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2014年1月13日 (月)

宮城沖地震に関するニュース・1508,2014年1月13日

引き続き、2011年3月11日に発生した、東北関東大震災に関するニュース記事を伝達します。

今後も引き続き、随時追加します。

リンク:10万トン運んだ「がれき専用列車」運行終了 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:「僕らの元は飯舘にある」村の風習を学び、再開した同窓会 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:がれき専用列車、運行終了=岩手、宮城の処理にめど―福島は作業に遅れも - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:<東日本大震災>両親亡くした遺児ら5人 ミュージカル出演 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災がれきの最終列車が東京到着 - 速報:@niftyニュース.
リンク:福島新成人アンケート 「復興」へ強い意志も地元回帰、不安高まる - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:震災3年 福島市在住の詩人・和合亮一さん「二十歳の思いは人生の原点」 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:福島の新成人100人アンケート 「将来戻りたい」は3割 - 速報:Yahoo!ニュース.
リンク:避難指示、4月解除へ言及=旧警戒区域で初―政府側、住民が会合―福島・田村 - 速報:Yahoo!ニュース.

以下、参考のために同記事を引用

10万トン運んだ「がれき専用列車」運行終了
読売新聞 1月13日(月)21時15分配信

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運行を終了する「災害廃棄物輸送専用列車」からがれきの入ったコンテナがトラックに積み替えられる(13日、東京都品川区で)=沼田光太郎撮影

 東日本大震災で発生したがれきを岩手、宮城の両県から東京都などに運び続けてきたJR貨物の専用列車が13日午前、運行を終えた。

 2012年9月の第1便以降、運んだがれきは計約10万6000トンに上った。

 専用列車は20両編成で週5、6日運行し、一度に最大400トンを運んだ。震災から間もなく3年で、がれきが減ってきたため、今後は一般の貨物列車で運ぶことになった。

 この日、専用列車は岩手県釜石市のがれき約350トンを東京都品川区の東京貨物ターミナル駅に運び込み、最後の仕事を終えた。JR貨物の小栗信輔環境事業部長は「今後も災害時には復興に協力していきたい」と話した。


「僕らの元は飯舘にある」村の風習を学び、再開した同窓会
産経新聞 1月13日(月)16時0分配信

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たくさんの人が集まった同窓会、結婚したり、事業を始めたり、さまざまな想いを共有することができた=福島市(写真:産経新聞)

 1月2日、福島市のホテルで福島県飯舘中学校の卒業生の同窓会が開かれた。昨年初めごろから準備をしていた念願の同窓会だ。成人式以来となる集まりだ。

 飯舘村では、女性の厄年の33歳と男性の厄年の42歳の前の年に厄払いを兼ねた同窓会を開くのが慣習になっていた。誰が開くなどは決まっておらず、時期が来れば誰からともなく開催の準備を始める。女性の厄年のときは男性が、男性の厄年のときは女性が仕切っておもてなしをするというのも村の風習だったという。

 東京電力福島第1原発事故後はその風習を続けることすら難しくなった。同窓会で人を集めようにも避難しており、連絡をとるのも集まるのも難しくなった。なにより、飯舘村の神社でお参りした後、飯舘村の宿泊施設で同窓会をするという流れは不可能になった。

 今回も友人たちとともに昨年初めごろから準備をしていたが、やはり連絡を取ることに難航した。1度目に卒業アルバムの最後のページに書いてある飯舘村の住所に手紙を出したところ、半分以上が「避難先が不明のため転送ができません」と戻ってきた。

 幸いなことにメールやfacebookなど、手紙以外で連絡を取れる手段も多かったため、連絡を取れる人が増えるたびに輪が広がっていった。

 なんとか協力し合い、127人中ほとんどの人と連絡を取ることができた。

 厄年のおはらいもしてもらうことになった。正月の忙しい中、綿津見神社の多田宮司がホテルまで来てくれるということで、女性約20人がおはらいを受けた。

 多田宮司はおはらいが終わった後、話を聞かせてくれた。

 「飯舘村では、厄年のときに出産するときはいったん人に預けたりすることもありました。人に預けることで厄を落としてもらったりする風習があったんです。また、赤いものを身につけると魔よけにもなるといいます」と村の風習について説明してくれた。

 多田宮司は「いまは飯舘村とは離れていますが、みなさんの心の中にある飯舘村を大切にしてください」と締めくくった。

 飯舘村では、42歳の男性の厄年のときに厄流しとして、「厄を流す」という意味を込めた船を作り、神社から地元までの道を練り歩く。途中途中に回る家では、酒を振る舞ったり、流すという意味を込めたせっけんなどを贈ったりするという。

 子供のころにそうした行事が行われていたことを思い出した。いつか自分もやるものだと思っていたが、こういった形での開催になるとは思わなかった。多田宮司から話を聞き、お札をもらってから、毎年毎年飯舘村で行われてきた行事ができたことのうれしさがこみ上げてきた。飯舘村の中学生たちが村の伝統芸能を語り継いでいこうと練習しているのと同じく自分たちにもできることがあると思わせてくれた。

 同窓会には約60人が集まった。記念写真を撮影し、飲んで、食べて、笑って話に花が咲いた。開催前は久々に集まるため、心配をしていた部分はあったがすべて吹き飛んだ。同級生が集まれば、子供時代の話や今の話、震災後の話など自然と話は尽きなかった。

 乾杯のあいさつをした林聡さんは「僕らの元は飯舘にある。離れていてもこうやってたまに集まったりして飯舘村の人間だという気持ちを持っていこう」と話した。多田宮司も同じことを話していた。

 離れていても飯舘村を忘れることも思いが変わることはなかった。避難という状況は変わっていないが、そうした状況でも60人もの人が村の仲間に会おうと正月早々集まってくれた。

 宴は夜遅くまで続いた。「また開こう」「また会おう」。再開を誓う声が後を絶たなかった。(大渡美咲)


がれき専用列車、運行終了=岩手、宮城の処理にめど―福島は作業に遅れも
時事通信 1月13日(月)14時58分配信

 東日本大震災で発生したがれきなどを被災地から運び出していた専用列車が13日、がれきの減少に伴い、運行を終えた。震災発生から間もなく3年。岩手、宮城両県はがれき処理を終えつつあるが、東京電力福島第1原発事故の影響が強い福島県では当面続く見通しだ。
 岩手県陸前高田市と釜石市のがれきを積んだ21両編成の最終列車は13日午前、東京都品川区の貨物ターミナルに到着。「がんばろう! 東北」と書かれた白い専用コンテナが、トラックに積み替えられた。 


<東日本大震災>両親亡くした遺児ら5人 ミュージカル出演
毎日新聞 1月13日(月)14時22分配信

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力強い歌声を響かせた(前列右から)新沼朱莉さん、熊谷海音さん、新沼美尭さん、檀美知生さん(左端)ら=兵庫県西宮市で2014年1月12日午後4時20分、宮武祐希撮影

 ◇歌声、笑顔で「元気だよ」

 東日本大震災で両親を亡くした岩手県陸前高田市の遺児ら5人が12日、兵庫県西宮市でミュージカルに出演した。阪神と東日本の震災被災者を励ますコンサートを続けてきた元中学教諭が企画し、遺児らは力強い歌声で成長ぶりを披露した。「私たち元気だよ」。寄り添ってくれた元教諭ら多くの人への感謝を込め、そんなメッセージを会場に届けた。

 5人は、両親と姉、祖母を亡くした熊谷海音(かのん)さん(10)▽両親と祖父母、曽祖母を亡くした双子の新沼朱莉(あかり)さん(9)、美尭(みのり)さん▽新沼さんのいとこ2人。

 元中学教諭の村嶋由紀子さん(66)=兵庫県芦屋市=は阪神大震災後、夫で声楽家の檀美知生さん(66)と共に毎年、関西で支援コンサートを開いてきた。東日本大震災後には東北でも開催し、その会場で「天国の家族に聞かせたいので歌わせて」と訴えた熊谷さんらと出会った。一緒に舞台で歌うようになり、熊谷さんは明るさを取り戻し始めた。

 今回演じたミュージカルは、村嶋さんオリジナルの「奇跡の街」。災害で全てを失った街の記憶を、大人と子どもが一緒に伝えていこうと誓う物語だ。昨年7月の岩手県での初練習で村嶋さんは、阪神大震災で母を亡くし、今は2児の父となった教え子の手紙を紹介した。がれきの下敷きになった母との最期の会話がつづられ、「前を向いて歩いていけば、人生はきっと良くなる」と書かれていた。熊谷さんがつぶやいた。「私たちにも経験が伝えられるかな」

 この日、5人はコミカルな演技と美しいハーモニーを披露、会場の笑いを誘い拍手を浴びた。終演後は舞台上で村嶋さん夫婦に予告なしに花束を手渡し、「本当にありがとうございました」と声を合わせた。

 公演後、熊谷さんは「楽しかった。感謝の気持ちは伝え切れた」。新沼美尭さんは「『私たち元気だよ』と伝えられた」と笑った。客席で見守った熊谷さんの祖母隆子さん(71)は「感動と感激と感謝で胸がいっぱいです」と涙ぐんだ。村嶋さんは「子どもたちの自信になったと思う。これからも寄り添っていきたい」と話している。【藤顕一郎】


震災がれきの最終列車が東京到着
2014年1月13日(月)12時9分配信 共同通信

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 東日本大震災のがれきを積んで到着した最終の貨物列車=13日午前、東京都品川区

 東日本大震災で発生したがれきの処理で、東京都が岩手、宮城両県から鉄路を使って受け入れてきた最終の専用貨物列車がJR貨物の東京貨物ターミナル駅(品川区)に到着し、がれきを積んだコンテナが13日、トラックに移し替えられた。

 最終列車を迎えた式典も開かれ、東京都環境局の池田裕治・埋立調整担当課長は「専用列車の運行はきょうまでだが、震災の災害廃棄物の運搬が終わったわけではない。都は最後まで廃棄物の受け入れ処理をしていく」と述べた。

 がれきは2012年9月から週5~6日、列車1本当たり最大400トン運ばれてきた。総量は約10万6千トンだった。


福島新成人アンケート 「復興」へ強い意志も地元回帰、不安高まる
産経新聞 1月13日(月)7時55分配信

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福島第1原発事故で住民避難が続く福島県浪江町の成人式では、新成人らが犠牲者に黙祷(もくとう)をささげた=12日午前、福島県二本松市(三尾郁恵撮影)(写真:産経新聞)

 「人と人との絆が大切」-。東京電力福島第1原発事故の影響で避難区域が設定されている福島県の4町村(浪江町、富岡町、楢葉町、飯舘村)で、産経新聞が12日に行った新成人へのアンケート。東日本大震災から間もなく丸3年を迎えるが、若者たちが家族や地域の絆を大切に思う心を維持し続けている様子が如実に感じられた。復興への貢献意欲も旺盛だ。ただ地元への回帰志向については「分からない」が半数近くを占め、揺れる心情がうかがえた。

 「震災があってから家に帰れず、家族の大切さに改めて気付いた」

 「何が一番大切だと感じるか」との設問には、浪江町の大学生、金沢拓海さんがこう答えたように、震災を機に家族の大切さを痛感した人が多かった。同町の専門学校生、坂下博樹さんも「震災後、唯一ずっとそばにいる存在なので」、同町の専門学校生の女性も「震災で離れ離れになって初めて家族というのはそろっていないとだめなものだと実感した」と答えた。

 「友人・恋人」とする回答も多く、「離れていてもつながっていることが大事。心のよりどころになる」(浪江町の大学生、古農修一郎さん)、「近くにいてたわいもない話をして笑っていられることが幸せ」(富岡町の大学生、佐藤公美さん)。「きれいごとだけでは生活できない」(富岡町の専門学校生、女性)と「お金」を選ぶ人も1割余りいた。

 2年前に行った被災3県の新成人に対する同様調査では、85%が復興に役立ちたいと回答したが、今回も82%に上った。大手ゼネコンへの就職が内定した富岡町の横田錬さんは「東北全体の復興に関わりたい」、浪江町の男性会社員も「生まれ育った場所なので恩返しがしたい」と答えた。

 2年前の前回調査と最も違いが出たのが、「今後地元に戻りたいと思うか」との設問。前回調査では福島の33%が「分からない」と回答したが、今回は45%に増えた。40%だった肯定派も36%に減った。

 飯舘村の大学生、高木枝理さんは「どれだけ飯舘が大切か身にしみた」と地元回帰を望んだ。「いいえ」と回答した理由の多くは「放射能で戻れる状況ではない」。「浪江に将来はない」と悲観的な声もあった。「分からない」と答えた浪江町の女子大学生は「地元を手放したくないが、子育てのことを考えると心配」と複雑な心境をのぞかせた。


震災3年 福島市在住の詩人・和合亮一さん「二十歳の思いは人生の原点」
産経新聞 1月13日(月)7時55分配信

 僕が詩を書き始めたきっかけは、25年前の成人の日なんです。成人式に出た後、福島駅前の結婚式場に中学時代の同級生30人ほどが集まった。すでに社会に出ている者もいて、「会社を興したい」「旅に出たい」と夢を語っていた。

 僕は当時大学2年。自分は何をしたいんだろうと思った。いずれ就職するのだろうけど、自分をかけられるものって何だろうって。二十歳になったんだ、10代の自分とは変わりたい。そう思ったとき、詩を書いてみたいという自分がいた。

 イトーヨーカドーの駐車場で誘導のアルバイトをして、当時出始めの「書院」というワープロを買った。ノートに書いた詩を清書して、コピーして、朝、大学の最寄り駅の階段のところで学生に配った。隣では過激派がビラを配っていた。

 なぜ、そんな行動に出たのか。二十歳の決意ですね。とにかく変わろうと思った。でも、詩のビラを受け取ってもらって喜んでいると、大学までの道すがらにいっぱい捨ててある。これが現実なんだと初めて悔しくなった。「ようし、捨てられない作品を書こう」と。とにかく自分の詩を、言葉を誰かに届けたかった…。

 3年前の3月11日。勤務先の高校で大きな揺れに見舞われ、翌日から福島第1原発で水素爆発が続いた。妻と息子を山形県の妻の実家へ避難させ、教員アパートでひとりぼっちになった夜、始めたばかりのツイッターで詩をつぶやいた。

 《放射能が降っています。静かな夜です》

 あのときの気持ちは、二十歳の自分がまるでゲリラのように、詩のビラを配っていたときと同じだった。原発事故という極限状況をとにかく伝えたい。格好つけてはいられない、飾ってはいられない…。それは二十歳のとき、誰も読まなくてもビラを配り続けたあの経験があったからこそ、生まれ得たのだと思う。

 成人の日に何を思うか。何に苦しんでいるのか。そして、何をしたいのか。きょうという日を迎えるに当たって、もう一度見つめ直してほしい。「二十歳」をどれだけ熱く生きたのかが、これからの人生で迷ったり悩んだりしたとき、必ず思いだし、踏みとどまれる原点になる。「自分は変わりたい」という挑戦が、自分だけの強さになる。


福島の新成人100人アンケート 「将来戻りたい」は3割
産経新聞 1月13日(月)7時55分配信

 13日の「成人の日」を前に12日、各地で成人式が開かれた。産経新聞は同日、東京電力福島第1原発事故の影響で避難区域となり、今も地元外で生活する福島県浪江町、富岡町、楢葉町、飯舘村の新成人計100人にアンケートを実施。その結果、8割以上が家族を一番大切に思い、地元復興に役立ちたいと考えている一方、将来地元に戻ることを希望するのは3分の1にとどまることが分かった。故郷への思いと現実のはざまに立つ新成人の複雑な心境が浮かび上がった。

 アンケートは12日、4町村の成人式会場で面接形式で行った。有効回答数は100(男性49、女性51)。設問は(1)震災からまもなく3年になるが、何が一番大切だと感じるか(2)今後地元に戻りたいと思うか(3)復興に自分も何か役に立ちたいと思うか-の3問。

 (1)は「家族」「友人・恋人」「地元」「お金」など選択肢を示し、複数回答も可としたところ、83人が「家族」と回答。「友人・恋人」が34人、「地元」と「仕事」が14人で続いた。(2)は36人が地元に戻りたいとする一方、19人は「戻りたいと思わない」と回答。45人は「分からない」だった。(3)は82人が、復興の役に立ちたいと答えた。

 産経新聞では2年前も成人式にあわせ、岩手、宮城、福島の被災3県の新成人に同様のアンケートを実施。福島については当時、「地元で暮らしたい」が40%で、27%が「暮らしたいと思わない」、33%が「分からない」と答えていた。


避難指示、4月解除へ言及=旧警戒区域で初―政府側、住民が会合―福島・田村
時事通信 1月13日(月)2時33分配信

 東京電力福島第1原発から20キロ圏内の福島県田村市都路地区で12日、国と市、地元住民の3者会合が開かれ、政府側が同地区に設定してある避難指示を4月に解除する意向を示した。実現すれば旧警戒区域で初。参加したのは一部の住民で、18日に残りの住民とも話し合い、2月中に解除時期を示す予定だ。 

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