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2015年5月 6日 (水)

ネパール中部でM7.8の地震・17

ネパール中部で25日午前11時56分(日本時間午後3時11分)ごろ、マグニチュード(M)7.8の強い地震が発生した。

各報道によると、これまでに7900人以上が死亡したとされる。死者がさらに増える恐れがある。世界最高峰エベレスト(8848メートル)では大規模な雪崩が起き、日本人登山者1人を含む18人が犠牲となったほか、まだ約400人以上が山中で孤立していると見られる。

またインドやチベットなどでも多数の被害が出ている模様。

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リンク:カトマンズ、被災商店が営業再開 - 速報:@niftyニュース.
リンク:警視庁の緊急援助隊帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:警視庁の緊急援助隊帰国=ネパール大地震で捜索活動 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:[写真特集]ネパール大地震…崩壊した街で犠牲者の冥福を祈る市民達 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:救助隊員、警備犬がネパールから帰国 警視庁で活動報告 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:国際緊急援助隊の救助チーム、ネパールから帰国 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本の救助チームが帰国 - 速報:@niftyニュース.
リンク:地震死者8000人超 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地震死者8000人超=建物の全半壊57万棟―ネパール - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール地震、死者8千人超える - 速報:@niftyニュース.
リンク:<ネパール地震>「診療所まで来られない人も」帰国の医師 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【AFP記者コラム】エベレスト雪崩で「生き埋め寸前に」 ネパール地震 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>悪夢2週間「住む場所と仕事が必要だ」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【写真特集】ネパール地震の被害甚大、山あいの村々 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「自動車大の岩」次々と村直撃、ネパール地震体験談 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール地震、子どもたちに残る心の傷 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール大地震>暗闇の中、冥福祈る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>小学校舎無傷、避難所に 日本からの贈り物 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール地震の死者7803人、カトマンズに日常戻り始める - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール地震 観光立国襲う「二次災害」 風評…相次ぐキャンセル - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:アジア開発銀行と支援会合共催へ - 速報:@niftyニュース.
リンク:岸田氏、ネパール外相に「切れ目ない支援行う」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール大地震 観光業ピンチ…被災地以外でもキャンセル殺到 風評被害を懸念 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール、死者7900人に - 速報:@niftyニュース.
リンク:<ネパール地震>「勉強を大切に」ナビン君、父の言葉を胸に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日本の救助隊、ネパール捜索終了 - 速報:@niftyニュース.
リンク:ネパール死者7700人超…山間部は51万倒壊 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<ネパール地震>暗闇の不安解かすか太陽光パネル - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大地震で最大1・2メートル隆起 - 速報:@niftyニュース.
リンク:大地震で全半壊、50万戸近くに - 速報:@niftyニュース.
リンク:ネパール地震の救援活動を支援=米ウエスタンユニオン〔BW〕 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:ネパール地震、都内緊急イベントで学校再建訴え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:アジア開発銀行、存在意義の希薄化に危機感 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:改革迫られたADB インフラ銀、新興国に浸透 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

カトマンズ、被災商店が営業再開
2015年5月9日(土)17時29分配信 共同通信

 大地震で被災したネパールの首都カトマンズで、登山者向けアウトドア用品店や土産物屋が営業を再開し始めた。観光産業の早期回復は見込めないが、「バックパッカーの聖地」として知られる地区では、商店主らが世界から駆け付けた救援隊に装備を販売するなど、苦境の中で底力を見せている。

 「救援隊が主な客だ。テントや登山靴、防水ジャケットが売れ筋で、100人以上が買っていった」。安宿が多く、地震前はサンダル姿で道を闊歩する旅行者の姿が多く見られたカトマンズのタメル地区。アウトドア用品専門店の従業員カマル・アリヤルさん(23)が被災の苦しさを振り払うように話した。


警視庁の緊急援助隊帰国
時事通信 5月9日(土)16時22分配信

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ネパールで発生した大地震で、現地に派遣されていた警視庁の国際緊急援助隊が9日、帰国した。隊員は過酷な状況下で警備犬を使った捜索活動を行ったことなどを報道陣に語った。写真は帰国報告をする緊急援助隊=同庁


警視庁の緊急援助隊帰国=ネパール大地震で捜索活動
時事通信 5月9日(土)16時13分配信

 ネパールで発生した大地震で、現地に派遣されていた警視庁の国際緊急援助隊が9日、帰国した。隊員は同庁本部(東京・霞が関)で、過酷な状況下で警備犬を使った捜索活動を行ったことなどを報道陣に語った。
 警視庁によると、派遣されたのは特殊救助隊員ら17人と警備犬4頭。カトマンズ市内などで行方不明者の捜索活動を行った。
 警備犬を担当した山川良博警部(63)によると、現地は標高1500メートルで、昼間は非常に暑く夜は冷え込み、体調を崩した警備犬もいたという。山川警部は「日本の建物と違い、倒壊した赤れんがは隙間がなく、犬の鼻でも難しい面があった」と難航した活動を振り返った。
 一方で、「日本の警備犬はネパール軍から重要視され、特定の場所での活動要請もあった。やれることは全てやった」と話した。
 帰国報告を受けた斉藤実警備部長は「生存者の可能性がある限り捜索を継続した皆さんの熱い思い、使命感を大変誇らしく思う」などと労をねぎらった。 


[写真特集]ネパール大地震…崩壊した街で犠牲者の冥福を祈る市民達
Yahoo!ニュース 5月9日(土)15時49分配信

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倒壊したダラハラタワーの前でキャンドルを捧げる人々=2015年5月7日(写真:ロイター/アフロ)


救助隊員、警備犬がネパールから帰国 警視庁で活動報告
産経新聞 5月9日(土)14時48分配信

 大地震のあったネパールから9日に帰国した警視庁の国際緊急援助隊が同日、東京・霞が関の警視庁本部で活動報告を行った。清水邦彦警部(46)は「一番つらい思いをしているのは現地の方々。素早い捜索のために効率の良い活動を心がけた」と振り返った。

 帰国したのは、警備部の特殊救助隊員ら17人と警備犬4頭。広範囲が被災した現地ではれんが造りの建物が多く、余震で倒壊する危険性が高いうえ、標高の高さから寒暖の差も大きく、困難な救助活動になった。

 出迎えた斉藤実警備部長は「生存者の可能性を最後まで諦めず、捜索にあたった使命感を誇らしく思う」とねぎらっていた。


国際緊急援助隊の救助チーム、ネパールから帰国
読売新聞 5月9日(土)11時25分配信

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成田空港に到着した国際緊急援助隊の救助チームのメンバー(9日午前)

 ネパール中部で起きた大地震の被災地に派遣されていた政府の国際緊急援助隊の救助チームが9日、帰国した。

 救助チームは警察や消防関係者ら70人で、4月28日から今月7日まで、首都カトマンズや郊外で生存者の捜索救助活動などにあたった。現地空港の混雑で被災地入りが遅れ、生存者の発見には至らなかった。

 9日は、すでに帰国したメンバーを除く64人が2便に分かれて成田空港に到着。団長の小林成信・外務省国際緊急援助官(57)は、「被災規模が大きく、情報の混乱もあった。その中で我々は最大の努力はした」と語った。医療チームは被災地で引き続き支援活動を行っている。


日本の救助チームが帰国
2015年5月9日(土)11時13分配信 共同通信

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 ネパールから帰国し、関係者の出迎えを受ける国際緊急援助隊の救助チーム=9日午前、成田空港

 大地震のあったネパールで行方不明者の捜索に当たっていた日本の国際緊急援助隊の救助チーム約70人が9日午前、タイ・バンコク経由で成田空港に到着、帰国した。

 空港内で開かれた解団式で、救助チームの団長を務めた外務省の小林成信国際緊急援助官は「現地の土曜昼に地震が発生したこともあり、繁華街では観光客も多く、被害が大きかった。女性のご遺体1体を収容した」と活動報告した。

 一行は4月28日にネパール入りし、首都カトマンズ市などの旧王宮や寺院、倒壊したホテルで行方不明者を捜索した。


地震死者8000人超
時事通信 5月9日(土)9時51分配信

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ネパール政府は8日、中部を震源とする大地震の死者が7903人に達したと発表。周辺国を合わせた死者は8000人を超えた。写真はカトマンズで、大地震で崩れたままの家屋近くを歩く市民。


地震死者8000人超=建物の全半壊57万棟―ネパール
時事通信 5月8日(金)22時48分配信

 【ニューデリー時事】ネパール政府は8日、中部を震源とする大地震の死者が7903人に達したと発表した。全壊した建物は約30万棟、半壊は約27万棟に上り、周辺国を合わせた死者は8000人を超えた。
 ネパールでは地震から14日目を迎えた8日も、揺れを感じる余震が少なくとも2回発生。家を失った被災者や余震におびえる住民ら数百万人が屋外で生活しており、テントなど生活物資の不足が深刻化している。
 国連のネパール常駐調整官マクゴールドリック氏は8日、「国際社会に要請した支援金4億1500万ドル(約497億円)のうち、5%強しか届いていない」と指摘。「雨期が迫る中、被災者に屋根のある住居を提供する必要がある」と支援強化を訴えた。 


ネパール地震、死者8千人超える
2015年5月8日(金)22時17分配信 共同通信

 【カトマンズ共同】ネパール警察当局は8日、大地震による国内の死者数が7902人になったと明らかにした。インドや中国など近隣国と合わせ、死者は8千人を超えた。被災状況の把握が遅れている山村地域を中心に、死者数はさらに増えるとみられる。

 内務省の集計では、負傷者は約1万7千人で、全半壊した建物数は約56万戸。コイララ首相は8日、議会で演説し、家を失った世帯に対して20万ネパールルピー(約23万円)を支給すると説明。道路などのインフラ再建を2年以内に終わらせると述べた。

 財源として、20億ドル(約2400億円)規模の国家再建ファンドの創設をあらためて表明した。


<ネパール地震>「診療所まで来られない人も」帰国の医師
毎日新聞 5月8日(金)21時34分配信

 ネパール大地震で被害の大きかった地域で医療支援の活動をした長崎大熱帯医学研究所教授で医師の山本太郎さん(51)が7日帰国し、毎日新聞の取材に応じた。民間病院の中庭で被災者の診療に当たり「山に暮らす負傷者が山道を4~5時間かけて歩いてきた。山の奥深くに村が点在しており、診療所に来られない患者もいると思う」と語った。

 山本さんは国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(岡山市)の派遣チームとして5月1~4日、カトマンズ北東に車で3時間ほどのシンドゥパルチョーク地区カディチョウルに滞在した。幹線道路沿いにある病院は損壊したため、アムダネパール支部が中庭に張ったテントが仮設診療所に。病院のベッド約10床を運び込み、夜は空いたベッドに患者のそばで眠った。

 仮設診療所には毎日約70人のけが人が訪れ、同支部の医師や看護師らを支援する形で診療に加わった。「病院のレントゲン室が動いたのが幸いで、多かった骨折の診断ができた」。骨折しながらつえをついて山道を下りてくる患者や、遠くから担架で運ばれる患者もいた。「現地では医療は高価で、病院に行くのを我慢している。山間部の村に『無料なので被災者は安心して来て』と知らせにも行った」と振り返る。

 診療所では、産気づいた妊婦が歩いてきて、到着から数時間で元気な赤ちゃんが生まれる場面にも遭遇した。一方、家がつぶれて家族が亡くなり、唯一の財産である牛やヤギも下敷きとなったという老婦人にも出会った。「私にはもう何もなくなった。あなたの行く所に連れて行ってほしい」と、看護師に訴える姿が切なかったという。【下桐実雅子】


【AFP記者コラム】エベレスト雪崩で「生き埋め寸前に」 ネパール地震
AFP=時事 5月8日(金)19時13分配信

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ネパールの地震に伴いエベレストのベースキャンプで発生した雪崩の雪煙(2015年4月25日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】4月25日にネパール地震が発生したとき、AFP南アジア地区の写真主任ロベルト・シュミットとカトマンズ支局長のアム・カナンピリは、ちょうど取材でエベレストのベースキャンプに到着したところだった。ネパールで5000人以上が死亡した地震はこの山ですさまじい雪崩を引き起こし、少なくとも18人が死亡。2人のAFP特派員も九死に一生を得た。

【写真特集】大地震で雪崩、エベレストのベースキャンプ

■「生き埋め寸前だった」──ロベルト・シュミット

 私たちは9日間のトレッキングの末、ベースキャンプに到着したところだった。きつい行程で、体への負荷は計り知れなかったが、まさに息をのむような素晴らしい場所だった。一通り写真を撮影し、自分たちのテントを探しに行こうとしたときだった。まだ到着してから10分も経っていなかったが、轟音がうなるのを感じた。アムに「これは何? 」と聞かれた。私は地面が動いている、雪崩だと答えた。

 コロンビアで育った私は小さな地震には慣れていたが、ここまで大きな音を聞いたことはなかった。テントを抜け出した私たちは、その恐ろしい音を聞いた。電車が迫ってくるような音だったが、地下深くから響いてくる、ものすごく強力な音だった。あたりは曇り、アムがテントの中に入ると左手に突然、轟音とともに大きな波が見えたのを覚えている。「何てことだ! 」

 波はあまりに大きすぎ、写真ではそれが十分に伝わらない。私はカメラをつかみ、ただシャッターを押し続けた。3枚撮ったところで、それは目の前に迫っていた。私はテントに飛び込み、テーブルの下にもぐった。

 風がたち、波がぶつかったようだった。雪崩にのみ込まれ、自分の体が逆さまになっているのか、どっちを向いているのかも分からず、宙返りを繰り返しているかのようだった。やっと自分の背中が地面についていると感じたとき、石が落ちてくる音がした。「もう終わりだ。生き埋めになるんだ」と思った。

 石は私の上に積もり続け、そして静寂があった。完全な静寂だ。私は生きていた。意識もあり、息をするために空気を求めてもがいていた。すべて、どかさなくては、息をするために…すると突然、手を引っ張られるのを感じた。シェルパ(ネパール人登山ガイド)のパサンが私を引き起こしてくれていた。アムは血を流し、左手の爪は完全にはがれていた。

 幸運にも、私たちのテントの横には岩があり、それが私たちが完全に流されるのを防いでいた。私がカメラを探さなければというと、パサンが手渡してくれた。カメラは雪にすっかり埋もれたせいで壊れず、レンズさえ割れていなかった。

 私たちがテントから抜け出すと、他の人々も急に現れ始めた。皆、放心状態だった。私は写真を撮り始めたが、それよりも皆を助けるべきではないかと思わずにいられなかった。

 それから1時間、近辺で雪崩が起きる音を5回以上、聞いた。近かったが、視界が悪すぎて見えなかった。とても恐ろしく、いつまでも耳に残る音だったが、私たちのところへ向かってきているのかどうかさえ分からなかった。

 私はそれから負傷したネパール人男性を助けた。彼に私の家族のことを話し、私たちは2人とも再び息子に会えると語りかけたことを覚えている。大惨事の中で、温かい交流が生まれた一瞬だった。【翻訳編集】 AFPBB News

■「皆、どこ? 」──カトマンズ支局長アム・カナンピリ

 揺れが止まり、目を開けると、すべてが真っ白だった。まるで粉砂糖の中に放り込まれたようだった。

 私は雪をかいて抜け出そうとして、両手が血だらけなことに気付いた。眼鏡はなくなっていた。ロベルトの名前を叫ぶと、うめき声が聞こえた。彼はスペイン語で「マイ・ゴッド」と言っていた。

 シェルパのパサンが私の名前を読んでいるのが聞こえたので、ありったけの大声で叫んだ。彼は駆け付けてきてナイロン製のテントを破り、私たちを引き出してくれた。身を起こすと一面が真っ白で、ただただ静寂があった。「どうして、こんなに静かなの?  皆、どこ? 」と思った記憶がある。

 荷物係の一人が毛布に包まれ、ひどい痛みを訴えていた。雪崩が起きる2分前に初めて会ったばかりの食事室係は、頭から血を流していた。見つけたトイレットペーパーを彼女の頭に巻こうとしたら、彼女も同じように私の手に巻いてくれた。

 最初の余震の後、私はビデオカメラを取り出して撮影し始めた。目がよく見えなかったので、フルオート撮影にした。すぐにトイレットペーパーから血がにじみ出てきて、カメラにも血がついた。余震が何度も起こり、パサンにここから動かなければと言われた。

 私たちは登山ツアー会社ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himex)の隊のテントへ行った。彼らに手を洗ってもらい「ここで休んでいなさい」と言われたが、私も誰かを助けなくては、働かなくてはと思い、じっとしていられなかった。

 何かをする必要があるという思いにかられ、誰かからもらった手袋をはめて救援活動の写真をいくつか撮った。彼らの仕事は早かった。地震発生当日はヘリコプターによる救援はなかったが、人々はすでに手当てを受けていた。彼らは組織化された医療支援チームであり、寝袋で私たちを助けてくれた。

 その晩、Himexのテントには15人から20人ほどがいたが、私はあまり眠れず、負傷した荷物係のことなどをずっと考えていた。なぜ、私たちが生き延びることができたのか、分からなかった。

 夜中にトイレに行き、その帰り道に空を見上げると、美しい山々と澄みきった空が見えた。とても美しかった。まるでその日、何事も起きなかったかのように。【翻訳編集】 AFPBB News

この記事は、AFP南アジア地区写真主任のロベルト・シュミットと、カトマンズ支局長のアム・カナンピリが書いたコラムを翻訳したものです。


<ネパール地震>悪夢2週間「住む場所と仕事が必要だ」
毎日新聞 5月8日(金)18時50分配信

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つぶれた自宅の前で、亡くなった妻の写真を胸に、店の再開を誓うブペンドラ・バシさん=ネパール・サンクーで2015年5月7日午後3時35分、望月亮一撮影

 【カトマンズ平野光芳】ネパールを襲ったマグニチュード(M)7.8の大地震から9日で2週間を迎える。がれきの間を通り抜ける人や車が増え、街はゆっくりにぎわいを取り戻しつつある。「悲しむばかりではだめだ。二つの命の分まで生き抜く」。首都カトマンズ近郊サンクーで雑貨店を経営するブペンドラ・バシさん(42)も、2人目の子を宿したまま亡くなった妻ヤソダさん(38)にそう誓い、自宅と店の再建に動き出した。

 「食事の用意ができたから戻って来て」。4月25日正午前、ヤソダさんからの連絡で自宅に入ろうとした瞬間、強い揺れに襲われた。れんが造りの3階部分が、目の前で崩れ落ちた。急いでがれきをどけると、かすかに息をする妻がいた。近くの病院に運んだが、だめだった。

 ヤソダさんと結婚して5年。「親戚を含め8人の大家族だったが、皆に優しく、すぐに溶け込んでくれた」。長女ナムラタちゃん(4)を授かり、2人目が4カ月に入っていた。「男の子か女の子か、どちらだろう」「子供にいい暮らしをさせるため、もっと仕事を頑張ろう」。毎日の会話が楽しかった。

 「あと数分早く家に帰っていたら、妻とおなかの赤ちゃんを救えたかも」。被災直後、避難所の小学校で布団にくるまるたび、そんな思いにとらわれた。「いつお母さんと会えるの」。別の場所で助かり、今は親戚に預けているナムラタちゃんからの電話にもまだどう答えていいか分からない。

 でも、少しずつ気持ちに変化が出てきた。「自分だけが悲しいわけではない」。近所には3人、4人と家族を失った人がいる。命日から13日後の7日、ヒンズー教の教えに従って川で身を清め、2人の冥福を祈った。

 「妻は生まれ変わってもっと良い生活ができるはずだ。いつまでも悔やんでいてはつまらない」。悲しみを振り払い、がれきと化した自宅や店の整理を少しずつ始めている。

 「生活を立て直すためには住む場所と仕事が必要だ。政府に低利で資金を貸してほしい」とバシさん。そしてヤソダさんに誓う。「もっと仕事を頑張って必ず再起してみせる。その姿を見ていてほしい」

          ◇

 【カトマンズ金子淳】ネパール内務省によると、8日、死者数は7885人、負傷者数は1万5944人に達し、約29万棟の建物が倒壊したほか、約25万棟が損壊した。行方不明者も多数いるとみられ、死者数は1万人に達する可能性もある。テントが圧倒的に不足しており、6月にも始まる雨期を前に支援関係者は焦りを募らせている。

 国連によると、最初の3カ月間で4億1500万ドル(約500億円)の支援が必要だが、各国からの援助は2240万ドル(5%)しか集まっていない。食料やテントなどの支援物資はヘリや徒歩で配布を続けているが、被害が大きい山間部では十分な物資が行き渡っていないのが現状だ。

 また、避難所では数家族が一つのテントに同居しているケースが多く、感染症まん延の恐れも指摘されている。

 国連のジェイミー・マクゴールドリック人道調整官は「雨期が始まる前にできるだけ多くの被災者に支援を届けることに集中している。住宅支援が依然として最優先事項だ」と話した。


【写真特集】ネパール地震の被害甚大、山あいの村々
AFP=時事 5月8日(金)17時10分配信

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ネパール北部ランタンで上空から撮影された、先月25日の地震で引き起こされた地滑りの跡。この地震と地滑りでランタン村は壊滅した(2015年5月7日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】先月25日にネパールを襲った地震で、北部の山岳地帯にある村々の被害状況が明らかになってきた。谷あいのランタン(Langtang)村は、地震に伴う地滑りで壊滅。死者はこれまでに7600人を超え、30万人近くが住宅を失った。【翻訳編集】 AFPBB News

【関連写真20枚】つぶれた家のそばで人々が暮らす


「自動車大の岩」次々と村直撃、ネパール地震体験談
AFP=時事 5月8日(金)14時55分配信

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ネパール地震により岩の落下で壊滅したトレッキングルート沿いにある観光地の村ランタン周辺の地震前(上、2015年4月11日撮影)と地震後(下、同4月30日撮影)を米航空宇宙局の地球観測衛星ランドサット8号で捉えた衛星写真(ランタンは各写真中央)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】先月25日にネパールを襲ったマグニチュード(M)7.8の大地震で、トレッキングコースとして人気のあるランタン(Langtang)の村に5日間取り残された米国人観光客コーリー・アスコラーニ(Corey Ascolani)さん(34)は、大規模な土砂崩れで自動車大の岩が無数に落下し、建物を破壊していく様子を目撃した。

動画:ネパール大地震、米国人旅行者が捉えたその瞬間

 大地震はトレッキングシーズン最盛期に発生した。国境を越えれば中国チベット自治区という位置にあるランタンの中心的な村バンブー(Bamboo)はトレッキングコースの始点となっており、壊滅的な被害を受けた。400人の村民の死者数はいまだに不明だが、地元当局によれば、これまでに外国人13人を含む60人の遺体が見つかっており、この他にネパール人150人超と観光客約100人が埋まっているとみられる。

 アスコラーニさんが村で屋外のカフェに立ち寄った時、地面が揺れ始め、巨大な岩が山あいの両側の崖に轟音を立てて落ちていった。「僕たちはあちこち走り回っていた。岩が落下し続けていたから、どこにも逃げようがない感じだった。ミニバンくらいの巨大な岩が建物を押しつぶして、木々を真っ二つに割っていった」と、カトマンズ(Kathmandu)でAFPの取材に応じたアスコラーニさんは説明した。

 地震でアスコラーニさんの他、観光客約60人とネパール人20人が、徒歩かヘリコプターでしか到達できない辺境の山あいに孤立した。急な傾斜からの落石が続いていたため、外へ出ることはできなかった。最終的に救助されるまで、ヘリコプター3機が行き来するのをただ眺めるしかなかったという。

 地震から3日目、アスコラーニさんたちの元へようやくヘリコプターがやって来たが、パイロットから日本人の救助のためにだけ来たと告げられ、希望は打ち砕かれた。それから数時間後にヘリ2機が到着。今度はイスラエル人のみの救助だという。ハイカーたち皆で抗議した結果、負傷したネパール人2人を優先することになった。

 そこからさらに36時間が経過してもヘリが来る兆しはなく、村の雰囲気も次第に重苦しくなっていった。その後、ようやく米軍のヘリが到着し、数回に分けて全員が救助された。【翻訳編集】 AFPBB News


ネパール地震、子どもたちに残る心の傷
AFP=時事 5月8日(金)13時58分配信

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ネパールの首都カトマンズで、地震に見舞われた当時の状況を話すランジュ・ギリさん(2015年5月4日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ランジュ・ギリ(Ranju Giri)さん(10)は、カトマンズ(Kathmandu)市内の自宅が大地震に見舞われた時、弟と一緒にベッドの下でおびえて縮こまっていた時の状況を、両手を握りしめながら語った。

【写真15枚】避難所を走り回り遊ぶ子どもたち

 ランジュさんは、カトマンズ市内で暮らす他の多くの子どもたちと同じく、けがをすることなく先月25日の大地震を生き延びた。だが、数千人の命を奪い、さらに多数の住宅を破壊するなどの甚大な被害をネパールにもたらした地震は、彼女の心に傷を残した。

「本当に怖かった。弟と一緒に身を守るためにベッドの下にもぐり、その後空き地に向かった。弟を落ち着かせるのにすごく時間がかかった」とランジュさん。母親は当時、仕事に出ており家にはいなかった。

 その日以来、ランジュさんの家族は、市内のトゥンディケル(Tundikhel)広場で、他の数百人の被災者と共に避難生活を送っている。国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)は同広場で、子どもたちが安全に遊び、大地震の経験を乗り越えるための場所を提供するテントを設置した。

 ユニセフによると、マグニチュード(M)7.8の地震を生き延びた子どもたちの心の傷は、家を失ったことや、今も続く余震などにより、さらに悪化している。

■教師への指導計画も

 今月4日の朝、トゥンディケル広場では、さまざまな年代の子どもたちが、太陽の光が降り注ぐ中で笑いながら走り回って遊ぶ一方、大きなテントの隅で静かに人形遊びに興じる子どもたちもいた。

 ここでは、ネパール人の若いボランティアたちが、トレーニングを積んだカウンセラーと共に、地震で家族や友人を失った子どもたちが自分の経験を共有できるよう取り組んでいる。

 ユニセフの児童保護アドバイザー、プラカシュ・アチャリャ(Prakash Acharya)さんは、自分が話した子どもたちの多くが、地震にまつわる悪夢にうなされたり、再び地震が起きるのではないかと恐れていたりしていたと話している。

「ある男の子は当時の状況を話すことができなかったが、しばらくしてから少しずつ話し始めた。地震が起きた時、足が硬直して歩くことができなかったという。ここに来ることは、子どもたちの助けになる。回復力が高まっている」

 アチャリャさんによると、学校が再開された際、心に傷を負った子どもたちに教師がどう対応すべきかを、ユニセフが指導する計画もある。地震により同国では、約1万6000校の学校が損壊し、10人以上の教師の死亡が確認された。公立の学校は全て、今月15日まで閉鎖される予定だ。

 地震により孤児となったり、直後の混乱によって親と離別してしまったりした子どもたちの正確な数はまだ不明だが、ユニセフにはカトマンズなどの地域で保護者のいない子どもたちがいるとの情報が入っており、そうした事例を通報するためのホットラインを設置したという。【翻訳編集】 AFPBB News


<ネパール大地震>暗闇の中、冥福祈る
毎日新聞 5月8日(金)12時25分配信

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地震から13日目となり、ろうそくをともし、犠牲者を追悼する子供=カトマンズで2015年5月7日夜、望月亮一撮影

 【カトマンズ金子淳】4月25日に起きたネパール大地震により1200人を超える犠牲者の出た首都カトマンズで7日夜、大勢の市民らがろうそくに明かりをともし、犠牲者の冥福を祈った。

 ネパールでは死後13日目に死者を追悼する風習があるという。この日、若者ら約3000人がろうそくを手に旧市街に集まり、倒壊した高さ約50メートルの塔ダラハラまで行進。夕闇の中、犠牲者の霊を弔った。

 3歳の娘とろうそくを並べていたネパール赤十字社職員、ソルミラ・カティさん(28)は「震災で苦しむ多くの人を目にした。娘とともにみんなの平穏を祈った」。建築学を学ぶ大学生、スディクシャ・バンダリさん(23)は「今学んでいることを将来に生かしたい」と語った。


<ネパール地震>小学校舎無傷、避難所に 日本からの贈り物
毎日新聞 5月8日(金)12時9分配信

 ◇15年前、民間支援で建設

 【カトマンズ平野光芳】ネパール大地震で大きな被害を受けたカトマンズの近郊にある街サンクーで、15年前に日本の民間支援で建てられた鉄筋コンクリート造りの小学校が、無傷で残った。家を失った被災者の避難所として活用され、人々は「日本からの贈り物で助かった」と口にする。

 サンクー小学校(児童87人)は旧校舎が老朽化したため、2000年にガールスカウト東京都第43団(江戸川区)のメンバーらが数百万円の寄付を集め、43団出身でカトマンズ在住の伊勢香さん(52)を通じて新校舎を寄贈。その後も優秀な生徒に奨学金を贈るなど、交流を深めてきた。

 サンクーでは、れんが造りの建物が数多く崩壊し、数十人が死亡した。自身も校舎に避難しているゴパル・スレスタ校長(47)は「机の上からパソコンが落ちるほどの揺れだった。頑丈な校舎を造ってもらい感謝している」。被災者のフィロズラズ・スレスタさん(46)も「自宅周辺の家は全て崩れて7人が亡くなったが、学校は残ってくれた」と話す。

 伊勢さんは「学校は大人の識字教室にも使われる。サンクーの社会に貢献できる場を残せてうれしい。今後も支援を続けたい」と話している。


ネパール地震の死者7803人、カトマンズに日常戻り始める
CNN.co.jp 5月8日(金)11時47分配信

カトマンズ(CNN) 地震の発生から2週間近くがたったネパールの首都カトマンズ。同地では、仏教やヒンズー教の服喪期間が終わり、通常の生活が徐々に戻ってきつつある。地震による死者数は7803人。当局が初めて明らかにした行方不明者の推計は403人で、うち113人が外国人だという。その多くは、カトマンズの北にあるトレッキングで人気のランタン渓谷にいたという。

カトマンズ市内最大の緑地「トゥンディケル」には、中国政府の支援物資である青いテントが並び、家をなくした多くの世帯が生活している。

サムスン電子が支援している大型テントには大きなフラットスクリーンが設置され、集まった人々がネパール映画を見ていた。別のテントでは、日本の援助隊が診療活動を行っている。

避難民のなかには、当面はこの広場にとどまると語る人もいた。まだ余震は続いており、被害を受けた自宅には危険で帰れないというのだ。

ネパールでは地震により、全国の住宅の10%以上が倒壊もしくは被害を受けたという。


ネパール地震 観光立国襲う「二次災害」 風評…相次ぐキャンセル
産経新聞 5月8日(金)7時55分配信

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ポカラの山道で土産物を売る女性。地震後に観光客が激減したという=6日(吉村英輝撮影)(写真:産経新聞)

 【ポカラ(ネパール中部)=吉村英輝】大地震発生から9日で2週間となるネパールで、主要産業の観光が危機に直面している。首都カトマンズで歴史的建造物が倒壊し、世界最高峰エベレストでは多くの犠牲者を出した。「危険」とのイメージから被災を免れた観光地でもキャンセルが相次ぎ、業界関係者は“風評被害”を心配している。

 「地震被害はなく安全なのに、向こう3カ月の宿泊やレジャーの予約の9割がキャンセルになった。これでは地震の“二次災害”に巻き込まれたのと同じだ」

 カトマンズの西約200キロのポカラ。ヒマラヤの高峰を望むことができ、トレッキングなどの拠点となっているネパール第2の都市で、ホテル協会のパラジュリ会長のため息は深い。

 カトマンズと約30分で結ばれる航空路線は、震災前の1日50便近くから10便程度に激減し、それでも空席が目立つ。宿泊客がなくなり、従業員を故郷に帰したホテルもあるという。

 ポカラは政府指定の被害エリアに含まれず、街を歩いても建物などに被害は見られない。ところが他地域の大きな被害から海外などで危険イメージが増幅され、かき入れ時の夏場が近づくなか、関係者の生活にかかわる問題となってきている。

 丘陵の頂上に建つ寺院で住職(51)は仏塔下部の亀裂を指さし、「すぐに修復できる被害だが参拝客は激減した」と話した。近くで土産物の屋台を出す女性(38)は「地震後は売り上げがゼロの日もある。夏の本格シーズンにも客が戻らなければ、家族5人食べていけない」と嘆く。

 ネパール当局は、エベレストへの今季の登山中止を決めた。地震で崩れた登頂ルートの修復が見込めなくなったためだが、昨年も雪崩でガイド役のシェルパが多数死亡した事故を受けてシーズン途中で登山打ち切りになっており、2年連続のダメージとなる。

 アジア開発銀行は、ネパールで成長顕著な産業が観光だとして、大地震が雇用や経済に与える影響は「甚大」と指摘。今年度の経済成長率が3月予測の4・6%から、3%台前半に落ち込む可能性を指摘した。

 ネパール商工会議所連合観光部のバワニ・ラナ議長は「安心して自然を楽しめる場所は多く、観光の復活は復興にもつながる。今こそ遊びに来てほしい」と訴えている。


アジア開発銀行と支援会合共催へ
2015年5月7日(木)22時8分配信 共同通信

 岸田文雄外相は7日午後、大地震に見舞われたネパールのパンデ外相と電話会談し、新たな支援策について「アジア開発銀行(ADB)と支援国会合を共催する用意がある」と伝えた。パンデ氏は謝意を表明した。

 日本は米国とともにADBの最大出資国。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を目指す中国が国際金融分野で急速に存在感を増す中、ADBとの対ネパール支援を打ち出すことで巻き返しを図る狙いがあるとみられる。

 岸田氏は今後の日本の対応に関し「ネパールの真の友として、緊急人道支援から復旧・復興に至るまで、切れ目のない支援を可能な限り実施する」と強調した。


岸田氏、ネパール外相に「切れ目ない支援行う」
産経新聞 5月7日(木)21時34分配信

 岸田文雄外相は7日、ネパールのパンデ外相と電話会談した。ネパール大地震の被災者に対するお見舞いの言葉を伝え、「緊急人道支援から復旧、復興に至るまで切れ目のない支援を可能な限り行う」と述べた。パンデ氏は国際緊急援助隊の派遣など日本の支援に謝意を示した。


ネパール大地震、子ども100万人が教室失う
AFP=時事 5月7日(木)21時13分配信

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ネパール・カトマンズの避難キャンプで、日本の救援隊が設置した医療テントの下に立つ子ども(2015年5月5日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)は7日、ネパールで先月25日に発生したマグニチュード(M)7.8の大地震により教室を失った子どもたちが100万人近くに達しているとして、損傷した校舎の修復と仮設教室の設置を迅速に行う必要があると訴えた。

動画:ネパール大地震、米国人旅行者が捉えたその瞬間

 ユニセフによると、大地震により損傷または全壊した教室は2万4000近くに上っており、その多くがその後の余震によりさらなる被害を受けた。ユニセフのネパール事務所代表の穂積智夫(Tomoo Hozumi)氏は「被災した子どもたちは、安全な水や避難所などの生命にかかわる救援を迅速に必要としているが、非常事態においては学校も──たとえ仮設教室であっても──重要な役割を果たす」と指摘している。

 大地震の死者は8000人近くに達し、さらに多くの人々が避難生活を余儀なくされている。ネパール各地の公立学校は大地震以後、閉鎖が続いているが、今月15日に再開する予定だ。

 ユニセフによると、特に被害の大きかったゴルカ(Gorkha)、シンドパルチョーク(Sindhupalchowk)、ヌワコット(Nuwakot)では、学校の9割以上が破壊されたと推定されている。【翻訳編集】 AFPBB News


ネパール大地震 観光業ピンチ…被災地以外でもキャンセル殺到 風評被害を懸念
産経新聞 5月7日(木)20時35分配信

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ポカラの山道で土産物を売る女性。地震後に観光客が激減したという(吉村英輝撮影)(写真:産経新聞)

 【ポカラ(ネパール中部)=吉村英輝】大地震発生から9日で2週間となるネパールで、主要産業である観光が危機に直面している。首都カトマンズなどの歴史的建造物倒壊に加え、世界最高峰エベレスト(8848メートル)で多くの犠牲者を出し、「危険」のイメージが増幅した。被災を免れた観光地でも海外客からキャンセルが相次ぎ、業界関係者は“風評被害”の影響を懸念している。

 「地震被害はなく、安全なのに、向こう3カ月の宿泊やレジャーの予約の9割がキャンセルになった。これでは地震の“2次災害”に巻き込まれたのと同じだ」

 カトマンズの西約200キロの第2の都市ポカラ。間近にヒマラヤ連邦をいただき、トレッキングなどの観光拠点だが、ホテル協会のパラジュリ会長は、こう訴える。宿泊客がなくなり、従業員を故郷に返したホテルも出てきたという。

 実際、カトマンズと約30分で結ぶ航空路線は、震災前は1日50便近くあったが10便程度に激減。座席もガラガラだった。

 ポカラの丘陵頂上に建つ日本山妙法寺。仏塔に続く山道で土産物の屋台を出す女性(38)は、「毎日150人以上はいた参拝客が、地震後は10分の1に減った」という。3千円以上あった売り上げがゼロの日も。「夏の本格シーズンになっても客が戻らなければ家族5人食べていけない」

 同寺のドゥルガ・ボゴディ住職(51)は、地震で生じた仏塔下部の亀裂を指さし、「すぐに修復できる被害だが、日本からも参拝客も激減した」という。

 ネパール当局は、世界最高峰エベレスト(8848メートル)への今季の登山中止を決めた。冬や氷が溶ける夏は危険で、3~5月がシーズンだが、地震で崩れた登頂ルートの修復が見込めなくなった。昨年も雪崩でシェルパが死亡しシーズン途中で登山打ち切りになっており、安全性が問われる。

 アジア開発銀行は、ネパールで成長顕著な産業が観光だとして、大地震が雇用や経済に与える影響は「甚大」と指摘。今年度(2015年7月期)の経済成長率が、3月予測の4.6%から3%台前半に落ち込む可能性を指摘した。

 ネパール商工会議所連合観光部のバワニ・ラナ議長は、「エベレスト以外にも8千メートル級の山は多く、今も安心して楽しめる自然の宝庫だ。観光の復活が復興にもつながる。今こそ遊びに来て欲しい」と主張。観光業再建へ首都以外への国際空港拡充などを政府に求めていくという。


ネパール、死者7900人に
2015年5月7日(木)19時58分配信 共同通信

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 7日、カトマンズのダルバール広場で、死者を悼み花を供える女性たち(AP=共同)

 【カトマンズ共同】ネパール内務省は7日、大地震による国内の死者数が7802人になったと明らかにした。近隣国を含めた死者数は7900人を超えた。ネパール当局は被災者の捜索を続けているが、外国の救助チームは徐々に帰国。被害の全容判明は、当面難しそうだ。

 内務省の集計では、負傷者は約1万6千人で、全半壊した建物数は56万戸に上っている。政府当局者によると、首都カトマンズ近郊には雪崩で外国人を含む約300人が行方不明になっているとみられる場所もあるが、遺体の収容は60人にとどまるという。

 地元メディアによると、空き家を狙う窃盗などもおり、治安対策も課題だ。


<ネパール地震>「勉強を大切に」ナビン君、父の言葉を胸に
毎日新聞 5月7日(木)19時34分配信

 ◇最大規模の被害村の13歳 おじに引き取られ

 【カトマンズ竹内良和】ネパール大地震で、最大規模の被害が出たシンドゥパルチョーク地区の村に住んでいたナビン・シャンタン君(13)は、大好きだった父を亡くした。幼い頃に母は他界しており、1人になってしまったナビン君は地震後、カトマンズのおじに引き取られた。まだあどけなさの残る少年に、将来のことを考える余裕はない。ただ、いつも勉強の大切さを教えてくれた父の言葉を胸に抱いて生きていこうとしている。

 ナビン君は1歳半の時、母を病気で亡くした。家が貧しく、母はまともに病院にかかることもできなかった。その後は、父ナラヤンさん(39)と2人きりで暮らしていた。

 地震があった時は外出し、大好きなサッカーに興じていた。揺れに襲われ、村人が避難していたテントに身を寄せた。父は昼食のために家に残っていた。

 村の民家約100軒の大半が倒壊し、多数の死者が出たという。「今は危険だ」。父を捜しに家に戻ろうとすると周囲に引き止められた。「お父さんが心配でずっと泣いていたんだ」。3日後、やっと戻ったが、父は潰れた家で息絶えていた。

 真面目で、無口な父だった。登山客に同行して荷物を運ぶ「ポーター」が仕事で、長期間留守にすることが多く、ナビン君はよく祖母の家で過ごした。地震の時も、父は1カ月半ぶりに山から戻ってきたところだった。

 満足な教育を受けられなかった父は、ぎりぎりの暮らしを支えるため畑仕事もした。自分のような苦労をさせたくなかったのか、ナビン君が学校の宿題をせずに友達とサッカーをしようと出ていくと、よく「自分のために勉強をしなくてはだめだ」としかった。

 ナビン君のささやかな楽しみは、夜、父と一緒に眠ることだった。目の前の大きな背中。「時々しか一緒に寝られないけれど、安心できた」という。

 地震後、祖母は体調を崩して入院。ナビン君を引き取った、おじのリラ・ワイバさん(30)は「両親がいなくても、しっかり教育を受けさせてあげたい」と思いながらも、自身も幼い子が2人いるため、どう生計を立てようかと悩んでいる。

 ナビン君は、これからどうしていいのかも分からない。「自分のために勉強を」。ただ、父の言葉だけは守ろうと思っている。


日本の救助隊、ネパール捜索終了
2015年5月7日(木)17時5分配信 共同通信

 【カトマンズ共同】ネパール大地震の被災地で捜索を行っていた日本の国際緊急援助隊の救助チームが7日、活動を終了した。8日に帰国の途に就く。被災者を診療している医療チームは、活動を続ける。

 4月25日の地震発生から12日が経過。ネパール政府は、生存者救出から被災者支援に軸足を移している。同月28日から活動していた救助チームも、この方針に沿って撤収を決めた。

 救助チームは、警察や消防の職員ら約70人で構成。首都カトマンズなどの建物倒壊現場で捜索を実施した。生存者は発見できず、遺体1体の収容にとどまった。


ネパール死者7700人超…山間部は51万倒壊
読売新聞 5月7日(木)11時17分配信

 【カトマンズ=石田浩之】ネパール中部で発生した大地震で、ネパール政府は7日、死者数が7675人に達したと発表した。

 インドなど周辺国と合わせて7700人を超えた。震源地近くの山間部の状況も徐々に判明し、倒壊家屋は当初推定されていた21万5000棟の倍以上となる約51万8500棟となった。

 ネパール政府などによると、道路が寸断されていた山間部にも軍の部隊などが到着し、支援がようやく開始されたという。


<ネパール地震>暗闇の不安解かすか太陽光パネル
毎日新聞 5月7日(木)11時2分配信

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闇に包まれたテントの中、太陽光発電の明かりに笑顔を見せる被災者=カトマンズで2015年5月6日午後8時16分、望月亮一撮影

 【カトマンズ竹内良和】ネパール大地震で、首都カトマンズ中心部のトゥンディケル避難所に、太陽光パネルを使って明かりを取っている被災者のテントがある。6日夜も暗がりのテント群で、ひときわまばゆい光が、肩を寄せ合う大家族を照らした。

 家を失った5世帯約20人の親族が集まるテント。発光ダイオード(LED)の下でディラサ・トゥラダルちゃん(6)が1歳下のいとことはしゃいでいた。「暗い時は怖かったの。テントが明るくなってうれしい」

 電源は、テントの屋根に日中掲げてある太陽光パネル。暗がりに耐えられなくなった5世帯がお金を出し合い、電気関係の仕事をしているディラサちゃんの父が数日前に取り付けたという。

 愛娘を見守る母ソウバさん(37)の表情は少しさえない。「テントは明るくなったけれど、家がないので心は暗いままなんです」


大地震で最大1・2メートル隆起
2015年5月6日(水)19時9分配信 共同通信

 ネパールの大地震で、首都カトマンズ北方から東約30キロにかけて大きな地殻変動があり、最大で約1・2メートル隆起したことが6日、人工衛星の観測データを解析した国土地理院(茨城県つくば市)への取材で分かった。

 国土地理院によると、陸域観測技術衛星「だいち2号」が観測した地震前後のデータを解析し、地表の変動や断層のずれを調べた。

 解析から、カトマンズの北東20~30キロの直下の断層が、南に最大で4メートル超滑ったと推定された。またカトマンズ北方を中心に東西約160キロ、南北約120キロの範囲にわたり、10センチ以上の隆起や沈降がみられた。


大地震で全半壊、50万戸近くに
2015年5月6日(水)15時8分配信 共同通信

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 ネパール大地震で大きな被害を受けた同国北東部シンドパルチョーク地区で、倒壊した自宅のがれきを片付ける被災者=5日(ロイター=共同)

 【カトマンズ共同】ネパール内務省は6日、大地震の影響で全半壊した建物が50万戸近くに上ることを明らかにした。テントや防水シートの配給が追いつかず、さらに救援物資が必要だとしている。

 内務省の集計によると、全壊は約26万6千戸、半壊は約22万7千戸。山間部では被害状況の把握が遅れているため、損壊建物はさらに多いとみられる。

 首都カトマンズでは、被害は目立たなくても安全性に問題がある集合住宅などが見つかり、不動産市場の長期的な混乱を懸念する声も出始めた。

 国内の死者数は7616人、負傷者数は前日から2千人近く増えて約1万6千人。


ネパール地震の救援活動を支援=米ウエスタンユニオン〔BW〕
時事通信 5月6日(水)14時13分配信

 【ビジネスワイヤ】電信送金大手の米ウエスタンユニオンは、ネパールで起きた地震の救援活動を支援する活動を発表した。各国の代理店からネパールの家族などに送金する場合、5月14日まで手数料を無料にする。オンライン送金やモバイルアプリを利用できる場合、手数料無料の期間は5月31日まで。また、従業員、代理店、企業顧客と協力し、マッチング寄付を取り入れ、災害救援NGO(非政府組織)に20万ドルを寄付する。〈BIZW〉
 【編注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。


ネパール地震、都内緊急イベントで学校再建訴え
読売新聞 5月6日(水)10時3分配信

 ネパール中部で発生した大地震を受け、現地で教育支援を行う「アジア教育交流研究機構」による緊急支援イベントが5日、東京都内であり、多くの学校が倒壊して授業もままならない様子が報告された。

 日本在住のネパール人や大学生ら約150人が参加。パネルディスカッションで、同機構代表理事の関昭典・東京経済大准教授が、現地から寄せられた情報を紹介し、「学校が潰れ、子供たちは屋外で授業を受けている」と訴えた。教員が学校に来ず、授業ができない学校もあるという。

 同機構は小学校の再建資金に充てるための募金を呼び掛けている。ネパール人で、同機構と協力関係にあるNPO法人共同代表のシャラッド・ライさん(28)は、「小さな地域の学校を再建して、長期的な支援をしたい」と話した。


アジア開発銀行、存在意義の希薄化に危機感
SankeiBiz 5月6日(水)8時15分配信

 アジア開発銀行(ADB)の年次総会では、ADBが年間融資枠の拡大や官民連携の強化を打ち出すなど改革の進展をアピールし、日本も機能強化への貢献を強調した。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が存在感を高める中、改革の加速を迫られた格好で、アジアの開発支援をめぐる主導権争いが激しくなってきた。

 「開発金融機関の歴史上、最も革新的な出来事の一つ」。麻生太郎財務相は総会での演説でADBの年間融資枠の拡大策を持ち上げるとともに、国際協力機構(JICA)とADBの協力枠組みの創設などに日本が取り組み、アジアへの投資拡充を進めることを宣言した。

 念頭にあるのは、4月に57カ国の創設メンバーが確定したAIIBの存在。年間約7500億ドル(約90兆円)が見込まれるアジアのインフラ需要に対し、ADBの年間融資枠は約131億ドル(2014年)にとどまり、途上国がAIIB創設を歓迎する要因となっていた。

 会期中にもAIIBの浸透ぶりをみせつける一幕があった。大地震に見舞われたネパールのマハト財務相は、3日に開かれた復興支援策を検討するADBの臨時会合で各国に支援を呼びかけた一方、共同通信のインタビューに対しAIIBにも支援を要請する方針を明らかにした。

 こうした中で、ADBは加盟国に改革の進展を示す必要に迫られていた。5日にADBの中尾武彦総裁が呼びかけた増資の検討も、新興国側が求めていた措置。第一生命経済研究所の西浜徹主席エコノミストは「ADBには自分たちの存在意義が希薄化するとの危機感があったのではないか」と指摘する。

 中国の楼継偉財政相は「AIIBはADBと競争するものではない」との認識を示す。ただAIIBは理事を本部に常駐させない方針など、ガバナンス面での不透明感がくすぶり、日本がAIIBに参加しない選択肢も残されている。17年の年次総会は横浜での開催が決まった。そのときまでに改革の成果を上げることができるか、日本に重い宿題が課された。


改革迫られたADB インフラ銀、新興国に浸透
産経新聞 5月6日(水)7時55分配信

 5日閉幕した日本が主導するアジア開発銀行(ADB)の年次総会では、ADBが年間融資枠の拡大や官民連携の強化を打ち出すなど、改革の進展を大きくアピールした。ただ、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が存在感を高める中、改革の加速を迫られたのが実態といえ、アジアの開発支援をめぐる主導権争いがヒートアップしてきた。

 「開発金融機関の歴史上、最も革新的な出来事の一つ」。麻生太郎財務相は総会での演説で、ADBの年間融資枠の拡大策を持ち上げ、日本の取り組みとして国際協力機構(JICA)とADBの協力枠組み創設など、アジアへの投資拡充を宣言した。

 念頭にあるのは、4月に57カ国の創設メンバーが確定したAIIBの存在。年間約7500億ドル(約90兆円)が見込まれるアジアのインフラ需要に対し、ADBの年間融資枠は約131億ドル(2014年)にとどまり、途上国がAIIB創設を歓迎する要因となっていた。

 会期中にもAIIBの浸透ぶりをみせつける一幕があった。大地震に見舞われたネパールのマハト財務相は、3日に開かれた復興支援策を検討するADBの臨時会合で各国に支援を呼びかける一方、共同通信のインタビューでAIIBにも支援要請する方針を明らかにしている。

 こうした状況下、ADBは加盟国に、改革の進展を示す必要に迫られていた。5日にADBの中尾武彦総裁が呼びかけた増資の検討も、新興国側が求めていた措置。第一生命経済研究所の西浜徹主席エコノミストは、「ADBには、自分たちの存在意義が希薄化するとの危機感があったのでは」と分析する。

 総会前に中尾総裁とAIIBの総裁候補、金立群氏が会談し、AIIBとADBの“融和”を演出したが、水面下ではすでに主導権争いが始まっている。

 17年の年次総会は横浜での開催が決まった。その時までにADBの改革が実を結び、存在感を示せることができるか、日本に重い宿題が課された。

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