« 宮城沖地震に関するニュース・1937,2015年3月15日 | トップページ | 宮城沖地震に関するニュース・1938,2015年3月16日 »

2015年3月15日 (日)

清国、尖閣諸島を領土と認識せず 中共支那の「日清戦争で日本が強奪」明確に否定

強欲・凶暴な中共支那がその領有権主張と、領海侵犯などの挑発行為を繰り返し侵略・強奪の欲望をむき出しにしている、我が国の固有領土である沖縄県の尖閣諸島について、先日、1960年代の毛沢東時代には中共自身が明確に日本領と認識していたことを示す決定的な新物証、中共支那政府1969年発行の公式地図が発掘されたことが伝えられたが、今度はさらにさかのぼって、日清戦争直前の明治26(1893)年、清国が日本側に出した公文書で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を清国領と認識していなかったことが確認された。産経新聞が伝えた。

長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)の研究で明らかにしたもので、それによれば、公文書は、尖閣諸島に向けて出航し、難破した熊本県民ら3人に関する日清両国間の往復書簡「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。日清間で交わされた書簡など計9通からなる。

中共支那は現在、尖閣諸島について清国の領土であり、日清戦争に乗じて「日本が強奪した」(中国共産党機関紙「人民日報」)と主張するが、今回新たに確認された公文書は、この中共支那の主張を根底から覆し、明確に否定する証拠である。

リンク:「中国の主張を覆す有力な資料」外務省 日清戦争前の尖閣領有未認識文書 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:日清戦争前、中国側は尖閣を清国領と認識していなかった 中国主張を覆す清国公文書確認 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:清国、尖閣諸島を領土と認識せず…「日清戦争で強奪」の中国主張を覆す公文書確認 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

「中国の主張を覆す有力な資料」外務省 日清戦争前の尖閣領有未認識文書
産経新聞 3月24日(火)12時41分配信

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり、日清戦争の直前、清国側が尖閣諸島の領有を認識していなかった公文書が確認されたことについて外務省は23日、「中国側の主張に根拠がないと改めて示す有力な資料だ」との認識を示した。

 文書は、石垣島から尖閣に向かう航海中に遭難し、大陸に漂着した日本人の処遇に関する日清両政府のやり取り。長崎純心大の石井望准教授の研究の結果、明治26(1893)年に清国が日本側に出した文書の中に、尖閣諸島に向かったことを抗議する形跡がなかった。現在の中国政府による「(尖閣は)日清戦争に乗じて、日本が強奪した」との主張を覆すものといえる。

 産経新聞の取材に外務省中国・モンゴル第一課の担当官は「さらに文書を読み込んでいきたい」と述べ、外務省公式サイトへの掲載も示唆した。


日清戦争前、中国側は尖閣を清国領と認識していなかった 中国主張を覆す清国公文書確認
産経新聞 3月19日(木)17時19分配信

Photo_4
井澤ら3人の日本人は尖閣諸島を目指したが、清国は不法上陸を指摘しなかったとする長崎純心大の石井望准教授(奥原慎平撮影)(写真:産経新聞)

 日清戦争直前の明治26(1893)年、清国が日本側に出した公文書で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を清国領と認識していなかったことが、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)の研究で分かった。中国側は現在、尖閣諸島について清国の領土であり、日清戦争に乗じて「日本が強奪した」(中国共産党機関紙「人民日報」)と主張するが、新たに確認された公文書は、この主張を覆すものといえる。(奥原慎平)

 公文書は、尖閣諸島に向けて出航し、難破した熊本県民ら3人に関する両国間の往復書簡「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。日清間で交わされた書簡など計9通からなる。

 日本内外の漂流事例を記録した「困難船及漂民救助雑件」(外務省外交史料館所蔵)に収録されている。尖閣諸島をめぐる日清間の動向を記録した公文書が確認されたのは、初めてだという。

 公文書によると、熊本県の井澤弥喜太は明治26年6月、2人の鹿児島県民とともに、胡馬島を目指して八重山島(石垣島)を出航した。胡馬島は、尖閣諸島の魚釣島か久場島とみられる。だが途中、暴風雨に遭い、清国の浙江省に流れ着いた。

 3人は清国の官憲に保護され、取り調べを受けた後、上海経由で9月に日本に移送された。

 同年12月、外務大臣だった陸奥宗光は、3人の保護・移送に協力してくれた清国の地方官へ感謝する趣旨の公文書を、上海総領事館に作成させ、福建省福州海防官宛てに送った。

 その中で、漂流の経緯については、3人は八重山島から、胡馬島を目指したが、中国沿岸に流れ着いたと説明した。

 公文書を受け取った海防官は「胡馬島が目的だった」という日本側の説明を引用した上で、「ここに上述の趣旨の通り、(各地方官に)報告及び通知する」と記すのみで、3人が胡馬島を目的地とした点について、抗議などした形跡はなかった。

 翌明治27年7月に日清戦争が始まった。明治政府は戦争中の28年1月に閣議決定し、尖閣諸島を日本の領土に正式編入した。

 現在、中国は、尖閣諸島を17世紀に清国が編入した台湾の一部だとして、領有権を主張する。また、明治政府による閣議決定について、日清戦争に乗じて尖閣諸島を奪ったなどと主張する。

 今回、石井氏が発見した公文書は、日清戦争以前から、清国が尖閣諸島を領土とは認識してはいなかったことを示すといえる。

 尖閣の歴史に詳しい筑波大名誉教授の尾崎重義氏(国際法)は「当時、中国側が尖閣諸島を台湾の一部と認識していたなら、(領土侵犯として)問題にすべき話だった。尖閣は清国外の無人島という認識だったのだろう。『無主地』として日本領土に編入した明治政府の決定が正しかった傍証となる」と指摘した。

 石井氏も「そもそも、尖閣諸島の西側には中国の国境線を記録した史料が多数あり、無主の地であることは明らか。日清間の公文書はその裏付けとなる」と述べた。

 尖閣諸島をめぐっては自民党の原田義昭衆院議員が今年2月、国会質問で、日本の国土地理院に当たる中国国家測量局が1969年、尖閣諸島を日本領としていた地図を発行していた事実を指摘している。


清国、尖閣諸島を領土と認識せず…「日清戦争で強奪」の中国主張を覆す公文書確認
産経新聞 3月15日(日)17時1分配信

Photo_7
福建省福州海防官が上海の日本総領事館に送った公文書。3人が尖閣諸島を目指して出航したという明治政府の説明を問題視せずに引用している(写真:産経新聞)

 日清戦争直前の明治26(1893)年、清国が日本側に出した公文書で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を清国領と認識していなかったことが、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)の研究で分かった。中国側は現在、尖閣諸島について清国の領土であり、日清戦争に乗じて「日本が強奪した」(中国共産党機関紙「人民日報」)と主張するが、新たに確認された公文書は、この主張を覆すものといえる。(奥原慎平)

 公文書は、尖閣諸島に向けて出航し、難破した熊本県民ら3人に関する両国間の往復書簡「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。日清間で交わされた書簡など計9通からなる。

 日本内外の漂流事例を記録した「困難船及漂民救助雑件」(外務省外交史料館所蔵)に収録されている。尖閣諸島をめぐる日清間の動向を記録した公文書が確認されたのは、初めてだという。

 公文書によると、熊本県の井澤弥喜太は明治26年6月、2人の鹿児島県民とともに、胡馬島を目指して八重山島(石垣島)を出航した。胡馬島は、尖閣諸島の魚釣島か久場島とみられる。だが途中、暴風雨に遭い、清国の浙江省に流れ着いた。

 3人は清国の官憲に保護され、取り調べを受けた後、上海経由で9月に日本に移送された。

 同年12月、外務大臣だった陸奥宗光は、3人の保護・移送に協力してくれた清国の地方官へ感謝する趣旨の公文書を、上海総領事館に作成させ、福建省福州海防官(長官級)宛てに送った。

 その中で、漂流の経緯については、3人は八重山島から、胡馬島を目指したが、中国沿岸に流れ着いたと説明した。

 公文書を受け取った海防官は「胡馬島が目的だった」という日本側の説明を引用した上で、「ここに上述の趣旨の通り、(各地方官に)報告及び通知する」と記すのみで、3人が胡馬島を目的地とした点について、抗議などした形跡はなかった。

 翌明治27年7月に日清戦争が始まった。明治政府は戦争中の28年1月に閣議決定し、尖閣諸島を日本の領土に正式編入した。

 現在、中国は、尖閣諸島を17世紀に清国が編入した台湾の一部だとして、領有権を主張する。また、明治政府による閣議決定について、日清戦争に乗じて尖閣諸島を奪ったなどと主張する。

 今回、石井氏が発見した公文書は、日清戦争以前から、清国が尖閣諸島を領土とは認識してはいなかったことを示すといえる。

 尖閣の歴史に詳しい筑波大名誉教授の尾崎重義氏(国際法)は「当時、中国側が尖閣諸島を台湾の一部と認識していたなら、(領土侵犯として)問題にすべき話だった。尖閣は清国外の無人島という認識だったのだろう。『無主地』として日本領土に編入した明治政府の決定が正しかった傍証となる」と指摘した。

 石井氏も「そもそも、尖閣諸島の西側には中国の国境線を記録した史料が多数あり、無主の地であることは明らか。日清間の公文書はその裏付けとなる」と述べた。

 尖閣諸島をめぐっては自民党の原田義昭衆院議員が今年2月、国会質問で、日本の国土地理院に当たる中国国家測量局が1969年、尖閣諸島を日本領としていた地図を発行していた事実を指摘している。

« 宮城沖地震に関するニュース・1937,2015年3月15日 | トップページ | 宮城沖地震に関するニュース・1938,2015年3月16日 »

ニュース」カテゴリの記事

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31