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2015年3月11日 (水)

宮城沖地震に関するニュース・1932,2015年3月11日・2

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

記事が多いため分割します。

リンク:東日本大震災4年 「寄り添うことが大切」天皇陛下のお言葉全文 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:高浜差し止め、月内にも判断=住民ら仮処分申請―福井地裁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東電社長「被災者の方と同じ方向を向いて仕事」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「自分の目で見に来て」=二つの震災、語り部が会合―神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>忘れない、でも前へ…2時46分、黙とう - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東電社長「福島に寄り添って」 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「教訓忘れる風潮も」=田中委員長、原発事故4年で―規制委・東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>宮城県遺族代表の言葉…政府追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>福島県遺族代表の言葉…政府追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>岩手県遺族代表の言葉…政府追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 東京で政府主催の追悼式 全国で鎮魂の祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:3・11「祈りの日」式典に500人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「原発避難なければ」=福島でも追悼式―東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 皇太子ご夫妻も黙祷される 愛子さまは学校で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>犠牲者の冥福祈り復興誓う…政府主催・追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:防潮堤で黙とう=「切ない」「見守って」―メッセージ風船も・岩手と宮城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:進次郎氏が福島で先生になる! “教員生活”へ強い意気込み - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「ずっと寄り添う」=ネット中継で黙とう―神戸・東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:200農家が仲介申し立て=原発ADR、賠償継続求める―茨城・東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:防潮堤の上で手をつなぎ黙とう…岩手・宮古市 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:警戒区域でイノシシ、イノブタ381頭捕獲 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災関連死>仙台市、一審破棄求める - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:石巻・大川小で200人黙とう…午後2時46分 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仮設入居、6年目から延長を個別判断 多賀城市 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:鎮魂、再生へ祈り=東日本大震災4年で追悼式―安倍首相「復興、新たな段階に」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:追悼式で陛下「亡くなった人々に深く哀悼の意」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災から4年「前向いて生きる」 - 速報:@niftyニュース.
リンク:東日本大震災4年 関西の避難者 孤立、悩み深める人も… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 元教諭が恩師の言葉つなぐ「今こそ学ぶとき、それが復興」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「福島知事拉致し身代金」=脅迫容疑で除染作業員逮捕―県警 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>向き合う一日 遺族ら鎮魂の祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>白菊手向け あの日思う・宮城県庁 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:気仙沼の復興はどこまで進んだか? マルチコプターから見る気仙沼 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災の教訓>避難所の子ども 食物アレルギー対策急務 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

東日本大震災4年 「寄り添うことが大切」天皇陛下のお言葉全文
産経新聞 3月11日(水)20時2分配信

 東日本大震災から四年が経(た)ちました。ここに一同と共に震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 四年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す死者、行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は決して忘れることのできない、本当に恐ろしいものでした。死者、行方不明者の中には危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々高齢化していく被災者の健康は深く心に掛かります。

 さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。今なお、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。

 この四年間、被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆(きずな)を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。また、こうした努力を支援するため、国内外の人々が引き続きいろいろな形で尽力しています。この結果、地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成など様々な進展が見られましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。

 この度の大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。

 この十四日から宮城県仙台市において第三回国連防災世界会議が開催されますが、この会議において、我が国のみならず世界各国においてもこの度の大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています。

 被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。


高浜差し止め、月内にも判断=住民ら仮処分申請―福井地裁
時事通信 3月11日(水)19時58分配信

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)と大飯原発3、4号機(同)は安全性に問題があるとして、住民ら9人が関電を相手に再稼働の差し止めを求めた仮処分申請で、福井地裁(樋口英明裁判長)は11日、高浜3、4号機について審尋を終えた。住民側弁護団によると、今月中にも決定が出される見通し。 


東電社長「被災者の方と同じ方向を向いて仕事」
読売新聞 3月11日(水)19時42分配信

 東京電力の広瀬直己社長は11日、福島第一原子力発電所の免震重要棟で社員に向けて訓示した。

 地震が発生した午後2時46分に黙とうした後、「安全はすべてに優先する。我々は加害者だが、被災者の方に寄り添い、同じ方向を向いて仕事をすることが極めて大事だ」と語った。

 広瀬社長は訓示の後、記者団に対して「東電として地元に仕事を作って貢献したい。国や自治体と協力して復興に取り組む」と述べ、政府が夏までに策定を目指す復興支援の新たな枠組みに協力する考えを示した。

 一方、福島復興本社の石崎芳行代表は「復興のつち音の背後に、避難された方の苦しい人生の選択があることを心に留めて仕事にあたってほしい」と話した。


「自分の目で見に来て」=二つの震災、語り部が会合―神戸
時事通信 3月11日(水)19時34分配信

 阪神大震災から20年となった神戸市で11日、東日本大震災の被災者を招いて「語り部のつどい」が開かれた。参加者約140人が黙とうした後、震災の教訓をどのように伝え残すか話し合い、「自分の目で見に来て」「『語る』だけでなく『継ぐ』存在が必要」などの意見が出た。
 岩手県宮古市観光文化協会で防災ガイドを務める元田久美子さん(57)は、過去の津波経験から高い防潮堤があった同市田老地区の被害を紹介。「災害は忘れた頃に来るのではなく、人が忘れるから災害となる」と話し、「言葉では伝えきれない。とにかく一度見に来てほしい」と訴えた。
 「津波で流された地区を『昔から更地ですか』と聞く人もおり、風化が心配」と語ったのは、宮城県南三陸町のホテルのおかみ阿部憲子さん(52)。約3年前に始めた観光客向けの語り部バスツアー参加者は10万人を超えた。「きっかけは震災でも、『いい所だね』と言ってもらえるとうれしい。気軽に来てくれることが被災地の希望になる」と力を込めた。
 7歳の時に阪神大震災を体験した河田のどかさん(27)は、NPO法人で防災教育を担当する。「記憶も曖昧な自分が何を伝えるのか」と悩んだが、「備えていたら救えた命があった」との思いが背中を押したという。「語られる経験を次世代に『継ぐ』存在が必要。話を聞いて学び、行動に移すことは誰にでもできる」と呼び掛けた。 


<大震災4年>忘れない、でも前へ…2時46分、黙とう
毎日新聞 3月11日(水)19時32分配信

 東日本大震災から4年となる11日、各地で追悼行事があった。発生時刻の午後2時46分に合わせ、黙とうがささげられた。死者は1万5891人、行方不明者は2584人。津波で家を失ったり、原発事故で郷土を離れたりした約23万人がいまも避難生活を送り、関連死も3194人に上る。被災者は、犠牲者への鎮魂の祈りとともに、傷ついた古里の復興を誓った。

 東京都千代田区の国立劇場であった政府主催の追悼式には、岩手、宮城、福島の3県の遺族代表や、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長を含め約1200人が参列し、午後2時46分から1分間、黙とうをささげた。祭壇には、被災地で育てられたスイセンやユリが飾られた。

 安倍首相は犠牲者に改めて哀悼の意を示し、「被災地に足を運ぶ度、復興のつち音が大きくなっていると実感する」と強調。多数の避難者がいる現状を踏まえ「被災した方々に寄り添いながら復興を加速する」と決意を語った。天皇陛下は「亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します」と述べられた。

 遺族も心境や決意を語った。岩手県の内舘伯夫(みちお)さん(38)は「ふとした時に、父との温かい思い出に優しく包まれ、その少し後に、悔しさで胸が苦しくなる」と明かした。宮城県の菅原彩加(さやか)さん(19)は「前向きに頑張って生きていくことこそが亡くなった家族への恩返しだと思い、しっかり前を向いて生きていきたい」と誓った。家族3人を亡くした福島県の鈴木幸江(ゆきえ)さん(32)は「放射能の問題など課題が山積しているが、みんなで力を合わせて努力していく」と述べた。

 一方、被災地でも追悼式典があった。岩手県は同県野田村で、同村との合同追悼式を開き、達増(たっそ)拓也知事は「津波の惨禍を決して忘れることのないよう、経験と教訓を未来に語り継ぐ」と誓った。福島市であった福島県の式典では、県立福島高1年の北村華帆(かほ)さん(16)が「悲しいことがたくさんあった。その数だけたくさんの人に励まされた」と感謝の気持ちを込めて作った詩が朗読された。

 また、宮城県名取市の式典で村井嘉浩知事は「生活再建を果たせるよう取り組みを加速しなければならない」と述べた。【狩野智彦、松本晃、安藤いく子、岡田英、金森崇之】


東電社長「福島に寄り添って」
2015年3月11日(水)19時26分配信 共同通信

 東京電力の広瀬直己社長は11日、福島第1原発免震重要棟で社員ら約100人を前に「廃炉は長い道のり。福島の方々に寄り添って仕事をすることが大事だ」と訓示した。訓示に先立ち午後2時46分には社員らとともに黙とうし、震災による犠牲者の冥福を祈った。

 広瀬氏はこの1年の廃炉作業を振り返り「相当な進捗があった。一番大きいのは4号機(使用済み核燃料プール)からの燃料取り出しが完了したことだ」と述べた。しかし今年1月に第1、第2原発で作業員の死亡事故が相次いだことには「二度と起こさないようにしなければならない」と再発防止を誓った。


「教訓忘れる風潮も」=田中委員長、原発事故4年で―規制委・東日本大震災4年
時事通信 3月11日(水)19時20分配信

 東京電力福島第1原発事故の発生から4年となった11日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は東京都港区の原子力規制庁で職員に対し、「一部では事故の教訓を忘れつつある風潮もあるが、規制の責任を担う者は絶対に福島の教訓を風化させてはならない」と訓示した。
 田中委員長は第1原発の廃炉作業について「紆余(うよ)曲折しながらも、歩みは着実に進んでいる」とする一方、「この一年も少なからぬ事故やトラブルが起こり、福島県民に不安と憤りを与えている事実も直視する必要がある」と述べた。
 その上で「一度事故を起こしてしまえば、生活を元に戻すことが難しくなる」と強調した。


<大震災4年>宮城県遺族代表の言葉…政府追悼式
毎日新聞 3月11日(水)19時1分配信

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東日本大震災4周年追悼式で宮城県の遺族代表の菅原彩加さん

 政府が11日に開いた東日本大震災4周年追悼式で、宮城県の遺族を代表して菅原彩加さんが思いを述べた。全文は次の通り。

 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

 小さな集落でしたが、朝、学校へ行く際、すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声を掛けてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

 あの日、中学校の卒業式が終わり、家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとした時には既に遅く、地鳴りのような音とともに津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 しばらく津波に流された後、私は運良くがれきの山の上に流れ着きました。その時、足元から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見ると、くぎや木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、がれきをよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母の事を助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 そんな体験から今日で4年。

 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。すべてが、今もまだ夢のようです。

 しかし私は震災後、たくさんの「諦めない人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い、復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることができます。

 震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることもないと思います。しかしながら、これから得ていくものは自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていけるものだと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

 最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし、追悼の言葉とさせていただきます。

 宮城県遺族代表 菅原彩加


<大震災4年>福島県遺族代表の言葉…政府追悼式
毎日新聞 3月11日(水)19時0分配信

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東日本大震災4周年追悼式で福島県の遺族代表の鈴木幸江さん

 政府が11日に開いた東日本大震災4周年追悼式で、福島県の遺族を代表して鈴木幸江さんが思いを述べた。全文は次の通り。

 私の住んでいた福島県浪江町は、人口約1万9000人の、山と川と海の豊かな自然に囲まれた、心温かな方々が住むのどかな町でした。

 その町で穏やかな生活を送っていたところ、平成23年3月11日、突如発生した大地震と大津波により、父、母、そして弟を失いました。

 私の大切な家族の命を奪ったあのすさまじい光景は、今でも忘れることができません。

 そして、大震災発生から4年たった今でも、原子力発電所の事故による放射能の問題のために町に戻れない状態が続いており、将来の展開がなかなか見通せないことについて、やりきれなさを感じています。

 大震災からまる4年が過ぎようとする今、残された私たちがなすべきことは何かと考えたとき、多くの尊い命が犠牲になったことを教訓として、二度とこのようなことを繰り返さないために、そしてこの大震災を風化させないために、この経験を次の世代に伝えていくことではないかと思います。

 また、自衛隊、警察、消防をはじめとする多くの皆さまが、身の危険も顧みず救命・救助活動に当たっていただいたことや、全国の皆さまから物心両面でご支援いただいたことに対しまして、あらためて心より深く感謝を申し上げます。

 最後に、復興に向けては、放射能の問題、住宅の再建、農地の復旧など、まだまだ課題が山積しておりますが、ひるむことなく、みんなで力を合わせて一歩ずつ努力していくことを、大震災の犠牲となられた方々にあらためてお誓い申し上げ、遺族代表の言葉といたします。

 福島県遺族代表 鈴木幸江


<大震災4年>岩手県遺族代表の言葉…政府追悼式
毎日新聞 3月11日(水)19時0分配信

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東日本大震災4周年追悼式で岩手県の遺族代表の内舘伯夫さん

 政府が11日に開いた東日本大震災4周年追悼式で、岩手県の遺族を代表して内舘伯夫さんが思いを述べた。全文は次の通り。

 はじめに、いまだご遺体が見つからない方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々にお悔やみ申し上げます。

 あれから4年がたちます。毎日の生活の中で、ふとした時に、父との温かい思い出に優しく包まれます。そして、その少し後に、あの大きな津波の光景と冷たい泥や無数のがれき、父の遺体と対面した記憶がよみがえり、悔しさで胸が苦しくなります。

 そんな時は、父が「俺のことよりも他の人を」と言っている気がします。津波にのまれる時に、父が最後にそう伝えていたのかもしれません。私よりも、もっとつらい体験をされた多くの方々を思い、自分の気持ちをこらえます。

 数百年、数千年に一度と言われる震災を経験した私たちは、時の経過とともに前へ進みます。形あるものは、いずれ復興をとげ、後世に残るでしょう。

 時々、時間とは反対に進む気持ちがあります。記憶が少しずつ薄れてゆくのではないかという恐怖と、胸に閉じ込めた記憶を忘れてはいけないという気持ちです。しかし、それを思い出せば、悲しく、悔しく、後悔と自責の念に駆られます。

 形あるものの復興とともに、私たちがこれからの数百年、数千年先へ、その悲しさを優しさに、その悔しさを何かを許す心に、その後悔と自責の念を、生きている私たちがお互いを思いやり助け合う心にしたことを、伝え残していくこと。

 それが、私たち日本がこの震災を乗り越えた証しとなり、亡くなった方々への最大の敬意であると信じ、一日一日を大切に過ごしていきます。

 岩手県遺族代表 内舘伯夫


東日本大震災4年 東京で政府主催の追悼式 全国で鎮魂の祈り
産経新聞 3月11日(水)18時55分配信

 東日本大震災は11日、発生から4年を迎えた。関連死を含め、2万人超が犠牲となった未曽有の災害の記憶があせぬ中、東京都千代田区の国立劇場では、天皇、皇后両陛下をお迎えし、政府主催の四周年追悼式が開催された。被災地をはじめとする各地でもさまざまな行事が開かれ、日本中が鎮魂の祈りをささげた。

 政府主催の追悼式には岩手、宮城、福島の3県の遺族のほか、安倍晋三首相らが参列した。国歌斉唱後、震災が発生した午後2時46分に1分間の黙祷(もくとう)を実施。天皇陛下がお言葉で犠牲者らに哀悼の意を表された。

 安倍首相は式辞で、被災者に寄り添い、被災地の復興を加速させていく決意を表明。さらに、震災の教訓を生かし、「被害を少しでも小さくするため、常に最新の英知を取り入れつつ、総合的な防災対策に、政府一丸となって取り組む」と述べた。


3・11「祈りの日」式典に500人
産経新聞 3月11日(水)18時14分配信

 東日本大震災の犠牲者の冥福と被災地の復興を祈る第4回「東日本大震災『祈りの日』式典」(世話人代表・村上正邦元参院自民党議員会長)が11日、都内の憲政記念館で開かれ、約500人が参列した。

 式典にあわせ村山富市元首相、亀井静香元金融担当相らによる討論会も開かれ、阪神大震災時の首相だった村山氏は「国民全体が十分対応できるだけの準備をしておく必要がある」と訴えた。


「原発避難なければ」=福島でも追悼式―東日本大震災4年
時事通信 3月11日(水)17時43分配信

 東京電力福島第1原発事故で全町避難中の福島県浪江町は、避難先の同県二本松市で追悼式を開いた。同県本宮市の仮設住宅で暮らす西村ユキエさん(80)は長男が津波の犠牲に。「4年間、泣いてばかりいて、ゆっくり眠れたことはない」と涙を流しながら話した。
 遺族代表として追悼の辞を読み上げた高野里瑚さん(19)は、11日午前に浪江町請戸地区で不明者捜索に参加し、祖父母宅があった場所に花を供えた。「震災の風化を感じる。忘れてはいけないと思いながら献花した」。現在は首都圏の大学に通い、医療関係の技師を目指す。「福島の人の健康を支えていきたい」と将来の夢を語った。
 福島市では県主催の追悼式があった。遺族代表の村井良一さん(63)が住んでいた富岡町は全域が避難指示区域となり、親類や知人を頼って県内を転々とするうち、病弱だった父が亡くなった。村井さんは「避難生活がなければ、もっと長生きできたのではないか」と悔しそうに話した。 


東日本大震災4年 皇太子ご夫妻も黙祷される 愛子さまは学校で
産経新聞 3月11日(水)17時34分配信

 皇太子ご夫妻は、東日本大震災が発生したのと同じ11日午後2時46分、政府主催の追悼式に合わせ、お住まいの東宮御所で黙祷(もくとう)された。宮内庁東宮職によると、発生から4年を前にした震災関連の報道に関心を持ってご覧になっているという。

 長女の敬宮愛子さまは学習院女子中等科の学校行事で登校しており、同時刻に校内で友人とともに黙祷をささげられたという。


<大震災4年>犠牲者の冥福祈り復興誓う…政府主催・追悼式
毎日新聞 3月11日(水)17時28分配信

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「東日本大震災4周年追悼式」でお言葉を述べられる天皇陛下=東京都千代田区の国立劇場で2015年3月11日午後2時59分(代表撮影)

 政府主催の東日本大震災4周年追悼式が11日、東京都千代田区の国立劇場で開かれた。岩手、宮城、福島の3県の遺族、安倍晋三首相、天皇、皇后両陛下らが参列。震災が発生した午後2時46分、全員で黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。

 安倍首相は「被災された方々に寄り添いながら復興を加速していく。今回の震災から得られた貴重な教訓を無にしない。総合的な防災対策に取り組みたい」などと述べた。


防潮堤で黙とう=「切ない」「見守って」―メッセージ風船も・岩手と宮城
時事通信 3月11日(水)17時18分配信

 岩手県宮古市の田老地区では、高さ約10メートルの防潮堤の上で遺族ら約130人が手をつないで並び、地震発生時刻の午後2時46分を知らせる防災行政無線のサイレンの中、海に向かって黙とうをささげた。
 大津波は防潮堤を越え、181人が犠牲に。小田島征樹さん(26)は漁師だった父征治さん=当時(68)=を失った。「4年たった今でも笑いながら帰ってくるんじゃないかと感じる」。口数は少ないがしっかりと支えてくれた父親に、「見守っていてください」と心の中で呼び掛けた。
 弟家族4人を亡くした野中勝子さん(72)は「この日が来ると切なくなる」と涙声に。「もっと会っておけば良かった。気持ちに区切りを付けたいが、思い出さない日はない」と話した。
 宮城県名取市では、生徒14人が犠牲になった旧閖上中学校に遺族や卒業生ら約350人が集まり、「会いたい」などと書かれたハト形の風船など約360個を、「届け」の声とともに空へ放った。追悼イベントは今年で3回目だが、土地区画整理事業のため、同校での開催は最後となる。 


進次郎氏が福島で先生になる! “教員生活”へ強い意気込み
夕刊フジ 3月11日(水)16時56分配信

 東日本大震災は11日で発生から4年を迎えた。東京電力福島第1原発から20~30キロに位置する福島県広野町に4月、復興を支える人材を育成する「県立ふたば未来学園高校」が開校されるが、何と、小泉進次郎復興政務官(33)が同高の“先生”になることで注目を集めている。「ライフワーク」と公言する被災地復興で、さらに存在感を示すことになりそうだ。

 「福島の未来を自分たちで作っていこうという子ども達と、それを支える福島の教育関係の皆さんとお会いする事が出来て、来月開校のふたば未来学園高校で実現していきたい事がより明確になりました」

 進次郎氏は今月1日、自身のブログに福島視察の感想をつづり、“教員生活”への強い意気込みをにじませた。

 ふたば未来学園は中高一貫校で、高校が先行して4月に開校する。進次郎氏のほか、宇宙飛行士の山崎直子氏ら各界著名人による「出前授業」や、大学と連携した研究・実験などが行われる。

 進次郎氏は、構想段階から同学園に深く関わってきた。作詞家の秋元康氏や俳優の西田敏行らとともに、学園を支援する「ふたばの教育復興応援団」のメンバーに名を連ね、地元関係者や文科省担当者らと意見交換を重ねた。

 進次郎氏といえば、自民党青年局長時代に「TEAM11(チームイレブン)」を結成し、毎月11日に被災地を訪れる活動に取り組んだことで知られる。政務官就任の際にも復興の仕事にこだわり、周辺には「ライフワークは被災地復興」「被災地に10年通う」と語ってきた。そんな進次郎氏に地元も大きな期待を寄せている。

 ただ、安倍晋三首相が原発再稼働を目指すなか、進次郎氏には「脱原発」を掲げる父・純一郎元首相の影がチラつくことも否定できない。先の衆院選では、公然とアベノミクス批判をぶち上げるなどし、「党内野党」と見方も受けた進次郎氏。その活動は、被災地のみならず永田町でも注目を浴びることになりそうだ。


「ずっと寄り添う」=ネット中継で黙とう―神戸・東日本大震災4年
時事通信 3月11日(水)16時33分配信

 阪神大震災から20年となった神戸市の東遊園地では、岩手、宮城両県の被災地とインターネット中継を結び、「私たちであれば分かち合えることもある。神戸はずっと寄り添い続ける」と呼び掛けた。
 阪神大震災の犠牲者の慰霊と復興のシンボルである「1.17希望の灯り」の前には「3.11」をかたどった竹灯籠が並べられ、約200人の参加者が午後2時46分に東北に向かって黙とうした。
 東日本大震災の発生当時、仙台市に住んでいた神戸市の無職石川幹子さん(36)は、2人の子どもを連れて訪れ、「被災地に住んでいる人は必死で頑張っている。周りが忘れてはいけない」と話した。 


200農家が仲介申し立て=原発ADR、賠償継続求める―茨城・東日本大震災4年
時事通信 3月11日(水)16時24分配信

 東京電力福島第1原発事故による風評被害が続いているのに賠償金の支払いを打ち切られたとして、茨城県南西部の農家206人が11日、東電に賠償継続を求め、裁判外紛争解決手続き(ADR)機関の原子力損害賠償紛争解決センターに仲介申し立てを行った。弁護団によると、農家による集団申し立ては異例という。
 申し立てたのは坂東市や境町などで、白菜やレタスといった野菜を生産している農家。「市場価格はおおむね事故前の状態に回復した」として、2013年3月を最後に風評被害に関わる賠償金支払いを打ち切られており、同年4月~14年6月の賠償金計約14億1000万円の支払いを東電に求めている。 


防潮堤の上で手をつなぎ黙とう…岩手・宮古市
読売新聞 3月11日(水)16時14分配信

 東日本大震災の津波で多くの犠牲者が出た岩手県宮古市田老地区では、発生時刻の午後2時46分、「万里の長城」と呼ばれた高さ10メートルの防潮堤の上で、地元住民約150人が一列に手をつないで黙とうをささげた。


警戒区域でイノシシ、イノブタ381頭捕獲
河北新報 3月11日(水)16時10分配信

  環境省は10日、東京電力福島第1原発事故後に警戒区域に指定されていた福島県内の5町村で本年度、イノシシとイノブタ計381頭を捕獲したと発表した。2013年度の204頭から177頭増えており、同省は新年度も捕獲を継続する。

  捕獲は農地への被害防止などのため、14年5月26日~ことし2月20日に断続的に実施。富岡、大熊、双葉、浪江の4町に、本年度から葛尾村を加えた計5町村の帰還困難区域と居住制限区域に、はこなわ計40基を設置。浪江町105頭、大熊、双葉両町各93頭、富岡町69頭、葛尾村で21頭を捕らえた。

  豚舎などから逃げたブタと、野生のイノシシが交配して生まれた「イノブタ」とみられるのは15頭で、昨年度の73頭から減少した。


<震災関連死>仙台市、一審破棄求める
河北新報 3月11日(水)16時0分配信

  東日本大震災後に仙台市太白区の女性=当時(85)=が病死したのは震災で住環境が悪化したためだとして、同居していた男性(72)が、災害弔慰金を不支給とした市の決定の取り消しを求めた訴訟の控訴審の第1回口頭弁論が10日、仙台高裁であり、市は男性の請求を認めた仙台地裁判決の取り消しを求めた。

  市側は「地裁判決が震災と関連すると認めた肺炎は治癒しているし、死因につながった敗血症と因果関係がない。判決は医学的知見に反する」と主張した。

  男性側は「肺炎が一時的に治ったとしても、衰弱が回復しないまま進行し、死亡に結び付いており、震災との因果関係が認められるべきだ」と反論し、控訴棄却を求めた。


石巻・大川小で200人黙とう…午後2時46分
読売新聞 3月11日(水)16時0分配信

 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校では11日、地震発生時刻の午後2時46分、遺族ら約200人が校舎に集まり、1分間の黙とうを行って犠牲者の冥福を祈った。


仮設入居、6年目から延長を個別判断 多賀城市
河北新報 3月11日(水)16時0分配信

  多賀城市は2016年夏までに5年間の期限を迎える仮設住宅の入居について、6年目からは個別に延長を判断する「特定延長」を導入することを決めた。災害公営住宅や自宅が完成しない場合に限り、1年間の延長対象とする。

  市内で被災した世帯のうち234世帯が市内の仮設住宅に、750世帯が民間賃貸のみなし仮設住宅に現在も暮らす。一方、災害公営住宅は15年度中に鶴ケ谷(274戸)新田(48戸)の2カ所が完成予定。

  16年度に完成する宮内地区災害公営住宅(50戸)の入居予定世帯と、具体的な再建策はあっても自宅再建が終わらない世帯が特定延長になる見込み。市は5月、市外で被災して市内に暮らす世帯も含め該当するかどうかを調べる。

  このほか、住宅再建の方針が定まっていない世帯があり、市は支援策として住宅補修の利子相当額などを支給する補助の申請期限を14年度末から1年間延長する。

  特定延長の対象外となる賃貸住宅への移転希望者に対しては、生活再建支援法支援加算金(複数世帯で50万円)の支給や不動産団体による無料相談会などを行う。


鎮魂、再生へ祈り=東日本大震災4年で追悼式―安倍首相「復興、新たな段階に」
時事通信 3月11日(水)15時33分配信

 東日本大震災から4年を迎えた11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列。地震発生時刻の午後2時46分から1分間、黙とうし、犠牲者の鎮魂と東北の再生を祈った。
 2011年の震災では、死者・行方不明者が1万8000人を超えた。東京電力福島第1原発では深刻な事故が発生。事故の影響もあり、現在でも23万人近くが避難生活を強いられている。
 首相は式辞で「被災地に足を運ぶたび、復興のつち音が大きくなっていることを実感する。復興は新たな段階に移りつつある」と強調する一方、「今なお23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られている。健康・生活支援、心のケアも含め、さらに復興を加速していく」と表明した。
 天皇陛下はお言葉で「被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆(きずな)を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成などさまざまな進展が見られましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。
 岩手、宮城、福島3県の遺族代表もそれぞれ思いを語った。宮城県石巻市出身の菅原彩加さん(19)は中学校の卒業式を終えた後、家族5人で津波に襲われ、目の前で助けを求める母を救えなかった。「15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんあった」と振り返りつつ、「震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたい」と誓った。 


追悼式で陛下「亡くなった人々に深く哀悼の意」
読売新聞 3月11日(水)15時18分配信

 政府主催の東日本大震災4周年追悼式が11日、東京都千代田区の国立劇場で始まった。

 天皇、皇后両陛下はじめ、安倍首相ら三権の長、遺族代表ら約1200人が参列。大地震が発生した午後2時46分に全員で黙とうし、犠牲者を追悼した。

 天皇陛下は「震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します」と述べられた。


震災から4年「前向いて生きる」
2015年3月11日(水)15時10分配信 共同通信

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 政府主催の追悼式で、宮城県の遺族を代表して言葉を述べる菅原彩加さん=11日午後3時21分、東京都千代田区の国立劇場(代表撮影)

 東日本大震災から4年となった11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で開かれ、岩手、宮城、福島の3県の遺族のほか、安倍晋三首相や天皇、皇后両陛下らが参列した。震災が発生した午後2時46分に黙とうし、犠牲者の冥福を祈るとともに、教訓を後世に伝え、引き続き復興に取り組む決意を新たにした。

 3県の遺族代表は、それぞれ亡き家族への思いや支援に対する感謝の気持ちを語った。宮城県石巻市の菅原彩加さん(19)は、津波で母親を亡くした体験を語り「震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかりと前を向いて生きていきたい」と誓った。


東日本大震災4年 関西の避難者 孤立、悩み深める人も…
産経新聞 3月11日(水)15時2分配信

 ■関西の避難者 孤立、悩み深める人も

 東日本大震災で被災し、関西に避難して暮らす人たちにも、4年の月日が流れた。避難生活を続ける被災者らは、慣れない土地で肩を寄せ合って生きる。そんな暮らしを支えていこうとする人たちもいる。ひとつの節目に「やっと自分の足で歩き出した感覚がしている」と希望を話す人。「希望が持てない。震災がなければと思う」と立ちすくむ人。3月11日という悲しみの先に、それぞれの思いが交錯する。(中井美樹)

 「やっと笑えるようになってきた。4年もかかったんですね」

 約40人が参加し、大阪市内で10日開かれた避難者の交流会。仙台市で被災し、妻と堺市北区の避難者向けの公営住宅で暮らす松井浩さん(56)はそうほほ笑んだ。フリーランスのコンピューターエンジニアをしながら、妻と営んでいたカフェは震災で半壊。友人を頼って大阪に避難した。

 大阪で仕事を探すことにし、被災者対象の緊急雇用事業で職を得たが責任ある仕事は任せてもらえない。「期間限定なので当然だと思う一方でつらかった」

 地に足がつかない生活は「茫然(ぼうぜん)自失だった」というが、一昨年の秋、知り合いに頼まれてカフェでの経験を生かして料理を作り、喜んでもらえたことが前を向くきっかけになった。

 大阪府箕面市内のレンタルスペースで月に10日ほど「食堂」を営業する。飲食店のオープンを目指した物件探しも最近始めた。「やっと自分の足で歩き出した感覚がしている」と話す。

 一方で、月日の流れとともに不安を募らせている人もいる。

 「これからどうしたらいいのか。希望が持てない」。福島県富岡町から京都府宇治市に避難している佐々木宏明さん(35)は声を落とした。震災が起きたのは、国の職業訓練事業でパソコンを学んでいたときで、4月からの就職も決まっていた。

 避難後は、宇治市の臨時職員として働いたが今は無職だ。東京電力が避難を余儀なくされた被災者に支払っている賠償金が、生活の支えになってしまっている。「はじめは頑張って生きていこうと思っていたが、今は前向きな気持ちがわいてこない。震災がなければと思うこともある」

 中学生の長女と2人で、京都府内に避難している40代の女性は、現在暮らしている避難者向け公営住宅の入居期限が1年後に迫る。

 今は家賃は必要ないが、期限が切れるとたちまち家計が苦しくなる。就職先を探そうと、20社以上に履歴書を送ったが面接にすら至らない。「正社員で働きたいのですが、年齢的に厳しいのかも」。焦りは募る。

 交流会を主催した「東日本大震災県外避難者西日本連絡会(まるっと西日本)」(大阪)の代表世話人、古部真由美さん(42)は避難者の中で、生活再建が進む人と立ち止まってしまう人の二極化を懸念し、こう話した。

 「県外避難者は周囲に相談する人も少なく孤立しがち。そういう避難者を探して支援につなげる活動が、これから重要になってくる」


東日本大震災4年 元教諭が恩師の言葉つなぐ「今こそ学ぶとき、それが復興」
産経新聞 3月11日(水)15時0分配信

 東日本大震災で被災した高校生らの教育支援を展開する一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」(福島市)が4月、設立から1年を迎える。事務局長の前川直哉さん(38)は20年前、灘高校(神戸市東灘区)3年のときに阪神大震災を経験した。その後、灘中学・高校で教諭を務めたが、東日本大震災を機に福島に移り住んだ。震災から4年。「阪神大震災のときに恩師から受け継いだ『今こそ学ぶんだ』というバトンを福島の子供たちに渡したい」。子供たちの学ぶ意欲に応える場を提供している。

 平成7年1月17日、阪神大震災が起きた。家族は無事だったが、兵庫県尼崎市の自宅マンションは家具が倒れ、両親が経営する喫茶店は半壊した。灘高では国公立大2次試験に向けた授業が始まる日だったが、周辺の被害は大きく、取りやめに。大学受験をあきらめかけたが、担任教諭らの励ましの言葉が心の支えになった。

 「人が伝えたことや学んだことはどんな災害があっても壊れない。だから、今こそ学ぶんだ。それが復興につながる」

 その言葉に後押しされ、東京大へ。卒業後は学習塾講師などを経て、非常勤講師として母校に戻り、後に教諭となった。

 東日本大震災が発生した23年の夏休み、同僚とともに岩手県釜石市で泥かきのボランティアに参加した。翌24年の春休みにはボランティア合宿に生徒を引率し、福島県相馬市などを訪れた。地元の県立相馬高校の生徒らとも交流し、福島とのつながりが生まれた。

 生徒を連れて何度も被災地を訪ねるうち、教諭になる原点となった阪神大震災のときの記憶がよみがえり「原発事故などで大きな不安を持つ福島の子供たちに『今こそ学ぶときだ』と伝えたい」と、心を決めた。退職して昨年4月、福島市に転居。地元の住職らと団体を立ち上げた。

 これまで、予備校講師や受験参考書を執筆した教諭らが高校生に勉強法を教える無料のセミナーを3回開催した。趣旨に賛同した講師らは手弁当で駆け付けてくれた。ボランティアに取り組む高校生が活動を発表するコンテストの企画や、大学生を高校に派遣し、学習法などを助言するプログラムにも力を入れている。

 福島県の高校生と接して感じるのは、震災後にさまざまな支援を受けた体験をもとに「支えられる側から、支える側になりたい」という意欲だ。そんな子供たちが学ぶことができ、さらに伸びるような環境をつくりたいと模索する。

 「成長した福島の子供たちが、誰かに『今こそ学ぶ』というバトンをつないでくれたら」。その思いを胸に今後も活動を続ける。(吉田智香)


「福島知事拉致し身代金」=脅迫容疑で除染作業員逮捕―県警
時事通信 3月11日(水)14時56分配信

 福島県知事を拉致して身代金を要求するという内容の文書を県に送ったとして、県警福島署は11日、脅迫容疑で除染作業員内藤康生容疑者(38)=同県矢吹町明新中=を逮捕した。容疑を認めているという。県には昨年12月22日以降、複数の脅迫文が届いており、関連を調べている。
 逮捕容疑は1月20日、県広報課宛てに「県の施設に爆弾などを仕掛けるか、知事を拉致して身代金を要求する」という趣旨の文書を送り、脅迫した疑い。 


<震災4年>向き合う一日 遺族ら鎮魂の祈り
河北新報 3月11日(水)14時40分配信

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震災で祖母を亡くし、慰霊塔の前で手を合わせる健史さん=11日午前5時50分ごろ、仙台市宮城野区蒲生の中野小跡地付近

  東日本大震災は11日で発生から4年となった。再び巡ってきた「3・11」。被災地にはあの日と同じように雪が舞った。宮城県内では、遺族らが早朝から慰霊塔や墓前で手を合わせ、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。

  津波で甚大な被害を受けた仙台市宮城野区蒲生では、小雪がちらつく中、遺族や友人らが中野小跡地の慰霊塔を訪れた。

  祖母の片桐なみ子さん=当時(84)=を亡くした健史さん(30)=若林区=は「あの日を忘れることは一生ない。亡くなった人の分も頑張って生きたい」と話した。

  仙台市を含む宮城県沿岸部の13市町は11日午後、各地で追悼式や慰霊祭を実施。地震発生の午後2時46分に合わせ、黙とうした。

  警察庁によると、震災の死者(10日現在)は宮城の9539人を含め全国1万5891人。行方不明者は2584人に上っている。


<震災4年>白菊手向け あの日思う・宮城県庁
河北新報 3月11日(水)14時40分配信

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2階講堂の献花台に多くの県民らが訪れ、震災の犠牲者を追悼した=11日午前9時50分ごろ、宮城県庁

  宮城県庁には11日、午前9時から献花台と記帳所が設置された。献花台が設けられた2階講堂には多くの県民や県庁職員らが足を運び、白菊を1輪ずつ手向けて犠牲者の冥福を祈った。

  献花をした仙台市太白区の主婦小泉理恵さん(42)は「震災の記憶を忘れないようにするため来た。震災後、災害時の家族との連絡手段の確認や備蓄など、防災に対する意識が高まった」と話した。

  1階ロビーでは、震災の記録をまとめた映像が放映され、県民らが4年前のあの日に思いをはせた。

  県は大崎、大河原の両合同庁舎にも献花台と記帳所を設置した。3月11日は県条例で、犠牲者を悼み、復興を祈念する「みやぎ鎮魂の日」に定められている。


気仙沼の復興はどこまで進んだか? マルチコプターから見る気仙沼
THE PAGE 3月11日(水)13時21分配信

 東日本大震災から11日で4年が経過した。復興の様子を上空から俯瞰してみることで、よりその全体が把握できるかもしれない。巻き網漁船が打ちあげられたことでも知られる宮城県気仙沼市の復興の様子をマルチコプターで撮影した。

[動画]鹿折地区の空撮動画はこちらから

Photo_11
気仙沼内湾地区の空撮

 気仙沼市の内湾地区は、気仙沼の海の玄関口である。震災以前から魚市場や商業施設が立ち並ぶ観光スポットであったが、東日本大震災の大津波で約4~5メートルの津波に襲われた。現在は気仙沼魚市場、魚市場隣接の観光施設「海の市」(うみのいち)も復旧している。

 鹿折地区は、住宅地、加工工場、鉄鋼場等が密集するエリアであった。東日本大震災において、津波と火災に襲われたのがこの場所であり、巻き網漁船「第18共徳丸」が打ちあげられたのもこの地区である。JR鹿折唐桑(ししおりかわくら)駅からもその様子が望めたが、現在は解体され、全長約60メートルのその船の姿はない。震災後、公園、産業エリア、住宅地等のエリア分けをする計画もあり、地域全体をかさ上げしている。


<震災の教訓>避難所の子ども 食物アレルギー対策急務
毎日新聞 3月11日(水)13時18分配信

 ◇患者団体啓発 運営マニュアルを改定

 東日本大震災の教訓から、避難所で食物アレルギー対策に取り組む必要性が指摘されている。内閣府の南海トラフ巨大地震被害想定で避難者が全国最多とされた愛知県では、患者会20団体が啓発活動を続けている。県も避難所運営マニュアルを改定し、アレルギー対策を盛り込む予定だ。

 「これはアレルギー用なんです」。昨年8月、愛知県豊橋市の汐田小学校で行われた避難所運営訓練。炊き出しのシチューを口にする参加者に、アレルギー対策の必要性を説いて回る女性たちがいた。豊橋市の患者会「RINRIN♪豊橋アレルギーっ子の会」のメンバーだ。

 東日本大震災の避難所ではパンやカップ麺などが配られたが、小麦、卵、乳製品などでアレルギー反応を起こす子供たちには食べられない食品が多かった。危機感を募らせた豊橋の母親たちは発災2カ月後に会を作った。以来、防災訓練などで啓発を続け、アレルギー対応食品の備蓄増加を求める。

 避難所運営に関する内閣府の指針では▽炊き出しの際、食材を表示する▽食物アレルギー児は食べられない食品を記したものを身につける--などが示されており、会は、こうした対応の必要性も訴えている。

 愛知県では今年度、小中学校の給食でアレルギーの配慮対象となっている子供は全体の4.4%の2万7536人。アレルギーへの一般の関心はなかなか高まらないといい、会の代表の平田佐規子さん(39)は「災害時、アレルギーの原因食品を食べれば死んでしまうかもしれないし、何も食べなければ餓死。理解を広げなければ」と話す。また、アレルギーの子供は、せきこんだり、体のかゆみから泣き出したりすることがある。円滑な避難所運営のために、他の人たちとは別のスペースで生活することを提案したいという。

 アレルギー対策には、行政や避難所を運営する自主防災組織、ボランティアコーディネーターらの協力が不可欠だ。

 名古屋市のNPO法人「アレルギー支援ネットワーク」常務理事の中西里映子さん(57)は「日ごろから顔の見える関係づくりが必要」と、市や災害ボランティア団体などの連絡会に積極的に参加している。支援物資の受け入れなどで協力できるよう、東海地方のほか、関西、中国地方の患者会とも連携を図る。東日本大震災では、アレルギー対応食品が一般の物資と交じり、必要な人に届かないケースもあった。患者会同士の連携はそうしたトラブルを防ぐのに役立ちそうだ。

 愛知県はアレルギー対策を盛り込む避難所運営マニュアルの改定作業を今月中に終え、県内市町村に配布する。【清藤天】

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