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2015年4月18日 (土)

宮城沖地震に関するニュース・1971,2015年4月18日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<特殊公務災害>震災から1500日 やりきれない補償格差 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<特殊公務災害>被災で死亡47人の非正規職員 補償対象外 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<石巻沖漁船転覆>再建半年 震災復興「これからなのに…」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災 JR仙石線で試運転 5月30日の運転再開に向け - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:地方負担「大多数の方は理解」=福島知事らと意見交換―竹下復興相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:異例の短期審理に関電「奥の手」不発… 高浜差し止め仮処分決定 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島第1>5度目の春 双葉の桜 人恋し - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:台湾の宮城県産品検査義務化 知事「大変遺憾」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<災害公営住宅>48戸完成・涌谷町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<木戸川>震災後初のサケ漁を今秋再開 福島 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災教訓>「津波、家に戻るな」…データベースで共有 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:指定廃棄物用地、千葉市長「まず環境省の話を」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災で倒壊「旧有備館」復旧完了・岩出山 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災>1・17竹灯籠存続 別の市民団体が継承 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災1500日 天国まで泳げ「ぼくの鯉」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災1500日 官民すれ違いの2つの商店街 岩手・山田町 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災1500日 宮城・女川町 復興へ「行ってらっしゃい!」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災1500日 福島・広野町 ふたば未来学園、152人で開校 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜仮処分 関電、異議申し立て 地裁の事実誤認多数指摘 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:生々しく残る避難の混乱 - 速報:@niftyニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<特殊公務災害>震災から1500日 やりきれない補償格差
毎日新聞 4月18日(土)22時54分配信

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大勢が犠牲になった市役所別館跡で花を手向ける非正規職員の遺族ら=岩手県陸前高田市で、上野和雄さん提供

 東日本大震災の被災自治体で、正規職員と同様に従事しながら、非正規職員であるため「特殊公務災害」の認定を受けられず、死亡時の遺族補償金に最大1.5倍の格差が生じている。

          ◇

 「同じ職場で同じ仕事をして、命を落としたのに」。東日本大震災の被災地の自治体で、「正規」と「非正規」の職員の災害補償に格差。職員111人が犠牲になった岩手県陸前高田市は、正規職員62人が「特殊公務災害」に認定されたが、非常勤などの非正規職員44人は通常の「公務災害」にとどまる。震災発生から18日で1500日。遺族はやりきれない思いを抱く。

 非常勤で市教育委員会に採用され、3年目だった戸羽杏(あんず)さん(当時23歳)を亡くした母の初枝さん(53)は、今も悲しみが癒えない。

 3人きょうだいの長女で、震災のあった3月11日は誕生日。発生時も市役所向かいの市教委事務局が入る3階建てビルにおり、正規職員と一緒に市民の避難誘導の連絡をしていたところを津波に襲われた。

 「公務災害」の認定を受けたが、遺族補償金が最大1.5倍になる「特殊公務災害」の申請については、市幹部から「制度が違う」と言われ、認められなかったという。「だったら、地震の後で自宅に帰せば良かった。娘がいなくても人は足りていたのではないか」。初枝さんの疑念は消えない。

 職員仲間の話によると、揺れがあった直後には「年老いた母が心配」と持ち場を離れて助かった非正規職員もいたという。仮に戸羽さんに仕事を任せなければならなかったとしても、浸水しなかった自宅近くの公民館で対応してもらうなどの別の選択もあったのではないかとも考える。「娘は自身の身を守る行動より、災害対応や避難誘導を優先した。上司にも留め置かれ、制度が違うでは浮かばれない」と涙を流す。

 臨時職員として震災10日前に採用された上野公子(こうこ)さん(当時26歳)を亡くした元郵便局長の父和雄さん(63)も「上司が勤務を解除すべきだったのではないか」と憤る。

 公子さんは当時、海に近い市営プールで受付係をしていた。自宅方向に徒歩約10分で上れる高台があったが、災害対応のため上司らの指示で向かった市役所前の事務所で津波にのまれたという。

 震災2日前にあった地震で津波警報が出た際にも、公子さんは市役所前の事務所に集められた。だが、「警報解除まで、時間つぶしで野球大会のプラカード作りをさせられていただけだった」といい、「今回も帰せるはずだった」と和雄さんは話す。

 市が昨夏まとめた震災対応の検証報告書では、職員の被害が拡大した要因を「危険を感じながらも、災害対応や市民の避難誘導に備えて待機を続けた」と総括した。しかし、非正規職員の特殊公務災害については全国一律で条例化されていることもあり、市の担当者は「心情的には分かるが、なすすべがない」と話す。【根本太一】


<特殊公務災害>被災で死亡47人の非正規職員 補償対象外
毎日新聞 4月18日(土)22時5分配信

 東日本大震災の被災自治体で、正規職員と同様に従事しながら、非正規職員であるため「特殊公務災害」の認定を受けられず、死亡時の遺族補償金に最大1.5倍の格差が生じている。制度の前提として、非正規職員を「危険業務」に従事させないことになっているためだが、実際には正規職員と同じように災害対応を求められた職員は多い。緊急時の対応として、今後の大規模災害時に非正規職員をどのように対応させるべきかの検討を含め、課題となっている。

 特殊公務災害は地方公務員災害補償法(地公災法)に基づき、これまで警察官や消防士ら、業務上の危険性が高い職員にしか認定されていなかった。しかし、震災後の2014年に、認定要件として「生命、身体に高度な危険が予測される状況での職務従事」「天災など人命救助、その他の被害の防御」が加えられ、東日本大震災で被災した一般職員にも対象が拡大された。岩手、宮城、福島各県の地方公務員災害補償基金支部によると、今年3月までに計184人が特殊公務災害に認定されたが、いずれも正規職員で、死亡した47人の非正規職員は通常の「公務災害」にとどまっている。

 非常勤職員ら非正規職員の公務災害は、地公災法で各自治体の条例で定めるとしているが、旧自治省が1967年に示した「準則」に基づいた全国一律の条例になっており、「特殊公務災害」の規定がない。震災時には正規職員と一緒に役所で災害対応しているうち、建物ごと津波にのまれて死亡したケースが多かった。

 総務省安全厚生推進室は「非正規職員は役所内の事務など、生命の危険がない仕事しか任せないとの考えが前提にある。震災のような事態は想定していなかった」としている。

 総務省によると、自治体の全国の非正規職員は2012年で約60万人に上り、05年より3割増えている。

 被災者の災害補償に詳しい岩手弁護士会の佐々木良博弁護士は「地公災法上、補償制度は正規、非正規で均衡を失してはならないと規定している。南海トラフ地震など将来の津波災害に備えるためにも、国は指導を徹底し、自治体も自ら条例改正すべきだ」と指摘する。【安藤いく子】

 ◇特殊公務災害

 1972年の「あさま山荘事件」で警察官2人が死亡したのをきっかけに同年設けられた制度。地方公務員が危険性が高い業務に就いている時に死傷したと認定されると、公務災害の最大1.5倍となる補償金が、自治体の負担金でつくる「地方公務員災害補償基金」(本部・東京)から遺族らに給付される。


<石巻沖漁船転覆>再建半年 震災復興「これからなのに…」
毎日新聞 4月18日(土)21時51分配信

 宮城県石巻市沖で17日、同県漁協歌津支所(南三陸町)所属の漁船「第2幸漁丸」(7.3トン)が転覆した事故で、宮城海上保安部は18日、行方不明となった2人の捜索を続けた。漁船は東日本大震災で流失後、昨年9月に再建したばかりで、知人らは「これから復興という時に」と肩を落とした。

 同海保によると、死亡したのは乗組員の鈴木春辰さん(20)=登米市。行方不明の2人は船長の最知(さいち)進市さん(37)=南三陸町=と、吉田太一郎さん(34)=気仙沼市。捜索は船室や機関室も潜水して調べたが、手がかりは得られなかった。船体から油が漏れていたが、衝突したような跡はなかった。

 歌津支所や知人らによると、船長の最知さんは東日本大震災の津波で船を失った。被災後は仲間の船で働くなど別の仕事をしていたが、昨年9月に自分の船を再建し、進水させたばかりだった。歌津支所長代理の阿部正巳さん(51)は「面倒見が良く、将来有望だった」と話す。

 乗組員の吉田さんは震災で自宅を失い、気仙沼市の仮設住宅に家族6人で暮らすが、来月、災害公営住宅に移る予定だった。同じ仮設団地に住む女性(82)によると、吉田さんは取った魚をたびたび住民らに配っていたといい、「いくら漁師でもそんなことをする人はいない。早く見つかってほしい」と話した。

 死亡した鈴木さんは最知さんのおいで、最近船に乗り始めた。登米市の自宅近くの無職男性(75)は「道ばたで会えば、ちゃんと頭を下げてあいさつする良い子だった」と声を落とした。【三浦研吾、近藤綾加、百武信幸】


東日本大震災 JR仙石線で試運転 5月30日の運転再開に向け
産経新聞 4月18日(土)20時33分配信

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5月30日の運行再開を前に、JR仙石線の不通区間で始まっている列車の試運転。4両編成の試運転列車が走り抜けた=宮城県東松島市(大西史朗撮影)(写真:産経新聞)

 東日本大震災の津波被害で、現在も一部区間で不通になっている宮城県のJR仙石線高城町(松島町)-陸前小野(東松島市)間(10・5キロ)で来月30日の運転再開に向け、試運転が行われている。

 列車は途中駅で停車しながら、新たな線路をゆっくりと走行。一部ルートが変更され、津波で被災した東松島市の陸前大塚-陸前小野間は、線路を約500メートル内陸へ移動した。同区間は震災前より1・2キロ短縮され、5・2キロになる。これにより、仙石線は仙台市のあおば通-石巻間の全線が開通する。


地方負担「大多数の方は理解」=福島知事らと意見交換―竹下復興相
時事通信 4月18日(土)18時8分配信

 竹下亘復興相は18日、福島市を訪れ、2015年度末で終わる東日本大震災の「集中復興期間」後の復興財源をめぐり、福島県の内堀雅雄知事や県内市町村長と意見交換した。復興相は終了後、全額国費方式を見直し、一部で地方負担を求める政府方針について「一切だめだという議論にはならず、大多数の方にはかなり理解いただいた」との認識を記者団に示した。
 政府は、復興の「基幹」事業と東京電力福島第1原発事故の関連事業は、全額国費負担を続ける方針。竹下復興相によると、出席者からは、全額国費負担の範囲を具体的に示すよう求める意見が出た。内堀知事は記者団に対し「原子力災害からの復興という難しい側面を抱えている。県、市町村の実情を考え、財源の枠組みをつくってほしい」と述べた。 


異例の短期審理に関電「奥の手」不発… 高浜差し止め仮処分決定
産経新聞 4月18日(土)15時11分配信

 関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じた14日の福井地裁の仮処分決定。昨年5月、大飯原発3、4号機の運転を認めない判決を言い渡した関電の“宿敵”ともいえる樋口英明裁判長の担当を見越した申立人側の戦略通りの結果となった。経営的にも苦しい局面に立たされた関電だが、その過程では決定を急ぐ裁判官の交代を求める“奥の手”を駆使するなど、ぎりぎりの攻防を繰り広げていた。

 ◆結審まで3カ月

 そもそも同様の仮処分の申し立ては昨年11月に大津地裁で却下され、その直後の12月、大飯原発の運転差し止めを命じた樋口裁判長がいる福井地裁で改めて申し立てられた。

 申立人側は「原発に危険性があれば運転してはならない」と主張。これに対し関電側は、原子力規制委員会の新規制基準に合格しており、「十分な安全対策を講じている」と却下を求めた。

 ここから異例の展開が始まる。社会的な影響の大きい原発の仮処分の審理は通常1年程度かかるといわれるが、3月11日の2回目の審尋で早々と結審。特に関電は次回以降の審尋で高浜の安全性に関する専門家の意見書を提出しようと準備したが、樋口裁判長は「機は熟した」と審理を打ち切った。関電関係者は「裁判長は自身の転勤が近いことを予想し、決定を急いだのでは」と指摘する。

 ◆決定文残し異動

 関電もすぐには諦めなかった。3月11日、合理的な理由なく審理を打ち切ったことを不当として福井地裁に樋口裁判長らの忌避を申し立て、別の裁判官による審理を要求したのだ。法曹関係者が「忌避は裁判官に失格の烙(らく)印(いん)を押す行為で、めったに行われない」と指摘する奥の手だ。関電の「このままでは終われない」との思いがにじんだ。

 しかし関電の反撃はむなしく、福井地裁は2日後に忌避の申し立てを却下した。関電は再び20日に地裁の却下を不服として名古屋高裁金沢支部に即時抗告したが、同支部は4月9日付で棄却。一方、樋口裁判長は予想通り4月1日付で名古屋家裁に異動となったが、肝心の仮処分の決定文で自らの考えを書き残した。

 そして福井地裁は4月14日、高浜3、4号機の運転を認めない判断を示した。関電幹部からは「審理を尽くしたとはいえない。結論ありきと疑われてもしかたがない」という声も上がる。

 ◆5年連続赤字も

 大飯3、4号機の運転差し止めを命じた昨年5月の判決は、最終的に確定するまで法的効力はないのに対し、仮処分決定はただちに法的効力を持つため再稼働への影響は今回のほうが比較にならないくらい大きい。今後、司法手続きで仮処分が取り消されない限り高浜3、4号機は運転できないからだ。

 平成27年3月期の連結最終損益が1610億円の赤字見込みで、4年連続赤字に沈むことは避けられない関電。企業の体力を示す自己資本比率も悪化の一途だ。28年3月期は、電気料金の再値上げと今年11月に高浜3、4号機が再稼働することを前提として赤字を回避する想定だった。

 関電は、今回の仮処分決定を不服として福井地裁に異議と執行停止を申し立てた。早期の取り消しを求めるが、審理は1年近くかかる恐れもある。

 関電の森詳介会長は「(早期再稼働を)諦めたわけではないが、可能性は低くなった」と述べ、関電が想定する11月より時期が遅れる可能性に言及した。5年連続赤字の回避は土俵際に追い込まれている。


<福島第1>5度目の春 双葉の桜 人恋し
河北新報 4月18日(土)14時30分配信

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原子力PR看板の前で、周囲の風景を撮影する大沼さん。町は看板の撤去を検討している

  東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町は、大半が帰還困難区域に指定されている。茨城県古河市へ避難している大沼勇治さん(39)の一時帰宅に16日、同行した。(いわき支局・古田耕一、福島総局・藤井宏匡)

  町民が去り、5度目の春になる。原子力のPR看板を掲げたゲート、除染廃棄物の仮置き場、中間貯蔵施設の予定地に隣接する町役場…。めでる人のない場所に、桜が彩りを添える。

  崩壊し、道路にはみ出した家屋。1年前は、しっかり形を残していた屋根が朽ち、瓦がずり落ちている。環境省が「拠点除染」に取り組むJR常磐線双葉駅などを除けば、歳月が人の消えた街を確実にむしばむ。

  町は原子力PR看板の取り扱いを、撤去も含めて検討している。小学生の時に標語を考えた大沼さんは、「負の遺産」として看板の現地保存を訴える。

  16日は看板や桜の名所を写真に収めた。「撤去されれば、看板の脇で桜が見られるのは最後になる。中間貯蔵施設の建設で町の姿は大きく変わるので、双葉町の春を記録し、避難している人に見せたい」


台湾の宮城県産品検査義務化 知事「大変遺憾」
河北新報 4月18日(土)13時5分配信

  台湾の衛生当局が宮城を含む日本国内の水産品などの輸入に際し、新たに放射性物質検査を義務付けるとした対応をめぐり、村井嘉浩知事は17日、「寝耳に水で大変遺憾だ」と述べた。

  県庁で報道各社の取材に答えた。村井知事は「震災から4年間、風評被害を克服してきた中での規制強化は計り知れない痛手となる。県産品の安全に疑念を持つ理由が分からない」と語り、台湾に規制見直しを働き掛けるよう政府に強く求める考えを強調した。

  5月13~16日、台湾の大型放射光施設の視察などで現地を訪れる予定があり、「地元の経済団体のトップに直接お願いしたい」と話した。


<災害公営住宅>48戸完成・涌谷町
河北新報 4月18日(土)13時5分配信

  涌谷町が町内3カ所に整備する災害公営住宅全48戸の完成式が16日、渋江地区であった。入札不調などで全戸整備は計画より1年遅れた。

  今回完成したのは同地区の28戸と中江南地区の12戸。いずれも木造で1LDKから4LDKまで4タイプある。六軒町裏地区の8戸は昨年7月に完成済み。

  式には入居者ら約50人が出席。渋江地区の住民を代表し、八雲区長の白岩文夫さん(72)が「住んで良かったと思える地域づくりを目指す」とあいさつした。会場では郷土料理のおぼろ汁が振る舞われた。

  東日本大震災で自宅が被災した同町の無職戸沢和子さん(66)は、避難所や仮設住宅など4カ所を転々とした。「災害公営住宅に21日に引っ越し、ようやく落ち着ける」と話した。

  町によると、渋江と中江南の8戸に空きがあり、入居者を随時募集している。


<木戸川>震災後初のサケ漁を今秋再開 福島
毎日新聞 4月18日(土)12時21分配信

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木戸川の河口付近で、バケツに入れたサケの稚魚を放流する漁協組合員ら=福島県楢葉町で2015年4月17日

 2011年3月の原発事故で全町避難が続く福島県楢葉町を東西に流れる、本州最大級のサケの名産地として知られた木戸川で今秋、震災後初めてのサケ漁と稚魚のふ化事業が再開される。昨秋に遡上(そじょう)してきたサケの放射性物質濃度が検出限界値未満だったことを受けたもの。同町は避難指示解除に向けた準備宿泊が始まっており、木戸川漁業協同組合(松本秀夫組合長)は「漁を早く元の姿に戻し、町の復興の一翼を担いたい」と意気込む。【栗田慎一】

 木戸川は1982年に1000万匹を育成できるふ化場が完成して以降、遡上数が増加。95年に本州一の遡上数を記録し、震災前年までベスト5入りを続け、県内外から観光客や釣り客を集めた。

 だが、震災の津波で河口付近など3カ所のふ化場と簗(やな)場は全壊。町は原発事故で警戒区域となり、修復できなくなった。

 12年8月、町は避難指示解除準備区域に再編され、除染や道路などの復旧が本格化。サケは放流から遡上まで4年程度かかり、放流中断の期間が長くなるほど将来のサケ漁に影響を与えることから、漁協は昨年4月、いわき市の別の組合から約1万匹を譲り受けて放流を再開。今年の帰町を目指す町や県と、簗場やふ化場の修復計画を進めてきた。

 その結果、新しい簗場がほぼ完成し、漁期の9月に震災後初となる漁を再開させることを決めた。ふ化場も10月に完成する見通しとなり、町と漁協は来年4月、6年ぶりに自前でふ化させた稚魚の放流を目指している。

 漁協は17日、河口の手前約1キロ付近で、別の組合から譲り受けた体長約5センチの稚魚約1万匹を放流した。震災前の回帰率は1%未満だったが、松本組合長は「一匹でも多く戻ってほしい」と語り、稚魚の入ったバケツをそっと川面に傾けた。


<震災教訓>「津波、家に戻るな」…データベースで共有
毎日新聞 4月18日(土)10時49分配信

 ◇東北大災害科学国際研究所 ウェブサイトを公開

 「津波避難では家に戻らないことが鉄則」「緊急時の声かけは自治体や町内会単位ではなく、隣近所によるものが説得的かつ効果的」--。東北大災害科学国際研究所は、東日本大震災の経験を踏まえた避難の心得や、必要な事前対策などの教訓をまとめたウェブサイト「3・11からの学びデータベース」を公開した。大規模災害に備えた防災計画への活用が期待される。

 データベースには、同大の教授ら約40人が東日本大震災の調査や研究から導いた教訓約100件を掲載。津波避難▽災害医療▽健康問題--などのカテゴリー別に整理されていたり、自治体▽住民▽医療機関--など対象者別に検索できたりする。フリーワード検索も可能。

 たとえば「子ども」に関する教訓を調べると、津波を経験したり、居住環境に変化があったりした場合、アトピー性皮膚炎や心の健康への支援が必要な子の割合が高まることが分かる。「女性」で検索すると、月経など女性特有の症状が災害によって助長される場合があることなどが紹介されている。生理用品を用意するだけでなく、プライバシーに配慮した配り方などをあらかじめ検討しておくことなど解決策にも言及している。

 同研究所の佐藤翔輔助教は「研究によって得られた知見を端的にわかりやすくまとめることで、『あの時の教訓は何だったのか』ということを一般の方と共有できる」と期待する。教訓のデータは今後の研究を踏まえ、増やしていく。データベースのアドレスはhttp://311manabi.irides.tohoku.ac.jp。

 併せて明治・昭和三陸地震津波や阪神大震災など過去の震災に関する報告書や学術論文約4000件を収録した「震災教訓文献データベース」(http://edbunken.irides.tohoku.ac.jp)も公開した。【近藤綾加】


指定廃棄物用地、千葉市長「まず環境省の話を」
読売新聞 4月18日(土)10時40分配信

 東京電力福島第一原発事故で発生した放射性物質濃度が1キロ・グラムあたり8000ベクレルを超える指定廃棄物の保管問題で、環境省が千葉県内の処分場候補地として、千葉市中央区の湾岸部にある東電の火力発電所内の用地を選定したことを受け、同市の熊谷俊人市長は17日、同省から説明を受ける用意があることを明らかにした。

 熊谷市長は同日、「環境省からまだ話を聞いていないので、お話しできることはない」とした上で、「まずは環境省の話を聞かせていただきたい」とのコメントを発表。別の同市幹部は「話を聞く前からシャットアウトはしない」と語った。

 国が処分場建設を予定する宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の5県のうち、宮城、栃木で示された候補地は国有地。初めて民有地が候補となり、所有する東電は「国や県などから協力要請がある場合、協力できる点の有無も含めて真摯(しんし)に検討させていただく」とコメントした。


震災で倒壊「旧有備館」復旧完了・岩出山
河北新報 4月18日(土)9時10分配信

  東日本大震災で損壊した大崎市岩出山の国指定史跡・名勝「旧有備館及び庭園」で、被害が最も大きかった主屋と付属屋の復旧工事が完了し、17日に報道陣に公開された。20~26日、一般公開される。

  有備館を象徴する主屋は震災で倒壊。33本の柱のうち30本が折れ、14枚の欄間も10枚が壊れた。炊事場などがあったとされる付属屋は倒壊は免れたものの、礎石からずれ、壁に亀裂が入った。

  主屋では壊れた柱と欄間を入れ替えた。再利用可能な柱と欄間は修復し活用。入れ替えた欄間は「古色仕上げ」と呼ばれる手法で黒色に塗り、景観との調和に配慮した。鉄骨を3カ所に入れ、震度6強~7の揺れに耐えられるようにした。

  工事の過程で判明した江戸時代の造りを再現した。震災前、縁側の板張りは縦方向に並べる「切目縁」だったが、江戸時代は横に並べる「布縁」だったことが分かり、布縁に戻した。「上の間」の棚も江戸時代の違い棚に復元した。

  旧有備館は江戸時代の岩出山伊達家の学問所だった。主屋と付属屋の復旧は13年10月に始まり、ことし3月に終えた。今後、正門と付属屋内の展示施設の復旧に入り、全体の工事完了は来年3月を見込む。総事業費は3億9580万円。

  大崎市教委は20~26日午前9時~午後4時、主屋と付属屋を一般公開する。終了後は展示工事のため建物内には入れなくなる。


<阪神大震災>1・17竹灯籠存続 別の市民団体が継承
毎日新聞 4月18日(土)8時0分配信

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浮かび上がった「1・17」の文字の周りで黙とうをする多くの人たち=神戸市中央区の東遊園地で2015年1月17日午後5時46分、大西岳彦撮影

 神戸市中央区の東遊園地で開かれてきた阪神大震災の追悼行事で、竹灯籠(どうろう)を並べて「1・17」の文字を浮かび上がらせる取り組みが、来年以降も存続することが決まった。実施してきた市民団体が会員の高齢化などから解散を検討していたが、別の市民団体が運営を引き継ぐことで17日、合意した。

【写真特集】阪神大震災から20年 竹灯籠の前で涙をぬぐう女性

 行事は市民団体「神戸・市民交流会」が主催してきたが、会員の多くが70代で「体力の限界」との声も上がっていた。そこで、震災の犠牲者の追悼と復興の願いを込め、東遊園地でともされているガス灯を管理するNPO「阪神淡路大震災 1・17希望の灯(あか)り」(HANDS)が後継に手を挙げた。

 HANDSの藤本真一代表理事(30)は「震災の日のシンボルでもある竹灯籠の灯りが、21年目に消えてしまうことは何としても避けたかった。取り組みを継承しつつ、独自の試みも模索したい」。同交流会は2016年度末での解散が決まったが、山川泰宏事務局長(77)は「竹灯籠を通じて生まれた東北の被災地との交流は会員レベルで続けたい」と話した。【宮嶋梓帆】


東日本大震災1500日 天国まで泳げ「ぼくの鯉」
産経新聞 4月18日(土)7時55分配信

 ■弟思い今年も 21歳・伊藤さん

 「今年もたくさんのこいのぼりを揚げるよ」-。

 東日本大震災で犠牲となった子供たちが天国で寂しくないようにと、東北福祉大4年の伊藤健人さん(21)=宮城県多賀城市、写真=は毎年、5月5日のこどもの日に合わせ、同県東松島市沿岸にある大曲浜地区の空に、青いこいのぼりを揚げている。

 震災のあった平成23年の5月から、県内の企業の協力などを得て始めた「青い鯉(こい)のぼりプロジェクト」。全国からこれまでに約700匹のこいのぼりが寄せられた。仲間や支援者も増え、東松島の復興のシンボルとなっている。

 「これは、ぼくのこいのぼりだね」

 そう言って、同市大曲の自宅で揚がった青いこいのぼりを指さして大喜びしていた末弟、律君=当時(5)=の声や姿を今も鮮明に思い出す。

 両親と弟2人、祖父母の7人で暮らしていた。だが、4年前の3月11日、自宅から車で避難する途中、祖父の盛雄さん=同(75)▽祖母のキセさん=同(75)▽母の智香さん=同(45)▽三男の律君-の4人を大津波が襲った。体調を崩して入院していた父の伸也さん(49)は、津波から逃げる智香さんと直前まで電話で話をしていたが、「後ろから津波が来た」という言葉を最後に通話は切れた。それが母の最期の言葉だった。大津波は家族4人の命を奪い、思い出の詰まった家をも破壊していった。

 「何かしなければ、変になりそうだった」。津波にさらわれた4人を捜し続けた。律君は震災から数日後に見つかる。さらに、母と祖父母を捜していたとき、自宅跡の近くの木に絡まっていた青いこいのぼりを見つけた。「律のこいのぼりだ」。泥だらけのこいのぼりを洗い、律君に見えるように空高く揚げた。母は震災から1カ月後の4月11日、祖父母もその数日後に見つかった。

 伊藤家のアイドルだった律君は、やんちゃで母から一時も離れない甘えん坊だった。家族旅行で福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」を訪れて以来、フラダンスにはまり、踊りながら、よくおどけていた。母方の祖父から習っていた和太鼓をたたくと、律君も見よう見まねでたたいた。「また一緒に太鼓をたたきたい」。かなわない思いが寂寥(せきりょう)感となって募っていく。

 同市内のアパートで父の伸也さんと弟で次男の広夢さん(18)との3人だけの男所帯。伸也さんは酒を飲みに出かける回数が増え、そして酔いつぶれる。「おっかあは、まだ帰ってこないのか」。そう言って妻の帰りを待つ父の背中に「亡くなったよ」とは言えなかった。(稲場咲姫)

                   ◇

 平成23年3月11日に起きた東日本大震災から、18日で1500日を迎えた。被災者たちは、失意の底から少しずつ立ち直り、希望の明かりを手探りで見つけようとしている。彼らが生きる故郷もまた、徐々に街の「輪郭」を見せ始めている。

                   ◇

 ■犠牲になった子供寂しくないように

 環境を変えよう-。

 平成25年夏、伊藤健人さんは父の伸也さん、弟の広夢さんと3人で、宮城県東松島市から同県多賀城市に引っ越した。伸也さんが震災後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたからだ。

 汗びっしょりになりながらの引っ越しは、家族3人の新しい思い出だ。時の流れでしか癒やせないものもある。

 今は、伸也さんも落ち着きを取り戻し、広夢さんは社会人となった。

 「何もかも流されてしまったが、青いこいのぼりは戻ってきてくれた。今やれることをやろう」(伊藤さん)との思いで、震災の年から始めた「青い鯉(こい)のぼりプロジェクト」。

 全国の家庭などから集まり、23年5月に空に揚げたこいのぼりは204匹だったが、その後も年々増え続け、今では700匹ほどにまで達した。こいのぼりの一部は現在、東松島市の大曲浜地区にある大曲浜新橋で揚がる。26日からこどもの日までは、この橋の周辺にある更地でも、こいのぼりを揚げる。

 「絆とかつながりとか、震災前は正直、よく分からなかった。支えてもらう立場になって、その存在に気づくことができた」

 悲しみも優しさもたくさん感じてきた4年間だったからこそ、人の気持ちが考えられるようになった。震災は自分を強くしたとも思う。来春は社会人となる。「建物だけが再建される空っぽの復興にしては駄目だ」。いろいろ悩んだ末、やっぱり東松島の役に立ちたいと市職員を目指すことを決めた。

 社会人になってもプロジェクトは続けていく。子供の代までずっと。そしていつか、東松島の歴史に刻みたい。「みんなから忘れ去られないように。犠牲になった子供たちが寂しくないように」


東日本大震災1500日 官民すれ違いの2つの商店街 岩手・山田町
産経新聞 4月18日(土)7時55分配信

 土砂を満載した大型トラックが、海岸線に沿った国道45号からくしの歯のようにつながる県道や町道に次々と吸い込まれていく。向かう先は内陸側に数百メートル。岩手県山田町の中心市街地で運休中のJR山田線の陸中山田駅があった場所だ。

 この一角の再開発が今年3月、宮城県女川町に続き、復興庁の「まちなか再生計画」の第2号に認定された。計画では駅を中心にまちなか再生区域を設定。建設面積約3300平方メートルの共同店舗を整備し、10店舗が入居する。建設費6億9千万円のうち約4億7千万円を、津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金で賄い、平成28年3月の完成を目指す。

 町が定めた“中心市街地”のかさ上げ工事が急ピッチで進む一方で、若手事業者らは駅から500メートル以上北に離れた国道沿いを新しい出発拠点と定めた。そこには、人口減少が進む未来への危機感がある。

 ◆観光客を積極誘致

 「縮んでいくまちで商売を続けるには、観光客を積極的に入れ込まなければならない。車でやってくる人の利便を優先したまちづくりを考えないといけない」

 若手事業者らでつくる新生やまだ商店街協同組合理事長の昆尚人さん(40)はそう話す。

 組合は、震災直後から新しい商店街の構想を練り続けてきた。その答えは、地元のスーパーを核にすでに数店の飲食店などが営業しているエリアへの集積だった。

 昆さんらは今年1月に約3億円のグループ補助金の認定を受け、今秋、約10店舗で新しい商店街をオープンさせる。10年以上、商店街を持続させるために、若手や後継者に不安のない事業者をグループ加入の条件としたという。

 昆さんは「行政がなんとかしてくれる、と思っていたら復興は進まない。まちの商業施設や、駅に先立ってできあがる新商店街は『まちが変わった』と目に見える最初の施設になる。自分たちのまちは自分たちでつくる」と気を吐く。

 ◆町民の利便性重視

 昆さんらのグループは国道沿いのまちづくりを要望してきたが、町は再生計画に取り入れずに従来の駅中心のまちづくりを選んだ。

 町によると、まちなか再生計画の共同店舗は、自分の店舗を持っていなかった被災経営者や、グループ補助金の対象から外れた人が事業を再開させるための救済の側面もあるという。

 防潮堤で見えなくなる海を一望できる3階建ての交流施設、国際NGO団体「セーブ・ザ・チルドレン」の協力で建てられる図書館や郵便局、金融機関なども集まる。町の担当者は「確かに町は車社会だが、まちづくりはやはり駅が中心。観光客誘致というより、町民向けという意味合いの方が色濃い」と話す。

 JR東日本の案では、陸中山田駅のある区間の復旧は29年度中。共同店舗の完成から1~2年後となる。復興庁の“お墨付き”を得た町のまちなか再生計画と一足先を行く新しい商店街。連携の協議もまだ始まっていない。

 町内に住む主婦(69)は「鉄道の復旧や再生計画など明るい話題があるようでも、何も変わっていない。復興した町の形はまだ想像できない」と話した。 (高木克聡)


東日本大震災1500日 宮城・女川町 復興へ「行ってらっしゃい!」
産経新聞 4月18日(土)7時55分配信

 宮城県や福島県でも、「新しい街」が胎動している。従来型の駅を中心としたまちづくりもあれば、「学校」で生徒を集め、将来を担う人材を育てる試みも実践されている。

 盛り土が広がる茶色の風景に、白い翼のような屋根がひときわ目立つ。背後には、山に向かって線路が延びている。宮城県女川町にこの春完成したJR女川駅は、東日本大震災の被災地が復興へ羽ばたく姿を印象づける町のシンボルだ。

 平成23年3月11日の震災では、津波の濁流が町をのみ込んだ。死者・行方不明者は当時の人口の約8%にあたる計827人に上る。女川駅も流され、小牛田(こごた)(同県美里町)と女川を結ぶJR石巻線の約45キロの路線は全線不通となった。それから4年余り。石巻線は3月21日に全線復旧を果たした。

 「行ってらっしゃい!」。多くの町民に見送られた一番列車。開閉式ボタンを最初に押したのは、女川町に派遣された男性職員だった。「自分が携わってきた復興事業が、こうして形になるとうれしい」。そう言ってほおを緩めた。

 ◆「60代は口出さず…」

 震災時に1万14人だった町の人口は、今年3月末で7012人にまで減った。減少分は交流人口で補うしかなく、鉄路復旧の意義は大きい。女川湾を望む海まで300メートルほどの駅を中心に、町は生まれ変わる。

 被災自治体の中でもスピーディーに復興計画ができた背景には、「防潮堤を造らない」「みんなが復興を願っている時期に土地を放棄させる」「継続的な会合を行う」と意思統一された住民の団結力がある。特に会合では、「60代は口を出さない、50代は口は出すが手は出さない…」と、これから長らく暮らす若い町民の意思が尊重された。

 計画の商業業務エリアは、被災した商業施設の復興を国が支援する「まちなか再生計画」の第1号となった。整備するのは、町と町商工会などが出資した民間まちづくり会社「女川みらい創造」。鈴木敬幸社長(63)によると、テナント型商店街には27店舗が入り、今年12月にオープンするという。「人口流出でパイが少ない。交流人口を増やし、みんなが来たいまちにしたい」と意気込む。

 ◆「来て、買ってもらう」

 同町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」でお茶を販売する阿部正昭さん(80)も、新たにできる商店街に入居する。被災地の観光客は減少傾向だが、「経済は復興の土台。来て、買ってもらって地域に活力が出ることが復興につながる」と声を弾ませる。

 駅前整備が完了した後、町役場や学校も駅周辺に配置される。町は、機能が集約した「コンパクトシティー」として再出発する。

 鉄路復旧の恩恵がすぐに訪れるわけではない。「きぼうのかね商店街」は女川駅から約2キロ離れている。同町観光協会の遠藤琢磨事務局長(47)は「駅前に何もない、という声も多い。観光案内所などを整備して各地へ流れるようにしたい」と話す。

 ◆「取り残され」危惧も

 中心部から離れた港の集落では、今でも流された住宅のコンクリートの基礎が残り、雑草が生えている。同町で最北の集落が、山道を約20分車で走ったところにある「指ケ浜(さしがはま)」。23年2月に103人いた地区は今年3月で約60人に減った。

 養殖業の鈴木浩勝さん(45)は「(復興が町の中心部からという)順番はよく分かるが、半島や離島では復興に取り残されている気がする」と話す。

 「実際に仮設で住んでいるのは30人くらい。日々の復興は感じない」。同地区の仮設住宅に住む鈴木たつ子さん(79)は、そう言って言葉をつないだ。「いやなことは考えないようにしている。復興に時間がかかるのは仕方がない」

 「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ」。駅近くの高台にある女川町地域医療センターには、町の少年が作ったという詩の一部を書いた横断幕が掲げられていた。(木下慧人)


東日本大震災1500日 福島・広野町 ふたば未来学園、152人で開校
産経新聞 4月18日(土)7時55分配信

 「東北に春を告げる町」と呼ばれる福島県広野町。季節外れの雪が降った4月8日、中高一貫校「ふたば未来学園高校」の入学式が開かれた。双葉郡は、東京電力福島第1原発事故の被害で、現在も多くの自治体が避難区域となって住民の避難が続いている。新たにできた“知の拠点”は、地元から復興の担い手を育成するばかりでなく、人口の押し上げも狙う。

 「原発事故以降、町から人が減ってとても寂しかった。避難していた同級生も高校入学で戻ってきてくれた」。町内に住む新入生、松本圭央(けいお)さん(15)は笑顔を見せた。松本さんは震災後、埼玉県や福島県いわき市に避難したが、避難解除後に家族と帰町した。

 松本さんの父、強さん(46)も、開校で住民の帰還が加速することを期待している。「人がいないので商業施設や医療施設がなくて不便。人が戻れば商業施設もできてくるのでいい循環になると思う」

 広野町は平成23年4月に緊急時避難準備区域となって全町民5500人が避難。同年9月に解除され、現在は町民約2000人が戻った。町の南側はいわき市、北側には原発事故の作業拠点「Jヴィレッジ」のある楢葉町や第1原発のある大熊、双葉両町がある。広野町は廃炉作業や中間貯蔵施設への搬入など復興に関わる人やモノ、情報の拠点として絶好の立地にある。

 「『なぜ原発の近くにある広野町に学校を造るんだ』という厳しい声はたくさん聞いた」と広野町の遠藤智町長は振り返る。ふたば未来学園には定員120人を上回る152人が志願し、全員が入学した。

 「双葉の近くで学びたいという子供たちがたくさんいる。原発の収束までに何十万人も必要だ。人的資源を地域で生み出していく必要がある」(遠藤町長)

 今後、廃炉作業は30~40年かかるとみられ、多くの人が作業に関わる。さらにはいずれは終了する廃炉作業だけではなく、新たな産業の担い手にもなる。

 新たな産業として期待されるのが、第1原発の周辺地域に災害対応ロボットの研究機関を集積する「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」だ。廃炉に必要なロボットの開発以外に、防災用ロボットなどにも取り組む。広野町は原発収束だけではなく、防災の町という“顔”も持つことになる。

 松本さんは、地元で自動車整備の仕事に就きたいという。「工業の基礎をしっかりと学んで地元に役立てる人材になりたい」と目を輝かせた。(大渡美咲)


高浜仮処分 関電、異議申し立て 地裁の事実誤認多数指摘
産経新聞 4月18日(土)7時55分配信

 関西電力は17日、地元同意の手続きに入っている高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めを命じた福井地裁の仮処分決定を不服として、同地裁に異議と執行停止を申し立てた。11月の再稼働を想定していたが、決定が取り消されない限り再稼働できなくなっており、早期の取り消しを求める方針。

 関電は、決定文が「耐震性を(最高の)Sクラスにすべきだ」と指摘した使用済み燃料プールの給水設備について、実際はもともとSクラスの耐震性を有しているなど、多数の事実誤認がある-と指摘。「裁判所には十分説明してきたつもりだが、基本的に申立人側の主張に沿った決定となっており、誠に遺憾だ」と批判している。

 福井地裁の樋口英明裁判長は14日の仮処分決定で、高浜3、4号機には事故が起きる具体的な危険性があると判断。

 新規制基準についても「緩やかにすぎ、合理性を欠く」とし、基準に適合していても安全性は確保されないとした。

 高浜3、4号機は2月、新規制基準に基づく原子力規制委員会の審査に「合格」し、関電が地元同意の手続きに入っていた。


生々しく残る避難の混乱
2015年4月18日(土)0時30分配信 共同通信

 東京電力福島第1原発事故による全町避難が続く福島県富岡町で、事故当時のままとなっている町の災害対策本部が17日、公開された。4年以上たった今も、津波被害の対応から原発事故による避難で町を離れるまでの混乱した様子が生々しく残っていた。

 2011年3月11日、富岡町役場は停電し、隣接する町の文化交流センターの2階会議室に災害対策本部が置かれた。町は第1原発の20キロ圏内に入るほか、福島第2原発もあり、同12日に十分な情報がないまま突然避難を強いられた。

 会議室のテーブルには地図が広げられ、各避難所にいる人数を集計したメモなどが散乱。

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