« チュニジアの首都チュニスで武装テロ集団が観光客を襲撃、死傷者多数 日本人3人死亡・6 | トップページ | 天皇陛下、軽い風邪の症状 »

2015年3月21日 (土)

宮城沖地震に関するニュース・1943,2015年3月21日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<JR石巻線>4年ぶり全線開業 観光客増加に期待 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:全町避難の楢葉町が復興祈願祭 - 速報:@niftyニュース.
リンク:被災の石巻線が全線復旧=女川で式典、町民ら喜び―宮城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:復興へ出発進行! JR石巻線、4年ぶり全線開通 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:女川が復興へ「まちびらき」式典 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<園児津波訴訟>ママ頑張ったけど駄目だった - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災忘れず身を守る 宮城県教委が防災副読本 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<園児津波訴訟>母親の控訴棄却 仙台高裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>「ペットも怖い」 飼い主に聞く避難生活の困難 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:大川小「校舎全て保存」地区復興協、要望へ - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<JR石巻線>4年ぶり全線開業 観光客増加に期待
毎日新聞 3月21日(土)21時10分配信

Photo
女川駅に到着するJR石巻線の列車を撮影する人たち=宮城県女川町で2015年3月21日午後2時50分、佐々木順一撮影

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県のJR石巻線(44.7キロ)は21日、最後の不通区間だった女川(おながわ)町内の女川-浦宿(うらしゅく)間(2.3キロ)が開通し、4年ぶりに全線開業した。同線の終点となる女川駅も開業、復興途上にある女川町はこの日を「まちびらき」と銘打って、町民の利便性向上と、観光客増加に期待を寄せた。

 佐々木和夫・石巻駅長の合図で、女川小の児童を乗せた臨時列車が女川駅を発車。「女川潮騒太鼓轟(とどろき)会」の和田涼夏(すずか)さん(14)=女川中2年=は、津波につかりながらも町に残った太鼓を鳴らした。

 ほぼ流失した女川駅は、高さ約7~9メートルかさ上げした内陸約200メートルに新設された。新駅のすぐそばにあった和田さんの自宅は津波で流された。「父とアルバムを捜したけど、何も見つからなくて……」。仮設住宅での生活は3年を過ぎた。

 町内に高校はないため、来春からは石巻線に乗って通学することになる。「列車の窓からは前に住んでいた町の風景が見える。昔のことも、いつかいい思い出になれば」。演奏後、晴れやかな表情を見せた。

 女川と小牛田(こごた)を結ぶ石巻線は津波で線路が流失。12年3月に石巻市内の石巻-渡波(わたのは)間(8キロ)、13年3月に渡波-浦宿間(6.5キロ)が再開していた。【百武信幸】


全町避難の楢葉町が復興祈願祭
2015年3月21日(土)18時36分配信 共同通信

Photo_2
 復興祈願イベント「楢葉ならでは祭」で、思いを託した風船を飛ばす町民ら=21日午後、福島県楢葉町

 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続き、春以降の帰町を目指す福島県楢葉町は21日、町内で復興祈願イベント「楢葉ならでは祭」を開き、県内外に避難している町民ら約2500人が集まり再会を喜んだ。

 「生きてれば会えんだない」。東京都墨田区に避難している主婦石川タキさん(84)は原発事故後、初めて会った小学校の同級生と握手を交わし「胸がいっぱい。早く町に帰りたい」と涙ぐんだ。

 開会式で松本幸英町長は「絆を確かめる機会を通じ、復興、再生の機運がさらに高まってくれれば」とあいさつした。討論会では町民から「帰還の時期が見えれば頑張れる」などの意見が出た。


被災の石巻線が全線復旧=女川で式典、町民ら喜び―宮城
時事通信 3月21日(土)16時23分配信

 東日本大震災で被災し、不通となっていたJR石巻線が21日、最後に残った浦宿―女川間(約2.3キロ)で運転を再開し、4年ぶりに全線が復旧した。宮城県女川町では、完成した新しい女川駅の前で祝賀式典が開かれ、一歩進んだ復興を祝った。
 式典には町民や関係者ら約2300人が参加。須田善明町長は「4年を経てようやくここまでたどり着いた。町全体ができるのはまだ時間がかかるが、ここから前へ進んでいく」とあいさつ。JR東日本の深沢祐二副社長は「地域の足として、そして全国から女川に訪れてもらえるよう努める」と話した。
 式典の後には女川小学校の児童らを乗せ、列車の出発式が行われた。
 同町の高橋佐江子さん(57)は浦宿まで乗るつもりだといい、「今までの風景と変わったのか見てみたい」と話した。震災前、旧女川駅の近くに住んでいた近藤喜一さん(84)は「今は車で移動するが、事故も怖い。やっと便利になる」と喜び、駅に併設された温泉施設にも「入るのが楽しみ」と笑顔を見せた。 


復興へ出発進行! JR石巻線、4年ぶり全線開通
産経新聞 3月21日(土)15時48分配信

Photo_8
大漁旗の出迎えを受け女川駅に入る列車=21日、宮城県女川町(大西正純撮影)(写真:産経新聞)

 東日本大震災の津波で被災し、不通となっていた宮城県女川町のJR石巻線浦宿(うらしゅく)-女川間(2.3キロ)が21日、震災後初めて運転を再開した。これを記念した式典も開催。祝福ムードの中、一番列車は多くの町民の歓声を背に、復興に向けて走り出した。

 石巻線は小牛田(同県美里町)と女川を結ぶ約45キロの路線で、震災直後は全線不通となった。津波で被災した女川駅は震災前より約200メートル内陸側に移設。駅舎は世界的な建築家の坂茂氏がウミネコをモチーフに設計した。

 午前6時過ぎに列車が駅に到着すると、待ちわびた町民らから歓声が上がった。須田善明町長が運転士に花束を手渡し、同12分に発車。大漁旗がはためく中、送り出された。通学で利用する同町の高校2年、須田茉緒さん(17)は「電車が通ってくれて便利。町を訪れる人も増えると思う」と話し、始発列車に乗り込んだ。

 記念式典で須田町長は「復興を通じて新しい価値を生むことが、4年前に旅立った人の無念に応える唯一の道。全力で取り組む」と力を込めた。竹下亘復興相は復興状況を築城に例え「今は大手門か三の丸。本丸は町民が帰ってくることで完成する」と話し、人口が震災前から約3割減った町に活気が戻ることを願った。

 町は今後、駅周辺に商店街などを整備。震災遺構として保存される「旧女川交番」周辺には公園を設ける予定だ。


女川が復興へ「まちびらき」式典
2015年3月21日(土)12時25分配信 共同通信

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県女川町は21日、町内に通じるJR石巻線の全線再開に合わせ、市街地復興の本格スタートと位置付けた「まちびらき」の記念式典を開いた。

 新設された女川駅前に町民らが集まり、須田町長は「ようやくここまでたどり着いた。復興を通じ新しい価値を生むことが、4年前に旅立った人の無念に応える唯一の道だ」とあいさつ。竹下亘復興相は「故郷の魂をもう一度取り戻してほしい」と述べた。

 町は中心部の地盤造成を進め、16年度末までに商業エリアを整備。人口減少を見据えて主な機能を中心部に集めた「コンパクトシティー」として再生を目指す。


<園児津波訴訟>ママ頑張ったけど駄目だった
河北新報 3月21日(土)10時55分配信

  「和解をしないと決めた以上、厳しい判決は覚悟していたが、敗訴はやはり残念だ」。仙台高裁で20日に言い渡された宮城県山元町東保育所をめぐる損害賠償請求訴訟の控訴審判決。一人息子の将宏ちゃん=当時(6)=が犠牲になった鈴木あけみさん(49)は、控訴を退けられた閉廷後、無念の思いを口にした。

  仙台市青葉区の仙台弁護士会館で記者会見を開いた鈴木さん。「息子は十分な情報収集をしなかった町の指示で園に待機し、命を落とした。裁判ではその経緯を究明してほしかったが、難しかった」と訴訟を通じた事実解明への徒労感も漏らした。

  「訴訟では真実が出てこないと悟った」として、一緒に控訴したもう1遺族は昨年12月、町と和解した。「町は簡単に再発防止などと言うが、それで命が帰ってくるわけではない。息子も和解に納得しなかったと思う」。判決の宣告を望んだ鈴木さんはいま、そう考えている。

  「ママ、頑張ったけど、駄目だったよ」。鈴木さんは、自宅で帰りを待つ将宏ちゃんの遺影に語り掛けるつもりだ。


震災忘れず身を守る 宮城県教委が防災副読本
河北新報 3月21日(土)10時55分配信

Photo_4
防災教育副読本「未来へのきずな」の小学1、2年生用

  宮城県教委が2013年度から順次作成を進めている防災教育の副読本「未来へのきずな」の小学5、6年生用と1、2年生用が完成した。子どもたちが自ら考えることで災害に対応する力と心を養い、防災意識を高めてもらうのが狙い。

  副読本は、いずれも「3.11を忘れない」「災害について知る」「自分の身は自分で守る」など共通の7テーマで構成されている。

  高学年用では命を守るため自分たちに何ができるか考えてもらおうと、児童74人、教職員11人の犠牲者を出した石巻市大川小を取り上げた。地震の仕組みや津波、火山の歴史についても触れた。

  低学年用はイラストを多用し、災害時に自分の身を守る正しい行動を取れることを目標に、避難の仕方や注意すべき点を想定別に説明。2冊とも心身のリラックス方法など心のケア対策を盛り込み、不安や悩みを抱え込まないよう促した。

  県教委は14年3月に小学校3、4年生用を作成。総合学習や防災訓練などで活用されている。15年度は幼稚園児、中学生、高校生用を作る。

  防災の専門家や大学教授、学校教諭らが中心となって編集作業に当たり、東北大災害科学国際研究所の今村文彦所長が監修。仙台市を除く県内の公私立の学校に、ワークシートや指導上の留意点を示した活用の手引きとともに配布する。


<園児津波訴訟>母親の控訴棄却 仙台高裁
河北新報 3月21日(土)10時55分配信

  東日本大震災の津波で死亡した宮城県山元町東保育所の園児鈴木将宏ちゃん=当時(6)=の母あけみさん(49)が、町に約3100万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は20日、請求を棄却した仙台地裁判決を支持、母親の控訴を棄却した。

  大震災の津波犠牲者の遺族が損害賠償を求めた訴訟で、控訴審判決は初めて。

  中西茂裁判長は「少しでも早く高い所に避難すれば被災を免れた可能性は高く、園児の生命が失われたのは悔やまれる」としながらも「これは結果から見た評価だ。津波を予測できなかった以上、町の責任は認められない」と述べた。

  町の情報収集が「明らかに不十分だ」と指摘しつつ「町は想定を超える地震と認識できなかったし、保育所は町の避難指示対象に含まれてもいない」との判断を示した。

  判決によると、東保育所の保育士らは地震発生後、町総務課長の指示を受けて園庭に園児を待機させた。津波が押し寄せ、車で避難した2~6歳の園児3人が亡くなった。

  共に提訴したもう1遺族は昨年12月、町が和解金300万円を支払うことなどで、高裁で和解した。

  高裁の判決を受け、斎藤俊夫町長は「あらためて哀悼の意を表し、今後の町の防災に十分、意を用いたい」との談話を出した。


<震災4年>「ペットも怖い」 飼い主に聞く避難生活の困難
毎日新聞 3月21日(土)9時58分配信

 東日本大震災から4年。被災地の復興はいまだ道半ばだ。生活が一変する中、ペットとの暮らしを守るにはどんな困難があるのか。福島でペットと避難生活を送る被災飼い主たちを訪ねた。

 ◇鳴き声に気を使い

 「犬の鳴き声について、こんなに考えるとは」。東京電力福島第1原発事故の影響で、全町避難が続く浪江町出身で、現在は二本松市内の仮設住宅に住む岩倉文雄さん(67)は言う。

 屋外で犬2匹、室内で猫3匹を飼う。広さ約30平方メートル、板1枚で隣り合う住宅はいびきさえも筒抜けだ。周りが田んぼだった自宅では「鳴き声を気にしたこともなかった」と話す。今は特に早朝は気を使い、気持ちを落ち着かせるため散歩に連れ出す。「おかげで規則正しい生活を送ってます」と笑う。

 震災前は犬2匹、猫8匹を飼っていた。避難指示が出た当時、「人間であふれる避難所に、連れて行ける状況でなかった。避難生活は2、3日だと思っていた」と振り返る。「生き延びてほしい」と犬や猫を自由にし、数日おきに自宅に戻り世話をした。

 3カ所目の避難先で、まずは犬を迎えに行くめどがついた。しかし、2匹のうちミックス犬「パンダ」の行方が分からなかった。動物愛護団体に保護され、石川県にいたパンダを捜し出したのは数週間後。携帯電話に保存していた写真が決め手となり、知人が団体のホームページから見つけてくれた。

 猫8匹のうち4匹と再会したが、1匹は病死し、現在は3匹と暮らす。メス猫「トラコ」は昨年8月、3年半ぶりに自宅近くで保護された。病気やケガはなかったが、「性格が変わったね。人恋しいようで離れたがらない」。岩倉さんは今も定期的に自宅に戻り、水やフードを替えて不明の4匹の帰りを待つ。

 「最期までこの子たちの面倒を見るために、復興住宅への入居は諦めている。住む場合、犬や猫が嫌いな人もいるので、飼い主は最低限の常識的なマナーを守らなければ」と岩倉さんは話す。

 ◇散歩以外は車中

 福島市内の仮設住宅に住む40代女性は、中型犬1匹、猫2匹と一緒に浪江町から避難した。「体の大きな犬は置いておくつもりだったが、『震えている。この子も怖いんだ』と娘に促された」という。避難所の駐車場の隅で飼い始めたが、「こんな一大事になぜ連れてきた」という批判の声や、犬を外に出している間に手を上げる人もいた。散歩以外は車中に入れておくしかなかった。「室内飼いだった猫同様、トイレをしつけておいたことが役立った」と話す。

 避難所では飼い主同士の情報交換も欠かせなかった。「ストレスで体調を崩したとき、受診してくれる獣医を教えてもらえた」と女性。

 7カ所の避難先を転々としたあと、ペットが飼える仮設住宅に入った。転校が必要だったが「一から友達を作ればいい」と子どもたちが望んだ。「知人は子どものためを思い、生活しやすい借り上げ住宅を選んで犬を手放した。その結果、子どもが引きこもり、知人は選択を誤ったと泣いていた。でも、ペット可の住宅を探すのは大変だ」という。

 仮設住宅の周辺では、ペットのフン処理を巡る問題も起きている。「避難者が来てから、公園がフンだらけだ」と苦情が寄せられるという。女性は「地元では肥やしとして置いていく人もいた。しかし、互いに気持ち良く生活するためには、地域のルールに従う必要がある」と強調する。

 ◇しつけが役立ち

 今回、取材の案内役を務めてくれたのは、福島を拠点に活動する動物保護団体の一般社団法人「ふくしまプロジェクト」。一般財団法人「全国緊急災害時動物救援本部」からの受託で、定期的に仮設住宅を回り、飼い主とペットのケア事業を行う。移動式のドッグランで息抜きの場を提供したり、しつけのアドバイスをしたりする。於保(おほ)実佐子代表理事(54)は「ペットを中心に住民同士の話の輪は広がる。被災体験談の中で話題にしにくいペットについて、気兼ねなく話せる機会にしたい」という。

 米国に本部を置く世界最大級の動物保護団体「ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル」が2012~13年、福島県に住む被災飼い主を対象に行った調査では、ペットと一緒に避難できたのは2割以下だった。その結果、被災後に「ペットの捜索と保護」の支援が最も利用された。役立った災害の備えは、ペットの社会化・しつけ▽ペットフードの備蓄▽ペットの一時預かり場所の確保--が上位だった。

 「大震災で猫が外で犠牲になったことを悔やみ、新たに飼った猫を室内飼いにするなど、ペットの大切さを改めて認識した人が多いように感じる。人とペットが避難先でも安心して過ごせるような仕組みを考える必要があると思う」と於保代表理事は話す。【池乗有衣】


大川小「校舎全て保存」地区復興協、要望へ
河北新報 3月21日(土)9時40分配信

Photo_3
地元の住民団体が保存の要望を決めた大川小の被災校舎

  東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の被災校舎について、住民団体「大川地区復興協議会」は20日、住民対象のアンケートを踏まえ、校舎全体を保存し周辺を「鎮魂の森」として整備するよう市に求める方針を決めた。4月中旬までに亀山紘市長と境直彦教育長に要望書を提出する。

  協議会は8日の全体説明会で(1)校舎を全部解体し跡地に原寸大平面図を復元(2)低学年棟など一部を保存(3)全て保存-の3案を示し126人にアンケートを実施、回答が120件あった。内訳は解体37件、一部保存3件、全て保存57件で、その他として「全施設解体・更地」という回答が11件。

  20日の会合には役員ら30人が出席。「学校があった釜谷地区では解体を望む住民が多い。住民の思いは反映されないのか」「要望しても市から回答がなければ意味がない」といった意見が出された。

  最終的にアンケート結果に従い、校舎全体を保存する方向で市に要望することを決定。現在は二俣小の校舎で授業をしている大川小についても、アンケートで最も多かった移転新築を要望することも確認した。

  大槻幹夫会長(72)は「意見にはそれぞれ意味があり、要望書とは別に市に伝える。市がどう判断するかは分からないが、予算も絡むことから早く回答してほしい。それを踏まえて再び話し合い、意見を集約したい」と述べた。

« チュニジアの首都チュニスで武装テロ集団が観光客を襲撃、死傷者多数 日本人3人死亡・6 | トップページ | 天皇陛下、軽い風邪の症状 »

ニュース」カテゴリの記事

社会・事件」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/566606/61314933

この記事へのトラックバック一覧です: 宮城沖地震に関するニュース・1943,2015年3月21日:

« チュニジアの首都チュニスで武装テロ集団が観光客を襲撃、死傷者多数 日本人3人死亡・6 | トップページ | 天皇陛下、軽い風邪の症状 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30