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2015年1月17日 (土)

宮城沖地震に関するニュース・1878,2015年1月17日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:「忘れない」集う光…阪神大震災20年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:陛下「防災勉強してみんなの力になって下さい」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>心に刻み前へ…各地で追悼・慰霊の行事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<天皇、皇后両陛下>防災学ぶ高校生らと懇談 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:神戸から東北思い、黙とう - 速報:@niftyニュース.
リンク:<大川小>校舎保存で3案…住民協議会が遺族に初提示 宮城 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>東日本被災地でも追悼行事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、防災学ぶ高校生らと懇談 - 速報:@niftyニュース.
リンク:「風の電話」を修繕、岩手 - 速報:@niftyニュース.
リンク:首相「教訓いかし防災減災に力」 阪神大震災から20年で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:かつての避難所でコンサート=「震災後」に未来託す―阪神大震災20年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:両陛下、高校生らと懇談=特別機で帰京―阪神大震災20年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「3.11」に黙とう=二つの被災地「震災忘れぬ」―神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 「俺の震災終わらない…」次女亡くした田中武雄さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 亡き母へ「この子抱っこしてほしかったな」早川美幸さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 月日流れても、愛する人へ尽きぬ思い - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:神大震災20年 「命が1つ消えると多くの人が悲しむ」和泉喜久男さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告、千代田健志さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 追悼のトランペット、神戸の街に響く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 また一歩、前へ前へ 1・17と3・11つなぐ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 この街と生きて…失われた命と復興の歩みに思い巡らせ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 「亡き兄の分も今を生きる」消防士の萩原裕介さん - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 両陛下、追悼式ご臨席 教訓生かし東北の被災地を支援する人々ともお会いに - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災、犠牲者しのび追悼式 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<阪神大震災20年>両陛下、追悼式典で献花 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>教訓、宮城の力に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>午前5時46分、祈り希望の炎に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「被災体験、今後も発信」=全焼の商店街―阪神大震災20年・神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>皇太子ご一家が黙とう - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神・東日本大震災>笑顔の傘で行進 神戸の商店街 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>名前刻まれた追悼碑前で黙とう - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:1・17のつどい、参加過去最多 昨年の3倍1万4千人 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>止まった大時計前で黙とう - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>始発早めた臨時列車、追悼行事は遺影で - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:東北の被災者も祈り、神戸 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<阪神大震災20年>「忘れない」東北被災地でも祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<宮城・女川原発>国内最大規模800m防潮堤 識者が視察 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:釜石市中心部飲食店街、補助金に頼らず再建へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>「娘思い出し」宮城の遺族も追悼初参加 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:過ぎた年月、思いそれぞれ=若い世代も多く―阪神大震災追悼の集い・神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>「アメイジング・グレイス」合唱 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>神戸ビーナスブリッジで早朝追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 思い、ともに…東北被災地からも鎮魂の祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>教会で僧侶も一緒に聖歌 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災20年…神戸は 炎に包まれた街に日常戻ったけれど - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 両陛下、追悼式典のため神戸ご訪問 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 6434の炎に誓う「次の世代に」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 各大学で追悼行事 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年 復興住宅入居者は65歳以上が半数超え - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「母の分まで生きる」=遺族代表の銘田さん―阪神大震災20年・神戸 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:阪神大震災20年、追悼行事で静かに祈り - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災20年、「生活が復興」4割 - 速報:@niftyニュース.
リンク:重い経験、未来の世代へ - 速報:@niftyニュース.
リンク:「あの日」から20年=各地で追悼行事、冥福祈る―阪神大震災 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災>1・17ひょうご安全の日宣言 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

「忘れない」集う光…阪神大震災20年
読売新聞 1月17日(土)23時43分配信

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日が暮れても多くの人が訪れ、鎮魂のあかりがともる東遊園地(17日午後5時37分、神戸市中央区で)=大久保忠司撮影

 6434人が亡くなった阪神大震災から17日で丸20年となった。

 兵庫県内では早朝から夜まで追悼行事が続き、神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1・17のつどい」には過去最多の10万1000人が訪れた。東日本大震災の被災地などでも追悼行事が行われ、列島は終日、祈りに包まれた。

 地震が起きた午前5時46分、東遊園地では参加者が黙とうをささげた。20年の節目と週末が重なり、終了時刻の午後9時まで慰霊に訪れる人は絶えず、参加者は昨年の2・3倍に上った。

 3月で発生から丸4年になる東日本大震災の被災地からの参加も目立ち、一角には発生日を示す「3・11」の形に竹灯籠が並べられ、発生時刻の午後2時46分には黙とうが行われた。津波で妻典子さん(当時50歳)を亡くした宮城県名取市の会社員、木皿(きさら)俊克さん(58)は「神戸の人々は、20年が過ぎても震災のことを忘れていない。東北でも、記憶や教訓を大切にしていきたい」と話した。

 兵庫県芦屋市では市内のホールで式典が開かれ、遺族311人が参列。祭壇に花を手向け、手を合わせた。姉の素(もと)さん(当時15歳)を亡くした植松秋(みのり)さん(33)は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたこともあったが、2012年4月から福島県いわき市で臨床心理士として、被災者らのケアにあたる。遺族代表として、「今も苦痛を感じているのであれば、それを誰かに伝えて」と会場の遺族らに呼びかけた。

 天皇、皇后両陛下が10年ぶりに参列された兵庫県公館での追悼式典では、小中高校生が震災について学んだことをつづった「県民のことば」を披露。最後に両陛下が献花された。芦屋市のほか、西宮、宝塚、淡路の各市でも10年ぶりに市主催の追悼式典が開かれた。

 東日本大震災の被災地・福島市蓬莱町では、市民らが阪神大震災の発生時刻から12時間後の午後5時46分、雪が吹き付けるなかで1分間黙とう。近くに住む主婦前田牧子さん(42)は「同じ被災地としてつらい思いを共有し、励まし合って前に進んでいきたい」と話した。


陛下「防災勉強してみんなの力になって下さい」
読売新聞 1月17日(土)22時10分配信

 兵庫県を訪問した天皇、皇后両陛下は17日の追悼式典出席後、被災者支援などに取り組む地元関係者らと懇談された。

 両陛下は、東日本大震災の被災地でも活動する音楽療法士松崎聡子さん(50)、園芸療法士上地(うえじ)あさひさん(29)から、音楽や植物による心のケアの効果について説明を受けられた。阪神大震災後に全国初の環境防災科が開設された県立舞子高で学ぶ成尾春輝さん(18)、大西莉加さん(同)とも懇談。天皇陛下は「防災について勉強しないと、本当に起こった時に困難なことになる。みんなの力になって下さい」と激励された。

 両陛下は同日夕、特別機で帰京された。


<阪神大震災20年>心に刻み前へ…各地で追悼・慰霊の行事
毎日新聞 1月17日(土)21時55分配信

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ろうそくでともされた「1・17」の文字の周りで黙とうをする多くの人たち=神戸市中央区の東遊園地で2015年1月17日午後5時46分、大西岳彦撮影

 阪神大震災から20年を迎えた被災地では17日、犠牲となった6434人を追悼する行事が各地で行われた。東日本大震災の被災者も参加し、遺族や市民らは二つの震災の犠牲者に心を寄せながら、教訓を次世代に継ぐ決意を新たにした。東京や東北、北海道など全国各地でも、慰霊や追悼の行事が営まれた。

 神戸市中央区の東遊園地を会場にした「阪神淡路大震災1.17のつどい」は午後5時現在、過去最多の7万5000人が鎮魂の祈りを重ねた。竹灯籠(たけどうろう)でかたどられた「1995 1.17」に加え、「3.11」の形に並べられた約300本の竹灯籠のろうそくがともされ、東日本大震災が起きた午後2時46分に黙とうした。

 宮城県女川町の七十七銀行女川支店に勤務していた長男健太さん(当時25歳)を津波で亡くした田村弘美さん(52)=同県大崎市=は「震災経験者として、17日への思いは痛いほど分かる。これからもお互いに支え合いながら、つながっていきたい」と語った。

 東京では、犠牲者を追悼する「いま、わたしたちに、できること。2015~KOBE MEMORIAL1.17灯りのつどい~」が東京国際フォーラム(東京都千代田区)であった。

 東京災害ボランティアネットワークの主催で、2000年から本格的に実施している。会場では約1200個のグラスに入れたろうそくが「1.17KOBE」の文字に並べられ、灯をともされた。

 震災が発生した時刻から12時間後の午後5時46分を迎えると、通行人やボランティアらが一斉に黙とうした。【神足俊輔、川口裕之】


<天皇、皇后両陛下>防災学ぶ高校生らと懇談
毎日新聞 1月17日(土)21時39分配信

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兵庫県立舞子高校環境防災科の大西莉加さん(右端)と成尾春輝さんから、防災活動の報告をお聞きになる天皇、皇后両陛下=神戸市中央区の兵庫県公館で2015年1月17日午後0時47分(代表撮影)

 天皇、皇后両陛下は17日、神戸市中央区の兵庫県公館であった阪神大震災20年追悼式典に出席後、防災を学ぶ高校生ら5人と懇談された。

 天皇陛下は同県立舞子高校環境防災科3年の成尾春輝さん(18)と大西莉加さん(18)に「防災を勉強しておかないと、本当に(災害が)起こった時に役立てることができないですね」などと感想を述べた。

 東日本大震災の被災地などでも活動しているという同県音楽療法士会の松崎聡子理事長(50)には、「随分、喜ばれているんでしょうね」と声をかけた。

 天皇陛下は懇談の最後に、5人へ「どうぞ(被災者の)みなさんのために力になってあげてくださいね」と語りかけた。その後、両陛下は神戸空港から特別機で空路、帰京した。【真鍋光之】


神戸から東北思い、黙とう
2015年1月17日(土)21時31分配信 共同通信

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 阪神大震災から20年、神戸市中央区の東遊園地にともる「1・17」と「3・11」の竹灯籠の文字=17日夜

 阪神大震災から丸20年の節目となった17日、かつての被災地では午後も追悼行事が続いた。神戸市中央区の東遊園地で市などが主催した「1・17のつどい」では、2011年3月11日の東日本大震災が起きた午後2時46分に、参列者が東北地方の方角を向いて黙とうをささげ、同じ被災地に思いをはせた。

 午後5時までに過去最多の約7万5千人が参加。宮城県名取市閖上地区の人らが約300本の竹灯籠を「3・11」の文字に並べ、火をともした。

 石巻専修大2年の川上大樹さん(19)は「神戸のように20年後、さらに後世まで震災の教訓を伝えられるよう努力したい」と語った。


<大川小>校舎保存で3案…住民協議会が遺族に初提示 宮城
毎日新聞 1月17日(土)21時27分配信

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多くの児童が犠牲になった津波の痕跡を示す大川小学校の被災校舎=宮城県石巻市で2014年2月19日、小川昌宏撮影

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の近隣住民による協議会が被災校舎を保存整備する案をまとめ、17日、初めて児童の遺族に示した。

 震災から4年近くがたち建物の傷みも進むが、行政が保存を検討する動きはない。住民は「悲劇を伝える場を残したい」と意見集約を図る。

 校庭を「ワ」の字形に取り囲む校舎は津波で壁や窓が壊れ、吹きさらしの状態。体育館への渡り廊下も折れ曲がった姿をさらす。周辺には慰霊碑や献花台が設けられ、今も国内外から多くの人が訪れ、祈る姿が見られる。

 整備案をまとめたのは、学区の住民約50人による大川地区復興協議会。

 震災前の学校は住民が集う地域の中心だった。議論を重ね、「教訓を未来に引き継ぐよう一帯を残すべきだ」と結論づけた。遺族に示したのは、学校の敷地周辺を「鎮魂の森」として公園化。建物は「全面保存」「一部保存」に加え、解体の上、跡地に携帯電話などをかざせば校舎の姿を画面に映し出す「拡張現実装置の設置」--の3案。

 大川小を巡っては、遺族に「見るのがつらい」との声もある。遺族から損害賠償訴訟を提起された石巻市は、遺族感情を刺激しかねない同小を震災遺構の検討から外し、津波火災の跡が残る門脇小校舎に絞って保存の議論を進めている。

 協議会による整備案の説明に、遺族の女性からは「つらいと言っていた人も、時間がたって残したいという気持ちになっている」。男性も「50年後を見据えて残すべきだ」と、遺族から保存に前向きな意見が相次いだ。

 協議会は2月に遺族や地区住民を交えた全体会で結論をとりまとめ、市に提案する予定。

 市側も協議会の取り組みに理解を示しており、住民合意ができれば保存への道が大きく開ける。【百武信幸】


<阪神大震災20年>東日本被災地でも追悼行事
毎日新聞 1月17日(土)20時54分配信

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追悼行事で、阪神大震災の犠牲者に祈りをささげる人々=福島市蓬莱町で2015年1月17日午後5時46分、小林洋子撮影

 東日本大震災の被災地でも17日、阪神大震災の追悼行事が各地で営まれた。

 福島市蓬莱町2のスーパー駐車場では同日夕、地元の主婦や子どもたちが手作りしたろうそくがともされ、約30人が黙とうした。「震災を忘れない心を神戸に届けたい」と初めて企画し、参加した薄(うす)夏江さん(65)は「これからも神戸と連携して命の大事さを子どもたちに伝え続けたい」と話した。

 神戸市・東遊園地の「1.17希望の灯(あか)り」を種火にした岩手県大槌町の「希望の灯り」前では、地震発生時刻の午前5時46分に地元住民が手を合わせた。食料品店を経営する八幡幸子さん(63)は「お互いに痛みを感じながらも頑張っていきたい」と語った。同県陸前高田市の「3.11希望の灯り」でも地元住民が黙とうをささげた。

 宮城県石巻市の中瀬公園では、ろうそくの火で「忘れない」などの文字を形作って犠牲者の冥福を祈った。【小林洋子、中田博維、百武信幸】


両陛下、防災学ぶ高校生らと懇談
2015年1月17日(土)19時15分配信 共同通信

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 兵庫県立舞子高校環境防災科の大西莉加さん(右端)と成尾春輝さんから被災地での活動について説明を受けられる天皇、皇后両陛下=17日午後、神戸市中央区の兵庫県公館(代表撮影)

 神戸市の兵庫県公館で営まれた阪神大震災20年の追悼式典に出席した天皇、皇后両陛下は17日午後、引き続き公館内で、防災を専門に学ぶ県立舞子高校環境防災科の生徒、音楽療法士らから地元や東日本大震災の被災地での活動について説明を受けられた。同日夕に帰京した。

 舞子高校3年の成尾春輝さん(18)は小学校で出前授業をしたり、地域の防災訓練に参加したりした活動を説明。天皇陛下から「本当にご苦労さま」と激励され「しっかりと応えていきたい」と話した。


「風の電話」を修繕、岩手
2015年1月17日(土)18時53分配信 共同通信

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 強風で倒壊したが、ボランティアらの手で修繕された「風の電話」=17日午後、岩手県大槌町

 東日本大震災で犠牲になった人と遺族の気持ちをつなぐ場にしたいと岩手県大槌町に設置され、強風で壊れた電話ボックス「風の電話」が17日までに、ボランティアらの手で修繕、再建された。持ち主の佐々木格さん(69)は各地からの支援に感謝し「皆さんにまた、気兼ねなく来てもらいたい」と呼び掛けた。

 風の電話は、佐々木さんが海を見下ろす自宅の庭に設置。亡くした大切な人と心を通わせ、しのぶ場所にしてほしいと、線のつながっていない黒電話や思いを記すノートが置いてある。

 ボックスは8日の強風で横倒しになり、ガラスが割れるなど大破した。


首相「教訓いかし防災減災に力」 阪神大震災から20年で
産経新聞 1月17日(土)17時55分配信

 安倍晋三首相は阪神大震災発生から20年を迎えた17日、自身の交流サイト「フェイスブック」に「神戸はすっかり活力のある街として再生した。しかしご遺族にとってはいまだ忘れ得ぬ出来事でしょう」と投稿した。首相は犠牲者らにお悔やみを述べるとともに、「阪神大震災、東日本大震災の教訓を生かし防災減災に力を入れていく」とも書き込んだ。


かつての避難所でコンサート=「震災後」に未来託す―阪神大震災20年
時事通信 1月17日(土)17時51分配信

 20年前の阪神大震災時に避難所となった神戸市長田区の駒ケ林中学校で17日午後、中高生らが出演する「元気を明日へつなぐコンサート」が開かれた。壊滅的な被害を受けた地域で震災後に生まれた子どもたちに「震災を考えてもらいたい」と、被災者らが企画。同区で妻の実家が全壊したという指揮者の佐渡裕さんが演奏を指揮した。
 コンサートには区内など八つの中学・高校から約200人が出演。「上を向いて歩こう」を演奏すると、観客らも共に口ずさみ拍手を送った。
 同中学校は地震直後から約7カ月間、避難所となり、一時は2000人以上が身を寄せた。企画した峯松文男さん(66)は、全焼した同区の大正筋商店街で当時、おもちゃ屋を経営していた。「震災後に苦労しながら子どもを育てた家も多い。一歩一歩進んできた」と振り返る。佐渡さんは「復興に尽力されてきた方々には『ご褒美』に、子どもたちには、地域で何があったか興味を持つきっかけになれば」と話した。
 参加した長田高校2年の竹下理那さん(17)は「今後、震災を伝えていくのは私たちの仕事。今は私たちの音楽で地域の人たちが元気になってくれるのが一番うれしい」と笑顔で話した。 


両陛下、高校生らと懇談=特別機で帰京―阪神大震災20年
時事通信 1月17日(土)17時23分配信

 阪神・淡路大震災20年追悼式典出席のため兵庫県を訪れていた天皇、皇后両陛下は17日午後、神戸市の県公館で、防災について学ぶ地元の高校生や、音楽療法士らと懇談された。
 天皇陛下は、県立舞子高校に震災後、全国で唯一の防災専門学科として設置された環境防災科の3年生から、被災地でのボランティア活動の様子などを聞き、「本当にご苦労さまですね」とねぎらった。音楽を通じて心身のケアを図る音楽療法士の女性には「どんなものが一番喜ばれますか」などと質問。最後に、懇談した全員に対し、「どうぞみんなのために力になってあげてくださいね」と声を掛けていた。
 両陛下は同日夕、羽田空港着の特別機で帰京した。 


「3.11」に黙とう=二つの被災地「震災忘れぬ」―神戸
時事通信 1月17日(土)16時54分配信

 阪神大震災の発生から20年となる17日、追悼の集いが行われた神戸市中央区の東遊園地で、東日本大震災が起こった「3.11」をかたどった竹灯籠に火がともされた。地震発生時刻の午後2時46分、参加者らは東北に向かって黙とうし、犠牲者らの冥福を祈った。
 「東日本大震災でも既に風化が始まっている。忘れないでほしい」。ひょうごボランタリープラザの招きで訪れた宮城県名取市の仮設住宅に住む自営業長沼俊幸さん(52)は訴える。津波で自宅の1階部分が破壊され、妻の美雪さん(52)と駆け上がった2階部分は内陸に約2キロ流された。
 住んでいた同市閖上地区では5000人程度の人口のうち、754人が犠牲に。昨年10月、ようやく土地かさ上げ工事の起工式が行われたが、完成は当分先。まだまだ見通しが立たない状況なのに、「少しずつ、震災のことが忘れられてきている」と感じる。
 現在は同地区の「語り部」としても活動する。神戸の集いでは、暗い時間から多くの若者がいることに驚いた。「東北でも20年後に若い人たちが手を合わせてほしい」と、神戸で感じた人と人とのつながりの大切さを発信していくつもりだ。
 神戸市垂水区の建築業島津幸一さん(62)は、一時働いていた岩手県花巻市でも被災。二つの大震災を経験した。初めて訪れた追悼行事では、「行き場のない怒りなど、被災者にしか分からないことがある」と痛感したという。
 母の実家がある神戸市で震災直後に生まれた三育学院大2年の土肥直貴さん(19)=千葉県大多喜町=は、小学1年から毎年、集いに参加。「神戸の人たちは東日本のことを忘れない。東北の人たちにもぜひ神戸に来てほしい」と話した。 


阪神大震災20年 「俺の震災終わらない…」次女亡くした田中武雄さん
産経新聞 1月17日(土)15時25分配信

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亡くなった次女、樹里さんの遺影を手に東遊園地を訪れた田中武雄さん=17日午前7時7分、神戸市中央区(沢野貴信撮影)(写真:産経新聞)

 「相変わらず、お前は18のままなんやなあ。俺はこうしてちゃんと生きてるから、心配するな」

 東遊園地を訪れた神戸市東灘区の会社員、田中武雄さん(66)は高校3年で亡くなった次女の樹里さん=当時(18)=に語りかけた。あれから20年。「もっと生きたかったやろ」とつぶやき、涙をぬぐった。

 田中さんの一日は、樹里さんが好きだったコーヒーをいれることから始まる。仏壇に供え、こちらを見つめる遺影に「樹里、あのな…」。20年間続けてきた。

 自宅は全壊し、隣の部屋で寝ていた樹里さんの胸を柱が直撃した。ひつぎの中で薄化粧を施された娘は、眠っているかのようにきれいだった。「何で近くにおったのに守ってやれんかったんや」。遺骨のひとかけらをのみ込み、一人になると大声で泣いた。

 ひまわりみたいな明るい子。手がかからず、家族の中で一番のしっかりもの。最初で最後のわがままが震災の前年に言った「四年制大学に行かせてほしい」だった。「何でや、短大に行けよ」と取り合わなくても「社会の先生になりたいから、お願い」と譲らなかった。

 震災後すぐ、樹里さんの志望校だった関西学院大学(兵庫県西宮市)に遺影を持って訪れた。「ほら、お前が行きたかった学校やで」

 樹里さんが大好きだった歌手の福山雅治さんの新曲が出るたび、CDを買って仏壇の前でかけた。祭り好きだった樹里さんのえと「辰」の絵と名前を染め上げただんじりのじゅばんを作り、それを着て担いだ。車のナンバーは、樹里さんの誕生日の「1025」。

 「とにかく何かしてやりたくて。結局は自分の慰めでしかないんやけど。心の中では生きてるって思いたくて」と寂しげに笑う。

 あの日から20年。娘が生きた時間より、いなくなってからの方が長くなった。口では「娘が死んだ」と言えるが、まだ受け入れられない。娘と同じ制服を着た女子生徒を見るたび「もしかして」と探してしまう。心の穴は年を経るにつれ大きくなる。

 「天国で樹里に会って『助けてやれんでごめんな』って言う。それで樹里が『ええよ』って笑ってくれるまで、俺の震災は終わらないから」


阪神大震災20年 亡き母へ「この子抱っこしてほしかったな」早川美幸さん
産経新聞 1月17日(土)15時24分配信

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長男の結くんを抱いて追悼行事に参加した早川美幸さん=17日午前6時52分、神戸市中央区の東遊園地(頼光和弘撮影)(写真:産経新聞)

 また、この日がめぐってきた。1月17日。祈りをささげる人に応えるかのように、前夜からの雨がやんだ被災地。人々は、つらい思い出を改めてかみしめ、犠牲者を悼んだ。阪神大震災から20年。いまだ肉親の死を受け止められない人がいる。一方で新しい命が生まれ、母として強く生きていこうとする人もいる。震災の記憶を伝える責務を負って、だれもが未来に向けて歩いていく。

 「赤ちゃんが生まれたよ。抱っこしてあげてほしいな」-。17日、神戸市中央区の東遊園地で行われた追悼行事。多くの遺族が、明日への誓いを新たにした。阪神大震災で母親を失った同区の主婦、早川美幸さん(27)は7カ月の長男を抱いて参加した。母の記憶は断片的にしか残っていない。だが、母親になったからこそ、母の気持ちがよく分かる。「お母さんに少しでも近づけるようにがんばるからね」

 平成7年1月17日。母、裕美子さん=当時(43)=が検査入院していた同市長田区の市立西市民病院は、激しい揺れに襲われた。病棟の5階部分が崩れ、裕美子さんを含む44人が生き埋めになった。次々と救出されたが、裕美子さんだけが犠牲となった。

 「明日、家に帰ったら会えるから、それまで我慢してね」。前日の16日、当時7歳の美幸さんは裕美子さんと電話で話した。しかし、その約束が果たされることはなかった。

 震災後、美幸さんは友人らに裕美子さんの話をすることを避けた。口に出すとつらくなるからだ。中学時代は、毎年1月17日は学校を休んだ。授業で震災体験を発表しなければならず、クラスメートから裕美子さんのことを尋ねられたくなかった。

 福祉の道を目指して、兵庫県立舞子高校環境防災科(同市垂水区)に入学。当初は、裕美子さんのことが頭をよぎり、防災の勉強がつらかった。西市民病院で、救助活動をしていた消防士が講師に招かれたときは、裕美子さんを亡くした悲しさと悔しさを思い出し、ずっとうつむいていた。

 それでも、授業の一環として、自らの被災体験を人前で繰り返し話すたび、「『母親がいない』という現実を受け止めることができるようになった」という。

 25年4月、友人の紹介で出会った夫、文章さん(33)と結婚。26年5月に長男の結(つなぐ)くんを出産した。

 結くんが生まれてから美幸さんは、裕美子さんを思うことが増えたという。結くんが風邪をひいたときなど、「お母さんがいれば相談できるのに…」と思ったという。それでも、「震災で多くのものを失ったからこそ、今の平凡な日常がより幸せに感じられる」と家族がいる日常に感謝している。

 裕美子さんの記憶はあまりない。毎日のように保育園の送り迎えをしてくれたことや、入院中に売店でお菓子を買ってもらったことなどだけ。ただ、子供が生まれて裕美子さんの無念が改めて分かる。「子供を残して死ぬことが、どんなにつらいことか。この子を絶対に守る」

 母親になって初めて「あの日」を迎えた。愛する家族とともに訪れた美幸さんは、竹灯籠の前で静かに目を閉じて裕美子さんに呼びかけた。「育ててくれてありがとう。これからも見守っていてください」


阪神大震災20年 月日流れても、愛する人へ尽きぬ思い
産経新聞 1月17日(土)15時24分配信

 あの日、救えなかった命。20年の月日が流れても大切な「あの人」への思いは尽きない。

 生後3カ月で被災し、父の谷口正美さん=当時(35)=が犠牲になった兵庫県西宮市上ケ原山田町の大学1年、染田瑞稀さん(20)「1月17日に1人で訪れるのは初めて。二十歳(はたち)になったことを報告しに来た。今まで父の死の意味がわからなかったが、今日初めて父の名が刻まれた石碑を見て涙が出た。震災を経験した最後の世代として、伝えていかなくてはならないと感じる」(西宮震災記念碑公園で)

 生まれる前に、姉の加賀桜子ちゃん=当時(6)=を亡くしている神戸市東灘区の中学2年の亮(たすく)さん(14)「写真でしか会ったことのない姉は、見た目はずっと幼いまま。今となっては妹のようにも思え、不思議な気がする」(東灘区・森公園で)

 弟の宏亮(ひろあき)君=当時(3)=と知幸君=同(1)=を亡くした神戸市長田区の会社員、柴田大輔さん(27)「よく公園で一緒に砂遊びをした。救えなかった弟の命。今後は消防団員として人の命を救いたい」(東遊園地で)

 夫の秀隆さん=当時(43)=と義父母を亡くした徳島県美馬市の馬渕清美さん(58)「神戸市灘区のマンションに住んでいたが、1階がつぶれて夫ら3人が犠牲に。長男は1月17日が誕生日で前日には夫とお祝いをどうするか話していた。高校入学直前の長男は体操で全国大会を目指していたが、引っ越しで夢をあきらめることになってしまった。声が届くなら『これからも家族を見守っていてね』と伝えたい」(同)

 父の要さん=当時(64)=を亡くした西宮市の会社員、井上浩史さん(38)「父は疲労がたまっていたようで避難所の風呂場で4月に突然亡くなった。家族もばらばらになり、震災さえなければと思う。ただ、周りの人たちに助けられた。2歳の娘には人の輪の大切さを伝えたい」(芦屋市の西法寺で)


阪神大震災20年 「命が1つ消えると多くの人が悲しむ」和泉喜久男さん
産経新聞 1月17日(土)15時23分配信

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追悼の言葉を述べる和泉喜久男さん=17日午前、兵庫県西宮市(中川三緒撮影)(写真:産経新聞)

 「私の体験を語ることで、高校生にもっと強く命の大切さを伝えられるのではないか」。震災で長男を失った兵庫県西宮市の元県立高校校長、和泉喜久男さん(64)は同市の追悼式でこうメッセージを読み上げ、じっと前を見据えた。

 震災で自宅は全壊し、長男の忠宏君=当時(10)=が犠牲になった。子供用の小さなひつぎに納められた姿を思い出すと涙があふれ、震災後しばらく、忠宏君の死を語ることはできなかった。雑談で震災の話題が出ても、話をそらした。

 「私は高校教育に携わる者として、いつまでもそのような気持ちをずっと抱えていてよいのだろうか」

 国内での自殺者は年間約2万5千人。近年は中学生や高校生など若い世代の自殺も目立つ。高校の校長を務めていた当時、「生徒たちに命の大切さを伝えなければ」と決意。始業式のあいさつで初めて、震災と忠宏君の死について語った。

 「命が1つ消えると多くの人が悲しむ。1人で生きているのではないことを知ってほしい」。定年後も専門学校で校長を務め、学生に命の尊さを説いている。

 昨年の暮れにうれしいことがあった。街で高校の教え子に、「校長の震災の話は心に残っています」と声を掛けられたのだ。「話してよかった」と実感した。

 「震災から15年目にして初めて、公の前で私の息子のことを語ることができた。このことは天国の息子も、きっと喜んでくれているでしょう」


阪神大震災20年 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告、千代田健志さん
産経新聞 1月17日(土)15時23分配信

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千代田健志さん(手前)は妻の生子さん、長男の陽登ちゃんと東遊園地を訪れ、母と姉の名前が刻まれた銘板に手を触れた=17日午前8時13分、神戸市中央区(竹川禎一郎撮影)(写真:産経新聞)

 阪神大震災で母と姉を亡くした岡山県倉敷市の看護師、千代田健志さん(24)が17日朝、東遊園地を訪れた。祈りをささげた「慰霊と復興のモニュメント」の銘板には2人に加え、被災直後に母に代わって守ってくれた黒田裕子さん=昨年9月に73歳で死去=の名前も新たに刻まれた。「子供が生まれたよ。元気に頑張っているから安心してな」。人生の新しい扉を開けたことを大切な3人に報告した。

 母のさと子さん=当時(32)=ときょうだい4人で暮らしていた兵庫県宝塚市のアパートが倒壊。さと子さんと姉の萌(もえ)さん=同(6)=が亡くなったが、当時4歳だった千代田さんは兄と双子の弟とともに避難所となった市内の体育館へ預けられた。

 母と姉の死を理解できず「お母ちゃん」と呼ぶ千代田さんを抱きしめ、遊び相手になってくれたのが当時同市立病院の看護師として避難所に派遣され、後にNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」を立ち上げた黒田さんだった。

 震災から11日後、千代田さんは兄と弟と、長崎県に住むさと子さんの両親に引き取られた。その後、「困っている人を助ける仕事に就きたい」と、神戸市内の看護学校に進学、黒田さんと再会した。黒田さんは千代田さんを覚えていたといい、正看護師を目指していると明かすと、「目に見えないものを考えて」と心構えを伝授された。

 平成24年3月に看護師の国家資格に合格。専門学校で知り合った生子(せいこ)さん(29)と結婚し、昨年5月には長男の陽登(ひなと)ちゃんが誕生。家庭を持って思うのは亡き母の存在の大きさだ。「働きながら4人きょうだいを育ててくれた母さんは本当にすごいな、と実感します」

 昨年9月、黒田さんが亡くなり、悲しみに暮れた。「もう一度直接会って、ありがとうございましたと伝えたかった」と言葉を詰まらせる。

 この日、銘板の3人の名前に触れ、「たくさんの人に支えられたことを息子にも伝えていきたい。来年も再来年も家族で会いに来るよ」と語りかけた。


阪神大震災20年 追悼のトランペット、神戸の街に響く
産経新聞 1月17日(土)15時21分配信

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夜明け間近の神戸市街に向け、追悼のトランペットが鳴り響いた=17日午前5時46分、神戸市中央区の諏訪山公園(岡本義彦撮影)(写真:産経新聞)

 ◆西宮のホール

 1146人が犠牲になった兵庫県西宮市では17日、市主催の追悼式が同市六湛寺町のアミティホールで行われた。遺族ら950人が献花して犠牲者の冥福を祈るとともに、震災の記憶を未来に語り伝えていくことを誓った。

 白菊で埋め尽くされた祭壇には、市内の犠牲者をまとめた名簿が供えられた。午前9時半から1分間の黙祷(もくとう)に続き、今村岳司市長が式辞を読み上げ、市内の実家で被災した経験を振り返り「水も電気もない中でみんなで支え合い、助け合った。あのときに自治体の方、警察、消防、自衛隊が勇気を与えてくれた。悲惨な震災を乗り越え、私たちは今生き残っていることに感謝したい」と述べた。

 その後、市内を中心に若手音楽家の育成を目指して活動するNPO法人「関西芸術文化支援の森 ゆずりは」のメンバーが賛美歌などを献唱。最後に一人一人が祭壇に献花した。

 開式前には同市在住のジャズピアニスト、金谷こうすけさんが、震災をテーマにしたオリジナル曲を披露。市が制作した震災当時の記録映像も流された。

 同市仁川百合野町に住む妹=当時(50)=ら親族3人が犠牲になった同県尼崎市東大物町の無職、佐渡文子さん(88)は「今でも3人が生きているのではないかと錯覚してしまうことがある。心はまだ震災を受け入れられないが、3人の分まで頑張って生きていこうと思う」と話した。

 ◆諏訪山公園

 神戸市の中心地を一望できる高台の諏訪山公園(同市中央区)のビーナスブリッジでは、まだ月明かりの未明から追悼式が行われ、約100人の遺族や住民が黙祷をささげた。追悼式ではトランペット奏者の松平晃さん(72)が夜明けの空に向かい、復興支援曲「花は咲く」や童謡「ふるさと」を演奏し、犠牲者を悼んだ。

 このほか同市兵庫区の詩人、玉川侑香さん(67)が被災者の気持ちを表現した詩を披露した。地震が発生した午前5時46分には、鎮魂の願いを込めて参加者が「神戸・希望の鐘」を打ち鳴らした。

 大きな揺れのなか、母親と布団にもぐって難を逃れたという兵庫区の菱谷治代さん(69)は「近所から火の粉が飛んできたのを覚えている。大勢の方に助けられていることを忘れず、精いっぱい生きたい」と話した。

 ◆北淡震災記念公園

 兵庫県淡路市小倉の北淡震災記念公園で行われた追悼式典では、「精霊流し」として慰霊碑前の人工池にろうそくをともした竹筒を流した。午前5時46分には参加者全員が目を閉じ、犠牲者を悼んだ。

 住民有志らで作る「フェニックス合唱団」約250人が、「アメイジング・グレイス」を合唱。遺族らが慰霊碑に白い花を手向け、静かに手を合わせた。

 震災で母のサヨ子さん=当時(64)=を亡くした同市石田の無職、片山秀和さん(60)は「心の整理がついて、5年ぐらい前から式典に来るようになった」としながらも、「20年という月日が動いたが、自分の『心の中』は動いていない」と複雑な思いを語った。

 このほか、同公園内のセミナーハウスでは、午前8時から同市主催による追悼式典も行われた。

 ◆安井小

 校区内で児童2人を含む89人が亡くなった兵庫県西宮市安井町の市立安井小学校では、犠牲者追悼式が初めて行われた。犠牲者数と同じ89体の「雪地蔵」が並ぶ中、地域住民ら約千人が地震の発生時刻に合わせて黙祷した。

 雪地蔵は、地域と交流を続ける富山市のボランティア団体「ヤングネットワークとやま」から届いた雪約30トンの一部で製作。「1.17安井」の形に並べた約300本の竹灯籠にろうそくもともされた。黙祷の後、児童ら約40人が震災からの復興を願う「しあわせ運べるように」などを合唱した。

 大量の雪を使った雪まつりもあり、子供たちが雪合戦などを楽しんだ。同小5年の岡村心葉(ここは)さん(11)は「亡くなった89人に届くよう歌った。震災は知らないが、亡くなった方の分も一生懸命生きたい」と話した。


阪神大震災20年 また一歩、前へ前へ 1・17と3・11つなぐ
産経新聞 1月17日(土)15時21分配信

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東遊園地で行われた「1.17のつどい」には約1万4千人が訪れ、会場を埋め尽くした=17日午前5時58分、神戸市中央区(土井繁孝撮影)(写真:産経新聞)

 ■心の中はまだ… 友の年賀状今も

 ◆東遊園地 最多1万4000人祈り

 神戸市中央区の東遊園地。毎年、17日に被災者を追悼する「1・17のつどい」が行われている。今年は、発生時間の午前5時46分には例年の3倍にもなる過去最多の約1万4千人が集まり、一時は会場に入りきれない人が出た。

 会場では午前5時ごろから園内のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」から分灯した火がろうそくに点火された。集まった人たちはそれぞれ、ろうそくのともった竹灯籠に両手を合わせ、亡くなった人たちに祈りをささげた。

 犠牲者の名前が刻まれた銘板のある園内の「慰霊と復興のモニュメント」前では「20年の区切りやな」と声をかけながら白菊を供える男性もいた。また、気分が悪くなった高齢の男性1人が救急搬送された。

 叔母と友人を亡くしたという神戸市北区の主婦、田中栄子さん(79)は「毎年この日になると、ここに自然と足が向いてしまう。これまでも涙はいっぱい流してきたが、ここに来ると亡くなった人に会えるようでほっとする。私も年を取ったけど、元気なうちは参列するつもり」と誓っていた。

 ◆真野小

 校区内で17人が犠牲になった神戸市立真野小学校(長田区)で行われた追悼行事には、東日本大震災から交流を続けている仙台市の小学生もかけつけ、「1.17 絆 3.11」の形に並べたろうそく1200本に火をともした。午前5時46分には参加者全員で黙祷(もくとう)。真野小の児童60人と、仙台市立東六郷小の児童4人が「しあわせ運べるように」と、震災20年を機に地域住民が作詞作曲した「つなごう」の2曲を合唱した。

 また真野小の一部の児童が16日夜、段ボールで避難所を作り、震災当時に思いを巡らせようと、校内で宿泊した。

 真野地区まちづくり推進会副代表の石原保子さん(78)は「この日になると真っ暗闇のなか避難したことや、家が倒れていた街の姿を思いだす。改めて冥福を祈りたい」と話した。

 ◆たかとり教会

 ボランティアの活動拠点となった神戸市長田区のカトリックたかとり教会には仏教の祭壇も並べられた。被災者や当時のボランティアら約300人が宗教の違いを乗り越え、犠牲者の冥福を祈った。午前5時半、聖歌の斉唱や聖書の朗読が始まり、5時46分には、ホラ貝の音が鳴り響く中、犠牲者へ黙祷がささげられた。被災直後に福島県いわき市からボランティアに駆けつけ、20年ぶりに教会を訪れたという布川道照さん(47)は「まちはきれいになっても、心の中はまだ立ち直れていないと感じた」と話した。

 ◆精道小

 児童8人が犠牲となった兵庫県芦屋市の市立精道小学校。当時小学4年生で、同級生が犠牲になった3人の卒業生が追悼式で20年間を振り返った。亡くなった4年生は青木尚子さん、須賀晃弘さん、往古(おうこ)大喜さん=いずれも当時(10)=で、卒業生の会社員、前田綾さん(30)=神戸市灘区=は涙を浮かべながら「往古君から正月に届いた年賀状、今も大切に持っています」と言葉を詰まらせた。また小学校教諭となり、毎年1月17日に同校を訪れているという壺坂敬子さん(30)=同県西宮市=は、児童に「自分の命、大切な人の命を守れる人になってください」と呼びかけた。


阪神大震災20年 この街と生きて…失われた命と復興の歩みに思い巡らせ
産経新聞 1月17日(土)15時17分配信

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阪神大震災から20年。あの日の教訓は親から子の代へと受け継がれていく=17日午前5時36分、神戸市中央区の東遊園地(山田哲司撮影)(写真:産経新聞)

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から20年となった。発生時刻の午前5時46分、神戸市など被災各地で黙祷(もくとう)がささげられた。人々は失われたかけがえのない命と復興の歩みに思いを巡らせ、災害に強い地域づくりを誓った。

 神戸市中央区の兵庫県公館では県などが主催する追悼式典に天皇、皇后両陛下が10年ぶりに臨席された。震災で母を失った同市西区の英語塾経営、小河昌江さん(51)が遺族代表として、「悪い状況の中にも温かい出会いはあり、それは私の心をいつまでも温めてくれます」と言葉を述べた。

 一方、同市中央区の東遊園地で行われた「阪神淡路大震災1・17のつどい」には、20年の節目ということもあり、昨年の約3倍、過去最多となる約1万4千人(午前7時現在)が参加。身動きも取れない状態で、式典開始が10分遅れた。

 会場には竹灯籠約1万本が並べられ、「1・17」の文字が浮かび上がる中で犠牲者の冥福を祈った。母を亡くした同市東灘区の美容師、銘田奈津紀(めいだ・なつき)さん(26)が遺族代表として「夢を持ち続け、母の分も強く生きようと思います」と決意を語った。

 平成7年1月17日に発生した阪神大震災は、近代化された都市を襲った未曽有の災害だった。しかし、震災5年で仮設住宅は解消し、10年で街がほぼ復旧。神戸市に災害医療や、心のケアなどの拠点施設が整備され、さまざまなボランティア活動が展開された。

 一方で、課題も残っている。被災者向けの災害復興公営住宅のうち、自治体が民間などから借り上げた住宅が27年度から順次、20年の返還期限を迎える。

 神戸市などは年齢や要介護度など入居継続の要件を設けているが、高齢者や障害者の孤立がますます深まることが懸念されている。


阪神大震災20年 「亡き兄の分も今を生きる」消防士の萩原裕介さん
産経新聞 1月17日(土)15時17分配信

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震災で亡くなった兄への思いを胸に、「最前線で命を守っていく」と誓う消防士の萩原裕介さん=17日午前9時38分、神戸市垂水区(写真:産経新聞)

 「兄ちゃん、20歳になったで。今まで以上に責任感持って頑張るから」。神戸市須磨区の消防士、萩原裕介さん(20)は17日朝、自宅の仏壇の前で、震災の犠牲になった兄=当時(3)=に、いつものように語りかけた。「原点」という兄の死を通して命の重みを学び、2年前から消防士として人命救助の道を歩み始めている。

 「兄の分も、後悔しないように今を生きる」。萩原さんは物心がついたときから、いつも自分に言い聞かせてきた。平成7年1月17日、生後3週間だった萩原さんは、母(50)の実家にいて無事だった。しかし、同市長田区の父(51)の実家にいた幼い兄と祖母は、つぶれた家の下敷きになり、命を落とした。

 月命日の17日がくると、家族で墓参りをし、兄の誕生日には、年齢の数のろうそくをともしたケーキを囲んできた。写真立ての中で笑う幼い兄。「注射で泣かない子やった」「裕介をよくかわいがった」と両親は教えてくれた。

 自身の記憶にはないが、「いつも自分の中に兄はいた」。自分のそばで見守ってくれる心強い存在だった。

 両親は自ら震災当時のことをほとんど話したことはなかったが、小学生のころに2歳下の妹と聞いた母の言葉が忘れられない。

 「これ以上、自分の子供が命を落とすのは嫌や。あんたらにはあんなつらい思いを絶対にしてほしくない」。母は体に触れながら泣いていた。

 当時も今も消防士として活動する父。わが子を失った悲しみや弱さを見せず、ひたむきに働く姿にあこがれるようになった。23年3月に起こった東日本大震災でも派遣され、人命救助に当たっていた。

 「両親は多くを語らないけれど、兄の死を通して、命の重みや強く生きることを教えてくれていたと思う」

 サッカーを始めたときも、高校進学のときも、消防士を志したときも、両親は自分の意志を尊重してくれた。そしていつからか、月命日には、自分の決意を兄に報告することが習慣になった。「(サッカーの)大会で優勝する」「消防士になる」

 「宣言した限りは、絶対に実現せなって思えるから」

 高校卒業後の25年4月に消防士になり、同10月に垂水消防署(同市垂水区)に配属された。「消防士になる」と報告したら、母は笑顔で「なったらええやん」と話した。父も喜んでくれた。今はポンプ車に乗り込み、消火活動などに当たる。まだまだ半人前だが、人を救える仕事にやりがいを感じる。

 21回目の命日となったこの日も、仏壇で手を合わせてから消防署に出勤。ポンプ車などの車両点検を行った。火災や災害が起こっても、万全の備えで臨みたい。次の目標は救助隊員になることだ。あの時、生まれたばかりで非力だったが今は違う。

 「どんな災害が起きても、次は自分が最前線で命を守っていく」。返事はないけれど、いつも兄はそばにいて見守ってくれている。そう、感じている。


阪神大震災20年 両陛下、追悼式ご臨席 教訓生かし東北の被災地を支援する人々ともお会いに
産経新聞 1月17日(土)15時1分配信

 神戸市を訪問中の天皇、皇后両陛下は17日、兵庫県公館で行われた阪神大震災から20年の追悼式典に臨席された。正午に合わせて約500人の参列者と一緒に黙祷(もくとう)するとともに、犠牲者名簿を供えた祭壇に白菊を手向けられた。

 式典後は、防災学習に取り組む地元の高校生や、「音楽療法」や「園芸療法」など阪神大震災での教訓を生かした取り組みで、東日本大震災の被災者支援を行っている人々とお会いになった。

 兵庫県音楽療法士会の松崎聡子理事長(50)からは、宮城県の気仙沼市や南三陸町の幼稚園、高齢者施設で歌や踊りを指導した活動を聞き、陛下は「喜ばれているんですね」と話された。両陛下は同日夕、帰京される予定。


阪神大震災、犠牲者しのび追悼式
2015年1月17日(土)14時13分配信 共同通信

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 阪神大震災の追悼式典で供花される天皇、皇后両陛下=17日午後、神戸市中央区の兵庫県公館

 阪神大震災の犠牲者をしのぶ追悼式典(兵庫県など主催)が17日、神戸市の県公館で開かれた。天皇、皇后両陛下が2005年以来、10年ぶりに出席された。遺族代表10人のうち母親を亡くした小河昌江さん(51)=神戸市西区=が「今日が無事に終わっていくことに感謝の念を持ち、また明日を迎えたい」と「追悼のことば」をささげた。

 小河さんは母親の梶原静江さん=当時(57)=を病院に運んでくれた工務店の寮生たちへの感謝を述べ「悪い状況の中にも温かい出会いはあり、私の心をいつまでも温めてくれる」と20年を振り返った。


<阪神大震災20年>両陛下、追悼式典で献花
毎日新聞 1月17日(土)13時12分配信

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追悼式典で献花される天皇、皇后両陛下=神戸市中央区の兵庫県公館で2015年1月17日午後0時36分、久保玲撮影

 神戸市の兵庫県公館で、17日に開かれた「阪神・淡路大震災20年追悼式典」に出席された天皇、皇后両陛下は、「1・17ひょうご安全の日宣言」の後、献花。式典後には公館内で、県立舞子高校環境防災科の生徒らから防災の取り組みについて話を聞いた。同日夕、神戸を離れる。

 両陛下は震災から2週間後の1995年1月31日、ヘリコプターで被災地入りし、避難所を訪問して被災者を見舞った。震災10年の2005年には追悼式典に出席し、天皇陛下がお言葉を述べた。【久保聡】


<阪神大震災20年>教訓、宮城の力に
河北新報 1月17日(土)12時40分配信

  17日で発生20年となる阪神大震災の被災地・兵庫県は、東日本大震災で打撃を受けた宮城県内に積極的に応援職員を派遣している。蓄積したノウハウを活用し、いまも67人が復興事業に当たる。「笑顔を取り戻したい」「今度は自分が力に」。阪神の記憶を胸に刻み、奔走し続ける。

  内訳は正規職員19人、OBや民間出身者ら任期付き職員48人。宮城県庁のほか石巻、気仙沼市など沿岸の10市町に分散している。宮城への派遣数は都道府県別で最も多く、2番手の東京都(35人)を大きく上回る。

  このうち、女川町建設課に赴任した内村朋之さん(43)の肩書は技術参事だ。専門職トップとして工事の技術的な判断を任されている。若手の指導役も務めている。

  町では3月、更地となった地域で第1号となる公共施設が開業する。点検作業に追われつつ、「目に見える復興の姿。絶対に遅れてはならない」と意気込む。

  阪神大震災時は大学生だった。「二度と被害を出したくない」。崩れ落ちた街並みに衝撃を受け、復興を担う兵庫県庁に入った。女川をのみ込んだ津波被害の大きさに戸惑うが「再び笑える時が必ず来る」と信じる。

  石巻市復興住宅課では再任用職員の三俣幾男さん(61)が活躍する。昨年3月の定年退職直後に赴任し、災害公営住宅の工事管理などを担う。震災時に全国の応援職員に支えられたとの思いもあり「今度は自分が役に立ちたい」と手を挙げた。

  兵庫では公営住宅での孤独死が問題化した。「建物は人のためにあるという原点を忘れていた気がする」と三俣さん。被災者との対話、再建スピードの両立に腐心する。

  派遣が定住につながったケースもある。任期付き職員として南三陸町建設課で働く三木直人さん(32)は、ことし4月に町の正規職員になる。昨年6月に町内の女性と結婚したのが転身のきっかけとなった。

  もともと兵庫県内の建設コンサルタントだった三木さん。「喜んでくれる周りの方々のためにも頑張らないかん」と決意を新たにする。

  兵庫は県職員として阪神大震災を経験したのは全体の6割程度に減っており、南海トラフ地震など将来への備えが急務になっている。県人事課は「地元に戻ってからも東北での経験を生かしてもらいたい」と期待する。

  兵庫県内からはこのほか神戸市など27市町から計58人が、宮城県内の自治体に派遣されている。


<阪神大震災20年>午前5時46分、祈り希望の炎に
毎日新聞 1月17日(土)12時14分配信

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亡くなった方への慰霊の祈りをささげる大勢の人たち=神戸市で2015年1月17日午前6時49分、三浦博之撮影

 神戸市中央区の東遊園地では、市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれた。「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠(たけどうろう)約1万本に明かりがともされ、遺族や市民らが午前5時46分の時報に合わせて黙とう。午前7時現在で過去最多の約1万4000人が訪れ、犠牲者を悼んだ。

 母柴野ハツさん(当時90歳)を亡くした同市兵庫区の無職、前中キセノさん(82)は、今年も東遊園地で手を合わせた。「母は『100歳まで生きる』と何でも自分でする人だった。大勢の人と逝ったことだけが、唯一の救いかもしれない」と語る。震災以来、枕元に非常持ち出し袋や靴を置き、「何があっても大丈夫」と自分に言い聞かせて寝るのが日課になった。「母が亡くなった年齢まで元気でいよう」と誓っている。

 犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前では、遺族代表として母を亡くした銘田(めいだ)奈津紀さん(26)=同市東灘区=と、震災前後に生まれた新成人を代表して小川和昭さん(20)=同市灘区=が「ことば」を読み上げた。

 正午前からは、兵庫県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」による追悼式典が同市中央区の県公館で開かれ、天皇、皇后両陛下が出席された。井戸敏三知事が、安全、安心な社会の実現に取り組む決意を述べた。


「被災体験、今後も発信」=全焼の商店街―阪神大震災20年・神戸
時事通信 1月17日(土)12時12分配信

 阪神大震災で全焼した神戸市長田区の大正筋商店街は、20年目の追悼行事「復興同窓会」を開いた。商店街の店主らが炊き出しをしたほか、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の物産も売られ、訪れた家族連れなどで活況を呈した。
 南三陸町の商店街から来た鮮魚加工業山内正文さん(65)は「津波の被害を受けた直後に、大正筋商店街の方がすぐに駆け付けて貴重な助言をしてくれた。同じ被災地として、地元商店街の復興に向け情報を共有していきたい」と前を見据えた。
 大正筋商店街にあった生家の帽子店が全壊した今井嘉昭さん(73)は、同商店街で再開した店の営業を今も続けている。「震災には被災者にしか分からないことがある。被災体験を今後も発信していきたい」と話した。 


<阪神大震災20年>皇太子ご一家が黙とう
毎日新聞 1月17日(土)12時4分配信

 宮内庁によると、皇太子ご夫妻と長女愛子さまが17日、東宮御所で阪神大震災の犠牲者の冥福を祈り黙とうされた。【古関俊樹】


<阪神・東日本大震災>笑顔の傘で行進 神戸の商店街
毎日新聞 1月17日(土)11時19分配信

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鉄人28号の像の前で広げられた笑顔の傘=神戸市長田区の若松公園で2015年1月17日午前10時12分、後藤由耶撮影
 阪神、東日本両大震災の被災地で撮影した子供らの笑顔をプリントした傘を広げ、行進するイベント「メリーイン神戸」が17日、神戸市長田区の商店街などであった。

 アートディレクターの水谷孝次さん(63)=東京都=が企画。約100人が集まった。参加した大学3年の浜江里奈さん(21)と友貴さん(21)の双子姉妹は「震災の時、多くの人に助けられた。街を元気づけたい」と話していた。【久野洋】


<阪神大震災20年>名前刻まれた追悼碑前で黙とう
毎日新聞 1月17日(土)11時4分配信

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震災記念碑に向かって手を合わせる人たち=兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園で2015年1月17日午前5時53分、幾島健太郎撮影

 阪神大震災から20年の17日、兵庫県西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園でも、市に関係する犠牲者1086人の名前が刻まれた追悼碑(横約9.2メートル、縦約3メートル)の前で訪れた人たちが黙とうした。父の谷口正美さん(当時35歳)を亡くした同市上ケ原山田町の大学1年、染田瑞稀さん(20)は当時、生後3カ月。「父がいないのを当然のこととして過ごしてきたが、さみしかった。父には『こんなに大きくなったよ』と伝えた。喜んでくれていると思う」と話した。【大森治幸】


1・17のつどい、参加過去最多 昨年の3倍1万4千人
神戸新聞NEXT 1月17日(土)11時2分配信

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大勢の祈りの輪に、浮かび上がった竹灯籠の「1・17」=17日午前5時47分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・山崎 竜)

 6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸20年を迎えた。発生時刻の午前5時46分に合わせて各地で追悼行事が営まれ、神戸・三宮の東遊園地で行われた「1・17のつどい」(神戸市など主催)には、昨年の約3倍で過去最多の約1万4千人が参加し、黙とうをささげた。同市中央区の兵庫県公館で行われた県の追悼式典には天皇、皇后両陛下が出席され、西宮、宝塚、芦屋、淡路市も追悼式を開催。東日本大震災や新潟県中越地震の被災者らも大勢足を運び、手を合わせた。夜半の雨はいつしか上がり、被災地の朝は深い祈りに包まれた。


<阪神大震災20年>止まった大時計前で黙とう
毎日新聞 1月17日(土)11時0分配信

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発生時刻を指したままの大時計前で黙とうする人たち=兵庫県西宮市で2015年1月17日午前5時46分、山田尚弘撮影

 阪神大震災から20年の17日、兵庫県西宮市の西宮中央商店街では住民ら約70人が午前5時46分、阪神大震災の発生時刻を指したまま止まった大時計(直径1メートル)の前で黙とうした。震災で商店街は約7割が全半壊。約240店あった商店が60店に減ったが、最近はにぎわいを取り戻しつつあるという。同商店街振興組合の武地秀実副理事長(58)は「震災は助け合いや命の大切さを学んだ原点。震災を知らない若い人たちとも、つながりを大切にしていきたい」と話した。【生野由佳】


<阪神大震災20年>始発早めた臨時列車、追悼行事は遺影で
毎日新聞 1月17日(土)10時33分配信

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東遊園地へ向かう地下鉄の中で亡くなった黒田裕子さんの遺影を見つめる阪神高齢者・障害者支援ネットワーク事務長の宇都幸子さん(左)=神戸市で2015年1月17日午前4時28分、三浦博之撮影

 阪神大震災から20年、神戸市営地下鉄西神・山手線の西神中央駅(同市西区)を17日午前4時13分に出発した始発電車の中に、昨年9月に73歳で亡くなったNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」前理事長、黒田裕子さんの遺影があった。黒田さんは生前、阪神大震災の追悼行事に間に合うよう、始発を早めてほしいと市に要望していた。今年初めて実現し、ボランティア仲間らが遺影を持って会場の東遊園地に向かった。

 西神中央駅の始発は、通常の土日ダイヤでは午前5時23分。午前5時に開会し、5時46分に黙とうする追悼行事には間に合わない。

 黒田さんらは昨年7月から、市に始発を早めるよう求める署名活動を展開し、昨年8月に577人分の署名を提出した。黒田さんはその翌日に肝臓がんが悪化して入院した。

 この日、臨時電車に乗ったNPO事務長の宇都幸子さん(70)は「黒田さんは足が腫れて体が痩せていたが、『大丈夫。自分の体は自分で分かる』と弱さを見せなかった。最後の活動が実現して喜んでいるでしょう」と語った。【川畑展之】


東北の被災者も祈り、神戸
2015年1月17日(土)10時28分配信 共同通信

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 阪神大震災の犠牲者の冥福を祈り、竹灯籠に火をともす宮城県気仙沼市の階上小の児童=17日早朝、神戸市中央区の東遊園地

 神戸市中央区の東遊園地には、東日本大震災の被災者も訪れた。「震災を忘れない」。東北の20年後を思い浮かべて復興への決意を新たにし、突然失われた命に祈りをささげた。

 宮城県気仙沼市の階上小の児童41人は、交流を続けている神戸市立多聞東中の生徒とともに黙とう。前日に見た阪神大震災の映像を思い出し、災害が二度と起こらないように祈った。

 階上小5年の熊谷駿仁君(11)は「神戸の街は震災があったとは思えないぐらいきれい。気仙沼は子どもが遊べる公園が少なく、復興はうまくいっていない。20年後にはこんなふうに集まりたい」と静かに話した。


<阪神大震災20年>「忘れない」東北被災地でも祈り
毎日新聞 1月17日(土)10時15分配信

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冷たいみぞれの中、「希望の灯り」の前で阪神大震災の犠牲者の冥福を祈る東日本大震災の被災者たち=岩手県陸前高田市で2015年1月17日午前5時46分、根本太一撮影

 阪神大震災から20年となった17日、東日本大震災の被災地でも地震発生時刻の午前5時46分に合わせ、追悼の祈りがささげられた。

 宮城県石巻市の中瀬公園には冷たい小雨が降る中、地元住民や復興支援団体の職員ら約80人が集まり、キャンドルで「忘れない」「祈」などの文字を形作って兵庫県の方角に向け黙とうした。

 5歳の娘と参加した宮城県東松島市の会社員、畠中のぞみさん(32)は東日本大震災の津波で石巻市雄勝町の実家が流された。「今の神戸の景色を見て、石巻も20年後はどれほど復興しているだろうと想像した。道はまだ遠いが、我が子が大人になっても震災の記憶を忘れぬよう伝え続けていきたい」と話した。

 被災した中小企業を支援する石巻市のNPOで働く兵庫県西宮市出身の阪本佳代子さん(32)は「阪神大震災で亡くなった近所の友達を思い、こみ上げるものがあった。現実を直視できずにいたが、今は忘れたくない、忘れてほしくない気持ちでいっぱい。東北の復興に経験を生かしたい」と力を込めた。

 神戸市の東遊園地にある「1・17希望の灯(あか)り」を種火に、東北の復興を願って建てられた岩手県大槌町の「希望の灯り」でも手を合わせる地元の人たちの姿が見られた。津波が襲った地域を見渡す高台にあり、工事が進む町の将来を神戸の復興に重ね合わせた。

 食料品店を経営する八幡幸子さん(63)は、支援への感謝を伝えようと東日本大震災後に開かれた「神戸マラソン」に露店を出したことがある。「神戸の方々の東北への気持ちは本当にありがたい。お互いに痛みを感じながらも頑張っていきたい」と語った。

 岩手県陸前高田市の「3・11希望の灯り」にも十数人が集まり、黙とうをささげた。火を絶やさぬように管理する地元の藤原直美さん(71)はこの日、神戸での追悼式典に参列した。【百武信幸、中田博維、根本太一】


<宮城・女川原発>国内最大規模800m防潮堤 識者が視察
毎日新聞 1月17日(土)9時54分配信

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公開された工事中の防潮堤のくい。敷地(海抜約14メートル)から約15メートルと、右奥の2号機建屋を覆い隠す高さになる=宮城女川町の女川原発で2015年1月16日、百武信幸撮影

 東北電力女川原発2号機について、宮城県と、立地する女川町、石巻市が設置した安全性検討会メンバーの有識者が16日、現地視察し、防潮堤の工事など東日本大震災後の安全対策の実施状況を確認した。

 出席した座長の若林利男・東北大特任教授ら5人は、東北電の担当者から説明を受けながら、電源喪失時の訓練の様子や、2号機原子炉建屋の耐震工事の実施状況を視察。震災で押し寄せた高さ約13メートルの津波を踏まえ、国内最大規模となる海抜約29メートル、全長約800メートルの防潮堤の建設現場にも立ち合い、工事の進み具合を見た。

 防潮堤は地盤に直径2.5メートルの鋼鉄製の下くいを打ち込み、その上にもくいをはめ込んで並べていく。来年3月の完成に向け、すでにくいの一部が設置され、メンバーは海抜18.5メートルの作業場(敷地は海抜約14メートル)から、建屋を覆い隠すようにそびえる巨大な壁を見上げた。

 2号機の安全対策については、原子力規制委による新規制基準の適合性審査が進んでいる。審査合格後に実施される工事に、地元自治体として事前了解を出すかの判断材料とするため、検討会が視察も踏まえ課題を点検している。【百武信幸】


釜石市中心部飲食店街、補助金に頼らず再建へ
河北新報 1月17日(土)9時45分配信

  釜石市の第三セクター釜石まちづくり会社は16日、東日本大震災で被災した市中心部の飲食店街を公民連携で再建する計画をまとめ、市に提出した。市が土地を貸し、建物は公的補助金に頼らず整備するのが特徴。市は計画に沿って新年度、運営事業者を公募し事業に本格着手する。市東部地区商業推進協議会に諮った上で、早ければ来夏の開業を目指す。

  震災では居酒屋が軒を連ねる名物の「呑ん兵衛(のんべえ)横丁」が全壊。JR釜石駅東側の仮設店舗「釜石はまゆり飲食店街」で横丁にあった店を含む計42店舗が仮営業している。経営者の多くは女性で高齢化している上、市中心部に賃貸物件が少なく再建方法が課題だった。

  計画によると、場所は釜石市大町1丁目の市有地約1000平方メートルで、イオンタウン釜石そばの市営駐車場隣接地。木造平屋、広さ13~50平方メートルの20店舗を整備し、横丁の雰囲気を残す。

  運営主体は企業や個人が出資する管理組合を想定する。組合が土地を市から借りて建物を整備。費用は出資金や融資で賄い20年で償還する。

  まちづくり会社は補助金を活用しない理由について「新規事業者の入居も想定しており、活用は時間や手間がかかる。民間のスピード感を重視したい」と説明。被災入居者はグループ化補助金などを活用できる。

  建設費は8000万円と試算。賃料は13平方メートルの場合、月額4万3000~5万3000円と例示した。市に土地賃借料の軽減を求め、入居者の負担軽減をさらに図る。

  呑ん兵衛横丁で居酒屋を経営し基本計画策定に参加した中村詩子さん(54)は「仮設の来店客は年々減り不安だ。早く中心部で営業を再開できるようにしてほしい」と要望。野田武則市長は「市が支援できる環境が整った。呑ん兵衛横丁の名称も残す方向で検討したい」と話した。


<阪神大震災20年>「娘思い出し」宮城の遺族も追悼初参加
毎日新聞 1月17日(土)9時43分配信

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東日本大震災で亡くなった長女ななみさんの写真を手にろうそくの火を見つめる菊地篤也さん=神戸市中央区の東遊園地で2015年1月17日午前6時6分、貝塚太一撮影

 東日本大震災で中学2年の長女(当時14歳)と母親(同67歳)を亡くした宮城県名取市の漁師、菊地篤也さん(52)が17日、東遊園地であった阪神大震災20年の追悼行事に初めて参加した。「娘を思い出してつらいから」と、東日本の追悼式には参加したことがないが、昨年の阪神19年の追悼に参加した親友2人に誘われた。「神戸は皆一緒だよと優しく包んでくれる」。その言葉に救われた思いがしたという菊地さんは、長女の遺影と一緒に阪神の犠牲者に手を合わせた。

 2011年3月11日、名取市閖上(ゆりあげ)地区の自宅で留守番をしていた菊地さんの長女ななみさん=市立閖上中2年=と母とも子さんは、避難途中に津波にのみ込まれた。1週間後、遺体安置所でななみさんが見つかり、約1カ月後にとも子さんも遺骨で確認された。

 「本当にめんこい(可愛い)子だった」。ななみさんはお父さんっ子で、漁船に乗せるとはしゃいだ。不登校の同級生を「一緒に登校しよう」と誘う優しい性格だった。

 菊地さんは漁船を再建して漁に出ても、娘を思い出しては一人海で泣いた。閖上中の生徒の犠牲者はななみさんを含めて14人。助かった同級生の親と一緒にいるのがつらく、東日本大震災3年の昨年も、同校跡地での追悼行事に参加しなかった。夜になると突然、市街地に再建した自宅から車で閖上地区に行き、線香を上げることもあった。

 そんな菊地さんを神戸に誘ったのは、同じ閖上地区で暮らしていた住宅設備業の長沼俊幸さん(52)と会社員の荒川裕一さん(51)だった。2人は閖上中時代の同級生だ。

 荒川さんも、母好子さん(当時76歳)を津波で亡くした。長沼さんは流された自宅の屋根で、夫婦で一昼夜を過ごした。2人とも家族ぐるみで菊地さんと付き合い、ななみさんを生まれた時から知っている。別の仮設住宅で暮らすが、菊地さんの悲しみは痛いほど分かる。

 2人は昨年、神戸のボランティアに招待され、東遊園地を訪れた。遺族らが静かに竹(たけ)灯籠(どうろう)を前に黙とうする姿に、「篤也も連れて来たい」と思った。「阪神の被災者と一緒にななみちゃんを追悼しようぜ」。交互に誘う2人の友情に菊地さんは涙が出た。

 17日、東遊園地で黙とうした菊地さん。「ななみを捜して安置所をいくつも回ったことを思い出した。しっかりせんと、ななみにしかられる」。涙を拭って空を見上げた。【桜井由紀治】


過ぎた年月、思いそれぞれ=若い世代も多く―阪神大震災追悼の集い・神戸
時事通信 1月17日(土)9時35分配信

 追悼の集いが開かれた東遊園地(神戸市中央区)には未明から多くの市民らが集まり、地震発生時刻の午前5時46分、「1995 1.17」とかたどられた約1万本の竹灯籠を前に黙とうした。参加者は過去最高の約14000人(午前7時現在)で、若い世代や親子連れも目立った。
 同市東灘区の鳥羽義枝さん(72)は次男の保男さん=当時(20)=を亡くした。「今にも起きてきそうなほどきれいな顔だった。手を合わせることで保男が喜んでくれれば」と目を細めた。
 中学2年の時に同市長田区で被災した女性(34)は、両親が犠牲に。がれきに挟まれた2人の手を握り最期をみとった。その後、東京の祖父母に引き取られたが、「震災がなかったらどんな人生だったんだろう」と考える。両親の名が刻まれた銘板をなで「元気にしてるよ」と泣いた。
 横浜市の大畑宏三さん(72)は震災前日、神戸市兵庫区で家族と食事した後に東京へ戻り、母親のまささん=当時(83)=の死を兄から知らされた。「何もしてあげられなくてごめんね」と手を合わせた。 


<阪神大震災20年>「アメイジング・グレイス」合唱
毎日新聞 1月17日(土)9時28分配信

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追悼モニュメントの池に竹灯籠を流す人たち=兵庫県淡路市の北淡震災記念公園で2015年1月17日午前5時32分、宮武祐希撮影

 阪神大震災から20年の17日、兵庫県淡路市の北淡震災記念公園では、地域住民や遺族ら250人が参加する追悼行事があった。震災発生時刻に全員で黙とうし、「アメイジング・グレイス」を合唱して犠牲者の冥福を祈った。

 公園内の慰霊モニュメント「べっちゃないロック」前に参集。遺族らは淡路島内の犠牲者63人と同じ数の竹灯籠(どうろう)を池に浮かべ、手を合わせた。県立淡路高校の生徒会長、古市凌太さん(16)は「僕たちが次の世代に伝えていきたい」と語った。【登口修】


<阪神大震災20年>神戸ビーナスブリッジで早朝追悼式
毎日新聞 1月17日(土)9時23分配信

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震災から20年、夜明け前の街に向け鎮魂のトランペットを吹く松平晃さん=神戸市中央区のビーナスブリッジで2015年1月17日午前6時15分、梅田麻衣子撮影

 阪神大震災から20年の17日、神戸市街を望む諏訪山公園(同市中央区)のビーナスブリッジでは「早朝追悼式」があり、地域住民ら約100人が黙とうした。

 川崎市のトランペット奏者、松平晃さん(72)が「故郷(ふるさと)」を演奏。追悼の詩を読んだ神戸市兵庫区のギャラリー経営、玉川侑香(ゆか)さん(67)は「震災はいろいろなものを壊したが、人のつながりがあったから頑張ってこられた」と話し、夜明け前の街の明かりを見つめた。【井上卓也】


阪神大震災20年 思い、ともに…東北被災地からも鎮魂の祈り
産経新聞 1月17日(土)9時19分配信

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阪神大震災20年:神戸市の東遊園地で行われた「阪神淡路大震災1・17のつどい」。会場を埋め尽くす1万4000人の人が訪れ地震発生時刻の午前5時46分に黙祷を捧げた=17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地(土井繁孝撮(写真:産経新聞)

 阪神大震災から20年となった17日、神戸市で灯されている「1・17希望の灯り」から種火を譲り受けた岩手県陸前高田市の気仙大工左官伝承館でも、地震発生時刻の午前5時46分に黙祷がささげられた。

 同館では平成23年12月、東日本大震災の犠牲者を追悼するため、NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」(堀内正美代表、略称HANDS)によって東遊園地に建立されたガス灯「希望の灯り」から火を分けた「3・11希望の灯り」が設置されている。

 この日は犠牲者を追悼するかのように冷たい雨が降りしきる中、まだ夜が明けないうちから有志ら約10人が集まった。希望の灯りの前には花が手向けられたほか、神戸から送られた「祈り」「希望」「絆」と書かれた3つの竹灯籠が供えられた。

 「3・11希望の灯り運営協議会」副会長の遠藤健司さん(48)は「20年経っても課題が残っていると聞く。復興に向けて一緒に問題を解決していけたら」と同じ大災害の悲しみを共有する神戸に思いを寄せた。


<阪神大震災20年>教会で僧侶も一緒に聖歌
毎日新聞 1月17日(土)8時56分配信

 阪神大震災で聖堂が全焼した神戸市長田区のカトリックたかとり教会では「1・17追悼と新生の祈り」が開かれ、遺族や住民ら約300人が犠牲者を悼んだ。

 宗教の垣根を越えて僧侶も参加し、一緒に聖歌を歌った。出席者は、キリスト像と位牌(いはい)が並ぶ祭壇に手を合わせた。

 妻を亡くした長田区の橋詰義郎さん(71)は「この20年は短かった。家内の分まで長生きしたい」と語った。【後藤豪】


震災20年…神戸は 炎に包まれた街に日常戻ったけれど
産経新聞 1月17日(土)7時55分配信

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平成7年 炎に包まれた神戸市長田区(写真:産経新聞)

 6434人が犠牲になった阪神大震災は、17日で発生から20年となり、神戸市など各地で追悼の祈りがささげられる。

 神戸市長田区では震災が起きた日の夜も、街のあちこちから上がった火の手は衰えず、なすすべもなく焦土と化した。震災から20年、JR新長田駅周辺(中央)には40棟近いビルが再建されるなど街の復興は進んだが、被災者らが住む災害復興公営住宅の入居者の高齢化が進むなど課題は残っている。


阪神大震災20年 両陛下、追悼式典のため神戸ご訪問
産経新聞 1月17日(土)7時55分配信

 天皇、皇后両陛下は16日、阪神大震災20年の追悼式典臨席のため特別機で神戸市へ入り、災害時の司令塔となる兵庫県災害医療センターを訪問された。震災後の兵庫ご訪問は、発生直後の平成7年1月31日のお見舞いをはじめ6度目。

 震災と同じ最大震度7を想定した患者搬送先調整などの訓練をご視察。同センターは震災時の反省から生まれた災害派遣医療チーム「DMAT」の養成機関でもあり、医師らから活動状況も聞かれた。岩手県花巻市から東京への患者搬送を行った医師など、23年の東日本大震災の発生直後の現場で活動した人が多く、天皇陛下は「大変でしたでしょう」「ご苦労さまでしたね」と語りかけられた。

 復興状況を説明した井戸敏三知事によると、陛下は神戸入り直後、震災時の知事だった貝原俊民さんが昨秋に交通事故で亡くなったことに触れて「残念でしたね」と話されたという。

 両陛下は17日に県公館での追悼式典に臨席し、防災学習に取り組む高校生らと懇談後、帰京される予定。


阪神大震災20年 6434の炎に誓う「次の世代に」
産経新聞 1月17日(土)7時55分配信

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昆陽池公園で開かれた「犠牲者追悼のつどい」で灯されたろうそくを囲み黙祷する人々=16日午後5時46分、兵庫県伊丹市(恵守乾撮影)(写真:産経新聞)

 兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園で16日夕、阪神大震災の犠牲者数と同じ6434本のろうそくをともす「追悼のつどい」(ユー・アイ・アソシエーション主催)が行われ、市民ら約500人が参加。ゆらめく炎を見つめ、犠牲者の冥福を祈った。同市の中学3年、内藤千晶さん(15)は「これだけの命が奪われたと思うと悲しい。震災のことは知らないが、当時のことを学び、次の世代に伝えたい」と話した。


阪神大震災20年 各大学で追悼行事
産経新聞 1月17日(土)7時55分配信

 阪神大震災から20年となるのを前に16日、神戸大学(神戸市灘区)や神戸学院大学(同市西区)などで、犠牲になった学生や教職員らをしのぶ追悼行事が行われた。神戸大などは毎年、震災が起きた17日に追悼行事を営んでいるが、今年は大学入試センター試験の会場となるため繰り上げた。

 神戸大は、六甲台キャンパスに設けられた慰霊碑の前で献花式を行った。平成15年に統合した神戸商船大と合わせて学生44人、職員3人の計47人が犠牲になり、式には遺族や学校関係者ら約250人が参加。「息子ともう一度話がしたい」などと8人の遺族がそれぞれの思いを読み上げた後、白い菊の花を供えた。中国人留学生ら3人が亡くなった神戸学院大の献花式には、約90人が参加。学生ら18人が犠牲になった甲南大学(同市東灘区)でも追悼式が行われ、学校関係者らが犠牲者に思いをはせて黙祷(もくとう)した。


阪神大震災20年 復興住宅入居者は65歳以上が半数超え
産経新聞 1月17日(土)7時55分配信

 阪神大震災の被災者らが入居する兵庫県内の災害復興公営住宅で、全入居者のうち65歳以上が占める割合(高齢化率)が、県が調査を始めた平成13年以降初めて50%を超えたことが16日、明らかになった。だれにもみとられずに亡くなる「孤独死」が続いているほか、自治会運営が困難になるなど、被災地では高齢化への対応が急務となっている。

 県復興支援課によると、災害復興公営住宅は、都市再生機構(UR)から自治体が団地ごと借り上げたものも含め、県営と神戸、芦屋、西宮など11市営の計273団地。13年の調査で4万3283人だった入居者は、死亡や転居などで、26年11月時点で3万5796人に減少した。入居世帯も13年より3807世帯減り、2万830世帯になった。

 高齢化率は13年の40・5%から年々上昇して50・2%となり、一般県営住宅の30・5%を大きく上回った。また、復興公営住宅で暮らす高齢者のうち独居の割合は53・3%で、2人に1人が1人暮らしとなっている。


「母の分まで生きる」=遺族代表の銘田さん―阪神大震災20年・神戸
時事通信 1月17日(土)7時42分配信

 神戸市の東遊園地で行われた追悼の集いでは、母を亡くした銘田奈津紀さん(26)=神戸市東灘区=が、遺族代表として追悼の言葉を述べた。母との思い出を胸に、美容師という夢をかなえた銘田さんは、「母の分も強く生きる」と誓った。
 20年前のあの日、自宅が全壊し、母さつきさん=当時(33)=が死亡した。めったに怒らない優しい母との大切な思い出の一つは、互いの髪の毛を乾かし合ったこと。「髪を触ると人を笑顔にできる」。たくさんの人を笑顔にしたいと、美容師を志した。
 専門学校時代、「美容師になっても一番大事な母を笑顔にできない」とふさぎ込んだ時には、「ママが見てたら悲しむよ」と友人に励まされた。2010年に資格を取り、下積みを経て昨年8月に初めて客の髪を切った。
 悲しむ人がいるため震災の話題は避けてきたが、最近ようやく、家族と母の話をするようになった。「今こそ、母に生きていることを伝えたい」との思いが強まった。「夢と、見たい笑顔があったからここまで生きてこられた。どんなときも人は一人ではないことを教えてくれたのも、母」。銘田さんは涙を流しながら、追悼の言葉に感謝を込めた。 


阪神大震災20年、追悼行事で静かに祈り
読売新聞 1月17日(土)7時11分配信

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あの日から20年。竹灯籠に火が灯り、多くの人が黙とうをささげた(17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で)=里見研撮影

 6434人の犠牲者を出した阪神大震災は17日午前5時46分、地震発生から20年を迎えた。

 被災地では追悼行事が各地で行われ、あの時を思い起こさせる冷え込みの中、人々は静かに祈りをささげた。

 追悼行事「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地では、「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠に火がともされ、故人をしのぶ深い祈りに包まれた。

 県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典は午前11時45分から、神戸市中央区の県公館とHAT神戸の2会場で行われる。県公館の式典には、10年ぶりに天皇、皇后両陛下が出席される。


震災20年、「生活が復興」4割
2015年1月17日(土)7時0分配信 共同通信

 兵庫県内の阪神大震災の借り上げ復興住宅に住む被災者207人を対象に共同通信がアンケートをした結果、自分の生活が復興したと感じている人は、半数以下の41%にとどまっていることが分かった。震災から17日で20年。「(街の)復興から自分が取り残された」と苦悩する記述もあり、いまだに生活水準が戻らないと感じる人が多いことが浮き彫りになった。

 アンケートでは、自分の生活水準が「復興した」「ほぼ復興した」と答えたのは計41%(85人)で、「あまり復興していない」が23%(48人)、「全然していない」12%(26人)、「どちらともいえない」が22%(46人)だった。


重い経験、未来の世代へ
2015年1月17日(土)6時4分配信 共同通信

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 阪神大震災から20年を迎え、神戸市中央区の東遊園地に浮かび上がった「1・17」の文字=17日早朝

 6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった1995年の阪神大震災は17日午前5時46分、発生から丸20年を迎えた。かつての被災地では遺族らが鎮魂の祈りをささげ、重い経験を未来の世代につなぐことを誓った。兵庫県などが主催する追悼式典には10年ぶりに天皇、皇后両陛下も出席される。

 神戸市中央区の東遊園地では「1・17のつどい」(市など主催)があり、例年より多くの人々が発生時刻に合わせ、それぞれの表情で1分間黙とうした。会場には約1万本の竹灯籠が並び「1995 1・17」の文字が浮かび上がった。


「あの日」から20年=各地で追悼行事、冥福祈る―阪神大震災
時事通信 1月17日(土)5時53分配信

 1995年1月、死者6434人、負傷者4万3792人(兵庫県発表)を出した阪神大震災は17日で20年の節目を迎え、県内ではさまざまな追悼行事が開催された。激しい揺れに数え切れないものを奪われた「あの日」を振り返り、記憶と教訓を次世代に伝え残すことを誓った。
 地震発生時刻の午前5時46分には、神戸市中央区の東遊園地で開かれた「阪神淡路大震災1・17のつどい」で参加者が竹灯籠に火をともすなど、各地で犠牲者の冥福を祈った。 


<阪神大震災>1・17ひょうご安全の日宣言
毎日新聞 1月17日(土)5時0分配信

 神戸市中央区の兵庫県公館で17日に開かれる「阪神・淡路大震災20年追悼式典」では、震災を教訓に、安全・安心な社会づくりに向けて歩む決意を国内外に強く発信する「1・17ひょうご安全の日宣言」が読み上げられる。全文は次の通り。

 ◇1・17ひょうご安全の日宣言

阪神・淡路大震災から20年が経(た)った

私たちは この震災を経験しなかった人たちにも

これからの災害に対して 私たちの教訓を活(い)かしてほしい

そう願って 伝え続けてきた

でも 実際に経験しない限り 災害の教訓は他人事になっている

こんなにも 地球温暖化が進み 天変は増え

地球激動期が続き 地変も増え続ける

荒ぶる地球の至るところで 新たな災害が起こり始めている

東日本大震災の本格的復興が ようやく始まった

しかし 災害の多発・激化は わが国全体をおおっている

思わぬ季節に大雪が降って まちが孤立し

思わぬ地域に大雨が降り 川があふれ 山がすべる

眠り続けているはずの火山が噴火し 忘れかけていた活断層が地震を起こす

防災・減災の努力が積み重なっても さまざまな災害が襲ってくる

進行する高齢化や人口減少

そして 止まらない東京一極集中と地方衰退

地域防災力はまだまだ不足している

でも 国土の安全の取組みは 減災社会につながる希望だ

災害による被害を小さくし しなやかに対応して 回復を早める

自助・共助・公助の組み合わせで実現できるはずだ

こんな時こそ 震災の教訓の出番だ

私たちの社会が 災害に負けず 持続的に発展するために

伝える 備える 活かす 阪神・淡路大震災の教訓を実践しよう

震災の教訓は 安全・安心な社会につながる知恵だから

                          2015年1月17日

                   ひょうご安全の日推進県民会議

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