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2015年4月 8日 (水)

天皇皇后両陛下、8~9日にパラオを公式にご訪問 戦没者の慰霊・2

天皇皇后両陛下は、友好親善と戦後70年に当たり戦没者を慰霊するため、8~9日の日程でパラオを初めて公式にご訪問される。

両陛下は8日午前、羽田空港をチャーター機でご出発、同国到着後レメンゲサウ大統領夫妻と会見。夜には大東亜戦争の激戦地となったミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻も参加するパラオ主催の晩さん会にご出席される。同夜は沖合に停泊する「あきつしま」に宿泊され、9日には巡視船からヘリコプターで激戦地・ペリリュー島に渡り、日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」と米軍の慰霊碑をご訪問されたのち、同日夜にご帰国の予定。

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以下、参考のために同記事を引用

黙礼される両陛下
時事通信 4月9日(木)12時51分配信

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「西太平洋戦没者の碑」で供花のあと、多くの戦死者を出したアンガウル島に向かい黙礼される天皇、皇后両陛下=9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)
(時事通信社)


供花される両陛下
時事通信 4月9日(木)12時37分配信

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米陸軍81歩兵師団慰霊碑で供花される天皇、皇后両陛下=9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)


言葉を掛けられる両陛下
時事通信 4月9日(木)12時37分配信

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「西太平洋戦没者の碑」を訪問し、元日本兵でペリリュー島の戦いから生還した土田喜代一さん(中央手前)に言葉を掛けられる両陛下=9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)


<天皇、皇后両陛下>ペリリュー島で慰霊碑に白菊の花束
毎日新聞 4月9日(木)11時59分配信

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「西太平洋戦没者の碑」に供花し、アンガウル島に向かって拝礼される天皇、皇后両陛下=パラオ・ペリリュー島で2015年4月9日午前10時50分(代表撮影)


<天皇、皇后両陛下>ペリリュー島で慰霊碑に白菊の花束
毎日新聞 4月9日(木)11時58分配信

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「西太平洋戦没者の碑」に花を手向け一礼される天皇、皇后両陛下=パラオ・ペリリュー島で2015年4月9日午前10時48分(代表撮影)


<天皇、皇后両陛下>ペリリュー島で慰霊碑に白菊の花束
毎日新聞 4月9日(木)11時41分配信

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「西太平洋戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下=パラオ・ペリリュー島で2015年4月9日午前10時47分、代表撮影

 【ペリリュー島(パラオ)真鍋光之、古関俊樹】パラオ共和国を訪問中の天皇、皇后両陛下は9日(日本時間同)、太平洋戦争で約1万人の日本人が命を落とした同国ペリリュー島を訪問され、慰霊碑に花を供えて平和を祈った。両陛下は慰霊碑の前で、島で戦闘を経験した元日本兵らとも言葉を交わし、つらい体験に耳を傾けた。同日夜に帰国する。

 両陛下は同日朝、宿泊した海上保安庁の巡視船「あきつしま」の甲板からヘリコプターに搭乗し、約50キロ離れたペリリュー島に渡った。天皇陛下は白い長袖シャツにグレーのスラックス、皇后さまは白いスーツと白い帽子姿で日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」を訪問。両陛下は修復を担当した厚生労働省の村木厚子事務次官から説明を受け、日本から持参した白菊の花束を供え、深々と一礼した。

 両陛下は続いて約10キロ離れたアンガウル島が見える場所に移動し、同島に向けても拝礼した。ペリリュー島同様、激戦となった同島では戦闘で約1200人の日本人が亡くなった。慰霊碑にはパラオとミクロネシア連邦、マーシャル諸島の3カ国の大統領夫妻も同行した。

 碑の近くでは、ペリリュー島での戦闘から生還した土田喜代一(きよかず)さん(95)ら元日本兵やその家族ら約10人が見守った。土田さんらは仲間が国のために戦って亡くなったことなどを説明し、両陛下は真剣な表情で聞いていた。

 両陛下はその後、「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」も訪れて黙とうした。また、同島の住民との交流も予定している。

 ◇西太平洋戦没者の碑

 日本政府が1985年、ペリリュー島南端に設置した慰霊碑。パラオ諸島など西太平洋地域の戦没者を国籍を問わず対象にしている。2012年の台風で被害を受け、厚生労働省の修復作業が今年3月に終了した。

 ◇米陸軍第81歩兵師団慰霊碑

 米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始した島南西部のオレンジビーチ近くにあり、二つの慰霊塔がある。1948年に完成し、パラオで戦死した米軍第81歩兵師団の犠牲者を慰霊している。


両陛下パラオご訪問 「英霊たちが喜ぶ姿、はっきり見える」両陛下ご慰霊に立ち会った戦友
産経新聞 4月9日(木)11時35分配信

 天皇、皇后両陛下が戦没者を追悼されたペリリュー島の西太平洋戦没者の碑では9日、日本を遠く離れた島での激烈な戦いで仲間をほとんど失い、重い戦後を生きた生還者の元日本兵2人が、万感の思いで立ち会った。

 「英霊たちが陛下に出会えて喜ぶことがとてもうれしい」。約1万人がほぼ全滅したペリリュー島守備隊で生き残った34人の一人、土田喜代一(きよかず)さん(95)は、戦友の御霊(みたま)が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、車いすの老身を押して島に来た。

 弾薬も食糧も補給がないなか、後輩、同僚、上官が目の前で次々と命を落とした。爆弾を手に突撃する者も。乾きのなかで水くみ任務中に撃たれた仲間も少なくない。「自分もいつ死んでもおかしくなかった」

 守備隊の組織的戦闘は昭和19年11月に終結し、けわしく狭いサンゴ岩の洞窟に息を潜めての抗戦に。20年8月の終戦も、土田さんたちは「徹底抗戦」命令を守って信じず、武装解除に応じたのは22年4月だった。

 訪島した初日の今月5日。遺族会の慰霊碑「みたま」の前でハーモニカを吹いた。曲は、南洋での海軍兵らの郷愁を歌った当時の「ラバウル小唄」だった。

 「1万の英霊たちが喜ぶ姿がはっきりと見える」。土田さんはつぶやいた。

 「戦友に陛下のお声を聞かせたい」。西太平洋戦没者の碑から島影が見えるアンガウル島で戦った倉田洋二さん(88)は、島で散った陸軍宇都宮歩兵第五十九連隊第一大隊約1200人の仲間の名簿を手に、両陛下をお迎えした。

 南洋にいた親類を頼って10代でパラオに移住。南洋庁に勤務しつつ、現地の人々から海や自然のすばらしさを学ぶ。「一生住みたいほど楽しい青春だった」。そんななか現地召集に応じ、アンガウルで10倍以上の兵力の米軍と対峙(たいじ)。砲撃で重傷を負いながらも「最後まで戦う」と決死の抗戦を続けたが、作戦中に米兵に発見、拘束された。

 「生き残ってしまった」との思いは消えず、靖国神社にはなかなか足を運べないという。戦後はパラオに残した戦友の慰霊碑維持に尽力した。定年退職後、一時移住したことも。体調が万全でない今も東京とパラオを往復する。「維持管理で現地との交流を通じ、慰霊碑が『友好の碑』になってくれれば」

 台風などで破損していたアンガウル島の碑を、ご訪問を控えて自ら修復。1週間前に完了し、この日に間に合わせることができた。大きな節目を迎えたが、戦友の慰霊は生涯、続けていく。(ペリリュー島〈パラオ共和国〉今村義丈)


両陛下パラオご訪問 ペリリュー島で慰霊碑にご供花 生還者の元日本兵らともご面会
産経新聞 4月9日(木)11時29分配信

 【ペリリュー島(パラオ共和国)=伊藤真呂武、今村義丈】戦没者慰霊のためパラオ共和国を訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間同)、激戦地だったペリリュー島で、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花して犠牲者を追悼された。碑のそばで出迎えた同島などでの戦いの生還者の元日本兵らとも面会し、改めて苦労をねぎらわれた。

 両陛下は、宿泊先となったコロール島沖の海上保安庁の巡視船からヘリコプターに乗り、ペリリュー島に移られた。同島では先の大戦で上陸してきた米軍約5万人を迎え撃った日本軍約1万人がほぼ全滅。日本政府が昭和60年に米軍上陸地点に近い島南端に碑を建て、英霊を慰めてきた。

 両陛下は、日本から持参した白菊の花を碑に供え、深々と拝礼された。続いて、日本軍約1200人が犠牲になったアンガウル島に向かっても頭を下げられた。パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の大統領夫妻も同行した。

 ペリリュー島の生還者で元海軍上等水兵の土田喜代一さん(95)やアンガウル島で重傷を負った元陸軍2等兵の倉田洋二さん(88)、遺族や遺骨収集の関係者らの出迎えを受け、両陛下は一人一人の話に耳を傾けられた。米軍の慰霊碑にも供花するなどし、同日夕に帰国の途に就かれる。


ペリリュー島に到着された両陛下
時事通信 4月9日(木)11時9分配信

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ヘリコプターでペリリュー島に到着された天皇、皇后両陛下=9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)
(時事通信社)


ペリリュー島に到着された両陛下
時事通信 4月9日(木)11時9分配信

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ペリリュー島に到着された天皇、皇后両陛下=9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)
(時事通信社)


両陛下、ペリリュー島「戦没者の碑」前で供花
読売新聞 4月9日(木)10時59分配信

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パラオ・ペリリュー島に到着された天皇、皇后両陛下(9日午前9時59分)=代表撮影

 【ペリリュー(パラオ)=沖村豪、太田雅之】戦後70年の「慰霊の旅」としてパラオを訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間同)、ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」の前で供花された。

 同島や南方のアンガウル島が激戦地となり、パラオ全体で日米計約1万8000人が戦死。この日は、同国のレメンゲサウ大統領夫妻のほか、ミクロネシア連邦とマーシャル諸島の両大統領夫妻、旧日本軍兵士や遺族らも供花を見守った。

 両陛下は同日午前10時前、日本の守備隊1万人余が玉砕したペリリュー島南端にある平和記念公園の「西太平洋戦没者の碑」に到着。供花台の前で一礼し、白菊の花を供えられた。さらに、南の方角を望み、ペリリュー島と同様に約1100人の守備隊が玉砕したアンガウル島に向かって拝礼された。


両陛下、平和祈り戦没者追悼
2015年4月9日(木)10時16分配信 共同通信

 【ペリリュー共同】天皇、皇后両陛下は9日午前、太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島を訪れた。日本政府が建てた慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」に供花し、拝礼される。米軍の慰霊碑にも花輪をささげ、黙とう。戦後70年の節目に、犠牲となった全ての戦没者を追悼し、平和を祈る。

 両陛下が海外で「慰霊の旅」を果たすのは、戦後60年だった2005年の米自治領サイパンに次いで2回目。日本からは、この日の両陛下の姿を見守ろうと、生還した元兵士や戦没者の遺族らもペリリュー島を訪れた。

 パラオのほか、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻も参列して犠牲者を追悼。


両陛下、日米の慰霊碑に供花=激戦の地ペリリュー島―アンガウル島にも黙礼・パラオ
時事通信 4月9日(木)10時0分配信

 【ペリリュー島(パラオ)時事】戦後70年の戦没者慰霊のためパラオを訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間同)、太平洋戦争の激戦地となったペリリュー島を訪れ、日米双方の慰霊碑に供花された。
 約10年前にも検討したが、果たせなかったパラオ訪問。最も激烈だったペリリュー島の戦いでは、日米合わせて約1万2000人が亡くなった。長年の両陛下の思いがようやく実現した。
 海上保安庁のヘリで同島の飛行場に到着した両陛下は午前10時40分ごろ、日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」がある同島最南端の平和記念公園に到着。厚生労働省の村木厚子事務次官の案内で供花台の前に進むと、日本から持ってきた白菊の花束を供えて深く一礼した。
 続いて同じく激戦地となったアンガウル島について村木次官から説明を受け、海の向こうに見える同島に向かって並んで黙礼した。
 帰り際にはペリリュー州知事らに一人一人あいさつ。戦没者の遺族や生還兵らに言葉を掛けた。 


両陛下パラオご訪問 ペリリュー島で戦没者慰霊碑にご供花へ
産経新聞 4月9日(木)9時47分配信

 【ペリリュー島(パラオ共和国)=伊藤真呂武、今村義丈】戦没者慰霊のためパラオ共和国を訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間同)、激戦地だったペリリュー島で、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」を訪れて犠牲者を追悼される。両陛下は、宿泊先となった別の島の沖に停泊中の海上保安庁の巡視船から、ヘリコプターに乗って、ペリリュー島に移られる。

 碑のそばでは、ご訪問に合わせて日本から訪島した、先の大戦での同島などでの戦いから生還した元日本兵らと面会される予定。

 ペリリュー島では先の大戦で上陸してきた米軍約5万人を迎え撃った日本軍約1万人がほぼ全滅。日本政府が昭和60年に米軍上陸地点に近い島南端に碑を建て、英霊を慰めてきた。

 両陛下は、米軍の慰霊碑にも供花するなどし、同日夕に帰国の途に就かれる。


90年前の幻の切手…皇室とパラオ結ぶ
産経新聞 4月9日(木)7時55分配信

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パラオで焼失を免れた「東宮御婚儀祝典紀念切手」(写真:産経新聞)

 今から約90年前、昭和天皇(当時、皇太子)の御婚儀を記念した切手の発行が計画されていた。「東宮御婚儀祝典紀念切手」と名付けられた切手は関東大震災で焼失、発行中止となったが、ごく一部が日本が委任統治していたパラオへ事前に送られていたことで難を逃れ、後に皇室へ無事献上されたという。幻の記念切手がつなぐ皇室とパラオの縁。所有者は「日本とパラオの関係を改めて知る機会になれば」と話している。

 山梨県富士河口湖町の会社社長、中村初男さん(68)が所有しているのは「東宮御婚儀 祝典紀念絵葉書(はがき)」と書かれた封筒1点と、記念切手が各2枚ずつ貼付された絵はがきが2点。切手は縦30ミリ、横27ミリで、「パラオ局」を示す消印が押してある。

 4年前に亡くなった父の遺品で、自宅の押し入れの中から出てきた。どのような経緯で父が持っていたかは不明という。

 「郵政博物館」(東京都墨田区)や「お札と切手の博物館」(東京都北区)によると、「東宮御婚儀祝典紀念切手」は大正12年11月に予定されていた昭和天皇の御婚儀を記念して作成。1銭5厘、3銭、8銭、20銭の4種類で、筑波山や東宮仮御所が描かれている。

 しかし、同年9月1日の関東大震災で、すでに印刷されていた完成品や切手の原版は焼失し、発行は中止に。御婚儀も延期された。

 そんな中、唯一難を逃れたのが南洋庁(パラオ諸島)にあった約1000組の切手だった。当時、パラオは日本が委任統治しており、記念切手を日本と同時発売するため、事前に発送されていたという。

 後日、日本に戻った切手は、翌13年1月に挙行された御婚儀の際に皇室へ献上されたほか、一部関係者にも配布された。郵政博物館によると、中村さん所有の切手が貼られた絵はがきは関係者に配布されたものと同じ様式で、鑑定した切手買取店「おたからや横浜本店」(横浜市)は「当時のもので間違いない」としている。

 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の須藤健一館長(69)によると日本とパラオの間には当時、1万トン級の貨客船による人や物資の交流があった。先の大戦まで良好な関係を保ち、日本はパラオに郵便局や病院、学校も作ったという。

 中村さんは「パラオに郵便局があったことなど生活の一端を感じることができる。日本とパラオの間に人々の交流があったことも知ってほしい」としている。(稲場咲姫)


晩餐会でのお言葉に生還者感銘 「戦友にも陛下のお声が届くはず」
産経新聞 4月9日(木)7時55分配信

 天皇陛下が8日夜の晩餐(ばんさん)会で、全戦没者の追悼とともに、日本とパラオ共和国の深い交流なども述べられたお言葉の内容に、生還者、遺族、パラオ国民は感銘を受けた様子だった。

 「『遺族の歩んできた苦難』と言及していただいた。父も含め、パラオで戦ったすべての人々にとって感慨深い」。ペリリュー島守備隊の村井権治郎陸軍少将の四男、正巳さん(79)は語った。

 14歳でパラオに移住し、アンガウル島守備隊に現地召集され重傷を負って生還した倉田洋二さん(88)は、「移住した日本人はパラオの人々と交流を深め」とのお言葉を重く受け止めた。「現地の人々と青春をともにし、戦争がなければ一生住みたいと思っていた私には本当に印象深い。戦友にも、陛下のお声が届くはず」と語った。

 一方、遺骨収集についてレメンゲサウ大統領が会見で陛下に「加速」を約束し、陛下も晩餐会でパラオ側の長年の協力に言及されたことに、収集に尽力している影山幸雄さん(70)は「心強い。遺族が生きているうちに最後のお一人まで収容したい」。影山さんに代々協力して慰霊碑も管理してきたペリリュー酋長、イサオ・シゲオさん(76)は「日本名を持つ亡き両親も喜んでいる。ご訪問を機に、ご遺骨収集の進展を望む」と語った。(ペリリュー島 今村義丈)


両陛下パラオご訪問 我孫子の引き揚げ者「亡くなった友人らも喜びます」
産経新聞 4月9日(木)7時55分配信

 戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下がパラオ共和国に到着された8日、かつて引き揚げ者が集まり、通称「パラオ村」があった県内でも感謝の声が聞かれた。我孫子市布施の米農家、井原証之助さん(87)と正子さん(84)の夫婦は「たくさんの友達や知人がパラオで亡くなった。両陛下のご訪問でみんなも喜んでいると思います」と静かに話した。(山本浩輔)

                  ◇

 柏市文化課などによると、戦後間もない昭和21年、当時の県農業会連合会長で衆院議員も務めた成島勇氏が利根遊水地(柏、我孫子両市)で米作りをしようと入植者を募ったところ、パラオからの引き揚げ者らが応募。満州の開拓団も合流し、一行は「パラオ団」と称した。

 23年には、柏市根戸に15戸、我孫子市布施に7戸のパラオ引き揚げ者が移住していたという。28年には知人らの紹介で井原さん夫婦も同市に入植した。この地域は一時「パラオ村」とも呼ばれたといい、多くは亡くなったが、現在でも両市合わせて10人弱の引き揚げ者が家族らとともに生活している。

 井原さんは兵庫県出身で、小学5年生だった13年、家族7人でパラオ本島に入植した。「常夏だが慣れてくると、海風が心地よかった。星明かりで夜道を歩けるくらい空がきれいだった」と振り返る。

 1戸当たり5ヘクタールの広大な土地を与えられ、パイナップルやバナナを栽培したという。小学校の楽しい思い出がたくさんあり、同窓生と泳いで遊んだことは70年以上が経過した現在でも覚えている。

 先に入植していた正子さんとは現地の兵庫県人会で知り合った。正子さんは「島民の人の家にもよく遊びに行った。温かい人たちで、食事をごちそうになったりしていました」。

 当初は食べ物にも困らなかったというが、次第に戦況が悪くなり生活は変わっていく。19年には井原さんも徴兵され、同年にペリリュー島で激しい戦闘が行われると、連日爆撃機が本島にも押し寄せた。本土から食料は届かず、山に入ってトカゲやカエルなども食べた。

 女学生だった正子さんは陸軍病院で働いていたが「毎日5、6人が栄養失調で亡くなった」。井原さんは「持っている飯ごうが機銃で撃たれて宙を舞ったこともあった。生きて帰ったのが不思議だ。死ぬことは当たり前と思っていた」。

 戦後、我孫子に入植した井原さんはパラオでの開拓の経験が生きたと振り返る。利根川の氾濫と格闘しながらも、肥沃(ひよく)な土地を仲間と作り上げてきた。

 2人は昭和61年と平成12年にパラオを訪問。「つらい思い出もたくさんあるけど、楽しい思い出ばかりがよみがえるんです」と井原さん。正子さんは「両陛下のご訪問は本当にうれしいです。いつか子供や孫たちにも、私たちが育った場所を見せたい」と話した。


天皇陛下、10年来の宿願パラオご訪問 遺族に寄り添う「ご決意」
産経新聞 4月9日(木)7時55分配信

 戦後70年での戦没者慰霊のためパラオ共和国を8日に訪問された天皇、皇后両陛下。天皇陛下は同日夜の晩餐(ばんさん)会で「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」と述べられた。このお言葉には、戦後70年にわたって戦没者遺族が抱き続けた苦しみ、悲しみに寄り添われようという強い「決意」が込められている。

 戦後50年の平成7年に長崎、広島、沖縄、東京・下町をめぐる「慰霊の旅」の後、陛下は側近に「南洋に慰霊に行きたい」と相談された。慰霊の旅を終えた感想でも「遠い異郷」との言葉で海外での戦没者や遺族への強い思いを示された。

 南洋の地として、日本の委任統治領だったパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の3カ国が検討されたが、移動手段の問題などで断念。両陛下は平成17年6月、米自治領サイパン島で初めて海外での慰霊を果たされた。

 ただ、宮内庁幹部は「サイパンで海外での慰霊を済まされたということはない。お気持ちに終点はない」。別の側近も「南洋への慰霊のお気持ちはこの10年の間、弱まることがなかった」と打ち明ける。

 1月にパラオご訪問が正式決定すると、防衛省や厚生労働省の担当者から戦禍や遺骨収集の現状について改めて説明を受けられた。出発前のお言葉では「美しい島々」と「悲しい歴史」を対比し、戦争の悲惨さを忘れないよう訴えられた。

 ようやく実現したパラオご訪問。晩餐会でのお言葉の中で、陛下は「この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します」と、パラオ国民への強い感謝の気持ちを表された。

 遺族に寄り添う「決意」とパラオ国民への「感謝」を抱きつつ、両陛下は9日、かつての激戦の地、ペリリュー島に入られる。


両陛下がパラオご訪問 慰霊「苦難の道しのびたい」
産経新聞 4月9日(木)7時55分配信

 【コロール島(パラオ共和国)=伊藤真呂武】天皇、皇后両陛下は8日、戦後70年の節目に戦没者を慰霊するため、羽田空港発の民間チャーター機でパラオ共和国に入られた。海外での「慰霊の旅」は平成17年6月の米自治領サイパン島以来10年ぶり2度目。パラオご訪問は、天皇陛下が強く望みながら一度断念しており、10年来の宿願をかなえられた。

 両陛下は8日夕(日本時間同)、パラオ国際空港にご到着。空港内でレメンゲサウ大統領夫妻と会見された。宮内庁によると、大統領は国を挙げた歓迎の意を示したのち、戦没者遺骨の収集を「さらに加速させたい」と表明。日本軍約1万人、米軍約1700人が犠牲になったペリリュー島に200カ所あるとされる、埋められた日本軍の洞窟や壕(ごう)を「順次開けていきたい」と語った。陛下は「遺族の方が大変感謝されると思います」と述べられた。

 同国は日系人も多く、沿道に住民らが多数並んで両国国旗を振って歓迎した。

 コロール島で歓迎行事などにご出席。パラオ政府主催晩餐(ばんさん)会でレメンゲサウ大統領が「私たちは戦後70年を記念して集まり、戦争によって死や苦しみ、困難にあった悲しい記憶を思い起こします」と語ると、陛下はご答辞で「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と述べられた。

 パラオ側招待でミクロネシア連邦のモリ大統領、マーシャル諸島共和国のロヤック大統領も参加。アイランドフォーマルと呼ばれる南国の礼装に合わせ陛下は長袖シャツにスラックス、皇后さまはチュニックなどのクールビズで臨まれた。

 9日はペリリュー島にヘリコプターでご移動。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」と近くにある米軍の慰霊碑に供花するなどし、帰国される。


<皇室>パラオ晩餐会 天皇陛下のあいさつ全文
毎日新聞 4月9日(木)1時40分配信

 戦後70年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度のご招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩さん会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領ご夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻がここパラオ国をご訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。

 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、ご遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領はじめ、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

 しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア3国と日本との外交関係が樹立されてから20年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を上げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人のご健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。


<両陛下>パラオ晩さん会 天皇陛下「地域の尽力に謝意」
毎日新聞 4月8日(水)23時51分配信

 「この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します」--。

 天皇陛下は8日夜に行われたパラオ共和国主催の晩さん会冒頭でのあいさつでそう述べられ、パラオとミクロネシア連邦、マーシャル諸島などからなるミクロネシア地域に対する特別な思いを隠さなかった。

 日本は第一次世界大戦が始まった1914年、同地域を占領。その後多くの日本人が移住したが、戦争は大きな犠牲を生んだ。約1万6000人が亡くなったパラオだけでなく、ミクロネシア連邦ではトラック諸島で約6000人が死亡。ウォーレアイ(メレヨン)環礁では食糧不足で大量の兵士が餓死するなど約5000人が亡くなり、陛下もあいさつで「空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」と語った。

 戦略上の要衝だったマーシャルでは米軍の激しい空襲を受け、約1万9000人が死亡している。陛下は出発前、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べた。この地域への思いの理由がその言葉に集約されていた。【古関俊樹、斎川瞳】


「戦友にも陛下のお声が届くはず」 生還者、遺族、パラオ国民… 晩餐会でのお言葉に深い感銘
産経新聞 4月8日(水)23時23分配信

 天皇陛下が8日夜の晩餐会(ばんさんかい)で、全戦没者の追悼とともに、日本とパラオ共和国の深い交流なども述べられたお言葉の内容に、生還者、遺族、パラオ国民は感銘を受けた様子だった。

 「『遺族の歩んできた苦難』と言及していただいた。父も含め、パラオで戦ったすべての人々にとって感慨深い」。ペリリュー島守備隊の村井権治郎陸軍少将の四男、正巳さん(79)は語った。

 14歳でパラオに移住し、アンガウル島守備隊に現地召集され重傷を負って生還した倉田洋二さん(88)は、「移住した日本人はパラオの人々と交流を深め」とのお言葉を重く受け止めた。「現地の人々と青春をともにし、戦争がなければ一生住みたいと思っていた私には本当に印象深い。戦友にも、陛下のお声が届くはず」と語った。

 一方、遺骨収集についてレメンゲサウ大統領が会見で陛下に「加速」を約束し、陛下も晩餐会でパラオ側の長年の協力に言及されたことに、収集に尽力している影山幸雄さん(70)は「心強い。遺族が生きているうちに最後のお一人まで収容したい」。影山さんに代々協力して慰霊碑も管理してきたペリリュー酋長、イサオ・シゲオさん(76)は「日本名を持つ亡き両親も喜んでいる。ご訪問を機に、ご遺骨収集の進展を望む」と語った。

(ペリリュー島=今村義丈)


両陛下がパラオ到着、政府主催の晩餐会にご出席
読売新聞 4月8日(水)22時17分配信

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晩餐会でパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻と乾杯される天皇、皇后両陛下(8日午後8時9分、パラオ・コロール島で)=関口寛人撮影

 【コロール(パラオ)=太田雅之】天皇、皇后両陛下は8日午後、戦後70年の「慰霊の旅」で、初めて西太平洋のパラオに入られた。

 9日には日米合わせて約1万2000人が戦死した激戦地ペリリュー島で慰霊される。8日夜に開かれたパラオ政府主催の歓迎晩餐会(ばんさんかい)では、天皇陛下が「パラオの地において、先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と慰霊への思いを語られた。

 両陛下は8日昼前、東京・羽田をチャーター機で出発し、午後4時頃、パラオに到着。レメンゲサウ大統領夫妻の出迎えや地元小学生の歓迎を受けられた。

 宮内庁によると、空港で大統領は、ペリリュー島での日本兵の遺骨収集を加速するため、封鎖されている200近い壕(ごう)を順次開放すると伝えた。天皇陛下は「遺族が大変感謝すると思います」と話されたという。

 両陛下はその後、パラオ国際サンゴ礁センターでハゼを観賞された。

 パラオは終戦までの約30年間、日本の統治下にあり、今も多くの日系人が暮らす。8日午後7時50分から中心地コロールで開かれた晩餐会には、両陛下とレメンゲサウ大統領夫妻のほか、同じく日本の委任統治領だったミクロネシア連邦とマーシャル諸島の両国大統領夫妻も出席。レメンゲサウ大統領が「日本と三つの島嶼(とうしょ)国との友好と協調の強い絆をここに確認します」と歓迎の意を示すと、天皇陛下はあいさつで先の戦争に触れ、「貴国民に空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」と述べられた。

 晩餐会の後、両陛下は海上保安庁のヘリコプターに乗り、洋上に停泊中の海上保安庁の巡視船「あきつしま」に移動して宿泊。9日朝、船上の甲板からヘリでペリリュー島に入られる。


晩さん会に臨まれる両陛下
時事通信 4月8日(水)22時14分配信

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パラオのレメンゲサウ大統領夫妻とともに晩さん会に臨まれる天皇、皇后両陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


あいさつされる天皇陛下
時事通信 4月8日(水)22時6分配信

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晩さん会であいさつされる天皇陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


記念撮影に臨まれる両陛下
時事通信 4月8日(水)22時0分配信

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晩さん会の冒頭、3カ国の大統領夫妻と記念撮影に臨まれる天皇、皇后両陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


ダンスを鑑賞される両陛下
時事通信 4月8日(水)21時54分配信

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晩さん会でパラオの伝統的なダンスを鑑賞される天皇、皇后両陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


ダンスを鑑賞される両陛下
時事通信 4月8日(水)21時54分配信

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晩さん会でパラオの伝統的なダンスを鑑賞される天皇、皇后両陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


乾杯される両陛下
時事通信 4月8日(水)21時35分配信

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晩さん会でパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻と乾杯される天皇、皇后両陛下=8日午後、パラオ・コロール島(代表撮影)


両陛下パラオご訪問 天皇陛下の晩餐会でのご答辞・全文
産経新聞 4月8日(水)21時27分配信

 天皇陛下は、パラオ共和国主催の晩餐会で答辞を述べられた。

     ◇

 戦後七十年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度の御招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領御夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領御夫妻がここパラオ国を御訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。

 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、御遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

 しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから二十年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を挙げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人の御健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。


天皇皇后両陛下、パラオに到着 戦没者を慰霊へ
AFP=時事 4月8日(水)21時22分配信

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パラオに向けて出発される天皇皇后両陛下(2015年4月8日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】天皇皇后両陛下は8日、第2次世界大戦(World War II)で旧日本軍と米軍の激戦地となったパラオに到着された。

 両陛下は終戦70年にあたって、戦没者を慰霊するためにパラオを訪問された。

 天皇陛下は出発に先立ち、「(戦後70年の)節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします」と話され、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられた。

 天皇皇后両陛下は同日、パラオのトミー・レメンゲサウ(Tommy Remengesau)大統領と会見され、9日には激戦地だったペリリュー(Peleliu)島を訪れる。【翻訳編集】 AFPBB News


<両陛下>「アイランドフォーマル」に倣い…パラオ晩さん会
毎日新聞 4月8日(水)21時20分配信

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晩さん会でパラオの伝統的ダンスパフォーマンスをご覧になる天皇、皇后両陛下=パラオ・コロール島で2015年4月8日午後8時13分(代表撮影)

 【コロール(パラオ)古関俊樹】パラオ・コロール島のガラマヨン文化センターのホールで、8日夜に開かれたパラオ国主催の晩さん会には、同国の元大統領ら約70人が参加した。両陛下はパラオの正装である「アイランドフォーマル」に倣い、それぞれ白いシャツとグレーのスラックス、ワンピースのようなグレーのチュニックに着替えて出席された。

 会場内には日本とパラオの国旗や花が飾られ、テーブルには同国特産のロブスターやタロイモのスープ、フルーツの盛り合わせなどが並んだ。両陛下はパラオとミクロネシア連邦、マーシャル諸島の3カ国の大統領夫妻と同じテーブルに座り、親しく歓談。地元の女性ら約20人がパラオ伝統のダンスを披露した。


<両陛下>パラオ晩さん会 陛下「すべての人々を追悼」
毎日新聞 4月8日(水)21時18分配信

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晩さん会であいさつされる天皇陛下=パラオ・コロール島で2015年4月8日午後8時3分(代表撮影)

 ◇パラオに到着 空港でレメンゲサウ大統領夫妻と会見

 天皇、皇后両陛下は8日午後(日本時間同)、太平洋戦争の激戦地だったパラオ共和国に到着された。空港で同国のレメンゲサウ大統領夫妻と会見。同日夜に行われた同国主催の晩さん会で、天皇陛下は「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とあいさつした。

 宮内庁によると、会見時間は約15分間。冒頭で天皇陛下が同国からの招待に感謝を示した。大統領は、約1万人の日本人が戦死したペリリュー島には、戦時中に日本兵が立てこもった洞窟で入り口が封鎖されているものが約200あることに触れ、「順次開けて遺骨収集を加速させたい」との意向を表明。陛下は「遺族は大変喜ぶと思います」と答えたという。

 両陛下は同日夜、コロール島の文化センターで、太平洋戦争で多くの日本人が命を落としたミクロネシア連邦とマーシャル諸島の大統領夫妻と懇談。その後の晩さん会では、レメンゲサウ大統領は「私たちはともに、この地及び太平洋地域全体において命を落とした勇敢な魂に敬意を表し、哀悼の意をささげます」と述べた。

 同日の日程が終了後、両陛下はヘリコプターで沖合に停泊する海上保安庁の巡視船「あきつしま」に移動し、宿泊する。9日には再びヘリで約50キロ離れたペリリュー島に渡り、西太平洋地域の戦没者を国籍を問わず慰霊の対象にしている「西太平洋戦没者の碑」などを訪問する。【古関俊樹】


<両陛下>心待ちのパラオ訪問 遺族や元兵士 喜びかみしめ
毎日新聞 4月8日(水)21時14分配信

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破壊された旧日本軍の戦車が残されたジャングルを訪れ、手を合わせる丁子八重子さん。兄の実さんをペリリュー島で亡くした=パラオ・ペリリュー島で2015年4月8日午後1時40分、長谷川直亮撮影
 ◇「こんな穏やかな場所で死闘とは…」

 かつて日米両軍が凄惨(せいさん)な戦いを繰り広げた太平洋の島国、パラオに8日、天皇、皇后両陛下が到着された。約70年前の戦闘で大切な家族や仲間を失った遺族や元兵士は、心待ちにしていた訪問に、喜びをかみしめた。【真鍋光之】

 両陛下が到着した空港から南西に約50キロのペリリュー島。約1万人が戦死した最大の激戦地だ。その島での戦闘で兄を失った千葉県銚子市の丁子(ようろご)八重子さん(78)は8日午後、同じ島にいた。

 15歳年上の兄実さんは東京・銀座の洋服店に勤めていたが、兵役を志願し、入隊した。丁子さんはまだ6歳。年の離れた妹思いのやさしい兄だった。「千葉の駐屯地から帰省した時など『勉強しているか』と声をかけてくれた。庭で他の兄たちと相撲を取ったり、休日を楽しんでいた」

 しかし、実さんが最後に実家に戻ってきたとき、丁子さんは会えなかった。母親に「今度は戻らんぞ」と言い残し、南洋に向かった。「学校から帰ったら、兄が銚子駅に向かった直後だった。追いかけたけど間に合わなかった」。戦死を知らされたのは同じ年の暮れ。ペリリュー島から帰還した銚子出身の人が「あの艦砲射撃では助からないよ」としんみり話したのが忘れられないという。

 戦後50年の1995年に「戦死した場所をどうしても見たい」と島を訪れたことがある。「こんな穏やかな場所で死闘があったなんて想像つかなかった」。その島を両陛下が訪問するとニュースで聞いたのは昨年のことだ。大病を患って入院し、退院した時期だった。

 「行ってくださるんだとうれしかった。南洋で散った人たちはとても喜ぶはず。私もどうしても行きたかった」と語った。

 両陛下が到着した8日。丁子さんは20年ぶりの島で、旧日本軍の戦車がある林に分け入った。「召し上がってください」と言いながら、日本から持参した日本酒を車輪に振りかけた。「両陛下はこの島で戦死した人のことをずっと心に留めてくださっていた。ありがたいことです」。声が詰まった。

    ◇

 「亡くなった戦友も喜んでいると思う」

 パラオでは、ペリリュー島と並ぶ激戦地だったアンガウル島から生還した倉田洋二さん(88)は、両陛下の到着直前、コロール市内の現在の自宅でそう話した。

 倉田さんは戦前、日本統治下のパラオに渡り、国が設置した南洋庁の水産試験場職員になった。現地で召集され米軍と戦闘に。終戦後は東京都の職員になり、退職後の96年に仲間の慰霊などのために移住した。

 倉田さんはいま、アンガウル島の慰霊碑の清掃などを続ける。腰を痛め移動には車椅子が不可欠だが、9日はペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」で両陛下を待つ。「アンガウル島の慰霊碑の墓守をしていきたい。それが生き残った私の務めです」

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