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2015年5月10日 (日)

宮城沖地震に関するニュース・1993,2015年5月10日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:松島水族館88年の歴史に幕 - 速報:@niftyニュース.
リンク:震災後1か月半で再開、水族館が老朽化で閉館 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<東日本大震災>記録、将来に 震災直後の様子などHPに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:宮城、母への感謝を復興の花で - 速報:@niftyニュース.
リンク:被災事業者ら新商店街建設 岩手・山田で地鎮祭 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:殉職警察官・千田さんを供養 本吉に地蔵祭る - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:コメ試験栽培2年連続見送り 福島・飯舘長泥 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

松島水族館88年の歴史に幕
2015年5月10日(日)21時8分配信 共同通信

 東日本大震災の津波で被災しながら、営業を続けた宮城県松島町の「マリンピア松島水族館」が10日、閉館した。同館によると、国内では富山県の魚津水族館に次ぐ88年の歴史を誇ったが、老朽化などで本格再建を断念。好天に恵まれた最終日、家族連れら約8千人が訪れ、別れを惜しんだ。

 松島水族館は1927年にオープン。震災時は高さ約1・8メートルまで浸水し、一部の動物が犠牲になった。約1カ月半後に再開し、観光地・松島復興のシンボルとなったが、来場者数の減少も重なり、施設の更新はかなわなかった。約8500匹の動物のほとんどは、仙台市で7月に開業する水族館へ移される予定。


震災後1か月半で再開、水族館が老朽化で閉館
読売新聞 5月10日(日)20時28分配信

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閉館の日を迎え、0になったカウントダウンボードの前で記念撮影する人たち(10日午後、宮城県松島町のマリンピア松島水族館で)=冨田大介撮影

 東日本大震災で被災しながら約1か月半で再開し、被災者たちを元気づけてきた宮城県松島町の「マリンピア松島水族館」が10日、施設の老朽化のため閉館した。

 オープンは1927年。同じ場所で続く水族館としては国内で最も古い。遠足や家族旅行先として人気があり、マンボウの飼育日数世界一などで注目を集めた。震災では館内に津波が押し寄せたが、従業員が泊まり込みで飼育している魚や動物の世話と施設の復旧にあたり、早期の再開にこぎ着けた。

 最終日は「思い出の地」に別れを告げようと、約8000人が詰めかけ、アシカショーやペンギンランドは大混雑。仙台市泉区、パート従業員の女性(42)は「保育園の遠足で来たことを覚えている。子どもの頃の思い出が詰まった場所がなくなるのは寂しい」と話していた。

 飼育している魚などは7月に仙台市宮城野区で開業する「仙台うみの杜(もり)水族館」に引き継がれる。


<東日本大震災>記録、将来に 震災直後の様子などHPに
毎日新聞 5月10日(日)16時7分配信

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双葉中卒業生たちが震災当日に教室の黒板に残した寄せ書き=筑波大提供

 原発事故で町のほぼ全域が帰還困難区域となった福島県双葉町と筑波大(茨城県つくば市)が、震災直後の避難所の様子や国内外からの激励の寄せ書きなどを写真撮影し、ホームページ(HP)上で公開し始めた。2年かけて集めた資料は約1000点に上るが、町教育委員会は「これからも可能な限り散逸してしまった資料を集め、将来に残したい」と今後も収集活動を続ける考えだ。

 双葉町と筑波大は、同町が役場機能を避難先の埼玉県加須市からいわき市に戻した2013年6月、震災関連資料の保全や調査研究で連携する協定を締結。同大の知的コミュニティ基盤研究センターの白井哲哉教授を中心に、町から資料の提供を受けたり、町内に立ち入るなどして写真撮影を続けた。

 先月完成したHPには、震災当日にあった町立小中学校の卒業式で生徒たちが教室の黒板に記した寄せ書き▽当時のまま今も残されている避難所内の様子▽国内外から寄せられた激励の手紙や千羽鶴--などが写真に収められている。

 撮影や収集活動の陣頭に立った白井教授は、「町面積の96%が帰還困難区域となった双葉町は、最も過酷な状況に置かれた被災自治体だが、国内でも十分に知られていない。多くの人に見てもらうことで、先の見通せない避難生活が続く町民たちの心の支えになれば」と話す。

 町教委の担当者も「国内外からの寄せ書きをちゃんと保存していますという感謝の気持ちも伝えたい」と語る。収集した資料や写真は町の震災記録としていずれは本にする考え。HPのアドレスは、http://www.slis.tsukuba.ac.jp/futaba-archives/【栗田慎一】


宮城、母への感謝を復興の花で
2015年5月10日(日)15時22分配信 共同通信

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 地元農家が母の日に合わせて開いた直売所で、カーネーションを買い求める人たち=10日、宮城県名取市

 東日本大震災に遭った宮城県名取市で10日、母の日に合わせ、地元のカーネーション農家が直売所を開いた。市は全国有数のカーネーション生産地。復興支援への感謝を込め、市価の半額ほどの価格で用意した310の花束は、2時間余りで売り切れる人気だった。

 会場となった沿岸・閖上地区の「ゆりあげ港朝市」では被災した生産者4人が参加。オープンの午前6時には行列もでき、赤や白、ピンクを中心に、配色などの違いを含め50色に上る花の美しさと香りに、訪れた客からは笑みがこぼれた。


被災事業者ら新商店街建設 岩手・山田で地鎮祭
河北新報 5月10日(日)15時0分配信

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商店街の建設予定地

  東日本大震災で被災した岩手県山田町の商店主らで構成する「新生やまだ商店街協同組合」が新しい商店街を建設する。9日、同町中央町の現地で地鎮祭が開かれた。10月に店舗の建設に取りかかり11月中旬のオープンを目指す。

  商店主ら約30人が出席し、工事の無事を祈願した。組合の昆尚人理事長(40)は「われわれ商業者を取り巻く環境は震災前より厳しくなっているが、街の繁栄のため組合一丸で頑張っていく」と決意を述べた。

  国道45号沿いのかさ上げした町有地約4800平方メートルに整備する。写真店やコンビニエンスストアなど被災事業者や新規事業者の10店が並び、60台分の駐車場もある。総事業費約3億円のうち75%を、被災中小企業の再建を国と県が支援するグループ化補助金で賄う。

  山田町は復興計画に基づき、商店街から500メートルほど離れたJR山田線陸中山田駅前に、2016年3月のオープンを見据え、共同店舗棟や地元スーパーを整備する。


殉職警察官・千田さんを供養 本吉に地蔵祭る
河北新報 5月10日(日)11時25分配信

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地蔵を祭り、殉職した警察官の千田さんを供養する鈴木さん夫妻。毎朝、登校途中の大谷小の子どもたちが手を合わせる

  気仙沼市本吉町大谷地区に、東日本大震災で殉職した気仙沼署大谷駐在所長の千田浩二さん=当時(30)=を慰霊する地蔵が祭られている。地元住民が、震災時に避難誘導に当たった千田さんをしのんで設置し、大切にしている。今夏には被災した駐在所が地蔵の近くに再建される予定で、ともに地域を見守る。

  高さ約50センチの地蔵は、同市大谷小のそばに2012年8月に設置された。横浜市の石材業者から提供を受け、自治会長を務める鈴木治雄さん(67)、美和子さん(66)夫妻が、千田さんが発見された場所に祭った。

  やがて、地蔵に手を合わせる子どもの姿が見られるようになった。登校中に「行ってきます」とあいさつしたり、タンポポを手向けたり。毎朝、花や水を手向けている鈴木さん夫婦をはじめ、住民たちも地蔵の手入れを欠かさない。

  千田さんは、10年4月に大谷駐在所に赴任した。仕事熱心で、地区の演芸会に「刑事役」で出演して観客を沸かすなど、朗らかな性格が住民に慕われた。

  あの日は大谷海岸沿いの国道45号で避難を呼び掛けていた。震災後、津波で全壊した大谷駐在所の壁には「千田さんありがとう。ゆっくり休んで」と感謝のメッセージが書かれた。

  「短い時間だったけれど、地域に溶け込んでみんなに愛された」。鈴木さん夫妻は毎朝、地蔵のそばに立ち、子どもたちの交通指導に当たっている。美和子さんは「お地蔵さまは子どもに優しさや他者をいたわる気持ちを伝えている。千田さんはいまも地域を見守っている」と感じる。

  仮設施設で業務を続けてきた大谷駐在所は地蔵の近くに移転新築され、7月に開所する。宮城県内で全壊した駐在所の本格再建第1号となる見通しだ。

  気仙沼署の岩崎綾一郎副署長は「住民の思いがありがたい。新しい駐在所でも治安維持に努めたい」と決意する。鈴木さん夫妻は「千田さんのように、地域に溶け込んだお地蔵さまを守っていきたい」と話した。


コメ試験栽培2年連続見送り 福島・飯舘長泥
河北新報 5月10日(日)11時25分配信

  東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域に指定された福島県飯舘村長泥地区のコメ試験栽培が、2年連続で見送られたことが9日、分かった。村は反対論が根強い住民感情に配慮して働き掛けを控え、再開が見込めない状態が続いている。

  長泥地区には原発事故前、75世帯281人が居住。2013年6月、村が県の営農再開支援事業を受託し、コメに放射性セシウムがどの程度移行するかを調べるため、除染済みの試験田5アールで試験栽培を始めた。除染後、土壌に含まれる放射性セシウムは92%低減。放射線検査の結果、収穫米は全て検出限界値(1キロ当たり10ベクレル)を下回った。

  しかし、地区住民から「早期帰還を急ぐ村や国のパフォーマンスに利用されている」などと反発する声が上がり、14年の試験栽培を断念した。

  村は住民の意向を尊重する方針で、菅野典雄村長は「前に進むために試験栽培したい気持ちはあるが、住民側から要望が出るのを待つしかない」と話す。

  長泥地区の鴫原良友区長は「帰還困難区域にもかかわらず、すぐに営農が再開できると誤解を招いた。実験として淡々と進めるべきだった」と指摘する。

  農林水産省は飯舘村など7市町村の帰還困難区域を営農ができない作付け制限区域に指定している。県によると、長泥地区のほかに同区域で県の事業を利用した試験栽培の実施例はなく、ことしも試験栽培を希望した市町村はなかった。

  県農業振興課の担当者は「試験栽培は農家の協力が不可欠。帰還困難区域は除染の見通しが立たず、営農が可能になっても帰還できると考える農家は少ないのではないか」と推移を見守る考えだ。

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