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2015年4月 7日 (火)

宮城沖地震に関するニュース・1960,2015年4月7日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<福島第1原発>2号機格納容器内の温度計が異常な上昇表示 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<桜のトンネル>全町避難の富岡町 並木は変わらぬ美しさ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<みなし仮設>復興住宅に転用 石巻市が市街地の移転促進で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:モニタリングポストで不具合か=放射線量で異常値―福島県 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:川内原発差し止め、22日に仮処分判断 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<モニタリングポスト>南相馬と飯舘の3地点で機器異常 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:22日に仮処分決定=川内原発差し止め―鹿児島地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災 「子供たちの心の復興を」 石巻・大川小近くにケア施設 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発事故後初の採用 「あぶくま川内」入社式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:みなし仮設を「みなし災害公営住宅」に・石巻 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<かすむ復興>人的応援 先細り懸念/集中期間後の行方(中)/まちづくり - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<準備宿泊>現状では無理 病院や水…不安 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<準備宿泊>待ちに待った 家の灯復興の一翼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<準備宿泊>楢葉町で始まる 全町避難で初 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<原発事故4年>川内中たった一人の入学式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<原発事故4年>避難区域の小中生8割減 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<福島第1原発>2号機格納容器内の温度計が異常な上昇表示
毎日新聞 4月7日(火)21時58分配信

 東京電力は7日、福島第1原発2号機格納容器内の温度計が異常値を示したことを明らかにした。

 3日午前5時に20.9度だった温度が同11時に70度に急上昇。5日午後5時には88.5度まで上昇したが、2号機の別の温度計は平常値を示しており、東電は「原子炉の制御に影響はない」として、原因を調べている。【鳥井真平】


<桜のトンネル>全町避難の富岡町 並木は変わらぬ美しさ
毎日新聞 4月7日(火)21時7分配信

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見頃を迎えた夜の森地区の桜並木。6日の日中は天気に恵まれ、写真を撮る人たちの姿も多く見られた=福島県富岡町で2015年4月6日午後0時37分、喜屋武真之介撮影

 原発事故で全町避難が続く福島県富岡町で「桜のトンネル」として知られる夜の森地区の桜並木が見ごろを迎えた。しかし、全長2.5キロのうち2.2キロは「帰還困難区域」内で、ゲートで立ち入りが制限されている。

 避難先のいわき市から孫と一緒に訪れた女性(78)は「原発事故前と変わらないきれいな桜並木を見ると、すぐにでも帰ってこられるような気がする」と話した。【喜屋武真之介】


<みなし仮設>復興住宅に転用 石巻市が市街地の移転促進で
毎日新聞 4月7日(火)20時47分配信

 宮城県石巻市は7日、東日本大震災の被災者が「みなし仮設住宅」として入居する民間の賃貸物件の一部を災害公営住宅(復興住宅)に転用する方針を明らかにした。希望者が多い市街地の移転先確保に時間がかかっているためで、市によると、同震災の被災自治体では初めて。

 市民向けのみなし仮設は市内に約3000戸ある。現在は県が借り上げているが、契約終了後、耐震設備などを確認し、復興住宅として部屋単位で借り上げる。転用は市街地に100~150戸の予定で、来年度からの入居開始を目指す。

 同市の復興住宅は4500戸を計画している。入居希望者の多い市街地に当初より追加した経緯があり、みなし仮設を転用することで新たな建物を作る時間や費用が節約できる。人口減少が見込まれる中、新築した復興住宅が将来空き家になった場合、維持管理が市の負担になることも考慮した。【百武信幸】


モニタリングポストで不具合か=放射線量で異常値―福島県
時事通信 4月7日(火)19時35分配信

 福島県が放射線量を測定するため県内に設置したモニタリングポストの一部で、一時的に異常に高い値が示されていたことが7日、分かった。周囲のポストで異常値は出ておらず、県は機器に何らかの不具合があったとみて調べている。
 県によると、今月から試験運用が始まった新設のモニタリングポスト78台のうち、南相馬市や葛尾村などにある約30台で、不具合が発生した可能性がある。2台は通常の1000倍ほどの値を示し、他も数値が安定していないという。
 異常値は運用初日の1日から出ていた。県は機器本体や、データ送信で障害が発生した可能性が高いとみている。 


川内原発差し止め、22日に仮処分判断
読売新聞 4月7日(火)18時48分配信

 九州電力川内(せんだい)原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働差し止めを求め、鹿児島、熊本、宮崎3県の12人が申し立てた仮処分について、鹿児島地裁は22日午前10時に決定を出す。

 申立人の弁護団と九電が7日、明らかにした。

 主な争点は原発の耐震設計。申立人側が「九電の地震の揺れの想定は甘い」と主張しているのに対し、九電側は「余裕を持った設計を行っており、大規模事故の危険性はない」と反論している。

 申立人は、同地裁で審理が続いている川内原発の運転差し止めを求めた訴訟の原告団の一部。昨年5月に仮処分を申し立て、4回の審尋が行われた。


<モニタリングポスト>南相馬と飯舘の3地点で機器異常
毎日新聞 4月7日(火)18時41分配信

 原子力規制庁は7日、福島県の各地で放射線量を計測しているモニタリングポストのうち、南相馬市と飯舘村の3地点で機器に異常が発生したと発表した。6~7日に異常に高い数値を示したため、福島県が調べた結果、近くのモニタリングポストの数値に変動はなく、機器の異常と判断した。修理か交換を検討する。

 規制庁によると、異常値を示したのは、県が今年3月に設置した南相馬市の「よつば公園」「市サービスエリア利活用拠点施設」と飯舘村の「須萱集会所」の3地点。

 市サービスエリア利活用拠点施設の変動が最も大きく、6日午前9時に毎時55マイクロシーベルトを示したが、近くのモニタリングポストでは同0.182マイクロシーベルトだった。

 一方、東京電力は7日、福島第1原発2号機格納容器内の温度計が異常値を示したことを明らかにした。3日午前5時に20.9度だった温度が同11時に70度に急上昇。5日午後5時には88.5度まで上昇したが、2号機の別の温度計は平常値を示しており、東電は「原子炉の制御に影響はない」として、原因を調べている。【鳥井真平】


22日に仮処分決定=川内原発差し止め―鹿児島地裁
時事通信 4月7日(火)15時22分配信

 九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の耐震安全性は不十分として、周辺住民らが九電を相手に再稼働の差し止めを求めた仮処分申請で、鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)は22日に決定を出す。住民側弁護団が7日明らかにした。
 原子力規制委員会は1、2号機について、地震・津波の想定や重大事故対策などが「新規制基準を満たす」と判断。再稼働に向けた手続きが進められている。
 住民側は2014年5月、仮処分を申請。地震想定は極めて過小などとして、再稼働しないよう求めた。九電側は、安全対策は十分などとして却下を求めている。 


東日本大震災 「子供たちの心の復興を」 石巻・大川小近くにケア施設
産経新聞 4月7日(火)14時48分配信

 ■大阪・和歌山のLCが支援

 児童と教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校近くの高台に12日、子供向けのケア施設が誕生する。ライオンズクラブ大阪・和歌山地区を主導するガバナー(最高責任者)の児童精神科医が「心に傷を負った子供たちが安心して遊べる場所を提供したい」と提案し、宮城県内のライオンズクラブなどと共同で建設。被災地が復興への過程で後回しになりがちだった子供たちの心のケアに力点を置く。

 石巻市に誕生するのは「ライオンズの森」。宮城県内のライオンズクラブがメンバーの所有地約1千平方メートルを格安で借り、約1200万円かけてログハウスなどを建設。大阪府と和歌山県内の174のライオンズクラブの会員約6760人が中心となって寄付した約2千万円を今後の運営費などに充てる。

 被災地の子供たちに無料で開放。将来は敷地内に遊具なども順次整備し、家族や友人らと一緒に泊まり込みで「森林体験」やキャンプファイアを楽しめる施設の建設も検討する。

 不安や悩みを抱える子供たちに寄り添い、相談に乗る専門家の配置も視野に入れる。

 大阪・和歌山地区のライオンズクラブのガバナーを務める児童精神科医、北畑英樹氏(71)=大阪府八尾市=は「震災で友達が急にいなくなったり遊ぶ場所がなくなったりした。子供が子供らしく友達と騒げる場が必要だ」と訴える。

 ハード面の復興もまだ十分とは言えない。移転先の宅地造成や、災害公営住宅の整備は遅れ、内閣府によると、プレハブなどで建設された応急仮設住宅にいまなお被災3県で8万1千人余りが身を寄せている。

 震災だけでなく、親が失業して精神的に追い込まれるなど家庭の問題も子供たちに影響しているといい、北畑氏は「草の根的ではあるが、心の復興を手助けできたら」と話す。

 宮城県内74のライオンズクラブを主導するガバナーの鈴木俊一氏(73)は「これまでは物質面での支援が中心だったが、これからは被災地に残る子供たちの心のケア、癒やしが重要。今回の新たな支援で被災地も勇気づけられる」と話している。


原発事故後初の採用 「あぶくま川内」入社式
河北新報 4月7日(火)13時25分配信

  東京電力福島第1原発事故による避難区域が残る福島県川内村で温泉施設などを運営する地元企業「あぶくま川内」は6日、原発事故後初めて採用した新卒社員の入社式を開いた。

  唯一の正社員は、東京都三鷹市出身の池田秀一さん(19)。村に本校がある通信制私立高「大智学園」の東京校(新宿区)に通った。所属するサッカー部の顧問から紹介され、会社見学で初めて村を訪問。「若い力でみんなが笑顔になる村にしたい」と入社を決めた。

  同社は原発事故後、いち早く温泉施設「かわうちの湯」や交流施設「いわなの郷」を再開。復興事業などで村を訪れる人を見込み、2012年12月には「ビジネスホテルかわうち」を開業した。池田さんはホテルのフロント業務などを担当する予定。「村を訪れた人に『来てよかった』と思ってもらえる対応を心掛けたい」と意欲を語った。

  臨時職員として石川県七尾市出身の猪狩静香さん(24)も加わり、社員は30人になった。猪狩幸夫社長は「若い人が来てくれてありがたい。社員にもいい刺激になる」と歓迎する。

  川内村は原発事故で一時、全村が避難。原発から20キロ圏内に出されていた避難指示は昨年10月、一部を残し解除された。


みなし仮設を「みなし災害公営住宅」に・石巻
河北新報 4月7日(火)12時25分配信

  石巻市は6日、東日本大震災の災害公営住宅の供給計画を改定し、市街地に追加整備する災害公営住宅600戸の一部について、既存の民間賃貸住宅を充てる方針を盛り込んだ。被災者が現在住む「みなし仮設住宅」を、「みなし災害公営住宅」に切り替えることを想定している。国などによると、民間賃貸住宅の災害公営住宅化を図るのは被災自治体で初めてという。

  市は、アパートやマンションの一部屋単位で借り上げる。宮城県が借り上げているみなし仮設住宅の契約期間終了後、災害公営住宅とする方針だ。

  既存の民間住宅を活用することで、新たに整備する必要がなく、入居までの期間を短縮できる。将来の管理負担が少なくなる利点もある。被災者には所得に応じて家賃が生じるが、住み着いた地域から移住せずに済むメリットがある。

  市は昨年、市街地のみなし仮設住宅約3000戸を対象に災害公営住宅化に関する調査を実施。所有者と入居者の意向などから、導入できる戸数を100~150程度と見込む。

  市は本年度、借り上げる建物の構造や耐震性能などの基準づくりを進める。災害公営住宅への移行に応じる所有者と入居希望者を募る予定。2016年度の入居開始を目指す。

  市は供給計画で、災害公営住宅を市街地に600戸追加して半島部は100戸減らし、計4500戸を整備するとしていた。市は負担抑制や転居を望まない世帯のニーズに対応するため、代替策を検討してきた。

  市復興事業部は「震災で家をなくした市民に早急に住まいを提供するため、民間にも協力をお願いする」と話した。


<かすむ復興>人的応援 先細り懸念/集中期間後の行方(中)/まちづくり
河北新報 4月7日(火)11時5分配信

 <再生あり得ぬ>

  役場で使うA3判の職員配置図が、被災自治体の苦しい現状を映し出す。

  東日本大震災で深刻な津波被害を受けた宮城県山元町。総勢296人を黒と赤などに色分けして表記している。黒は震災前からの町職員、他の色は全国から派遣された応援職員などを指している。

  配置図の色付きの名前は計113人分。全体の4割を占める。多くが土木、建築などの技術職で、黒字表記は所属長だけという部署さえある。

  「震災に伴って業務量が増えて内容も高度化した。人的応援なしに地域の再生はあり得ない」と斎藤俊夫町長は強調する。

 <人件費は国費>

  派遣職員の人件費は全額国費で賄われている。2015年度で終了する集中復興期間後の取り扱いは未定だ。仮に受け入れ先の負担となれば、財政逼迫(ひっぱく)は避けられない。派遣を断れば、復興事業そのものが立ち行かなくなる恐れもある。

  今でさえ職員が十分とは言い難い。河北新報社がことし1月に岩手、宮城、福島3県の被災42市町村の首長を対象に実施したアンケートで、「復興の阻害要因」として「自治体のマンパワー不足」を挙げたのは19人。「原発事故」などを上回って最多回答となった。

  求められる技術を持つ人材は限られ、採用枠を増やしたところで確保の見通しは立たない。山元町の斎藤町長は「5年という集中復興期間の設定にどれほどの意味があるのか。国に見通しがあったとは思えない」と首をかしげる。

  人的支援が引き揚げられる懸念は、自治体職員にとどまらない。

  震災後、被災3県はスクールカウンセラーの緊急派遣を受けている。これまで全国から現地入りしたのは計3700人。国が実施主体となっていたが、16年度以降は白紙の状態だ。

  兵庫県の臨床心理士阿部昇さん(55)は11年4月から石巻市内の小学校を訪れている。「親の失業や転居など、被災地は子どもが不安になりがち。集中力が散漫になり、学級が荒れるケースもある」と指摘する。

  予算を投じれば復旧できる建物などの損壊と異なり、傷ついた心を癒やすのはどうしても時間がかかる。「ストレスがどんな形で噴出するか分からず、これからも専門家による対応が必要だ」。阿部さんは派遣継続の意義を訴えた。


<準備宿泊>現状では無理 病院や水…不安
河北新報 4月7日(火)9時55分配信

  「落ち着いてわが家で過ごせる」「まだ帰れる状態ではない」。東京電力福島第1原発事故で全町避難している福島県楢葉町で6日、準備宿泊が始まった。町を後にして4年。課題が山積する中、楢葉町は町民のさまざまな事情と思いを抱えながら、帰還へと動き始めた。

  楢葉町から避難し、いわき市の仮設住宅で暮らす千田博信さん(76)は準備宿泊を見送った。「一刻も早く仮設を出て自宅に帰りたい。でも町の現状では宿泊できない。帰れない」と悔しがる。

  妻玲子さん(75)は避難で持病が悪化。週に6日、いわき市の病院で注射を打つ。楢葉町にいま、医療機関はない。「毎日、車で1時間かけて病院に通うのは無理」と言う。

  原発事故前、買い物に出掛けた隣の富岡町は全町避難が続く。楢葉町にある仮設商店街のミニスーパーと2軒のコンビニエンスストアは「除染や工事の作業員でいっぱい。入りづらい」と感じる。

  自宅は3月に追加除染をしたが、空間放射線量は高い所で毎時0.4マイクロシーベルト。上水道の水源・木戸ダムの湖底には放射性物質が堆積する。国は「湖底の土砂は巻き上がらず、多重の対策も講じている」と安全性を強調するが、千田さんは安心して水を飲めないという。

  能代市出身で、国家公務員として転勤で全国を回った。退職した20年前、「暑からず寒からず」の気候に引かれ、楢葉についのすみかを建てた。「原発の存在も不安には思わなかった」

  平屋で重厚に造った自宅は、トイレや風呂でさえ3畳の広さ。仮設住宅は4畳半が2間で、音も響く。「不安で眠れない。精神的に追い詰められている」

  避難中に逃げた牛が入り込み、ウサギが住み着いた自宅を修理。ボイラーさえ直せば住める状態にはなっている。千田さんは「帰りたい人は多く、準備宿泊はいいこと。ただ3カ月でどこまで町が変わるのか。国は私たちが帰れる条件を整えてから、避難指示を解除してほしい」と訴えた。


<準備宿泊>待ちに待った 家の灯復興の一翼
河北新報 4月7日(火)9時55分配信

  「4年間、この日を待ちに待っていた。やっとわが家で自由に寝泊まりできる」。楢葉町の自宅に帰った松本健二さん(71)は、妻幾子さん(68)と笑顔で夕食を味わった。テーブルの脇に、庭の手入れで切った桜の枝を飾った。「きょうはお祝いと花見だ」

  避難先のいわき市では古いアパートに住む。精神的に苦しむ時期が続いたが、2年前に「必ず楢葉に帰る」と決め、心が落ち着いた。最近は修理を終えた家に週2、3回は戻り、居心地の良さに、許可なしで泊まってしまったこともある。

  「アパートでは昼寝もできない。ここだと、お昼を食べたら、すぐに寝られる。心の余裕が違う」

  自宅の目の前を、サケの遡上(そじょう)で知られる木戸川が流れ、近くの河口から日の出が拝める。アユが泳ぎ、冬には白鳥が川の上を飛んでいく。

  「この景色をずっと見て暮らしたい」と言う松本さんだが、準備宿泊の3カ月間、自宅に泊まり続けるわけではない。買い物環境が整わず、近所で何人帰ってくるのかも定かでない。畑はイノシシに荒らされ、郵便物もアパートに届く。

  「楢葉は周りに誰もいないが、いわきではカラオケ教室にも通っている。生活基盤があっちにある」と松本さん。「最初は行ったり来たりと半々の生活になるが、少しずつでも元の生活を取り戻したい」と話す。

  福島県会津美里町に避難している渡辺正尉さん(71)は妻とみ枝さん(66)とともに生活の拠点を楢葉の自宅に戻した。「避難先では周囲の目が気になる。自宅は精神的に解放される」

  不便さや第1原発に近いことなどのリスクも抱えるが、他の避難区域に比べ、帰還の条件は整いつつあると考えている。

  「人が住まなければ復興は進まない。夜に一軒でも明かりがともれば、地域の雰囲気は変わる。自宅に戻るだけでも復興の一翼を担うことになる」と渡辺さん。「避難指示が解除されたら、すぐ避難先を引き払う。古里はなくせないから」


<準備宿泊>楢葉町で始まる 全町避難で初
河北新報 4月7日(火)9時55分配信

  東京電力福島第1原発事故で全町避難している福島県楢葉町で6日、帰町に向けた3カ月間の準備宿泊が始まった。政府は宿泊の終了時点で、避難指示を解除するかどうかを判断する。

  準備宿泊の対象は2715世帯、7438人で、5日現在の宿泊登録は182世帯、382人にとどまっている。町内では学校が再開しておらず、登録は高齢者が中心とみられる。

  町は「実施決定から6日しかなく、準備が整わなかった町民もいる。様子を見ながら登録する人も出てくるだろう」と見通す。

  同町にある双葉署では6日朝、約100人が参加し、防犯パトロール隊の出動式が行われた。松本幸英町長は式後、「帰町へ第一歩を踏み出した。課題は数多くある。期間中に町民の意向を受け止め、対処していく」と述べた。

  いわき市のアパートに避難している鈴木正一さん(65)は楢葉町の自宅に戻り「わが家は伸び伸びできて落ち着く。これからはほとんど毎日泊まる」とくつろいだ。一方、同市に避難する新妻信一さん(77)は「自宅の修理が終わっていない」と宿泊を見送った。

  準備宿泊は、既に避難指示が解除された田村市都路地区東部、川内村東部に続き3例目で、全住民が避難した自治体では初めて。国は期間中に説明会を開き、町民の意見を聞く方針で「3カ月後に機械的に指示を解除するわけではない」と説明している。

  町の大半は宿泊が原則としてできない避難指示解除準備区域。町は2014年5月、帰町の目標を「15年春以降」と表明した。


<原発事故4年>川内中たった一人の入学式
河北新報 4月7日(火)9時55分配信

Photo
入学式で誓いの言葉を述べる秋元さん

  東京電力福島第1原発事故に伴って一時、全村避難した福島県川内村の川内中で6日、新入生1人の入学式があった。全校生徒も13人に減ったが、新1年生の秋元千果さん(12)は「小学校で経験したことがないことをするのが楽しみ」と、中学校生活への期待に胸を膨らませた。

  村の小中学校は2012年4月に再開。秋元さんは家族と郡山市の避難先から帰村した。同級生は戻らず、今春、川内小の卒業生は秋元さん1人だけだった。

  川内中の生徒数は原発事故前の10年5月から約4分の1の13人に減った。生活環境の整備が遅れていることに加え、原発事故直前に富岡高川内校が閉校。村外の高校へ長距離通学する必要があることも影響し、避難先の学校に通う子どもが多いとみられる。

  秋元さんは2年生5人との複式学級で授業を受ける。部活動は、練習を続けているバドミントン部と陸上部の双方に入部するという。

  入学式の祝辞で遠藤雄幸村長は「中学校生活も1人でのスタートとなり、本当に申し訳ない。子どもたちをしっかり支えていくことを約束します」と述べた。秋元さんは「先輩たちと栄えある伝統を築き、さらに発展させるため努力する」と誓った。


<原発事故4年>避難区域の小中生8割減
河北新報 4月7日(火)9時55分配信

  東京電力福島第1原発事故で避難区域に指定された福島県12市町村の小中学生は、事故前(2010年5月)の8388人に比べ、6分の1以下の1273人に減少していることが12市町村への取材で分かった。原発事故から4年がたち、避難先に定着する住民が増えているためとみられる。

  事故前後の小中学校の再開状況と児童生徒数は表の通り。授業を再開したのは42校中36校で、避難指示が解除された広野町、川内村、田村市都路地区の学校は元の校舎に戻った。他の市町村の学校は避難先の空き校舎などを間借りする状況が続く。在校生は6日現在、小学生が739人、中学生は534人。それぞれ事故前の5395人、2993人から8割以上減った。

  減少率が最も大きいのが浪江町の98.0%で、富岡町97.4%、双葉町97.1%と続く。浪江町は9校中6校が休校し、在校生は1773人から36人に減った。3校は仮役場を置く二本松市で再開したが、ことしの新入生は計5人だった。

  浪江町教委は「避難先が広範囲におよび、児童生徒が戻る環境を整えるのが難しくなった。最近は避難先で親の仕事が落ち着き、年度途中で転入してくるケースも減った」と話す。

  減少率最小は田村市都路地区の40.4%で、次いで川俣町山木屋地区の41.4%。両地区の学校は事故直後の11年4月、自治体内の別の学校で授業を再開した。両市町教委は「自治体をまたがずに再開したことが、転校を最小限に防ぐことができた」と分析している。

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