« 東日本大震災・原発事故関連のニュース・2096 | トップページ | 三笠宮彬子殿下ご出席のスキー大会で破裂音 札幌 »

2016年3月 5日 (土)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2097

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:職員不足279人=必要数の1割確保できず―被災3県48市町村・東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年 宮城県名取市 酒蔵失った佐々木洋さん「戻れる日まで負けない」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:揺らめく1000の思い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:首長6割「復興に遅れ」…被災42自治体 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:復興への道しるべ 語り部高校生、小5で被災、今大人の言葉で  - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:住民の帰還1割弱、福島3市町村 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<大槌町>津波避難訓練と黙とうと 高齢者らの高台移動重点 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<旧競技場聖火台>被災地の復興願い石巻で点火式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:石巻で「鎮魂」の聖火台磨き - 速報:@niftyニュース.
リンク:バイオ燃料で復興の灯火=貸与の旧国立聖火台に―宮城・石巻 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仮設住宅解消、震災10年後以降 - 速報:@niftyニュース.
リンク:【3・11から5年】「絆診療所」遠藤清次院長<後編>最後の仮設なくなるまで“みんなの集会所” - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災孤児、遺児1782人に=26都道府県と海外に居住―自立は18人・厚労省調査 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島第1、廃炉に遅れも=「40年ありきでない」―林経産相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災5年を前に被災地で追悼行事 - 速報:@niftyニュース.
リンク:ソウルでの福島復興イベントの不当な中止に怒りの声が渦巻いている 韓国は科学的根拠を示せるのか? - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:横浜で東日本大震災追悼イベント 200人が黙とう - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:三陸で水揚げ復活=宮城8割、岩手7割―福島、原発事故なお壁・東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:つかめ商機=農産物輸出で復興―消えぬ風評、なお狭き門・東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>ずたずたにされた 地域も家族も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>原発事故原告1万2539人 訴訟全国31件 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災孤児・遺児の高齢親族里親に支援金 年50万円 手当なく困窮 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:再訪 震災5年 三陸南部 東海新報記者の鈴木英里さん(36) - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「福島から水素社会を」 首相、被災地視察し新エネ会議の設置表明 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:首相の被災地訪問は28回目 自立を支援 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:宮城・南三陸町のワカメ漁に密着「笑わねば前に進めないよ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地子どもテーマに意見交換=事故から5年、福島考える・名古屋 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「人命最優先の防災体制を」=津波訴訟原告遺族ら討論・仙台 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<安倍首相>福島で水素発電実証実験…「新エネ会議」設置へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災フォーラム>人命最優先の行動を…津波裁判原告遺族ら - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:南相馬でキャンドルナイト=震災5年を前に犠牲者追悼―福島 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<がんばっぺ福島!>復興願う「応援の集い」…東京で開催 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地の小中学生1割減 - 速報:@niftyニュース.
リンク:首相「福島を水素エネ開発拠点に」…五輪で活用 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

職員不足279人=必要数の1割確保できず―被災3県48市町村・東日本大震災5年
時事通信 3月7日(月)8時3分配信

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島各県の市町村では、復旧・復興を担う職員の不足が続いている。
 各県のまとめによると、3県の沿岸部を中心とした48市町村の不足数(2月1日時点)は、必要な職員数の1割に当たる279人。このうち土木や建築などの技術系職員が6割を占める。背景には、復興事業の本格化に伴い民間企業と人材の奪い合いが生じているほか、他地域の自治体も行政改革で職員が減り、派遣が難しくなっていることがある。
 48市町村で必要な職員数は計2752人。うち2473人は全国の自治体、企業からの派遣や任期付き職員の採用などで確保したが、残り1割は満たせていない。県別では、宮城の不足が184人と最も多い。
 職種別に見ると、一定のスキルや資格が必要な技術系職員は171人不足している。道路復旧や災害公営住宅建設に携わる土木職や建築職のほか、住民の健康管理を担う保健師などが求められている。
 一般事務職は108人足りない。集団移転や防潮堤建設に伴う用地取得といった復興業務に重点的に充てるため、窓口対応などの通常業務に従事する職員が不足するケースが見られる。
 風化も懸念される。発生から5年がたち、政府が定める集中復興期間が2015年度末で終了。復興・創生期間に移行する。そうした中、全国の自治体に派遣継続を依頼しても、「『もう復興は終わっているのでは』という雰囲気を感じることもある」(岩手県市町村課)という。
 16年度に必要な職員数は2月時点とほぼ同規模。3県や被災市町村は継続的な支援を求めるが、派遣元自治体でも社会保障と税の共通番号(マイナンバー)対応などで業務量が増え、「派遣終了となるケースも想定される」(宮城県市町村課)と危惧している。
 被災地のうち岩手県久慈市などでは復興がある程度進み、新たな派遣要請は行っていない。同市は「人繰りは厳しいが、どうにかやっていける状況」と説明する。一方、職員不足が67人と最も深刻な宮城県石巻市は16年度に向け派遣元自治体に継続派遣の意向を確認中だが、「難しいと答える自治体もある」と打ち明ける。これから復興がピークを迎える自治体では、職員不足で事業が遅れるケースも出かねない。


震災5年 宮城県名取市 酒蔵失った佐々木洋さん「戻れる日まで負けない」
産経新聞 3月7日(月)7時55分配信

 「では、謹んでいぐか」

 東日本大震災後、宮城県名取市の内陸部に造成された市復興工業団地。殺風景なプレハブ小屋の中で、佐々木洋(ひろし)さん(39)は声を上げると、おもむろに1・5メートルほどの深さがあるステンレス製の「酒槽(さかぶね)」に向かった。

 コメや麹(こうじ)などを発酵させた「もろみ」を圧縮し、酒と酒かすに分離させる「しぼり」作業の始まりだ。佐々木さんが、とろみのある白いもろみを袋に詰め始めると、小屋は日本酒の芳醇(ほうじゅん)な香りで満たされた。

 佐々木さんが専務を務める佐々木酒造店は社員4人と県内最小規模の酒蔵だ。かつては閖上(ゆりあげ)地区の海岸近くにあったが、建物は津波で全壊。酒が入った3本の貯蔵タンクだけが奇跡的に助かったが、平成24年2月、やむなく約4キロ内陸の工業団地に蔵を移した。

 県内の酒蔵では唯一の仮設蔵での事業再開だった。震災1年に合わせ、貯蔵タンクに残った新酒を「復興酒」としてなんとか販売。取材を受けたのは、そんなころのことだった。先は見えていなかった。「全てが暗闇の中での手探り。何から手をつけたらいいのか」

 仮設蔵の作業場の広さはかつての半分以下。吹き抜けの構造は酒造りにとって生命線といえる温度管理を困難にした。それでも寒仕込みが始まる冬は、どんどん迫ってきた。

 でも、諦めなかった。「何もかも失ったんだから、挑戦するしかない。再び酒を造る喜びを感じながら」。そう思えたのは、ある一言があったからだ。

 酒造組合を通じた依頼でコメを蒸す「甑(こしき)」を提供してくれた神戸市東灘区の酒造会社「櫻正宗」。阪神大震災に遭遇し、蔵や杜氏(とうじ)を失った経験を持つ担当者は、佐々木さんに向かってこう言った。

 「街がなくなるっていうのは、火災や津波で破壊されることじゃなくて、文化がなくなること。酒も地域にとってかかせない文化の一つ。だから、酒造りを絶やしちゃいけないんだ」

 「もともとあった場所に戻って初めて復旧。うちにはそれがなかったけど、仮設蔵になったからこそ、やれることがあるはずだと考えるようになった」

 それまで造ってきた本醸造酒ではなく、新しい●(もと)(酒母)造りにも挑戦。佐々木さんの思いが結実したのが、3年前に完成した「純米酒 閖」だ。キレのあるすっきりした後味に仕上げた。

 地元のコメと水を使い、名産の赤貝やセリ鍋にも合うよう地元の飲食店や水産加工会社と話し合いを繰り返して造った「閖」。その名前には、閖上に回帰したいという強い思いが込められている。

 思い返せば、閖上地区の結婚式や葬式、祭り、新たな漁船の進水式といった地域のイベントには必ず、佐々木酒造店が創業以来醸造してきた「宝船(ほうせん) 浪(なみ)の音」がそばにあった。

 先祖が140年前に酒を造り始めた創業の地、閖上。浪の音が聞こえるあの場所へ戻れる日が、いつになるのかは分からない。

 それでも今は強く思う。「震災の経験を含め、土地の風土を受け入れて、酒の味に込める。いつか閖上に戻れるその日まで負けないよ」(五十嵐一)

●=酎の寸が元


揺らめく1000の思い
産経新聞 3月7日(月)7時55分配信

136
震災で亡くなった人たちを追悼するキャンドルナイト(納冨康撮影)(写真:産経新聞)

 東日本大震災から5年を迎えるのを前に、福島県いわき市の平中央公園で6日、震災で亡くなった人たちを追悼するキャンドルナイトが行われた。暗闇に浮かぶ約1000個のろうそくの炎を前に、訪れた人たちは静かに冥福を祈り、被災地の一日も早い復興を誓った。

 ろうそくが入った筒には市民らが「負けずに前進」「必ず立ち上がる」など復興への決意を記したほか、「勇気と希望をありがとう」など全国からの支援へのお礼の言葉もあった。


首長6割「復興に遅れ」…被災42自治体
読売新聞 3月7日(月)7時8分配信

 東日本大震災から5年を前に、読売新聞が岩手、宮城、福島3県の沿岸と東京電力福島第一原発周辺の計42市町村長に復旧・復興の進捗(しんちょく)状況を尋ねたところ、「予想より遅れている」と答えた首長が6割に上った。

 未曽有の規模の事業を進めるなか、職員不足や入札不調など想定もしなかった問題に直面している状況がうかがえる。

 アンケートは岩手12市町村、宮城15市町、福島15市町村が対象。現在の復旧・復興の進み具合について、震災から1年の時の予想より「遅れている」としたのは25人(岩手5、宮城8、福島12)だった。遅れの程度は「1~2年」が最多の16人、「2~3年」が6人、「3~4年」が1人で、福島県大熊町と葛尾村の2人が「4年以上」とした。「予想通り」は16人だった。


復興への道しるべ 語り部高校生、小5で被災、今大人の言葉で 
スポニチアネックス 3月7日(月)7時1分配信

 東日本大震災の被災地で、高校生が震災体験を語っている。“語り部”の一人で、宮城県石巻市、石巻高校1年の雁部那由多(がんべ・なゆた)くん(16)は「自分は震災を語れる最も若い世代」と“使命”を感じている。震災当時は言葉にできなかったことを語る高校生の、胸の内に迫った。

 雁部くんは当時、宮城県東松島市の大曲小5年生だった。自宅を流され、友人も亡くした。

 「遺体がモノのように扱われていた」「いい話ばかりの報道に違和感があった」「“学校に来られない子”という言葉を聞くと不安になった」

 子供と大人の目線の交じる言葉が、聞く者の心に刺さる。

 被災地を訪れる人に経験を語り、各地へ講演にも出向く。その言葉は本にもなり、先月出版された。きっかけは中学2年で参加した地元のシンポジウム。被災体験を語る人を見て「人前で話していいのか」と驚いた。実は、震災について話すのはタブーだと思っていた。「先生から、話してはダメと言われた」。大人の言うことは絶対、という年ごろ。疑うことなく従った。2012年10月まで続いた仮設住宅の生活でも、家族が震災について話すことはなかった。

 今は大人の考えも理解できる。「あの頃、震災の話をするとパニック状態になる子もいた」。家でも学校でも話題にならなくなると、考えることもなくなり、あの日の記憶が消えていった。

 だが語り部活動を始め、どんどん当時の記憶がよみがえっている。封印していた記憶に苦しめられることもある。

 「学校の昇降口にいた僕の目の前で、グラウンドを走ってきた50代くらいのおじさんが津波に流された。手を伸ばせば助けられた距離。でも手が動かなかった」

 男性はほんの1メートル先で手を伸ばしていた。ヘドロ交じりの黒い水に胸までのまれ、消えていった。小学5年生が、大人を助けられた可能性は低い。だが「助けられたかもしれない」と思うと、罪の意識にさいなまれる。

 それでも話すのは、自分を「起きたことを理解できた最も若い世代」と考えるからだ。活動を始め、阪神大震災など他の震災体験者の本を読むことが増えた。「当時の思いや状況を表現する言葉を、僕は持っていなかった」と参考にしている。

 あの日から5年。小学生だった自身の思いが言葉になり始めた。一方で、大人目線が交じりつつある自分も感じている。「だから今しか語れないんです」。若き語り部の思いが伝わってきた。


住民の帰還1割弱、福島3市町村
2016年3月7日(月)5時47分配信 共同通信

 東京電力福島第1原発事故で2014年4月以降に避難指示が解除された福島県田村市、川内村、楢葉町の3市町村で、解除地域への住民の帰還率が1割弱にとどまることが7日、各自治体への取材で分かった。

 避難区域は、放射線量の高さに応じて帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3種類あり、3市町村の避難指示解除準備区域が14年4月~15年9月に順次解除された。

 3市町村で解除された地域の住民計7985人のうち、実際に戻っているのは745人で1割にも満たない。


<大槌町>津波避難訓練と黙とうと 高齢者らの高台移動重点
毎日新聞 3月6日(日)20時4分配信

 岩手県大槌町の安渡(あんど)地区で6日、津波避難訓練があり、住民200人以上が参加した。地震発生の午後2時46分には、当時避難場所になった高台から海に向かって黙とうをし、犠牲者を悼んだ。

 安渡地区は震災で住民約1950人の1割以上が犠牲になった。訓練は高齢者ら要援護者の高台避難に重点を置き、組み立て式の簡易リヤカーや折り畳みパイプ椅子を改造した「人引車(じんびきしゃ)」に高齢者を乗せるなどして検証。高台への避難路を簡易に造れる「くさり階段」も新たに導入して活用した。

 同地区で町内会長を務める佐々木慶一さん(54)は「いずれ町内外の仮設住宅などから戻ってくる人たちのためにも、住民が安心して暮らせるよう取り組みたい」と話した。【高尾具成】


<旧競技場聖火台>被災地の復興願い石巻で点火式
毎日新聞 3月6日(日)19時24分配信

135
旧国立競技場にあった聖火台を子供たちと一緒に磨く室伏広治さん(右)=宮城県石巻市の総合運動公園で2016年3月6日午前11時55分、山本浩資撮影

 2020年東京五輪・パラリンピックに向けた国立競技場の建て替えに伴い、宮城県石巻市に貸与されている旧競技場聖火台の点火式が6日、同市総合運動公園で開かれた。1964年大会で戦後復興のシンボルになった聖火台。東日本大震災から5年を前に、被災地の復興を願って火がともされた。

 点火式に先立ち、04年アテネ五輪ハンマー投げ金メダルの室伏広治さんが、石巻市スポーツ少年団の子供たち約60人と一緒に聖火台をごま油で磨いた。室伏さんは「東日本大震災を忘れず、次の世代につなぐ。鎮魂の思いで磨いた」と語った。

 貸与された聖火台は以前もスポーツイベントで点火しているが、今回は再生可能エネルギーのバイオメタンガスを使う初の検証実験を行い、薄く赤い炎が約5分間ともった。バイオメタンガスは生ごみや家畜のふんなどを発酵させて発生させる。発案した多田千佳・東北大准教授(環境微生物学)は「全国のみんなでつくったバイオメタンガスで、20年大会の聖火をともしたい」とアピールした。

 聖火台は19年11月完成予定の新国立競技場の敷地内に戻されるが、20年大会で再び使用するかは未定。そもそも新国立競技場の新計画で設置場所は議論されず、デザインに盛り込まれていない。遠藤利明五輪担当相は検討チームを設け、基本設計が固まる5月までに、競技場の中か外か決める方針を示す。

 20年大会組織委員会のスポーツディレクターも務める室伏さんは「みんなが見える場所に設置されるべきだが、これからの話。今までの五輪で設計段階から聖火台を考えたスタジアムはないと思う。開会式のプレゼンテーションに関わるので、中か外かのコメントは慎重にしたい」と話した。【山本浩資】


石巻で「鎮魂」の聖火台磨き
2016年3月6日(日)17時33分配信 共同通信

134
 1964年東京五輪の聖火台を磨き、子どもたちと記念撮影をする室伏広治選手(中央)=6日午後、宮城県石巻市

 陸上五輪金メダリストの室伏広治選手(ミズノ)が6日、東日本大震災による津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市を訪れ、同市に復興のシンボルとして貸し出されている1964年東京五輪の聖火台を地元のスポーツ少年団の子どもたち約60人と一緒に磨いた。室伏選手は「震災のことを忘れずに、次の世代に伝えていくための鎮魂のつもりで磨いた」と思いを込めた。

 11日で震災から5年を迎えるが、聖火台がある市総合運動公園内に設けられた仮設住宅には今も約650人が暮らすなど復興は道半ばだ。室伏選手は「精いっぱい足を運んで交流を持つことが大切」と語った。


バイオ燃料で復興の灯火=貸与の旧国立聖火台に―宮城・石巻
時事通信 3月6日(日)17時23分配信

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市に復興のシンボルとして一時貸与されている旧国立競技場の聖火台で6日、再生可能エネルギーのバイオ燃料の火がともされた。
 
 実験を行った東北大によると、バイオ燃料は、生ごみや動物のふんなどの廃棄物から作るメタンガス。2020年東京五輪・パラリンピックでの実用化を目指している。
 点火式では陸上男子ハンマー投げの室伏広治選手(41)が駆け付け、地元の子どもらと聖火台を磨き上げた。石巻市の小学6年棚木萌心さん(12)は「感動した。オリンピックでも同じガスが使われたらいいな」と話した。


仮設住宅解消、震災10年後以降
2016年3月6日(日)17時7分配信 共同通信

133
 宮城県女川町の町民野球場に造られた仮設住宅。今も多くの被災者が暮らしている=4日(小型無人機から)

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県で、プレハブ仮設住宅から被災者が全員退去する時期は早くても震災10年後の2021年3月の見通しであることが6日、仮設を管理する各市町村への取材で分かった。高台移転先の整備の遅れや原発事故避難の長期化が原因。仮設解消を見通せない、または不明とした自治体が全体の4割近くあり、退去時期がさらに長引く恐れもある。

 5年で解消した阪神大震災を上回り、災害被害者の仮設住まいの期間としては異例の長さ。国が「復興五輪」と位置付ける20年夏の東京五輪・パラリンピックを一部被災者は仮設で迎えることになる。


【3・11から5年】「絆診療所」遠藤清次院長<後編>最後の仮設なくなるまで“みんなの集会所”
スポーツ報知 3月6日(日)13時2分配信

 福島県南相馬市鹿島区にある「絆診療所」の院長・遠藤清次さん(59)は、東京電力福島第1原発の事故により故郷への帰還が困難な高齢者たちの健康だけではなく、心の支えとなって治療を続けている。仮設住宅で暮らす人たちにとって最も大切なのは、診療所の名前と同じ「絆」。遠藤さんは、診療所の存在が、絆の結び目となることを願っている。(取材、構成・高柳 哲人)

 診療所に来る患者さんをみる時は、「体の健康」だけではなく「心の健康」もワンセットです。治療は患者さんの話を聞き、その人の“背景”から、どんな問題があるかを見つけ出す。それをどう解決できるかを一緒に考えます。その意味では「よろず相談所」。病気によって、入院などが必要であれば近くの大きな病院を紹介する。診療所はあくまで、「かかりつけ」的な位置なので。

 以前の病院では、私は外科が専門。現在は専門医が重んじられる傾向があり、それは医療の一面として重要ですが、この診療所のように総合医療が必要な場所もある。医療とは人と人のつながり。「絆診療所」という名前も、そこから決めました。絆こそが、人生に大切なものだと思うようになりました。若い医師にも、それを学んでほしいと思います。以前は、福島大の医学部の学生がうちの診療所を見に来たことがありますが、もし「研修してみたい」という人がいたら、大歓迎です(笑い)。

 今は、毎日、「診療所をやって良かった」と感じています。空いている時間には仮設住宅にも往診に行きますし、26か所の集会所を回って住民の相談にも乗ります。そこで「今日は楽しかった」という言葉を聞くと、とりわけ「良かった」と感じますね。

 残念ながら、故郷に帰れずに亡くなられる方もいます。市内の病院で最期を迎えたので、みとることができませんでしたが、後から聞くと「仮設で死にたくない」とずっと口にしていた人がいたそうです。また「このまま戻れないで、ここで死ぬのかな…」とつぶやく患者さんもいます。実際、仮設では高齢者の1人、もしくは2人暮らしがほとんど。何かの理由で寝込むことになってしまったら、亡くなってしまう人もたくさんいるでしょう。

 その人たちは、原発事故さえなかったら避難前の家で他の家族と一緒に住んでいたはずですが、今はその家族はいない。とはいえ、何でも他人頼りで「誰かどうにかしてくれ」は、仮設住宅では通用しません。ただ、助けは必要になってくるでしょう。つまり、「自助」と「共助」がうまく機能していかないといけない。原発事故は「つながりが切れた事故」。だから、新たな場所で新たなつながりを作り、孤独死を防ぐ。それも復興だと思っています。

 その思いも込め、待合室は診療所に似合わないくらいの広さ(椅子を並べて最大約100人を収容)にしました。「みんなが集まれる場所」にしたかった。壁を白くし、スライドを映せるようにし「健康教室」などを行っています。多い時には70人ほど集まります。

 震災から間もなく5年。阪神淡路大震災では5年で仮設住宅がなくなったそうですが、ここは10年かかるとも言われています。市は4月の避難指示解除に向けて準備を始めましたが、診療所には最後の仮設がなくなるまで、みんなが集まってほしい。もし、散り散りになってしまっても、診療所を“集会所”として語らえる場所にしてほしい。そんな思いを持っています。


震災孤児、遺児1782人に=26都道府県と海外に居住―自立は18人・厚労省調査
時事通信 3月6日(日)12時34分配信

 東日本大震災で両親を失った孤児(震災当時18歳未満)は244人、親が1人になった遺児(同)は1538人で、計1782人に上ることが厚生労働省の調査で分かった。
 2015年9月時点でまとめた。避難生活を続ける中で体調が悪化するなどして親が死亡した震災関連死のケースを含んでおり、震災翌年の12年9月時点に比べ、孤児が3人、遺児が56人増えている。
 孤児244人のうち214人は親族と同居しているが、児童養護施設に入所している児童が岩手、宮城の両県で計5人いる。孤児の養育者は12年調査と比べ、祖父母が養育している子が3人増え91人になった。一方、おじ、おばが養育する子は16人減り72人になった。厚労省の担当者は「自立が12年時点より10人増えて18人になっており、震災から年月がたって独り立ちする子が増えている」と話している。
 15年の調査によると、孤児、遺児の年齢は3~6歳が122人▽7~12歳が401人▽13~15歳が309人▽16~17歳が263人▽18歳以上が687人で、義務教育に当たる15歳以下の子どもがまだ832人いる。孤児、遺児は宮城(974人)、岩手(501人)、福島(136人)を中心に、東京(32人)、神奈川(25人)など26都道府県と海外(2人)に居住している。


福島第1、廃炉に遅れも=「40年ありきでない」―林経産相
時事通信 3月6日(日)11時53分配信

 林幹雄経済産業相は6日、NHKの討論番組で、30~40年後を目指す東京電力福島第1原発の廃炉措置の終了時期に関し「40年ありきではなく、それに向かって最大限努力するということだ」と述べ、廃炉の完了が遅れる可能性があるとの認識を示した。
 廃炉作業については「安全安心が大前提となる」と述べ、慎重に進めていく考えを明らかにした。


震災5年を前に被災地で追悼行事
2016年3月6日(日)11時48分配信 共同通信

 東日本大震災から11日で5年の節目を迎えるのを前に、被災地では6日、犠牲者の追悼行事が行われた。遺族や住民らは「一生忘れない」と失った大切な人への思いを込めて、祈りをささげた。

 岩手県陸前高田市では、津波で大きな被害を受けた勝木田地区の秋葉神社などが主催した慰霊祭があり、住民ら約100人が犠牲者を悼んだ。熊谷賢一実行委員長(64)は故人をしのび、「この震災によって悲しみと悔しさを味わった。この思いは一生忘れることはない」と誓った。

 地元に伝わる郷土芸能「大名行列舞い」も9年ぶりに披露された。懐かしい唄や踊りに、集まった人も笑みを浮かべた。


ソウルでの福島復興イベントの不当な中止に怒りの声が渦巻いている 韓国は科学的根拠を示せるのか?
産経新聞 3月6日(日)10時2分配信

 東京電力福島第1原発事故から5年がたつのに、いまだ福島を苦しめる事象がある。それは「風評被害」だ。特に外国からの風評が根強い。2月に韓国のソウルで予定していた東日本大震災からの復興イベントが「原発事故で放射能に汚染された食べ物を食べさせるのか」という市民団体の不当な主張により、開催当日に急遽中止になったのは象徴的だった。福島では徹底的な検査で、基準値を超える放射性物質に汚染された物は出回らない。汚染されていると主張するなら根拠を出すべきだろう。そうした「科学」を軽視する韓国の姿勢に怒りが渦巻いている。(原子力取材班)

■当たり前の暮らしを奪われた

 「福島や東北地域のPRができる絶好の機会だと考えていたので残念だ」

 福島県の内堀雅雄知事は2月に東京の日本記者クラブで記者会見しこう述べた。さらに「当たり前の暮らしを奪われている。5回目の正月も自分の家ではない。この現状をぜひ知ってほしい」と、いまだ約10万人の避難者がいる福島が抱える苦悩を訴えた。

 ソウルでは同月20、21日に日本の外務省の主催で、福島だけでなく青森県、宮城県、鹿児島県が参加した復興イベントを予定していた。外務省によると、イベントは「Explore REAL JAPAN」と題し、福島県の民芸品「おきあがりこぼし」の絵付け体験やゆるキャラによるステージパフォーマンスなどを開催する予定だった。その中に福島県の菓子や日本酒などを紹介するブースに韓国側が噛み付いたのだ。

 聯合ニュースによると、開催地となるソウル市城東区が「公の場所で、原発事故発生地の生産物の無料配布や販売は適切でない」とコメント、開催の許可を出さなかったという。

 これには、韓国の市民団体「市民放射能監視センター」の反対活動が大きく寄与している。

 この団体は「原発事故で放射能に汚染された食べ物を食べさせるのか」などと反発。環境保護を掲げる政党も「福島産の菓子で挑発する日本政府。悪い風評と臆測を広めるのはあなたたちだ」というメールを、産経新聞などに送り付けていた。「イベントを開けば、デモを行う」などの脅迫めいた要求もあったという。

■突出する韓国の悪辣な風評

 外務省によると、震災からの復興イベントは、香港や上海でも開催され盛況だったという。宮城県の村井嘉浩知事は会見で、「ソウルだけが中止となったことは大変残念だ。韓国で風評が根強く残っているということかもしれない」と失望感を示した。

 韓国は原発事故を受けて、福島を含む8県の水産物の輸入の全面禁止を継続している。中には、内陸県で水産物輸出をしていない栃木県や群馬県がリストとに含まれているという不可解な状況もある。

 禁止リストに入る栃木県は「なぜ名前が挙がったのか分からない。実害はないが、その他の作物に及ばないか、風評被害が心配だ」(農政部生産振興課)と不安視している。

 一方で、欧州連合(EU)は1月、これまで福島県産の放射性物質の検査証明書の添付を義務付けていたものを、野菜や牛肉などの畜産品のほか、柿を除く果実、そば、茶などを規制対象から外した。輸入規制が緩和されたタイでは福島県産のモモが人気で、事故後の1・9トンから輸入が倍増している。

 規制を緩和する国があるのに、なぜ韓国が規制を維持し続けるのか。

 産経新聞が入手した外交文書によると、韓国は「同地域の水産物は放射能汚染と関係なく、(韓国)国内流通が全面禁止される」という説明をしており、輸入禁止に科学的根拠が全くないことが明らかになっている。

 このため日本が昨年8月に、韓国に対して「公正な取引」を要求するため、世界貿易機関(WTO)に提訴したのは当然の成り行きだろう。

■風評払拭に懸命な地元の努力

 日本は原発事故を受け、出荷される一部食物には「世界一厳しい」と誇る放射線量の測定検査を行っている。

 コメの全量全袋検査もその一環だ。福島県内では平成24年産から、毎年約1000万袋に上るコメを一つ一つ検査している。「いつまで検査を続ければいいんだ」と農家が不満を示すものの、安全・安心を確実にするため、検査に毎年約50億円をつぎ込んでいる。結果を見ても、26年産から基準値を超したコメ(自家用を除く)はない。

 海洋モニタリングも徹底しており、基準値を超えたものを市場に流通させない体制を取っている。

 風評を払拭するために情報発信の努力も続けられている。

 外交記録によると、韓国が輸入禁止を継続する理由に、「(福島第1原発の汚染水漏れ以降)日本政府がこれまで提供した資料だけでは今後の事態を正確に予測することが難しいという(韓国)政府の判断によるものである」と記載されているからだ。

 政府は福島県の観光地に韓国人ブロガーを招いたり、在外公館で震災復興の状況を伝える写真展やドキュメンタリー映画を上映したりするなど、頭を絞っている。さらに海外向けに7つの言語で20万部のグラフィック誌を作成して、情報発信に努めている。

 福島県の内堀知事もミラノ万博やダボス会議など海外にこまめに出張し、原発事故後の県の現状を伝えてきた。

 しかし韓国だけはなかなか訴えが浸透しない。例えば、震災前に韓国から福島の温泉地やゴルフ場などに観光客が大勢訪れていたものの、事故後、福島空港とソウルを結ぶ定期便の運行が休止になった。福島はアシアナ空港に再開要請をしてきたが、いまだ理解を得られていないという。


横浜で東日本大震災追悼イベント 200人が黙とう
日刊スポーツ 3月6日(日)9時59分配信

 東日本大震災の追悼イベント「3・11を忘れない 神奈川県から被災地にエールを 横浜から2万人に黙とうを」が5日、横浜スタジアム周辺の横浜公園などで始まった。

 横浜港近くの公園では、震災発生時刻の午後2時46分、約200人が黙とう。犠牲者の冥福を祈った。横浜市港北区在住の68歳女性は「近所の人から宮城県石巻市の惨状を聞いていた。私は何もできないから、祈るだけでも」と、手を合わせた。実行委員長の三味線奏者、駒幸夫さんが黙とう終了後、鎮魂曲を演奏した。イベントは今日6日も行われる。


三陸で水揚げ復活=宮城8割、岩手7割―福島、原発事故なお壁・東日本大震災5年
時事通信 3月6日(日)9時2分配信

130
東日本大震災の津波被害から復旧し、山田湾にずらりと並ぶカキの養殖いかだ=2月25日、岩手県山田町

 東日本大震災の被害を受けた岩手、宮城両県で水産業の再生が進む。
 漁港などの施設が整備され、2015年の水揚げ量は、宮城が震災前の78%、岩手が67%まで戻ったが、売上高の回復は鈍く、販路開拓という次の課題もはっきりした。福島県では魚種を制限した操業が続き、水産復興を東京電力福島第1原発事故が阻んでいる。
 岩手、宮城両県は大震災で壊滅状態となった漁港や保冷倉庫などを順次整備。養殖業は再開希望者の施設が全て復旧した。宮城ではワカメやギンザケの生産量が震災前の水準に戻っている。
 15年の水揚げ量は宮城が25.1万トン、岩手が11.2万トンだが、前年よりもサンマなどが不漁だったため、実力はもっと上とみられる。世界有数の漁場が沖合に広がる三陸沿岸で、水産業が5年前の輝きを取り戻すまであとひと息だ。
 ところが、水揚げ量が売り上げに反映されていない実態が、東北経済産業局の調査で浮かび上がった。青森を含む4県で政府の「グループ補助金」を活用した水産・食品加工業者のうち、売上高が震災前の水準に戻ったのは25.9%と全業種で最下位。震災前の半分以下にとどまっているのは34%で、回復が遅れている。
 水産復活へ販路を広げる挑戦が続く。宮城県は東京都内で飲食店「宮城牡蠣の家(みやぎかきのや)」を期間限定で開き、殻付きカキを売り込む。殻付きは、地元での人手不足から「むき身」にする作業ができない苦境を逆手に取った格好で、産地直送の新鮮なカキを、焼きたてで味わえる。県の担当者は「カキを足掛かりに首都圏に販売ネットワークを築き、ホヤなどの販路拡大を目指す」と意気込む。
 一方、原発事故の影響を受ける福島県では主力の沿岸漁業が試験的な操業にとどまる。15年の水揚げ量は震災前の15%にすぎない。
 試験操業は12年6月に始め、対象海域を拡大。魚種も3種から72種(16年1月27日現在)に増え、県外にも出荷している。県漁業協同組合連合会の野崎哲会長は「本格操業への環境が整いつつある」と話す。原発20キロ圏内と定めた漁業自粛海域を縮小する方針だ。
 ただ、原発から汚染水が流出したときなどにこれまでも操業中断を余儀なくされており、不安定な状況に変わりはない。国内には放射能汚染に対する風評も根強く残るが、県の担当者は「放射能検査を続け、地道に安全性を訴える」と執念を見せている。


つかめ商機=農産物輸出で復興―消えぬ風評、なお狭き門・東日本大震災5年
時事通信 3月6日(日)9時2分配信

 東日本大震災の被害を受けた地域で、農産物の輸出に奮闘する人たちがいる。
 海外の日本食ブームを追い風に、東京電力福島第1原発事故後の風評被害を乗り越え、海外に販路を広げる挑戦だが、道は険しい。韓国や台湾など厳しい輸入規制を課す国・地域は今も残っている。
 「畜産をやめなければならないかと思った」。岩手県雫石町で畜産業を営む武田敏男さん(68)が5年前を振り返った。武田さんは黒毛和牛を約50頭育て、シンガポールなどにも輸出している。2010年は宮崎県で発生した伝染病の口蹄(こうてい)疫の影響を受けたが、原発事故後の逆風はその比ではなかった。餌を放射性物質の影響がないものに変えたが、価格の低迷は続いた。
 廃業も脳裏に浮かんだ武田さんを思いとどまらせたのは、畜産への情熱だ。幸いにも県内には東北で唯一の輸出向け食肉処理施設、岩手畜産流通センターがあった。放射性物質の安全確認が終わると輸出が増えた。
 4等級以上の高級部位は、和食が人気の海外で高い評価を受けた。「おいしい牛肉を食べてもらいたい」。武田さんは輸出に手応えを感じる。
 原発事故の風評被害に見舞われた福島県。国見町の果樹農家、井砂善栄さん(69)は収穫時期を分散させるため、約10品種のモモを生産する。事故後は果樹の除染に追われたが、「良いものをつくっていれば消費者が認めてくれる」との確信があった。仲間と甘くて色づきの良いモモの栽培技術の研究を重ねたかいもあり、高級モモ「あかつき」などの輸出が増えつつある。
 政府は農産物輸出を推進。15年の輸出額は4432億円と10年の約1.5倍になったが、被災地は風評との闘いが続く。福島県は全てのコメに放射性物質が含まれていないか検査するなど、安全性をアピール。タイ、マレーシア、インドネシアに新たな販路もできた。それでも14年度の輸出はモモ、リンゴ、コメなどで11トンと震災前の1割に満たない。県の担当者は「海外バイヤーが安全性を理解しても、消費者の反応を懸念して商談が成立しないことは多い」と悔しがる。主要輸出先だった香港と台湾は門戸を閉ざしたままだ。
 被災地の農業関係者は今、欧州連合(EU)の判断に希望を見いだす。EUは1月、科学的なデータに基づいて福島産を含む輸入規制を大幅に緩和した。政府は他国・地域でも日本の農産品を受け入れるよう訴えていく。


<大震災5年>ずたずたにされた 地域も家族も
毎日新聞 3月6日(日)8時30分配信

 「ずたずたにされた。地域も家族も」。東京電力福島第1原発事故で地域が崩壊したとして福島県田村市都路(みやこじ)地区の住民585人が国と東京電力を相手取り、計約64億円の損害賠償を求めた訴訟の原告団長、今泉信行さん(68)は怒りに身を震わせる。避難生活中に妻は自ら命を絶った。古里も姿を変えてしまった。原発事故を巡る全国31訴訟に加わった避難者らは1万2539人。取り戻せないと分かっていても責任を問わずにはいられない。

 ◇福島・都路地区 原発賠償の原告団長

 「山の放射線量はまだ高く、キノコや山菜採りはもうできません」。2月15日、福島地裁郡山支部。第1回口頭弁論の意見陳述に立った今泉さんの絞り出すような声が響いた。

 阿武隈山系に抱かれた都路地区は自然と気候に恵まれ、事故前は約3000人が穏やかな生活を送っていた。避難指示は解除されたが、1割以上が今も戻らない。今泉さんらは、自然との共生を通じて築き上げたコミュニティーの喪失による精神的損害の賠償として1人1000万円の慰謝料などを請求した。

 今泉さんは都路に生まれ育ち、会社勤めを終えた後、母、妻、長男夫婦、孫2人の7人暮らしだった。事故直後、一家は市内の避難所や親類宅に身を寄せた。母ミヨノさん(98)は体調を崩して2カ月後、施設に入った。

 事故4カ月後の2011年7月に市内の仮設住宅へ入居したが、隣部屋からの音漏れなどに神経をすり減らす日々。妻峰子さんは人付き合いを極端に避けるようになった。

 しばらくして今泉さんは都路の自宅に戻り、放射線量を気にしていた峰子さんも仮設住宅と自宅を行き来するようになった。今泉さんは「家にずっといても仕方ない」と12年夏に除染の仕事を始めた。

 10月末。朝はいつも通りの様子だった峰子さんが、仕事から戻ると変わり果てた姿になっていた。54歳だった。遺書はなかったが、慣れない仮設暮らしが心をむしばんだと考えている。震災関連死と認定された。

 長男夫婦と孫たちは今も仮設住宅で生活し、今泉さんは独り暮らしだ。「1人で食ってもうまくない」と夜はあまりご飯を食べず、酒を飲んで寝る。地区からは子供たちの声が消えてしまった。

 賠償金によって地域が分断されたことも気持ちを重くさせる。都路地区東部は原発20キロ圏内にあり、避難指示区域となった。14年4月に解除されたが、1割強に当たる20キロ圏内の住民には月10万円の精神的賠償が18年3月まで続く。一方、圏外は12年8月で打ち切られた。今泉さんは「20キロ圏の内外で差がありすぎる。圏内の人を見ると『あの人は賠償されている』と思い、話しかけにくい」と打ち明ける。

 担当弁護士から裁判が長期化する見通しだと伝えられた。「何年かかっても最後まで闘う」と覚悟を決めた。何度も同じ言葉が口をつく。「原発事故さえなけりゃあ、こんなことにならなかった」【金志尚】


<大震災5年>原発事故原告1万2539人 訴訟全国31件
毎日新聞 3月6日(日)8時0分配信

 東京電力福島第1原発事故の避難者らが東電や国を相手取り慰謝料など損害賠償を求める集団訴訟が、18都道府県の20地裁・支部で31件あることが、全国の弁護団への取材で分かった。原告総数は1万2539人で、請求総額は少なくとも1132億円に上る。今後も、裁判外での和解が成立せず訴訟に発展するケースが出てくるとみられる。

 地裁別の原告数は福島地裁(2支部含め9件)の7826人が最多で、東京(5件)1535人▽新潟(1件)807人▽山形(同)742人▽札幌(同)256人▽大阪(同)240人--と続く。99%(約1万2360人)は事故当時、福島県にいた住民だ。避難指示区域からの強制避難者は約3000人、自主避難者らは約9500人で、多くの訴訟で両者が混在している。慰謝料請求は1人1000万円以上のケースが多い。

 強制避難者は、不動産などへの賠償や1人月10万円の精神的賠償を東電から受け取ったが「古里や地域コミュニティーを失ったことへの賠償が考慮されていない」などと主張。自主避難者らは、東電からの賠償が1人最大72万円に過ぎないことから「低線量被ばくによる健康被害への不安があり、避難には合理的理由がある」などと訴える。

 帰還困難区域の福島県浪江町津島地区の242人は、地区の空間放射線量を事故前に戻すよう要求(福島地裁郡山支部)。同県南相馬市の808人は、局所的に線量が高い特定避難勧奨地点の指定を国が解除したことについて「まだ安全とは言えない」と取り消しを求める(東京地裁)。

 原子力損害賠償法は、過失の有無を問わず電力会社が損害を賠償すると定めるが、27件の訴訟で東電に過失があることを明確にするよう求めているのも特徴だ。うち25件は東電への国の指導・監督責任も追及する。原告らは「東電や国の責任があいまいなままでは再び同様の事故が起きかねない」と主張する。

 全国公害弁護団連絡会議によると、原告数が1万人を超えたのは、2011年に米空軍嘉手納基地(沖縄県)の周辺住民約2万2000人が国に騒音被害を訴えた訴訟があるが、提訴先は那覇地裁沖縄支部のみだった。全国規模の集団訴訟では、整腸剤キノホルムによる薬害スモン患者が1971年以降、国と製薬会社に損害賠償を求め33地裁に提訴し、79年に国・製薬会社と和解確認書に調印した。厚生労働省によると、和解した原告は約6500人だった。【土江洋範】


震災孤児・遺児の高齢親族里親に支援金 年50万円 手当なく困窮
産経新聞 3月6日(日)7時55分配信

 東日本大震災で親を失った子供を養育し、収入源を年金に頼る高齢の「親族里親」に対し、全国里親会(東京都港区)が平成28年度から年間50万円程度の支援金の支給を検討していることが5日、関係者への取材で分かった。3月下旬の理事会で正式決定される見通し。親族里親は里親手当の支給対象外だが、生活苦の相談が絶えない高齢世帯に絞って異例の支援に乗り出すことにした。

 全国里親会が支援を検討しているのは、震災で親を亡くした子供の引き取り先のうち18歳未満の子供を育てながら年金で生活を支える高齢の親族里親35世帯。

 厚生労働省によると、里親には自治体から学費や給食費のほか、毎月5万円前後の生活費や毎月7万円以上の里親手当も支給される。ただ、祖父母などの親族里親の場合、民法上の養育義務があり、里親手当は支給されない。

 全国里親会によると、東日本大震災の孤児は他の子供に比べ、親族が引き取る割合が多い。里親同士の意見交換会でも高齢の親族里親から「成長に伴う教育費増に収入が伴わない」などの相談が相次いでいた。財源には、震災後間もなく、震災孤児、遺児への支援を目的に設立した「子ども救援基金」に集まった寄付金約5千万円を充てる。高齢の里親で、里親手当の対象となっている「養育里親」も9世帯あることから、支援対象を広げる案も検討されている。

 全国里親会の清水啓司事務局長は「里親家庭のニーズに合った支援を行っていきたい」と話している。


再訪 震災5年 三陸南部 東海新報記者の鈴木英里さん(36)
産経新聞 3月6日(日)7時55分配信

 ■「後世の地域の光明になるかも」

 昨秋、担当エリアに住む70代の女性から「取材してほしい」と連絡を受けた。以前、女性の親戚を取材したことがある。軽い気持ちで自宅を訪れると、女性は重い口を開いた。「私、行方不明の夫の死亡届をまだ出していないんです」

 言葉を詰まらせながら、東日本大震災の津波にのまれて不明のままの夫への思いを吐き出す女性。取材して記事にするのが仕事なのに、こう口にしていた。

 「取材はやめましょう。記事にすると、あなたの傷がえぐられてしまうかもしれないから」

 岩手県・三陸南部の地方紙「東海新報」の記者、鈴木英里(えり)さん(36)は今、陸前高田市の「町ネタ担当」だ。大震災から1カ月後、取材を続ける鈴木さんを産経新聞で紹介した。

 「あのときほど新聞を出す意味を感じたことはなかった。私たちが耳になり目になって状況を知らせないと、困る人たちがいっぱいいたから」

 社員で手分けして避難所に新聞を届けると、扉の前で待ち構えていた避難者が、掲示された新聞を食い入るように見る。「こんなにも読まれていたのか」。作り手の先にいる読み手が初めて見えた。

                 ■ ■ ■

 会社はこのとき、大きな危機に直面していた。震災から2週間がたったころ、父の鈴木英彦社長(73)が社員を集めて言った。「給料が少ししか出せない。他に当てがある人は辞めて構わない」

 1万7千部あった発行部数は半減。広告を出していた地元企業の多くも被災した。社の屋台骨が揺らいだ。昭和35年のチリ地震津波を体験した創業者の祖父、鈴木正雄が高台に建てた社屋は無事だったが、社員1人を失い、家族を亡くした社員もいた。

 しかし、震災から少したつと「店舗再開のお知らせ」などの広告が入り始めた。部数も徐々に戻り、社員はほぼ全員が残った。

 経営危機は乗り切ったが紙面づくりでは悩んだ。当初は住民の安否や生活情報を伝えることで役割を果たせたが、生活再建の段階になると課題を発掘しなくてはならない。被災者に話を聞くことをためらい、「何を取材すべきか迷った」。

 読者から「頼まれて取材したような記事が多いね」と指摘され、ガツンと衝撃を受けた。地域を狭く深く取り上げるのが地方紙だ。「再建に必要な情報を取り上げると同時に、声なき声を丁寧に拾おうというスタンスに立ち返りました」

                 ■ ■ ■

 震災後に始めた連載「けせんの詩(うた)」は、地元の人も知らない発行エリアの「気仙地域」の何げない光景を写真で紹介。「地元の人にこそ、こんないいところに住んでいるんだと知らせたい。私たちは地域のアーカイブ(記録保管所)。郷土芸能や文化を記録として残しておけば、後世の地域の光明になるかもしれない」

 悩んだ末、鈴木さんは夫の死亡届を出せない女性に再び会った。「記事にしてもらって大丈夫」と背中を押され、夫への思いを語る記事が昨年11月3日付の紙面に載った。夫婦の50回目の結婚記念日だった。

 取材対象者、読者、記者が近い地方紙だからこそ、どこまで書くべきか悩む。悩みながらも、思う。「東海新報は地域の人に生かされている。地域の人のために生きている」(道丸摩耶)


「福島から水素社会を」 首相、被災地視察し新エネ会議の設置表明
産経新聞 3月6日(日)7時55分配信

 安倍晋三首相は5日、東日本大震災の被災地視察で福島県を訪れ、エネルギー産業を育成するため「福島新エネ社会構想実現会議」を今月末に設置することを表明した。視察先の楢葉町で記者団の質問に答えた。

 同会議は国や県、民間企業などで構成。水素社会の実現に向け、平成32年までに福島で、燃料電池自動車1万台分の水素を再生可能エネルギーから作り出すことを目指す。首相は「福島を未来の水素社会を開く先駆けの地としたい」と強調した。夏頃に具体的な計画を策定する。

 首相はこのほか、東京電力福島第1原発事故などの影響で一部区間の不通が続くJR常磐線について、全線開通の時期を早急に示すよう石井啓一国土交通相に指示したことを明らかにした。経済活性化の足かせとなる常磐自動車道の渋滞解消のため、一部を4車線化する具体策の取りまとめに着手することも表明した。


首相の被災地訪問は28回目 自立を支援
産経新聞 3月6日(日)7時55分配信

 安倍晋三首相の東日本大震災の被災3県への訪問は、第2次安倍政権発足から5日の福島県入りで28回目になる。復興を政権の最重要課題に掲げる首相は、毎月のように被災地を訪れ、復旧・復興の加速と地域経済の自立を後押ししてきた。11日には5年を迎えるが、避難住民の帰還や除染など復興の課題も山積している。

 「食べると非常にリッチな感じでおいしい」

 青いジャンパーを着込んだ首相は5日、原発事故で避難を余儀なくされた酪農家への支援策として福島市内に整備された共同利用牧場を視察。牧場の原乳で作られたヨーグルトを食べて笑顔を見せた。酪農家らに「皆さんの成功が東北の未来につながっていく。しっかりと復興を進めていきたい」とも語りかけ、復興促進を約束した。

 首相は平成24年12月に政権復帰を果たすと、初の被災地視察先として福島第1原発を選んだ。その後も甚大な津波被害を受けた宮城県石巻市や岩手県陸前高田市などを精力的に回り、自身の目で課題を把握することで、生活支援やインフラ整備などの復興政策に反映させてきた。

 27年に入ると、完成した高速道路や災害公営住宅などにも足を運び、地域の住民と言葉を交わした。また、地域経済の牽引(けんいん)役となる中小企業の生産再開を重視。毎回のように水産物や果物などをカメラの前で試食し購入した。「自ら宣伝マンになる」(首相周辺)ことで、地元産業の再生と自立を促す狙いがある。

 しかし、被災地には過疎や高齢化などの要因も重なり、復旧すらおぼつかない地域もある。原発事故後に放射線量が高く、立ち入り禁止となった「帰還困難区域」だ。約2万4千人の避難者が区域外で生活を続けている。

 政府は29年3月までに「居住制限区域(避難者数約2万3千人)」「避難指示解除準備区域(同約2万4千人)」の避難指示解除を目指すが、帰還困難区域の見通しは立たない。自民、公明両党は4日、今夏までに帰還困難区域の将来見通しを示すよう要請、首相は「分かった」と応じた。

 自治体が受け入れに消極的な放射性廃棄物の最終処分場の整備問題も政府にとって大きな課題だ。首相は被災地訪問を続けながら解決の方途を探ることになる。(千田恒弥、小野晋史)


宮城・南三陸町のワカメ漁に密着「笑わねば前に進めないよ」
スポニチアネックス 3月6日(日)7時1分配信

 1万5000人以上が亡くなった2011年3月11日の東日本大震災から、間もなく5年を迎える。岩手、宮城、福島の3県を中心に、地震と津波で壊滅的な被害が出た。5年が経過し、大量のがれきは消え、土地の整備が進む。震災の記憶は、このまま風化していくのか――。11日まで「忘れない」をテーマに、被災者の思いと被災地の現状を伝える。初回の5日、宮城県南三陸町沖で最盛期を迎えたワカメ漁に記者が同行した。

 5日午前5時半すぎ、船は南三陸町の東部に延びる歌津半島にある稲渕漁港から出港した。ワカメの養殖施設まで約20分。外洋に出ると、船長の千葉悠司さん(30)は「最高の天気だ」と空を見上げた。風はなく、日の出にきらめく波は穏やかだった。荒波のイメージが強い三陸の海にとっては、年に数回あるかないかの天候だった。

 養殖施設へ到着し、海面に浮かぶロープを引き上げる。つり下げられたワカメは2メートル級。カーテンのようにびっしり横に並んでいる。三陸の荒波にもまれたからこそ、特に肉厚で国内屈指の高品質のワカメが育つ。千葉さんは、父の初さん(59)らと鎌で刈り取っていった。2時間弱で約700キロを収穫した。

 千葉さんは、歌津に根付く漁師の5代目。5年前のあの日、海まで約50メートルほどしか離れていない自宅前の作業場にいた時、地震が発生した。「船は沖へ、人は高台へ」。幼少時から大きな地震が来るたびに教わってきた行動を実践。高台から家が津波にのまれたのを見た。

 幸い船が残ったため、8カ月後に、津波で壊れたワカメの養殖場を再建する作業を始めた。ワカメのほかにホタテやホヤの養殖などもしているが、今でも「原発事故の風評被害はまだある」と嘆く。宮城県の放射能測定結果では、歌津沖のワカメから放射性物質は検出されていない。それでも、大口の取引先だった教育機関が、鳴門産ワカメに切り替えたり、ホヤの主要輸出先だった韓国が輸入を停止した。

 今も仮設住宅で一家4人で暮らす。震災後に生まれた長男(3)にとって4畳半2間が自分の家。「息子が気の毒で。早く広い家を見せてやりてえ」。新たに買った土地を整備し、新居を建てる予定だ。ただ土地の購入代などで、本来は必要のないローンを背負うことにもなった。

 ワカメの種苗は宮城県塩釜市などから買っているが、今後は歌津の海で種苗から育てた純歌津産ワカメの養殖に取り組む意向。歌津ワカメのDNAを持つ種苗から育てれば、より高品質なワカメが育つからだ。「海で食わせてもらってるからね。海に出るのは怖くない」と朴とつと語った。

 同じ稲渕漁港で家族を失ったワカメ漁師もいる。千葉仁志さん(37)は町職員で近隣に嫁いだ姉の小野寺光子さん(当時35)が津波にのまれた。しっかり者で慕っていた姉だった。

 「作業する時は笑うようにしてるんだよ。とにかく明るい安村のマネをしたりさ。笑わねば前に進めないよ」と語調を強めた。

 震災後間もなく父と海に出て、網を仕掛けて引き上げた。「爪のひとかけらでも見つけたかった。帰ってこないことも分かってる。嘆いてばかりいられない」

 11日を前にあの日の記憶を思い出す。「寒くてもつらくても、残された家族を守っていかなきゃならねえから漁に出る。3月が過ぎたらパリッと気持ちが切り替わるんだ。俺たちはここで死んでられない」

 生活の糧を育んだ荒波があの日、全てをのみ込んだ。海の恵みと恐ろしさを、三陸の海の上で垣間見た。

 ≪水産業回復の兆しも漁業者は減る一方≫回復の兆しを見せる岩手、宮城両県の水産業だが、漁業者の数は震災後、減少する一方だ。三陸の各地では若い漁師を増やすため、さまざまな取り組みが始まっている。岩手県は今年1月、陸前高田市で漁業体験講座を開き、首都圏の若者10人を呼び込んだ。宮城県石巻市は空き家を改修し、今春から漁業の新規就業者向けにシェアハウスとして提供する。宮城県水産業振興課は「生産物の品質向上で所得を増やし、若い人が参入しやすい環境をつくりたい」としている。

 ≪戻りつつある水揚げ高≫津波で大きな被害に遭った岩手、宮城両県の漁業は漁港や施設の復旧が進み、水揚げ高は震災前の約76%まで戻った。両県によると、震災があった2011年の水揚げ高は2県合計で約19万トンと、10年に比べ約40%の水準に落ち込んだ。宮城県漁協が販売した主要5品目の14年度の売上高は計約158億円と、10年度比で約85%まで回復。特に銀ザケの販売は震災前を上回るなど好調だ。岩手県漁連でも養殖のワカメやホタテを含む主要5品目の14年度売上高は計約71億円と、10年度比で約70%まで戻った。

 ≪釣り船の船頭としても活躍≫千葉悠司さんは、漁に余裕があるときは歌津の釣り船「清重丸」の船頭として働くこともある。22歳まで東京のパチンコチェーン店や飲食店などの接客で磨いた話術で人気が高い。船長の小山清孝さん(59)は「真面目で青年の見本のような男。釣りのお客さんから“悠司くんでよろしく”ってよく指名がかかる」と太鼓判を押した。


被災地子どもテーマに意見交換=事故から5年、福島考える・名古屋
時事通信 3月5日(土)22時24分配信

 東日本大震災から5年になるのを前に、福島県が抱える課題を考えるシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで」が5日、名古屋市東区の愛知大学で開かれた。
 福島大学と同大うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)が主催し、市民ら約150人が参加。被災地の子どもたちをテーマなどに意見を交わした。
 FUREの本多環特任教授は、友達と過ごす場所や時間を奪われた子どもたちには、「たくさんの人とつながり合う社会を作ることが必要」と話した。支援事業に参加した当初、暴言を吐き暴力を振るう子どもの姿を目撃したことがあり、避難生活による急激な環境変化に困り果てているのだと、切なく感じたという。
 福島県相馬市出身のシンガー・ソングライター堀下さゆりさんは、同市の小学生と曲作りに取り組んだ体験を紹介。屋内でマスクをしたままの子や声が小さかった子も、徐々に一緒に合唱するようになったといい、「音楽はうまくなくていい。人とハーモニーを響かせることが生きるということだから」とメッセージを送った。


「人命最優先の防災体制を」=津波訴訟原告遺族ら討論・仙台
時事通信 3月5日(土)21時46分配信

 東日本大震災の犠牲者をめぐる5件の津波訴訟の原告遺族らが仙台市青葉区で5日、企業や学校などにおける防災の在り方を考えるフォーラムを開いた。
 震災から5年を迎えるのを前に、参加した遺族は「人命が最優先となる防災体制を整えて」と訴えた。
 学校や保育施設、事業所などの組織管理下での犠牲者の遺族が連携を深めるため、今後も開催する方針。
 フォーラムは七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の被災者家族会の主催。同県石巻市の市立大川小学校と私立日和幼稚園、同県山元町の町立東保育所と常磐山元自動車学校をめぐる訴訟の原告遺族らが参加した。
 女川支店で長男健太さん=当時(25)=を失い、訴訟の原告だった田村弘美さん(53)は「裁判を機に企業の責任はどこまで果たされるべきか明らかにすべきだ」と指摘した。
 日和幼稚園の送迎バスで長女愛梨ちゃん=同(6)=を亡くした佐藤美香さん(41)は「子どもたちは先生の指示で行動する。命をどう守るかという意識を持って」と強調した。


<安倍首相>福島で水素発電実証実験…「新エネ会議」設置へ
毎日新聞 3月5日(土)21時12分配信

129
JR常磐線の小高駅で地元の高校生と話す安倍首相=福島県南相馬市の小高駅で2016年3月5日(代表撮影)

 安倍晋三首相は5日、視察先の福島県楢葉町で、原子力に代わる新エネルギー開発を議論する「福島新エネ社会構想実現会議」を今月末に設置すると表明した。福島県内で二酸化炭素を出さない水素発電などの実証実験を進める。

 2020年の東京五輪・パラリンピックで、東京電力福島第1原発事故からの復興と新エネルギーの普及をアピールする。再生可能エネルギーから燃料電池車1万台分に相当する水素を作り、東京などに輸送するシステム構築を目指す。

 首相はまた、政府が20年春までに全面開通を目指すJR常磐線について「開通時期を早急に示すよう国土交通相に指示した」と語った。JR東日本は不通区間を17年末までに再開する方針だが、福島第1原発に近い富岡-浪江間の開通のめどが立っていない。【加藤明子】


<震災フォーラム>人命最優先の行動を…津波裁判原告遺族ら
毎日新聞 3月5日(土)20時43分配信

 東日本大震災の津波で犠牲となった家族の勤務先や行政を相手取った5件の津波裁判の原告遺族らが5日、仙台市に集まり、震災の教訓を語り合うフォーラムを開いた。そろって公開の場で討論するのは初めてで、「企業や組織は人命を最優先に行動してほしい」などと組織防災の必要性を訴えた。

 フォーラムは七十七銀行女川支店(宮城県女川町)訴訟=最高裁で敗訴確定=の原告の呼び掛けで実現した。行員だった長男健太さん(当時25歳)を亡くした田村孝行さん(55)は「連携して大切な命について語り続け、有事が起きた際の企業や組織の仕組みづくりを訴えていきたい」と話した。

 同県山元町立東保育所で長男将宏君(当時6歳)を亡くした鈴木あけみさん(50)は提訴した理由を「お金のためではなく、町に謝罪して本当のことを語ってほしかったから。最高裁で門前払いになったが、上告せずに後悔するよりは良かった」と説明。同県石巻市の日和(ひより)幼稚園訴訟で和解に応じた西城靖之(やすし)さん(47)は「絞り込まれた争点だけ争う裁判の仕組みに限界を感じた。どうしたら子どもの命を守れるかを模索しながら、国や自治体に働きかけていきたい」と語った。

 係争中の石巻市立大川小学校訴訟、常磐山元自動車学校(山元町)訴訟の原告遺族も参加した。【伊藤直孝、近藤綾加】


南相馬でキャンドルナイト=震災5年を前に犠牲者追悼―福島
時事通信 3月5日(土)20時3分配信

 東日本大震災から5年を迎えるのを前に、東京電力福島第1原発事故の影響で一部に避難指示が出ている福島県南相馬市で5日、県主催で犠牲者を悼む「キャンドルナイト『希望のあかり』」が行われた。
 約600人が参加し、幻想的な雰囲気の中、津波災害や原発事故の犠牲者の冥福を祈った。
 南相馬市原町区にある会場では午後5時ごろ、参加者らがキャンドルホルダーの中に入ったろうそく約1000本をともし始めた。ホルダーからは「震災を忘れない」などとつづられたメッセージが浮かび上がった。
 原町区の会社員石川芙美香さん(26)は津波で亡くなった友人の追悼と、復興に向けた祈りをささげるために会場を訪れた。寒空の下、ろうそくを見つめ「明るい未来が訪れる地域にしていければ」と願った。


<がんばっぺ福島!>復興願う「応援の集い」…東京で開催
毎日新聞 3月5日(土)19時50分配信

 福島県の復興を願う「がんばっぺ福島!応援の集い」(毎日新聞社、無洲主催、復興庁、東京都、福島県、同県酒造組合後援)が5日、東京都江東区有明3の東京ビッグサイトで開かれた。同県にゆかりのあるアーティストらが出演するパーティーで、県人会員や復興を支援する企業、関係者ら約600人が同県産の食材による和食と日本酒に舌鼓を打った。

 集いでは、同県の鈴木正晃副知事が「ふくしまの“今”」と題して基調講演し、「福島に来て、見て、感じてほしい」と訴えた。終演前には、内堀雅雄知事が駆けつけ、「未来に向かってしっかりと挑戦を続け、(農産品のブランド)『ふくしまプライド。』をとりもどしたい」と決意表明した。最後は会場の参加者全員が福島への思いを込め、中島みゆきさんのヒット曲「時代」を歌った。【藤田裕伸】


被災地の小中学生1割減
2016年3月5日(土)19時12分配信 共同通信

128
 少子化で減っていた児童数が、震災後さらに少なくなった宮城県東松島市の宮戸小の閉校式。春から市内の小学校と統合する=2月20日

 東日本大震災で大きな被害があった岩手、宮城、福島3県内の42市町村で、小中学生が震災前から約2万5千人減少したことが5日、各教育委員会への取材で分かった。12・2%の減少で、全国の小中学生の減少率5・2%を大きく上回る。もともと少子化の進んでいた地域に震災が追い打ちをかけた格好。被災地では学校の統廃合などが一層迫られ、復興の次世代の担い手が不足する懸念が強まっている。

 42市町村は、津波被害に遭った沿岸部と東京電力福島第1原発事故の避難区域となった自治体。2010年度~15年度の5月1日時点の公立小中学校の生徒数を集計した。


首相「福島を水素エネ開発拠点に」…五輪で活用
読売新聞 3月5日(土)19時12分配信

 安倍首相は5日、福島県を水素エネルギーの技術開発拠点とする「福島新エネ社会構想」を発表した。

 風力発電などで燃料電池車1万台の年間使用量に相当する水素を毎年製造できるよう、2020年までに体制を整える。福島で製造した水素は20年東京五輪・パラリンピックでも活用する。福島県や電力会社も加えた官民合同の構想会議を月内に設置し、具体的な計画づくりに入る。

 構想では、同県内の風力発電所などから1万キロ・ワット級の再生可能エネルギーを集め、水を電気分解して水素を製造する。液化水素の効率的な輸送技術なども開発し、東京五輪で選手らを輸送する燃料電池車に水素を充填(じゅうてん)したり、選手村施設の電気エネルギーとして活用したりする。

 水素は燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出しない。しかし、水素の製造過程では現在、石油などの化石燃料が使われることが多く、CO2が排出される。風力など再生可能エネルギーで水を電気分解すれば、CO2削減につながる。

« 東日本大震災・原発事故関連のニュース・2096 | トップページ | 三笠宮彬子殿下ご出席のスキー大会で破裂音 札幌 »

ニュース」カテゴリの記事

災害」カテゴリの記事

社会・事件」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/566606/63306635

この記事へのトラックバック一覧です: 東日本大震災・原発事故関連のニュース・2097:

« 東日本大震災・原発事故関連のニュース・2096 | トップページ | 三笠宮彬子殿下ご出席のスキー大会で破裂音 札幌 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30