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2015年1月11日 (日)

宮城沖地震に関するニュース・1872,2015年1月11日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:<阪神大震災>「神戸レインボーハウス」で追悼式 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:潮目変わった福島第1原発 突破口は「ロボット構想」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:復興拠点整備に交付金=15年度創設、早期帰還後押し―政府 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「想定外」のレベル下げたい=活断層・津波調査の専門家―阪神大震災20年 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<阪神大震災20年>10年ぶり 被災者手記集復刊 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災3年10カ月で集中捜索 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<再処理工場審査>申請1年、ようやく本格化 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:強風で倒壊「風の電話」 支援者修復・大槌 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地後方支援の記録伝える 3月に資料館・遠野 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<風の電話>故人へ思い届け…強風で倒壊も、利用者ら修復 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:川内原発1、2号機の年度内再稼働は困難 認可書類作成大幅遅れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災者癒やす鍼と灸 岩手、宮城、福島で無料治療60回 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

<阪神大震災>「神戸レインボーハウス」で追悼式
毎日新聞 1月11日(日)19時17分配信

 阪神大震災で親を亡くした子供のケア施設「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)で11日、追悼式があり、遺児や家族ら約120人が出席した。遺児ら5人が故人への手紙を読み上げ、思い出や近況を報告した。

 「もし今も生きていてくれたら、一緒にお酒を飲みながらいろんな話ができたのに」。神戸市長田区の中山舞さん(31)は、亡くなった父の中山哲伸さん(当時47歳)と震災の数日前、神戸・新開地で一緒に焼き鳥を食べた思い出を涙ながらに語った。2人だけの外食は最初で最後だった。「今もそのお店を探していますが、見つかりません」

 舞さんの隣では、昨年5月に生まれた長女がはしゃぎ声を上げた。舞さんが哲伸さんからもらったオルゴールをおもちゃにして遊んでいるという。舞さんは「お父さんにも抱っこしてほしかったな。そして『よく頑張った』って言ってもらいたい。また会える日まで私たちのことを見守っていてね」と、献花台の遺影に語りかけた。【宮嶋梓帆】


潮目変わった福島第1原発 突破口は「ロボット構想」
産経新聞 1月11日(日)15時14分配信

 ひんやりとした空気が身を一層引き締める。

 「よしっ」「よしっ」

 東京電力福島第1原発のタンクがずらりと並ぶ区域。全面マスクと白い防護服に身を包んだ作業員が、タンクの継ぎ目を指差しして声を上げた。線量計を持ってタンク一つ一つを検査して回っているのだ。

 タンクには強い放射線を発する汚染水が1基約1千トンたまっている。この区域にある約20基のタンクからの水漏れチェックは、1時間半に及んだ。

 「汚染水漏れが相次いだ1年前は、何が起きているかよく分からないことが多かった。しかし今は監視能力が格段に上がり、少しのにじみでも把握できる」

 タンクを管理する山地裕一・東電水処理運営第4グループマネジャー(44)はそう話した。1日4回、3人が12班に分かれて、約840基を回る。タンクには水位計が付いており、事務棟では24時間、モニターで水位を監視する。

 「夏は熱中症の危険があり、冬は地面の凍結で転倒が怖い。だが、一日も早く復興を実現したい」。山地氏はこう気を引き締める。

■潮目が変わった

 平成25年の9月。2020年東京五輪招致のため、ブエノスアイレスで演説した安倍晋三首相(60)は原発の汚染水漏れに対し、「状況はコントロールされている」と強調した。

 当時、首相の言葉とは裏腹に、現場は危機感に包まれていた。8月には約300トンの汚染水が漏れ、外洋流出の可能性も指摘された。原子力規制委員会の田中俊一委員長(69)は「一刻の猶予もない状況が起こっている」と話し、国際的な事故の尺度で「レベル3」(重大な異常事象)と評価した。

 点検記録もなく、タンクを囲う堰(せき)の排水弁を開きっぱなしにするなど、東電のずさんな対応も明らかになった。だが、26年春ごろから潮目が変わった。東電は組織体制を抜本的に変え、廃炉や汚染水に責任を持つ専門の会社をつくった。

 ほかにも光明が差し込んでいる。4号機建屋の5階にある燃料貯蔵プール。青白く光り輝くプール内の深さ11メートルの底を見ると、空っぽの容器が並んでいた。廃炉の最優先課題だった燃料取り出しが12月20日に終わった。廃炉の現場でトラブルなく順調に進んだ初めてのケースだろう。

 4号機建屋で作業を見守っていた松本信吾・東電機械第3グループチームリーダー(52)は「何度も訓練し、慎重にも慎重を期してやってきた」と話す。2020年には、1~3号機に入っている全ての燃料の取り出しが終わり、廃炉は新たな段階に入る。

 福島第1原発から南に約20キロ離れた工業団地(福島県楢葉町)。約3万6千平方メートルの広大な敷地では、地盤工事が進められていた。

 今年夏、ここに廃炉作業に使うロボットの技術を生み出す施設(遠隔技術開発センター)の一部が完成する。屋内の実証試験が行える国内唯一の研究拠点になる。責任者を務める日本原子力研究開発機構の河村弘・福島廃炉技術安全研究所長(60)は「私たちの使命は、廃炉で活躍できるロボットを世に送り出し、廃炉を予定通り終わらせることだ」と語る。

 この施設ではまず、実寸大の原発の格納容器を3Dで映し出す。専用の眼鏡をかければ、立体的に見ることができる仕組みだ。ロボットの目的は廃炉だけではない。噴火や地震災害など厳しい環境でもロボットを派遣して、遭難者を救助させる。いわば「ロボット救助隊」のような構想だ。

 さらにハイテクが集積するロボット開発は若者を引きつける。「これは一つのブレークスルー(突破口)になる。ロボットのジャンルで若い人材を育てていけば、地域が被災地ではなく科学研究開発地域として生まれ変わる」。河村氏はそう願っている。(天野健作)


復興拠点整備に交付金=15年度創設、早期帰還後押し―政府
時事通信 1月11日(日)14時23分配信

 政府は11日、東京電力福島第1原発事故で被災した福島県内の市町村向けに、帰還住民のための復興拠点の整備に活用できる新たな交付金の創設を2015年度予算案に盛り込むことを決めた。同日行われた麻生太郎財務相と竹下亘復興相との閣僚折衝で合意した。
 国の復興への取り組みを定めた「福島復興再生特別措置法」の改正案を今月開会の通常国会に提出し、15年度からの導入を目指す。
 新交付金は、住宅や商業地の用地買収、道路や下水道などのインフラ整備事業に広く使えるようにする。住民の早期帰還と定住を後押しするのが狙い。長期避難者の生活支援などを目的に13年度に創設した「福島再生加速化交付金」の一部に「帰還環境整備交付金」(仮称)として位置付ける。予算額は加速化交付金全体で前年度並みの1100億円程度を見込んでいる。


「想定外」のレベル下げたい=活断層・津波調査の専門家―阪神大震災20年
時事通信 1月11日(日)14時25分配信

 阪神大震災から17日で20年を迎えるのを前に、全国各地で活断層や津波の痕跡調査に携わってきた産業技術総合研究所の宍倉正展・海溝型地震履歴研究グループ長(45)が時事通信のインタビューに応じた。宍倉氏は「活断層の調査や地震観測網の整備が進んだが、大きな被害が出た地震は皆、想定外だった」と指摘。「地震予知は難しいが、過去に何が起きたかを把握しておけば、『想定外』のレベルを少しでも下げて災害に備えることができる」との考えを示した。
 ―阪神大震災の記憶は。
 大学院で活断層の勉強をしていた時だったので、活断層が動いたとすぐ分かったが、大きな被害を現実に見たのは初めてだった。活断層が注目され、翌1996年に東京大地震研究所が秋田県の千屋断層で初めて人工地震による探査を行った際に参加した。2000年に地質調査所(現産総研)に入ってから、各地で地震探査やトレンチ(掘削)調査を経験した。
 この20年間に気象庁のほか、防災科学技術研究所、国土地理院などの地震や地殻変動の観測網が整備され、地震のメカニズムの理解が進んだ。予知への期待もあったが、東日本大震災で打ち砕かれた感じがする。
 ―印象深い現場は。
 06年ごろ、宮城県の石巻平野や仙台平野で行った「貞観地震」(869年)の調査だ。津波の痕跡が海岸から3~4キロも内陸まで残っており、04年のスマトラ沖地震で起きたような大津波があったのだろうと思った。しかし、数百年から1000年に1回起きるような巨大地震と津波が、われわれの生きている間に起きるのか。
 地元自治体の防災担当者に「東北でも大津波が過去にあったかもしれないので、きちんと調査したい」と説明したが、当時はなかなか受け入れてもらえない雰囲気だった。東日本大震災が起きた際は「今来てしまったのか」という感じがした。もっと切迫性を持って訴えることができなかったのか、悔やまれる。
 ―活断層調査の状況は。
 内陸の活断層は今のところ、地表の地形を手掛かりに探す方法が主流だ。地震で動いた痕跡が浸食されたり、堆積物で埋まったりして見えなくなるため、把握できていない断層も多い。04年の新潟県中越地震や08年の岩手・宮城内陸地震はこれまで知られていなかった断層で起きた。最近の長野県北部地震は神城断層の一部と延長線上で起きたが、想定した規模に比べると小さかった。 


<阪神大震災20年>10年ぶり 被災者手記集復刊
毎日新聞 1月11日(日)12時57分配信

 ◇インターネットで公開も

 阪神大震災の被災者の手記集を発行してきた「阪神大震災を記録しつづける会」は10日、11冊目となる新たな手記集を10年ぶりに完成させた。震災の1995年から、ほぼ毎年発行してきたが、代表者の死去で2005年を最後に途絶えていた。震災20年を機に、めいが遺志を継ぎ活動を再開。「被災者の心の移り変わりを知り、震災との向き合い方を考えるきっかけに」と話している。

 同会は震災直後、神戸市で出版業をしていた高森一徳さんが設立。各地の避難所にポスターを張って、被災者から寄稿文を募集し、手記集にして年1冊のペースで発行してきた。ところが一徳さんが04年に病死し、活動は中断。手記集は10冊に上り、遺族の苦しみや復興への提案など計438編がまとめられた。

 めいで大阪大大学院生の高森順子さん(30)=兵庫県芦屋市=は関西学院大生の時、復興の街づくりを学ぶ中、手記集を読み、執筆者らと交流。阪神大震災20年に合わせて11冊目の発行に乗り出した。

 10日には神戸市内で完成記念会があり、執筆者ら13人が出席した。

 長女の希(のぞみ)ちゃん(当時5歳)を亡くした保育士の小西真希子さん(55)=神戸市灘区=は05年発行の10冊目で「希が生きていたらと考えると、幼稚園を卒園する頃、小学校の入学式を迎える頃、母の日、父の日、誕生日、と節目、節目が本当につらく、そんな時は家の中でじっと一日が過ぎるのを待ちました。そんな事が何年も続きました」とつづっていた。

 昨年、新たな寄稿の提案を受け、10年ぶりに手記を書いた。毎年祝っていた希ちゃんの誕生日を、20歳をきっかけにやめたことに触れ、「20歳になった娘はどんな女性になったでしょう。友達もたくさんいるでしょう。ひょっとしたら彼氏もいるのかもしれません」と記した。小西さんは取材に「20歳は一つの区切りになった。これからは自分のために生きて行こうと思う」と話した。

 11冊目は17日付で1000部発行し、希望者に無料配布する。ホームページ(http://www.npo.co.jp/hanshin/)での公開も予定している。【川畑展之】


震災3年10カ月で集中捜索
2015年1月11日(日)12時9分配信 共同通信

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 宮城県気仙沼市の海岸で行方不明者の手掛かりを捜すボランティア=11日午前

 東日本大震災から3年10カ月を迎えた11日、津波で大きな被害に遭った岩手、宮城、福島3県の沿岸部で、各県警が行方不明者の手掛かりを求めて集中捜索した。

 宮城県気仙沼市波路上明戸の海岸では、気仙沼署員や全国から集まったボランティアなどの計約80人が参加。海岸線約300メートルの範囲にわたって土砂やがれきを選別し、不明者の持ち物などを捜した。

 同署の奥田祐次警備課長は「一人でも多くの人に家族の元に帰っていただけるよう頑張っていきたい」と気を引き締めた。

 警察庁によると、9日現在、3県で計2590人が行方不明となっている。


<再処理工場審査>申請1年、ようやく本格化
河北新報 1月11日(日)9時35分配信

  日本原燃(青森県六ケ所村)が、建設中の使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)の新規制基準適合性審査(安全審査)を原子力規制委員会に申請してから1年が過ぎた。原燃は当初、審査期間を約半年と見込み、規制委にも「効率的な審査」を求めたが、申請内容の不備やミスを指摘される事態が重なり長期化している。審査は本格化しつつあるものの検討課題は多く、行方は予断を許さない。

  審査会合は昨年1月7日の申請以降、地震・津波分野と、重大事故対策を含む設備分野で、計22回開かれた。原燃は設備分野で申請内容の不備による6回の補正を迫られ、昨年夏前から開催ペースが鈍化。補正内容にも不備やミスがあり再補正するなど、原燃の不手際が目立った。

  規制委は「申請書に記されるべき内容がないと審査を進められない」など原燃の姿勢にたびたび苦言を呈した。昨年10月に完工までの新工程を公表した原燃が、3月までの審査終了と6月までの工事計画認可を見込んだ点にも「社内工程だけを考えたむちゃな想定だ」と不快感を示す。

  審査の迅速化を目指す原燃は昨年12月、審査に対応する態勢強化に踏み切った。社員約200人を専従とし、対応を直接担う東京支社と本社・現場の意思疎通を図るため合同チームを新設した。

  設備分野をめぐっては、高レベル廃液の冷却機能喪失や臨界事故など、焦点となる重大事故対策について昨年12月下旬にようやく一部を補正申請。今月下旬に残りの部分を申請する。書類が膨大な工事計画は3月以降に申請予定。ようやく準備が整い、原燃の強い要望で同分野の審査会合は今後、週1回ペースで開かれることになった。

  ただ、設備の耐震設計の前提となる基準地震動(最大の揺れ想定)の妥当性をめぐっては慎重な審議が続いており、結論が出るまでにはまだ時間がかかる見込みだ。

  敷地に近い活断層「出戸西方断層」や、下北半島東方沖で活動性が指摘される「大陸棚外縁断層」に関する議論もこれから。未知の活断層が直下で動く地震想定で岩手・宮城内陸地震(2008年)を検討対象に加えるかどうかの議論は緒にも就いていない。

  過去に火砕流が敷地内に到達した「十和田」など火山対策の評価も控え、原燃が乗り越えなければならない難関は数多く残っている状態だ。

  原燃の松村一弘副社長は9日の審査会合後、記者団に「3月末までの審査終了を全力で目指す」と述べ、あくまで工程を死守する姿勢を強調した。


強風で倒壊「風の電話」 支援者修復・大槌
河北新報 1月11日(日)9時35分配信

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「風の電話」の修復作業をする佐々木さん(右)。月命日に間に合わせるため1日掛かりで作業した

  東日本大震災で亡くなった家族や友人に思いを伝えるため設置され、強風で倒壊した岩手県大槌町の「風の電話」が10日、地域住民らの支援を得てほぼ修復された。持ち主の佐々木格(いたる)さん(69)は「支援に心から感謝している。早く完全な元の姿に戻し、また使ってもらいたい」と話す。

  風の電話は佐々木さんが自宅がある高台に震災1カ月後に設置した。海岸を望む静かな場所に電話ボックスを建て、回線のない黒電話を置いた。

  佐々木さんは「会えなくなった人への思いを風に乗せて伝える場に」と願いを込めた。電話は次第に存在が知られるようになり、これまでに約1万3000人が訪れたという。

  <母さんは1日も君を忘れたことはないよ 早く帰ってきて><けんかしたまま別れた父 ありがとうしか言えない>

  電話脇に用意したノートは今は2冊目。どのページも故人への優しい言葉で埋まっている。

  佐々木さんは8日朝、電話ボックスが強風で横倒しになっているのに気付いた。屋根や壁は無残に壊れ、修復は難しい状況で撤去作業を始めた。

  翌日、事態を知った岩手県山田町の大工港郁男さん(59)が被害状況を見て、修復は可能と判断した。港さんは義母が津波で行方不明となり、過去に妻と何度か訪れていた。「復興は終わっていない。この電話を必要とする人はまだまだいるはず」。港さんは他の支援者と早速準備に取り掛かった。

  10日は土台の補強や屋根の取り付けを行い、ボックスを再び設置した。材料は大部分を再利用した。電話とノートも元の場所に戻し、月命日の11日に使えるようにする。ドアを直せば約1週間で元の姿に戻るという。

  心配や励ましの気持ちを伝えてきた電話やメールは50件を超えたという。佐々木さんは「間もなく震災4年を迎えるが、善意が今も脈々とあることに気付かされた。これからもこの電話を大切にしたい」と話している。


被災地後方支援の記録伝える 3月に資料館・遠野
河北新報 1月11日(日)9時35分配信

  東日本大震災で被害が甚大だった岩手県沿岸部の救援、復旧を支えてきた遠野市は、「市後方支援資料館」を3月11日に開館させる。震災から4年の節目に合わせ、被災地の状況を市職員が手書きで書き込んだ記録紙や写真などを展示する。仙台市で開催される国連防災世界会議の出席者の視察も計画されている。

  資料館は市総合防災センター駐車場に設置する。平屋のプレハブで、延べ床面積は約148平方メートル。運営費を含めた事業費は約2000万円で、今月中に着工する。

  当面は3年間の仮設設置で、将来的に常設展示館の建設を目指す。

  展示するのは、被災地の写真や会議資料、国や岩手県とのやりとりを記録した情報処理票、支援活動内容を検証した記録など。約2万点を超える資料を随時、入れ替えて紹介する。

  同市は、震災発生直後から沿岸被災地に14万個以上のおにぎりや救援物資を搬送、自衛隊やボランティアの前線基地として支援に取り組んだ。

  市は保存している記録を、今後発生が予想される南海トラフ地震などの災害時に活用してもらおうと、設置を決めた。

  開館直後には仙台市で国連防災世界会議(3月14~18日)があり、16日に会議出席者が視察を予定している。

  本田敏秋市長は「悲惨な災害を忘れさせてはならないし、忘れてはならない。きちんと後世に伝えていく責務がある」と話した。

  完成後の一般公開は午前8時半~午後5時。休館日は設けない予定。


<風の電話>故人へ思い届け…強風で倒壊も、利用者ら修復
毎日新聞 1月11日(日)8時30分配信

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元あった場所に建て直される「風の電話」。設置者の佐々木格さん(右)も作業を手伝った=岩手県大槌町吉里吉里で

 亡くなった人に思いを伝える電話ボックスとして、東日本大震災の遺族らを癒やしてきた岩手県大槌町の「風の電話」が7~8日の強風で倒壊した。惜しむ声が上がり、自らも利用者だった大工がボランティアらと修復作業に乗り出し、10日に再建した。

 「風の電話」は、同町のガーデンデザイナー、佐々木格(いたる)さん(69)が震災翌月の2011年4月、自宅の庭園に設置した。黒電話の回線はつながっていないが、大切な人に会えなくなった被災遺族らが一人きりの空間で故人に思いを語りかけてきた。

 昨年末まで約1万3000人が利用したが、強風で三角の屋根は外れ、側面ガラスも4面のうち3面が粉々になった。利用者が思いをつづる備え付けのノートは無事だった。

 修復したのは、隣の山田町で建築業を営む港郁男さん(59)。震災で義理の母親が行方不明となり、妻裕子さん(51)とともに風の電話を利用してきた。「復興が落ち着いた段階なら修復は考えなかったが、まだまだ利用者は多いと思って」と作業を買って出た。使えなくなったドアの部材を再利用するなど手際よく修理した。

 11日には電話機を置き、利用を再開。1週間ほどでガラス代わりのアクリル板も張る。「震災の月命日にあたる11日までに形にしたかった」と港さん。佐々木さんは「倒壊を心配した人からメールやファクスが50件以上も来た。みなさんが支えてくれた」と復活を喜んでいる。【中田博維】


川内原発1、2号機の年度内再稼働は困難 認可書類作成大幅遅れ
産経新聞 1月11日(日)7時55分配信

 審査の合格を最初に果たした九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の今年度内の再稼働が困難となったことが10日、原子力規制委員会関係者への取材で分かった。認可手続きに必要な書類の提出が大幅に遅れているためで、再稼働は4月以降になる。合格のめどが立った昨年3月から1年を経過することが確実で、事業者側の新規制基準適合への苦悩が浮き彫りになった。

 2基で約4万ページに上る認可書類の膨大な量がネックとなっている。規制委関係者によると、原子力規制庁と九電の約100人がほぼ毎日、朝から晩まで資料を付き合わせて非公開の会合を重ねており、会議終了は午後11時を回ることもあるという。

 規制委関係者は「1つを直すと関係箇所を全て直さなくてはならず、なかなか完成しない」と話す。

 川内原発は平成25年7月から始まった新基準の適合性審査で、大きな課題となっていた基準地震動と基準津波をいち早くクリア。昨年3月には審査を集中的に行う「優先原発」に選ばれ、合格のめどが立った。事実上の合格証となる「審査書」は昨年9月に確定している。

 その後、機器の詳細な設計図などを確認する「工事計画」と運転管理体制を確認する「保安規定変更」の認可審査に移行したが、この認可書類の作成に九電は手間取っている。

 九電は当初、同月末までの補正申請を目標にしていたが、規制庁の指摘や訂正が相次いでいるため、昨年末までの提出目標も断念した。

 工事計画などが認可されれば、機器の設置状況や性能を規制委が現場で確認する「使用前検査」を実施するが、1~2カ月かかる見通しだ。

 規制委の田中俊一委員長は昨年12月末に川内原発を視察した際、「(安全対策に)前向きに取り組んでいる。安全のレベルは極めて高くなっていると思う」と述べ、規制委の審査に自信を見せている。

 ただ、認可審査の遅れが地元の情勢に微妙な変化を与える。4月12日には鹿児島県議会議員選挙が控えており、再稼働の是非が選挙で争点となってくる。

 地元住民らが川内原発の再稼働差し止めを求めた仮処分申請についても、鹿児島地裁が近く決定を出すとみられ、司法の判断が再稼働に影響する可能性も否定できない。(原子力取材班)


被災者癒やす鍼と灸 岩手、宮城、福島で無料治療60回
産経新聞 1月11日(日)7時55分配信

 東日本大震災の発生から11日で3年10カ月を迎える被災地で、一人の鍼灸(しんきゅう)師が無料治療を定期的に続けている。仮設住宅での生活が長期化し、ストレス蓄積による健康悪化が懸念される中、鍼(はり)と灸で被災者を癒やすことに使命感を見いだしている。(石井那納子)

                   ◇

 無料の治療を行っているのは、千葉市緑区の鍼灸師、中野朋儀(とものり)さん(52)。平成23年5月に宮城県名取市を初めて訪れ、「大がかりな治療設備を必要としない鍼灸治療なら、かばん一つでどこにでも向かえる」とボランティア活動を決めた。

 それ以来、経営する治療院の休診日を利用して月に1度のペースで被災地に入り、岩手、宮城、福島の被災3県で約60回の無料治療を実施。複数の鍼灸師とチームを組んで訪れることもあり、仮設住宅内の集会所などで延べ2500人近い被災者に接してきた。

 当初は治療スペースの確保にも困り、活動日時の告知が行き渡らないこともあった。だが、活動も2年目に入ると「『また来てね』という言葉から『今度はいつ来るの』と声を掛けてもらえるようになり、活動を続ける原動力になった」と中野さんは振り返る。

 治療では「神経痛の状況はどうですか」「生活で変わったことはありませんか」などと優しく話しかけながら患部を刺激する。体の凝りとともに心もほぐれると、それまで口が重かった被災者も愚痴や悩みを語りだすという。

 最近では、「仕事が見つかり、働きに出られるようになった」「早く生活を再建して、もう一度家族3世代で暮らしたい」と前向きに話す被災者も増えた。

                   ◇

 だが、仮設住宅での生活が長期化することに伴う新たな問題にも直面している。震災発生以降に生まれた子供たちの多くは、ずっと仮設住宅で生活しているため、限られた居住空間の中で感情などを発散できず、ストレスを抱え込む傾向がみられるという。

 ストレスが蓄積されれば、肥満などの生活習慣病はもちろん、鬱病を引き起こす可能性があり、中野さんは「子供たち自身がストレスに気づくことは少なく、一緒に生活している大人も見落としてしまいがち。私たちが注意喚起していかなければ」と語る。

                   ◇

 発生から3年10カ月となる11日からも2日間、岩手県陸前高田市を訪れ、市立下矢作小学校のグラウンド内にある仮設住宅を中心に、市内5カ所で無料治療を実施する。

 「今回は、新しく30代の鍼灸師が『活動してみたい』と声をあげてくれた。医療ボランティアは継続することに意味がある。若手が活動に関心を持ってくれることは心強い」と意気込む中野さん。支援の広がりに手応えを感じ、継続に意欲を見せている。

 今回の無料治療は11、12日に実施。治療時間は1人30分。受付時間は各会場で異なり、マッサージだけでも受けられる。問い合わせは、陽だまり“はり・きゅう”治療室(電)043・291・6546(留守番電話となる場合でも、記録された着信への折り返しあり)。

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