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2016年3月 1日 (火)

東日本大震災・原発事故関連のニュース・2094

引き続き、2011年3月11日に発生した、東日本大震災ならびに東電福島第一原発事故に関連するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:日本に津波の影響なし=気象庁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<原発被害者>「ふるさと返せ」 東京・日比谷で集会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<両陛下>被災地視察 16~18日に福島、宮城へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「関電、深刻に反省を」=高浜4号機停止で規制委員長 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、16日から福島・宮城の被災地を訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、被災3県ご再訪へ 3月中旬に福島、宮城ご視察 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜差し止め、9日判断=住民が仮処分申請―大津地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下の宮城、福島訪問決定=被災者と懇談、復興視察へ―宮内庁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下が福島、宮城訪問へ - 速報:@niftyニュース.
リンク:【被災地は今】女川町で「まち開き」 生まれ変わる町に涙する人の姿も - 速報:@niftyニュース.
リンク:【震災とイエ】放火された自宅の跡地で - 速報:@niftyニュース.
リンク:中越地震で水没した旧山古志村の家屋2棟が震災遺構に 一帯はメモリアルパークとして整備 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【震災とイエ(2)】家々の土台が剥がされていく - 速報:@niftyニュース.
リンク:東日本大震災5年 「心情あふれる支援を」被災地での経験をかみしめる女性自衛官 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜4号機、冷温停止に=関電・高浜原発 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<奇跡のあじさい>復興の象徴に…全国に株分け、来春帰郷へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大震災、海中再捜索求め署名提出 - 速報:@niftyニュース.
リンク:高浜原発4号機が冷温停止 原子炉安定状態で調査へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:いわきFCスポーツの力で復興を/忘れない3・11 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:帰還困難区域の除染明確化を=復興は途上―内堀福島県知事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:沿岸部に支援手厚く=観光客誘致へ地域連携―村井宮城県知事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地方創生のモデルに=福島再生、国が前面―高木復興相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:災害公営住宅完成へ=目に見える復興目指す―達増岩手県知事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:住民に帰町の選択肢を=「じじい部隊」が守る地域―原発立地の福島県大熊町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地、にぎわい戻るか=住宅街や商店開設―まちの再生まだら模様・岩手、宮城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災5年 失った愛する家族を悼む…「私たちは今も千聖を育てている」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:関電が滋賀県に高浜原発4号機の一連のトラブル説明 原子力安全対策連絡協議会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島の6割「21年度以降」=復興進捗に差―被災3県調査・東日本大震災5年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災5年>被災小舟漂着、絵本に 日米高校生の交流描く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<高浜原発>1、2号機の延長差し止め提訴へ 名古屋地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災農地74%が復旧=福島は3割にとどまる―農水省 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島第1原発>敷地内にコンビニ開店 作業員の利便性向上 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島第1にコンビニ=大型休憩所内に―東電 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大震災の被災校舎、依然4割が仮 - 速報:@niftyニュース.

以下、参考のために同記事を引用

日本に津波の影響なし=気象庁
時事通信 3月2日(水)22時29分配信

 気象庁は2日夜、インドネシアの地震による日本への津波の影響はないと発表した。


<原発被害者>「ふるさと返せ」 東京・日比谷で集会
毎日新聞 3月2日(水)21時22分配信

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プラカードを掲げて福島第1原発事故被害者への支援を訴える集会参加者たち=東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で2016年3月2日、猪飼健史撮影

 東京電力福島第1原発事故で、国や東電を相手取って訴訟を起こした原告団らでつくる全国組織「原発事故被害者団体連絡会」(21団体、約2万5000人)が2日、責任の明確化や賠償などを求める集会を東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で開いた。約800人(主催者発表)が参加。自主避難者に対する住宅無償提供の継続などを要求した。集会終了後、東電や経済産業省などの前をデモ行進し、「被害者の声を聞け」「原発事故は続いている」などと訴えた。

 集会では、壇上の参加者が「政府や福島県は避難者をゼロにすることが復興だと言うが、なくすべきは被ばくの強要とそれによる被害だ」などと訴えた。福島市から参加した女性(42)は「国や県は復興が進んでいるように言うが、除染で取り除いた土が積み上がった風景が当たり前になっている。安心でも安全でもない」と話した。【林田七恵】


<両陛下>被災地視察 16~18日に福島、宮城へ
毎日新聞 3月2日(水)19時54分配信

 宮内庁は2日、天皇、皇后両陛下が東日本大震災の復興状況を視察するため16~18日の日程で福島、宮城の両県を訪問されると発表した。また、両陛下は発生から5年を迎える11日、国立劇場(東京都千代田区)で開かれる政府主催の追悼式に出席する。

 16日は福島県三春町で避難生活をしている葛尾(かつらお)村の被災者らと懇談する。東京電力福島第1原発事故の影響で全村避難をしている葛尾村は、臨時役場を設けた三春町などで村民が分散して避難生活を続けている。

 17日は宮城県女川町を訪ねる。昨年3月に全線復旧したJR石巻線女川駅を中心に復興が進む街並みや、壊滅的被害から操業を再開した水産品加工会社を視察する。同県石巻市の県水産会館では、県漁業協同組合が建てた慰霊碑に拝礼し、亡くなった漁業関係者を追悼する。18日は仙台市の東北大学で、震災と医療に関する展示を見学する予定。【山田奈緒】

 ◇復興見守った5年間 訪問重ね「苦難分かち合う」

 天皇陛下は地震発生直後の2011年3月16日、異例のビデオメッセージで「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」とお言葉を述べられた。天皇、皇后両陛下はこの5年間、宮城、岩手、福島の3県を中心に毎年、被災地を訪問。津波被害や原発事故に伴う除染作業の現場などを視察し、復興を見守ってきた。

 11年3月下旬~5月中旬には、7週続けて被災地や避難所を訪ねた。避難所では、段ボールで仕切られた居住スペースの奥まで入り、時間の許す限り被災者に言葉をかけた。

 12年2月、天皇陛下は心臓バイパス手術を受けた。手術の時期は震災から1年にあたる同年3月11日の追悼式の出席が可能になるよう、陛下の意向で決まった。退院後、両陛下は東京都千代田区であった追悼式に出席した。

 11年4月27日、仙台市の宮城野体育館に避難していた同市の佐藤美紀子さん(68)は、両陛下訪問に「心が温まった」思い出があるという。「お二人で手分けをして、避難者全員に声をかけようとされていた。風邪や疲れを気遣う優しい言葉を多くの人が受け取った」と振り返る。

 佐藤さんの自宅は津波で全壊。その跡に咲く黄色いスイセンの花を摘み取り、体育館で皇后さまに渡した。「このスイセンのように強い気持ちで頑張ります」という思いを伝えたかった。皇后さまは「ちょうだいできますか」と言って受け取られた。

 震災前に自宅があった地域は集団移転の対象で戻れず、佐藤さんは昨年9月に同市の市営住宅に入居した。「復興は道半ば。両陛下が今も震災のことを気に掛けてくださることがうれしい」と佐藤さんは言う。【山田奈緒】


「関電、深刻に反省を」=高浜4号機停止で規制委員長
時事通信 3月2日(水)19時40分配信

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は2日の定例記者会見で、再稼働から4日目に緊急停止した関西電力高浜原発4号機(福井県)について、「残念で遺憾だ。いろいろなことが続くのは、企業全体として深刻に反省していただく必要がある」と不快感を示した。
 
 田中委員長は「中身はまだ分からない」と安全性への影響に対する言及は避けたが、再稼働前に起きた水漏れなどに触れ、「トラブルがないようにやることが信頼回復につながると関電に伝えていたが、結果的に裏切ることになっている」と批判した。


両陛下、16日から福島・宮城の被災地を訪問
読売新聞 3月2日(水)19時1分配信

 宮内庁は2日、天皇、皇后両陛下が16日から2泊3日の日程で、福島、宮城両県の被災地を訪問されると発表した。

 震災から5年を迎えても避難生活を続けている住民らから話を聞くほか、復興状況などを視察される。

 同庁によると、両陛下は16日、新幹線で福島県に入り、三春町を訪問。東京電力福島第一原発事故で全村避難し、役場機能を同町に移している葛尾村の村民らと懇談される。

 その日のうちに宮城県に移動し、17日は津波で壊滅的な被害を受けた女川町中心部の復興状況などを視察される。18日は仙台市で開催中の「震災と医療」をテーマにした企画展示を見学し、午後に帰京される。


両陛下、被災3県ご再訪へ 3月中旬に福島、宮城ご視察
産経新聞 3月2日(水)18時37分配信

 宮内庁は2日、天皇、皇后両陛下が東日本大震災の復興状況を視察するため、16~18日に福島、宮城両県を訪問されると発表した。被災3県のうち、岩手県には10月に開かれる国体に合わせて訪問される予定。震災5年の節目にあたり、両陛下は早期に3県を再訪し、被災者を励まされることなどを希望されていた。

 両陛下は16日、東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県三春町に設けられた葛尾村役場の出張所で、仮設住宅などで避難生活を送る村民と懇談される。

 17日には、宮城県石巻市の県水産会館に立ち寄り、震災で組合員392人が死亡・行方不明となった県漁協の慰霊碑にご拝礼。その後、震災後初めて同県女川町を訪れ、昨年12月に開業した商店街を視察される。

 津波で駅舎などが流出したため内陸部に移設され、復興の象徴とされるJR石巻線女川駅についても現場で説明を受けられる。


高浜差し止め、9日判断=住民が仮処分申請―大津地裁
時事通信 3月2日(水)18時2分配信

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)は安全性が確保されていないとして、滋賀県の住民29人が再稼働差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁(山本善彦裁判長)は2日、今月9日に決定を出すことを決め、住民側と関電側に通知した。
 
 住民側は、高浜原発は地震や津波の想定が不十分で、事故によって琵琶湖が汚染され、住民の生存基盤が奪われると主張。関電側は想定は十分で、原発の設備の安全性は確保されているとして却下を求めている。


両陛下の宮城、福島訪問決定=被災者と懇談、復興視察へ―宮内庁
時事通信 3月2日(水)17時57分配信

 宮内庁は2日、天皇、皇后両陛下が今月16日から3日間の日程で、東日本大震災から5年となる宮城、福島両県を訪問し、復興状況を視察されると発表した。
 東京電力福島第1原発事故で避難指示が出ている福島県葛尾村の被災者と懇談するほか、宮城県女川町の商店街や水産加工工場の視察などが予定されている。


両陛下が福島、宮城訪問へ
2016年3月2日(水)17時15分配信 共同通信

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 天皇陛下、皇后さま

 宮内庁は2日、天皇、皇后両陛下が東日本大震災からの復興状況を視察するため、3月16~18日の日程で福島、宮城両県を訪問されると発表した。震災から5年の被災地を見舞い、東京電力福島第1原発事故で避難生活を強いられている住民らと懇談する。

 両陛下は被災した人々を案じ、2011年の震災発生以降、毎年、被災地に足を運んできた。福島、宮城の被災地視察はそれぞれ5回目となり、岩手県にも秋に開催される国体に合わせて訪問する見通しだ。

 両陛下は16日に東北新幹線で福島県に入り、原発事故で全村避難が続く葛尾村の役場の出張所が置かれている三春町を訪れる。


【被災地は今】女川町で「まち開き」 生まれ変わる町に涙する人の姿も
2015年12月29日(火)12時12分配信 THE PAGE

 高台に建つJR女川駅から、女川湾を望みゆるやかに傾斜する、まっすぐな道が伸びた。道に並行して整備された街路灯の間を、人々が行き交う。

 東日本大震災から4年と9カ月以上が経つ23日。宮城県女川町で、津波で壊滅的な被害を受けた商店街が再建され、開業を迎えた「まち開き」があった。町の「顔」となる商店街が姿を現したことで、この町でも人々が買い物を楽しんだり外でコーヒーを飲んだりするような日常的な賑わいを、ようやく目にすることができるようになってきた。

ようやく再建された商店街
 津波が来た際の避難路としての機能も持つ駅前大通りの両脇に開業した商店街、「シーパルピア女川」。新商店街には、これまで仮設店舗で営業を続けていた商店や、新たに出店する店など、27店が入居した。商店街にはピアノ曲のBGMが流れ、音楽ホールを備えた町の交流館を始め、コーヒー店や飲食店、衣料品店、花屋やスーパーなどが立ち並ぶ。クリスマスイブの24日、商店街は町外からの観光客や町民らが行き交い、活気付いていた。

コンテナを改装した仮設店舗から移転
 「全国、全世界の支援でここまで来れた。みなさんのおかげです」。新商店街に入った「ふらわ~しょっぷ花友」の佐藤伶奈さん(25)はそう話す。海のすぐそばにあった店が津波で流され、震災後はコンテナを店に改装した仮設商店街「コンテナ村商店街」で営業を続けてきた。

 仮設商店街は今年に入って道路の通行止めの影響で来客数が激減し、若い人の足も遠のいていたという。開放感のある新しい店内に移ったことで、フラワーアレンジメントなどの体験教室を開くなどの新たな夢も膨らんでいる。「せっかくおしゃれなところで開業することができたので、お花をたくさん揃えて、いつもワクワクするようなお店を作っていけたら」と、声を弾ませる。

「町に彩り添えていく」
 スペインタイルの制作販売店「みなとまちセラミカ工房」は、町のもう一つの仮設商店街「きぼうのかね商店街」から移転した。20メートル近い津波が押し寄せ、文字通り壊滅的な被害を受けた女川町。代表の阿部鳴美さん(54)らは、彩りが失われた町に華やかで明るい色彩を添えようと、震災後にスペインタイルの制作を始めた。新しい商店街に移り、「ようやく、ここが第一段階。タイルは割れさえしなければ、色あせずに何百年先ももつものなので、再建される住宅の表札など、これからどんどん街を彩っていきたい」と意気込む。

 商店街にはこの日、水産物や特産品などの町名物を売る屋台も多く出店した。「震災後に甘いものを売る店がなくなった女川町で、人々に甘いものを提供したい」と、今年6月から町でたい焼き屋を開業した佐藤稔克さん(60)は「商店街開業の23日は行列ができて、300個焼いたたい焼きが2時間半で売り切れた」と目を丸くする。ずんだ餡や栗餡を入れたたい焼きは、町の新名物。「新商店街の開業で、町がますます賑やかになってくれることを願っている」と笑顔だ。

壁のような土を盛る工事が続く
 「まち開き」とはいえ、目に見えて復興したのはJR女川駅前の大通りで、津波で大部分が流された町の一部にすぎない。女川町では今回の規模の津波の襲来に耐えうる町づくりを目指し、商業地を元の土地の高さから約4メートル、住宅地を約10メートル高く土を盛る計画。津波被害を受けたほとんどの土地では、壁のような土を盛る工事がいまだ続いているのだ。建物の建つ土地自体を大規模に作り変える必要がある津波被災地では、復興のスピードはとても遅くなる。

 この日特別に新商店街で屋台を出していた「串焼きたろう」の千葉静郎さん(63)は店舗の自力再建を予定しているが、建設予定地のかさ上げ工事が終わっておらず、店舗再建には「あと3年くらいかかるのではないか」と話す。店ができるまで、町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」で営業を続けるという。

いまだ2千人以上が仮設住宅に
 寒さを増してきた夕方ごろから、コンテナの仮設商店から新商店街に移転した居酒屋では、町の馴染みの男性客が続々とカウンターに集まってきていた。「この場所はいいけど、町のかさ上げ工事はあと何年かかるのか」「集合住宅でうまく暮らしていけるのか」。今年11月末時点で人口は6885人だが、町内ではいまだ2千人以上がプレハブなどの簡易な仮設住宅に住む女川町。酒を飲みながら、終の住処をめぐる談義は絶えない。

 「5・4・3・2・1・・・」。午後6時半。商店街に集まった町民らのカウントダウンの後、駅から伸びた一本道と街路灯の先に、大きな花火が上がった。真っ暗な夜空に次々と打ち上げられる華々しい花火の明るさが、涙を流して見上げる人の表情を照らした。

(安藤歩美/THE EAST TIMES)


【震災とイエ】放火された自宅の跡地で
2015年12月31日(木)15時18分配信 THE PAGE

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3千人弱が暮らしていた荒浜地区。家の土台だけが残ったままになっていたが、最近撤去工事が進んでいる(12月8日撮影)

【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」
第一部 仙台・荒浜のひとびと(1)放火された自宅の跡地で

 今年10月9日夜、海辺にたたずむ一軒の小屋が全焼した。警察による現場検証の結果、何者かが小屋に侵入し、ストーブの中にあった灯油を撒いて放火したとみられている。犯人はいまだ、捕まっていない。

 事件があったのは、JR仙台駅から車で約30分の、太平洋に面した宮城県仙台市若林区荒浜。約5年前の東日本大震災で186人が犠牲となり、集落ごと津波にのまれた被災地だ。震災前は約750世帯、3千人弱の人々が暮らしていた集落だが、震災後は仙台市がこの場所での居住を禁じ、今ではこの場所に住む人はいない。家の土台がところどころに残るばかりで、そこに集落の歴史と生活があったことが嘘かのように、周囲一帯はまっさらな原野に戻りつつある。

 貴田喜一さん(70)は、そんな風景に抗うかのように震災後、津波で流された自宅の跡地に小屋を建てた。貴田さんによると、貴田さんの家系は約500年前に荒浜に入り、屋号に「殿(ド)」という文字が付く、歴史ある「本家」。先祖代々、この場所で生活を営んできた。

 荒浜は、自然の恵みが豊かな集落だった。街を流れる貞山運河ではシジミが採れ、仙台雑煮の出汁に欠かせないハゼも釣れた。松林ではさまざまな種類のキノコが採れて、松ぼっくりは小学校のダルマストーブの燃料にもなった。漁業が盛んで、浜辺にはまれにクジラが打ち上がることもあり、昔は命を無駄にしないようにと、住民たちで肉を分け合った。サラリーマン世帯の増加で、近年はそんな半農半漁の生活形態は薄くなってきてはいたが、農作物やお惣菜をおすそ分けをしたり、住民みんなで季節ごとの地域行事に参加したりする結束力は変わらなかった。

 2011年3月11日。荒浜を、「壁のような津波」が襲った。貴田さんは車で荒浜から避難したが、集落内の荒浜小学校の屋上に避難した住民も多くいた。貴田さんは話す。

 「多くの人が、あの小学校の屋上で、地獄を見た。家がそのまま海に流されて、2階から手を振っている人がいるのが見えるのに、その家が、沈んでいく。そんな恐ろしい風景を見たのだから、みんな『こんな場所には二度と住みたくない』と言うようになったのです」

 あの日、大津波は、集落のすべてを飲み込んだ。仙台市は津波の危険から、2011年9月に荒浜での居住を原則禁止。荒浜の人々は市内各地の仮設住宅などに入居し、ばらばらの場所に住むことになった。多くの住民は、内陸に建設される災害公営住宅に集団で移転することが決まった。数百年の歴史を持つ「荒浜」という名の集落が、あの日のあの一瞬で、なくなったのだ。

 貴田さんは、先祖から何百年も脈々と続いてきた故郷の生活や文化が一瞬の震災で消えてしまうことに、そして自分を形作ってきたこの土地を離れることに耐えることができず、仮設住宅から荒浜へと通う日々を続けた。

 貴田さんは2012年、「荒浜再生を願う会」を発足。その後自宅跡地に小屋を建て、「この場所に帰りたい」気持ちを表す象徴として、映画「幸福の黄色いハンカチ」にちなんだ黄色いハンカチを掲げた。月に一度は「蘇生活動」と称してその小屋を解放し、海岸清掃やイベント開催の拠点にして、参加者に食べ物を羽振りよく振る舞う荒浜の文化「お振る舞い」をした。元住民に、ときに家族にまで、「いつまでこんなことをするのか」と呆れられたことも少なくなかったが、「荒浜」という場所に漂う思い出や記憶、歴史の灯りを、途絶えさせたくなかった。

 荒浜から工芸品を売る新たな取り組みを始めようとしていた矢先、放火は起きた。10数枚が吊るされていた黄色いハンカチも、上2枚を残して焼失していた。「悔しい」。貴田さんは当時、そう一言だけつぶやいた。

 12月13日。全焼した小屋の隣に、簡易なテントが張られていた。新調されてより濃さを増した10数枚の黄色が、浜風になびいていた。荒浜では震災を語り継ぐためのイベントが開かれ、元荒浜住民のお母さんたちが作るお雑煮の「お振る舞い」がされていた。元住民と若い世代とが交流し、その場所には再び笑い声が溢れていた。

 活動を始めた当初は、どうして故郷の地に住んではいけないのかと、行政と全面的に対立していた。しかし貴田さんは最近、それでは進まないことがあると悟り始めた、と話す。この日、貴田さんの元には仙台市の職員が訪れていた。前向きな対話ができた、と貴田さんは評価している。

 仙台市は荒浜小の校舎を、震災の記憶を語り継ぐ「震災遺構」として残すことを決めているが、荒浜全体の土地の用途は具体的には決まっていない。荒浜を、どのような場所として残していくか。何を残し、何を語り継いでいくべきなのか。市との対話が始まっている。貴田さんは話す。

 「ここには自然の宝がたくさんあるから。今は難しくても、いつか、元住民がこの場所を訪れたくなったときのために、荒浜を再生しておきたいのです。『荒浜』という地名を、将来まで残す。どこまでも、それを目標にやっていく」

(文・写真 安藤歩美/THE EAST TIMES)

【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」
東北には先祖代々からの土地を何百年と受け継ぐ家も多く、今日までその土地や「家」に根ざした文化や信仰が生き続けてきました。震災で家が流され、突然先祖や土地との連続性を断たれたとき、そこには、物理的な「家」の破壊以上の喪失があったのではないでしょうか。あの日、何が失われたのか。今もう一度考察してみると同時に、震災から5年近くが経ち、被災した人々と家、土地との関係にどんな変化が起きているのかを探ります。


中越地震で水没した旧山古志村の家屋2棟が震災遺構に 一帯はメモリアルパークとして整備
産経新聞 3月2日(水)15時0分配信

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水没した長岡市山古志地区の家屋(同市提供)(写真:産経新聞)

 68人が亡くなった平成16年の新潟県中越地震で被害を受け、水没した新潟県の旧山古志村(現・長岡市山古志地区)の家屋が、震災の教訓や記憶を次世代に伝える遺構として保存されることになった。新潟県の中越大震災復興基金が2月半ばに開いた理事会で決まった。同基金が9770万円を拠出し、今春から保存工事を始める。降雪前の今秋までに完成する予定だ。

 長岡市によると、保存されるのは、木籠(こごも)集落の家屋2棟。地震の際に土砂崩れで川がせき止められて一時は水没し、腐食が進んだ。現在、一帯はメモリアルパークとして整備され、防災視察や観光の拠点になっている。

 保存に向けて同市は、昨年10月から調査を進め、積雪による倒壊を防ぐために、柱を補強するといった緊急の補修工事を施していた。

 保存工事は、家屋が洪水などで流されないように2棟の周囲に柵を設けるほか、風化した屋根の修繕や柱の補強などが予定されている。拠出額のうち570万円は、家屋の維持管理に充てられる。

 中越地震の数少ない震災遺構として保存されることが正式に決まり、同市の森民夫市長は「国や県の協力を得て、今後も家屋をしっかりと保存し、震災の記憶の伝承と復興した地域の姿の発信に努めていく」とコメントした。

 かつて2棟のうちの1棟に暮らしていた近くに住む松井キミさん(71)は「保存を機に多くの人に来てもらい、地震のことを知ってほしい」と話している。

 新潟県中越地震は16年10月23日の午後5時56分頃、同県中越地方を震源に発生し、大きな余震が立て続けに起きたことで、同県内を中心に甚大な被害を出した。

 最初の揺れはマグニチュード6・8で、震源の深さが13キロと浅かったことから、旧川口町(現長岡市川口地区)では震度7を記録。国の重要無形民俗文化財に指定されている「牛の角突き」や、ニシキゴイの産地の一つとして知られる旧山古志村(現長岡市山古志地区)も、震度6強の揺れに襲われた。

 旧山古志村では山の斜面が崩れ、道路が寸断されて家屋が至るところで倒壊するなど、被害が大きかった。人的被害は死者5人、負傷者25人。住宅の被害は全壊の339棟を含めて計747棟に及んだ。

 新潟県全体の死者は68人、負傷者は4795人を数えた。長野、埼玉、群馬各県でもけが人があり、この地震による負傷者は全体で4805人だった。

 3年後の19年には、同県上中越沖を震源にした新潟県中越沖地震が発生している。


【震災とイエ(2)】家々の土台が剥がされていく
2016年1月4日(月)14時51分配信 THE PAGE

【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」
第一部 仙台・荒浜のひとびと(2)家々の土台が剥がされていく

 シタビラメの干物で出汁を取り、白菜、芋がら(里芋の茎)、大根を煮て、お餅を入れる。その上に、たっぷりイクラをかける。荒浜の海と大地の幸を詰め込んだ、佐藤家の正月のお雑煮だ。

 仙台駅から海へ向かって車で約30分、震災前には3千人弱の人々が住んでいた仙台市若林区荒浜。東日本大震災で集落ごと津波にのまれて186人が犠牲となり、2011年12月に仙台市が居住を原則禁止した。400年とも、500年とも言われる歴史を持つ荒浜の集落はあの日、一瞬の震災でなくなった。これまで荒浜には、津波で流された家々の土台だけが残されており、その光景が、この場所に確かに人々の生活の営みがあったということを生々しく物語ってきたのだが、ここに来て、その土台を撤去する工事が急速に進んでいる。

 撤去工事をするショベルカーが轟音を上げる、昨年12月中旬。佐藤優子さん(53)は、海からすぐそばの自宅跡に建てた作業小屋の前で一人、雑煮の出汁となるシタビラメを焼いて正月の準備を始めていた。「仮設住宅の台所は狭くて魚をさばくと掃除が大変だし、焼くと火災報知器が反応するでしょ。この場所なら、大声で歌いながら作業もできるしね」と、屈託のない笑顔で笑う。

 佐藤さんは、荒浜の漁師の一家。漁師の父親(80)とともに、震災後の自宅跡地に、青い小屋と、真っ赤な小屋を建てた。周辺に建物が何もなくなった荒浜で、佐藤さんの建てた小屋は異彩を放っている。青い小屋は、漁の道具を置くための小屋。赤い小屋は、漁に使う網を編んだりするための作業小屋だ。家のブロック塀は正面側の一部だけが残されていて、その前には花が一列にきれいに植えられており、敷地内の畑ではよく手入れされたイチジクの木や大根が育っている。

 佐藤さんは、荒浜から車で約15分離れた仮設住宅から毎日のようにこの場所に通い続けている。午前4時半に起床して、漁師の父とアカガイ漁に近くの仙台港へ向かう。その後、荒浜の自宅跡で貝の選別作業や箱詰めをして、市場へ運ぶ。その後また荒浜に戻り、暗くなるまで仕事や農作業をして過ごす。居住が禁じられた後も、佐藤さんの生活はこの場所で続いている。

 仮設住宅では4畳半程度の台所と6畳2間に、両親と暮らす。収納が足りずにたくさんの荷物であふれてしまい、ちょっとした音も隣に筒抜けになるプレハブ仮設住宅は、海からの風を吸い、広々とした土地で歌いながら仕事をしてきた人々にとっては、息苦しい環境だ。「ここ(荒浜)に来て波の音を聞きながら作業すると、気持ちが落ちつくの」と、佐藤さんは話す。

 海と生きてきた荒浜の漁師の人々のくらし。仙台港が建設される前の昭和30年代ごろまでは荒浜の海から漁に出ており、波の荒い荒浜の海に負けぬよう、「エグリガッコ」と呼ばれる先の尖った特殊な船を用いて漁をしていた。砂浜から人力で船を海に出すのも戻すのも、大変な労力が要る。漁から帰ってきた船を漁師の家族や住民たちで引き、手伝ってくれた住民には獲れた魚を「おふるまい」していたという。海のそばに建つ神社「ハッテラ様」には、いつも海での安全と大漁を祈願した。

 2011年3月11日。地震後、佐藤さんは津波から船を守ろうと父と向かった仙台港で、慣れ親しんだ海の、豹変した姿を見た。「海に、小さい渦巻きが、右巻きのもの、左巻きのもの、何万もの数が渦巻いていたんです。こんな光景があるのか、と信じられない気持ちで見ていた」

 堤防を超える波を見て、追いかけてくる津波から、車で必死に高台へ逃げた。寒さに震えながら車内で夜を過ごした翌日、津波が襲来した高台の下へ降りていくと、「核戦争の後のような光景が広がっていた」

 船は奇跡的に無事だった。「父は無事だった船を見て、『仕事をしろということなんだ』と悟ったみたい。自宅再建をしなきゃいけないこともあって、震災後は死にものぐるいで働いていて、体重が5キロ減った。それだけ無理をしているんだね」と、佐藤さんは気遣う。

 自宅跡地は昨年夏に仙台市が設定した買い取り期限を迎えたが、佐藤さんは、この土地を売らなかった。今年中には市内に自宅を再建する予定だが、これからも荒浜の自宅跡地を売り払う予定はない。「この場所があるからこそ、おじいさんおばあさん(両親)がほっとする。ここで亡くなった先祖も含めて、私たちがこれまでずっと生きてきた場所。心の拠りどころなんです」

 佐藤さんの小屋のもとには今も、荒浜の元住民が訪ねてくることがある。「通りがかったら、お茶っこ飲まいん、って誘うの。そしたら、5、6人とか、10人くらい集まってくることもあるんですよ。それで世間話をして、『またここで待ってっからね』って言って別れるんです」

 荒浜が、夕焼けの赤色に染まる。「こうなると、日が暮れるのはあっと言う間。寒くなるよ」と、佐藤さんが急いで作業の片付けを始める。荒浜の大地から剥がされていく家々の土台のもとには、まだ小さな松の苗が、あちらこちらに生えていた。荒浜の海岸には震災前、住民に愛された豊かな松林があった。「震災のとき、松の木が子孫を残すためなのか、たくさん種を落としたんです。それが今、こうして生えてきた。土台を取るとき、切らないであげてほしい」と、愛おしそうに見渡した。

(文・写真 安藤歩美/THE EAST TIMES)

【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」
東北には先祖代々からの土地を何百年と受け継ぐ家も多く、今日までその土地や「家」に根ざした文化や信仰が生き続けてきました。震災で家が流され、突然先祖や土地との連続性を断たれたとき、そこには、物理的な「家」の破壊以上の喪失があったのではないでしょうか。あの日、何が流されたのか。今もう一度見つめ直すと同時に、震災から5年近くが経ち、被災した人々と家、土地との関係にどんな変化が起きているのかを探ります。


東日本大震災5年 「心情あふれる支援を」被災地での経験をかみしめる女性自衛官
産経新聞 3月2日(水)14時37分配信

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被災地での経験を受け継ぐ下澤麻美1曹(左)と見山あゆみ3曹=兵庫県伊丹市の陸上自衛隊千僧駐屯地(門井聡撮影)(写真:産経新聞)

 平成23年3月の東日本大震災では、同年12月の完全撤収までに、延べ約1066万人の自衛隊員が投入され、救助や救援活動に携わった。兵庫県伊丹市の陸上自衛隊第3師団第3後方支援連隊からも多くの隊員が被災地へと入った。「心情あふれる支援を」。震災から約5年が経過し、きめ細かな支援で被災者らに“希望”を届けた女性隊員は、あのときの経験を受け継ぎ、訓練に励んでいる。 (池田祥子)

 「あまりにも被害がひどくて言葉を失った」。同隊の下澤麻美1曹(53)は振り返る。当時、各地の自衛隊員が救助や行方不明者の捜索だけでなく、給水や給食、入浴などの支援を行った。

 下澤さんも宮城県亘理(わたり)町へ震災直後に入り、避難所に開設した入浴所での支援を担当した。「風呂に入ってやっと人心地ついた」と笑顔を見せる被災者たち。「こちらが恐縮するぐらい感謝され、逆に私の方がこの仕事を選んでよかったと誇らしく思えました」と語る。

 入浴所では、女性ならではの細やかな配慮があった。人の出入りが多く、すぐに水浸しになる脱衣所の床を頻繁にふいたり、風通しが悪い場所には扇風機を置いたりした。相手のことを考えた行動が被災者に喜ばれた。「何ができるのか。日頃の訓練だけでなく考えなければならないことがあるなと感じました」と振り返る。

 下澤さんは今年6月に定年を迎えるが、折に触れて後輩に震災時の経験を語っている。「災害はない方がいいが、万が一には速やかに、心情あふれる支援をしてほしい」と願う。

 下澤さんの同僚で、同町で入浴や救護の支援を行った見山あゆみ3曹(30)は、子供らの笑顔が印象に残っている。食事として隊員に乾パンとともに支給されるコンペイトウを子供たちに配ったり、笑顔で接したりすることを心がけた。初めは硬かった子供たちも、笑顔を見せるようになり、「お姉ちゃん」と懐いてくれたという。

 自衛官だった父の影響で21歳で入隊し、初めての災害現場。相手のことを考えながら支援することの大切さを学んだという。5月には同僚と結婚する予定だが、自衛官を続けるつもりだ。「常に物心両面を整えて迅速に行動したい」。震災の経験をかみしめて訓練に励んでいる。

                  ◇

 ■活躍の場広がり 増える女性隊員

 陸海空の全自衛隊員の中で、女性の占める割合は平成26年度末で5・7%(1万2958人)で、10年前に比べて1・1ポイント増加している。女性の社会進出とともに徐々に増えているが、安倍晋三政権は「女性の活躍推進」を掲げており、防衛省は、さらに女性自衛官を積極的に増やす方針を打ち出している。

 防衛省によると、女性隊員の全体に占める割合は、16年度は4・6%(1万1126人)、21年度は5・2%(1万1814人)、23年度は5・4%(1万2242人)-など、徐々に増加している。

 また、女性隊員の活動の場も、被災地での支援活動だけでなく、国連平和維持活動(PKO)など海外にも広がる。昨年11月には航空自衛隊の戦闘機パイロットについて女性の配置も認められた。

 ただ、「母性の保護」や「男女間のプライバシー確保」などを理由に、対戦車ヘリコプターや潜水艦、掃海艦艇などへの女性の配置を制限している持ち場も多い。一方、米国防総省は昨年末、女性兵士の配属制限の撤廃を決め、すべての戦闘職種の門戸開放に踏み切っている。


高浜4号機、冷温停止に=関電・高浜原発
時事通信 3月2日(水)12時25分配信

 発送電開始の作業中、原子炉が緊急停止するトラブルがあった関西電力高浜原発4号機(福井県高浜町)は2日午前、冷却水が低温に保たれ原子炉が安定的な状態となる冷温停止に移行した。
 
 関電によると、1日夜から原子炉の温度や圧力を下げ始め、2日午前8時45分に1次冷却水の温度が93度以下の冷温停止になった。
 4号機は2月26日に再稼働したが、29日に送電線側から発電機側に設定値を超える電流が流れたため、原子炉が緊急停止した。今後、改めて原子炉を起動し再稼働させる必要がある。関電は過電流の原因を調べている。


<奇跡のあじさい>復興の象徴に…全国に株分け、来春帰郷へ
毎日新聞 3月2日(水)11時45分配信

 ◇決壊ダムの湖底に群生

 東日本大震災で福島県須賀川市の農業用「藤沼ダム」が決壊し、湖水が鉄砲水となって下流を襲い、8人が死亡・行方不明となった。2年後、地元住民らが空になったダムの底でアジサイを見つけ、全国の人に株分けして育ててもらう「奇跡のあじさい里親事業」を始めた。ダムが再建される来春、持ち寄ってダム堤に植栽し、復興のシンボルにするのが目標だ。

 同市長沼の深谷武雄さん(70)宅のビニールハウスには鉢植えされたアジサイが並ぶ。これまで北海道から鹿児島までの約800人と小学校などに約2000株を渡した。深谷さんは「アジサイは土の成分によって花の色が変わる。全国の人たちと顔を合わせ、色とりどりの花を植えるのが楽しみ」と話す。

 藤沼ダムは地震で高さ18・5メートルの堤防が決壊した。深谷さんは営業の仕事から車で帰社途中、橋の手前で上流から黒い水が襲ってくるのを見た。アクセル全開で橋を渡り切ると、家屋を巻き込んだチョコレート色の水で川があふれた。

 ダム再建工事が始まる前の2013年4月、地元商工会から「湖底を歩き、被害を心に刻むイベントをしよう」と持ちかけられ、下見をした際、湖底でヤマアジサイの群生を見つけた。生育状況から2年以上たっているとみられたが、「種子が湖底に眠っていたのかもしれない」と疑問がわいた。専門家に調べてもらったが分からなかった。

 深谷さんらは「奇跡のあじさい」と名付け、みんなで育てようと「藤沼湖自然公園復興プロジェクト委員会」を発足。約200株を掘り起こし、自宅にビニールハウスを作って移植した。挿し木で株を増やし、14年11月から育ててくれる人を募った。成長の様子を報告する写真やメッセージが送られてくる。宮城県の女性からは「乳がんが見つかったが、ダム完成の日にアジサイ誕生の地に行くことを胸に治療を頑張ります」との手紙が届いた。

 地元のパン店は紫芋を使った「あじさいロール」を売り出した。深谷さんは「町中にも植栽し、アジサイがあふれる町になれば」と語る。問い合わせは同委員会(0248・67・3121)。【田中友梨、写真も】

 ◇藤沼ダム

 1949年、福島県須賀川市に県が建設した貯水量150万トンの農業用ダム。2011年3月11日、東日本大震災による震度6弱の強震で堤防に亀裂が入って決壊した。7人が死亡、当時1歳の男児が行方不明になり、民家など22棟が全壊した。住民らでつくる「被害者の会」は「人災だ」と主張したが、県の検証委員会は12年1月、「過去に経験のない長く強い揺れが原因」と結論づけた。再建工事は17年3月に完了予定。


大震災、海中再捜索求め署名提出
2016年3月2日(水)11時32分配信 共同通信

 東日本大震災の津波で長男の利行さん=当時(43)=が行方不明になっている岩手県陸前高田市の農業吉田税さん(81)らが2日、海中の再捜索を求めて集めた市民や支援者ら約2万8千人分の署名を戸羽太市長に提出した。

 吉田さんは「これが私たちの最後の願いです」と署名を手渡した。戸羽市長は「関係機関に協力を呼び掛けたい。私も皆さんと、気持ちは同じです」と応じた。

 いまだ205人が行方不明の同市では昨夏、海中に沈んでいる車を引き揚げたところ、震災の行方不明者の遺体が見つかった。

 署名活動は1月25日にスタート。フェイスブックなどを通じて協力を呼び掛けた。


高浜原発4号機が冷温停止 原子炉安定状態で調査へ
産経新聞 3月2日(水)11時26分配信

 関西電力は2日、原子炉が緊急停止するトラブルがあった高浜原発4号機(福井県高浜町)が同日午前8時45分に冷温停止状態になったと明らかにした。関電は緊急停止の原因調査を続けているが、再稼働の見通しは立っていない。

 冷温停止は、核分裂反応を抑える制御棒を原子炉に挿入し、1次冷却水の温度を93度以下に降下させて安定させた状態。同日午前9時現在で80・3度。関電はトラブルの原因究明と対策に時間がかかるとみており、原子炉をより安定した状態に保つため1日夕から冷温停止の作業を続けていた。

 高浜4号機は2月26日に再稼働したが、同29日の発送電開始の際、原子炉や発電機が緊急停止した。送電設備側から発電機側に想定を超える電流が流れたことが原因としており、関電は関連機器の詳細な調査を続けている。3月下旬に予定されていた営業運転は4月以降にずれ込む見通し。


いわきFCスポーツの力で復興を/忘れない3・11
日刊スポーツ 3月2日(水)10時2分配信

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今年10月に完成予定のグラウンド予定地に立つ「いわきFC」の大倉智社長

 東京電力福島第1原発事故による避難者が全国最多の福島県いわき市を「スポーツの力で東北一の都市にする」と新たな復興モデルを掲げたサッカーチームがある。1月の設立会見で「J1」と「100億円クラブ」を目標に設定した「いわきFC」。放射線の影響で子どもたちの運動量も減り、スポーツの灯が消えていった被災地で挑戦を始めた。

 福島県の太平洋沿岸は震災前、スポーツの盛んな地域だった。広野町と楢葉町にまたがるJヴィレッジはサッカー日本代表が合宿をし、なでしこチームもあったが現在は原発事故の対応拠点となっている。サッカーやバドミントンの強豪だった富岡高も休校が決まった。そんな「浜通り」を再びスポーツで盛り上げようと「いわきFC」が県2部リーグからJ1を目指す。

 昨年までJ1湘南の社長だった大倉智氏(46)が社長に就任。米国のスポーツブランド「アンダーアーマー」を日本で展開するドーム社(東京都江東区)安田秀一社長(46)と約25年ぶりに再会し「いわきを東北一の都市にしたい」という熱意に共感した。震災直後に安田氏が支援物資を運べた北限が同市だった縁で、同社の物流拠点を建設。選手24人もそこで働き、今年5月に本稼働する。初年度のチーム予算は2、3億円程度。グラウンド、クラブハウスに物流センター建設を加え、同社の初期投資は100億円規模だ。

 将来のビジョンは壮大だ。東京五輪が行われる20年には1万5000人、25年には5万人規模に拡張する自前のスタジアムを建設する計画。スタジアム内の飲食店や博物館などの従業員でも雇用は生まれるが「それだけではない」と大倉氏は熱く語る。

 「2週間に1度のホームゲームに多くのいわき市民が集まれば街がにぎわう。若い人もいわきに戻って来て、新たな挑戦が続く。仕事が生まれ、経済が回復する。人口が戻れば農業離れも回復するかもしれない。J1だけが目標ではない。これが日本、世界に注目されるモデルになれれば」

 「簡単ではない」と肌で感じている。2月には選手とともに、居住制限区域などを回った。「戻れない町。難しさを感じた」。子どもの無料サッカースクールを計画も、月謝制のスポーツ少年団とは利害関係が生まれ、煙たがられているのも事実。「外様のあんたらのスピード感には付いていけない」とも言われた。

 「会話が重要。無料化も地元の機会を奪うのではなく隙間を縫ってやりたい。日程をずらす、体力トレーニングに特化するなど、やり方はある。力を合わせみんなが幸せになれれば」。いわき市の総人口約35万人のうち約2万4000人が原発事故による12市町村からの避難者。原発の廃炉作業員も多く住む。複雑な思いが交錯する被災地で、前代未聞の復興モデルが動きだした。【三須一紀】

 ◆いわきFC 13年からあった同名チームをドーム社が運営権を譲り受け、15年12月に始動。現在、県2部リーグ所属。エンブレムはいわき市の形。今年、全国社会人選手権で優秀な成績を修め、全国地域リーグ決勝大会の出場権を獲得し、そこで2位以内に入れば飛び級でJFLに上がれる。さらに毎年順調に昇格すれば最短で20年にJ1に所属することも可能。飛び級なしなら最短で7年後。その他にJ3で5000人、J2で1万人、J1で1万5000人規模のスタジアムが必要などの規定もある。


帰還困難区域の除染明確化を=復興は途上―内堀福島県知事
時事通信 3月2日(水)9時45分配信

 福島県の内堀雅雄知事は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年がたつのを前に、原発避難指示区域のうち放射線量が高い帰還困難区域について除染方針を早く明確にするよう政府に求めた。
 
 ―福島の現状をどう認識しているか。
 復興の途上にある。常磐自動車道は全線開通し、(復興を担う人材を育成する)県立ふたば未来学園高校も開校した。一方、被災者の生活再建や事業再建など課題は山積している。避難指示区域の復興が最優先だ。医療・介護サービス体制の再構築、地域公共交通などに取り組む。これからが正念場。集中復興期間が終わり、(来年度から)復興・創生期間が始まるが、福島の再生は(両期間を合わせた)10年では終わらない。政府は責任を果たしてほしい。
 ―帰還困難区域の再編や除染について。
 帰還困難区域の復興は大きな課題だ。国に対し復旧・復興に欠かせないインフラや、(住宅や商業施設などを集める)復興拠点の整備に必要な除染を優先的に実施するよう求めてきた。早期に除染や区域の見直しの方針を明確にしてほしい。
 ―中間貯蔵施設の用地買収が進んでいない。
 国が設置者として責任を持って取り組むべきだ。県は昨年7月に地権者への説明が円滑に進むよう大熊、双葉両町に職員を駐在させ、両町と国との調整を進めてきた。来年度からは新たに県職員を国に10人派遣する。広域自治体としての関与を強め、地権者への説明を加速させたい。
 ―営農再開支援について。
 花卉(かき)や植物工場など施設園芸は、放射性物質や風評の影響を受けにくく、収益性が高い。原発周辺地域の復興に有効だ。花卉栽培への転換や先端技術を活用した施設園芸の導入などを積極的に支援する。


沿岸部に支援手厚く=観光客誘致へ地域連携―村井宮城県知事
時事通信 3月2日(水)9時45分配信

 宮城県の村井嘉浩知事は沿岸部の復興の遅れを憂慮し、水産加工を中心に企業進出を手厚く支援して雇用創出を後押しする考えだ。
 被災地の人口減少を踏まえ、観光客誘致へ地域連携も呼び掛ける。
 ―この5年を振り返ると。
 国から財源面で全面的な支援を受けたほか、水産特区など特例的な規制緩和も認めてもらい、復興に手応えを感じている。復興を指揮してきたが、あっという間の5年だった。
 ―今後の課題は。
 港湾など社会インフラが復旧する一方、住宅再建や心のケアが課題のほか、販路の喪失はダメージが色濃く残る。2016年度から5年の復興・創生期間で確実に課題を解決する。
 ―復興に地域格差も生じているが。
 企業誘致では、内陸部は自動車関連を中心に企業が集積する一方、沿岸部は遅れている。今後は被災地でも沿岸部に進出する企業は手厚く支援する。水産業でも付加価値を乗せて売る加工業者の誘致を進める。大企業も呼び、沿岸部の復興を雇用面から支える。
 ―人口の流出対策は。
 交流人口の拡大や観光振興に力を入れる。7月に民営化される仙台空港に海外から格安航空会社(LCC)の直行便を引っ張ってきたい。東北6県の知事が手を組み、台湾などで観光キャンペーンも展開し、東北周遊につなげたい。
 ―国への要望は。
 16年度から被災自治体も復興財源を拠出するが、それほど大きな負担ではない。ただ、道路の補修では損傷の原因を特定しないと(国の)予算が付かず、もう少し自由に使えればとの不満はある。


地方創生のモデルに=福島再生、国が前面―高木復興相
時事通信 3月2日(水)9時44分配信

 高木毅復興相は、東日本大震災から間もなく5年がたつのを受け、報道各社のインタビューに応じた。
 2016年度から始まる5年間の「復興・創生期間」で、地方創生のモデルとなる復興を目指すと改めて強調。福島の復興に関しては、21年度以降も「国が前面に立って取り組むことが重要」との考えも示した。
 ―今後5年の取り組み方針は。
 10年間の復興期間の「総仕上げ」に向け、被災地の自立につながり、地方創生のモデルとなる復興を目指さなければならない。仮設住宅から恒久住宅への移転のサポートや、観光復興に力を入れたい。福島では除染や生活サービス再開など、帰還に向けた取り組みを拡充する。
 ―被災者への支援策は。
 (1月現在で)約18万人が避難生活を送っている。見守り・相談支援の実施や、生きがいづくりのための「心の復興」事業などを進めていきたい。
 ―福島での復興・創生期間後の取り組みは。
 市町村によって置かれた状況や課題は多様。中長期的対応が必要であり、復興・創生期間後も継続して国が前面に立って取り組むことが重要だ。復興庁の設置期間は20年度末までで、今後いずれかの時期にそれ以降をにらんだ議論をしなければいけない。
 ―今後の観光振興策は。
 東北の観光は依然として厳しい。今年を「東北観光復興元年」とし、特に風評被害の大きい福島では、(外国人観光客に加え)日本人観光客の誘致や教育旅行についても支援する。
 ―農林水産物の風評被害対策は。
 伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)や関係閣僚会合なども活用し、情報発信を強化したい。


災害公営住宅完成へ=目に見える復興目指す―達増岩手県知事
時事通信 3月2日(水)9時44分配信

 東日本震災から5年がたつ2016年を「本格復興完遂年」と位置付ける岩手県の達増拓也知事。
 災害公営住宅を16年度中におおむね完成させるなど、目に見える復興の実現にまい進する。復興を全国に発信する「三陸防災復興博」の19年ごろの開催にも意欲を示す。
 ―震災から5年になる。
 2万人を超える方々が応急仮設住宅などでの生活を余儀なくされており、復興はいまだ道半ば。本格復興をやり遂げるという強い意志を込めて、16年を本格復興完遂年と位置付けた。被災者がそれぞれ抱える課題に寄り添い支援していきたい。
 ―復興の現状認識は。
 おおむね計画通りに進んでいる。14年度の(魚介類の)水揚げ量は震災前の約8割まで戻り、被災した事業所は一部再開を含め8割程度が再開した。災害公営住宅は16年度中にほぼ完成させることを目指す。国や市町村と連携し、復興が目に見えるような形にしていきたい。
 ―内陸部への災害公営住宅の整備方針は。
 県内陸部や県外へ避難している人への意向調査に基づき方針を決める。一定のニーズが確認できた場合、整備する。現に内陸部に避難していて、自力での住宅再建が困難な方など向けに整備を検討している。今後、内陸部への移住を新たに希望する方が増えても、追加の整備は考えていない。
 ―公約の防災復興博はどう進めるか。
 19年にJR山田線宮古―釜石間が再開し、(釜石市も会場となる)ラグビーワールドカップもある。その辺をタイミングとして実施したい。鉄道や復興道路で岩手沿岸が一つにつながるという歴史的出来事をお祝いする。地域の魅力や資源を発掘し、磨きをかけ、三陸ジオパークや教育旅行実施などを積極的にアピールしたい。定住・交流の取り組みも進めていきたい。


住民に帰町の選択肢を=「じじい部隊」が守る地域―原発立地の福島県大熊町
時事通信 3月2日(水)9時43分配信

 住民に帰町の選択肢を示したい―。
 東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町は今なお全町避難が続き、住民の96%が居住していた地域が帰還のめどが立たない帰還困難区域に指定されている。それでも戻りたいという住民のため、町は昨年3月、南部の大川原地区に災害公営住宅や役場などを集中的に整備する計画を打ち出した。放射線量が比較的低い居住制限区域内にあり、同6月までに除染作業が完了。12月には太陽光発電施設が完成するなど、復興に向けて歩み始めている。
 常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジを降りて車で10分ほど北上すると、無人の民家が点在する大川原地区に出る。森林や休耕田が広がり、小高い丘の斜面にはブルーシートで作った大きな「かえろう」の文字が浮かぶ。
 この文字を作ったのは、町が2013年4月に同地区に設けた現地連絡事務所に詰める平均年齢62.7歳の自称「じじい部隊」だ。元町総務課長の鈴木久友さん(63)が「最後の奉公をしよう」と仕事仲間らに呼び掛け、元消防士、元町復興事業課長、測量士ら6人で結成した。
 主な任務は町民の一時帰宅の手伝い。「鍵が開かない、車がパンクした、木が倒れて家に帰れないなど、求められることは多種多様」と鈴木さんは話す。防犯パトロールのほか、上水道が完全復旧していないため、火災時に消火の水源になる水路の管理も重要な仕事だ。最近は、災害公営住宅などの予定地の草刈りや雪かきも加わった。
 町は18年度までに、同地区の約39ヘクタールの土地に帰還住民1000人と原発廃炉関係者ら町外からの2000人による「小さな町」をつくり出す考え。住宅や町役場、交流施設などを整備。イチゴを生産する工場も設け、雇用を確保する。既に廃炉作業員向け給食センターが稼働し、今年6月には約750戸の東電社員寮が完成する予定だ。廃炉関連企業2社が事務所を構えることも決まった。
 ただ、昨年8月に実施した住民アンケートで、帰還の意思を示したのは11%にとどまり、復興に向けた状況は厳しい。鈴木さんは中間貯蔵施設の建設より町の除染を優先すべきだと指摘。「(20年の)東京五輪までには帰還困難区域をなくしたい。そうすれば帰還も進む」と訴える。「小さな町」を出発点に、町全体の復興を願っている。


被災地、にぎわい戻るか=住宅街や商店開設―まちの再生まだら模様・岩手、宮城
時事通信 3月2日(水)9時43分配信

 東日本大震災から5年がたち、岩手、宮城両県の沿岸部では、新たなまちづくりが進む。
 被災住民の意見がまとまり、いち早く集団移転先が完成した地域がある一方、内陸部などでの避難生活の長期化が響き、どれだけにぎわいが戻るか見通せない地域も少なくない。
 市内東部のほぼ全域が浸水した宮城県岩沼市では、昨年7月、沿岸部6地区の集団移転先となる玉浦西地区の「まち開き」が行われた。震災直後から居住地区ごとに避難所を振り分け、コミュニティーを維持したため、移転場所などに関する合意形成が円滑に進み、早期復興につながった。約20ヘクタールの新たなまちでも元の地区ごとにまとまって住めるよう配慮し、住民の希望をくんだ住宅や集会所が整備された。
 4月末までには市内のプレハブ仮設住宅の全住民が災害公営住宅への入居や住宅新築などにより退去する意向で、県内沿岸自治体で最も早く仮設が撤去される。市の人口は震災前をやや上回る約4万4000人に回復。担当者は「避難時からコミュニティーを保ったことで、流出する住民が比較的少なかった。早く自立したいと考える被災者も周辺自治体から転入してきた」と説明する。
 津波で壊滅的な被害を受けた同県女川町では、昨年12月、JR女川駅前にミニスーパーや飲食店などが入るテナント型の商店街がオープンした。周辺では特産品を販売する物産センター(仮称)が今秋に開業予定。駅前商店街や物産センター、自立再建の店舗を合わせ、2018年度までに約70店が軒を連ねる見通しだ。
 震災前に1万人以上だった町の人口は7000人を割り込む。動きだしたまちづくりが定住・交流人口の増加につながると期待がかかるが、住民からは冷ややかな声も。災害公営住宅に住む阿部昭子さん(57)は、普段の買い物を車で30分以内で行ける隣の石巻市の大手スーパーで済ませる。駅前商店街について「観光客向けの店が多く、あまり便利にはなっていない」と話し、食料や日用品の品ぞろえが豊富なスーパーなどが必要だと訴えた。
 津波で建物の大半が流失した岩手県大槌町の町方地区では、2月に入り、区画整理した土地の引き渡しが始まった。だが、まちの再生を不安視する声は多い。町内の仮設商店街で衣料品店を営む男性(67)は「元の場所で開業したくても住民がどれだけ戻るか分からず、二の足を踏む事業主は多い」と話す。
 県が昨年8~9月に行ったアンケートによると、内陸部などに避難した世帯のうち元の市町村に戻りたいと答えた世帯は2割。避難先の方が利便性が高い上、仕事に就くなど生活基盤ができたことが理由だ。大槌町は町方地区に震災前の半分の約2100人が戻るとみていたが、「見込みが甘かった」と担当者。避難者の意向を魅力あるまちづくりに生かす考えで、模索は続く。


東日本大震災5年 失った愛する家族を悼む…「私たちは今も千聖を育てている」
産経新聞 3月2日(水)9時5分配信

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今も津波の爪痕を残す宮城県石巻市立大川小学校。差し込む夕日で校舎が赤く染まった (納冨康撮影)(写真:産経新聞)

 ■次女を亡くした紫桃隆洋さん・さよみさん

 「形を変えても、私たちは今も千聖を育てているんです」

 1男2女の3人きょうだいの末っ子として生まれた紫桃千聖(しとう・ちさと)さん=当時(11)。東日本大震災の津波で児童・教職員84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校に通う5年生だった。

 父の隆洋さん(51)と母のさよみさん(49)にとっては、子育てに余裕が出てきた中での楽しい毎日だった。「千聖には理想の親をやらせてもらっていたの」。さよみさんはそう振り返る。

 当たり前に「ただいま」が聞けると思って送り出した「いってらっしゃい」。元気に駆け出した背中が最後の姿になった。

                 ■   ■

 激しい揺れに襲われた平成23年3月11日。その数十分後、仕事場から駆けつけた隆洋さんは思い切り車のアクセルを踏み込んだ。背後から巨大な黒い塊となった津波が迫る。スピードメーターは時速70キロを超えていた。一方、自宅にいたさよみさんは堤防が決壊し、大川小への道が寸断されたことをしばらくたってから知る。「千聖は学校にいるはず。学校なら大丈夫だろう」。そう思っていた。

 翌日、その期待は裏切られた。学校周辺は水浸しになり、船でしか近づけなかった。娘は地域の人に変わり果てた姿で発見され、1週間後には荼毘(だび)に付された。自分の命よりも大切な娘を失った実感はいつまでたってもわかず、約1年間、納骨することができなかった。

 「『お気の毒でした』『がんばってください』。この言葉が一番つらい。自分事として考えてもらえなかったということだから」

 辺り一面は更地となり、北上川に沿って強い寒風が吹きすさぶ。多くの尊い命が散った悲劇の現場には、5年の年月がたとうとする今もなお、訪れる人が途切れることはない。隆洋さんはここで出勤前や休日、時間を見つけては遺族らでつくった大川小での出来事や防災の重要性を訴えるパンフレットを配る。

 「私は大川小の遺族のものです」。話しかけられた人の多くが一瞬、身構える。しかし、当時の学校の様子や日本各地で起こりうる災害から何よりも代え難い命を守る大切さについて、訥々(とつとつ)と語る隆洋さんに引き込まれていく。

 「つらいことだけを話したいわけじゃない。ここで起こったことを次の命を守るために知ってほしい。必ず誰かに伝わると信じたい」

                 ■   ■

 校舎2階の天井に残る茶色いしぶきの跡は津波の到達点を示し、盛り上がった床は行き場をなくした津波による破壊力の大きさを物語る。

 一方で、廊下の壁にある荷物掛けには子供たちの名前が書かれたシールがそのまま残っている。

 隆洋さんは千聖さんのシールをなでながらつぶやいた。「ここに来るといいことも悪いことも思い出す」。毎年、春は満開の桜に囲まれてクラス写真を撮った。放課後には競うように一輪車の練習をする子供たちの声が響いていた。

 自宅の座敷には、元気いっぱいの千聖さんの写真が数十枚飾られている。隆洋さんは今日も仏壇の笑顔に手を合わす。

 「ごめん、千聖。まだお前に分かるように説明してやれないんだ」

 ■氷解しない「なぜ」 しかし、あきらめない

  「なぜ、あの千聖が泥だらけの変わり果てた姿になってしまったのか」-。その原因を知り、わが子を供養することが夫妻の今の子育てだという。

 「自分の娘のことなのに、なぜ第三者でも知ることができるのと同じ情報しか得ることができないのか」

 大川小では、午後3時37分で止まった時計が見つかっている。「地震発生から51分間、子供たちの周りで何が起こっていたのかを知りたい」。父である隆洋さんの5年は1枚の黒塗りの行政文書から始まった。

 市からも学校からも、何の説明もなかった。わらにもすがる気持ちで始めたのが市教委の報告書の情報公開請求だった。だが、たった1枚の紙切れが開示されるまで1カ月近くかかった。申請しては異議を申し立て、開示された資料を読み込み、また別の資料を探し、公開請求した。

 「調べれば調べるほど失望するばかりだった」

 市の説明会は数回で打ち切られた。平成24年12月に設置された文部科学省の事故検証委員会では事前に資料が示されたが、検証委が調査を報告する相手として「遺族」の2文字はなかった。案の定、最終報告は隆洋さんら遺族が納得できる内容にはほど遠かった。

 2年前には学校を管理していた石巻市と県を相手取って児童1人当たり1億円、総額23億円の損害賠償を求める裁判を起こした。だが、期日はどんどん引き延ばされ、今年4月にようやく証人尋問が始まる。

 いまだ学校からの正式な謝罪はない。それどころかこの5年間、夫妻の「なぜ」が氷解することはなかった。学校側と腹を割って話し合いたい、という期待でさえ、ことごとく裏切られてきた。「なぜ」に答えてくれるはずだった検証委や裁判という「公の場」がかえって、対話の場を設けることを遠ざけた。

                 ■   ■

 隆洋さんは開示された行政文書や裁判資料のほかにも、大川小の背景にある地域の事情を探ろうと郷土史までかき集めた。仕事が終わり帰宅してから床に就くまで、疲れた体をおして、それらの資料に少しずつ目を通すのが今の日課になっている。

 小学5年生だったわが子。思春期を迎え、1人の女性へと育つはずだった。甘酸っぱい恋、父を嫌がる反抗期、そんな時期もやがて訪れていただろう。どんな夢を抱いて、どんな道を歩いていくのか-。思い出や希望に満ちた写真などで埋め尽くされるはずだった千聖さんの成長記録は、プラスチックの衣装ケース5箱分の味気ない文書に変わった。

 それでも、隆洋さんはあきらめていない。

 「大川小には窓が開いている。あのとき何が起きたかを話し合い、これから命を守るにはどうしたらいいかを考える窓が。たくさんの人が自分のこととして考えてもらえれば、千聖も喜んでくれるはず」

                 ■   ■

 千聖さんは今も家族の中心にいる。さよみさんは言う。

 「何かをするときは必ず『千聖だったらどっちを選ぶかな』と考えるんです」

 「あの3月11日から毎日考えることは、これからもずっと引きずっていくんです。この人生が終わるまで、私はあの子の親ですから」

 昨年12月、裁判所にわが子への思いをつづった陳述書を提出した。A4の用紙数枚を書き上げるのに2週間以上かかった。司法の結論ですべてが解決するとは思っていない。「裁判官だけでなく、多くの人に知ってもらいたい」。陳述書にはそんな千聖さんへの思いがあふれた。

 「今の私たちをどう思ってくれるかしら」

 「好きなようにやったらいいんじゃない」

 空からそんな声が聞こえる気がする。

  (高木克聡)

 ≪大川小の51分間≫

 平成23年3月11日午後2時46分、宮城県石巻市の市立大川小学校。児童らは「かえりの会」を開いたり、卒業式での歌の練習をしたりしていた。

 約3分間続いた揺れが収まるのを待ち、校庭に避難。スクールバスも待機していたがそれ以上の避難はせず、児童を迎えにきた保護者への引き渡しや、たき火の準備などが進められていた。

 山に避難するか校庭にとどまるかが話し合われていたが、津波到達の数分前の午後3時半すぎ、そのどちらでもない新北上大橋のたもとの大川小の校庭より数メートル高い三角地帯への避難を開始。その途中で児童らは堤防を越えてきた津波に巻き込まれた。大川小への津波到達は午後3時37分ごろだった。

 文部科学省の事故検証委員会では「山さ逃げよう」と上級生が言うのを聞いた生存児童の証言は採用されず、山へ逃げようとした児童を教諭が校庭へ引き戻したという生き残った男性教諭による目撃証言も、当人から「確認できなかった」としている。


関電が滋賀県に高浜原発4号機の一連のトラブル説明 原子力安全対策連絡協議会
産経新聞 3月2日(水)9時1分配信

 滋賀県内の自治体の防災担当者らによる「県原子力安全対策連絡協議会」が1日、滋賀県危機管理センターで開かれた。関西電力の担当者が出席して関電高浜原発(福井県高浜町)4号機をめぐる一連のトラブルの経緯について説明し、「(原因究明に向け)全社をあげて対応したい」と謝罪した。

 4号機は先月20日に冷却水が漏れたり、29日に原子炉が緊急停止したりと、トラブルが相次いでいる。関電からの説明を受け、高島市の担当者は「連続してトラブルが発生するのは何か原因があるのではないか。徹底した原因究明と安全措置を求める」と述べた。

 また、関電は冷却水漏れのトラブル発生時に、県に知らせる時間が京都府や福井県に比べて40分程度遅れたことを明らかにし、連絡態勢を見直す考えを示した。

 滋賀県は高浜原発について今年1月、関電と安全協定を締結した際に「協議会で情報交換をする」という約束を交わしており、今回はこの約束に基づいた初めての出席となる。県の西川美則・防災危機管理監は「(トラブルが)起きたことについては遺憾だが、きちんと説明してもらうのに有効な場となった」と話した。


福島の6割「21年度以降」=復興進捗に差―被災3県調査・東日本大震災5年
時事通信 3月2日(水)8時6分配信

 東日本大震災から5年になるのを前に、時事通信が岩手、宮城、福島3県沿岸と東京電力福島第1原発周辺の42市町村にアンケートを行ったところ、多くの市町村が2020年度末までに復興が完了すると見込む一方、11市町村が「21年度以降」になると回答した。
 特に福島は対象の6割に当たる9町村が汚染土撤去の遅れなどを理由に「21年度以降」とし、復興の進み具合に大きな差が出ている。10年後の人口見通しについては福島の6町村が「20%以上減」と答えた。
 アンケートは1~2月、岩手12、宮城15、福島15の市町村を対象に実施し、全自治体から回答を得た。
 復興が完了する時期の内訳は、国が定める復興期間の最終年度に当たる「20年度末までに」が15で最多。「16年度末までに」3、「17年度末までに」1、「18年度末までに」6、「19年度末までに」5だった。福島県相馬市は「回答困難」とした。
 「21年度以降」になると見込む福島の9町村では、特に遅れている分野(複数回答)として、「除染や汚染土処理」に加えて「農林水産業の再生」を挙げる自治体が多く、出荷制限や風評被害の影響で基幹産業の復興が進んでいない現状が浮き彫りとなった。津波で中心市街地が壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町のほか、仙台市も道路のかさ上げや区画整理に伴う用地取得に時間がかかるため、「21年度以降」と答えた。
 宮城、岩手では、復興事業の本格化による資材や職人の不足などが原因で防潮堤整備が遅れている市町村が目立つ。3県全体では、「商工業の再生」の遅れを指摘するところが最も多かった。
 各県の集計によると、災害公営住宅は岩手が5割弱、宮城が5割、福島が4割完成。岩手、宮城の市町村では住宅再建が「進んでいる」との回答が多いが、土地の整形や地盤強化などに時間がかかっている所もある。
 25年末の人口が現在と比べ「20%以上減」としたのは、原発事故後に避難指示が出された福島県内12市町村のうち富岡、大熊両町などの6町村。この他、3県で「15~20%減」は5市町村、「10~15%減」8市町村などだった。「15~20%減」の宮城県南三陸町は「少子化に加え、避難先で仕事や住まいを確保して戻って来ない被災者もいるため、人口減が加速する」とみている。
 宮城では、他の自治体からの被災者の流入や建設会社の拠点設置による転入が続く仙台市とそのベッドタウンなどの計4市町が「増加」と答えており、二極化が進みそうだ。福島では、液化天然ガス(LNG)の貯蔵基地が建設予定の新地町が人口増を見込む。
 国への要望では、予算の確保や職員派遣を含む人的支援の継続、補助事業や交付金制度などのより柔軟な運用を求める声が目立った。


<大震災5年>被災小舟漂着、絵本に 日米高校生の交流描く
毎日新聞 3月1日(火)23時50分配信

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絵本を執筆したローリー・デングラーさん(右)とアミア・ミラーさん=東京国立博物館で2016年2月29日、永山悦子撮影

 大津波で太平洋を渡った小舟をきっかけに生まれた岩手県と米国の高校生の交流を描いた絵本が、東日本大震災から5年を前に日本で発売された。作者は小舟が漂着した米国の津波研究者と、被災地で支援を続ける米国人女性。2人は日本語と英語の2カ国語で物語をつづり、「つらい思いをしている人のために自分ができることを考え、行動に移す素晴らしさを世界の子どもに伝えたい」と話す。【永山悦子】

 あの日、巨大津波にのまれた岩手県陸前高田市の県立高田高から、ホタテ養殖や潜水の授業に使っていた実習ボート(全長6メートル)は流された。そのボートは太平洋を約8000キロ渡り、2013年4月に米西海岸のカリフォルニア州クレセント市の海岸へ漂着した。

 同市は、何度も津波に襲われたことがある米国有数の「津波の街」。東日本大震災の津波でも死者が出た。近くの米ハンボルト州立大で津波と地震を研究するローリー・デングラー名誉教授(地球物理学)が確認すると、ボート表面を覆うフジツボや海草の隙間(すきま)から文字が見えた。削り落とすと「高田高校」という4文字だった。

 デングラーさんは震災直後に陸前高田市に調査に行き、同市の公式フェイスブックにつながっていたため、そこから直接問い合わせた。「このボートはあなたたちのもの?」。返信は「はい、確かにそうです」だった。

 津波に遭った街のボートと知った地元デルノート高の生徒たちは「津波で多くのものを失ったに違いない。きれいにして返してあげよう」と船を清掃。同年10月に高田高の生徒たちの元へ戻った。

 高田高とデルノート高の生徒はその後、毎年交互に行き来を始めた。これまで「陸前高田」も「クレセント」も互いに知らなかったが、一緒に料理をしたり、ダンスをしたり、小旅行に出かけたりと交流が広がっている。

 両校の交流を支えるのが、震災直後に米国から陸前高田市へボランティアとして入ったアミア・ミラーさんだ。日本で生まれ、高校まで日本で過ごしたミラーさんは、堪能な日本語を生かして同市の海外対応の特別顧問となり、支援活動を続けてきた。ボートに関するデングラーさんの問い合わせに対応したのもミラーさんだった。

 2人は「津波が生んだ交流を後世に残そう」と絵本の作製を企画。表紙にボートを持ち上げる両校の生徒を描いた絵本「いつまでもともだちでいようね」(米ハンボルト州立大出版)は昨年秋、完成した。英文はデングラーさん、日本文はミラーさんが書いた。国内でも2月、紀伊国屋書店やインターネットなどで販売が始まった(1冊1400円)。売り上げは両校の交流活動に寄付する。

 ◇東京で11日シンポ

 デングラーさんは11日、東京国立博物館で開かれるシンポジウム「津波被災文化財再生への挑戦」で講演する。「人類、文化、国籍に関係なく、高校生たちの人を思う優しさから生まれた行動が素晴らしい交流につながったことを伝えたい」。シンポジウムは参加無料。


<高浜原発>1、2号機の延長差し止め提訴へ 名古屋地裁
毎日新聞 3月1日(火)21時50分配信

 運転開始から40年以上が経過した関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)を、さらに20年運転させる原子力規制委員会の延長認可の差し止めを求めて、愛知県内の住民らが4月にも名古屋地裁に提訴する。原告団が1日、名古屋市内で記者会見した。同じ内容の差し止めを求める仮処分も申し立てる方針。

 東京電力福島第1原発事故の教訓を踏まえ、国は2013年施行の改正原子炉等規制法に原発の運転期間を40年に制限する規定を盛り込んだ。しかし、規制委の審査に合格すれば最長20年間延長できるとしており、関電は高浜1、2号機の運転延長を目指している。

 規制委は先月24日、同1、2号機について新規制基準に適合しているとする審査書案を了承した。事実上の審査合格で、運転期限の7月7日までに規制委の認可を得れば運転延長が可能になる。

 弁護団長を務める北村栄弁護士は「40年を超えた原発の運転は例外中の例外だ。政府は極めて危険な原発を動かそうとしている」と批判した。原告の一人で2人の子供を育てる草地妙子さん(37)=名古屋市=は「子供の未来が奪われてしまうかもしれないという危機感がある。市民としての責任を果たしたい」と語った。【大野友嘉子】


被災農地74%が復旧=福島は3割にとどまる―農水省
時事通信 3月1日(火)21時5分配信

 農林水産省は1日、東日本大震災から5年を迎えるのを前に、農林水産業の復旧・復興状況を公表した。
 青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県の被災農地では、がれき撤去や土壌の塩分除去が済んで農作業を再開できる状態となる農地は1月末時点で74%となり、1年前に比べ4%増えた。ただ、東京電力福島第1原発事故の影響が大きい福島県に限ると、復旧割合は33%(前年は30%)にとどまっている。
 東日本大震災の被災農地は6県の合計で2万1480ヘクタールで、このうち復旧農地は1万5920ヘクタールとなった。県別では、岩手県が被災農地の67%に当たる490ヘクタール、宮城県が88%の1万2660ヘクタール、福島県が33%の1820ヘクタールの復旧が済み、残りの青森、茨城、千葉の3県(計950ヘクタール)は復旧事業が完了した。


<福島第1原発>敷地内にコンビニ開店 作業員の利便性向上
毎日新聞 3月1日(火)20時34分配信

 東京電力福島第1原発の敷地内にある作業員休憩所に1日、コンビニエンスストア「ローソン」がオープンした。おにぎりやサンドイッチなど食品を中心に日用品を含め、約1000点を販売。廃炉作業で1日7000人が働く作業員の利便性の向上を目指す。

 店舗名は「東電福島大型休憩所店」。作業員が防護服を着なくてもすごせるようにと、昨年5月に敷地内で運用を始めた9階建て大型休憩所の2階にあり、売り場面積は約50平方メートル。日曜日を除く午前6時から午後7時まで営業し、酒類のほか、ごみとしてかさばる缶や瓶入りの飲料、プラスチック製容器に入った弁当は置かない。

 開所式で第1原発の小野明所長は「第1原発が通常の作業場に近づいた」とあいさつ。店員の男性は「来店した作業員の方々を送り出す際は、『ご安全に』との言葉をかけています」と話していた。【金志尚】


福島第1にコンビニ=大型休憩所内に―東電
時事通信 3月1日(火)20時3分配信

 東京電力福島第1原発の大型休憩所に1日、コンビニエンスストア「ローソン東電福島大型休憩所店」がオープンした。
 作業員の要望に応えたといい、第1原発の小野明所長は開店式で「利便性が高まるのではないか」と述べた。
 コンビニは大型休憩所2階の一角にできた。営業時間は作業時間に合わせ、日曜を除く朝6時から夜7時まで。おにぎりやアイスクリーム、ペットボトル飲料、下着類などが買える。ビンや缶の飲み物はごみ処理の都合で販売せず、アルコールも売っていない。


大震災の被災校舎、依然4割が仮
2016年3月1日(火)18時44分配信 共同通信

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 石巻市立稲井小の校庭を間借りしたままの、市立渡波中のプレハブ校舎=2月24日、宮城県石巻市

 東日本大震災の津波で大きな被害が出た岩手、宮城、福島3県の沿岸や、東京電力福島第1原発事故の避難区域となった42市町村で、校舎が使えなくなった公立の小中高校や特別支援学校158校のうち、約4割の63校がいまだに仮設校舎や他校に間借りしていることが1日、分かった。校庭や体育館を自由に利用できないなど、震災から5年たっても学びの環境は元に戻っていない。

 各自治体の教育委員会に取材した。63校の内訳は、県別で岩手11、宮城13、福島39。校種別では、小学校32、中学校20、高校10、特別支援学校1だった。

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