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2015年3月11日 (水)

宮城沖地震に関するニュース・1931,2015年3月11日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<震災4年>首相「居住の安定確保に全力」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>季節は巡り、またあの日… - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:燃料の搬出完了=廃炉の浜岡1、2号機―中部電 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>生かされた命かみしめて - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:海に向かって鎮魂の祈り…東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>「一本松」の下で、復興願うほら貝 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:仙台市長、復興相発言「理不尽」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>仙石線、新たな街造る 工事進む - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:【大震災 若者の挑戦(1)】  「暗闇の先にもきっと光がある」と言えた 震災の記憶を伝え続ける相馬高校放送局 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島知事脅迫>除染作業員を逮捕 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「復興、新たな一歩を」=午後に政府追悼式―安倍首相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>小学校目前に犠牲、娘の遺族が校庭に桜植樹 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:不明者の一斉捜索=宮城や福島の海岸―東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>大津波想定の避難訓練 宮古で1200人参加 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「長いようで短い」=被災地で早朝から祈り―東日本大震災から4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発と共生の象徴「PR看板」双葉町が撤去へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:あの日再任の副町長退任へ「防災に悔い残る」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「心の復興に力入れる」首相がビデオメッセージ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災4年>液状化被害の復旧半ば 茨城・潮来 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>避難者なお23万人 犠牲者1万8475人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<原子力安全協定>「女川」年度内締結確実に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>評論・いまだ手の届かぬ希望 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<震災4年>首相「夏までに復興支援策」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地の現状を特別紙面で - 速報:@niftyニュース.
リンク:避難23万人、震災発生から4年 - 速報:@niftyニュース.
リンク:川内原発1号機、工事計画書18日にも認可 規制委 再稼働へ書類審査ほぼ終了 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 福島第1原発の「今」 溶けた燃料、月内にも形状把握 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:JR常磐線、順次再開へ 原発付近は安全確保後 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:春、踏み出す一歩… 東日本大震災4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東日本大震災4年 記憶新たに再生への誓い 首相「夏までに新支援枠組み」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:常磐線は「安全確保策」完了後に全線再開へ…国交省が見通し示す - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:奇跡の一本松が万年筆に、11日から限定発売…3・11から4年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:遮水壁の建設と除染が進む福島第一原発 ──  4年が経過した原発構内の現状は - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:グーグル、被災地の写真を公開 - 速報:@niftyニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<震災4年>首相「居住の安定確保に全力」
河北新報 3月11日(水)13時15分配信

  安倍晋三首相は河北新報社などのインタビューで、東日本大震災と福島第1原発事故の被災者に自立を促す政府の方針に理解を求めた。

  -集中復興期間の最終年度を迎える。

  「2016年度以降も必要な事業はしっかりと実施する。来年3月で終わる集中期間後、次の5年間の新たな復興支援の枠組みを夏までに策定する。財源や地方負担の在り方も含めて検討する。復興は新たなステージに移りつつある。被災者の自立を応援し、できる限り支援する」

  -避難生活や仮設住宅暮らしが長期化している。

  「安定的な居住や生活環境の確保に政府を挙げて取り組む。長期化で不安を抱き、将来に夢や希望、生きがいを持てないとの声をしっかり受け止め、健康面や心のケアを行うことが極めて重要だ。見守り活動を推進する相談員や巡回指導する保健師の確保などに力を入れたい」

  -福島の産業活性化と原発事故賠償への考えは。

  「イノベーション・コースト構想は新しい福島の象徴になる。構想を踏まえ、避難区域となった12市町村の将来ビジョンを夏までにまとめたい。賠償は地元の意見を聞き、被災者に寄り添う対応が重要だと東京電力を指導している。政府も住民や事業者の自立につながる支援をしていく」

  -グループ化補助金の継続を求める声が多い。

  「高台移転の造成工事の遅れなどで復旧に着手できない企業が存在する。活用を希望する事業者も多く、16年度以降も適切に対応する。雇用を守るためにも元気な中小企業が必要だ」

  -来年の主要国首脳会議(サミット)の開催地に、被災地の仙台市も立候補している。

  「6月のドイツ・サミットまでに開催地を判断したい。どこになるにせよ、力強く復興をアピールできるよう取り組む。復興の対外発信は、仙台市で14日に始まる国連防災世界会議が重要だ。各国首脳との会談で防災への取り組みや震災からの復興状況を世界に発信したい」


<震災4年>季節は巡り、またあの日…
河北新報 3月11日(水)13時10分配信

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全線運行を再開した三陸鉄道南リアス線。列車が海沿いを力強く走った=2014年4月、釜石市の唐丹駅

  あの日から、4年の月日が流れた。巨大地震と津波、東京電力福島第1原発事故の三重苦。東日本大震災の被災地は今なお、災禍の真っただ中にある。

  それでも、季節は巡る。復興の期待を背負い、鉄路がよみがえった春があった。海辺に海水浴を楽しむ子どもらが戻り、笑顔がはじけた夏があった。全町避難の町に、帰郷の願いを託したヒマワリが咲き誇った秋を経て、冬にはまた一つ、解体か保存かに揺れた震災遺構が姿を消した。

  この1年、被災地は何が変わり、何が変わらなかったのか―。レンズが捉えた四季の移ろいに、東日本大震災の今を見る。


燃料の搬出完了=廃炉の浜岡1、2号機―中部電
時事通信 3月11日(水)13時5分配信

 中部電力は11日、2009年に運転を終え廃炉作業を進めている浜岡原発1、2号機(静岡県御前崎市)について、2号機の燃料プールに保管していた未使用の燃料148体を茨城県東海村の燃料加工メーカーに返送し終えたと発表した。1、2号機に残っていた燃料は、3~5号機に移した使用済み燃料を含め、全て運び出された。 


<大震災4年>生かされた命かみしめて
毎日新聞 3月11日(水)12時23分配信

 追悼の日がめぐってきた。東日本大震災から4年となる11日、被災各地では犠牲になった肉親らに思いをはせ、復興を誓う人々の姿があった。「私たちを見守って」「今でもあきらめきれないが……」。さまざまな祈りがささげられた。津波で大きな被害を受けた沿岸部では、震災の教訓を生かそうと住民らによる避難訓練もあった。

 岩手県宮古市では、大津波警報が発表されたとの想定で避難訓練が行われ、約1200人が参加した。同市では東日本大震災で死者・行方不明者514人を数える大きな被害があった。

 この日午前6時5分に警報発表を知らせるサイレンが街に鳴り響き、消防団が81カ所の水門を一斉に閉鎖。海岸部の住民が貴重品などを詰めたリュックを背負うなどして高台に避難した。

 同市蛸(たこ)の浜町では、住民約20人が高台の熊野神社に避難。年配の女性は「あの時は津波が石段の途中まで押し寄せ、怖かった」と4年前を振り返った。

 震災後、同神社周辺の避難路にソーラー式誘導灯18基を設置。暗くなると自動で点灯する。住民は「夜間は助かる」と話し、避難を最優先にする大切さを確認し合った。【鬼山親芳】


海に向かって鎮魂の祈り…東日本大震災4年
読売新聞 3月11日(水)12時8分配信

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海辺で花を手向け、黙とうする福島県南相馬市小高区の住民。現在も同市鹿島区の同じ仮設住宅に避難している(11日午前6時34分、同市鹿島区で)=清水健司撮影

 未曽有の大災害となった東日本大震災は11日、発生から4年を迎えた。

 大津波が襲った岩手、宮城、福島3県の沿岸部では早朝から、帰らぬ家族や友人を悼んで、多くの人々が海に向かって鎮魂の祈りをささげた。行方不明者の手がかりを求めて、集中捜索も行われた。午後には、天皇、皇后両陛下をお迎えし、東京都千代田区の国立劇場で政府主催の追悼式が行われる。被災地でも自治体などによる式典が開かれる。

 福島県相馬市の原釜尾浜(はらがまおばま)海水浴場では、津波犠牲者の慰霊碑に、早朝から住民や遺族らが次々と献花に訪れ、曹洞宗福島県青年会の僧侶ら約50人による法要が行われた。両親を津波で亡くし、千葉県から車で訪れたという40歳代女性は「これまで海が怖くて近づくことができず、4年たってやっと、この場所に来ることができた」と涙ぐみながら手を合わせた。

 津波で50人以上が犠牲になった同県南相馬市鹿島区南右田地区。約1万本あった防災林の中で唯一、津波に耐えて残った「かしまの一本松」前では午前、復興祈願が行われた。地元の住民約30人が参加し、響き渡るほら貝の勇壮な音色に復興への願いを重ねていた。


<大震災4年>「一本松」の下で、復興願うほら貝
毎日新聞 3月11日(水)11時48分配信

 東日本大震災から4年。福島県南相馬市鹿島区の海岸では11日、津波にも耐えた「かしまの一本松」の下で、復興を願うほら貝の音が鳴り響いた。同地域では、震災以前に70戸あった住宅がすべて流失し、54人が犠牲となった。海岸線約3キロに広がっていた松林のうちわずかに残った松の木も枯死し、唯一残った木は地域住民の復興のシンボルとなっている。

 演奏は地元で活動する「ひばり法螺(ほら)貝愛好会」のメンバーら。2012年から3月11日とお盆に、地区にある慰霊碑前での演奏活動を続けている。

 この日慰霊碑前では、遺族らの前で黒い装束姿で追悼の意を込めて演奏。一本松の下では衣装を陣羽織に変え、復興を願って力強く吹いた。

 津波で妻喜恵子さん(当時67歳)を亡くした志賀孝行さん(72)は「毎月、月命日には祈りをささげている。帰ってこない家内を諦めきれない気持ちもあるが、一方では天災だから仕方ないという気持ちにも最近はなってきている」と話した。

 また、津波で32人が行方不明になり、東京電力福島第1原発事故のため全町避難が続いている浪江町では、県警などが約290人態勢で請戸(うけど)漁港の捜索にあたった。【高橋隆輔、土江洋範】


仙台市長、復興相発言「理不尽」
河北新報 3月11日(水)11時45分配信

  奥山恵美子仙台市長は10日の定例記者会見で、東日本大震災の集中復興期間が終了する2016年度以降の復興予算をめぐり、竹下亘復興相が全額国費負担の枠組みを見直す考えを示したことに「復興事業に時間がかかる事情を考慮せずに『残りは自助努力』というのは非常に理不尽だ」と反発した。

  市復興計画は15年度に終了するが、奥山市長は16年度以降も土地区画整理や避難道建設事業などが続くことを挙げた。他の被災自治体の現状にも触れ「困難を抱える自治体に国は寄り添ってほしい」と注文した。

  19年ラグビーワールドカップ日本大会の開催地に選ばれなかったことに関しては「残念だが立候補後に示された契約条件をみると、市の財政負担が青天井になると解釈できた。契約内容も外部に公開できず、市税投入に理解を得られない可能性があった」と述べた。

  立候補の際、財政負担の軽減や情報開示など6項目を日本大会組織委員会に要望したことについては「自治体の説明責任を果たすためで委員会も了解した」と妥当な判断だったと強調。誘致姿勢が消極的との指摘には「契約条件の丸のみが積極的というのなら、最初からそう言ってほしい」と反論した。


<震災4年>仙石線、新たな街造る 工事進む
河北新報 3月11日(水)11時45分配信

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10日午前11時ごろ、東松島市野蒜上空から石巻方向を望む

  山を切り崩して伸びるJR仙石線の移設ルート。5月30日の全線再開を目指し急ピッチで工事が進む。東日本大震災から11日で4年。沿線は集団移転先となる団地の工事も進み、新たな街並みの骨格が見えつつある。


【大震災 若者の挑戦(1)】  「暗闇の先にもきっと光がある」と言えた 震災の記憶を伝え続ける相馬高校放送局
J-CASTニュース 3月11日(水)11時39分配信

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から4年。復興は道半ばで、東京電力福島第1原発事故の影響により今も多くの人が避難生活を余儀なくされている。

 一方で、時間の経過とともに被災地が忘れられていく懸念がある。震災の記憶を伝えよう、苦しむ被災者を支えようと若い世代が震災発生時から今までずっと様々な取り組みを続けている。J-CASTニュースは、被災地で生き、活動する若者たちを追った。

■鳥のさえずりと放射能測定器の警告音

  「ここには私の街が、家が、生活があった」

 女性のナレーションとともに画面には、津波で甚大な被害を受けた福島県相馬市磯部地区の「今」が映し出される。そして、こう続く。「何かしなければ、いつか忘れてしまう。でも忘れてほしくない。いつまでも覚えていてほしい。だから伝えていきたい、ふるさとの今を」。

 福島県立相馬高校の部活動、「放送局」の女子部員が2014年6月に制作した8分間の映像ドキュメンタリー「ちゃんと伝える」のラストシーンだ。現在2年生のこの現役部員は、今も仮設住宅から通学している。

 放送局では2011年以降4年間、震災を扱った音声や映像作品を継続的につくっている。2011年6月につくられた、音声のみのラジオドキュメンタリーがある。題名は「緊急時避難準備不要区域より」。当時入学して2か月だった1年生女子部員が初めて手掛けた7分ほどの作品だが、メッセージ性は強烈だ。

 聞こえてくるのは、のどかな鳥のさえずりと、それを遮るように響く放射能測定器の警告音。自宅は、政府が指定した「緊急時避難準備区域」のわずかに外側だった。「緊急時避難準備区域」は、いつでも屋内退避や避難ができるように準備をしなくてはいけない。その外といっても、放射能の不安はつきまとう。生徒は祖母に話を聞く。もう野菜を作る気になれない、「ここは大丈夫」と政府に一方的に言われて避難しようがない――。

 生徒は最後にこう口にする。

  「私には今を生きることしかできない。人生80年なんて考える方が間違っている。安全な場所なんてどこにもない」

 この年にもうひとつ「大作」が生まれた。6人の部員による30分超の演劇「今伝えたいこと(仮)」だ。女子高生の仲良し3人組の中で、突然1人が自らの命を絶つ。残った2人は「なぜこんなことに」と、友の死の理由を語り合う。実は彼女は津波で家を流されて家族を失い、酪農家の親戚に預けられる。だが、原発事故のせいで生活が厳しい親戚から疎まれ、毎日つらい思いをしていた。それでも本人は、2人の前でいつも明るく振る舞っていたのだ。

 話し合ううちに2人は気持ちをぶつけ合う。1人は、自分たちがこの場所で生きていくからこそ絶望してはだめだと主張するが、もう1人は「きれいごと」だと切り捨て、希望は持てないと突き放す。

 子どもの訴えを無視しないで、苦しんでいる人たちがいることを忘れないで――。悲しみや怒りの感情を爆発させた女子生徒の心の叫び声が印象的だ。

人々と触れ合いながら新たな気づきを得ていく
 劇は2012年3月10、11日に東京都内で初演。以後は口コミで評判が広がり、全国から上映会の依頼が続々と舞い込む。制作メンバーの6人が各地に赴き、観客と話をする機会も増えた。2013年7月には、優れたジャーナリズム活動に贈られる「日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞」に選ばれた。

 放送局の顧問を務める渡部義弘教諭は、作品の制作過程でシナリオや映像に「口出し」することは一切ない。「今伝えたいこと(仮)」の脚本も生徒が書き上げた。取り扱う題材も部員が自主的に選ぶ。

 ただ周りを見渡した時、最も伝えたいテーマだと生徒が感じることが多いのは震災のようだ。加えて「今伝えたいこと(仮)」のインパクトは大きく、放送局のその後の活動にも影響を与えたと考えられる。

 事実、2013年制作の「相馬高校から未来へ」では、「今伝えたいこと(仮)」の上映会で各地を回る先輩部員に密着。被災地の現状を発信する一方、上映会で訪れた場所の人々と触れ合いながら新たな気づきを得ていく様子を描いている。1人の部員は、広島市や熊本県水俣市を訪問した際「原爆や水俣病は過去のものじゃない」と実感したと、会場を訪れた人に語り掛ける。そのうえで、自分たちの未来をつくっていきたいとの願いを口にした。

 この作品は、2011年の「緊急時避難準備不要区域より」と同じ女子部員が制作した。「2年前には未来に絶望していた子が、2年かけて『暗闇の先にもきっと光がある』と言えるようになったのです」と、渡部教諭は振り返る。「相馬高校から未来へ」は2013年のNHK杯全国高校放送コンテスト「テレビドキュメント部門」で優勝を果たした。

話に耳を傾けてくれる人は大勢いると知った
 そして2014年、当時1年生の部員が手掛けたのが冒頭に登場した「ちゃんと伝える」だ。制作した生徒は、「今伝えたいこと(仮)」をつくった先輩が卒業した後に入部した世代。1年生で最初に向き合ったテーマは、震災ではなかった。だが放送局に入部後「今伝えたいこと(仮)」の映像を見て、「いずれ自分も震災を」との思いはあったという。

 津波で壊滅的な打撃を受けた地元は、景色が一変した。変わり果てた姿は、年月がたつと自分の中で「いつもの風景」として目に映るようになった。そこに危機感を感じたのかもしれない。「震災を撮り続けるのは、もちろん周りの人たちに忘れないでほしい気持ちもありますが、自分自身も中学生のころに見ていた地元を忘れてはいけないと感じました」と話す。

 映像には仮設住宅や犠牲者を悼む慰霊碑に加えて、相馬高の男子生徒が卒業式の答辞を読んでいる最中、自分の父を震災で亡くしたと明かすシーンがある。この生徒にインタビューした。すると、個人的な話をすべきか直前まで迷ったが、「今いない人」の存在を感じさせるのも必要ではないか、と父の死に触れる決断をしたと明かした。

 制作した部員は仙台市で開かれた作品の上映会で、「(観衆が)どんな反応をするんだろうと怖かったけれど、真剣に聞いてくれました」と手ごたえをつかんだ。伝えようとすれば、理解してくれる人はいる。そして自分の中でも、何が起きたかを思いとどめておけると実感した。

 一緒に参加した同級生の別の女子部員は、他の上映会で全国を回った経験がある。「初めは『もう忘れられているんじゃないか』との気持ちもありましたが、全然そんなことはなかった。話に耳を傾けてくれる人は大勢いると知ったのです」。

 震災直後から作品を見つめてきた渡部教諭は、4年間の中で「伝える」内容の変化を感じ取っているようだ。「当初は『なぜ子どもの声を聞いてくれないのか。怒りをぶつけてやれ』との意識が強かったかもしれません。しかし今では、『大人は敵だ』という主張はしていない。上映会で多くの人と交流するなかで生徒たちも視野が広がり、震災のとらえ方が多角的になってきたのだと思います」と話す。

 相馬高校放送局のように震災関連の映像や音声作品を制作し続けている高校の部活動は、今ではほとんどない。だが同校では、部員が「震災を伝える大切さ」を肌で感じているからこそ、自らの意志で今後も制作活動を続けていくはずだ。(この連載は随時掲載します)


<福島知事脅迫>除染作業員を逮捕
毎日新聞 3月11日(水)11時38分配信

 福島県知事を脅迫する文書を送ったとして、県警福島警察署は11日、同県矢吹町、除染作業員、内藤康生容疑者(38)を脅迫容疑で逮捕した。

 逮捕容疑は今年1月20日、県広報課宛てに「約束を守らなければ、県の施設に爆弾などを仕掛けるか、知事を拉致して身代金を要求する」との内容の手書きの封書を郵送し、知事を脅迫したとしている。実際に爆弾が仕掛けられるような被害はなかったが、内藤容疑者は容疑を認めているという。

 同署によると、封書は数通あり、「企業誘致を促進すると公約したのにやっていない」など県の政策に対する不満が書かれていたが、原発や中間貯蔵施設に関する内容はなかった。昨年12月22日にも同様の脅迫文が県庁に届いており、関連を調べている。【宮崎稔樹】


「復興、新たな一歩を」=午後に政府追悼式―安倍首相
時事通信 3月11日(水)11時33分配信

 東日本大震災発生から4年を迎え、政府主催の追悼式が11日午後、国立劇場(東京都千代田区)で営まれる。これに先立ち安倍晋三首相は同日午前、首相官邸のホームページでビデオメッセージを公開し、「この1年、被災地を訪れるたびに一歩ずつ進む復興の歩みを実感することができた。あすから震災5年目がスタートする。国民一丸となって新たな一歩を踏み出そう」と訴えた。
 メッセージで首相は、政府として復興を加速させる決意を示すとともに、国民に対しても、東北の被災地を観光やボランティアで積極的に訪れるよう呼び掛けた。
 菅義偉官房長官は午前の記者会見で、「お亡くなりになられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまや今なお避難生活を送っておられる方々に心よりお見舞いを申し上げる」と語った。会見場の国旗には黒い布を付けて弔意を表した。
 午後の追悼式では、地震が発生した午後2時46分に合わせて黙とうをささげ、首相が式辞を述べる。政府主催の追悼式は4回目で、天皇、皇后両陛下や、衆参両院議長、遺族の代表、各国の駐日大使ら約1200人が参列する。一般献花は午後4時30分ごろからとなる予定だ。 


<大震災4年>小学校目前に犠牲、娘の遺族が校庭に桜植樹
毎日新聞 3月11日(水)11時26分配信

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莉桜ちゃんの遺影を胸に華暖ちゃん(中央)、こころさん(右)が桜を植える姿を見守る布施秀弥さん=宮城県石巻市の市立渡波小で2015年3月11日午前9時24分、梅村直承撮影

 追悼の日がめぐってきた。東日本大震災から4年となる11日、被災各地では犠牲になった肉親らに思いをはせ、復興を誓う人々の姿があった。「私たちを見守って」「今でもあきらめきれないが……」。さまざまな祈りがささげられた。津波で大きな被害を受けた沿岸部では、震災の教訓を生かそうと住民らによる避難訓練もあった。

 宮城県石巻市の市立渡波小の校庭に同日、桜が10本植えられた。同小への入学目前に津波の犠牲になった布施莉桜(りお)ちゃん(当時6歳)の父秀弥(ひでひこ)さん(33)が「娘が生きた証しに」と寄贈を提案、学校側が「思いを受け止めたい」と快諾した。

 4年前。莉桜ちゃんは同小近くの自宅から祖母らと避難する際、津波にのまれ、10日後、同小のフェンス付近で見つかった。秀弥さんの脳裏には、祖父母に買ってもらった水色のランドセルを背負い、小学校生活を心待ちにしていた莉桜ちゃんの姿が焼き付いている。「生きていれば、いろんな人に会えたのに……」。悔しさは消えない。

 桜の植樹を思い立ったのは、震災から1年が過ぎ、生活が落ち着き始めたころ。「莉桜が生きていたことを多くの人に知ってほしい」。今年1月になって学校に思いを伝え、実現した。

 同小では児童7人が犠牲になった。避難生活などで震災当時は456人いた児童は半分に減り、プレハブ校舎での授業も経験した。松浦達夫校長は「児童はいろんな思いを抱えながら頑張ってきた。桜が復興を後押ししてくれたら」と願う。

 桜は高さ約4メートル。子どもたちの遊び場になっている校庭の築山を囲む形で植えられた。莉桜ちゃんの遺影を手にした秀弥さんや小6の姉、こころさん(12)、震災5カ月後に生まれ、3年後には入学予定の妹、華暖(かのん)ちゃん(3)がスコップで土をかぶせた。「桜並木 莉桜」の看板の土台は、震災で子ども3人を亡くし、来日したウィリアム英王子と懇談した木工作家の遠藤伸一さん(46)=同県東松島市=が手掛けた。

 桜はつぼみを付けており、来月にも開花する見込み。「子どもたちを温かく見守ってね」。秀弥さんは桜が花を咲かせる日を心待ちにしている。【山内真弓】


不明者の一斉捜索=宮城や福島の海岸―東日本大震災4年
時事通信 3月11日(水)11時23分配信

 東日本大震災から4年となった11日、東北地方の海岸で、県警や消防団による行方不明者の一斉捜索が行われた。
 管内で500人以上の行方不明者がいる宮城県警石巻署は、東北大の佐藤源之教授らの協力の下、地中レーダーを活用した捜索を実施。石巻市渡波の砂浜で、レーダーの反応があった部分を署員ら約30人が掘り返し、手掛かりを探した。
 県警警備課の千葉稔災害対策室長は「年月がたち困難な状況だが、震災当時と同じ気持ちで、少しでも行方不明者につながる物が見つかるよう取り組む」と話した。
 行方不明者が30人を超える福島県浪江町では、被害の大きかった請戸地区を中心に、警察官ら計約290人が捜索。地区の消防団員門間成郎さん(37)は「行方不明者の1人に同僚の団員がいる。震災から4年がたち、見つけられる可能性は少ないが、早く家族に会わせてあげたい」と語った。 


<大震災4年>大津波想定の避難訓練 宮古で1200人参加
毎日新聞 3月11日(水)11時19分配信

 東日本大震災から4年。岩手県宮古市では11日、大津波警報が発表されたとの想定で避難訓練が行われ、約1200人が参加した。同市では東日本大震災で死者・行方不明者514人を数える大きな被害があった。

 この日午前6時5分に警報発表を知らせるサイレンが街に鳴り響き、消防団が81カ所の水門を一斉に閉鎖。海岸部の住民が貴重品などを詰めたリュックを背負うなどして高台に避難した。

 同市蛸(たこ)の浜町では、住民約20人が高台の熊野神社に避難。年配の女性は「あの時は津波が石段の途中まで押し寄せ、怖かった」と4年前を振り返った。

 震災後、同神社周辺の避難路にソーラー式誘導灯18基を設置。暗くなると自動で点灯する。住民は「夜間は助かる」と話し、避難を最優先にする大切さを確認し合った。【鬼山親芳】


「長いようで短い」=被災地で早朝から祈り―東日本大震災から4年
時事通信 3月11日(水)11時6分配信

 激しい揺れと津波が肉親や友人を奪い、古里の風景を一瞬にして変えたあの日。東日本大震災から4年を迎えた11日、東北地方の各地では、早朝から祈りをささげる人の姿が見られた。
 津波で破壊され、職員や住民43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、雪が舞う中、夜明けごろから人々が集まり、献花した。義妹や知人らを亡くした佐藤良夫さん(67)は「長いようで短いような4年間だった。一日も早い町の復興を願う」と話した。
 庁舎は、震災を象徴する遺構としての保存か解体かで意見が分かれている。佐藤さんは、骨組みや階段部分だけが残った庁舎を見上げ、「個人的には残して後世に伝えたいとは思うが、住民感情を考えると難しい」と悩ましげだった。
 町職員だったいとこが今も行方不明という横浜市の河原竜二さん(63)は「諦めきれないところもあるが、受け止めていかなければと思っている」と語った。津波で家が流され、仮設住宅に暮らす後藤一磨さん(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐんだ。
 同県石巻市の高台にある日和山公園を訪れた萩原正史さん(65)は「もう4年だが、道路のかさ上げ工事もまだまだ。まだマイナスだ」と話した。
 津波で当時の町長と職員計40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎前では、約30人の職員が黙とう。碇川豊町長は「多くの仲間が犠牲になったことは深い悲しみだ。大槌の再生を職員一丸で力強く前に進める」と述べた。
 町を見渡せる高台の墓地では、昆セツ子さん(76)が、津波で失った一人娘の公枝さん=当時(45)=の墓前に花を供え、手を合わせた。親子で経営していた食料品店は、一人では立ちゆかず閉めた。「考えると寂しくなるからくよくよしないようにしている」。月命日ごとに訪れているといい、この日もタオルで墓石を磨き、「また来るからね」と優しく声を掛けた。
 「お父さんに会えるのはこの場所」。福島県南相馬市小高区の鎌田フミ子さん(77)は避難指示区域内にある夫の武夫さん=同(75)=の墓にお参りした。車に孫たちを乗せ、追われるように津波から逃げたが、農作業中だった夫は間に合わなかった。「孫たちの成長を見守ってほしい」と伝えたという。 


原発と共生の象徴「PR看板」双葉町が撤去へ
河北新報 3月11日(水)11時0分配信

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撤去の方針が決まった体育館前のゲート=2月

  東京電力福島第1原発の立地町で、全町民が避難している福島県双葉町は、原子力のPR看板を掲げた町内2カ所のゲートを撤去する方針を決めた。老朽化が理由。看板は、原発との共生を目指した町の象徴だった。帰還困難区域の町中心部で町道をふさぐように倒壊している家屋も除去する。

  新年度の一般会計当初予算案にゲートの撤去費410万円と、家屋除去を含む町道環境整備費3200万円を計上した。

  国道6号に面した町体育館前のゲートは1988年の設置で、表裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場入り口のゲートは91年に完成し、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力豊かな社会とまちづくり」と書かれている。標語は町民から募集した。

  ともに鉄骨やトタンで造られ、文字板はアクリル製。長期避難で管理ができず、腐食が進んだ。町復興推進課は「作業員や一時帰宅した町民の安全性を考え、撤去を決めた。標語の内容は関係ない」と説明。伊沢史朗町長は「保存は考えていない」と述べた。

  撤去は夏以降になる見通し。いわき市に避難する男性(57)は「安全神話が崩れ、避難している町の現状を考えれば、看板の言葉はふさわしくないが、町の歴史を表してもいる。撤去は一つの節目で、複雑な気持ちだ」と話した。

  道路に倒壊した家屋の除去は、旧国道の町道沿いにある11カ所が対象。所有者の了解を得た上で、道路にはみ出した部分を取り除く。地震や長期避難による老朽化で崩れた家屋は、無人と化した町の荒廃を物語っている。


あの日再任の副町長退任へ「防災に悔い残る」
河北新報 3月11日(水)11時0分配信

  数時間前、町議会で副町長に再任された。今、町防災対策庁舎の屋上で津波の水圧に耐えている-。

  それが宮城県南三陸町副町長、遠藤健治さん(66)の3.11だった。東日本大震災が起点となった4年は間もなく終わり、今月末、48年間務めた役場を去る。

  「合併10年まであと4年。新町建設計画の仕上げに取り組もう」。副町長2期目に向け、議場で決意を新たにしていた時、激しい揺れに襲われた。

  宮城県沖地震だと確信し、佐藤仁町長(63)らと隣の防災対策庁舎に急ぎマニュアル通りに粛々と対応した。1960年のチリ地震津波以来、住民と防災訓練を重ねている。6メートル以上の大津波警報にも焦りはなかった。

  冷静な取り組みは大津波警報が10メートル以上に切り替わると一変した。庁舎脇の八幡川から津波があふれ出した。屋上に避難。すぐ津波が来た。手足を階段の柵に絡ませ、波を背で受けた。息を継ごうとして一度水を飲んだのは覚えている。波が引いた後、町がなくなったことを知った。

  志津川の市街地を襲った津波は高さ15メートル以上とみられる。町全体で800人以上が犠牲となり、住宅の6割近くが流失した。

  「じくじたる気持ちでいっぱい。役場幹部、副町長として防災に深く関わった。津波に対するわが町の危機意識はかなり高いレベルにあると思っていた。何をやっていたのかと思う」

  長い公務員生活。務めを果たしてきた自負はあっただけに、大きな被害に打ちのめされた。「悔いが残る。職を離れても消えようがない」と語る。

  震災翌日、町総合体育館にたどり着き、果てしない復興へと歩み始めた。佐藤町長とは「とにかく生きよう。目の前の課題を一つずつ片付けていこう」と話し合った。

  津波で再び犠牲者を出さないように住宅の高台移転を進めた。分水嶺(れい)に囲まれ、山川海が連環する南三陸らしさを重視した古里再生に筋道を付けた。

  「新しい町づくりには若い感性が求められる」。4月からは一町民として復興を見守る。後輩には「町民の役に立つ場が町役場」と言い残す。天変地異、次は何が起きても大丈夫なように、命を守り抜く行政の実現を願う。


「心の復興に力入れる」首相がビデオメッセージ
読売新聞 3月11日(水)10時54分配信

 安倍首相は11日午前、東日本大震災の発生から4年となったのに合わせて、国民に向けたビデオメッセージを首相官邸のホームページで公表した。

 首相は、復興の加速に向けた意気込みを示すとともに、国民に対して観光やボランティアで積極的に被災地を訪れるよう呼びかけた。

 メッセージは3分32秒で、見ることができる。首相は「今後も高齢者の見守り、子どもたちのケアなど、心の復興にさらに力を入れる」と述べたうえで「明日から震災5年目がスタートする。国民一丸となって、新たな一歩を踏みだそう」と訴えた。


<大震災4年>液状化被害の復旧半ば 茨城・潮来
毎日新聞 3月11日(水)10時19分配信

 東日本大震災から4年。震災に伴う液状化被害で茨城県内で最も被害の大きかった潮来市日の出地区。現在約225億円の対策工事が進められているが、いまだ住宅の多くは仮復旧のままで、工事のため子供たちも思う存分、外で遊ぶことができないでいる。「子供たちの元気を取り戻したい」。地区の市立日の出小のPTA会長を務める阿部慶介さん(43)は昨秋、子供たちとともに「5分間で折る紙飛行機最大数」のギネス記録に挑戦し、新記録を達成。「今後は地区以外の小中学校と連携し、地域交流を深めるイベントを企画したい」と意欲を見せる。

 同県は液状化被害で潮来、神栖市、鹿嶋市を中心に住宅が傾くなどの被害が計9333世帯で発生。日の出地区は約2500世帯のうち約1900世帯が被害に遭い、周囲の電柱が傾いたり、道路に水があふれ出たりした。小学生2人と妻との4人で暮らす阿部さんの自宅も地盤沈下で傾き、道路の地中から土管が飛び出した。「新築4年後のことだった。ショックだった」と話す。

 企画は多くの子供たちが参加できるようにと、「5分間で折る紙飛行機最大数」を選び、「ギネス世界記録の日」に当たる昨年11月13日に実施した。会場となった日の出中央公民館に地区の小中学生と保護者ら763人が集まり、4880機を製作。従来の記録2404機(2013年、イタリア・ミラノ)を大幅に上回り、記録更新が発表されると、子供たちは「やったー」「ギネスだ」と大喜びした。

 日の出地区は常陸利根川にほど近く、緑も豊富。震災前には子供たちが公園や空き地で遊び回っていた。しかし、被災後の住宅修復は地盤を強化する市の液状化対策工事の完了を待つ世帯が多く、家の傾きを直す程度の仮復旧のまま。子供たちの遊び場だった空き地は工事用の資材置き場になり、周囲の道路は作業車両が頻繁に行き交う。

 阿部さんは「工事のため、通学路も確保できない状態。子供たちの元気も完全に戻ったとは言えない。早く安心・安全の街に生まれ変わってほしい」と願う。【岩本直紀】


<震災4年>避難者なお23万人 犠牲者1万8475人
河北新報 3月11日(水)10時5分配信

  巨大地震と津波、東京電力福島第1原発事故に襲われた東日本大震災は、11日で発生から4年を迎える。警察庁によると全国の犠牲者は死者1万5891人、行方不明者2584人(10日現在)の計1万8475人に上る。

【忘れないあの日】カメラが捉えた3.11

  東北の県別の死者は宮城9539人、岩手4673人、福島1612人、青森3人、山形2人。行方不明は宮城1249人、岩手1129人、福島202人、青森1人となっている。

  避難者数は約23万人に上る。各県のまとめでは、避難生活の長期化に伴う体調悪化や自殺などで亡くなった「震災関連死」は福島が最多の1884人(前年比213人増)。宮城910人(同27人増)、岩手450人(同11人増)と続いた。関連死を含めた犠牲者は2万1700人を超える。

  11日は犠牲者を思い、各地で深い祈りがささげられる。岩手県は野田村と合同で追悼式を開催、福島県は福島市内で追悼復興祈念式を行う。宮城県の村井嘉浩知事は名取市の追悼式に出席する。


<原子力安全協定>「女川」年度内締結確実に
河北新報 3月11日(水)10時5分配信

  東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の半径30キロ圏に位置する登米、東松島、涌谷、美里、南三陸の宮城県内5市町と東北電が締結する原子力安全協定が10日、年度内の調印が確実な情勢となった。同日までに全5市町の議会が同意した。

  既に涌谷町議会が協定案を可決しているほか、東松島、美里、南三陸3市町は議会説明を終了。残る登米市議会が10日、賛成多数で可決した。5市町は月内に調印式を行う方向で日程調整に入る。

  協定案は異常時の通報連絡や立ち入り調査など13条項。設備変更計画時の「事前了解」は明記せず、東北電が立地自治体に変更を申し入れた際、5市町に速やかに報告するとした。

  協定に合わせ、5市町は設備変更計画時の対応を定める覚書を県と交わす。県が東北電に賛否を回答する際、5市町は県を通して文書で意見を提出できるなどの内容を盛り込む。

  登米市議会の討論では、複数の議員が「協定案では原発再稼働に反対するのが難しい」などと指摘。締結後、設備変更計画時の事前了解を盛り込むよう求める付帯決議案を可決した。

  布施孝尚市長は「現時点で原発再稼働はあり得ない。状況が変化する場合は協定を改定する必要がある」との見解を示した。

  協定締結に向けた協議は、原発30キロ圏が新たに緊急防護措置区域(UPZ)に含まれたことを受けて2013年7月に始まった。先月20日に5市町の首長が原案に合意していた。

 

 [原子力安全協定]電力会社と原発立地・周辺自治体が、住民の安全確保のため結ぶ協定。法的裏付けはない。立地自治体が設備増設時の事前了解などの権限を盛り込む例が多いのに対し、周辺自治体は非常時の通報連絡や防災が中心となる。


<震災4年>評論・いまだ手の届かぬ希望
河北新報 3月11日(水)10時5分配信

 ◎河北新報社編集委員 寺島英弥

  「作るほど赤字。誰が担えるのか」。昨年12月の衆院選の最中、石巻市北上町の農家の落胆を聴いた。2011年3月11日の津波から復田事業は進むが、大半の人が営農を諦め、農家は70戸の水田を背負った。だが、昨年産米の米価(概算金)が暴落。農業復興の支え手たちは苦境に陥った。

  被災地の浜でも、売り上げが震災前の「8割に回復した」という水産加工業者はわずか40%-との調査結果が7日の本紙に載った。「工場を再建したが、市場を失い、人も増やせない」と石巻市で取材した業者は語った。「同業者と手を組んで商品をパックにし、共同で販路開拓中だ」とゼロから荒波に立ち向かう。

  三陸特産のワカメや昆布は昨春の収穫期、値段や注文が落ち込んだ。東京電力福島第1原発事故に伴う「風評の影響」と宮城、岩手両県内の漁協関係者は口をそろえた。根強い風評は被災地の南も北も巻き込む。

  福島第1原発では先月、新たな汚染水流出が明るみに出た。建屋屋上にたまった雨水が海に流れ、東電や経済産業省は事実を1年公表しなかった。「コツコツ積み重ねた試験操業への信頼を崩された」と相馬双葉漁協の人々は抗議の意味を込め、待ちかねた春のコウナゴ漁を延期した。

  除染土の黒い袋があちこち野積みになった福島県飯舘村。家々や農地の除染は進むが、復田の多難さ、風評への諦め、米価暴落が村民の帰村意欲を揺るがせる。仮設住宅の生活は4年を数え、「帰れない」「帰らない」の葛藤が続く。避難先に新居を求める人も増えた。

  5度目の3月11日を迎えた被災地の風景だ。かさ上げ工事や公営住宅の建設は進むが、生業はいまだ戻らず、人の流出は止まらず、福島第1原発の廃炉、汚染水問題は先が見えない。苦しさを抱えながら、誰もが希望を手探りしている。

  「復興をどんどん進めていくには、日本の経済を強くしていかなければ」。昨年12月、安倍晋三首相は衆院選の第一声を相馬市の漁港で上げ、経済政策アベノミクスの成果と効用を説いた。「廃炉」「汚染水」に一言も触れず。ある漁業者は「よその世界の話のようだった」と振り返った。

  被災地が求めるのは、アベノミクス景気のおこぼれではない。絡み合い山積する難問解決への責任ある支援だ。


<震災4年>首相「夏までに復興支援策」
河北新報 3月11日(水)10時5分配信

  安倍晋三首相は10日、東日本大震災の発生から4年となるのを前に河北新報社など宮城、岩手、福島3県の地元紙のインタビューに答えた。2015年度までの集中復興期間後の支援について、20年度までの5年間の新たな枠組みを夏までに策定する考えを明らかにした。

  被災地が求める集中復興期間の延長に関し、安倍首相は「来年3月で終わる」と明言。新たな枠組みの策定は「地方負担の在り方を含めて被災地の声に耳を傾け、被災者の心に寄り添いながら、しっかり対応する」と強調した。

  被災企業を支援するグループ化補助金は「16年度以降も適切に対応する」と継続を検討する意向を表明。東京電力福島第1原発事故で被害を受けた福島県浜通り地方に産業集積するイノベーション・コースト構想は「絵に描いた餅にならないよう政府一体で実現に取り組む」と意欲を見せた。

  仙台市が立候補する16年の主要国首脳会議(サミット)の開催地は「警備や宿泊施設、会場など、さまざまな観点から総合的に検討する。サミットで力強く復興を世界にアピールできるよう全力で取り組みたい」と述べた。


被災地の現状を特別紙面で
2015年3月11日(水)9時36分配信 共同通信

 岩手日報(盛岡市)、河北新報(仙台市)、福島民報(福島市)の3新聞社は11日、東日本大震災から4年に合わせ、被災各県の現状を伝える特別紙面を共同で約100万部発行し、一部は東京などでも配布した。

 3社が合同で展開する「スマイルとうほくプロジェクト」の一環で、8ページにわたり震災から立ち直ろうとする岩手、宮城、福島の3県の「いま」を紹介。昼夜を問わず続けられている岩手県陸前高田市の海岸線復旧工事や、被災地に花を植える活動などを報じ、写真も多く掲載した。

 また、岩手日報社は11日、全国からの復興支援に感謝する「特別号外」約1万8千部を配布。


避難23万人、震災発生から4年
2015年3月11日(水)8時44分配信 共同通信

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 東日本大震災の津波で母親を亡くし、お墓に花を手向ける男性。奥には造成工事用の大型重機が並んでいた=11日午前7時14分、宮城県女川町

 死者・行方不明者らが2万人を超える大惨事となった東日本大震災は11日、発生から4年の日を迎えた。全都道府県で依然として約22万9千人が避難生活を送り、岩手、宮城、福島の被災3県では今なお計2580人の行方が分からないまま。大津波の被害を受けた沿岸部では手掛かりを求め集中捜索が続く。遺族らは、かけがえのない命を見つめ、早朝から鎮魂の祈りをささげ、あの日の教訓を伝えていこうと継承を誓う。

 地震発生時刻の午後2時46分には被災各地で黙とうし、犠牲者を悼む。

 被災3県では災害公営住宅の建設などが遅れ、計約8万人が不自由なプレハブ仮設住宅で暮らしている。


川内原発1号機、工事計画書18日にも認可 規制委 再稼働へ書類審査ほぼ終了
産経新聞 3月11日(水)8時35分配信

 九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の工事計画補正書について、原子力規制委員会が18日にも認可することが、関係者への取材で分かった。九電は10日に補正書の一部修正をして再提出した。規制委が認可すれば、1号機に関して再稼働に向けた書類審査は、ほぼ終了する。九電は認可され次第、再稼働最後のハードル「使用前検査」を規制委に申請する。

 工事計画書は、安全対策を施した原発の設備・機器の詳細な設計図などを記した書類。九電は平成25年7月の安全審査申請以降、規制委・規制庁からの要請に応じて、加筆・修正を繰り返してきた。最終的に1号機分だけで約3万ページに上った。

 規制委は18日の会合で、工事計画補正書について最終的な審査をし、同日中にも認可する見通し。九電は認可後、現地調査にあたる1号機の「使用前検査」を申請し、早期再稼働を目指す。

 川内原発は1、2号機で共有する設備・機器がある。共用部分の工事計画補正書の提出は、4月上旬となる見通し。

 九電は効率的に再稼働への手続きを進めるため、規制委に対し、共用部分の工事計画補正書を優先して審査するよう求める。手続きについて、規制委側も概ね了承しているという。

 ただ、使用前検査の終了時期は見通せない。東京電力・福島第1原発事故の前では、1~2カ月程度かかった。事故を教訓とした原発の新規制基準の下で初のケースであり、検査に長時間かかることも予想され、川内原発再稼働は最短でも夏になる。


東日本大震災4年 福島第1原発の「今」 溶けた燃料、月内にも形状把握
産経新聞 3月11日(水)7時55分配信

 未曽有の原発事故から4年。東京電力福島第1原発では、今も高い放射線量に悩まされながら、1日約7千人の作業員が廃炉作業に従事している。平成27年度からは、3号機原子炉建屋の燃料貯蔵プールにある燃料取り出し作業が本格化する。最長40年とされる廃炉のカギを握るのは、溶け落ちた燃料(デブリ)の取り出しで、現在、その位置や形状を探る実証試験が進んでいる。

 炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機では、建屋に残っているプールからの燃料の取り出しが課題。燃料から出る強い放射線が、廃炉作業を阻んでいるからだ。

 事故当時、1号機は水素爆発で建屋が大破した。がれき撤去やクレーン設置などを経て、392体の燃料取り出しの準備を進める。

 2号機は水素爆発を免れたが、建屋内の放射線量は今も極めて高い。遠隔操作ロボットを使って除染しているが、東電は615体の燃料取り出しに向けて、建屋の上部を全面的に解体することも検討している。

 27年度から566体の燃料取り出しを始める3号機も、水素爆発で建屋が吹き飛び、5階フロアがむき出しの状態。フロアの除染も続くが、線量は思うように下がらない。

 事故当時、定期検査中で原子炉内に燃料のなかった4号機は、プールに1535体の燃料が保管されていたが、昨年12月、すべてを取り出すことに成功した。

 デブリの状態を把握するため、特殊開発した装置による格納容器の内部調査を4月以降に実施する計画がある。宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線から生じる「ミュー粒子」の透過能力を利用して、デブリの状態を調べる試みも2月から始まっており、今月中にもおおまかな形状が把握できるか期待されている。(原子力取材班)


JR常磐線、順次再開へ 原発付近は安全確保後
産経新聞 3月11日(水)7時55分配信

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JR常磐線の不通区間(写真:産経新聞)

 国土交通省は10日、東京電力福島第1原発事故の影響で不通が続く福島県内のJR常磐線原ノ町(南相馬市)-竜田(楢葉町)の46キロ区間について、原発に近い浪江(浪江町)-富岡(富岡町)を除き、平成30年までに順次再開させる方針を示した。浪江-富岡でも安全確保策が完了したあと再開させる。

 東日本大震災以降、同区間を含め一部で不通となっている常磐線は震災から4年の節目を前に全線で再開の見通しが立ち、復興の加速が期待される。

 国交省によると、再開の時期は原ノ町-小高(おだか)(南相馬市)が28年春まで、小高-浪江が遅くとも29年、竜田-富岡が30年まで、となっている。再開時期が未定の浪江-富岡は、放射線量の高い地域もあるため、除染や異常時の利用者の安全確保対策が完了したあとに再開させる。

 原ノ町-竜田区間については、国交省がJR東日本と協議するなどして再開の時期を検討していた。

 常磐線ではこのほか、浜吉田(宮城県亘理町)-相馬(福島県相馬市)が不通区間として残っているが、29年春までの再開を目指し復旧工事が進められている。


春、踏み出す一歩… 東日本大震災4年
産経新聞 3月11日(水)7時55分配信

 11日で発生から4年を迎える東日本大震災。被災地では今春、目標としてきた職業に就き、夢を実現させる若者がいる。一度は諦めた消防職員へと転職する元税務署職員の男性、医科大学での4年間の学業を終えて看護師となる女性。新たに歩み出す一歩は、「地元のため」、そして「応援してくれた全国のため」-。

 ■仙台市 恵津宗広さん(27)→消防士 「人の命救う仕事に」人生懸けた転身

 街を相次いで襲った地震、津波、火災は、あらゆるものを奪い去った。東日本大震災で変わり果てた宮城県石巻市の市街地に漂っていた焦げた臭いと無力感は、4年がたつ今も記憶の中に染みついている。震災当時、石巻税務署に勤務していた恵津宗広(えづむ・ねひろ)さん(27)は、4月から仙台市消防局で消防士として一歩を踏み出す。「人の命を救う仕事に人生を懸けたい」。震災で目の当たりにした消防職員の姿が、新たな世界への挑戦を後押しした。

 大学を卒業後、石巻税務署に配属された恵津さんは4年前のあの日、電話で納税者からの問い合わせを受けている最中、大きな揺れに気付いた。直後から停電となり、確定申告の書類が次々と棚から落ちたが、津波への危機感は薄かった。

 帰宅指示を受け、徒歩で自宅へ戻る途中、「逃げろ! 津波だ!」という誰かの声が聞こえた。半信半疑で近くを流れる旧北上川を見ると、水面が見る間に上昇していく。来た道を必死に税務署まで走り、叫んだ。「津波が来ました!」。同僚らと避難した税務署3階からは、道路を走って逃げる人に津波が迫るのが見えた。

 夜、停電による自宅周辺の暗闇とは対照的に、市街地上空は火災による炎で真っ赤に染まっていた。翌日、高台から“廃虚”となった街を見渡し、ショックで立ち尽くした。

 一方、ヘリコプターでホテルから避難者を救助する消防職員の姿が心に焼き付き、自問自答を続けた。大学時代、消防職員の父(59)に憧れ、仙台市消防局の採用試験も受けたが、不合格に。「自分がやりたかったのは、緊急時に困っている人に直接手を差し伸べられる仕事だったはず。なぜ、あと1年頑張って消防に入らなかったのか」。災害を前に何もできない無力感と、後悔が募った。

 平成26年2月、「後悔して過ごすよりもこの仕事に懸けてみたい」と退職し、退路を断って採用試験に再挑戦した。結果は合格。日頃、無口な父に報告すると、一言、「よかったね」と言葉をかけてくれた。

 「精神的にも肉体的にも強さが求められる仕事だが、人を助けられる存在になりたい」と恵津さん。震災を経て培った決意は「かつての漠然とした憧れとは違う」と断言する。「震災で多くの人に助けてもらった分、全国の災害現場で活動していきたい」。その言葉に、もう迷いはない。(滝口亜希)

 ■福島市 佐々木日可吏さん(21)→看護師 成人式の誓い「必ず地元に戻る」

 東日本大震災直後の混乱の中で大学に入学した学生が今春、巣立ちの時を迎える。福島県立医科大学(福島市)4年の佐々木日可吏(ひかり)さん(21)もその一人だ。卒業後は同大付属病院で社会人として看護師の道を歩み始める。「地元の役に立ちたい」。確かな将来像を描いている。

 実家は、福島県沿岸部の南相馬市原町区にある。海のすぐ近くだが、少し高台にあり、家族は無事だったが自宅は浸水被害を受けた。地元の様子も一変。あれから4年が経過した今も同じような状態が続く。

 「震災前は(実家から)海は見えなかった。でも今は、津波被害を受けて民家がなくなり見通せる。夜も人影は少なく、寂しくなりました」と話す。

 東京電力福島第1原発事故の影響もある。周辺住民の帰還は進まず、以前の活気は戻っていない。祖父母は「作っても(食べることを)勧められない」と田畑を耕すことをやめた。

 除染で出た廃棄物を詰めた大きな黒い袋も近くに見える。

 暗い話題が多いが笑顔を忘れない。「震災を経験して変わったような気がします」と語る。

 被災で大学進学をあきらめた同級生もいるという話を周囲から聞いた。

 自分だけが地元を離れ新たな道に進んでよいのか、自宅の修繕を控え経済的重荷になりはしないか-。罪悪感を覚え、進学をあきらめようと思った。だが両親は「夢をあきらめるな」と背中を押してくれた。

 だから、4年間、勉強に打ち込めた。恐らく震災がなければ「何げなく学生生活を送り、県外の都会に出て生活していた」と思う。

 だれにも気軽に話しかけられる土地柄に青い海、温かな家族…。震災前は、当たり前で、気にしなかったことが、大切だったことに気付かされた。

 平成25年1月、地元の成人式で代表して誓いを述べた。地元への思いを考え抜いて言葉にした。

 《復興に向けて、軸となるのが、私たちであり、もう一度、笑顔のあふれる地元にしていくことが私たちの役目です》

 幼いころ、祖父の緊急入院で動転する父親らに「心配はない」と励ましてくれた看護師の姿にあこがれ、自分もなりたいと夢を抱くようになった。

 「式で誓ったことは忘れていません。だれもが安心して毎日を笑顔で暮らせる手助けをするために(大学病院で)経験を積み、必ず地元に戻ります」。笑みの中に、確かな意志をのぞかせた。(森本充)


東日本大震災4年 記憶新たに再生への誓い 首相「夏までに新支援枠組み」
産経新聞 3月11日(水)7時55分配信

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【東日本大震災】宮城県南三陸町の防災庁舎 最盛期を迎えているワカメ、カキの漁船が見える。宮城県漁業協同組合志津川支所によると震災以前と比べ漁船の所有は8割ほどに。また、カキの水揚げも7割になり、ワカメにおいては震災前と同(写真:産経新聞)

 東日本大震災は11日、発生から4年を迎える。これに先立ち安倍晋三首相は10日夜、首相官邸で記者会見し、集中復興期間が終了する平成28年度以降の復興事業について、今夏までに次の5年間の新たな支援の枠組みを策定すると明言した。財源については「地方負担のあり方を含め、被災地に耳を傾けつつ丁寧に検討する」と説明した。

 また、東京電力福島第1原発事故に関しては「福島再生の政策パッケージを早ければ5月に決定し、福島の自立に向けた将来像を夏ごろまでに取りまとめる」と表明した。

 一方で、被災した岩手、宮城、福島の3県を中心に行方不明者は10日現在、なお2584人に上っている。警察庁によると、10日現在の死者は1万5891人。昨年3月10日時点に比べ、行方不明者の減少は49人にとどまった。親しい人を失った悲しみは癒えず、地域や住まいの再生、再建など真の復興は道半ばとなっている。

 被災地では住宅再建のため土地のかさ上げ工事が行われているが、建設資材や人手の不足などで災害公営住宅を含む住宅建設は思うように進んでいない。

 各地の仮設住宅は空き家も目立つようになったが、それでも2月末現在で岩手2万1930人、宮城3万4648人、福島2万3794人の計8万372人が、いまだプレハブの仮設住宅で暮らす。

 東京電力福島第1原発事故の影響が続く福島県では、帰りたくても故郷に戻れない苦境が続き、県外避難者数は2月末現在4万7219人で、ピーク時の6万2831人から1万5千人余りしか減っていない。


常磐線は「安全確保策」完了後に全線再開へ…国交省が見通し示す
レスポンス 3月11日(水)7時15分配信

国土交通省は3月10日、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の影響で寸断されている常磐線について、全線再開に向けた今後の見通しを発表した。同日開催された第12回復興推進会議で、国土交通大臣の代理として出席した西村明宏副大臣が報告した。

常磐線は現在、竜田(福島県楢葉町)~原ノ町(南相馬市)間46.0kmと、相馬(相馬市)~浜吉田(宮城県亘理町)間22.6kmが運休中。このうち相馬~浜吉田間は線路を内陸側に移設して再開するための工事が進められており、2017年春の再開が見込まれている。

竜田~原ノ町間は、福島第一原発の炉心溶融事故により周辺一帯が立入りできない状態に。現在は竜田・富岡・浪江・桃内・小高・磐城太田各駅が避難指示解除準備区域、夜ノ森・大野・双葉各駅が帰還困難区域に指定されている。並行する国道6号は自動車で通過する場合に限定して通行規制が解除されたため、JR東日本は今年1月31日から代行バスの運行を開始した。

西村副大臣の報告によると、避難指示解除準備区域では2016年春までに小高~原ノ町間を再開し、浪江~小高間は遅くとも2年後の再開を目指す。竜田~富岡間は3年以内をめどに「出来るだけ速やかな開通」を目指す。帰還困難区域を含む富岡~浪江間は「除染や異常時の利用者の安全確保策」を完了した後に開通させるという。

1986年に原発事故が発生したソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリでは現在、約50km離れた汚染区域外のスラブチチから列車が運行されており、原発職員の通勤手段として利用されている。

《レスポンス 草町義和》


奇跡の一本松が万年筆に、11日から限定発売…3・11から4年
スポーツ報知 3月11日(水)7時3分配信

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「奇跡の一本松」の枝からつくった万年筆。ペン先には一本松のシルエットが刻まれた

 7万本もの松が津波で流される中、たった1本だけ立ったまま残り、復興へのシンボルとなっている岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の枝から採取した木材を使った万年筆が、11日にスイス高級筆記具メーカーのモンブラン社から発売される。国内限定113本のみの発売となる万年筆「マイスターシュテュック 奇跡の一本松」は2012年、枯死した一本松がモニュメント化される際に使用されなかった枝を採取し、ボディーとキャップ部に使用。ペン先に一本松のシルエットが刻まれた。

 「一本松を後世まで受け継いでいくため」と市から製作を依頼されたモ社だが、開発は難航を極めた。枝が海水の塩分で傷んでおり、加工が極めて難しい状態だった。ハンブルグ工房の職人たちが12年秋から2年以上の格闘の末に商品化を実現。一本一本、材質は異なるが、表面に波打つ黒ずみは津波で刻まれた模様ともされる。

 価格は48万1000円(税別)。売り上げの20%が陸前高田市に寄付され、学校設備費用に使われる。


遮水壁の建設と除染が進む福島第一原発 ──  4年が経過した原発構内の現状は
THE PAGE 3月11日(水)6時0分配信

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廃炉に向けた作業が進む福島第一原発

 「1号機から4号機ともに冷温停止状態を継続しています」。東京電力の広報担当者は、福島第一原発の現状について、こう説明し始めた。冷温停止状態であることはある意味当然だとしても、4号機の燃料1535体はすでに取り出し済みだ。遅々とはしているものの昨年と比べて、廃炉に向けた作業は確実に進んでいる。汚染水問題などを抱え、4年目を迎えた福島第一原発はどうなっているのか? 昨年に続いて同原発構内を取材した。

低減していた放射線量
 9日午前11時30分、ヤフー・ニュース個人のオーサーらとJRいわき駅で集合し、原発事故の対応拠点である「Jビレッジ」にタクシーで向かう。ここからさらに、東電が用意したバスに乗り込んで福島第一原発へ。

 福島第一原発に続く曲がり角のホットスポットの放射線量はバス内で、昨年14μSvだったが、今回は6.8μSvにまで落ちていた。昨年訪れた際にあった検問所はなくなっていて、時の経過を感じた。しかし、住民の姿はないことや、崩れたままになっていた建物や荒涼とした風景には変わりがない。

 原発に到着し、「入退域管理施設」で防護服を身に付ける。前回は、何重にも防護した、初めて身に付けるものものしい装備に緊張したが、今回は「そういうものだ」と幾分か慣れている自分に気づく。慣れというのは怖いものだ。

 今回は、原子炉建屋に入らないこともあり、フルマスクではなく、半面マスクを着用した。これは普通の防じんマスクで、土やほこりを体内に取り込まないために必要だ。ふだんからメガネをしている者は、メガネのままで、裸眼の者はゴーグルを着用する。場所によっては、半面マスクもせず、サージカルマスクで立ち入れるようになっているという。

 フルマスクをするとどうしても声がこもるので、サージカルマスクで作業できるということは、現場の作業員のコミュニケーション向上や身体的な負担も小さくなるといった効果がある。フルマスクからゴーグルに変わっただけでも視認性は上がる。小さく地味に思えるが、工事には大きな前進だ。

 東電から伝えられた「取材にともなう放射線被曝」の計画量は、0.1mSv(ミリ・シーベルト)以下。前回の半分。除染が進んでいたり、舗装が進んだりしていることで、ダストの舞い方が以前よりも改善しているのだという。

遮水壁と凍土壁、汚染水から海を守れるか
 構内では、海側の遮水壁と陸側の凍土式による遮水壁の建設が進んでいた。前者は汚染水を構内から漏らさない方策で、後者は原子炉建屋に水を近づけない方策だ。すでに多く報道されているが、一日300トンの地下水が構内に流入している。これでも流入量は減った。半年前までは400トンだった。

 バスに乗って1号機と2号機の前あたりの護岸に着いた。海側の遮水壁が見える。海面からの高さ4メートルの護岸に全長約780メートルにわたって“竹輪状”の柱が並ぶ。

 前回の取材でこの付近は、放射線量が高いという理由から足早に去るように指示された場所だったが、今回は落ち着いて見ることができた。土がむき出しになっていた表面を舗装したことで、放射能を帯びた粉塵の飛散が抑えられているからだという。とはいえ放射線量は30μSvと高いことは高い。それでも1年前は3桁はあったというから、確実に下がっている。

 さらにバスに乗って4号機の西側に進んだ。地面が掘り返され、凍土壁の冷却材を循環させる配管の設置が進んでいた。凍土壁というのは、地中30メートルに凍結管を打ち込み、ここに冷却材を流すことで土を凍らせ、地下水を遮断する壁のことだ。

 凍土壁は、1号機から4号機をぐるりと囲むように設置される。延長は1500メートル。これが完成すれば、地下水は原子炉建屋に流れ込まなくて済むようにと考えられている。ここでは作業時間が長くなりがちだということで、作業員は被曝量を抑えるためのタングステンベストを身に付けていた。

 構内南側にある廃スラッジ建屋の屋上から発電所全体を望んだ。雨に降られ、空はくすぶっていて、岸には荒々しい波が打ち付けている。雨の向こうに原子炉建屋の姿がうっすらと見える。水素爆発で吹き飛んだ屋根、燃料を取り出すクレーン、汚染水を貯めたタンクの数々が一度に目に入り、それが物悲しけな一巾の絵のようにも見えた。

 この場所にいると、いろんな思いが去来する。今回の取材で被曝した放射線量は0.02mSv=20μSv。歯科のレントゲン撮影1回分。

 屋上から、この景色をいつまでも見ていたいと感じていた。これもまた慣れなのだろうか。


グーグル、被災地の写真を公開
2015年3月11日(水)5時29分配信 共同通信

 米インターネット検索大手グーグルは11日、ネット上で風景写真が見られるサービス「ストリートビュー」で、東日本大震災の被災地の現状を伝える写真を新たに公開した。災害の記憶が風化するのを防ぐ取り組みの一環で、昨年11月以降に撮影した写真を追加した。

 独立行政法人都市再生機構の協力を得て、復興に向けた工事が進む岩手県の様子を撮ったほか、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示区域に指定された福島県の小学校や幼稚園の内部も撮影した。

 写真は地図サービス「グーグルマップ」や、特設サイトhttps://www.miraikioku.com/2015.htmlで。

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