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2015年5月15日 (金)

ネパール中部でM7.8の地震・20

ネパール中部で25日午前11時56分(日本時間午後3時11分)ごろ、マグニチュード(M)7.8の強い地震が発生した。

各報道によると、これまでに9000人以上が死亡したとされる。死者がさらに増える恐れがある。世界最高峰エベレスト(8848メートル)では大規模な雪崩が起き、日本人登山者1人を含む18人が犠牲となったほか、まだ約400人以上が山中で孤立していると見られる。

また12日の午後0時50分(日本時間午後4時5分)ごろには、マグニチュード(M)7.3の地震が発生、東部チャウタラなどで建物が倒壊し、これまでに90人以上が死亡、2000人近くが負傷したと伝えられる。今回の地震は、4月25日の地震の余震とみられる。

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リンク:自衛隊の医療援助隊110人、ネパールから帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>2900人の被災者診察 自衛隊帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール大地震>被災地歩いた11日間 取材日記 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>自衛隊の緊急援助隊、活動終了 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:医療チーム、ネパールから帰国 - 速報:@niftyニュース.
リンク:ネパール緊急援助隊の解団式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール派遣医療チーム帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール派遣医療チーム帰国=緊急援助隊の活動終了―成田空港 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:初期調査、機体不具合なし - 速報:@niftyニュース.
リンク:自衛隊の医療援助隊、撤収へ…ネパール地震 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:中谷防衛相、ネパールの医療救援隊に撤収命令「現地政府から高い評価と謝意」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>「歴史的建造物75%破損」元首相特別顧問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>自衛隊援助隊に活動終結命令 順次帰国へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパールでの援助活動終了=自衛隊 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地震義援金募集に謝意 市内のネパール人、牛久市長表敬 茨城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>「生きる」願った3時間 雪崩被害の女性 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:41年ぶりにエベレスト登頂者ゼロに? エベレスト商業登山、考え直すとき - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大地震の死者8500人超え、ネパール史上最悪に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地震の死者8600人超 - 速報:@niftyニュース.
リンク:不明米軍ヘリを発見、生存絶望か ネパール - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパールの米軍ヘリ墜落、兵士8人の死亡を確認 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:米軍ヘリの残骸発見=燃料トラブルで全員死亡か―ネパール - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパールで不明の米軍ヘリ?残骸発見…遺体も - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>米海兵隊ヘリの残骸発見 3遺体収容 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール:米海兵隊ヘリコプターの残骸を発見 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

自衛隊の医療援助隊110人、ネパールから帰国
読売新聞 5月21日(木)14時48分配信

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ネパールから帰国した自衛隊の医療援助隊員たち(21日午前、羽田空港で)

 ネパールで4月に起きた大地震で、負傷者らの治療にあたっていた自衛隊の医療援助隊が21日、帰国した。

 羽田空港(東京)で報道陣の取材に応じた中川博英隊長は、「被災者はテント暮らしが長く続いている。地面は寒く、6月には雨期に入る。つらい状況だと思う」と現地の様子を語った。

 自衛隊によると約110人の医療援助隊は、4月30日から今月19日までの間、首都カトマンズなどに設置された避難所で、計約2900人を診療した。地震発生直後は、頭部にけがをした人が目立ったが、テント生活の長期化とともに、持病が悪化したり、不眠や下痢を訴えたりする患者が増えたという。中川隊長は、「心配そうに子供を抱えて来る母親もいた。丁寧な診療を心がけた」と語った。


<ネパール地震>2900人の被災者診察 自衛隊帰国
毎日新聞 5月21日(木)11時19分配信

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出迎えを受けるネパール派遣から帰国した自衛隊員=東京・羽田空港で2015年5月21日、町田徳丈撮影

 ネパール大地震に派遣されていた自衛隊の国際緊急援助隊約110人が21日、帰国した。援助隊は20日間にわたって首都カトマンズや周辺の避難所で延べ約2900人の被災者を診察するなど医療援助をしていた。

 帰国した隊長の中川博英1等陸佐(50)によると、現地ではテント生活を余儀なくされた被災者が不眠症や下痢の症状を訴えるケースが多かったという。中川隊長は「我々も東日本大震災の時に多くの国に支えられて切り抜けてきたので、今後も国際的に困っている状況になれば自衛隊のできる範囲で貢献できれば」と語った。【町田徳丈】


<ネパール大地震>被災地歩いた11日間 取材日記
毎日新聞 5月21日(木)9時12分配信

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車中で原稿を書いていると、テントで避難生活を送る子供たちが窓越しに手を振ってくれた=カトマンズで2015年4月29日、竹内良和撮影

 ネパール大地震の発生3日後、東京から現地入りし、被災地を11日間取材した。初めて訪れた「世界の最貧国の一つ」とも言われるヒマラヤの小国。貧しさゆえに地震への備えはなく、多くの人が命や財産を失った。だが、淡々と生きるネパール人の強さも印象的だった。取材日記を紹介する。【竹内良和】

 ◇世界各国から救援機が殺到

 ■4月28日(火)

 地図上に自機の航路を示す座席のモニターが、幾重もの円を描く。タイ・バンコクから乗った旅客機はカトマンズに着陸できず、手前の山岳地帯の上空で旋回を繰り返していた。日本の地方空港ほどしかない狭いカトマンズ空港に、世界各国からの救援機が殺到。混雑で定期便が着陸できない状況が続いていたのだ。

 地震発生翌日の26日夜、会社から「現地入り」を命じられ、あわてて閉店間際のアウトドア用品店に駆け込み登山靴などを買い込んだ。東日本大震災の取材経験はあるものの、海外の被災地取材は初めてだ。不安を抱えながら27日午後、成田空港から出発した。

 大幅遅れで到着したカトマンズ空港には「中国空軍」と書かれた輸送機が駐機し、到着ロビーには迷彩服のイスラエル軍兵士も。タクシーで街に出ると、レンガ造りの建物が倒壊し、亀裂が走ったビルが散見されるものの、東日本大震災直後の三陸沿岸のように、街全体が壊滅するような状況ではなさそうだ。

 公園に被災者のテント群が見えた。がれきから集めてきた材料で作った即席テント。床は土の地面がむき出しだ。夫や娘とテント暮らしを送るマナ・マハルジャンさん(52)は「政府の支援がない。おなかもすいている」と訴えた。

 慣れない英語で話を聞いていると、片言の日本語を使う男性が通訳に入ってくれた。男性は自身も被災した山岳ガイド。日本の登山客は多く、日本語を使うガイドも少なくないという。

 ◇市街地治安良く略奪や暴動ない

 ■29日(水)

 国会議事堂前に長蛇の列ができていた。政府が地方へ無料運行するバスの順番を約2万5000人が待っているという。カトマンズは、東京と同じように仕事や進学で地方から移り住んだ人が多い。

 大きなバッグを抱え、何時間も整然と列を作る人々。2キロ近い列の途中に割り込もうとする家族に「後ろに並んで」と一斉に声が上がる。大災害にもかかわらず市街地の治安は良く、略奪や暴動の情報も聞かなかった。

 車に戻りパソコンで原稿を書いていると、テントに身を寄せる少女が珍しそうに様子をのぞき込んできた。どの被災地に行っても子供の笑顔は救いだ。

 ◇体調悪化の少女、母は仕事失う

 ■5月2日(土)

 カトマンズ最大級の避難所で自衛隊の医療援助活動を取材する。診療を待つ数十人の老若男女。入浴もできず、屋外にもかかわらず、すえた臭いが漂う。

 少女が「頭が痛い」とうつむいていた。一家5人で避難所で生活し、風の吹き込むテントで体調を崩した。母が建設現場の土運びなどで生計を立てているが、地震で仕事もなくなったという。

 「自己満足ではないか」と迷いながらも、ポケットの小銭を渡した。日本円で100円ほど。幼い妹の手を引く少女はにっこりと手を合わせた。後日、避難所で少女を探したが、姿はなかった。一家がどうしているか、今も気がかりだ。

 ◇食堂のそばで飢える被災者

 ■4日(月)

 最大級の被害が出たネパール中部のシンドゥパルチョーク地区へ。カトマンズ市内から休憩を含め車で約3時間半。曲がりくねる山道をひたすら進む。ガードレールはなく、カーブでスリップすれば谷底へ真っ逆さまだ。

 車窓からは、段々畑の中にレンガ造りの家が点在する美しい山々が見える。途中、車を降りては被災状況を尋ねる。この国では「ナマステー」(こんにちは)と両手を合わせれば、誰もがほほ笑み返し、丁寧に応じてくれる。村人は食事にさえ事欠くなか、あちこちを案内し、被災者を紹介してくれた。

 地区の中心地チョータラは、民家や商店が軒並み崩れていながらも、何店かの食堂が営業していた。村人の紹介で、家の下敷きになり亡くなった女性の遺族に話を聞く。女性は、地震の3日前に三女を出産したばかり。最期はベッドで添い寝していた4歳の次女を守るように、四つんばいの姿勢で見つかったという。

 涙を流す夫の傍らで無邪気にはしゃぐ幼い長女と次女。とうのかごには三女がすやすやと眠っていた。テント生活になった一家が救援物資として受け取ったのはビニールシート1枚だけ。食料もお金も底を突いた。

 夫は「親戚にお金を借りてしのぐしかない」と言った。いたたまれず、姉妹にバッグにあったクッキーや板チョコを渡す。暑さで溶けかけたチョコを満面の笑みでなめる次女の姿が、私の3歳の長女に重なった。

 取材前、私やネパール人のガイドが昼食をとった食堂から、わずか歩いて10分ほどの場所に、明日の食事さえ分からぬ家族がいることがショックだった。東日本大震災直後に取材した被災地では、飢える人々のそばで大勢の客が店で食事をするような現場はなかった。

 村人に話を聞いていたガイドがぽつりと言った。「力のある人、声の大きい人が、たくさんの救援物資をもらっているようだ」。昼食をとったことが、無性に後ろめたかった。

 ◇余震におびえ、つっかえ棒

 ■8日(金)

 街を歩くとあちこちで、住民が材木を切り出し、余震に備えて傾きかけた建物につっかえ棒をしている。日本なら街全体が立ち入り禁止になっているところだろう。今のネパールには、つっかえ棒が精いっぱいの対策だ。

 カトマンズ周辺は日本の震度6弱~5弱に相当する揺れだったとみられている。耐震化された日本の建物ならこれほどの被害は出なかったはずだ。だが、ネパールの庶民に耐震を考慮する余裕はない。レンガ造りの家の下敷きになって多くの人が命を落とした。「もし日本であれば、あのチョータラの子供たちの母親も助かったんじゃないか」。そんな思いにも駆られた。

 人々は、外国から取材に訪れた私を気遣い、力を貸してくれた。「被災者の役に立とう」と意気込んでいた私は、逆にネパールの人たちに助けられ、学ばせてもらった。

 帰国前日、カトマンズに長年暮らす日本人から「ネパール人を好きになって、また来てほしい。それが、観光が支えているこの国への何よりの復興支援になる」と言われた。私はネパール人が好きになった。もう一度、この国を訪れ、復興の行方を確かめたい。


<ネパール地震>自衛隊の緊急援助隊、活動終了
毎日新聞 5月20日(水)19時46分配信

 【カトマンズ金子淳】ネパール大地震で医療支援を行っていた自衛隊の国際緊急援助隊が20日、現地での活動を終えた。この日は首都カトマンズのトゥンディケル避難所で式典が行われ、隊長の中川博英1等陸佐が「ネパールの国民は規律正しく、日本国民との共通点があると感じた。必ず困難を克服すると信じている」とあいさつした。

 自衛隊は地震発生から5日後の4月30日から、隊員約110人がトゥンディケル避難所など4カ所で医療活動を開始。地震の負傷者や避難生活による疾患を抱えた患者など延べ約2900人を治療した。中には、4~5時間歩いて診療に訪れる患者もいたという。式典では、ネパール保健人口省のサンタ・バハドゥール・スベディ次官が「日本政府は遅れることなく支援してくれ、多くの命が救われた」と感謝を述べた。隊員は21日朝に帰国する。


医療チーム、ネパールから帰国
2015年5月20日(水)13時8分配信 共同通信

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 ネパールから帰国し、解団式で報告する国際緊急援助隊の医療チーム2次隊の近藤久禎団長(左端)=20日午前、成田空港

 大地震に見舞われたネパールで、けが人の治療をしていた国際緊急援助隊の医療チームの2次隊が20日、成田空港に帰国した。

 空港内で開かれた解団式で、団長を務めた国立病院機構災害医療センターの近藤久禎副災害医療部長(44)は「医療チームの活動で病院の患者が徐々に減り、非常事態から平穏を取り戻すことができた」と報告した。

 2次隊は医師、看護師、薬剤師ら計34人で、先に現地に入った1次隊の活動を引き継いだ。両隊は手術などの高度な医療活動を実施した。

 2次隊は9日から治療を始めたが、大きな余震で安全確保ができなくなったため、首都カトマンズ東方の病院に拠点を移した。


ネパール緊急援助隊の解団式
時事通信 5月20日(水)12時9分配信

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ネパールに派遣された国際緊急援助隊・医療チーム2次隊の解団式。近藤久禎団長は「余震で負傷した人たちにもケアを行い、全体として良い活動ができたのではないか」と話した=20日午前、成田空港


ネパール派遣医療チーム帰国
時事通信 5月20日(水)10時23分配信

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ネパールを襲った大地震で、けが人の治療などに当たった国際緊急援助隊・医療チーム2次隊のメンバー33人が20日午前、成田空港着の民間機で帰国した。


ネパール派遣医療チーム帰国=緊急援助隊の活動終了―成田空港
時事通信 5月20日(水)10時11分配信

 ネパールを襲った大地震で、けが人の治療などに当たった国際緊急援助隊・医療チーム2次隊のメンバー33人が20日午前、成田空港着の民間機で帰国した。地震発生直後の救助チーム派遣に始まった緊急援助隊の活動はこれで終了し、今後の焦点は復旧支援に移る。
 医療チームは、今回初めて派遣された手術など高度医療の提供が可能な「機能拡充チーム」。1、2次隊合わせ、987人の治療などを行った。
 2次隊の活動拠点となったカトマンズ北東のバラビセは、12日に発生したマグニチュード7.3の余震の震源近くにあり、チームは緊急撤収を余儀なくされた。その後は、カトマンズ市内の病院で技術指導などに当たったという。
 成田空港で行われた解団式では、外務省の広田司緊急・人道支援課長(44)が「(余震もあったので)皆さんの姿を見てほっとした」とあいさつ。近藤久禎団長(44)は「余震で負傷した人たちにもケアを行い、全体として良い活動ができたのではないか」と話した。 


初期調査、機体不具合なし
2015年5月20日(水)5時26分配信 共同通信

 【ワシントン共同】米海兵隊のデービス航空副司令官(中将)は19日、今月ハワイやネパールで死亡事故が発生した新型輸送機MV22オスプレイとUH1Yヘリコプターについて、初期調査では機体に不具合は見つからなかったとして運用を続ける考えを表明した。ロイター通信が伝えた。

 デービス氏は、ハワイとネパールの事故はいずれも原因を調査中だとした上で「機体の信頼性や安全性について、ためらいを感じるような点は一切見られない」と指摘。オスプレイとUH1Yヘリの設計や性能に問題はないとの認識を示した。

 一方で、事故調査の結果次第では、訓練計画を見直す可能性もあると述べた。


自衛隊の医療援助隊、撤収へ…ネパール地震
読売新聞 5月19日(火)15時39分配信

 ネパールで4月に起きた大地震で、防衛省は19日、現地で活動する自衛隊の医療援助隊を撤収させると発表した。

 中谷防衛相は同日の記者会見で、「震災に基づく医療活動のニーズが着実に減少していることなどを踏まえた」と理由を説明した。

 同省統合幕僚監部によると、自衛隊のネパール派遣は4月27日に決まり、これまで約110人が首都カトマンズなどで負傷者の治療にあたり、今月18日までに約2860人に診療を行った。空自の輸送機も2回にわたり、日本から医薬品などを輸送した。


中谷防衛相、ネパールの医療救援隊に撤収命令「現地政府から高い評価と謝意」
産経新聞 5月19日(火)11時17分配信

 中谷元(げん)防衛相は19日午前の記者会見で、ネパール中部で発生した大地震を受け、現地に派遣していた国際緊急援助隊など自衛隊員約270人に撤収命令を出したことを明らかにした。援助隊は4月30日から首都カトマンズを中心に医療活動にあたり、計約2860人の診療を実施した。隊員は22日までに帰国する予定。

 中谷氏は「現地での医療活動のニーズが着実に減少していることを踏まえ撤収命令を発令した。自衛隊の支援活動に対し、ネパール政府から高い評価と感謝の意が寄せられている」と述べた。


<ネパール地震>「歴史的建造物75%破損」元首相特別顧問
毎日新聞 5月19日(火)11時12分配信

 元ネパール首相特別顧問で、元国連児童基金(ユニセフ)事務局次長のクル・ゴータム氏(65)が東京都内で毎日新聞の取材に応じ、ネパール大地震で首都カトマンズ近郊にある歴史的建造物のうち約75%が破壊されたことを明らかにした。ゴータム氏は「建造物はネパールだけではなく、世界に資するものだ。10年以上かかると思うが、修復したい」と意欲を示した。

 カトマンズを中心とした盆地は、中世の王宮や寺院が残っているとして世界遺産に登録されている。ゴータム氏によると、一帯にあるほとんどの寺が倒壊したほか、旧王宮前のダルバール広場も深刻な被害を受けた。盆地の中にあるパタンやバクタプルなどの古都も破壊された。

 ゴータム氏は「(内戦で長年放置されていた)カンボジアのアンコールワット遺跡のように修復が進んだ例もある。国連教育科学文化機関(ユネスコ)など専門家の力を借りたい」と話した。

 ネパール政府は、復興計画の策定に着手。国内で約29万棟の家屋や約6000棟の学校が倒壊したことから、代わりとなるプレハブ施設の建設を急ぐ。復興や経済回復に必要な額は約200億ドル(約2兆4000億円)と見込まれており、夏に開かれる復興支援のための国際会議までに計画をまとめる。

 ネパール唯一の国際空港であるカトマンズの空港施設が貧弱で支援物資の受け入れに支障が出たこともあり、新しい空港を造る計画もあるという。

 ゴータム氏はカトマンズ在住。現在も、人権、開発などの分野で政府への助言を行っている。【三木幸治】


<ネパール地震>自衛隊援助隊に活動終結命令 順次帰国へ
毎日新聞 5月19日(火)10時33分配信

 中谷元防衛相は19日、大地震が発生したネパールで医療支援をするために派遣していた自衛隊の国際緊急援助隊約110人に、活動を終結する命令を出した。同日午前の記者会見で明らかにした。中谷氏は「発災から3週間あまりが経過し、現地において震災に基づく医療活動のニーズが着実に減少してきた」と理由を説明した。

 政府は、4月25日の大地震発生を受けて、27日に国際緊急援助隊の派遣を決定。隊員は30日から首都カトマンズなどで、被災者延べ2800人に医療活動を実施した。隊員は今月21~22日に順次帰国する予定。【飼手勇介】


ネパールでの援助活動終了=自衛隊
時事通信 5月19日(火)10時12分配信

 中谷元防衛相は19日の閣議後の記者会見で、大地震が発生したネパールに国際緊急援助隊として派遣している自衛隊の活動を終了し、撤収させると発表した。撤収命令は同日付で、援助隊は22日までに帰国する。 


地震義援金募集に謝意 市内のネパール人、牛久市長表敬 茨城
産経新聞 5月19日(火)7時55分配信

 牛久市の区長会(岩野忠男会長)が行っている「ネパール地震義援金募集」に感謝の意を示そうと、市内に住むネパール人が18日、市役所に池辺勝幸市長を表敬訪問した。同市は東日本大震災で世界中から支援を受けたことから、今回の地震では区長会が行政区単位で今月末まで募金活動を実施している。

 訪れたのは、市内で飲食店を経営しているカトリ・チャンダル・バハドルさん(43)とカトリ・チャム・バハドルさん(32)兄弟ら10人。チャンダル・バハドルさんは「牛久の皆さんの温かい気持ちと協力に感謝します」とお礼を述べ、チャム・バハドルさんが現地の被災状況などの説明を行った。

 池辺市長は、近くネパールを訪れるというチャム・バハドルさんに「何が必要か調べてきてください」と話していた。


<ネパール地震>「生きる」願った3時間 雪崩被害の女性
毎日新聞 5月18日(月)23時2分配信

 「生きなきゃ、生きなきゃ」--。ネパール大地震に伴うエベレストの雪崩で、全治2カ月の大けがをした札幌市清田区の元会社員、小幡(おばた)友子さん(50)が帰国し、同市内の病院で取材に応じた。両脚を骨折した小幡さんは救助までの約3時間、あおむけに倒れたまま動けずにいた。「このまま凍死するかも」。体に降り積もる雪を見つめながら、死への恐怖と闘ったという。【安達恒太郎】

 8848メートルの頂上アタックを控え、小幡さんは4月25日正午前、ベースキャンプ(BC、標高約5300メートル)のテント内にいた。数人の仲間と談笑していた時、地面が突然、大きく揺れた。慌ててテントの外に出ると、今度は激しい横揺れが襲ってきた。

 テントにしがみつきながら山頂を見上げた瞬間、「ドーン!」という耳をつんざく音が響く。エベレスト向かいの「プモリ峰」の方角で雪崩が起き、猛烈な勢いでBCに向かってくる。「まるでCG(コンピューターグラフィックス)のようだった」。雪煙は山のような高さになっていた。

 BCにいた登山者やシェルパらは、雪崩とは反対方向に一斉に走り出していた。小幡さんも走った。しかし、数歩進んだだけで、雪崩はすぐ後ろに迫っていた。とっさにしゃがみ込んだ瞬間、下から突き上げられ、雪崩に巻き込まれた。口と鼻には雪と氷が入り、呼吸もままならない。体は何度も回転し、天地も分からなくなった。

 雪崩が収まり、奇跡的に体は埋もれずに済んでいた。立ち上がろうとすると、両脚に激痛が走る。雪崩の地鳴りから一転し、周囲は静寂に包まれ、テントの残骸などが散らばっていた。同じく助かった登山者らに寝袋を掛けてもらったが、寒さは消えない。「家族のことも、日本のことも思い出す余裕はなかった」。ひたすら生きることを願い、約3時間後に救助された。

 カトマンズの病院に入院。左大腿(だいたい)骨を開放骨折し、右脚のすねとくるぶしも折れていた。4日に帰国し、近く計4回目の手術を行う。

 小幡さんは2006年に登山を始め、07年にヒマラヤ山脈のアマダブラム(標高6812メートル)登頂に成功。エベレスト登頂は今回が初挑戦だった。雪崩では日本人男性を含む計18人が犠牲になり、今も恐怖が残っている。しかし、「目標がないと、リハビリを頑張れない」。人生を後悔しないため、またエベレストを目指してリハビリに取り組むつもりだ。


41年ぶりにエベレスト登頂者ゼロに? エベレスト商業登山、考え直すとき
ナショナル ジオグラフィック日本版 5月18日(月)10時45分配信

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けが人を載せたヘリコプターの離陸を見守るネパール人シェルパと登山隊メンバー(2015年4月26日撮影)(PHOTOGRAPH BY ROBERTO SCHMIDT, AFP, GETTY IMAGES)

 今年は、41年ぶりにエベレスト登頂者が出ない年になりそうだ。

 4月25日のネパール大地震後、世界最高峰は恐ろしい雪崩に見舞われ、昨年に引き続き商業目的の登山は閉鎖された。

【フォトギャラリー】悲しみのエベレスト

「とてもじゃないけど、今の状態でエベレスト登山がいかに素晴らしいかを考えることはできません。この地は、悲しみと死の土地になりつつあります」と語るのは、今回の震災時に7人の同行者とともに高地に取り残された山岳ガイド、デイブ・ハーン氏だ。

 4月25日のマグニチュード(M)7.8の地震と5月12日のM7.3の余震で、ネパールは8000人以上の死者を出した。そのうち、最低でも19人はエベレストのベースキャンプにいた登山者で、うち10人はシェルパだった。地震は天災であり、山岳事故ではない。しかし、エベレストで人が亡くなるたびに、山の商業化と登山の倫理についての議論が繰り広げられてきた。

 殺到する登山者たちは、安全性を犠牲にしているのだろうか? シェルパは、顧客の荷物(エスプレッソメーカーも含まれる)を担いで何度も危ないクーンブ氷河を往復し、命を危険にさらしすぎではないか? 裕福な西洋人は、エベレストに登るため、また地震後に下山するためだったら、お金を出して何でも手に入れる資格があると思っているのだろうか?

 初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリー卿は、その50年後の2003年にエベレストに休息を与えることを求めたが、それを聞き入れようとする人はいるのだろうか?

 おそらく、いないだろう。

 雪崩で16人のシェルパが亡くなったエベレスト史上最悪の事故からようやく1年。2015年の登山シーズンは、例年通り幕を開けた。2014年に入山を断念した人々が再来したため、ベースキャンプには登山者359人が詰めかけ、過去最高を記録した。4月の地震で2014年を超える死者が出たにもかかわらず、2016年もたくさんの登山客の来訪が予想されている。

 登山家であり作家でもあるデイビッド・ロバーツ氏は、「来年も例年通り混み合うことが心配です。それほどエベレストは魅力的なのです。シェルパが16人死んでも、客足は途絶えません。来年は、登山再開を求める声が高まるでしょう」と述べた。

登頂が記録追求のゲームに
 エベレストに関する議論は、2つの話題の間を行ったり来たりしている。世界最高峰の圧倒的な魅力、そして対価となるお金だ。登頂という栄光を手にするために、7万ドル(約840万円)以上もの大金を払うことを厭わない裕福な顧客が後を絶たない。ネパールの基幹産業である観光を支えているのは、間違いなく登山客である。貧しい同国にとって、エベレストで働くシェルパは、非常に実入りのいい職種となっている。

 ネパール政府は、外国からの登山客による現金流入に依存するあまり、登山許可証の発行数制限や、最低登山能力レベルの設定を拒んでいる。

 そのためエベレストは、その冒険と同じぐらい、「騒動」で有名になってしまった。もう長いこと、ゴミと人糞の蓄積が問題になっている。ツアー会社は、アイゼンの付け方すら知らない経験不足な顧客に、山頂へのチケットを売りつけ続けている。登山客が多すぎるために複数の渋滞が発生しており、2012年には、ローツェフェイスに200人近くの登山者が連なる写真が話題になった。同年、12mの岩登りを伴う登頂前の最後の難関ヒラリーステップでは、2時間もの待ち時間が発生した。

 この“エベレストゲーム”は、たんなる登山の冒険の域を超え、ギネスブック風の記録追求になっているのが現状だ。たとえば、エベレスト登頂に成功した「初の女性」、「初の黒人男性」(南アフリカ人)、「初の南アフリカ人女性」という具合だ。この春は、初のビーガン(純粋な菜食の人)も参加していた。肉やチーズだけでなく、革製の登山靴や羽毛の寝袋の使用さえも避けていたという。

「真の登山者にとって大事なのは、登頂そのものよりも、その過程で得られるストーリーや体験です。それが、商業目的の登山の場合、登頂が目的になってしまっています」と、エベレスト登頂経験のある米国人登山家、コンラッド・アンカー氏は言う。

震災時、自ら下山できなかったのか
 ネパールで地震が起き、首都カトマンズで数少ないヘリコプターが救助活動を行っていた同じころ、エベレストで立ち往生した登山客がヘリコプターに引き上げられる画像が紹介された。登山者の半数はネパール人ガイドだったにもかかわらず、インターネットでは登山者批判が相次いだ。

 米国を拠点とする「RMI Expeditions」のガイドをしていたハーン氏によると、(地震発生時)登山者にはほとんど選択肢がなく、そのいずれもいい選択ではなかったと言う。氷河を通る別ルートをつくるためにエベレスト第1キャンプから送りだされたチームは、連続する余震に妨害された。

 ハーン氏は、自分の小さなチームだけなら下山させることができるかもしれないと思った。でも問題は、安全な場所に移動する必要がある大量の登山者だった。

「200人をどうしたらいい? というのが私たちの懸念でした。そもそもヘリコプターが来ているのは、私たちの財力のおかげであることは明らか。政府所有ではなく、民間企業のヘリですから。それらを飛ばすにはたくさんのお金がかかり、その全額を私たちに請求する前提で、彼らは優れた仕事をするのです」

エベレスト行きを控えるガイドも
 すべての旅行会社が、エベレスト登山の現状に加担しているわけではない。

 シアトルを拠点とする「Mountain Madness」を率いるマーク・ガンログソン氏はこう言う。「しばらくエベレストのガイドはしていません。ちょっと、制御不能になってきているからです。山に登る資格のない人が多すぎます。だから、少し控えています」

 外国人顧客のために最大のリスクを背負うシェルパらも、このところリスクを抑えようと動いている。昨年の大規模な雪崩のあと、シェルパは山に戻ることを拒み、ネパール政府に登山シーズンをキャンセルさせた。結果、彼らは死亡保険金の引き上げを要求し、勝ち取った。

 先月の地震でクーンブ氷河を通るルートが壊滅した後、毎年そのルートを切り開くアイスドクターとして働くシェルパらは、ルートの再建ができなかった。すぐに、すべての登山客が撤退した。

 ヒラリー氏とともにエベレストに初登頂したテンジン・ノルゲイ氏の息子、ノルブ・テンジン氏は、「シェルパはとても信心深く、縁起を担ぎます。エベレストは神。神の住む場所が汚されているのです。山が踏み荒らされ、汚されていることに神が怒っているのだというメッセージなのかもしれません」と述べている。

 サンフランシスコ在住で、アメリカヒマラヤ財団の副会長を務めるテンジン氏は先日、故郷のテムズ村を訪れた。エベレストのふもとの同村は、ネパールでも有名な数多くのシェルパの故郷でもある。テンジン氏によると、多くのシェルパが、地震の影響で来春の登山再開を考え直そうとしているそうだ。

 それでも、山は呼んでいる。最高峰に立つチャンスがあるかぎり、エベレストへ登ろうとする力を抑止することはできないと、ロバーツ氏は言う。

 それは、どこでも同じだ。「カリフォルニア最高峰のホイットニー山は、人でごった返しています」。ホイットニー山から少し北に行くと、ノース・パリセードと呼ばれる見事な山がある。ロバーツ氏によると、そちらの方がいい旅になるそうだ。「そちらには誰も登りません。76m低いだけなのに」


大地震の死者8500人超え、ネパール史上最悪に
ロイター 5月18日(月)8時28分配信

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 5月17日、ネパール内務省は先月と今月の地震による死者が、計8583人になったと発表した。負傷した子どもを抱えた兵士。カトマンズで12日撮影、提供写真(2015年 ロイター/U.S. Marine Corps)

[カトマンズ 17日 ロイター] - ネパール内務省は17日、4月25日に起きたマグニチュード(M)7.8の大地震と今月12日の地震による死者が、計8583人になったと発表した。同国の地震の被害としては、過去最悪の犠牲者数を記録した。

先月の地震では、家屋50万戸以上が損壊。今月の地震は、復興作業が始まったばかりの被災地を直撃した。行方不明者は依然として数十人を数え、17日も捜索活動が行われた。

また、同国のスシル・コイララ首相によると、2つの地震による外国人の死者は58人に上っている。

これまで同国で最多の死者数を記録したのは、少なくとも8519人が死亡した1934年の地震だった。


地震の死者8600人超
2015年5月16日(土)20時17分配信 共同通信

 【カトマンズ共同】ネパール当局は16日、4月25日以降の地震の死者数が計8485人になったと明らかにした。インド、中国など近隣国を含めた死者数は8600人を超えた。負傷者数は合計約2万1千人。

 地元メディアによると、12日の新たな地震以降、建造物の安全性が確保できないとして野外で執務をしていた首相府は別の政府施設に移動した。


不明米軍ヘリを発見、生存絶望か ネパール
CNN.co.jp 5月16日(土)12時26分配信

カトマンズ(CNN) 大地震に見舞われたネパールで救援活動中に交信を絶ち行方不明となっていた米軍ヘリコプターについて、米国防総省の当局者は15日、機体が同国中部チャリコット近郊の山腹で発見されたと明らかにした。生存者はいないとみられる。

米軍によると、機体が発見されたのは首都カトマンズの東約72キロにあるチャリコットの北郊で、町から約12キロの地点。3人の遺体が発見されたとするネパール軍の報告については確認がとれていないとした。同機には米海兵隊隊員の6人とネパール軍兵士2人が搭乗していた。

ネパール軍関係者は、ヘリの残骸がゴルサリ地区の標高3400メートルの地点で見つかったと述べた。同国国防相によると、機体は焼け焦げた状態で、中から遺体が発見されたという。

ネパールで米軍の指揮を執る海兵隊のジョン・ウィスラー中将は、現地の状況を踏まえて同日夕方の捜索を延期すると発表した。軍によれば、現地付近にはパラシュート部隊4人と戦闘救難員1人が展開しており、今後徹底的な調査を行うとしている。

米国防総省によれば、ヘリの交信が途絶えたのは12日夕方で、救援物資の輸送中だった。無線通信記録から、同機は燃料系に問題を抱えていたとみられる。

ウィスラー中将は、この事件がネパールでの救援活動に影響をあたえることはないとしている。


ネパールの米軍ヘリ墜落、兵士8人の死亡を確認
AFP=時事 5月16日(土)11時40分配信

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ネパール・カトマンズの軍基地で、行方不明となっていた米海兵隊ヘリコプターの残骸を発見したネパール軍兵士を取り囲む兵士ら(2015年5月15日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ネパールで大地震の救援活動中だった米海兵隊のヘリコプターが墜落した事故で、アシュトン・カーター(Ashton Carter)米国防長官は15日、乗っていた海兵隊員6人とネパール軍兵士2人の計8人が死亡したと発表した。

 米軍のヘリ「UH-1Y ヒューイ(Huey)」は大地震の被災地に救援物資を輸送していた12日に行方がわからなくなり、ヘリコプター複数機と兵士数百人を動員した捜索の結果、15日になって残骸が上空から発見されていた。

 ネパール軍幹部によると残骸が見つかった場所は首都カトマンズ(Kathmandu)からおよそ70キロ北東の山中。その後、米・ネパール両国軍の兵士が徒歩およびヘリコプター2機で墜落現場にたどり着いた。

 墜落ヘリの捜索活動を指揮する統合任務部隊のジョン・ウィスラー(John Wissler)司令官は、「不幸な事故の原因は特定できていない」と述べ、激しい雷雨のため一時中断している残骸の回収作業を16日にも再開する方針だと語った。【翻訳編集】 AFPBB News


米軍ヘリの残骸発見=燃料トラブルで全員死亡か―ネパール
時事通信 5月15日(金)23時15分配信

 【ニューデリー時事】ネパール軍は15日、カトマンズの北東約70キロの地点で、地震被災者の救援活動中に行方不明になった米軍ヘリコプターの残骸を発見したことを明らかにした。AFP通信によると、米軍幹部も残骸を確認し「乗員全員が死亡した可能性が高い」と述べた。
 墜落したのは米軍のUH1多用途ヘリで、海兵隊員6人とネパール軍兵士2人が乗っていた。12日の任務中に消息を絶ち、ネパール軍などが捜索していた。米国防総省によると、連絡が途絶える直前、乗員は無線で燃料に何らかの問題が生じたと話していた。 


ネパールで不明の米軍ヘリ?残骸発見…遺体も
読売新聞 5月15日(金)20時48分配信

 【ニューデリー=石田浩之】ネパール中部で発生した大地震で、支援活動中に行方不明になった米海兵隊のUH1Y「ヒューイ」ヘリコプターとみられる残骸が15日、中部ドラカ地区で発見され、付近から数人の遺体が収容された。

 ネパール警察当局が明らかにした。

 同ヘリには米兵6人とネパール軍兵士2人が搭乗。12日に首都カトマンズ東方のチャリコット付近を飛行中に連絡が途絶えていた。


<ネパール地震>米海兵隊ヘリの残骸発見 3遺体収容
毎日新聞 5月15日(金)18時55分配信

 【ニューデリー金子淳】ネパール大地震の救援活動中に行方不明になった米海兵隊のヘリ「UH1」の残骸が15日、中部ドラカ地区で見つかり、近くで少なくとも3人の遺体が収容された。AP通信などが報じた。遺体の国籍などは明らかになっていない。ヘリには米海兵隊員6人とネパール軍兵士2人が搭乗していたとされ、軍などが捜索活動を続けている。

 ヘリは今月12日、ドラカ地区で支援物資を届けている最中に消息を絶った。直前には現場付近を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震が発生していた。ネパール国防次官はロイター通信に「ヘリはバラバラになっており、生存者がいる見込みはない」と述べたという。


ネパール:米海兵隊ヘリコプターの残骸を発見
JSF | 軍事ブロガー
2015年5月15日 18時35分

Uh1y
米海兵隊より救援活動中のUH-1Yヴェノム(5/10、ネパール)

ネパール地震被害救援中に行方不明になっていた米海兵隊のヘリコプター「UH-1Yヴェノム(ヒューイ)」の残骸が15日、発見されました。5月12日に行方不明になってから発見までに3日掛かっています。発見されたのは首都カトマンズから70km東にあるゴルカ地区ゴルタリ村付近の標高3400mの山中で、海兵隊員6名、ネパール兵2名の搭乗者の中に生存者はいませんでした。現在、ネパール軍のヘリコプターと米海兵隊のオスプレイで収容にあたっています。

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ネパール、ゴルタリ村

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