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2016年3月 2日 (水)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2095

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:鉄路全線開通こそが本当の復興 三陸の海を車窓から - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:気仙沼線沿線では代替バス継続の声「高速バス便利」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大船渡線も代替バス受け入れ 高額費用に復旧断念 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<復興住宅>被災前の集落維持 孤独死防止ヘ自治体模索 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<復興住宅>孤独死11人…1年間 交流支援が課題 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:学びの環境厳しく=統廃合で校舎手狭に―2学年一緒のクラスも・大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:51校が仮設で授業=小中、校舎復旧遅れ―原発避難で休校も・被災3県・大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:再訪・震災5年 「スケート頑張ってるよ」岩手県陸前高田市・父親を亡くした三嶋萌さん(17) - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:規制委調査団「志賀原発に活断層」 1号機直下、再稼働困難に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島第1 凍土壁、月内にも海側凍結開始へ 規制委検討会が了承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:与党震災メッセージ概要判明 帰還困難区域、夏までに見通し - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「町は終わり」「ない方が安心」=廃炉可能性で住民―石川・志賀 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<常磐線>復旧「20年春」 放射線量の数値低下、着工めど - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:北陸電「納得できない」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国民が納得できる議論に=志賀原発「活断層」問題―谷本石川知事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜4号機、機器異常なし=営業運転遅れる見通し―関電 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:自主避難原告が控訴=東電への賠償訴訟 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年 グーグル、被災地のストリートビューを更新 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:凍土壁計画、事実上了承=緊急時対応強化など条件―福島第1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:JR常磐線、2020年全線復旧…首相表明へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:志賀1号機「活断層と解釈」=原子炉建屋下、廃炉の可能性―規制委調査団 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<志賀原発>脱原発派「再稼働諦めて」 直下に活断層判断 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:凍土壁 月内にも凍結開始へ 規制委検討会が大筋了承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<志賀原発>「直下に活断層」合理的解釈 1号機廃炉強まる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「やっぱり苦しいな」原発事故で壊れた家族。ひとり暮らす父の思い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災5年>悲劇の庁舎 囲む盛り土 宮城・南三陸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年 地域医療担う公立病院 南三陸で唯一本格再開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:スマトラ沖でM7.8 地元当局者「死者情報なし」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地首長アンケート アベノミクス肯定増 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地首長アンケート 6割が「人口対策」重視 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:県外避難の子ども1万人 - 速報:@niftyニュース.
リンク:石巻の仮設住宅向け新聞廃刊、支援のあり方議論 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:インドネシア沖M7・8の地震、津波警報は解除 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:米英型の上限導入、見送りの公算=原子力賠償制度―有識者会議 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

鉄路全線開通こそが本当の復興 三陸の海を車窓から
日刊スポーツ 3月4日(金)10時6分配信

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気仙沼線柳津駅に停車中の列車。中央奥の気仙沼方面が運休中(撮影・柴田寛人)

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:被災鉄道の今>

 東日本大震災で運休した鉄道の9割は復旧したが、宮城・気仙沼駅で接する沿岸のJR2線、気仙沼線と大船渡線の一部は、BRT(バス高速輸送システム)による代替運行が続いている。両線とも地元の度重なる請願で全線開通し、特に気仙沼線は悲願80年を実らせたことで知られる。2009年に「鉄路」と題した演劇の脚本を担当し、気仙沼線開通を描いた佐藤和文さん(65=気仙沼市本吉町在住)に、鉄道復旧への思いを聞いた。

 先月6日、本吉町内で行われた教養講座に佐藤さんは招かれ、顧問を務める地元劇団「おのずがだ劇団MOO(モー)」の歩みを語った。「鉄路」の公演を覚えている受講者から「また『鉄路』をやって」と頼まれ「鉄道がBRTに変わっている今、再演すればインパクトがあるはずだ」。決意を新たにした。

 町民有志でつくる同劇団は09年7月、第9回公演「鉄路-悲願の気仙沼線開通-」を開催した。戦前から戦後にかけ、鉄道建設のために奮闘した地域住民を描いた。公演開催当時も鉄道の利用者は減少傾向。地域の発展に鉄道が貢献したことを再認識してもらうことが狙いだった。佐藤さんは脚本を担当。先人たちへの感謝の思いを筆に込めた。

 「明治29年と昭和8年に三陸地震が起きて、沿岸は2度も津波で流された。三陸復興の夢をかけて、どれほど鉄道を切望したか、史実に基づいて脚本を書いた。まさか公演の2年後、震災で津波が来るとは」。今年7月、約3年ぶりの第12回公演を予定。「鉄路」の再演を視野に入れている。「鉄道への思いを新たな脚本で描きたい。鉄路こそ本当の復興。気仙沼線沿線の首長3人にも公演を見てほしい」と力を込めた。

 BRTで仮復旧しているJR2線の一部は、鉄道敷地をバス専用道にする工事が着々と進む。再度レールを敷き直し、震災前の赤字路線を復活させるのは難しい。JR東日本は昨年7月、2線の沿線自治体にBRTを将来的にも継続させることを提案。気仙沼線沿線の登米市と南三陸町は受け入れ、気仙沼市もJRの観光振興策を条件に同意する見込みだ。

 気仙沼市議を11年まで務めた佐藤さんは「気仙沼線を使ってどう町づくりをするか、その議論が足りない」と訴える。「沿線には海水浴場や桜の名所など、観光地がたくさんある。仙台から鉄道で観光客を大量輸送すれば、黒字化できる。列車の窓から三陸の海を見た時のワクワクした気持ちを、また味わってもらいたい」。鉄路復旧を求める住民の集会は、沿線各地で続いている。【柴田寛人】

<気仙沼線の歴史>

1896年(明29)三陸大津波で約2万2000人が死亡、三陸沿岸を結ぶ鉄道の構想が浮上

1922年(大11)鉄道敷設法で気仙沼-前谷地間を規定

1933年(昭8)三陸大津波で約3000人が死亡

1939年(同14)気仙沼-陸前階上(はしかみ)間着工

1943年(同18)太平洋戦争で工事中止

1953年(同28)気仙沼-本吉間工事再開

1957年(同32)気仙沼-本吉間開業

1964年(同39)前谷地-柳津間着工

1968年(同43)柳津-志津川間着工、前谷地-柳津間開業(当時の名称は柳津線)

1970年(同45)志津川-本吉間着工

1977年(同52)気仙沼-前谷地間で全線開通

1980年(同55)国鉄再建法でローカル線の建設中断、気仙沼線は旧国鉄最後の全線開通になる

1987年(同62)JR東日本へ移管

1988年(同63)気仙沼-仙台間で快速「南三陸」運転開始

1999年(平11)仙台-八戸間の夏季臨時快速「リアス・シーライナー」運転開始

2011年(同23)東日本大震災で津波を浴び、全線不通、前谷地-柳津間は4月に運転再開

2012年(同24)柳津-気仙沼間でBRT運行開始

※左から西暦(和暦)出来事


気仙沼線沿線では代替バス継続の声「高速バス便利」
日刊スポーツ 3月4日(金)10時6分配信

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気仙沼線BRTの本吉駅周辺。気仙沼方面に延びるバス専用道は、鉄道敷地だった

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:被災鉄道の今>

 東日本大震災で運休した鉄道の9割は復旧したが、宮城・気仙沼駅で接する沿岸のJR2線、気仙沼線と大船渡線の一部は、BRT(バス高速輸送システム)による代替運行が続いている。両線とも地元の度重なる請願で全線開通し、特に気仙沼線は悲願80年を実らせたことで知られる。

 気仙沼線沿線の住民には、BRT移行に理解を示す声が多かった。柳津駅の待合室にいた65歳女性は「今は老人も車を運転するし、少子化で高校生も減ったから、鉄道に乗る人は少ない。仙台に行く時も、高速バスが便利」と話した。歌津駅から本吉駅までBRTを利用した80歳女性は「地元のためにできた鉄道なのに、みんなが乗らないから、バスになっちゃったんだよ」と残念そうだった。


大船渡線も代替バス受け入れ 高額費用に復旧断念
日刊スポーツ 3月4日(金)10時6分配信

<あれから5年…忘れない3・11~東日本大震災~:被災鉄道の今>

 東日本大震災で運休した鉄道の9割は復旧したが、宮城・気仙沼駅で接する沿岸のJR2線、気仙沼線と大船渡線の一部は、BRT(バス高速輸送システム)による代替運行が続いている。

 1935年(昭10)に盛(さかり)-気仙沼-一ノ関間が全線開通した大船渡線でも、沿線の岩手県大船渡市と陸前高田市がBRT受け入れを決めた。BRTの利便性向上を目指すが、鉄路復旧を求める声も根強い。沿岸の交通網を考える「三陸防災社会研究会」幹事の嶋村裕司氏(50=大船渡市盛町在住)は「市域内交通として、鉄道を利用するかしないかの狭い議論に終始している。鉄道による交流人口の取り込みを考えるべき」と指摘した。

 大船渡線と気仙沼線の鉄道による復旧費用は、1100億円と見込まれる。このうち現状復旧費用は430億円で、JR東日本が負担する意向。残る670億円は線路の高台移設など、安全対策費用のため、JRは沿線自治体に負担を求めている。この高額オファーが、地元の鉄路断念の要因になったという。


<復興住宅>被災前の集落維持 孤独死防止ヘ自治体模索
毎日新聞 3月4日(金)8時35分配信

 東日本大震災の被災地で災害公営住宅(復興住宅)の入居が本格化し、阪神大震災で社会問題となった「孤独死」も16人に上る。被災地では震災前から過疎化と人口減少が進んでおり、各自治体はコミュニティー形成の模索を進めてきた。【本橋敦子、伊藤直孝】

 岩手、宮城、福島県の復興住宅(福島の原発避難者向けを除く)は1月1日現在で約1万2400戸が完成し、計画のほぼ半分が整備された。約2万3500人が暮らし、独居世帯3977人のうち2535人は65歳以上の高齢者が占める。被災地ではこのような事態をあらかじめ想定し、ハード、ソフト両面の試みも行われてきた。

 宮城県岩沼市の沿岸部の被災6集落を約3キロ内陸に移転・集約する玉浦西地区。エンジ色に塗られた幅2メートルの歩行者用道路を挟み、木造の戸建て復興住宅が、互いに玄関が向かい合う形で並ぶ。玄関を出ると、互いに顔を合わせる機会が多くなるように設計されている。ウッドデッキを設置して居間などに外から出入りできるなど、住民同士が行き来しやすいようにしている。孤立しやすいと指摘される高層の集合住宅は建設せず、隣接地区を含めた市内全210戸の復興住宅は全て戸建てと長屋にした。

 被災前の集落のコミュニティーを維持できるように、同じ集落出身者はまとまって近くの区画に住めるよう配置に工夫を凝らしている。広場に面した住宅前にはベンチを据え付けた。昨年3月から復興住宅に1人で暮らす菅原一江さん(78)は「外に出れば毎日誰かとあいさつできる環境でうれしい」と話す。玉浦西地区の復興住宅の高齢化率は市全体より10ポイント高い33%。室内の段差を極力減らしており、将来的には高齢者グループホームなどに転用することも視野に入れている。

 福島県相馬市は洗濯機や食堂を共用にした復興住宅「相馬井戸端長屋」を5棟整備し、現在は54人が「半共同生活」を送る。市の担当者は「洗濯や、食事を一緒に取ることを通じて自然に見守りや助け合いが行われるように設計した」と話す。

 同県いわき市や仙台市は親族や友人、同じ仮設住宅の出身者同士がまとまって同じ復興住宅に入居できる制度を設け、コミュニティーの存続を図っている。

 復興庁は見守りや相談事業で自治体に補助する「被災者支援総合交付金」として2015年度、59億円を用意した。16年度は仮設住宅から復興住宅への移行が本格化していることなどから220億円に拡充。復興住宅はプレハブ造りの仮設住宅に比べて住民間でも生活の気配を感じにくく、外部から実効性がある見守りができるかが課題だ。

 宮城県東松島市の集団移転地でまちづくりを進めてきた住民組織の会長、小野竹一さん(68)は「持続性を考えれば、見守り活動は行政が主体ではなく、住民相互で行うのが望ましい。行政が自治会に見守り業務を委託するなど、後押しする仕組みを検討してほしい」と希望する。

 阪神大震災(1995年)では00年以降、復興住宅で897人の孤独死が確認されている。


<復興住宅>孤独死11人…1年間 交流支援が課題
毎日新聞 3月4日(金)8時30分配信

 東日本大震災後に岩手、宮城、福島の3県で主に津波被災者向けに整備が進む災害公営住宅(復興住宅)で、誰にもみとられず亡くなる「孤独死」が16人に上ることが毎日新聞の調査で分かった。復興住宅への入居は2013年度に本格化したが、うち11人が今年1月1日までの1年間で亡くなった。復興住宅での孤独死は阪神大震災で社会問題化したのを教訓に、東日本大震災の被災地ではコミュニティー作りを進めてきたが、より一層の対策が求められる。

 毎日新聞は津波被災地を抱える3県33市町村を対象に昨年12月~今年2月、復興住宅に関するアンケートを実施、全市町村が回答した。1月1日現在、31市町村で2万3525人が入居し、1年前(7833人)の約3倍に増えている。

 孤独死は岩手県5人、宮城県9人、福島県2人の計16人。入居ペースを上回る増加傾向は出ていないが、3県の復興住宅の高齢化率(65歳以上の入居者が占める割合)は昨年1月1日現在より1ポイント上昇し37%。3県平均より11ポイント高く、孤独死の増加が懸念される。県別では岩手38%(県平均30%)、宮城37%(同24%)、福島35%(同28%)だった。4自治体(岩手県山田町、宮城県塩釜市、女川町、福島県広野町)の高齢化率は50%以上となり、コミュニティーの将来的な存続が困難とされる「限界集落」状態になっている。

 1年間で孤独死が確認された11人のうち1人は、宮城県気仙沼市の「南郷住宅」の80代男性。6~10階建ての3棟に155世帯269人が暮らす。入居の2カ月後、新聞を取り込んでおらず不審に思った自治会長の藤原武寛さん(50)が、市社会福祉協議会のスタッフに知らせ、死亡しているのが見つかった。この復興住宅は高齢者や要介護者を優先的に入居させたため、高齢化率は53%となっている。

 市の担当者は「近所と交流があり、死後ほどなく発見された」として孤立事例と見なしていないが、危機感を募らせた藤原さんはボランティアを募り見回り活動を始めた。「いきなり高層の団地ができて住民が一気に入居した。コミュニティーを作り上げていくのは難しい」と指摘する。

 仙台市太白区の「あすと長町第3復興住宅」(65世帯)でも70代男性が孤独死した。勤務先を無断欠勤し、同僚が警察らと室内に入ると既に死亡していた。立ち会った飯塚正広さん(54)は復興住宅に移る前の仮設住宅で自治会長を務め、孤独死防止に取り組んでいた。仮設住宅に比べて復興住宅は防音性が高く、エレベーターの待ち時間くらいしか顔を合わせる時間がないという。「入居者の事前交流会があればよかった」と話す。

 復興庁によると、復興住宅(福島の原発避難者向けを除く)建設の進捗(しんちょく)率は3県で52%(昨年12月末現在)。残りは18年度までに大半が整備される。【伊藤直孝、山本有紀】


学びの環境厳しく=統廃合で校舎手狭に―2学年一緒のクラスも・大震災5年
時事通信 3月4日(金)8時25分配信

 東日本大震災で被災した岩手、宮城両県の小中学校は、子供が減少する一方、その後の統廃合によって逆に増え過ぎとなる両極の悩みに直面している。
 福島県では、避難した住民の帰還に備え「母校」を残そうと、統廃合を避けている。
 岩手県大槌町は市街地の約半分が浸水。沿岸部の小中5校が被災したり避難所として使用されたりして校舎が使えなくなった。児童・生徒数はそれぞれ約3割減り、5校は統廃合を経て2015年4月、小中一貫の「大槌学園」として開校した。
 小学部が403人、中学部が255人(2月1日現在)。中学生約70人は仮設住宅などからスクールバスで通う。校舎は仮設、グラウンドは共用で、昼休みに中学生が利用できるのは水曜だけ。後藤康副校長は「思いっきり体を動かしたい年代なのに、非常に心苦しい」と生徒の体力低下を心配する。帰りのバスの発車時間を遅らせ、部活動の時間を30分多く確保するなど試行錯誤が続く。
 NPO法人などが1月下旬、被災3県で9~14歳の子を持つ家庭を対象に実施したアンケート調査によると、約半数が校庭などが使えなくなり「身体を動かす環境が悪化した」と回答。2割の親が子供の肥満に懸念を示した。
 宮城県東松島市では、被災した浜市小が内陸部の小野小と合併し、鳴瀬桜華小として再開した。旧小野小の校舎を活用しているが、児童数は統合で約100人も増加。従来の特別教室を普通教室として使い、図工などは校庭に建てたプレハブ校舎で学ぶ。樋川研吾教頭は「暑い、寒いに加え、振動、音漏れなどの問題もある」と訴える。
 一方、福島県では被災した62校のうち、他校と統合したのは南相馬市の真野小のみだ。東京電力福島第1原発事故で多くの住民が今も県内外に避難。学校がなくなれば古里とのつながりも絶え、帰還への思いも薄れるとの判断が働く。
 同県川内村の川内小は児童数が112人から35人に減少し、一部で複式学級を置く。教諭2人が追加配置され、国語などは学年ごとに授業を行っているが、体育は2学年合同で教える。3、4年の体育を担当する秋元一哲講師は「鉄棒などは1学年違うと、できることが異なる」と指導の難しさを打ち明けた。


51校が仮設で授業=小中、校舎復旧遅れ―原発避難で休校も・被災3県・大震災5年
時事通信 3月4日(金)8時6分配信

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統廃合後に建設されたプレハブ仮設校舎=2月6日撮影、宮城県東松島市の鳴瀬桜華小学校

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島各県の公立小中学校114校のうち、半数近くの51校が仮設校舎で授業を続けている。
 震災から5年を迎える中、被災校の子供の3割に当たる約3300人が仮設で学び、福島を中心に21校は復旧の見通しが立たない。児童・生徒数の減少で、2学年を1クラスとする複式学級を編制する学校もあり、教育環境の整備は遅れている。
 津波や東京電力福島第1原発事故で被災した42市町村の教育委員会にアンケート調査を行い、回答を集計した。114校は沿岸部を中心とした3県の28市町村にあり、浸水や避難指示区域内などの理由で校舎が使えなくなった。統廃合により、2015年時点で107校に減少している。
 統廃合や校舎復旧により50校が自前の校舎で授業を再開。仮設校舎のうちプレハブが28校、他校や廃校舎などの間借りは23校。第1原発に近い福島県浪江町の6校が休校している。校舎の再建が決まったのは36校で、16年度に10校、17年度に24校、18年度に2校が復旧予定。仙台市の小学校1校が3月末で閉校する。
 岩手県釜石市では、財源や建築資材の不足が響き、3校で鉄筋コンクリート造りから木造に設計変更を余儀なくされ、建設が滞っている。17年度の完成を目指すが、市教委担当者は「住民の多くが『待てない』と内陸部へ転居した」と焦りの色を隠せない。
 宮城県名取市では、他校に間借りしている閖上小、中学校を地域の防災拠点に移設し、小中一貫校として再開させる時期を、18年4月に1年先送りした。町づくりをめぐり、市側と住民の合意形成に手間取り、「土地区画整理事業が遅れた」(市教委)のが理由だ。
 原発周辺自治体の小中学校では児童・生徒数が震災前の1割に落ち込んだ。復旧が決まっていない21校のうち、19校は福島の小中学校が占める。「避難解除の見通しが立たない」(大熊町教委)「除染がいまだ終わっていない」(南相馬市教委)など、住民の帰還が進まず、先行きが見通せない状況が続く。
 宮城教育大の田端健人教授(教育学)は「土地のかさ上げ工事が終わるのを待つだけでなく、元の場所に臨時の木造校舎などを建て、高台に新校舎ができたら移る方法も考えられる」と指摘。「5年が経過し避難先での就学を望む子供も増えており、支援の拡充も必要だ」と話している。


再訪・震災5年 「スケート頑張ってるよ」岩手県陸前高田市・父親を亡くした三嶋萌さん(17)
産経新聞 3月4日(金)7時55分配信

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スケートで国体に岩手県代表として出場した三嶋萌さん=1月31日、盛岡市(川口良介撮影)(写真:産経新聞)

 1月31日、盛岡市の岩手県営スケート場。ときおり小雪が舞う中、最後の力を振り絞り、体を前に投げ出してゴールラインを通過すると、うなだれるように膝に手をやった。トップから約6秒遅れの7位。リンクサイドには応援に来てくれた家族の顔が見えた。思わず悔し涙があふれた。

 「唯一上位に食い込んできた大会。一つでも上の順位を取りたかった」

 今月1日、岩手県立盛岡農業高校を卒業した三嶋萌(もえ)さん(17)が地元・岩手で迎えた高校生活最後の国体。500メートルを5位で終え、最終日に迎えた得意の1000メートルだった。中学3年生で初めて国体に出場して以来、毎年決勝に残っているが、これまで表彰台に立ったことはない。

 そして会場の県営スケート場は、父の淳一さん=当時(44)=が自宅のあった同県陸前高田市から片道3時間かけて送迎してくれた思い出の場所。個人種目での初の表彰台へ、胸に期するものがあった。

 あふれ出す悔しさ。でも、ふとリンクサイドで父が見ていた姿を思い出し、なぜかほっとした。

 「ここで滑っていると、安心感があった。お父さんは怒りはしないと思う。きっと『よく頑張ったね』って言ってくれると思う」

                 ■ ■ ■

 北海道から両親の故郷である陸前高田市に越し、その1年後、東日本大震災が発生した。13歳の誕生日を迎える目前だった。

 津波は全てを流し去った。妹や弟と翌日まで、母の孝子さん(45)とは3日間会えなかった。避難生活が続く中、当初は助かったと聞いていた淳一さんと祖父=同(70)=が行方不明になっていると知ったのは約2週間後。母から告げられた。

 「最初から本当のことを言ってくれればいいのに」

 少し悔しかったが、感情任せに母に怒りをぶつけるようなことはしなかった。娘にこれ以上負担をかけたくないと思う母の気持ちも理解できた。

 孝子さんが淳一さんの死亡届を提出したのは震災の年の夏。翌年2月に葬儀が営まれ、その前後に取材を受けた。

 「今でも本当に死んじゃったのかなって気持ちがある」。葬儀もあまり覚えていない。震災から5年。どこかまだ父の死を受け止め切れない自分もいる。

                 ■ ■ ■

 中学卒業後は親元を離れ、寮生活を選んだ。家族の写真は一枚も持っていかず、実家に帰るのはシーズンオフの夏だけ。競技に没頭できる環境を選んだ。友達と震災の話をすることはほとんどなかった。

 夏場は朝6時から練習を始めた。ローラースケートで滑る感覚を養い、200メートルダッシュ10本を欠かさず脚力を鍛えた。冬場は毎日のように氷に乗った。

 一時期は高校でスケート競技から引退しようと考えていた。震災で靴もウエアも津波にさらわれ、道具を全て失っても続けてきたスケートだったが、高1のシーズンで、思うようにタイムが伸びずスランプに陥ったからだ。

 「うまく滑れない。これ以上やっていても意味がないのかな」。母に弱音を吐いたこともある。でも、結局はスケートから離れることはできなかった。

 「やっぱり好きだから。小さいときからやっていたスポーツを途中であきらめたくなかった」。スケートを応援していた父も、空から背中を押してくれたのかもしれない。

                 ■ ■ ■

 「もっと力を付けて、活躍できるようになりたい。夢は世界の舞台」

 一心不乱に練習を重ねてスランプから脱出し、リンクの上に立ち続ける覚悟ができた。4月からはスケートの強豪、大東文化大学に進み、競技を続ける。初めてとなる北日本以外での新生活。「暑さが苦手で不安だらけ」と苦笑するが、実際は練習量が多いと聞き、より強くなるために、あえて厳しい環境に身を置くことを自ら選んだ。

 スケートの一番の理解者だった父。「伝えられるなら、スケートを頑張っているよって言いたい」。今の私をみたら、父は、どんな返事をしてくれるだろう。(石野哲郎)

                   ◇

 この5年間、被災地に生きる多くの人々の姿を描いてきた。震災5年。今、何を思うのか。再び訪ねた。


規制委調査団「志賀原発に活断層」 1号機直下、再稼働困難に
産経新聞 3月4日(金)7時55分配信

 原子力規制委員会の専門家調査団は3日、北陸電力志賀原発(石川県)の敷地内破砕帯(断層)について、「活動したと解釈するのが合理的」との最終判断を示した。断層の一部は、1号機の原子炉建屋と2号機の重要施設の直下にある。1号機は運転再開が極めて困難になり審査申請済みの2号機の早期再稼働も難しくなった。北陸電は同日、「活断層ではない」と主張し、1号機も規制委に審査を申請する方針を表明した。

 調査団は昨年7月、志賀原発の断層に関する評価書案をまとめ、同11月に他の専門家による検証を受けた。評価書案によると、敷地内に8本ある破砕帯のうち、1号機建屋直下を走る破砕帯「S-1」(長さ780メートル)について、活断層の可能性を指摘した。さらに1号機と2号機のタービン建屋や冷却のための海水を流す配管の真下にある破砕帯「S-2」「S-6」(同計550メートル)についても、「活動した可能性がある」としている。

 規制委が策定した新規制基準では、「13万~12万年前以降」に地盤がずれた可能性のある断層を活断層とみなし、真上に原発の重要施設を設置することを禁止している。

 規制委の調査団が敷地内に活断層の疑いを示した評価書案をまとめたのは、日本原子力発電敦賀原発(福井県)と東北電力東通原発(青森県)に続く3カ所目。ただ評価書は「重要な知見」として参考にとどまり審査で覆る余地は残っている。


福島第1 凍土壁、月内にも海側凍結開始へ 規制委検討会が了承
産経新聞 3月4日(金)7時55分配信

 東京電力福島第1原発の汚染水問題で、原子力規制委員会の監視評価検討会は3日、建屋周辺の土壌を凍らせて建屋内への地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁(とうどしゃすいへき)」の海側(東側)などでの先行運用を了承した。東電は月内にも規制委の正式な認可を得て、海側から段階的な凍結を開始する。

 東電が規制委に提出した実施計画によると、工程を3段階に分けている。認可の見通しとなったのは、凍土壁の海側全体と山側(西側)の一部を先行して凍結する「フェーズ1」と、山側の凍土壁の95%を凍結する「フェーズ2」で、3カ月程度かけて段階的に進める。

 一方、残りの山側の完全凍結については、地下水位が急激に低下する可能性があることから、「状況を監視しながら慎重に行う必要がある」という検討会の指摘を受けて、今回は実施計画の申請を見送った。

 検討会は、凍土壁で地下水を止めると建屋周辺の地下水位が下がり、建屋内の汚染水が外へ漏れ出す可能性があるとして運用には慎重だった。しかし、東電が安全性を最優先して段階的に凍結する方針を示したため、認可する方向に転じた。

 凍土壁は、約1500本の凍結管を地下に埋めて土壌を凍らせ、汚染された建屋へ流れ込む地下水を遮断して汚染水の発生そのものを抑制する。国が抜本策として345億円を投入し、2月に設置工事が完了した。東電によると、凍土壁を本格運用すれば、建屋内へ流れ込む地下水の量を現在の半分程度に減らせるとしている。


与党震災メッセージ概要判明 帰還困難区域、夏までに見通し
産経新聞 3月4日(金)7時55分配信

 自民、公明両党の東日本大震災復興加速化本部が震災5周年に向けてまとめた与党メッセージの概要が3日、判明した。東京電力福島第1原発事故の影響で放射線量が高く、原則立ち入り禁止となっている「帰還困難区域」の将来見通しを今夏までに示し、平成29年度予算案に盛り込むよう政府に求める。自民党の額賀福志郎復興加速化本部長らが4日、安倍晋三首相に提出する。複数の与党関係者が明らかにした。

 政府は原発事故に伴う避難区域を放射線量の高い順に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に分けている。帰還困難区域以外は29年3月までに避難指示解除を目指しているが、将来方針を示していなかった。原発事故の被害を受けた福島県や津波被災地の復興を加速することも改めて要求している。


「町は終わり」「ない方が安心」=廃炉可能性で住民―石川・志賀
時事通信 3月3日(木)21時18分配信

 北陸電力志賀原発1号機の下に活断層が存在する可能性を3日、原子力規制委員会の専門家調査団が改めて示した。
 「原発がなくなったら町は終わり」「危険にさらされないなら安心」。廃炉につながる可能性があるだけに、地元の石川県志賀町では複雑な思いが交錯した。
 飲食店を営む徳野外茂男さん(66)は「再稼働した方が良いが、次の世代を考えたら不安」と打ち明ける。町の飲食店組合の加入数は30年ほど前の約60店舗から半減。廃炉になれば、さらに減ると心配する。「原発に人が出入りして商売が成り立っているが、原発がある場所に若者が来るのか」と悩む。
 町内に住む小学校の女性教員(33)は「危険がなくなるから良いと思うが、学校も含めて原発でお金がある部分もある」と話す。


<常磐線>復旧「20年春」 放射線量の数値低下、着工めど
毎日新聞 3月3日(木)19時25分配信

 東京電力福島第1原発事故のため福島県内などで不通となっているJR常磐線について、政府が2020年春までに全面開通を目指す方針であることがわかった。安倍晋三首相が5日、福島県内を訪問し、表明する。

 唯一、開通時期が決まっていなかった富岡(富岡町)-浪江(浪江町)について、試験的な線路の除染により放射線量の数値の低下が確認され、着工のめどが立った。

 常磐線は津波被害などの影響で一部で不通が続いているが、福島第1原発の周辺を除いては17年末までに開通する見通し。JR東日本は昨年8月から、特に放射線量の高い夜ノ森(富岡町)-双葉(双葉町)間で試験的な線路の除染を行っている。先月までに試験地点6カ所での放射線量が、それぞれ低減するなどしていた。

 政府は、全面開通により避難住民の帰還や地元産業の復旧を後押しする。また20年東京五輪・パラリンピックに間に合わせることで、復興を国内外にアピールする狙いもある。【野口武則】


北陸電「納得できない」
時事通信 3月3日(木)19時22分配信

 北陸電力は3日、志賀原発1号機下に活断層が存在すると解釈した原子力規制委員会の調査団評価書案について「仮定に基づく評価で活動性を認める旨の結論となったことは、到底納得できない」とするコメントを発表した。
 
 同社は再稼働を目指す志賀2号機の審査再開を求め、「追加調査データなどをしっかりと説明することなどで、『将来活動する可能性のある断層などではない』と評価いただけると確信している」と強調した。


国民が納得できる議論に=志賀原発「活断層」問題―谷本石川知事
時事通信 3月3日(木)17時33分配信

 北陸電力志賀原発の「活断層」問題で、同原発がある石川県の谷本正憲知事は3日記者会見し、最終的に活断層の有無を判断する原子力規制委員会に対し、「国民、県民、市民、電力会社にとって納得できる方向で議論しないといけない」と注文した。


高浜4号機、機器異常なし=営業運転遅れる見通し―関電
時事通信 3月3日(木)17時22分配信

 関西電力高浜原発4号機(福井県高浜町)で発送電開始の作業中、原子炉が緊急停止したトラブルで、関電は3日、発送電機器や周辺設備には異常がなかったと発表した。
 週明けにも原子力規制委員会に原因と対策を報告する。
 同社は、冷温停止となっている原子炉の再起動について「規制委の判断や地元同意を経てから」としており、3月下旬に予定していた4号機の営業運転は4月以降にずれ込む見通しとなった。


自主避難原告が控訴=東電への賠償訴訟
時事通信 3月3日(木)16時10分配信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から京都市に自主避難した男性の一家が、精神疾患を発症したなどとして東電に損害賠償を求めた訴訟で、原告側は3日、請求を一部認めた京都地裁判決を不服として、大阪高裁に控訴した。


東日本大震災5年 グーグル、被災地のストリートビューを更新
産経新聞 3月3日(木)15時58分配信

 グーグルは2日、東日本大震災で被害を受けた地域のストリートビューを更新した、と発表した。撮影は2015年6月~今年1月にかけて行った。

 2011年に開始した「東日本大震災デジタルアーカイブプロジェクト」の一環で定期的に更新している。グーグルマップ(https://www.google.co.jp/maps/)など同社の地図サービスで該当地域のストリートビューを見ると、震災前、震災直後、3年後、4年後などと画像を切り替えて、がれきの撤去や道路の整備など復興の様子を知ることができる。

 撮影地域は、岩手、宮城、福島、茨城の4県の59市19町4村。


凍土壁計画、事実上了承=緊急時対応強化など条件―福島第1
時事通信 3月3日(木)15時32分配信

 東京電力福島第1原発事故の放射能汚染水低減対策として、1~4号機周囲の土壌を凍らせて地下水の流入量を減らす「凍土遮水壁」について、原子力規制委員会の検討会は3日、東電の計画を事実上了承した。
 検討会が指摘した緊急時の対応手順などを整備した上で、東電が申請書を提出すれば、認可される見通し。


JR常磐線、2020年全線復旧…首相表明へ
読売新聞 3月3日(木)14時58分配信

 政府は、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県内などの一部区間で不通となっているJR常磐線について、2020年春までに全線開通を目指す方針を固めた。

 安倍首相が5日、福島県を訪問して表明する。

 不通区間のうち、富岡(福島県富岡町)―浪江(同県浪江町)間の20・8キロは唯一、再開時期が決まっていなかった。同区間は、放射線量が高い福島第一原発近くの路線も含まれ、除染が課題となっていた。JR東日本の試験除染で線量を低くする効果が確認され、工事着手の見通しが立ったとみられる。

 原発事故の影響を受けた常磐自動車道と国道6号は、すでに全線が開通している。政府は、JR常磐線の全線開通で県沿岸部の基幹となる交通路線の復旧を図り、避難住民の帰還や事業再開を加速したい考えだ。


志賀1号機「活断層と解釈」=原子炉建屋下、廃炉の可能性―規制委調査団
時事通信 3月3日(木)14時30分配信

 原子力規制委員会の専門家調査団は3日、北陸電力志賀原発1号機(石川県)の原子炉建屋直下を通る断層(破砕帯)について、「活断層と解釈するのが合理的だ」とする評価書の最終案を了承した。
 原発の新規制基準は活断層の上に重要施設を設置することを認めておらず、1号機は廃炉になる可能性がある。
 事務局の原子力規制庁は正式な評価書を作成し、規制委に報告する。最終的には、再稼働の前提となる審査の中で活断層の有無を判断することになる。北陸電は審査で活断層の存在を否定する方針。
 調査団は昨年7月、1号機原子炉建屋下を通る断層「S―1」の一部について、新基準で活断層の定義となっている後期更新世(12万~13万年前)以降に動いた可能性があると判断。2号機で冷却用の海水を取り込む重要配管の下にある断層「S―6」や、それとつながる断層「S―2」も「活断層の可能性を否定できない」とする評価書案をまとめていた。


<志賀原発>脱原発派「再稼働諦めて」 直下に活断層判断
毎日新聞 3月3日(木)13時43分配信

 北陸電力志賀(しか)原発(石川県志賀町)の敷地内断層を巡り、原子力規制委員会の有識者調査団が3日、1号機直下の断層に関し「活動したと解釈するのが合理的」とする新たな判断を示し、廃炉の可能性がさらに強まった。同原発の差し止めを求めてきた訴訟関係者らは脱原発のチャンスと歓迎するが、地元では原発の経済的恩恵などを理由に廃炉に反対する意見も聞かれた。

 志賀町議で、運転差し止め訴訟の原告団事務局長も務める堂下健一さん(61)は「今回の判断を機に、はっきりと再稼働を諦めなければならない」と再稼働にこだわる北陸電を批判。「東京電力福島第1原発事故や、志賀原発での断層問題浮上後、町民は心の中でずっと不安を持ち続けている。いつまでも未来のない物にすがらずに、全国でもいち早く廃炉を進める町を目指したい」と述べた。

 原発から約1~4キロ圏にある同町福浦港の60代主婦は「電力不足になるのは心配だが、今のところ問題なく電気は来ているし、無理して稼働させる必要はない。活断層の存在が否定できないのであれば、万が一のことを考えると、このまま動かさないでほしい」と話した。

 一方、同町内で酒屋を営む男性(62)は「原発誘致は町の先輩方が議論を重ねて決めたこと。何万年も前の断層のことを理由にされても今一つピンとこない。これまでも地域振興や雇用面で恩恵を受けてきたので、断層を理由に廃炉になるのであれば反対だ」と異を唱えた。

 志賀原発を巡っては1999年8月、住民らが、2号機の建設差し止め(後に運転差し止めに変更)を求めて提訴。1審・金沢地裁は2006年3月、住民側の訴えを認めて差し止めを命じたが、09年3月には控訴審で住民側が逆転敗訴し、最高裁で住民側の上告が棄却された経緯がある。

 また東日本大震災後の12年6月には、石川、富山両県の住民らが耐震設計上、安全性が確保されていないなどとして1、2号機の運転差し止めを求めて金沢地裁に提訴し、現在も係争中だ。【大原一城、竹田迅岐】


凍土壁 月内にも凍結開始へ 規制委検討会が大筋了承
産経新聞 3月3日(木)13時21分配信

 東京電力福島第1原発の汚染水問題で、原子力規制委員会の監視評価検討会は3日、建屋周辺の土壌を凍らせて建屋内への地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁(とうどしゃすいへき)」の海側(東側)などでの先行運用を了承した。東電は月内にも規制委の正式な認可を得て、海側から段階的な凍結を開始する。

 東電が規制委に提出した実施計画によると、工程を三段階に分けている。認可の見通しとなったのは、凍土壁の海側全体と山側(西側)の一部を先行して凍結する「フェーズ1」と、山側の凍土壁の95%を凍結する「フェーズ2」で、3カ月程度かけて段階的に進める。

 一方、残りの山側の完全凍結については、地下水位が急激に低下する可能性があることから、「状況を監視しながら慎重に行う必要がある」という検討会の指摘を受けて、今回は実施計画の申請を見送った。

 検討会は、凍土壁で地下水を止めると建屋周辺の地下水位が下がり、建屋内の汚染水が外へ漏れ出す可能性があるとして運用には慎重だった。しかし東電が安全性を最優先して段階的に凍結する方針を示したため、認可する方向に転じた。

 凍土壁は、約1500本の凍結管を地下に埋めて土壌を凍らせ、汚染された建屋へ流れ込む地下水を遮断して汚染水の発生そのものを抑制する。国が抜本策として345億円を投入し、2月に設置工事が完了した。東電によると、凍土壁を本格運用すれば、建屋内へ流れ込む地下水の量を、現在の半分程度に減らせるとしている。


<志賀原発>「直下に活断層」合理的解釈 1号機廃炉強まる
毎日新聞 3月3日(木)11時43分配信

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北陸電力志賀原発。手前から2号機、1号機=石川県志賀町で2015年10月、本社ヘリから貝塚太一撮影

 ◇規制委員会の有識者調査団が新たな報告書案まとめる

 北陸電力志賀(しか)原発(石川県)の敷地内断層を調べている原子力規制委員会の有識者調査団は3日、1号機の原子炉直下を通る断層について「活動したと解釈するのが合理的」とする新たな報告書案をまとめた。昨年7月にまとめた最初の報告書案では、「活動性を否定できない」としていた。新規制基準は、活断層の真上に原子炉など重要施設を造ることを認めていない。北陸電が結論を覆せなければ、1号機が廃炉になる可能性が一層強まった。

 さらに報告書案は、規制委が安全審査中の2号機の重要施設直下にある2本の断層について、「活動した可能性がある」と、より強い表現で活断層の可能性を指摘した。2号機は施設の移設などの大規模工事をしなければ審査に合格できない公算が大きくなり、再稼働は大幅に遅れる見通しだ。

 調査団は今後、正式な報告書を作成して規制委に提出する。北陸電が再稼働を目指す場合、規制委が安全審査で改めて活断層に該当するかどうかを判断する。審査で活断層と判断されれば評価が確定し、1号機は廃炉になる見込み。北陸電は1号機も審査を申請する方針で、北陸電が審査で結論を覆す新たなデータを提示できるかが焦点になる。

 断層は、1号機の直下を走る「S-1」(長さ780メートル)▽2号機の冷却用の海水を流す配管の直下にある「S-2」「S-6」(同計550メートル)の3本。北陸電はいずれも「活動性はない」と主張していた。調査団は昨年7月、「活動性は否定できない」とする報告書案をまとめた後、別の専門家から意見を聞いていた。【酒造唯】

 ◇志賀原発

 石川県志賀町にある北陸電力唯一の原発。1号機(54万キロワット)と2号機(135.8万キロワット)がある。1993年に営業運転を開始した1号機は、東京電力福島第1原発と同じ沸騰水型(BWR)。2006年運転開始の2号機は制御棒の駆動方法などを改良した改良型沸騰水型(ABWR)。ともに11年3月から停止中。1号機では99年、定期検査中の原子炉が臨界になる事故があったが、隠していたことが07年発覚した。北陸電力は14年8月、2号機の再稼働に向けた安全審査を原子力規制委員会に申請している。

 ◇北陸電力志賀原発を巡る主な動き

1993年 7月 1号機が営業運転開始

2006年 3月 2号機が営業運転開始。2号機運転差し止め訴訟で、金沢地裁が運転差し止め判決

2007年 3月 定期検査で停止中だった99年に1号機が操作ミスなどで臨界状態になったにもかかわらず、国に報告せず隠蔽(いんぺい)していた事実が発覚

2009年 3月 2号機運転差し止め訴訟で、名古屋高裁金沢支部が1審判決を取り消し

2010年10月 2号機運転差し止め訴訟で、最高裁第1小法廷が住民側の上告を棄却。2審判決が確定

2011年 3月 東日本大震災。福島第1原発事故

2012年 7月 経済産業省原子力安全・保安院の専門家会合で、1号機直下の断層について「活断層の可能性が濃厚」との指摘が相次ぐ。保安院が敷地内断層の追加調査を指示

2013年12月 北陸電が1号機直下の断層は「活断層でない」とする最終報告書を原子力規制委に提出。1.4キロ東の福浦断層については活断層との可能性を認める

2014年 2月 原子力規制委の有識者調査団が敷地内断層を現地調査

2015年 4月 有識者調査団が2度目の現地調査

      7月 有識者調査団が1号機直下の断層について、「活動した可能性を否定できない」とする報告書案を作成


「やっぱり苦しいな」原発事故で壊れた家族。ひとり暮らす父の思い
BuzzFeed Japan 3月3日(木)11時1分配信

母子避難、孤立する父親
福島第一原発事故とそれをめぐる論争は家族関係にも影響を与えている。母と子供だけが父を残して避難する「母子避難」がその典型だ。残された父親は何を思い、この5年を過ごしてきたのか。一人の父親の生活に迫った。【石戸諭】
「僕だってきついですよ。子供の成長を見ることができなかった。もう一度、一緒に暮らしたいですよ。でも、もうチャンスはないのかな…」
東京都内の居酒屋、40代の男性の口からこんな言葉が漏れた。震災から5年のこの冬、会社帰りの彼を食事に誘い、焼酎を片手に近況を聞いていた。

匿名を条件に取材に応じてくれた彼の名を、Tさんとしておく。Tさんは2011年の原発事故を機に家族と離れて暮らしている。2011年夏、妻と子供は西日本に引っ越した。原発事故による母子避難だ。

Tさんはいま、首都圏近郊のアパートに一人で暮らしている。朝は午前7時には家を出る。帰りは遅ければ午後10時過ぎ。食事は近所のスーパーで買った惣菜や外食で済ませる。一人暮らしにも慣れてきた、と思うが悔いは残る。

「会うたびに娘の体は大きくなって、言葉を覚える。その成長をそばで感じることができないですからね」
Tさんは福島県沿岸部の地方都市に生まれた。
「ちょうど学生の頃です。チェルノブイリ原発事故が起きて、反原発の声が高まっていました。私の生まれた場所の近くに、これだけの原発がある。違和感を覚えながら暮らしてきました。事故が起きたら、私たちもただではすまない。便利さばかりが伝えられるのはおかしいと思っていました」

「だけど、実際に事故が起きてみると、私が考えていた被害とはまったく別の形の『被害』があったのです」

大学卒業後、Tさんは福島市内に生活の拠点を構えた。2008年に結婚、翌年には子供が誕生した。新居は賃貸だったが、3LDKで家族が3人で住むには十分すぎるほどの広さだった。

土日は娘と遊び、義理の父は本格的な家庭菜園を作り、無農薬の野菜を育てていた。葉物野菜、根菜もまかなえ、食費の助けになった。

妻は、無農薬や有機農法、何かにつけ天然由来の食品を選んだ。主食は、玄米か精米を控えた白米。食の好みは違ったが、問題ないと思っていた。

「食事についての好みは誰でもあると思います。そこが違うだけだし、会社の同僚との飲み会に行ったときに好きなものを食べればいい。義父が作る野菜もおいしかったですし、些細な問題だと思っていました」

「そんな生活を送っていたのが、もうだいぶ昔のことのようです。原発事故以降は、野菜どころじゃなかったから…」

「妻は医療に対しても不信感を持ちやすいタイプでした。予防接種について『そこまで懐疑的になる必要はない』と議論したことがあります。自然志向で、友人にも同じような好みの人がいました。普段の生活なら、許せる範囲かなと思っていました」

原発事故後、家族間に亀裂が生じたのは「好みの違い」からだった。

2011年3月11日、東京に出張していたTさんは大きな揺れを感じた。三陸沖が震源で、宮城県内で震度7の地震が観測されたことを伝える速報メールが次々と届く。

「何か想像を絶する事態になっている」。職場の同僚とワンセグでテレビを見た。次々と流れてきた津波、被災地の映像を今でも鮮明に覚えている。

「現実とは思えず、本当に夢をみているような気分でした。なんとかその日のうちに福島に帰れるようレンタカーを手配することも可能でしたが、沿岸部に住む家族は幸い、海から離れていた場所に家があったため、地震の被害だけでした。妻とも連絡がつき、娘も無事とのことでした。私は東京に残り、交通状況が落ち着いてから帰ることにしたんです」

その決断の直後に起きたのが、原発事故だった。自宅がある福島市の放射線量は、その時、上昇した。刻一刻と変わる状況の中で、妻は避難を選択した。

「娘のためというのが、まず第一でした。妻の周囲には、同じような食の好みや健康志向でつながっていた母親仲間がいます。彼女たちは当初から沖縄に避難すると言っていました。子供のためなら避難しかない、と。その影響があったと思います。沖縄はさすがに誰も知り合いがいないし、受け入れるという話もなかった。だから妻はまず、関東地方へ避難したんです」

原発事故発生から約1週間後、Tさんは関東地方に避難した妻子と入れ替わるように福島に戻った。妻子のいない家。「確かに事故がどうなるかわからないし、娘のためなら、一時的な避難はやむを得ない」と考えた。当時は、妻も「一時的なもので、また一緒に暮らす」と言っていた。
しかし、避難は長期化する。2011年7月、妻は関西への移住を決める。理由はやはり「子供のため」。一人で福島市内に住み続け、仕事をしていたTさんの家から荷物が徐々になくなっていった。

ある日、仕事から帰ると鍋や包丁がきれいになくなっていた。Tさんが仕事で留守にしているあいだ、妻が持ち出していたのだが、連絡が入ることはなかった。見慣れたはずの部屋だったが、まるで新しい部屋に越してきたような錯覚を覚えた。
「連絡するだけの精神的な余裕がなかったのかな、といまでは考えています。関西には避難者を積極的に支援する『仲間』もいました。妻と価値観が近いのでしょう。もちろん、支援それ自体はありがたいことです」

「でも、彼らの中には『本当は東京も人が住めない汚染レベル』だとか『福島の子供たちは避難ができず、かわいそうだ』という考えの人がいました。はじめは福島県外でも東北なら住める、と言っていた妻もだんだんと考えが変わっていきました」

「妻子の避難は一時的だと思っていた私は、避難が長期化するにつれ、福島に住むことをあきらめ、家を引き払いました。震災から1年~2年の間はたまに妻と娘が福島に戻ることもあったのですが、『水が危なくて飲めない』『外には出せない』といい、関西で買った食材で調理をして、ずっと部屋にいたままでした。私は普通に住めるとレベルだと判断していましたが、妻にとっては違う。放射性物質をどうとらえるか、ここまで考えが違うなら、あきらめるしかないんです」

「私は幸い、これまでのつながりで都内に仕事があったためで、首都圏に引っ越すこともできました。福島から関西に行くのは大変だけど、東京近郊なら新幹線で一本です。関西はなんの縁もなく、仕事探しも難しいです。首都圏なら、もしかしたら一緒に住めるという期待もあったんです」

その頃、妻は周囲の支援を受け、関西地方で原発反対を訴えるデモ、自主避難支援を求める活動にも参加していくようになる。子供と過ごす時間が減ったとこぼすこともあった。福島より首都圏のほうがいくらか関西に近いと言っても、仕事との兼ね合いもあり、Tさんが関西に行けるのは年に3回~4回程度だった。1回につき2~3泊したが、子供と過ごす時間は足りない。

これが本当に子供のためなのだろうか。家族にとって、自分の存在はなんのだろう。お金を仕送りするだけの存在なのだろうか。自問自答する時間が増えた。

「社会的な活動自体はなんの問題もないし、尊重したいと思っています。ただ、娘のために避難しているのに、なんで娘と過ごす時間を減らすのかと言い合いになったことがありました」

見えない妥協点 娘は避難先の小学校に進学した
「私だって家族と一緒に過ごしたい。避難を始めたばかりのころ、本当に小さかった娘がだんだん大きくなって、『パパ』って言ってくれるようになって、次に行くと言葉を交わせるようになって、次はおしゃべりができるようになって……。どんどん成長している。その時間を一緒に過ごせなかったことがとても悲しいんです」

震災から3年を迎えるころだった。徐々にではあったが、妻と落ち着いて話ができる時間も増えてきた。周囲には避難生活に見切りをつけて、福島に戻るという家族もでてきた。妻からこんな言葉が漏れた。

「福島でも無農薬で野菜作っている人もいるんだよね」「私は住めないと思っているけど、帰る人や住む人は否定しないよ」
「ずっと『せめて、首都圏で暮らせないか』と提案していました。やっと周囲のことに気遣うような言葉がでてきた。今なら妥協点を探りあえると思ったのです。でも、ダメでした」

「私が帰ってから、周囲にいた仲間たちは妻にこう言ったそうです。『あなたの夫は国の役人と同じことを言っている。一緒に暮らす必要はない』」

追い討ちをかけたのが2014年に起きた漫画『美味しんぼ』を巡る騒動だった。作中に「福島に人が住めない」と強調するくだりがあった。Tさんにとって重要だったのは、漫画の描写が科学的知見に基づいているか否かではない。修復する兆しもあった亀裂が、より広がってしまうことだった。

「食べ物にも気を使うタイプなので、他の人より影響を受けやすい状態にあったと思います。あの騒動以降、妻は『福島は危ない。首都圏はもってのほか。東日本には住めない』という考え方に固まっていきました。はじめは食の好みの違いなんて些細なことだと思っていましたが、いまはどう折り合いをつけていけばいいのか。正直わかりません。これが、原発事故なんですね」

家族の周囲には妻の考えを肯定する人しかいない中で、Tさんは孤立を深めてた。美味しんぼ騒動を機に、それまで以上に情報を集めるようになった。

「いま、本当に首都圏に住めないのか。立場を一つに決めずに、いろんな方の話を聞きました。聞いたのは科学者や医者に限りません。福島を取材している作家の方もいました。福島県内で内部被爆調査に関わっている人、放射線について基礎的な解説をしている人、反原発の立場を鮮明にしている人もいました」
「聞いてみて思いましたが、いま福島県内でも、首都圏でも住めない理由はないのです。あとは個々人の考え方であり、リスクをどう捉えるか。どこに落としどころを見つけるかの問題だと思います。でも、あるはずだと思っていた妻との妥協点を、いま私は見つけることができないのです」

関西に行ったときに、「福島市でも放射線量はだいぶ下がったし、心配していた内部被爆も低く抑えられているという結果もあるよ」と妻に伝えた。Tさんは娘の小学校進学が一つの節目だと捉えていた。震災から4年を迎えるタイミングで、首都圏で同居できないかと期待を持って伝えたが、声は届かなかった。

「福島に住めるとか、戻るといった話は妻や活動に対する侮辱だと思われたようです。ちゃんと会話することもできませんでした」

避難生活が始まったばかりの頃、歩くことすらままならなかった娘は避難先の小学校に進学した。福島に関するあらゆる話題が、そのまま家族内の火種になる。事故から5年を迎えるが、Tさんの日常に変化はない。

Tさんは苦笑しながら、つぶやく。「いまでは『子供のことを考えたら離婚はしないほうがいいから、当分、このままでいいじゃない』って言われています」

午後10時過ぎ、Tさんは電車に揺られ、きょうも一人、家路につく。朝になればまた仕事が待っている。

別れ際、Tさんはこう言った。

「データには出てこないけれど、原発事故で壊れた家庭はあるでしょう。少なくとも、私にとって原発事故、そして、事故後の論争は、家族の間にあった小さな違いが、亀裂になって、やがてヒビが入り、家族関係が壊れていく。そんなイメージです」

「世間では母子避難は理解してくれても、残っている父親は苦しいって思われているのかな。私はやっぱり苦しいな。こういう人もいるんですよって誰かにわかってほしいのです……」


<震災5年>悲劇の庁舎 囲む盛り土 宮城・南三陸
毎日新聞 3月3日(木)10時24分配信

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夕闇迫る南三陸町防災対策庁舎。周囲はかさ上げ工事ですっかり変わってしまったが、骨組みだけの姿が5年前の出来事を今も物語る=宮城県南三陸町で、竹内幹撮影

 盛り土に囲まれた宮城県南三陸町の防災対策庁舎。大津波で骨組みだけになった姿が43人が犠牲になった5年前の出来事を今も物語る。

 志津川中学校の仮設住宅で暮らす阿部節子さん(73)は、同庁舎近くで旅館を営んでいた。日課の散歩で高台から付近を眺める。旅館があった場所は道路に変わった。いつも思い出のふるさとの景色と今の風景を重ね合わせる。「海や山、自然に恵まれた穏やかだった生活の日々。忘れない風景。早く元の生活に戻りたい」【竹内幹】

 東日本大震災から5年を迎える岩手、宮城、福島の3県沿岸部をカメラを手に歩いた。


東日本大震災5年 地域医療担う公立病院 南三陸で唯一本格再開
産経新聞 3月3日(木)7時55分配信

 ■「待ちわびた町民 希望の象徴に」 事務職員が看護師の妻不明のまま再建に奔走

 東日本大震災で津波の被害を受けた被災地では、医療機関の多くが破壊された。岩手県沿岸部では240カ所の医療機関(病院・診療所)の過半数に当たる127カ所が被災。再開後に廃止したり新たに開業したりした例もあるが、2月時点の医療機関数は104カ所と8割にとどまっている。宮城県沿岸部でも震災前に309カ所あった医療機関が、昨年10月時点で280カ所と9割に減った。

 地域医療の中核を担う自治体が運営する公立病院の再建も遅れている。津波で全壊した公立病院は岩手県に3カ所、宮城県に3カ所あるが、このうち再建できたのは宮城県南三陸町の南三陸病院だけだ。

 その南三陸町では1病院と6診療所が全て流出、再開したのは南三陸病院と診療所2カ所のみ。震災前に町で唯一、人工透析を行っていた診療所は、震災後に町外で診療を再開した。

 自然光がたっぷり差し込む新しい病院の待合室で、男性患者(83)がバスを待っていた。「ここで初めて人工透析を受けた。今までは(隣接する宮城県)気仙沼市に行っていたが、ようやく住んでいる町で受けられるようになった」

 昨年12月、同県南三陸町の高台に完成した南三陸病院。前身は東日本大震災の津波で全壊した町唯一の病院、志津川(しづがわ)病院だ。今年1月には、震災前に休止していた人工透析を開始した。

 震災で全壊した被災3県の公立6病院の中で、本格的に再開したのは南三陸病院が初めてだ。志津川病院時代と合わせ、この病院で20年以上働いてきた総務課課長補佐の後藤正博さん(53)は「他地域と異なり、町の全医療機関が流出したことで再建への機運が高まった」とみる。

 それを裏付けるのが平成23年7月に行われた町民意向調査だ。町の復興に望むものとして「保健・医療・福祉の充実」を挙げた人が7割近くで最多だった。「皆が待ちわびていた病院。町民の希望の象徴になってほしい」と後藤さんは期待する。

 事務職員として節電など地道な経費削減を積み重ねてきた。しかし、津波はその歩みどころか患者と職員74人の命を奪った。同じ病院に勤めていた看護師の妻、弘美さん=当時(46)=の行方は今も分からない。

 震災1カ月後から町内の仮設診療所で外来を再開し、2カ月半後からは隣接する同県登米(とめ)市の医療機関の病棟を借りて入院患者も受け入れた。勤め先がなければ、人材が流出する。入院病棟の確保には、看護師らの雇用を確保する目的もあった。「避難所から通う職員たちと、ちょっとでも良くなるならがんばろうと支え合った。それがなければとっくに折れてしまっていた」

 だが、診療を再開して少したったころのことだ。

 「皆が白衣を着て仕事をするようになると、どうして白衣を着る中に、かみさんがいないのかなと…」

 現場を離れ、町役場に異動した。「小学校の卒業式を数日後に控えて被災した末の娘は、一番難しい時期に母親を失った。娘の下着を買いに行くのも自分には初めての経験だった」。家庭でも妻の不在を実感する日々。病院に戻るには3年の歳月が必要だった。

 「家族や自分の人生をようやく落ち着いて見られるようになった。新しい病院もできるし、前を見ていくしかないと思いました」

 しかし、被災から5年を前に船出した新病院も、順風満帆ではない。診療科は内科や外科など以前と同じ10科だが、医師7人のうち3人は派遣を受ける。震災前に1万8千人いた町民は約4千人減り、ベッド数は36床減の90床に。それでも、看護師不足から一部は稼働できていない。新年度からは雇用維持のための補助金2億5千万円もなくなる。「人口が減り、医療人材の確保も難しい。病院を維持していけるのか」と予算編成に頭を痛める。

 末娘は4月から高校3年生。2人の息子は進学のため地元を離れ、娘も町を出たいと話す。「町の行く末、子供や親のこと、家の修繕…。一人であれこれ考えてしまう。かみさんがいれば相談できるんだけど」

 復興作業に向かうダンプカーが行き交う中、家にこもりがちの80代の両親と暮らす未来図が、若年層が流出し高齢者が残される町の姿と重なった。(道丸摩耶)

 日常が大きく壊れたあの日から間もなく5年。被災を克服し、新たな日常を獲得するために歩み続ける被災地と被災者の“現在地”を報告する。


スマトラ沖でM7.8 地元当局者「死者情報なし」
産経新聞 3月3日(木)7時55分配信

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震源はインドネシア・スマトラ島中部西スマトラ州の州都パダンの西南西約800キロ(写真:産経新聞)

 【シンガポール=吉村英輝】米地質調査所(USGS)によると、インドネシア・スマトラ島沖で2日午後7時50分(日本時間同9時50分)ごろ、マグニチュード(M)7・8の地震があった。震源は同島中部西スマトラ州の州都パダンの西南西約800キロで、震源の深さは24キロ。ロイター通信は地元当局者の話として、今のところ死者に関する情報はないと伝えた。

 同州などに津波警報が出されたが、同通信によると約1時間半後に解除された。パダンなどでは地震による家屋の倒壊情報などはない。津波に備え住民は高台などに避難したが、混乱はないという。

 スマトラ島沖では2004年12月、22万人以上が死亡・行方不明となった大地震(M9・1)とインド洋大津波が起きている。

 日本の気象庁によると、インドネシアのスマトラ島沖で発生した地震で、日本への津波の影響はない。


被災地首長アンケート アベノミクス肯定増
産経新聞 3月3日(木)7時55分配信

 11日で東日本大震災から5年となるのを前に、産経新聞社は被災した市町村長にアンケートを実施した。アベノミクスや2020年の東京五輪が復興に対してプラスとみる回答がマイナスとみる回答を上回った。2年前の前回調査と比べると、アベノミクスをプラスとみる自治体が増加した一方、東京五輪をプラスとみる自治体はわずかに減少した。

 「アベノミクスが復興にどのような影響を与えているか」との問いに、「プラス」「ややプラス」は31・2%で、前回より6・1ポイント上昇。「マイナス」「ややマイナス」は6・5%と約3分の1に減少した。

 肯定的な意見では、「有効求人倍率が高倍率を維持している」(福島県郡山市)▽「市内への企業進出が増加した」(茨城県下妻市)-といった声があり、近年の経済指標の改善が肯定的な意見を押し上げたことがうかがえる。

 一方、「東京五輪が復興にどのような影響があるか」との問いに、「プラス」「ややプラス」は30・8%で前回より2・9ポイント減少。肯定的な意見では、「スポーツの力を復興や地域創生につなげ、世界中の支援に感謝を表明する場としたい」などがあった。

 アベノミクスや東京五輪に対する否定的な意見はいずれも、復興に関わる人手不足や資材高騰などによる影響を懸念するもので、「五輪準備に人手がとられると、より復興が遅れる可能性がある」(福島県南相馬市)といった声があった。

 「震災の風化を実感しているか」との問いには「大いに感じる」「やや感じる」が75・5%に上り、前回より1・0ポイント減少した。

 アンケートは政府が特定被災地方公共団体に指定する178市町村長に対して1月に実施、98・9%に当たる176市町村から回答を得た。


被災地首長アンケート 6割が「人口対策」重視
産経新聞 3月3日(木)7時55分配信

 産経新聞社が行った市町村長アンケートでは、「震災10年に向け今後5年間で力を入れる政策」(複数回答)として、6割近い101自治体が「人口対策」を挙げた。また、約3割の49自治体が「防災教育」を挙げ、国への注文を聞く自由記述に対しても、普段の備えに対する財政支援を求める声が多く寄せられた。東日本大震災から間もなく5年となる中、「防災・減災」に力を入れていこうとする姿が浮き彫りになった。

 人口対策を重点政策として挙げた自治体は、甚大な被害を受けた東北地方だけでなく、千葉県や茨城県など広範囲にわたった。ほかにも「若い世代を呼び込む」「被災し事業所数、工業製品出荷額などが減少している」などを理由に、69自治体は「産業再生」、65自治体が「雇用拡大」を重点政策として挙げており、本格的な人口減少社会に向け、地域経済の再生が大きな課題となっていることがうかがえた。

 また、防災教育を重点に挙げた自治体では「非常時には『自助・共助・公助』がそろい初めて安全が保たれる」など、国や自治体などによる公助だけでなく、住民自身の自助や地域の助け合いによる共助が重要だとする意見が複数あった。

 「今回の震災と原発事故を教訓に、国や自治体はどう備えるべきか。また国への注文は」との問いには、「平素からの備えに国の財政的、技術的支援を」「国は市町村に防災の専門職員を派遣し、指導する体制を作ってほしい」「広域避難体制の確立」など、普段から国の財政的、人的支援を受けながら備えを整えたいとする声が目立った。

 「自治体の復旧・復興はどの程度進んでいるか」との問いには、83%の自治体が「進んでいる」「どちらかといえば進んでいる」と回答した一方で、47自治体が「風評被害対策」を重点政策に掲げており、いまだに根強い風評被害を実感していることも明らかになった。

 「震災の風化を感じているか」との問いに対する回答は、2年前の前回調査とほぼ横ばいの結果となったが、「逆に関心は高まっている」と回答した自治体は1から3に増えた。このうち、宮城県登米(とめ)市は東京電力福島第1原発事故で放射性物質に汚染された稲わらなどの指定廃棄物を同県内で最も多く一時保管しており、「難航している指定廃棄物の最終処分の問題で注目が集まっている」と回答理由を説明した。


県外避難の子ども1万人
2016年3月3日(木)3時52分配信 共同通信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から県外に避難を続けている18歳未満の子どもが約1万人に上ることが3日、同県などの調査で分かった。帰還が進まなければ、福島の将来を担う世代が流出したままで、復興に影響を及ぼす恐れがある。

 県によると、各自治体が把握している18歳未満の県外避難者数は昨年10月時点で1万557人。このうち、事故後に避難区域に指定された沿岸部の12市町村が4760人で半数近くを占め、第1原発が立地する大熊町は534人、双葉町は414人。県内への避難も含めると約2万2千人の子どもが避難生活を強いられている。


石巻の仮設住宅向け新聞廃刊、支援のあり方議論
読売新聞 3月2日(水)23時19分配信

 「仮設きずな新聞」(宮城県石巻市)の編集長岩元暁子氏と、ピースボートセンター石巻代表の小林深吾氏が2日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、東日本大震災から5年を前に被災者支援のあり方を議論した。

 岩元氏は、仮設住宅向けに無料で配布してきた新聞を今月で廃刊することに触れ、「地元の方々の力を借り、災害公営住宅なども対象にした新しい支援を考えたい」と話した。小林氏は「コミュニティー再生につながるイベントの企画など長い目で見た支援が必要だ」と訴えた。


インドネシア沖M7・8の地震、津波警報は解除
読売新聞 3月2日(水)22時38分配信

 【ジャカルタ=池田慶太】米地質調査所(USGS)によると、インドネシア西部スマトラ島沖で2日午後7時49分(日本時間午後9時49分)頃、マグニチュード(M)7・8の地震が発生した。

 震源地は同島パダンの西南西約800キロ・メートルで、震源の深さは24キロ・メートル。大津波が起きやすい「プレート境界型」ではなく、断層が水平に動く「横ずれ型」だったとみられる。詳しい被害状況は不明。インドネシアの気象当局はスマトラ島北部アチェや同島の西沿岸に津波警報を出したが、数時間後に解除した。

 地元テレビは、地震発生後、パダンの病院で入院患者を屋外に避難させる様子を放映した。画像からは建物の損壊は確認できなかった。防災当局者は同テレビに「被害情報は届いていない」と述べたという。

 スマトラ島沖では2004年12月、マグニチュード9・1の強い地震が起き、大きな津波が発生。東南アジアやアフリカ東部の沿岸部を襲い、計23万人が死亡している。この時の地震はプレート境界型だった。


米英型の上限導入、見送りの公算=原子力賠償制度―有識者会議
時事通信 3月2日(水)22時33分配信

 政府の原子力委員会は2日開いた有識者会議で、原発事故の発生時に電力会社が負う賠償責任の範囲をめぐり議論した。
 電力業界などは賠償額の上限設定を求めているが、会議では、米国や英国などが導入している上限額の明示は困難との意見が大勢を占めた。原子力損害賠償制度の見直しでは、英米型の有限責任の導入は見送られる公算が大きくなった。
 現行の日本の原子力損害賠償制度では、賠償額に上限がない「無限責任」を原発を運営する電力会社が負うことになっている。これに関して電力業界は「賠償額が青天井では原発事業の先行きを予見できない」として有限責任の導入を主張。有識者会議の一部委員も上限設定を求めている。

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