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2016年3月10日 (木)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2103

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:田中委員長「福島廃炉に全力」=事故5年で訓示、ビデオ上映も―規制委 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<東日本大震災5年>鎮魂の朝…2561人なお行方不明 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:伊方原発差し止め提訴=被爆者ら、仮処分も申請―広島地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:午後に政府追悼式=東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:生き残った教師の尋問保留も遺族は真実が知りたい - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:気仙沼7・2m巨大防潮堤建設 海が“消えていく” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「心苦しかった」澤さん支援 今はその意味分かる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大川小で避難遅れ…元教師だからこそ伝える判断ミス - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:安倍首相「原発再稼働」東日本大震災5年を前に会見 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:相馬子どもオケが演奏会=ベルリン・フィル団員と協演―ドイツ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:20年度までに「総仕上げ」=復興基本方針を閣議決定 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年、献花台で祈り…宮城・南三陸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ボランティア需要、「力仕事」から「専門性」に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年 慰霊行事で鎮魂の祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 福島避難者なお10万人 「心身に不調」世帯6割超 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 被災3県、独居率3割 孤立化浮き彫り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 髪に宿るパパのぬくもり…津波にのまれた父、切れない思い出 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 3・11 義足の左腕、支えられ夢切符 「プレーで感謝示す」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 3・11 供花の無償提供続ける 「持っていく人いるうちは」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 あの日生まれた命、小さな「お姉さん」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 3・11 もうすぐ春 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜3号機停止 再稼働から42日、仮処分受け - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 3・11 帰還困難区域見直しへ 首相表明「今夏までに」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「中間貯蔵」予定地、「所有者」の4割死亡 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国民負担3兆4千億円超=賠償・除染など、事故5年で―総額見えず拡大へ・福島原発 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発事故で負担軽減論=電事連、上限設定求める―「虫が良すぎ」批判強く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発事故の負担10兆円=東電、収益向上が課題―再生へ道遠く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災でなぜ自衛官はPTSDにならなかったのか 元自衛隊メンタル教官が解説 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<東日本大震災5年>あまたの死と命の輝きと=専門編集員・萩尾信也 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災、発生から5年 - 速報:@niftyニュース.
リンク:政府、帰還困難区域も除染へ…17年度から - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災5年>安倍首相、「帰還困難区域」の縮小検討 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【震災5年 絆はどこに(1)福島県郡山市】  創業300年目に訪れた大ピンチ ぶれない酒造りで日本酒蔵元は生き残った - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「大震災から5年」、曽野綾子さんが語る - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

田中委員長「福島廃炉に全力」=事故5年で訓示、ビデオ上映も―規制委
時事通信 3月11日(金)11時26分配信

 東京電力福島第1原発事故から5年を迎えた11日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は職員約600人を前に「福島第1原発が住民にとってこれ以上不安の原因にならないよう、引き続き廃止措置(廃炉)に全力を尽くす」と訓示した。
 
 規制委は福島第1原発事故を機に2012年9月に発足。毎年3月11日に田中委員長が訓示を行っている。前身の原子力安全・保安院などで事故対応を経験した職員はいるが、当時を知らない職員も増えたことから、今年は事故を振り返るビデオを制作し上映した。
 訓示の中で田中委員長は「発足当初は先が見えないこともあったが、福島のような事故を二度と起こさないという誓いが私を支えている」と話し、「規制委に身を投じた皆さんも、志を持ってそれぞれの仕事を果たしていると感じる」と呼び掛けた。


<東日本大震災5年>鎮魂の朝…2561人なお行方不明
毎日新聞 3月11日(金)11時26分配信

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日和山に線香を供えて手を合わせ、涙を流す人たち=宮城県名取市で2016年3月11日午前6時44分、森田剛史撮影

 東日本大震災は11日、発生から5年の朝を迎えた。津波にのまれるなどして行方不明の人は、いまだに2561人。警察庁によると、捜索に65万人以上を投入してきたが、時間の経過とともに見つかる遺体は減り、半年間で身元を確認できたのは4人(2月末現在)にとどまる。


伊方原発差し止め提訴=被爆者ら、仮処分も申請―広島地裁
時事通信 3月11日(金)11時12分配信

 四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)は安全性が確保されていないとして、広島・長崎両県の原爆被爆者ら67人が11日、四国電を相手に伊方1~3号機の再稼働差し止めを求める訴訟を広島地裁に起こした。
 四国電が今夏の再稼働を目指す3号機については、再稼働差し止めの仮処分を申し立てた。
 伊方原発は四国西部・佐田岬半島の付け根に立地し、瀬戸内海を挟んで広島市から約100キロの距離にある。
 原告側は、伊方原発が南海トラフ巨大地震の予想震源域にあり、巨大地震に襲われて事故が起きた場合、広島も放射線被ばくを強いられる恐れがあると主張している。
 原告団長で被爆者の堀江壮さん(75)=広島市=は記者会見で「身をもって放射線の恐ろしさを知っているのに、後世の人に知らせないのはまずい」と訴えた。発生から5年となる東京電力福島第1原発事故について「原発による害も、原爆による害も変わらない。胸が痛む」と話した。
 原子力規制委員会は昨年7月、伊方3号機が新規制基準に適合すると認めた審査書を決定。伊方町長と愛媛県知事は同10月、再稼働に同意した。
 四国電によると、伊方3号機の差し止めを求める仮処分申請は初めて。1~3号機の差し止め訴訟は他に松山地裁で係争中。
 四国電力の話 内容を確認した上で適切に主張、立証したい。引き続き安全性、信頼性の向上に取り組み、情報公開の徹底に努める。


午後に政府追悼式=東日本大震災5年
時事通信 3月11日(金)10時49分配信

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東日本大震災から5年を迎え、政府主催の追悼式が11日午後、国立劇場(東京都千代田区)で営まれる。写真は宮城県南三陸町の防災対策庁舎=同日午前

 東日本大震災から5年を迎え、政府主催の追悼式が11日午後、国立劇場(東京都千代田区)で営まれる。
 天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長、遺族の代表、各国大使ら約1200人が参列し、地震が発生した午後2時46分に合わせて黙とうをささげる。
 政府追悼式は震災翌年から恒例化しており、5回目。首相式辞、天皇陛下のお言葉に続き、被害の大きかった岩手、宮城、福島3県の遺族代表が思いを語り、犠牲者の冥福を祈る。
 会場では、追悼式終了後の午後4時半から同6時まで、一般参列者の献花を受け付ける。
 首相は11日午前の参院本会議で、「震災で亡くなった全ての方に哀悼の意を表したい」と語った。菅義偉官房長官も記者会見で、「亡くなった方のご冥福をお祈りし、ご遺族や今なお避難生活を送っている方に心よりお見舞い申し上げる」と述べた。


生き残った教師の尋問保留も遺族は真実が知りたい
日刊スポーツ 3月11日(金)10時3分配信

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:遺族たちの今>

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から11日、丸5年が経過した。死者1万5894人、行方不明者2562人(2月10日現在)を出した未曽有の大災害。宮城県石巻市の大川小学校は地震後の大津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となり、学校管理下では最悪の被害となった。

 大川小の一部の遺族は昨年3月から市や県に国家賠償請求を求めた裁判を続けている。避難が遅れた理由や真実を知るためだ。そのためには教員でただ1人生き残ったA教諭の証言が必要となる。4月の公判で現場目撃者の証人尋問が行われるが、精神的ショックが大きいとしてA教諭の尋問は保留となっている。

 当時、大川小3年生で9歳だった未捺(みな)ちゃん、妻しろえさん(享年41)ら3人を津波で失った只野英昭さんは「彼(教諭)に真実を話してほしい」と切実に語る。只野さんの長男哲也さん(16)は大川小で津波から生還した4人の中の1人。高校生になった今でも伝承活動を続けている。「哲也は防災意識を高めようと小5の時から表舞台で話し続けている。(市や県の)大人がなぜそれができないのか」。

 11年4月の遺族説明会では裏山に「地震による倒木があったから避難できなかった」とするも同6月には「倒木があったように見えた」と訂正。哲也さんら生還した子どもから聞き取ったメモも「捨てた」と、二転三転する市の対応に不信感を募らせた。

 一方、佐藤さんはA教諭に「生きていてありがとう、良かったねと言いたい。何があったかは二の次。あれだけの惨事で生き残った。彼は不幸になってはいけませんよ」と語った。


気仙沼7・2m巨大防潮堤建設 海が“消えていく”
日刊スポーツ 3月11日(金)10時3分配信

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防潮堤でさえぎられる気仙沼湾の海辺の風景(撮影・下田雄一)

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:遺族たちの今>

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から11日、丸5年が経過した。

 気仙沼の沿岸部、松崎前浜地区では高さ7・2メートルの巨大防潮堤の建設が進む。故郷から徐々に海が“消えて”いく様子に、同市の小野寺靖忠さん(39)は「ここまでは(津波は)こないという安心感が多くの犠牲者を出した。危機感をもって生活することも大切だが、私たちは生きながらえるために生きているのではない。行政には今の生活に喜びを感じさせる街づくりをしてほしい」と訴えた。


「心苦しかった」澤さん支援 今はその意味分かる
日刊スポーツ 3月11日(金)10時3分配信

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小山史織さんの仏前で、サイン入り紙面を手にする母悦子さん(撮影・野上伸悟)

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:遺族たちの今>

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から11日、丸5年が経過した。死者1万5894人、行方不明者2562人(2月10日現在)を出した未曽有の大災害。遺族は5年間、この悲劇とどう向き合ってきたのか。その思いを聞いた。

 22歳になった娘は、夢だったなでしこのユニホームを着ることができていただろうか-。岩手・陸前高田市の小山悦子さん(52)は震災で最愛の娘、史織さん(享年17)を失った。津波にのみ込まれた時、最後まで手をつないでいた。「3月になると体がワサワサする。お日さまの感じ、風の吹き方、においとかでふっと思い出す。あの日も雪が降っていて3月にしては寒かったなあって」。記憶は体にしみついたままだ。

 史織さんは、将来を期待された女子サッカー岩手県選抜のエースだった。当時日刊スポーツが報じた被災記事を見た大船渡高の先輩のJ1鹿島小笠原は、復興支援試合で紙面にカズら参加メンバーからサインをもらい、届けてくれた。史織さんがサインを宝物にしていたことを知った元なでしこ代表の荒川恵理子は、手紙や花束を送ってくれた。

 引退した澤穂希さんもロンドン五輪の銀メダルを手に訪れている。以来交流を続け、自身の引退会見当日も「今から会見頑張ってきます」と電話をくれた。サッカーがつないだ温かい励ましの連続を、悦子さんは「みなさんに支えられ、前を向く力をいただいた」と振り返る。「みんな大変なのに、史織だけよくしてもらうのは心苦しい」との強い葛藤もあった。でも、今は分かり始めている。「ありえない支援は史織だけのためじゃない。(被災地)みんなのためにしてくれたものだった」。

 月命日の墓参はずっと続けている。「毎回、ああ何年何カ月たったんだって。3年でも5年でも変わらない。カレンダーも毎年3月11日で終わって、12日からまた頑張ろうと思う」。悦子さんにとって「5年」という数字に区切りの意味はない。かさ上げが進み変わっていく陸前高田で、史織さんのいない新しい1年をまた、歩き始める。【野上伸悟】


大川小で避難遅れ…元教師だからこそ伝える判断ミス
日刊スポーツ 3月11日(金)10時3分配信

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大川小の裏山。中央下に見える白い木で示されているのが津波の到達地点

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:遺族たちの今>

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から11日、丸5年が経過した。死者1万5894人、行方不明者2562人(2月10日現在)を出した未曽有の大災害。宮城県石巻市の大川小学校は地震後の大津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となり、学校管理下では最悪の被害となった。当時小学6年生だった次女みずほちゃんを亡くした佐藤敏郎さん(52)。昨年、中学の教員を辞め、全国で講演活動を続ける。遺族は5年間、この悲劇とどう向き合ってきたのか。その思いを聞いた。

 5年前の今日、多くの小さな命が一瞬にして消え去った。大津波は鉄筋コンクリートの体育館を消し飛ばし、校舎2階の床が盛り上がるほどの圧力だった。

 大川小に津波が到達したのは地震発生から51分後。しかし、校庭から避難を開始したのは50分後だったという。近くには低学年でも登れるなだらかな裏山があった。泣いている子を励まし、防寒にたき火の準備をし、教室に子どもの上着を取りに向かうなど、教員は子どものために行動していた。一方で意思疎通はなく「山に逃げたい」と言った児童もいたが、50分間も校庭にとどまらせた。

 当時、女川中の国語教師だった佐藤さん。震災2日後に再会できた妻から「みずほの遺体が上がった」と聞いた。「全く理解が出来なかった」。14日、浸水した道を船で大川小に向かった。土手に30~40人の遺体がブルーシートをかけられていた。18日に火葬し、19日には女川中の卒業式に出た。卒業生のために笑顔で「おめでとう」と言った。

 その中学教員を昨年3月に辞めた。決して講演をするためではなかったが、全国から講演要請が入った。北海道から九州まで、50カ所以上。なぜ学校管理下で、しかも避難できる条件があったのに、児童と教員は死ななければならなかったのか-。「判断ミスをしたのは明らかに教員。だけど亡くなったからといって、そっとしておくのでは先生たちのためにもならない」と教訓を伝え続けている。

 遺族間で揺れる校舎の「保存か解体か」の議論。はたから見れば対立構造のように見えるが「平面で見るからそうなるんです。立体的に見れば、遺族はみんな同じ思い。つらさが消えることはない」と語る。その上で佐藤さんは保存を訴える。「つらい中で、残すから意味がある。50年後、100年後の人が同じつらさをしないために」。

 みずほちゃんは末っ子で佐藤家のアイドルだった。ギターやピアノを弾き、水泳や英会話にも通っていた。将来の夢は通訳だった。「いろいろやりたかったんだろうね」。

 5月生まれ。自宅前の水田が青く色づき始める時季だった。「いずれお嫁に行くけど故郷を忘れないで」と「みずほ」と名付けた。

 5年。「全く節目じゃない。ただ次の日が来て、次の年が来るのとあまり変わらない。大川小も、娘のことも、悲しむことも、講演活動も、生活の中に溶け込んでいる」。みずほちゃんが苦しい思いで伝えてくれた「小さな命を守る意味」を、これからも全国に語り続けていく。【三須一紀】


安倍首相「原発再稼働」東日本大震災5年を前に会見
日刊スポーツ 3月11日(金)10時3分配信

 安倍晋三首相は10日、11日の震災発生5年を前に会見した。

 関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定を受けた今後の原発政策に関し、政府の再稼働方針は変わらないとの考えをあらためて示した。「原子力規制委員会が判断した、世界最高レベルの新たな規制基準に適合した原発だけ、再稼働を進める。原子力は欠かすことはできないが、安全性確保が最優先だ」とも述べた。一方、東北地方の観光産業強化へ「今年を東北復興元年にする」と述べ、東北の外国人観光客を20年に150万人に増やすことを目指す。今後5年を「復興創生期間」とする考えも示した。


相馬子どもオケが演奏会=ベルリン・フィル団員と協演―ドイツ
時事通信 3月11日(金)9時13分配信

 【ベルリン時事】東日本大震災の被災地、福島県相馬市の相馬子どもオーケストラが10日夜、ベルリンで演奏会に参加し、世界最高峰のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の有志団員らと協演した。
 
 相馬子どもオケの小中高生37人が、ベルリン・フィルの団員らとベートーベンの交響曲第5番「運命」を演奏。会場を埋めた約900人の聴衆から喝采を浴び、アンコールで相馬の民謡「相馬盆歌」の管弦楽版も披露した。
 バイオリン担当の小学3年、吉田知笑さん(9)は「とても楽しく弾けた。(演奏会を通じて)これまで支援してくれた人たちにうまくなったことを伝えたかった」と語った。中学1年の清信早希さん(13)は「(震災後は)つらかったので、音楽は癒やしになった」と振り返った。
 ベルリン・フィルのバイオリン奏者で指揮をしたスタンリー・ドッズ氏は「子どもたちの演奏は純粋なエネルギーと喜びに満ちていた。大成功だった」と称賛した。
 相馬子どもオケはベルリン・フィルの団員が震災後、演奏会で東北を訪れた際、復興に向け音楽の重要性を訴えたことがきっかけとなり、2012年から動きだした。


20年度までに「総仕上げ」=復興基本方針を閣議決定
時事通信 3月11日(金)8時59分配信

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東日本大震災の津波で被災した防災対策庁舎の前で手を合わせる人たち=11日午前、宮城県南三陸町
 政府は11日の閣議で、東日本大震災からの復興基本方針を決定した。

 震災から10年となる2020年度までを復興の「総仕上げ」に当たる「復興・創生期間」と位置付け、岩手、宮城両県などの被災地で多様化するニーズに応じた、きめ細かな支援を実施すると明記。東京電力福島第1原発事故の影響の大きい福島県については、中長期的な対応が必要となるため、20年度以降も国が前面に立って取り組むと強調した。
 具体的には、避難生活が長期化する被災者の心のケアや、仮設住宅から引っ越す際のコミュニティーづくりといった面で、切れ目のない支援策を用意。交通網や教育、医療の体制を整え、被災者が安心して暮らせる環境をつくるとした。
 産業再生に関しては、風評被害の影響が大きい観光業や、売り上げの回復が遅れている水産加工業を中心に、若者や女性の活躍を支援。資金繰り対策や販路開拓を強化することで、商店街の再建を図る。
 福島県では、除染の実施対象とされている全ての地域で、17年3月までに作業を完了。遅くとも同年3月までに避難指示解除準備区域と居住制限区域の避難指示を解除できるよう、取り組みを加速させる。


東日本大震災5年、献花台で祈り…宮城・南三陸
読売新聞 3月11日(金)8時51分配信

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早朝から手を合わせ犠牲者の冥福を祈る人たち。「これからも被災地に心を寄せていきたい」と話した(11日午前6時51分、宮城県南三陸町で)=菊政哲也撮影

 東日本大震災から11日で5年となった。

 津波で43人が死亡・行方不明となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎では、早朝から遺族や、復興を願って遠方から訪れた人たちが献花台に花を手向け、祈りをささげた。

 横浜市から訪れた男性(64)は、同町職員だったいとこの男性(当時60歳)が行方不明のままだという。庁舎を前に、横浜市の男性は涙をぬぐって手を合わせ、「震災直後と比べ町の様子はすっかり変わった。5年の月日が過ぎたことを実感します」と話した。


ボランティア需要、「力仕事」から「専門性」に
読売新聞 3月11日(金)8時12分配信

 東日本大震災から5年になるのを前に、10日、追悼式や行方不明者の捜索に参加するボランティアが続々と被災地を訪れた。

 ボランティアの仕事は、がれき撤去や泥かきなどの「力仕事」から、仮設入居者の見守りや産業復興支援など「専門性」が求められる内容に変わっている。各地の社会福祉協議会(社協)を窓口にしたボランティアは、ピーク時(2011年5月)の月約18万人から、今年1月には約2400人に減った。

 一方、支援団体をつなぐ「東日本大震災支援全国ネットワーク」(東京)に参加する団体はピーク時(13年春)の約850から、14年秋頃に約640に減ったものの、その後は横ばいが続く。「専門性のあるNPOなどを通じて支援に携わる人は多い」(宮城県社協)といい、ニーズに合わせた息の長い支援も続いているようだ。

 ただ、政府の集中復興期間が今月末に終わり、NPOなどへの助成金が大幅に減る懸念もあり、活動資金の調達が今後の不安材料だ。


東日本大震災5年 慰霊行事で鎮魂の祈り
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 東日本大震災は11日、発生から5年を迎え、午後には政府主催の追悼式や各地の慰霊行事で鎮魂の祈りがささげられる。

 死者、行方不明者の合計は1万8455人。震災と東京電力福島第1原発事故による全国の避難者は今も約17万4千人。

 原発事故では、福島県双葉町など県内7市町村の一部が今も帰還困難区域に指定され、福島県から県外に避難した住民は2月26日現在、4万3139人に上っている。阪神大震災でプレハブの仮設住宅は5年で解消されたが、岩手、宮城、福島の3県では約5万8千人が入居したままだ。


震災5年 福島避難者なお10万人 「心身に不調」世帯6割超
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響などで、いまだ10万人近い福島県民が故郷から離れた場所で避難生活を続けている。5年に及ぶ避難生活の長期化は、高齢者の孤立や健康リスクの増加など問題を生んでいる。避難に見切りを付け、移住を考える人も増えてきた。(緒方優子、野田佑介)

                   ◇

 「1人で村に戻っても寂しい。ここにいれば気が紛れるから。もう慣れちまったよ」

 自宅のある福島県川内村から、約40キロ離れた同県郡山市の仮設住宅で生活する秋元トキ子さん(84)。原発事故後、栃木県内の長女宅へいったん避難したが、3カ月ほどで福島に戻った。

 川内村では平成26年10月に避難指示区域の指定が一部解除された。だが生活環境に不安があり、いまだ約千人が避難している。秋元さんは村で夫と2人でコメや野菜を作っていたが、夫は避難生活で体調を崩し、事故の翌年に亡くなった。

 ◆故郷と縁切れない

 福島県によると、避難者は24年6月の16万4218人がピーク。避難指示が出された区域のうち指示が解除されたのはまだ2割弱で、全国各地に避難者が散らばっている。

 県が避難者に昨年実施したアンケートでは、「放射線の影響」や「生活資金」に不安があるなどとして仮設住宅への入居延長を望む声が多かった。懸念されるのは、家族の心身の健康に問題のある避難世帯が全体の6割を超えたことだ。

 福島県外への避難者も、帰還の見通しが立たず移住を検討する人が出てきた。

 「自分の生まれ育った場所と縁を切ることはできない。ただ、今後の町との関わり方を考えなくてはいけない時期に来ている」

 ◆見えないストレス

 福島県大熊町から、高齢の母親とともに水戸市に避難する浅野秀蔵さん(59)。大熊町などの帰還困難区域に指定された地域では、除染作業すら始まっていない。除染で生じた廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設も進んでいない。

 浅野さんは原発事故の翌年、同じ茨城県内に避難する大熊町民のコミュニティーを発足させた。メンバーは30人ほどで高齢者も多い。「自宅に戻りたい」と願う家族を避難先でみとった人もいるという。

 福島県からの避難者の支援を続ける茨城大の原口弥生教授(環境社会学)は「避難者は将来の生活や仕事への不安、進まない賠償手続きの負担など、見えないストレスを絶えず持ち続けている。避難先で自立して生活する人々に必要な情報を提供したり、人とのつながりをつくったりして、今後も支えていく必要がある」と指摘した。


震災5年 被災3県、独居率3割 孤立化浮き彫り
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の被災3県の仮設住宅と災害公営住宅の入居者のうち、3割以上が1人暮らしであることが10日、産経新聞の独自集計で明らかになった。1人暮らしの割合(独居率)は全国と比べてもやや高く、高齢者を中心とする被災者の「孤立化」が浮き彫りとなった。

 被災3県の独居率は岩手が最も高く35・5%。宮城も34・5%といずれも3分の1を超えた。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、全国の独居率は27・1%(平成26年6月時点)でこれを大幅に上回る結果となった。

 一方、福島の独居率は18・8%と他の2県に比べて10ポイント以上低かった。これについて、トヨタ財団の本多史朗プログラム・オフィサーは「福島県の住民は東京電力から原発事故の補償金を受けることを念頭に、1人暮らしをせず家族でまとまって生活する傾向がある」と分析している。


震災5年 髪に宿るパパのぬくもり…津波にのまれた父、切れない思い出
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

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津波で亡くなった高橋昌照さんの長女の心陽ちゃん、妻の陽香さん、長男の真心君(左から) =2月27日、仙台市宮城野区(鴨川一也撮影)(写真:産経新聞)

 ■宮城県塩釜市・高橋心陽(こはる)ちゃん(6)

 死者、行方不明者合わせて1万8千人を超えた東日本大震災は、発生から11日で5年となる。歳月は流れ、変わるものと変わらぬものが交錯する被災地。人々は胸にさまざまな思いを宿し、復興に向けて歩みを進める。

                   ◇

 「幼稚園で一番長いんだ」。お尻まで伸ばした髪をなびかせ、ほほ笑んだ。

 宮城県塩釜市の高橋心陽ちゃん(6)は、これまで一度も後ろ髪を切ったことがない。東日本大震災が起きたのは1歳の時。津波のことも、消防団員として避難を呼びかけながら亡くなった父、昌照(まさてる)さん=当時(37)=のことも、ほとんど覚えていない。

 仙台市の自宅にあった家族写真は津波で流された。「パパがなでた髪かもしれないと思うと、切れないんです」。母の陽香(はるか)さん(42)にとって、心陽ちゃんの髪は夫のぬくもりを残す大切な思い出だ。

 「ラプンツェルみたいに床につくまで伸ばしたい」。グリム童話に登場する少女に憧れる娘のため、冬は20分ほどかけて、ドライヤーで丁寧に髪を乾かす。

 ◆「こっちには来るな!」

 「おむつが欲しいからそっちに行くね」「こっちには来るな!」。平成23年3月11日、仙台市宮城野区の消防団に所属していた昌照さんは、自宅に戻ろうとしていた陽香さんを電話で制止し、保育園に長男の真心(こころ)君(8)と心陽ちゃんを迎えに行くよう指示。これが最後の会話となった。

 昌照さんが乗っていたポンプ車は自宅から約150メートル離れた場所で大破して見つかったが、連絡はとれないまま。13日に避難先で知人と再会した陽香さんは、思わず泣き崩れた。「パパがいないの」。傍らでは子供たちが不安そうに見つめていた。「もう泣けない」。涙をこらえた。

 夜、おぶっていた真心君がつぶやいた。「パパ、死んだんだよね」。思わず否定した。「パパ、生きてるから!」。自分に言い聞かせていたのかもしれない。息子は背中で泣いていた。

 同月30日、自宅近くのがれきの中から遺体が見つかった。作業着の胸と肩には家族3人の名前をつなげた「真心陽香」の刺繍(ししゅう)。肌は土色になっていたが、確かに昌照さんだった。死因は頭部損傷。ヘルメットには亀裂が走っていた。

 昌照さんは最後まで住民に「逃げて」と呼びかけ、消防団仲間に「家族を逃がせ」と促していた。夫らしい行動だったと思う。火葬を終え、骨壺に「心陽より軽いよ」と語りかけた。

 宮城県塩釜市の実家に3人で身を寄せ、5月には事務職として務めていた仙台市の勤務先に復帰した。

 子供が泣いていても保育園に預け、会社へ向かった。他の子供が父親に迎えに来てもらう様子を見た真心君が、ぐっと何かを我慢するような表情を浮かべていたこともある。陽香さんも子供たちと離れるのはつらかったが、家計を支えるため懸命に働いた。

 やがて、心陽ちゃんから一日に何度も「ねえ、ママ笑って?」と言われるようになっていた。笑顔が消えていたことに気付いた。「子供たちの成長を近くで見守りたい」。思い切って仕事を辞めた。

 「なんでパパが死ななければならなかったんだ!」。今年1月、真心君が突然、布団で泣きじゃくり、枕をたたいた。震災後、自分から父の話をすることはなかった。父の記憶を封じようとしているのかは分からない。葛藤が垣間見えた瞬間だった。

 髪を伸ばし続けてきた心陽ちゃんも時々、「切りたい」と言うようになった。「心陽に決めさせようと思いつつ、迷っている私がいる」と陽香さんは話す。

 ◆「今を生きるしかない」

 子供の成長とともに訪れる変化を覚悟しながら、変わらないこともある。昌照さんが大切にしていた「556(こころ)」ナンバーの車を使い続け、両手には2つの結婚指輪。毎日、仏壇に「今日もこの子たちをよろしくね」と語りかける。

 今も、子供たちの進路などの重大な選択に向き合うとき「パパだったらどうするだろう」と昌照さんのことを考える。大人の男性にじゃれる子供たちを見ると「お父さんに甘えたいのかな」とも感じるが、周りには頑張っているシングルマザーがたくさんいる。自分の子供たちだけがかわいそうだとは思いたくない。

 陽香さんは、避難所でのたった一度を除いて、人に涙を見せたことがない。「薄情だと思われるかもしれないけど泣いている暇はない。今を生きるしかないんです」(滝口亜希)


震災5年 3・11 義足の左腕、支えられ夢切符 「プレーで感謝示す」
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

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練習試合で力投する釜石高の沢田一輝さん=8日、茨城県日立市(桐原正道撮影)(写真:産経新聞)

 □岩手県釜石市・沢田一輝さん(17)

 20日に開幕する第88回選抜高校野球大会。21世紀枠で出場する岩手県立釜石高には東日本大震災で被災した義足のサウスポー投手がいる。「これまで助けてくれた人たちに恩返しをしたい」。2年の沢田一輝(かずき)さん(17)は甲子園のマウンドを目指し、震災から5年となる11日、出発する。

 5年前のあの日。小学校の卒業式を控えていた沢田さんは、岩手県釜石市の自宅近くで、自転車に乗って友人の家に向かう途中、下から突き上げるような激しい揺れに襲われた。

 「避難しよう」。友人宅に着くと、誰かがそう言い出した。緊急避難所は高台にある廃校だ。みんな、一斉に走りだした。

 ただ、沢田さんは右ひざから下に障害を抱えて生まれ、2歳から義足を着けて生活してきた。素早く動くことは難しい。

 坂を駆け上がる友人たちから遅れだしたその時-。「おぶってやるよ」。友人の一人が、沢田さんに気づき戻ってきてくれた。「いつ津波が来るか分からないだろ」。断る沢田さんに、友人は「いいから乗れよ」と言い、沢田さんを背負い、避難所を目指した。

 間もなく押し寄せた巨大津波。野球を今も続けられるのは、友人をはじめ周囲の助けがあったからだと今も感謝している。

 だからこそ常に全力を尽くす。「一度グラウンドに入れば、障害はなんの言い訳にもならない」。いくらつらくても「野球をやめたい」と思ったことはない。

 ただ、1回だけ「やめなくてはいけないかも」と思ったことはある。

 震災では津波で自宅が全壊し、家族は仮設住宅での生活を余儀なくされた。同県大槌町にいた祖父は家ごと流されて亡くなった。「中学校で野球を続ければお金がかかるし、仮設住宅では生活も制限される。みんな大変なのに自分だけ野球を続けていいのか」

 そんな沢田さんの背中を押したのは母の秀子さん(48)だった。「あなたのやりたいことを続けなさい」。平成15年夏に沢田さん同様、義足で甲子園に出場した愛媛・今治西高の曽我健太さんの存在を伝え、勇気づけてくれたりもした。

 今は、もう迷わない。

 「マウンドに立って、被災地だけでなく、同じような障害を持つ子供たちに希望を与えたい。そして、全力でプレーすることでこれまで支援してくれた全ての人たちへの感謝を示したい」。障害と震災。大きな壁を克服しつかんだ夢舞台を前に、力投を誓った。(五十嵐一)


震災5年 3・11 供花の無償提供続ける 「持っていく人いるうちは」
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 □福島県いわき市・国井和彦さん(50)

 淡いピンクのスイートピーに、紫が鮮やかなアイリス。「なんにもしてやれなかったから。少しでも供養になればと思って」

 ケースいっぱいに詰まった花を見つめながら、福島県いわき市の花店店主、国井和彦さん(50)は、東日本大震災の津波で犠牲になった人に優しく語りかけるようにつぶやいた。

 「みんなでお墓に飾ってください」-。津波で115人が亡くなった同市薄磯(うすいそ)地区の修徳院(しゅとくいん)龍宅寺。震災直後から主に月命日に合わせ、墓参りに訪れた人に供えてもらう花を本堂の脇に無償で置き続けている。

 5年前の3月11日。沿岸部近くの高台にある作業場にいた。お店にとってかき入れ時の3月。卒業式や送別会のための花づくりに追われていた。これまでに経験したことのない激しい揺れ。作業場からテレビのアンテナがしなるのが見えた。

 海沿いの地区のことが気掛かりだった。花を注文してくれる客がたくさんいる。一人一人の顔が浮かんだ。「無事でいてくれ」。翌日、友人らと捜索に入った。津波から抜け出そうと必死でもがいたのだろう。見つけた遺体は、どれも苦しそうな顔をしていた。

 震災から1カ月半ほどたったころ、4歳の女の子の遺体が見つかった。安置所でまな娘の体を抱きしめながら泣き崩れる母親。名前を叫び続けていた。「花屋にできることはこれくらいしかない」。ひつぎのそばに、かすみ草をそっと手向けた。骨箱が並ぶ寺では、空き瓶に一輪だけ挿し、手を合わせた。

 「そろそろひと区切りつけようか」。そう思いつつ1年、また1年。「いつも、どうもね」。遺族からそう言われると、やめるにやめられなくなった。

 「あのときはありがとうございました」。5年という時間の中で、女の子を亡くした母親も店を訪れ、明るく話してくれるようになった。

 寺に置いた花は、今もいつの間にかなくなっている。「この花を持っていく人がいるうちは」。終わりを決めるのは、もうやめた。(野田佑介)


震災5年 あの日生まれた命、小さな「お姉さん」
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

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震災の日に生まれた下沢さくらちゃん。元気よく階段を駆け上がる=岩手県宮古市(鴨川一也撮影)(写真:産経新聞)

 ■岩手県宮古市・下沢さくらちゃん(5)

 寝ていた生後5カ月の弟が泣き始めると、おままごとの手がとまった。小さな体で弟を抱きかかえ、お母さんのもとへ連れていく。「ありがとう」。ほめられて笑顔になる。でも、お姉さんらしく強がった。「重くないよ。軽かったよ」

 5年前の3月11日、岩手県宮古市の病院で、東日本大震災発生直前の午後2時19分に生まれた下沢さくらちゃん。妹の歩未(あゆみ)ちゃん(3)に続き昨年10月に弟の源治君が生まれ、姉の自覚が強まった。

 昔はよく母親の悦子さん(37)の膝の上に乗ったが、今は「ちっちゃい子が優先!」と我慢。「一日一日、成長している」。悦子さんは幸せをかみしめる。

 だが、ふと寂しさもこみ上げる。「孫の顔、見たかっただろうな」。悦子さんは自身が赤子のときに離婚で生き別れた実母を津波で失った。再会したのは震災約3カ月前。宮古駅前で突如話しかけてきた女性は「あなたのお母さんだよ」と告げた。母だった。

 悦子さんは「いまは『産んでくれてありがとう』と思う。産んでくれたから、私はかわいい子供をつくれた」と話す。

 「さくら」の名前には、厳しい冬の後、人の心を明るくする桜のような存在になってほしいという思いを込めた。「家族や家を失い、落ち込む人に『あのとき生まれた子が元気だから、私も元気を出す』と思ってもらえたら」

 さくらちゃんには「困った人がいたときは助けてあげてね」と語りかけている。ちょっと難しいメッセージ。だが、さくらちゃんは元気よく応える。「うん、分かった!」(高久清史)


震災5年 3・11 もうすぐ春
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

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福島県浪江町の国道114号沿いの加倉地区で10日、梅の花が咲き誇るなか、除染作業が行われていた(古厩正樹撮影)(写真:産経新聞)

 福島県浪江町の国道114号沿いの加倉地区で10日、梅の花が咲き誇るなか、除染作業が行われていた。同地区は東京電力福島第1原発事故の影響で居住制限区域に指定されている。同区域内の住民は自宅などに寝泊まりはできないが、一時帰宅は認められている。


高浜3号機停止 再稼働から42日、仮処分受け
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 関西電力は10日、大津地裁から高浜原発3、4号機(福井県)の運転停止を命じる仮処分決定が出されたのを受け、稼働中の3号機の原子炉を停止させた。裁判決定で稼働中の原発が止まるのは初めて。

 この日午前10時から、関電は核分裂反応を抑える制御棒32本を炉心に入れる作業を始め、午後8時ごろには原子炉の出力がゼロになり、稼働を停止した。3号機は1月29日、約4年ぶりに再稼働したばかりで、わずか42日間で停止を余儀なくされた。すでにトラブルで停止している4号機とともに、仮処分決定を覆さない限り再稼働はできない。

 大津地裁は今月9日、高浜の安全性確保について「関電側の説明が不十分」などとして、耐震基準策定や津波の安全性能について問題があると認定。高浜から半径70キロ圏に居住する滋賀県の住民の申し立てを認め、3、4号機の運転差し止めを命じた。

 関電は同地裁に異議と執行停止を申し立てる方針を表明している。


震災5年 3・11 帰還困難区域見直しへ 首相表明「今夏までに」
産経新聞 3月11日(金)7時55分配信

 安倍晋三首相は10日、東日本大震災から11日で5年を迎えるのを前に首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発事故の影響で原則立ち入り禁止となっている帰還困難区域について「放射線量が低下していることがモニタリングで明らかになっている。区域見直しを今年夏までに明確に示したい」と表明した。原発事故に伴う避難区域は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分類されるが、帰還困難区域は避難指示解除の将来的な方針が示されていなかった。

 首相は平成28年度から5年間を「復興・創生期間」と位置付け、「十分な財源を確保し、被災地の自立につながる支援を行っていく」と強調。東北を訪れる外国人宿泊者を32年に現在の3倍となる150万人に増やす考えを示し、「今年を東北観光復興元年にする」と述べた。具体策として今後5年間で海外の旅行会社から2千人を東北に招く「東北プロモーションキャンペーン」を実施することを明らかにした。また、31年度中のJR常磐線全線開通を目指す考えを示したほか、常磐自動車道の渋滞解消に向けた4車線化に着手することも表明した。

 一方、首相は関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止める大津地裁の仮処分決定について「関電にはさらに安全性に関する説明を尽くすことを期待したい。政府もそのように指導していく」と説明。原子力規制委員会が定めた新規制基準に適合した原発を再稼働する政府の方針には「変わりはない」と明言した。


「中間貯蔵」予定地、「所有者」の4割死亡
読売新聞 3月11日(金)7時53分配信

 東京電力福島第一原発事故による汚染土を保管する中間貯蔵施設の建設予定地を巡り、登記簿上の所有者の約4割が死亡したと推定されることが分かった。

 登記簿の書き換えが進まず、用地確保の障害となっていることから、政府は所有者の割り出しに必要な戸籍の調査を司法書士に委託できるよう、戸籍法の運用を見直す方針だ。

 環境省によると、中間貯蔵施設の建設予定地である福島県大熊、双葉の両町では、登記簿上の土地・建物の所有者2365人のうち、約900人が死亡していると推定されるという。所有者が死亡した際には登記簿を書き換える必要があるが、法律上の義務ではないため、ほとんど行われていない。「所有者不明」のため、土地の取得・利用の同意の取り付けもできない状態が続いている。2月末までに用地の契約に至ったのは69件で約18・5ヘクタールと、全体(約1600ヘクタール)の1・2%にとどまっている。同省では新年度、用地買収の担当者を約20人増員して100人体制とする。


国民負担3兆4千億円超=賠償・除染など、事故5年で―総額見えず拡大へ・福島原発
時事通信 3月11日(金)7時46分配信

 東京電力福島第1原発事故の発生から5年間に損害賠償や除染、汚染水対策などで国民が負担した額が、確定分だけで3兆4613億円を超えることが分かった。
 日本の人口で割ると1人2万7000円余りに上る。今後も増え続ける見通しで、総額が見通せない状況だ。
 時事通信は復興特別会計などの原子力災害関連予算の執行額と、東電など電力7社が電気料金の値上げ分に含め賠償に充てる一般負担金などを集計した。
 国民負担は、電気料金への上乗せ▽事実上の国民資産である東電株の売却益やエネルギー特別会計(エネ特)からの支出▽政府の直接財政支出―に大別される。
 電力7社は事故後の電気料金値上げで、一般負担金を2015年度までに少なくとも3270億円上乗せした。東電は汚染水処理装置の保守管理費や賠償相談のコールセンター運営費など、2193億円以上も値上げ分に含めている。
 一般負担金は原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じ、賠償費用を立て替えている政府に納付されるが、その際に機構の運営費が差し引かれる。14年度までの運営費は117億円だった。
 東電株の売却益やエネ特の支出は、除染や汚染廃棄物の処理費、中間貯蔵施設関連費に充当される。これらの費用は14年度までに計1兆6889億円発生し、政府が立て替えている。
 東電株の購入に際し、機構が金融機関から受けた融資には政府保証が付き、焦げ付いた場合は税金で穴埋めされる。機構は東電株が大幅に値上がりすれば約2兆5000億円の売却益が生じ、除染などの費用を賄えると見込む。電源開発促進税が入るエネ特からは、約1兆1000億円が中間貯蔵施設の建設費などに充てられる。
 直接財政支出は14年度までに、廃炉支援や食べ物の放射能検査、研究開発の拠点整備などで計1兆2144億円が使われた。確定していない15年度分の除染費などや直接支出を含めれば、国民負担はさらに膨らむ。


原発事故で負担軽減論=電事連、上限設定求める―「虫が良すぎ」批判強く
時事通信 3月11日(金)7時46分配信

 東京電力福島第1原発事故では、巨額の賠償費用が発生した。
 電力会社でつくる電気事業連合会は、再び事故が起きれば各社が原発事業を続けるのは難しいと主張し、負担額に上限を設けるよう求めている。国の原子力委員会が専門部会で議論しているが、事業者負担の軽減には「虫が良すぎる」との批判が強い。
 東電によると、福島第1原発事故では、除染や汚染廃棄物の処理などを除き、被害者への賠償支払いで合意した額が1月末で約5兆5000億円に上る。政府が国債を発行して費用を立て替え、原発を保有する電力9社と日本原子力発電、日本原燃が毎年度、原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じて少しずつ返済する仕組みだ。
 電力9社のうち、中国電力と北陸電力を除く7社は事故後の値上げで、返済の原資になる一般負担金を料金に上乗せした。電気料金に転嫁される額は2015年度末までに少なくとも計3270億円。今後も毎年、電気料金に上乗せされ、値上げなどで国民負担がさらに増える可能性もある。
 東電が支払う特別負担金は電気料金に上乗せできないが、14年度分までの支払いは1100億円にとどまる。
 一方で、電力小売りの全面自由化を控えた電力各社は賠償費用がどこまで膨らむか分からず、電気料金の価格競争力を確保できるか不安を抱く。
 今月2日に開かれた原子力委の専門部会で、電事連の専務理事は「損害賠償という話であれば、国もお付き合いいただきたい」と発言。事業者の賠償負担に上限を設け、超えれば国費を投入するよう求めた。
 原発運転差し止め訴訟に取り組む只野靖弁護士は「どうしても原子力を継続したいなら、福島第1原発事故並みの被害が発生することを想定して取り組むべきだ」と指摘。「平時は原発で大きなもうけを出しながら、事故時は賠償義務を限定してもらう。虫が良すぎる話ではないか」と批判している。


原発事故の負担10兆円=東電、収益向上が課題―再生へ道遠く
時事通信 3月11日(金)7時46分配信

 福島第1原発事故から5年。
 東京電力は経営危機を国の支援で切り抜け、直近の決算で過去最高益をたたき出した。だが被災者への賠償や除染費用、廃炉・汚染水対策費用など将来必要な10兆円規模の資金の大半は東電が負担する。4月からの電力小売りの全面自由化を乗り越え、巨額の資金を確保できるのか。東電再生への道のりは遠い。
 東電の再建計画では、原発事故の関連費用を約12兆円と見込む。賠償が6.2兆円、除染2.5兆円、汚染土の中間貯蔵施設1.1兆円、廃炉・汚染水対策2兆円などだ。
 賠償と除染の費用は国が無利子で立て替え、賠償は東電と電力業界全体の負担金で返済し、除染は国が保有する東電株の売却益で捻出する。廃炉・汚染水対策費は原則、東電が引当金を積むなどして確保する。中間施設など一部に税金も投じる。
 これに対し、返済したり、資金確保したりした額は1.6兆円にすぎない。株価は今年に入り500~600円台で推移。売却時に国に損失が生じない1050円以上の水準には程遠い。
 既に国民には税金に加え、電力業界の負担金が電気料金に上乗せされている。これ以上のツケを国民に回さないためには、東電は電気料金の値上げに頼らないで収益を拡大させ、株価を現在の数倍に引き上げることが必要だ。
 東電の再生は16年度末の経営評価が大きな関門となる。賠償や廃炉の責任を果たしつつ、自由化後の競争を勝ち抜く持続的な収益を上げていけるかが問われる。合格すれば、国の議決権は50%未満に下げられ、「脱国有化」に近づくが、昨年7月の政府の原子力損害賠償・廃炉等支援機構の中間評価は「持続的な収支水準確保へめどは立っていない」と厳しい。
 背景にあるのが収支改善の柱とする柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働の遅れだ。福島第1原発事故をめぐり、2月下旬にも新潟県の信頼を失いかねない重大な問題が浮上した。
 事故当時、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を定義したマニュアルがあったのに使わず、炉心溶融の公表が遅れた疑いが発覚。「事故後5年も重要事実を公表せず、真摯(しんし)に対応しなかったのは遺憾だ」。新潟県の泉田裕彦知事は「炉心溶融を定義付けるものがなかった」と説明してきた東電を批判した。東電は9日、問題を検証する第三者委員会を設置した。
 同日には関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを命じる仮処分決定で、大津地裁は福島第1原発の原因究明が「今なお道半ば」と厳しく指摘した。
 東電の広瀬直己社長は「(原発事故への)責任を果たす覚悟にいささかの揺らぎもない。そのためにも競争に勝たなければいけない」との説明に追われている。東電に課せられた「責任と競争の両立」に、国民の厳しい目が今も注がれている。


震災でなぜ自衛官はPTSDにならなかったのか 元自衛隊メンタル教官が解説
2016年3月11日(金)7時0分配信 dot.(ドット)

 あの震災から5年。当時、災害現場で救助に尽力したのが自衛官だった。救助活動後の自衛官のPTSD(心的外傷後ストレス障害)も心配されたが、実際、ほとんどその症状は見られなかったという。

 それはなぜなのか。元自衛隊のメンタル教官として、災害救助に携わった自衛官の心のケアを担当し、『自衛隊メンタル教官が教えてきた 自信がある人に変わるたった1つの方法』を著した、下園壮太氏に話を聞いた。

*  *  *
 震災では直接的な被災者だけでなく、多くの人が心に傷を受けました。救済活動に携わった自衛官もその仲間です。当時私は陸上自衛官のメンタルヘルス全般を考える立場にあり、現地に赴き被災者、隊員が直面する心理的な脅威も実感しました。精神科の医師たちとPTSDについて危惧したものです。

 ところが、震災後3年目のレビューで、実際には震災のショックによりPTSDになった自衛官はほとんどいないことが明らかになりました。

 さまざまなデータを総合して私たちがたどり着いたその要因は二つあります。

 一つは、震災当時に私たちメンタルヘルススタッフが強調していた「疲労管理」教育が功を奏したのではないかということです。

■ショックの後、疲労により傷つきやすさが残る

 人は通常大きなショックを受けると、傷つき疲れ果てます。しかし、しばらくするとそれを克服するものです。

 ところが、あまりにも大きいショックの場合、出来事対応や感情活動による疲労が非常に深くなり、いわゆる“うつ”状態に陥ることもあります。すると、同じ刺激でも、2倍、3倍の大きさに感じてしまいます。そのメカニズムは、『元自衛隊メンタル教官が教える 「折れてしまう」原因は、ストレスではなく◯◯だった』で紹介しました。

 日常の刺激が2倍のショックや疲労として作用するわけですから、日常の生活を続けていても(いるのに)、なかなか元の自分に戻れないのです。これを遅れて感じる疲労、「遅発疲労」と呼んでいます。

■自信の低下を予防する

 海外派遣された隊員の観察から遅発疲労のことを知っていた私たちは、隊員が災害派遣から帰って間もないうちに、遅発疲労について教育を行いました。もちろん個人でも疲労管理をしてもらうためですが、実はそれより重要な目的があったのです。それは「自信の低下」を予防することです。

 私は、自信を3つに分けています。まず、何らかの課題ができるようになる「“できる”という自信」、第1の自信と呼んでいます。これはわかりやすいですね。しかし、これ以外に人間の生きる力の根底を支える自信があと2つあるのです。

それは、「自分の体力や生き方に対する自信」である第2の自信と、「守ってくれる仲間がいる、愛されている、必要とされている自信」である第3の自信です。

 自衛隊員は、厳しい任務でも達成できる自信を持っています。そんな隊員が災害派遣を終えしばらくたったとき、突然気力が出なくなったり、体調不良に陥ったりした場合、どうなるでしょう。

「もう、終わったことなのに、自分だけあのことを引きずっている。自分は弱い人間だ、自衛官失格だ」と考え始めるのです。つまり、3つの自信の区分でいえば、第2の自信の低下です。

 第1の自信の低下は、何らかの成果や結果で比較的簡単に取り戻せる。しかし、第2、第3の自信が低下してしまうと、それを取り戻すには非常に多くの時間と努力が必要になります。

 だから私たちは、遅発疲労を紹介し、「それは普通のことだ。君がダメな自衛官だということではない、ただ、頑張って疲れが残っているということだ」ということをしっかり理解させたかったのです。

■自衛官の第3の自信を支えてくれたのは…

 そして、もう一つ、自衛官の第3の自信を支えてくれた大きな要因があります。

 それは、「国民からの感謝の言葉」です。国民に感謝されていると自衛官が認識できたことは、自衛官の第3の自信を非常に強く支えてくれました。

 ベトナム戦争では、参加した米軍の自殺やPTSDが非常に多く報告されています。命をかけて戦ったのに、国民の支持を得られなかったからです。

 あの震災で自衛官の活躍に救われた人も多いでしょう。しかし一方で、私たち自衛官も、国民のみなさんの感謝の気持ちに支えられていたのです。


<東日本大震災5年>あまたの死と命の輝きと=専門編集員・萩尾信也
毎日新聞 3月11日(金)7時0分配信

 同時代を生きた日本人の心に、時を同じくして刻み込まれた情景がある。あの時、自分はどこにいて、何が起き、どうしたか……。五官に焼き付いた映像や音や匂いの記憶を伴いながら紡がれる物語は、それを体験した人の数だけ存在する。

 1万8000人余の死者と行方不明者を出した5年前の東日本大震災が、そうだった。巨大地震に日本列島が震撼(しんかん)した2011年3月11日。太平洋沿岸を襲った大津波は掛け替えのない命や家や故郷をのみ込み、制御不能に陥った福島第1原発は爆発して放射性物質をまき散らし、「安全神話」を吹き飛ばした。

 震災翌日、飛行機で沿岸を北上すると、人知を超えた力で日本地図が書き換えられたようだった。がれきと泥が大地を覆い、海岸線が消えていた。あちこちで火の手が上がり、生存者の救助や炊き出しをする住民の姿があった。原発建屋の上部は爆発で骨組みがむき出しになり、周辺の町からは人の気配が消えていた。

 電気を喪失した被災地に降り立って仰ぎ見た夜空には、満天の星が広がっていた。闇が深いほどに星が輝きを増すように、人々は死の傍らで命の輝きをいとおしんでいた。人生で大切なものは何か? 残された者が生き続ける意味は? 人々は悲しみや痛みと向き合いながら自問した。避難先では衣食を分かち合い、被災を免れた家や職場では黙々と節電に取り組む人々もいた。

 以来、現地に通いながら、あまたの人生に触れてきた。被災地に緑が芽吹くように、子供たちの成長は希望をともした。祖父を亡くした女子高校生は「命に携わる仕事がしたい」と看護師の道に進み、自宅や事業を再建した人々がいた。

 光があれば影もある。復興は途上にあり、いまだに仮設住まいが続く人々や、仕事や生活のためにやむなく故郷を離れた人々がいる。海岸線に連なるように建設された巨大な堤防は海の眺望をさえぎり、消滅の道をたどる集落もある。震災は少子高齢化も加速させた。自主財源が逼迫(ひっぱく)し、将来像を描けない自治体も多い。復興は「震災バブル」となって資材や人件費の高騰も招き、あおりで再建を断念した人々もいる。

 福島では放射性物質の除去作業のメドは見えず、農業や漁業を営んできた人々の怒りや心痛は察するにあまりある。一方で、原発再稼働の動きが全国各地で続いている。

 そして、震災から5年を数える3月11日。我々はいま一度、あの日に立ち戻るべき時を迎えている。

 震災が我々に突きつけたものは何か? そこから得た教訓を育むことはできたのか? 思索の向こうに、今に至る道のりと明日へと歩むべき道筋が立ち上がってくるはずだ。


東日本大震災、発生から5年
2016年3月11日(金)5時41分配信 共同通信

 関連死を含め2万1千人を超える犠牲者を出した東日本大震災は11日、発生から5年を迎えた。地震発生時刻の午後2時46分には被災地各地を含む全国で黙とうし、犠牲者への祈りをささげる。東京では政府が追悼式を開く。

 警察庁によると10日現在、震災の死者は全国で1万5894人、行方不明者は2561人。厳しい避難生活やストレスが原因となった震災関連死は3410人にまで増えた。

 発生から5年間、自治体を手厚く支援した国の集中復興期間が終了し2016年度から復興・創生期間に入る。

 東京電力福島第1原発事故の影響は続き、福島県から県外に避難している住民は計約4万3千人。


政府、帰還困難区域も除染へ…17年度から
読売新聞 3月11日(金)3時4分配信

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津波の被害を受けた宮城県女川(おながわ)町では、高台の仮設住宅(後方左)の横に災害公営住宅(同中央)が立つ。JR女川駅(中央)から港へ続く遊歩道には昨年12月、テナント型商店街が開業し、「職住分離」が進む(10日夕、読売ヘリから)=武藤要撮影

 1万8000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から11日で5年となる。

 政府は、東京電力福島第一原子力発電所事故以来、ほとんど手つかずだった放射線量の高い帰還困難区域を対象に、2017年度から本格的な除染を実施する方針を固めた。被災地ではくらし、産業などの課題が山積し、復興を実感できていない。今月末で終わる「集中復興期間」に続き、政府は今後の5年間を「復興・創生期間」と位置づけ復興を加速化する。

 政府は今夏までに、帰還困難区域を抱える地元自治体からの要望を聞いた上で、優先的に除染する地区を決める方針だ。今夏の17年度予算の概算要求に同区域の除染事業を盛り込み、16年度中に改定する福島復興再生基本方針には同区域を除染によって縮小する「区域見直し」を明記する方向で調整している。


<震災5年>安倍首相、「帰還困難区域」の縮小検討
毎日新聞 3月11日(金)0時2分配信

 ◇「夏までに明確に示したい」

 安倍晋三首相は10日、東日本大震災の発生から11日で5年を迎えるに当たって首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発周辺で放射線量が高い「帰還困難区域」の縮小を検討する考えを表明した。「帰還困難区域でも放射線量が低下している。区域見直しに向けた国の考え方を、今年の夏までに明確に示したい」と語った。

 帰還困難区域は2011年度末に年間積算放射線量が50ミリシーベルトを超えていた地域で、原発周辺の7市町村に設定されている。首相はまた、JR常磐線の19年度中の全線開通を目指す考えを表明。暫定2車線で開通した常磐自動車道の一部区間について、20年度までに4車線化を実現する方針も明らかにした。

 これに先立つ政府の復興推進会議と原子力災害対策本部会議の合同会合では、16年度から5年間の復興基本方針を了承した。5年間を「復興・創生期間」とし、6.5兆円の事業費を確保する。同期間が終わる21年度以降も、原発事故対応で国が前面に立つことも盛り込んだ。【田中成之】


【震災5年 絆はどこに(1)福島県郡山市】  創業300年目に訪れた大ピンチ ぶれない酒造りで日本酒蔵元は生き残った
J-CASTニュース 3月11日(金)0時0分配信

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仕込み蔵で、蒸米を広げて冷ます

 東日本大震災の発生から2016年3月11日で5年が過ぎた。震災当時、世間で流行した言葉が「絆」だった。被災者に思いを寄せ、つながりの大切さを噛みしめた人が大勢いただろう。

 だが今日、復興の歩みは必ずしも順調とは言い切れない。被災地の人たちは今、「絆」という言葉をどう受け止め、感じているだろうか。福島、宮城、岩手の各地を、J-CASTニュース記者が訪れた。

■「これは福島のお酒...」言いかけると「あ、いいです」

 福島県のJR郡山駅からバスで30分、郡山市内ののどかな水田地帯に日本酒の蔵元「仁井田本家」は建つ。創業1711年(正徳元年)――江戸時代中期、徳川6代将軍家宣の時代だ。震災の年の2011年は、創業300周年の記念イヤーだった。

 地震発生時は、仕込みの最中だった。蔵は大きく揺れて、土産コーナーの酒瓶が数本落下して割れ、物置用の古い建物の壁が少しはがれた。だが、物的な被害はほかには出なかった。地盤がしっかりしている土地のおかげだ。

 だが統括部長の馬場幹雄さんはその夜、職場から1キロほど離れた自宅に戻って言葉を失った。まず玄関の扉が開かない。ようやく入ると今度は、部屋の中が「ひっくり返った状態」だったという。事態の深刻さが徐々に伝わってきた。そして翌12日、東京電力福島第1原発で深刻な事故が発生する。社内にも不安に感じる従業員がおり、会社は1週間休業した後に業務を再開した。

 本当の苦労は、ここからだった。

 2011年5月ごろから、首都圏で「震災復興イベント」が徐々に始まり、仁井田本家にも出店依頼が届いた。馬場さん自身、東京都内での試飲イベントに立った。「どうぞ」とお酒を振る舞うと、「福島、がんばって」と温かい言葉が飛んできた。半面、呼びかけても無言でスッと立ち去る人もいた。「微妙な空気」を感じずにはいられなかった。原発事故の影響が出ている――。

 西日本では、取引先の酒販店が応援の意味を込めて仁井田本家の商品を積極的に消費者に勧めてくれたという。ところが、

  「『これは福島のお酒...』と言いかけるとすぐ『あ、それはいいです』と断られたと聞きました」

玄米から醸造、瓶詰め後の酒まで放射能検査を徹底
 もちろん、放射能検査は徹底していた。馬場さんによると、当初は玄米の段階、精米した白米の段階、醸造後すぐの酒、瓶詰め後の酒と各工程すべてで検査を実施したほどだ。当然、放射能不検出のコメだけを使い、不検出の製品だけを出荷した。だが「福島」と口にした途端に客が立ち去るようでは、安全性を訴える術がない。極端な例だが、「検査機関そのものが信用できない」とまで言われた。2011年の出荷量は前年比3割減。2012年以降も、苦戦が続いた。

 消費者に自分たちの声を届けたくても、聞く耳を持ってもらえない。理解が進まないもどかしさ――。ピンチに陥った仁井田本家がとった行動は、明解だった。「だったら、もっと自分たちを知ってもらおう」。

 震災前から、酒造りや田植えの体験、感謝祭、収穫祭を開いて地域の人と触れ合う機会は設けていた。さらに「蔵に来てもらおう」を合言葉に2013年、毎月1回の「スイーツデー」を新設した。麹糖(こうじとう)と卵を使った「自家製ババロア」を販売する。あえて日本酒に固執しないイベントのおかげで、地元・郡山を中心に女性や子連れの人が大勢来るようになった。

  「当社は創業300年、地元ではそれなりに知名度があると考えていました。ところが実際にイベントに参加した人に聞くと、『初めて来ました』という声が多かった。郡山市内でも、まだまだ我々は知られていなかったのです。もっとアピールしなければという思いを強くしたのです」

「自然米」へのこだわり、国際的に認められ「金賞」
 もう1つ、仁井田本家がこだわるのが自然米だ。農薬や化学肥料を一切使わない自然米だけを使った酒を、1967年に国内で初めて醸造・発売した。自社でも水田を持ち、県内外の生産者と契約栽培をしている。今では自然米使用100%で、原料がコメと水だけの純米造り100%でもある。仕込みに用いる水も、同社が所有する山の伏流水や井戸水といった天然水しか使わない。

 それでも、原発事故後は、「放射性物質は大丈夫か」という逆風に見舞われた。会社のある郡山市田村町の事故後の放射線量は市内でも低い方だった。仁井田本家でも、事務所前の桜の木付近で空間線量を独自に測定していた。国の「追加被ばく線量・年間1ミリシーベルト以下」の考え方では、毎時0.23マイクロシーベルトの計算となるが、2012年2月の時点で既にこの数値を大きく下回っていた。加えて、原料米や製品に対して厳しい放射能検査を続けたのは先述の通りだ。

 事業は厳しい状態が続いたが、ぶれない「自然酒」づくりは優れた商品としての評価につながった。毎年行われる「全国新酒鑑評会」では2012年、14年と金賞に選ばれた。国内だけではない。2015年、ロンドンで開かれた「インターナショナルワインチャレンジ2015」でも、「自然酒 純米吟醸」が純米吟醸・純米大吟醸の部で、「自然酒 燗誂」が純米酒の部で、それぞれ最高賞の「金賞」を獲得したのだ。世界13か国・54人の「酒の専門家」が審査し、金賞を授与されたのは876銘柄中43銘柄だけと、名誉ある賞だ。「自然米の持つパワーを評価していただいたのかもしれません」(馬場さん)。

 まだ、売り上げが震災前に完全に戻ったわけではない。それでも、地元を中心に着実にファンが増え、自然米への一貫したこだわりは国内外で理解が広まってきた。「福島だから応援してくれる、そしてお酒を買ってくれる。そんな人の温かさに触れると涙が出そうになる」と、馬場さんはほほ笑む。

 楽な道のりでなくても、次の100年に向けて1歩ずつ進んでいる。(この連載は随時掲載します)


「大震災から5年」、曽野綾子さんが語る
読売新聞 3月10日(木)23時30分配信

 作家の曽野綾子さんが10日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、東日本大震災から5年を経て、何が日本人に問われているかについて語った。

 曽野さんは、自らが体験した戦後復興と震災復興とを重ね合わせ、「相手の苦しみ、悲しみをともに持ち、ささやかな親切を尽くすこと」の重要さを訴えた。一方、「心の復興は、自分でやるほかない」とし、「人生にはある程度不合理がつきまとう。絶えず悪いことを予想し、強くならなければいけない」と強調した。

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