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2015年3月11日 (水)

宮城沖地震に関するニュース・1933,2015年3月11日・3

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

記事が多いため分割します。

リンク:一歩ずつ努力、改めて誓う…追悼式・福島県代表 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:哀しさを優しさに伝え残す…追悼式・岩手県代表 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:生きていくことが恩返し…追悼式・宮城県代表 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:誕生日だった、閖上のこと忘れない…名取追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「凍土壁」うまくいけば効果大…福島の課題議論 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島第1原発>雨水漏れ、地下水汚染か…濃度30倍に急増 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:廃炉、18日にも一斉説明 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<大震災4年>今も募る「ごめんね」…ドキュメント3・11 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:放射能濃度、30倍上昇=汚染雨水漏れ近くの地下水―福島第1 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼式・首相式辞の要旨 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4周年追悼式、天皇陛下お言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災3県以外でも追悼式 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「事故の教訓学ばぬならやめろ」 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「われわれは加害者」東電社長…汚染雨水の流出問題で再び地元の「不信の目」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 沿岸部36カ所で不明者を集中捜索「工夫凝らしながら継続」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>東北へ届け「3・11」希望の灯…神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:午後2時46分、鎮魂の黙とう - 速報:@niftyニュース.
リンク:<原発事故賠償>「東電が和解案を拒否できないように」日弁連が「拘束力」提案 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

一歩ずつ努力、改めて誓う…追悼式・福島県代表
読売新聞 3月11日(水)23時49分配信

 ◇福島県代表 鈴木 幸江さん(32)◇

 私の住んでいた福島県浪江町は、人口約1万9000人の、山と川と海の豊かな自然に囲まれた、心温かな方々が住むのどかな町でした。

 その町で穏やかな生活を送っていたところ、平成23年3月11日、突如発生した大地震と大津波により、父、母、そして弟を失いました。

 私の大切な家族の命を奪ったあの凄まじい光景は、今でも忘れることができません。

 そして、大震災発生から4年経った今でも、原子力発電所の事故による放射能の問題のために町に戻れない状態が続いており、将来の展開がなかなか見通せないことについて、やりきれなさを感じています。

 大震災から丸4年が過ぎようとする今、残された私たちがなすべきことは何かと考えた時、多くの尊い命が犠牲になったことを教訓として、二度とこのようなことを繰り返さないために、そしてこの大震災を風化させないために、この経験を次の世代に伝えていくことではないかと思います。

 また、自衛隊、警察、消防をはじめとする多くの皆様が、身の危険も顧みず救命・救助活動に当たっていただいたことや、全国の皆様から物心両面でご支援いただいたことに対しまして、改めて心より深く感謝を申し上げます。

 最後に、復興に向けては、放射能の問題、住宅の再建、農地の復旧など、まだまだ課題が山積しておりますが、ひるむことなく、みんなで力を合わせて一歩ずつ努力していくことを、大震災の犠牲となられた方々に改めてお誓い申し上げ、遺族代表のことばといたします。


哀しさを優しさに伝え残す…追悼式・岩手県代表
読売新聞 3月11日(水)23時49分配信

 ◇岩手県代表 内舘 伯夫さん(38)◇

 はじめに、未だご遺体がみつからない方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々にお悔み申し上げます。

 あれから四年が経ちます。毎日の生活の中で、ふとした時に、父との温かい思い出に優しく包まれます。そして、その少し後に、あの大きな津波の光景と冷たい泥や無数の瓦礫、父の遺体と対面した記憶が蘇り、悔しさで胸が苦しくなります。

 そんな時は、父が、「俺のことよりも他の人を」と言っている気がします。津波にのまれるときに、父が最後にそう伝えていたのかもしれません。私よりも、もっとつらい体験をされた多くの方々を思い自分の気持ちを怺えます。

 数百年数千年に一度と言われる震災を経験した私たちは、時の経過と共に前へ進みます。形あるものは、いずれ復興を遂げ後世に残るでしょう。

 時々、時間とは反対に進む気持ちがあります。記憶が少しずつ薄れてゆくのではないかという恐怖と、胸に閉じ込めた記憶を忘れてはいけないという気持ちです。しかし、それを思い出せば、哀しく、悔しく、後悔と自責の念に駆られます。

 形あるものの復興と共に、私たちがこれからの数百年数千年先へ、その哀しさを優しさに、その悔しさを何かを許す心に、その後悔と自責の念を生きている私たちがお互いを思いやり助け合う心にしたことを、伝え残していくこと。

 それが、私たち日本がこの震災を残り越えた証となり、亡くなった方々への最大の敬意であると信じ、一日一日を大切に過ごしていきます。


生きていくことが恩返し…追悼式・宮城県代表
読売新聞 3月11日(水)23時49分配信

 ◇宮城県代表 菅原 彩加さん(19)◇

 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん!元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれる様な、温かい大川がとても大好きでした。

 あの日、中学校の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとした時には遅く、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人を飲み込みました。

 しばらく津波に流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母の事を助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 そんな体験から今日で4年。

 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれない程あったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみが沢山ありました。全てが、今もまだ夢の様です。

 しかし私は震災後、沢山の「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにも関わらず、東北には沢山の人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちが居ます。日本中、世界中から東北復興の為に助けの手を差し伸べてくださる人たちが居ます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなる事が出来ます。

 震災で失った物はもう戻ってくる事はありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消える事も無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていく事こそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得て行けるように、しっかりと前を向いて生きていきたいと思います。

 最後に、東日本大震災に伴い被災地に沢山の支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになった沢山の方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。


誕生日だった、閖上のこと忘れない…名取追悼式
読売新聞 3月11日(水)23時49分配信

 宮城県名取市の追悼式での遺族代表・浜田由治さん(19)のあいさつは次の通り。

     ◇

 あれから4年が経(た)ちました。

 震災で命を失われた方々と、その遺族の皆様に哀悼の意を表します。

 震災から4年、私は閖上のことを忘れられません。

 あの日、皆さんは何をしていましたか?

 私は閖上公民館で、中学校の卒業を祝う会に参加していました。

 みんなで楽しく盛り上がっていました。

 しかし、そんな楽しい時間はあっという間でした。

 誰もが体験したことのない地震に襲われました。公民館には叫び声が響いていました。

 揺れが収まり、外に出てみると、逃げてきた人たちでグラウンドはいっぱいでした。私は家に妹がいると思い、自転車で家に向かいました。家の中はぐちゃぐちゃでした。妹はいませんでした。

 公民館に戻って友達と話をしていると、その日が誕生日だった私のためにケーキを買いに行っていた母と妹が車で来ました。

 母と、家の中がぐちゃぐちゃだったよ、などと話をしていたら、海の方から「津波が来るぞー!」と声がして、海の方を見たら波がすぐそこまで迫っていました。

 私は車に乗っていなかったので、母と妹に「車で逃げて!」と言い、私は公民館に逃げました。まさかそれが最後の会話になるとは思ってもいませんでした。

 公民館に逃げたものの、公民館の中にはすでに水が入っていました。2階に逃げようとしましたが、流されてしまいました。それから一晩流されて、次の朝に救助されて助かりました。助かってから1週間が経ち、私は母と妹が亡くなったということを知らされました。つらいことの立て続けで、しばらく心はボロボロでした。

 その後、友達、親戚、家族など、いろいろな人に励まされ、今まで明るく生きることができました。

 私は震災後、岩手県の遠野市にいる祖母の家で生活しています。今は自動車整備士になるために専門学校に通っています。私のことを支援してくださった方々や、誰かのために恩返しができるような整備士になれるように頑張っていきたいです。

 今日で私は19歳になりました。間もなく20歳になります。自分の立てた目標を達成できるように、どこかで見てくれている母や妹のためにも、自分の責任のもと頑張っていきたいと思います。

 震災で負った傷や、つらい思いは消えることがないと思いますが、私はまた、閖上の町が復興して、みんなで笑い合える楽しい町に戻るように祈っています。


「凍土壁」うまくいけば効果大…福島の課題議論
読売新聞 3月11日(水)23時25分配信

 電力中央研究所の井上正名誉研究アドバイザー(66)と、自民党資源・エネルギー戦略調査会会長の山本拓衆院議員(62)が11日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、事故から4年たった東京電力福島第一原子力発電所の汚染水問題などの課題を議論した。

 土中の水を凍らせて氷の壁をつくり、汚染水を増やす原因になる地下水の建屋への流入を抑える「凍土壁」について、井上氏は「成功すればかなりの水量を減らすことができる。世界でも経験のないことだが、うまくいけば効果は大きい」と述べた。廃炉作業について、山本氏は「高濃度の放射性物質がいたるところにある。作業員に健康被害が出ないよう、人力に代わるロボットなどを、国が責任を持って投入する」と語った。


<福島第1原発>雨水漏れ、地下水汚染か…濃度30倍に急増
毎日新聞 3月11日(水)23時19分配信

 東京電力福島第1原発の汚染水貯蔵タンク群を囲むせき(高さ30~50センチ)から放射性物質を含む雨水が漏れた問題で、東電は11日、周辺の地下水から1リットル当たり1万1000ベクレルが検出されたと発表した。検出したのは、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質。前回(9日採取)に比べ、濃度は約30倍に急増しており、漏れた雨水が地下水を汚染した可能性がある。

 せきには放射性物質が付着しているため、降った雨も汚染されてしまう。10日になって、タンク周辺を二重に囲うせきのうち、外側のせきのつなぎ目などから約747トン漏れ、土壌に染みこんでいることが判明していた。せき内での放射性物質の濃度は最大で同8300ベクレルに上った。

 東電は汚染範囲の把握のために監視を強化するとともに対策を急ぐ。海に流出する可能性については「現時点で判断できない」としている。【斎藤有香】


廃炉、18日にも一斉説明
2015年3月11日(水)22時34分配信 共同通信

 中国電力と関西電力、九州電力、日本原子力発電の電力4社が、老朽化した原発計5基の廃炉を近く決定し、18日にも地元に一斉に説明する方針を固めたことが11日、分かった。運転40年を超える老朽原発は安全対策にかかる費用が巨額になるため運転の延長を断念、廃炉にせざるを得ないと判断した。

 廃炉を近く決定するのは、中国電力の島根原発1号機(島根県)、九州電力の玄海原発1号機(佐賀県)、日本原子力発電の敦賀原発1号機(福井県)、関西電力の美浜原発1、2号機(福井県)。

 4社は19日にも経済産業省に報告する方向で調整している。


<大震災4年>今も募る「ごめんね」…ドキュメント3・11
毎日新聞 3月11日(水)22時32分配信

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東日本大震災の発生時刻に合わせ、津波防潮堤の上に並んで海に向かって黙とうする人たち=岩手県宮古市田老で2015年3月11日午後2時46分、喜屋武真之介撮影

 ◇東日本大震災の発生から4年。全国各地の「3・11」を追った。

 8時15分 茨城県庁などで東海第2原発(同県東海村)の全電源喪失を想定した訓練。県の田中豊明防災・危機管理局長が「本部に発生状況を伝える情報が不十分」と職員を?責する場面も。

 8時30分 510人以上が犠牲となった岩手県宮古市の山本正徳市長が防災行政無線で「宮古市は必ずや復興します。今日も一歩一歩、前に進んでいきましょう」と市民に呼びかける。

 9時15分 約190人が犠牲になった仙台市若林区荒浜の慰霊塔で、地元自治会役員の男性(74)が祭壇を掃除し花を入れ替えた。ほぼ毎朝訪れているそうで「4年はあっという間。今日はたくさんの人が慰霊に来るので、少しでもきれいにしておきたい」。

 9時20分 宮城県石巻市立渡波小学校の校庭に桜の木10本が植えられた。入学目前に亡くなった布施莉桜(りお)ちゃん(当時6歳)の父秀弥(ひでひこ)さん(33)が寄贈した。「莉桜が生きていたことを多くの人に知ってほしい」

 9時55分 福島県南相馬市の海岸で津波に唯一耐えた「かしまの一本松」。その下で「ひばり法螺(ほら)貝愛好会」のメンバーが復興を願う音を響かせた。

 10時00分 民主党の枝野幸男幹事長が記者会見で、政府が集中復興期間終了後に復興事業費の一部自治体負担を検討していることについて「脅しとも受け止められかねない対応だ」と批判した。

 沿岸部の行方不明者一斉捜索を前に、福島県警の石田勝彦本部長が同県浪江町の請戸漁港で「ご家族の気持ちに思いを寄せ、力を尽くしてほしい」と訓示した。

 10時3分 太平洋に面する福島県いわき市中之作地区で、地震、津波、原発事故の被害を記録した碑文の除幕。幕を引き下ろした幼稚園児、吉田陽葵(ひなた)ちゃん(4)は震災発生2日前に生まれた。母裕美子さん(30)は「4年でこんなに大きくなるんですね」と感慨深げ。

 11時00分 宮城県東松島市で地元中高大生が震災体験を未来に語り継ぐシンポジウム。市立矢本第一中2年の奈良坂紀希さん(14)が「これから生まれてくる子供たちは震災を知らない。伝えていくことが僕たちの役割」と決意を述べた。

 被災地支援への感謝を伝える「特別号外」を名古屋市中心部で配った岩手日報の作山充・一関支社長は「直接感謝の気持ちを表したかった」と話した。

 望月義夫原子力防災担当相が内閣府で職員約50人に「福島原発事故を安全神話(が原因)という簡単な言葉で総括してはいけない」と訓示した。

 11時5分 いわき市小浜町の砂浜で僧侶の読経の中、住民約50人が追悼の祈りをささげた。自宅を津波で失ったウニ漁師の豊田幸男さん(66)は「6月からようやく試験操業が始まる。地区の復興とみんなの安寧、そして仕事の早期再開を願う」と、鎮魂のお札を海に流した。

 12時30分 原子力規制委員会の田中俊一委員長が原子力規制庁で職員約500人に「二度と事故を起こさないという自覚を新たにする一日にしてほしい」と訓示した。

 12時45分 望月義夫環境相が省内で幹部職員に「中間貯蔵施設の建設では、地権者に親身で丁寧に説明し、施設整備や輸送に万全を」と訓示した。

 13時30分 福岡市中央区の本願寺福岡教堂で追悼法要。長男ら親族4人が死亡・行方不明となった仙台市の竹澤守雅さん(47)夫妻が講演し「言葉にならない悲しみを抱えて生きている」と涙。

 14時30分 福島県文化センター(福島市)で開かれた「ふくしま追悼復興祈念行事」で、県内の高校生3人が書いた追悼詩を福島市出身の女優、白羽ゆりさんが朗読した。

 南相馬市の桜井勝延市長が市の追悼式典で「脱原発都市」宣言。

 東北支援に取り組む愛知県のボランティア団体などが名古屋市中区で犠牲者追悼式を開催。石井弘子実行委員長(57)は「被災地に『心配しているよ』との思いを伝えたい」。

 14時46分(地震発生時刻) 児童74人と教職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校の法要は強風のため、被災した校舎内で営まれた。長男来旺(らいお)君(当時2年生)を亡くした佐藤ゆり子さん(42)は「教室のあった場所に入り、今度2年になる弟の姿が来旺と重なった。助けてあげられなくてごめんねという思いばかり募る」と声を詰まらせた。

 住民89人が死亡したいわき市豊間地区の追悼式。鮮魚店経営の小松光一さん(66)は、妻えみ子さん(当時63歳)とともに津波にのまれ、自分は民家の軒先につかまり一命を取り留めたが、えみ子さんは浮かんでこなかった。「妻はまだ見つかっていないんです」

 埼玉県加須市に避難している福島県双葉町民が古里の方角に向かって手を合わせ、亡くなった人をしのんだ。

 東京都千代田区の国立劇場で開かれた震災4周年追悼式で天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相らが黙とう。

 宮崎市で開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)防災専門家会合の参加者10人が、市内の津波避難階段を視察中に黙とう。インドネシア運輸省の担当官は「私たちも2004年の大津波から復興が続いている。被災地は頑張ってほしい」。


放射能濃度、30倍上昇=汚染雨水漏れ近くの地下水―福島第1
時事通信 3月11日(水)22時29分配信

 東京電力は11日、福島第1原発で採取した地下水からストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり1万1000ベクレル検出されたと発表した。濃度は前回9日採取時と比べて約30倍に上昇した。
 地下水の採取場所近くでは、放射性物質に汚染された雨水約747トンがタンクのせきから流出したことが10日に判明。東電は汚染雨水によって地下水の放射性物質濃度が上昇した可能性もあるとみている。
 東電によると、地下水の採取場所近くにはタンク群があり、周囲をせきで二重に囲んでいる。せきには放射性物質が付着しており、降った雨も汚染される。10日に外側のせきから汚染された雨水が流出していることが確認され、ベータ線を出す放射性物質の濃度は最大で同8300ベクレルに上った。 


追悼式・首相式辞の要旨
読売新聞 3月11日(水)22時24分配信

 安倍首相による東日本大震災4周年追悼式での式辞の要旨は次の通り。

 東日本大震災の発生から4年の歳月が流れました。復興は新たな段階に移りつつあります。しかし、今なお23万人の方が不自由な生活を送られています。新しい生活をスタートさせた方々も苦労は絶えません。健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、復興を加速します。震災の教訓を決して無にしない、との決意で、災害に強い強靱(きょうじん)な国づくりを進めます。常に最新の英知を取り入れつつ、総合的な防災対策に取り組むことを固く誓います。

 今週末から仙台市で開催される国連防災世界会議で、震災の教訓と復興の現状を世界に発信します。我が国の知見と技術をいかし、防災分野での国際貢献を一層強力に進めます。

 大地震による惨禍は、まさに未曽有の国難です。先人たちが幾多の困難を乗り越えてきたように、私たちが共に立ち向かっていくことを改めて誓います。


東日本大震災4周年追悼式、天皇陛下お言葉全文
読売新聞 3月11日(水)22時24分配信

 東日本大震災から4年が経(た)ちました。ここに一同と共に震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 4年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は決して忘れることのできない、本当に恐ろしいものでした。死者、行方不明者の中には危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々高齢化していく被災者の健康は深く心に掛かります。

 さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。今なお、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。

 この4年間、被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。また、こうした努力を支援するため、国内外の人々が引き続きいろいろな形で尽力しています。この結果、地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成など様々な進展が見られましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。

 この度の大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。

 この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますが、この会議において、我が国のみならず世界各国においてもこの度の大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています。

 被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


被災3県以外でも追悼式
2015年3月11日(水)21時52分配信 共同通信

 岩手、宮城、福島の被災3県以外でも11日、避難生活を続ける住民らが犠牲者を悼んだ。

 震災と東京電力福島第1原発事故で最後まで避難所が設けられていた埼玉県加須市では、市内で暮らす福島県双葉町民ら約100人が地震の発生時刻に合わせ町の方角を向き、祈りをささげた。

 避難所だった旧埼玉県立騎西高校近くにある社会福祉協議会事務所には町民らが次々に訪れ、献花台に花を手向けた。埼玉県熊谷市の県営住宅で暮らす大久保チヅ子さん(80)は「4年たっても仮の住まいという気がして落ち着かない」。


「事故の教訓学ばぬならやめろ」
2015年3月11日(水)21時44分配信 共同通信

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は11日の定例記者会見で、東京電力福島第1原発事故発生から4年が経過し、事故の教訓を忘れて原発を強硬に推進しようとする勢力があると示唆し「そういう論には決してくじけてはいけない。事故の教訓に学ばないなら原子力はやめた方がいい」と訴えた。

 田中氏は第1原発の現状を「少しずつ課題をこなしているが、大きなリスクは多い」と分析。その上で「持続性のあるシステムを作らないと、汚染水対策は間もなく行き詰まる」と述べ、大部分の放射性物質を取り除いた汚染水は海洋に放出すべきだとする持論を繰り返した。


「われわれは加害者」東電社長…汚染雨水の流出問題で再び地元の「不信の目」
産経新聞 3月11日(水)20時50分配信

 廃炉に向けた作業が続く東京電力福島第1原発では11日、免震重要棟で東電の広瀬直己社長が約100人の社員らを前に「われわれは加害者で、加害者と被害者の立場はなかなか超えられない。長く大変な道のりだがきっとやっていけると確信している」と訴えた。

 ただ、2月には、汚染された雨水が排水路を通じて外洋に流出していたことを9カ月間公表していなかった問題が発覚。再び不信の目が注がれており、最長40年かかるとされる廃炉の進展に大きく影響している。電気料金の値上げや大幅なコスト削減で業績は持ち直しているものの、地元との関係の再構築に一からの出直しが求められている。

 汚染雨水の外洋流出問題では、漁業関係者が大激怒。広瀬社長はこの問題にも触れ、「漁業関係者がどういう思いか、もう少し寄り添えていたら違う対応ができた」と悔やんだ。

 昨年末には、リスクの大きかった4号機の燃料貯蔵プールから燃料の取り出しが無事に完了するなど、廃炉作業は一歩ずつ進んでいる。しかし、汚染水に悩まされる状況は変わっておらず、タンクにためる汚染水はこの1年間で15万トンも増えた。タンクは2日に1個のペースで増設しているが敷地内のスペースは限界に近づいている。

 長い廃炉への道のりで重要なのは人材だが、土砂の下敷きになったり、タンクの天井から落下したりして、この1年で2人の作業員を不慮の事故で失った。

 東電によると、若手を中心に平成26年度は268人(今年1月末時点)が自主退職しており、事故から4年間で約2千人が社を去ったという。東電福島復興本社の石崎芳行代表は「100年後の皆さんに誇れる地域に必ずする」と力を込めていた。(原子力取材班)


東日本大震災4年 沿岸部36カ所で不明者を集中捜索「工夫凝らしながら継続」
産経新聞 3月11日(水)20時46分配信

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震災4年目の節目となる3月11日に、浪江町請戸地区で行方不明者の捜索を行う福島県警の捜査員=3月11日午前、福島県浪江町(早坂洋祐撮影)(写真:産経新聞)

 岩手、宮城、福島の県警や海保などは11日、被災地沿岸部の計36カ所で行方不明者の集中捜索を行った。

 宮城県石巻市渡波(わたのは)の長浜海岸では、石巻署などが東北大の開発した地中レーダーを使い、砂浜で捜索を実施した。県警と大学関係者38人が参加。レーダーで砂浜を探知し、地中の埋蔵物に反応した地点を警察官が掘り返していた。

 警察庁によると、震災による死者は11日時点で、全国で1万5891人、行方不明者は2584人。このうち岩手、宮城、福島3県の死者は1万5824人、行方不明者は2580人に上る。年々判明する件数は減っており、昨年の集中捜索で身元が判明したのは宮城で1件。岩手、福島ではなかった。

 行方不明者の遺体や手掛かりを見つけることが困難になってきており、宮城県警は昨年8月、レーダーによる捜索方法を導入。地中の捜索も効率的に行えるようになった。

 捜索が行われた長浜海岸には宮城県警の横内泉本部長も訪れ、黙祷(もくとう)した後「時間の経過とともに捜索活動は厳しさを増してきているが、創意工夫を凝らしながら効果的な捜索を継続したい」と話した。


<大震災4年>東北へ届け「3・11」希望の灯…神戸
毎日新聞 3月11日(水)20時44分配信

 神戸市中央区の東遊園地では11日、追悼行事「3・11神戸からのメッセージ」が開かれ、今年で発生から20年になった阪神大震災の遺族や被災者ら約400人が東北に向けて祈りをささげた。

 「阪神淡路大震災1・17のつどい実行委員会」の主催で3回目。ろうそくを入れた竹灯籠(たけどうろう)約300本を「3・11」の文字に並べ、阪神の犠牲者の慰霊と復興への願いを込めてともし続けられているガス灯の火を移した。

 岩手県陸前高田市と宮城県名取市の追悼行事の様子をインターネット中継で結んでテレビで上映。地震が発生した午後2時46分、東北に向かって黙とうした。ガス灯を管理するNPO「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り」(HANDS)の藤本真一代表(30)が「東日本の皆さんにずっと寄り添い続けます」とメッセージを読み上げた。【宮嶋梓帆】


午後2時46分、鎮魂の黙とう
2015年3月11日(水)20時43分配信 共同通信

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 東日本大震災から4年、津波で大勢の犠牲者を出した宮城県南三陸町の防災対策庁舎前。集まった人々は、地震発生時刻から続いた黙とうで庁舎に向かい手を合わせた=11日午後2時47分

 東日本大震災は11日、発生から4年を迎えた。岩手、宮城、福島の被災3県をはじめ各地で追悼式や集会が開かれ、巨大地震が起きた午後2時46分に黙とうした。遺族らは約2万人の犠牲者を悼み、未曽有の大災害を教訓に「生かされた命で前進する」と誓った。政府主催の追悼式も東京都内で開かれ、3県の遺族のほか、安倍晋三首相や天皇、皇后両陛下らが参列、列島は鎮魂の一日となった。

 津波で児童や教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小の被災校舎では、法要に約200人が参列。鈴木典行遺族会会長(50)が「生かされた命で手を取り合って前に進みましょう」と呼び掛けた。


<原発事故賠償>「東電が和解案を拒否できないように」日弁連が「拘束力」提案
弁護士ドットコム 3月11日(水)20時31分配信

東日本大震災から4年を迎えた3月11日、日本弁護士連合会の村越進会長が記者会見を開き、声明を発表した。声明では「いまだ被災地の復旧・復興は十分ではない」として、今後も被災者への支援を続けていくことを表明した。

そのうえで、「生活基盤の確保と生活環境の整備」や「原発事故による損害の完全な賠償」が重要な課題だと指摘し、問題点の改善を訴えた。原発事故の損害賠償については、被害者と東電の和解仲介で問題が起きているとして、より被害者寄りの施策を実施することを求めている。

●東電が「和解案」を拒否するケースが目立つ

福島第一原発の事故で損害を受けた人々のために現在活用されているのが、「原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)」による和解仲介制度だ。

福島などに住む原発事故の被害者が、加害者である東京電力に損害賠償を求めても、正式な裁判では被害者の負担が大きく、裁判所の処理能力にも限界がある。そこで、簡易で迅速な手続によって損害を回復することを目指してできたのが、ADRセンターだ。国の機関が仲介して、被害者と東電の和解をとりもつ。4~5か月での解決が見込める制度だ。

これまで東京電力は、ADRセンターが提示した和解案を尊重することを誓約してきた。しかし、最近、ADRセンターが提示した和解案を、東電が拒否する事案が目立っているという。日弁連は「このような状況が続けば、ADRセンターへの信頼は失われ、その存在意義が問われることになりかねない」と危機感を示す。

そのうえで、日弁連は、東電が和解を拒否できないように、和解案に「片面的な拘束力」を与えることを求めている。被害者は納得できなければ和解仲介案を拒否できるが、東電は拒否できないようにするのが狙いだ。

このほか、村越会長は声明の中で、仮設住宅の供与期限の延長や、福島県内でしか行われてこなかった健康診断の拡充、震災関連死の認定基準の見直しなどを求めている。

村越会長は会見で「4年が経って、(震災が)風化しつつある。風化させないために、これからもさまざまな取り組みをしていきたい」と意気込みを語っていた。

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