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2014年9月11日 (木)

宮城沖地震に関するニュース・1753,2014年9月11日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:菅氏、慎重論の中で視察強行…19人の調書公開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:吉田調書公開 「吉田さんが撤退する気ないこと、把握していた」福山哲郎氏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:吉田調書公開 「菅元首相の対応、論評する立場にない」 当時官房長官の民主・枝野幸男氏 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<吉田調書公開>「原発撤退」報道否定狙う…政府 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<吉田調書>官邸介入弊害を裏付け…政府公開 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<吉田調書>解説…証言を比較、教訓を探れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<みなし仮設住宅>6割が「不安」…県外避難者アンケート - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:中間貯蔵、「丁寧に話し合う」=福島第1原発など視察―望月環境相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災3県などから学生240人が参加 三菱商事復興支援財団が交流会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:5会場で住民説明会=川内再稼働で知事「参考に」―鹿児島県 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島原発>「吉田調書」内閣サイトで公開――政府事故調ヒアリング記録 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:政府、「吉田調書」を初めて公開 - 速報:@niftyニュース.
リンク:<吉田調書>HPで公開 菅直人氏ら18人の調書も…政府 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:請負構造、事故対応の壁に=人員確保の課題あらわ―吉田調書 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:見えぬ原子炉「何もできない」=計器機能せず、判断困難―吉田調書 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「絶望」「答えがない」=吉田元所長の調書公開―菅氏ら18人分も、原発事故で政府 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<東日本大震災3年半>浪江町「見なければいけない風景」被災地ルポ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>石巻市街地再開発 若者と住民力合わせ始動 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:水揚げ、岩手・宮城7割回復=福島は試験操業続く―東日本大震災から3年半 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「震災の津波思い出す」市民ため息 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>遺族ら慰霊塔に祈り・仙台 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:石巻など記録的大雨 1時間91ミリ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>土砂災害の広島へ釜石からコーヒーの贈り物 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>あれから1280日…父の遺骨を納骨 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災3県、手掛かり求め集中捜索 - 速報:@niftyニュース.
リンク:岩手「奇跡の牛」と呼ばれる肉用牛 国産にこだわり、風評被害と闘う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災支援恩返し 広島へ石巻・蛇田中生が募金 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>不要仮設を町営住宅に 南三陸町長が活用策 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<福島第1原発事故>富士山麓キノコに被害 東電賠償請求へ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>8店結束、再生の象徴に - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災3年半 汚染水との闘い続く…福島第1、リスク抱えタンク貯蔵 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地の産業再生支援を=経団連会長に要請―竹下復興相 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:津波訴訟審理 「予見可能性」めぐり対立 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>仮設、明かり今も・仙台 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>24万人避難生活続く - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:被災地で被害届3回…さい銭箱、再設置断念 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災3年半 除染進まず、帰れぬ故郷…高齢者の独居増える仮設 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:1次産業の回復、被災3県で差 原発事故影響 福島は低水準 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:規制委、川内原発に合格証 官房長官「再稼働進める」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:川内原発に合格証 火山対策、避難計画に課題 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:次の認可審査は「5万ページ」 九州電力 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>酒に頼らない 富岡から避難、不安と闘う - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<大震災3年半>進まぬ住宅再建 用地確保遅れ - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:原発「制御できず」に外務省抗議 - 速報:@niftyニュース.

以下、参考のために同記事を引用

菅氏、慎重論の中で視察強行…19人の調書公開
読売新聞 9月11日(木)22時21分配信

 政府は11日、東京電力福島第一原発事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会が関係者から聴取した記録のうち、吉田昌郎(まさお)元所長(昨年7月死去)や菅直人元首相ら19人の調書を公開した。菅氏は、自らが東電本店に乗り込んだことで第一原発からの全面撤退を食い止めたとの認識を示したが、吉田氏は「全員撤退するとは言っていない」と否定。菅氏が事故発生翌日の2011年3月12日、周囲の慎重論がある中で第一原発の視察を強行するなど当時の民主党政権内の混乱ぶりも浮き彫りとなった。

 東電が第一原発から「全面撤退」すると周辺から聞いた菅氏は、東電本店に乗り込み、「撤退したら東電は必ずつぶれる」と演説し、「それ以来、撤退の話は全く聞かなくなった」と証言した。これに対し、吉田氏は「誰が言ったか知りませんけども、『撤退』なんて言葉、使うわけがない」と不快感を示している。


吉田調書公開 「吉田さんが撤退する気ないこと、把握していた」福山哲郎氏
産経新聞 9月11日(木)22時3分配信

 東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会による吉田昌郎元所長ら当時の関係者の調書公開を受け、事故当時の官房副長官だった民主党の福山哲郎参院議員が11日、国会内で行った記者団との主なやり取りは次の通り。

 --原発事故に関する調書が公開されたが

 「吉田調書をはじめとして、当時、原発事故に関わった主要な方々の調書が公開されたことは、この原発事故がいかに過酷であったか、難しいオペレーションであったか、それぞれの現場現場で本当にご苦労をされたか、国民にその実態がよく伝わることになるので、今後の原発政策の非常に大きな教訓になると思っています」

 --当時の官邸の対応が批判された

 「吉田所長は命を懸けて、懸命に現場の作業員を激励をしながら作業を続けてこられたと思いますので、全くそのことについては頭が下がる思いでいっぱいです。一方で、吉田さんが『撤退をしない。そんなことをするわけないじゃないか』といわれていることも私は同意します。なぜなら(事故発生3日後の平成23年3月)14日の夜、官邸の政治家に東電の(清水正孝)社長から撤退の申し入れの話があったとき、われわれは吉田所長と直接やって『まだできることはある。現場の士気は高い』という報告を受けていました。吉田所長の調書にあるように、吉田さんが撤退する気はなかったことは、われわれが全員把握している話です」

 「一方で、その状況でなぜ東電の本社側が撤退を数度にわたって官邸側の政治家に伝えてきたのか違和感がありました。吉田所長の調書で『撤退をする気はなかった』と聞いて、ごくごく当然(のこととして)、われわれは当時、吉田さんの気持ちとしては本当に頑張っておられたと受け止めていました」

 --撤退をめぐり、朝日新聞の報道で世界的にも現場の方々が不名誉な扱いを受けるような結果を生んでいる

 「吉田調書は一つ。報道機関が報道する際にいろいろな解釈が出てきていることを考えても、この原発事故のオペレーションがいかに難しかったかご理解いただけると思います。だからこそ、吉田調書を公開することによって、国民の皆さんがそれぞれご判断いただける機会ができました。私は非常に重要な機会だと思っています。われわれは14日夜の(第1原発からの全面)撤退は認めないということで申し上げていましたが、15日朝は爆発音を東電の現場で聞き、現実に退避をすることについて承認をしました。14日夜の話と15日朝の話を、ぜひ混同しないようにしていただきたい」

 「一方で、吉田所長が『1F(福島第1原発)に退避しておいてほしい』と指示したのに、2F(同第2原発)に退避をしてしまったことも事実です。そのことが一体、事故の処理にどういう影響を与えたかが重要であって、今、報道機関がそれぞれいわれている状況よりかは、もっと事実関係として、そのぐらい過酷な中でオペレーションが本部と現場の間で非常に混乱していたことが、私は全てだと思っています。1Fでの吉田所長や、吉田所長が指示した作業員がどう動いていたかについては、私たちは当時は全くあずかり知らないので、ことの本質はそれぐらいオペレーションが難しかったということだと思いますし、現場の作業にあたっていた方々や吉田所長には、大変な思いをしていただいたなという気はします」

 --原発の再稼働が行われようとしている

 「これだけ調書が公開される中で、新たな教訓とか、例えば私の調書では避難のときにどういうことを考えたとか、本当に難しい避難のオペレーションについて公開されました。事故対処の困難なオペレーション、避難で、住民の皆さんに大変なご苦労をおかけしている。それぞれが今の再稼働の準備を進める中で、ちゃんとしっかりと対応できているのか、その反省をいかしているのかということについては、改めて検証は必要だと思います。そういったことの検証のためにも、吉田調書の公開はファクト(事実)をいかに確定していくかの作業だと思いますので、その作業をぜひ国民の皆さまや国会の議論でも、そして報道の中でも進めていただきたいと思います」(了)


吉田調書公開 「菅元首相の対応、論評する立場にない」 当時官房長官の民主・枝野幸男氏
産経新聞 9月11日(木)21時58分配信

 東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会による吉田昌郎元所長ら当時の関係者の調書公開を受け、事故当時の官房長官だった民主党の枝野幸男衆院議員が11日、国会内で行った記者団との主なやり取りは次の通り。

 --吉田調書が公表されたことについてどう考えるか

 「事故の検証を国民的な視点でやっていただく上で、こうした情報公開がなされたことは大変喜ばしい。ただ、私自身の調書についても、私が求めた何倍もの黒塗りが政府によってなされている。さらに情報公開が進むことを期待している」

 --吉田調書について朝日新聞が「9割が吉田さんの命令に反して撤退した」と報道していたことについては

 「私自身が吉田調書をまだ読んでいないので答えようがない」

 --当時の官房長官として当時の菅直人首相がとった一連の対応についてどう感じているか

 「第三者的に、どう感じると論評をする立場ではないと思っている」

 --非公開となった黒塗りの部分の多さは想像以上だったのか

 「全く想像を超えていた。すでに講演とかその他でしゃべっている話がほとんどで、中二階にテレビがあったことが、なんで黒塗りされなければいけないのだろう。さっぱり意味が分からない。役所が自然体で情報公開について考えるとこういうことになるのかなあと思う。想像以上に政府による黒塗りがなされていたことに大変がくぜんとした。特に実質的な秘密と思えないことがたくさん塗られている」

 --黒塗りの部分について政府に対し公開を求める考えは

 「ほかも必要以上に黒塗りされているという可能性については、もっと公開すべきだということについては、何らかの形で求めていきたいと思う」


<吉田調書公開>「原発撤退」報道否定狙う…政府
毎日新聞 9月11日(木)21時53分配信

 政府が11日、東京電力福島第1原発事故に関する吉田昌郎元所長の「吉田調書」の公開に踏み切ったのは、朝日新聞が5月20日付朝刊で報じた「原発撤退」報道を否定するためだ。複数の報道が出たことで、非公開を望んだ吉田氏の意思と異なる状況が生じたと判断した。同時に公開した菅直人元首相らの調書では事故当時の民主党政権の混乱ぶりも浮き彫りになっており、原発再稼働に向け安倍政権の情報公開に対する積極姿勢を強調する狙いもありそうだ。【木下訓明】

 ◇情報開示姿勢アピール

 「聴取記録の一部のみを断片的に取り上げた記事が複数掲載された。『独り歩き』とのご本人の懸念が既に顕在化している」。菅義偉官房長官は11日の記者会見で、非公開とする前提が崩れたとの認識を強調。「このまま非公開となることで、かえってご本人の意思に反する結果になる」と語った。

 吉田氏は、聴取を受けた政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)から国会事故調に調書を開示する際、「国会事故調から第三者に公表されることは望まない」との上申書を提出。菅氏は当初、この上申書を根拠に「政府の判断で公開することは難しい」としてきた。ただ、調書を巡る報道が過熱化したことで方針を転換。菅元首相ら民主党政権幹部の調書についても、同意を前提に同時公開する方針に転じた。

 このうち、池田元久元副経済産業相は震災直後に福島第1原発を視察した菅元首相が「つまらないことで怒鳴ってみたり、終始ひどかった」と証言。政権の混乱ぶりが露呈した。調書公開は原発再稼働に直接の影響はないものの、事故収束に当たった民主党政権の「失敗」を強く印象づける内容だ。

 非公開を求めた吉田氏の意向に沿わない結果となったのは間違いなく、政府も吉田氏の遺族の同意が得られたかどうかは明らかにしていない。「今後、政府が同様の調査を行っても協力が得られにくくなるのではないか」(自民党関係者)との指摘も出ている。


<吉田調書>官邸介入弊害を裏付け…政府公開
毎日新聞 9月11日(木)21時37分配信

 政府は11日、東京電力福島第1原発事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が関係者から当時の状況を聞きとった聴取結果書(調書)のうち、吉田昌郎・元同原発所長(昨年7月に死去)ら19人分を公開した。官邸と現場との間を取り持つ東電本店や原子力安全・保安院が機能不全に陥り、情報が共有されなかったために官邸の現場介入を招いた実態が、当事者の肉声によって浮き彫りになった。

 政府事故調の調書が公開されるのは初めて。内訳は菅直人元首相や枝野幸男元官房長官ら政治家11人、官僚や有識者ら7人。東電関係者は吉田氏だけだった。

 福島原発事故では、事故直後の2011年3月12日に菅氏が現場をヘリで視察したり、15日未明に菅氏が東電本店に乗り込んだりするなど、官邸の介入が問題視された。吉田氏は証言で「本来なら本店本部、保安院を通して来る話。官邸と現場がつながること自体ありえない」「菅首相が(東電本店で)えらい怒っていた。気分が悪かったことだけは覚えている」などと不満を示した。これに対し官邸側は「保安院はほとんど状況説明ができない。機能していない」(菅氏)、「東電は政府に報告しないで、ものを隠す体質」(枝野氏)と証言。保安院や東電への不信をにじませた。

 東電が同原発からの「全面撤退」を検討したとされた問題では、吉田氏は「使いません、『撤退』なんて。現場は逃げていない」と全面的に否定。一方で官邸側は「間違いなく全面撤退の趣旨だった。これは自信がある」(枝野氏)と認識が食い違った。

 政府事故調は最終報告書で、官邸の介入について「弊害の方が大きい」と断じ、東電の全面撤退も「菅氏らの誤解だった」と判断した。さらに東電の初動対応にも不手際があったと認定。政府と東電の双方に「複合的な問題があった」と結論づけている。

 事故の被害については、吉田氏が「イメージは東日本壊滅。最悪の事故ですから」、菅氏も「チェルノブイリの100倍以上(の放射性物質)が出て行く認識がありましたから」と、危機感を共有していた。

 政府は調書公開にあたり、国の安全にかかわる機密や個人の名前などの一部を、黒く塗って消した。【酒造唯】

 ◇政府事故調◇

 東京電力福島第1原発事故の原因究明や再発防止の提言を行うため、2011年5月に閣議決定により設置された調査機関。畑村洋太郎・東京大名誉教授を委員長に、首相に指名された10人で構成され、技術的な助言を得るため2人の技術顧問を置いた。関係者772人への事情聴取や事故記録の精査などを経て、12年7月、東電の初動対応や政府の指示などに「複合的問題があった」などとする最終報告書をまとめた。


<吉田調書>解説…証言を比較、教訓を探れ
毎日新聞 9月11日(木)21時37分配信

 11日に公開された吉田調書は、史上最悪(レベル7)となった事故で陣頭指揮をとった現場責任者の肉声を伝える第一級の資料だ。ただ、体調不良のためか「記憶にない」などと答える場面も多く、吉田調書が事故の全体像を描いているわけではない。今後、事故に携わった関係者の調書が続々公開される。それらを比較対照して読むことで事故の教訓をさらにあぶりだし、原発事故の再発防止に活用すべきだ。

 「(3号機の水素爆発直後)現場から四十何人行方不明という話が入ってきた。私その時死のうと思いました。それが本当だとすると腹切ろうと思っていました」。吉田昌郎・東京電力福島第1原発所長(当時)の生々しい証言を読むと、ギリギリの状況の中、何とか最悪の事態を回避できたことがうかがえる。「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」という言葉も空恐ろしい。しかし、証言はあくまで吉田氏の目から見たものでしかない。吉田氏は聴取後に政府へ提出した上申書で「(自分の調書を)他の資料などと照らし合わせて取り扱っていただけるかという危惧を抱いている」と述べ、事実誤認がある可能性も認めている。

 吉田氏をめぐっては、首相官邸の意向をおもんぱかって原子炉への海水注入中断を指示した本店幹部の命令を無視し、独断で継続したエピソードが有名だ。「本店と首相官邸の介入から現場を守った功労者」(当時の作業員)とのイメージが強いが、「(過酷事故対策について)3・11以前は思いが至らなかった」と述べるなど、自らの認識不足も認めている。吉田氏や今回公開された当時の政権幹部だけでなく、東電幹部らの調書も公開されなければ、事故の実相は見えてこない。【中西拓司】


<みなし仮設住宅>6割が「不安」…県外避難者アンケート
毎日新聞 9月11日(木)21時0分配信

 東日本大震災や福島第1原発事故により福島、宮城、岩手3県から全国に避難している県外避難者を対象にした毎日新聞のアンケートで、回答者のほぼ半数が避難先の住居について「不安がある」と答えた。特に、行政が家賃を負担する「みなし仮設住宅」では6割が「不安」と訴えた。みなし仮設の供与期間は原則1年ごとの更新で、「終了すると生活できなくなる」などと心配する姿が浮かぶ。

 アンケートは前回の回答者に半年ごとに繰り返し質問しており、7回目の今回は新規29人を加えた114人が回答した。被災時の住所別は福島82%、宮城14%、岩手4%。現在の住居は、みなし仮設53%▽自分で家賃負担する賃貸21%▽持ち家16%▽親戚・知人宅6%--など。

 「住居に不安は」との質問に、48%が「不安がある」と回答した。住居形態別では持ち家3割、賃貸4割に対し、みなし仮設は6割と高率だ。

 仮設住宅供与は原則2年だが、東日本大震災では3年まで県が国との協議なしで延長、その後は原則1年ごとに県が国と協議して更新している。みなし仮設も同等の扱いで、入居から5年までは延長されたが、以後は未定だ。アンケートでは「1年ごとの延長のため、先の見通しが立たない」などの記載が目立つ。

 被災地外への移住についても質問し、「既に移住した」45%、「移住を考えている」40%の計85%が移住の意思を示した。前回とほぼ同じ割合だ。多くが故郷を離れた地で生活基盤を築こうとする中、安定した住居の確保に向けた支援策が課題となりそうだ。【松岡大地】


中間貯蔵、「丁寧に話し合う」=福島第1原発など視察―望月環境相
時事通信 9月11日(木)18時51分配信

 望月義夫環境相は11日、福島県を訪れ、東京電力福島第1原発や原発事故に伴う汚染土の中間貯蔵施設の建設候補地を初めて視察した。環境相は、楢葉町のJヴィレッジで記者団の取材に応じ、県が建設を容認した中間貯蔵施設をめぐり、「地権者とは丁寧に話し合いたい」と強調した。
 ただ、地権者説明会の開催時期については「スピードを上げて準備をしているところだ」と述べるにとどまった。 


被災3県などから学生240人が参加 三菱商事復興支援財団が交流会
産経新聞 9月11日(木)18時38分配信

 三菱商事復興支援財団(東京)が支援する奨学生の交流会が11日、仙台市青葉区内のホールで開かれ、岩手、宮城、福島の被災3県などから約240人の学生が参加した。

 三菱商事は震災翌月の平成23年4月に復興支援基金を創設し、震災で被災し修学が困難になった大学生など対象にした奨学金制度を開始。24年3月に設立された復興支援財団が、制度を継承した。

 交流会では、財団副会長の広田康人・三菱商事常務執行役員が激励のあいさつ。学生を代表して岩手県宮古市出身で東北福祉大(仙台市)1年の三浦花菜子さん(19)が「感謝の気持ちを忘れず、たくさんのことを学んでいきたい」と決意を語った。


5会場で住民説明会=川内再稼働で知事「参考に」―鹿児島県
時事通信 9月11日(木)17時50分配信

 原子力規制委員会が九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の審査書を正式決定したことを受け、鹿児島県は11日、原発から30キロ圏内の9市町の住民を中心に10月9日から5日間、5会場で説明会を開くと発表した。規制委事務局の原子力規制庁が審査結果を説明する。伊藤祐一郎知事は「説明会の雰囲気も(再稼働の同意判断の)参考にする」との考えを示している。
 説明会は10月9~15日の土日を除く5日間、5会場で1回ずつ開催する。県と会場となる自治体が共催し、各会場1000人程度で事前の申し込みが必要。薩摩川内市での説明会は市民限定だが、他の4会場は住民と隣接する自治体の住民を優先し、残りを県民で抽選する。県外からの参加は受け付けない。 


<福島原発>「吉田調書」内閣サイトで公開――政府事故調ヒアリング記録
弁護士ドットコム 9月11日(木)17時7分配信

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内閣官房のウェブサイトで公開された、福島第一原発事故の政府事故調査委員会の「ヒアリング記録」

政府は9月11日、福島第一原発事故の政府事故調査委員会の「ヒアリング記録」をインターネットで公開した。その中には、事故当時、東京電力・福島第一原発の所長を務めていた吉田昌郎氏のヒアリング記録――通称「吉田調書」も含まれている。

今回公開されたヒアリング記録は全体の一部。政府は、個人情報や国の安全にかかる部分を黒塗り処理などしたうえで、準備が整ったものから順次公開していく、としている。

吉田調書は今年5月、朝日新聞が独自に入手した内容を「スクープ」として報道。その報道内容をめぐって議論が起きている。

「吉田調書」を含むヒアリング記録は、内閣官房のウェブサイト(下記リンク)で公開されている。

http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_koukai.html


政府、「吉田調書」を初めて公開
2014年9月11日(木)16時54分配信 共同通信

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 福島第1原発免震重要棟2階の緊急時対策本部で事故対応の指揮を執る吉田昌郎所長=2011年5月(東京電力提供)

 政府は11日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、現場の指揮を執った吉田昌郎元所長=昨年7月死去=や菅直人元首相ら計19人分を公開した。関係者を非公開で聴取した政府事故調の調書が公開されるのは初めて。

 調書の中で吉田氏は、東電が第1原発から全面撤退すると当時の政権が解釈したことを「誰が逃げようとしたのか」と強く否定。菅元首相は、自らが東電本店に乗り込んで「撤退はあり得ない」と演説したことにより全面撤退を食い止めたとの認識を示し、意見が対立した形となっている。


<吉田調書>HPで公開 菅直人氏ら18人の調書も…政府
毎日新聞 9月11日(木)16時54分配信

 政府は11日、東京電力福島第1原発事故に関し、政府の事故調査・検証委員会が吉田昌郎元所長(昨年7月死去)から当時の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書)」を内閣官房のホームページ(HP)上で公開した。同時に、事故発生時の菅直人首相、枝野幸男官房長官、細野豪志首相補佐官(肩書はいずれも当時)ら18人の調書も本人の同意に基づき公開した。菅義偉官房長官は11日の記者会見で吉田調書の公開について「一部のみ取り上げた報道がなされ、独り歩きする懸念が顕在化したためだ」と語った。 


請負構造、事故対応の壁に=人員確保の課題あらわ―吉田調書
時事通信 9月11日(木)16時47分配信

 事故の発生当初から、東京電力福島第1原発は人手不足に悩まされ続けてきた。放射線による被ばくが避けられない中、請負契約の協力企業に作業を継続してもらうことは難しく、人員確保が大きな課題になっていた。
 原発では通常、電力会社の社員だけでなく、元請けや下請けといった協力企業の社員が多数働いている。吉田昌郎元所長は調書の中で「全部自分でできるかというとそうではなくて、スキルを持った請負さんと共同でやっている」と日常の作業状況について説明している。
 だが、事故によって第1原発では原子炉建屋が相次いで爆発。大量の放射性物質が放出され、過酷な作業環境になった。吉田氏は「会社として(人を)出せませんと言われると、お帰りいただかざるを得ないので、そういう意味では不備なところがあった」と問題点を振り返る。
 実際、2号機への注水がうまくいかず、危機感が高まっていた2011年3月14日、吉田氏は残っていた協力企業の作業員について「この人たちを巻き込むわけにはいかない」と考え、帰宅を促したという。
 東電の他の原発で働く社員を派遣することも可能だが、吉田氏は「(第1原発の)設備をある程度知っている人でないと、メンテナンスも十分にできない」と強調。「柏崎(刈羽原発)の人を連れてくれば、福島第1の運転だとかメンテナンスができるかというと、必ずしもそうではないところがあるから、これからも永遠の悩みネタだと思う」と語っている。 


見えぬ原子炉「何もできない」=計器機能せず、判断困難―吉田調書
時事通信 9月11日(木)16時46分配信

 東京電力福島第1原発事故では、電源喪失などによって原子炉内の水位や圧力などを監視する計器が機能しなかった。吉田昌郎元所長の調書には、原子炉で何が起きているのか分からないまま、対応を迫られた現場の苦悩が随所にうかがえる。
 第1原発では2011年3月11日の事故発生直後から、計器を読み取れない状態になった。吉田氏は「原子炉の圧力と水位がちゃんと把握できないと、どういう状況だというのは分からない」と説明。「計器をまず見えるようにしないと何もできないから、何とかしろという話はした」と振り返っている。
 11日夜の段階で1号機の水位が把握できるようになり、核燃料は原子炉内で水没した状態と表示された。
 だが、水位計は正常に機能しておらず、実際は炉内の水が大量に失われていた。吉田氏は「今にして思うと、水位計をある程度信用したのが間違い」「大反省」と後悔。一方で「炉の状況が分からない。炉圧が分からないし」と判断の難しさを訴えている。
 内部で圧力が高まった3号機の格納容器を破損させないため、13日にベント(排気)を試みたことについても、「本当に分からない状態で操作している。確認すべき項目が何も見られない状態だから、成功したのかと聞かれるけれども、知りませんというのが私の答え」などと述べた。
 聴取の中で、政府の事故調査・検証委員会の担当者から原発の計器について「何があってもぶっ壊れないで、おおよその値がちゃんと出ているものはないのか」と問われると、吉田氏は「最終的に非常に単純な構造で、これだけは分かるという設計思想はない。あれば良いなというのは、今となれば当然そう思う」と答えている。 


「絶望」「答えがない」=吉田元所長の調書公開―菅氏ら18人分も、原発事故で政府
時事通信 9月11日(木)16時43分配信

 政府は11日、東京電力福島第1原発事故で政府の事故調査・検証委員会が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録を、内閣官房のホームページで公開した。事故調とのやりとりが記載された調書で吉田氏は、電源喪失によって打つ手が限られた当時の状況を振り返り、「絶望していた」「答えがない」などと語っている。
 政府は同時に、当時の菅直人首相や枝野幸男官房長官ら18人分の調書も公開した。
 吉田氏の聴取は、事故4カ月後の2011年7月から、11月にかけて行われた。公開された調書はA4用紙で約400枚に上る。
 吉田氏は事故発生直後、全交流電源が喪失したと報告を受けた際の状況を問われ、「はっきり言って、まいってしまった」「絶望していた」などと答えている。さらに、原子炉の冷却について「自分で考えても、これというのがない」「答えがない」と振り返った。
 また「本当の現場と、(吉田氏がいた)準現場の緊急時対策室と、現場から遠く離れている本店と、認識の差が歴然とできてしまっている」と指摘。混乱した状況の中で、情報や認識を共有する難しさを強く訴えている。
 2号機が危機的状況に陥った11年3月15日には、第1原発で事故対応を指揮する幹部級の社員を含む約650人が第2原発に退避。残ったのは約70人だった。この時の状況について、吉田氏は「本当は私、2F(第2原発)に行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、線量の低いところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもり」と述べた。
 一方で「よく考えれば(線量の低い)2Fに行った方がはるかに正しいと思った」とも語っている。この時の退避については「所長命令に違反」とする報道と、「命令違反の撤退なし」とする報道に分かれ、議論になっている。 


<東日本大震災3年半>浪江町「見なければいけない風景」被災地ルポ
毎日新聞 9月11日(木)16時22分配信

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浪江町の砂浜に残された車=2014年8月17日、石戸諭撮影

 研究者やジャーナリストに被災地の現実を見せる--。祖父宅が福島県浪江町にある総合研究大学院大学助教の標葉隆馬(しねは・りゅうま)さん(31)=科学技術社会論=は、全町避難が続いている同町内を祖父宅を中心に視察する活動を続けている。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から3年半。標葉さんに同行し、無人の浪江町を歩きながら被災地を訪れる意味を考えた。【石戸諭/デジタル報道センター】

 標葉さんは仙台市出身。内科医だった祖父の故・一郎さんが自宅を併設した標葉医院を浪江町で開業しており、標葉さんは幼少期の約1年間を同町で過ごした。その後も帰省先として夏休みや年末年始に祖父宅を訪ねていたという。震災後は東日本大震災を巡る社会的背景に迫る研究活動の一環として、継続的に浪江町の現状を観察している。案内は2013年4月から始めた。警戒区域、避難指示区域の再編で、一部区域は日中の立ち入りが許可を得れば可能になったためだ。それ以降、頻繁に浪江町を訪れている。

 今年8月17日は研究者、SF作家やSF評論家計6人と浪江町に入った。浪江町への立ち入りは制限されているが、標葉さんが公益目的による立ち入りを申請した。参加者はJR福島駅に集合。乗用車に乗り込み、飯舘村を通過し南相馬市から国道6号を南下し浪江町に入った。

 午後1時、旧標葉医院に着く。地震で家屋が崩れかけている。1990年代前半まで開業していたが、一郎さんが医師を引退して以降は近所の酒屋の倉庫や駐車場として使用されてきた。草が生い茂った縁側から屋内に入る。震災以降は中にあった一郎さんら家族の形見の品を一部片付けてはいるが、「人が住まない上、片付けをしてもどんどん崩れていく。こんな家が避難した地域にはまだまだあるのです」(標葉さん)。マスクを着用したが、それは被ばくを避けるためではなく、ほこりやゴミを吸い込まないようにするためだ。玄関付近には、倒れかけた冷蔵庫、食器棚から飛び散った食器、崩れた畳が散乱する。線量は同町から借りた線量計で0・4マイクロシーベルト/毎時前後で推移していた。(町内の線量は原子力規制委員会のホームページhttp://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/area.htmlで詳しく調べることができる)

 同町の商店街に移動する。震災前に建てられたと見られる新しい住宅も交じっている。商店街はたまに車が通るだけで、当然ながら人の気配はない。JR浪江駅に残った白板は、赤字で「大地震のため終日運転を見合わせます」と書かれたままだった。鉄道が止まったのは「大地震」。震災直後の様子を今もそのままとどめている。象徴的なのは新聞販売店に積み上がり、届けられなかったままの2011年3月12日付の新聞だ。見出しには「県内震度6強」「東北で巨大地震」。多くの新聞はビニールで封がされたままの状態で積まれていた。

 浪江町沿岸部に車を走らせた。津波被害もあった地域だ。がれきがまだ残り、畑の中に車や船が残っていることがすぐに確認できる。窓ガラスは割れ、車全体がひしゃげている。がれきは集積場所に集められ、道路も通ることができるが、震災直後の風景がまだ多く残されている印象だ。浜辺の砂浜にも白い乗用車が前部を突っ込んだままの状態で残っていた。車にかぶせていたと見られるシートも見かけた。参加した八代嘉美・京都大特定准教授が言う。「科学と社会の営みを考える上で、見なければいけない風景だ」。午後3時。立ち入りが許されている午後4時の1時間前に帰宅準備を促すアナウンスが町中に響いた。

 標葉さんは「浪江の現実は、東日本大震災が大地震、津波、原発事故が合わさった『複合災害』であることを突きつける」と指摘した上で、こう語る。「最大の問題は復興の遅れよりも、人々の関心が失われていること。まず、現地を訪れ、現実を見てもらうことに尽きる。そこから考えてほしい」。浪江の写真を見せながら、標葉さんが話す言葉がある。「3年半がたって少しずつですが、変化はあります。しかし、変化は良くも悪くも少しだけ。行くたびに大きく変化がないことを確認してしまう」


<大震災3年半>石巻市街地再開発 若者と住民力合わせ始動
毎日新聞 9月11日(木)16時0分配信

 東日本大震災で最大となる約2万棟の建物が全壊した宮城県石巻市で、復興に携わるボランティアの若者と地元住民が協力して、商店が集まる横町を再生する事業が始まる。住居も併設した「COMICHI(コミチ) 石巻」で、10月に着工し、来春に完成予定。同市中心市街地の再開発の第1号となり、地元の飲食店主の阿部紀代子さん(52)は「復興が目に見えて形となることで、希望の光になれば」と話している。

 建設予定地は同市中央2で、海から約2キロの同市中心市街地の「松川横丁」沿いにある。震災前にあった6店舗は津波で全壊。うち2店舗に隣接の駐車場も含めた約140坪に、飲食店4店舗とシェアハウス(7室)などを建てる計画だ。

 被災した阿部さんが2011年6月、地権者に呼びかけて計画がスタート。まちづくりを専攻する東京工大大学院生、渡辺享子(きょうこ)さん(26)も指導教授に石巻市の知人がいた縁でボランティアとして参加。「食事の心配までしてくれ、家族のように接してくれる石巻の人の役に立ちたい」と長期滞在を決め、事務局として活躍している。

 震災前から商店街の高齢化が進んでいた石巻市だが、渡辺さんのように震災をきっかけにボランティアとして長期滞在する若者が増えた。シェアハウスを計画に組み込んだのは渡辺さんたちのアイデア。若者の交流拠点とし、店舗運営や周辺商店街との連携の知恵袋として活躍してもらうのが狙いだ。

 既にフランスやイタリア料理の2店舗の入居が決まっており、地元産食材を生かしたメニューを展開する予定。近隣の登米(とめ)市出身の漫画家、故石ノ森章太郎氏が学生時代によく石巻を訪れた縁で市が漫画によるまちづくりを進めていることから、グルメ漫画家がプロデュースするレストランを運営する構想も進めている。

 「COMICHI(コミチ)」には、復興につながる「小道」との思いを込めた。阿部さんは「他の地区の復興の参考になるようなモデルを作りたい」と意気込んでいる。【松本晃】


水揚げ、岩手・宮城7割回復=福島は試験操業続く―東日本大震災から3年半
時事通信 9月11日(木)15時15分配信

 東日本大震災から3年半が経過し、岩手、宮城両県では魚介類の水揚げ量が震災前の7割まで回復した。養殖施設や被災農地の復旧も進むが、担い手の確保が大きな課題だ。一方、福島県は東京電力福島第1原発事故が響き、主力の沿岸漁業が試験操業にとどまり、本格復旧のめどは立たない。
 世界有数の漁場である三陸沖。2013年の水揚げ量は岩手県で11万トン、宮城県が22万トンに増え、活気を取り戻している。両県の養殖施設も復旧予定の8~9割まで整備され、宮城では特産のワカメの生産量が震災前の水準(年間1万3000トン)並みに戻った。
 一方、福島県では本格操業できず、13年の水揚げは3500トンと震災前の1割弱。沿岸漁業は12年6月、放射性物質調査をクリアした魚種に限り、試験操業を開始。当初の3種から現在は51種まで拡大したが、14年は8月末時点で489トンと震災前の2%程度にすぎない。
 農林水産省の調査によると、漁業の従事者数は3県で08年の2万1598人から13年は1万4074人に減少。震災のダメージから立ち直れないケースもあるとみられる。宮城県ではノリやカキなどの養殖施設の85%が復旧したが、15%は再開の意欲があっても資金難や後継者がいないなどの理由で再開にこぎ着けられないという。
 岩手県宮古市の重茂漁協では、ワカメやコンブを養殖する組合員が3割減った。定置網漁で取れたサバをコンブで煮た缶詰を地元企業と共同開発し、通信販売している。付加価値の高い商品で「養殖の落ち込みを挽回したい」と漁協幹部は話す。
 水産庁は12年度から、被災3県で就業希望者を雇用する漁業者に対し、月額18万8000円(最長2年間)の補助金を支給する制度を開始。担い手確保を後押しする。 


「震災の津波思い出す」市民ため息
河北新報 9月11日(木)14時34分配信

 東日本大震災から3年半を迎えた11日、津波で甚大な被害を受けた石巻市が、記録的な大雨で再び水害に見舞われた。市中心部は広い範囲で冠水。土砂崩れや住宅の被害が相次ぎ、交通機関も大幅に乱れた。生活を脅かす自然の脅威に、市民からは「あの日の津波を思い出す」と深いため息が漏れた。

 未明に降り続いた猛烈な雨で、同市羽黒町2丁目の住宅地では裏山が幅20メートル、高さ3メートルにわたり崩れ、市は周辺の3世帯に避難指示を出した。
 土砂が自宅まで押し流されてきた主婦星てるさん(87)は「雷のような音がして目が覚めた。50年近く住んでいるがこんなことは初めて」と驚いていた。
 JR石巻駅北側の駅前北通り地区や南中里地区は一帯が水浸しになった。中心部の商店街では従業員らが店舗に流れ込んだ雨水をかき出す作業に追われた。幹線道路の石巻バイパスが一部通行止めとなり、市道の至る所で車が立ち往生。膝上まで水に漬かりながら歩く人の姿も見られた。
 集中豪雨が発生した時間帯、同市南中里1丁目のコンビニエンスストアに勤務中だった奥田隆広さん(44)は「午前2時ごろから4時ごろまで地面にたたきつけるように雨が降った。広島市の土砂災害が頭をよぎった」と振り返った。
 自宅が床下まで浸水した同市駅前北通り1丁目の主婦佐藤長子さん(79)は「気付いたら家の周囲が水浸しで、避難することもできなかった。1人暮らしなので怖かった。震災を思い出してしまった」と涙ぐんだ。
 JR石巻線などが始発から運転を見合わせ、駅前には早朝からバスを待つ人が列をつくった。
 石巻西高1年の佐藤若奈さん(16)は「いつも乗っている列車が運休で、2時間近く路線バスが来るのを待っている。何とか授業に遅れないようにしたい」と話した。


<大震災3年半>遺族ら慰霊塔に祈り・仙台
河北新報 9月11日(木)14時18分配信

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犠牲者に祈りをささげる早坂さん。雲間からの薄日が被災地を照らした=11日午前6時20分ごろ、仙台市若林区荒浜

 東日本大震災の発生から3年半となった11日午前、宮城県の沿岸部では、犠牲者の冥福を祈る人々の姿が見られた。
 約190人が津波で亡くなった仙台市若林区荒浜地区。海岸近くに建てられた慰霊塔に、遺族や元地区住民らが早朝から足を運んだ。
 地区内から内陸部に転居した無職早坂昇さん(74)は、慰霊塔の清掃を日課にする。「身近な人が何人も亡くなった。遺族や友人がいつ来てもいいようにしておきたい」。この日も周囲を掃き清め、花に水をやって静かに手を合わせた。津波で夫を亡くした女性(62)は「夫は単身赴任生活が長かった。定年を迎えてやっと楽しく暮らせるはずだったのに」と涙ぐんだ。
 県外から訪れる人もあった。山梨県韮崎市から出張中の自営業楠原光博さん(51)は「震災後初めて来た。家の土台が見えるだけの風景で、復興は進んでいないと感じた」と話した。


石巻など記録的大雨 1時間91ミリ
河北新報 9月11日(木)14時15分配信

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石巻市中心部は至る所で冠水し、立ち往生する車や水に漬かりながら歩く人の姿が見られた=11日午前8時50分ごろ、石巻市清水町1丁目

 東日本大震災の発生から3年半を迎えた宮城県石巻地域は11日未明から明け方にかけて、1時間に80ミリ以上の猛烈な雨に見舞われた。石巻市内は広範囲にわたって冠水し、市中心部で住宅の床上、床下浸水が相次いだ。同市井内地区では土砂崩れが発生し、住宅1棟が全壊状態。住民2人は無事だった。このほかにも土砂災害が起きている。

 仙台管区気象台によると、石巻では午前3時すぎまでの1時間で91.0ミリの観測史上最多雨量を記録。降り始めからの総雨量は157.5ミリとなり、平年の9月1カ月分の雨量を超えた。
 このほかの総雨量は石巻市雄勝が91.5ミリ、女川が81.0ミリなど。
 石巻市羽黒町では、高さ約3メートル、幅約20メートルにわたって斜面が崩れ、建物に土砂が流れ込んだ。市は午前6時50分、付近の民家3世帯に避難指示を出した。
 同市荻浜では、堀が増水しているとして近くの仮設住宅に住む被災者ら15人が自主避難。市は不動町、門脇、山手地区に避難準備情報を出し、6カ所に避難所を開設した。
 市内は国道398号など県管理の4カ所が通行止め。主要市道15路線も一時通行止めとなり、各所で渋滞が起きた。
 JR東日本仙台支社によると、石巻線の小牛田-浦宿間、気仙沼線の前谷地-柳津間、仙石線の陸前小野-石巻間は始発から運転を見合わせた。
 石巻、気仙沼両線は正午前に運転を再開したが、約1300人に影響が出た。仙石線は石巻市の陸前山下駅構内の線路が冠水し、運転再開は午後にずれ込んだ。
 県教委によると、石巻市の10小中学校が休校。高校は石巻など8校が休校した。
 東松島市矢本の航空自衛隊松島基地では、突風が発生し、プレハブ倉庫などが倒れた。
 気象台によると、局地的大雨の要因は、北海道の西の海上に動きの遅い低気圧があり、東北地方に湿った空気が流れ込んだほか、東北の上空5500メートルに氷点下15度以下の寒気が入り大気の状態が不安定になったため。
 宮城県内では、11日昼すぎから夕方にかけても非常に激しい雨が降る見込み。12日昼までに多いところでは80ミリの雨量が予想されている。


<大震災3年半>土砂災害の広島へ釜石からコーヒーの贈り物
毎日新聞 9月11日(木)13時49分配信

 東日本大震災から3年半を迎えた被災地で、広島市の土砂災害の被災者を支援する輪が広がっている。岩手県釜石市を拠点にキッチンカーを使った移動型のコーヒー店「ハピスコーヒー」を営む岩鼻伸介さん(36)が、8月末から広島へコーヒーを送る呼びかけを始めたところ、1週間で多くの寄付が集まった。阪神大震災(1995年)の被災地・神戸のNGOが仲介し、近く岩手から広島の被災地へコーヒーを届ける。

 2011年3月の震災当時、岩鼻さんは東京都内のIT関連会社に勤務していた。故郷の釜石市鵜住居(うのすまい)町の実家は津波で全壊した。東京と釜石を往復しながら、同年秋から仮設住宅を巡回し、被災者にコーヒーを振る舞うボランティアをした。その後、故郷に戻り、12年夏に「ハピスコーヒー」を始めた。

 今年8月末、広島の被災地支援を掲げ、アイスクリームにコーヒーなどをかける「アフォガート」を客が購入するごとに、ドリップバッグ1杯分のコーヒーが寄付される仕組みを始めた。1週間で約100杯分を超える賛同が集まった。募金箱を置くと9割以上の客が応じ、津波を経験した釜石市民が広島へ寄せる思いの強さを実感した。岩鼻さんは「人々が暮らしていた場所が災害で変わり果てる。その姿が釜石と重なり、人ごととは思えなかった。被災者の疲れも募る時期にコーヒーで心を癒やし、少しでも元気になってほしい」と話す。

 岩鼻さんは知人を介し、阪神大震災を機に国内外の災害被災地で活動する「被災地NGO恊働センター」(神戸市)と知り合った。センターは広島市の被災地でも活動しており、今後被災者にコーヒーを届ける予定だ。

 センターのスタッフで、広島で活動する頼政良太さん(26)は広島市安佐北区出身。実家は被害を免れたが、避難所に身を寄せた知人もいた。釜石での活動経験もある頼政さんは「土砂が片付いても被災地の復旧は続く。神戸や東北などを結びながら、経験や知恵を生かしたい」と言う。8月末に広島の被災現場で活動し、今は釜石にいる増島智子さん(43)は「三陸の被災地でも多くの市民が案じている」と語る。

 岩鼻さんは「東日本大震災の被災地は、広島からボランティアや警察官など多くの人たちが駆けつけたことを忘れていない。思いをつなげ、多くの賛同者の感謝や恩返しの気持ちをコーヒーに詰め込んで届けたい」と語った。【高尾具成】


<大震災3年半>あれから1280日…父の遺骨を納骨
毎日新聞 9月11日(木)12時49分配信

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父阿部武松さんの骨つぼを抱える高橋和美さん=宮城県東松島市で2014年9月11日、森田剛史撮影

 東日本大震災から3年半となる11日、宮城県石巻市の看護師、高橋和美さん(44)は、津波に流され行方不明だった父、阿部武松さん(当時76歳)の遺骨を、隣町の東松島市にある墓に納めた。震災から約3カ月後に遺体は見つかり、身元不明のまま荼毘(だび)に付されていた。県警により「グランディB421」として安置されていた遺骨が、DNA鑑定で武松さんと判明して家族の元に戻ったのは今月初め。「普通のことが普通にできて良かった」。震災から1280日たっての納骨だった。

 墓の前に午前10時、親族8人が集った。読経が始まると、普段は快活な高橋さんの子どもたちが泣き始めた。「戻ってきたから、泣かなくていいんだよ」。高橋さんは子どもたちを抱き寄せた。

 「おはよう」。あの日の朝、高橋さんが隣に住む武松さんに長女怜奈ちゃん(10)と長男直叶(なおと)君(8)を預けた際に交わした日課のあいさつが、武松さんとの最後の会話となった。

 残ったのは家の門柱の表札だけだった。遺体安置所を回ったが、武松さんは見つからなかった。「見つけてあげられなくてごめんね」。昨夏、実家の土を共に流されいまだに行方不明の母あさ子さん(当時72歳)の服と一緒に墓に納め、気持ちの区切りを付けた。

 今年5月、県警の身元不明・行方不明者捜査班から「歯型の鑑定などからほぼ身元が判明した」と連絡を受けた。2011年6月30日、約20キロ離れた同県七ケ浜町沖で見つかり、安置された県総合運動公園「グランディ・21」から名が付された遺体「グランディB421」だった。その後、武松さんの妹のDNA型との鑑定で武松さんと確認された。

 鑑定後、発見時の遺体の写真を見た。顔立ちが分かる状態ではなかったが、後ろ姿の写真に目が留まった。「お父さんだ」。漁師だった父の、毎日見ていた少し曲がった背中だった。

 震災1年後に県内で338体あった身元不明の遺体は、20体に減った。県警捜査1課の金野(こんの)芳弘検視官(60)は「身の回りの物が流され資料が乏しい中での身元確認は難しいが、何とか家族に返したい」と話す。岩手県では身元不明遺体は67体、福島県はない。

 高橋さんは「3年半はとても長かったけど、困難な作業を考えると短いのかもしれないし、感謝の言葉しかない。何年かかっても、行方の分からない最後の一人まで家に帰ってほしい」と望む。

 墓には骨と共に、「ずっとぬれていたから」と、生前に武松さんと毎日遊んだ孫たちが選んだ新しい服が納められた。【森田剛史】


被災3県、手掛かり求め集中捜索
2014年9月11日(木)12時11分配信 共同通信

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 行方不明者の手掛かりを求めるため、海岸での集中捜索で使用された地中レーダー=11日午前、岩手県釜石市

 東日本大震災から3年半を迎えた11日、津波で大きな被害に遭った岩手、宮城、福島の3県沿岸部では、各県警などが行方不明者の手掛かりを求めて集中捜索した。

 管内で581人が行方不明となっている岩手県警釜石署は、津波で大きな被害を受けた釜石市鵜住居地区の海岸を中心に署員ら約70人で実施。東北大が開発した深さ2メートルまで探索できる地中レーダーを使い、反応がある場所をスコップで掘り返すなどして手掛かりを捜した。

 宮城県気仙沼市本吉町中島の海岸では、気仙沼署などの署員計30人がスコップや熊手で地表を丁寧に掘り起こした。

 警察庁によると、3県では計2597人が不明。


岩手「奇跡の牛」と呼ばれる肉用牛 国産にこだわり、風評被害と闘う
産経新聞 9月11日(木)12時10分配信

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「安全でおいしい短角牛を多くの人に知ってもらいたい」と語る柿木敏由貴さん =岩手県久慈市山形町(写真:産経新聞)

 希少価値の高さから「奇跡の牛」と呼ばれる肉用牛がいる。

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となった岩手県久慈市の沿岸部から車で1時間ほどの山間部にある旧山形村(現・久慈市山形町)。東京ドーム10個分もの広大な牧場に足を踏み入れると、光沢のある赤茶毛の牛たちがぎょろりと目を向けた。

 「サラブレッドみたいというお客さんもいます」。「柿木(かきき)畜産」2代目の柿木敏由貴(としゆき)さん(41)は、この「短角牛(たんかくぎゅう)」を約250頭飼う。短角牛は旧南部藩時代に物資輸送で活躍した南部牛がルーツ。国産肉用牛の9割以上を占める黒毛和牛に対し、わずか1%程度と少ない。

 幼い頃から父の仕事を手伝い、短角牛とともに育った。父から「跡を継げ」と言われたことは、ない。バブル最盛期で就職先もあまたあった時代に跡を継いだのは、短角牛の飼い方に大きな魅力を感じたからだ。

 牛舎で育てる黒毛和牛に対し、短角牛は春から母子で放牧して母乳と無農薬の牧草で子牛を育て、冬前に牛舎に戻す。昔ながらの「夏山冬里」方式だ。飼料も、黒毛和牛は脂身の多い「霜降り」にするため穀物中心の濃厚飼料を飽食させるが、短角牛は自家栽培のトウモロコシや国産の粗飼料だけを使う。

 「家畜は人間の都合でその命を奪ってしまう存在なので、せめて生きている間だけは母子一緒に健康で幸せに過ごしてほしい」

 そんな思いで育ててきた短角牛は、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で危機的状況に陥る。

 ◆売り上げ4割減

 ニュースでは放射性物質のセシウムが農作物に影響を与える懸念が繰り返し報じられていた。「牛に影響が出ないはずがない…」。柿木さんら地元の生産者は予期される風評被害に先手を打った。行政に先駆け、民間業者に依頼して自主的に放射能測定を実施した。

 その後、県の測定でも暫定基準値を下回っていたことが確認されたが、平成23年7月に放射性セシウムを含む稲わらを与えられた岩手県産肉牛から基準値を超える放射性セシウムが検出され、全県で出荷停止に。ほどなく解除されたが、柿木さんらには特に強い風評被害が直撃した。

 品質と安全性確保のため、こだわり続けてきた国産飼料。BSE(牛海綿状脳症)問題では、そのこだわりが奏功し、「契約先の信頼回復がどこの牛よりも早く進んだ」(柿木さん)というが、今回は裏目に出たのだ。複数の重要な契約先から「契約解除」を宣告され、柿木畜産の売り上げは4割も落ちた。

 残った契約先からも「輸入飼料にした方が売りやすい」と飼料の切り替えを求める声が寄せられ、柿木さんらは迷った。だが「やはり本当に安全なのは国産。放射能への理解が深まれば、いずれ分かってくれるはず」とこだわりを継続していくことを決断した。

 ◆危機はチャンス

 月1980円払うと東北の食べ物とその生産者を特集した情報誌が届く。被災地で活動を続けるNPO法人が25年7月から発行する「東北食べる通信」に柿木さんの短角牛も登場した。復興を目指し、福島のコメで作る「空弁」のライスバーガーには、具材として提供した。震災以降はネット販売も始め、知名度アップにあらゆる手を尽くす。

 柿木さんが育てる短角牛は、引き締まった赤身が特徴で、かめばかむほど味わいが増す。牛肉の「赤身ブーム」にも乗り、新たに東京都内の6軒のレストランが販路先に加わった。

 売り上げは震災前の8割に戻したが、放射能を理由に離れた顧客は戻ってこない。「取り戻すのは容易ではない。短角牛にかける思いを理解してくれるお客さんを開拓するしかない」

 風評被害との戦いは続く。柿木さんは「そもそも震災前から東北の農畜産業は高齢化と過疎化でピンチだった」と指摘し、「復興支援という形で、多くのお客さんが短角牛の話を聞いてくれるようになったのは大きい」と最大の危機をチャンスととらえる。

 そして付け加えた。「チャンスは一度きりで商品に力がないと続かない。品質と安全性を高める努力を怠らず、このチャンスを生かしたい」(河合龍一)


震災支援恩返し 広島へ石巻・蛇田中生が募金
河北新報 9月11日(木)11時50分配信

 石巻市蛇田中(生徒620人)の生徒会役員が10日、広島市の土砂災害で被災した人たちを支援するため、学校近くのイオンモール石巻で募金活動を展開した。東日本大震災で各地から多くの支援を受けたことから企画した。
 2年生と3年生の役員12人が「募金に協力をお願いします」と呼び掛け、買い物客が次々に募金箱にお金を入れた。
 生徒会は8日に校内で募金を開始し、地域に活動を広げるため校外に出向いた。募金は石巻市社会福祉協議会を通して広島市に届けられる予定。
 生徒会長の仲上佳希君(15)は「震災で助けてもらった恩返しのつもりで取り組んでいる。多くの人が協力してくれて良かった」と話した。
 石巻市議会も10日、震災の被災自治体応援で職員を派遣している広島市に見舞金を贈った。議員30人が各1万円を出し、安倍太郎議長らが広島市からの派遣職員に目録を手渡した。


<大震災3年半>不要仮設を町営住宅に 南三陸町長が活用策
河北新報 9月11日(木)11時9分配信

 南三陸町の佐藤仁町長は10日、東日本大震災後の住宅難を軽減し定住を支援するため、不要になった仮設住宅を解体移築して町営住宅として活用する考えを示した。町議会9月定例会の一般質問に答えた。
 歌津伊里前地区の町有地に5戸の町営住宅を整備する。再利用するのは入居者減や地権者の要請で解体する町建設の仮設住宅で、十分な基礎工事を施して移築する。開会中の定例会に提出する補正予算案に工事費3400万円を盛り込んだ。
 震災後、同町では住宅が不足。被災者以外は仮設住宅や災害公営住宅に入居できず、円滑なIターンやUターンを阻む要因となっている。
 佐藤町長は防災集団移転事業で土地引き渡し後に地盤の強度で問題が生じた場合、町が補強する方針も示した。
 1平方メートル当たりの地耐力が3トンを下回った場合、町が詳しく調査し、圧密沈下量が10センチ以上の部分について補強する。これまでに1区画で工事を実施したという。
 また、防災集団移転事業では町内に整備する865区画のうち、8月末現在で56区画に空きがあることも明らかにした。


<福島第1原発事故>富士山麓キノコに被害 東電賠償請求へ
毎日新聞 9月11日(木)10時59分配信

 富士山麓(さんろく)の恩賜林を保護育成・管理している山梨県の鳴沢・富士河口湖恩賜県有財産保護組合(小林武組合長)が、野生のキノコが福島第1原発事故の影響で採れなくなり損害を受けたとして、今月中にも東京電力に200万~300万円の賠償請求を求めることが分かった。

 北麓地域の富士吉田市、富士河口湖町、鳴沢村の野生キノコから2012年10月、国の基準(1キロ当たり100ベクレル)を上回るセシウムが検出された。県は国の指示を受け、3市町村で採れた野生キノコの出荷を制限し、採取も自粛を求めた。この措置は現在も続いている。

 組合は、キノコ狩りの入山者が支払う「入山鑑札料」として一般2000円、組合員1000円を徴収している。毎年1500人前後が訪れていたが、出荷制限以降、鑑札の発行を中止している。

 このため、13年度に徴収予定だった鑑札料の賠償を東電に請求することを決め、今年3月、組合議会の承認を得た。12年度分は、セシウム検出時点でシーズンがほぼ終了していたため請求しない。

 組合は「収入がないことで、下草払いや間伐など林の管理にも影響が出ている」と訴えている。東電山梨支店は「状況を把握したうえで対応していきたい」と話している。【片平知宏、小田切敏雄、藤渕志保】


<大震災3年半>8店結束、再生の象徴に
河北新報 9月11日(木)10時46分配信

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荒浜漁港近くの災害危険区域内で開業する商店街の予定地に立つ残間理事長

波及効果を期待
 東日本大震災で傷ついた港町のにぎわい再生へ、被災8店舗が結束して立ち上がった。壊滅的な被害が出た宮城県亘理町の荒浜地区。地域の中心である荒浜漁港の向かいに、ことし12月にも「亘理町荒浜にぎわい回廊商店街」が開業する。
 業種は水産加工、居酒屋、インターネット通信などさまざま。商店街管理組合の残間祥夫理事長(54)は、サーフショップ「リアルサーフ」を営む。「被災して困難な状況だからこそ、みんなで協力することが必要だ」と意義を語る。
 荒浜地区は震災前、年間2万人がサーフィンに訪れ、町長杯も開かれるほどだった。25年前に開いた店は、サーファーの憩いと情報交換の場としてにぎわったという。だが、津波で店舗は全壊。敷地が町の復興計画用地に含まれたため、移設を決めた。
 海底に沈んだ震災がれきの撤去が進み、昨年6月に再びサーフィンを楽しめるようになった。残間理事長は「サーファーの食事や休憩の場として商店街全体に波及効果を生みたい」と意欲を示す。

日帰り入浴再開
 商店街は各店の外観を統一した上で、長さ37メートル、幅13メートルのメーンストリートの上部にアルミ製のアーケードを設置。飲食や各種イベント向けに開放する。整備には国の商店街型グループ化補助金を活用した。現在、空き区画の一般公募も検討している。
 地域内では10月4日、農水産物直売所などが入居する町水産センターがオープンするほか、町営温泉施設「わたり温泉鳥の海」も日帰り入浴を再開する。残間理事長は「商店街を荒浜のランドマークに育てたい」と相乗効果に期待を寄せる。

[メモ]亘理町荒浜にぎわい回廊商店街の建設予定地は築港通り沿いの約8500平方メートル。町が防災集団移転促進事業で取得した宅地を集約した商工観光ゾーンを活用し、公衆トイレや約80台分の駐車場も設ける。総事業費は2億2300万円。国の補助金に加え、災害危険区域内にある敷地の貸与、事業計画策定の助言など町の支援も受けている。


震災3年半 汚染水との闘い続く…福島第1、リスク抱えタンク貯蔵
産経新聞 9月11日(木)10時30分配信

 ■浄化はALPSが頼みの綱

 東京電力福島第1原発の汚染水問題の解決が見えない。最もリスクが高いのは、海側トレンチ(地下道)にたまった約1万1000トンの汚染水。建屋とトレンチの境目をふさぐ「氷の壁」の設置が目下の大きな課題だが、思った効果を上げていない。汚染水処理の切り札となる「多核種除去装置(ALPS(アルプス))」もトラブルが相次いでおり、年度内の浄化処理が達成困難な状況に追い込まれている。

 汚染水を生んでいるのは、山側から海側に流れている地下水。1日約400トンが原子炉建屋に入り込み、放射性物質に触れて汚染水となる。このため地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁」が抜本的対策だ。

 総延長約1.5キロの大規模な凍土壁は、世界にも例のない試みで、国費を使って政府も前面に立って進めている。6月に工事に着手し、9月4日時点で、進捗(しんちょく)率は1割に達した。

 しかしこの凍土壁の有効性に疑問が投げかけられたのが「氷の壁」。4月末に凍結を開始したものの3カ月以上たっても凍らず、1日27トンの氷や1トンのドライアイスを入れてもうまくいかなかった。結局氷の壁を見直し、止水材の投入を決めたが、見通しは立っていない。

 凍土壁は、氷の壁と同様に凍結管に冷媒を入れるという構造であるため、影響が出かねない。原子力規制委員会の検討会では、有識者から「氷の壁がうまくいかなければ、思い切って凍土壁も見直すことが必要」との意見が出ている。

 ほかに地下水の流入を減らす方策として、山側に掘った12本の井戸で、水をくみ上げて海へ放出する「地下水バイパス」の運用を5月から始めた。

 さらに「サブドレン」と呼ばれる設備を使って地下水をくみ上げ浄化した上で海に放出する計画があるが、原子炉建屋に近いため、放射性物質濃度に懸念があり、地元漁業者らの了解がまだ得られていない。

 現状では、汚染水をくみ上げて地上タンクにためる以外に方法はない。敷地内にはすでに約1000基のタンクがあり、放射性濃度が高い水が約30万トンたまっている。来年3月末までに約90万トン分のタンクを増設することを決めているが、高濃度の汚染水が大量に敷地内にそのまま存在していることは、地震や津波で漏洩(ろうえい)するなど大きなリスクがある。

 そこでアルプスを使って、タンクの汚染水を来年3月までに浄化しようと計画。ただアルプスは配管の腐食や放射性物質を除去するフィルターの故障など不具合が相次ぎ、本格稼働は今年4月の予定から大幅に遅れている。(原子力取材班)

 ■遅れる建屋カバー撤去

 福島第1原発の廃炉では、4号機燃料プールからの燃料取り出し作業が順調に進んでいる。しかし1号機建屋カバーの撤去は、放射性物質の飛散対策が不十分で着手できず、廃炉工程全体の遅れにつながる懸念が出ている。

 4号機の燃料取り出しは昨年11月に始まり、6月までに燃料1533体のうち、1188体を取り出した。クレーン点検のため作業を中断していたが、9月4日に取り出しを再開。当初計画通りに、12月には完了する予定だ。

 これに対し、3号機のがれき撤去で昨年夏、大量の放射性物質をまき散らしたため、1号機のがれき撤去に向けた建屋カバーの解体工事が進まない。6月の着手を予定していたが、東電は作業時に散水したり、防風シートを導入したりするなど飛散防止対策を示した上で、地元の了解を得られるよう努力している。

 一方で、1~3号機の原子炉で溶融した燃料(デブリ)がどういう状態かは依然として把握できていない。デブリの取り出しは、廃炉工程の中で最難関の作業で、早ければ今冬にも研究機関や企業が中心となって調査ロボットを投入し、撮影に挑む意向だ。


被災地の産業再生支援を=経団連会長に要請―竹下復興相
時事通信 9月11日(木)10時28分配信

 竹下亘復興相は11日、経団連の榊原定征会長ら幹部と都内で会談し、東日本大震災の被災地での産業復興に向けた支援を要請した。榊原会長は「人員派遣も含め、いろいろな形で支援していきたい」と応じた。
 竹下復興相は「復興が動き始めた地域では経済的な背景がなければ被災者の生活は成り立たない。経済界、産業界の力が必要だ」と強調。被災地の産業を軌道に乗せるため、企業の販路開拓や、生産者と企業との橋渡しへの協力を求めた。
 一方、経団連側からは、設備投資に対する一層の税制優遇など企業進出を促進するための新たな対策の実施や、風評被害対策の徹底への要請が出された。 


津波訴訟審理 「予見可能性」めぐり対立
河北新報 9月11日(木)9時48分配信

 東日本大震災の津波による犠牲者の遺族らが地方自治体や企業などに損害賠償を求めた訴訟が仙台高裁と仙台、盛岡両地裁で審理されている。震災発生から11日で3年半。既に和解が成立したケースもあるが、多くは津波到達を予測できたかという「予見可能性」などをめぐり、双方の主張が対立している。

 両地裁に提起された主な訴訟は表の通り。少なくとも15件に上り、3件は地裁判決を経て原告や被告が控訴し、高裁で審理中。6件は両地裁で審理が進む。3件で和解し、1件は調停が成立。今月に入って2件の提訴があった。
 児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市大川小の津波災害では、児童23人の19遺族がことし3月、市と宮城県に23億円の賠償を請求した。事前対策と震災直後の対応について、同小へ津波が及ぶ認識が教職員にあったかどうかが仙台地裁で審理されている。
 訴訟の争点は予見可能性の有無が大半を占めるが、先行訴訟では地裁の結論が異なる。
 送迎バスで亡くなった私立日和幼稚園(石巻市、休園中)の園児4人の遺族が園などに計約2億6700万円の賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は2013年9月、請求を認容。「バスを高台の園から海側へ出発させたことが被災を招いた」と指摘し「情報収集を尽くしていれば津波の危険性を予測できた」と認定した。
 一方、七十七銀行女川支店(宮城県女川町)屋上に避難し、死亡・行方不明となった行員ら3人の家族が銀行に計約2億3000万円の賠償を求めた訴訟で、仙台地裁はことし2月に請求を棄却した。「支店は津波避難ビルの適格性があり、支店長が屋上を越える巨大津波が押し寄せると予見するのは客観的に困難だ」と判断した。
 盛岡地裁では陸前高田市で妻=当時(59)=が避難中に死亡したのは気象庁の予想が過小だったためだと、夫(63)が国と市に6000万円の賠償を求めた訴訟などが提起されている。福島地裁では福島第1原発事故に伴う訴訟が審理されている。


<大震災3年半>仮設、明かり今も・仙台
河北新報 9月11日(木)9時41分配信

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仙台市太白区のあすと長町仮設団地

 夕闇迫るプレハブ住宅に、ぽつりぽつりと明かりがともる。仙台市太白区のあすと長町仮設団地。東日本大震災で被災した183世帯、332人が身を寄せ合う。
 入居が始まったのは2011年5月。住民には宮城県内のほか岩手、福島出身者もいる。一時は全233戸がほぼ埋まっていたが、現在の入居率は8割を切っている。
 団地の近くでは、仙台市による災害公営住宅の建設が進む。市は「工事が完了する来年4月以降、仮設からの転出が本格化するだろう」と話す。


<大震災3年半>24万人避難生活続く
河北新報 9月11日(木)9時33分配信

 東日本大震災は、11日で発生から3年半となる。避難先で暮らす被災者は、岩手、宮城、福島3県を中心に全国24万5622人に上る。この1年で4万4000人近く減ったものの、福島第1原発事故の長期化や、沿岸部での土地造成の遅れが住宅再建を妨げている。
 全国の避難者数の推移はグラフの通り。2012年6月以降は緩やかに減少を続ける。都道府県別では福島県が12万7377人と、全体の半数以上を占めている。
 復興庁によると、東北に暮らす避難者は計19万6434人。県別では青森604人、岩手3万2089人、宮城7万8800人、秋田1028人、山形4913人、福島7万9000人。東北以外では東京の7696人が最も多い。
 震災時の居住地から他の都道府県に広域避難しているケースは、福島が4万7149人。宮城、岩手はそれぞれ6974人、1513人となっている。
 避難が長引く背景にあるのは、原発事故と津波被害の深刻さだ。福島では廃炉作業のトラブルや除染の遅れで、住民帰還の見通しが立たない状態が続く。
 沿岸部の住宅再建には、高台移転や大規模な土地のかさ上げが伴う。用地取得の難航などで災害公営住宅の整備も大幅に遅れており、避難者の多くは仮設住宅などでの生活を強いられている。
 今月3日に就任した竹下亘復興相は「再建のつち音は響き始めているが、道のりは遠い。被災者に寄り添い、復興を加速させなければならない」と話した。


被災地で被害届3回…さい銭箱、再設置断念
河北新報 9月11日(木)8時50分配信

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修理したさい銭箱と池ノ谷さん

 東日本大震災で被災した岩手県大槌町旧役場庁舎の献花台に設置され、窃盗被害が相次いださい銭箱について、管理する住民有志の「献花台を見守る会」は10日、さい銭箱を今後置かないことを明らかにした。
 さい銭箱は献花台の維持管理に充てる目的で置かれたが、町は「金銭を募る行為を町有地で行うことに違和感がある」と指摘。防犯上の課題もあって設置しないよう要請し、会が了承した。
 町は2013年7月の設置当初、多くの善意に配慮して旧役場敷地の使用を口頭で許可。正式に許可しないまま事実上、黙認してきた。
 町総務部は「6月以降、窃盗の被害届を3回出す事態になり、黙認できなくなった。町として震災犠牲者の慰霊の場を整備できていない中、多くの善意で設けていただいたことには感謝する」と説明する。
 町は近く、会と無償で町有地の使用を認める契約を交わし、献花台と8月に安置された地蔵像の設置は正式に一定期間認める方針。見守る会は、さい銭箱などを寄贈した秋田県五城目町の関係者の理解も得たという。
 町内の海岸で壊されて見つかったさい銭箱は修理を終え、震災3年半の11日に再び設置する予定だった。会の池ノ谷伸吾さんは「町の事情を理解し決断した。これまでの善意に感謝し、今後の維持管理費は口座で募るなど検討したい」と話す。


震災3年半 除染進まず、帰れぬ故郷…高齢者の独居増える仮設
産経新聞 9月11日(木)8時5分配信

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国直轄の除染特別地域と宅地の除染完了率(写真:産経新聞)

 福島県大熊町小入野(こいりの)地区の自宅は、同居する義母(88)が植えた色とりどりの花に囲まれ、家族の笑い声が絶えなかった。周囲には先祖から受け継いだ田畑や山林があり、ずっと守り続けてきた墓もあった。ここに、除染で出た廃棄物を保管する中間貯蔵施設ができる。悔しさ、悲しみ…。会津若松市の仮設住宅に身を寄せる根本充春(みつはる)さん(74)は、思い出が詰まる故郷が廃棄物で埋め尽くされるのを思い浮かべ、さまざまな感情を抱く。

 ただ、県が8月末に表明した施設の受け入れは冷静に受け止めた。自宅は屋根の一部が抜け落ち、雨水にさらされて無残な姿に。とても帰れる状況にはないからだ。8月3日に一時帰宅した際に放射線量を計測すると毎時18マイクロシーベルト。東日本大震災から3年半を迎える今も、国が避難指示解除の最低条件とする年間20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)を大幅に上回っている。

 ■「老いたのに、子に従えぬ」 仮設に残る高齢者

 小入野地区の43戸すべてが中間貯蔵施設の建設予定地内にある。「みんな口に出さないまでも、帰れないことは分かっていた。もっと早く答えを出してほしかった」。根本充春さんは深いため息をつく。

 地権者として、国から施設建設の合意を求められれば受けようと考えている。完全に納得できたわけではないが、「もどかしい生活が終わるスタートに、ようやく立てる」。

 一緒に暮らしていた長男(46)は帰還への思いを断ち切り、ひと足先に「帰らない」選択をした。福島県いわき市に土地を購入して、自宅を建てた。根本さんも、長男宅の近くに居を構える考えだ。

 「落ち着いた先で死にたいという義母の願いをかなえたい」。自らに言い聞かせるようにうなずいた。

 浪江町の住民が避難を続ける二本松市の安達運動場仮設住宅で今月6日、震度5強の揺れが襲ったとの想定で避難訓練が行われた。スピーカーで自治会関係者が避難を呼びかけると、住民が次々と集会場近くの空きスペースに姿を見せた。

 目立つのは年老いた人たちだ。この仮設住宅には当初530人超が暮らしていたが、今では約300人に減った。ただ、空き家は最大約245戸のうち20軒ほどと目立たない。若い世帯が引っ越し、高齢者の独居が増えたからだという。

 一家全員で暮らしていた高齢者が、故郷に帰る望みをつなぎたいと1人で残ったケースが少なくない。60代の女性は「一丸だったように見えた家族も結局、場所が変われば人も変わる。老いたのに、子に従えない」と肩を落とした。

 環境省によると、浪江町の除染完了率(宅地)はわずか3%。震災から3年半を迎えても、帰還のめどは立たない。この仮設住宅の自治会長を3月まで務めた本田昇さん(62)も、もどかしい日々を過ごす。

 震災前の平成22年末に妻(57)の実家がある浪江町に越してきた。高齢の義母(87)のため、バリアフリーの自宅を実家近くに建てた直後に、震災に襲われた。津波で新居は跡形もなくなり、近くに住む親類も全員失った。

 「海の真ん前で、のんびり第二の人生を歩もうとしていたところだった。こんなはずじゃなかった…」

 本田さんを何より苦しめたのが、浪江に足を踏み入れることさえままならない現実だった。親類も満足に供養できない。妻は、風が親類らの泣き声に聞こえると涙したこともあった。

 町は29年の住民帰還開始という目標を掲げるが、除染がほぼ手つかずの状態に不安は募る。それでも帰りたい。「いいかげん、帰れるめどだけでも示してくれないと、心が折れてしまう」

 帰還できたとしても不安は尽きない。川内村は10月1日から村民の約1割にあたる139世帯の避難指示が解除される。だが、8月17日の住民説明会で先延ばしを求める声が相次いだ。

 村は林業が盛んだが、農地に対し山林は除染の対象外。帰還を選択する毛戸(もうど)地区の林業、大和田亥三郎(いさぶろう)さん(79)は「山の仕事はできない」と漏らす。

 放射能への心配が尽きない上、村には病院や大型商業施設、高校もない。周囲の町が同じように帰還できて環境が整備されなければ生活がままならない。

 避難指示解除で1年後に賠償金が打ち切られることに不安を抱く人も多い。

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難者は9日現在で12万7377人。一向に見通せない未来に、それぞれが悩み続けている。


1次産業の回復、被災3県で差 原発事故影響 福島は低水準
産経新聞 9月11日(木)7時55分配信

 東日本大震災で甚大な被害を受けた被災3県の1次産業。今も影響は残り、回復状況は地域や分野で差が出ている。特に、福島県は東京電力福島第1原発事故の影響で、回復の度合いは低水準にとどまっている。

 東北は短角牛や前沢牛(岩手)、仙台牛(宮城)などのブランド牛が有名だが、東京市場での牛枝肉の卸売価格は震災後、3県とも下落。平成23年後半から回復傾向で推移し始めたが、福島県は風評被害に苦しんでおり、全国平均よりも低い水準が続いている。

 稲の作付面積は、沿岸部に水田の少ない岩手県はほとんど影響はなかったが、宮城、福島両県は震災後に減少。宮城県は震災前の水準に戻りつつあるが、福島県は再開できない地域が多く、立て直せない状況だ。

 漁業は津波被害を受けて各県の漁獲量は大幅に減少した。ただ、22年と25年の漁獲量を比べると、岩手と宮城の両県は8割前後まで持ち直した。福島県は海域や魚種を限定した上で、一部の漁業者が操業をしているにすぎない。25年は22年の57%にとどまっており、他県との復興の差が顕著に表れている。


規制委、川内原発に合格証 官房長官「再稼働進める」
産経新聞 9月11日(木)7時55分配信

 原子力規制委員会は10日の定例会で、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の事実上の合格証となる「審査書」を正式決定し、九電に施設の変更などを認める許可証を交付した。新規制基準の適合を認める原発は初めて。規制委は今後、機器などの設計内容を記した「工事計画認可」と、運転管理体制を確認する「保安規定変更認可」の審査に移る。地元説明会を経て地元の了解を得る必要があり、再稼働は早くても今冬になる見通し。

 規制委の田中俊一委員長は同日午後の定例会見で「運転に当たり求めてきたレベルの安全性が確保されることを確認した」と述べた。菅義偉(すが・よしひで)官房長官も会見で「エネルギー基本計画に基づき川内原発の再稼働を進める。立地自治体関係者の理解と協力を得るように取り組む」と話した。

 九電は昨年7月に審査を申請し規制委は今年3月、新基準の重要な課題を最初にクリアした川内原発の審査を優先的に進める原発に指定。7月に審査書案をまとめ30日間の意見公募(パブリックコメント)にかけていた。意見は1万7819件集まったが、審査書案の結論部分に大きな変更を加えるものはなかった。

 審査書は、想定される最大の地震や津波への対策が基準を満たしていることを記載し、重大事故に対する機器や設備の性能なども確認。周辺には火山の痕跡があるが、影響は「十分小さい」とする九電の評価を「妥当」と判断した。


川内原発に合格証 火山対策、避難計画に課題
産経新聞 9月11日(木)7時55分配信

 九州電力川内(せんだい)原発の“合格証”が10日、交付され、再稼働に向け大きな弾みとなる。だが、火山の巨大噴火の備えに対しては、有識者から疑問の声が上がっている。さらに、地元にとっては深刻な事故が起きた際の避難計画の整備に不安が募っており、国の支援体制の充実を要求。安全性に加え事故対応をどうするか、再稼働に向け地元は、難しい課題も抱えている。(原子力取材班)

 川内原発の半径160キロ圏内には、過去に巨大噴火した5カ所のカルデラ(大きなくぼ地)があり、全国の原発の中でも最も巨大噴火に襲われる危険性が高いとされる。

 原発の火山対策はこれまで事業者任せにしており、「国レベルの体制をつくるべきだ」(東京大の中田節也教授)などの批判的な声が出ていた。原子力規制委員会は今月2日、原発周辺にある火山の巨大噴火に備えるための「基本的な考え方案」を公表。「判断は規制委が責任を持って行う」と踏み込んだ。

 ただ巨大噴火は1万年に1回程度とされており、規制委の田中俊一委員長は「原発の稼働期間中には起こらないだろうが、モニタリングをしっかりする」と強調している。

 一方で、事故が起きたときに周辺住民がどのように安全に避難できるのか、国はこれまで計画の策定を地元に丸投げしてきた。原子力災害対策特別措置法などで「自治体の事務」とされているからだが、ノウハウに乏しい地元は「もっと国が関与すべきだ」と指摘してきた。

 国は今月8日、こうした地元の声に押される形で、内閣府の原子力防災専門官や経済産業省の職員ら計6人を鹿児島県に派遣。再稼働に向けた地元了解を得るために関与を強めた格好だ。

 地元の悩みは、避難が複数の自治体にまたがるために、避難ルートや避難所の確保の調整に難航してきたことにあり、地元は国の手腕に期待している。

 地元の不安を解消できれば、地元の了解を得られ再稼働へと結びつく。鹿児島県の伊藤祐一郎知事は来月9日から審査結果の説明会を開催すると表明した。


次の認可審査は「5万ページ」 九州電力
産経新聞 9月11日(木)7時55分配信

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原発再稼働までの流れ(写真:産経新聞)

 再稼働の“合格証”の交付を受け、九州電力は立地自治体の鹿児島県や薩摩川内市などに再稼働の了解を得る手続きに入る。規制委も地元自治体の要請に応じて、安全性に関する説明会を開くとともに、川内をひな型にして、他原発の審査を加速化させる。

 規制委の審査は今回で終わりでなく、対策工事の設計内容を記した「工事計画認可」の審査に移る。申請当時に約9千ページだった申請書類は現在、大幅な補正中で、九電は「4万から5万ページに膨れ上がる」とみて、今月末までの提出を目指す。さらに運転管理体制を確認する「保安規定変更認可」の審査もあるが、こちらの申請書類は当初の100ページから1千ページに増える。

 続いて現地での使用前検査とともに、規制委は審査書に関する地元説明会を開く。鹿児島県は当初、説明会を薩摩川内市と隣接するいちき串木野市だけを想定していたが、30キロ圏内に入る自治体の要望を受け、5市町に増やした。

 川内に続く再稼働の2番手争いは審査の停滞が響いて混沌としており、関西電力高浜原発3、4号機(福井県)や九州電力玄海原発3、4号機(佐賀県)が優位だが、まだ審査書案の作成に入れる段階ではない。


<大震災3年半>酒に頼らない 富岡から避難、不安と闘う
毎日新聞 9月11日(木)7時45分配信

 「気持ちが揺らいだら、また酒に走ってしまうんじゃないか」。東京電力福島第1原発事故後の避難生活中にアルコール依存症になった福島県郡山市の福田利勝さん(56)は、事故から3年半がたった今、再び依存してしまう不安と闘っている。同県富岡町の古里は同原発から約7キロで、居住制限区域に指定されている。戻るめども、今後の生活も見えてこないからだ。

 福田さんは富岡町の自宅で両親と妹家族の計7人で暮らしていた。バス会社に勤めながら、両親の農作業を手伝う毎日。自分たちで収穫した米や野菜が食卓に並び、「平凡だけど笑顔に包まれた」生活だった。

 それが、2011年3月11日の東日本大震災発生で一変した。原発の異変を恐れ、翌12日の午前中には同県いわき市内まで避難。間もなく、原発の水素爆発を知った。「もう終わりだ」。全身から力が抜けていった。

 県内の避難先を転々とした。父清さん(当時80歳)は心臓病を患い、ペースメーカーをつけていた。「自分の仕事や家族の将来はどうなる。おやじの体調は大丈夫だろうか」。なかなか眠れず、寝酒として缶ビールを飲むようになった。悩みはどんどん膨らみ、手にするビールが2本、3本と増えた。気付けば家族に隠れて車の中で、ビールやウイスキーをあおるようになっていた。

 清さんは毎日のように「(富岡へ)帰りたい」とつぶやいていた。入退院を繰り返して12年1月に肺炎で亡くなり、震災関連死と認定された。

 数日後の葬儀の場で福田さんは倒れて病院に運ばれ、その後、アルコール依存症と診断された。「酒を飲んでいる場合じゃない」。自分を?咤(しった)した。県内の専門外来で3カ月間の断酒プログラムに取り組んだ。以来、酒は飲んでいない。だが、依存症に完治はないといい、今も体質を変えるための薬のほか、眠れないときのための睡眠薬が手放せない。

 現在、福田さんは母の洋子さん(82)と2人で郡山市にある賃貸住宅で暮らす。手狭なため、妹家族とは別居せざるを得なかった。仕事も探しているが、見つからない。どうしても「原発事故さえなければ」と考えてしまう。眠れなくなる不安は消せないが、「一口でも酒を飲んだら、取り返しがつかない」と自身に言い聞かせている。【田ノ上達也】

 ◇患者の重症化顕著 アルコール依存、継続摂取が原因

 福島県郡山市にあるアルコール依存の専門外来「大島クリニック」によると、震災直後に診察した患者に比べ、最近訪れる患者は肝硬変や認知症などに重症化しているケースが目立つという。避難生活が長くなる中で、継続的にアルコールを摂取していることが原因と考えられ、大島直和理事長は「このままではアルコールの問題で亡くなる人が出てくるのでは」と危機感を募らせる。

 先の見えない将来への不安や仮設住宅での生活ストレスなど、避難生活では飲酒へつながるさまざまな要因がそろっている。1995年の阪神大震災後に孤独死の調査をした神戸大大学院の上野易弘(やすひろ)教授(法医学)によると、震災発生から4年半の間に兵庫県内の仮設住宅では男性47人が肝疾患で孤独死した。うち少なくとも7割は飲酒が主因とみられ、ほとんどが肝硬変だったという。

 福島県では、福島第1原発事故による避難生活の長期化が予想されるが「症状を認めたがらない人が多いうえ、初期段階は周囲も気付きにくいことなどから、支援対象の把握は困難」(県)といい、詳しい実態が分からないのが現状だ。

 だが、問題を重視した県は今年度、避難者支援などに取り組む民間団体「ふくしま心のケアセンター」に委託して、医療や福祉関係者らを対象にアルコール依存の研修会を始めた。担当者は「アルコール問題への対応力をつけた人材を育て、依存に苦しむ人々の早期発見や支援が届くようにしていきたい」と話す。【田ノ上達也】


<大震災3年半>進まぬ住宅再建 用地確保遅れ
毎日新聞 9月11日(木)7時31分配信

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東日本大震災の現状

 東日本大震災から11日で3年半を迎えるにあたり、毎日新聞は特に大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県の42市町村長にアンケートを実施した。「復興で遅れているものは何か」(三つ以内選択)を尋ねたところ、半数近い19人が「住まい」と回答した。4月に成立した改正復興特区法による土地収用手続きの緩和で、被災地の用地確保も徐々に動き始めているが、依然、生活の根幹である住宅の再建の加速化が課題になっている。

 ◇42市町村長調査

 調査は8月、岩手12、宮城15、福島15の自治体に書面で実施した。

 岩手県では、県と市町村が5946戸の災害公営住宅(復興住宅)を整備する予定だが、7月末現在で工事が終了したのは12.7%の754戸。用地確保や他事業との調整で住宅建設が滞り、整備計画の見直しが相次いでいる。現在ある仮設住宅の入居率が86・1%と高い陸前高田市は「大規模な区画整理事業を行うため、整地に時間がかかっている」と説明する。

 宮城県は2015年度末までに県内の復興住宅1万5561戸の完成を見込んでいたが、約4分の1の約3800戸が1~2年程度遅れる見通し。福島県も8月、15年度中を予定していた約1600戸の完成が1~9カ月先延ばしとなる見通しを発表した。岩手、宮城両県は、沿岸部の市町村を中心に仮設住宅の入居期限の延長で、当面対応していくことにしている。

 「復興遅れ」の回答では「住まい」に続き、「道路や鉄道」16人、「防潮堤」15人が多かった。いずれも用地取得や住民の合意形成の難しさなどが、遅れにつながっている。

 また、土地収用の迅速化を目指した改正復興特区法について評価を聞いたところ、7割超の31人が「ある程度評価する」と回答した。「難航している住宅団地の早期整備につながる」(岩手県大槌町)などと期待する。

 復興庁によると、8月14日現在、約24万6000人が全国で避難生活を送っている。復興住宅は2万9055戸を建設予定で、完成は14年度で37%、15年度で68%、16年度で83%を見込んでいる。【まとめ・山本浩資、一條優太】


原発「制御できず」に外務省抗議
2014年9月11日(木)2時0分配信 共同通信

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 水素爆発後の福島第1原発3号機の原子炉建屋=2011年3月14日(東京電力提供)

 2011年の東日本大震災の直後、日本に派遣された国連チームが作成した報告書で、東京電力福島第1原発の事故を「コントロール(制御)できていない」と記述したことに対し、外務省側が「表現が強すぎるのではないか」と非公式に抗議していたことが10日、分かった。複数の関係者が明らかにした。

 当時は原子炉の冷却が十分できず水素爆発が相次いでおり、1~3号機で炉心溶融が起きたことが今では分かっている。抗議は、事故を過小評価していた政府の姿勢の表れといえる。

 国連災害評価調整が派遣したチームは、11年3月16日付の報告書で、危機が「制御できていない」と指摘した。

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