多だった。「風評被害」が根強く残っている実態も分かった。福島県産の購入をためらう人は前回より減ったものの、1割以上いた。

 消費者庁や農水省、厚生労働省などは2011年から、消費者に放射性物質の正確な情報の発信に取り組んでいる。同庁は16年度から、PTAや学校給食に携わる人向けの勉強会を新たに開く予定。「消費者が判断できる情報を、より丁寧に伝えていきたい」(消費者安全課)としている。

 調査は東北3県(岩手、宮城、福島)と、主要な消費地である8都府県(茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫)が対象。20~60代の男女5176人がインターネット上で回答した。


福井住民ら抗告取り下げ=高浜停止で「緊急性ない」―名古屋高裁支部
時事通信 3月11日(金)12時36分配信

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を容認した昨年12月の福井地裁決定を不服として、福井県などの住民が名古屋高裁金沢支部に申し立てた保全抗告審で、住民側は11日、抗告を取り下げた。
 
 高浜3、4号機は大津地裁が9日に運転差し止めの仮処分を決定し、3号機は10日夜に停止。4号機はトラブルで2月末から停止している。
 住民側弁護団の鹿島啓一弁護士は福井市で記者会見し、「しばらく動かせない状況になっており、緊急性がなくなった」と説明。「廃炉に向けた闘いを本格的にやっていく」と強調した。


【被災地の2011と今】(1)宮城・石巻市雄勝町
スポーツ報知 3月11日(金)12時26分配信

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宮城・石巻市雄勝町の公民館(上)防波堤の整備が続いている(下)

 スポーツ報知では「被災地の2011と今」と題し、震災当時、東北支局長だった関口俊明カメラマン(52)が、震災直後に撮影した各被災現場を再訪し、5年後を定点観測した写真を連載します。

 2016年の今、かつて住宅地だった宮城・石巻市雄勝町は静まり返っていた。がれきは撤去されたが再びこの地で暮らそうとする人は皆無だった。東日本大震災発生時、数百メートル離れた南三陸観光の駐車場から津波に流された大型観光バスは、高さ約10メートルの公民館の屋上に取り残された。津波の脅威を示すモニュメントとして残す案もあったが、「このバスを見ると津波を思い出す」という住民の意見を尊重し、震災から1年後の前日、2012年3月10日に撤去し解体された。公民館もその後に取り壊され、現在は「地震に負けない」防潮堤の整備が進んでいる。


誓い新たに…東日本大震災5年、各地で追悼
読売新聞 3月11日(金)12時24分配信

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東日本大震災から丸5年。「奇跡の一本松」の前で黙とうする人たち(11日午前9時59分、岩手県陸前高田市で)=松本剛撮影

 未曽有の被害を出した東日本大震災は11日、発生から5年となった。

 津波に襲われた岩手、宮城、福島3県では、被災者らが早朝から沿岸部などで手を合わせ、犠牲になった家族や友人たちの冥福を祈った。午後には、東京都千代田区の国立劇場で天皇、皇后両陛下をお迎えし、政府主催の追悼式が行われる。被災各地でも式典が開かれ、発生時刻の午後2時46分に黙とうがささげられる。

 津波で職員ら43人が死亡・行方不明となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎。朝早くから遺族らが訪れ、花を手向けた。

 職員だった三浦満夫さん(当時60歳)は、今も行方不明のまま。いとこで横浜市緑区の男性(64)は「仕事熱心で、まじめな男だったから、最後まで庁舎にいたのだろう。残された家族や親戚を見守ってほしい」と目元をぬぐった。

 当時の町長を含む職員40人が犠牲になった岩手県大槌町でも、旧役場庁舎前で職員による追悼式が行われた。平野公三町長は「悔しさ、寂しさ、生き残った後ろめたさを感じる。月日が流れるにつれて(震災が)少しずつ遠くになりつつあるが、力強く前へ進んでいきます」と語りかけた。


【被災地の2011と今】(2)陸前高田市・奇跡の一本松
スポーツ報知 3月11日(金)12時24分配信

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2011年の奇跡の一本松(右は2016年)

 スポーツ報知では「被災地の2011と今」と題し、震災当時、東北支局長だった関口俊明カメラマン(52)が、震災直後に撮影した各被災現場を再訪し、5年後を定点観測した写真を連載します。

 震災前は約7万本の松が生い茂っていた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」。津波でほとんどの松が流された中、たった1本だけ残った「奇跡の一本松」は、復興へのシンボルとなった。2016年の今、松を守ったとされるユースホステルや水門はそのまま残され、献花台も設置。近くには休憩施設「一本茶屋」が建てられた。海水で根が腐り、12年5月に枯死と判断された木は、幹を防腐処理したほか、心棒を入れて補強、枝葉を複製してモニュメントとして保存されている。周囲には土を運ぶトラックが往来し、復興祈念公園や復興に向けた工事が進められていた。


【被災地の2011と今】(3)土入れ替え作業
スポーツ報知 3月11日(金)12時22分配信

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2011年の宮城郡七ケ浜町(上)と2016年

 スポーツ報知では「被災地の2011と今」と題し、震災当時、東北支局長だった関口俊明カメラマン(52)が、震災直後に撮影した各被災現場を再訪し、5年後を定点観測した写真を連載します。

 宮城・仙台市から約16キロの場所に位置する宮城郡七ケ浜町では、塩害を受けた広大な土地の土を入れ替える作業が続いていた。水田として再生するため、昨年から工事を開始。海岸からは約1キロ離れているが、震災時は海水浴場からの津波で水没し、自衛隊員がボートで建物や水中を捜索していた。海水浴場に隣接する菖蒲田浜海浜公園は、防潮堤などの建設で立ち入り禁止。昨夏も、海開きは実現しなかった。小さな幸せでもいい。平穏無事な生活が再び訪れる日を、住民は心待ちにしている。


【被災地の2011と今】(4)日活パールシネマ、看板も上映も健在
スポーツ報知 3月11日(金)12時20分配信

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2011年の日活パールシネマ(上)2016年

 スポーツ報知では「被災地の2011と今」と題し、震災当時、東北支局長だった関口俊明カメラマン(52)が、震災直後に撮影した各被災現場を再訪し、5年後を定点観測した写真を連載します。

 震災発生直後、津波で流れ込んだ車やがれきで身動きが取れなくなった宮城・石巻駅近くの商店街の一角。閉店や建物の取り壊しが相次ぐ中、県内で唯一残る成人映画館「石巻日活パールシネマ」は5年後の今も残っていた。津波で2つのスクリーンが水没したものの、約3か月で復活。現在も毎週土曜にはオールナイト上映が行われる。表通りから映画館に続く道には多くのポスターが張られ、「日活パール」の古びた看板もそのまま残されていた。


愛媛・伊方原発差し止め求め提訴
2016年3月11日(金)12時16分配信 共同通信

 広島や長崎の被爆者ら67人が11日、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の1~3号機の運転差し止めを求める訴えを広島地裁に起こした。うち3人は今春以降の再稼働が見込まれる3号機の差し止めの仮処分も申し立てた。

 原告は4都県の被爆者18人や、福島県から広島県に避難している男性1人を含む9都府県の男女。

 訴えによると、伊方原発は南海トラフ巨大地震の震源域にあり、活断層からも数キロに位置し、地震や津波による被害が強く懸念されると指摘している。

 四国電力は「申立書と訴状を見ておらず、コメントは差し控えたい」との談話を出した。


震災5年 高木復興相「除染含め帰還困難区域の扱い検討」
産経新聞 3月11日(金)12時6分配信

 高木毅復興相は11日午前の記者会見で、東京電力福島第1原発事故で発生した放射能の影響で住民の立ち入りが原則禁止となっている福島県内の帰還困難区域について「除染を含めた帰還困難区域の取り扱いについて関係省庁と連携しつつ検討していきたい」と述べた。安倍晋三首相が10日の記者会見で今夏までに帰還困難区域を見直すと表明したことを踏まえた。

 高木氏は「具体的な政府方針の早急な提示を求める地元の声も強くなっており、今後、政府全体としてできるだけ早く対処すべき大きな課題だ」とも語った。


<伊方原発>停止求め被爆者ら提訴…広島地裁
毎日新聞 3月11日(金)11時48分配信

 広島の被爆者16人と長崎の被爆者2人を含む67人が11日、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働差し止めを求める訴訟を広島地裁に起こした。原告のうち3人は、再稼働が近い同原発3号機の差し止めを求める仮処分も申請した。

 訴状などによると、東京電力福島第1原発事故での被害を踏まえ、伊方原発で事故が起これば約100キロ離れた広島市内にも放射性物質が拡散し甚大な被害が出ると主張。通常稼働でも市民が健康への不安にさらされるなどとしている。4歳の時に広島市で被爆した原告団長の堀江壮さん(75)は「次世代に『負の遺産』を残すわけにはいかない」と強調した。【山田尚弘】


政府、今後5年間の復興基本方針を閣議決定
読売新聞 3月11日(金)11時40分配信

 政府は11日午前の閣議で、今後5年間の「復興・創生期間」(2016~20年度)の取り組みをまとめた復興の基本方針を決定した。

 基本方針は、同期間を地震や津波の被災地復興の「総仕上げ」と位置付け、原発事故のあった福島県については21年度以降も、政府が前面に立って復興に取り組むことを明記した。

 また、17年度までに岩手、宮城、福島の被災3県で計画した住宅の9割の完成を目標に掲げ、被災者の自立再建への支援も進める。20年度までの復興に関する総事業費6・5兆円のうち、被災3県の自治体が約220億円を負担することも盛り込んだ。


不明者を一斉捜索=宮城、福島の海岸
時事通信 3月11日(金)11時37分配信

 東日本大震災から5年を迎えた11日、宮城、福島両県の沿岸部で、県警や地元消防団などが行方不明者の一斉捜索を行った。
 
 不明者が30人を超える福島県浪江町請戸地区では、地元消防団が熊手などを使い、地面を熱心に掘り起こしていた。消防団員の木畑一郎さん(59)は「遺品を見つけられれば遺族に返したい」と話した。同県伊達市に避難している門馬和彦さん(47)は「5年もたって見つかるか分からないが、努力したい」と語った。
 宮城県警は170人を投入し、海岸など県内8カ所を捜索。同県南三陸町の戸倉地区では、南三陸署員が砂浜を掘り返し、出てきた物を手で一つ一つ確認した。同署の勝義仁地域課長は「大勢の家族が待っている。困難な状況だが諦めることなく、遺骨や遺品を一つでも見つけてお返ししたい」と述べた。


震災5年 岸田外相「風評被害払拭に努める」
産経新聞 3月11日(金)11時33分配信

 岸田文雄外相は11日午前の記者会見で、東日本大震災発生による福島第一原発事故を受け、海外の一部で日本産食品が依然、輸入規制の対象となっていることについて「輸入規制の緩和や撤廃に向けた働きかけを継続していく」と述べた。在外公館を通じて被災地の復興状況を発信し、風評被害の払拭を図っていく考えを示した。


「残った家族見守って」=早朝から追悼の祈り―東日本大震災5年
時事通信 3月11日(金)11時32分配信

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東日本大震災から5年を迎えた11日、被災地の沿岸部では早朝から遺族や復興に取り組む人々が犠牲者の冥福を祈り、黙とうした。写真は海に向かって手を合わせる人=同日午前、仙台市若林区

 東日本大震災から5年を迎えた11日、被災地の沿岸部では早朝から遺族や復興に取り組む人々が犠牲者の冥福を祈り、黙とうした。
 
 約190人が犠牲になった仙台市若林区の荒浜地区では、海岸近くの慰霊碑や基礎部分だけになった住宅跡で、人々が手を合わせた。祖母の海野ふささん=当時(82)=ら3人を失った会社員山田菜穂美さん(29)は「天国で元気にやってますか。私たちは元気です」と報告したという。5年たつ今も「心の整理はまだつかない」と話した。
 自宅のあった場所で線香を上げた吉田恒美さん(69)は、義兄の佐藤晃さん=同(78)=ら3人を亡くした。「定年退職したら漁師だった兄たちの手伝いができると思っていたのに」と語り、遺品のラジオと拡大鏡を手向けた。
 津波に襲われ、建物の骨組みだけが残る宮城県南三陸町の防災対策庁舎前にも、夜明け前から花を手向ける人の姿があった。
 兄弟同然に育ったいとこが今も行方不明という河原竜二さん(64)は「これからも残った家族を見守っていてくれ」と祈った。庁舎周辺ではかさ上げ工事が進む。河原さんは「5年は長いような短いような気がするが、町の景色は一変した。災害に対処できる町になってほしい」と望んだ。
 岩手県大槌町の寺では、梅津孝広さん(41)が津波の犠牲になった父勲さん=当時(68)=と行方不明になったままの祖母の墓前に花を手向け、「優しくて親思いの父だった」としのんだ。勲さんは、祖母の様子を見に職場から家に向かう途中、トラックごと津波にのみ込まれたという。
 当時の加藤宏暉町長と職員計40人が犠牲になった同町の旧役場庁舎前では、幹部職員が黙とう。平野公三町長は「再び災害で命を落とす人がないような町づくりを進めたい」と決意を述べた。
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県富岡町。除染作業の開始前に、作業員約700人が事務所の広場で黙とうした。

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