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2016年1月29日 (金)

天皇皇后両陛下、26~30日にフィリピンを公式にご訪問・4

天皇皇后両陛下は26~30日の5日間の日程でフィリピンを公式にご訪問される。

今年は日本と同国の国交正常化60周年に当たり、訪問の主な目的はアキノ大統領の招待を受けての友好親善だが、両陛下の強い意向で両国の戦没者を慰霊する。

同国訪問は皇太子夫妻時代の1962年11月以来。即位後は初めてで、歴代の天皇・皇后としても初めてとなる。滞在中は国賓として、マラカニアン宮殿での公式歓迎行事に臨み、現地の日系人や在留邦人らと懇談。看護師候補者らが来日前に日本語を学ぶ語学研修センターの視察なども予定されている。
29日にはラグナ州カリラヤに日本政府が建立した「比島戦没者の碑」で供花し、日本人戦没者遺族らと懇談する。フィリピンでは太平洋戦争中、海外地域別で最多の約51万8000人の日本人が死亡し、フィリピン人も多数犠牲となった。両陛下は日本側慰霊碑だけでなく、フィリピン側戦没者が眠る英雄墓地の「無名戦士の墓」にも花を供える。

両陛下の外国訪問は、昨年4月に戦後70年の戦没者慰霊のためパラオをご訪問されて以来となる。

※以上、時事通信の報道より。

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リンク:フィリピンご訪問 両陛下のご意向で窓が開く車に変更 - 速報:@niftyニュース.
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リンク:出迎えを受けられる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:帰国された両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、フィリピンからご帰国 海外3度目の「慰霊の旅」終えられる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、フィリピンご訪問を終え羽田に到着 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下が帰国=フィリピン訪問終え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:見送りを受けられる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:出発される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下ご訪比 両陛下、ご帰国の途に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、マニラを出発…アキノ大統領ら見送り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下が帰国の途に - 速報:@niftyニュース.
リンク:<天皇、皇后両陛下>平和の願いフィリピンに…帰国の途に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<天皇、皇后両陛下>平和の願いフィリピンに…帰国の途に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:マニラを出発される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、帰国の途に=フィリピン訪問終え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本人戦没者ご慰霊 「代わりに祈ってくださった」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本人戦没者ご慰霊 フィリピン - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ご慰霊「今回が最後といえなくなった」 両陛下、終わりなき旅きょうご帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本人戦没者ご慰霊 「両陛下のお姿、戦友にも」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本人戦没者ご慰霊 両陛下、遺族にお声がけ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本人戦没者ご慰霊 感無量、両陛下いらしたら晴れた - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国際稲研究所のほ場を視察される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国際稲研究所を視察される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<両陛下>参列の95歳「レイテ島で戦友に報告します」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<両陛下>日本人戦没者を慰霊、供花 フィリピン訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下ご訪比 遺族にお声がけ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、遺族や元兵士の苦労にねぎらい…比訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、慰霊碑に深々と礼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:供花に向かわれる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:供花される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:懇談される両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:激戦の比島で鎮魂の祈り=両陛下、日本の慰霊碑に供花―戦没者遺族らと言葉交わす - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:供花に向かわれる両陛下 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、慰霊碑に深々と礼=遺族ら万感の思い―海外メディアも現地に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、日本人戦没者を慰霊…菊の花束を供花 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

フィリピンご訪問 両陛下のご意向で窓が開く車に変更
2016年2月4日(木)16時0分配信 NEWSポストセブン

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5日間の比ご訪問は大変充実したものに

 羽田空港に降り立たれた天皇皇后両陛下の表情から、5日間のご訪問が大変充実したものだったことが伝わってきた──。1月30日、両陛下はフィリピンとの国交正常化60年を記念した公式訪問から帰国された。現地ではアキノ大統領との面会や晩餐会、在留邦人との接見のほか、両陛下の強いご意向もあり、太平洋戦争におけるフィリピン人犠牲者の眠る『国立英雄墓地』と、日本人戦没者のために作られた『比島戦没者の碑』への供花をされた。

「参列した約150人の遺族や元日本兵に歩み寄られた両陛下は、約30分にわたってお言葉をかけられました。目に涙をためながら話す人々に、両陛下はひとつひとつうなずかれながら真摯に耳を傾けられていました。そのお姿からは、両陛下が長らく続けてこられた“祈りの旅”への強いお気持ちが感じられました」(皇室記者)

 今回のご訪問はフィリピン国民からの関心も高く、現地でも大きく報じられた。

「両陛下はフィリピンの人々とも深く交流されたいという思いを抱かれていたようです。そのため、両陛下はお乗りになる車を滞在中に別の車両に変更されたのです。滞在初日は、警備の関係から窓がほとんど開けられない車だったのですが、2日目から、窓が開けられるものに変わった。これは、直接お顔を合わせたいという、両陛下のご意向によるものだったそうです」(前出・皇室記者)

 ともに80才を超える両陛下へのご負担を考慮して、今回のご訪問はかなり余裕のあるスケジュールが組まれていた。

「それでも最高気温は30℃に迫り、立っているだけでじっとりと汗が浮き上がってくるほど。屋外でのお出ましの際には、両陛下の立ち位置が日陰になるよう調整が繰り返されましたが、正装で臨まれている両陛下にはおつらい面もあったと思います。また、到着時の飛行機のタラップや、行事の会場にある段差などでは美智子さまの歩みがたどたどしくなり、陛下の腕におつかまりになることもありました」(前出・皇室記者)

 2度の大きな手術をご経験された陛下と、頸椎症性神経根症による首や腕の痛みに加え、昨夏には心筋虚血による胸の痛みを訴えられた美智子さま。ご体調への心配が募る中で、フィリピンではこんな異例の光景が見られた。

「移動時の両陛下の車列に、救急車が含まれていたのです。実は昨年、日本国内でのいくつかの公務の際にも、近くに救急車が待機しているのが見かけられたことがありました。ですが、こと車列に救急車となると過去に例を見ない。何か重大な体調のご不安があるのではないかと、一部、騒然となりました」(前出・皇室記者)

 実際は、救急車の手配はフィリピン側の配慮によるもので、危惧すべき問題ではなかったという。

「ご到着、ご出発の両日にアキノ大統領が空港に足を運ばれるなど、フィリピン側は最上の敬意を払って両陛下をお迎えしていました。救急車の存在も、ご高齢の両陛下に“万が一”があってはならないと、万全を期するためのものだったそうです」(前出・皇室記者)

撮影■太田真三

※女性セブン2016年2月18日号


両陛下ご帰国、比大統領が見送り
産経新聞 1月31日(日)7時55分配信

 日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日夕、政府専用機で羽田空港に到着し、帰国された。両陛下が続けられている「慰霊の旅」が海外で実現したのは、平成17年のサイパン、昨年のパラオ共和国に続き3度目となった。

 両陛下は同日午前、滞在していたソフィテル・ホテルをご出発。マニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれた。空港では到着時に続きアキノ大統領が両陛下を見送った。大統領自ら空港で賓客を見送るのは異例という。

 両陛下は滞在中、大統領主催の晩餐(ばんさん)会に臨席するなど両国の友好親善に励み、先の大戦で110万人の犠牲が出たとされる同国の「無名戦士の墓」と51万8千人が亡くなった日本の「比島戦没者の碑」に供花し、両国の犠牲者を等しく慰霊された。

 羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が出迎えられた。宮内庁は、ともに80歳を超えた両陛下のご負担に配慮し、この日はご帰国だけの日程とした。


出迎えを受けられる両陛下
時事通信 1月30日(土)17時59分配信

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26日からフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日午後、羽田空港着の政府専用機で帰国された。両陛下は出迎えに笑顔を見せた

(時事通信社)


帰国された両陛下
時事通信 1月30日(土)17時49分配信

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フィリピンから帰国された天皇、皇后両陛下=30日午後、東京・羽田空港

(時事通信社)


両陛下、フィリピンからご帰国 海外3度目の「慰霊の旅」終えられる
産経新聞 1月30日(土)17時40分配信

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フィリピンからご帰国された天皇、皇后両陛下=30日午後、東京・羽田空港(写真:産経新聞)

 日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日夕、政府専用機で羽田空港に到着し、帰国された。両陛下が続けられている「慰霊の旅」が海外で実現したのは、平成17年のサイパン、昨年のパラオ共和国に続き3度目となった。

 両陛下は同日午前、滞在していたソフィテル・ホテルをご出発。マニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれた。

 滞在中、アキノ大統領主催の晩餐(ばんさん)会に臨席するなど両国間の友好親善に励み、先の大戦で110万人の犠牲が出たとされる同国の「無名戦士の墓」と51万8千人が亡くなった日本の「比島戦没者の碑」に供花して、両国の犠牲者たちを等しく慰霊された。

 羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が出迎えられ、タラップを降りた両陛下は笑顔で声をかけられた。宮内庁は、ともに80歳を超えた両陛下の年齢に配慮し、負担軽減のため、この日はご帰国だけの日程とした。


両陛下、フィリピンご訪問を終え羽田に到着
読売新聞 1月30日(土)17時20分配信

 フィリピン訪問を終えた天皇、皇后両陛下は30日夕、羽田空港に到着された。

 両陛下は26日から5日間の日程で、国賓としてフィリピンを訪問された。滞在期間中、マニラ市のマラカニアン宮殿での歓迎行事に参加したほか、戦前に同国へ渡った日本人の子孫にあたるフィリピン日系人や、在留邦人と懇談。また、日本とフィリピン両国の戦没者を慰霊された。

 両陛下への負担に配慮し、最終日の30日に予定は組まれず、滞在先のホテルからニノイ・アキノ国際空港に向かわれた。両陛下は空港で、ベニグノ・アキノ大統領らの見送りを受けられた。大統領は到着の際にも出迎えるなど、異例の厚遇だった。


両陛下が帰国=フィリピン訪問終え
時事通信 1月30日(土)16時58分配信

 26日からフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日午後、羽田空港着の政府専用機で帰国された。


見送りを受けられる両陛下
時事通信 1月30日(土)15時42分配信

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ニノイ・アキノ国際空港で見送りを受けられる天皇、皇后両陛下=30日、マニラ(代表撮影)


出発される両陛下
時事通信 1月30日(土)15時42分配信

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フィリピンのアキノ大統領(右手前)の見送りを受け、マニラを出発される天皇、皇后両陛下=30日(代表撮影)


両陛下ご訪比 両陛下、ご帰国の途に
産経新聞 1月30日(土)14時36分配信

 【マニラ=大島真生】日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを訪問していた天皇、皇后両陛下は30日、帰国のためマニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港を政府専用機で出発された。

 両陛下は同日朝、滞在していたソフィテル・ホテルをご出発。夕方、羽田空港に到着される予定。両陛下は滞在中、アキノ大統領主催の晩餐会に臨席するなど両国間の友好親善に励み、先の大戦で110万人の犠牲が出たとされる同国の「無名戦士の墓」と51万8千人が亡くなった日本の「比島戦没者の碑」に供花して慰霊された。宮内庁は、ともに80歳を超えた両陛下の年齢に配慮して、負担軽減のため、この日はご帰国だけの日程とした。


両陛下、マニラを出発…アキノ大統領ら見送り
読売新聞 1月30日(土)13時49分配信

 【マニラ=小野沢記秀】フィリピンを訪問していた天皇、皇后両陛下は30日午後、5日間の日程を終え、マニラを出発された。

 両陛下への負担に配慮し、最終日に予定は組まれず、滞在先のホテルからニノイ・アキノ国際空港に向かわれた。両陛下は空港で、ベニグノ・アキノ大統領らの見送りを受けられた。大統領は到着の際にも出迎えるなど、異例の厚遇だった。両陛下は同日夕、東京・羽田空港に到着される。


両陛下が帰国の途に
2016年1月30日(土)13時39分配信 共同通信

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 フィリピンのアキノ大統領の見送りを受け、マニラを出発される天皇、皇后両陛下=30日(共同)

 【マニラ共同】国交正常化60周年の友好親善を主な目的とし、歴代天皇として初めてフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日、首都マニラのニノイ・アキノ国際空港から、政府専用機で帰国の途に就かれた。両陛下は滞在中、日本とフィリピン双方の慰霊碑で戦没者を追悼し、平和への願いを示す旅となった。

 この日のマニラは晴天が広がり、天皇陛下は搭乗する前、見送りのアキノ大統領と笑顔で何度も握手を交わし、別れを惜しんでいた。

 両陛下は国賓として招かれ、26日から4泊5日の日程で滞在した。


<天皇、皇后両陛下>平和の願いフィリピンに…帰国の途に
毎日新聞 1月30日(土)13時38分配信

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フィリピンのアキノ大統領の見送りを受け、マニラを出発される天皇、皇后両陛下=マニラで2016年1月30日午前11時49分、代表撮影


<天皇、皇后両陛下>平和の願いフィリピンに…帰国の途に
毎日新聞 1月30日(土)13時38分配信

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フィリピン訪問の日程を終え、アキノ大統領の見送りを受けられる天皇、皇后両陛下=フィリピン・マニラのニノイ・アキノ国際空港で2016年1月30日午前11時54分、代表撮影


マニラを出発される両陛下
時事通信 1月30日(土)13時38分配信

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フィリピンのアキノ大統領(右手前)の見送りを受け、マニラを出発される天皇、皇后両陛下=30日(代表撮影)


両陛下、帰国の途に=フィリピン訪問終え
時事通信 1月30日(土)13時26分配信

 【マニラ時事】フィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日、首都マニラのニノイ・アキノ国際空港から、政府専用機で帰国の途に就かれた。
 両陛下は空港で、見送りにきたアキノ大統領らとあいさつ。笑顔で何度も握手を交わし、皇后さまは大統領の姉アベリャダさんと2度抱き合い、別れを惜しんでいた。同機は現地時間の正午すぎに離陸し、現地を後にした。
 両陛下は26日から5日間の日程で、国賓として同国を訪問。滞在中はマラカニアン宮殿での公式歓迎行事などに出席し、日系人や在留邦人らと懇談したほか、日本とフィリピン両国の戦没者を慰霊した。


日本人戦没者ご慰霊 「代わりに祈ってくださった」
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

 □元歩兵第1連隊・佐藤昇一さん(100)

 陸軍歩兵第1連隊の主計将校としてレイテ島、セブ島での戦闘を経験した佐藤昇一さん(100)=横浜市栄区=は、天皇、皇后両陛下が「比島戦没者の碑」に拝礼されるのをテレビで見つめ、「現地に行けない自分たちの代わりに、戦友のために祈ってくださった」と話した。

 戦地では、兵員、物資ともに米軍に圧倒された。

 昭和19年11月、輸送船に兵器、弾薬、食料を積み、レイテ島に上陸。北部のリモン戦線を目指した。偵察機から逃れるため夜間の行軍となったが、ピンポイントで砲弾が飛んでくる。周囲を見渡すと、木々に集音マイクが設置され、通信線が張りめぐらされていた。

 「通信設備、技術にも格段の差があった」

 最前線に食料を供給する任務は命がけだった。部下が米軍に狙撃されて戻ってこず、缶詰などを入れたゴム製の袋を頭の上に乗せ、川の濁流に胸までつかりながら送り届けたこともあった。銃弾が水面をはねる音を何度も聞いた。

 食料をかき集めるのに、なりふり構ってはいられなかった。米軍が落とした食料付きの落下傘を拾い集めた。避難した現地住民が残していった豚、水牛も奪った。「ひながかえる直前のニワトリの卵は貴重なタンパク源だった」という。

 セブ島でも米軍の追撃を受けた。西海岸から上陸してきた部隊との戦闘では、旗手が両脚に被弾し、治療のかいなく「天皇陛下、万歳」と叫んで自決した。旗手代理の任務を命じられ、投降までの約3カ月間、さおと房の付いた縁だけとなった軍旗を死守した。

 「天皇陛下からいただいた軍旗は陛下そのもの。復員してお返ししなければという思いだった」。降伏する直前、さお頭の菊の紋章を細かく割って、縁の部分もちぎり、戦友と分け合った。お守り袋の中に隠し、日本に持ち帰ったという。

 四十数年がたち、現地を再訪したが、激戦の名残はなかった。「真実を伝えることが戦友への追悼であり、遺族への慰めになる」。記憶が確かなうちに書き残さなければと、数年前からパソコンを習い、戦争体験を含め半生を記した。

 80代となった両陛下が「慰霊の旅」を続け、平和を祈り、戦争の記憶の継承に努められていることを「ありがたい」と思う。

 「両陛下のお姿を見て、亡くなった戦友たちも『ありがとうございます』と言っているのが聞こえます」


両陛下、日本人戦没者ご慰霊 フィリピン
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

 【カリラヤ=大島真生】日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、ヘリでラグナ州カリラヤを訪れ、「比島戦没者の碑」に供花された。海外で日本人の英霊を追悼する「慰霊の旅」を果たされたのは、戦後60年だった平成17年の米自治領サイパン、戦後70年の昨年のパラオ共和国に次いで3度目となった。

 フィリピンは先の大戦最大の激戦地で、ルソン島の27万人を筆頭に51万8千人に上る邦人犠牲者は海外で最多。310万人とされる日本人戦没者の6分の1、230万人の軍人軍属に限れば4分の1に相当する。

 日本から駆け付けた遺族や元生還兵ら約150人が見守る中、両陛下は碑の前に白菊の花束を手向け、深々と拝礼された。その後、遺族らに歩み寄り、一人一人に声をかけられた。

 天皇陛下は、日本遺族会の水落敏栄会長(72)を「遺族も高齢化してきたので、これからも平安な暮らしができるように頑張ってください」とご慰労。元生還兵で、慰霊活動を続ける松本実さん(95)には「遺族のためにいろいろ尽くしてくれて、ご苦労さまです」といたわられた。


ご慰霊「今回が最後といえなくなった」 両陛下、終わりなき旅きょうご帰国
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

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両陛下「慰霊の旅」ご訪問先(写真:産経新聞)

 【カリラヤ=大島真生】平成17年のサイパン、昨年のパラオ共和国に続いて先の大戦最大の激戦地フィリピンでの邦人戦没者のご慰霊が29日、実現した。天皇、皇后両陛下は今回の「慰霊の旅」で、戦禍を繰り返さないという変わらぬ強い意思を示された。深く深く拝礼される両陛下の後ろ姿に、日本から駆け付けた遺族が目頭を熱くしていたのが印象的だった。

 両陛下のご慰霊の旅の原点は、ひめゆりの塔事件などと呼ばれる火炎瓶事件だといわれる。

 ひめゆりの塔は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、看護隊として動員されて戦死した沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・職員を合祀(ごうし)する慰霊碑。昭和50年7月17日、沖縄国際海洋博覧会開会式に出席するため沖縄を訪問した皇太子夫妻時代の両陛下が、このひめゆりの塔を参拝された際、過激派2人に火炎瓶を投げつけられたのだ。

 しかし、両陛下はその後も沖縄での日程をこなし、沖縄の人たちが日本人、米国人、軍人、民間人の区別なく、戦没者を弔った「魂魄(こんぱく)の塔」に花束を手向けられた。沖縄訪問前、陛下は「石ぐらい投げられてもいい」と述べており、不測の事態が起こることも覚悟した上でのご訪問だったとされる。ここで改めて、二度と戦争という過ちを起こしてはならないという思いを強くした両陛下は、即位後、本格的な慰霊の旅をスタートされた。

 沖縄、広島、長崎、硫黄島と続いた慰霊は、国境を越えて続けられている。「パラオに行かれたら、もう次はないかもしれないと思っていた」と宮内庁関係者は本音を吐露する。

 だが一方で「海外でのご慰霊は、フィリピンが最後とはいえなくなった。両陛下は共に80歳を超えられましたが、ご慰霊の旅は終わりなき旅なのです」とも語る。

 歓迎式典や晩餐(ばんさん)会、国交正常化60周年記念レセプションなど、日比両国の友好親善が強く進んだ今回のフィリピン訪問だったが、友好親善に大きく寄与したのは、やはり日比両国の戦没者のご慰霊だった。

 日比の不幸な過去を振り返り、戦没者の追悼を続けることで、未来志向の両国関係を構築した両陛下の今回のご訪問。両陛下は30日、帰国の途につかれる。


日本人戦没者ご慰霊 「両陛下のお姿、戦友にも」
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

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「比島戦没者の碑」への供花を終え、元生還兵の松本実さん(左)と森田義員さん(同2人目)に声をかけられる天皇、皇后両陛下=29日午後、フィリピン・カリラヤ(古厩正樹撮影)(写真:産経新聞)

 フィリピンを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、ラグナ州カリラヤの「比島戦没者の碑」で、長年の悲願だった日本人戦没者の慰霊を果たされた。「英霊も喜んでいる」。現地や日本国内でお姿を見守った元生還兵、遺族らは思いを新たにしていた。

                   ◇

 □元1等整備兵曹・森田義員さん(89)

 ■ご供花立ち会い 10年ぶり現地に

 【カリラヤ=大島真生】「サイパン、ペリリューと順番に激戦地を訪れ、ようやくフィリピンにも来ていただけた。同じ場所で、英霊たちに手を合わせることができてよかった」

 米軍に撃沈された軍艦の乗員らとともに集められた「海軍陸戦隊」の一員として、ルソン島のマニラ防衛戦に参加した元1等整備兵曹の森田義員さん(89)=熊本市=は、カリラヤの「比島戦没者の碑」で両陛下のご供花に立ち会い、胸の内を明かした。

 昭和20年1月、第1航空艦隊司令部付の整備兵としてフィリピンに着任したものの、整備する戦闘機などはない。

 陸戦隊ではマニラ近郊、フォート・マッキンレーの地下壕(ごう)に置かれた司令部に詰めた。小銃は10人に1人分しかなく、森田さんも持っていなかった。

 ほどなく、司令部が米軍に包囲されるとの情報が寄せられ、東海岸への転戦が命じられる。約1カ月間、米軍機の目から逃れるため、昼はやぶの中に身を潜め、夜に行軍した。

 行軍といっても隊列はバラバラだ。途中、神経痛を訴えていた戦友が遅れ、そのまま行方が分からなくなった。

 東海岸にも米軍の火の手が迫り、山中のジャングルに逃げ込む。米軍に見つかるのを恐れ、火をたくこともできない。戦友たちはマラリアに侵され、静かに息を引き取っていった。森田さんたちにも気力がなく、穴を掘って埋めてあげることもできなかった。

 ラジオから流れてきた終戦の玉音放送を聞き、「ただ、ほっとした」。約1年4カ月の間、捕虜収容所に入れられた末に復員。陸軍第68旅団に所属していた兄は、レイテ島で亡くなっていた。

 戦後しばらくは、山中に残してきた英霊のことが思い出され、眠れない日々が続いた。戦争体験を話すことも嫌だった。

 現地で慰霊するうちに、少しずつ気持ちの整理がついてきた。今回、両陛下のご訪問を聞き、10年ぶりに足を運んだ。年の離れた妹、弟も連れてきた。

 「両陛下にお参りしていただき、70年間背負ってきた肩の荷が下りた。そのお姿は、戦友にも兄にもしっかりと伝わったと思う」。森田さんはこう話した。

 フィリピン戦 日本軍は真珠湾攻撃と同じ1941(昭和16)年12月8日、フィリピンを爆撃。翌年に首都マニラを占領したが、現地住民はゲリラ戦で抵抗した。日本人戦没者は約51万8千人、フィリピン人は約110万人が亡くなったとされる。


日本人戦没者ご慰霊 両陛下、遺族にお声がけ
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

 【カリラヤ=大島真生】直前までの霧雨がやみ、晴れ間がのぞく中、近くのヘリポートから車で到着した天皇、皇后両陛下は、厚生労働省の二川一男事務次官の先導で、ゆっくりと「比島戦没者の碑」に向かって歩かれた。

 慰霊碑近くで整列して待つ約150人の遺族らに会釈をすると、供花台の前に立ち、日本から持ってきた白菊の花束を側近から受け取り、供花台に手向けて深く深く拝礼された。

 続いて、石畳の参道から遺族が立ち並ぶ芝生に足を踏み入れ、列の後方にいる人にも「残念なことでした」などとお悔やみの言葉をかけられた。遺族の中には、ハンカチで目元をぬぐう人の姿も見られた。

 ルソン島で父親を失った田原政信さん(71)が天皇陛下に遺影を差し出すと、陛下は「若い写真ですね。ご苦労されましたね」と気遣われた。懇談後、田原さんは「父の墓前に報告したい」と話した。

 遺族らは両陛下が立ち去られた後、碑の前で慰霊祭を開催。唱歌「故郷(ふるさと)」を合唱し、故郷に帰れなかった親族らに思いをはせた。


日本人戦没者ご慰霊 感無量、両陛下いらしたら晴れた
産経新聞 1月30日(土)7時55分配信

 ■フィリピン戦遺族・伊藤早苗さん(75)「雨は英霊のうれし涙」

 「感無量です。天皇、皇后両陛下をお待ちしているときは雨だったのに、いらしたら晴れるなんて。さっきの雨は英霊のうれし涙だったのでしょうね」

 コレヒドール島で父親を失った伊藤早苗さん(75)=三重県桑名市=は、慰霊碑に深々と拝礼される両陛下の姿を見届け、感慨深そうに語った。両陛下が立ち去られた後、自らも献花し、祈りをささげた。

 父、正夫さんは昭和20年2月15日、水上特攻艇「震洋(しんよう)」に乗り込み、米軍艦に突進して亡くなった。

 写真の中の父親は、自分でも似ていると思うが、幼くして別れた父親の記憶はほとんどない。「後ろを振り返らず、前ばかり向いて歩く人。正面から見たことがない」と笑って話す。

 フィリピンを訪れたのは20回を下らない。毎回、普段涙を見せたことがない男の人たちが「おやじ、俺の背中について日本に帰ろう」と泣きながら叫ぶ。

 コレヒドール島に建つ、日本の方角を向いた観音像から英霊たちの無念さが伝わってくる。

 両陛下から今月18日に皇居・御所に招かれ、父親が戦死した状況を伝えた。「戦後の暮らしが大変でしたね」。ねぎらいのお言葉に全てが報われた。

 母親の命日だった23日、墓前に両陛下のご慰霊を報告した。「両陛下にお参りしていただくことができることになり、長年苦労してきた気持ちも休まったでしょう」。母にそう言われたような気がしている。(大島真生)


国際稲研究所のほ場を視察される両陛下
時事通信 1月29日(金)21時51分配信

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国際稲研究所のほ場を視察される天皇、皇后両陛下=29日午後、フィリピン・ロスバニョス(代表撮影)

(時事通信社)


国際稲研究所を視察される両陛下
時事通信 1月29日(金)21時51分配信

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国際稲研究所を視察される天皇、皇后両陛下=29日午後、フィリピン・ロスバニョス(代表撮影)

(時事通信社)


<両陛下>参列の95歳「レイテ島で戦友に報告します」
毎日新聞 1月29日(金)21時25分配信

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比島戦没者の碑に供花された天皇、皇后両陛下と話す元日本兵の松本実さん(左)=フィリピン・ラグナ州カリラヤで2016年1月29日午後0時26分、丸山博撮影

 ◇慰霊で26回訪問、元日本兵の松本さん

 【カリラヤ(フィリピン)高島博之】「比島戦没者の碑」への天皇、皇后両陛下の慰霊に参列した人々の中に、元陸軍第1師団副官の松本実さん(95)=東京都新宿区=がいた。約1万3000人を擁してフィリピンに派遣された第1師団で、終戦時に生き残ったのはわずか400人だった。「心を込めて慰霊してくださったことを、亡くなった戦友に報告したい」。両陛下の供花を見届けた松本さんはそう語った。

 第1師団は太平洋戦争中の1944年11月、米軍が進出したフィリピン・レイテ島に派遣された。島西部のオルモックから上陸し、北部のカリガラへ進んで米軍を攻撃せよとの命令を受けた。だが途中のリモン峠で米軍と衝突し、激戦となった。第1師団は空爆と砲撃で圧倒され、約50日間の戦闘で1万人近くが亡くなった。

 松本さんは砲弾の破片を右足に受け、骨が露出する重傷を負った。松葉づえをつきながら、転進先のカンギポットに向かい、ぬかるみの広がるジャングルを歩いた。野戦病院の前で負傷した将校から「手榴(しゅりゅう)弾をください」と声をかけられた。手榴弾を手渡し、その場を立ち去った。自殺するためだとわかっていたが、「どうすることもできなかった」と振り返る。

 第1師団はさらに転進命令を受け、セブ島に向かう。海を渡るのに用意できたのは、小型船4隻だった。船はレイテ島とセブ島を往復して日本兵を運んだが、米軍機の攻撃を受け、多くの兵がレイテ島に取り残された。セブ島に渡れたのは約700人、終戦時に生き残ったのは約400人だったという。

 日本兵の慰霊を目的に、松本さんがフィリピンを訪れるのは今回で26度目になる。「だれにもみとられずに亡くなった戦友を思うと胸が痛む。元気なうちはずっと慰霊を続けたい」

 29日、戦没者の碑で慰霊を終えられた天皇、皇后両陛下は、松本さんの前にも立ち止まった。松本さんは「明日からレイテ島とセブ島の慰霊碑を訪れます。きょうのことを報告します」と両陛下に伝えた。天皇陛下からは「遺族のためにも尽くしていただき、ごくろうさまです」とねぎらいの言葉をかけられた。皇后さまは「ずいぶん遠いです。気をつけてくださいね」と話されたという。


<両陛下>日本人戦没者を慰霊、供花 フィリピン訪問
毎日新聞 1月29日(金)21時12分配信

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比島戦没者の碑に供花される天皇、皇后両陛下=フィリピン・ラグナ州カリラヤで2016年1月29日午前11時56分(代表撮影)

 【カリラヤ(フィリピン)高島博之】フィリピンを公式訪問している天皇、皇后両陛下は29日、「比島戦没者の碑」を訪れ、太平洋戦争で亡くなった日本人を追悼された。27日には戦争の犠牲になったフィリピン人が眠る「無名戦士の墓」に供花されており、フィリピン人と日本人それぞれへの慰霊を今回の訪問で果たした。

 両陛下は、約150人の参列者が見守る中、ゆっくりと碑の前まで歩き、献花台に白菊の花束を供えた。その後、深く頭を下げ、戦没者を慰霊した。2005年の米自治領サイパン島、15年のパラオに続き、海外の日本人戦没者の碑で慰霊されるのは3回目となった。

 参列者は、フィリピンから帰還した元日本兵や戦没者の遺族らで、供花を終えた両陛下と言葉を交わした。

 天皇陛下は父を亡くした富山県遺族会の田原政信会長(71)に「残念なことでしたね。ご苦労されました」と声をかけた。田原さんは父の写真を見せ、「父が出征してから私は生まれました」と説明した。自らは生還したものの、兄を亡くした熊本県の森田義員さん(89)は「戦争を思い出すと眠れなくなるので、フィリピンの話を避けてきた。両陛下に慰霊していただき、少し気持ちが楽になった」と話した。

 比島戦没者の碑は、太平洋戦争中にフィリピンで亡くなった日本人51万8000人を追悼するため、1973年に日本政府がフィリピン・ラグナ州カリラヤに建てた。両陛下は30日に5日間の訪問日程を終え、帰国する。


両陛下ご訪比 遺族にお声がけ
産経新聞 1月29日(金)20時58分配信

 直前までの霧雨がやみ、晴れ間がのぞく中、近くのヘリポートから車で到着した天皇、皇后両陛下は、厚生労働省の二川一男事務次官の先導で、ゆっくりと「比島戦没者の碑」に向かって歩かれた。

 慰霊碑近くで整列して待つ約150人の遺族らに会釈をすると、供花台の前に立ち、日本から持ってきた白菊の花束を側近から受け取り、供花台に手向けて深く深く拝礼された。

 続いて、石畳の参道から遺族が立ち並ぶ芝生に足を踏み入れ、列の後方にいる人にも「残念なことでした」などとお悔やみの言葉をかけられた。遺族の中には、ハンカチで目元をぬぐう人の姿も見られた。

 ルソン島で父親を失った田原政信さん(71)が天皇陛下に遺影を差し出すと、陛下は「若い写真ですね。ご苦労されましたね」と気遣われた。懇談後、田原さんは「父の墓前に報告したい」と話した。

 遺族らは両陛下が立ち去られた後、碑の前で慰霊祭を開催。唱歌「故郷(ふるさと)」を合唱し、故郷に帰れなかった親族らに思いをはせた。


両陛下、遺族や元兵士の苦労にねぎらい…比訪問
読売新聞 1月29日(金)20時32分配信

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「比島戦没者の碑」への供花を終え、戦没者の遺族へ声をかけられる天皇、皇后両陛下(29日午前11時56分、フィリピン・カリラヤで)=横山就平撮影

 【カリラヤ(フィリピン)=沖村豪】フィリピン訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、先の大戦中に犠牲になった日本人のため、ラグナ州カリラヤの「比島戦没者の碑」で供花された。

 同国内での戦没者は、海外の地域別で最多の約51万8000人に上る。両陛下は、参列した約150人の遺族や元日本兵の話に耳を傾け、苦労をねぎらわれた。

 正午前(現地時間)、両陛下は慰霊碑の前で一礼すると、日本から持参した白菊の花束を供え、1歩下がって深々と拝礼された。遺族らの列に近づくと、「お母さまは大変でしたね」などと言葉をかけられた。慰霊は20分間の予定だったが、多くの遺族らに声をかけられたため、40分近く続いた。碑は、1973年に日本政府がマニラから約70キロ南の同州内に建立。台座の下に鉄かぶとや飯ごうなどの遺品が納められている。


両陛下、慰霊碑に深々と礼
時事通信 1月29日(金)19時51分配信

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フィリピンを訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、カリラヤに日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に深々と頭を下げ、約51万8000人の日本人戦没者の霊を慰められた。


供花に向かわれる両陛下
時事通信 1月29日(金)19時41分配信

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「比島戦没者の碑」に供花に向かわれる天皇、皇后両陛下=29日、フィリピン・カリラヤ(代表撮影)


供花される両陛下
時事通信 1月29日(金)19時41分配信

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日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に供花し、一礼される天皇、皇后両陛下=29日、フィリピン・カリラヤ


懇談される両陛下
時事通信 1月29日(金)19時41分配信

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日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に供花し、松本実さん(左から2人目)、森田義員さん(同3人目)と懇談される天皇、皇后両陛下=29日、フィリピン・カリラヤ


激戦の比島で鎮魂の祈り=両陛下、日本の慰霊碑に供花―戦没者遺族らと言葉交わす
時事通信 1月29日(金)19時32分配信

 【カリラヤ(マニラ近郊)時事】フィリピンを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、首都マニラから南東に約70キロ離れたラグナ州カリラヤにある「比島戦没者の碑」を訪れ、日本から持ってきた白菊の花を供えて、激戦地で犠牲となった約51万8000人の日本人戦没者を慰霊された。
 
 慰霊碑の前には、両陛下の慰霊に合わせて計約150人の遺族や生還した元日本兵、在留邦人らが集まり、ともに犠牲者の冥福を祈った。
 今回の訪問は国交正常化60周年を機とした友好親善が主な目的だったが、両陛下の強い意向で、昨年のパラオに続く海外での戦没者慰霊が実現した。両陛下は日本側の慰霊に先立ち、27日にマニラの英雄墓地にある「無名戦士の墓」を訪れて、フィリピン側の戦没者を慰霊している。
 両陛下は供花の後、集まった遺族らに慰めの言葉を掛けて回ったほか、フィリピン戦の遺族会や生還した元日本兵の代表者7人とも懇談した。


供花に向かわれる両陛下
時事通信 1月29日(金)19時12分配信

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日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に供花に向かわれる天皇、皇后両陛下=29日、フィリピン・カリラヤ


両陛下、慰霊碑に深々と礼=遺族ら万感の思い―海外メディアも現地に
時事通信 1月29日(金)17時41分配信

 【カリラヤ(マニラ近郊)時事】フィリピンを訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、カリラヤに日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に深々と頭を下げ、約51万8000人の日本人戦没者の霊を慰められた。
 戦後71年。屈指の激戦地となった同国での慰霊を、日本から参列した約150人の遺族や生還兵らは万感の思いで見守った。
 両陛下はマニラ中心部の宿泊先から海上保安庁のヘリコプターでカリラヤへ移動し、現地時間の正午前、碑の前に車で到着。小雨がぱらつく中、厚生労働省の二川一男事務次官の案内で、ゆっくりと碑の方へと進んだ。
 両国国旗が両脇に立てられた碑に向かって2度礼をした後、一歩進み、日本から持ってきた白菊の花束を供花。約5秒間深々と頭を下げた。
 供花を終えた両陛下は、ゆっくりと遺族の方に歩み寄り、碑の前の芝生で懇談。日が差し、汗ばむような天候になったが、立ったまま一人一人に「戦争の時はどちらに」「残念なことでしたね」などと20分以上にわたって声を掛けて回った。両陛下に戦没者の遺影を見せたり、涙を拭ったりする遺族の姿も見られた。
 続いて、屋根が付いた常設休憩所で遺族会の代表者5人、生還兵2人とも懇談。「遺族のためにいろいろ尽くしていただき、ご苦労さまです」「どうぞお元気でね」とねぎらいの言葉を掛けた。最後に何度も遺族らに礼をして午後0時半ごろ、車で碑を後にした。
 現地では日比両国のメディアのほか、CNN、ロイターなどの海外メディアが詰め掛け、今回の慰霊への関心の高さがうかがえた。両陛下が去った後、碑の前では遺族らが「君が代」や日本の唱歌「故郷」を合唱。日本の酒や千羽鶴、花輪などを供えて手を合わせていた。


両陛下、日本人戦没者を慰霊…菊の花束を供花
読売新聞 1月29日(金)14時10分配信

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「比島戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下(29日午前11時55分、フィリピン・カリラヤで)=横山就平撮影

 【カリラヤ(フィリピン)=沖村豪】フィリピン訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、先の大戦中、同国内で犠牲になった日本人を慰霊するため、ラグナ州カリラヤの「比島戦没者の碑」に供花された。

 両陛下は正午前(現地時間)、日本から訪れた遺族ら100人以上が見守る中、碑の前に立たれた。持参した白い菊の花束を手向け、深く頭を下げた後、遺族ら一人ひとりにお言葉をかけられた。

 比島戦没者の碑は、日本政府が1973年、マニラから約70キロ南の同州内に建立した。敷地の広さは3600平方メートルあり、台座の下に鉄かぶとや飯ごうなどの遺品が納められている。

 フィリピンでの日本人戦没者は、海外の地域別で最多の約51万8000人に上るとされる。両陛下は、戦後60年を迎えた2005年のサイパン、戦後70年の昨年のパラオに続き、海外激戦地での慰霊を果たされた。

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